diary 2001.4.

diary 2001.5.


2001.4.30 (Mon.)

熱海ロマンでディナーショウに向けての打ち合わせ。
……なのだがマサルが遅れるということで、まずは3人、東工大で練習をする。
いつものラインナップのほか、今まで生演奏したことのない曲にも挑戦してみる。
『ウソゆず』をやってみたところ、カタチにはなっているのだが雰囲気が違った。やはり打ち込みでいくべきなのか。

マサルが合流して潤平宅に移動。具体的にディナーショウのアイデアを出していく。
前回の筆下ろしライヴでやったことは繰り返せない。どこまでが許容範囲なのか、議論が続く。
熱海ロマンは単なるバンドではない。「劇団もしくはロックバンド」なのだ。ライヴである以前に、ショーなのである。
お客さんの意表をつくためのMC・演出・小道具にかなりの労力が費やされる。もちろん資金もだ。
やってて楽しいのとキツイのとが交錯する。うーん、青春。

3時間ほどして、GW後半にもう一度集まることを確認して終了。
バイトの奥田くんを見送ると、残った3人で自由が丘へ。ラーメンを食べて解散。

やはり4人で集まるのは良い。アイデアの取捨選択にムダがなくなる。もっと頻繁に会えるといいのに。


2001.4.29 (Sun.)

夕方、高校時代の部活のOB会に出席する。
僕は「物理班」という部活に所属していて、ひたすらコンピューターミュージックをいじっていたのだ。

渋谷の待ち合わせ場所に少し遅れて到着すると、なつかしいメンツがそろっていた。
わざわざ名古屋からバヒサシさんも来ている。来るとわかっていればお土産を持ってきたのに。
『寄生戦隊サナダマンのうた』のレコーディングにも参加してくれたトシユキ氏が大学院入学祝いをくれた。
見てみると、なんと常田富士男の『私のビートルズ』。新宿で売っていたそうだが、なんともびっくり。

総勢13名で焼肉店に移動。食べ放題で全員狂ったようにタン塩を胃袋に送り込む。
そしてバカ話に花が咲く。昔の話は全然出ない。ひたすら今の話だ。こういうのは、前向きで良い。
そのうちどのテーブルで何を注文したのかも訳がわからなくなって激しい肉の奪い合いが始まる。
カルビも、ロースも、ハラミも、ビールも、コーラも、アイスも、あちこちを飛び交った末に野獣の腹の中に収まる。
制限時間の2時間を過ぎたころには全員満腹。肉質も良かったし、みんな満足。

その後はカラオケ。高校時代にもよく行ったもんだが、みんな選曲のクセはあまり変わっていない。
好きなミュージシャンの曲、仲間内だから歌える恥ずかしい曲、それぞれ熱唱。
しかしながら一部の鉄道ファンが喜んでスーパーベルズを歌っていたのには、正直ちょっと引いた。

そんなこんなで11時ちょい過ぎに解散。こういう愉快な連中と年に一度しか集まれないのは残念。
夏休み、機会があればぜひ地元で騒ぎたいものだ。


2001.4.28 (Sat.)

GWだ! 天気が良いので今日も自転車にまたがる。
学部時代の先生に頼まれたバイトの調査対象に入っていない大井埠頭方面に出かけることにする。

大森で昼飯を食べてから大井競馬場に向かうべく第一京浜を走っていると、鈴ヶ森刑場跡を発見。
八百屋お七などが処刑された場所である。車の音がうるさいが、それでもこの一角はちょっと違う雰囲気。
処刑に使われた石の台などが残っていて少し怖かった。ナムナム、と合掌してから東へ進む。

首都高1号線に沿って平和島に入る。さらに東に進んで大井埠頭中央海浜公園を一周。

湾岸道路を越えて倉庫ばかりの道を突き進むと東京湾に出た。潮の匂いがうっすらと漂っている。
お台場が少しかすんで見える。フジテレビ、テレコムセンターなどお馴染みの建物が仲良く並んでいる。
羽田に向かう飛行機が頭上をかすめる。本当に手が届きそうなくらいの高さでカーブを描いて去っていく。
コンテナを大量に積んだ船が視界をさえぎる。海面をすべるようにしてするすると進んでいく。
海にはクラゲが1匹、ゆらゆら揺れている。どす黒い色の中で透明な白さを際立たせている。
人が寄りつかない倉庫が並ぶこっち側と、人が集まっているオシャレなあっち側。同じ東京湾岸でも本当に対照的だ。

東京港野鳥公園の横を通って城南島に入る。しかしまだ工事中のところが多く、走っていても何もない。
つまらなくなって、大田市場の前を通って京浜島に移動してみる。橋の上は風が強い。さすが湾岸。
大田清掃工場の先、羽田空港がよく見えるつばさ公園から大音量でクラブミュージックが聞こえる。
見ると、バーベキューをする若い男女や家族連れがいっぱいいる。流浪の自転車野郎には縁のない光景だ。
早々に公園を後にして、昭和島に行く。が、ここも特に見るべきものがなかったので平和島に戻る。

環七で大森方面に戻ろうとする途中、ヤマトインターナショナルを発見。原広司設計の有名な建築だ。
個人的に原広司の建築は好きではない。一貫して「ガキの遊び場」という印象を受けるからだ。
実際に見たヤマトインターナショナルは思っていたほど大きくなかった。汚れも目立ってしまっている。
市街地ではなく埋め立て地の大雑把な道端にあるのは意外だった。
その立地のせいで倉庫群の味気ないイメージを引きずってしまっているように感じたのは気のせいか。

あとは環七をひた走って帰る。走った後の風呂は最高に気持ちが良い。

この日、熱海ロマンの仮設HPがオープンした。潤平には世話になりっぱなしだ。
一刻も早く、自分のパソコンでHPを運営したい。


2001.4.27 (Fri.)

朝、1コマ目の宗教社会学にもぐる。橋爪大三郎教授の授業だ。
教室でワクワクしながら待っていると、橋爪教授がのん気な感じで登場。すげー、本物だ。
教授は著書と同じように非常にテンポの良い講義をする。しかもわかりやすい。
これだけ中身の濃い時間が過ごせるんなら早起きも苦にならない。おお、正しい学生の心意気だ。
単位にならないところがまた正しい。

昼、授業がない時間を見て潤平と渋谷に行く。ターミナルアダプタを買うためだ。
これでネットにつなげる……と思いきや、GWのせいでISDNの申し込みが遅れることが判明。
結局GW中のHP開設は夢と消えてしまった。

夜、『熱海ロマソ』の最終テストCDをつくる。 いよいよCD生産体制に入ることができるのだ。
今までゆっくりとやってきたけど、それでも事態は確かに動いている。
予定が延び延びになってしまっていて、これ以上の甘えは許されない。
1発目からいいものをつくって、期待に応えなければ。


2001.4.26 (Thu.)

プロバイダ会社から手続完了の通知が来て、それで起こされた。
潤平のところからオンラインで申し込んだのだが、実質2日で来たのでビックリ。
こちとらISDNの準備も何もしていないというのに。
とにかくこれで4月中にHPを開設できる可能性が出てきた。なんとかやってみよう、と思う。

午前10時半、自転車にまたがり家を出る。学部時代の先生に頼まれたバイトである。
昨日は雨でできなかった分、今日一日まるごと仕事をして穴埋めだ。

まず大崎へ。東京都が発行している建築年報を見て現場を探していくのだが、
古いデータが更新されないで残っていたりして思うように進められない。
それでもやっているうちに建物の規模がある程度読めるようになってくるのが面白い。
前にも書いたが、調査対象は高さ60mかつ延べ床面積25,000平方mとかなり大きな建築ばかりである。
周囲の街並みと比較してその中で建築を推進していった力を想像すると、企業の持つ力の大きさがわかる。
こんなビルをポンポンと建てていった森ビルの力やバブルという時代のうねりは相当なものなのだ。

大崎が終わって大井町へ移動する途中、懐かしい道を通った。
大学2年のときにマサルと始発から終電まで山手線に乗り続けるというチャレンジをしたのだが、
19周してから電車が品川駅で止まった後、交番で道を聞きながら僕たちは五反田まで歩いた。
その道を逆にたどったのだ。次の始発までを待ったジョナサンもちゃんと残っていた。
あのとき遠くにあった23区内を自転車で走っているという事実にちょっと感動。

大井町に着いても休む暇なく調査。そしてそのまま大森に向かう。
大森ではベルポート大森の地番が建築年報と大きく違っていたので大いに迷ってしまった。
そんなこんなで西大井駅前のビルを調べてひととおり終了。

よく考えたら、このバイトは自転車乗りたい放題、その間は音楽を聴きたい放題で、
おまけに東京の地理について詳しくなることができるという非常にオイシイものだ。
僕のことを指名してくれた先生には本当に感謝しなきゃいけない。


2001.4.25 (Wed.)

夕方、東工大大学院の情報環境学専攻で歓迎会があるということで参加する。

情報環境学は機械工学・建築設備・土木工学・社会工学などさまざまなフィールドが融合している。
大学院受験のときにはそれぞれ自分の専攻する分野の試験問題を解くことになるのだが、
僕は社会学が専門なので該当する試験問題が存在しなかった。
ところが昨年から情報環境学オリジナルの問題が出題されるようになったので、僕はそれで受験したのだ。
このシステムに挑戦できるのはひとりだけ。つまり1名の枠を1名で争うわけで、落ちると究極的にみっともない。
受験では試験官と差し向かい。情報環境学専攻の教官が入れ替わり立ち替わりでこちらを観察していたのである。
最後の問題にいたっては、十数人の教官が見つめる中でのプレゼンテーション。当然、学生は僕だけ。
先生方の机の上には僕の答案のコピーが置いてあって、本当に心臓に悪いシチュエーションだった。
そんなわけで僕は史上初めて情報環境学専攻オリジナルの試験問題で合格した人間なのだ。
受かってよかった……。

歓迎会が始まると、それぞれ皆さん専門分野の学部時代の知り合いと話がはずんでいる様子。
僕はじっくりと時間をかけて馴染めばいいや、と思っているのでひたすら料理を食べるのみ。
しばらくしたら新人の歓迎会なのに、うちの研究室の先輩方がこっそりと部屋に入ってきて料理を喰らいはじめる。
うーん、自由なのはいいことだ。


2001.4.24 (Tue.)

実は、毎日東工大西8号館からトイレットペーパーを1つずつ頂戴している。
目的はもちろん、『ウソゆず』で使う“御神体”をつくるためだ。
去年も筆下ろしライヴ前に大学構内からトイレットペーパーを頂戴して“御神体”をつくったのだが、
それをこの3月に、クイズ大会「第9回一橋オープン」の優勝賞品として提供してしまったので、
熱海ロマン・ディナーショウに向けて新たにつくり直すことになったのである。
全体を布クラフトテープで固めてから、新聞の折り込み広告を使って肉づけしていく。
特にアタマの部分を重点的に整形する。今回は前作より少し大きくなりそうだ。
2時間ほど黙々と作業をしていたらクラフトテープをちぎる左手親指の爪が痛んできた。
また明日……なのだが、これを部屋に置いておくのはちょっとイヤだ。
完成品はもっとイヤだ。困った。


2001.4.23 (Mon.)

学部時代にお世話になった先生から、都区内の建物の利用状況を調べるバイトを頼まれている。
高さ60m以上かつ延べ床面積25,000平方mの建物についてテナントを書き出すという作業だ。
この出入りを調べることで、バブル期の前後についてのデータを拾い出そうという試みである。
さらに建築様式の変化も考慮に入れるそうで、建築大好きっ子なマツシマ兄弟に依頼が来たのはそのせいだ。
引越しや熱海ロマンなどでまったく手をつけることができないでいたが、ようやくおっぱじめることにする。

3コマ目の授業に出たあと、自転車で環七を走る。今回のターゲットは渋谷周辺だ。
渋谷に着くと、まず旧東邦生命の渋谷クロスタワーから調査開始。
生命保険会社の破綻ってのはいかにも90年代末からの現象で、いきなり調査テーマに絶好の例だ。
ビルの中に入ってデジカメでテナント一覧を撮影したら、そそくさと外に出る。
隣の第一勧銀事業センターも調査対象なのだが、中に入れないので外側だけ撮って西口に向かう。

西口ではつい最近できた渋谷マークシティが対象に当たる。
中の様子については看板が出ていたので助かったが、周辺に高い建物がけっこう多くて撮影しづらい。
そして桜丘町の渋谷インフォスタワーに行く。これは住友不動産の建物だ。
最後に神南のNHK放送センター。東口に置いていた自転車にまたがり、渋谷の中心を駆け抜ける。
東急ハンズの脇を通って敷地の正面にまわり、夕日にたたずむNHKのビルを撮影する。
それにしても代々木公園の方が何やら騒がしい。ダフ屋がいる。
気になって行ってみると、NHKホールでこれからポップジャムの収録があるようだ。
熱海ロマンの曲だと永遠にNHKからお呼びはかからねえなあ、などと考えながら井ノ頭通りを西へ行く。

環七を目指して走るのだが、ところどころ道が悪くて苦労する。気がつけば世田谷区だ。
世田谷区は場所によって雰囲気が大きく違う。閑静な住宅街、がさつな砂利の空き地、騒がしい道路沿い。
東京都で一番面積の広い区だからかな……などと思っていたら環七に出た。南下。
が、しばらく環七を走ってガックリ。よく考えるとこれは昨日、下北沢に行くときに通ったルートだ。
新代田駅を越えるとちょっと虚しくなる。2日連続で同じ道を走るのは、なんとなく損した気分だ。

家に着いて、即、風呂に入る。


2001.4.22 (Sun.)

天気が良いので自転車で旅に出る。まずは駒沢公園を目指す。

駒沢公園を自転車で一周。休日ということもあって人がいっぱいいる。
学部時代に授業をサボって行った小金井公園は純粋に緑がいっぱいだったが、
こちらの公園はオリンピックで使われたこともあってか、運動施設が充実している。
体育館やプール、野球場だけでなく、サイクリングコースも設定されているのだ。
さらにインラインスケートで走りまわる子どもや学生もたくさんいる。
人で賑わっていていいところなのだが、道路の舗装はちゃんとした方がいいと思った。
けっこう設備が老朽化し始めている印象を受けたのだが、どんなもんなんだろうか。

環七に戻ってひたすら北上。今度は下北沢へ行く。
新代田駅から住宅街を突き抜けると、ちょっとした繁華街に出る。下北沢だ。
予想していたよりもずっと小さい街なので拍子抜けする。これは後でわかったのだが、
僕は北口の一番さみしいところから入ったのでそんな印象を受けたのだ。
本多劇場から井の頭線のガード下を抜けると、そこは人で埋め尽くされていた。
南口は駅を中心に何本も下り坂の道が分かれていて、どこも人通りが激しい。
駅前空間で「これが下北沢か~」と呆気にとられていると、
TVでもお馴染みの広田赤ひげ先生がジーパン姿で何やら作業しているのを発見。
汚い字でいろいろな物に格言っぽいことが書いてあり、かなりのユニークさんだ。
街行く人々は誰一人赤ひげ先生に気がついていない。もったいない。

昼飯にラーメンを食べてから辺りを歩き回る。
本多劇場の中に怪しげな本屋、ヴィレッジ・ヴァンガードがあるのを見つける。
ヴィレッジ・ヴァンガードは名古屋にもあって、浪人時代にはちょくちょく通っていたのだ。
中に入ってみると、やっぱり名古屋と同じように怪しいグッズでいっぱいだ。
ぐるぐると店内を徘徊しているうちにヴォイスチェンジャーを発見。
これはレコーディングでもライヴでも使えると思い、即ゲット。
さらに『VOW』でお馴染みの「点取り占い」を見つけてこれも購入。
思わぬ掘り出し物を見つけてウハウハ気分になって店を出る。

下北沢という街は、よくわからない。
坂道が多い点、街と人の関係が舞台/演劇に似ている点は渋谷に近い。
だが、こぢんまりとした店が無数にくっついて求心力を生み出している街並みは、渋谷ほど洗練されていなくて、
むしろ細胞と個体の関係に近い印象を受けた。それぞれの小さなヴァイタリティが集まってひとつのカタマリになっている、
そんなイメージだ。このアングラっぽい雰囲気の是非はともかく、エネルギッシュで魅力的なことは間違いない。
ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていたら、後ろにいた人たちが
「テーマパークみたいだね。」
という会話をしていたのが聞こえた。これは的を射た指摘かもしれない。
ディズニーランドみたいな製品化されたものと違う、純日本的な盛り場の再現(再演)。
浅草的(脱社会的・逸脱的)というか、温泉街的(他者の欲望に支配された空間)というか、
そういう陰り(アングラ臭さ?)を多分に含んだ、世田谷区という手軽で洒落た位置にある街なのだ。


2001.4.21 (Sat.)

マサルと池袋で話し合い。11時集合の約束だったが、またしてもマサルは遅刻。
しょうがないので東武の本屋で時間をつぶす。建築系の本が意外と充実していた。

マサルと合流後、東口のウェンディーズでハンバーガーをかじりつつ打ち合わせ。
しかしそのほとんどは、マサルの将来へのぼんやりとした不安をケアするといった感じ。
こっちだって院を出た後のアテがなくて困っているのだが、自分のことは棚に上げてもっともらしいことを言ってなぐさめる。
残りの時間で熱海ロマン・ディナーショウの企画をブレーンストーミングで出していく。
出てくるアイデアはどれも実現できるか判断が難しいものばかり。これからの調整が大変だ。

その後、マサルがカラオケに行こうと言い出し、2人のビッグショーが始まる。
『真夜中は純潔』『愛のばかやろう』『はじめてのHAPPY BIRTHDAY!』など新曲を2人で歌う。
さらに当然のごとく河島英五の『酒と泪と男と女』、並木路子の『リンゴの唄』と追悼企画もやる。
しかしながら2人とも三波春夫が歌えなかったのは意外かつ残念だった。

そんなわけで狂乱の宴が終わって帰宅。
晩飯を食い終わって野球中継を見ていたら、ウチの研究室の先生から電話。
「カラオケに行こう! それから飲もう!」
お相手する体力なんてとても残っていなかったので丁重にお断り。


2001.4.20 (Fri.)

昨日の続きで曲をつくっていく。
曲をつくるときはとにかく集中することが必要だ。
制作途中の曲をMDに録音しておいて、登校時も食事中も始業前もずっと聴いて構成を考える。
そして家に戻ってから違和感のあるところを直していくのだ。
しかし、どうしても途中のキーボードソロが思いつかない。
しょうがないので明日に期待して、借りてきたCDを聴きまくる。


2001.4.19 (Thu.)

東工大の学生はマジメだ。授業開始ギリギリに教室に行くと必ず満員で入れない。
そんなわけで午前中は研究室でネット、午後は自宅で新曲づくりに励む。
シブヤ系のアレンジを目指すが、なかなか思うようにできない。
ピアノがいいと曲が映えるので、いつも以上にピアノのパートを丁寧につくってごまかしていく。
まあそんなわけで、この曲は潤平のギターが頼りということにして夕飯までに一段落つける。

そういえばマサルから、「『ザ・ベスト』編集部に正式に配属が決まった」と連絡があった。
熱海ロマン的には音楽活動ができる暇があるんならなんだっていいです。


2001.4.18 (Wed.)

潤平と築地へ。アルバムのケースについて印刷業者と打ち合わせるためだ。
いざ行ってみると、背広姿の営業担当の方が2人で応対してくれた。
論文のための聞き取り調査とあんまり変わらない雰囲気で、正直少しビビる。
一方の潤平は専門用語もちゃんと理解して話を進めていく。
僕はのん気に、たかが自主制作のCDなのにこれだけ力を入れてつくるのもすごいな、と感心しながら話を聞いていた。
兄弟なのにえらい差だ。

夜、土曜に買ったラックが届く。組み立てるついでに部屋の片付けも始める。
部屋の真ん中を占領していたパソコンを、ラックに載せて縦に置いていく。
ついでにCD製作に使うオーディオ機器も一緒に配置する。
機械がズラリと並ぶラックからは、いかにも「趣味人」という匂いがする。
その脇にはキーボードが立てかけてあって、対面にはエレキドラムが置いてある。
まだ片付けが終わっていない床にはグローブや自転車用の手袋が転がっている。
この部屋に来たことのある友人は今のところマサルだけだが、
僕をよく知る人が来たら「いかにもびゅく仙の部屋らしい」と言うんだろうなあ。


2001.4.17 (Tue.)

今日は授業1週目の最終日、つまりガイダンス最終日ということだ。
東工大の社会学系の授業は東大からの直輸入が多く、一橋出身には新鮮な印象である。
理系の大学・大学院ということで社会学方面には少々ネガティヴな先入観があったのだが、
東工大はいろいろとやりたいことのできる環境がそろっているように感じる。

そんな夕方、研究室でパソコンとネットの接続作業をしていたら、
グラウンドでウチの先生が研究室の先輩と凧揚げをしているのが見えた。
今週はゼミが休みだったんだけど、まあ、なんつーか、自由なのはいいことだ。


2001.4.16 (Mon.)

夜、潤平が来て『東京23区ショー歌』をミックスダウン。
これによりすべてのWAVデータがそろったので、さっそくテスト版のCDをつくる。
聴いてみると予想していたよりもずっと強烈だ。
ひとつの作品が完成するということは本当に魅力的で、この快感を得るためなら何だってできる。


2001.4.15 (Sun.)

午前8時の約束を忘れて寝ていたら、潤平に電話で起こされる。
1stアルバム『熱海ロマソ』に収録する最後の曲、『東京23区ショー歌』の録音をするのだ。
急いで潤平宅に行き、そのまま東工大に移動する。
ノドの調子がメチャクチャ悪かったが、それも勢いということで録音。
潤平の買ったエフェクタは本当にすごい威力を発揮してくれるので助かる。
録音終了後、潤平:ギター、僕:ドラムスで熱海ロマンのレパートリーを何曲か練習する。
昨年11月のライヴ以来、全然さわっていなかったおかげでまるでたたけない。
こんなことじゃ7月のディナーショウに支障をきたす。練習しなければ。

夕方、研究室も関わっているNPOのパーティーに出席。
その世界では有名な人たちが集まっていろいろと気ままに話をするのだが、
酒を飲みながらのんべんだらりというのは僕にとって非常につらい時間だ。
短時間で集中してこそ充実した議論になると思うのだが。
どうもこの習慣にはなじめない。


2001.4.14 (Sat.)

父親のcirco氏が上京。潤平と僕と3人で渋谷に行く。
東急ハンズでPC用のラックを買い、子法師でラーメンを食べる。
子法師の焼豚ラーメンは、ちょっとチャーシューがインフレ気味だ。ありがたみがなくなてしまったのが残念だった。

circo氏と別れてから潤平と渋谷のTSUTAYAに寄る。
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』や『カリキュラマシーン』など、魅力的なビデオを貸し出している。
今度借りに来ようかな。


2001.4.13 (Fri.)

3限が休講だったので自転車で東工大周辺を走りまわる。
まず、学内の原子力研究棟を見る。放射能マークでいっぱい。
のんきに辺りをうろつきまわっている猫たちに特別おかしいところはない。
潤平は三つ目の猫がいるという噂を教えてくれたのだが。

緑ヶ丘の敷地を分断している道路に出てみたくて、東工大の北側を下っていく。
その道路に出てちょっと先に進むと、いつも自由が丘に行くのに使う道に出た。
そのまま北へと走っていく。道は小さな桜並木に変わった。
花見のシーズンは過ぎたものの、青空のせいもあって緑がキレイだ。
どこまでもどこまでも桜並木を走り続けたら都立大学駅に出た。なるほど。

今来た道を戻り、そのままどこまでも下っていく。
目黒線・大井町線を越えると、道の真ん中にはコンクリートで覆われた川が現れた。呑川だ。
だが、臭い。この川は死んでいる。同じ道だったはずなのに、桜並木とはまったく違う。
とは言っても、桜並木は地下にこの川を暗渠として隠していただけのことなのだ。
問題は表面を片付けただけじゃ解決しない。切ない。

そのままずっと走り続けたら石川台の辺りで中原街道に出た。東へ進路を変更。
適当なところで南千束の町内に入ったら、洗足池に出くわした。なかなか大きい。
余裕があれば池を一周したかったのだが、次の授業の時間が迫っていたのですぐに元の道に戻る。
東工大に着いたのはけっこうギリギリのタイミングだった。

自転車で走りまわってる僕の姿は同じ研究室の女の子に何度も見られていたようで、
研究室に戻ったら先生から「自転車乗る以外に何かやってないの?」と言われてしまった。
「熱海ロマン」と言える勇気が僕にはまだない。


2001.4.12 (Thu.)

自民党の総裁選が面白いんだけど、どうせ今までと大して変わらないんだろうなあ、などと思いつつ卒論を印刷する。


2001.4.11 (Wed.)

昼間は雑務に追われて目黒区・大田区・品川区を右往左往。
学部時代の教授から頼まれている調査まで手が回らない。
熱海ロマンの活動資金を貯めるためにも勉学のためにも、絶対やらにゃあいかんのだが……。

で、夜。テレビでやっていた『ピンチランナー』を見る。
これほどまで恥ずかしい映画があったとは!
みんな演技が下手なので、見ているこっちが赤面してしまう。お父さんは照れくさい!
まあそれをつっこむのはあまりに野暮ってもんなので置いておこう。
しかしそれにしても編集が悪い。マジファンにはストーリーがわかってるからいいかもしれんが、
そうでない人間には何を表現したいのかサッパリわからん。
だってCM明けたらいきなりゴマキが天井から下りてきて、そこに血まみれの飯田がいるんですぜ! お父さんは悲しい!
肝心の駅伝のシーンでは、場面に全然合っていないほのぼのBGMが気になる。
それでも飯田がついつい沿道の声援に応えちゃったりするなど、
メンバーの素がチラホラと出ていて非常に興味深かった。お父さんは嬉しい!
全体的な感想としては、ゴマキが光っていてなかなかよろしいと思った。

……あといじめられる市井もけっこう良いですね。

あー、よっすぃーセリフ棒読みー。


2001.4.10 (Tue.)

今期初のゼミ。午後5時スタートで午後11時半まで延々とやる。
集中力が続かないっつーの。早く切り上げるのも能力のうちだぜ。


2001.4.9 (Mon.)

昨日の疲れもあって、特に動きはなし。

最近、少し滅入った気分になってしまっている。
こういうときは、無理やりにでも前向きになるしかない。
ウジウジと悩む時間を削るべく、4月中にいろいろな仕事をこなすように予定を立てる。


2001.4.8 (Sun.)

いい天気だ。
窓を開け放して、Cymbalsなんぞを聴きつつのんびりとした日曜の午後を過ごす。
こういう時間の使い方が一番ぜいたくで気持ちいい。

夕方になって横浜アリーナに向かう。モーニング娘。のライヴである。
奥田くんのラグビーサークル仲間の皆さん(ユニット名・奥長恵太郎)がチケットを入手してくれたのだ。

駅に着くと桜庭和志Tシャツに覆面姿の集団。奥長恵太郎の皆さんである。
こちらと負けじと、昨日買っておいたベーグルを取り出してむさぼり食う。ウケてほっとする。
潤平がいつまでたっても来ないので「おそい」とメールを送ったら、
「後ろにいます」と返ってきた。みんなして最初から小ネタ全開である。

奥長恵太郎+熱海ロマン、総勢7名で出陣。
駅からアリーナに移動する途中も奥長恵太郎の皆さんは目立ちまくっている。
ダフ屋のおいちゃんから「桜庭もあるよー」と声をかけられていたのには笑った。

会場にはいろんな人種がいた。小さい女の子もいれば、コスプレの人もいる。
グッズで身を固めた人もいたし、モー娘。メンバーの名前を背中にしょった気合い十分の人もいた。
もっとも、その中でも「今日PRIDEじゃないの?」と覆面をかぶる奥長恵太郎の皆さんは圧倒的に目立っている。
こういう人たちと一緒に行動できるのはうれしい。

中に入ると、席は野球でいうバックネット裏の位置だった。少し一塁側に寄っている。
よく考えると、実はこの位置はTVじゃ絶対に見られない角度から眺めることができるわけだ。
肉眼で表情を十分確認できる距離だったので、ヘタに正面で遠い距離よりはずっといい。
おまけに後になってみんなで大興奮したのだが、正面からじゃ絶対に見ることのできない、
『LOVEマシーン』でガウンを着るモー娘。の姿を見ることができたのである。
そしてこの位置は会場全体の雰囲気が手にとるようにわかって面白い。まるで天空と下界、月とスッポン。

太郎さんがモー娘。うちわを買ってきてくれたり、下ネタの会話で盛り上がったりして時間は過ぎていく。
そうしている間にも、座席がびっちりと人で埋まっていく。
「いっぱいいるなー、みんなマジファンなんかなあ」などとぼんやり思っていたら、照明がすべて落とされた。
真っ暗な会場の中で、サイリウムが宇宙空間のように散らばっている。本当にキレイな光景だ。

轟音とともに、手前のモニターでモー娘。のメンバーが紹介されていく。
僕らはモニターの後ろにいるせいで左右が逆になってしまっているが、そんなことは関係ない。
7名全員、どんどんテンションが上がっていく。

するとまずミニモニ。が登場。『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』を歌う。
僕らも用意しておいた紅白の軍手を身に着けて踊りまくる。
続いてはお待ちかねのプッチモニ。よっすぃーは赤いスカート姿だった。
プッチは『BABY!恋にKNOCK OUT!』だけでなく『ちょこっとLOVE』も歌ったのでけっこう感動。
僕はずっとよっすぃーに見とれてて、ろくすっぽ声を出さないで過ごしてしまった。
その後はタンポポ、さらにメンバー全員そろってのMCやゲストの歌と続いていく。

そしていよいよモー娘。全員登場してのステージ。
僕は、周囲に対してではなく自分に対して恥ずかしくなってしまうので、こういう場で熱くなるのは少し苦手なのだ。
それでも奥長恵太郎の皆さんやほかの熱海メンバーと一緒に、大声をはりあげる。
僕らは周りの誰もがやらない無茶な合いの手を入れて悦に入るのであった。

歌が終わってステージを退場するよっすぃーに、7名全員で「よっすぃ!よっすぃ!」と大声でコールをしたら、
こっちをちらっと見てちょっと笑ってくれた。20代のお兄さんたち一同、猛烈に感動。
さらに、男爵・デ・イーノさんが「加護ー!」と叫んだら本当に加護がこっちを振り返ったのにはびっくりした。
あいぼんを振り向かせる漢(おとこ)……。すげえ。

●各メンバーについての感想
中澤:後ろのファンに対して気を遣ってくれているのがわかった。いい人だ。
保田:噂には聞いていたが、本当に客を煽るのが好きなのね。
飯田:ライヴの最後に「これが音楽なのね♪」とコメントしてたけど、僕は違うと思う。
安倍:ライヴじゃ全然目立たない。判官びいきしたくなるくらい。
矢口:ミニモニ。以外のメンバーといると、確かにその小っちゃさがわかる。
石川:事務所の方針もあってか、梨華ちゃんはだいぶ目立ってました。よかったね。
後藤:意外と髪の毛が黒かった。ああして見る分には普通の女の子なんだけどな。
吉澤:後ろのファンには応えてくれるし、動きのキレはいいし、予想以上にステキやった。
辻 :ヘリウム吸ったような声だった。確かにロリであります。
加護:ライヴではTVの芸達者ぶりが発揮できてなくてちょっともったいない。

ライヴ会場でのモー娘。は、みんなTVよりもずっと高い声だった。どうしてだろう?

で、ライヴ終了後は打ち上げである。7名で武蔵小杉のカラオケ屋に移動する。
まずはモー娘。ライヴの演目を次々と再現。奥長恵太郎の皆さんは完璧な振り付けまで見せてくれた。
こっちも負けじと踊るのだが、どうしてもかなわない。日ごろからネタを仕込んでおかないと大きな差がつくのである。
それでも圭ちゃんの「後ろー!」「みんな一緒にー!」という煽りをみんなでマネして大爆笑。

モー娘。祭りが一段落つくと、奥長恵太郎の皆さんがそれぞれ持ちネタを披露。
これがもう本当に強烈で、僕らはただひたすら笑うしかなかった。
熱海のメンバーはみんな「僕らのやってることって本当に面白いんだろうか……。」と自信を喪失してしまった。

そんな狂乱の2時間はあっという間に過ぎて、終電に乗って帰る。
自由が丘で僕・潤平・マサルの3人でラーメンをすすり、ファーストアルバムの話をしながら歩いて帰宅。
午前3時ころまで打ち合わせをして、寝る。マサルは明日仕事ということで僕のところに泊まった。

なお、この日、7月アタマに熱海ロマン・ディナーショウを開催することが正式に決定した。


2001.4.7 (Sat.)

池袋にて岩崎マサルと打ち合わせ。
が、マサルは2時間半の遅刻をかましやがる。
しょうがないのでその間、東急ハンズをうろついて次のライヴのアイデアを練る。
マサルと合流後、ファミレスで熱海ロマンのHP等について話し合う。

アイデアを出し尽くした後は聖地巡礼の旅に出る。
東武本館地下にある「ベーグル&ベーグル」でベーグルパンを買い、
東京芸術劇場前の広場でモフモフと食べる。
周りはアベックだらけだというのに、こちらは野郎2人でよっすぃートークだ。
食べ終わって解散、帰宅する。
マサルは東武東上線に乗って帰って行った。いいなあ。

日付が変わってから潤平宅で熱海ロマン関係の打ち合わせ。3日連続だ。


2001.4.6 (Fri.)

大学院の研究室で歓迎会。
東工大は理系ということもあって、学生ひとりひとりに机とパソコンが与えられる。
一橋ではゼミのときだけ専門の教室に集まるという形だったので、ひどく新鮮だ。
研究室の中に自分の居場所が用意されているというのはなかなかいいものだ。
研究室の皆さんもいろいろと気を遣ってくれているのがわかる。
早くなじめるようにがんばらなければ。


2001.4.5 (Thu.)

大学院の入学式。最前列で熟睡。ザマーミロ。


2001.4.4 (Wed.)

渋谷に行って買い物をした。
いろいろ買わなくちゃいけないものがあったので、かなりの出費だった。
今後の活動のためとはいえ、困ったものだ。


2001.4.3 (Tue.)

天気が良かったので自転車で散歩。大田区民なので大森と蒲田に行くことにする。

まず環七で大森に行く。池上通りはいかにもな商店街になっている。
東口に出ると対照的に大きな建物が並んでいた。池袋西口に似ている印象を受けた。
その後第一京浜に出て南下。風がとにかく強い。
『笑う犬の冒険』に出てくるトシとサチのコントの舞台ということで、梅屋敷駅周辺を探索。

南蒲田の交差点に出たところで、羽田空港まで足を伸ばすことに決める。
環八を東へ走る。次第に風景が閑散としたイメージに変わってくる。
黙々と走っていると、しばらくして空港が見えた。が、京急天空橋駅近くの交番でつかまる。
「防犯登録はしてないんですか?」
多摩にいたときには4年で一度も呼び止められなかったのに、引越して1ヶ月で二度目だ。
その後、多摩川の脇を飛ばす。歩いている人もいなくてさびしくなる。頭上をモノレールがあざ笑うように越えていく。
長いトンネルを抜けると空港の整備ブロックだった。迷って走りまわった末にようやくターミナルに着く。
しかし空港利用客が自転車に乗っている僕を冷たい視線で見ている気がしたので、気まずくなってすぐに引き返した。
帰りの環八はひどい向かい風で信じられないほどきつかった。ペダルをこいでもこいでも前に進む感触がない。
川向こうの倉庫群は何も元気づけてくれない。台場とはまったく違う、ひどく暗いウォーターフロントだ。
大鳥居の交差点まで出て一息ついたが、何の目的もなく行く羽田空港はつらいだけだった。

気をとり直して蒲田まで行く。大田区役所は大きくて新しい。中央の金色の大田区マークがいやらしい。
ニュースでやってた蒲田駅東口の三井住友銀行2つを確認する。挟まれてるJTBが逆に目立つ。
西口の三井住友銀行も確認すると、疲れたので蒲田周辺を探索しないですぐ帰ることにした。
環八から第二京浜へと進む。向かい風にさらされた次は馬込の上り坂。きつい。

ヘトヘトになって環七に出て帰宅。即風呂に入る。非常に気持ちが良かった。


2001.4.2 (Mon.)

特に何をするということもなく自宅で過ごす。

夕方になって、熱海ロマンの曲をMP3に変換する実験をする。

その後潤平宅に行って熱海ロマンHPの打ち合わせ。
晩飯を食った後は僕の家でモーニング娘。の武道館ライヴDVDを見る。


2001.4.1 (Sun.)

自転車で散歩。お花見ということで、千鳥ヶ淵に行くことにした。

渋谷まで出てから青山通りをひた走る。最高裁の脇から皇居の堀に沿って進む。
桜はきれいに咲いていたが、とにかく人が多くて思うように先に行けない。
靖国通りに出るとさらに人出が激しく、九段下にたどり着くまでかなり時間がかかってしまった。

その後、秋葉原で『シムシティ3000』を買う。
帰りは中央線/総武線に沿って四ツ谷まで行く。桜が近くてうれしい。
赤坂御用地に沿って進んで青山通りに戻り、渋谷経由で帰宅。


diary 2001

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