昼飯を東工大クラブハウス棟のオープンスペース(第一学食の屋上にあるのだ)で食べる。
大好きなパリジャンサンドと500ml紙パックの「チャイ」という組み合わせ。天気もいい。緑も鮮やか。
食べ終わると即、小道具づくり。今回は御神体がアレなので新しくつくるハメに。部品を塗装して乾かす。15時からは奥沢のスタジオで練習。助っ人のBOBくんが一番乗りでバンマスの潤平が大遅刻。なんじゃこりゃ。
BOBくんの本業はドラマーなので僕は緊張しっぱなし。いつも以上にトチるトチる。もう本当に恥ずかしいのなんの。練習が終わると移動/休憩時間。その後は東工大クラブハウス棟で踊りのチェックなのである。
正直、ここまで忘れるものなのかと茫然。全然できない。晩飯を挟んでみっちり練習。なんとか感覚が戻ってきた。
踊りのチェックと平行して御神体を組み立てていく。が、表現が難しい。やっぱりリアルにつくる方が簡単。深夜、本番で使う音源を編集しようとして唖然とする。踊りの練習のときにMDをなくしたのだ。
慌てて探し始めたが全然見つからない。寝ている潤平をたたき起こし、マサルの電話もそっちのけで探す。ない。
家とクラブハウスを2往復し、記憶にない行動を推理した結果、保管しておいた御神体の隣で無事発見。
このタイムロスのおかげで仕事がまた山積み状態に。もっと余裕をもって11月に入りたかった……。
授業とゼミの合間をぬって渋谷へ買い出し。いいかげん本番が迫っているので小道具をあらかた購入するのだ。
まずツタヤ。SEが欲しいので試聴機でチェック。しかし納得いくものがないため、理想に近い音を加工することに。
帰りがけ、『Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~』を売っているのを見たので買う。モー娘。のシングル買うのは初。
次に東急ハンズ。必要なものを買い揃える。あと1回買い物をすればおしまい、というところまで固めることができた。
その後、ドンキホーテとダイソーをまわる。今回は小道具が少ないので混乱しないで済む。ってか、前回凝りすぎ。夕方のゼミでは当番で司会。皆さん視野が広くて意見が面白い。僕ももっとマジメに取り組まなければ。
夜、いつのまにかベッドに突っ伏していた。諸事情により詳しくは書けないが、夢を見ていた。
はっと目を覚ますと、マシュー南が『Video Killed The Radio Star』をピアノで弾いていた。
いい曲なんだからもっと上手く弾いてくれよー、と思った。そう、いい曲。
そろそろライヴに向けて何があればいいか、ではなく、何が足りないかをチェックすべき時期。
しかし国立病院サイトコンペの打ち上げで飲んだ酒がいつまでも抜けず、なかなか作業する気になれない。
たった500mlの発泡酒で頭が痛くなるほど弱かったっけか? 不調ナリ。
昼に一橋大学へ。タケカワさんと立て看板づくりのためである。
そこそこに約束の時間に遅れて到着、さっそく看板を兼松講堂の廊下に持ち込む。
その後一旦タケカワさんは私用ででかけ、僕は刷毛と昼飯を買いこんで作業スタート。まず熱海ロマンのロゴをレタリング。あとは用意しておいた文章を書いていく。
それにしてもペンキで描くというのは初めてで、なかなか思うようにいかない。
おまけに雨のせいでうっすらと寒いし、乾きが悪い。状況はまったくもってよろしくない。
それでもタケカワさんが手伝ってくださったおかげでなんとか完成させることができた。
最後は2人で西キャンパス駐車場付近の松に立てかけて全行程を終了。それにしてもタケカワさんは熱海ロマンの宣伝なのにわざわざ手を汚してまで作業を手伝ってくださった。
本当に感謝しております。毎度毎度おつきあいしていただいて、本当にすいません。
夕方、奥沢に全員集合して練習開始。細部を詰めながら実際に演奏してみる。
マサルはいろいろとこだわりがある男なので、実際に歌ってから細かく調整していくスタイルをとる。
僕としてはとにかく少しでも多くたたきたいのでウダウダやってんな!という気分になってしまう。
でもまあマサルの考え方ももっともなので、もっとオトナな対応をしなくちゃいけないんだけど。練習終了後には例のごとくバーミヤンで打ち合わせ。
しかしライヴの話がいつのまにか2ndアルバムのタイトル・デザインへとズレていく。
それはそれで面白いのでしばらく放置。おかげでなんとなく今後の方向性が絞れた。
渋谷へ。個人的な買い物のほか、ライヴの小道具を見に行く。
今回はある程度一橋祭の予算がつくということで、ウキウキ気分で材料をチェックしていく。
前回のディナーショウは用意周到にじっくりと買い物をしていったわけだが、今回は直前で一気に買うつもり。
というのもまだ演出が最終決定しているわけではないから。少しペースがゆるいのが不安である。夕方、奥沢のスタジオで練習。すっかりそのことを忘れていて、もう少しで大迷惑をかけるところだった。
新曲を中心にやっていく。自転車で渋谷まで往復した後ということで、適度に疲れて力みが抜けていい感じ。
練習が終わって家に帰ってきたのだが、気がついたらベッドに倒れこんでいた。
図書館で借りてきた鴻上尚史『天使は瞳を閉じて』を読む。第三舞台の戯曲。
ドトールで一気に読んだのだが、感想としては、とにかく「わからん」ということ。
何を表現したいのか、何がこの作品を書かせたのかが悲しくなるほどわからない。わからなくて、悔しい。
たぶんこれはわからない方が“足りない”作品だと思うので、おりこうさんを気どるためにもわかりたいんだけどわからない。
まあ実際の舞台を見てみないことにはしょうがない、というのが唯一の救いというか言い訳。
そういえばフジの『スタアの恋』には勝村政信と筧利夫が同僚役で出てる。もうひとりが古田新太ってのも戦略的だ。
最近は舞台出身の俳優がテレビにやたら進出して注目されているけど、舞台自体に注目が集まってる気はしないなあ。◇
ヤクルトが日本一に。「打線は水もの」という言葉を実感させられるシリーズだった。
まあそれは古田のリードが冴えわたっていたから言えること。しっかりケガ治してくれー、と言いたい。
水曜日なのに金曜日課なので1限から「言説編成」。
この授業は本当に疲れます。ええ、知識人にも社会的リーダーにもならない人間には心労がかさみます。
ゼミ当番ということで、必死でレジュメづくり。M1は研究テーマが決まっていないのでどんなのでも可、とのこと。
それならまあ東京26市走破計画についてまとめておこう、ということで地図を書いたり各市の紹介文を書いたり。
いざゼミの時間、やはり反応は今ひとつ。まあこれは実際に走った人間じゃないとわからないからいたしかたない。
実際に走って皮膚で都市を感じるからこそわかることがあるのだ。それを上手く伝えられなかったのは残念だが。ところでこの日は僕の24回目の誕生日。もうこれ以上年をとりたくないのでちっともうれしくない。
とはいえふつうに過ごすのもつまらないので例のごとくミルクレープを買って食べる。
ちなみに僕と誕生日が一緒の有名人は……
ペレ(1940)。いきなりすごいところがきたね。でも現役時代を知らないのでなんとも……。
小柳昌法(1961)。リンドバーグのドラムス。チャーハン好きなのも共通項。
矢部浩之(1971)。僕もひとみちゃんとつきあいたいものです。
はしのえみ(1973)。意外なとこからきました。うーむ、コメントしがたい。
清水隆之(1973)。巨人の通好みな外野手。近鉄に行けば首位打者獲れるかもしれんね。
松井稼頭夫(1975)。西武のスター遊撃手。これは誇れますな。でもメジャーじゃ二塁手でしょ。
末永真己(1980)。シェキドルの人。これもなんかコメントしがたいなあ。
福原裕美子(1981)。こないだ『MUSIX!』に出てたっけ。よく知らん。
と、まあこんな具合。可もなく不可もないです。……と思ったら最後にこんなオチが。
秋篠宮眞子(1991)。うーん、ノーコメント。
「建築史第三」にもぐるのをすっかり忘れて免許の書き換え。
やはり免許にからむ警察の対応は好きになれない。ぜってー連中、ボッてるよ。
別にめちゃくちゃ好きというわけでもないのだが、僕はよくヨーグルトを食べる。
冷蔵庫にストックを用意しておいて、食後のデザートとしていただくのが常である。夕方、食料品を買いに出た。カゴの中には牛乳2本とヨーグルトが合計9個。
さあレジに行こうかと思ったのだが、乳製品しか買わないというのも何か変な気がする。
久しぶりに菓子でも買おうか、なんて考えてみたのだが、別にとりたてて食べたいものはない。ポッキーもいらない。
甘い物が嫌いなわけではない。むしろ、好き。でも家では食べるタイミングがつかめない。だから食べない。パス。
ではアイスクリームはどうか。僕は夏場、たまに箱入りの大きいバニラアイスを買ってきてバカ食いすることがあるのだ。
しかし置いてあるバニラアイスは1箱700円のレディボーデンだけ。他の味は食べる気がしないので、これもパス。
プリンやゼリーの類はどうか。プリンはむしろ好きでおじゃる。ゼリーだって好きだ。たまに食べる。
だがこういったものは味がだいたい予想できてしまうので、本当に食べたくなったときにしか買わない。パス。
それでは思いっきりウラをかいて杏仁豆腐やナタデココはどうか。ふだん食べないからいいかもしれない。
だけど1回のデザートで300円近く消費するのは気がひける。貧乏性の僕は気楽にのんびり食べられない。パス。
ケーキ。もともとチーズケーキが大好きなのだが、最近はミルクレープにもハマっている。
でもこないだヤクルトのリーグ優勝で、月経エンタ発行記念で食べた。頻繁に食べるとありがたみがなくなる。パス。
じゃあいったい何を食べればよいのか? 甘すぎず高すぎず、飽きない味で、ここにあるもの。
──ヨーグルト。そんなわけで僕は9個のヨーグルトのうち3個を棚に戻すと、500gのヨーグルトを1つつかんでレジへ持っていった。
夕方、仕事で遅刻のマサルを除く3人で大岡山に集合。
完成した月経エンタを読んだり、用意した一橋祭ライヴの脚本をチェックしたり。20時前、マサルが到着したので奥沢に移動する。例のごとくバーミヤンで打ち合わせ。
マサルを中心にして脚本のチェック。もう猶予はない。演出をガンガン固めていく。22時になってスタジオ入り。4人編成で練習。昨日に比べれば調子ははるかにいい。
しかしまだまだ問題点は多い。コーラスが思うように合わせられないし、フィルにも迷いがある。
残り少ない時間との格闘。集中力の勝負。これぐらい、やってやるで。
1限、橋爪大三郎教授の「言説編成」に出る。
ワクワクして教室に入ったら、なんと受講者は僕を含めて5名だけ。あの橋爪教授の授業なのに? たった5名?
講義の内容は、言葉に焦点を当てた、社会的に責任ある立場における望ましいふるまいのトレーニング。
つまりは、知識の伝達ではなく、完全に演習なのである。それも、天下の橋爪教授と1対5で。
おまけに金髪なのは僕だけで、あとはいかにも落ち着いた頭が良さそうな人たちばかり。なんとなく場違いな感じがする。
アホがバレるのは非常に恥ずかしい。なんとかうまくついていかなければ。かなり気の抜けない時間になりそうだ。◇
夜、奥沢のスタジオで練習。体が重い。汗がやたら出る。今まで経験したことがないほどの調子の悪さ。
自由が丘で買った新しいバチに慣れていないせいなのか? 何かがいつもと違う。おかげで迷惑をかけっぱなし。
コンディションが悪くなる原因が見つからないと対策が見えない。困った。
さすがに疲れたので起きたのが午後3時。ダメな生活である。
そんなこともあって今日一日はライヴも月経エンタも考えないで過ごすことに。
茫然とパソコンの前に陣取り軽くネット。7時になったので潤平に電話、原稿を取りに行く。
潤平宅に着いたらちょうど「カゴキチ三平」を描き終えたところだった。気合入りまくりのデキ。
「試みの恥平線」のレイアウト修正、「松本引越しセンター」のカットを仕上げてとりあえず一段落。
どっちも徹夜明け。でも、そそくさと寝る潤平とは対照的にこちらの仕事はまだ続く。家に戻って最後の原稿書きを仕上げる。予想外に時間がかかってしまい、焦りながら国立に向かう。
電車を乗り継ぎ一橋大学に着いたのは11時。予定を1時間遅れた。マサルのことを怒れない情けなさ。
西生協にてHQSの後輩の皆さんと合流して紙を買い、一旦部室で手順を確認してからいざ印刷開始。
一橋大学にはタダで印刷できるプリントセンターがあり、ビラづくり・冊子づくりに大きな力を発揮してくれるのだ。
原稿を決められた順番に刷っていく。ついこないだ導入されたばかりの最新型が快調に飛ばしていく。
そしてHQSの皆さんはチェックを繰り返してめちゃくちゃ丁寧に印刷してくれる。本当にありがたい。
特にあいぼん写真には思い入れがあるせいか、アイボンヌ西巻先生が納得いくまで何度もやっていたのが印象的だった。途中で一橋祭参加責任者会議に出席。その間にHQSの衆は印刷の作業を完了してくれた。世話になりっぱなし。
で、参加した会議も結局遅刻してしまい、まったくもって何をやればいいのか訳がわからない。
そんな僕をHate crime R.A.のタケカワさん・サイトウさんがサポートしてくださった。これまた世話になりっぱなし。部室に戻って黙々とプリントを折っていく。途中で仮眠しながら5時間ほどプリント折りマシーンと化す。
そして例会が終わったHQSの皆さんと晩飯を食った後、みんなで冊子にまとめていく。
HQSの皆さんの協力がなければ月経エンタは絶対に発行できなかった。心から感謝しております。
月経エンタが追い込みということで心身ともにキツイ。
そんな状況でもやらねばいけないわけで、昼飯を食いながら夜中に書いた原稿をパソコンに打ち込んでいく。自分の担当分を終わらせると18時半に池袋着。しかしマサルの仕事がまだ少し残っているため、ブラブラすることに。
折れたバチの新品を買うべく楽器屋を探して右往左往。でも見つからない。西武にも東武にもないのでちょっと憤慨。マサルと合流できたのは20時ちょい過ぎ。松屋でメシ食って気合入れてからマサル宅へ。
マサル宅に行くのは初めてだが、ただ寝るための場所という印象を受けた。机がないためだろうか。
さっそく作業を始める。が、なかなか調子が出ない。あーだこーだやってるうちに終電がなくなってしまった。
泊まりを覚悟したらもう脳ミソの状態がおかしくなってきて、笑いのツボの位相が少しずつズレていく。
しまいには互いにベーグルと魚肉ソーセージをかじりつつ、「まーくん」「せんた」と呼び合ってケタケタと笑い出す始末。
そりゃできあがる原稿もおかしくなるさ。シャレにならない危険なギャグも増えていくさ。なんとかマサルの担当分が終わり、朝5時前に山手線に乗って帰る。雨がうっすらと降っていてイヤな気分。
潤平からの携帯メールでたたき起こされ、「建築史第三」の授業にもぐる。これからどう展開されるか期待。
その後は一橋祭ライヴのための下準備。CDを借りてきて編集したり、アポをとったり。ちょっとした修羅場になりつつ。
日付も変わる頃、小学校からの親友であるトシユキ氏がやって来た。
もう完全に仕事は追いつかない。覚悟を決めて長話。
共通の友人の話に始まって、みっともない話、熱海ロマンの戦略アドヴァイスなど話題は多岐にわたった。
午前6時ごろ別れる。やはりたまには直接会って話をしないといかんと思った。◇
正午過ぎに池袋ハンズに集合、豊島郵便局近くのファミレスにて作戦会議。
なんとしても今週中に月経エンタを出したいので、最優先でそっちの企画を練っていく。
潤平は「カゴキチ三平」のネーム描きがあって2時間ほど遅刻してから参加。合流するとすぐにテンションは最高に。
どうやらなんとか間に合いそうな雰囲気がしてきた。ひと安心。夕方、奥沢に移動。スタジオで練習。今日はマサルもいる。
まだ演奏曲のラインナップが決まらないという情けない状況ではあるが、逆にアイデアが出てきて演出がキレてくる。
何度も繰り返しやっているうちにカタチができてくる。上達しているとわかる時間。たたいている最中、バチが折れて飛んだ。
初めて買ったバチ。2年前か、飯田の小さな楽器屋で一番スタンダードなやつを選んだ。
それが折れた。ドラムスをたたいていればなんでもないことなんだけど、でもそれだけやってるってのが実感できた。
ハタチ過ぎで始めて、たたく暇も金もなくて折れるまで2年もかかったけど、確かに折れるまでたたいた。
確かに少しずつだけど進んでいるんだよな、とちょっとだけセンチになってみる夜。
明日は打ち合わせということで黙々と仕事をこなしていく。
……が、夕方と夜にめちゃイケのモー娘。SPがあったおかげで一向に進まない。ピンチ。
夜、潤平と奥田君とで奥沢駅に集合。バーミヤンでメシを食い、スタジオで練習。
個人的なデキとしては、前回に比べてあまり進歩していない印象。粘り強くやるしかない。
15時間睡眠の後、研究室に行って大掃除に参加。しんどかった。
研究室に置かれていた昨日の料理は僕の今日の昼飯となったのでした。
作業の最後は木を植える仕事。模型用の緑色のスポンジをちぎってはボンドでくっつける。
無言で黙々と作業していき、午後になったくらいで完成。ずっと座っていたのに、なぜか足腰に影響が出る。◇
車に分乗して土浦市へ。研究室でレンタカーを1台借り、それに4チーム+僕らがつくった現況の模型を積んだ。
寝不足のせいで猛烈な車酔いに苦しむ。車内で寝ながらうなって脂汗を流す姿はさぞかし気持ち悪かっただろう。国立霞ヶ浦病院に着くと、会議室が発表会の会場になっていた。椅子が並べられていて壮観。
僕は受付の係を担当したのだが、始まるまでに医者や看護婦などが100人ほど集まった。
職員の皆さんの意識の高さを目の当たりにしてちょっとビビる。各班の発表がスタート。眠気覚ましにガムを噛みつつ僕も聞く。どの班も最後の追い込みが効いて充実している。
その中でも特に良かったのは3年生の2番目の班。何が問題なのか、どう解決すべきかが明確に提示されていた。
この設計に至る前提が論理的に十分説明できていたため、アイデアの説得力が他の班よりも確かなものとなっていた。
発表が終わると、部屋の四隅に各班が散らばって質疑の時間。皆さん自由に移動して細かい話ができるという仕組み。
こういったところはワークショップに慣れているうちの研究室ならではのやり方だろう。さすがだ。
現場の生の声は非常に参考になるなあと思いつつ、僕はビデオを回したり質疑の内容を紙に記録したり。プログラムがすべて終わった後は、病院が料理やビールを出してくれての懇親会。
病院(hospital)とはhostという言葉に関係があるわけで、つまりは「もてなす」意味がもともとあったわけで。
そんなわけで大量の料理と飲み物を出してくれたのでめちゃくちゃ満腹に。これだけ食ったのはいつ以来だ?
しかも海軍病院から霞ヶ浦病院までの沿革や病院ならではの話がいろいろと聞ける。非常に充実した時間だった。もちろん残った料理はすべて持って帰るわが研究室。
明日は国立病院サイトコンペの発表会ということで、模型づくりも佳境。
午前中に研究室に入り、そこから24時間以上、ほとんどぶっ通しで作業することに。まずは等高線を切り出す作業から。今度は低い方へと下がっていく。
できたものを重ね合わせると、0mから24mまで見事な地形の模型が完成。続いて病院の現在の状況を示す作業。
先輩は病院内の道路を紙でつくり、僕はスタイロを切り出して建物をつくる。
それができあがるとマスキングをした敷地の上に緑色の粉をスプレーのりでくっつけていく。
緑一面になった敷地からマスキングテープをはがし、建物を貼りつけて一旦お休み。
ここまででだいたい20時間。立ち上がったら足が狂牛病のごとくガクガクと震える。外に出たら雨。しかも風が強い。浦島太郎のような気分になる。
家に帰ってフロに入ってメールチェック。1時間ほど寝てから再び研究室へ。
もう一刻の猶予もない一橋祭ライヴの打ち合わせ。
まず池袋に集合……なのだがマサルが遅刻。マサルのためにわざわざ池袋集合にしたというのになんなんだ!
相変わらず反省の色はゼロ。笑ってごまかす。川崎から出てきている奥田君のことも考えてほしい。
その後仕事で遅れた潤平が合流、久々にメンバー全員が揃う。揃ったところで昼メシと話し合い。
前々からマサルが「談話しよや!」と主張していたこともあり、「談話室 滝沢」に行く。中は独特の雰囲気。
マサルは「碁会所の雰囲気」と表現しているが、確かにふつうの喫茶店とは違う空間だ。でも打ち合わせには最適。
店の人に記念写真を撮ってもらったり、バカ丸出しの演出案を議論したりとやりたい放題の集団。
この話し合いで月経エンタ復刊号のだいたいの内容が固まる。談話する僕たち。
スタジオを予約していたので一気に奥沢に移動する。
奥沢のスタジオでは今回初めて挑戦する曲を中心に練習。とはいえ初練習なので衝突も多い。
経験の少ない曲は構成があやふやなので、効率の良い練習をどうすべきかをめぐって意見が分かれる。
それでも数をこなさなきゃいかんでしょ、ということでひたすらぶっ通しでやっていく。
1回目としてはまあまあ。今後少ない時間で確実に上達していかなくてはならない。練習終了後、奥沢駅の隣のバーミヤンで夕食。途中で新曲のアイデアがぐいぐい出てきた。
ふだんはスポーツ新聞を買うことなどめったにないのだが、今日は特別。
サンスポとニッカンとスポニチの3種類を買って家で読み込む。記事の内容は大して変わらないのに。昼になって渋谷に行く。一橋祭ライヴの小道具などを見るためだ。
今回は入場無料なわけだし、とにかくお金をかけないことが前提なのだが、どうもなかなか困ったもの。
あれやこれやと使えそうなものが東急ハンズにはいっぱいある。金さえあれば……。
熱海ロマンで打ち合わせ。ただしマサル抜き。
潤平宅にてライヴで演奏する曲のチェック。スタジオを確保できなかったので半分イメトレ。
その後『よっすぃー。』を見たり『シャイニング娘。』のマンガを見たりしながら演出を詰める。
そして晩飯に担々麺を食べつつ話し合い。演出のコンセプトのオルタナティヴを考える。今さら。
そんなこんなで解散。やはりマサルがいないとキツイ。家に帰ってヤクルト優勝記念にケーキを買って食べる。次は日本シリーズだ!
夕方、マサルから電話がかかってくる。
「僕、よっすぃーの写真集買ったよ! マツシマくんまだなの? あ、そう。じゃあ僕は楽しむから。お先に。」
悔しくなって家を飛び出す。大岡山で見つからないので旗の台まで行く。あった。パソコン用のMP3データつくりつつ、パラパラとめくる。もうたまらん。ステキ。
と、セーラー服の写真のところで見覚えある風景が。都営三田線も写ってるし、もしかしたら近所?
log44の掲示板を見ると、ラビーの書き込みが。もう一度写真集を見ると……確かに「奥沢」「大岡山」とある。
こないだ研究室で飲んだ「芝松」の看板も写ってるし、どうやら大井町線緑ヶ丘駅周辺で撮影したようだ。
ショック。そんな近所によっすぃーが来ていたとは。なんとも言葉では表現しがたい気持ち。
今日も敷地の模型づくり。ひたすらスチロールボードを切り出していく作業。
標高10mからはじまって、2m間隔で24mまで。標高が高くなれば面積が減るので切り出す部分も少なくなる。
一時はどうなることかと思ったが、だんだんペースが上がっていってなんとか今日の予定分を終える。で、作業中、優勝するかもしれないということで、急にTVがヤクルトの試合を中継しはじめる。
先輩(愛知出身の中日ファン)と一緒に見ていたのだが、ヤクルト打撃陣はことごとく打てない。情けない。
父親からも「ヤクルトどうしたよ」と携帯にメールが届く始末。ファンの僕でも笑うしかない惨状。
高津のすさまじいまでのピッチングを目にしながらなんなんだ、ありゃ。
特にペタジーニが2死満塁で1-3からの絶好球を見逃したのが痛い。
ピッチャーは目をつぶってド真ん中に投げるしかないんだから、思い切って振るべきだと思うんだけど。そんなわけでまだまだヤクルトファンの苦悩は続く。
国立病院サイトコンペ、敷地周辺の模型を先輩と一緒につくる。
都市計画図を拡大コピーしてつなぎ、それをスチロールボードに貼りつけて等高線に沿って切り出す。……なんて書くと簡単なようだが、正確に地図をつなぐのは予想以上にめんどくさい。
しかも5mmスチロールボードはデザインナイフで切るには少し厚いし、等高線は入りくんで複雑。でも実際に自分の手でモノをつくる作業は楽しい。結局7時間ほどがんばる。
途中で潤平を研究室に呼び出して、半ば強引に研究室のHPづくりを手伝ってもらった。すまんのう。
僕個人のHP(といっても熱海に間借りしている)、「logistics 443013」をつくる。やっと重い腰を上げる感じ。
テキストばかりの素人くさいデザインはイヤなのだが、かといって潤平みたいにグラフィックをつくりまくるのも面倒くさい。
結局バナーを1つだけつくって、それをもとにごまかしていったら、
東京都現代美術館にあるドナルド=ジャッドのミニマル・アートみたくなった。僕は学部時代にはHPをつくる必要性を感じなかったので、つくらなかった。
HPをつくるべき人とは、作品を発表する人か組織のターミナルになる人だと考えていた。
それは今も同じ。僕にはとりたてて世間に向けて発信するものなどないので、個人のHPとなるとやることがない。
コンテンツの数を増やすためには卒論や高校時代の曲をひっぱり出さなくちゃならない始末。みっともない。そんなこんなで最低限の体裁はととのった……つもり。明日から公開することにします。
朝9時、電話で起きる。授業の準備を手伝ってくれ、という研究室からの電話。
慣れないExcelで先生方のコメントを編集する。けっこうな修羅場だ。
しかし途中で授業が始まってしまい、社工棟に移動して作業を続けることに。
そして作業が終わっても授業のお手伝いということで待機。しめて7時間労働。これはTAの仕事のうちということでアルバイト扱いになるとのこと。充実した日でした。