diary 2002.10.

diary 2002.11.


2002.10.31 (Thu.)

総務省に行ってきた。やっぱり自転車で。霞ヶ関。

市庁舎をつくる際には基本的に、土地も市有地なら建設費も全額市で出すことが絶対条件。
(上空を自衛隊の飛行機が飛ぶ場合には、防衛庁から補助が出ることはある。)
ただ、国が定めた一定の基準をクリアすれば市債を発行することが認められる、という制度がある。
逆を言えば、市庁舎を設計する際にはその基準をもとに数値を割り出していく、ということになるわけだ。
今回はそのことについて聞き取りに行った、というわけ。

『地方債の手引き』ってのが毎年発行されていて、それをもとに説明を受けた。
ただその制度の変遷についてはよくわからない、との回答。まあ担当の方は現在の制度が専門だから当然なのだが。
国の規模になるとけっこう縦割りがキツくて、僕みたいなセクションを横断する疑問に的確に答えられなくなる。
かといって基礎自治体の方でも話が古すぎて担当者がリタイアしちゃっているわけで、
どうもこの点については文献をチェックするか、それこそ『地方債の手引き』を毎年追っていくしかない感じ。
トホホである。

ついでに秋葉原に行ってCymbalsのニューシングル『Love Thing』を買った。悪くないデキだ。特別良くもないが。
くだらねえニセモノのブラックミュージックが売れているのが気に入らない。それなら本場の洋楽聴けよって感じ。
そんなわけでCymbals、もっと評価されていいと思うんだけどなあ。ううむ。


2002.10.30 (Wed.)

ロックマンのサントラCDが朝イチで届いた! いっぺんに目が覚めた。
ロックマン──特に『ロックマン2』は僕と潤平にとってもはや崇拝の対象にすらなっているゲーム。
小学校の卒業文集で「尊敬する人」の欄にマジで「Dr.ワイリー」と書いてしまうぐらいハマったもんだ。

開封。レーベルを見て感動。ドット絵のロックマンにドット絵の敵キャラ。最高だよ、このデザイナー。
ドキドキしながらCDをセットして再生ボタンを押す。思わず指が震えたのは気のせいじゃない。

『ロックマン』。最初のステージセレクトBGMからもうクラクラ。
ファミコンの音源はPSG×3+ノイズ×1だったと思うけど(『ラグランジュポイント』みたいなチップ搭載ソフト除く)、
限られた音源の中で和音をどう表現するべきか、とことんまで工夫しているのが伝わってくる。
だからハモりの当て方が尋常じゃない。主旋律に対して単純に2音低く当てて済ませる、てなことはやってない。
時にはベースとの絡みを優先させて音を選び、時には2音低くハモらせて安定感を出し。このバランスが絶妙だ。
しかもリズムの方ではラテン系のパーカッションを意識している印象を受ける。まさに古き良き時代だね。

『ロックマン2』。オープニングを聴いて意識がタイムスリップ。ニヤニヤ、口元が緩んでしまう。
前作に比べて音色はハッキリしたものになっている。でも和音への意識はまったく衰えていない。
何より、曲の構成が素晴らしいのだ。心を惹きつけてやまないメロディ、それを包み込んでいるアイデア。
それぞれのボスの特徴を反映したステージ、そのイメージを最大限に表現しきっている。
音楽ってのは音の連続なんだけど、音をつなげることで世界観を描き出す──決して、大袈裟じゃない。
聴けば聴くほど「ああ、なるほど、うまいな、ちくしょー」が増えていく。いくら聴いても飽きない。

『ロックマン3』。ここでロックマンのBGMは一度、完成をみる。もうこれ以上何もできない感じ。
今作から具体的なイメージを曲に落としづらいボスが出てくる。ゆえに曲じたいの“わかりやすさ”は前作に劣る。
しかしシャドーマンBGMにあるように、「型」を破ることで新しい魅力を引き出すことに確実に成功している。
なにより、音色(特にリズム)は完全に完成形になった。タップダンスのような軽快なリズムが心地よい。
堅実な踏襲であり、最終的な到達点であり、未来への実験作であると言えるだろう。
ゲームじたいも1・2の総集編かつ4以降への出発点である。それを象徴するBGMはハイレベルの極みだ。

『ロックマン4』。印象に残っているのはコサック3・4面とワイリー3・4面だけ、という状況。
3で完成しちゃったからムリしている感じがしてしまうのだ。音色をエフェクタでごまかしてるイメージがあるのだ。
和音へのこだわりも明らかに薄れている。聴いていて物足りなさが残るし、リズムにも違和感がある。
まあ4以降はゲームじたいも「もはや芸術の域」ではなく「よくできたアクション」として定着していったわけで、
そういう意味では「よくできたカッコイイBGM」というレベルはクリアできている。
3まで(もしかしたら2までかもしれないけど)の“職人芸”から“ビジネスとしてのタスク”へ。
それはロックマンが広く受け入れられていったから当然のことなので別に悔しくもなんでもないけど、
でもなんだか「まぁね」って苦笑いしたくなるのだ。そういうBGM。「努力はわかるが、ビジネスだね」っていう。

『ロックマン5』と『ロックマン6』については、もうほぼ完全に忘れてしまっている。
でもまあ4と同じで“カッコイイ”。それ以上でも以下でもない。たまに聴いて「うんうん、そうだった」。……それでいい。

そういうわけで、さっそく3までのBGMをMDにまとめて聴きまくる。
最後にちょこっと書いておくと、これを今になって発売するところに現在のカプコンのしょーもなさがあるわけだ。
もしこれが10年前、いや5年前に出ていればって心底思う。ロックマンが腐る前に出せば面白かったのにね。


2002.10.29 (Tue.)

アポ取りを再開してみる。

まずは残りの市に電話攻勢をかける。一応、26市ぜんぶに種をまいた格好に。
あと建築事務所にも。とりあえず都下No.1の実績を誇る石本建築事務所に電話。
そしたら東工大OBの方が対応してくださった。こうなると話は早いのね。縦のつながりの重要性を認識。
最後に総務省にも電話してみる。昔の自治省。市庁舎建設の際の市債についてである。

まあそんな感じで一丁あがり。てなわけで、そろそろ本調査を真剣に考えないといけない。胃が痛い。


2002.10.28 (Mon.)

国分寺市役所にあらためてゴー。

環七→井ノ頭通、途中で五日市街道にチェンジして、延々と西へ走る。本当に延々と。
府中街道から恋ヶ窪駅に向かい、国分寺市役所に無事到着。

国分寺市役所は1963年オープン。市制施行直前に竣工したのだ。
なんとなく武蔵国分寺を意識したっぽい意匠かも。実際、正面玄関脇に五重塔の模型が置いてあるし。
で、市役所についての文書公開請求は「見つかりませんでした」という結果に終わった。
だけど市報のバックナンバー見てみると特命っぽい。設計したK構造研究所の名前がけっこう出てくるし。
1960年代は小学校を鉄筋コンクリート化する動きが各地で活発化していた時期である。
各市では学校の建設ラッシュが終わってようやく庁舎を、というパターンが共通してみられる。
その際に学校建築での実績が考慮に入れられ、設計者選定の大きな要素になってくる、というわけだ。
国分寺でもK構造が学校の鉄筋化をやっていて、それが影響したように予測している。あくまで予測だけど。

第三庁舎の1階にある情報公開コーナーでその辺についての資料をあさる。
国分寺は市史がわりと細かくて(一橋の名誉教授だった増田四郎がやっていた)面白かったのは意外な収穫。

国立経由、旧甲州街道ルートで帰る。特に何かあるってわけでもないけど、なんとなく国立には寄っちゃうね。


2002.10.27 (Sun.)

今、NHKスペシャルで『変革の世紀』ってシリーズをやっている。
坂本龍一のテーマ曲は大して面白くないんだけど、まあそれはおいといて。

今週は「第5回 社会を変える新たな主役」ってことで、NPOに焦点を当てた内容だった。
行政だけが税金をもとになんでもかんでもやっていくという時代は終わりにきていて、
これからはきめ細かいサービスのできるNPOが社会を円滑に動かしていく、といったもの。

で、考えた。市役所の意義。市庁舎をテーマにすることの意義。
ゼミで指摘されたのはまさにこの部分で、「市役所が機能不全に陥ってんのにお前はそれをやるんか」ってこと。
逆を言えば、今後の行政は姿を変えていくはずで、その流れを捉えないことには意味がないってこと。
特にピッツバーグではNPOの集まっているビルが「第二の市庁舎」と呼ばれているそうで、
そういった現実を見つめたとき、“第一の”庁舎ばかりに神経を集中したら片手落ちではないのか、ということ。

まあそんなわけで、自分の考えは古いのか、やっていることはムダなのか、とウジウジ考え出す。
無意味というわけではないだろうけど、今のままじゃ過去を振り返るだけで終わりそうな気がしてならない。
未来に向けて投げかける内容にできるかどうかが勝負どころなのだ。特に「工学」ってことを考えると。

悩みは尽きないのである。


2002.10.26 (Sat.)

歳をとると筋肉痛が2日後にくるとか言うけれど、まあそんな感じで急にダウナーな気分になる。
ここんとこの聞き取り&ゼミ発表&人生相談で消耗しきってしまった、ってワケで。
正直真っ只中にいる間は、そんなにヘビーなことをやっている感覚はなかったんだけど、
一段落ついた瞬間に、張りつめていたものが一気に崩れたとでも言いましょうか。

そんなわけで一日中ひきこもってました。『ロックマン3』をクリアしたり。相変わらずドクロボットは強いなァ。


2002.10.25 (Fri.)

昨日の疲れが出たのか、起きたら正午。遠出できないので、近場で作業をすることにした。
狛江の市報・市議会報をまだチェックしていなかったので、それをすることに。

狛江市役所の隣にある図書館で資料を出してもらう。それを延々と調べる。で、延々とコピー。
来る日も来る日も黙々と単純作業を繰り返すのは、ホントに精神的にキツい。パーッとやりたいなあ、パーッと。


2002.10.24 (Thu.)

ゼミ。出番である。レジュメは昨日の夜中に仕上げることができたので、それをもとに説明。
いい意味でだいぶキレたデキになった(と個人的に思っていた)ので、わりと余裕を持って対応できた感じ。
にしてもやっぱり足りない部分があるわけで、その点を徹底して突かれた。
着実に前進しているとは思うんだけど、それで満足するわけにはいかんのである。キリがないのである。
でもやるのである。

で、終わってすぐに人生相談。
僕の方はすごく勉強になったんだけど、先方にわざわざ時間を割いていただいた甲斐があったのかは疑問。
一応、自称「自信作」のレジュメを渡しておいたけど、なんとも……。悩みは尽きない。


2002.10.23 (Wed.)

四半世紀。アホを垂れ流しつつここまで来てしまった。

明日がゼミということで、研究室で必死のデータ整理。それで一日つぶした。


2002.10.22 (Tue.)

多摩市役所へゴー。

府中まで出て、多摩川を渡る。鎌倉街道の一本西側の通りを上ると、そこは多摩市役所。

多摩市役所は1969年オープン。ただし現在の玄関となっている棟は1983年に増築されたもの。
この増築の経緯が面白い。というのも、多摩ニュータウンの建設と関係しているため。
どうやら京王電鉄サイドで多摩センター駅近くに市役所用地を用意していたようだ。
でも移るだけの予算がなかった。議会でもめた末に、現在地に増築ということで落ち着いたみたい。
ちなみに現在パルテノン多摩が建っているのが、件の市役所用地のようだ。すっごい政治の匂い。

帰りは例のごとく旧甲州街道で。一度地獄を体験しちまえば怖いものなんてないな、なんて思いつつ。


2002.10.21 (Mon.)

稲城市役所へゴー。

今まで、晴天や曇天に恵まれすぎていたのだ。
雨で濡れた記憶は西東京のときだけで(→2002.9.17)、しかもそれはほとんど霧雨のようなもんだった。

二子橋を渡って川崎に入った時点で、すでにほとんどずぶ濡れ状態。それでも根性だけで府中街道を行く。
ほぼ南武線と平行に走っているので、電柱の地名表示がカウントダウン代わり。黙々とペダルをこぎ続ける。
しかし宿河原でガマンの限界が来た。コンビニでビニールの合羽を買い、再びペダルをこぐ。

しかも! 登戸で道に迷う。府中街道が高架化して車しか通れない、川で道が分断、と悪条件が重なる。
おまけに専修大学が近くにあるらしく、人の流れに惑わされる。やっとの思いでJRの方の駅前に出る。
吉野家で牛丼を食ったらなんとか元気が出てきた。気合を入れ直して再び走りだす。

今度は多摩川沿いに走ったのだが、道幅が異常に狭い上にトラックが容赦なく通る。
雨の中、これ以上この道を行ったら絶対に死ぬ!と確信。中野島から住宅地に入り、ヨロヨロしつつ西へ。
寒いし先は見えないし誰も助けてくれないし。でもペダルを一歩一歩こいでいく。もうほとんど修行僧だ。

稲城市域に入って矢野口も越えて、いざ市役所へと思ったが、やっぱり道に迷った。
通りかかった郵便局にぐちょぐちょの状態で訊いてみる。おじーちゃんは親切に教えてくれた。

稲城市役所に入ると、まずトイレで着替える。着替えをビニールに包んで持ってきたのは大正解。
担当の方に資料を貸していただき、情報公開コーナーを拠点にひたすらコピー攻勢。
上半身はふつうなのに、替えのない下半身はぐちょぐちょ。本気で気持ちが悪い。
おまけに濡れている服を広げて乾かしているのでちょっと肩身が狭い感じ。ツイてないときはこんなもんか。

稲城市役所は1981年オープン。多摩ニュータウンもあって人口を14万人で想定したが、現況はその半分。
おかげで増築を想定したという駐車場は今もそのまま。ホントにちっちゃなオープンスペースもそのまま。
あと珍しい点は、議会の議場が隣の消防署の上に増築されている点。こういう事例はなかなかない。

市役所を出てようやく気がついたけど、稲城市役所は現在耐震工事中で、全体が白い布に覆われていた。
ファサードが布でできている大規模建築ってないなあ、とふと思う。当たり前なのかもしれないけどね。

鶴川街道→旧甲州街道で帰る。たぶん、今後これよりもつらい旅はないでしょ、ってくらいキツかった……。


2002.10.20 (Sun.)

池袋にて熱海ロマンの打ち合わせ。
こないだ直した歌詞が審議になったのは残念。でも新曲の構想がゆっくりと膨らんでいったのはプラス。
本当にペースが遅いけど、ちゃんと活動していますんで見捨てないでやってください。

帰りに東武の地下でベーグルを買ったんだけど、いつのまにか売り場が広くなっていた。
しかも売っているベーグルはできたてですごく柔らかい。このフワフワのベーグルが気絶するほどうまいのね。
潤平くん、フェチがどーこー言う前にフワフワのやつを食ってみなさい。うまくて卒倒するから。


2002.10.19 (Sat.)

腑抜けていたけど、夕方に研究室に行ってデータを入力した。だいぶ揃ってきた。

どーでもいーけど、今ナイキのCMで流れている曲、『Always Look on the Bright Side of Life』なのね。
僕はナイキが好きじゃないので、なんとも複雑な気分。

ちなみにナイキが嫌いな理由は、靴が履けないから。僕の足、幅が異常に広いから外反母趾になっちゃうんよ。


2002.10.18 (Fri.)

調布市役所へゴー。

「市庁舎について聞きたいんですけど」と問い合わせをしても、どんな人が出てくるかは各市バラバラ。
調布市では、かつて市民会館の現場に携わっていた方が応対してくださったのであった。
一概には言えないけど、事務一筋の人よりもともと現場で何かを専門にやっていた人の方がいい話を聞ける。
相手が無意識に持っている“話したい”気持ちを、体験談というカタチで引き出せれば、勝ち。
そうやって掘り出した話は、間違いなく面白い。で、今回の聞き取りも充実していたわけで。

調布市役所は1971年オープン。当時にしては珍しい8階建て。
これは玄関前にオープンスペースを整備することで、高層化を東京都に認めてもらった、とのこと。
公開空地で容積率が緩和される総合設計制度が生まれた翌年の竣工だから、かなり先駆的な例である。
その後、1995年に文化会館「たづくり」が隣の工場跡地に建設されて現在に至る。
今の市役所前オープンスペースはそのときに整備されたものなのだそうだ。
ちなみに「たづくり」はもともと図書館の改築計画からスタートしたそうだ。
隣の福祉会館のホールは大きすぎるとか、いろいろ要望を一気にまとめて、でっかくつくったみたい。

聞き取りを終えると情報公開コーナーで資料をあさる。17時を過ぎてからは「たづくり」の図書館に移動。
「たづくり」の図書館で『メジャーリーグ選手事典』なる本を発見。めちゃくちゃ分厚いの。6000円。
ほとんど無名の選手についてまで、異常に詳しく記述してあった。これはオタクだわ、と圧倒されるのであった。


2002.10.17 (Thu.)

武蔵村山市役所へゴー。

朝起きると、立川の基地跡地(市役所移転予定地ね)を一気に北上して五日市街道に出る。
砂川三番の交差点から都道55号であっという間に到着。

武蔵村山市役所は1977年オープン。僕と同い年。
時間に余裕があったので、アトリウム内の情報公開コーナーで資料をチェックしておく。
約束の時間になってから管財の方に話をうかがう……が、こちらが本格的に調べていることが伝わっていなかったようで、
なんとなく中途半端なやりとりに終わってしまった印象。まあ、広報系の資料からある程度読めたけど。
オープンスペースの状態や隣の市民会館の様子をざっと眺めてから江戸街道まで戻る。
途中のマツモトキヨシで缶VAAMを買う。あとポッキーが安かったので、これも買った。

江戸街道→桜街道で東大和市に入ると、すぐに森永の工場が目に入る。
東京のアロエヨーグルトはここでつくっているのれす。初めてアロエヨーグルト考えたヤツ天才。( ´ⅴ`)ノ□

そのまま青梅街道に合流。小平を横断して小金井街道を南下する。そのまま武蔵小金井駅まで。
小金井市役所の第二庁舎に到着すると、10日前にできなかった市報のコピーの続きをやる。
広報課の方には本当に親切にしていただいた。作業が終わると全力でお礼を言って自転車にまたがる。

来た道を五日市街道まで戻って玉川上水脇を東へ。まだ時間があるので武蔵野市役所へ。
武蔵野市役所は前に来ているんだけど、詳しい資料があったよ、と職員の方から連絡をいただいたので確認する。
市史の史料編だったんだけど、新聞記事まで網羅している内容にびっくり。詳しすぎるくらいだ。

あと、やっていなかった市報のチェックなどを終えると全速力で研究室まで戻る。
なんとか終わるまでには間に合ったんだけど、ここんとこゼミに遅刻してばかりで本当にバツが悪いのであった。
ごめんなさい。

家に帰ってポッキーのプレゼントのやつ、やってみたらなんと当たってしまった。
ムースポッキーのホワイトでヴィーナスムースCDが当たるって、なんかすごい運命的やんか! ねえ、ねえ?


2002.10.16 (Wed.)

ドラム教室、休みだけど知らなくてスタジオに入ってたたいちゃったよ。
ずっとタム回しやってたら軽いトランス状態になってしまった。今度このリズムで曲を書いてみようか、なんて。

夜、国立に移動。部室に行ったら現役の皆様が牛めしを食っていた。そのままバカトーク&麻雀観戦。
モー娘。ドンジャラは去年盗まれたので接待ドンジャラができないんです。こんなの悲しすぎる!

うまい棒をかじっていて、ふと気になって「ねえ、このうまい棒のキャラってなんて名前なのかなあ?」って訊いてみたら、
「『うまえもん』ですよ!」とキレイにハモって返ってきた。こんなサークルでがんばっているキミたちはステキです。


2002.10.15 (Tue.)

人生相談である。
……というのは冗談で、アポを取っていた東工大の先生と、修論と進路について話をすることに。
でもまあ進路についてはそれほど真剣に考えていないので(うーむ……)、
話しているうちに話題はどうしても修論の方に寄っていく。
とりあえず今考えていることと、それを論じるための手段についてアドバイスをいただく。
先方の都合で1時間半ほどしか話せなかったが(それでもずいぶん長いんだけどね)、
いろいろと参考になるお話をうかがうことができた。もうあと何回か話せるといいんだけど。


2002.10.14 (Mon.)

日本インテリア学会の大会が武蔵野美術大学で開催されるってことで、circo氏と一緒に行ってみる。
今のこの学会の会長がcirco氏の大学時代の先生ということで、まあそれなりにいろいろあるようで。

国分寺で西武国分寺線に乗り換えた。circo氏と一緒に乗るのは5年前、大学の合格発表の日以来。
一橋学園に行く多摩湖線に乗るつもりが、間違えて乗ったのだ。もう一度ふたりで乗る機会があるとは思わなかったなあ。

で、ムサビに着く。芦原義信のモダンスタイルは放任というか、投げ出した感じの空間。
美術系の大学だから、変に過保護なデザインよりはいいと思う。休日だから閑散としていたのが残念。
circo氏の同級生の方々、あと会長のセンセイにサツアイをかまして過ごす。アホがバレないように取り繕いつつ。
梗概集を見たけど、内容はどれもすごく個性的。学問領域として固まっていない分、やりたい放題なのがわかる。
ただイマイチ方法論がアヤシイ印象も受けた。東工大ならボロクソかも、という研究も正直チラホラ。

午前・午後と、circo氏と一緒に発表を聞いて過ごす。
インテリア学会ということで、家政系の研究や企業研究者の参加が目立っている。
参加してみて、デザインという曖昧なものを自分なりに学問という形で消化しよう、という意欲を感じた。
解釈は人によって違うから本当に難しいことなんだけど、こういう地道な努力が重要なのかも、と思う。

インテリア学会主催の各種学校の卒業制作展を見て帰る。潤平がいたらボロクソなんだろうな、って感じ。
東工大がさりげなくやってることは、実はすごくレベルが高いことなんだ……なんて思った。うーん……。

その後は新宿・パークタワーでムサビのコレクションしている椅子を展示する企画をやっていたので見に行く。
いわゆる名作椅子がズラリと並んでいて、自由に座れるようになっているってやつだ。
実は3年前にムサビでほぼ同じ企画があってそれに行っているんだけど、当時は僕以外に2~3人という状況。
それが今年はものすごい人出で思うように座れない。いくら椅子が流行だからって、これは多すぎ。
3年前にコレクションをすべて座りつぶした僕としては「今ごろ来てんじゃねえよ!」って言いたくなるくらい。
まあ流行の先を読んでいたって意味では、悪い気はしないんだけどね。

晩メシを一緒に食って、circo氏は帰っていった。いろいろとどうもありがとうでした。


2002.10.13 (Sun.)

父親のcirco氏が上京してきた。潤平と3人でどこか行くことに。大岡山駅前で相談した結果、横浜へ。
国際客船ターミナルが目的地。一応、卒論でも扱ったのだが当時はまだ建設中で、訪れるのは初めてになる。

東横線に揺られて桜木町へ。久々に来たら、みなとみらいはすっかりできあがってた。
赤レンガ倉庫に感動しつつ(周りに何もないのが残念だったけど)、客船ターミナルへと向かう。

横浜港国際客船ターミナルはアレハンドロ=ザエラ=ポロとファッシド=ムサヴィの設計。国際コンペ。
全体がスロープでできていて、1階がいつのまにか2階になっている……そんな感じの建物なのだ。
設計図は知ってたけど、実際に行ってびっくり。全面板張り、ところどころ芝生。この組み合わせが絶妙。
まるで海に突き出た陸の甲板って感じ。つまり、船そのもの。でも起伏があるから陸地の感覚も残っている。
天気が良かったせいもあって、いるだけですごく気持ちがいい。周りの人もなんか楽しんでいるのがわかる。
こういう空間を思いつくってのはアタマやわらかいなー、と思う。子どもはきっとたまらないんだろうな。

ターミナル内のカフェで一服してから元町に行ってみることに。
街並みがすげえ。すべての店が1階部分を2mほど後退させてアーケード代わりにしている。
最低限のルールとそれをもとにした多様性。横浜ってのはホントに上手いというか、カッコイイ街だ。

ものすごい人でごった返している中華街でチャーハン食って帰る。
親が上京してきてどこかの街に一緒に出かける日はたいてい有意義に過ごしているのだが、
今日は最高レヴェルに面白かった一日だった。よかったよかった。


2002.10.12 (Sat.)

HQSの先輩の結婚式。少年ジャンプの編集者をされているので来賓に興味津々。ちょっと早めに会場の舞浜へ。

ドトールで『十五少年漂流記』を読んでいるうちにダニエルっちと合流。ふたりでイクスピアリを徘徊。
するとリョーシ氏から到着したと連絡。合流して今度は3人で徘徊する。僕とダニエルをリョーシがつっこむの図。

時間になってHQS時代の先輩方と合流したのだが、ここんとこの激しい市役所行脚でけっこう痩せたうえに
髪の毛を無造作に立てていたせいか、最初「誰?」って反応をされた。そんなに変わってないと思うんだけど……。
みやもりはカジュアルで来ていやがった。あややのライヴにひとりで行ってPPPHにヒいたという話を聞く。
(僕・みやもり・リョーシ・ダニエル・マサルの5人が大学の同期なのだ。いまだにバッチリ仲が良い。)

懐かしい先輩方と挨拶をしているうちに二次会スタート。そしてマサルが遅刻して合流。
合流してすぐビンゴが始まり「69」でビンゴになるマサルはやっぱり何かの星の下に生まれたとしか思えない。

新郎新婦を特集したジャンプ型パンフが配られたのだが、表紙を『ボーボボ』の澤井先生が描いているのね。
会社の色が出ていてかなり面白い(ちなみに澤井先生は茶髪で背が高い、気さくでおとなしそうな人だった)。

まあ僕ら5人は欠食児童なわけで、全然知らない人たちから食料を分けてもらいつつ食べまくる。
そうこうしているうちに無事に会は終了した。店の前でえらく長い間ダベって過ごすのであった。

久々に先輩方に会って“古き良き時代”がまだまだ現在進行でいけることがわかって、嬉しかった。
学生の時間の過ごし方は本当に贅沢なんだな、と改めて実感したしだい。


2002.10.11 (Fri.)

青梅市役所へゴー。

まず国分寺市役所に寄ることにした。前日電話して、資料公開請求をしたらどうか、と言われたので。
担当部署に問い合わせたら市史や広報を引っぱり出していろいろとチェックしてくれた。親切ナリ。
でも決め手になる資料は見つからずじまい。改めて請求を出して、それを受けて正式に探してもらう形になった。

府中街道から青梅街道に出る。東大和市に入って北上、多摩湖の南を行く格好になる。
青梅街道もこの辺は飯田の田舎と大して変わらん。ただ、さすがにトラックが多い。おかげで走りづらい。
そのまま武蔵村山市に入る。しばらく行くと市役所。でも今日は青梅の予定なのでスルー。
そのちょっと先にある村山織物協同組合の木造の建物が歴史を感じさせて流石なのであった。

瑞穂町に入り、せっかくなので役場を見ていくことに。増築をしたせいで正面が通りから隠れてしまった印象。
隣は町民会館で、役場の2階と鉄骨のテキトーな橋でつなげてある。なんだか改修中っぽかった。
周りをぐるっと一周しただけだったけど、「役所」と「役場」の違いはなんずら、となんとなく考えてしまった。

そして青梅。とりあえず東青梅駅前のスーパーでパンを買ってかじる。日差しがまぶしい。

食べ終わって青梅市役所に行く。1961年オープン。全体的に汚れて黒くなってしまっている。
駐輪場のコンクリートも剥げている。おかげで正面の囲われた芝生はキレイな印象が残った。

文書をまとめた資料室に通されて、当時の公式文書を直接見せていただいた。
設計者は議会で候補を絞っておいて、理事者が決めたようだ。当時にしては珍しい。
議会史や当時の広報をコピーしていただいた。本物の資料をわざわざ見せてくださり、ありがとうございました。

新青梅街道で帰る。瑞穂町は大味な工場・大型店とちょっと歴史を感じさせる住宅が混じっている妙な空間だ。
武蔵村山・東大和・東村山の村山3連発を東へ突き抜け、小金井街道で東久留米に入る。
こないだ東久留米に行ったときに議会系の資料をコピーする時間が足りなかったので、それを補完するのが目的。
図書館と市役所に寄って残りの分をコピー。終わると西東京に出て青梅街道→環七で帰宅。
一番遠いやつが終わってとりあえず一安心。でも、まだまだ旅は終わらないのね。


2002.10.10 (Thu.)

この日は市役所には行かないで、アポ取りに専念することに。残りの市すべてに連絡をとってみる。
とりあえずこれで最低限の準備は完了した格好。ここからが、本当の勝負だ。

夜になって国立に移動する。夜の旧甲州街道を逆走するのは不思議な気分だ。

部室に入る前に晩メシを食う。この市役所行脚は、ある意味多摩地区グルメの旅とも言える。
浪人中にも実感したけど、食べる楽しみは最大の活力になるのだ。ストレスを無意識に解消するというか。
一橋時代にお世話になってたメシ屋を回る楽しみ。大岡山はメシ屋が貧相なので恵まれていた環境を再確認。

満足しつつ、毛布を借りて寝る。われながらタフなことやってんなー、と思いつつZZZ。


2002.10.9 (Wed.)

あきる野市役所へゴー。

福生市役所経由で多摩川を渡って秋川駅前へ。大田区からここまで来たと思うと、間抜けで誇らしい変な気分。
途中なんか飯田市のはずれとあまり変わらない雰囲気で、なんだかもう、笑いがこみ上げてきてしまった。

2年前、同じように市役所行脚をやったときには建設中だったあきる野市役所。
今は五日市街道にその白い姿を誇らしげに見せつけている。対照的に、周囲には緑が妙に細長く配置されている。
とにかく白と緑の空間。それで麻雀の役満・緑一色をなんとなく思い出すのであった。
中はでっかいアトリウムで、両側にオフィスがそびえる。なんでも、秋川と五日市を意識して並べたとか。

多摩地区で一番新しい庁舎ということで、建設の中心だった方に直接お話をうかがうことができた。
これがもう本当に面白くて、建設用地で遺跡が発掘されちゃったりとか(これはわりと定番)、
取り壊す予定になっていた木造庁舎内に保護動物の鳥が巣をつくっていて(さすがにこれはレア)……なんて裏話から、
マジメなところでは消防車が入れないのでオープンスペースにベンチが置けないといった話題や秋川駅周辺の開発など。
話す方も聞く方も楽しんでいるという理想的な聞き取り。非常に充実した時間でありました。

その後に情報公開コーナーで資料をチェックしたんだけど、秋川市時代の資料が抜けているのが気になった。
もともとあきる野市の庁舎は秋川市時代にやったプロポーザルで設計者が決まった経緯があるということで、
その辺について広報ではどの程度きちんと説明していたのかが気になるところだ。

で、17時になって帰る。五日市街道をひたすら東へ。帰りは下り坂になるからそんなに厳しくない。


2002.10.8 (Tue.)

立川市役所へゴー。

昼に国立着、久々に一橋大学の生協でメシを食った。メニューが若干変わっていて、ちょっと悲しかった。

立川市役所は1958年オープン。市の規模に比べて本当に狭い。増築しまくって半分要塞。まるでどっかの予備校だ。
で、現在移転のための準備を進めている。場所は立川基地の跡地を予定している。HPにも情報は載っている。
市民参加の懇談会で基本的な方針を固めた段階。具体的な設計案などはまだ先の話だ。

移転担当の方に話をうかがったこともあり、どちらかというと現庁舎の話は少なめ。
それでも現庁舎の周りには国・都の合同庁舎があり、今後は遠くなって対応が難しいといった話を聞くことができた。
中央線・立川高校の誘致といった立川の歴史にはじまり、砂川町との合併、駅前開発など話題は多岐にわたった。
話しているうちに軽~く意気投合みたいな雰囲気になってきて、目黒区の話(→2002.9.18)なんかで盛り上がる。
さらにNPOと議会の関係やら、今後の市庁舎建築の方向性やら、参考になる考え方を教えていただいた。
立川市という全体を眺める広い視野の中での市庁舎の位置付け、といった視点が確認できた意味は大きかった。
こういう経験ができるから、聞き取りってのはやめられんね。

夜はHQSの部室に泊まる。2時に寝るまでひたすら熱海ロマンの作業。
まずはウソラジオの編集。ポータブルMDで再生し、トークの内容を書き出してチェックを入れる。
そして日曜にマサルがつくった文章を歌詞に修正。一発で完成、オレ強い、オレ大きい、と胸を張りつつ就寝。


2002.10.7 (Mon.)

小金井市役所へゴー。

小金井市の市役所は、現在2ヶ所ある。連雀通り北側の本庁舎と南側の第二庁舎である。
窓口はすべて第二庁舎の方に集まっていて、議会や事務系の一部が本庁舎という構成。
本庁舎の方で話をうかがったのだが、中は狭くて完全に事務だけの空間なのでちょっとびっくり。
確かに、窓口がないと外から来た人に対して閉じた印象になる。ホスピタリティが皆無なのね。
まあそれもそのはず、現在の本庁舎はもとは分庁舎だったのだ。今の駐車場の部分に木造の庁舎があったってわけ。
それを壊して第二庁舎ができている、という経緯なのだ。

小金井市の事情は非常に複雑。メモ程度だけど、順を追って書いておく。
まず、庁舎を建てる際には国から補助金が下りない。すべて自前の資金で建てなくてはならないのだ。
土地も市有地でなければならない。まあこれは当然といえば当然で、市有地の中から場所を決めるのがふつうだ。
さて木造庁舎を移転する議論が出て、小金井市は土地を探した。しかし目をつけた土地の地主が売却に同意しない。
結局リース契約で庁舎を建てる方向で話が進んだが、それに議会が反発。議案は否決されてしまう。
その後中央線沿いにある蛇の目ミシンの土地を取得する。ところがここで庁舎建設の基金が尽きてしまった。
しょうがないので資金を積み立てつつ、リースで建てる予定だった場所に民間から借りる形で第二庁舎を建設。
木造の本庁舎は壊されて駐車場となり、残った分庁舎が本庁舎扱いとなった。これが現況なのである。
そこにもうひとつ。中央線の高架化にともない、武蔵小金井駅周辺で再開発事業がスタートすることに。
武蔵小金井駅横の踏切は「開かずの踏切」として悪名高く、市としてはまさに宿願の事業と言えるものだ。
で、小金井市はこの場所に土地を取得して市庁舎を建てたい、と方針転換をしたのである。
再開発は都市公団主導の予定。これは庁舎建設用地の確保が難しくなる時代での実験的なパターンになりそうだ。

そんなわけでまだまだ時間がかかりそうな小金井市、でも注目する価値はありそうだ。


2002.10.6 (sun.)

夜中にマサル・潤平とウソラジオの録音をおっぱじめた。
潤平がエレアコ(エレキのアコースティックギターね)を持ってきたので、歌った。
バッチリ収録しておいたので、リスナーの方はお楽しみに。

録音が終わって潤平は帰る。よくあんなハードなスケジュールをこなせるよ、と思いつつお見送り。

寝て、起きて、リニューアルしたハロモニをマサルと見る。
矢口が大活躍で、そのたびにマサルがうっとりとした表情になるのが面白かった。エロいわー、って。
よっすぃーは、あれでええんか? 悲しくなるわ。それにしても梨華ちゃんのブリブリっぷりはさすがだ。
あとシロガネーゼの後藤もすごかった。マサルも僕も「はぁー……」って思わずため息ついちゃったもんね。

午後になって池袋に移動、メシを食いつつ作詞活動。
マサルは調子が悪いなりに結果をまとめることができるようになってきている。確実にカンを取り戻している。
その分こっちも気合いを入れて自分の仕事をやらなきゃ、という気にさせられる。いい循環だ。

マサルの家にも寄ったんだけど、散らかりまくっている。いくらなんでもありゃヒドすぎる。
実家から持ち帰ったという『ドラゴンスクロール』、マサルはハマりまくっているのであった。


2002.10.5 (Sat.)

市役所の話ばっかりで申し訳ないので、最近あったこと、思ったことをつらつらと。

偶然、Whiteberryの『自転車泥棒』を聴いた。あまりに薄っぺらい内容に呆れ果ててしまった。
『自転車泥棒』はユニコーンの中で最も好きな曲だ。これ以上足せないし、引けない。極限まで考え抜かれた曲だ。
あれだけ完成度の高い曲を同じ5人編成でカヴァーして売るという神経が、僕にはまったく理解できない。
たとえば前半の厚み。混沌とした雰囲気がゆっくりまとまって後半の爽快感につながる構成になっている。
しかしWhiteberryの場合、この前半を薄く抑えて後半に一気にたたみかける展開を狙っている……ようだ。
爽やかなメロディラインを頼りに、ただ勢いに任せて演奏。これは本当に愚かだ。前半の注意深さを完全に殺している。
なにより、大切なのはその終わり方なのだ。原曲を超える終わり方なんて、この世には存在しないはずだ。
結局のところ、『自転車泥棒』にカヴァーの可能性は残されていない。アンタッチャブルなレベルに到達しているんだ。
それでもカヴァーするWhiteberryは、話題が欲しかっただけだろう。こういう名曲を貶めるようなマネだけはやめてほしい。

渋谷をウロついてたらなぜか美容師の人に「モデル探してるんですけど」と声をかけられた。
こんにゃろ、使用前→使用後みたいな写真を撮るつもりか!と思って、苦笑いして断る。
なんというか、こう、モテない男代表としての誇りがあるのだ。卑しい誇りが。
それが「そんなはずないやろが! 何が狙いだ、金ならないぞ!」という確固たる結論を生むのであります。
うん、まあ、どーでもいーや。

僕がこの世で一番、衝動買いしてしまう物。……それは、本。
万札を持っているときの僕は危険だ。本屋に入ってそれで崩してしまうことがかなり多い。
こないだは一橋の生協でムズカシイ本を、今日は都市論の雑誌と文庫と『モーニング娘。×つんく♂』を買った。
今、読んでる暇なんて全然ないのにね。それでも、手元に置いておくと気がついたら読んでいる、ってことがあるからなあ。
自転車ばっかりこいでると、どうしてもガス抜きが必要になるのだ。安心して本を読める環境がほしい……。


2002.10.4 (Fri.)

東大和市役所へゴー。

東大和市はもともと大和町といった。多摩湖(村山貯水池)をつくるのに大モメにモメた歴史があり、
合併して村ができるときに「ケンカしないように」という願いをこめて「大和」という地名にした、という話があるのだ。

まずは西東京市へ。そこから新青梅街道を西へ進むルートをとった。
途中で山崎パンの工場を発見。一橋生にはお馴染みのバイト先である。単純作業のお出ましだ!って感じで。
やっぱり一橋にいるうちに一度やっとくべきだったなあ、と思った。話のタネで。
さらに進むと東村山市役所の脇を通った。見たら、増築中。これは詳しい話を聞かないといけない。

で、市役所に到着。話をうかがっているうちに、建設の経緯をまとめた冊子がいくつか発見されてやんの。
そのうち1部を図書館に寄付する現場に立ち会うことに。逆を言えば、今まで聞きに来る人がいなかったってことか。

さて、ここの市役所は中央公民館・中央図書館と同じ敷地にある。真ん中の広場がけっこういい感じ。
図書館は坂倉の設計で1986年のBCS賞を受賞。確かに外から見ても中から見ても、格好いい建物だ。
この図書館に移動して、その冊子を読むことに。3cm以上ある分厚いデキで、ものすごく細かい資料まで載っている。
ちなみに閲覧コーナーの本棚はデッキ状に2段になっていて、それがものすごくいい。オシャレな書斎って印象だ。

東大和市役所は1982年竣工。ベージュのレンガに包まれた、すごくモダン風な建物だ。
珍しいつくり方をしていて、調査・基本計画構想の策定・基本設計をそれぞれ別の事務所がやっている。
設計者はヒアリングで決定しており、これはつまり、市サイドが徹底して建設を主導してたってことだろう。
市民参加の形跡はほとんどないが、市報に建設経過のレポートを連載してた。これはなかなか他に例がない。
車が中心で交通の便が悪い街だけど、ここのオープンスペースにはわりと人が集まってのんびりしている。
隣の高校から歓声が聞こえてくるなどして、穏やかな印象を受ける場所だった。

補足。市役所1階の赤ちゃん置き場というか、ベビーベッドに人形が置いてあったのね。サウスパークの。
知っててやってんならスゲエと思うのだが……。ま、たぶん、知らぬが仏。


2002.10.3 (Thu.)

八王子市役所へゴー。

朝起きたら甲州街道に出て、多摩川を渡ってひた走る。八王子市役所は中心地のちょっとはずれにそびえている。
早めに到着しておいて、市政資料室に入る。市議会史がすごく詳しくて助かる。
夕方にはゼミということで、昼メシも食わずに広報をチェックしていく。
八王子は用地選定に二度失敗している。おまけに汚職があったようで、資料探しに時間がかかりまくり。

14時になって担当の方の話を聞きに行く。今までで一番ガードが固かった印象。
八王子市役所は15年近くモメた末、1983年に竣工。バカデカい。表面のレンガの模様が今でも鮮やかだ。
設計者はコンペで決まったが、八王子ではない他の市にもそっくりなデザインの市役所があるという……。
それでも当時の流行などについて話をうかがうことができたのは大きなプラス。
パンフレットなどをコピーしてもらうことができたので、いいヒントになるかもしれない。

その後、市議会にまでお邪魔して資料をあさる。全部終わったのが、なんと17時。
慌てて2時間ちょいで大学に帰ったけど、結局ゼミの担当は延期ということになってしまった。
絶対に間に合わせるつもりで予定を組んで動いたのに……。本気で悔しい。


2002.10.2 (Wed.)

東久留米市役所へゴー。

例のごとく環七から青梅街道で西東京市まで到達、その後は田舎道(畑ばっか)を通って東久留米駅前へ。

東久留米駅西口は大規模な区画整理が行われ、都市計画道路が通った。
でっかいイトーヨーカドーがそびえていて、道路を挟んだ隣が東久留米市役所。1995年オープン。
東久留米市役所はハッキリ言ってバブルの産物。正面にいかにもな広場とアトリウムがある。
建物は原色をくすませた色調で、いかにもな先っちょ三角の塔なんかもくっついている。
しかし立地が圧倒的に良いせいか、特別用の無さそうな人もくつろいでいる。アトリウムでは催し物をやっていた。

担当の方の話を聞く。公募市民込みの審議会を設置したが、用地選定に関わった程度。
区画整理でまとまった土地が手に入るのが大きな魅力だったそうだ。なお、設計者は入札で決めた。
アトリウムのほか1階に市民プラザがあり、喫茶店を含めたこの一帯は夜10時まで開放しているとか。
もっともそのせいでヤンキーの溜まり場になりがちだそうで、実際それっぽい連中も中にチラホラ。
それでも机があるとそれなりに勉強してる衆がいたのね。うまくすればこれはホントに面白くなるかも、と思った。
市役所を『BE FREE!』(→2001.12.25)に出てくるような学校にしちまえ!みたいな。まあ、絶対ムリなんだけどさ。
落書きの被害について担当の方は語ってくれた。公用財産と公共用財産の差は予想以上に大きい。

建設の経緯をまとめた冊子(在庫僅少)のほか、パンフレット、そして市政要覧までいただいてしまった。
聞き取りに行くたび、すべての市で親切かつ丁寧な対応をしていただいている。本当にありがたい。

晩メシは小平・一橋学園の「藤乃木」でふぶきロースを食べる。何年ぶりか? もう、なんだか感動してしまったよ。
で、国立に移動してHQSの部室にお邪魔する。飲み会が終わった後輩の皆さんがわざわざ寄って顔を見せてくれた。
お礼代わりにしばしバカトーク。相変わらずのこんな先輩でいいんでしょうかねえ。……いいや、直んないし。
そしてラビー氏が登場、事前の約束どおりにノートパソコンを貸してくれた。
そう、明日発表のレジュメを前日に国立の部室でつくるという鉄人ぶり。自分でも呆れながら取りかかる。
フラフラになりながら根性でがんばる。午前3時に仕上がった。奇跡って起きるものなんですね。
ラビーさんをはじめHQSの皆さん、本当に、本当にありがとうございました! またヨロシク。


2002.10.1 (Tue.)

関東では戦後最大級の台風だったらしい。

深夜、台風が去った後にふらりと外に出てみた。
ここが東京なのか、と我が目を疑うほど美しい星空。星雲? 星団? ハッキリと見える。
そして、東の空に三日月が寝そべっていた。今まで見た三日月で、一番力強くて妖しい光。
ずっとぼーっと眺めていた。これだけ透きとおった夜空を、次に見られるのはいつだろう?って考えていた。
なんとなく自販機のボタンを押したら、出てきたお釣りはギザジューだった。


diary 2002.9.

diary 2002

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