英語。なぜbe動詞と一般動詞を並べるクセが抜けないんだ!
ミスをなくして点を取る昔の西武みたいな勉強を教えているつもりなのだが。
勉強は頭の良し悪しではなく要領の良し悪しだから、要領良くやればそれでいい、と教えているのだが。
勉強はテクニックと割り切って、出題した相手の待っている答えを考えるようにと教えているのだが。
うーむ。
MP3を狂ったようにつくる日々が続く。
というのも、論文を執筆する時期に備えて、たくさんの曲を研究室のパソコンに入れておく必要があるから。
無事に書けるんだろうか、という不安とちまちま格闘する日々が続いている。
ずーっと前に買ったまま放置していた、いとうせいこう『ノーライフキング』を読んだ。
目のつけどころはさすがだが、結局は流行を嗅ぎ分ける感覚の鋭さが、最後に逃げの姿勢を取らせた印象。
せっかくいい素材を手に入れたのに、終わってみれば「何も語ることはなかった」ってことにしておいた感じだ。
肩透かしを食らってすごく不満だ。
もしかしたら、ニュースを除いて今いちばん楽しみにしている番組は『ハロモニ。』かもしれない。
ちなみに、その次は『タモリ倶楽部』。
国語の授業。
生徒にひとり、あいぼんの下敷きを持ってくるくらいあいぼんのファンの子がいる。
だから自分は吉澤が好きだ、と言っておいた。まあ、それでどうということはないけど。
石田衣良『池袋ウェストゲートパーク』を読み終えた。
第一印象は、とにかく、文章がどうしょうもなくヘタだということ。売り物になるのが信じられないほどヘタクソ。
セリフの部分なんかあまりのひどさに泣けてくる。いまどき、中学生の方がもっとちゃんとした言葉を書く。
でも読み進めていくにつれ徐々に上手くなっていくのがわかる。最終的には「まあ許せるか」というレベルに到達。結局この話は、マコトとその仲間の活躍を描く話だ。つまりは『水滸伝』から踏襲されてきたパターンの話なのだ。
それだけにキャラクターの魅力が作品の面白さを左右する。この点については、まあ及第点といったところ。
日本人はホントに、雑多なキャラクターの仲間が織り成していく話が好きなのだ。この話も、その路線に忠実だ。読み終えてまず思ったのは、文章はヘタクソでも現代を描き切れればしっかりと評価されるもんなんだ、ということ。
最初の話を読み終えて、このシリーズの最新作が直木賞候補になったってことがどうしても信じられなかった。
でも現実に横たわっている問題をテーマに据えて、その周辺の世界を自分なりに構築できれば、それでいいのだ。
そういう意味で、なんとなく勇気づけられた作品ではある(決して褒め言葉ではないが、貶めてもいない)。宮藤官九郎脚本のTVドラマとは別物と考えた方がいいだろう。ドラマは小説と比べると、純粋にはできていない。
その分、ドラマの方が楽しむ余地が多く用意されているのもまた確かだが。
小説は小説で、静かに読んでおくのがいいと思う。そしてドラマはドラマで、わくわく見ておくのがいいと思う。
ゼミ。
4年生相手のゼミは楽しい。手探りで自分の方向性を探る様子を見ることで新鮮な気持ちになれるのと、
それに対して自分はどう反応するのかを考えるとき、今まで手にしてきたものを再確認できるのと、
そういう新しい状況に置かれて新しい返し方をするスリルを味わえるのと。
「教える」 という作業は誰にだってできることだ。問題は、生徒の質問に答えられるかどうかなのだ。
瞬時に答えることができるかどうかで、教えられる科目が決まってくるのだ。
ゼミ。司会。しゃべる。寝ない。集中。この調子で続けられればまったく問題ないのだが。
モーニング娘。の出る『HEY!×3』と『こちら本池上署』、どっちを見るか非常に困る。
だけどよく考えたら、『本池上署』にあいぼんは最初と最後しか出ないのであっさり解決。
夕方、池袋へ。ベーグルを買い込んでから、ジュンク堂で修論の資料になる新書を探す。購入。
それからメシを食って、マサル宅へ向かう。が、南池袋から行ったのがまずかったのか、かなり大規模に道に迷ってしまう。
気がついたらプレートに「文京区大塚」なんて書いてあって、慌ててサンシャインを目印に引き返す。
怪しく雨雲に煙るサンシャイン、その地べた、密集する住宅が湿り気の中に息を潜める。
明らかに江戸時代よりも前からいた鵺みたいな蒸気が体の後ろ半分をそっと支えているようで、ものすごく気持ちが悪い。
虚数空間に引き込まれそうな真空が地面から染み出しているのがわかる。
逃げ出したい衝動に駆られて足を速めたら、都電の線路にぶつかった。三ノ輪橋方面に全速力。
気配を感じて大塚台小の辺りで線路から離れる。後ろから都電がライトを光らせて通過していった。自分は霊感ゼロの人間なのだが、池袋の雰囲気だけはどうしてもダメだ。きっとこの街では暮らせない。
塾で父母会なるものがあって、ふだん教えている生徒のお母さん方を相手に授業の方針をしゃべった。
「中2英語は受験に向けての基礎が目白押しですんで、なんとしても食らいつくようにお願いします。」
10年前に言われたことを自分が繰り返すのは変な感覚。でも今になってみて心底そう思うわけで、
いつの時代も若いモンは言うこと聞かないし、それを先輩は「しょーがねーなー」と見守るものなんだと実感。
人類とは進歩しないもんじゃのう。その後はふつうに国語の授業。終わってなんだか異常に疲れてて、目を閉じたら寝ていた。
◇
事務のアルバイトをしている女性が大学院修士課程在学中で心理学を専攻しているということで、
その論文に使う実験のお手伝いをする。TATとかいったような名前の心理テストを受けるのだ。
ぜんぶで21枚の絵を順に見せてもらい、その絵の前後にあるストーリーを想像するというテスト。
映画のワンシーンみたいなのや風景画、ファンタジックな挿絵風、シュールがかった気持ち悪い絵までさまざま。
そのひとつひとつについてストーリーを考えて、その後どうなるのかをしゃべっていく。
しゃべっていて自分でも傾向があるのがわかる。脱出・脱獄系、仲間と戯れる系の解釈が多いのだ。
こういうのって性格が直に出るなーと思いつつ、絵を見せられるままにいろいろ考えていく。
実験が終わってから聞いたことなのだが、僕は話を考えるスピードがかなり速いんだそうだ。
まあ日ごろからあれこれストーリーを考えるクセがついてるし、小さいころに膨大な絵本を読んで暮らしたし、
そういう影響があるのかも、と思った。とても楽しい実験だった。
個ゼミ。府中での聞き取りの結果を報告、今後の方向性を練る。
それにしてもわりとテキトーに決めた府中という対象が、ほぼベストといえる選択だったとは。
自分でもその悪運の強さにため息が出る。逆を言えばツイてるわけで、このチャンスを逃さないようにしないと。◇
夜、新宿でモゲの会のメンバー、トシユキ・バヒサシ両氏と飲む。
ふたりとも最近は日本酒にこだわっているようで、そっち系統に強い歌舞伎町の店に入った。話の内容はまず、トシユキ氏の会社のドラマチックな展開について。学生の僕には信じられない世間の荒波。
それでも飄々と受け流して見えるトシユキ氏はやっぱりタダモンじゃないな、と思う(本人はかなり悩んだそうだが)。
バヒ氏はバヒ氏で、学生時代に苦しんでいた事柄からはけっこう解放されている感じを受けた。
ふたりはふたりで修羅場をくぐり抜けてきたわけで、そうなると問題は僕の生き様なのだが、
塾講師をしたり論文のことや面白いことを考えたりしているうちにボンヤリと見えてきたことをしゃべったら、
ふたりとも大いに安心していた。足踏みしているから見えることもある、と勇気づけられた気がした(と言わせて)。それにしてもちゃんとした日本酒は本当においしくて、ワサビや豆腐や漬物と一緒にいただくのがたまらない。
そういう和風の落ち着いた飲み方の魅力がなんとなくわかってしまった。ふたりがハマってるのも無理はない。
正直に「ちくしょー、これでオレもオヤジだ……」とつぶやいたら、「素直に、歳、とっとけ」と言われた。
どうせなら、めいっぱい面白く歳をとってやりたい。
府中に行ってみる。「府中ボランティア・NPO活動センター」に行くのが目的。
修論の落としどころとして、NPO団体に空間を用意することを考えている。その実例ということで、聞き取り。いざ行ってみると、施設の中は、本当にまだ始まったばかりという印象。
府中グリーンプラザという公共施設の地下にあるのだが、OA機器をとりあえず設置した会議室って感じ。
後で聞いたところによると、行政がなんでも揃えるとかえってやりづらくなる可能性がある、とのこと。担当の方とあれこれ話をしたが、かなり盛り上がって2時間ほどお邪魔してしまった。
美術館の話や市長の話なんかに逸れたりもしたけど、重要だったのは以下の点。1。府中市ではNPOなどを「社会福祉団体」ではなく「NPO・ボランティア」と表現している。
このような呼び方は各自治体によってまちまちなのだそうだ。それが問題をややこしくしている。
しかしだからといって統一すればいいってもんでもない。対象が行政の言葉じゃ捕まえられないのがポイント。2。府中市では公設公営でこの施設を運用している。本来は公設民営がのぞましいのだが、
NPO団体がまだそこまで成熟していないためできないそうだ。横須賀市・多摩市はその点で先駆的。
他の自治体では現在、このような施設を設置する条例をつくっている最中なのだそうだが、
府中市では見切り発車的に条例によらないでつくってしまった。個人的には、いいことだと思っているが。3。施設を用意したことで、NPO間の横のつながりが生まれたのは大きな収穫とのこと。
直接交流できる場所が確保できたことで、情報交換ができるようになったわけだ。
この11月にはイベントを開催するつもりでいるそうで、どんなものになるか楽しみだ。一番印象的だったのは、言葉の問題。行政の言葉でNPOを表現しようとした瞬間、それは縦割りに飲み込まれる。
しかしそのことを府中市側もわかっていて、なんとかNPOをNPOのままでうまく手を組んでいきたいと考えている。
まずそのためには行政の職員側にNPOという概念を浸透させる必要がある、ということで、
とりあえず当面は言葉の問題と格闘しながら新しい概念の定着をはかっていくみたいだ。なお、もともとこの施設は地下の奥にあったが、今年1月にちょっと表の現在位置に移動したとのこと。
今後は1階への進出をはかっていくそうで、空間と制度との関係を考えると、とても興味深い話だ。で、ついこないだボランティア・NPO活動センターのHPがオープン。リンク張っておきます。
link: 府中ボランティア・NPO活動センター
英語の授業をやっている最中にふと思ったのだが、いま、僕は中2の面倒を見ているわけだ。
辻と加護が加入したときの中澤とだいたい同じ年齢差であることを考えてみた場合、
もしこの連中と僕がユニットを組むことになったとすると……。ひええええ。
中澤のガマン強さとモーニング娘。という集団の異常さを突如、痛感したのであった。
『645』を観たときに買っちゃった、『トリックスター・ザ・ムービー』を見る。
まずは「01 すごい偽物/カーディフの巨人」(→2001.9.8)から見たのだが、かなりこだわって編集している。
客席に誰もいない状態で上演しているのを3台のカメラで追いかけ、ツナギの部分にライヴ映像を混ぜる。
セリフが聞き取りづらかったり光量で苦労していたりするのはご愛嬌。
基本的にこういう演劇のビデオは、観た当時のことを思い出すためのツールだと割り切っている。
もうひとつ、「02 最後のキリン」(→2001.9.10)も見たのだが、01も02も、ちょっと物足りない感じがした。
というのも、1月~2月に観た『トリックスター5・6・8』(→2003.1.31/2003.2.1)が良すぎたからだ。
逆を言えば、成長しているのを確かめた、って感触。
統一地方選挙の前半の結果が出たわけで。
博士の先輩のお兄さんがさいたま市議選・南区で当選。かっけー。
選挙の手伝いのボランティアをするのも面白かっただろうなあ、と今さら思う。
劇団☆世界一団『645』をパルテノン多摩まで観に行く。
潤平の友人、イバノ・フジイ両氏と一緒に行くことに。マサルは現地合流。
で、大岡山駅でイバノ氏の車を待つ。来てビックリ。外車だ。しかもオープンカーになるという。
二子玉川から多摩川沿いに川崎を行く。とんでもなくいい天気。河原は人でいっぱいだ。
いよいよカーがオープンする。その動きを車内で細かく見てみると、潤平が言うように昆虫みたいだ。
後部座席には風が後ろから前から吹きつけてくる。よく風の抵抗をおっぱいの感触というが、
それなら今のオレらは全身これおっぱい責めだぜ!なんてことを思ったが、さすがに口にはしない。
潤平が持ってきたシンディ=ローパーをかける。ものすごい80年代って感じだ。
天気の良さも、オープンカーも、軽い音色も、ぜんぶ80年代。時代をこれだけ強烈に実感したのは初めて。稲城市から多摩市へ。車は休日のニュータウンの脇を抜けていく。
スケールが全然違うし、人工の清潔さが漂う街。ここで生まれたら絶対に原風景になっていると思う。
途中の「くじら橋」の造形に興味を引かれつつ、なんやかんやでパルテノン多摩へ。小ホールで開演を待つ。マサルは本当にギリギリになって到着。だらしないったらありゃしない。
そして『645』。白い布で波しぶきとか馬とか壁とかいろいろ表現するのが今回の特徴。
『645』は大化の改新をテーマに描いた、世界一団の代表作といえる作品だ。
鎌足・中大兄皇子たちを中心に、さまざまな登場人物の思惑がクロスオーヴァーする話。
そのクロスオーヴァーっぷりはさすがで、細かいところまで徹底的に伏線が使いこなされている。
書いたウォーリー木下さんにとっては初期の作品なわけで、なんとなく若さにあふれた内容。
その若さと伏線の入り組み具合がキレイにマッチしていて、時間の感覚を忘れて観入っていた。
これが『645』を上演する最後、ということだけど、残念な気持ちが半分、「しょうがないかも」が半分。
オトナになるために泣く泣く何かを切り捨てるような感情。いつまでもこのままじゃいられない、ってやつ。帰りはマサルと一緒に電車に乗った。新宿で軽くダベって、それで帰った。
吉澤さんもとうとう18歳なんですね。
なんていうか、どうしょうもなくアホなんだけど、こう、流されている自分と対比するのね。
で、すごくみじめな気分になるのね。全然喜べないわけですよ。
そんでもってそんなことで引っかかってる自分にまた自己嫌悪というスパイラル。
まあ、半分は好きでやってるんだけど。
circo氏が上京してきた。どこに行こうか、と潤平を加えた3人で相談した結果、神保町へ行くことにした。
神保町では南洋堂に寄って都市論の本を買った。
それからちょっと歩いて、イギリス風の飲み屋に入ってサンドウィッチを食った。
話しているうちにいろいろと話題がいい具合に拡散していく。
浪人中もそうだったけど、にっちもさっちもいかなくなってそれが臨界点にいって破綻した後はなぜかすっきり。
それはそれでまあしょうがないよね、という空気でいろいろとしゃべるのは嫌いじゃない。水道橋に着いて、circo氏は総武線で新宿へ。僕と潤平は地下鉄でそのまま大岡山へ。
ゼミ。当番で、去年の発表以降に新しく付け加わった部分を出した。
「新しい公共」というヒントをもらう。方向性は間違っていないようだ。
あとは分析と調査、論文が書ける程度で両方のバランスを保っていくことだ。がんばらねば。
バグダッド陥落。
本当はあんまりこういうことは書きたくないけど、何も書かないのはフェアじゃないので、手短に。恐怖政治のフセイン、ネオコン傀儡のブッシュ。どっちの側にも正義はない。
ただ、イラクの人々が苦しんでいたのは確かだ。苦しみを感じないでがんばった人もいたけど。戦争という行為は、つねに「その場しのぎ」でしかない。当座の敵を倒す、二項対立の「その場しのぎ」。
(イラン・イラク戦争でイラクを支持した国が、わずか20年後にそのイラクに攻め込むという矛盾。)
国債を発行するのと一緒。将来を担保に、現状を改善しようとする行為。
だから戦争をするのであれば、できる限り未来を削らないでやるしかない。
そのリスクをペイできると認められた瞬間、戦争という行為が執行される。誰が認めるのかが最大の問題だが。
ブッシュとブレアはペイできると判断したようだ。その正誤をしっかり見きわめることが、僕たちのすべきことだ。マスコミにも正義はない。
繰り返されるお涙頂戴の報道。くだらない。お前らは何を主張するのか?
戦争をする/しない双方のリスクを冷静に伝え、その判断について語ることこそが必要ではなかったのか。
反戦デモに参加した勘違いさんたちも一緒。首相の小泉が戦争を支持したこの状況下では、
いくら戦争反対をデモという下等な手段で訴えたところで、それは何も意味をなさない。
目の前の二項対立に反対したところで、その近視眼ぶりは戦争を容認する人とまったくかわらないのだから。
戦争に反対するなら、戦争をしないリスクをペイする代替案を示せ。それがヒューマニズムってもんだ。涙で人は騙せても、人を救うことなどできない。もちろん暴力でも人を救うことなどできない。
府中市役所へ。ゼミ発表前に事務報告書をチェックする。
やってみたら広報に載ってない機構改革を発見。課の下の係レベルで調べていく。
その最中、本気で気が狂いそうになる。しんどすぎる。16時には大岡山に戻って、今年度第1回目のゼミに出席。
その後の新4年生の歓迎会には塾の仕事で参加できず。ルーキーの皆さん、本当にごめんなさい。
昼前に塾に行き、春期講習会の報告書を書く。
同僚の方の多大なる協力のおかげで、無事提出できた。どうもありがとうございました。
そういえば全然書いてなかったのだが、職場はホントにいい人ばかりです。サイコー。◇
で、午後になってルフェーヴル読書会。
どうも自分はレジュメ当番のときとそれ以外で集中力に大きな差が出る。
というか、読み込みの密度が違うせいか、マトモに話ができていない。みともない。
研究室でひたすら調査結果のまとめ。死ぬ。これも潤平に習ったIllustrator使用法を忘れたせいだ。激しく後悔。
『ダイ・ハード』を見る。テレビで何度か見ているけど、今日は制作者の視点で見る。
こんなに面白いつくりになっていたのか、と今さら目からウロコ。
何が面白いって、テロリスト側の恐怖、つまり姿の見えない主人公に対する恐れをしっかりと描いている点だ。
もし敵が恐怖を感じないのなら、いくら主人公が活躍をみせても、それはただのカタルシス止まりになる。
敵も等しく主人公を恐れている分だけ、物語全体を包み込むように、じっとりとした緊張感が増してくる。
後半に入ると、それを利用してさらに観客を緊張させるシーンが出てくる。
徐々に敵に情報が漏れ出していくことで、主人公の立場が危うくなっていくというギミック。
そうやって盛り上げていく手法は、シンプルだがボディブローのように効いてくる。
この作品にはそういう地道な伏線が多く張られている。舞台となっている空間はナカトミビルの30階(だっけ?)以上ということで、ずいぶん限定されている。
そして、その中でのやりとり(戦い)と、ビルの外とのやりとり(無線会話)が交錯する構成。
やはり舞台空間が広いと話の内容も拡散しがちになるけど、それをうまく抑えている印象だ。
物語が進行する空間をあえて閉じることによって、話の密度を上げて観客を引き込むことに成功しているのだ。まあ結局伏線の処理が大雑把になっちゃってる部分もあるけど、つくり込んでいる姿勢は十分伝わってくる。
また今度ヒマがあったら見たいな。
塾で全体研修。都内某所のホテルを借りて、時間講師も専任もいっしょくたで社長の話を聞く。
気合の入った人が何人かいて、なんというかまあ、こういう世界もあるんだなー、と思った。帰り道、校長(僕より1歳上)に感想を聞かれたので、
「なんだか貴重なモンを見ちゃった気分ですねー」と答えたら、「マツシマ先生、建設的ですねー」。
ウチの校舎は皆さん適度にテキトーなのでステキ。いや、ホントにステキ。
『ポセイドン・アドベンチャー』。
ラスト前、「えー、そこでそれかよー」と叫んでいた。うーむ、切ない。話じたいはそんなに面白くなかった。はい。◇
昼に研究室で調査結果をまとめて、夜は英語の授業。
個人的に英語はセンスで解くものだと考えている。習うより慣れろ。
でも塾講師がそうやって放任するわけにもいかないので、強制的に慣れさせる方法を模索中。難しいワー。
昼の間に研究室で調査結果をまとめておく。
2月に調べておいた府中市の政策・機構改革の歴史・公共施設について年表をつくってまとめる。
とにかくデータが膨大な量。どこが使えるのかイマイチ見えないので、わざと詳しくやっていく。それがつらい。◇
夜になったら塾講師。今日は英語の授業。
不規則動詞の過去形、やる気のあるヤツとないヤツで天と地ほどの差が。たのむよ~。
個ゼミ。来週のゼミに向けてやるべきことを確認。いっぱいありすぎ。ヒー。