diary 2003.5.

diary 2003.6.


2003.5.31 (Sat.)

雨。

ウディ=アレンは、雨は人の行動に制約を与えて人と人のふれあいを緊密にするから好き、
みたいなことを言ったそうだが、僕がその境地に達するまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。


2003.5.30 (Fri.)

Excelで府中市の組織改正の変遷を追っているのだが、もう、気が狂いそうだ。
研究室で「あ゛ー」なんてうなりながら作業を続ける。がまんがまん。


2003.5.29 (Thu.)

軽く鬱が入る。

……とメモしてあったのだが、具体的にどう悩んでいたのかさっぱり覚えていない。今となっては、まあいいや。


2003.5.28 (Wed.)

野田秀樹『キル』。野田秀樹の戯曲を読むのは初めてだ。

デザイナーのテムジン(ジンギスカン)がファッション界を席巻するという設定がすでに凄いのだが、
繰り出される言葉が想像力をバネにして、どんどん連鎖していく。これが野田秀樹の本領なのだろう。
セリフというより言葉じたいがストーリーをグイグイ運んでいく。読んでいて圧倒されっぱなし。
話としては途中でちょっと見えづらくなった箇所もあったのだが、実際の舞台ではまた違うのだろう、と感じた。
以前から「おもしろい、おもしろい」とは聞いていたが、確かに野田秀樹の話は想像力が豊かだ。
ほかにもいろんな作品が洗足池の図書館にはあったので、修論が終わったら読みまくるぞー!と思うのであった。


2003.5.27 (Tue.)

PS2は背中に光端子のアウトプットがついている。これが助かる。コンポの調子が悪くても、PS2からMP3がつくれる。
なにより、ライヴDVDの音源をMP3にして気軽に楽しめるのが大きいのである。
大学に入学したころに比べると、ずいぶんと便利な世の中になったものだ……と感慨にふけるのであった。


2003.5.26 (Mon.)

鴻上尚史『トランス』。男1人、女1人、おかま1人、椅子2脚でできるという芝居の戯曲を読む。
内容の一番重要なところは、世間の正常/異常という位置づけは実に恣意的なものであり、
人を愛する幸せさの普遍性というか変わらなさは、そういうつまらないレベルを突き抜ける、といったあたり。

つくった本人も言っているとおり、この話は今までのものに比べると格段にわかりやすい。
また、とにかくよくできている、巧くできているという印象。シンプルな分、確かにとても完成度が高い。
読み進めながら、やっぱり、さすがだよなあ……とため息をついてばかりいた。

この芝居は手間をかけずにできる分、いろんなヴァージョンが存在するのだろう。
そしてそのさまざまなヴァージョンを追いかけるのも悪くない、そういう気にさせてくれる作品だった。
金に余裕があれば、この戯曲は手元に置いておきたい。


2003.5.25 (Sun.)

PS2なるものを買うことにした。なんだか従来より良さそうな新型が出るというので、決めた。
もともとPS2のゲームにはほとんど興味がない。『グラディウスIII&IV』は買ったけど。
DVDを手軽に見る方が、目的としては大きい。

日比谷の図書館に本を返したその足で、渋谷へ。そして買った。
で、とりあえずテレビにつなげて再生してみる。ものすごくキレイ。
パソコンで再生するとどうしても粗さが目につくんだけど、テレビ番組と全然変わらないのだ。
後藤卒業のDVDを見たら、去年の卒業の状況がフラッシュバックして、なんだかしんみりしてしまった。
画質がいいと、それだけくるものがあるんだろうか。


2003.5.24 (Sat.)

『アポロ13』をTVでやっていたので、当然のごとく見るわけだ。
この映画は高校生のとき、発作的に映画館でトシユキ氏と見た。
よく考えたら、その次に見た映画が『エヴァンゲリオン』で(みやもりと見た後、潤平とも見た)、それ以来映画を見ていない。
つまり高校・大学・大学院の間に映画館に行ったのは、たった3回だけなのだ。
通算で見た回数なら、演劇の方が多いことになるはず。それはそれで異常だと、ふと思った。

ともかく、何度見てもこの映画は格好よすぎる。特に風疹の抗体がなくて宇宙に行けなかったケンがいい。
僕や潤平がよく口にする「クルーの理論」という言葉は、実はこの映画から来ているのだ。
宇宙船の乗組員だけでなく、地球のスタッフを含めての、クルー。
クルー全員がひとつの目的に向かって実力を出しきったときに化ける「マジック」。
それがこの映画では「名誉ある失敗」として描かれる。もうサイコーだ。
つまらないトラブルで勇気をなくしたときのために、この映画のDVDでも買っておこうか、と思うのであった。


2003.5.23 (Fri.)

身体障害者施設のアート化プロジェクト(→2003.5.9)、2回目。

利用者の皆さんとあれこれ話しながら、どの場所をアート化していくか決める。
どんなものができるのかは、まだサッパリわからない。
でも、みんなが楽しみながらやればいい、ということだけを信じてつながっている感じだ。


2003.5.22 (Thu.)

ゼミ。博士の先輩の選挙話と先生の話。いろんな世界があるなー、という楽しいゼミの時間だった。


2003.5.21 (Wed.)

もし品川区の中学校で「洋ピン」という言葉が流行ったら、それは僕のせいです。ごめんなさい。


2003.5.20 (Tue.)

なんだか眠れなくて、ふと思いついて、実行に移してみた。
米米CLUBの解散ライヴを収録した『THE LAST SYMPOGIUM』を聴きながら、
『機動警察パトレイバー』の文庫本を読破した。たまにはそんなこともある。

それにしても『THE LAST SYMPOGIUM』はすごい。2曲で終わって、あとはぜんぶアンコールってやつ。
熱海ロマンでやりたいことのほとんどをやられちゃっている。さすがだよなあ、と脱帽するしかないのだ。
『機動警察パトレイバー』は少年誌で連載していたのが信じられないくらい、深い話だと思う。
これだけ「つくりこまれている」マンガはほかにないんじゃないか、とすら思う。
おもしろいものをつくる人間になりたい。とりあえず、今は修論が対象なんだけど。


2003.5.19 (Mon.)

6月以降の研究室での作業地獄に備えて、MP3データをつくりまくっている。
借りてきたばかりのシングルのほか、昔気に入っていた曲も引っ張り出して収録している。

それで、気がついたことがある。以前に比べて、エネルギッシュに曲を聴くことができなくなっているのだ。
まるで、20歳を過ぎると同時に、「聴ける曲」という枠ができてしまったかのようだ。
かつては、とにかくたくさん聴きまくってその中からお気に入りを探し出すことに何の苦もなかった。
でも今じゃ、そんな体力もなければ、そんなヒマもない。これが、オトナになるということなのか。
人間は20歳までに聴いた音楽で、その後に聴くことになる音楽が決まってしまうのかもしれない。
これはちょっと、恐ろしいことだ。


2003.5.18 (Sun.)

コンポの調子が悪くなりつつある。なぜか特定のCDだけ再生できなくなってしまっているのだ。
MP3をつくるにあたって、そういうときにはプレステからアナログでつないで録音している有様。
ちなみに夏場暑い日にMDを録音すると、できたやつが音トビするのは去年確認済み。
よく考えればこいつも7年目になるのだ。あと3年は、なんとかやりくりしていきたいものだ。


2003.5.17 (Sat.)

TSUTAYAに寄ったら偶然、期間限定で『モンティ・パイソン』のDVDを3200円で売っていたのを見つけた……。
今までコツコツ集めてきた努力はなんなんだ!


2003.5.16 (Fri.)

自分が天才であることを久しく忘れていた。
……まあ「天才」って表現はオーバーすぎるにしても、過去の財産をすっかり忘れていた。

今、熱海ロマンが停滞しているのは、ひとえに僕と潤平のせいである。
潤平は個人の仕事が本気で忙しくて身動きが取れない。僕は僕で修論を最優先させてもらっている。
(2ndにおけるマサルの仕事はほとんど完了しているので、現在マサルは英気を養っている状態。)
それでここんとこ、まったくMIDIに手をつけていない毎日が続いているのだ。

久々に、自分がつくった2ndアルバムへの収録予定曲を聴いてみた。
まるで別の人間の作品のように聞こえた。今の自分の体たらくからじゃ、絶対に生まれないメロディ。
自分で言うのも呆れてしまうのだが、今売っている下らないJ-POPなんかとは比べ物にならない。
これをこのまま埋もれさせるわけにはいかない。でもいじっているヒマも見つからない。

どうしょうもないので、自分を納得させて眠る。「ガマンだ!」


2003.5.15 (Thu.)

修論の中間発表をやらなくてもいいことが決定した。バンザーイ!


2003.5.14 (Wed.)

ドラムスの練習。音量が以前より確実に大きくなってきている、と褒められる。うれしい。


2003.5.13 (Tue.)

塾でのミーティングはこの曜日の夜にあるのだが、最近はテストをやらされる。
商品知識をつけるという意味では確かに必要だ。しょうがないや、と思いつつ受けている。
まあそれでも、田舎に育った人間には新鮮な世界が垣間見えて、それなりに面白いのも確かだ。


2003.5.12 (Mon.)

調布の図書館へ行って資料をチェックする。が、通学・通勤もしくは隣の市に住んでいないと貸し出しできない、とのこと。
大田区の図書館を通じて借りることは可能、ということで、おとなしく他の本を読んで過ごす。

夜になって、世田谷は梅丘に移動。燐光群という劇団の『屋根裏』という演劇を観る。
この話は、「屋根裏キット」という組み立て式の狭い屋根裏が売り出されたというフィクション。
その「屋根裏」を通して現れるひきこもりや監禁事件などを絡めて現代社会を浮き彫りにする作品。

まず特筆すべきなのは舞台装置。めちゃくちゃ狭くて不恰好な空間で物語は上演される。
しかし後半に入り、その装置は解体されて広い舞台が現れるのだが、その見せ方がムダなく上手い。
もっとも、劇場じたいもブロックを積んだような地下の狭く重苦しい空間で、客席も屋根裏感覚なのだ。
そういう状況で空間を本当に縮めたり拡げたりするもんだから、印象がさらに強く刻み込まれる。

逆に、ストーリーは少々盛り込みすぎな感じがしないでもなかった。
これは作者の屋根裏・狭い空間から想像される世界・人々をクロスオーヴァーさせた結果だと思うが、
そのせいで、注意深い序盤に比べるとスピード感の増す後半は、まとめきれずに粗くなった感触。
良く言えば、現代を描こうという意欲が強すぎて、話のテンションを上げすぎたというか。
舞台装置や役者がやたらと丁寧だっただけに、そこだけがやたらと目についた。好き好きなのだが。


2003.5.11 (Sun.)

ゲームだ!

朝起きるとなんとなく一日のテーマが決まっている日がある。音楽だったり、自転車だったり、作曲だったり。
今日のテーマは久々に「ゲーム」だった。とにかくゲームがしたい気分。すごくムラムラする。
まず、PS2を買っちゃおうか本気で迷う。いま置かれている状況、緊縮財政を考えると買う余裕はない。
いや、完全にないわけではない。ポイントカードはそれなりに貯まっている。塾講師の給料が予想以上に入ったし。
でも15日に新機種が出るっていうから、それまで待って値が下がるのを確認した方がいいだろう。
そう思ってガマンする。でもゲームがしたい。だからPSの中古ソフトを探すべく、自転車にまたがる。

武蔵小山。中古のゲームを見て歩く。納得のいくゲームにぶつからない。次の店でも一緒。
それなら、自由が丘。地べたに置かれたゲームをひとつひとつ眺める。やっぱり、ダメ。
次の店。ダメ。隣のマンガも見ちゃう。『スカイハイ』はマンガの方が迫力あるなあ。ドラマ、負けてたよ。

で、家に戻ったら晩飯時。メシを炊きながら昔買ったシューティングをやる。
結局これが一番出費の少ない経済的なパターンだったりする。


2003.5.10 (Sat.)

中1国語の授業。こっちは20人もいる中2英語と違って生徒が5人だけ。しかも全員女子。
だからってウキウキワクワクするようなことはありえない。なにしろ、5人とも本当にうるせえのだ。わめくし。
だけど黙られるよりははるかにマシ。むしろうるさいくらいの方がよく伸びることもわかっているつもりだ。
連中のセンスを磨くために、「編集」をキーワードにして答え方を指導する。頼むから理解してくれよ。


2003.5.9 (Fri.)

環八からちょっと多摩川に寄ったところに、身体障害者の施設がある。
ここでは身体障害者の皆さんが住んだり働いたりしている。そこに、研究室でお邪魔した。
この施設では利用者の皆さんがアート活動を積極的にやっていて、地域との交流も進めている。
今回、施設自体をアート化するプロジェクトをうちの研究室と立ち上げた、ということでお邪魔したのだ。

正直、行くまではビビっていた。めんどくさいなー、って思っていた。
学部の3年生たちは授業の一環として用意されたはずのこのプロジェクトに、誰ひとり参加しなかった。
でも、うだうだ考えるのもメンドクサイし、素直に行ってみることにしたのだ。

現場に着いて、実際に利用者の方と話をしてみる。施設内を案内してもらう。
車椅子用の避難経路ってことで巨大なスロープがついていた。ものすごい建築構造体。絶景かな!
あまりにミニマルでキレイだったのと景色が良かったのとで、一緒にまわったメンバーといたく感動する。
それから地下の食堂を経由、裏通りの方に出て集合場所に戻った。

話しているうちに、利用者の方が近所のおっさんとなんら変わらないことに気がついた。
彼らは、僕たちの隣にいるのだ。いておかしくないし、いるはずなのだ。なのになぜ垣根は生まれたのだろう?

小学生のとき、クラスにいた仲間のことを思い出した。彼とは3年生のときにちょっとしたイザコザがあったけど、
そのイザコザは僕が彼のことを普通の人と同じだと心底思っていたからこそ起こしたことだし、
(周りの大人たちがそう見なかったことが、僕はいまだに許せない。許されないのは大人たちの方のはずだ。)
高校生のとき街で偶然会った彼はふつうに挨拶をくれて、それがすごくうれしかった。……そんなことを思い出した。

そして考えた。ボランティアなんて面倒くさいことは、全然やりたくないのだ。
だけど、僕らが施設を訪れたことで、利用者の方は自然と笑顔を見せてくれた。
つまり、ただ会うだけでいいんだ。会うだけで役に立てる。それならばこんな簡単なこと、やらない手はない。
だから、どんなに修論で忙しくても、プロジェクトには参加しようと思った。会うだけで、役に立てるんだから。

はっきり言っちゃうと、施設からは、病院の匂いがした。この匂いをアートで消せるのか。制度と自由のガチンコ勝負。


2003.5.8 (Thu.)

都立日比谷図書館に行って『地方自治百年史』の第2巻と第3巻を借りる。やたら分厚い本だ。
この内容と前述の松下圭一『日本の自治・分権』を組み合わせて、戦後の行政史をまとめることになるはず。
どこまでできるかわからないが、まあ、やれるだけはやってみよう、と思う。

鴻上尚史のデビュー作『朝日のような夕日をつれて』の戯曲を一緒に借りておいたので読んだ。
出版されたのは1991年上演のヴァージョン。写真入り、1983年版の文章も入っていてなんとなくお得。

中身を読んだのだが、もう、なんというか、破綻している。物語の破綻を宣言した演劇なので、当然なのだが。
これで旗揚げした劇団が世間を巻き込んでいけた時代。目の当たりにできなかったのが本当に残念だ。
やっぱりこれはきちんと上演されたものを観ないとお話にならない気がする。お話になっていないだけに。
でも第三舞台は封印されちゃったので、観る機会はなさそうだ。困ったものだ。

塾の校長がケータイを自宅に忘れたおかげで寿司を食い損ねたのであった。


2003.5.7 (Wed.)

英語の授業。髪の毛立ててったら案の定いろいろ言われた。元気でよろしい。


2003.5.6 (Tue.)

これまた修論の資料にと買った、石川真澄『戦後政治史』(岩波新書)を読む。
内容は新聞記者らしく、極めて冷静に戦後の政治を追いかけた通史になっている。
特にどの首相に肩入れをするというわけでもなく、淡々と時代と政治の関係を書いていくだけ。
むしろこれだけプレーンに書かれたものは少ない。そういう意味で、この本はかなりわかりやすかった。
ここを足がかりにしてより深い知識を得ていくには最適の本と言えそうな気がする。
まあ、それ以上でも以下でもないんだけど、そこが良かった。


2003.5.5 (Mon.)

保田圭がモーニング娘。を卒業した。

よく考えてみたら、僕はさいたまスーパーアリーナに行ったことがない。
ゼミ論文で扱った関係もあって、さいたま新都心には建設中だった頃から何度も足を運んでいる。
どういう経緯で今の姿になったのか、行政の計画段階もコンペの審査についてもなんでも知り尽くしている。
でも実は、さいたまスーパーアリーナの中に入ったことは一度もないのだ。外のデッキを一周したことはあるのに。
機会があればぜひ訪れたいと思いつつ、そのまま。紺屋の白袴。なんとも格好が悪い。
この秋には分割することが決まっているし、モーニング娘。のコンサートで中に入ることはきっとないだろう。
そうなると一生行かないような気もしてしまう。なんだか切ない気持ちになるのであった。


2003.5.4 (Sun.)

友人たちに会うため、日吉に行く。集まったのは総勢7名。
真昼間っからコンビニで酒を買い込んで、友人宅にお邪魔する。
自慢の100インチモニターでモーニング娘。のPVやらなんやらを見る。確かにすごい迫力だけど、僕は欲しいと思わんなあ。

夕方になって渋谷に移動する。やっぱり飲む。酔っ払っているうちに腕相撲が始まる。なぜだ。

終電近くになって綱島に移動する。オールナイトでやっているボウリング場があるそうで、そこに行くのだ。
鶴見川に渡る大綱橋を渡る。歩道と車道の間に鋼鉄の壁があったのでのぼる。気持ちいい。
ボウリング。勝負のかかった最後の最後で2連続ガーター。ひたすらごめんなさいである。
しばらくいろいろとゲームをやって、隣のファミレスでダベっていたら夜が明けた。家に帰る。

僕らはどうして集まったのだろう。どうして集まることになったのだろう。
いや、楽しいし、まったく後悔はしていない。これまでもそうだったし、きっとこれからもそうだろう。
ひとつだけ確実なのは、出会うことをそれぞれみんなが求めていたことだ。理由はそれで十分だと思っている。


2003.5.3 (Sat.)

新宿に修論の資料になる本を買いに行く。さすがは紀伊国屋書店、渋谷にはなかった本がちゃんと見つかった。

で、帰りにTSUTAYAの前でピーター=フランクルを見た。大道芸の準備をしている。
地面には自分の著書が並べてあって、買ってくれた若い兄ちゃんにサインと握手をしていた。
彼は数学の才能が認められてソ連(当時)に留学しているときに大道芸をマスターしたという。
宴会レベルでもいいから、何かひとつぐらい手品か大道芸はできるようになりたいなあ、とあらためて思った。


2003.5.2 (Fri.)

松下圭一『日本の自治・分権』(岩波新書)を読み終えた。修論の資料用に買った本だ。

論旨をまとめるなら、こういうことだ。
基礎自治体(市町村)・国・国際機構がそれぞれ独立した政府として機能するのが望ましい姿である。
日本は現在の中央集権体制から地方分権へ移行しようとしているものの、財政面が釣り合っていない。
しかしながら自治体を主役にした分権化・国際化は避けられないから、国はおとなしく軟着陸を図るべきだ。
こういった内容が本当にしつこく繰り返される。繰り返されることでスムーズにインプットされる効果がある。
おそろしく大胆だが、間違ってはいない発想だと思う。こういう新しい考えを主張できるジジイはスゲエ。

個人的には60年代後半からの革新行政が現在に続く市民参加の道を開いたと考えているのだが、
80年代以降の情報公開の流行と合わせて自分なりの解釈を深めることができた意義は大きい。
さらに、これにNPOやらの動きを重ねて今後の行政を考えることが修論では重要になる。
おぼろげながら方向性が定まった感触がした。まだあともう少し、補強が必要だけど。


2003.5.1 (Thu.)

潤平に勧められた自由が丘のオシャレな美容院なるものに行ってみた。
あのゴールドフィンガー・加藤鷹も行くという(潤平談)美容院だ。

いざ切ってもらったら、髪質がいいと褒められる。
いや、褒められてうれしいけども、それは自分の意志でやったことじゃないし……。
まあそんな具合にいろいろと戸惑いながらも髪を切られていく。

ふだん整髪料はどんなの使ってますかと訊かれて「使ってません」と答えると、使いましょう!と。
水性のワックスを塗られて髪の毛を立てられる。なんだか自分でも見違えましたわ。なんだかオシャレ軍ですわ。
髪の毛を立てるのを計算して切ったんだそうで、会計のときに合わせてそのワックスも買った。
けっこう大きな出費となったのだが、まあそれでもいいかと思えるほどにサワヤカさんになって帰ったのであった。


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diary 2003

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