日野市役所へゴー。
国立まで行っちゃえば、日野なんてホントすぐそこって感じ。意外とスンナリ着いた。
駅前でメシ食って時間があまった。市役所の市政図書室に寄ってみてビックリ。ものすごい資料の量なのだ。
他市の市史まで完璧に揃っているし、日野に関係する新聞記事の切り抜きも網羅している。
行政関係の本や雑誌もヘタな図書館以上に充実。東京都公園文庫まで揃っていたのには本気でたまげた。
面白いのは土方歳三関係の本が異常にあったこと。出身地とはいえ、いくらなんでも集めすぎ。いざ時間になったので市役所の中へ。そしたら会議室に通された。中で年配の方が重役っぽくたたずんでいる。
この方、市役所の建設に関わったOBとのことで、現在の担当の方と一緒にお話をうかがった。
OBの方は当時の事情をいろいろと話してくださり、貴重な体験談が聞けた。
僕は年上の偉い人に強い苦手意識があるのでかなり緊張したけど、とっても充実した聞き取りだった。日野市役所は1977年、区画整理中の高台の土地に建設。設計者は指名コンペで決定した。
すごいのは、その経緯が冊子になって保存されていること。図書館で貸し出し可能になっている。
当時の市長は革新。財政がかなりキツかったが、事務の分散があまりにひどく、思いきって建てたそうだ。
1980年、南側に市立中央公園が完成。1985年、庁舎の隣に同じレンガを使った市民会館が完成。
これらの施設が一体化したイメージで整備できたのは、市長が6期連続でがんばったから、という気がする。
静かな住宅街の中で、足元に緑を敷き詰めて象徴的にそびえている印象を受ける。
質素な事務スペースに比べると、多摩川の魚や子どもの絵が展示されていて1階はとっても賑やか。
あと、裏手の銀行も一緒に移転してきたそうで、これもわざわざ同じレンガのファサードにしてもらったとか。聞き取りが終わるともう一度、市政図書室で市史や過去の広報などをチェック。
いろんな資料がありすぎて、どこに何があるのかわからなくなる。ぜいたくな悩みですな。帰りに国立のロージナでシシリアンを食った。ささやかな幸せであります。
メジャーリーグを特集していたので『Sportiva』を初めて買ってみた。そして読んでみた。
当然のごとく『Number』と比較してみるのだ。
まず、写真。これは圧倒的に負けている。つーか、まあ『Number』には勝てないわな。
小向美奈子のテニス姿は良かったけど。そこら辺がさすが集英社って気もする。
全体を通して“悪フザケ”の要素が目立つ。キライじゃないけど、これ以上はゴメンって密度。
それ以外については、正直二番煎じの印象は否めない。レイアウトにイマイチ圧迫感を覚えるなあ。
まあでも選択肢があるのはいいことだ。そのうち独創性も出てきて熱くなる可能性は感じた。あ、そうだ。肝心のメジャーリーグ特集について。
やっぱり写真はもっと出してほしいのね。カットも小さめなので、デカデカとね。
スパーキー=アンダーソンへのインタヴューはなかなか良い企画だったとは思う。
でも平均的な内容だなあ。よくぞここに目をつけた、って記事は見当たらないかな。ちょっと残念。それにしても最近の『Number』はサッカーばっかで、メジャーもNFLもやんないのね。やれよ!
個ゼミ。なんつーか、もう、自分キライ。でもなんとかできるのも自分だけ。やだわー。
昭島市役所へゴー。
昭島市役所は1997年竣工。都下では2番目に新しい庁舎。
話をうかがってみるとなかなか特徴的な例だ。とりあえず、箇条書きにしてみる。
1. 場所でモメまくった。……場所決めだけで5年かかった。決め手はもともと学校の土地で、少ない費用で済む点。
しかし交通の便が恐ろしく悪い場所だったため、そうとう風当たりが強かったそうだ。
結局、周辺道路を整備したら民間の土地を買う方がマシなくらい金がかかってしまったという。
2. バブルで建設費用が下がった。……前の庁舎ができてから10年後くらいで積み立てをスタート。
これが効いてバブルの影響をあまり受けずに済んだ。バブル期の費用の7割で建てられたそうだ。
3. コンペで決めた。……指名コンペで設計図を提出してもらって決めた。ただし審査したのは職員と議員のみ。
学識経験者など外部の人を一切入れないでやっちゃったってのは、なんつーか、すごい。
最終的に新しい庁舎ができるまで10年かかっている。おかげで資料を探すのがえらく大変だった。
建設の経緯をまとめた冊子があって、それをいただけたのはよかったのだが。国立でスタ丼食って帰る。最近のスタ丼は、多摩地区でものすごい勢いで増殖中らしい。
店員が黒いシャツだったのにショックを受ける。そんなオシャレになっちゃダメだい!
福生市役所へゴー。
甲州街道→新奥多摩街道→国道16号で福生に入る。
横田基地の西を走ったのだが、並んでいる店がほとんどアメリカテイストで面白い。
歩道に面して軽くセットバック、空いた敷地に椅子を並べるとそういう雰囲気になるのだ。
ミリタリーやらアクセサリーやら、好きな人にはたまらないと思う。スカパラのスーツをつくっている店もあったなあ。なぜか飲み屋と韓国料理店の多い東福生駅を通って整備中の福生駅に到着。そして市役所へ。
福生市は現在、市庁舎建て替えの準備中。といっても議会で委員会を設置して話し合ってる段階。
現在使っているのは1964年建設ということで、なかなか資料がないそうだ。
それでも当時としては大きめの庁舎で、その影響か、財政再建団体になってしまったらしい。
国と都は福生・羽村・瑞穂町の合併を推進したいらしいのだが、首長は積極的でないそうだ。
その影響も市庁舎建設に微妙にからんでいる。いろいろと市庁舎に対するスタンスについてうかがった。
福生は庁舎建設にあたってさまざまな調査をしたということで、各市庁舎を比較した資料をいただいた。強力。帰ろうと市役所を出たところで電話。リョーシ氏が「メシを食おう」と誘ってくれた。
急いで国立に帰る。駅前で合流。もうひとり、後輩のラビーさんにも声をかけたが来るのがメチャクチャ遅かった。
そんなわけで十分に腹を空かして洋食屋へ。ひとりでは入りづらいので行ったことのなかった店。
久々に豪華なメシをいただく。会話もはずんで大変楽しゅうございました。おいしゅうございました。部室に移動してポッキーをかじりつつ雑談。コント番組のつまらなさを糾弾するトークになる。
日付が変わる頃にラビー邸に移動。『とくばん』『とんねるずみなさんのおかげでしたSP』のビデオを見る。
見ながら、今度クイズの大会を企画しているそうで、バカなアイデアを無責任に提供しまくる。
ウソラジオをやってるせいか、マサルが憑依した感じでどうしょうもないアイデアばっかり出てくる。
そんなこんなで気がついたら寝てた。久々に仲間と学生トークができたのは本当にうれしかったです まる
集めた資料を研究室で整理する。が、そろそろ膨大になりつつあるので途中でイヤ気がさしてきた。
大学4年で市役所を回ったときには、南西を除く7方位で26市をグルーピングした。
今回、それをもとに7色の封筒を合計26枚用意して、それぞれに資料を入れてみた。
すごくキレイでわかりやすい。われながら、ナイスアイデア。
町田市役所へゴー。
まずは二子玉川に出て、そこから川崎・二子新地に入る。
246号を目指すが、大いに迷う。溝の口周辺を徘徊するが、あのでっかい道が見つからない。
高津区役所に出て上り坂をテキトーにのぼったら無事にたどり着いた。川崎の道は狭くて複雑で困る。246号こと厚木街道を南西へ。車がバンバン通る脇、歩行者は前提としてない感じでホントに走りづらい。
んでもって起伏が激しい。全体的には上り坂になっているようで、なかなか思うように進まない。
川崎市内から横浜市内に入る。緑がいっぱいで土木構造物がおおざっぱ。すっごく“郊外”な空間をひた走る。長津田の少し先、246号と東名に挟まれて東工大のすずかけ台キャンパスがある。こないだ火事が起きたところだ。
ちょっと寄ってみることにした。ボロボロのアスファルトの坂を下ると、山の中に巨大なビルが林立してるのに出くわす。
生協に入ってみたけど、全然覇気がないんでやんの。ランチのメニューは大岡山とほぼ一緒だった。
緑かコンクリートかの二者択一。正直、この環境で過ごすのはキツい。筑波より厳しいのではないか。
246号に戻り陸橋からキャンパスを眺める。R1だのG2だのB1だの、無機質な文字が貼られた巨大なビルが不気味。少し進んで右折、町田街道に入る。狭いが、ちゃんと歩道がとってあって自転車でも走りやすい。
東京都とそれ以外の自治体では道路整備でも格差が出ているのかな、なんて考えてしまう。
そうこうしているうちにすぐ、町田駅前に到着。車は隔離されていて、通りを歩く人であふれている。
この街はかなり好きだ。賑やかだし、大小いろんな店が揃っている。東急ハンズもあるしね。少しはずれの町田市役所へ。さっそく担当の方の話を聞く。
1970年建設。バブル期に増築の計画が具体的に詰められたが、結局オジャンになってしまった。
というのも阪神大震災で耐震基準が引き上げられたため。この話はどこの市に行っても聞くなあ。
しかしながらだましだましの補強ももう限界ということで、今月の議会で市庁舎移転が正式に審議スタート。調子がいいときにはいろんな裏話が聞き出せる。まあ、それも必要な技術といえばそうなのだが。
そんなわけで、合併でできた自治体の苦労話や革新市長のもたらした結果についての話が聞けた。
町田は保守市政の置き土産的に市庁舎がつくられて、その後を革新の市長が継いだ。
革新市長は福祉に重点を置いたため、道路整備が大幅に遅れる結果になったとのこと。
確かに町田の道はどれも不便。市域をまっすぐ貫通する道がないのだ。それは革新が5期続いたせいだとか。
そのかわり福祉が充実している伝統は確立できているとのこと。要は住民が誰を選ぶかということなのだ。
田中康夫に振り回される長野県庁の大変さがなんとなくわかった。でもまあ、選んだのは住民だからね。市役所を出ると近くの市政情報センターで文書をあさる。市庁舎をつくった市長の回顧録があったのはラッキー。
終わって町田駅前をほんのちょっとだけウロつく。出発したのは空が暗くなりはじめてから。
246号の帰りは明らかに下り坂が多いのでスピードが出る。それでも家に着いたら20時だもんなあ。
うがー。ウソラジオの編集は気が狂うー。今回は100分を30分にするという無茶っぷり。どうしてくれよう。
◇
ネタバレになっちゃうかもしれないけど、ウソラジオ用にCDをいろいろ借りたので、感想をば。
ソニン『カレーライスの女』。ジャケットすげえ。これはヌける。ハンコ注射の跡がうっすら見えるのもリアルだ。
曲自体もシンプル。最初タイトルとジャケ写を知ったときには「さよならソニンたん」と思ったもんだが、
フタを開けたら渾身の一作。このシングル、いろんな意味で“買い”かもしれん。つじあやの『風になる』。アレンジャーがCoccoと一緒なのね。軽い音をまとめて厚みを出すのが上手い。
本来きれいな声ではない感じ。むしろ英語を叫ぶのに適した声だと思う。レコーディング技術がいいな。
作詞のセンスは僕に非常に近いものを感じるなー。マサルや潤平に何言われるかわかんないけどさ。平井堅『大きな古時計』。機械音を混ぜるのは坂本龍一が15年以上前にやってるのよね。あっちの方がいい。
亀田誠治がイヤミなくらい丁寧に仕上げてる一方で、肝心の歌は息継ぎが下手な印象しか残っていない。松浦亜弥『The 美学』。アレンジャーは鈴木“Daichi”秀行。この人、『Do it! Now』『カレーライスの女』も担当。
これが何を意味しているのかは、今後つんく♂プロデュースを語る上で非常に重要になるだろう。
ラテンアレンジのプログラミングが濃い中で、松浦の声は楽器の音色のように溶け込んでしまっている。
スキゾな前作よりは評価できるが、逆に曲調が固まってることで松浦の個性が埋もれたのも否定できないな。
どーでもいいけど、歌番組での松浦って音を高い方にはずす傾向があると思う。それだけ上手いってことか。中島美嘉『WILL』は3トラック目のカラオケを聴いたんだけど、豪華なつくりをしてる。
わざわざクソ声を乗っけてブチ壊すようなもったいないマネをするこたぁないと思うんだけどなあ。◇
( ^▽^)<新庄! 亀山! オマリー! パチョレック! ←僕が野球にハマりだした頃なのですげーツボに入った。
後藤真希特番をやっていたから、ちょうどいい機会なので後藤真希論でも書いておくか。
……と思ったんだけど、本気で書けるほど暇がないので、余裕があるときに書きます。ごめん。
池袋にて熱海ロマンの打ち合わせ。マサルが大遅刻するのはもう当たり前の光景。
区役所近くのモスバーガーにて2ndアルバム収録曲の話し合い。雑談しつつ作詞のコンセプトを詰める。熱海ロマンのすべてのアイデアは雑談から始まる。だからまあ千鳥足のようなもんで、効率が悪い。
たまに大当たりを掘り出すこともあるけど、たいていの場合は途中で飽きて次を探し出す。
今日もそんな感じでフラフラしてたけど、最近はそういう状況でベストをつくすやり方が見えてきたので、
話せばそれなりにコンスタントに成果を出せるようになりつつある。当然、満足はしていないが。
とにかく、あとはマサル次第だ。コイツのムラっ気さえなくなりゃあ劇的に進むようになるんだけどな。帰りにジュンク堂で資料を買って(マサルに買わせて)、ベーグル買ってラーメン食って帰る。
予定がなかったので小平市役所に行くことにした。
小平市からはけっこう強力な資料を郵送でいただいたのだが、まだ公文書が足りないので探すのだ。小平と聞いたら一橋学園を想像するのが正しい一橋生なのであります。
そんなわけで今回は環七→甲州街道で国立に入り、そこから小平に行くルートをとった。
いざ走ってみるとけっこう時間がかかった印象。狛江経由の方が早くて楽ちんだと感じた。国立に到着。一橋大学の生協に行ったら、恩師にバッタリ出会う。それはもう、まるで絵に描いたように。
5分ほど立ち話。今の研究テーマとか話す。「あんまりやってること変わんないね」と言われてしまう。
先生は大田区役所が桃源社とか知っていた。この人にはきっとずっと勝てないなーと思った。孫悟空の気分。東のカフェテリアでメシが食えなかったのでふてくされながら小平分校へ。懐かしい道。
たった1年半で恐ろしいほど変わっていく国立とは対照的に、国分寺も小平も穏やかだった。
ところが小平分校に着いてみると、まるで別の場所に変わってしまったのに驚愕。
監獄にも例えられた本館は消え、放送大学の小ギレイな建物が正面に陣取っていたのだ。
その奥には国際交流会館(留学生のアパートね)が無言で建っていて、隣で巨大な書庫が建設中。
生協に行ってみると別の新しい建物に変わっていた。部室棟だけが汚いままでがんばっている。
逆を言えば整備が進んだおかげで周辺は前より少しだけ活気づいていた……気がしないでもない。
そんなわけでさらば小平分校。小ギレイなお前に用はないのだ。僕の中の小平は、曇り空の色だから。西武多摩湖線沿いに北上、肝心の小平市役所へ。資料閲覧コーナーにこもる。
小平市役所は指名プロポーザルで設計者が決まった。当選したのは三鷹と同じで石本。1983年オープン。
広報や市議会の記録などを眺めていると、公用財産としての意識が強く、市民に対して開いた形跡がない。
移転後は旧庁舎を公民館として利用しているのだが(多摩湖線を挟んだ向かい側に図書館とセットで存在)。
それぞれの市の姿勢の違いがハッキリと出ているのがわかる。小平もなかなか面白い例と言えそうだ。その後、青梅街道で西東京市へ。こないだの続きで保谷庁舎に寄ることに。
が、ド派手に迷ってしまい、情報公開コーナーに着いたのが16時半。慌てて資料をあさり出す。
しかし議会の記録を手にして茫然となる。なんと、手書き。泣きたい気分だ。
資料を読みこんでいくうちに頭がこんがらかる。1967年に保谷が市制施行、1968年市役所竣工。
当時は田無などの自治体との合併協議が話題のメインで、役所の話はかなり突発的な印象を受ける。
しかも。市長が1968年末に汚職で辞職してるらしい。もうぐちゃぐちゃでワケがわからん。
どうもなんか怪しい。まあ、あんまり深入りしないように気をつけるけどね。帰りに保谷庁舎向かいのバッティングセンターで自打球がちんこに当たる。
ちきしょーと思ってかっ飛ばす。周りの皆様とは打球の速さが違うぜ。腕は衰えていないのであった。
日比谷図書館に本を返しに行った。自転車。
帰りにちょっと渋谷のハンズに寄った。缶VAAMを買う金すらなくなってしまった。そういえばVAAMって効いているんだろうか?
これだけ走ってりゃ効いてようが効いていまいが体重は減るはずなので確認できない。
確かに言えることは、VAAMを飲んで走ると汗がやたらと出るということかな。
まあそれも摂取した水分が出ているだけなのかもしれないし。
謎だ。
今日は目黒区役所。市役所シリーズなのに区役所に行くのには、それなりの理由がある。
中目黒駅のすぐそば、駒沢通りに面して旧千代田生命本社の建物がある。村野藤吾設計。
これを目黒区が土地と一緒に買い取り改修して、来年1月から新庁舎とすることになっているのだ。
有名な民間の建築を庁舎として利用する。現在のテーマに大きく関係することなので、話をうかがった。破綻した企業の資産ということで、このことは急に決められた。昨年2月の1ヶ月間ですべてが決まった。
もともと目黒区は庁舎の分散が深刻な問題としてあり、この話はまさに渡りに船だったというわけ。
最終的には議会に説明をしたうえで区長が決断。あまりに急なプロセスに批判も多かったが、
その一方で建築の保存という観点からすれば英断、との意見もまた多いという。僕もそう思う。プロセスが急だっただけに、住民への説明にはかなり気を遣っている。
公募区民込みの委員会を設置し、何度も審議を繰り返してプランを練っている。
その結果は広報臨時号を出して詳しく説明している。現地見学会を実施したら予想以上に人が来たとか。
なお、移転にかかる費用は現庁舎の土地を売るなどして捻出するとのこと。
売却先についてはその用途をプロポーザルしてもらったうえで決定するそうだ。かなり先進的な例だ。しかしなんといってもすごいのは、HPの充実ぶり。ここまで資料を大胆に公開してる例は見たことがない。
……と思ったら、お話をうかがったのはそのHPを作成した方だった。すげえって言ったら喜んでくれた。そんな具合に話を聞けば聞くほど、開かれた行政の最先端って感じがしてすごく勉強になった。
「期限が決められているから、時間のかかる住民参加は本当に大変なんですよ。
プロセスもひとつひとつ地道に踏んでいかないといけないから手間もかかりますし。
でもそれをやるのが、もう当然ですから。やるならちゃんとやらないと」
という担当の方の言葉がめちゃくちゃ格好良かったのであった。
再始動。西東京市役所へ行く。
環七でうっすらと降っていた雨は、青梅街道に入るとそこそこハッキリとしたものに。
タオルと予備のシャツを用意しておいてよかった、と思いつつ荻窪の春木屋で中華そばを食べる。
ガムシャラに西へ走って田無駅前へ。そういえば2年前にも田無で降られたな、と思い出した。西東京市は2001年に田無市と保谷市が合併して誕生。21世紀最初にできた市ってのがいちおう、売り。
歩道橋なんかで「西東京市」って書いてあるのを見ると、なんとなくSFな気分。エヴァっぽい気分。田無庁舎は市長室・議会・その他事務の部署、保谷庁舎には都市計画・福祉系の部署が入っている。
今回詳しくお話をうかがったのは田無庁舎について。保谷庁舎は古すぎて資料が見つからないとのこと。
田無庁舎は1983年竣工。審議会の答申を受けて市民の意見を聞く会が3回開催されている。
この結果を通じて指名プロポーザルが行われ、設計が進められた。ちなみに、隣には図書館・公民館。
都下の現役市庁舎の中では遅い時期に建てられたこともあってか、かなり民主的に進められた印象。かつてさいたま新都心の研究をしてたこともあり、担当の方とは合併の是非についても話をした。
合併債で「はなバス」という市内循環バスを走らせたり、田無庁舎2階ロビーを拡張工事やったり。
(合併債とは、合併することで許可される借金。国が7割補助を出す。要するに合併促進のためのアメ。)
西東京市が現在取り組んでる問題を包括的に知ることができて、個人的にはかなり面白かった。その後、資料室で保谷庁舎をチェック。1968年竣工、革新市長主導のコンペらしいという程度しかつかめず。
保谷市史を見てたら記述の上にシールが貼られるなど、“公式な歴史観”を修正した痕跡があった。
どうも革新と保守のやりとりがけっこう激しかったみたい。今となっては笑える?話なんだけど。
時間がなくて保谷庁舎の情報公開コーナーには行けなかったので、今度小平に行くときに寄ることにする。帰りに図書館・公民館周辺を回る。プロポーザルのわりには各施設のオープンスペースの接続が悪い。
現在田無庁舎で工事している部分が完成すれば、もっと魅力的な空間に生まれ変わるかもしれない。帰り。やんでいた雨が再び。もう笑うしかない、って感じ。
黄緑のタオルを頭に巻いて、青梅街道を45km/hくらいでかっ飛ばしていたのは僕です。
腑抜け3連休の3日目。
どうも『ロックマン』シリーズ1~6のBGMを収録したCDが東京ゲームショウで販売されるらしい。
行く暇がないから手に入れられないけど、10月下旬にネットでも販売をするようだ。
まったくやることが10年遅いよ、カプコン。この日をどれだけ待ったことか。ぜってー買ったる。
土曜夜からマサルがやってきて、熱海ロマンの打ち合わせとウソラジオ録音。
途中でファミレスに移動して作詞。しかし力尽きて気がついたら眠っている自分。弱え。戻っていったん仮眠をとったら本格的に寝てしまっていて、潤平の電話で起こされる。格好悪い。
で、Re:オナくんに会っていろいろ練習。「継続は力なり」ってホントなのね。ああ……。終わってマックでダベっているうちに新曲の構想が。バンド名変更の可能性まで出てきてやんの。
どんどんアイデアが出てくるのはいいんだけどさ、まとまらないうちに次に興味が移るのはなんとも。解散して、髪の毛がうるさいので西小山に切りに行く。お祭りをやっていた。
ふとゲームソフト店のワゴンを見たら『カプコンジェネレーションVol.1 撃墜王の時代』が1000円。
買って帰って遊ぶ。やっぱり『1941』が収録されていないのが痛いなあ。移植されんかなあ。
ここんとこ走りまくってもういいかげん飽きたので、一日、すべてを忘れて呆けることにした。
とりあえずかなり久々に『ときメモ』やってみた。今のパソコンで動かすのは初めてだから……2年ぶりくらいか?
腕落ちたかもと思ったけど、全パラメータを200以上にしてキャラ全員から本命チョコもらって藤崎でクリアした。
オレ強い! オレ大きい!なんて強がってはみたものの……、虚しい。
いいかげん、環七と環八に飽きてきた。でもそんなこと言っているとどこにも行けないので、今日も走る。
今日は狛江市の図書館にこもって文献をあさるのであった。
が、市史は古い記述のやつしかないし、議会の記録も平成以降しか表に置いてない。
10日ほど前に聞き取りをした以上の資料が出てこないのだ。そのくせ遺跡の発掘記録はやたらと多い。ウンザリして戻る。そのまま個ゼミ。今の方向性で良いのか議論。
かといって代案も浮かばない。不安だらけの中、もう少し調査を進めることに。はぁ……。
府中市役所へゴー。
狛江経由のルートで旧甲州街道へ。広くて車が少ないステキな道だ。
府中駅前でメシを食ったら市役所へ。軽く話をうかがってから資料室にこもる。府中市役所は1959年に現在の西庁舎が完成。その後二度の増築を経て現在に至る。
この前の代の市役所である「旧府中町役場」は、大正時代に建てられたものだという。
現在の建物ができてからは図書館として利用され、今は「郷土の森」に移築されている。
東京都の重要文化財に指定されている(後で見に行こうとしたが閉園時間で入れなかった……)。
そんなこともあって今の市役所もいろいろ考えてつくったのかな、と思ったのだが、
どうも純粋に事務のための建物としか考えられていないようだ。この落差はすごく残念。
ただ築40年以上ということで、景気が良くなれば建て替えるつもりでいるらしい。
その際に何かしらのアクションがあるならばカッコイイのだが。府中の勝負どころかも。帰りは多摩川の土手をひたすら下ったのだが、向かい風に砂利道だったせいか、
とんでもなく疲れてしまった。家に着いても疲れすぎて何もできない。寝ることさえも。
たかが府中でこんなになるとは……不覚。
三鷹市役所へゴー。
環七で甲州街道まで出ると、井の頭通りを行く。井の頭線と平行して走る、穏やかで活気ある街並み。
途中で人見街道にスイッチ。「ひとみを信じてひた走るぜー」とか叫ぶ。アホ丸出し。
久我山を越えると三鷹市。道沿いに、大ざっぱに生産緑地がチラホラ。多摩って感じ。
多摩の雰囲気はやっぱりのんびりしている。緑が計画的でなく、乱雑なまま残っている印象がするのだ。
23区内のまとまった緑は、まず公園だもんね。あと大きな街道でも歩道が狭いのが、多摩の特徴かな。三鷹市役所は一応、市の中心にあるのだが、なんせ市の形がいびつなのですぐ南が調布市になる。
建物自体は隣の公会堂とセットで整備されているのが最大の特徴。両者をつなぐ通路が議会棟なのだ。
が、中庭は殺風景だしサンクンガーデンにはゴミが積まれている。いくらなんでもやる気なさすぎだ。担当の方があらかじめ資料を探しておいてくださったので、それを見るためにすぐ北の図書館に移動。
資料室で市史・市議会史・そして市庁舎を建てた市長(医学博士、けっこう名物市長みたい)の本を見る。
三鷹市役所は最初、特命で市長が谷口吉郎に依頼。でも忙しいってことで別の事務所が紹介された。
建てられたのは1965年。特命で公会堂とセットということで、かなり特徴的な例と言える。
しかし三鷹は交通の便が悪すぎるせいか、後にコミュニティ・センターが各地区に建てられて、
むしろそっちの方が市民に積極的に利用されているようだ。理想は高かったんだけどね……。この日は動き出したのが日差しが緩くなり出した頃だったため、図書館を出ると真っ暗。
東八道路→吉祥寺通り→甲州街道で帰る。が、夜道をひとり走っているとものすごい孤独感が襲ってくる。
僕がこうしてひとりで走り続けるのは、とことんまで孤独を感じてそれを乗り越えようとしているからなのかも。
誰も頼れない状況の中でひたすら前に進んでいく行為を体感しているからなのかも──なんて考えていた。環七の「なんでんかんでん」で晩メシ。海苔に「マネーの虎 Mr.なんでんかんでん出演中」って印刷が。
個人的には1杯700円は高いと思う。替え玉150円も高い。味もヒイヒイ騒ぐほどではないと思うけどなあ……。◇
家に戻ってテロ特番を見る。
日テレ、北野武はジャマ。たけしと“独占映像”という文句で煽って視聴率を稼ごうという姿勢は極めて下品。
ただしその映像自体は見ごたえ十分。シンプルにつくればNHK並みの内容になったはず。もったいない。TBS、ウザかった。過去を一切振り返らない姿勢、と表現できないこともないが。テレゴングも問題外。
そんなわけでNHKのつくるドキュメンタリーがいかに優秀かよくわかった。
平日の間は寝ても覚めてもだいたい修論のことで頭がいっぱいで、ため息つきまくりなわけです。
武蔵野市の資料をまとめるために研究室に行く。
が、先生から「ガラス張りの知事室を扱う方が書ける」と指摘される。確かにそうなのだ。
今、自分のやってることがムダになりそうな恐怖感はイヤというほど感じているのだが、
それがいっそう強くなっちゃって、絶望的な気分になる。困ったなあ……。
武蔵野市役所へゴー。
まずは環七をひたすら北へ。JR中央線にぶち当たって左折、高円寺へ。
ところが中央線沿いに西へ行くルートがないことに気がついて、青梅街道まで戻るハメに。
杉並区役所にまったく気づかずに荻窪まで進む。さらに進んで井草八幡宮で迷う。体力のロス。
井草八幡宮は表の入り口も裏の入り口も、ものすごく威厳がある印象。並んでる木々が立派なのだ。
で、迷った挙句に見覚えのある場所に出た。一橋時代にお世話になった先生宅の近所だ。
こうなりゃしめたもんで、いったん先生宅の前まで行って吉祥寺通りに出る。これでバッチリ。
吉祥寺で昼メシ。頃合を見計らって市役所へ移動。係の方にひととおり資料をいただいてから、情報公開コーナーにこもってさらに資料をあさる。
武蔵野市役所は1980年に完成。もともとは市民センターとしてホールと一体で整備する計画だった。
市民込みの委員会がそのように話を進めていたのだが、庁舎とホールの分離が議会で決定。
その議会への説明の段階から日建設計が関与しており、結局そのままあっさり建っちゃった。
後にホールを具体化した文化会館が旧庁舎跡地に建てられることになったのだが、
こちらも市庁舎と同じように設計者がいつのまにか内定して議会に説明する具合。
そういった経緯があったためか、今年8月には吉祥寺シアター(仮称)の指名プロポーザルが実施された。
市庁舎1階ロビーにその資料が展示されてた。審査はすべて公開で行ったらしい。市史・市議会史・広報を調べていくとそれなりに当時の様子がうかがえた。
資料をあさっていく感覚がだいたいつかめたのが、一番の収穫だったかもしれない。帰りはやっぱり吉祥寺に出て、少しだけブラついてから井の頭通りを進む。
環八に入って高井戸で一服。瀬田から246号で戻るのであった。
ふらりと武蔵小杉へ。駅周辺をブラブラしてから、等々力緑地に行ってみる。
敷地にはプール・テニス場・陸上競技場・野球場などがあり、市民ミュージアムとアリーナが建っている。
陸上競技場では川崎市の陸上大会をやっていた。開放されていたので中に入ってみる。
J2・川崎フロンターレの本拠地。青い芝を眺めながら試合風景を想像してみる。
今度、サッカーの試合を観戦してみようかな、と思った。それにしても川崎市はどうしてあんなに道が荒れているのだろう。
いや、道だけじゃなく、等々力緑地の細部も荒れている。なんとなく、薄汚いのだ。
世代を問わず人が多く集まってそれぞれに休日を楽しんでる姿はいいんだけど、
それでも落ち着かない騒がしい印象がしてしまうのは、細部の荒れが原因だと思う。
まあ、なんでもキレイにしちゃえばいいってわけじゃあないんだけど。
この合宿中、男子はほとんど全員が『あしたのジョー』にハマりまくった。僕も必死で読んだ。
スタートから余裕をもって進んでいく。もっとすぐにボクシングに入りこむと思ってたので意外だった。
もうひとつ意外なのは力石が死ぬタイミング。もっと遅いと思ってたのね。寺山修司も騒いだわけだし。
通して読んでみると、ジョーの天才ならではの狂気がしつこく丁寧に描かれていて、
潤平が「色気がある」と評したのがなんとなくわかる気がした。いずれ文庫版を買うことにする。それにしてもマンモス西、顔変わりすぎやん!
2日目。だいぶ体調は良くなってきて、ふつうにこなせた。
自分の番ではテーマのケツの穴が小さくなってきたと指摘される。
理想ばっか追いかけても埒があかないので現実の方にベクトルを振ってみたのだが……。
打開策はひとつしかない。それは、聞き取りを粘り強く続けること。話を聞くことでつかんでいくしかない。
研究室の合宿で八ヶ岳へ。着いて即、ゼミ。
ところがなんとなく寒い。頭が痛い。自分はそんなにヤワじゃねーや、と思ってたのだが、
しゃべるにしても力が入らない。スツールに座ってると背もたれがないせいでやたら疲れる。
そんな感じで日付変わるころにあっさりダウン。まいった。夜、温泉に入ったときに体重を測ったら、60.5kgまで落ちていた。
まあ、粗食に運動三昧の毎日だから当たり前かもしれないけど、素直にうれしい。
マネジメント能力とでも言うのか、かっちりスケジュールを組んで動くことに僕は絶対的な自信がある。
しかし、想定外の事態で今日の予定がすべてキャンセルになってしまった。
そうなるとムダにならないように一日を過ごすのが難しい、というのが初めてわかった。とりあえず借りてる本を読んでから、研究室へ。明日からの合宿に向けてレジュメづくりを開始。
晩飯を食った頃に家に戻って休む。早起きして仕上げることに。ヒー。
なんとなーく借りてきた、アメリカTVドラマのテーマ曲集。これがすごくいい。
特に『チャーリーズ・エンジェル』がいい。気がつくと頭の中で流れてることが多い。
あとノリがいいのは『ハワイアン5-0』。『秘密諜報員ジョン・ドレイク』なんかはスカパラで演ってほしい。
こういう音楽をビジネスで書けるっていうのがすごいと思う。ぜったいできないからうらやましい。そういえば渋谷からの帰りに槍ヶ崎の交差点の辺りでロケ準備中の中山秀征を見た。
なーんか僕の出くわす芸能人って、微妙なんだよなー。
狛江市役所に行ってきた。聞き取り。
2年前の今ぐらいにも自転車で行ったんだけど、そのときとまったく同じ炎天下。狛江市役所は正面向かって左半分が議会、右半分が事務棟。
隣には公民館と図書館があるんだけど、実はこっちの方が2年ほど先につくられたとのこと。
後で聞いたのだが、市役所建設を円滑に進めるためにセットで整備する計画にしたそうだ。記者クラブが空いてたのでそこでお話をうかがう。
担当の方は設備面での現場の苦労を語ってくださった。つまりは、つくった後の苦労について。
僕はつくるプロセス、つくるまでをテーマにしており、この点についての意識は薄かったのでいい勉強になった。
専門家ならではの姿勢を目にして、まだまだ足りない自分を実感。まあ、そのために聞き取りしてるんだけどね。HPで公開するのはアレだと思うので詳しくは書かないけど、担当の方の過激な主張がすげー面白かった。
狛江は市長が●●党だから●●●●だとか、住民なんか●●だから●●●●なんてムダだとか。
とても「長野県出身なんですよー。田中康夫圧勝ですよー。住民参加勉強してまーす。」とは言えなかった。ええ。
でもそういう人に限ってサービス精神旺盛で、親切で、人懐っこくて話してて楽しいんだよね。
聞き取りの後でもふつうじゃ見られないいろいろな設備を見せていただいた。
市長が見に来ないところとはいえ、ホントに●●を壁に貼りつけてるとは思わなかった。なんか微笑ましかった。聞き取りを終えて思ったのは、すべての市に話を聞かないといけない、ということ。
そしてそれを終えたとき、僕にしかできないことを見つけなければいけない。◇
夜、田中康夫当選関係の番組を見つつ、『こちら本池上署』をチェック。
高橋は正統派でかわいいね。5期メン人気No.1の貫禄を見た。
早かったなー、当確出たの。