5公園自転車ツアー第2回、飛鳥山公園の巻(第1回のログはこちら →2002.8.25)。
おニューのポータブルMDでモー娘。のシングルを聴きつつ、環七を一路、北へ。
高円寺ガード下を通過したときはちょっとグッときた。4年間中央線ユーザーだったからね。
中野・練馬・板橋と、同じ環七でも北側はやっぱりちょっと雰囲気が違う感じがする。なんとなくだけど。右折して国道17号・中山道へ。首都高5号の下を走って板橋区役所方面へ。
で、東武東上線下板橋駅周辺をブラつく。ののたんの聖地を巡礼したのでありました。
この辺は昔は静かな街だったと思うけど、今は中央環状線が建設中で大きな道ができて閑散としている。
都民や国民の便利のために住民が苦労している現場を垣間見たような気がした。そのまま明治通りに出て北上、目的地の飛鳥山公園に到着。
飛鳥山公園は八代将軍・吉宗の時代につくられた桜の名所。今は北区の区立公園。
周りよりもちょいと高い丘になっていて(削って狭くしたので高低差がハッキリ出ている)、王子駅を見下ろす。
中に入ってみると、緑色の桜の葉が見事なまでに鮮やか。噴水で子どもがいっぱい遊んでいた。
聞いていたとおり、異常なくらいに桜の木の密度が高い。ここは春に来ないとダメだと思った。王子駅にちょっと寄ってから国道17号に戻ってぐんぐん南下。マサルがかつて暮らしていた巣鴨で一服。
文京区に入ると文京区役所に圧倒されつつ、もうひとつの聖地を巡礼。なんかドキドキしたよ!外堀通り→外苑西通りを走る。青山墓地にはいったいどれくらい墓石があるのやら。
目黒通りに出る直前、自転車通行禁止っぽいトンネルを爆走してしまう。高速道路を走っているみたいで怖かった。
最近、図書館に行く頻度が高くなっていることに気がついた。
たとえば今週は目黒区の洗足図書館に行っているし、今日も守屋図書館に行ってきた。
洗足も守屋も狭い。でも守屋は戯曲が充実していたので、3時間かけて2作ほど読んできた。鴻上尚史『ハッシャ・バイ』。もうホント、今までで一番わからん。
こりゃもう実際に演じているところを観てみないと絶対に理解できんわ、と思った。
いや、観ても理解できる自信がまったくないくらいに難解だ。うーむ。困った。成井豊『不思議なクリスマスのつくりかた』。キャラメルボックスだ。
あとがきを見てみると創作に対するスタンスの取り方の苦悩が書いてあってすごく面白い。
鴻上尚史もそうだけど、いちばん面白いのは中身じゃなくって、序文だったりあとがきだったりするのだ。
成井の苦悩は今の僕がやっていることに通じている点があったので、ちょっと慰めてもらった気分。
閑話休題。中身の感想は、すげーオンナコドモ向けって感じ。なんかムズムズする。
小中学生にはいいと思うが、大のオトナが観に行くのにはちょっと勇気がいります。暇をみてちょくちょく来て、有名なやつを押さえていこうと思った。
今、僕の中でかなりミネソタ・ツインズがきている。
かつてのワシントン・セネタース。1961年に移転、ミネアポリスとセントポールの双子都市なのでツインズとなる。
H.キルブリュー、R.カルー、K.ハーベック、K.パケットといった名選手が在籍したが、とにかく地味。
本拠地メトロドームが東京ドームのモデルになったことで知られるくらいの地味すぎるチームだ。新球場の建設ラッシュで明るいボールパークが増えていく中、メトロドームはまったく冴えない内装だ。
ユニフォームもタテジマにエンジで「Twins」と全然目立たない。一言で言うなら「平均点」。
でもそれなのに、本当にかっこいいのだ。地味なのにこれだけかっこいいってことに驚かされる。
地に足のついている、カジュアルな魅力。アタリマエになってしまっていることの持つ威力。
ツインズの地味なかっこよさは、メジャーの底力を僕らに見せつけているわけで。そんなツインズ最大の特徴は、「知らないうちに優勝してしまう」点にある。
1987年は前年6位から世界一、1991年にいたっては前年最下位からの世界一である。
今年はインディアンズ帝国が完全に崩壊、ホワイトソックスもコケた状況の中で、いち早く飛び出した。
だから今年、なんとなくツインズが世界一になる予感がある。久々の、地方都市の逆襲。
削減される球団として苦境に立たされている今だからこそ、ツインズのミラクルに期待したいのだ。絶対に、ストすんじゃねーぞ。
ウソラジオのBGMで使いたい曲があって渋谷に探しに行ったんだけど、なかった。
天下の中村八大をナメとんのか! 筒美京平のはめちゃくちゃたくさんあるのに! すげームカついた。◇
で、何も借りずに帰るのもしょうがないので、以前勧められた「PE'Z」のインディーズ盤を借りてきた。
上手い。とにかく上手い。ナマ音のいいところを出し切ってる。シンプルなキレイさが心地いい。
こないだニューシングル出したけど、久々にこれは買ってもいいかな、って思った。
(ちなみに僕が必ずシングルを買うのは椎名林檎とCymbalsとスカパラとプッチモニだけ。)
そんなわけでまたインスト好きに拍車がかかった気がする。うーん、幅を広げんとな……。
おととい買った地図帳を寝る前に眺める。
地図帳は暇つぶしに最適だ。行ったことのある場所、ない場所、どっちにしても想像力が広がる。
たとえば目黒区なら駒場、青葉台、鷹番、柿の木坂、中根……。それぞれの地名を見ていく。
そして地勢などからその由来を想像していく。これを23区やったらいつのまにか2時間が過ぎていた。最後の方になると伊豆諸島や小笠原諸島が出てくる。海のない長野県育ちの僕にはまったく想像できない生活。
こういう島々の地図を見ていると、なぜか本当に恐怖感に襲われるのだ。
宇宙空間に浮かんでいる地球を想像するのと同じで、何もない海に周囲を覆われた島を思うと怖くなる。
大きくて安心できる本州から離れていることに対する不安を勝手に思うのである。
そして、世界が島の中で完結してしまっていることにも勝手に恐怖を覚える。
特に伊豆諸島は丸い島が多いから、それだけでなんとなく淋しくなってしまうのだ。こういう感情、ヨーロッパやアメリカみたいな大陸に住んでいる人はもっと強く持っているのだろうか?
他の国と国境を接していないことに対する不安感。きっと、愛憎半ばするみたいな感じであるんだろうな。(まったくの余談だが、世界で一番気持ち悪い形をしている島はインドネシアのスラウェシ島だと思う。
環太平洋造山帯とアルプス-ヒマラヤ造山帯がぶつかる位置にあるのでこんな複雑な形になったのだ。
それを勝手に「気持ち悪い」とか言うのもすごく失礼な話だとは思うけど……でもやっぱりなんかヤダ。)
『私立探偵・濱マイク』、今週の脚本・監督は前に『世にも奇妙な物語』でいいところ見せてた中島哲也。
この人はサッポロビールの前のCM(豊川悦司と山崎努のスローモーションの卓球とか)をつくった人で、
今回のドラマでもそれを彷彿とさせるシーンを何度か織り込んでいたのが印象的だった。
このシリーズは監督への注目度も高いわけで、そうやって自己主張するのは非常に良いと思うのだ。で、見終わっての感想。
……面白かった! なぜか。それは、バカバカしかったからだ。
どうも今までの監督は自分の美意識っつーか価値観を表現することに躍起になっていたのではないか。
だけど中島哲也はあくまでエンタテインメントにこだわった感じ。それが勝因だと考える。
林家ペー・パー子に光浦靖子といったキャスティングに対してもちゃんと演技を要求していて、
出てきたことだけで笑わせるという「ズルい人選」に陥ってはいない点も好感が持てた。
(前に鳥肌実が出た週があったのだが、彼をまったく活かしきれてなかったのとは対照的。)
まあ筋が粗っぽい点もなくはなかったけど、今回は純粋に面白かったので機会があればどうぞ。
……そういえば演劇出身の岩松了監督の回を見逃していたので、いずれビデオ化されたら見ようっと。◇
夜。新しいポータブルMDを使ってウソラジオの編集をやってみる。
余分なところをカットしながら聞けるってのは、意外と助かる。これはけっこう便利かもしれない。
明治に入って東京に「公園」がつくられた。最初に指定されたのは5ヶ所で、上野・浅草・芝・深川・飛鳥山。
そんなわけで、この5ヶ所を自転車で回ってみることにした。記念すべき1回目は深川公園である。まず渋谷に行く。ポータブルMDを新調した。なんと、前に見たときより3000円も安くなっていた。お得!
あと、今後の修論の調査のことを考えて、6年ぶりに東京都の区分地図を買っておいた。
メシを食って六本木通りをひた走って皇居へ。そして永代通りをひたすら東へ。江東区に入る。
東京駅より東側の街並みはなんとなく灰色というか、暗いというか、そういう印象があるのは気のせいか。永代橋を渡ると、ふっと通りが華やかに。門前仲町に無事到着。深川不動と富岡八幡をお参りしておく。
そしてその隣、深川公園へ。予想以上に小さくてびっくり。ホントにふつうの児童公園って印象。
気になったのは砂場。柵に囲まれて犬が入れないようになっている。でも子どもはひとりも遊んでいない。
ベンチも寝転がれないように手すりで区切られていた。去年大学院の授業で扱った「環境的不公正」を思い出す。
忘れられた歴史と、それでもやってくる子どもやお年寄り。なんとなくしんみりしてしまった。木場まで行って首都高9号線沿いに南下。途中のイトーヨーカドー周辺が再開発中だったのでちょっと散歩。
辰巳ジャンクションで西へと進路をとる。湾岸道路を猛スピードで進んでいく。目指すはお台場。
ところがレインボーブリッジは自転車進入禁止だったので、泣く泣く1本北側の道を東に戻る。チキショー。
豊洲・晴海経由で勝鬨橋を渡る。新橋を抜けて桜田通りまで出て、一気に南下。
途中で意識がトびかけたので慶応大学近くの喫茶店でひと休み。30分ほどぼーっとしたらなんとか回復した。
五反田駅を通過すると中原街道へ。家に着いたらすぐに風呂。ヒジョーに疲れた一日でした。
個ゼミ。とりあえず、大田区役所への聞き取りを終えて考えたことを相談してみる。
前に比べて格段に具体性を帯びていたようで、ウソのように話が進んでいった。
どうやら学部4年のときにやったアレをもう一度やることになりそう。おーおー、やったろうじゃんか。
僕はわりと単純な人間でありまして、機嫌の良し悪しが天気と連動しているんですね。
朝起きて晴れていると躁状態。曇りだとやや鬱。雨が降っているとこの世の終わり。
最近は修論の方向性などでそれなりに悩んでいるので、雨が降ると精神衛生上とっても危険です。
そんなわけで昼間ベッドに寝転がって考えごとしてたらいつのまにか眠っていて、
しかもめちゃくちゃ怖い夢を見ていたようで、気がついたら寝言を言いまくってのた打ちまわっていた。
なんとか生活のスタイルを変えていくことを考えないと、ヤバいような気がする。
自転車にまたがり、日比谷公園に行く。東京都公園協会の図書室を覗いてみることにしたのだ。
浜松町でメシを食ったら新橋経由で日比谷公園に向かう。佐藤功一の日比谷公会堂がお出迎え。
新橋から内幸町の辺りは先週の東京国際フォーラムからの帰りを逆に進んだ。都心回遊なのである。まず都立日比谷図書館に入ってみる。上から見ると三角形の建物は、中に入るとスッキリしている。
蔵書の量は意外と少ない印象だったが、修論の役に立ちそうな本を2冊ほど借りて出た。
(それにしても本の貸し出しをしている都立図書館はここ1ヶ所だけ、というのは良識を疑う。)そして公園協会の図書室へ。造園系の本はそれなりに充実していた。
面白かったのは『野球場事典』で、野球場の造り方や全国の野球場の詳細が書いてあった。すげーマニア。
で、公園文庫の『東京の公園通誌 上・下』を2時間半ほどかけて読む。
やや説明が大ざっぱだったけど、いちおう最低限の知識はついた感じ。他のシリーズも読んでみたい。浜松町に戻ってベーグルを買って帰った。勉強になってるんだかなってないんだかよくわからん毎日だ。
潤平に呼ばれて東工大ロック研の部室にお邪魔する。Re:オナ君に初めて会った。
いろいろしゃべってたらBOB君もやってきた。4人で輪になっていろいろしゃべる。Re:オナ君はひたすら『ティンティンTOWN』の話をしていた。僕はよっすぃーが出ないから見てないけど。
潤平によると、かなり熱狂的な石川派なのだそうだ。熱海ロマン的には話が通じてとってもうれしい。
それにしてもRe:オナ君はとっても腰の低い人だった。受け答えが丁寧でとってもうれしい。
そんなわけで早くマサルも会ってほしいと思った。なんか、感じがよくていい感じの午後だった。
自転車で渋谷に行った。修理後でちょっと遠くへ出かけるのは初めて。
メシ食って買い物して帰る。ポータブルMDを新調しようかと思ったけど、もうちょっと様子をみることにした。夜。研究室の先輩の卒論を読む。自分と同じデザイン方面へのアプローチってことでお勉強なのだ。
すごく手際がよくって圧倒された。今の自分ののた打ちまわりっぷりが本当に恥ずかしくなる。
どうやって考えていることをカタチにしていくのか。悩める夜はまだまだ続く。……ハァ。
飯田図書館で借りた戯曲第2弾。ケラリーノ・サンドロヴィッチ『ナイス・エイジ』を読む。
全体を通しての感想は、「とっても残念」。というのも、世界を描ききれてないから。
話をつくるとき、完結させた瞬間にその世界がどういうカタチをしていたのかわからせることが必要だと思う。
その手際の良さが作品の完成度であり、これはその作品の最も大きな魅力になると僕は考える。
もちろん、完成度がすべてではない。しかし、一定の枠組みが築けないと、その中身はこぼれ出して消えてしまう。
完成度が低くても魅力を持つのは、そのクリエイターの狂気・意欲・衝動が作品に乗り移っている場合。
その話を作者に書かせた理由が明確で、共感を呼び起こさせる場合だ。鴻上尚史はこの点に優れると思うのね。この『ナイス・エイジ』は中途半端なのだ。衝動だけで突っ切るには、世界がキッチリ設定されすぎている。
読んでて楽しいしっかりした世界を用意しておきながら、まとめきれないで結局ぜんぶ壊しておしまい。
キツい表現になるけれど、 この内容で満足できる人はよほどのお人よしだと僕は思う。つまりは、駄作ってこと。
細かいギャグがうまく効いているだけに、全体を統制できないままで終わってしまったのはもったいなさすぎる。ところでケラリーノ・サンドロヴィッチはそうとうモンティ・パイソンが好きなようだ。
制作会社の名前からして「シリーウォーク」だし。
こないだ観に行ったときにもらったチラシの中に、ギリアムっぽいデザインのやつがあったし。
この『ナイス・エイジ』でもクリーズの「チーズ・ショップ」の応用が登場してる。熱海ロマン的にはちょっとジェラシー。
ミニモニ天気予報を見た後で寝る。で、『ハロモニ。』で起きた。
そしたら寝ている間によっすぃーがバレーをやっていたらしい。すんすん泣く。正直、ママさんバレーの日本×旧ソ連、あんなに面白いというか、立派な試合になるとは思わなかった。
やはり一度頂点を極めた人というのはすごいものなんだ、と素直に思った。
なんというか、今の自分と照らし合わせて考えるのがイヤになるくらいに。ええ。それにしても甲子園、今年の四国勢はすごいね。こうなったらぜひベスト4を独占してほしい。
大学の図書館で、居眠りしつつ読書。『駒沢オリンピック公園』という、本というか冊子を読む。
実は水曜に駒沢公園に自転車で行って、そのまま管理棟にアポなし飛び込んで
「駒沢公園がつくられた過程を知るにはどうすればいいですかねえ?」
と訊いたところ、そこのオバちゃんが快くこの本を貸してくれたのだ。表紙に「東京公園文庫10」と書いてある。東京都公園協会って財団法人があって、そこが監修している。
全40冊のシリーズで、すでに絶版になってしまっているらしい。けっこう惜しいかも。
ラインナップを見ると、『日比谷公園』『井の頭公園』、さらには『伊豆七島めぐり』『お濠をめぐって』なんてのも。中身は駒沢公園誕生の経緯、計画の概要紹介、施設建設の話がメイン。ちょっと説明がカタい。
あと、当然だが東京五輪関係の記述が多い。施設の説明より競技結果の解説の方がわかりやすいのはちょっと……。
読み終えて、なんとなくシリーズの他の本も読んでみたくなったのであった。◇
夜、24時間テレビがスタート。熱海ロマンのディナーショウのネタにしたのに、実はきちんと見るのは今年が初めて。
やっぱり全然面白くないんだけど、なっちのコーナーは別。柄にもなく感動しまくってしまった。
なっち、まさに天使そのもの。本気で好きになっちゃいそうだ。マジで僕の母親になってほしい。
昨日、『GO』と一緒に借りてきた『ナマタマゴ』のビデオを見る。
重っ! こんなに重いとは思わなかった。
最初のうちはモーニング娘。の4人とそれ以外の人たちがどう絡むんだ?なんてのん気に見ていたのだが、
話が進んでいくにつれて、「うっわー、ようやるなー」なんて思わずつぶやいてしまった。
『ピンチランナー』とはえらい違いだ。こういうのをモーニング娘。がやるとは思わんかった。錯綜する外部と内部、そして実は入れ替わっていた内部と外部。ゆっくりと注意深く種をまいていく仕草。
関係のタテ糸が時間とともにたどられる。それをつなぐヨコ糸も、現在進行で架けられていく。
回想シーンはひとつもない。ただ場所を移して現在を淡々と描いていくだけ。
こういう構成で展開する話ってのは「作り手」の感覚からすると、純粋に、やられた!って感じ。そんなわけで感想。地味だけど、よくできている。特に前半の慎重さは好み。
正直リアリティに欠ける部分もあるんだけど、それを気にしたらこの話の正しい評価はできなくなると思う。
ただ、惜しいところもある。その仕掛けが明かされた後も、前と同じペースで淡々と展開する点だ。
たぶん観客の大半はそれで集中力が切れてしまうのではないか。一息ついちゃうのね。
そのためにラスト前で彼女たちの「現実」を描くシーンがややガス欠気味に感じられるのだ。もったいない。
なお、矢沢心とかホーム・チームとか、役者陣のガンバリは大変よろしいと思います。結論。この話を一度見たら必ず、2回以上見ること。たぶん2周目がホントのエンディングってやつね。
大田区役所に行く。修論の予備調査ということで、区役所の建築について聞き取り。
まずは大田区の歴史から。かつて大森区と蒲田区だったのが合併して大田区になった、と。
そういう背景もあって、かつて区役所は大森と蒲田の中間にあった(その町名は「大田区中央」だ)。
だけど1998年に蒲田駅東口に移転。中央の土地は現在、「大田区文化の森」という施設になっている。で、何が面白いって、現在の大田区役所の建物はもともと別の用途で建てられており、改装したという点。
もともと国鉄の土地で、入札に勝った桃源社(懐かしいなあ……)が建てたビルとのこと。
だけどバブルがはじけて桃源社もはじけた。入札に負けたはずの大田区が、最終的には格安で手に入れた。
区役所の一番上は区議会になってるんだけど、もともとはプールにする予定だったらしい。すげーバブリーな話。
ものすごく珍しい話なんだけど、まあ自治体としてはかなりお得な結果だと思う。ちなみに近くにあるアロマスクエアについては、もともと高砂香料の土地で(だから「アロマ」なのね)、
大田区は整備に参加してホールをそこにくっつけた格好。時期的には偶然、区役所移転と重なっただけだそうだ。
この日もヴァイオリンのコンサートかなんかをやってて、けっこう人が集まっていた。
「ホールができてこの地域を訪れる人の雰囲気が変わった」とは聞き取りをした区役所の方の弁。
まあ確かに蒲田……。まあねえ、なるほどねえ……。先日の個ゼミで修論のテーマがまたふりだしに戻ってしまったので、現場の話を幅広くうかがっていくことに。
いろいろと熱い話を聞いているうちに、自分の認識の甘さを痛感。行政内部も一枚岩じゃないんだよなあ……。
それにしても聞き取りってアポ取りが面倒くさくてたまんないだけど、行ってみるとホントに勉強になるんだよね。◇
で、夜になって『GO』のビデオを借りてきて、見る。
感想としては、ふつー。金返せ!ってことは絶対ないけど、何度も見たいっ!って気は起こらない。ふつー。
個人的に窪塚の演技というかしゃべり方は間違っとる!と思うのだが、山崎努の抑えが利いてて臭味はない。
柴咲コウの桜井はいいと思う。正一役はもちっとガンバレって感じかな。名前知らんで失礼。観て考えたのは、ここに物語があるとするとき、それを表現するのに適切な手段(メディア)があるということだ。
映画やら小説やらマンガやらアニメやら演劇やらいろいろあるけど、どれがベストか考える必要があるってこと。
『GO』は小説(→2002.5.10)が原作で、脚本は演劇畑の宮藤官九郎なのね。で、映画というメディアなワケで。
場面のつなぎ方は演劇の感覚だと思う。演劇の感覚で小説を編集してかなり忠実に映像化した、って印象かな。
小説の中の膨大な情報をムリなくいっぱいに詰め込んだ感じ。おかげでかなりスピード感が出ている。問題は、役の重要度にムラが出ている点。具体的には元秀の扱いが雑すぎるのが気になる。
そもそも、「これは僕の恋の話だ」とは言うが、本当は父親を踏み台にして世界を跳び越えていくという話なのだ。
桜井にフラれてようやく、忘れたころになって父親が主人公の前に都合よく立ちはだかってる印象を受ける。
そんなわけで主人公に占めている父親と桜井のバランス、あまり良くないと思うんだけどなあ。これらはメディアの違いが原因になってるのだな。小説と映画、時間に対する扱われ方、取り組み方の違い。
小説ってのはなんでもアリだと思う。読むのに途中で休憩を入れてもいいし、ゆっくり時間をかけたって構わない。
だから扱える情報の量は理論上は無限と言えるだろう。星新一も中里介山も本になりゃ一緒なのだ。
でも映画は時間が決まっている。時間内に理解させ、さらにストーリーを終わらせる必要があるのだ。
これは僕が小説を先に読んだからかもしれないが、映画はどうも時間の制約が大きすぎたように思えてならない。
つまり、『GO』の物語は映画では「足りない」。本質的に、映画じゃ描ききれない大きさなのだ、と考える。
さて、そうなると僕は映画の『GO』を「映画の作品」として正しく評価できるのか?
これについてはまったく自信がないので、僕はその点についてはノーコメントということにしておく。
おそらく近いうちにアップロードされるであろう、潤平の感想の方が的確でしょう。彼は原作をまだ読んでないから。話をメディアの方向に戻してみるとしよう。
舞台美術などを考えると、一番制約を受ける(情報を小さくせざるをえない)のは演劇なのか?
だとすると、そこに演劇の可能性と痛快さがあるということだ。同様に、他のメディアにも限界と可能性がある。
……こう考えると、単純に「映画化したからスゴイ」とか「待望のノベライズ化」とか一概に言うことはできないね。
僕たちは、もっとストーリーとメディアの関係を緊密に考えていかなくちゃいけない。──それが感想です。ちなみに『GO』のマンガは、裏表紙に「オレ杉原」ってあっさり書いてあったので、こりゃダメだと思って読んでない。
飯田図書館は、なんか妙に戯曲が充実している気がする。
こないだ観たケラリーノ・サンドロヴィッチ『フローズン・ビーチ』(→2002.7.19)を借りておいたので読む。正直、読んで初めてわかったことがけっこうある。ああ、ここがこうなのは、そうなってたからなんだ、って感じで。
この話は前半の圧倒的な勢いに比べると後半は比較的展開が落ち着いて進んじゃうんだけど、
それだけにケラリーノ・サンドロヴィッチの創造への衝動や、物語を完結させようという意地が垣間見えてきて面白い。
書き手の欲望が作品の中にたたきつけられていること。上品じゃないかもしれないけど、絶対に不可欠な魅力。それにしても、やっぱり一番に思うのは、こないだの『スナフキンの手紙』(→2002.7.29)と同じで、説得力への憧れ。
自分のつくったストーリーを、他人を巻き込んで表現するチカラだ。
僕としては当然、このことを熱海ロマンに置き換えて考えてみるわけ。
そうして落ち着いて考えてみると、実は熱海ロマンに協力してくれている人は本当にいっぱいいてくれる。
ただ、僕らの側の動きがあまりに悪くて、どうもチャンスを削りがちな状況になってるような気がする。
僕たちは、恵まれているのだ。だから応えなくちゃいけない。結果は出すから、もう少しだけ、待っててください。
(意訳:マサル、さっさと歌詞を書かんかい!)
個ゼミ。ひいいいい……。もうだめだー。
東京国際フォーラムで「TOKYO ART JUNGLE」というイベントが明日から開催されるとのこと。
で、潤平がその準備のお手伝いをするということで、僕もついて行った。コンクリの柱にビニールを貼りつける仕事で、東工大建築学科OBの皆さんと作業する。
僕らは特に防煙シャッターがうまく下りるように貼らなくてはいけない、難度の高い任務に当たった。
やってると時間の感覚が完全に狂ってきて、いま何時なのか、どれくらい時間かかったのかがわからない。
一番面白かったのは、動いていないエスカレーター。踏み出す瞬間、なぜかつんのめってしまう人体の不思議。
われわれは無意識のうちにエスカレーターの動きに合わせているという事実がよくわかったのであった。
夜になって誰もいない中、『ダイハード』気分で国際フォーラムを闊歩するのは非常に楽しかった。
あとは各大学の建築学科の1~2年生とも一緒に作業をして、若返った気分になったのも有意義だったな。ちょっと歩いて晩メシ食って、タクシーが行列をつくる内幸町から帰った。疲れたが、まあ良かったですわ。
自転車の調子がいいかげん限界なので、修理に出す。
修理代の見積もりを聞いて目ン玉が飛び出そうになる。ひええええ!
ドクターの先輩と個ゼミ。実家でボケた生活をしてたせいか、頭が回らない。
考えてみたいテーマは、漠然とハッキリしている。要するに、広すぎるんだけど、一応見えてはいる。
でも修論でそれをどう扱うかが決まらない。次から次へと候補が飛び交う状態。
僕にしてみればそれは大きい興味の中で関連しているから純粋にブレーンストーミング感覚なんだけど、
先輩にしてみりゃいい迷惑。こりゃマサルと僕の関係に近いものがあるな。
まあともかく、軸足が定まらんことには動き出せない。なんとか、絞りきらないと。
帰ってきたよ。
疲れていたのか、あややのより子。ドラマを見る前に寝てしまう。
起きたら夜中の1時だったので、何もしないで再び寝る。計16時間の睡眠。学生バンザイ。
塾講師も最終日。
デキる奴を見るのはつまらない。僕がいなくても大丈夫だから。
デキない奴のを見るのは面白い。でもそれが複数になるとキツい。集中して教えられないのがつらい。
そんなこんなで、今回はわりと「自分はちゃんと教えられているのか?」という疑問が残った感じ。
それにしても、なんかこういうので稼ぐお金って、使い道考えちゃうよなあ。ムダにできないよなあ。
実家ではそれなりにゲーム三昧。ハードはSFCである。
『ストIIターボ』じゃM.バイソンで100万点出してみたり、『エリア88』じゃグレッグのA-10でラスボス倒したり。
今のゲームについていけない分、昔のゲームを変にやりこんでおるのであります。
ママチャリにまたがり、思うままに走りまわる。
まずは飯田高校の脇を通って座光寺へ。サンダルだったのでバッティングセンターを断念。
テキトーに本屋を回ったら国道153号を南下。田舎の歩道にバリアフリーなんて概念はないのだ。そのまま自動車専用のでっかくて新しい道に突入。アップルロードを目指してひたすらペダルをこぐ。
永遠に続くんじゃないかと思うほど長くてキツい坂道。まるで悪い夢のようだ。市立病院の辺りでようやく平らになる。この新しい建物は日建の設計。つまらん建物だ。
前の市立病院は別の場所にあったんだけど、側面の壁にベン・ケーシーの「♂♀*+∞」が描いてあった。
そういうのこそ、本当のオシャレだと思うのね。設計者が誰だったのか、マジで知りたい。
一度、飯田市の公共建築を総チェックしてみたいと思ってる。古い建築はかなりレベルが高いと思うのだが。さておき、再び上り坂。太ももがパンパンだ。
ヘロヘロになってSATYに着いたが、特に見るべきものもない。ちょいと休んでまたペダルをこぎだす。いったん坂を下ってから、また上り。今度は丘の上(旧市街)に帰るためだ。
一度地獄を体験してしまえば、もう怖いものなんてない。羽場坂を意外とあっさりクリアして家に帰る。
そしてちょっと休んでから、市立図書館へ。これもいい建物だ。中はけっこう人でいっぱいだった。そして塾講師のバイトへ。雌伏、雌伏。
両親と3人で『私立探偵・濱マイク』を見た。
濱マイクは回を追うごとにつまらなくなってる。もうほとんど見る価値を見出せない内容だ。
前々からストーリーの筋の組み方が粗いなぁ、とは思っていたけど、そろそろガマンの限界って感じ。
見ていたcirco氏は「この建築が舞台じゃなかったら成り立たないな」と言ってた。確かにそうだ。
そんでもってさらに、「たぶん野辺山だぞ。」と場所の見当をつけていた。……当たり。後日、その建築は内井昭蔵の設計とわかった。さいたま新都心の景観コーディネーターだった人だ。
ちょうどおととい、8月3日に亡くなったばかり。設計者は死んでも、作品は残るってことだね。
松本に行った。なんでも竹山聖が設計したビルが目抜き通りにあるからそれを見に行こう、と。
実際見てみると、なるほど面白いのだが、なんかまだ足りない印象。
コンクリート打ちっ放しを少し折り曲げたような壁面なんだけど、穴の開け方がなんとなく不満。
まあ、角地にはいいランドマークだと思うけどね。で、いろいろ歩いていて思ったのだが、中心市街地の再開発が済んだせいか、活気がある。
アーケードをなくしたらファサードに気をつかう建物が増えて、それが並んで相乗効果を生み出してる。
その一方で、角を曲がれば歴史的な蔵で街並みを統一した通りがある。道路の舗装も石畳風。
現代的なデザインも歴史的なデザインも、とにかくやる気があるのを見せているわけで、歩いていて楽しい。
松本市の人口は20万人。飯田は10万人なんだけど、文化の差は倍なんてもんじゃない、と痛感。
PARCOもあるし、郊外には郊外でデザインに強い店がある。南信は何もない。淋しい。伊那でいつものようにピザを食ったら、会計の段になってバイトの学生から情報が入った。
なんでもウチの家族のピザの食いっぷりは、信州大学農学部の伝説になっているらしい。
まあ15年以上バカ食いをやっとるわけだから、伝説にもなるわなあ……。それにしても、一度、一日かけて本気で松本を歩きまわってみる必要がありそうだ。
飯田りんごん。なんか居場所がない感じ。ふるさとは遠きにありて思ふものってか。
まだ、鬱。
一日中、鬱。