昨年の11月以来、猛烈な勢いでサッカー嫌いになっているわけだけど(理由はあえて書かない)、
それでもやっぱり見てしまうW杯開幕戦、フランス対セネガル戦。素人目に見てもすごく面白かった。
初出場なのにディフェンディングチャンピオンを破るなんて信じられないけど、それだけの実力が伝わってくる試合。で、セネガルの勝利について、マサルのコメント。
「手癖悪い分、足癖がいいんやね。」
さらに、
「だいたいKoreaでJapanっていう順番がおかしいんよ。Kの次にJが来るなんてW杯とKJ法だけよ。」
……ナイス無駄知識って感じですね。
ゼミ。発言した。寝なかった。成長してんなあ、自分。
研究室に少ない蔵書のほとんどを移動。ハッタリが効いてる感じ。あとは実際に読むだけ。
別の研究室が同じ建物の同じフロアに引っ越してきたので、その歓迎会。食った。
プロ野球でヤクルトが巨人に劇的な勝利。ぜひ中継を見たかった。見たかった……。
自宅の本を研究室に移すことにした。
いざ整理してみると、それなりにけっこうある。……でもほとんど読んでない。
これをきっかけに研究室でじっくりと本を読むクセをつけたいものだ。
このところ生活がなんか変だ。
寝るのが朝4時で起きたら正午で、ドトールでベーグルサンド食ってマンガ立ち読んで家でフニャフニャして、
気がつけば晩飯食ってニュース番組見てフロ入ってネットやって……。
何をやってるのかあんまり覚えていない生活。でも寝るのはちょっと空が明るくなりだす時間。読んでるわ。本とかマンガとか。
昨日は『レヴォリューションNo.3』だったし、その前はあだち充の『タッチ』だった。その前は『奇面組』。
現実がしょぼくれてる分、脳ミソや身体がストーリーを要求しているのだろうか。
こういうときこそ、もっと積極的にモノをつくっていかないといけない。がんばらないとなあ。
最近、金城一紀づいている。そんなわけで『レヴォリューションNo.3』を読んだ。徹夜で。
感想は、『GO』(→2002.5.10)より好き。『GO』は主人公が孤独だから。ま、その分深いテーマに突っ込んでいるけど。
仲間でつるんでワアワアワア、というのが好きなのね。『水滸伝』にハマったクチだし。そんなわけで映画化するならこっちがいいなぁ、と思った。まだ『GO』を見ていないのにそういうこと言うのはナンだけど。
「好きなドラマーは誰?」
この質問が一番困る。というのも、好きだと言えるほどいろいろ聴いているわけではないから。
まあそれでも、聴いていないなりに考えてみようかと思った。僕の音楽はゲームミュージック(カプコンとコナミ)からスタートしていて、その次はフュージョンに行く。
則竹裕之のドラムスは上手いけど迫力を感じない。神保彰は凄すぎてあさってにイっちゃった感じ。
その後はYMO。高橋幸宏は好き。歌ってばかりの印象だけど、ライヴの映像見たらたまげた。
で、スカパラ。初代の青木達之はフィルに独特のクセがある。それがすごく個人の味って感じで面白い。
現メンバーの茂木欣一はいっつもハイハットを利かせてる印象。ホントに上手いと思う。いわゆるJ-POPの世界では、抜群に元ユニコーンの西川幸一が好き。スネアに独自の音を持っている。
そうだ、僕は自分のスネアの音色を持ったドラマーが好きなのだ。聴いてるだけで、誰なのか分かる音。
テクニックより音色。あるいは、クセ。アイデンティティを主張してやまないリズム。もっとも、そんなことを思うようになったのは、高校時代にジェフ=ベックの『Scatterbrain』を聴いて、
ドラムスのリチャード=ベイリーが当時18歳ってのを知って、「こりゃもうダメだ」と思ったからかもしれない。自分の身体を表現する方法として、自分だけのドラムスが表現できる人間になりたいもんだ。
ゼミなどお勉強の場でこみいった話をするとき、物理のたとえ話がすごく多いのに気がついた。
去年やって今でも覚えているところでは、
「陰極線が引っ張られて曲がるみたいに、実際の公共性は歪んでると思うんですよね。」
聞いてたメンツはびっくりしてたろうな、と思う。
今日の場合、和辻の『風土』に触れたところで、重力とその抗力の関係がどうしても頭から離れなかった。
場が混乱するだけだろうと思って別のたとえでしゃべったら、よけい混乱してしまった。参った。……ウケたけど。僕の場合、今、自分が考えていることがまず頭の中にパッと図で浮かぶのだ。
そしてそれを、いつもは言葉に直して伝えている。立面図→言葉という順番なのだ。
でもたまに、言葉を使うことが面倒くさくなることがある。そういうとき、物理のメタファーが登場する。
きっと物理って、絵を描くことが多いからなのだろう。関係性を絵で描く訓練を高校物理ではやるわけだから。
それで僕は、物理(特に力学)のイメージをよく利用している、ということなのだろう。
そんなわけで「何言ってんだコイツ」とか冷たくしないでくださいね。
今日は女性をめぐる視点の違いのお話です。
モーニング娘。のアルバム『4th「いきまっしょい!」』に『男友達』という曲が収録されておりまして。
メインヴォーカルをなっちがとってて、なかなかこれがたまんない、という評判でして。
東大出て某フィナンシャルグループで働いている人も通勤列車の中で聴いて涙するというシロモノでして。で、その何が問題かというと、歌詞なわけです。歌詞。
内容を要約すると、ヒロインはその男の子が好きなんだけど、どうしても友達という関係から抜け出せない。
抜け出せなくてちょっとつらいんだけど、でもそれでいいんだけど、でもやっぱりつらい。という話。
それがなっちの声で迫ってくるわけですから、まあなかなかの破壊力を持っておるのです。さて、僕はこの歌詞をそのままストレートに解釈しておりました。
つまり、「殺人的に鈍感な男が淡い恋心を抱く女の子を知らずに踏みつけまくる話」、と。
しかし、潤平はこう解釈しておりました。
「男は鎌をかけてきているのに、ヒロインが鈍くてそれに気づいてくれない話」、と。どっちが正しいというわけではなく、解釈とは人生経験を反映するものだなあ、と考えさせられたわけでして。
“宇多田ヒカルの『甘いワナ』を地でいく男”と呼ばれた僕としては、目からウロコが落ちる思いでした。
ドラムスの先生が片岡鶴太郎にちょっと似ていることにようやく気がついた。
その先生に、「持ってるノリは白人のノリだね」と言われた。よくわかんないけど、そうなのか、と思った。
今のハヤリであるところの黒いノリに違和感を覚えるのは必然だったのか。なんつってな。
僕は作曲する場合、複数の曲を並行してつくっていくことが多い。というか、ほとんどそう。
そうすればひとつがスランプの間、ほかの曲を進めていくことで気分転換ができる。で、いま現在、並行して7曲ほどやっている。たぶん7つというのは過去最多。
しかしながらそれぞれ問題を抱えていて、本当に少しずつしか進んでくれない。
『アッパー』『新型ロック』は1コーラスできてるんだけど、どうも全体の構成が浮かばない。
『演歌』はせっかく歌詞があるのに、メロディにコードがうまくくっつかない。
『よっすぃーだいすき』は曲ができてから1年以上経ってるのに、いつまでたっても歌詞ができない。
『ロックマン』はAメロが出てこない。『ヴィジュアル系』はとんでもなく大幅な直しが必要……。
一番調子のいい曲がひとつあって、それを軸に毎日手を入れてるんだけど、どうも展望がひらけない。困ったもんだ。最近は自宅のMIDIだけじゃなくて、わざと研究室の音源をいじることで気分転換を図ることもある。
一気にできあがってくれればしめたものなんだけどなあ……。あ、このタイトルはぜんぶ仮のものね。マサルが作詞と同時に正式タイトルをつけるのがいつものスタイル。
窪塚洋介はマギー審司にそっくりだ!
一日作曲やらなんやらをしていたわけだけど、深夜のNHK教育で『セサミストリート』やってたのね。
もうアホかと。バカかと。セサミを日本語で放送することになんの意義があるというのだ!
日本語による吹き替えは関係者の悲願だったという記事をどっかで読んだが、もう呆れ果ててしまう。
字幕もなんにもなしでしゃべってるのをリズムで聞くところに意味があるんじゃないか!と言いたい。
日本語をしゃべるエルモに、クッキーモンスターに、グローバーに、アーニー&バートになんの魅力があるんだ!
あー、もう百歩ゆずって本放送は日本語でもいい。でも深夜の再放送は英語にしやがれってんだ。バーカ。
夜中に潤平が来て、熱海のホームページの更新作業を開始。
4ヶ月も更新していなかったわけで、大変申し訳ない気持ち。今後は定期的に更新できるようにしたい。
ちなみに作業中、潤平はひたすらあいぼんの素晴らしさについて語っていた(→2002.5.15)。笑った。◇
昼に起きて東京国立博物館の「雪舟」展に行く。土曜だけど期間が明日までなので最終日よりマシだろ、との判断。
上野公園を抜けて博物館の正面を見てびっくり。チケットを買うのにめちゃくちゃ人が並んでいる。30分待ちだって。
運良くスムーズに中に入れたのだが、会場の平成館に入るまでにもっとすごい行列。中を想像してゾッとする。
そして会場内に入ったら想像どおりの人ごみ。もう何がなんだかわからん状態。過呼吸になりそうやった。
特に国宝の前はものすごい人だかり。作品に近づくだけでこんなに苦労するのは初めてだ。
ざわめきや人ごみの中で水墨画・日本画を鑑賞するのは果たして正しいのかなあ、と思いつつ観る。
けっこうヴォリュームがあったのと人ごみがあまりにすごいせいで、最後はかなり駆け足になってしまった。
やっぱり国宝『天橋立図』は良かった。ちょっと浮いた構図で丁寧に描いてあって、純粋に感動しました、はい。
「雪舟」展はとにかく期間が短すぎ。もっと長い期間やってくんないと、人ごみがひどすぎて鑑賞どころじゃないよ。◇
夜は池袋でHQSのOBによる飲み会。僕だけ学生なので肩身が狭かった。あと資金力の差が正直きつかった。
いや、いいんですけどね。いろんな話が聞けたし。ホントに面白かったし。ええ。またよろしくお願いします。
「価値構造」の授業で和辻哲郎『風土』を読むことが課題になっていた。
それでここ2,3日で狂ったように読み返していたわけで。授業には無事間に合った。実は『風土』は浪人中に読んでいた。模試の現代文で出て、「これだっ!」って思ってソッコー買った記憶がある。
で、天才的なセンスを徹底的に見せつけられた。すげえなーわつじーとため息を漏らしつつ読んだものよ。
ものをつくろうとするとき、規定させられてしまうもの。またそれゆえに名作として語り継がれるもの。
自分が何者であるかをじっくり考えないと、いいものはつくれないってことか。うーん、キビシイ。
ゼミ。今年度からメンバーが総勢20人を超えるので、もうすげえ人でいっぱいな感じ。
そしてそれぞれの人がそれぞれの世界を持っているわけで、それが毎回早いペースでわかっていく。
とてつもないスピード感の中にたたきこまれた印象。よそ見してる暇がない。
逆を言えば今まで毎日よそ見100%で構成されていたわけで、そんなよそ見が恋しいのも事実。
なんとかバランスをとって、おもしろおかしく、充実した日々を送りたいものだ。
潤平があいぼんに遭遇したという話が一夜明けてもうらやましい。今に見ろ。
ゼミ。僕の発表については一定の評価がもらえたようで安心。
でも、ちゃんと本を読んで主張の根拠を固めないといけない。本当の勝負はそれからだ。◇
さて、この日記を読んでくれているということなので、
この日僕の前に発表をした4年生向けにゼミで僕がしゃべったことを整理して書いておく。
ゼミの場だとしゃべりたいことが続々と出てきて、言葉が遅くてまとまらないんだよね。
(これについて僕は、思考は光速だが言語は音速だから、という理由づけをしてるんだけど。)まず、結論から入る。手を伸ばして触れられる範囲。それが存在論の範囲である。
少しでも触れられない距離にある場合、人間はその対象を認識論で処理する。
ただし、手で触れられる範囲内のものも、認識論で処理することは可能である。
また、手で触れられる範囲内のものでも、触覚がはたらかなければ(ex.空気・原子)それは認識論による。
つまり、存在論の範囲は人間が手を伸ばした範囲にとどまり、認識論はすべてを覆うことができる。
目を閉じてみよう。世界を知る/わかるための方法は2つ。触れるか、想像するか、だ。
この状態で触れられるものは確実に存在しているし、また、それについて思いを馳せることもできる。
でも、触れられないものは、想像するしかない。そういう関係。なんとなくわかるよね。
なお、視覚は平面的な画像を視差で立体的に認識している。よって認識論の範囲に入る。人間は身体を媒介として認識をスタートする。これは当然、存在論をベースにしている考え方だ。
僕の議論ではなぜ身体をすべてのよりどころにするのかが説明できていない、という問題点がある。
でも現実に自分の範囲を身体というカタチで持っているのだから、とりあえずそこをすっ飛ばして話を進める。インターネット上の“空間”では、サイト、アドレスなどの現実の空間と同じ名前が使われている。
アイコン(窓・Windows)を通してアクセスし、無限の奥行きを持つ2次元空間を訪れる。
リンクの上でカーソルは指先の形になり、“触れる”ことができる。マウスをドラッグすることも重要なことだ。
つまり、われわれは、現実の身体の感覚をもとにしないと仮想の“空間”を認識することができない。
先輩が言ってた「仮想“空間”上の行為は、実空間のそれと同等な行為をもとに認識する」はまさにそれ。
そもそも認識のために名前をつける場合、発音できない名前をつけることはありえないのだから、
その時点で口という物理的に実在するもの、つまり身体に依拠しているのだ。認識は身体を媒介とする。人間は実空間から身体を媒介として意味を取り出し、はじめて認識論を広げることができる。
ドラムスを例とすると、身体がもたらす物理的接触がまずあって、そこから音が生まれ、
人間はリズム、まあそれはコードであり、最終的には言語──を認識することになる。そして生まれた認識論は、触れるという行為に意味を与えることができるようになる。
それでようやく、認識論がひとつの完結したカタチを示すことができる、すべてを覆うことができるところまで来る。
ここから認識論だけで議論をしようとすると、当然、身体(触れる主体)は置いていかれるってことになるわけ。──以上が、僕の見解。いやあ、われながらまだまだ穴がいっぱいあるね。精進せねば。
夕方からレジュメの作成を開始する。自分の部屋だとなんとなくダウナーになるので、研究室でやる。
どうも最近、読んでいる小説の量が増えてきたせいか、文体に“ゆれ”が出てきた。
潤平も「アニキは日記の表現が感傷的になってきた」みたいなこと言ってたし。書いてみて自分でもそう思う。
晩メシ食って息抜きして仕上げにとりかかる。22時に終わる。
寝る前に文章を読み返す。やっぱり、前とちょっと感じがちがってる。これって成長なの?
研究室の先輩とゼミについての打ち合わせ(個ゼミってやつ)。
僕には学部時代から追いかけているテーマがあって、それをめぐって議論と雑談を3時間にわたってやった。
これだけじっくり話をすれば、当然いろんなことが見えてくるわけなんだけど、
それを今ごろ発見するのもどうかと、研究室になじんでなかったぶりをあらためて痛感した。
テーマ設定についても、読書量が足りないので議論の足がかりがない状態。
論語の「学びて思はざれば則ち罔し、思ひて学ばざれば則ち殆し。」ってやつを思い出す。ダメだなあ、自分。
熱海ロマンで東京ディズニーランドに行ってきた。
……にしてもひどいもんで、まず僕と潤平が30分くらい遅刻、しかもマサルはそんとき池袋歩いてやがんの。
しょうがないのでふたりでメシ食って葛西臨海公園をブラついて時間をつぶす。その後、無事合流。
L,R: 葛西臨海公園をブラつくマツシマ兄弟の図。ディズニーランドに着いてから金をおろしてないことに気がつき、潤平とふたりで走りまわる。
その間、マサルはドトールのホットサンドを地べたに座ってパクつく。見事な団体行動のとれないっぷり。で、スターライトパスポートで中に入る。もうAチケットとかBチケットとか存在してないことにビックリ。
「気分はEチケット(米国初の女性宇宙飛行士・サリー=ライドの名言)」は、もはや死語なのだ。かなりさびしい。ワールドバザールを抜けてトゥモローランドへ。スペースマウンテンに乗る。マサルは日和る。
スペースマウンテンはやっぱり怖い。閉鎖された真っ暗な空間を高速でぐるぐる回るので、それだけでドキドキする。その後、個人的な都合でトゥーンタウンのチップデールの家に行く。ガキに混ざっておおはしゃぎ。
で、ファンタジーランドへ移動。異常にすいてるプーさんのハニーハントに乗る。
ハニーハントはいかにも最新のアトラクションって感じ。凝ってる。マサルはやぐちやぐちと連呼。
L,C,R: やりたい放題のマサル。僕もちょっとはっちゃけてみる。
あとはもう面倒くさいのでダイジェストで書く。
スカスカのビッグサンダーマウンテンと、もっとスカスカのスプラッシュマウンテンに乗った。
もっともっとスカスカで僕ら以外誰もいない状況でカリブの海賊に乗った。人形が超リアルでたまげた。
GW明けはホントにスカスカなので非常によろしい。あとカレー食った。射撃もやった。
L: 射撃で盛り上がるマサルと潤平。 C: 「とんがりコーン」食うとやりたくなるよね。 R: スプラッシュマウンテンで大興奮。そんなわけで、閉園時間にシンデレラ城前で一発芸をやってから帰る(詳しい内容は自粛)。
小さなプーさんの人形を買って「マリー」と名前をつけたらマサルが本気で怒りやがった。笑った。
夜中に金城一紀『GO』を読む。
まず第一に、えらく読みやすかった。本来重いテーマをサラリ、と書きこなしている。
「主人公がかっこよすぎるんよ」というマサルの指摘は当たってる。でもまあ、許容範囲内。(余談だが、マサルは最初と最後だけを読んでいる。「途中を勝手に想像するのがええんよ」とは本人の弁。
マサルの中では、主人公はバオバブの木の前で星の王子様と出会うことになっているらしい。
しかも、それは結婚相手を探しに来たエディ=マーフィーなんだってさ。もうむちゃくちゃ。
マサルは最終章を読んでた僕に電話をしてきて、ラストシーンのネタばらしをして電話を切りやがった。)読んでまず思ったのは、自分の父親に対する幻滅。14のときに一度してるんだけど、あらためて幻滅。
自分の育った環境としての父親に対する幻滅と、歳とって保守的になること(未来の自分自身)への幻滅。
……まあいいや。とにかくいろんな意味でオヤジには読ませたいと思った。どうせ読まないだろうけど。ちゃんとした感想を書いておくと、まあやっぱり面白かった。そして、良くも悪くも作者の若さを感じた。
考える手がかりがいろいろと詰まっている内容なので、読んでおいてまちがいなく損はない、そんな一冊だ。
ゼミ。担当の4年生が熱くて面白かった。しゃべったら先生にほめられたよ。
研究室で、都市計画学会に出す論文のお手伝い。
といっても、あんまり大した仕事はせず。校正とか雑務をやる程度。……しかも校正ミスった。嗚呼。
消印が有効なギリギリまで作業、原付で5分ほどで郵便局まで持っていく先輩。すげえ。その後、タダメシをいただいてまったり。
そしたら研究室の他のメンバーが急遽来るというので、そのままドッキリになだれこむ。
イタズラをやらかすときのチームワークの良さは半端じゃなくすごいです。はい。
いろんな意味で、研究室がひとつになる瞬間に立ち会えて光栄でございました。
何したっけなー。恥ずかしい恥ずかしい言いながら『MUSIX!』見てたのは覚えてるんだけどなー。
つんくプロデュースの音楽について、ある程度の見解を示しておこう。
今までにリリースされたモー娘。のシングルを編曲者に視点を当てて見ていくと、ある特徴が見えてくる。
1stシングル『モーニングコーヒー』は『愛の種』と同じ桜井鉄太郎。これは純粋にアイドル歌謡。
2nd『サマーナイトタウン』・3rd『抱いてHOLD ON ME!』・4th『Memory 青春の光』は前嶋康明。
これは衣装やプロモを見てもわかるが、かなりつんくの意向が反映されたセクシー(それも安っぽい)路線。
5th『真夏の光線』は河野伸。福田脱退を機にアイドル路線に戻した印象。
6th『ふるさと』は小西貴雄。アルバムの先行発売であり、後藤加入の伏線である。売る気のない確信犯の曲。
7th『LOVEマシーン』でダンス☆マンが登場。衣装・プロモの点でも非常に重要なターニングポイント。
8th『恋のダンスサイト』・9th『ハッピーサマーウェディング』もダンス☆マン。ここにコミカル路線が確立。
10th『I WISH』で河野伸。4期メンに焦点を当ててアイドル路線の揺り戻しを模索。頓挫した感あり。
11th『恋愛レボリューション21』・12th『ザ☆ピ~ス!』でダンス☆マン。この2曲の間には半年のブランクがある。
これはダンス☆マンのコミカル路線が安全牌であることを示していると考える。半年空けても大丈夫ってこと。
13th『Mr. Moonlight』は鈴木俊介。吉澤・安倍・後藤のための曲であり、細かい分析にはまだ時間がかかりそう。
14th『そうだ!We're ALIVE』でダンス☆マン。安全牌かつ、センターの意味が明らかに変質した曲。ここから言えることは、“つんくらしさ”は『Memory 青春の光』以降ほとんど消えてしまったという事実。
別ユニットとして生まれたタンポポが代わりにセクシーさを前面に押し出していたが、石黒脱退で完全消滅してしまった。
『LOVEマシーン』のファーのついた衣装、『赤い日記帳』の妙な色気が最後の抵抗って感じだ。
“つんくらしさ”の根拠はコーラス。2音高い和音でハーモニーを合わせるやり方だ。2期メンのコーラス職人ぶりがいい例。
『ラストキッス』『Memory 青春の光』『赤い日記帳』あたりを聴けばわかってもらえると思う。
そしてクセのない声でひたすら裏方に徹していた市井がプッチモニで掘り起こされ(掘り起こしたのは紛れもなく後藤)、
青色7のセンターを最後にバラエティ志向の4期メンと入れ替わるように脱退したのは、ものすごく示唆的である。『LOVEマシーン』以降のお祭り騒ぎには、実はつんくはそれほど関与していないのではないか、と考える。
ダンス☆マンを核に実力ある編曲者部隊が確立された。また、メンバーの低年齢化も進んだ。
有能なブレーンの力をフル活用すればいいわけだし、ムリしてセクシーに走る必要性もない。
そして、「つんくプロデュース」はブランド化した。今のつんくの役割は、ただ存在することで安心させること。
……これは良い悪いの話ではない。事実を追いかけて考えた、僕なりの分析結果でしかない。安定期に入ったモー娘。の音楽を眺めてみて、ふと考えることがある。
『LOVEマシーン』があんなに売れたのは、セクシーとコミカルが二度とない形で結合したからではないか。
じゃあ現状のコミカルに何か足そうか、と考えても、なかなかそんなギャンブルはできないはず。それでいいと思う。
過渡期に一瞬だけ見せた光。偶然と必然が生んだ怪物。そんなもの、簡単に生まれるはずがないんだから。結論。言語感覚、コーラスへのこだわり、どうしても明るくなりきれない曲調といった“つんくらしさ”を考えたとき、
いわゆる「つんくプロデュース」の最高傑作は太陽とシスコムーンの『ガタメキラ』である、とわたくしは確信しています。
ここんとこ、自分の部屋が大嫌い。息苦しくなる。何もできそうにない気分になってしまう。
激しく流れている時間の中で、じっとしていると置いていかれそうで、それだけで怖くなるのだ。そんなわけで、『ハロモニ。』が終わってソッコー自転車にまたがる。
いい天気だ。できるだけここから離れよう、できるだけ遠くに行っとくか、と思う。高輪の清正公周辺でお祭りをやっていた。けっこうな人出だ。自転車を降りて歩いてみる。
狭い坂道に屋台が並ぶ。往路はモー娘。関連のグッズがやたら多いことに感心。ミニモニ綿菓子とか。
復路は江戸時代から続く空間と社会の関係性に思いをはせる。テキ屋という商売の後ろに見えるもの。北上して、三田を横切る。オーストラリア大使館や簡易保険センター、三井倶楽部などの建築にちょっと感動。
GWの霞ヶ関はホントに閑散としている。そのまま内堀通りをパレスサイクリング。そして神田へ。
如水会館を横目で見つつ、コンビニに入って麦茶を買いこむ。飲んだら、もう、夏の味がした。
神保町周辺はお祭りだったり救世軍ががんばってたりと活気にあふれていた。なんか得した気分。
靖国通り沿いのスポーツ用品店をブラついて、秋葉原へ。でも居場所がない感じがして15分くらいで出る。大手町、京橋から銀座へ。歩行者天国の中を強行突破。『スパスパ人間学』で島崎俊郎がロケをやっていた。
新橋からは第一京浜→国道1号→目黒通り。帰ってきたときにはヘトヘト。シャワーが気持ちいい。お祭りに夏の空気に。いい日だったんだけどね。部屋に戻るとまたなんとなくダウナーな気分になるんだよな……。
マサルと熱海の打ち合わせ。朝の10時に池袋着。とりあえずベーグルを買ってマサル宅へ。
部屋の中に入ったら、昨日必死で片付けしただけあって床が見えていた。すばらしい。……ゴキブリが1匹死んでたけど。ふたりで黙々と作詞についてのブレーンストーミング。飽きたら昼メシ。で、またブレーンストーミング。
15時になって街に出る。カラオケに行っていろいろ歌いまくる。
元ちとせ『ワダツミの木』をふたりで鼻をつまんで歌ったり、タンポポしばりでエロく歌ったり。
でも『4th「いきまっしょい!」』の収録曲が全然入ってなかったのでガックリ。それが目的だったのに……。帰りにマサルの作詞活動を充実させるため、豊島区中央図書館の位置を確認。めっちゃ近所でやんの。
で、それから『テレバイダー』を見るまでひたすらブレーンストーミング。
ノートパソコンとにらめっこしているマサルは、ずっと『レベルE』を読んでいる僕に向かって、
「きっとマンガ家と原稿を待つ編集者って、こんな感じなんやろね。」
僕もそう思う。
ここんとこ将来へのぼんやりとした不安でなかなか寝つけなくて起きると正午過ぎ、という生活が続いている。
それでもそれなりに精神的にも肉体的にもタフに生きているのは、まあなんつーか、自分バンザイな気分。さて、昨日借りたglobeとミニモニ。のシングルをもとにしてトランスっぽいのをつくってみることにする。
去年の12月につくった和音の配列にベースとリズムをのせて組み立てていったら、結局完成してしまった。
音楽って、ベースだわ。……とかワケのわからんことを言って喜ぶ。自分バンザイ。
朝、布団の中で寝ぼけていたら、ガタガタとモーレツにうるさい。どうやらお隣りさんが引っ越していったようだ。
これで入居当初に僕の部屋を挟んでいた両方の人が引越しをした、ということで、なんだか避けられている気分。
いや、実際に避けられてるのかもしれない。なんかバツが悪いなあ、と思いつつ今日も元気に生きる。◇
真夜中にマサルから電話。今夜はケンカしなかった。それって、いつ以来だろう。
2ndアルバムやホームページのリニューアルなど、熱海ロマンの活動について軽く話し合う。
マサルにやる気があるのが救いだよ、ホント。
ある春の日、僕はひとつの賭けをした。
けっこう大切な約束があって、遅れそうなのに、部屋の中が散らかっていて探し物が見つからない。
そこで、僕は賭けをした。──もし探し物が見つかれば、神様は存在する、と。
30秒もしないうちにそれは見つかった。大切なのは神様がいるかどうか、なんてことじゃなくて、
その日以来、ネガティヴになりきれない、あきらめの悪い僕がいる、ということだ。