diary 2001.11.

diary 2001.12.


2001.11.30 (fri.)

明日から行われる「モゲの会」の買い出しに出かける。
「モゲの会」とは、中学からのつきあいである友人3名(トシユキ・バヒサシ・まる)とのグループ。会則などは特にない。

モゲメンバーであるまる氏と一緒に出かけたのだが、府中の韓国料理店の割引券が今日までということで、
自転車で多摩川の河原をひたすら走る。逆風の中、ひたすら走る。川沿いはやたらめったら風が強くて困る。
1時間半ほど走ってようやく到着。まあ豪華な昼飯が安く食えたので良しとしよう。

その後、多摩川を渡って聖蹟桜ヶ丘へ。燻製用のチップを買う。
そして薄暗くなっていく中、やっぱり多摩川に沿って走る。今度は緩い下りだし風がなかったので楽ちん。

雪谷のスーパーで鮭、チーズ、ソーセージなどを買っておしまい。うーん、よくわからん旅だった。


2001.11.29 (Thu.)

一向に注文の来ない「東大コンプレックス2001」のビデオを生産していく。
まあ確かに演奏は荒いし演出は無茶だしで、見る価値は僕らが思うほどないのかもしれないけど。
でもカヴァーの選曲や演奏の勢いという点については、個人的には気に入っている。
特に『チュッ!夏パ~ティ』と『エロ本編集者の悲劇』が良い。
『夏パ~ティ』は演ってる楽しさがダイレクトに伝わってくるし、『エロ編集者~』はオプティミスティックな匂いがいい。
この2曲は次のライヴでも演奏したいと思うんだけどなあ。他のメンバーはどうなんだろう。
で、今日一日はビデオから直接録ったライヴ盤をつくってしみじみ聴いて過ごした。


2001.11.28 (Wed.)

「公共性の社会学」という講義を受けるにあたりレポートがあるようなので、課題の本を読む。
森村進『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』(講談社現代新書)。一橋の先生らしいが知らんかった。

リバタリアニズムは名前を知っている程度。中身はよくわからないのでいい機会だと読み進めていく。
内容は法哲学の立場から極めて論理的にリバタリアニズムの主張を紹介するもの。かなり丁寧で読みやすい。
まとめると、リバタリアニズムとは徹底した個人主義(個人の自由をとにかく尊重)からスタートしており、
自由市場経済をベースにした社会の確立を目指すという感じ。政府は本当に最小のものが理想とされる。
そこではなんでも、裁判・貨幣の発行さえも、市場に任せた方がよりよい社会になるという。
まあ確かに、その主張に共感できる部分は多い。くだらない公共事業まみれの現状なんか見ると、そう思う。
卒論でやった例では設計者選定。公平なのはごくわずかで、つまらん談合が当たり前で納税者の意向は無視だもんね。
すべてを公平な競争にすれば最良のものが残るという(経済学的やね)論理、確かに納得できる。
けれども個人主義だけあって家族という共同体の問題には弱そう。子どもをいつオトナとみなすか。
一番厄介なのは収入格差による階層の固定化だろう。今でも十分ひどいのに、もう手のつけようがなくなる気がする。
リバタリアニズムの理想とは、非常に少数の「勝ち組」だけに許される狭い視野での理想ではないか。

読み終わった後で、レポート課題は大学院入学予定の4年生だけと判明。そりゃまあ勉強にはなったけどさ。


2001.11.27 (Tue.)

ウチの先生、御神体のこと詳しく知ってましたー。ハイ、何かが終わりましたー。


2001.11.26 (Mon.)

ネタがないので、最近考えがまとまった夢の話を書いておく。

寝る直前、あるいは授業中に目は開いてるけど記憶がトんでいるときは決まって言葉の波が来る。
ひとつひとつの文は正しい。が、まったく脈絡のない順番に押し寄せてくるのである。
たとえば、カレーライスについて述べた文の次にライオン、忍者、セサミストリートなどの文が次々に飛んでくる。
そして、このあまりにどうでもよくて記憶に残らないテーマたちから最小公倍数的に世界が構築される。
僕はこうしてできあがった非日常的な世界を「あー、そっかー。」とそのまま鵜呑みにしてしまうわけで、
どんどん膨らんでいくテーマに自分の経験を加えて夢のストーリーができあがっていくという具合。
こうなると負け。起きている間は絶対に考えられない世界が面白くてしょうがなくなるからだ。
テーマ(文)はそうしている間にも猛スピードで生まれては消えていく。そうして世界も新陳代謝を繰り返す。
おかげでストーリーは二転三転、最初の設定が最後まで残ってることなんて、まずない。
面白いのは必ず自分という人間が主役のままでいること。皮膚より内側とメガネは確固たる自分として確立されてる。
で、目が覚めるとテーマの生産がストップするので世界がボロボロと壊れて日常が戻ってくるという次第。

ただし、朝起きる直前や二度寝など、文を生み出している自分が自覚できない状況で見る夢はちょっと違う。
基本的に現実に即した世界、特に過去にさかのぼる現在の自分、という夢が多い。
まあ、いろいろと後悔していることがあるわけです。


2001.11.25 (Sun.)

麻雀大会に参加すべく部室に来た先輩方に起こされる。……もっとも、皆さん徹マン明けなのだが。

この日も東校舎では日本社会学会があったのでもぐりこむ。今日は地域問題の部会。
というのも、学部でお世話になった町村教授率いるチームが発表をするからである。
内容は佐久間ダムについての研究。地域経済・女性問題・映画を通した言説など非常に面白かった。
それにしても質疑応答の緊張感はたまらん。ただ見てるだけのこっちも気が抜けない。
発表が終わった後、町村教授に挨拶する。金髪にちょっと引いてたみたい。ありゃりゃ。

昼メシを部室で食って麻雀大会の進行を少し見届けた後、渋谷経由で帰る。
バカなのかアカデミックなのかよくわからん2日間やった。


2001.11.24 (Sat.)

HQSのOB会。今年は幹部ががんばって、昼から大学でクイズ企画をやるとのこと。
が、この日の一橋は日本社会学会の会場でもある。東工大の先輩が発表するということなので、お邪魔する。
理論やら都市やら、さまざまな部会に分かれていて、自分の興味のあるところに行けばよいシステム。
しかし僕はこういった学会に出たことがないので要領がわからん。テキトーに入ってテキトーに席につく。
先輩が発表したのは「差別・マイノリティ」の部会。教室いっぱいに学者さんたちが陣取るのは壮観。
発表も質疑も、やるか/やられるかの真剣勝負という印象。
自分の世界を持った学者さんたちが貪欲に“知”を取り込もうとするのが伝わってくる。

それで結局クイズ企画には遅刻。幹部の皆さんすいませんでした。
今年はミニOB会でも企画をやったが、ちゃんとした内容のものをこのハイペースでできるというのはすごい。
僕らは全然できなかったからひたすら頭が下がります。ルールもレクリエーション向けによくできていたし。
個人的にもそれなりに押せたし見せ場もつくれたのでまあ満足。神経衰弱でアシストしまくったのはちと悔しい。

18時から飲み会。マサルが大爆発。
その後2次会。ずっと寝てた。

日付が変わる頃に解散。帰れないかな、と思って国立へ行き、部室で寝る。本気で寒い……。


2001.11.23 (Fri.)

マン・オブ・ザ・イヤー(学生クイズ王決定戦)対策のイベントに行くつもりだったが、寝坊で参加できず。
潤平から「東大コンプレックス2001のビデオをもらいたい」という電話があり、それで起きるという体たらく。
で、家に来た潤平に「天気がいいからどっか行った方がいいよ」と言われ、ベッドの中で地図帳を広げる。

川崎を目指すことに決定。途中、大森でメシを食い、第一京浜をひたすら南下。

多摩川を渡るとすぐに川崎駅に着いた。案内板を見る。川崎市は変な形だなあ、と思う。
横浜にまで足をのばそうかとも思ったが、それなら関内あたりまで行くのがスジ……それはめんどくさいということで却下。
本を探して西武に入る。『モー娘。占い』目当てに吉澤派の後輩2人と来たときの記憶が鮮明に蘇る。
で、目的の本は見つからなかった。なんとなく沈んだ気分になったのでCDでも見ようかと地下へ。
Cymbalsの『Higher than the Sun e.p.』を発見。Cymbalsのシングルはハズレがまったくないので買おうか迷う。
明日はOB会だし金が要る。でも何もしないでこのまま帰るのは絶対にイヤだ。……というわけで結局買った。

家に帰って聴く。今回も当たり。CymbalsといいYMOといい、日本人の英詞が好きなんかなあ、僕。
風呂に入りながら聴いたら最高に気持ちいい。音楽聴きながらゆっくり風呂に入るのは最高のゼイタクですな。


2001.11.22 (Thu.)

演劇鑑賞。劇団☆世界一団の『トリックスター4 消えた333号室』。9月に観たやつの続編(→2001.9.82001.9.10)。
『トリックスター』はいつのまにか全12話のシリーズになっていた。毎回詐欺師役にゲストを呼ぶらしい。
会場は殺人的にわかりづらい場所。下北沢という土地のせいもある。本当に複雑な街だと思う。
潤平が授業で遅れた都合上、離れた位置で見ることに。

やっぱりオープニングムービーが格好良い。次回、熱海ロマンのライヴもムービーを使ってみようか、なんて思う。
今回は密室トリックということもあってか、場面転換が本当に激しい。
複数の場所で同時に進行する物語を1つの舞台で演じるということで、その見せ方は非常に参考になった。
前作「キリン」ほどのパンチ力はなかったが、ゲスト陣のふんばりもあって十分楽しめた。
まあ、個人的にはレギュラー陣の活躍をもっと見せてほしいのだが。今後に期待。

自由が丘に電車で帰り、そのままビデオの出力機器を借りるため友人・まる宅へ。
2時間ほど家庭と社会性の問題をダベる。最近堰を切ったように僕の周りではそういう悩みが表面化している気がする。
帰り道、尾山台でミルクセーキの自販機を発見。それだけで幸せ。


2001.11.21 (Wed.)

今日もネタがない。

ネタがない日はだいたい、ドトールで本読んだり自宅でMP3つくったりして過ごしてます。
非生産的なこと極まりない生活を送っとりますゆえ、ネタがないわけですね。


2001.11.20 (Tue.)

書くネタがない。


2001.11.19 (Mon.)

模型づくりが朝7時半ごろ終わる。というか、終わらせた。いろいろと不満だらけ。
正直もう一日あれば満足のいくクオリティになったのに、と悔しくなる。

それにしてもここんとこ、日記の内容がどうも知的な(というかスノッブな)生活をしているっぽく見える。
けっこう読んでくれる人がいるみたいなので、本性のアホをひた隠しにしてる感じでなんとなく自己嫌悪。
もともと家族や親しい友人向けに書いているつもりなので、今のような形で公開を続けるのは本意ではない。
そんなわけで近々、閉鎖はしないまでも何らかの制限を加えようかと考えている。
意見のある方は遠慮なく掲示板の方までどうぞ。


2001.11.18 (Sun.)

HQSの後輩・えんだう氏に誘われて、東京学芸大学で行われたイベントに行く。
荒川修作と宮崎駿の対談というか講演会。「宿命反転都市の建設を目指して」というタイトルがついている。
国分寺駅で待ち合わせて昼メシを食い、ダベりながら歩いて学芸大学内の芸術館ホールに並ぶ。

いざイベントが始まると、呆気にとられっぱなし。荒川修作は言語不明瞭・意味不明瞭でさすがは芸術家。
対照的に宮崎駿は独自の色を出しながら荒川修作の話の“翻訳”に徹する。こちらはスパッとわかりやすい。

「宿命反転」というのはいかにもな言い回しで、人類滅亡の流れを逆流させようということらしい。
荒川修作の言いたいことは、おそらくバリアだらけの建築をつくることで身体の再発見を促すことだろう。
われわれは寒さを直接感じるのではなく、服を着ることで寒さを把握している──和辻哲郎の『風土』に近いかも。
現代において身体の感覚は、極端な場合メディアによって供給されることすらある。それに対する反動。
新しい感覚は新しい生活を生み出し、徐々に世界を変えていくという理想があるわけだ。

しかしながらそこは芸術家、一歩間違えば巨大な誇大妄想狂になってしまう。けっこうギリギリの線。
本人にとっては統一された世界観が完成されているだけに、宗教の匂いを感じた人もいたと思う。
そんな思想に理解を示しつつも自分の立場をうまく説明していく宮崎駿は上手い。
その“相手にわからせる能力”の高さ、プレゼンテーション能力の高さは印象に残った。感想としてはそんなところ。
やっぱり客のほとんどはジブリヲタだったんだろうな。荒川修作を知らない人には苦痛そのものだったに違いない。

夜、潤平の模型づくりを手伝うために緑ヶ丘へ。潤平の後輩の女の子とふたりがかりでひたすら作業。
途中、しし座流星群を見るために15分ほど抜け出す。土管に寝転がって天を仰ぐ。
雲は厚かったが大きな流星がいくつかはっきりと見えた。願いごと……? 決まっとるやん。


2001.11.17 (Sat.)

研究室で「多摩市でワークショップがらみのイベントがあるよー」との紹介。行ってみる。
午前11時に多摩センターに到着。昼メシ食って会場のパルテノン多摩へ。そしたら午後2時スタートとのこと。

しょうがないのでサンリオピューロランド方面をブラブラしていたら多摩美術大学美術館を発見。入る。
やっていたのはバウハウスからスイス派までのポスター展。マックス=ビルなんかが展示してあった。
個人的にはヨーゼフ=ミラー=ブロックマンが好みだった。学生200円は安い。

ドトールでコーヒーを飲みつつ渡された資料に目を通す。
多摩市では「住民自治基本条例をつくる会」が市とパートナーシップ協定を結んでいて、
ワークショップを繰り返して国の憲法にあたる条例をつくろうとしている。今回はその中間報告会のようなものだ。

30分前に再び会場入り。研究室のメンバーが他に3人来ていた。

第1部で報告、第2部で住民投票の扱いについて旗あげによる軽いワークショップ、第3部でパネルディスカッション。
第3部では北海道のニセコ町長、多摩地区の他の市の自治条例委員4人と地方自治が専門の大学教授が登場。
町長と教授は本音でしゃべっていて面白かったが、東久留米市以外の委員はまったくパッとしない。
これは自治条例がトップダウン的な市からの提案でつくられていることと関係しているのかもしれない。
多摩市は市とは別のところで会が活動していて、パートナーシップ協定による保証がついているのが強みなのだ。

150人ほどの来場者がつめかける熱気あふれるイベントだった。他市の職員がかなりたくさん出席していたようで、
それだけ多摩市が進んでいるということなんだろう。なかなか興味深い話である。


2001.11.16 (Fri.)

『ベルリン・天使の詩』をビデオで見る。えらく考える“隙間”の多い作品だ。
もともとこれは学部時代にゼミでデヴィッド=ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』を読んだのだが、
その中に『ブレードランナー』とともに1章使って述べられていた映画ということで知っていた。
でもそのときにゼミ仲間がピーター=フォークについてのネタばらしをして(本人役にフィクションをかぶせているのだ)
見ていなかった僕はワケがわからなくなったので、このたびきちんと注意深く見てみることにした。
前に読んだ鴻上尚史『天使は瞳を閉じて』(→2001.10.25)もこの映画の影響を大きく受けているし。

で、その感想は前述の通り。考える隙間が大きいので、自分で埋める余地がある分、インテリ好みなんだろう。
ハリウッド映画がこれでもか!というほど、ストーリーを決まったレールに乗せているのに比べれば、
無数に集まった世界と自分の関係=社会という見方の提示にはじまり、
分断された時間・空間(を生きる人間)と力を失った物語(を生きる天使)の対比やら、
人間になったとたんに定められた空間、定められた時間、定められた制度に固定化されていく姿やら、
いくらでも思考の世界が広がっていく。つまりこれが“隙間”で、娯楽と芸術の差なんだろう。

それにしても『モンティ・パイソン』が面白くってしょうがない。
特に第2期シリーズの集中力は異常。ギャグ・演出・構成、どれをとっても切れ味が鋭すぎる。
前にマサルとどうして『モンティ・パイソン』はこんなに面白いのか、という話を真剣にしたのだが、
豊富なギャグのパターン、知識に裏打ちされたネタ、とんでもないブラックさといった要素が指摘された。
で、「日本はダメだ、イギリス万歳」という結論に落ち着いたのであった。
1970年前後のコメディの方が現在のものより面白いってのは悲しい現実である。
こうなりゃ自分たちで面白いものをやるしかないってこった。


2001.11.15 (Thu.)

東工大は一橋とちがって、講義の開催時期が(良く言えば)フレキシブル。
集中講義が通常の授業と平気でダブルブッキングされてしまう。その分、学生は要領の良さが鍛えられるのかも。

そんなわけで、「情報環境数値シミュレーション」なる講義があった。
今回の内容は、数理的モデル/シミュレーションによるシステムの分析。……と書けばたぶんあってるはず。
まあ要するに意思決定を数理的に考えるわけで、これは一橋じゃほとんど勉強できなかった分野。
その一例としてNASAゲームなるものをやったのだが、なかなか面白かった。
この意思決定についての理論は、行政でも企業でも今後重要になってくるだろう。
正直脳ミソがヨタヨタなのだが、少々ムリしてくらいついているしだい。


2001.11.14 (Wed.)

研究室で飲み会。タイに旅立つ4年生の送別会である。
最初のうちは鍋をつついたり利きワイン(目隠しで赤白/価格の高低の4種類を当てる)で盛り上がったりしていた。
しかしそのうち、ケーキのドリフ食いが始まり、おひねりが飛び出し、めちゃくちゃな状態に。
ハチマキにロウソクをさして火をつけて「八つ墓村」状態で記念写真を撮ったり、
そのハチマキの色が赤・青・黄だったおかげでサンバルカンごっこが始まったり
(しかもそのサンバルカンは研究室に落ちてた500円玉をめぐってつかみあいのケンカをおっぱじめた)、
プロッキーで顔に直接落書きして玉置浩二かYMOかというメイク大会になだれこんだり、
しまいには「俺の後ろに立つな!」とゴルゴ13(の落書きをした先輩、これが激似)が騒ぎ出す。
僕も顔じゅうにチョコレートケーキを塗りたくられた。ああ、こうして研究室に馴染んでいくのね……。


2001.11.13 (Tue.)

ゼミ。ウチの研究室はなんでもアリなので、人によって研究テーマがえらく違う。
あまりにも幅が広いので、やってる最中にわけわかんなくなって脳ミソが飽和状態になることもしばしば。
それでもわからないなりに発言できるのは、ゼミ直前まで昼寝して集中力をためこむ作戦がうまくいってるからか。


2001.11.12 (Mon.)

日ごろすさまじくお世話になっているタケカワさんのバンド、Hate crime R.A.が秋葉原でライヴ。
特別招待客扱いしていただいたこともあり、潤平と一緒にお邪魔させていただく。
えらく落ち着いた雰囲気のライヴハウス。開演直前までタケカワさんと熱海ロマンの弱点について語り合う。

で、いざ本番。考えてみればなんだかんだで僕はH.R.A.のライヴをちゃんと見るのは初。われながら失礼な話。
僕はドラムス担当ということで必然的にタケカワさんのドラムスにばかり耳がいってしまう。
そのくせ正規の教育を受けていないのでドラムスの言語(というか表現)がわからないので困る。
そんな不自由な日本語で感想を書かせていただくと、「安定してるなあ」というのがまず第一印象。
ヤセ型の体型なのに、どっしりしたイメージ。マッシヴ、というか。根っこがしっかり張ってる、というか。
姿勢正しくトチらず大胆にたたいているけど、決して機械的でなくメリハリの利いた表現をしている。
ギターとマサルに流されつつぜんぶ同じ強さでたたいている僕は格の違いを見せられた気分。
Hate crime R.A.さんの演奏を実際に聴いて、今の熱海ロマンにここまでのパワーが出せるのか、と考えさせられた。

次のバンドも面白かった。こっちはどちらかというと演奏面よりも作曲面での影響が出そう。
……まあこういうこと書くと、いかに洋楽聴いてないかがわかるなあ。みっともない。

帰り道、潤平とひたすら熱海ロマンの今後の課題を拾い出していく。
まずマサル。音はずしすぎ。歌詞を伝えること、声を聴かせることを意識しないとパンピーを引き込めない。
僕。ハイハットうるさい。タムたたかない。独学ではもうこれ以上うまくならないだろう。新たな局面が必要。
潤平。もう少し丁寧に演奏できないか。まあ潤平は演奏面云々よりも作曲がんばった方が熱海にとっては建設的か。
奥田君。指で弾くなど、全体的なスキルアップが望ましい。ベースがいいと全体が引き締まるし。あとステージ上の動き。

2ndアルバム制作も重要だが、演奏面での課題をとにかく解消する必要がある。
こういう問題点がハッキリするのはありがたいこと。やはり人様のライヴは勉強になる。
……まあでも、課題が見えるところまで上達してきた、という考え方もできる。ポジティブ、ポジティブ。


2001.11.11 (Sun.)

マサルと池袋で打ち合わせ。マサル宅に近いファミレスで昼飯を食いつつ談話する。
が、どうしてもバカ話の方に花が咲いてしまい、なかなか本題の2ndアルバムの話ができない。

しょうがないのでマサル宅に移動してみる。
けれどもやっぱり脱線しまくりで、どうしても2ndアルバムの話にならない。ホントに困る。

ただ、今のままじゃイカンということで危機感をもつことはできたので、それが救い。


2001.11.10 (Sat.)

今日は一日もやしっ子でした。


2001.11.9 (Fri.)

「言説編成」。先週はライヴ準備でサボったのでビクビクしながら出席。
今回の授業は先生がわざわざお役所の文体に直した田中康夫の脱ダム宣言を自分の言葉で表現するというもの。
2グループに分かれて作業を進め、それぞれ知事役を決めて読み上げさせるのである。

で、作業中に思ったのだが、VALDESの学生は正面から言葉にぶつかっていく。単語のレベルで向かい合う。
対照的に僕は単語の意味を自明のものとしてとりかかる。面倒くさいから。それで使われる言葉は横すべりしていく。
辞書を引くと意味が書いてあり、その意味をもう一度引くと、元の言葉に戻ってしまうような横すべり現象。
たぶんこの授業において、僕の姿勢は正しくない。政治のレベルで使われる言葉としての単語を意識しないからだ。

しかし単語にこだわると文自体のつながりが悪くなる傾向が出てくる。流れがぎこちないのだ。
僕はつまらないものとはいえ小説を書いてたこともあって文のつながりを重視するわけで、その点が気にかかる。

こうして改めて考えると、お役所言葉の便利さがわかってくる。簡潔な言葉ではどうしてもカドが立つってわけ。
どうとでもとれる言葉でどうとでも都合の良いように仕事をしていくということ。
よく都市政策で出てくる「マスタープラン」なんかその典型だ。五全総とか上位計画になるほどひどくなる。
なるほどこうして橋爪教授はあるべきリーダーシップを養成していこうとしている。言葉と政治。いやはや、すごいよ。

ちなみにこの授業のラスト、僕は知事役で記者会見に臨んだ。いやもう照れくさいのなんの。
これがきっかけでムリな力が抜けて、「バカがバレてもいいからやってやる!」って姿勢になれるといいんだけどな。


2001.11.8 (Thu.)

朝10時、東京国際フォーラムの向かいにある東京ビルヂングへ。
東工大の都市計画系研究室を対象に、三菱地所がやってる丸の内の再開発について説明会が行われたのだ。
現地集合、時間に間に合うように行ったのだが研究室の仲間の姿は見つからない。焦る。
そして建物の中に入ると運良く学生っぽい集団を見つけたのでついていったら会場らしきに場所に着いた。
でもなんかみんなフォーマルな格好。就職活動でもするつもりで来ているのだろうか?
フリースとジーンズ、おまけに金髪の僕は明らかに場違いな感じ。大幅に焦る。
その後説明が始まったらうちの研究室の衆がこそこそ入ってきた。先輩もカジュアルだったので一安心。

Power Pointによる説明が終わると隣の部屋に移動。そこには今回の目玉である模型が置いてあるのだ。
1/1000の千代田区丸ごとの模型。制作費は5000万円を下らないという。見ると、本当に素晴らしいデキ。
航空写真だけでなく、デジカメで撮ったビルのファサードを模型の横面にも貼り付けてある。
しかもなんと丸の内地区だけでなく、千代田区内すべてのビルをそうして再現しているのだ!
おまけに周りにはアルミの櫓が組んであり、CCDカメラをコントローラーで操作してプロジェクターに投影。
そうして見ると、本当に本物に見えるのだ。これはマジですごいですわ。圧倒されっぱなしやった。

その後研究室のみんなで日比谷公園まで移動。公園内の松本楼でオムライスを食べる。うまい。
ちなみに研究室では新たに魚眼レンズを備品で購入したばかりということで、みんなでずっといじって遊んでた。

そして解散。八重洲ブックセンターで本を買って帰る。M.フーコーの『監獄の誕生』。気合を入れて読みきらないとね。


2001.11.7 (Wed.)

午前5時頃まで潤平とフォトレポートの作業をしていたせいか、起きたら夕方4時。

潤平と一緒に荏原中延でラーメンを食べた後、フォトレポートの作業を再開。
それが終わるとカゴキチ三平のアップ。すべて完了した頃には日付が変わっていた。

潤平と「東大コンプレックス2001」のビデオを見る。早くちゃんとしたテレビで見たい。


2001.11.6 (Tue.)

最近はゼミ前に昼寝をする習慣をつけている。そうすると途中で居眠りしないで済むからだ。
今日もそれが効いたのか、最後まで集中してゼミに参加できた。ちょっといい気分。

帰ってきて、「東大コンプレックス2001」のビデオをチェック。外部出力できないのでカメラのディスプレイで確認。
なんというか、自分では気がつかなかったが、ドラムスが一番走ってやんの。まあそれなりにこなせてるが。
何よりマサルのMCがキレていてすげえ。あいつはアドリブ強いなあ、とつくづく痛感させられる。

ついでに「筆下ろしライヴ」のビデオを見てみる。1年前だけどドラムスはあまり変わってない。上達してないのかな?
観客の皆さんの反応もいいし、音も安定している。MCもまあ丁寧。本当にいいライヴだったんだな、と実感した。

ライヴは場数だ!と思うんだけど、たまに過去も振り返ってみるとそれは新鮮で勉強になるであります。
今後もいいライヴをやっていきたいもんです、ホント。


2001.11.5 (Mon.)

潤平からの携帯メールにたたき起こされ、「建築史第三」にもぐる。
その後、研究室で昼飯を食いつつ、先生に借りている本を読む。厚東洋輔『社会認識と想像力』。
第1部を読み終わったところで眠くなって帰る。感想としては、社会学の対象である社会を想像力の産物として捉える。
説明が非常に丁寧であるし、ところどころできちんとまとめられている。学部時代の前半で読んでおきたかった内容。
言いたいことは漠然とわかる。きっとこれをもっと大きな枠組みで理解できれば理想的なのだろう。
まだまだ、足りないであります。


2001.11.4 (Sun.)

昨日と打って変わって憎らしいほどに天気がいい。条件反射的に自転車にまたがる。

渋谷経由で秋葉原へ向かう。今回は地図を見ないで気ままに行ってみる。
まず青山通りから皇居へ。パレスサイクリング実施中につき祝田橋から平川門まで往復。
その後有楽町駅の東に出て外堀通りを行く。八重洲ブックセンターは休み。本を見たかったのだが。
そのまま日本橋へ。日銀本店に見とれて一周。北上して神田駅も一周。神田駅周辺はあらゆる店が休み。
が、神田駅をうろついたのがまずかったのか、道に迷って三越前に。日本橋に戻っていたのだ。
もういいやー、と思ってテキトーに走ったら昭和通り・首都高1号線に出た。これで決着。

秋葉原に着いたら『モンティ・パイソン』のDVDを買う。しかし他にやることがない。さっさと帰る。

帰りは靖国通りで。途中、神保町の三省堂で本を見る。
読みたい本はいっぱいあるが、金も暇(というより「ずく」)もない。
四ツ谷経由で外苑西通を南下、青山通りに合流する。帰ったときには薄暗くなっててそれなりの長旅。疲れた。


2001.11.3 (Sat.)

朝6時起床で準備を進めていく。空いた時間にビデオで『山城新伍ママ』の振り付けをチェック。
奥田君以外の3人は大岡山駅7時集合。しかし潤平が寝坊したりマサルが携帯を忘れたりで30分の遅れ。
なんとか南武線にたどり着き、登戸で奥田君と合流。電車の中でもギャグは生まれ続ける。

谷保駅から早足で一橋大学を目指す。正門前でBOBくんと合流。兼松前ステージは音響準備の真っ最中だった。
とりあえず4人に控え室を押さえてもらい、ひとりオープニングの箱を準備し、風船にヘリウムを入れていく。
一段落ついたらセッティング&リハーサル。PAさんの指示に従って音を出し、最後に『人間独楽』で総チェック。

ゴタゴタしながらも着替えを済ませ、小道具の準備を済ませてステージ裏へ。しかしなかなか出番が来ない。
気がつけばタケカワさんにはすっかり裏方の仕事を任せてしまっている格好。本当に申し訳がない。

ようやくゴーサインが出てステージへ。注意深く箱を開けると風船が飛んでいく。まあ、ほぼ思惑通り。
オープニングのギャグで誰かがトチったものの、『野に咲く花のESCAPE』へ。結局マサルの音ははずれたのでした。
『人間独楽』、帯を巻く演出に飽きたので大神楽に。反応もまずまずのようで、とりあえず一安心。
恒例のハロプロカヴァーは『チュッ!夏パ~ティ』。自作のカツラはまずまず。演奏もちゃんとできた。
『ロベルト本郷』もマサルのやりたい放題が爆発していい感じ。慣れてるから当たり前だけど。
祝電を披露して『振り向けばピョンヤン』。やはり踊りは強い。歌詞も一橋向きなのか、ウケた。
で、新曲の『ファミコンアッシュ』。マサルのアクションが笑いを誘ったうえに演奏もノーミス。ヤマ場を越えた感じ。
『エロ本編集者の悲劇』は元ネタがわからなかったのか、今ひとつ中途半端な反応。いい曲なんだがなあ。
そして休憩。正直どうなるか不安だったが、マサルのやりたい放題のおかげでなんとか間がもった。ほっ。
ブザーが鳴って『ヘビおばさん』。右クラッシュシンバルが少し遠くてリズムにズレが出る。困った。
『私のビートルズ』は勢いで押していく。一橋ならもうちょっとくらいついてくるかな、と思ったが反応はフツー。
『山城新伍ママの××ロック』、やっぱり踊りは強いと再び実感。朝の特訓のおかげでミスしなかったし。
『黄門乱心』、途中で単純に構成を忘れて大ポカ。しかも奥田君に構成の変更を伝え忘れていた。最悪。
そして最後の『ウソゆず(修正版)』。これについてはもう謝るしかないです。すいません。本当にごめんなさい。
エンディングは予定と違ってしまったのだが、まあなんとかごまかせた感じ。ステージ裏で屋外の難しさを痛感。

  
L: オープニング。『ズームイン!朝』の風船が飛び出す演出をやろうとしているところ。電車内でこの段ボールがとにかく邪魔だった。
C: 今回のテーマは『裸の大将』。マサルが「ぼ、ぼ……僕らはルンペンバンドなんだな。りんけんバンドみたいだけど違うんだな。」
R: ロックバンドの演奏中にこの表情ってのもすごいな。この後、背中の傘を使って大神楽をやったわけです。

  
L: 三人祭『チュッ! 夏パ~ティ』のカヴァーが終わってもカツラをかぶったままのマサル。これは『ロベルト本郷』でダフった瞬間。
C: 『振り向けばピョンヤン』、宮尾すすむバリのアクションでキメ。  R: 歌うマサルとパラパラを踊るわれわれ。

  
L: 新曲『ファミコンアッシュ』。このためにヤフオクで買った旧型ファミコンを体に装着するマサル。カセット挿入部分に息を吹くと歓声が。
C: 『エロ本編集者の悲劇』(『Video Killed The Radio Star(邦題:ラジオスターの悲劇)』のカヴァーのカヴァー)の僕。なんだこの顔。
R: 「1時間もライヴなんてやっとれんわ! 休憩ターイム!」と突如休憩。リュックからおにぎり、水筒、おしぼり等を出して本格的にくつろぐ。

  
L: ステージにやってきた売り子からフランクフルトを買うマサル。BGMのミニー=リパートン『Lovin' you』をフルコーラス分休憩した。
C: 突然ステージを下りて、小さな女の子にフランクフルトの残り一本をあげたマサル。女の子のおばあちゃんにお礼を言われる。
R: ブザーが鳴ったので休憩終了。シートを片付けながら『ヘビおばさん』を歌うマサル。毎回ひどい演出ばっかりだ。

  
L: 「ビートルズのカヴァー」と称して常田富士男の『私のビートルズ』を演奏。マサルが気持ちよさそうに歌う。
C: 『山城新伍ママの××ロック』でボックスステップをするわれわれ。さすがにこの曲は通行人の皆さんが続々と集まってくる。
R: 振り付けを間違えて、「しまった~」って顔をするマサル。一度間違えてしまうと、その後はもうやりたい放題となるのだった。

  
L: 最後の曲『ウソゆず(修正版)』で、マサルが僕の股間からクラッカーを発射! ビビる僕に満足げなマサルなのであった。
C: モザイク修正した御神体からクラッカーを発射するマサル。ええ表情や……。  R: 御神体を振って悶絶するマサル。

 いい感じにマサルが走り去ってライヴ終了。

その後、楽屋で大森うたえもん(本物)に遭遇したりOBを気取るジジイに心底ムカついたりといろいろあったけど割愛。

東キャンパスで屋台を出しているHQSの方に顔を出す。ビラには「お好み焼きドンブリを発明したよー!」と加護が。
疲れてビニールシートの上で寝てたら雨が降り出した。どんどん雨脚は強くなっていって、結局HQSの企画は延期に。
熱海ロマン的には朝イチだったのが幸いした。けど後輩の晴れ舞台が流れてしまったわけで、なんか釈然としない。

屋台を撤退して部室に移動。カラオケに行っていたと思われるマサルらOBも合流し、ドンジャラ大会。負ける。
その後ロージナ茶房で晩飯。シシリアンを頼もうとするが、一橋祭期間中は別メニュー。
仕方なく名物・ザイカレーを頼むが全然辛くない。拍子抜け。

そして解散。仲間がいるってのはいいもんだなあ、と思いつつ、電車を乗り継いで帰る。


2001.11.2 (Fri.)

朝起きると部屋の片付けと小道具の整理。
昼前に国立に移動してタケカワさんと打ち合わせ。
大岡山に戻って部屋の片付け、脚本のチェック、ビデオカメラの充電。
夕方は小道具、特にカツラの準備。三人祭のピンクの外ハネ。売ってないので自作。カーラーとドライヤーでクセをつける。
夜8時、奥沢にて最終練習その1がスタート。1時間で予定通りに進めていく。やや不調。
夜9時、バーミヤンで脚本の最終チェックと曲についての打ち合わせ。祝電の内容はここで確定する。いつものこと。
夜10時、最終練習その2がスタート。同じように予定に沿って演奏。少しキレてきた。まあ、よし。
夜11時すぎ、解散。マサルを家に連れて帰る。が、練習をしたいということでカラオケ屋へ。
深夜0時半、カラオケ屋にてマサルの猛練習。『ESCAPE』の音程をひたすら調整。僕はヘロヘロ。
深夜2時、自宅に戻って踊りの練習。マサルは寝袋へ。そして僕もベッドへ。


2001.11.1 (Thu.)

ちょっとブルーになるできごとがあったおかげで仕事のペースが信じられないほど落ちる。やることはいっぱいあるのに。
それでもフラフラになりながら渋谷へ買い物に出かけ、戻ってくるとライヴ用の音源をマスタリング。
さらに部屋の片付けをして小道具を整理し、夜中には友人宅へビデオカメラを借りに行く。
日付も変わった帰り道、とにかくひとりでいることがさびしくなった。とにかく誰かといたい、そんな気分になった。
途中で警官に自転車の防犯登録をチェックされても、それさえもかすかな接点と思えるくらいに。


diary 2001.10.

diary 2001

index