それでももがく。テーマのヒントを求めて三鷹市へ。
三鷹市にはコミュニティ・センターという施設がある。市庁舎も建てた名物市長のアイデアで、
市内を7つに分け、各地域に体育館・プール・図書室などを備えた施設を昭和50年代に建てたのだ。
行政が空間をつくることでコミュニティを育成する、という施策。飛び込みで様子を見てみることにした。まずは大沢コミュニティ・センター。1974年建設で一番古い。調布市との境界近くにある。
行ってみたら明日のバザーの準備中。パンフレット等をもらった。なんとなく、違和感。次に三鷹駅前コミュニティ・センターに行ってみる。ここではちょっと古い資料をいただいた。やっぱり違和感。
で、最後に牟礼コミュニティ・センター。ここでようやく、聞き取りができた。
基本的なことからいろいろと訊いてみる。親切に応対してくれた。非常にありがたかったのであった。コミュニティ・センターは市から運営資金が出ているんだけど、使いみちは住民協議会が決める。
住民協議会と市をつないでいるのは事務局で、これは専門の職員がセンターに常駐している。市職員ではない。
とにかく、住民協議会が中心なのだ。空間と組織がガッチリできあがっているという印象。帰り道、自転車をこぎつつ違和感の原因を考える。
それは、僕が絶対的によそ者であるということ。三鷹の、その地区の住民であるという絶対条件。
住民票を出しているかどうかだけでこの違和感が消えるという不思議さ。
地区のことを考えれば、空間があるということはすごく大きく機能しているんだけど、
それが三鷹市の予算だということもあって「それ以外」をものすごく強く排除している。
地域にとらわれないNPOとの連携もうたってはいるが、あまり積極的な感じはしない。
これをどう考えるべきか。うーん。
ゼミ。前回の発表から1ヶ月、何も進んでいなくて、それで結局玉砕した。
もう、ぐちゃぐちゃだ。何をどうすればよいやら。何も見えてこない。
つくば市へ。研究室の4年生がワークショップをやるということで、そのお手伝い。
今回は、子どもの遊ぶ空間が学年が大きくなるにしたがって広がる様子を確認するもの。
つくば市の地図を手描きで写したものを模造紙20枚分くらいに拡大、その上を実際に歩くという試みだ。
やっていると5年生の女の子4人が飛び入りで来たので、そっちの担当になった。
いろいろと話を聞いてみると遊び場の領域がハッキリしていて面白い。
はしゃぎまわる若い力に翻弄された気がしつつ無事終了。筑波の風は相変わらず寒かった。
ドラムスたたいてレジュメつくって過ごす。
ゼミ。ワークショップの準備をちょっとだけ手伝って帰る。
潤平に誘われて演劇を観に行く。青年団の『東京ノート』。
平田オリザが岸田國士戯曲賞を受賞した作品だ(平田オリザ『演劇入門』についてはこちら →2002.6.23)。
この話は美術館が舞台なんだけど、これを本当に東京都現代美術館で上演するっていうから大変だ。
観に行かない手はない。喜び勇んで現地へ。行ったはいいけど現美が開いていない。月曜日は休館日なのだ。
慌てて近くのコンビニで『ぴあ』を見てチェックする。……だいじょうぶみたい。
とりあえずバーミヤンで昼飯を食ってから、頃合を見計らってもう一度現美に行ってみる。すると、人が並んでいた。時間になって現美が開いた。つまり、休館日だけど演劇のために開けるってわけ。
チケットを買って中に入ると、売店だけが開いている。なんだか新鮮で、潤平といろいろ見てまわる。
僕の人生を変えた「ポンピドゥー・センター展(1997年)」の作品集を売っていた。思い切って買った。そして舞台がセットされている奥の方へ。文字通り即席の客席ができている。
その目の前にはソファが3つ並んでいる。これが、『東京ノート』の舞台なのだ。
ソファにはすでに役者が座って文庫本を読んでいる。すでに芝居はスタートしているのだ。
そう、開いていた売店も舞台の一部だったのだ。こんなん、めちゃくちゃかっこいいのだ。あまりにも軽くて自然であたりまえな、空気みたいな芝居だった。
オリザ的にはそこから日常の中のドラマを引き出そうという試みなのだろう。
戦争という思いっきり非日常な背景(少なくとも現在の状況では)を置くことで徹底している。
が、逆にそれで設定だけが浮いてしまった気もする。
だから僕なんかには、戦争の方のドラマだけを無視する違和感がものすごく強かった。特筆すべきは、役者がとんでもなく上手いこと。ホントに上手い。
特に学芸員役のおふたりは、もう本物以上にそういうアカデミックな人間の空気が流れているのね。
そんなふうに、いろんな人間のいろんな空気を毛穴から出せるような人間になってみたい。
ああ、マジで役者ってすごい。格好いい。生まれ変わるならぜったい役者がいい。
なんで自分にはその修行をする度胸がないんだろうって思った。『東京ノート』、話としては、なんというか、ふわりと軽すぎる感じ。
それは、質感がないということ。羽根のように、さりげなさすぎて重みがない感じ。
また、登場人物に会話以上の関わり合いがなく(過去を示唆するだけで)、
彼らの「現在」を解釈するのは完全に、作者から受け手に投げられてしまっている。
これは潔い態度と言うこともできるが、それだけに、くしゃっとつぶれてしまいそうに軽い。
つまり、作者の訴えたいことが存在せず、そこには観客の感情しか残されていないのだ。
この芝居を観て、どう思ったか? ……それだけが、この話の存在理由なのかもしれない。それにしてもこういうクロスオーヴァーな試みはどんどんやるべきだ。本気でカッケー。
OB会が終わってダニエルが家にやってきた。天空のレストランをやったりモー娘。のDVDを見たりして半分徹夜。
なんというかすごく僕らの世代っぽい悩みを吐き出しつつ過ごした。で、夕方になって個ゼミ。方向性が見えない。のたうちまわる。
HQSのOB会。
早めに新宿でダニエルと合流。歌舞伎町周辺をうろつく。
その後すぐにニシマッキーとも合流。続いてマサルもやってきた。4人でうろうろする。時間になって飲み会スタート。マサルが都庁職員のニシマッキーを「都畜」呼ばわりする。
あとマサルは大谷みつほの写真集を見せたりしていた。昼間、握手会に行ったらしい。
まあそんな感じで各人らしさ全開で過ごしたのであったことよ。
いちおう、足りない資料を補完するために国立市役所に行く。
17時になってもまとまらなかった分は図書館に移動してやる。
よくここでクイズつくったなあと、ちょっとしんみりした。
ゼミ。オープニングから出たのはいつ以来かわかんない体たらく。いと情けなし。
自転車を修理に出していると行動範囲が狭まって困る。
朝4時に起きた。しし座流星群は見つからなかった。星なんて、待ってても落ちてこないのね。
立川市役所と国立市役所へゴー。
立川ではいただいたものを補完するべく市議会系の資料をチェック。思わぬ掘り出し物を発見。
国立では市史と市議会史を見ていく。年表がついていたのはラッキー。
国立市役所は1977年9月竣工と、僕が生まれるのと1ヶ月ちがい。隣が小学校で4階建てを3階建てに変更した。
建てた当時の革新市長は審議会制度を積極的に取り入れていて、
庁舎も審議会の答申を経て建てられている。これは、都内では初のパターン。
だけど隣の小学校の関係で完成予定が大幅にずれこんでいる。
国立市役所は学校・公園と隣接しているので、住んでいた頃からなんとなく好きな場所ではあった。17時になって市役所を出る。例の甲州街道ルートで帰る。
が、途中の狛江通りで自転車がぶっ壊れた。左足のペダルとギアの間のクランクが折れたのだ。
頑丈な金属が見事に真っ二つ。「えー? えー?」と首をひねりつつ、左足を蹴って帰る。
家に戻った頃には本気で足が攣りそうだった。
ウソラジオの編集。熱海はすぐに実験に走りたがるなあ、なとど思いつつ。
夜7時にマサルと奥沢のバーミヤンで打ち合わせ。
今回もいつもどおり、大まかなアイデアを出していく作業に終始した感じ。
もう少し具体的な制作活動に重点を置くべきなのだが……。
必死で日記を書いているわけです。
ここ3ヶ月ほど本当にキツくて、それだけ充実してる毎日なのかな、と思ったり。
ログの容量が50KB近い月と30KB程度の月があって、その重さがそのまま価値になると仮定したら。
……僕の生活はムラがありすぎる。
疲れてぶっ倒れていた。
市庁舎を回りはじめたときはタンクトップだったのに、最近はジャンパー必須。
季節を肌で感じているのであった。
羽村市役所へゴー。
甲州街道から新奥多摩街道、昭島で奥多摩街道にスイッチ。そのまま福生経由で羽村へ。
途中でバッティングセンターを見つけたので打ってみる。
プロ野球の投手が映像で出てきて投げるというハイテクな機械。
それでいつものごとく左打席に立ったのだが、投げるのは巨人の岡島なのね。左対左。
困ったことに画面がまぶしくてチラつく。しかも岡島なだけあって変なフォームのうえに荒れ球。
ほとんど納得のいく当たりがないままで3打席は過ぎた。さっさと市役所へ移動。羽村市は1991年に市制施行。庁舎は1978年竣工。ただし今の玄関は1993年に増築されたものだ。
担当の方にお話をうかがう。細かく資料を調べていただいたのだが、増築時のものしか見つからなかった。
そのかわり古い方は市長のスピーチ原稿が見つかった。設計は建築モード。ここも多摩ではけっこう強い。話しているうちに話題が羽村市全体の話にズレる。日野自動車の工場があるおかげで財政はわりといいとか、
羽村駅近くに公共施設が集中してつくられていて、小作駅側は区画整理が進んで住民が変わったとか。
一番の問題は青梅線を挟んで東西に格差がある点。地図を見ると一目瞭然なんだけど、
区画整理が進んでいる具合で格差がはっきりとわかる。これだけ明瞭なのもすごい。話が終わって市長室と助役室を見学させていただいた。その後は1階ロビーの情報公開コーナーで資料収集。
で、またしてもゼミには遅れた。ごめんなさいごめんなさい。
ウソラジオの編集をおっぱじめる。
作業をしながらの会話というのは無責任に脈絡なくなされるものなので、編集がすごく簡単。
でも途中から部屋の中で音楽をかけたのだが、これは完全に失敗だった。
後ろで聞こえているBGMが不自然にならないように、会話を編集するというのは本当にキツいのだ。
スタイルを変えていろいろやってみると、けっこう新鮮で新しい発見があるもんだ。
石本建築事務所に聞き取り調査に行く。
石本は石本喜久治という人が始めた設計専門の組織事務所だ。
多摩地区の市庁舎建築にやたらと強くって、調査対象の27庁舎のうち5つを設計している。
しかし担当したチーフの設計者はそれぞれ違う人とのこと。これはちょっと意外だった。
ある意味、それぞれのアトリエ派が設計の実績を分け合っているってわけだ。組織事務所の強みだ。応対してくださったのは東工大OBの方。設計図や雑誌の記事などを集めてくださった。
どの市庁舎にもど真ん中で関わったわけではないそうで、基本的に設計者の姿勢一般に話題は流れる。
で、海外の市庁舎の例もまじえていろいろと気になってたことをぶつけてみる。
建築士としての誇りと悩みをまっすぐに出して答えていただいて、とても充実した聞き取りとなった。その後、事務所の中を見学させていただく。CADとLANが浸透してるのでふつうのオフィスと変わらない。
打ち合わせ用の椅子は黒の「スパゲッティ」というビニールコードを使った椅子で統一されていた。最上階の休憩室でコーヒーをごちそうになりつつ進路の話などをする。
僕みたいなよくわからん進学をした人間を肯定的にとらえてもらえたのがうれしかった。正直、僕は先輩-後輩のいわゆる「縦のつながり」というのは苦手なのだが、今日に限っては感謝。
やはり同じ空間・場所で過ごした経験というものは、時間を超えて絆をつくるってことを実感した。
研究室で集まった資料をExcelでまとめる作業をやる。あと、参考文献をコピーしたり。
最近になって修論がちょっとスランプ気味。なんとかせんと。
池袋にてマサルと熱海ロマンの打ち合わせ。
今回はポータブルMDにマイクを接続して、マサルの部屋でウソラジオの録音をしてみた。
ただしゃべるだけじゃ面白くないので、マサルの部屋を片付けつつ録音することに。
が、空のペットボトルや空き缶がワンサカ出てくるわ、ちっちゃい虫が這っているわ、
あまりの汚さに半分キレながら掃除するハメに。ウソラジオを聴いていただければおわかりいただけるかと。キリがないので片付け率6割くらいで切り上げて、宅配ピザを頼んで晩ご飯。
黙々とピザをかじりつつコーラを飲む。「太るなあ……」と思いつつ食う僕。
対照的にマサルはこういうまったり感が大好きなようで、「ええなあ……」と繰り返していた。その後はひたすら作詞。マサルは懸案の曲をひたすら修正(前に僕の案が審議になったやつね)。
僕は別の新曲のアイデアを出すのに専念。地道にやっていたらそれなりに形が見えてきた。お互い、あと一息。
21時ごろになってマサルがギブアップ。寝る。しょうがないので帰った。
ひきこもり。ずーっと『天空のレストラン・ハロプロver.』を遊ぶ。
「のの大好きバーガー」をつくって辻を寝返らせたりしてた。
清瀬市役所へゴー。
青梅街道から小金井街道へスイッチ。小金井街道は北に行くと歩道が狭くて本当に危ない。
清瀬駅からは「けやき通り」という道が走っていて、市役所前に行ける。周りは畑だらけで地平線が見えそう。清瀬市役所も1973年オープン。なんとなく曲線が国分寺市役所に似ている。同じK構造が設計したからか。
ここは1928年から役所の土地だったそうで、隣に農協、道を挟んで小学校。歴史の面影が残る。
いろいろと調べていただいた方が僕とほぼ同じぐらいの歳の人だったので、なんかへこんだ。
なんつーか、「もうそんな歳なんだな、自分」と思うとブルーになるね。帰り道、ちょっと東京を脱出してみるか、と思ったのがいけなかった。
新座の住宅街に迷いこんでしまう。持っている地図は都内限定なので道が全然わからない。
本当に帰れるのか、という不安感が募ってきて、たまらず真っ暗な畑の中で歌を叫んでみたり。
もはやリアル『ホーム&アウェイ』な気分。運を天に任せて月の見える方へ自転車をこぐ。産業道路という名前の道路を走っていたら、無事に練馬区に入った。環七で帰る。
あれだけ走りまくっても疲れなかったのは、きっと清瀬駅前のミスドでドーナツを食ったからだ。
ドーナツってカロリーあるのね。
東村山市役所へゴー。
青梅街道を行き、西東京で新青梅街道へ。そのまま行けば到着。志村けんの出身地ですな。
東村山市役所は現在、隣に社会福祉センター(仮称)が建つってことでオープンスペースを改装中。
市役所も社会福祉センターも道を挟んで隣の図書館も石本建築事務所が設計。石本強い。
市庁舎じたいは1973年オープン。図書館の隣にある旧庁舎は1958年オープンで、現在は市民センター。
つまり行政の施設がこの一帯に集中しているってこと。でも特に革新が強かったという歴史はない。
特筆すべきは設計者の選定方法か。候補になった事務所の過去の作品をひとつずつピックアップ、
つまり他市の庁舎を比較することで選んだのだ。こういう例は珍しいと思う。図書館に寄って帰る。例のごとくゼミには遅刻しましたとさ。
『やんパパ』のごっちんいいなァ!
夜中に『池袋ウェストゲートパーク』をやってんのね。リアルタイムで見てなかったんだけど、もう面白くって。
そしたら潤平も僕と同じようにハマってしまったらしい。この勢いで『木更津キャッツアイ』もぜひどうぞ。
ボブ=サップ、本当に頭がいいね、あの人。
ひきつづき一橋祭。
この日はHQSの絡むイベントがあったので、それを見る。スムーズに展開してけっこう面白かったよ。それにしても屋台が史上最高のバカ売れで、行列をつくっていた。そんなん初めて見た。
15時前には完売。売上が大台を突破。信じられない盛況ぶりだった。
たぶん従来のお好み焼きだけじゃなく、焼きそばも売るようにしたのが勝因なんだろう。
なんで僕の代にはそうしなかったんだろう、保守的だったんかなあと、ちょっと反省してみたり。
一橋祭に行った。でも特に見るべきものもなかったので、ダニエル・ニシマッキー両氏とカラオケに行った。
ハロプロ縛りで狂ったようにシャウト。ほぼすべてのユニットを歌いつぶす勢いで時間は過ぎた。夜。「モー娘。ドンジャラ」がないということは、娯楽がないということ。
仕方がないので(?)クイズをして過ごした。久しぶりのわりにはそれなりに押せた。
途中でみやもりが合流したので「ハロプロ俺ランキング当てクイズ」をおっぱじめる。
中二病丸出しのクイズは楽しいなあーなんて思いつつ、みんなでコタツで寝る。
部室でみんなで寝るというのがなつかしくて楽しゅうございました。
さいたま市がモメている。
政令指定都市になるにあたって区の名前を公募したんだけど、それが全然反映されていないって話。公募の結果、1位になった名前を書き出してみると、
A: 大宮西区 B: 大宮北区 C: 大宮区 D: 大宮東区 E: 与野区 F: 浦和西区 G: 浦和区
H: 浦和南区 I: 東浦和区
……正直ここまでバカだとは思わなかった。さいたま市民の人には悪いけど、呆れ果てた。で、区名選定委員会が出した結論がコレ。
A: 西区 B: 北区 C: 大宮区 D: 見沼区 E: 中央区 F: 桜区 G: 浦和区 H: 南区 I: 緑区
こちらはほとんどが抽象的で無個性な名前を並べただけのもの。
でも、住民の人は見沼区が特に気に入らないらしい。「沼」のイメージが悪いって主張があるらしいのだ。
(沼田市や沼津市の住民に対して失礼とは思わないのか。本当にレベルの低い話だ。)
かつてこの地にあった見沼を、記憶からも完全に抹消したいのか。これまた呆れ果てた。仙台市が政令指定都市になったとき、方角をそのまま区名にしないという方針があった。
きちんとした理念があったから、公募1位の区名を採用しなくても大きなモメごとは起きなかった。
実際、決まった名前はどれも地域の特色を感じさせるものばかりだと思っている。それに比べてさいたま市のゴタゴタは本当にみっともない。
確かに地名は暮らしている住民の意思が第一に尊重されなきゃいけないわけだけど、
公募の結果を見る限り「外に向けて何をアピールするのか」という視点があまりに欠けている。
そしてそれは委員会の出した最終案を見ても一緒だ。桜だの緑だのといったプレーンな地名は、
土地、ひいては住んでいる人々が市外に誇るものが何もないことを宣言しているのと同じなのだ。
まあこりゃ、どっちもどっち。賢くない戦いはやるだけムダだよね、ハッキリ言って。
ここら辺で書いておこう。今年のプロ野球、引退する選手について。
巨人:武田、ヤクルト:池山、阪神:星野・遠山、横浜:野村・石井浩郎。たぶんまだ他にもいるけど割愛。
ダイエー:秋山・長冨、近鉄:盛田、ロッテ:平井、オリックス:藤井。たぶんまだ他にもいるけどやっぱり割愛。
今年ほど有名な選手がドッサリ引退する年はないんじゃないか、って思う。
プロ野球に本格的に興味を持って10年ちょっと。なんか、こう、節目って感じで淋しくなる。
それでも来年の3月かそこらには新しいシーズンが開幕していて、歴史は刻まれ続けていく。
立ち止まることが許されないということがどれだけ幸せなことなのか、噛み締める余裕が僕にはまだない。そして、伊藤智仁。ルーキーシーズン(1993年)の7勝2敗、防御率0.91。
金沢での試合。篠塚の一発で負けた試合。新人の奪三振記録を塗り替えた試合だったと思う。
一瞬のきらめきを見せた天才の存在を僕はずっと忘れないでいたい。たとえこの表現が本人に失礼でも。
「再生工場」と呼ばれた以上に多くの選手をつぶしてきた男の社会人野球への“復帰”に怒りを覚えつつ。……と思ったら現役続行とのこと。がんばれ、先輩・荒木大輔のように奇跡を起こしてみせてくれ。