diary 2001.6.

diary 2001.7.


2001.6.30 (Sat.)

今日は一日、ディナーショウの準備と練習の日。っていうか、前日だからそれは当然。

まずは朝から奥沢に集合して3時間のバンド練習。『黄門乱心』が盛りだくさんだ。
カヴァー曲の構成に不安を残しつつ、練習は終了。

その後昼から夕方にかけて潤平とカラオケMDのリミックス。それからマラソンビデオのチェック。
奥田君はプッチモニ人形に穿かせるホットパンツ用のジーンズを買いに出る。

奥田君と合流後は小道具の総仕上げ。3人も入れないくらい散らかっている部屋でむりやり作業。もうてんやわんやだ。

夜になってクラブハウス棟にて脚本の最終チェックとダンスの練習。もうフラフラ。

風呂が最高に気持ちよかった。


2001.6.29 (Fri.)

本番が刻一刻と近づいている。結局今週は授業にひとつも出られなかった。
そろそろ成績評価の方法が発表される頃なのに。でも後悔はしない。

一日ずっと小道具づくり。ひとつひとつ片づけていく。
そして気分転換には『振り向けばピョンヤン』と『熱海ロマンのやる気まんまんおまんまんソング』のダンス練習。

夜、潤平からマジックショーで使う頭をぐるぐる回すやつ(ナポレオンズの持ちネタ)の製作をまかされる。
そしてそのまま潤平はマサルと合流してドミノビデオのチェック。
僕はひとり、段ボールを切り貼り。なんとか完成させて寝る。

時間が、足りない。


2001.6.28 (Thu.)

いよいよ今回の小道具で一番手のかかるプッチモニ人形づくりに入る。
まず、東工大クラブハウス棟で頭部の塗装。発泡スチロール製の頭にスプレーで色を塗る。
それが乾くまでの間、家で胴体をつくる。
ハンズのパーティーグッズ売り場で売ってたヌードハンガーの後ろにプラ板で背中をつくる。
ネジを使って固定したら、ものすごく仕上がりが格好良い。ちょっとロボコンな気分。
その背中にシャフトを通す金属を固定。ストッキングにカブセール(中空のポリプロピレン棒)を入れた手足をつなぐ。
そして乾いた頭部を接合してとりあえず完成。
新宿で買っておいたカツラをそれぞれかぶせたら…まあ雰囲気はわかるかな、という程度に似た。
顔は自力で描く。ふつうにかわいくした後藤、白目がちでネコ目でアゴにホクロの保田。
どっちもかわいい僕の娘だ~……という気分になるのはマズイだろうか?

部屋の中にはウソゆずの御神体と人形が2体。大家にバレたら追い出されるかも。


2001.6.27 (Wed.)

水曜には授業を入れていない。その分、熱海ロマンの方に集中できる。
というわけで、渋谷にて最後の買い出し。足りないものを一気にそろえる。

小道具づくりと並行して演奏の練習をしているわけだが、どうしてもカヴァー曲が覚えられない。
これは技術的な難しさということではなく、曲の構成を覚えるのが大変ということ。
今回のライヴでは『熱き心に』と『負けないで』を新たにカヴァーするのだが、どちらも構成に少しクセがある。
特に『負けないで』なんてふだん絶対に聴かない曲なので、イヤイヤ無理して移動中などポータブルMDで聴くことに。

ところでこういう「ふつうの歌謡曲」を演奏していて思うのは、熱海の曲の方が圧倒的に難しいということ。
当然、自分たちのレパートリーということでこだわりがあるせいなのだが、それにしてもやっぱり難しい。
そのぶん曲の構成は染み付いているので、本番で演奏することを考えると、どっちもどっちと言えなくもない。


2001.6.26 (Tue.)

国立病院のサイトプランの話。
しかしライヴ準備の疲れがあまりにもひどく、半分倒れたような状態に。迷惑かけっぱなし。

夜、奥沢にて練習。メシを食わずにVAAMを飲んでドラムスをたたく。痩せるかなあ。


2001.6.25 (Mon.)

新宿へ買い出し。そのついでに教員免許の申請のため都庁に行く。
が、住民票を忘れて受け付けてもらえず。ボーンヘッド。

ハンズへ。必要なものを買っていく。パーティーグッズ以外はあらかた購入。
あと1回買い出しすれば小道具はぜんぶ揃うだろう、という程度で切り上げる。
街へ出るのは気分転換になるから、本番までもう一度だけ、エクスキューズを残しておくのだ。

大岡山に戻り、CDを借りる。帰ってのんびり(している場合じゃないんだけど、)聴く。

松浦亜弥『トロピカ~ル恋して~る』。アレンジャー(渡部チェル)がうまい。こんなシンセを熱海にも入れてみたい。
深田恭子『スイミング』。アレンジうまいなーと思ったら亀田誠治。カップリングはモー娘。でお馴染みの河野伸だった。

BUMP OF CHICKEN『天体観測』も借りたが、正直な話、僕は上記の2曲の方が上をいってる、と感じた。
これは僕の評価基準がアレンジに重きを置いていることによる。アレンジの完成度を第一と考えているのだ。

かつて僕はインストゥルメンタルにドップリつかっていたわけだが、このとき感じたのはメロディの重要性だった。
しかし、大学に入って邦楽も積極的に聴くようになると、音楽はすでに方法論になっていると痛感した。
方法論──つまり、アレンジのうまいやつが評価される。「プロデュース」とはオブラートに包んだうまい言葉だ。
もちろん、売れる=名曲なんて思っているわけではない。
売れない名曲は存在するし、売れるつまらない曲は枚挙に暇がない。
しかし僕のような偏った音楽をやっている人間が、売れることを正しく評価できなくなったらオシマイだ。タコツボ。

もはや現代の邦楽において歌詞は重要視されない。現代社会において言葉が溶けてきているから。
それは決して悲観すべきことではないだろう。言葉が僕たちに溶解を要求しているのだ。恐れることはない。

たとえばブラックミュージックの流行のように、地域・民族といった「ローカルさ」は分解されて陳列されている。
邦楽においてはカテゴライズの大小を問わずそういった各種の「ローカルさ」というものが、ジャンルとして並べられている。
「今度の新曲では新しい要素を採り入れました。……調、……風、……テイスト。」
そして、それをふまえたうえで、言葉と音の配列を工夫すること。それがアレンジ。
それを「ポストモダニズム」のひとことで片づけることは容易だが、もう少し慎重に、自己中心的に考えてみたいのだ。

つまるところ、僕は参考資料としてしか音楽を聴けていない。娯楽でもなんでもなく。
さまざまな要素を抽出できるもの、つまりアレンジの完成度の高いもの。それを好んでいるに過ぎない。

じゃあ熱海ロマンで僕は何がしたいのだろう? 周りにいる人たちを笑わせたい? 不快にさせたい?
答はどれでもないのだ。純粋に僕は、モノをつくれる奴と組んで、カタチになるものを残したいのだ。
それだけで満足なのだ。そしてその結果、皆さんに楽しんでもらえれば、もうどうなってもいいのだ。


2001.6.24 (Sun.)

ダンスがこんなに疲れるものとは思わなかった。午前7時からのバンド練習も圧倒的に不調。迷惑かけまくり。
解散後も結局何もできず、一日ぶっ倒れたまま。

それでも一応、都議選の投票には行った。消えゆく社民にハナムケの一票を投じた。


2001.6.23 (Sat.)

潤平がチケットの行商に出た。僕は自宅でマサル待ち。もはや、マサルの遅刻を前提にスケジュールは組まれている。

マサルが大岡山に到着。マックで合流して脚本のチェック。その後ネタづくり。
潤平が帰ってきて、3人で晩飯を食う。食い終わったら腹を減らせた奥田君と合流。どうもタイミングが良くない。

潤平宅に移動し、モー娘。のプロモなどを見る。
『熱海ロマンのやる気まんまんおまんまんソング』の振り付けを考えるためである。
しかしながら当然のごとく本来の目的からズレていき、すぐにエロ話に。

「加護○ェラいいっすねー。」
「もう、人類共通の夢よ。僕、してもらえるんなら5回は生まれ変わっても平気やもん。」
「ずっと虫ケラかもしれないっすよ。」
「ええもん、僕。虫ケラなるもん。」

「デビル真希(デビルマンレディの格好をした後藤真希)どうっすか?」
「最高やん! 本当に地獄にあんなんおったらええのに。」
「そうとう悪さしないとダメっすよ。」
「ええよ! 僕もう、今日からどんどんカルマ貯めるよ!」

それにしても奥田君とマサルのエロ会話はすごい。底なしとはまさにこのことだ。
放っておくのはもったいないぐらいパワフルだし、持続力もある。ぜひとも発電か何かに利用すべきだ。

午後11時過ぎ、東工大に移動してダンスの特訓。前述の『おまんまん』の振り付けを考えながら練習する。
また、『振り向けばピョンヤン』のパラパラを奥田君から教えてもらう。
それでしばらくいつもの練習場所であるクラブハウス棟で踊ったのだが、うまくいかない。
鏡が必要なのだ、ということで附属図書館の玄関に移動。正面を照らす光をガラスが反射して自分たちが映る。

  
L: ガラスに映る自分たちを確認しながら踊る。  C: しかしマサルは踊ることなく寝っこける。  R: 練習する人、しない人。

時間がないので必死で振り付けを決めていき、図書館のガラスを見つめて踊る。
夜が明けるまでには、なんとかひととおり手順が決まった。あとは個人練習だ。


2001.6.22 (Fri.)

国立病院のコンペについて、M1で話し合い。
僕は商業施設をメインにした案を提出したが認められず。ひとりでむくれる。

夜、奥沢でバンド練習。助っ人のキーボーディストと初顔合わせ。
「大変なことに巻き込まれちゃったよなあ……」と、内心ちょっと同情。自分の立場は棚に上げて。

スタジオに入る。なんでもHysteric Blueも練習にくるところらしい。へー。もうちょっとマシなバンドなら格好つくのに。
助っ人さんの本職はドラマーなので緊張しまくりながらたたく。
僕の我流ぶりがあまりに変だったのか、助っ人さんはチラチラと珍しいモノを見るような目つきで僕を見ていた。
ヘタですいませんな。


2001.6.21 (Thu.)

夜、Hate crime R.A.の皆さんを中心とする「熱海ロマンを囲む夕べ」のスタッフさんと恵比寿にて打ち合わせ。
金銭面・資材の運搬面の話にはじまり、脚本のチェックにいたるまで綿密な話し合いが行われた。
もういいかげん時間がないのだが、どうも熱海ロマンのメンバーは日常生活に追われて緊張感がなくていけない。
今日の話し合いのおかげで、頼れるスタッフさんがいるからちゃんとできるな、という自信がついたし、
小道具をガンガンつくって練習をガンガンやって本番に備えなけりゃいかん!という気になってきた。
ディナーショウまであと10日。もう正念場なのであります。


2001.6.20 (Wed.)

教員免許申請のための書類を受け取るついでにHQS(一橋大学クイズ研究会)におじゃまする。
久々に早押し機を押したのだが、やはりブランクは大きくて、思うようにランプがつかなかった。

で、HQSにおじゃましたもうひとつの理由は、『熱海ロマソ』の訪問販売。
会長ラビー氏をはじめ、みんな快く買ってくださった。どうもありがとうございました。

行きと同様、南武線-田園都市線-大井町線で帰る。
が、 自由が丘に自転車を置いてきたのをすっかり忘れて大岡山までの切符を買ってしまう。
しかも電車内でもボーッとしていて大岡山で降りてしまう。しょうがないので自転車を回収するため自由が丘まで歩く。
へなちょこ。


2001.6.19 (Tue.)

火曜は研究室のゼミの日である。今日は全3ラウンド。

第1ラウンド終了後の休憩時間、後輩とダベっているうちに『熱海ロマソ』の話になる。
「1500円は高いですよ」と言ってきたので、お試し版としてCDを貸すことに。
で、周りのみんなに悟られないように封筒に入れて渡したら、その様子をウチの先生に見られてしまった。
先生はさっそく「なにそれ?」と興味津々。ヤバイ。ここでバレたら今後の大学院生活がめちゃくちゃになってしまう。
ウチの研究室では隙を見せたら負けだ。とことんイジられてしまう。「熱海ロマン」なんて格好の素材なのだ。
テキトーにごまかしているうちに休憩はおしまい。無事、第2ラウンドに入る。

が、ここんところの疲れのせいで第2ラウンドの最中に寝てしまう。いくら縁のないビジネスの話とはいえ、不覚。

なんとか第3ラウンドは寝ないで終了。研究室に引き上げる。
が、研究室に入ると先生がするするとこちらに近づいてきた。
僕は「あー寝てたのをつっこまれるんだろなー。謝るしかないなー。」と覚悟を決めたのだが、
「さっきの封筒、何? 何?」
意外な方向からの集中攻撃。どうやら先生はエロなものであると勘違いしているようだ。
「いや……あやしいモンじゃないですよ。」
「なんなの? なんなの?」
「……CDです。」
「どんな、どんな?」
「まあ、その……」
「モーニング娘。?」
「いえ、お笑い系というか……。」
「ふーん……。」
なんとかその場を逃げ出してきたが、もはやバレるのは時間の問題。今から対策を立てておかねばなるまい。


2001.6.18 (Mon.)

今日も朝からCDの生産。バリバリ焼いて、レーベルぬりぬり。

午後になって渋谷へ買出し。帰りにドトールでメシを食いつつ脚本の最終チェックをしようと企む。
が、フラリと寄った学芸大学西口のドトールは1階のみでめちゃくちゃ狭い。
しょうがないのでいつもの洗足ドトールで作業をする。

家に帰ってまたCDを生産。キリがないです。


2001.6.17 (Sun.)

全員昨日の疲れを引きずっていたので朝5時集合は結局7時になった。
社会人のマサルを除いた3人で東工大ロック研スタジオに入り、ひたすら演奏の練習である。
「熱海ロマン・筆下ろしライヴ」で演奏した曲は慣れているのでそんなに心配していないが、
問題は今回初めて演奏する曲だ。特に『ヘビおばさん』。しかもこれがライヴの1曲目。
ドラムスのパターンが複雑なので根気よくたたき続けて慣れるように努力する。
3時間近く集中して練習したら、もうどうしょうもない状態だったのが、なんとかカタチが見えるところまで上達。
自分でもだんだんマシになっていくのがわかる。だから休む暇がもったいない。
両手のマメがつぶれても、音楽の中のリズムと一体化する行為が楽しくてまったく気にならない。
しかし体力切れで身体が思うように動かなくなってしまい、おひらき。

その後は一日中、CDの生産。今後の手売り体制に備えてガンガン量産していく。


2001.6.16 (Sat.)

先週のドミノに続き、今週はディナーショウ・マラソンの撮影。今回はメンバーのほか、ゲストに太郎さんを迎えて収録。

朝7時の集合時間に少し遅れてマックに行くと、奥田くんと太郎さんがいるのみ。
とりあえず2階で『熱海ロマソ』を渡したり脚本を読んだり雑談をしたりしてほかのメンバーを待つことに。
そのうち潤平も撮影担当・mound氏も到着。マサルひとりが大幅遅刻ということで、撮れる箇所から先に撮ることに。

まず東工大でカメがさまぁ~ず三村を追い抜くシーンから。三村役が太郎さんというわけ。
この日の午前中は天気がすぐれず寒かったのだが、太郎さん・奥田くんともに最高のパフォーマンスを見せてくれる。
ほかに普通に走っているところも撮る。太郎さんはこちらの要求以上のパフォーマンスをしてくれる。脱帽である。

次に僕の自宅周辺の環七で撮影。走る太郎さん。その太郎さんを追いかけて撮影するmound氏。
mound氏の技術・根性は特筆モノだ。カットを撮り終えるごとにチェックを入れるのだが、そのたび感心させられる。
もし今回のビデオ企画が評価してもらえるとしたら、影のMVPは間違いなく彼だろう。
そんなことを思いつつ、岩下志麻邸前の撮影も無事終了。太郎さんの笑顔が妙にステキで楽しくなる。

 撮影快調!

ここでマサルが合流。松屋大岡山店前でスタートシーンの撮影に入る。
商店街は通行人が多いので、なるべく10時前に撮影したかったのだが仕方がない。
熱海ロマン4名はインド人役ということで、松屋のガラスを鏡代わりに頭にターバンを巻く。中の客にはいい迷惑。
マサルは遅刻した罰ということで、自腹でカレギュウを購入。そしたら撮影を始める前からパクついてやがる。
そんなこんなでとりあえず撮影スタート。が、予想以上にみんな動きが悪い。やはり照れがあるのか。
全員吹っ切れて撮った2テイク目でOKが出る。が、終了直後に警官に呼び止められた。
結局、学園祭ということで事なきを得たのであった。
その後三村がゲロを吐いてお好み焼きで婉曲的表現をするシーン、コース説明のシーンなどを撮影。

そして洗足池に移動する最中、大岡山駅前で都議選の候補者の演説に出くわす。
ゲストで森田健作と山崎拓がいたので「これは!」ということで撮影開始。聴衆の前を行ったりきたりと怪しい動き。
その後立ち止まって山崎拓の演説を聞きながらウンウンとうなずく太郎さん。面白い。思わぬ収穫に全員ホクホク顔。

洗足池に到着すると、三村のおばあちゃん役のマサルによるビデオレターを撮影。
アドリブで笑いを確実に取れるマサルが本当にうらやましい。撮影が終わって、進行状況はほぼ予定通り。
しかし、洗足池のスワンボートもネタになるのでは、という意見が出る。脚本にはないが、多数決で決めることに。
結果、スワンボートの撮影は採用された。対岸の乗り場へと移動する。

スワンボートは30分800円。領収書が出ないので僕の自腹ということに。まあいつものことだ。
三村が漕いでるシーンを近景と遠景の両方で撮りたかったので、途中で乗る人を交代できるかおそるおそる聞いてみる。
すると、係のじいさん方はテキトーな対応でOKしてくれた。話のわかる人たちでよかった。
前半は太郎さん・マサル・mound氏で近景、後半は太郎さん・潤平・僕で遠景ということに。
徹夜明けの奥田くんには荷物番をお願いする。
前半の撮影が終わって僕らが乗り込むと、マサルは携帯電話を使ってさまざまな指示を出してきた。
「人面魚(鯉)と戯れてよ!」「全速力で池を横断してよ!」など、けっこう無茶な注文が多くて疲れた。

 いろいろ工夫して撮影したんですよ。

これだけいろいろやってもまだ正午。午後があるのだ。
池上線の洗足池駅から都心へと移動を開始。五反田で都営線に乗り換えて東京タワーを目指す。

 移動中のわれわれ。

東京タワーに来た目的は2つ。三村の走るシーンの撮影と、穴から顔を出す記念撮影用のパネルを探すことである。
とりあえず撮影を開始。三村が坂を上って東京タワーに行くのだが、mound氏のカメラワークがすごい。全員感動。
その後、記念撮影パネルを探して東京タワー周辺をうろつく。案内コーナーで訊いてみたが、結局見つからなかった。
そして印象的だったのが、東京タワーのお土産屋フロアにモー娘。の非公式グッズがたくさん置いてあったこと。
6人みんなファンなのでよだれタラタラといった感じ。「ここは危険だ! ひきつけられる! 重力異常地帯だ!」と逃げる。

記念撮影パネルを求めて、当初予定には入っていなかった上野での撮影を敢行。理由は「ありそうだから」。
まず西郷さんの前で名所めぐりの撮影。修学旅行のガキでいっぱい。太郎さんはもう慣れてしまって余裕たっぷり。
その後、清水観音堂周辺でつなぎのシーンを撮影。走り去る太郎さんを撮っていたら、マサルが急に指示を出す。
「あれ撮ろうよ、あれ!」……そしてその結果が“負けないでクン”。言語の記号性をハダで感じた。
上野には記念撮影パネルはなかったが、別のものがあった。

 すいません、やりたい放題やりました。

地下鉄で浅草へ。出口の階段をのぼるとさっそく負けないでクンが寝ていた。さすがは浅草。
さらにP.スタルク設計のアサヒビールの建物が見えたので、手のひらにウンコのイメージで撮影。

さて浅草に来た最大の目的は花やしきである。ジェットコースターのシーンを撮るためだ。記念写真パネルもありそうだし。
夕日がきつくなってきたので、さっさと入園シーンを撮影。そして入ってすぐのメリーゴーランドに乗ってるシーンも撮る。
「よし、次はジェットコースターだ!」と思ったそのとき、係員に呼び止められる。撮影には許可が必要らしい。
奥にある事務所に連れて行かれる。内心ヒヤヒヤビクビクドキドキ。が、あっさり許可をもらえた。ありがとうございます。

気を取り直して撮影再開。ジェットコースターへと移動する。
最初ムリだと思っていたのだが乗り込んでの撮影がOKということで、mound氏が太郎さんの隣でカメラを回す。
mound氏のプロ意識には本当に頭が下がる。あとでチェックしたが、文句なしのデキ。もうmound様々である。
外から乗っているシーンを撮影するために太郎さんには2回乗ってもらい、そのときに僕とマサルも乗ってみたのだが、
あの動きの中であれだけきちんと撮れるのはすごいと心から思った。うーん、影のMVP。

そして東京タワー・上野になかった記念撮影パネルを発見。もう花やしきは本当にいいところだ。最高。

さらに『行け!稲中卓球部』に登場する死ね死ね団の乗るパンダのマシンを発見。
係員が片づけようとしているところをあわてて押さえる。マサルはさっそくまたがって運転スタート。23歳。
終わったら事務所で撮影許可を出してくれた人が来て、
「なんかマラソンを途中でイヤになって逃げてきたような人がいるって聞いたから来てみたんだけど……やっぱり。」
と言われた。苦笑するしかない僕たち。その後太郎さんにも乗ってもらって撮影。
これで花やしきでの予定はすべて終了。

チケットがあまった。そしたらマサルが「よっすぃーは絶叫マシンに乗る人が大好きらしいよ!」と言ってきたので、
売り言葉に買い言葉、絶叫マシンに乗ることに。ぐるぐる振り回される僕を見て、みんな笑ってた。楽しかったんでよし。

  
L: 人魚姫なマサル。  C: 死ね死ね団なマサル。  R: 絶叫マシンに乗せられて振り回される僕。きつかったです。

雷門に移動。東京名所めぐりのラストである。隣の警察にビクビクしながら撮影。
その後バスで錦糸町へ。疲れて軽く酔ったので、着くまで寝て酔わないようにした。

錦糸町に着くと、まず南口の歩道橋で撮影。だいぶ暗くなってきた。
そしてライヴ会場「ドレミファ館」近くの道で撮影。途中の居酒屋に入り、出てくると千鳥足というシーン。
太郎さんには実際にお酒を飲んでもらったのだが、暗くてわかりづらくなってしまったのが非常に残念。
みんな慣れてきたので撮影はスムーズに進む。太郎さんの演技・mound氏のカメラワークも相変わらずのすばらしさ。

そしてドレミファ館に到着して撮影はすべて終了。いいものができた、という感触を全員が持っていた。

その後用事のあったmound氏を除く5名でラーメンを食べて解散。本当に充実した、最高の一日だった。


2001.6.15 (Fri.)

国立病院のコンペについて話し合い。研究室のM1の仲間とアイデアを詰めていく。
テーマパーク的な要素を盛り込んで「遊べる病院」にできないかと提案したが、「やりすぎ」ということでボツに。
相手の意表をつくことにこだわる僕の発想は、徐々にマサル的になってきてるんじゃないか、という気がした。


2001.6.14 (Tthu.)

ついにCDジャケットが届いた。箱を開けると、そこは一面のオレンジ色。
僕も潤平もその中からひとつを取り出して、完成品のできばえをしつこいほどに眺める。
そして「すげえ! これはもう“本物”だ!」とお互い叫んだ。正直ここまでのクオリティでできるとは思わなかった。
とてつもなく力を入れてつくったものがちゃんとしたカタチになるのは、本当にたまらない感覚だ。

その後は急いでライヴ告知&隠しURLを書いたフライヤーと初回特典ステッカーの製作。
おかげでまた寝る時間が不安定に。フラフラ。


2001.6.13 (Wed.)

今日も今日とてVAAMを飲んで自転車の旅に出る。
おかげで一時期に比べてちょいとばかしスマートになったような気がする。
運動をするのはいいことだ。今度、東工大のプールに行ってみよう。

で、本日の目的地は蒲田。例のルート、呑川沿いにひたすら下っていく。なぜか学校や幼稚園が多い道だ。
蒲田に着くと、ユザワヤで小道具の材料を買い出し。今日も背中のバッグはパンパンだ。


2001.6.12 (Tue.)

昼、昨日行けなかった渋谷へ行く。今週末の打ち合わせに必要なものや、池袋で買わなかった素材を買い揃える。
売り場をいろいろとまわっているうちに、それなりにアイデアがかたまってきた。

しかしハード面だけでなくソフト面でもやらなくちゃいけないことがある。
つまり、ディナーショウのための脚本を書かなきゃいけないのだ!


2001.6.11 (Mon.)

渋谷に行こうと自転車にまたがる。

さっきまでやってた3限の授業はVALDES(大学院社会理工学研究科価値システム専攻)の「社会システム」。
教授の言いたいことは毎週同じなのでわかるんだけど、その理想としているものは、
現代社会においてはまだはっきりとしたカタチになっていないことなので、
どうしても漠然とした印象しか残らない(『千のプラトー』をきちんと読めば多少はわかるのかもしれないけど)。
機能主義的文明を否定したくても、完全に捨てることなんてどうせできない。
現実の生活においてどうバランスをとっていくのかが知りたいのだ。政治、経済、身体のふるまい。

……などと考えながら碑文谷を走っていると雨粒が。こりゃ無理できないな、と思って学芸大学駅で様子を見ることに。
昼メシを食っている間、街行く人は傘をさして歩いている。渋谷ヤメヤメ、帰ることにした。

帰る途中で雨は止み、家に着いたら空が明るくなった。ちきしょー。
しょうがないので、やっと届いた「変死隊」のCDを聴いて過ごす。やっぱ『Up's音頭』だな。


2001.6.10 (Sun.)

『ハロモニ。』を見る。マサルは「矢口たまらん」を連発。こちとらよっすぃーが映ればそれでいい。
そういえば昨日、マサルからようやくよっすぃーのソロCD『よして、よして...』を渡された。何ヶ月待ったか。
アレンジャーが野村のよっちゃんだったのでびっくり。『ルパン三世'92』のギターはちっとも良くない。
僕らがよっちゃんを語るときはギターの腕ではなく、奥さんが……という話題になるのはお約束である。

小道具の買い出しのため、マサルと池袋に行く。

マサルの希望でビックカメラを回る。ソロCDをパソコンで聴くためにアダプタが必要なのだそうだ。
僕はレーベル印刷のためのプリンタインクと予約注文用シールラベルを買う。
買い物が終わったマサルは昨日半分寝ながらキレかけた僕に遠慮してか、あっさり「帰る」と言った。駅前で別れる。

東急ハンズに行く。渋谷になかったものを重点的に買っていく。
特にプッチモニ人形用のヌードハンガー(女性の身体の前半分の形をしたハンガー)がデカい。2個もあるし。
空模様が怪しかったので、かさばる荷物を抱えて店を出ると急いで帰宅する。

家に戻ってしばし呆然。買ったものを置く場所がない。
それもこれもディナーショウの小道具がすべて僕のところに集中しているからだ。
昨日東工大で潤平がぶちまけたAVも部屋中に散らばっている。もうどうすりゃいいのやら。


2001.6.9 (Sat.)

熱海ロマン+ビデオ担当・mound氏で集合。ディナーショウの「ドミノビデオ」の撮影である。ほとんど一日がかりだ。
例によってマサルが遅刻したため、3人でできることから進めていく。

東工大の構内のあっちこっちで撮影。
体育館に潜入して部活動の横で勝手にドミノを並べたり、人のいない廊下でドミノを並べたり、
研究室の僕の机にドミノを並べたり、その階の廊下でドミノを並べたり。
マルコヴィッチのお面をつけたり、潤平が学生服で階段落ちをやったり。
最後は東工大本館の玄関を勝手に占領してドミノを並べる。
僕は『にこにこぷん』のポロリの役なので、鼻を水性マジックで赤くしてピンクのバンダナを巻く。
けっこう人が行き来したので恥ずかしかった。
そんなこんなで撮影がすべて終わったときには、もう夜になっていた。

その途中でタケカワさんと合流、ディナーショウのチケットを渡してもらった。少し緊張。

撮影終了後、マサルは用事があるといって中央線方面へ。
残った3人で晩飯を食べると、マックでひたすらサインを書く。
潤平はめちゃくちゃ眠かったようで、マジックを握りながらも2秒あれば寝る、といった感じ。みんな、疲れているのだ。

サインを書き終えて帰宅。フラフラになって寝転がっていたらマサルから電話。
本当は翌日に再合流してひとりでサインを書いてもらうことになっていたのだが、
今から僕のところに泊まりこんで書きたいと言う。確かにマサルにとってはその方が好都合だ。
ゆっくり寝たいから他人を家にあがらせたくなかったけど、ガマンしてシブシブOKする。

日付が変わるころにマサルが来た。こっちは眠くてしょうがないので返事もままならない。
そんな僕に対して「そう言うけど僕は会社で忙しいんよ!」といつもの調子で言ってくるマサル。
言いたいことはわかるが、こっちも負けず劣らず熱海ロマンのことで忙しいのだ。
自分のことだけじゃなくて、少しは僕の気持ちも知る気になってほしい。

僕もマサルも長男だから自分勝手なのかなあ、と思っているうちに意識はトんだ。


2001.6.8 (Fri.)

明日はディナーショウのための仕掛けを準備することになっている。
夜に潤平がやってきて、ふたりでひたすら小道具づくりを進めていく。
もっと前から準備しておけばよかった。ギリギリになるまで動かないのは悪い癖だ。
用意すべき小道具をつくり終えたのは午前6時。僕は徹夜のまま東工大に向かう。


2001.6.7 (Thu.)

昼間はそれなりに晴れていたのに、3限の最中から土砂降りになってしまった。
自転車で来た僕は帰るタイミングがつかめず、研究室の仲間とインターネットをして時間をつぶす。
少し雨脚が弱まったときを見計らって出発したつもりだったのだが、
家に着いたときにはもう何もかもぐちゃぐちゃだった。すぐ風呂に入ることにする。

お湯を入れている間、雨で濡れた顔からメガネが何度もずれて床に落ちる。
前にメガネを洗っているときフレームの一部が曲がってしまい、それ以来調子がよくなかったのだ。
落ちたメガネを見るとフレームがもう限界だった。そしてついにレンズをつなぐ接点がぽっきりと折れてしまった。
高2から使っているのでもう7年目。寿命なのかもしれない。かなり気に入っていたのに。


2001.6.6 (Wed.)

先月の日記にも書いたが、ウチの研究室で国立病院のサイトプランのコンペをやることになった。
今日はそのための現地調査である。

朝10時に集合、車に分乗して土浦に向かう。
途中、つくばにある先生の実家に寄ったら民主党の選挙本部になっていた。
家は木造2階建てで、一般的な住宅というよりも別荘にありそうなつくりだった。
この家は先生の父親が設計したらしい。筑波大学のキャンパスを設計した都市計画の先生だったそうだ。
部屋の本棚にはつくば市関係の資料、建築方面の古い本、さまざまな画家の本が置いてあった。
さらに本人が描いたと思われる油絵も棚に無造作に並べられていた。

その後土浦市街に出て昼メシを食い、現地の病院に向かう。
もともと海軍病院として建てられたというので、予科練の特攻隊と関係がありそうだ。
この病院は土浦の街を見下ろす高台にあって、緑が非常に多い。
しかし土地全体をうまく活用しているとは言いがたく、広い敷地のあちこちにゴミが無造作に転がっている。
こんな面白い課題はそうないだろう。雨の中周囲を見て回っているうちに、ちょいとやる気がわいてきた。

土浦からの帰り、間違って川口方向へ行きかけてしまう。あわてて鹿浜橋から出て環七をひた走って帰る。
そしてこないだ熱海ロマンで会議した目黒環七沿いのファミレスで、同乗してたM1のメンバーで晩メシ。
研究室内の話をしたが、みんなかなり細かいところまで人間観察をしていた事実に驚かされる。
この分だと、僕についてもかなりいろいろ言われているに違いない。


2001.6.5 (Tue.)

3ヶ月放置で髪の毛は伸び放題、1週間以上放置でヒゲも伸び放題である。
3日前の話し合いのとき、潤平宅のトイレでぼんやりと鏡を見て「さすがにこれはイカン!」と思った。
トイレから出て潤平に「アメリカにこんな感じの性犯罪者、いるよね。」と言ったら、ウンウンとうなずかれてしまった。

そんなわけで床屋に行くことにした。
しかし、床屋へ行くという行為は、僕とってはそれはもう殺人的に恥ずかしい行為である。
他人に自分の美的センスを直接的に問われるうえに、なすがままにされてしまう……。
照れずに床屋に行ける人の気が知れない。

とりあえず、大岡山周辺の床屋を自転車でチェックしつつ走りまわる。
その気になって調べてみると、街中にはかなりの密度で有平棒がぐるぐると回っているものだ。
しかしどこにするのかなかなか決め手が見つからなくて、ついつい自由が丘まで行ってしまう。
でもやっぱりどこに入るのも恥ずかしくってたまらない。15分ほど徘徊したあげく、大岡山に戻る。

結局、東工大生は割引になるという潤平オススメの美容院に入った。
椅子の前に流し台はなく、ただ鏡があるだけ。雑誌を読みながら髪を切られているお客さん(女性)がいる。
床屋でなく美容院に入るのは、中学3年以来だ。美容院のルールなど何も覚えていない。もうめちゃくちゃ恥ずかしい。
「どんなスタイルにします?」
というようなことを聞かれる。そんなんわからんっちゅーの。
「前髪長めで横と後ろはバッサリお願いします。」
いつも床屋で言ってたセリフだが、美容院においてこの回答はアバウトすぎたようだ。
「…こんな感じですか?」
美容師の人(女性)はヘアスタイルの雑誌を持ってきて僕に見せる。
そんなモデルの写真見せられたって…。僕とは顔の輪郭が違うじゃんか。あーもーめんどくさい。
「…ええ。それでいいです。」
ティーンエイジャーに見えない程度に短くしてくれれば、あとはどうでもいいのだ。僕はテキトーにうなずく。

で、髪を切られつつぼーっと鏡を見る。目が悪いのではっきりとはわからないが、
作業が進んでいくにつれて、自分の姿が明らかに垢抜けていくのがわかる。

1時間後、そこには性犯罪者とはほど遠いサワヤカ青年の姿が映っていた。自分でもビビる。
茶髪部分がすべて切られて黒髪。掲示板のアイコンの僕とは全然違う髪形になってしまった。なんだか申し訳ない気分。
店を出てから研究室のゼミに出るが、みんな最初髪の短くなった僕を見て、誰か知らない人が来たと思ったらしい。

概して好評のようだ。美容院も悪くないねえ、としみじみ思った。


2001.6.4 (Mon.)

渋谷へ買い物に出かける。今度の土曜日に必要になるからだ。
あれやこれやと買っていったら、背中のリュックがパンパンにふくらんだ。
「シェルパかよ!」 と三村ツッコミをしつつ帰宅。
たかが1回のライヴで、なんでこんなに小道具が必要になるのだろうか……。


2001.6.3 (Sun.)

日曜日。しかし連日連夜の会議の疲れでマトモに動けない。
激しい空腹感はあるのに食欲がない、というなかなか珍しい体験をする。
それでもやらなくちゃいけないことはいっぱいある。むりやりメシを食ったら元気が出た。

とりあえず、昨日決まったことをもとにして脚本を書いていく。
しかし今回取りかかっているのは、かなり細かい点まで書き込まないといけないモノなので、
途中で何度も放り出しそうになりながらも、じっとガマンでキーボードをたたいていく。

『MUSIX!』でモー娘。新メンバーオーディションの説明をしているころに潤平が届け物に来た。
その間も必死で脚本を書き続ける僕。何時間ぶっ通しで書いてたんだろうか。
「これだけやってんだから、ひとりでも多くのお客さんに見てもらわないともったいない!」
とうなずきあって別れた。


2001.6.2 (Sat.)

目がさめたのは午後2時ごろ。マサルと自由が丘へ行く。
まずカラオケ屋に入って『熱き心に』『負けないで』の練習。まあ最終的にはバカ歌を歌う会になるんだけど。
その後メシを食ってから、ドトールでディナーショウの演出について打ち合わせ。
マサルの想像力にまかせてアイデアを自由に出してもらう。マサルはかなり好調だった。

夜の8時半になって潤平宅にメンバー全員+ビデオ担当・mound氏で集合。
先ほどマサルが出したアイデアをもとに、演出の形をシェイプしていく。
ケンケンガクガクと議論していたらみんな終電の時刻を完全にオーバー。気分転換も兼ねて近所のファミレスへ。

ファミレスではおかわり自由のコーヒーを武器に、演出の最終的な順序を決めていく。
この日に決めなくちゃいけない事柄についてすべて決定したのは午前5時過ぎ。全員フラフラで解散。

自分たちでもこだわり過ぎだとは思うのだが、手を抜くことがどうしてもできない。お客さん、いっぱい来てくれぇ~。


2001.6.1 (Fri.)

夜、明日の話し合いに備えてマサルが泊まりに来る。僕は書き物をして過ごし、マサルはネットサーフィンして過ごす。

寝る段になって、熱海ロマンについての議論が沸騰する。

「レコーディングをした後で歌詞の差し替えを要求するのは無理ってもんだよ」
「どの曲も、常にベストの状態を保っておきたいんよ」
「でも作曲サイドとしては、レコーディングのときにベストにしてもらわないと困るんだ」
「そのときベストかもしれんけど、後でもっといいのを思いつくことだってあるやんか」
「それは〆切を決めて作業することに対する甘えになるでしょう」
「僕からすれば、もうこれでオシマイ、っていうのこそ甘えなんよ」

これだけマジメに話をしたのは久しぶりだ。

その後、話題は2ndアルバムに収録する新曲の構想に移った。午前5時ごろ、ようやくふたりとも寝た。


diary 2001.5.

diary 2001

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