今回のEURO 2008はダイジェストをテキトーに眺める程度だったのだが、確かにスペインのサッカーは面白かった。
ボールを持った瞬間に無数にパスコースができていて、長短さまざまなパスを交わしながら全体が上がっていく。
そしてゴールを狙うタイミングになると、選手がめちゃくちゃな速さで走ってシュートを打つ。
日本代表や甲府もこんなふうに、明確に前へ出る意図を持ったパスをつなげるサッカーをしてほしいなあと思った。
ともかく、今までスペインはへなちょこというイメージが強かったのだが、今回は文句なしなのである。すごいわ。
床屋に行って、帰りに久々にCDを借りてきた。
偶然、capsuleと同じ棚のすぐ近くにあったのでcargoのアルバムを何枚か借りてみたのだが、これがなかなかよろしい。
男声のラップはまったく好きではないのだが、女声ヴォーカルをフィーチャーした曲が非常に魅力的だ。
特に2ndフルアルバムの『JEWEL』は、どの曲も聴いていて心地よい。捨て曲がほとんどない「打率の高い」アルバムだ。
近々ニューアルバムが出るらしくHPで試聴できるようになっていたが、2ndよりさらにクオリティが高くなっているのがわかる。
1曲か2曲のキラーチューンを武器にするのではなく、全体の完成度で勝負する感じである。
これは今後期待できるグループだなあ、と思ったので日記に書いておくのである。『ユニコーン・トリビュート』も借りてきた。全体的に、「おとなしい」印象のトリビュートアルバムになっている。
参加ミュージシャンはほぼ全員、原曲のイメージを壊すことなく自分の味を出すことに集中している印象だ。
むしろ、原曲の持っているカラーから逆算して起用されたと思われる人も多い(つじあやのとか吉井和哉とか)。
中で群を抜いているのがPUFFY。唯一、原曲(『働く男』)を超えたという印象を持った。一人勝ちだ。
原曲のブルース=リーやサックスという要素をぜんぶそぎ落としてギターとPUFFYのヴォーカルで埋めた結果、
それらが実は原曲の持っていた「迷い」だった、というように思えてしまうからすごい。アレンジが上手すぎる。まいった。
ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』。人気があるらしいので読んでみた。
まず、おそろしく絵がヘタクソ。スポーツマンガなのに動きの軸がブレている。呆れた。
僕らがスポーツに感動するのは、まずその身体の動きに圧倒されるからだ。有無を言わせぬ身体の美しさが根源にある。
そういう観点からすれば、このマンガはまったく評価することができない。まあこれについては後でまた述べる。このマンガは高校野球をテーマにした他のマンガが今まで扱ってこなかった部分、
心理的なことや野球の理論、さらには野球エリートたちの実態の部分にスポットを当てている点が新しいとされる。
それは確かだ。が、果たしてそこだけを売りにして勝負するマンガは魅力的だろうか? 僕はまったくそう思わない。
一言で表現すれば、「理屈バカ」なのだ。理屈ばかりが先行していて読みづらいことこの上ない。
作者の頭の中だけで話を進めていくせいか、ミステリを読んでいるときのような気持ちの悪さばかりが漂っている。
典型的なのは、途中で豪快に「何番誰々三振、何番誰々セカンドゴロ」みたいにしてイニングをカットする点だ。
心理的・理論的に重要な部分だけをクローズアップし、そうでない部分を無視してしまう。試合全体の流れを見ないのだ。
ひとつの試合を生き物であるとみなさず、作者の都合で編集する。つまりこのマンガの試合に魂なんてありゃしないのだ。また、この話は決して、キャラクターが自分たちから動き出して暴れ出すことがない。
なぜなら、キャラクターたちは作者の頭の中にある野球理論の枠内でしか生きていくことが許されないからだ。
だから登場人物は全員、作者と同じ思考回路で動く。そこに他者は存在しない。
物語は他者が交錯して齟齬が生じるからこそ転がり出す。そういう要素がまったくもって欠けているのである。
これでは、キャラクターは人間ではなくて人形である。人形どうしのつくられた決まったやりとりなんて楽しいはずがない。スポーツの試合はドラマそのものである。ドラマ、ドラマトゥルギー、物語。それは流れであり生き物である。
ドラマは人間たちを包み込んでいる。ドラマは人間たちよりも大きい生き物である。
人間たちはその自分たちよりも大きい生き物と格闘し、なんとか自分たちの思いどおりに動かそうとする。だから美しい。
ここまで書けば、理屈バカのマンガが面白くない理由はわかってもらえるだろう。
また、頭の中だけではなく、実際に身体が動くことが紡ぎ出す美しさというものが、この世には確かにある。
そしてこのマンガは、スポーツをテーマとしているくせに、それを描くという発想が決定的に欠落している。
はっきり言って、このマンガが存在すること自体が不快だ。サッカー日本代表・現監督の岡田武史は、解説者時代に次のような名言を残している。
「私は理論派の解説者とみなされているようですが、スタンドが一丸となって送るパワーの塊が、
理屈を超えた巨大な力を選手に与えるシーンを何度も見てきました」
スポーツって、そういうもんだろ?
ネタがないので箕瀬遺跡(画像はこの記事やこの記事を参照)について少し書いておこう。
実家のつい50m先にはかつて日本たばこ産業(現JT)の倉庫があったのだが、そこから遺跡が出てきたんだそうだ。
新聞記事(⇒こちら)によれば、縄文時代の住居跡が14、平安時代の住居跡が3つ、弥生時代の墓もあるそうだ。
教育実習期間中に見学会が行われ、わが父・circo氏は参加して様子を見てきている(⇒こちら)。
後になって僕も外から様子を眺めてみたのだが、確かにいかにも遺跡!といった感じであちこちに穴が空いていた。
デジカメを実家に持ち帰っていなかったのが非常に悔やまれる。デジカメがあればいろいろ撮影してみたのだが。
それにしても家から50mの位置に遺跡というのは、いらん想像力を掻きたてられてなかなか面白い事態である。circo氏もブログで書いているように、問題はいかにして水を得ていたのか、ということだ。
南信州の過去の記事(⇒こちら)によると、かつてこの一帯は源長川に向けて傾斜をしていたんだそうで、
そう考えると今の遺跡のある場所は、いい具合に小高い丘の上だったことになる。
circo氏とは「きっと眺めがいいからあの場所に住んでたんだぜ」ということで意見が一致したのだが、
当時の光景を想像してみると、これはけっこうロマンがあって楽しい。
でもやっぱり、「あの家は変人ばっかり」なんて陰口を叩かれている一家が集落のはずれに住んでいたりして。
そんでもってその一家は、今の僕の実家のある辺りに住んでいたりして。そんな気がしてならない。
しまった! ハリセンボンの箕輪はるかが堀北真希に似ていることに気づいてしまった!
◇
やっと山陽~九州西海岸旅行の日記を書き終えた! やったあ!
さあ次はニューヨークを仕上げなくちゃいけないのだ。うーん、つらい。でもがんばる。あ、勉強もがんばる。
注文していたものがあれこれ一気に届いた。さあ、ここからは勉強モードだ!と気合を入れる。
自転車で都心に出る。まずは大学へ行き、介護等体験の書類を提出。
そんでもって水道橋に行ってお金関係の手続き。本当にこういうのはややこしい。新宿に移動するとパソコンの電池がなくなるまで日記を書く。
山陽~九州西海岸旅行の日記もいよいよ大詰めである。われながらがんばって書いているのである。そして夕方からは英語の勉強。疲れが出て前半はグダグダだったが、後半盛り返した感じだ。
中学校での教育実習が効いたのか、前につまずいていた単純な部分が自然とこなせるようになっていた。そういうわけで、昨日の分を取り返すいい一日になった。もっと毎日積極的に動かなければ。
天気が良かったので久しぶりに洗濯をして、どっか出かけるかなーと思っていたのだが、結局そのままずるずる家に。
夜になって、いかん! こんなんではいかん!と大いに反省した。
久々に会社へ行っていろいろもらい、銀行に行っていろいろ手続き。
繰り返すけど、ふだんまったくお金の扱いに慣れていないので、何がなんだかわからない。
しかしそれでもどうにかやりくりする。生活費がかかっているのだ。命がけなので必死なのである。
今月の日記は正直言っておざなりなのである。
旅行の日記の方にエネルギーを消費してしまっているのは事実だし、ネタに恵まれる生活をしていないことも確かだ。
教育実習で詳しく書けなかったのをいまだに引きずっているってのも理由としてはあると思う。
とにかく、日記が早く現実の日付に追いつくようにがんばるのであります。
超久しぶりに新宿で英語の勉強をして、いざ帰ろうとしたらザンザン降り。
泣きそうになりつつペダルをこいで、どうにか家まで戻ってきたのであった。もーイヤ!
交通費と健康のことを考えて、自転車で都内のあちこちへと移動をしているのだが、梅雨は困るのである。
降るなら降るでザンザンいってくれた方があきらめもつく。イヤだけど、しょうがないやと割り切ることができる。
しかし今にも降りそうな状態で一日が終わるのは、気が気じゃない状態が延々と続くわけでたまらない。
梅雨が明けたら今度は炎天下の中、びっちょりと汗をかいて移動することになるのだ。それもイヤだ。
難儀な季節なのである。あー、どっか旅行に行きたいなあ。ムリだけど。
雑務が多いのである。大学に書類を出したり、お金関係の手続きをしたりしなくちゃいけないのである。
教育実習前にもドタバタしたけど、終わっても相変わらずのドタバタぶりだ。
まあ落ち着いたら落ち着いたで、じっくり腰を据えて勉強ができるかというと、その自信もあんまりないのだが。
とにかくうまいこと精神的なバランスを保ちながら、ちまちま努力を続けていくことを心がけよう。
やることはいろいろあるわけだけど、とにかく日記を片付けていかないといかん。
そういうわけで、水道橋まで書類の確認をするために出かけたのだが、ついでに日記も書くことにした。しかしながら、久しぶりに自転車にまたがったら見事にタイヤの空気がスッカスカ。
しょうがないのでいったん新宿まで出て、自転車のメンテをお願いしようと考える。
それで新宿で行きつけの自転車屋に見てもらったのはいいが、ブレーキの部品がないということでメンテは延期に。
とりあえずタイヤに空気を詰め込んでもらったので、これでようやく積極的に動きまわれるようになった。
それで水道橋へ行って書類の確認。しかし手続きをするにはタイミングがちょっと早かったようで、
また来週になってからもう一度訪れることに。いろいろ面倒くさいけど、手順をふまえないといけないことだからしょうがない。その後はなんとなく秋葉原へ。前代未聞の通り魔事件から約10日経っていて、
献花台はテレビで見たのと違う位置に移っていた。自転車でそのまま中央大通りを往復してみるが、
自分のいま走っているまさにその場所が、その瞬間まるっきり別世界になっていたということが信じられない。
ともかく、言葉がない。特に何も買うことなく秋葉原をあとにすると、途中の喫茶店で日記を書く。
教育実習中のことをつらつらと勢いにまかせて書いていく。実習中との生活スタイルのあまりの違いに愕然としつつ、
あまりに密度の濃かった3週間のことを思い出し、少し切なくなるのであった。がんばれ生徒、がんばれオレ。
ようやく東京の家に帰宅。着いたのはいいが、時間の使い方がわからず、ぶっ倒れてそのまま眠る。
教育実習の疲れがとれないこともあり、この日は実家で呆けておりました。
中体連の振り替えで学校が休みだったので、ヘタに街に出ることもできず、ぼんやりとして過ごすのであった。
街へ繰り出した父親は、「中学生だらけだったぞ」と怖いことを言っていた。そんなん、見つかったらアウトじゃ。◇
夜になってみんなでクイズ番組を見る。実家では最近のクイズブームを好意的に捉えていて、
こまめにビデオに録画しておいてはそれを見て楽しんでいるようだ。
クイズ研究会的には昨今のクイズブームはあまりありがたくないベクトルなのかもしれないが、
視聴者参加のマニアックな方向性に嫌気がさしていた僕には歓迎すべき雰囲気に思える。
脳トレやら生活問題やら日本語問題やら雑学やら、いいじゃないか。お茶の間が楽しけりゃそれでいいのよ、と思う。この日の『Qさま!』(この番組もずいぶん激しいリニューアルをしているなあ……)にはデーモン小暮閣下が出ていたが、
ウチの母親は何を血迷ったか、「この人もこんな化粧しとりゃ体に良くないらに」などとたわけたことを言いだす。
「おいおい何を言うんだ、閣下はこれが素顔なんだよ。だいいち、閣下は人じゃなくて悪魔でしょ!」とたしなめる僕。
しかし母親はまったく気にせず「きっと化粧を落とせばエラの張ったベース板みたいな顔をしとるらなあ」と言う。
「それは世を忍ぶ仮の姿で、閣下の素顔はこっちなの! 前に洗顔フォームのCMにも出てたでしょうが!」と僕。
まあ、日本は平和だ。
久しぶりに大町へ行って母方のおばあちゃんの墓参りをしよう、ということで親と一緒に出かける。
まずは飯田の実家の墓参り。本堂が改築中のようで、青いビニールシートが大規模にかけられていた。
将来がなんとかなりますよーにナムナム、とお参り。ひどい子孫ですいませんな。そこからは伊北まで下道を行き、中央道から長野道に入る。
のんびりと景色でも見ながら過ごすかーと思っていたのだが、ここんところの疲れはすさまじく、気がついたらお寺。
大町での墓参りが何年ぶりになるのかわからないが、やっぱりなんとかなりますよーにナムナム、とお参り。安曇野市近辺で昼メシを食う予定だったのだが、入ろうとした店が2軒とも貸切で断られる。運が悪い。
それで結局、松本までそのまま行ってしまった。でもたまたま入った蕎麦屋はけっこう旨くて満足。
ドロリと濃い蕎麦湯を飲むのは久しぶりなのであった。で、PARCOを見てまわって過ごす。
それから松本には行きつけのインテリアショップがあり、店内をぐるっと眺めてお茶して一休み。で、さらに南に戻って伊那に到着。伊那といえばピザなのである。
デパートでしばし時間をつぶすと、お待ちかねのピザタイム。開店とほぼ同時に飛び込む。
父の日ということもあってか、予約席のプレートがちらほら目に入る。繁盛してるんだなあ、と思う。
で、40分ほどしてピザ到着。父親は、1枚目は食べる前にきちんとデジカメで撮影したのだが、
2枚目、3枚目となると、ある程度食べてから「あ、そうだ撮影しなきゃ!」とハッと気がつく有様。
今までに食べる前の完全なピザをすべて撮影できたことがない、という事実に爆笑するのであった。
まあそれだけの引力・魅力を持っているピザなのだということだろう。満腹になったら眠くなるのが自然の摂理。気がついたら車は家の前に停まっていた。
小さい頃からいっつもそうだ。
と、まあ、昨日の日記を読めばそれなりに大団円を迎えた教育実習ではあるものの、実はまだ続きがある。
というのも本日は中体連の地区大会があり、その応援に出かけたのである。朝6時過ぎに学校に行き、男子テニス部員と一緒に会場へ歩いていく。
テニスコートは山腹にあるのでひたすら上り坂。1年坊主と一緒になってのんびりぷらぷら歩いていくのであった。大会が始まるが、男子の出番は少し後。先に女子の試合があるということで、そっちの応援に出かける。
いつもいたクラスの女子にテニス部員が3人ほどいたり、放課後や授業で3年女子のおもちゃになっていたりで、
どっちかというと女子テニス部の方に知り合いが多い感じになっているわけで、素直に応援。
女子は緊張しているのかなかなか練習どおりの実力が出せない。ゲームカウント1-2で初戦を落とした。で、男子。こっちは女子以上に実力を発揮できず、あと1ポイントで勝つというところからの逆転負けを繰り返す。
その崩れっぷりは「呪われてるんじゃないの?」と思ってしまうほどのレベルで、応援していてもうがっくり。
でも選手たちはそれ以上に落胆しているだろうから、表面には出さずに気丈にふるまい通すのであった。結局男子は予選リーグを2連敗で、決勝トーナメントで優勝候補の学校とぶつかることになってしまった。
1ゲーム目を落としたものの、2ゲーム目はあともう少しというところまで追い詰める。が、やっぱり崩れた。無念の敗退。
でも見ていて「ああ、オレ中学生のときにもっとマジメにやってりゃよかった」と心の底から思わさせる戦いぶりだった。女子は予選リーグを1勝1敗で突破。そしてトーナメントの1回戦で最終ゲームのフルセット、しかもデュースまで持ち込む。
何度も何度もアドバンテージをとるのだが、どうしてもあともうひとつがとれない。
そうしているうちに流れが相手にいってしまい、結局ミスからポイントをとられて負けてしまった。
これも見ていて悔しかったなあ。勝たせてやりたかったわ。帰りは現地解散ということで、トボトボ歩いていたら、保護者の車に乗せられた部員たちが僕に手を振って去っていく。
しっかり慕われていたんだなあ、卑屈になっちゃいかんなあ、と思いつつ学校に戻る。
で、学校では消化不良な2年生たちがコートでポコポコ球を打っていた。
最後ということで僕もラケットを貸してもらって15年ぶりに乱打に加わるのであった。◇
夜になって、先生方の慰労会に参加。焼肉なのである。
席には本日の結果を一覧にしたプリントが置かれていたのだが、それを見てびっくり。
あのサッカー部が3-2で奇跡の勝利をあげているではないか。先生方は大いに盛り上がる。お酒もたっぷり入ったところで、それぞれ顧問・応援の先生による各部へのコメントというか状況説明の機会が設けられた。
で、顧問の先生の話によると、サッカー部奇跡の勝利の背景には、実に深いドラマがあったのだった。
まず、相手チームのエースがふだんナメた態度をとっていたのでウチの学校との試合には出してもらえなかった、という事実。
それで2年生主体のチーム同士の戦いとなったのだが、前半終わって0-2で負けていたのだという。
しかし後半、いつも敵にアシストしてしまうDF(ウチのクラスのヤツ……)を思い切ってFWにコンバートした戦術が効いて、
そこから絶妙のパス(というか当たっちゃったボール)がこっちのエースの前に転がるようになり、見事ハットトリックを達成。
あとは必死のディフェンスで逃げ切ろうとするが、残り5分でGKが一発退場してしまう(冷静な判定ではなかったらしい)。
それでもなんとか耐え抜いて、記念すべき勝利を手にしたという感動のストーリーなのであった。これは現場を見たかった。まあそういうわけで、悲喜こもごも、生徒たちにも先生方にも非常に思い出深い大会となったのであった。
そんでもって「若いんだから飲めー! 食えー!」とガンガンあおられて、フラフラになりながらどうにか帰宅したのであった。
毎日その成長ぶりを見ていたツバメのヒナたちが、巣からいなくなっていた。無事に巣立ったのだ。
親ツバメが必死にエサをあげていたおかげか、4羽のヒナたちは日に日に大きくなっていて、
最後には巣に入りきれなくなっていたほどだった。空っぽの巣を見てなんだか切なくなるのであった。◇
教育実習もあっという間に最終日である。十分に親しくなったところでお別れということで、さびしいものである。
で、昨日の研究授業での失態を取り返すべく、できるだけ生徒にしゃべらせるように心がけて1年生の授業をやった。
まだまだ課題は残るものの、先生方の反応を見るに、一定の成果は残すことができたようだ。
方向性はなんとか理解できたので、これをスムーズにこなせるように、東京に戻ったらイメトレをしていかねばなるまい。お昼には全校放送で最終日の挨拶。生放送なので、放送室で待機してその場でコメントをすることに。
例のごとく口から出まかせを言ってお茶を濁したら、ほかの実習生たちから「すごいですよね」と言われる。
自分では“その場に応じてもっともらしい発言ができる能力”ってのを意識したことがなかったのだが、
どうも僕はその能力に恵まれているらしい。まあ、ないよりはあった方がいいとは思うので、素直に喜んでおく。昼休みもいつものように雑談をして過ごす。
そういえば中学2年というのはマット運動でハンドスプリングができる/できないがひとつのバロメーターであるようで、
教室の後ろの方で実際にハンドスプリングをやってみせたら、ものすごい拍手喝采を浴びてしまった。
こんなことでヒーローみたいに扱われてしまうなんて、なんつーかまあ、素直な子たちね、と思うのであった。
あと、給食のときにリクエスト曲を流すようになっていたのだが、ウチのクラスの男子どもは組織票で、
C-C-Bの『ロマンティックが止まらない』をリクエストする愉快な集団である。さすが中2男子、あっぱれだ。
「C-C-Bってココナッツボーイズの略なんだぜー」と教えてやったら大喜びでやんの。お前らホントに平成生まれか。中体連の壮行会が終わって帰りの学活になり、「マツシマ先生を送る会」みたいなイベントが開催された。
先生がつくってくださった授業・給食・休み時間の写真をまとめたものと、色紙への寄せ書きをいただく。
寄せ書きはアグレッシヴなものよりは無難なコメントが多かった。もっといろいろ書いてくれてもいいのに、と思う。
でもそれを目にするたびに、このかけがえのない3週間を思い出すことになるのである。
枕元に置いて気合を入れさせてもらおう、と思うのであった。ちなみに昨日の強盗犯は無事に逮捕された。現場に車を残して逃走しており、そこから捜査をしていったとのこと。
そのあまりの間抜けぶりに、話を聞いた全員がずっこけるのであった。人騒がせな話である。そして夜になり、研究授業の反省会を終えて、片づけを済ませて帰宅。
たった3週間のことなのだが、非常に名残惜しい。うれしいし悔しいし切ない。
いずれどこかで、この名残惜しさを昇華できる機会を持てるようにがんばるのである。今はただそれだけだ。
研究授業なのである。2時間目が別の実習生による音楽の研究授業で、これがすばらしいデキ。
生徒たちがものすごく素直に取り組んでいたわけだけど、そういう面を引き出せたことがまず偉いのである。
そういうわけで、少なからずプレッシャーを感じつつ、3時間目になって自分の番に。結論から言ってしまうと、見事に爆裂。一言で表現するなら「魔法使いの弟子」って感じなのであった。
やはり自分にとって不慣れな教え方をやるというのは、予想していた以上にやりづらかった。
イヤな汗をまるでマンガのようにダラダラとかきながらの授業で、生徒にも「汗かきすぎ」と言われる。
途中で「これは失敗したわぁ~」と変に吹っ切れちゃって、でもまあそれ以降は小康状態で進んだ感じである。
ただ、生徒たちの反応・評価は意外と良かったみたいだ。それが唯一の救いというのが正直なところ。言い訳になっちゃうのだが、この日はとんでもないトラブルがあったのだ。
飯田駅の隣の駅、切石駅近くの郵便局に強盗が押し入り、100万円を奪って逃走するという事件が起きたのだ。
このニュースが学校で伝えられたのがちょうど3時間目に入る直前で、校内では急遽警備体制が敷かれた。
1階は窓も入口もすべてシャットアウト、手の空いている先生方は見張りをするように指示が出された。
おかげで授業中にアナウンスは入るわ生徒たちはソワソワするわでけっこうややこしい事態になっていたのである。
結局、この日に犯人は捕まらず、保護者に連絡をとって生徒たちを一緒に下校させるという措置がとられた。
よりによってこのタイミングでこうくるかぁ~?と、呆れてしまった。ホントに参った。それにしても、生徒たちはこぞって「先生、早く自首しなきゃ」って言ってくんのな。
オレって生まれつきそういうキャラってことなのかね。
明日は研究授業ということで、指導案づくりの詰めの作業に追われた。
同じ内容の授業を別のクラスで実際にやってみて、その結果をフィードバックすることからスタート。
そこから手順をもう一度見直していき、それを形にして仕上げて印刷して配って、もうてんてこ舞いになる。
帰宅したのは23時。あまりにヘロヘロになっていて、メシ食って風呂入って自分の部屋に戻って、
気がついたら朝になっていた。電気つけっぱなし、無呼吸対策のマウスピースをつける間もなく寝ていたのだ。
高校での教育実習との差には本当に驚くしかない。まあ、好きで選んだことだから淡々と受け入れるのみである。
2年生たちは来月、泊りがけで登山をすることになっている。
そのための体力づくりという名目で、月・火・金の午後にグラウンドを10分走ることになっているのである。
先生方も生徒と一緒に走るわけで、当然、教育実習生も走らざるをえないのだ。
僕はもともと長距離は得意種目だったので、まったく嫌がることもなく走っているのだが、
15年前に比べていかに体が重くなっているかを痛感させられて、それがつらい。
そんでもって部活で青春ど真ん中の男子にはどうしても勝てないのもまた悔しい。今日はグラウンド走に参加する最後の日ということで、ちょっと本気を出して走った。そしたらヒザが痛いのなんの。
日ごろまったく鍛えていないところに体重がのしかかったせいで、階段を上るのにも少し苦労するほど。
切なくって切なくって、もう本当にたまらない。
いよいよ教育実習最後の週である。泣いても笑ってもあと5日。気合いが入る。
だいぶ慣れてきたこともあってか、いよいよ女子が本性を現してきた。というか、積極的に話してくるようになった。
……といえば聞こえはいいのだが、そこは中2。実態としては「先生いじり」が本格化してきたのであった。今の中学生の特徴なのか、生徒たちはあまり素直に感情を出そうとしないところがある。
で、僕がいつもいるクラスの女子は、良く言えば「ツンデレ揃い」なのである。しかしこのツンツン具合が半端でない。
目が合えば必ずといっていいほど「キモイ」と言ってくる。何人も集まって「キモイ」「キモイ」の大合唱である。
それで「わかったよ! もうお前らの方には近づいていかないようにするからそれでいいだろ!」と言ったら、
「先生、ウチらが先生のこと本気で嫌ってると思ってんの?」と腕組みして眉間にシワを寄せて返してくる。
そんなん言われたら、「思ってませんスイマセン」と謝るしかないじゃないか。「わかればいーの」「はい」
中には因縁つけてとにかくぶっ叩いてくるヤツまでいる。女子の扱いの上手くない僕は、対応に本当に困る。で、この日の昼休みは体育館使用可能だったため、男子がほぼ全員出払ってしまい、教室には僕と女子だけ。
いつも休み時間には男子を中心に雑談して過ごしていたので、女子はここぞとばかりに近寄ってくる。
しかも僕が逃げないように、5人ほどが放射状に均等な間隔でフォーメーションをとって、教室の隅に追い詰めてくる。
あまりの迫力にムリに逃げ出したら英語科研究室まで追いかけてくるし。なんつーか、本当にいいおもちゃである。
話したいんなら素直にそう言えばいいじゃんよーと思うのだが、そうできないのが中2なのかなんなのか。
ツンデレならデレな部分をぜひとも見せてほしいのだが、女子は集団で行動するのでそれも望めない。
そんなわけで、「オレは18歳以上の女性にモテモテになりたいの!」と心の中で叫びつつ、
休み時間のたびに、ニヤニヤ笑って近寄ってくる女子たちの罵詈雑言を浴びて過ごすことになるのであった。18歳以上にモテたいです。すごく。
午前中は学校へ行って、昨日つくった研究授業の素案を担当の先生にチェックしてもらう。
休日なのにすいません!と思うのだが、ここだけの話、そういうお手間を苦にされないようなので、
そこは素直にご迷惑をおかけするというか頼りきるというか、まあとにかく直しを入れてもらうのであった。
いつも授業の段取りをスポーンと忘れてせっかくの指導案がムダになることの繰り返しなので、
研究授業の指導案については、全セリフを脚本のごとく書いていくことにした。
そうして流れを完全に頭の中にたたき込むことにしたのである。不器用なやり方だが、自業自得なのである。
しかしまあそこまで手をかけてみると、そこで初めていろいろと具体的に見えてくることも多い。
なんせ脚本をつくるということは、究極のイメージトレーニングをやっていることになるわけだから。しかも記録を残しながら。
キャリアがないうちは愚直にやっていくしかねえよなあ、と覚悟を決めて、ブリブリと指導案をつくっていくのであった。◇
夕方になり、駒ヶ根へ出かける。クラフトのイベントがあるんだそうで、親に連れられ一緒に行くことにしたのだ。
霊犬早太郎とヒカリゴケでお馴染みの光前寺からちょっと奥へ進むと、駒ヶ根高原に到着である。
この一帯で「くらふてぃあ杜の市」が開催され、日本全国からクラフトの職人たちが集まってくるのだ。駒ヶ池周辺はクラフトのテントでびっしりと埋め尽くされ、それは県道を挟んだ公園の方にも広がっている。
土岐のアウトレットと同様、両親は運動がてらあれこれ眺めてみるという習慣になっているようだ。
僕としては、自分が良かれと思ってつくるものと世間一般の趣味との容赦のない格闘ぶりがどうしても生々しく、
なかなかクラフトの世界ってのにまっすぐ向き合うことができない。なんとなくヒッピーくさい部分も合わない。
そういうわけで、3人とも特に買い物をするわけでもなく、いちおうはくまなく見てまわろう、という程度のおつきあい。途中で、かつて親戚のおばちゃん(おばあちゃんの妹)が経営していたドライブインの跡地に出くわした。
最初わからなかったのだが、親に言われて角度を変えて眺めてみたら、確かに「ドライブイン太郎」なのである。
小さい頃はよくここに来てすずらん牛乳を飲みながらファミコンをやったもんである。懐かしい記憶が蘇る。
父親の話によると、広い県道が通った関係で周辺の印象が変わったのだ、とのこと。
「太郎」に来るのは20年ぶりくらいになるので、変わっていて当然だろう。でも雰囲気が残っているのはうれしかった。(ところで高原のせいか、やたらとデカいアリがそこらじゅうを歩きまわっているのには驚いた。
体が大きいとそれだけ踏みつぶされるリスクも増すようで、アスファルトのあちこちにアリの残骸があった。ヒー)さて駒ヶ根といえばソースカツ丼を名物として売り出しているのだが、母親が職場でおいしいらしいと噂を聞いた店に入った。
開店前から客が並んで待っている状況で、そんなにすげえのか、と呆れる。でも素直に並ぶ。
並んでいる間、父親は同じように並んでいる還暦くらいの夫婦とその店の話をして時間をつぶすのであった。
そのご夫婦はわざわざ茅野から来たというし、店の前には岐阜ナンバーの車は停まるしで、期待が高まっていく。
で、中に入ると僕と父親はソースカツ丼を注文。母親は肉がダメなのでエビ丼を注文。
30分くらいして出てきたのは、四角錘状に並べられたヒレカツ4枚の上にフタがどうにか乗っている、というボリュームの丼。
食ってみると確かに旨い。量もある。トンカツとはロースであるべきかヒレであるべきかは永遠に決着のつかない命題だが、
ヒレであるべきという立場の人にとっては言うことないレベルのソースカツ丼であろう。行列ができるのも納得がいく。
そんでもってエビ丼のエビフライも、海なし県では考えられないほど太い。噛んだら海の潮の味がするのだ。
なるほどこりゃ確かにすげえや、と感心しながら必死で食べるのであった。余は満足じゃ。
休みなのであるが、出歩けない。したがって家の中で指導案づくりをするのであった。
教育実習もいよいよ3週目に突入するということで、研究授業を意識しないといけない段階なのである。
研究室から借りてきた資料をあーでもないこーでもないと漁りながら、アイデアを練り上げていく。
ある程度キャリアを積めばわりとすんなりできるようになることなんだろうなあ、とは思う。
しかしキャリアのまったくない自分には、ひとつひとつその苦労と真正面からぶつかっていかなければならない。
ここがガマンのしどころである。生徒に偉そうなことばっかり言っている手前、やりきらなければいけないのだ。
とにかくオレがしゃべらなければいいんだ、生徒がしゃべるのを落ち着いて見ているようにすればいいんだ、
今日はそう強く意識して授業に臨んだのだが、ようやくなんとか形になった気がする。
見てくださった先生からも一定の評価は得られたので(しかしまだ足りない、とも指摘された)、
この路線でとにかくがんばろう、と決意を新たにする。しかし午後になり、隣のクラスでやった授業は見事に爆裂。
もともとうまく動かしづらいクラスということもあるし、打ち合わせなしでAETと組むことになったというのもあるが、
それにしても「すんません、ホントすんません」としか言いようのない惨状となったのであった。
でも生徒はそんなに気にしていなくって、逆にこっちに対して無邪気にイタズラを仕掛けてくるくらい。
へこんでいるのを外面に出すことなく、内心でリベンジに燃えるように心がけたのであった。これってけっこう大変。◇
夜になって若手の先生方主催の飲み会に参加させていただいた。
僕がお世話になっているクラスの担任でもある数学の先生と、英語のいちばん若い先生との掛け合いに爆笑。
ふたりとも打ち合わせをまったくしないまま、ノープランでテキトーなことをどんどんでっちあげていくのだが、
その探り合いがあまりにおかしくてめちゃくちゃ笑った。そういう機転が利く人を心底うらやましく思う。
話題はそのうち、実習生への質問コーナー(これがまたいい加減な質問ばっかり)から、生徒の近況などへ移る。
先生方は生徒のダメな部分をイジるような話をするのだが、そこには間違いなく愛情があふれまくっているのである。
笑い、またうならされる、非常に心地よい時間なのであった。ありがとうございました。
ツバメが多い。温暖化の影響なのか、街をピューピュー飛んでいるツバメがやたらと目につく。
4月末の九州旅行でやたらとツバメを見かけたが、1ヶ月経った飯田でも同じようにツバメがたくさん飛んでいる。
登校途中、軒先に4羽のヒナが並んで口を開けている巣を見つけた。
デジカメを持ってきていれば、毎日その成長ぶりを記録できたのになあ、とちょっと後悔。◇
生徒に迷惑をかけられないという意識、それからベテランの先生に見られているということ、
さらに慣れていないことをきっちりやらなきゃいけないという苦しみとで、なかなか授業がうまくいかない。
指導案をつくって授業に臨んでいるものの、見事なまでに手順を忘れてアタフタしている状況である。
表面上は落ち着いているように見えるかもしれないが内心ドッチラケ、というのは僕にはよくあることで、
もう毎日そればっかりである。もっと賢い人間になりてぇ~!と心の中で叫ぶのであった。
今日から実習授業がスタートしたのであった。
あんた塾講師で慣れてるから平気でしょ、とこの日記を読んでいる人は思うかもしれないが、
義務教育の中学校では、講義調の授業は到底認められるものではないのである。
とにかく生徒に英語をしゃべらせること、そして自分は必要最小限のことしか言わない、それが理想だそうだ。
この点について自分の見解を本音で書いていくと、またあれこれキリのないことになるから、
それは一切書かないのである。とにかく、郷に入っては郷に従えなのである。そういうもんなのだ。結果としては、僕の方でしゃべりまくってダメ出し食らいまくりなのであった。
なんというか、僕は沈黙・空白の時間ができることに無意識に恐怖を感じているようなのだ。
それでその間を埋めようと、ついつい言葉が出てしまう。しかし生徒には指示が後追いで出る感じになり、混乱を招く。
しゃべらない度胸、沈黙を恐れず間をとること、それがとにかく必要なのである。
そんでもって生徒にガンガン音読をさせていかなくてはならない。価値観を変えなきゃいけないってことだ。
義務教育である以上、どう考えても先方が正しい。そういうわけで、染み付いたクセとの格闘が始まるのであった。
僕は大学を出て大学院を出て就職して会社員になって、働きながら教員免許の単位を揃える生活をしていた(している)。
だから30歳の教育実習生という、まああまり見かけない生き物として生徒たちの前に現れているわけである。
(でも生徒たちはまったくそのことを気にせず接してきて、逆にそのことに僕が驚かされるくらいだ。)
で、今の中学校では職場体験など、将来仕事をすることを意識させるイベントがあれこれ用意されているのだが、
その一環として、社会人の教育実習生ならではの、生徒たちに向けての進路の話をすることになった。この僕が。話の内容は、将来のことをなぁ~んも考えずに大学院まで行っちゃったことだとか、
そこから就職してどんな具合に働いていたか、出版の仕事の大まかな説明だとか、
あとは中学生の生活の中でどんなことを心がけておくと将来役に立つかってことだとか、そんくらい。
とりあえず「すべてにおいて面倒くさがるな」「挨拶は今のうちからしっかりやれ」の2点は強調しておいた。2学年担当の先生方は全員、大学を出てそのまま教員になった人ばかりということでか、
皆さんこぞって僕の話に感激したとのコメントをくださって、恥ずかしいやら申し訳ないやら。
僕からすれば、こもって仕事をしているよりはいろんな生徒と接している方がよっぽどいい経験だと思うのだが、
先生方は「社会に出ることなく教員になった」ということによけいなコンプレックスを持たれちゃっているようなのだ。
まあでもとりあえず、好評のうちに終わったからヨシとしよう。あー、いろんな意味で恥ずかしい。
今日は1時間目に生徒指導担当の先生の話をお聞きした。
生徒指導というとやんちゃ坊主に喝を入れるイメージが強いが、現場としては不登校の問題のウェイトが大きいそうだ。
15年前とは比べ物にならないほど問題はがっちりと定着していて、その対応の具体的な話をうかがった。
現在、不登校の問題を抱える生徒は統計的にみて、約7%の割合になっているという。
つまり各クラスに2~3名は確実にいる、という計算になる。そしてそれぞれに個別の対応が必要になる。
単純に、学校に行っているから正常、行けない状況を改善すればそれでいい、というものではないのだ。
それぞれの生徒に必要なものを、学校という一定の枠内にとどまるシステムがすべて提供できるわけではない。
そこのところの齟齬というか不自由さというかを本質的に抱えつつも、なお前向きにやっていく。
お話をされる先生からはそういう現実が見えて、問題の根底にあるもののデカさにため息が出るばかりなのであった。
中学校ではいつも運動靴を上靴として使っている。
しかしその上靴は大学入学以来11年目というシロモノで、さすがにもう寿命なのである。
そんなわけで、上靴とスーツを着たときの革靴を新調するために、土岐のアウトレットに連れて行ってもらった。中央道の園原インターまでは下道を行ったのだが、けっこう驚くことがあった。
まず、三遠南信道の飯田山本インターができていたこと。中央道はどんどんほかの高速道路と接続していく。
それから、県外ナンバーの車が非常に多いこと。阿智村付近なんて昔は松本ナンバーしか走ってなかったのに、
今では全国あちこちのナンバーを見かける。東海圏に限らず、関西・四国のナンバーだって走っていた。
ガソリン高騰もどこ吹く風ってな勢いである。「日本は元気だねえ」なんて会話をするのであった。土岐のアウトレットに着くと、メシを食って買い物。
28.5cmのアシックスのスニーカーが2100円という驚きの価格で売られていて即決。いい買い物をした。
それから革靴もテキトーに買って、買い物おしまい。後は僕にとって見る場所なんてない。虚しい。
両親はアウトレットに来て歩きまわることで運動をしているようで、けっこう精力的にあちこち見てまわっていた。帰りは下道をどんどん行こうということで、馬籠に寄る。
前に来たときと同じように(→2005.8.16)、なかなかの繁盛ぶりだった。
日本の田舎も観光地として認知されていれば賑やかなものである。合併問題で話題の清内路から阿智に抜けて飯田に戻る。気がつけばやっぱり車内でぐっすり。