diary 2008.5.

diary 2008.6.


2008.5.31 (Sat.)

教育実習が始まって初のお休みである。まだこの時点では元気モリモリ。
しかしヘタに街をウロついて生徒に見つかってしまうのもよくないので、家の中でおとなしく過ごした。

せっかくなので、15年ぶりに中学校に来てみて「へぇー!」と驚いたことをいくつか。

まず、左利きがやたらめったら増えていること。地球滅びるんじゃねえの、と思うくらい左利きが多い! 異常事態だ。
僕らが中学生だった頃、左手にシャーペンを持ってるヤツなんかクラスに1人いるかいないかという程度だった。
ボールを投げるときだってほぼ全員が右で投げ、左で投げるヤツはやはり1人いるかいないか、だった。
しかし今の中学校では、どのクラスでも、30%くらいは完全に左利きなのである。これにはたまげた。
なんでなのかはわからない。しかし左利きがまったく珍しくなくなっているのは事実なのだ。
温暖化とか電磁波とか関係していたらヤダなあ、と妄想をしてしまうくらい多くなっている。原因がまるでわからん。

うちのクラスは空いている時間に図書館で借りた本を読む生徒が多い。話を聞くと、全校でもかなり読んでいる方らしい。
しかし、その本は圧倒的にファンタジー小説(指輪物語やナルニア国物語みたいなの)のハードカバーが多いのである。
「なんでそんなにみんなこぞってファンタジーなのよ?」と訊いてみたら、「現実逃避したいんな」とのお答え。
僕の中学時代の現実逃避は『信長の野望・武将風雲録』だったりFM音源いじりだったりしたわけだけど、
ドラクエやらFFやらのRPGに熱中していた同級生のことを考えれば、それはまあ納得がいく気もする。
とりあえず、今の中学生が大人になったとき、ファンタジー小説が原風景になっているだろうから、
連中を相手に一儲けするなら、そこを突いてみるべきなんだろうな、と思うのであった。


2008.5.30 (Fri.)

本日はクラスマッチなのである。15年前は「バレーボールクラスマッチ」だったが、今は「球技クラスマッチ」となっている。
(ソフトボール・バレーボール・バドミントンの3種目。ただし1年生だけはバレーボールの1種目のみ。)
生徒の顔と名前を一致させるいい機会である。気ままに各種目を見学&応援していく。

バレーボールは……正直あまり白熱した感じではなかったのでそんなに見ていない。炎天下だったし。
きちんとサーブが入ってミスなくつなげた方が勝つ、という原則を確認した感じである。

やっぱりソフトボールの見学・応援には力が入ってしまう。戦力的にはまずまず運動神経のいいヤツが揃ったのだが、
中にひとり、とんでもなく動きのいい女子が混じってプレーしている。まったく男子と遜色なく活躍してみせる。
そいつは「男勝りで荒っぽい女子」像にあこがれていて、ふだんもそういうふるまいを意識しているほどなのだが、
それにしてもここまでとは。素直に脱帽。でも隣のクラスに打撃戦で敗れた。外野守備と長打力に差がありすぎた。
負けた後、悔しさのあまりバレーボールに参加していた男子とほぼ全員で千本ノックを自主的に始めたのには笑った。
ここぞとばかりにダイブしてシャツを泥だらけにする男子続出。いいクラスだなーと思うのであった。

最後まで長引いたのがバドミントン。それでバレーとソフトの参加者が体育館のアリーナに押し寄せて応援した。
テニス部の女子を中心にけっこう粘り強いプレーを見せていて、思わず「おめーらかっこいいぞ!」と声が出る。
応援すれば「集中できないー」とか文句を言うくせに、応援しないと「ちゃんと応援してよー」と言ってきて、
素直じゃないなーと思う(これは今の中学生全体に言える傾向かもしれない。みんなかなりシャイだ)。
まあ最後には感動的な勝利を飾ることもでき、応援席もこっちもよかったよかった、という雰囲気で終わることができた。

僕としては、このクラスマッチをきっかけに、決定的に生徒たちとの距離が縮まったように思う。いやーホントに助かった。


2008.5.29 (Thu.)

英語の授業の見学で、1年生のクラスと3年生のクラスを見た。
まだ5月ということで、両者のやっている内容に天と地ほどの差があるのは当たり前なのだが、
(1年生はAre you ~?を使えるようになろうとしているところ、3年生は現在完了を完全マスターすべく奮闘中)
もう顔つきからしてまったく別の生き物のようである。特に男子。
あらためて、中学3年間での人間の成長ぶりってのを実感させられる。人間、ここで大きく変化するのだ。
中学生も中学校の先生も大変だなあ、と思う。ぜんぜん他人事ではないのだが。


2008.5.28 (Wed.)

今日も1年生の授業を見学させてもらったのだが、見事に男子連中のおもちゃになった。
人懐っこいのはいいのだが、中1男子ってのは加減を知らない生き物なので、全力でからんでくる。
授業後に担当の先生から「もっとシャキッとしてください」とたしなめられた。これはみともない!

放課後は部活動を見学。中学時代にテニス部だったのでテニス部付きということにさせてもらった。
しかし僕のふだんいるクラスにテニス部の生徒はいないので、ヒマを見てあちこち巡回してみた。
野球部はかなりの人数がいて、2年生は1年生の指導。今の僕からすればそれもほほえましい光景だ。
サッカー部は全員で13名という状況で、しかもお世辞にも運動神経がいいとはいえない連中も混じっている。
かつては市内の別の中学に0-25で負けたというくらいの豪傑揃いだが、それなりに真剣にやっていた。
で、テニス部も人数的には僕らの頃の半分くらいになっていたのだが、これがみんな、なかなかうまい。
かつての僕のようなダメ部員がいなくなって底上げされている印象がした。
(顧問の先生は「15年前よりもラケットが良くなっただけです」とおっしゃっていたが、はてさて。)
部員たちは「先生もぜひ参加してください!」とラケットを差し出してきてくれたのだが、
「中体連前なんだから主役はキミたちだ!」と言って逃げまわり、球拾いに徹するのであった。

で、結局、女子テニス部の3年生たちのおもちゃになる。今度の教育実習はおもちゃになってばっかりだ。


2008.5.27 (Tue.)

1年生の英語の授業を見学したのだが、これがカルチャーショックそのもの。
僕が現役の頃には、おじいちゃんの先生がとても英語教師とは思えない暴言を乱発するという、
ある意味で夢のような授業だったのだが、そういう要素は一切なくなっていたのであった。
まるで教育番組を見るような、みんなで楽しみながらしゃべりましょう、という世界。
いろいろと思うところはあるのだが、そこはぐっと胸の中にしまっておく。なんてったって義務教育だもんなあ。

クラスの方では、世界のナベアツのマネをしたことがきっかけで男子のおもちゃになる。
塾講師をやったことで知っていたはずなのだが、あらためて、中2って子どもだなあ、と思った。
そんな子どもとほぼ同レベルでやりとりをしている自分が情けない。だって中二病だもの。


2008.5.26 (Mon.)

教育実習の初日である。僕が教育実習をやるのは通算2回目で、今回は中学校でお世話になるのだ。
申し訳ないのだが細かくいろいろ書くと問題があると思うので、ここから3週間の日記はダイジェスト版になるのである。

登校すると職員室に近い会議室で待機。ほかの実習生2名と一緒に待つ。
その後、いきなり職員室に通されて挨拶。そして体育館の全校集会でも挨拶。
あまりに久しぶりのことで細かいことを完全に忘れていて、壇に上がってからの会釈を忘れてしまったが気にしない。
緊張しまくって口の中が乾ききってうまくしゃべれない。15年前に比べて生徒数がずいぶん減っている。
まあなんとか挨拶が終わって、最初の時間は校長の話を聞く。ふんふんなるほどと相槌を打って聞いていたが、
後で「とにかくメモをとるように」と注意された。細かい!と思うけど、郷に入っては郷に従うしかないのである。

その後は授業を見学したり、2年生のクラスに入って学級活動に参加したり。給食も掃除も一緒。
初日ということで、僕も先生方も生徒も全員がお互いに探り合う感じで終始した。

ところで生徒たちからやたらと「内藤大助に似とる!」と言われた。
「はぁ!? 全然似てないじゃん!」と返したら、「顔は似とらんけど髪型が似とるから内藤大助に似とる!」とのこと。
どうも中学生の感性というものがわからない。


2008.5.25 (Sun.)

明日からの教育実習に備えて実家に戻る。
バスの中では日記を書く気力がなかったので、おとなしく音楽を聴いて過ごした。
アレだよな、Perfumeのファンって世間にそのことを公言できるからいいよな。


2008.5.24 (Sat.)

サッカー日本代表×コートジボワールをテレビ観戦。
甲府っぽい攻撃があってちょっとうれしかった。ダイレクトで素早くつなぐプレーはかっこいいなあ。
そういう見てて楽しくて、そんでもって最後にはきちんと点を取るサッカーをしてほしいものだ。


2008.5.23 (Fri.)

石川雅之『もやしもん』。「農大で菌とウイルスとすこしばかりの人間が右往左往する物語」とのこと。

3巻ぐらいまで読んだ段階で、いったいこのマンガはどこを目指して突っ走っているんだろう?と疑問が出てきた。
実際、あらすじを要約するのが難しい。沢木惣右衛門直保や結城蛍、美里・川浜といった登場人物を紹介できても、
それが何をどうしてどうするのか、書きようがないのである。だから上記のカギカッコのようにまとめざるをえない。

困ったマンガである。よけいな知識がつくマンガは大好きだ。美里・川浜を中心に、キャラクターも面白い(特に川浜)。
しかし何をしたいのかがわからない。このマンガは何を主張したいのか、何を描きたいのかが、まったく見えてこないのだ。
たぶん最終的には(製造・流通・消費を含めた)「日本酒のあるべき姿」がテーマとなるんじゃないかと思う。
でも大胆な農大生活や樹教授を中心とする各種うんちくなどのバランスが非常に悪い。
結果、どっちつかずで話の大局がつかみづらいまま次の展開へと進む、その繰り返しになっているように感じる。

念のために書いておくが、決してつまらなくはないのだ。でも、もっと面白くできるはずなのにバランスが悪いままという、
そういう一種の気持ちの悪さがつねについてまわっている。誤解を恐れず言えば、酔っ払いの話を聞く感覚に近い。
酒を飲んで酔っ払っているせいで、クドクドと細部にこだわるあまり、言いたい話題がブレてしまっているのに似ているのだ。
こういうときの聞き手は、部分部分は面白いけど、全体としては何が言いたいのかわからない印象を受けてしまう。

それならいっそのこと、うんちくとストーリーをはっきり分けてくれよ、と思う。『攻殻機動隊』くらい欄外で暴れていいから。
キャラクターのセリフの中で補足説明をすることで、ストーリーの側があまりにないがしろにされているように思う。
農大でのぶっ飛んだ生活を中心に据えたいのなら、その面白さだけで勝負すればいい。
菌類についてのうんちくを中心に据えたいのなら、農大の行事をもっと地味にする必要がある。
とにかく焦点をはっきりさせてほしい。今のバランスのままでいくのは、作品にとっても読者にとっても損なことだと思う。


2008.5.22 (Thu.)

天野こずえ『ARIA』。以前、沼津でバヒさんにお世話になった際に薦められた。
心がガサついているときに非常にいいマンガとのことで、読んでみることにした。
書いてみたらネタバレありになっちゃったけど、たいていの人は読んでいる最中に気づくことだと思うので気にせず書く。

舞台は未来の火星。ただしテラフォーミング(惑星改造)により水の星となり、「アクア」とルビがふられている。
この星の港町ネオ・ヴェネツィアでは観光案内の女性ゴンドラ漕ぎである水先案内人(ウンディーネ)が活躍しており、
主人公の灯里(あかり)は友人たちや先輩たちに見守られながら、一人前を目指してがんばるという話である。

実際に読んでいくとわかるのだが、このマンガはほかにはない独特の感触がするのである。
設定が最初からカッチカチに組まれており、よけいな要素は一切入らないままで物語は貫徹する。
まず灯里(ARIAカンパニー所属)、藍華(姫屋所属)、アリス(オレンジぷらねっと所属)ら3人の友情を中心に据え、
アリシア(ARIAカンパニー所属)、晶(姫屋所属)、アテナ(オレンジぷらねっと所属)ら「水の三大妖精」との関係も描く。
会社を超えたヨコの友情と、先輩から後輩へ伝えられるタテの愛情とが、相似の形で綿密に織り込まれているのである。
(水の三大妖精がまだ半人前だった頃の3人の友情も描かれる。過去・現在どちらにおいても、タテとヨコが強調される。)
このマンガでは季節が重要な背景となっているのだが、それとあいまって永遠に続く連鎖のイメージが強く残る仕組みだ。
キャラクターひとりひとりが懸命に練習をし、少しずつ成長して偉大な先輩へと近づいていく。
つまりは、個人の変化が全体の不変(→普遍)につながる構図がつねに強調されていて、世界観が極めて安定している。
そして不安定な要素(世界観を更新させるようなトラブル)を徹底的になくして、少女たちの日常をただただ描くのである。
結果として、まったくハラハラドキドキさせられることのない、しかし成長が約束された時間を読者も味わうことになる。
予定されていた枠を超えることのない、閉鎖的といえば閉鎖的なマンガなのだが、不思議とそれに不満を感じさせない。
このマンガが“癒し”として成立しているのは、その絶妙なバランスを見事に実現しているからだろう。

そういうわけで、このマンガの巧いところは、ゴールをつねに提示している点にある。
おっちょこちょいな灯里に対し、「あらあらうふふ」とふんわりしていながら欠点のないアリシアさんを立ちはだからせる。
灯里にとってゴールはアリシアさんである。最後にはアリシアさんのような存在になることが、予感として読者にはあるわけだ。
ARIAカンパニーがアリシアさんと灯里の2人だけなのは、まさにそれを確定させるため。レールは一本しか敷かれていない。
いかにして灯里は自分の味を出しながらアリシアさんの領域にたどり着くのか。このマンガはその一点のみで成立している。
だから上述のように世界観は閉鎖的だが、その制限された枠の中で目一杯の懸命さが描かれるので、安心して読める。

さらにこのマンガが巧いのは、最後の最後でアリシアさんの「欠点」を本人に白状させていることだ。
アリシアさんは後輩の灯里との時間をいとおしく思うがゆえに、灯里のプリマ(一人前)昇格を避けていたことを告げる。
そんなアリシアさんの人間くささがドジな灯里の姿と重なり、ここで灯里が完全にゴールに到達したことが読者に伝わるのだ。
そしてラストシーンでは、ARIAカンパニーの新人に対して灯里が、かつてアリシアさんがしたように、微笑みかける。
こうして連鎖する世界、個人の変化・成長が全体としての不変をもたらすという構図が完成されて、物語が終わるのだ。

「波乱」という言葉から究極的に遠い位置にあるマンガだが、それでも退屈することなく最後まで読めるというのは、
実はけっこうすごいことだと思う。ただ日常を描いているだけなのだが、それがしっかりとした成長物語として成立している。
緻密な設定と構成がしっかりと効いており、下品な「ドラマチックな展開!」に頼らなくてもこれだけできる、
という作者の腕を存分に見せつけられた作品だ。


2008.5.21 (Wed.)

実家で久しぶりに読んだ、竹内桜『ぼくのマリー』のレビューでも軽く書いておきましょうか。

マッドサイエンティストっ気のある大学生・雁狩ひろしが同じサークルの真理さんに憧れるあまり、
真理さんそっくりのアンドロイド・マリをつくってドタバタ。後にラブコメ。いかにもヤンジャン的なマンガ。
おしとやかでしっかり者でまったく欠点のない真理さんに対して、マリは超おてんば。
でもどっちがいいかっつったら迷うことなくマリだわなあ、と思うのであるが、それはまあ置いておこう。

この作者はすごく頭のいい人だと思う。最初のうちはいかにもヤンジャンな展開で済ませていたが、
そのうちにキャラクターを生かしながら、一歩先へと踏み込んだストーリーを組むようになる。
登場人物たちが自分の性格に苦しみながらも、それをポジティヴに乗り越える姿を実に丁寧に描いていくのだ。
それはアンドロイドのマリも同じで、最後はウルトラCでヤンジャン的なヌルさのエンディングに至るのだが、
後半に入ってから描くべきことを逃げずに描いているので、ようやったようやった、という気分で受け入れられる。
偉そうな表現になるけど、作者がどんどん自分のやりたいことができるようになっていく感じ、
言い換えれば物語のつくり手としてぐんぐん成長していく姿がよくわかるマンガなのだ。
そういう点でも読み応えがあって、非常によいマンガだと思います。


2008.5.20 (Tue.)

東京に帰ってきて日記書きまくりなのである。
半端でない量がたまってしまったので、少しでも消化していかないとマズいことになるのだ。
幸いなことに最近は日記がわりと苦もなく書ける好調期なので、勢いにまかせてキーをたたいていく。
旅行の日記はきちんと調べて書いていかないといけないことが多いので、正直疲れる。
とりあえず先に勢いで書ける部分を進めておいて、後で詳しい情報を付け足していく方式をとる。

それにしても日記は、実際の日付に追いつけそうになるたびに、旅行でグワッと遅れが出る、そんな感じだ。
本当ならその日のうちにその日の分を書きあげられるといいのだが、写真の加工で精一杯なのだ。
山陽~九州西海岸旅行では写真の加工を終えるとだいたい午前2時前で、そのまま倒れるように寝ていた。
そんでもって翌朝5時には宿を出ることだって珍しくなく、よくまあその睡眠時間でやりくりしてたなあ、と思う。
ニューヨークでも同じように夜中まで作業をして、翌朝5時には自然に起きていたし。
どうも僕は、旅先では旅行用の特別モードの生活スタイルに移行するようだ。便利な体質だと自分でも思う。

でも、旅行から戻って日記を書く段階になると、なかなか都合よく進まないのである。
こっちも旅行用の特別モードにならねえかなあ、とため息をつきながらキーをたたくのであった。


2008.5.19 (Mon.)

中学校にて教育実習の打ち合わせをする。
今回、教育実習にやって来たのは僕を入れて3名。僕以外のふたりは同級生なので親しげ。
で、そのふたりにしてみれば見たことのない人がちんまり座っているわけで、そりゃあ対応に困るわな、と思う。
「何歳ですか?」といきなり訊かれたのには参った。まあしょうがないよなあ、と思いつつ「30歳です」と答える虚しさ。

打ち合わせが始まると、とにかくその細かさに圧倒される。
前に高校でやった教育実習のときとは天と地ほどの差がある。
もともと僕の出た中学校は細かくてうるさくて厳しいことで有名だったのだが、15年経ってもそれは健在のようだ。
まあここんところのだらしない生活に喝を入れるにゃいいわな、なんて思いつつ打ち合わせ終了。どうなることやら。


2008.5.18 (Sun.)

実家に帰って、ニューヨークのお土産を渡す。

基本的に僕にはお土産という物を買う習慣がない。誰向けにどれを買う、なんてこと、今回初めて考えたくらいだ。
結局、家族へのお土産は、いろいろ考えるのが面倒くさくてイヤになってしまったので、
目についたものは購入しておき、それを気に入ったらあげる、という方式をとることにした。
それでBONANZAにたっぷりとお土産を詰め込んでの帰省となったのであった。

まずは一番の目玉である、デカくて重いMoMA土産を披露。もう運ばなくていいのでほっとする。
あとは色鉛筆やらニューヨーク・メッツのちょっとクラシック風味な帽子やらを渡す。
焼酎用にと買ったグラスも「これは日本酒向きでしょ」と言いつつしっかりと受け取ってくれたのであった。 
気に入ってもらえなかったら持って帰って自分用にしよう、と思っていたのだが、どれについても異様に喜んでいた。
そんなに舶来の品がいいのかねえ、と思いつつ、浮かれる両親をぼーっと眺めるのであった。

ウチの親は「人間、最低一度は海外旅行をして外の世界を見ておかなきゃいかん!」という考えをしていて、
長男はそれをようやく今年になって実現することができたわけで、「よかったねえ」を連発。
子どもを育てた親として、海外のお土産をもらうってことは、いろいろと思うところがあるんだろうなあ、と考えてみる。
にしても、お土産をまったく使おうとせず、後生大事にパッケージのままとっておこうとするのはよくわからん。
壊したりダメになったりしたときにはまた買いに行く口実ができるだけだし、どんどん使ってほしいんだけどなあ。


2008.5.17 (Sat.)

なんだか一日おきに好調・不調の波が来ているような感じで、今日はきちんと動くことができた。
いつまでも甘ったれているわけにいかんので、なるたけその波を抑えていかにゃならんのである。
セルフコントロールが上手くなりたいなあ、と思う今日このごろ。


2008.5.16 (Fri.)

少なからず時差ボケの影響が残っているところに、規則正しい生活が求められなくなって出てきただらしなさが重なり、
本日はろくすっぽ動けないままで終わってしまった感じである。まったく困ったものである。

毎日わりかし必死で日記を書いているのだが、なんせ量が量なので、一向に片付く気配がない。
いちいち裏を取って確認しながら書いていかないと先に進めないこともあり、思うようにいかないのである。
まあその分、旅行が終わっての日々はしばらく、ろくすっぽネタがない調子になりそうなので、
ここからしばらくの日記はテキトーに済ませることにしてしまうのである。

まあとりあえずは今んところ、いろいろな意味で無事。


2008.5.15 (Thu.)

昨日とは対照的に、今日はきちんと動いた。
自転車で新宿まで出て日記を書き、その後は英語の勉強なのである。

今までは特に気にすることなく、ふらっとチェーン店のカフェに寄って日記を書いていた。
でもこれからはもうちょっと経済的に切り詰めていかないといけないなあ、なんて思いつつも、
いい代案があるわけでもないので、やっぱりカフェで日記を書くスタイルとなるのだった。
まあとにかく、いろいろと試行錯誤しながらも、早いところムダの少ないやり方を見つけないといけない。
考えなくちゃいけないことは、いっぱいあるのである。大変だけど、やるしかないなあ。


2008.5.14 (Wed.)

すいません、今日はホントに引きこもってました。
でも少し日記を進めたから許してくださいな。


2008.5.13 (Tue.)

日付変更線を越えたら5月13日。なんだか1日分損した気分になるが、疲れているのでどうでもいいのであった。

僕がボサッとしていたせいなのか機長が凄腕だったせいなのか、飛行機が着陸したことにぜんぜん気づかなかった。
流されるままに飛行機を降りてBONANZAを回収すると、地下に降りて京成の列車に乗り込む。
三田駅から都営三田線に乗り換えた辺りで、ようやく現実感が戻ってきた。
世間は平日なのである。その雰囲気を味わって、自分が帰国したことを実感したのであった。しかし成田は遠い!

家の最寄駅で降りるとスーパーで食料品を買い込んで帰宅。あれだけ遠い場所からよく帰ってきたなあ、と思った。
しかしながら帰ってきたらすぐにいつもの生活パターンに馴染んでしまう。ネットをチェックしてテレビ見てダラダラ過ごす。
なんつーか、やっぱ、日本って落ち着くね!


2008.5.12 (Mon.)

朝5時には起きて心の準備をする。もう一度荷物をしっかり整理して、忘れ物がないかチェックをする。
6時半になって、チェックアウト。特にこれといったトラブルもなく、すんなりと手続きを済ませてホテルを出る。
残念なことに、今日は天気が良くない。この時期のニューヨークはすっきりとした晴れの日が少ないのだろうか。
折りたたみ傘を取り出して横断歩道を渡ると、真向かいのマディソンスクエア・ガーデンへ。
そこから地下のペンシルヴァニア駅(この駅は「New York Penn Station」と呼ぶのが一般的みたい)に移動する。

とりあえずはチケットを確保しなきゃいけない。窓口で「Newark Airport.」と言うが、1回じゃ通じなかったのが悲しい。
地名はきちんと聞き取らないとエライことになるので、係の人も慎重なのかもしれないけど。
ゆっくり英語らしい口つきでもう一度言ったらどうにか通じた。「Newark Airport?」「Yes.」「15 dollers.」
言われた分だけ金を払ってなんとかチケットを購入。こういうことを通して一歩一歩日本に近づいていく気がする。

しかしここからが問題だ。ニュージャージートランジットの路線なんて何がどこへ行ってどうなるのか全然知らない。
どのホームから出るどの列車に乗ればニューアーク空港の駅に着くのか、まったくもってわからないのである。
とりあえず路線図を探してみる。日本なら切符売り場のすぐ上に掲示されているのに、これがなかなか見つからない。
どうすりゃいいのよ、と少し背筋が寒くなる。帰りの飛行機は11時10分発なので時間的余裕は十分あるのだが、
この状況をなんとかしないわけにはいかないということで焦ってしまうのである。小心者である。

内心ドキドキしながら歩きまわっているうちに、大雑把な路線図が柱に貼ってあるのを発見。
それを見て、来たときに「あー、ニューアークにもPenn Stationがあってビビったっけ」と思い出す。
そしたらそのNewark Penn Stationの次に飛行機マークがあるのを見つけた。そうだそうだ、これだったわ!
どうやら赤色で示された路線でいいとわかった。そばにリーフレットの時刻表が置いてあったので確認してみる。
果たして「Newark Int'l Airport」という駅がある。間違いない。これでどうにかなりそうだ。
スケジュールを見ると「07:01AM」と書いてある。腕時計を見ると、今まさに7時になろうとしているところ。
慌ててコンコースに戻って電光掲示板を見る。7時1分発の列車が待機するホームに下りると、急いで乗り込んだ。

さてなんとか列車に乗ったはいいが、そこでのふるまいというのもよくわからないのである。
空いている席に腰を下ろしてソワソワしていたら、黒人の車掌がやって来た。チケットを見せる。
すると車掌は手にしたカードにパンチで穴を開けた(その穴は「凸」という珍しい形だった)。
アメリカの列車はクロスシートのてっぺんのところにカードを挟むための部品がついているのだが、
車掌はそこに穴を開けたカードを挟んで行ってしまった。これがどういう意味なのか、まったくもってよくわからない。
んでもって、別の駅で乗客が大量に降りたので席を移動したら、カード忘れてるわよ、と客の黒人女性が教えてくれた。
どうやらこのカードは誰がどの席にいるのかを確認するものらしい。とりあえず「Thank you.」とお礼を言う。
アメリカでは、乗客が乗り過ごすことがないように声をかけるのも車掌の仕事のようだ。カードはその目印でもあるみたい。
そんなこんなで無事に7時23分にNewark Int'l Airport駅に降り立つことができたのであった。よかったよかった。

エアトレインに乗り換えるとニューアーク空港のターミナルビルに到着。
搭乗手続きを済ませようとしたのはいいが、ここでもまたややこしいことになる。
まず最初に荷物を預けるのだが、荷物を預けることじたいが初めてなので(今まではすべて機内の棚で済んでた)、
何をどうすればいいのかサッパリわからない。うろたえていると係の人が「May I help you?」と何度も訊いてくる。
なるようになれ、と「Please.」とだけ言ってそのまま任せたら、どうにかなった。BONANZAと、しばしのお別れとなる。

セキュリティチェックを済ませると、搭乗予定のゲートにすぐに到着。これで万事オッケーである。
それにしても、離陸時刻までずいぶん時間が空いた。しかしパソコンはBONANZAの中なのでやることがない。
しょうがないので空港の中を歩きまわれるだけ歩きまわり、あとはiPodで落語を聴いて過ごす。
飲み物が欲しくなり、スムージーを売っていたのでバナナ味のやつを買ってみた。
その場でバナナをつぶしてつくるので、これがめちゃくちゃうまかったのであった。
一番大きなサイズを「Tsunami」と書いていたのがすごく印象的だった。今考えてみると挑戦してみてもよかったかな。

そのうち、なんだかよくわかんないけどパスポートをチェックする列ができはじめたので僕も並んでみる。
そしたら、なんだかよくわかんないけどパスポートにホチキス止めされていた紙をはがして、ハイOKとなるのであった。
何がなんだかさっぱりながらも、ひとつもトラブルなく済んだのは運がいいなあ、と日記を書いている今も思う。

やがて飛行機に乗り込む。窓側の席でぼんやりと雨に濡れる空港の景色を眺めていたら、
隣の白人が「まるで11月みたいな寒さだね」なんて言ってきた。ここでスムーズに会話ができたらかっこいいのだが、
ニコニコ笑ってアイシーアイシー言ってたら、その白人はおとなしくなったのであった。参ったか。

ほぼ定刻どおりに飛行機は離陸。やはりいつまで経っても離陸するときのあの感じは慣れない。
雲の高さを超えた飛行機はほぼ真北へと進んでいく。やがてオタワの辺りで雲が晴れ、地上の様子が見えた。
眼下に広がる光景は日本のそれとはまったく異なったものだ。無限の大地には湖があちこちに点在している。
そして平野に引かれた直線と曲線の道路が見えてくる。日本とはまるで違う姿をしている街が広がる。

  
L: 地球をひとっ飛びー。  C: カナダの大地は湖と緑がいっぱい。  R: オタワ付近の光景。日本では考えられない街の形。

疲れきっていたこともあって、帰りの機内ではメシの時間以外はけっこうスヤスヤ。
機内食で「Both!」なんて答える気力は少しも残っていないのであった。


2008.5.11 (Sun.)

明日の午前中発の飛行機で帰国する予定なので、実質的に本日がニューヨーク滞在の最終日となる。
今回の旅行ではとにかく美術館とボールパークを重点的に攻略することにしており、その目標はいちおう達成できた。
そんなわけで、今日は徹底的にマンハッタンの街を歩きまわるのである。ニューヨークの何気ない風景を見て歩く。
いつもの県庁所在地めぐりのように歩いて歩いて歩き倒して、ニューヨークの構造・本質をカラダで感じるのだ。

とはいえ、朝5時に僕は起きても街はまだ起きていないので、しばらくぼんやりとテレビを見て過ごす。
そしたら偶然、『Power Rangers S.P.D.』という戦隊ヒーロー物をやっていたので思わずしっかり見てしまう。
日本の文化がこんなところでアメリカに影響を与えているとは面白い、なんて考えたら実に興味深いじゃないか。
いかにもアメリカンな味付けがされているのかと思いきや、かなり日本的というか、見ていて違和感のないつくり。
今回の話の筋は、ヒーローチームの女性科学者(ネコ娘)がヘッドハンティングされていなくなっちゃうのだが、
新しい赴任先ではデスクワークばかり。そうこうしているうちに敵の科学者が今まで戦ったデータをもとに、
新型のロボットをつくって攻めてくる。ヒーローたちの攻撃がことごとくはね返されてピンチに陥るが、
女性科学者が戻ってきて変身・活躍して無事に勝利。埋め込んでいた伏線を拾ってオチをつけて一件落着という、
非常に日本的というか日本人が見て違和感のない丁寧さなのであった。妙に面白かった。
(スタッフロールを見たら、日本の戦隊ヒーロー物のスタッフが積極的に関わってやっているようだ。)

そんなこんなで朝の8時前にはホテルを出て、7Avから6Avまで34Stを歩く。この界隈は、もはや庭という感覚である。
マンハッタンの道路は舗装されているものの、どこかデコボコしていて水平にはなっていない。
歩道(サイドウォーク)との境界部分の処理もいい加減で、ちょっと自転車では走りたくない感じだ。
しかしそれがまた「ああニューヨークだ」という気分にさせる。最終日ということで感傷的になっているのかもしれない。

6Avと34Stの交差点は、斜めにブロードウェイが切り込んできて六叉路になっている。
地下には34St Herald Sq駅があり、毎日ここから地下鉄に乗ってあちこちに出かけた。
そして今日も、ここからスタートするのだ。地上の風景をデジカメで撮影すると、階段を下りて改札を抜ける。

  
L: 6Av・34St・ブロードウェイが交差するヘラルド・スクエア。左側にあるメイシーズは非常にデカく、7Avから6Avまで丸ごと占めている。
C,R: アメリカの信号機。かつては「WALK/DON'T WALK」の文字だったが、今はLEDで描かれた絵となっている。
  「青」は白い線画の歩行者、「赤」はオレンジの手のひら(Stop!の意)。日本と違い、オレンジ手のひらが点滅して「赤」となる。

47-50Sts Rockfeller Ctr駅で降りる。地上に出ると、そこはいきなりラジオシティ・ミュージックホール。
ややこしいのだが、東西は5Avから7Avまで、南北は48Stから51Stまでの範囲が「ロックフェラー・センター」なのである。
その親玉と呼べる存在が、ラジオシティ・ミュージックホールの真向かいにあるGEビル。かつてはRCAビルと呼ばれた。
ここのてっぺん(67,69,70階)は、トップ・オヴ・ザ・ロック(ロックフェラーのてっぺんということだ)という展望台になっている。
2日目にはエンパイアステート・ビルから夜景を眺めているが、昼間のマンハッタンはまだ見ていない。
高所恐怖症だが行かないわけにはいかないのだ。朝イチの列に並んでいると、すぐに営業開始の8時半になった。

チケットを買うとセキュリティチェックを抜けてエレベーターへ。中国系カナダ人がなぜかワンサカいた。
係の兄ちゃんが非常に気さくで、エレベーターを待つ間、客にどこから来たのか尋ねてまわる。
アメリカ国内のほかの州やヨーロッパからの観光客が多かったが、南アフリカから来たという白人夫婦もいた。
僕が「Japan.」と答えたら兄ちゃんは「オー、アリガトウ、コンニチワ」と返してきた。慣れているなあ、と思った。
エレベーターに乗り込むと天井を見るように言われる。ドアが閉まって上昇を始めると、照明が落とされた。
すると天井にロックフェラーの歴史を紹介する映像が映し出される。これは面白い工夫だ。
そしてすぐにエレベーターは展望台に到着。フェンスの代わりに分厚いガラス板が何枚も並べられている。
足がすくむが、でもそれ以上に景色が見事だ。おそるおそるガラスに近づいて眼下の光景を眺める。

  
L: ラジオシティ・ミュージックホール。ネオンサインのモダンな文字が雰囲気抜群。中もアール・デコで面白いそうな。
C: トップ・オヴ・ザ・ロック。ガラス板の間には本当にわずかな隙間があり、そこを通して撮影することがいちおう可能。
R: アメリカ滞在中、最もよく目にした単語は「EXIT」だと思う。ありとあらゆる出入口に必ずくっついているのだ。

さっそく恒例のパノラマ撮影をしてみる。無数の摩天楼がにょきにょき乱立しているが、
地平線がそんなものお構いなしで無限の広がりを見せている。まるで模型のようだ。
まず北側から撮影したのだが、セントラル・パークが大きく横たわっていて、スケール感がまったくつかめない。
摩天楼と巨大な緑。マンハッタンってのは本当に極端だ。そして川を挟んだニュージャージーは見事に低層の建物ばかり。


トップ・オヴ・ザ・ロックよりマンハッタンの北部(アップタウン方面)を眺める。


トップ・オヴ・ザ・ロックよりマンハッタンの南部(ミッドタウン~ダウンタウン~ロウアーマンハッタン方面)を眺める。

そして次は南側を撮影する。マンハッタンの中心部であるミッドタウンが目の前に広がるため、摩天楼の雄姿がよく見える。
中でも威風堂々とした姿を見せているのが、エンパイアステート・ビルだ。1931年完成、高さ443.2m。
完成当時は世界恐慌の影響で空室ばかりだったため、「Empty State Building」とからかわれたなんて逸話が残っている。
しかしこうして眺めると、その存在感は別格だ。周囲の摩天楼たちを引き連れ、このマンハッタンの主のごとくふるまっている。
エンパイアステート・ビルを「ニューヨークの王」とするなら、「ニューヨークの女王」となるのはクライスラー・ビルだろう。
自動車の部品をモチーフにしたというそのてっぺんのデザインは、世界で最も有名なアール・デコの作品として知られる。
エンパイアステート・ビルが質実剛健な電波塔を戴いているのとは対照的に、実に優雅な姿でたたずんでいる。
しかしながら! トップ・オヴ・ザ・ロックから眺めると、メットライフ・ビル(旧パンナム・ビル)が邪魔になって見えないのである!
これには本当に参った。エンパイアステート・ビルとクライスラービルが対峙しているところが見たかったのに。

  
L: メットライフ・ビルのマンマークを受けるクライスラー・ビル。これにはガックリである。
C: 「ニューヨークの王」、エンパイアステート・ビル。そりゃあキングコングも登るわな。
R: 西側、ニュージャージー州方面を眺めたところ。マンハッタンとはまったく異なる静かな大地って印象。

高所恐怖症と戦いながら地平線を眺めていたら、僕と同じ一人旅の観光客に「記念撮影をしてくれ」とカメラを渡された。
英語で何て言えばいいのかわからなかったので、「In Japanese. Hi, Cheeeeese!」と言ってシャッターを切った。
あと、70階の一番てっぺんにも行ってみたのだが、ここだけはガラス板がなくって風が直接当たるようになっているのだ。
もう怖くって怖くって、30秒もいられなかった。阿蘇山で慣れたつもり(→2008.4.29)だったが、やっぱり元に戻っていたか。

まあそんな具合に弱々しい足取りながらもマンハッタンの景色を堪能すると、エレベーターで地上に戻る。
やはり同じように中では天井に映像が投影され、降りたところで土産物屋がグッズをたっぷり並べているのであった。
アメリカの土産物屋も日本のそれと置いてあるものはほとんど同じで、キーホルダーやらシャツやらキャップやらが目立つ。
こういうのはどこだって変わらないものなんだなー、所変わっても品変わらないや、と思いつつ店を出る。
トップ・オヴ・ザ・ロックの出口は地下街に通じており、スターバックスがあったのでそこで朝メシにする。
アイスティーを飲みつつ半分に切ったベーグルにバターを塗りたくっていたら、日本語が聞こえてきたので驚いた。
見ると、近くの席で大学生くらいの女の子2人が、ガイドブック片手にどこへ行こうかなんて話をしている。
彼女たちから見たら僕は日本人に見えるのだろうか、などと思いつつベーグルを平らげるとGEビルを出た。

5Avに出るとセント・パトリック大聖堂を見ながら北上。でも大聖堂の足元のあたりが工事中でちょっとしょんぼり。
さて「5番街」というと、日本でいう銀座の中央通りのような高級店の集中地帯というイメージがある。
だから僕は当然のごとく、銀座に似た感じなんだろうなという先入観を持っていたわけだが、
実際に訪れてみるとそこはやっぱりニューヨーク。道は狭く、建物に高さがあるので陰が多く暗い。
日本の銀座の歩行者天国のような華やかさからは、まるっきりかけ離れているのだ。これには拍子抜けである。
ニューヨークはどこも基本的に、摩天楼の古典的ファサードがお店の華やかさよりも優先されている。
だから歩いていても地味な印象のところが非常に多い。ベージュやグレーのビルが際限なく連続している感じなのだ。
(唯一の例外はタイムズ・スクエア周辺だと思う。後述するが、あそこだけはとにかくド派手。)
新宿・渋谷・池袋・上野といった各ターミナル駅を中心に個性やクセのある繁華街が点在していて、
その建物のファサードのほとんどがガラスで覆われている日本(東京)とは、根本的な部分がまったく異なっている。

  
L: GEビルを見上げたところ。ビルの根元のところには、なんだか成金趣味な金色のプロメテウス像がある。
C: セント・パトリック大聖堂。車道が狭いので全体像をきれいに撮影できないのが悔しい。
R: こちらはセント・トーマス教会のエントランス。彫刻がすごい。いかにも欧米って感じなのである。

  
L: 5Av(5番街)。確かに高級ブランドの店があちこちにあったのだが、こんなにちんまりとした感触とは思わなかった。
C: トランプ・タワー。高級マンションで有名人も多く住んでいるとか。5番街が狭いので、高級感も半減って感じ。
R: グッチの前でおやつを売っているおじさん。ニューヨークにはコンビニがないので、飲み物などはこういう屋台で買う。

さてこれ以降、午前中は目的もなくミッドタウンをぷらぷらして、気の向くままにデジカメのシャッターを切って過ごした。
ここに貼りつけてある画像は、基本的にはわざわざ写真にして残す必要のないものばかりである。
しかし、そういう何気ないもの、どうでもいいものの中にこそ真実があるのもまた確かだと思うのだ。
だってこの世の中のほとんどは、何気ないものやどうでもいいものでできているのだから。
そういうわけで、ここに並べたテキトーな画像たちを眺めて、ああ確かにこれはいかにもアメリカだなあ、
これは日本にはないものだなあ、なんて思ってもらえれば幸いである。マンハッタンの雰囲気が伝われば万々歳なのだ。
なお、写真の配列は時系列に沿っていない。こちらでテキトーに並べ直しているのでご了承ください。

  
L: 7番街の朝。マンハッタンの平均的景観。  C: 昼近く、少しにぎやかな7番街。  R: 星条旗がいたるところに掲げられている。

  
L: ニューヨーク市警のパトカー。  C: イエローキャブ。  R: 消火栓の頭の部分は消防士のヘルメットに似せている?

  
L: カーネギー・ホール。  C: マンハッタンの道路はあっちこっちが工事中なのだ。  R: なぜか地面から蒸気が出ていることも。

  
L: ニューススタンド。コンビニがわりだが、夜には閉まる。  C: 公衆電話はそこそこ見かけた。  R: ポストとゴミ箱。ゴミ箱はそこらじゅうにある。

  
L: マンハッタンの路肩。日本と比べると無骨極まりない。  C: ププッピドゥ。  R: バス停。さすがアメリカ、背が高い。

  
L: 歩道にこうしてアーケードを掛けているところも多い。  C: 2階建ての観光バス。  R: 地下鉄の入口はほぼすべてこんな感じ。

  
L: 地下鉄の改札。磁気カードを通し、バーを回転させて中へ。  C: タイル文字で案内。
R: ホームはこんな感じだ。イレギュラー運行告知の貼り紙がありますね。

ニューヨークの地下鉄は以前に比べて飛躍的に安全になったというが、それでもまだ気の抜けない感じが漂っている。
日本のように各車両のドアがどの辺かを示す案内はなく、利用者は横に一列に並んで列車を待つ。
驚いたのは、ライフルで武装した警官隊(軍ではないと思うが……)が改札付近で警備していたのに出くわしたことだ。
そのものものしい雰囲気と、まったく気にすることなく歩くニューヨーカーと、対照的な姿にひどくびっくりした。
そしてホームに下りるとストリート・パフォーマーがヴァイオリンで優雅にヴィヴァルディやバッハを弾いているのである。
また、地下鉄のレールに視線を落としてみると、そこではネズミがウロチョロしている。滞在中に2回見た。
それから列車に乗り込んで車内広告をぼんやり眺めていたら、妙に美容関係の宣伝が多いことに気がついた。
紫外線でできたシミを取りますよ、といった広告がすごく多いのだ。それだけ白人の肌は弱いんだなあ、と変なところで実感。
そんな具合に地下鉄を通して、日本とアメリカの決定的な差、価値観の違いというものを、まざまざと見せつけられた。

さて、あちこちをウロウロ歩いているうちに、それまでの街並みと比べるとずいぶんにぎやかな一帯にやって来た。
7Avとブロードウェイが交差するのがここ、タイムズ・スクエアだ。ムリヤリたとえるなら新宿東口アルタ前のようなもんである。
この一角だけは無数の看板や電光掲示板で彩られており、地味な街並みとはまったく異なる原色の世界となっている。
周辺には劇場が集中しているので、交差点ではチケットを手配する携帯の機械を手にした黒人の兄ちゃんたちが、
ひっきりなしに声をかけてくる。とにかく騒がしい。でもそれは東京の騒がしさに少し似ていて、ちょっと懐かしさを覚えた。
「世界の交差点」と呼ばれるこの場所は、かつてタイムズ紙の本社ビルがあったことからその名がついた(1913年に移転)。
今でこそおのぼりさんがのん気に闊歩できる場所になっているわけだけど、1990年代初頭までは妖しげな風俗街で、
ニューヨークの危険地帯の代表的存在だったという。信じられない話だ(当時のジュリアーニ市長が改善したそうな)。

  
L: 非常に目立っているM&M'sの店。  C: タイムズ・スクエアのど真ん中から北側を眺めるの図。よく見かける構図だ。
R: こちらは南側を眺めたところ。こんな感じで、タイムズ・スクエアはなんとなく点対称になっているのである。

よし、これでタイムズ・スクエアは体感したぜ、と再び歩きだす。
次はニューヨーク公立図書館にでも行くかな、と東に向かって歩いていたら、ずいぶん穏やかな雰囲気の公園に出た。
ブライアント・パークである。敷地の西側には噴水があり、たくさんの人がそこでくつろいでいる。
奥には一面に芝生が広がっていて、そちらにもテーブルや椅子が置かれていて、自由に使えるようになっている。
よく晴れた休日のお昼ということで、芝生の上に寝転がって過ごしている人も多い。これは本当に気持ち良さそうだ。
ここまでさんざん歩きまくってきて疲れたので、僕もニューヨーカーの皆さんと同じようにここで一休みすることにした。
園内の売店でオレンジジュース(もちろん果肉入り100%、容器がなんだか無印良品っぽくて面白かった)を買うと、
BONANZAを枕にして芝生の上で大の字になる。日差しがまぶしいので、いらないパンフレットを顔の上に乗せる。
そして胸元のiPodを再生して、あとは何もしないで過ごす。園内を通り抜ける風がとっても心地よい。

 
L: ブライアント・パークの噴水。周りには緑色で統一されたテーブルや椅子がたっぷり置かれている。
R: その反対側は一面の芝生。寝転がると最高に気持ちいい。奥にあるのはニューヨーク公立図書館。

 
L: 図書館に隣接していることもあってか、公園の敷地南側には子ども向けに絵本が置かれていた。うーん、かっこいい。
R: なんと、メリーゴーランドもあるのだ。こういうところがいかにも欧米だよなあと思う。

ブライアント・パークではたっぷり1時間過ごした。おかげで体力も十分回復。ただ、腕がそこそこ日焼けした。
ニューヨーク滞在5日目、ここでようやく、ニューヨーカーっぽいふるまいができた気がする。満足である。

ブライアント・パークから5Avに抜けると、そこはニューヨーク公立図書館だ。
セキュリティチェックを受けて中に入るが、図書館というよりは、歴史ある美術館や博物館といった印象だ。
まあそれは、日本における図書館という概念の歴史と欧米における図書館の歴史との差なんだろう。
実際、あちこちを歩きまわってみたが、その威風堂々とした姿に圧倒された。知が権力として実体化した空間って感じ。
ホールや閲覧室などでは天井画が非常に目立っている。自由に出入りできる部分は資料閲覧・検索スペースが主体。
1階のエントランスホール脇には売店があり、さまざまなニューヨーク・グッズを売っていた。
公立図書館のグッズもあり、商売っ気のある図書館というのを現実に目にして、なんとなく違和感を覚えるのであった。

  
L: ニューヨーク公立図書館。またなんかファサードを工事しているよ。こんなんばっかりだ。
C: エントランスホールで入口を振り返ったところ。やたら豪華な内装の下、セキュリティチェック中。
R: 資料閲覧室(2階)。天井が高くて天井画が印象的だ。この建物の中は全般的にこんな感じである。

特に用事があって図書館の中に入ったわけでもないので、あちこちをだいたい歩いて見てまわると、外に出る。
公立図書館の道を挟んで北側には、ニューヨーク・メッツのクラブハウスショップがあるので、そこでおみやげを探してみた。
メッツのありとあらゆる公式グッズが置いてあるのだろうと思って期待していたのだが、アパレルが圧倒的に多い。
それ以外で何かないのかなと探してみるが、なんだかどれもイマイチなのである。これは困った。
さんざん迷った挙句、どことなくクラシックなスタイルのメッツの帽子を中心にまとめたのであった。
エロ目のミスター・メットのぬいぐるみとか期待していたのだが、そういったキャラクターグッズはほとんどない。
日本のプロ野球チームのグッズと比べると、メジャーリーグのグッズはかわいらしさや日常の利便性に欠ける印象だ。
まあそれもお国柄ってことでまとめられるものなのか。

公立図書館脇の公衆便所に入ったら、黒人の警備員にここで待て、と止められた。
一人が出てきて便器が空くと、行ってよし、となる。細かいことだけど、そういうところから犯罪が防がれているわけで、
日本がいかに平和な国かをあらためて実感。こんなこと、ニューヨークに来なきゃ考えることなかったよ。

42Stを公立図書館からさらに東へ行くと、グランドセントラル・ターミナルである。ニューヨークの鉄道の中心的な駅だ。
Park Avが陸橋で駅舎のど真ん中にぶつかっているので、かなり写真が撮りづらかった。
辺りは交通量が多いうえに何か事故があったようで、救急車やら消防車やら報道関係者やらがたむろしていて騒がしい。
とりあえず中に入ってみる。コンコースはスロープを下りていった地下に位置していて、通路を抜けると視界が一気に開ける。
とにかく広い。駅でこれだけの大空間ってのは、日本じゃ想像がつかない。鉄道全盛期の威厳がそのまま残されている。
そしてその天井には星座が描かれている。高さがあるのでちょっとプラネタリウム気分だ。実に豪快である。
Wikipediaによれば、鏡に映しながら描いたので星座たちは裏返しになっているんだそうだ。
天球を外側から俯瞰した神の視点になっている、という言い訳がなされているみたいだが、物は考えようってことだな。

  
L: グランドセントラル・ターミナル。かつては取り壊して高層ビルにする計画もあったらしいが、1998年に改装して今に至る。
C: 入口。わりと殺風景なスロープを下りていくとコンコースに出る。  R: コンコース内はこんな感じ。とにかくデカい!

 
L: 天井の星座。背景がなんとも微妙な色だと思うんですが。  R: 『世界の車窓から』って感じですなー

そこからさらに東へと歩いていくのだが、途中でクライスラー・ビルのてっぺんがチラホラと見える。
トップ・オヴ・ザ・ロックから見たときには残念ながらメットライフ・ビルの陰に隠れてしまっていたわけだが、
こうして見るとやはり独特の美しさである。ただし足元の部分は特にどうということのないふつうのオフィスビルだ。
近くのスーパーマーケットでペットボトル飲料を買うと(日本よりもサイズが大きく、どれも色が毒々しい)、
マンハッタンの東端目指してどんどん歩いていくのであった。

 クライスラー・ビル。背が高いので地上からきれいに見るのはちょっと大変。

さてマンハッタンの東端に到着すると、ガラス張りの直方体が建っているのが見える。
言わずと知れた国連本部だ。1952年にオスカー=ニーマイヤーを中心とする建築家国際委員会が設計した。
けっこう老朽化が進んでいて維持するのがものすごく大変な状態らしいが、改修してもたせるんだそうだ。

  
L: 国連本部。竣工当時、ニューヨークにガラスの建築はきわめて珍しかったはずで、けっこう衝撃的だったのでは。
C: 正面から眺めた。カメラの広角のせいでちょっと歪んでしまっているのが悔しい。
R: おまけにもう一丁。側面はモザイク状に石を貼りつけた感じになっていて、ガラスとの対比が見事なのだ。

敷地の北側に入口があるので入ろうとしたら、黒人の警備員がヒュウと口笛を吹いて注意してきた。
あらためて書かれている文字を読み、入口を間違えていたことに気がついた。シーマセン、と頭を下げて入り直す。
しかしまあ、口笛で注意するってのも、いかにもアメリカ風だなあ、としみじみ思うのであったことよ。
空港並みのセキュリティチェック(ベルトも取らなくちゃいけない)を済ませると、荷物を預けてビルの中へ。
国連には見学者向けのツアーがあり、申し込んでおけば議場などを見ることができるようだ。
フリーの場合には1階ロビーと地下の売店くらいしか見ることができない。まあ時間もないので別にいいや、と歩きまわる。
で、国連の1階を歩いていると、ものすごく昭和の匂いがするのである。アメリカなのに、昭和なのだ。
外観だけでなく、内装も戦後モダニズムの雰囲気がすごく強い。材質でいえば、合成樹脂の比率が極めて低い感じ。
お堅いお役所としてずっと同じように使われているので、細部にいたるまで、まったく華がないのだ。
ビルの中には手書きのレタリングなんかがあちこちにあって、僕はこういうものにかなり懐かしい感覚をおぼえるのだ。

何より面白かったのが、地下にある売店だ。国連に関連する本を売る書店とお土産を売る店があるのだが、
ここにある国連グッズが変に充実しているのがいい。とにかく種類が豊富で、よくこれだけつくったなあと呆れるほど。
売り場全体が国連カラーのスカイブルーに染まっているのは、もう壮観としか言いようがない。
惜しむらくはデザインのセンスがイマイチなこと。たとえば折りたたみ傘が置いてあったのだが、
スカイブルー一色の中に国連マークが何箇所か入っているだけなのである。国連マークの面白さを生かしきっていない。
傘を開いたとき、それがでっかい国連マークになっていればかっこいいのに、
あるいは小さい国連マークを水玉模様のようにしてしまえばかわいいのに、全然そうなってはいないのだ。
国連のマークはその色とともに強烈な印象を残すわけで、これは大きな財産である。ぜひデザインを再考してほしい。
で、僕は小さい国連の旗(これを机の上に置いたら偉くなった気分になれるという、ただそれだけのグッズ)と、
マウスパッド(世界を下に敷く、という意味で面白い。このグッズを思いついた人はそこまで考えたのかなあ)を購入。
もし国連軍の空色ヘルメット(ベレーも可)を売っていれば友達の人数分購入したのだが、さすがにそれはなかった。残念。
ほかにも土産物売り場には世界各国の名産品が置いてあったので、ここで世界一周旅行気分を味わえないこともない。
まあとにかく、国連は意外にもツッコミどころ満載で興味深い場所なのであった。けっこう買い物が楽しい場所だと思う。

国連本部から戻ってきてグランドセントラル・ターミナル付近で信号待ちをしていたら、
わりと大きめの荷物を引いたおばさんに5番街はどこだと道を尋ねられた。その程度であれば僕でも答えられる。
「Go straight.」と西を指差して返事。ニューヨーク滞在5日目、ついにここまで成長したかとひとり感傷に浸った。
そんな感じであとはフラフラ、あてもなく歩きながらデジカメのシャッターを切っていく。
マンハッタン・ミッドタウンの平均的な風景を頭の中に焼きつけながら、本拠地である7Av・34Stまで戻る。

  
L: マディソンスクエア・ガーデン。インディ・ジョーンズの新作が公開直前で、街のあちこちで宣伝を見かけた。
C: こちらもマディソンスクエア・ガーデン。オフィス棟で、ホテルの部屋からは中の様子がよく見えた(向こうからも丸見え)。
R: お世話になったホテル・ペンシルヴァニア。立地条件が異常に良くっていろいろ助かりました。

一息ついたら、晩メシを食べに出かける。実質的なニューヨーク最終日ということで、今日こそきちんとした物を食べたい。
これまでは一人でレストランに入るというのがどうにもできなくって簡素に済ませていたのだが、
やはり海外に来ている以上、メシを食ってちゃんとチップを払うという経験をしておかなくてはいけないのである。
それでいろいろ考えたのだが、街歩きも兼ねてチャイナタウンに行ってみることにした。

ダウンタウン方面の地下鉄に乗ってCanal St駅で降りる。地上に出てみると、かなりゴチャゴチャした雰囲気で驚いた。
この辺りは昨日歩いたニューヨーク市庁舎からわりとすぐ北に位置しているはずなのだが、
それよりもどちらかというとクイーンズの少し危なそうな場所の感じに近い。夜にはちょっと歩きたくない気もする。
やはりチャイナタウンということで、漢字や原色の紅色がそこかしこで目立っている。
食料品を売っている店もあり、見るとどこで仕入れているのやら、魚介類が所狭しと並んでいる。いかにも中華の食材だ。

まずは先にリトルイタリー(イタリア人街)に行ってみることにした。リトルイタリーとチャイナタウンは隣接しているのだ。
しかしながら感じとしては、チャイナタウンが南から広がってリトルイタリーを包み込むように侵食しているイメージである。
リトルイタリーの中心部は断固としてその独特な雰囲気を守っているものの、周辺に行くと中華の要素に押されている。
チャイナタウンはゆっくりと、しかし確実にその勢力を広げており、リトルイタリーはじわじわ縮小させられている、そんな感触だ。
とはいえ、リトルイタリー中心部は元気がいっぱい。通りには赤・白・緑の飾りつけがあちこちに施され、
イタリア料理店のテーブルが両側から道路へとはみ出してきている。どの店もオープンテラスが基本になっているようだ。
そして店先では陽気なオヤジが客を呼び込んでいる。時間が遅くなれば、もっとにぎやかになりそうだ。
とりあえず通りを往復してみるが、イタリア料理店がひしめいていて、もし入るとしたらそうとう迷いそうだ。
まあいずれ機会があれば、ぜひどこかでピザのひとつでもいただくとしよう。

  
L: リトルイタリー中心部。通りの両側をイタリア料理店のオープンテラスが占領していて実ににぎやか。
C: みんなどの店に入ろうか様子を探っている時間帯って感じ。本物のイタリアと比べてどんな感じなんだろう。
R: リトルイタリーでは消火栓もこのようなカラーリングになっているのである。

そろそろ空腹も限界に近づいていたので、南側のチャイナタウンへ。
リトルイタリーほどの強烈な核を持っているわけではないが、やはりアジアの持つ雰囲気はこの街では独特に映る。
中華料理店はそこそこの密度で営業をしているが、どこを覗いてみても中で客が並んでいた。
参ったなあ、どこか空いてるところないかなあ、と思って粘り強く歩きまわっていたら、中に一軒、入れそうな店があった。
「ZAGAT RATED」なんて窓のところに貼ってあったので、ここでいいや、と中に入って席に着き、メニューを見る。
チャーハンないかなあと思ってメニューの隅から隅まで探してみたが、見事にご飯ものがないのである。
ニューヨークということで米を炊いても需要がないということなのか。これには驚いた。
で、麺類を見てみる。ワンタンメンがあったのでそれでいくかーと思うが、妙に安い。1杯3ドル50セント。400円程度だ。
大丈夫かコレ、と少々不安になりながらも注文。そして待っている間は必死でまわりの様子を観察し、
どのようにしてチップを渡せばいいのかをチェックする。マナーの基本は周囲をよく観察することなのである。
見ているとみんな机の上に1ドル札を1枚置いてレジへと向かうので、なるほどそうするのか、と解決。
出てきたワンタンメンも、ごくふつうのサイズで一安心。コリアンダーがかなり効いていて、おいしくいただいた。
そんでもって僕もほかの客と同じようにして1ドル札を1枚置いて、レジで精算。またひとつオトナになったのであった。

リトルイタリーといいチャイナタウンといい、異国の地でもたくましくホームランドの文化を守っている姿を見て、
果たして日本人にはここまで頑固にできるものかなあ、と思わされた。ナショナリズムがどーこーと言うつもりはない。
異国で器用に順応してしまうのも、客観的に見れば、それはそれで悪くない特性なのだろうと思うところもあるわけで。
「日本らしさ」というものは、近代になってムリヤリ発掘されたものがけっこうあるので、単純に鵜呑みにはできない。
むしろ、状況に合わせてつねに柔軟に変化を続けること、それこそが日本の極意と言えるのかもしれない。
ともかく、リトルイタリーやチャイナタウンと同じ方法論では日本を(再)発見することはできないだろう。そういう予感がした。
(念のためあらためて書くが、これは優劣の問題ではないのである。一定の見方では見つけづらいよ、ってだけの話。)

  
L: チャイナタウンの案内所。あんまり機能している感じはしなかったが。ちなみに道を挟んで向こう側はリトルイタリー。
C: チャイナタウンはこんな感じで、リトルイタリーほど明確に主張をしている街並みではない。日本の中華街とはまったく違う。
R: 漢字がデザインの一種として機能している印象だ。漢字という「異国の文字」がチャイナタウンであることをみんなに暗示する。

メシを食い終わって、やっぱり夜景を見ておかなくちゃと思い、また地下鉄に乗る。
来たときとは別の路線で59St-Lexington Av駅まで行く。そこからちょいと東に歩くと、トラムの乗り場がある。
これでルーズヴェルト島まで行って、イースト川越しにマンハッタンの夜景を眺めることにしたのである。
地下鉄から出たときには日が沈んでいたせいで、見事に方角を間違えて逆方向に歩いてしまった。
まあ、おかげでヘルムズレイ・ビルのけっこうきれいな姿を見ることができたからヨシとしよう。
メットライフ・ビルはいろんな建物を隠す、非常に厄介なビルだなあとあらためて思うのであった。

 ヘルムズレイ・ビル。裏にあるメットライフ・ビルに隠れてぜんぜん目立たない建物。

トラムとは何ぞや、と思われるかもしれないが、要するにのぼらないロープウェイなのである。
隣のクイーンズボロ橋と並んでお空を飛んでいくので、窓から見える景色はなかなか爽快なのだ。
5分ほどでトラムはルーズヴェルト島に到着。もうちょっと観光客がいるかなと思っていたのだが、
乗っていたのはほとんどここの住民だったようで、対岸の夜景を眺めている人は全然いなかった。
ガイドブックによると治安はかなり良いとのことだが、とにかくひと気がなくてちょっと怖いのであった。

夜8時過ぎ、空はだんだんと暗くなっていく。特に意識したわけではないのだが、夜景を撮影しているうちに、
空の暗くなる色合いの変化をうまく記録することができた。暮れはじめた頃の、明るさと深さを含んだ青は日本にはない。
旅行中に風景写真を撮っていて気がついたのだが、アメリカの空は日本の空とまったく違うのだ。
雲の形がまず違う。アメリカの雲は、下に広がる大陸と同じように、どこか広さを感じさせるのだ。
そして空の青さは、日本の空に慣れた僕としては、なんとなくだけど少し作り物のような色をしている気がする。
やっぱりこれも優劣の問題ではなくって、気候の違いが風景の違いになって出ている点がすごく興味深くて、
世界中のいろんな空の違いを確かめてみたいなあ、という気分になるのであった。

  
L: ルーズヴェルト島から見たマンハッタン・アップタウン方面の明かり。この空の色は日本にはない。
C: クイーンズボロ橋とマンハッタン。  R: マンハッタン・ダウンタウンの明かり。右端の明るいやつはクライスラー・ビル。

地下鉄でホテルまで帰る。歩き疲れてフラフラになりながらもどうにか部屋に戻ると、ゆっくりと風呂につかる。
上がってパソコンで写真の調整を済ませると、荷物を整理する。なんだかんだでお土産の量が多くなってしまい、
BONANZAの中はパンパンに膨らんでいる。まあせっかく海外に来ているわけだから、こうでないといかんのである。

あっという間のニューヨーク旅行も、明日帰国しておしまいだ。残念な気もするけど、帰ってゆっくりしたい気持ちも強い。
本能のおもむくままにあちこちを歩いて歩いて歩きまくったが、時間や体力がなくて行けなかった場所もたくさんある。
でもまあとりあえず、一人で気ままに行ける場所には極力行ったつもりである。
次来るときにはぜひ集団か何かで来て、もうちょっと豪勢にメシを食いたいなあと思う。
とにかく、すごく貴重な経験をさせてもらった。ありがとうニューヨーク、なんて思っているうちにスヤスヤなのである。


2008.5.10 (Sat.)

「ニューヨークへ行きたいかー!」というのは、『アメリカ横断ウルトラクイズ』におけるあまりにも有名なフレーズである。
成田でジャンケンをすることなく、機内ペーパーテストをすることなく、グァムで○×泥んこクイズをすることなく、
こうしてニューヨークにやってくるというのは、小学生の頃には思いもしなかった。やっぱり僕には特別な場所なのだ。
で、ニューヨークといえば、なんといっても自由の女神である。自由の女神のあるリバティ島はニュージャージー州だが、
ニューヨークの偉大なシンボルであるわけだから、見にいかなければならないのだ。
そういうわけで、本日はまず、自由の女神を見ることからスタートするのである。

でもまずは朝メシを食べるのだ。日本では一度絶滅したバーガーキングだが、ニューヨークではあちこちで見かける。
なつかしいや、食べてみようと思ってバーキン目指して歩いていたら、声をかけられた。
ラテン系ヨーロッパ人といった感じの男が住所の書かれた紙を広げ、「ここに行くにはどの道を行けばいい?」と訊いてくる。
何Avenueで何Streetか書いてあるのはいいんだけど、ニューヨーク滞在4日目の僕にアドバイスできるはずがない。
「Sorry, I'm a stranger here.」と申し訳なさそうに言って歩き出したら、その男は横にくっついてくるんでやんの。
で、しばらく雑談というかなんというか。こっちの英語はボロボロなんだからあんまりしゃべりたくないんだけど(疲れるから)、
話しかけてくるからには答えないわけにもいかないし。で、結局男はタクシーの運ちゃんをつかまえて紙を広げるのだった。
まさかニューヨークで道を尋ねられるとはなあ、とびっくり。しかし朝からアタマを使ったわ。

で、バーキンに入ってメシだぜウホホと思ったら、ハンバーガーは朝の時間はやってない、と店員が言う。またかよ、と呆れた。
しょうがないので朝メニューを注文して店内でかぶりついてたら、黒人のおっさんに「What time?」と訊かれる。
腕時計を見せて「About seven.」と言ったら通じたようで、お礼を言われた。
今日は朝っぱらからアメリカ全開だ。そんでもって、なんだかんだでそれなりに対応している自分に少し驚いた。

さて、リバティ島にはマンハッタンの最南端に位置するバッテリー・パークからフェリーが出ている。
メシを食べ終え、じゃあバッテリー・パークに行くべ、と地下鉄の駅へ。赤色の1号線に乗ればいいのだが、どうもなんか変だ。
ホームの表示とは違う路線の地下鉄が来るのだ。しかも反対方向に向かう列車が平然と入ってきたりもする。
とりあえずダウンタウン方面に行けるだけ行ってみようと思って、1号線とは別の列車に乗り込んで南へ。
でもしばらく行ったChambers St駅で降りるようにアナウンスが入った。ホームに出て何が起きているのか脳みそを整理。
そしたら鉄骨の柱に貼り紙がしてあるのが目に入る。読んでみたら、「1号線は今週末はお休みです」ときたもんだ。
ニューヨークの地下鉄は24時間営業をしているせいか、つねにどれかの路線がイレギュラーな運行をする状況である。
そしてその告知は粗末な貼り紙1枚のみで行われる。日本のように電光掲示板で親切に知らせてくれることは一切ない。
だから貼り紙を注意して見ておくクセをつけないと、「あれ?」ということになってしまうのだ。参った。

しかし代わりにバスを運行しているということで、それでバッテリー・パークの最寄駅であるSouth Ferry駅まで行けた。
地下鉄にばかり乗っていたのでバスに乗るのはこれが初めてだが、日本の路線バスよりずいぶんゆったりとしている印象。
降車ボタンは窓枠にほぼ同化している細長い黒いベルト。はっきり言ってものすごくわかりづらい。
目的地は終点なので、ボタンを押すことなくバスを降りた。ちょっと残念である。

South Ferry駅はその名のとおり、フェリーのターミナルにくっついている。
しかしここから出るフェリーは、スタテン・アイランド(ニューヨーク市5区のひとつになっている島)行きなのだ。
リバティ島行きのフェリーはバッテリー・パークを挟んだ反対側から出るのである。
とりあえずターミナルの中に入ってメシを食うことにした。チーズクリームを塗ってあるベーグルを買うとモフモフと食べる。
8時になったらスタテン・アイランド行きのフェリーの運航が始まった。食べ終わって、バッテリー・パークへと向かう。

バッテリー・パークは特に特徴がある公園という感じはしなかった。ふつうに、欧米っぽい街灯やベンチなどが置かれた公園。
軍関係と思われる鷹だか鷲だかの碑の前で記念写真を撮る人もいたけど、朝早いこともあって人影はまばらである。
ただ、柵で囲まれた子ども向けスペースで七面鳥が立って寝ていて驚いた。このサイズの鳥が公園にふつうにいるとは……。
そんな具合に文化の違いを感じながら西へと歩いていく。すると対岸にいくつか島が浮かんでいるのが見えた。
赤茶色の建物はおそらくかつての移民局だろう。ということは、その島はエリス島だ。
そしてその左側には、緑青の色をした像が何かを掲げているのが見える。自由の女神、リバティ島だ。
デジカメを構えて撮影しようとするが、けっこう距離があってしっかりズームをする必要があった。
それにしても曇り空なのが惜しい。晴れていれば、どちらももっと鮮やかな色をしていて見事に映っただろうに。

  
L: バッテリー・パーク内はこんな感じである。街灯やらベンチやら、日本のものとは明らかに違っていて、うーん海外。
C: バッテリー・パークより眺めるエリス島。真ん中の赤レンガの建物がかつての移民局で、1954年まで使われていたそうだ。
R: 同じくリバティ島と自由の女神。いつか必ず、今度は近いところからその姿を拝んでやるのだ。

あんまりトロトロしていると、フェリーの営業開始時刻である8時半になってしまう。
週末にはリバティ島行きのフェリーは猛烈な行列になるという話だったので、朝イチに来たわけだ。
早歩きでさらに西へと進んでいくと、円形のクリントン砦にぶつかった。修復しまくりであんまりありがたみはないなあ、
なんて思って入口にまわり込んだらけっこうな行列ができている。なんだこりゃ、こんなん見たくてこの行列?と呆れる。
並んでいる皆さんを尻目にフェリーの受付を探す。するとまだ営業時間前なのにしっかりと行列ができていた。
ウクレレ片手にレインボーカラーに身を包んだパフォーマーのおじさんが歌を歌って観光客を笑わせている。
で、これに並べばいいのかな、と思って最後尾につこうとしたら、「チケット持っている人は並んでくれ」と書いてある。
チケットなんてねーよ、並んだ先で売ってるんじゃないの?と思うが、並んでいる人はみんなチケットを持っている。
でもバッテリー・パークの中を歩いてきたけど、チケット売ってる場所なんてどこにもなかった。なんだこれは?
首を傾げていると、観光客が猛烈な勢いで押し寄せてきて、行列は一気に増えていく。しかもみんなチケットを持っている。
ワケがわかんなくなって、とりあえずもう一度歩きまわってみることにする。そしたらクリントン砦の行列がなくなっていた。
中に入ってみたら、なんとそこでリバティ島行きのチケットを売っていたのであった。これはまったくの盲点だった。
つまり、さっきの砦の行列は、リバティ島行きフェリーの当日券を買いたい人たちの列だったのである。
(後になって日本から持ってきたガイドブックを見てみたら、ちゃんとそのことが書かれていた。オレのアホー!)
しかしながら行列はあまりに長くなっていて、今から並んでも午前中が完全につぶれてしまう気がしたので、
断腸の思いでリバティ島行きをあきらめた。身から出たサビ、事前にきちんと調べなかった自分が悪いんだからしょうがない。
とりあえずもう一度自由の女神の姿をしっかりと目に焼き付けると、バッテリー・パークをあとにするのであった。

 
L: クリントン砦とそこに並ぶ皆さん。まさかここがフェリーのチケット売り場だったとは。いやー、迂闊だった。
R: パフォーマーのおじさんが行列に並ぶ人を和ませるの図。この後、行列はとんでもない長さに増殖……。

意外な形でいきなり本日の計画が頓挫してしまった(冷静に考えればこの結果は必然だったのだが)。
しょうがないのですべてのスケジュールを繰り上げて動くことにした。慣れない外国、余裕を持って行動する方がいいし。
で、そのままロウアー・マンハッタンをフラフラとする。マンハッタンのど真ん中を貫くブロードウェイを北上していくことにする。
しかしバッテリー・パークからブロードウェイに出てみてビックリ。全然broadじゃないのである。狭いじゃねーか!と。
重要な道が片側が3車線くらいの規模になっているのは、東京ではふつうに見かける光景である。
そういう感覚で来てみたのだが、ブロードウェイは有名なくせに、片側1車線なのだ。ふつうの道と変わらないじゃないか、と。
ちょっと北に進んでみると、さすがに少しは広くなる。でも中央線が引かれていないという有様。
もともと馬車のサイズでつくられたのがいまだに残っている街なのでこういうことになっているのだろう。たまげた。

 
L: ブロードウェイ南端はこんな具合である。どこがbroadやねん!と思わずツッコミを入れてしまったではないか。
R: 少し北に行ったところ。広くはなったが、中央線がない状況。それにしても路上駐車がひどい。

気を取り直して歩いていく。トリニティ教会の東側は、かの有名なウォール街である。
世界経済はここでもっているようなものなのだ。いったいどれだけすげえんだろ、とドキドキして行ってみたら……狭っ!
もはや道ではなく、路地である。建物の背が高いのに道幅は歩行者サイズで、歌舞伎町の裏通りレベルなのだ。
こんなせせこましいところで世界の経済は動かされているのかよ、と再びたまげた。
奥へ行くと少し広くなるが、それでも薄暗い印象は変わらない。まあ、平日に来ればまた違うんだろうけど……。

  
L: ブロードウェイからウォール街に入ったところ。狭すぎて車が通れません。実物がこんな場所とは思わなかった。
C: ニューヨーク証券取引所(N.Y. Stock Exchange)。ちなみに、右側に写りこんでいるのはフェデラル・ホールのワシントン像。
R: めちゃくちゃでっかいアメリカ国旗が掲げられている。日本じゃこういうことはしないなあ、とアメリカらしさを実感。

さて、ニューヨークに来たらぜひ見ておきたい場所はいくつもあるのだが、
20世紀と21世紀でまったく別の意味を持つようになってしまった場所が、ロウアー・マンハッタンにはある。
2001年9月11日にテロの標的となった場所、ワールドトレードセンター(WTC)の跡地である。
僕はその時間、テレビのニュースでそれを見ていた(→2001.9.11)。
画面には煙を吹いているビルが映り、キャスターはニュース速報程度の情報を繰り返ししゃべっているだけ。
そこに1機の飛行機が画面右手から現れ、ビルの裏手へと消えていった。そして爆発が起きた。
やがてビルは崩れ落ちる。さっきまであったビルが消えてしまった。僕はただただ呆気にとられてそれを見ていた。
まるでフィクションのような現実は、その後の世界をそれまでとまったく別のものに変えてしまったようだった。
(国際情勢に詳しい人にしてみれば、現実がフィクションみたいな形で一気に顕在化した、って見方になるんだろう。)
潤平は2002年11月という比較的早い時期に、その後の現場を目にしている。
しかし僕はモタモタしていたせいで、その瞬間から6年以上かかってようやくここにたどり着いた。
破壊と再生、その実際の姿を目にすべく、敷地を一周してみる。

  
L: 東側から見たWTC跡地。  C: WTC跡地では2003年からPATH(パストレイン)の仮駅が営業を再開している。
R: 跡地の北側と西側をつなぐ連絡通路。現場を見ることはいちおうできるが、かなり無機質でとってつけたような感じ。

  
L: 連絡通路の端っこの隙間から撮影した現場。ここから眺める分には、ただの工事現場という印象しかない。
C: 連絡通路に唯一あった、9/11テロのことを示したもの。  R: けっこう交通量のあるウェスト通りとWTC跡地。

  
L: 現在、9/11テロについて示す掲示類は跡地の南側に集中しているようだ。そこから眺めた現場。
C: 工事の様子をクローズアップしてみた。  R: インフラ整備は着実に進んでいるようにみえる。

 南側の路地に設置された、9/11テロについての資料。

はっきり言って、6年以上経った今のこの場所は、ただの工事現場でしかなかった。
南側の路地にあった掲示だけが、ここが特別な工事現場であることを物語っている。
事件から時間が経ってみんなすっかり落ち着きを取り戻し、復興に向けて集中していた。
そういう意味では、最も“事件の色が薄い”時期に、この場所に来たのかもしれない。
やがてここには1776フィート(アメリカが独立した年にちなんだ高さ)のビル、「フリーダム・タワー」が建つ。
そのときには、仮設状態の今とはまったく違った形で犠牲者を追悼するものがつくられるはずだ。
痛みをひとまず忘れておくことで、完成目指して一直線に突っ走る。今はそういう時間なのだろう。

ブロードウェイに戻ると少し北へ。そこには緑に包まれた小規模な公園がある。
そして、その裏にあるのがニューヨークの市庁舎(City Hall)なのだ。やはり役所マニアとしては、はずせないのだ。
この建物は、市長のオフィスと市議会となっている。つまりニューヨークの立法をつかさどる施設ということになるだろう。
閉庁日である土曜日に来たせいで、フェンスより中には入れなかった。またしても迂闊なのであった。

 
L: ニューヨーク市庁舎はこの公園の奥。左の道路はブロードウェイで、右へ行くとブルックリン橋。
R: 1813年につくられたというニューヨーク市庁舎(City Hall)。当初は経費節減のために正面だけ大理石だったとか。

さてその市庁舎の北東には、もうひとつのニューヨーク市庁舎(Municipal Building)がある。
英語では別物でも日本語にすると同じ「市庁舎」ということで実にややこしい事態である。
1916年築というこちらの市庁舎は、どうやら行政のオフィスとなっているようだ。
巨大なニューヨーク市の行政施設だけあり、建物も非常に大きい。奥にはニューヨーク市警本部もある。

  
L: ニューヨーク市庁舎(Municipal Building)。古典的な様式でこのスケールを建てちゃうのがニューヨーク。摩天楼なのだ。
C: 正面から撮影しようとしたが、道が狭いのでこれが精一杯。ニューヨークは本当に、道が狭くてビルが高い。
R: エントランスのアーチはこんなふうになっている。市警が隣ということもあり、中庭は警官だらけだった。

 
L: 中庭に出て、Municipal Buildingを反対側から見上げたところ。面白い形をしているのである。
R: ブルックリン橋のたもとから眺めたMunicipal Building。こうして見ると、しゃれた酒瓶みたいだな。

City HallやMunicipal Buildingの近くからはブルックリン橋がまっすぐに伸びている。
この橋は1883年に当時世界最長の吊橋として完成し、ワイヤーの美しさから「スティールハープ」と呼ばれるそうだ。
マンハッタンとブルックリンの間を流れるイースト川に架かっており、歩いて渡れば20分くらい。
ブルックリンに特にこれといって用事があるわけではないのだが、せっかくニューヨークに来ているので、
橋を渡ってブルックリンにも上陸してみることにする。橋は観光客やデモの人でかなりにぎわっていた。
けっこう自転車の交通量や必死でジョギングしている人が多いので、歩くのには注意が必要である。
でもマンハッタンのスカイラインはきれいだし、エリス島や自由の女神も見ることができる。
だいぶ晴れてきたので、歩いているとかなり気持ちがいいのであった。

ブルックリン側に着いてからコンクリートの通路が異常に長く、歩いても歩いてもブルックリンの一般道に出ないので、
とりあえずいちおうこれでもブルックリンに上陸したには違いねえや、と引き返した。
で、同じように橋を渡ってマンハッタンに戻る。帰りは高さに慣れてきたので、いろいろ写真を撮影。

  
L: ブルックリン橋(マンハッタン側を眺めたところ)。木製のデッキを歩いて渡る。ジョギングで何往復もしている人もいた。
C: 石造りのアーチはかなり大きい。そして確かにワイヤーが独特の存在感なのである。
R: ブルックリン橋から眺めたマンハッタンのスカイライン。真ん中に鎮座しているのはもちろん、エンパイアステート・ビル。

市庁舎前に戻って時計を見る。11時ちょい過ぎで、ぼちぼち移動をしなくちゃいけない時間だ。
なんてったって今日は、憧れのニューヨーク・メッツの試合を観る予定なのである。
僕はメジャーリーグに興味を持った1994年以来のニューヨーク・メッツファンなのだ。聖地巡礼をするのである。
本当は昨日のナイトゲームを観るつもりでいたのだけど、雨で延期になったのである。体調も良くなかったし。
で、晴天に恵まれた本日、デーゲームを観るためにシェイ・スタジアムに行くのだ。

なぜ僕がメッツファンになったかというと、『赤毛のサウスポー』や『ドジャース、ブルックリンに還る』などの野球小説で、
メッツは敵役として登場するチームだったからだ。ドジャースとジャイアンツの血を引くメッツは、特別な敵役なのである。
あと、ブルーとオレンジのチームカラー(やはりドジャースとジャイアンツ由来)の組み合わせが鮮やかで好き、というのもある。
何より、“ミラクル”メッツにはいかにもメジャーリーグらしい面白いエピソードがいっぱいあるのだ。
創立1年目に40勝120敗、その後もシーズン100敗を連発したため「メッツが優勝する前に人類は月に行くだろう」
などとバカにされた。そしてアポロ11号が月面に着陸した3ヶ月後にワールドシリーズを初制覇する(1969年)。
そのときに天気予報は「ニューヨークは晴れ、ところにより紙吹雪」と実にカッコよく祝福しているのだ。

さて、緑色の地下鉄に乗り込むと、Grand Central-42St駅で紫色の7号線に乗り換え。
すでに列車の中はブルーとオレンジで身を固めたファンが多く、なんだかドキドキしてくる。
しかしまあ、これが長い。地下鉄はどんどん東へ進む、途中から地上に出る、でも一向に着く気配がない。
車窓から見下ろすクイーンズの街並みは、正直言ってけっこう怖い印象なのであった。
まず地下鉄が地上に出たところで、建物すべてが落書きで覆われている光景が目に入る。
しばらく行くと住宅街になるが、どの家もいかにも西洋風な均質的なデザインで統一されている。眩暈がしそうだ。
人通りはあまりなく、昼間だけど油断して歩いたらエラいことになりそうな雰囲気がする。
空間は全般的に大ざっぱ。細かいところや目の届きにくいところが、汚れていたり危なそうな感じがする。
写真に撮っておきたかったんだけど、いかにも観光客な行動なので自重した。

うわあーアメリカだわーなんて思いながら外の景色を見ていたら、すぐ横で座っていた黒人のおばさんが話しかけてきた。
でも何を言っているのかわからない。戸惑っていたらもう一度言ってくれたのだが、やっぱりこれがまったくわからない。
おばさんのしゃべる言葉は、僕には英語ではなくインディアンの呪文にしか聞こえなかったのだ。いやホントに。
しょうがないので「Sorry, I can't understand.」と言ったら、しょうがねーなコイツという表情で、おばさんは次の駅で降りた。
たぶん自分が乗り過ごしたことの確認だったんだろうけど、まったくわからなかった。あらためて言語の難しさを実感。

地下鉄7号線の駅はほとんどStreet名がそのまま使われていて、その数字はどんどん大きくなっていく。
日本では考えられない、90Stとか111Stとか、いったいどこまで行くんだよ、と不安は増すばかり。
で、広大な駐車場の先に真っ青なシェイ・スタジアムが見えてきてやっと安心したのであった。
(ちなみにシェイ・スタジアムの所在地は126St。いやー、アメリカだわ。)

改札を抜けると、さっそく当日券売り場を探す。わりと簡単に見つかり、列に並ぶ。
やっぱり「Cheapest, please.」ということでアッパー席のチケットを購入。27ドルである。
アメリカではお釣りを足し算で渡すというが、それをここで初めて体験した。
僕は50ドル札で支払ったのだが、係のおじさんはまずチケットを「これが27ドル」と言って僕の前に出した。
それから20ドル札1枚、1ドル札3枚を出して「これで50ドル」と言うと、僕の50ドル札を受け取ったのである。
なるほど、このやり方だと確かにチケットが27ドル分の価値を持っているってことが実感できるなあ、と思った。

チケットを無事に確保できたので、試合開始時刻である午後1時まで、周囲を歩きまわって過ごす。
広大な駐車場から青くて丸いシェイ・スタジアムを眺める。長年憧れていた場所が、いま目の前にある。
高校生のときからメジャーリーグが好きだったが、ボールパークというのは僕の妄想の中にしかないものだった。
日本の野球場とはまったく異なる空間だということはわかるが、実際にこの目で見なければそれを実感できない。
頭の中で15年間、あれこれと想像していたものが、現実として僕の前に立ちはだかっているのだ。変な感覚だ。

  
L: シェイ・スタジアムにはゲートAやゲートBといった複数の入口があり、それぞれの上にプレーヤーを描いた線画が配置されている。
C: 駐車場より眺めたシェイ・スタジアム外観。色といい形といい、楽しいゲームの詰まったおもちゃ箱を想像させる建物だと僕は思う。
R: フラッグには「FINAL SEASON AT SHEA STADIUM」の文字が。どうにか間に合ったよ。

駐車場の一角にはテントがあり、そこでメッツのマスコットであるミスター・メットがファンと交流していた。
日本にもベースボールフェイスのマスコットはいたが(ヤクルトに昔いた)、ミスター・メットのエロ目は他の追随を許さない。
休日の午後のボールパーク、よくある光景。それを存分に味わうこの幸せ。

  
L: ファンと肩を組みつつテレビカメラに向けてポーズをとるミスター・メット。  C: ファンの自転車を手にポーズをとるミスター・メット。
R: その自転車に勝手に乗って追いかけっこを始めるミスター・メット。ちなみに背番号は00で、その上のネームは「MR. MET」となっている。

僕には野球場に来たら敷地を一周する癖がある(初日のヤンキー・スタジアムも、実は走って一周してから入場した)。
駐車場から奥へと進むと、来シーズンからメッツが本拠地として使うシティ・フィールド(建設中)が見えてくる。
外観はなんとなく、大規模なアウトレット系商業施設という印象がする。まあ似たような要素があるからかもしれない。
地下鉄の駅の方へとまわり込むと、シティ・フィールドの正面に出る。あまり球場らしくない複数のアーチが印象的である。
これはかつてブルックリン・ドジャースが本拠地としたエベッツ・フィールドのデザインを模したものなのだ。
ちなみに「シティ 」というのは「city」ではなく、金融の「Citigroup」によるネーミングライツ。「city」ならカッコよかったのに。
シェイ・スタジアムがメッツ誕生に尽力した弁護士の名前を冠しているのに比べると、みみっちくって非常に残念。

 
L: 建設中のシティ・フィールド裏手。青が印象的なシェイ・スタジアムとは対照的な色づかいになっている。
R: シティ・フィールド正面(試合終了後に撮影)。エベッツ・フィールドを模した「古くて新しいタイプのボールパーク」である。

試合開始時刻も迫ってきたのでシェイ・スタジアムの中に入る。長いスロープを上がっていき、スタンドへ出る。
当日券ということでやっぱり三塁側の内野席である(シェイ・スタジアムに外野席はない)。でもいるのはメッツファンばかり。
スタジアムの外側が大胆な青で彩られていたのに対し、スタンドのシートはもうひとつのイメージカラー・オレンジが目立つ。
芝生の色も鮮やかで、デーゲームのボールパークの空気に胸が詰まった。言葉にならない感動を覚える。

一番安い席ということでフィールドからはけっこう遠い。上のスタンドの陰に入ってしまい、少し寒い。
でもそんなものは関係ない。ずっと憧れていた場所にやって来て、こうして試合開始を待っている。それだけで十分なのだ。

ボールパークといえばホットドッグにビールなのである。売店まで買いに出る。
ホットドッグは30cmくらいのやたらと長いものを売っていて、これがシンプルな味つけでものすごくうまかった。
ビールはアメリカでは21歳にならないと絶対に売ってくれない。「ID見せろ」と言われたので、国際学生証を提示した。
シェイ・スタジアムさようなら記念デザインアルミボトルのバドワイザーである(当然、ボトルは記念に日本へ持って帰った)。

席に戻ると、やたらめったら歌の上手い女の子(7歳くらいとか紹介されてた)による国歌斉唱の後、プレイボール。
本日のメッツの対戦相手は、メジャーリーグで最も古い歴史を誇るチーム、シンシナティ・レッズである。
ケン=グリフィーJr.が現役で3番を打っていて(15年前には超スーパースターだったんだぜ)、それだけでも感動できる。
メッツの先発は、今シーズンから加入した左腕エースのヨハン=サンタナ。デキとしては良くはないが、ひどくもない。
ヒットを打たれるけど要所を抑えてしのぐ感じだ。対照的に、打線の調子はかなり良かった。
2回裏、アルー(41歳、まだ現役を続けているのだ)とデルガドが連続安打。そこからメッツが1点を先制する。
3回裏には四球と3本の安打で3点、5回裏には2点を追加。6回裏には満塁からベルトランの走者一掃の三塁打が出る。
6回が終わった時点で両軍10安打ずつだがスコアは10-3ということで、メッツファンには余裕のある展開となった。

僕はすっかりいい気分である。ニューヨーク・メッツ、シェイ・スタジアム、ホットドッグ、ビール、そしてデーゲーム。
しかもメッツが勝っている。これ以上何を望むというのだ? これまで15年間のことを考えていたら、泣きそうになってしまった。
7回表のレッズの攻撃が終わり、立って『Take me out to the ball game』を歌う。ああメジャーリーグだ、とさらに実感。
そしたらその7回裏、デルガドとシュナイダーが連続ホームランを放った。バックスクリーン横のビッグアップルが顔を出す。
シェイ・スタジアムに来たらぜひとも見たかった光景である。スタンドも大騒ぎになっている。もう何も言うことはない。

 
L: ふだんはこのように納まっているビッグアップルだが……
R: メッツの選手がホームランを打つと顔を出すのだ。バックスクリーンに映し出されている画像にも注目。

この試合で最も印象的だったのは、バックスタンドとバックネットの間にファウルボールが挟まって、
それをバックスタンドから身を乗り出して取ろうとする男の子がいたことだ。その乗り出しぶりは半端でなく、
みんなバックネットに転がり落ちるんじゃないかと心配しながら眺めていた。しかも男の子は10分くらい延々と格闘していた。
やがて彼が無事にボールを拾い上げると、球場全体がものすごい拍手で男の子のことを祝福したのであった。
その拍手は選手のファインプレーと同等あるいはそれ以上の大きさで、アメリカだなあ、と僕もつられて笑った。

レッズの最後の打者がキャッチャーゴロで試合終了。メッツが12-6で勝った。
スタンドのメッツファンたちは感傷にひたりながらそれぞれ立ち上がり、帰路につく。
僕はしばらくスタジアムに残り、シェイ・スタジアムの雄姿を眺めて過ごす。
ここを訪れることを当たり前の日常としている人がうらやましい。でもどうにか、僕もそこに触れることができた。
今こうしてぼーっとしている時間こそ、僕がずっとずっと憧れていたものなのだ。
叶ってしまうとあっけない。でも、本当に純粋に、幸せだ。

帰りの地下鉄は快速運転だったのでかなり快適だった(試合終了後に快速を増発する工夫があるようだ)。
本拠地である34St駅に戻ると午後6時を回ったところ。しかし空はまだまだ明るく、まったく夕方という感じがしない。
ここからまたどこかへ行ってみようかとも思ったが、なんせつい12時間ほど前までは風邪でぶっ倒れていた身である。
あんまりムリしないで今日は休んでおいて、明日になったら力の限り動くことにしよう、そう決めた。
となると問題はメシなのである。ホテルの近くのピザ屋に入り、ガラスケースの中を指し、「This one.」と2切れほど注文。
やっぱりカフェテリア形式になっていて、注文を受けるといかにもイタリア系移民の兄ちゃんが窯で焼いて仕上げてくれる。
兄ちゃんはラテン気質だし僕はテキトーということで、お互いにいい加減な英語がすんなり通じるのはなかなか面白かった。
で、ミネラルウォーターも一緒に注文してホテルの部屋に持ち帰り、ピザを必死でかじる。
食べ終わると、ガイドブック片手に明日のコースを確認する。実質的に、ニューヨーク滞在は明日が最終日となる。
後悔のないように体力が許す限りのプランを立てると、風呂に入って写真の整理をしてさっさと寝てしまうのであった。


2008.5.9 (Fri.)

旅行中の僕は早起きなのである。始発で次の県へ向かうことなんてザラなので、習性として染みついているのだ。
モーニングコールやケータイのアラームに頼らなくても朝の5時には確実に目が覚める。自分でも便利な習性だと思う。
起きるとテレビの電源を入れ、本日の天気について情報を集める。24時間ほぼ天気予報をやっているチャンネルがあり、
今回の旅行ではずいぶんとお世話になった。気温の予報はすべて華氏なのでそこは困ったが、あとは問題なし。
日本の天気予報が「晴れのち曇り」「曇り時々雨」など天気の変化するタイミングに着目するのに対し、
アメリカの天気予報は「Heavy Rain」「Few Showers」「Partly Cloudy」「Mostly Sunny」など、天気の状態に着目する。
で、肝心の今日の天気はすでに雨が降っているのであった。しょうがないので、今日も美術館めぐりとする。
ニューヨーク観光で絶対にはずせない、MoMA(ニューヨーク近代美術館)とグッゲンハイム美術館に行くのだ。

昨日の教訓もあり、体力十分なうちにMoMAを見ようと思い、開館時刻の10時半に間に合うように出かけることにする。
それまでの時間はヒマなのだが、アメリカでは平日の朝7時から『セサミストリート』をやっているので、それを見る。
日本ではもはやテレビで見ることは不可能になってしまったが、こっちでは当然、今もバリバリに健在。
エルモもグローバーもアーニーもバートもオスカーもカウント伯爵もビッグバードも元気で、とても楽しい1時間なのであった。
特に次の日曜日は母の日ということで(アメリカでは日本よりもずっと、母の日の扱いが大きかった)、
なんと、クッキーモンスターの母親が登場。親子でクッキーをむさぼり食うのは、なかなかインパクトのある映像だった。

 思わず撮影してしまった。ブレ気味ですいません。

ホテルを出て、軽く朝メシでも食おうかなと携帯傘を片手にふらふら北上していったのだが、けっこうしっかり降っているのに、
街行くニューヨーカーたちはほとんど傘をさしていない。傘をさして歩いているのは、通行人の2割にも満たないのである。
フードをすっぽりかぶって早足でやりすごしている人がとても多い。何の対策も講じることなくそのままって人も珍しくない。
どこから仕入れているのか、アフリカ系(いわゆる黒人)の若い男たちが「Umbrella!」とダミ声で叫んで傘を売っている。
でもそれを買う人はまれ。所変われば品変わるとは言うが、ここまで違うものなのか、と驚いた。
後になって、理由がなんとなくわかった。マンハッタンは道幅が狭く、高い建物ばかりである。
その影響でビル風が非常に強烈で、結果、傘をさす人が少ないのだと思われる。実際、壊れた傘をそこそこ見かけた。
風にあおられてフラフラしてほかの通行人に迷惑をかけるより(みんなほかの人のジャマにならないように歩くのが上手い)、
フードをかぶってさっさとやりすごした方が賢明だ、という合理性がそこにはあるのだ。たぶん。

朝メシは気楽にファストフードにすっかな、とSUBWAYに入ったのだが、やっぱりなかなかうまくコミュニケーションがとれず。
もともとファストフードで働いているのは移民やアフリカ系といった人々が多く、「きれいな」英語を話す人がほとんどいない。
それに加え、飲み物は何にするか、サラダには何をかけるか、みたいに選択の余地が与えられるのだが、これが困るのだ。
選択肢を言ってくれるのはいいが、それがいったい何なのかわからないし、同じ発音で返すことができない。
それでこっちはまごついて、向こうも対応に困って、なんともやりきれない空気がその場に流れるのである。
ひとつは文化の問題で、日本の当たり前とアメリカの当たり前の違い(僕らの知らないメニューややり方が向こうではふつう)。
もうひとつは言語の問題で、日本人が認識できる発音とアメリカ人が認識できる発音の違い(音韻論、音素の話になる)。
この両者のギャップを、メシを食うときに容赦なく突きつけられるのだ。ニューヨーク滞在中、この点には本当に苦労した。

で、5Av駅から西に歩いてMoMAに到着。そしたらまあこれがものすごい行列でぶったまげる。
平日午前中なのに、雨の中、合羽を着て並ぶ人が押し合いへし合い、そのままブロックの端の交差点まで続いていた。
開館時刻に間に合うように、と考えていた自分の甘さを痛感しつつ、おとなしく最後尾に並ぶ。
いつになったら入れるんだろ、と思っていたのだが、開館してしまえばけっこうスムーズに進んでいったのでほっと一安心。
中に入ってまた並ぶ。やはり国際学生証を提示して4割引。「Where are you from?」と訊かれたので「Japan.」と返事。
MoMAはどこから観光客が来ているのか気にしているのかなあと思いつつ、クロークに荷物を預けていよいよ鑑賞開始だ。

まずはエレベーターとエスカレーターで最上階の6階まで行ってしまう。6階は企画展のスペースとなっている。
なんだかよくわかんないけど、若手による未来のイメージの作品を国際的に集めた内容のようだった。
大半のものはくだらなかったが、立体的にカーブをかけた5×5くらいの金属製のバカデカいシャッターが開いたり閉じたりして
さまざまな形状をつくりだす作品は面白かった。最近の自分は、ただデカくて面白いだけの作品に弱い気がしないでもない。
ほかにも「色」をテーマにして作品を集めた企画もやっていた。こちらは時代が新しくなるにつれて面白みが減っていく印象。

 MoMAの中はこんなん。やはり東京都現代美術館っぽさが漂う。こっちが本家だけど。

6階より下は常設展がメインとなっている。5階・4階は絵画と彫刻を集めたフロアになっていて、MoMA最大の見どころだ。
昨日のメトロポリタンでは途中でクタクタになってろくすっぽ写真を撮らずに済ませてしまったので、
今日はいろいろと気になった作品を気になった角度から、やたらめったら撮影してみることにするのである。
日本では撮影OKの美術館はほとんどないが、海外では「個人利用ならOK」が当たり前なのだ。早くそうなれ、ニッポン。

  
L: MoMAの展示スペースはこんな感じである。人がいっぱいいるけど、なぜか各作品は鑑賞しやすかった。客のレベルが高い?
C: ゴッホ『星月夜』を接写してみた。ゴッホの油彩ベットリなタッチがよくわかるのだ。勉強になりますな。
R: キュビズムについて学ぶアメリカの小学生。床に座ってレクチャーは、アメリカでは当たり前。メトロポリタンでも見かけたな。

  
L: ピカソ大人気。ピカソは超多作だったわけだけど、それにしても多くの作品が展示されていてうらやましい限り。
C: モネの『睡蓮』。モネは晩年に睡蓮を描きまくったので(200点以上)、けっこうあちこちの美術館にある(→2007.10.5)。
R: 4階と5階の間の踊り場にはマティス。日本の美術館に慣れていると、踊り場は死角で見逃してしまいそうだ。

メトロポリタンの近代絵画に負けず劣らず、MoMAでもビッグネームの名作が多く展示されている。
さすがに面積がケタ違いなのでメトロポリタンほどの量はないが、それぞれの芸術家の特徴をつかみやすい、
いかにも代表的な作品をうまく並べているのがとても印象的だった。初心者にはとても親切な美術館だと思う。
で、4階に下りると展示の中心はポップアートとなる。アメリカで生まれたポジティヴな雰囲気の作品が多い。

  
L: R.リキテンスタイン『Girl with a Beach Ball』。マンガの表現に大量消費社会の本質を見出して、こういう作風になったのだ。
C: 顔をアップにしてみた。シルクスクリーンによって、印刷と同じ形式で描かれているのである。
R: さらにアップにするとよくわかる。こういう作品紹介ができるのも、撮影OKだからこそ。ありがたやありがたや。

  
L: A.ウォーホルによるキャンベルのスープ缶。やはり、大量消費社会を表現している作品。
C: よく見ると、ひとつひとつの缶の中身は異なっているのである。ただ缶の絵を32個並べただけじゃないのだ。
R: ジャスパー=ジョーンズといったらコレ。筆づかいがわかると作品の印象も違ってくるってもんさね。

 
L: 東京都現代美術館でもお馴染みのD.ジャッドの作品。いかつい係員のおっさんにも注目。日本ではありえない。
R: ポロックはあんまり人気がないようです。僕もこの手の作品は好きじゃないです。

さすがに本場・ニューヨークで近代美術を売りにしている美術館だけあり、展示内容は充実している。
これは楽しいなあ、とウキウキしながら鑑賞するのであった。いやー、面白かった。
それにしても、メトロポリタンといいMoMAといい、行ってみると逆説的に東京都現代美術館のレベルの高さがわかる。

3階は建築・デザイン・ドローイング・写真など。正直そんなにまとまりを感じなかったが、
まあそういうジャンルを扱っていることに意義があるのかな、と思う。
2階にはコンテンポラリー・アートなど。ここは広くていろいろ展示されていたけど、個人的には惹かれず。

  
L: 3階に下りるといきなりナトリウム灯でびっくり。すべてが無彩色になってしまって面白い。
C: 名作椅子もいろいろと展示されていた。ファンとしては、もっとたっぷりやってほしいところである。
R: バスキアのドローイングもあった。いやーすげえなバスキア。理屈抜きで圧倒されるわ。

MoMAは中庭がけっこう面白い。というのも、MoMAの向かいのビルはわりと古典的な摩天楼建築なのだが、
それとかなり対照的な印象のつくりになっているからだ。ニューヨークに来たぜ!という気分を存分に味わえる。
よく見ると、ポストモダン建築として有名な旧AT&Tビル(現・ソニープラザ)が必死に背伸びしているのもわかる。
天気が悪かったのでひと気がまったくなかったが、機会があれば細かいところまで見てまわりたいものだ。

  
L: MoMAの中庭。  C: 中庭の向かいには、古典的な意匠の摩天楼。てっぺんの真ん中に穴が開いているのが旧AT&Tビル。
R: 中庭と接続する床は実にカラフルになっている。が、そのせいで踏みはずす人が多いようで注意書きがしてあった……。

今日は金曜日。金曜日に美術館の開館時間は延長されることが多いので、かなりのんびりとMoMAストアを見てまわる。
旅行前にオヤジに土産は何かいいか訊いたところ、「MoMAのグッズを何かよろしく」ということで返事が来た。
そんなわけで、何か気の利いたアイテムはないかじっくり探してみたのだが、これがないのである。
定番のトートバッグや折りたたみ傘などのほか、ちょっとした文具などがあるけれども、
いかにもMoMA!っていう鋭さを感じさせるものがないのである。期待していただけに、これには困った。
しかしMoMAストアには、MoMAのコレクションに認定されたかなりの数の作品がそのまま売られているので、
その中から焼酎を飲むのに良さそうな感じのグラスを見つけたので買うことにした。
(帰国後に渡したら、「むしろ冷の日本酒向きなのでは」と言われた。酒のことはよくわからんのじゃ。)
あとはA~Zまで頭文字が書かれた動物をかたどったパズルがあったので購入。
うちはそういう海外の気の利いたおもちゃに目がないのでこりゃいいやと思ったのだが、
買ってみるとこれが重くて大きい。以後、持ち歩くのに非常に苦労することとなった。

上記MoMA土産があまりにかさばるので、いったんホテルに戻って部屋に置いてくることにした。
雨は一向にやむ気配がなく、気温はどんどん冷えていくように思える。もう、寒くて寒くてたまらない。
部屋に戻ると、休む間もなくそのまますぐに地下鉄に乗って、今度はグッゲンハイム美術館へと向かう。
グッゲンハイムは昨日のメトロポリタンと最寄駅が一緒。トボトボと2日連続で同じルートを行く。

86St駅から出て、セントラル・パークにぶつかったところで今日は北へ行く。
するとすぐにグッゲンハイム美術館の「カタツムリ」と形容される特徴的な外観が見えてくる……はずだったが、あれ?
なんとまあ、見事なまでにすっぽりと工事の足場に包まれてしまっていたのである。
おととしから外壁修復工事をやっていて、去年の秋で終わる予定がまだ延びちゃっているようなのだ。
これには本当にガックリ。寒くて気力が萎えてきているところにこの仕打ちということで、すっかり弱ってしまった。

中に入る。国際学生証で割引料金になるのはもはや当たり前なのである。
で、名物の天井を撮影しようと思ったら、何台もの車に電飾を施したオブジェがジャマしやがる。
なんだコレと思ったら、現在やっている企画展の作品のひとつらしい。
こんなくだらないもので期待していたものをつぶされるというのは、はっきり言って不快である。イヤな予感がする。
実はグッゲンハイム美術館は、企画展をメインにした美術館なのである。
もちろん常設展示もあるが、それはタンハウザー・ギャラリーやロバート=メイプルソープ・ギャラリーなどにあり、
F.L.ライト自慢のくるくるスロープは、企画展の舞台となっているのだ。

  
L: グッゲンハイム美術館の外観……なのだが、見事なまでに工事中。  C: せっかく来たのに形無し……。
R: グッゲンハイムの天井を見上げた構図は各種グッズにも採用されているのだが、これじゃあぶち壊しだよ。

企画展の内容は、中国人だか中国系だか、CAI GUO-QIANGという人の「I WANT TO BELIEVE」というもの。
これが本当に最低で、褒めるところが何ひとつなかった。天下のグッゲンハイムでこっちが信じられねえよ、と言いたくなる。
ものをつくるのではなく、壊すことで表現しようというものばかり。非常に大掛かりなわりに、空疎なのだ。
中国というバックボーンがあると言えば聞こえはいいが、欧米人のオリエンタリズムに訴える卑しいものばかりでしかない。
不愉快になる要素満載で、体調が急激に悪くなったのはこの展示に付き合わされたせいかもしれない、ってくらいだ。
おまけにショップで売っているグッズも、「さっすがあ!」と思わせるような気の利いたものが全然なかった。
そういうわけで、せっかく憧れのグッゲンハイムに来たのに、いい印象は何ひとつないまま帰ることに。心底がっかり。

やたら寒いし腹の調子が悪いしで、意識が朦朧とした状態ながら、どうにかホテルまで戻る。時刻はちょうど17時。
もう何も食う気力がなく(日本にいればムリして食って栄養を摂るが、アメリカでメシを食うのは神経を使う……)、
そのままベッドにもぐり込んで寝てしまう。とにかく昏々と眠り続けることで、明日以降また活発に動けるようにするしかない。
夜中の1時に一度起きるが、またすぐに眠る。絶対に一晩で治すのじゃー!と気合を入れて寝た。

そんな具合にこの日は当初の予定の半分程度しか動けなかった。
日記のヴォリュームを増やすためにも、ここで、ニューヨークに来て気づいたことを箇条書きにしてみる。

まず、「Sorry.」と「Excuse me.」と「Thank you.」が非常に高い頻度で使われる、という事実。
日本人は何気なくボーッと歩いていることが多いが、ニューヨークではみんな他人の動きを気にして歩いている。
自分が不意に動いて誰かのジャマをしてしまった場合、実に素早く「Sorry.」と言うのである。これは徹底している。
街を歩いていて、買い物をしていて、自分のせいで誰かがさえぎられたと感じたらすぐ相手に「Sorry.」と言うのが礼儀だ。
逆に誰かを押しのけるかたちで前に進むときには「Excuse me.」である。この「Excuse me.」は非常に使い勝手がいい。
レジに行って店員を呼ぶときにも「Excuse me.」でよい。前を歩く人が落し物をしたときも「Excuse me.」で呼び止める。
そして「Thank you.」もすんなり使いたい言葉だ。ニューヨークでは小さな親切にけっこう頻繁に出くわす。
特に、「こいつ観光客でニューヨークに慣れてないな」と気づいてくれた人は、それとなくヒントをくれることがあるのだ。
(これは日本人は見習わないといかんと思う。自分は自分、他人は他人という考え方が冷たい方向で出てしまっている。)
笑顔でいるだけではダメで、照れずにハッキリと「Thank you.」と言わなきゃ失礼なのである。旅行中さんざん使ったなあ。

体調を崩した一因かもしれないが、この時期のニューヨークは、空が明るい時間が異常に長い。
それは高い緯度とサマータイムによると思う。ニューヨークはだいたい北緯40度で、日本の青森とほぼ同じ緯度になる。
青森に行ったことはないけど、夏至の1ヶ月前ということで、東京に比べればずいぶん白夜が近いなあ、って感じだ。
そこにサマータイムである。朝の5時にはすっかり空が明るくなっており、本格的に暗くなるのは夜の8時を過ぎてからだ。
だから「まだ明るいからあちこち行けるんじゃないの?」って考えてしまい、無理をすることがけっこうあったと思う。
時差ボケよりは、こういう緯度ボケというか昼間あるいは夜の時間の長さの変化に気をつけた方が良さそうだ。

アフリカ系の皆さん(黒人)がしている仕事を見ると、僕ら有色人種に決定的な何かを突きつけられている気がする。
初日はヤンキー・スタジアム、その後も美術館と博物館ばかりに行って過ごしていたわけだけど、
そこで働いている人は、ほとんど全員が黒人だった。男女の比率に差はない。しかし、人種には決定的な差があった。
あまりにも働いている白人を見かけなかったので、じゃあどこにいるんだ?と考えてみた結果、
そうか、彼らは観光客の相手をすることなく、オフィスの中で働いているんだな、という予想が立った。
もちろんオフィスの中に黒人がいないわけではないだろう。しかし、オフィスの外に白人はほとんどいないのだ。
ちゃんとした観光名所でビシッと制服を着て働いている黒人は、かなりかっこいい。バッチリきまってる、のである。
(余談だが、日本の美術館では女性学芸員がひざ掛けをして伏目がちに椅子に座っているイメージがあるが、
 アメリカでは制服を着た黒人がまっすぐに立って来場者が妙な動きをしないかしっかり監視している。まったく違う。)
しかしその裏側にある事実を冷静に考えてみると、これはなかなか厳しい事実である。
僕は日本で生まれ育って観光客としてアメリカに来た。だが、もしアメリカで生まれ育っていたら?
きれいごとでは済まされない事実が、そこにはある。

僕らは時間の24時間表記に慣れている。「午後8時」よりも「20時」と書く方を好む人はけっこう多いと思う。
いちいち「午前」だの「午後」だのをくっつけるよりは、24時間の方が誤解も少なくて便利、と僕も思っている。
しかし、アメリカでは見事なまでに、12時間表記しか見かけない。どこへ行っても必ず12時間表記なのだ。
これは「AM」「PM」がアルファベット2文字なのでくっつけることに抵抗が少ないんだろうな、と思ったのだが、
「AM」「PM」が表示されない時計であっても平然と12時間なのである。習慣って細かいところで違うものだと感じた。

ニューヨークは実に大雑把である。道の幅は狭いくせに、基本的には何でも自主性に任せて放ったらかしで豪快。
この街を歩いていて、ふと「新宿に似てるかも」と思った。まず何が似ているって、道の汚れ具合である。
マンハッタンの道路はどこも汚れていて、まるで新宿東口は歌舞伎町を歩いているような気分になる。
そうかと思えばビルばかりな部分は、少し新宿西口の辺りの雰囲気も漂わせている。
雑然と整然が完全に同居して、それでいてやたらめったらエネルギッシュな点は、新宿そっくりなのだ。
あともうひとつ思ったのは、かつて一世を風靡したカプコンの格闘ゲーム『ファイナルファイト』がよくできてるなあってこと。
『ファイナルファイト』の舞台はニューヨークをモチーフにした「メトロシティ」なのであるが、
このゲームの各ステージの雰囲気は、ニューヨークのさまざまな部分をけっこうきちんと再現できているのだ。
今後、PS2やSFCで『ファイナルファイト』をやったら、二重の意味で「懐かしいなぁ~」って思うんだろうなあ。


2008.5.8 (Thu.)

なんせ、ふだんは一日一県のペースで移動する旅ばかりしているので、ひとつの街に留まるってことに慣れていない。
ニューヨークに来てやりたいことはいくつもあるんだけど、さて今日はどうしようか?と考え出すとなかなかまとまらないのだ。
で、テレビによればあまり天気がよくないらしいので、本日は天気の影響の少ない美術館・博物館めぐりにするのであった。
(ところで、ホテルのテレビは30くらいチャンネルがあるのはいいのだが、どのチャンネルもいかにもアメリカ的な内容ばかり。
 アメリカ以外の外国の番組を流しているチャンネルも2つあったが、なぜか韓国とバングラデシュだった。わけがわからん。)

ニューヨークには有名な美術館・博物館がいくつもあるのだが、まず最初はやはり、一番の規模を誇る「MET」なのである。
正式名称はメトロポリタン美術館。博物館に近い内容の展示も多いのだが、それらは「美術」として収蔵している、
ということだろう。300万点以上にも及ぶ世界中のあらゆる時代、あらゆる地域の美術品が集められているのである。
(細野不二彦『ギャラリーフェイク』の主人公・藤田玲司は、メトロポリタンの元キュレーターという設定。
 時間的にも空間的にも広い知識を押さえていることになるわけで、そりゃどんなジャンルにも強いはずだわ。)
メトロポリタンの敷地はセントラル・パーク内に食い込んだ格好になっているのだが、その建物はとにかく巨大。
あらかじめ買っておいたニューヨークのガイド本によれば、所要時間は4時間~1日。本当にとんでもない規模なのだ。
しかしまあそこは体力自慢の僕であるから、「3時間でぜんぶ見ましょう」という目標を立ててチャレンジすることに。

地下鉄に揺られて86St駅で降りると(一度、降りる駅を間違えて6番街からセントラル・パーク南端を迷いかけた……)、
そこそこな距離を西へとトボトボ歩いてセントラル・パークにぶつかる。そこから少し南に行けば、
威風堂々としたメトロポリタンの外観が見えてくる。時刻は開館直後の9時30分ちょい過ぎ。すでに客が群がってきている。
中に入ると、まずは荷物をクロークに預けるように促される。お土産を買うことを考えてBONANZAを背負っていたので、
さっさと預けると入場券がわりのバッジを求める行列に並ぶ。国際学生証を提示して、半額の10ドルで入場。お得!

  
L: メトロポリタン美術館の外観。こうして見るとそんなにバカデカい施設には見えないが、中に入ると完全に要塞かつ迷路。
C: メインホール。R.M.ハントによる設計で1902年完成とのこと。展示スペースへの入口は複数あり、どこからでも入場可能。
R: 北側のエジプト美術から攻めてみることにした。僕は本物を見るのは初めてで、けっこう興奮した。

胸元にバッジをぶら下げ、マップの載っているパンフレットを片手にさっそく鑑賞開始。
まずは北側のエジプト美術から見ることにした。1階を左回りして攻略したら2階へ、というプランである。
メトロポリタンは2階建てということで、マップを見る限りではそんなに広い印象がしない。意気揚々と歩きだす。
さてエジプト美術だが、まさに世界四大文明の頃の壁画が展示されている。本物を見るのは初めてだ。
エジプトの人々と家畜の様子が描かれているのだが、まさに彼らの日常生活が、そこには記録されているのである。
じっくり見ていると、炎天下の中でいそいそ働く彼らの姿が目に浮かんでくる。本当に、頭の中で動き出すのだ。
これにはけっこう感動してしまった。実際に目にしてみると、写真では伝わらないリアリティにあふれている。

ボサッとしていると冗談ではなく本当に日が暮れてしまうということで、残念な気持ちを抑えながらスイスイ見ていく。
が、とにかく展示されている美術品の数・密度が異常。ドンキホーテもびっくりなくらいの密集展示ぶりなのだ。
美術館側の都合によって入れないエリアもけっこうあるのだが、「それならいいです」とあっさり諦める気になれるほど。
これは本当にキリがない!と思いつつも、もはやそこは意地で、すべての展示を見て歩いていく。

エジプト美術の奥にはデンドゥール神殿。プールがつくられ、そこに神殿がそのまま配置されている。
でもこれは記念撮影用のスペースって感じ。案の定、やって来た客はここでポーズをとりデジカメのデータに収まるのだった。
その奥、アメリカン・ウィングの1階部分は現在改修中だった。しょうがないのでそのまま2階へ行ってみる。
そこでは生活雑貨の工芸品がガラスケースの中にびっしりと収納されていて、こりゃもう倉庫そのものだ、と思った。
ガラスケースには、おそらく管理のために、アルファベットの白い小さな文字が貼り付けられている。
それをもとに、どこにどの作品があるのかわかるように、住所録のようなリストがつくられているのだろう。
いちおう、アメリカの絵画も展示されていたが、フロアいっぱいに無数のケースが並べられ、その間の通路は異常に狭い。
完全に、展示スペースというよりは収蔵庫である。これには、一箇所にすべてを集めるのも考え物だなあ、と思った。

  
L: デンドゥール神殿。記念撮影用のスペースだと思う。  C: ガラスケースにびっしり並べられた銀食器コーナー。まぶしい!
R: F.L.ライトが帝国ホテルのためにつくった椅子も収蔵されていた。よく見つけたなあオレ、って思わず自分に感心しちゃったよ。

正直、この時点でけっこうフラフラ。もともと美術館ってのは体力を消耗するところだが(作品が生気を吸い取るからね)、
とにかく量がすさまじいので、歩いていくとあっという間にHPが減っていく、そんな感じになってしまうのである。
アメリカン・ウィングを見終えると、1階が改修中で南の展示室に進めなかったので、いったんメインホールに戻る。
平日の午前中だが、すでに観光客でいっぱいなのであった。どこへ行っても疲れる要素ばかりである。

今度は正面の入口から入り、ヨーロッパ中世美術を見る。
まずは大きな吹き抜けがお出迎え。あちこちにマリア像などの彫刻が配置され、まるで本物の教会のようだ。
軽く圧倒されながらも、早めのペースでひとつひとつ確認するように見ていく。
北側の奥には武器・甲冑のコーナーがあったので見てみる。吹き抜けの広いスペースには西洋の鉄製の鎧があったが、
日本の鎧兜はなぜか照明を落とした一角にあるのだった。この陰と陽の差はなんなのだ、と思うが、
まあこれが標準的な欧米の感覚ということなのかもしれないな、とも考えてみる。

  
L: ヨーロッパ中世の彫刻が置かれた吹き抜け。まるで教会を思わせるデザインになっている。
C: 暗がりに鎧兜。客が全然いなかった。  R: 対照的に明るいところにあるヨーロッパの鎧。この差はなんなのよ。

中世美術の展示スペースに戻る。吹き抜けから南側は、小さな部屋が無数に連続している形になっている。
『風雲!たけし城』の「悪魔の館」みたいな感じ。丹古母鬼馬二やストロング金剛が待ち構えていたりして、なんて思う。
この中世を再現した小部屋には、当時の彫刻や装飾品が置かれているのだが、どこも同じような感じで眩暈がする。
いちおう、すべての小部屋を訪れるように位置関係を記憶しながらくまなく歩いていったのだが、もう本当にどっと疲れた。

いいかげん体力が限界にきていたので、1階の西端にあるカフェを見かけたら入らずにはいられなかった。
グレープフルーツジュースを注文すると、一服する。アメリカのジュースは基本的に果汁100%なのでうれしい(高いけど)。
5分ほど呆けて気力が戻ると、再びメトロポリタンの探検を開始。アメリカインディアンの展示を眺めていく。
すべてをきちんと見ていこうという気はもはや失せ、目についたものには近づいてみる、という方針に素直にシフトした。

 
L,R: メトロポリタンにはこのように彫刻が置かれた吹き抜けが多数ある。そうして小部屋に対して変化をつけているのだ。

南西端は近代美術である。僕の最も興味のあるジャンルなのだが、いかんせん体力を削られた状態なので、
あんまりきちんとした心構えで見られた気がしないのが残念だ。まあ、身から出たサビなのでしょうがない。
メトロポリタンの近代美術は、かなり東京都現代美術館の作品・展示に近い印象がした。
逆を言えば、それだけ現美のレベルが高いってことだと思う。それを再確認したってのが正直なところ。
近代美術のコーナーは2階にもまたがっているので、階段をのぼってさらに見ていく。
アンディ=ウォーホルの作品が目立っていて、特にポップアートは有名な作品がズラッと並んで迫力があった。

 
L: 近代美術はこのような感じで展示されている。雰囲気は東京都現代美術館にホントよく似た感じ。
R: ポップアートの名作が並ぶ一角。さすがはニューヨーク、って思う。

近代美術の東側はオセアニア美術。といっても、内容はほとんど博物館って印象のものばかり。
それはそれで面白いとは思うんだけど、なんせ疲れていたので申し訳ないけどあっさりで済ませる。
その先にはギリシャ・ローマ美術。これまた教科書レベルの貴重な作品がワンサカ並べられている。
よく見れば時代によっていろいろと違いがあるんだろうけど、それを認識できるほどの繊細さが残っちゃいないのである。
あーこれ世界史の教科書で見た気がするわーなんて思いつつ進むのであった。ホント、もったいない。

これでようやく1階をクリアである。自分の無謀さを今になって痛感するが、時すでに遅し。もはや、やりきるしかないのだ。
休む間もなく正面入口から入り直して2階へ上がる。メトロポリタン最大の目玉・ヨーロッパ絵画が迎え撃つ。
でもその前に楽器のコーナーへ。薄暗い中、客も少なく、決して演奏されることなくたたずむ楽器はかわいそうだった。

で、ヨーロッパ絵画なのである。やっぱりこちらも小部屋方式で、「これはさっき見たな」と確認して進むのが面倒くさい。
北から南にかけてだんだん時代が新しくなっていくようだ。そのため、最初は宗教画が多くてちょっと辟易。
今まではそんなに意識することがなかったんだけど、こうして宗教画が続く中に放り込まれて、
自分がどうも宗教画と相性が良くないという事実に気づいた。人間を描いてもテーマというか焦点がその先にある感じで、
作者の意識と自分の意識がまったく相容れない位置にあるのがつらいのだ。当たり前のことだけど、それがどうもイヤだ。

しかし19世紀の絵画が並ぶスペースに入ると、今度はもう、頭の中がお祭り騒ぎでたいへんな状態になってしまう。
ルノワールだのモネだのマネだのドガだのゴッホだのゴーギャンだの、有名どころが次から次へと息つくヒマもなく現れる。
しかも展示されている作品の絶対量が多いので、あっちでギャー! こっちでギャー!といった具合にやられっぱなし。
僕は現代美術のバカバカしさが好きで美術に興味を持った程度の知識・感性しか持ち合わせていない人間のはずだけど、
さすがにこれだけの圧力(本当に圧迫感をおぼえるほどに各作品が迫ってくるのだ)を受ければ、体が反応してしまう。
世間で名作と呼ばれる作品は、実際に目にすれば理屈抜きで「いい!」のである。これは本当にそう。
エジプト美術も悪くはないのだが、やっぱりこれは体力満タンのうちに見るべきだった、ここから始めるべきだった、
そう心から思うのであった。そんなわけで、これからメトロポリタンに行く機会のある人は、ぜひ気をつけてください。

 ヨーロッパ絵画で唯一、壁にかかっていないゴッホの自画像。並んで記念撮影するため?

ヨーロッパ絵画の後は、本当に小規模な素描・版画・写真なんぞを一瞥して済ませてさらに先に進む。
そしたらギュスターヴ=クールベの企画展に出くわした。海外の美術館は日本と違い、企画展も通常の料金に含まれる。
写真撮影はダメだったけど、髪を掻きあげて目を見開いた自画像をフィーチャーしていて面白そうだったので喜んで中へ。
展示内容は各種の自画像に始まり、風景画、肖像画、ありとあらゆる作品が豊富に集められていた。
疲れていたんだけど、ひとつひとつそこそこ丁寧に見ていく。つまりはそれだけの引力・魅力があったということ。
「このおっさん、ムチャクチャ上手いなー」と、思わず日本語を漏らしてしまった。
有名な画家なんだから上手いのは当たり前なのだが、幅広くいろんな対象を当たり前のように描けるってのがすごい。
『L'Origine du monde(世界の起源)』と題された女性器の絵もあったんでやんの。そんだけの変人、そりゃ上手いはずだ。
そんなわけで、いっそうヘロヘロになりながらも満足して出る。クールベおそるべしである。

イスラム美術は残念ながら改修中で見られず。これはけっこう悔しい。またいつかきちんと見られる機会があるといいが。
2階東側はアジア方面の美術となっていて、イスラム圏からカフェを挟んでわれらが東アジアまでが展示されている。
面積としてはそれほどのものではないので(メトロポリタン比)、まあそれだけ国外流出が少なかったってことかなと思うと、
それはそれでホッとするような気がしないでもない。正直、これはなかなか複雑なところである。
平日昼間なのにかなりの行列ができていたカフェを無視して先へ行く。カフェの周囲にはアジアの陶器が並べられていた。

中国美術はやはり博物館といった印象。朝鮮半島の美術も同じような感じだった。全体的に薄暗い。
「これはなかなか」と思うような水墨画がけっこう多く展示されていたのだが、横にいちいち拡大コピーがあるのが気になる。
水墨画は、欧米人(というか、慣れてない人)にはどこに何が描かれているのか判別できない、ということなのだろうか。
もうしそうなら、僕は東アジア文化圏に生まれてよかったと心から思う。あの端整な世界がわからない、というのはさびしい。
すぐ脇には中国の庭園を模した休憩スペースがあったが、どこかオリエンタリズムな脚色の匂いがしないでもなかった。
そして日本の美術なのだが、北のいちばん奥にあるために、客はほとんどいなかった。やはり薄暗い。
いちおう年代順に並べて土偶や埴輪からスタートしているが、メトロポリタンにある日本の美術品は時代が偏っている印象。
時系列に沿ってまんべんなく、というわけにはいかない感じだった。なぜか布製品が目立っていた印象である。

というわけで、これにてメトロポリタン美術館の中をすべてまわりきったのである。
正直言って、途中で記憶が何回(いや、何十回……)も飛びかけた。本当にクタクタになった。
展示物をぜんぶ見たいなら最低でも2回に分けるべきだし、思いきって見ないエリアを決めてしまうのも賢い方法だろう。
おそるべし、メトロポリタン。

メトロポリタンの次は、セントラル・パークを挟んで西側にあるアメリカ自然史博物館に行ってみることにした。
アメリカ自然史博物館は「上野にある国立科学博物館のアメリカ版」と言える。科博大好きな僕としては、はずせない。
時刻はだいたい15時ということで(結局メトロポリタンに5時間以上かかった)、少し早足でセントラル・パークを歩いていく。
途中でコカコーラのペットボトルを買うと(ニューヨークにコンビニはないが、あちこちに飲み物やお菓子を売る屋台がある)、
緑に包まれた景色をあれこれ撮影しながら西へ。ハトは日本と同じようにいたけど、スズメはいない。
かわりにやや暗い深緑に黄色い斑点を持った羽をした鳥がいて、元気にそこらを走り回っている。リスだって珍しくない。
ああアメリカは生態系が全然違うんだなあ、なんて思っているうちに、セントラル・パークを抜けるのであった。

  
L: セントラル・パークの中にはこんな感じで道が通っている。ベンチなど細かい点からして日本とは異なる印象。
C: このようにグラウンドもある。高いビルばっかりの地域と、セントラル・パークと、ニューヨークは本当にメリハリが激しい。
R: 木に登るリス。日本の公園でこういった哺乳類を見かけることはあまりないけど、アメリカではまったくもってフツーのようだ。

セントラル・パークに出たところからちょっと南へ行けば、すぐに巨大なアメリカ自然史博物館が見えてくる。
セオドア=ルーズベルトが馬に乗ってる像があり、その脇の階段を上って入口へ。
やはりカバンの中身チェックを済ませてからチケットを買う。IMAXシアターとかいろいろあるのだが、
面倒くさいので学生証を見せて「Cheapest!」と言う。昨日からそればっかりである。

アメリカ自然史博物館にある収蔵品は3200万点を超え、実際に展示されているものはそのうちの約2%なのだそうだ。
まったくもってとんでもない話である。メトロポリタンといい、自然史博物館といい、物を集めすぎである。
エントランスが2階になるので、とりあえず2階→1階→3階→4階と見ていくことにした。理由は特にない。
で、2階の展示は極めて民俗学的な内容で、世界各地の人類の文化や生活様式の紹介が主となっている。
まあ正直言って、建物の中は辛気臭い。日本のちょっと古めな公立博物館と何ひとつ変わらないと言っていい。
洋の東西を問わず、伝統を重視した感じの博物館はこういう雰囲気になるのかーと、まあそれはそれで面白かった。

  
L: アメリカ自然史博物館の外観。正面にでっかく「TRUE」「KNOWLEDGE」「VISION」と彫ってあるところに矜持を感じる。
C: 世界各地の動物が、剥製と絵を使って展示されている。実物の展示はチャチだが、写真にするとリアルに見えるのが不思議だ。
R: 館内の様子はこんな感じ。あんまり明るくなくって展示も日本の博物館とそんなに変わらない地味さ。正直、辛気臭いです。

奥にはアジアの人類ということで、日本を紹介するコーナーも。まあ正直言わせてもらって、勘違いしているところがある。
やっぱりオリエンタリズムのフィルターを通していて、僕らが重視しないところが「日本っぽい」とクローズアップされている感じ。
(逆を言えば僕らの感じる「アメリカっぽい」などの印象も、おそらく彼らにとっては過去の些細な一点にすぎないわけだ。)
特に日本の「侍」の絵で、兜をかぶって剣を振り上げているのに服装がほとんど農民、という笑えるものがあった。
こういうのの誤解を解くためにはどうすればいいのやら。お互いに問題は根深いなあ、なんて思ってみたり。

 問題の侍。なんじゃこりゃ。『ファイナルファイト』のソドムじゃねーか。

1階は自然科学系の展示になっており、鉱物・隕石や森林・希少動物などの紹介がなされていた。
スティブナイト(輝安鉱)の巨大な塊があったり、カリフォルニアのゴールドラッシュをもたらした金がそのまま展示されていたり。
特にかっこよかったのが、海洋生物の展示スペース。真ん中を1フロア分低くしてアトリウムをつくりだし、
そこに巨大な(たぶん実物大の)クジラの模型を宙に浮かべているのだ。これは本当にド迫力。
体力的にだいぶキツくなってきていたので、クジラをのんびり見上げて一休みするのであった。

  
L: スティブナイト(輝安鉱)。アンチモンの硫化物である。これは中国産だが、日本産のものは美しいことで有名なんだって。
C: ゴールドラッシュをもたらした金。ジーンズが青いのも、サンフランシスコのアメフトチームが49ersという名前なのも、この金のせいだ。
R: 海洋生物コーナーはこんな感じ。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(→2005.8.19)のクライマックスを思い出すぜ。

3階は爬虫類やアフリカ・太平洋の民俗学的な内容。そして4階はお待ちかねの恐竜の化石コーナーなのである。
トリケラトプスにステゴサウルスにティラノサウルス、さらにはマンモスまで全身の化石がドーンとでっかく展示されていた。
このフロアは積極的に外光を採り入れていることもあり、けっこう居心地が良かったのであった。ぜんぶそうならいいのに。

 日本じゃこれだけ多くの種類の全身化石を見ることはできないと思う。

展示内容がわりとありきたりで、正直ものすごく魅力的というわけではなかったこともあり、あっさりと自然史博物館を出た。
ニューヨークの中ではけっこう人気のある施設のようだが、僕としては「ぜひオススメ!」というほどの感じではないかな、と。
でもまあもともとが科学大好きっ子なので、一定の満足を得られる内容だったことは間違いない。
「自然史」博物館なので当然だが、工学系の展示はほとんどない。その点はしょうがないとはいえ、物足りない点だ。

時刻はほぼ17時。朝、ホテルの部屋で昨日買っておいたフライドチキンをむさぼり食って以来、何も食べていないのだ。
もういいかげんぶっ倒れそうになっていたので、地下鉄で本拠地である34St駅に戻ってメシを食うことにする。
で、肝心のメニューなのだが、実は昨日のうちにあたりをつけていたのである。ステーキを食べるのだ。
ステーキというとかしこまって食べなきゃいけないようなイメージがあるのだが、そこはアメリカ。
ファストフードに近い感覚でステーキを食えるチェーン店があるのである。本日はそこでたっぷり肉を食らうのだ。ぐふふ。

店内に入ると、列に並ぶ。ファストフードの「SUBWAY」形式、あるいは生協カフェテリア形式と言えばわかりやすいかな。
ああいった感じで、注文してから自分のほしい小皿・飲み物を取り、最後にお会計という流れ作業システムになっている。
メニューにはやはり番号がついていて、それを言えばいい仕組み。看板メニューと思われるTボーンステーキを注文。
ポテトをベイクドポテトにするかマッシュポテトにするか訊かれる。マッシュポテトは昨夜も今朝も食っているので、
ベイクドポテトを注文した。が、ほかの客は圧倒的にマッシュポテトを選んでいくのであった。……そういうもんなの?
で、あとはミネラルウォーターとサラダを加えて一丁あがりなのである。

 いただきます!

いかにもアメリカ産牛肉って感じで、非常に簡単に切れる。そんでもってヴォリュームもあって豪快だ。
で、食っていてみんながマッシュポテトを選ぶ理由がわかった。というか、個人的にひらめいた。
僕ら日本人は、とにかく米を食う。何がおかずであろうと、主食は米。米が最も基本的な炭水化物となっている。
しかし、アメリカ人は決して米を主食としては扱わない。そんなアメリカ人の炭水化物補給源こそ、マッシュポテトなのだ。
日本人にとってのデンプンはふっくら炊いた米だが、彼らにとってのデンプンはすりつぶしたジャガイモなのである。
つまり、マッシュポテトがアメリカ人にとっての米なのである。この発見には思わず、「おお!」と感嘆の声をあげてしまった。

満腹になり、大満足でホテルに帰って仮眠をとると、20時半ごろになってバチッと目が覚めた。
「マンハッタンの夜景を見るのだ!」体力が回復すると現金なものである。さっそく支度をととのえて、外に出る。
夜景を見る定番のポイントといえば、エンパイアステート・ビルである。運がいいことに、ホテルからわりかし近い位置にある。

そういうわけで、エンパイアステート・ビルの中に入ると展望台を目指す列に並ぶ。
平日夜だが、これがまあものすごい大繁盛ぶり。それとなく周囲で交わされる会話に耳を傾けると、
実にいろんな言語が入り乱れている。でも、なぜか日本語は聞こえてこないのであった。
アジア系でも聞こえてくるのは中国語で、日本人観光客はほとんどいないようだ。

じーっと並んでエレベーターで上にあがるが、やっぱり行列は続いているのであった。
そうして迷路のようなビル内をあちこちウネウネ歩いて、ぼーっと待っている時間は本当に長かった……。
時間の感覚がなくなりそうな牛歩戦術が続くが、ガマン強く番を待つ。そしてようやく展望台に出られるのだった。


マンハッタン、東(クイーンズ方面)を眺めたところ。左手にクライスラービルがタケノコ状態で輝いているのが見える。


上の写真のすぐ右側、マンハッタンの南部(ダウンタウン方面)~西側を眺めたところ。

 
L: 西側はこんな感じ。奥はニュージャージー州になる。  R: アール・デコでお馴染みのクライスラービル。優雅である。

ぱっと見た感じでは東京の夜景なんかとそれほど違いがあるわけでもないじゃん、と思ってしまうのだが、
無数の摩天楼の窓から漏れる明かりが視界の下半分を埋め尽くしている光景は、やはり独特なのである。
各階ごとに層をなした光が横に直線的に並んでいて、それが斜めに交差しながら広がっている。
一方で、まっすぐに伸びた摩天楼は垂直な影にもなって、いくつもいくつも重なって複雑な模様を描いている。
そんなマンハッタンの向こうでは、住宅地と思われる金色の光が水平に横たわり、地平線を覆っている。
これが夜のニューヨークかあ、と呆けて眺めながら過ごすのだった。

 地上に降りてきてから見上げる、エンパイアステート・ビル。この夜は緑に輝いていた。


2008.5.7 (Wed.)

いま、成田空港でこの日記を書いている。時刻はもうすぐ17時。
搭乗予定だった飛行機の離陸時刻は16時25分だったわけで、「まさかお前乗り遅れたの?」と思われるかもしれないが、
機材の到着が遅れて18時10分発に変更になったのである。空港に着いてそれを見て、腰がくだけた。
というのも、ヤンキースの試合開始予定時刻が現地の19時ということで、つまりこれでほぼ遅刻確定なのである。
いや、遅刻で済むならいい。最悪、観戦できないこともありうる。広島市民球場(→2008.4.23)の二の舞は避けたい。
なんでそんなに焦っているかというと、翌日からヤンキースはわりと長期のロードに出てしまうのである。
だから今回のニューヨーク滞在中にヤンキー・スタジアムでヤンキース戦を観ることができるのは、今日しかないのだ。

いちおう、今回の旅行についてあらましを書いておこう。
「30歳になったし海外ぐらい行っとかないと!」という思い、「ヤンキー・スタジアムとシェイ・スタジアムが今季限り」という事実、
そして「教育実習前には外国行って箔をつけておきたいな」という打算、それらが入り混じった結果として、
このタイミングでのニューヨーク旅行の決行となったわけである。初の海外がニューヨークに一人旅、である。
その話を聞いて、両替をしてくれた銀行のおねーさんは「……度胸ありますね」とのコメントをくれたわけだが、
個人的にはまあ単純に、僕が勢いで動く人間であることがまたこれで証明されちゃったのかなあ、といったところだ。

で、出国審査を済ませて出発ゲートの前でこの日記を書いているわけだけど、もうめちゃくちゃ緊張している。
空港に着いてからずっと、ヘナヘナした姿勢で落ち着きなくあちこちをウロウロして過ごしているしだい。
去年の沖縄旅行ではみやもりにビミョーな表情の写真を撮られたけど(→2007.7.21)、あれよりひどい顔だと思う。
それにしても駅の改札を抜けていきなり身分証明書の提示を求められたのには驚いた。これが成田空港ということなのか。
「本日はどういうご用件ですか?」と聞かれたので、しどろもどろで「く、空港に来ました」と答えた僕はアホだ。
そんな人間が、英語もろくすっぽしゃべれないのに5日間もニューヨークに独りでいるということが、果たして可能なのか。
どうせ現地に着いちゃえば、きっといつものクソ度胸でグイグイ動いてしまえるだろうけど、今がいちばん不安な時間である。

 今回の荷物はこれ1個。沖縄旅行やこないだの山陽~九州西海岸旅行より少ない。

あー緊張する。深呼吸しよう。
そんじゃま、そろそろ時間なんで、とりあえずパソコンをたたんで行ってきます。

現在、日本時間で22時半を過ぎたところ。そろそろ日付変更線を越えるかな、といった位置にいる。
実は出発がさらに遅れ、成田を離陸したのが19時15分ごろということで、ヤンキースの試合はほぼあきらめモードである。
ちなみに1時間くらい前に機内食が出て、「Beef or fish?」と訊かれたので「Both!」と答えたら、ダメだと笑われた。
1便にひとりくらいそういうことを言うバカがいそうな気がする。帰りの便でも両方出してくれるかやってみる気でいる。
(※ちなみにその後、到着前の軽食が出たときには「Egg or pasta? Or both?」とからかわれた。まいったまいった。)
機内は非常に退屈である。成田空港といえば、よい子は「ジャンケンで3勝!」と連想するわけで、
成田を離陸した飛行機の中でやることといえば、よい子は「400問の3択ペーパークイズ!」と連想するのである。
まあそれで東京直行になるわけにもいかないのである。何ごとも平和が一番ということでおとなしくそろそろ寝ることにする。
(この辺のボケ具合がわからない人は、Wikipediaあたりで「アメリカ横断ウルトラクイズ」という言葉を検索しましょう。)
いま窓際の席に座っているんだけど、運よく隣もその隣も空席なので、3連続の座席を豪快にぶち抜いてゆっくり寝るのだ。

ついたぁー!

さっき着陸寸前の機内から、どれどれ窓から見える景色はどんなもんじゃろか、と覗き込んでみたら、
京葉線の舞浜辺りで見られるような整然とした住宅が、緑を挟み込みながらびっしりと広がっているのが見えた。
これがアメリカの郊外高級住宅地なのか!と驚いた。空から見て、直線も曲線もかなりかっちり引かれている感じがする。
だんだん飛行機は高度を落として、景色がクローズアップされていく。広い道路には緑の標識が目立っていて、
そこには英語しか書かれていない。映画で見た、アメリカのフリーウェイだ。アメリカだ、アメリカだ、とテンションが上がる。
到着したのは現地時間の18時半ごろ。これは快挙と言っていいだろう。ヤンキー・スタジアム、観られるかもしれない。

無事に着陸すると、まずは入国手続き。IC旅券のマークがあるブースに並んで番を待つ。
指紋を記録され、インスタントに顔写真を撮られ、入国の目的やら滞在日数やら職業やらを訊かれる。しょ、職業……。
「Nothing.」と答えたら疑いの眼差しを向けられたので「先月まで出版社で編集やってた」って言ったら「どんな本だ」と訊かれ、
「大学で使っている教科書だ」って言ったらようやく通してくれた。なんだか非常に切ない気分になってしまったではないか。
で、急いでBONANZAを背負い、税関の係官に申告シートを渡す。係官は中国系のお兄ちゃんで、
僕が素早くやってきたせいか、「預けた荷物はないのか?」と訊いてきた。
この否定形の疑問文に「Yes」で返した僕は、日本人が染み付いてしまっている。
兄ちゃんは怪訝そうにもう一度訊いてくる。そこでやっと間違いに気づいたので、
「I have this bag only.」と答えてBONANZAを見せる。「Only?」「This one only.」
それで結局、兄ちゃんは「Good job.」と言って通してくれたのであった。その「Good job.」という言葉の選び方からして、
「よくがんばったで賞」をもらったような気分になる。話せないなあ、自分。と反省。

今回、僕が乗ったのはコンチネンタル航空の飛行機である。日本からニューヨークに行くと、
ほとんどの場合はクイーンズのジョン・F・ケネディ空港に着陸する。しかしコンチネンタルの場合に限って、
ニュージャージー州のニューアークに着くのである。ところが実は、交通の便はニューアークの方がいいのである。
極めてスムーズにエアトレインに乗り込み、ニュージャージートランジットに乗り換え、
自分でも拍子抜けするほどあっさりとマンハッタンのペンシルヴァニア駅に着いてしまった。
そして宿にそのままチェックインしてしまう。というのも、今回の宿はペンシルヴァニア駅の真向かいにあるのだ。
(ペンシルヴァニア駅はマディソンスクエア・ガーデンの地下にある。だから宿はマディソンスクエア・ガーデンの真向かい。)
正直、それなりに金はかかったが、初めての海外だし宿の利便性は最大限に確保した方がいいとの判断でそうした。
そんな具合に、ここホントに海外?と思ってしまうほどスムーズに一連の手続きを済ませることができた。いやー、運がいい。

とはいえすでに試合開始時刻は過ぎている。荷物を置こうと急いで部屋に行ったら、ドアが開いている。
変だな、と思って中に入ったら、どっからどう見てもインド人の女性が、今まさに掃除機をかけんとす、というところ。
なんじゃこりゃ、と圧倒されるが向こうは気にせず作業続行。突っ立っていてもしょうがないのでとりあえず荷物を床に置くと、
「……Can I go out?」「Sure.」「じゃあ、行って……きます……」と手ぶらで外出するのであった。
思わぬ先制パンチに、アメリカって何なんだ?と首をひねるしかなかった。

 左側がマディソンスクエア・ガーデン。交通量が半端ない。しかもイエローキャブばっか。

ムダなく動けるように事前にチェックはしておいた。急いで地下へと降りていくと、7daysのパスを買う。
そしてアップタウン・ブロンクス方面の地下鉄に無事に乗り込むと、そのまま揺られて北へと進んでいくのであった。
さて日本の地下鉄では地域名や名所がそのまま駅名になることが多いのだが、ニューヨークはそうでもない。
そもそもニューヨークというかマンハッタンは京都と同レベルと言っていいくらいに直線の道路でできている街なのだ。
道路は南北方向がAvenue、東西方向がStreetとなっている。Avenueは東から西へと数字が大きくなっていき、
Streetは南から北へと数字が大きくなっていく。この数字だけがほとんど頼りなのである。
(日本語では、n Avenueを「n番街」、n Streetを「n丁目」と訳す。だから「5番街」=「5Av」なのである。
 本来なら「5th Ave.」と表記するが、ニューヨークはthなどの序数の略字・母音・ピリオドを落とす独特のやり方をする。)
だから駅名も「34St」だったり「42St」だったり、数字を使ったStreet名がメインとなっているのだ。
最寄駅の数字さえ覚えていれば簡単だが、それがうろ覚えの場合には乗り越しの危険性がたいへん高くなるのである。
で、僕はヤンキー・スタジアムの所在地がうろ覚えだったので、それとなく周囲の様子を見て降りるタイミングを探る。
幸いなことに、帽子だったりシャツだったりを身に着けた明らかにヤンキースのファンが何人も乗り込んでいたので、
その後をついていくことにする。降りる駅はもちろん、出る出口も一緒。そうしてどうにか、球場のある一角にたどり着いた。

そうしてヤンキー・スタジアムらしい場所に来たのはいいんだけど、辺りはけっこう暗い。
歓声が聞こえてくるけど、どこで何をどうすりゃ中に入れるのかがサッパリわからない。
弱ってウロウロしていたら、アメリカのダフ屋(黒人の兄ちゃん)が「Ticket?」と寄ってくる。困った。
しょうがないので走りまわって振り切って、ゲートのところにいる係員に「Can I buy a ticket?」と尋ねる。
20時を回っていたので半ばあきらめムードでいたのだが、「黒いゲートの向こうで買えるよ」と返事。
やっぱりダフ屋を振り切って走って行ってみると、確かに当日券を売っていた。「Cheapest, please!」と叫んで無事購入。
モタモタしていたらダフ屋にいくら払わされたかわかったもんじゃなかった。まあ、運がよかったということにしておこう。

  
L: お隣で建設中のNew Yankee Stadium。非常に権威主義的というか、まあヤンキースらしいファサードである。
C: というわけで、無事にヤンキー・スタジアムの中に入ることができた。まずは外野側から撮影するのである。
R: 次は内野側。後になってから、パノラマで撮影しておけばよかったわと後悔。時すでに遅し。

当日券で入ることができたのは三塁側。だが、話で聞いていたとおり、客席のほとんどはヤンキースファン。
対戦相手のインディアンスを応援する人は本当に2,3人程度しか見かけない。これがメジャーのホームってことか、と実感。
ファンはもちろん、ひとつひとつのプレーに注目していちいち反応を示すんだけど、
三塁側の端っこはわりとリベラルというか自由な振る舞いをしている人が多く、場面に関係なくウェーブを始める。
で、それがスムーズにホームベース側に伝わっていかないとブーイング。これまたメジャーだなあ、と実感。
近くではやたらと大声でヤジりまくる太めの体型のファンもいて、またまたメジャーだなあ、と実感したとさ。

肝心の試合展開はというと、インディアンス先発の左腕・クリフ=リーの調子がかなりいいようで、ヤンキースは無得点。
アレックス=ロドリゲス(いわゆるA-ROD)がケガで戦列を離れており、確かに打線にはなんだか迫力がない。
そもそも今年のヤンキースはまるっきり調子が悪くて、最下位にすらなりそうな状況なのである。
そんな中で高い打率をマークしている5番DH・松井秀喜は地元のファンにもかなり人気があった。
松井の打席になるたび、あちこちで巻き舌の「マツゥイー!」という声援が聞こえてきた。
チーム生え抜きのスターであるデレク=ジーターの次に声援が多かった。なんだかこっちまでうれしくなってくる。

本日最大のハイライトは6回裏。0-3で負けている状況だったが、2死からアブレイユが一塁内野安打で出塁する。
続くダンカンがサードの脇をきれいに抜けていく二塁打を放って二、三塁というチャンスに。
そしてこの日一番のヤマ場となったところで松井が登場。スタジアムは猛烈な勢いのマツゥイーコールに包まれる。
一球一球に注目が集まる中、松井はリーのチェンジアップにまったくタイミングが合わずに空振り三振を喫してしまう。
周囲の溜め息のすごいことといったらない。期待が大きかっただけに、落胆もまた大きいのである。

 
L: チャンスで電光掲示板に松井が登場。スタジアム中に歓声があがり、そうとう期待されているのがわかる。
R: でも結果は空振り三振。期待していた分だけ、スタジアム中に落胆の溜め息が広がった。僕もがっくり。

結論から言っちゃうと、この日は最後まで打線がパッとせず(リーが良すぎた)、ヤンキースは完封負けを喫した。
先日の福岡(→2008.4.25)と同じく、せっかくホームを応援したら完封負けということで、なんだかツイてないなーと思う。
まあ、ヤンキー・スタジアム最後のシーズンに、遅刻したとはいえきっちりと観戦できたことだけでもヨシとしましょう。
(センターに抜ける打球を二塁手・カノが逆シングルで素早く処理してアウトといういかにもメジャーな好プレーも見られた。)

さてメジャーリーグでは、イニングの合間にいろいろと、観客を飽きさせない工夫をしている。
入場者数についてのクイズを出してみたり(最初は4択だったのが、ひとつひとつ選択肢が消えていく)、
3つ並べた帽子の中に球を入れシャッフルした映像を流して、どの帽子の中に球がある?ってやってみたり。
ヤンキースの名選手の偉業を振り返る映像が流れたりもした。この日はベーブ=ルースなのであった。
中でも特筆すべきなのが、グラウンドキーパー。7回表に入る前に内野の土をならすのだが、
BGMの『ヤングマン』に合わせて右手でリズムをとりつつグラウンドをならし、サビのときだけ「YMCA」とやる。

 こんなふうに。

で、サビが終わると何ごともなかったようにまた右手でリズムをとりながら、土をならして去っていくのである。
いつからそういう伝統というかお約束ができたのか知らないけど、やっぱり本場は気が利いていて面白いなあ、と感心した。

あまりにだらしない試合展開に途中で帰っちゃう客もかなりいたのだが、そこは最後まで見届ける。
そして試合が終わった瞬間に、周りの皆さんと一緒にさっさと球場を出てしまう。モタモタしていても怖いし。
で、来たときと同じように地下鉄に乗って帰る。不可抗力でしょうがないことだとはいえ、
ヤンキー・スタジアムの外観を撮影する時間がなかったのは残念である。まあ、がまん。

34St駅から地上に出て、方角がつかめずちょっと迷った。でも23時近い時刻なのでボサッとしているわけにもいかない。
斜めに走っているブロードウェイや昼間のおぼろげな記憶から、どうにか正しい位置関係を割り出す。
安心したら腹が減った。そういえば着陸してからまだ何も食ってないなと思い、目についたケンタッキーフライドチキンに直行。
ファストフードならそんなにいろいろ深く考えなくても買えるんじゃないの?と思ったわけだ。日本の場合とも比べてみたいし。

店内に入り、ふつうにチキンのサンドの番号を言ったら(メニューには番号がついていて、それを言えばいいのだ。楽ちんだ)、
「この時間はやってない、左端の3種類から選べ」と言われる。そんなこと書いてないじゃん、と思うが素直に番号を言う。
そしたら「トゥー?」と訊かれた。「Two」のことか? それとも「To」のことなのか? 何を意味しているのかよくわからない。
しかし疲れていて(時差を超えてアメリカに来ているから、僕は36時間近く5月7日をやっているのだ。疲れて当たり前だ)、
もう面倒くさいのでずっと頷いて通したら、同じメニューが2セット、店内で食うスタイルで出てきた。なんだこれは!?
どっからどう見てもオレはお一人様じゃねーか、オレの体格見ればこの時間にチキンを2セット食うわけねーだろ!と思うが、
それを英語にして口から発するだけの気力がない。片方を明日の朝メシにするという妥協案を思いついてしまったので、
おとなしく「I want to take.」と言ってお持ち帰りの紙袋とビニール袋に入れてもらい、2セット分ぶら下げて宿に戻ったとさ。

部屋に着いたらフライドチキンにむしゃぶりつく。チキンの皮が妙にクリスピーだ。そんでもってやっぱり、飲み物がデカい。
フライドポテトではなくマッシュポテトがカップに入ってついてくるところがいかにもアメリカだなあ、と思う。
フガフガ夢中で食いつつテレビでスポーツニュースを見ていたら、松井の三振のひたすら繰り返し。しょんぼりである。


2008.5.6 (Tue.)

本日は僕の発表の日である。もともと準備にろくすっぽ時間がとれなかったうえに、
調査対象からもマトモなデータがほとんど拾えないという状況だったので、しゃべりでごまかそう、と決意するのであった。
相変わらずの早口でまくしたてつつも、抑揚をつけることでしゃべれてる感を演出し、どうにか乗り切った。
単位が来れば成績は気にしない、という方針を貫いたので、こんなもんである。

この日は司会担当のしゃべりたがりが完全に暴走した時間帯があった。
情報化社会についての話題で「ぼくは皆さんに、生徒がナイフを持って迫ってきたらどうするか聞きたいんですが……」と、
まったく関係のないことについて全員に聞いてまわる。しかも自分の武勇伝の紹介つきで。
心底呆れ果てたのだが、ほかの学生もまたバカ正直に答えていくのを見て、もう本当に嫌気がさした。
お前がこの授業を崩壊させてんのがわからねーのか!という言葉が出かかったけど、もう必死でガマンして、
自分の番に「あなたの司会ぶりは授業の論点からズレていますよ」と冷静なふりして返事するのが精一杯だった。
僕は自分が賢いとは思わないけど、それでもこういう人間が教職を同じように目指していることを本当にキツいと思う。
とにかく、自分もそいつと同じように、聞き手(生徒)を利用して自分を満足させるようなことをしていないか、
つねに気をつけるように心がけるしかないなあ、と思った。人の振り見てわが振り直せ、だ。

なんとか耐え抜いて授業が終わったときには、もう本当に、自分を褒めてあげたいと心から思った。
この3日間のことは、忘れたくても忘れられないだろう。とにかく前向きにがんばることにする。でなきゃやってらんない。


2008.5.5 (Mon.)

前日の話では、今日の午前中までは調査の時間だったはずなのだが、先生が勝手に時間短縮の意向を示してきた。
ふざけるな!と思ってしつこく抵抗した結果、どうにか当初の予定どおりとなった。まったく冗談じゃない。
教育学って領域は本当に、こういうレベルの低い教員が大手を振って歩いているもんなんだなあ、と呆れた。
で、午前中を通して必死でまとめてどうにかレポートを仕上げる。

午後からは発表開始。序盤の2人はなんというか、もうホントに勘弁してくださいと言いたくなるような内容。
こういう人が教員免許を取ろうとしていて、実際に取得できるかもしれないということに戦慄を覚えた。
自分のことを棚に上げてひどいことを書いているように思われるかもしれないけど、客観的に見てこれはホントに怖い。
その一方で、実際に現場で働きながら免許の取得を目指している人の発表は面白い。
いい発表はいいし、救いがたいものは救いがたいということで、前者の仲間入りができるようにがんばりたいと思ったことよ。


2008.5.4 (Sun.)

本日より3日間のスクーリングなのである。
これをやんないと教職の単位が埋まらないという必須科目なので、やるしかないのである。
内容は教職に関する演習なんだけど、先生の用意するテーマによりけっこう差があるようだ。
僕が申し込んだのは、「情報化社会における子どもを取り巻く環境の変化」がテーマのクラスで、
それについて最終的にはレポートを書いて、30分の発表と10分の質疑応答をするということになっている。

で、教室に集まったのは僕を含めて14名のメンバー。
自己紹介を聞いていると、ガチガチの体育会系でサッカー部インターハイ優勝経験者、
あるいは芸能事務所でマネージャーやってましたって人、青年海外協力隊から帰ってきた人、
そういったけっこう強烈な経歴を持っている人が集まっていて驚いた。
それに比べると自分はホントに取り柄がないもんなーと思う。

さて授業が始まると、2分もしないうちに非常に不安な心持ちになる。
演習の授業ってのは先生の力の入れ具合としゃべりたがりな学生の振る舞いで質が決まるものだが、
この両方が、僕にとっては壊滅的な印象だったのである。具体的に書くとアレだけど、
先生は生徒の希望を採り入れるふりをしつつ、自分の思いどおりに事態が動かないと文句を言う。
しゃべりたがりの学生は、人に意見を求めるふりをしつつ、自分の興味関心のある話題にムリヤリもっていく。
今回のスクーリングは3日間で、最初の2日間が520分授業、最終日が390分授業というハードな内容だ。
オレ、ホントにキレないで最後まで乗り切れるんだろうか……と、真っ青になるのであった。

それでも不幸中の幸い、初日はレポート発表のためのインターネットによる調査で終わることになった。
パソコンルームでネット検索をし、自分の母校についていろいろと調べることにした。
母校のページはリンク切れ続出で泣きたくなるほど情報量が少なかったのだが、
そこは根性で、A4で4枚の分量に膨らませていく。なんというか、どっと疲れた。


2008.5.3 (Sat.)

Perfume『GAME』。ついにオリコン1位を獲得ということで、Perfumeは今まさに旬を迎えている。
一部では「ピコピコブス」という絶妙かつヒドいあだ名をつけられているものの、まあそれだけ勢いがあるということだろう。
(ちなみに、以前日記で書いたPerfume評はこちらを参照(→2008.1.28)。けっこう辛口の評価である。)
で、『GAME』は何曲か試聴できたのであらかじめチェックしていたのだが、その段階で「こりゃかなりレベル高えぞ」と思った。
そして、TSUTAYAでレンタルが解禁になると同時に借りてきた。「ちくしょーやっぱこりゃいいわ」というのが正直な感想だ。
このアルバムには「ポリリズム」以降のシングル曲が収録されていて、それがひとつの売りになっているわけだけど、
そうでない新曲がまた粒揃いなのだ。シングルでない分だけ冒険した曲が多く、結果としてそれが僕好みに仕上がった、
というふうにとらえることもできるのだが、まあそれを差し引いてもよくできていると思う。
捨て曲がないという点においては、最近のcapsule以上のクオリティに達していると断言できる。それくらい、いい。
アルバム曲がどれだけ魅力的かによって、そのミュージシャンの実力を測ることは、たぶん可能だと思う。
というわけで現時点でのPerfumeは、高い能力を持ったグループとして、その存在を認めざるをえない。
中田ヤスタカには本家のcapsuleでガシガシがんばってほしい立場の僕としては、正直ちょっと複雑である。

東京スカパラダイスオーケストラ『Perfect Future』。こちらはいつものように購入。
スカパラの新作アルバムは1年10ヶ月ぶりになるので、ファンとしては非常に期待の高かった一枚である。
で、実際に聴いてみると、なるほど確かにいい。相変わらずの高いテクニックをフルに聴かせる曲が揃っている。
全体を通して、何かをやっているときのバックに流しておくのに最適な曲が集まっている印象である。
特に今回はまとまりがいいというか、各パートの見せ所がバランスよく、的確に散りばめられている、そんなふうに思う。
しかしながらまたしても、強烈な求心力を持ったメロディを持った曲がない。キラーチューンがない。
これは近年というかここ5年くらいのスカパラが抱える最大の問題点であると僕は認識している。
「Monster Rock」は別格のバケモノとしても、今後も永くライヴで客の頭を真っ白にする曲が、最近は見当たらない。
そういう意味では、『Perfect Future』はまたしても、クオリティは高いがスカパラの歴史に埋没するアルバムであると思う。
スカパラには、今こそ全曲カヴァーのアルバムを出してほしい。そうしてメロディの重要性を、もう一度見つめなおしてほしい。

比べる対象ではないと思うが、あえて言わせてもらうと、アルバムとしての破壊力という点において完全に、
『GAME』>『Perfect Future』である。悔しいけど、Perfumeの圧勝。
スカパラには「美しく燃える森」のときのような、従来の枠をぶっ壊しかねないギリギリの冒険が必要だ。
頼む、またもうひとつこっちの予想を裏切るような展開を見せてくれ。今のままじゃ何も変わらない。


2008.5.2 (Fri.)

本日は平日の昼間でないとできない事務的な手続きに追われた。
まずは病院で、こないだの麻疹の抗体検査の結果を聞く。陽性ということで一安心。これ以上の出費はキツすぎる。

そして自由が丘に移動し、銀行で外貨両替をお願いする。まったく初めてのことなので何をどうすればいいかわからない。
窓口では対応してくれたおねーさんと相談というか雑談というか、まあそんな感じのゆるーい会話を繰り広げつつ、
なんとか無事に両替ができた。こないだまで円高円高って騒いでいたのに、全然そんなことないじゃん、と思う(107円)。
おねーさんは「お気をつけて行ってらっしゃいませ」なんて言ってくれちゃって、なるほどそういうところでの好印象が、
地道な顧客獲得へとつながっていくのかーと思ってみたり。アホな相談に丁寧に答えていただきありがとうございました。

で、その後は朝メシを食いつつ日記を書く。先月の山陽~九州西海岸の大旅行の分がどっしりたまっている。
でも次のイベントまではすでに1週間もないのだ。ガンガン書いていかないと、また大変なことになってしまう。焦りつつ書く。

そしていつもの店で髪を切ってもらう。阿蘇山とKK WINGでかなり日焼けをしていたようで、おねーさんに
「短くしたら日焼けしてない部分が出てきたんですけど」と言われる。今の時期は紫外線が強いので、さもありなん。
平日昼間に僕が来店することは今までなかったので、非常に珍しがられる。まあいずれ真相を話す日が来るやもしれん。

スッキリすると、蒲田に移動。区役所で健康保険についていろいろと調べる必要があったからだ。
縦割り行政の隙間にぴったりと入るような問い合わせということで、区役所だけでなく社会保険事務所まで巻き込んでの、
けっこう大掛かりなたらい回しに遭う。でもまあそれは十分覚悟の上のことなので、素直に受け入れてあちこち動きまわる。
役所の皆さんの対応は揃って腰が低く、たらい回しにせざるをえないことを申し訳なさそうにしていた。
こういう窓口の対応も、昔と比べるとずいぶん良くなっているんだろうな、なんて具合に寛大な心で受け止めるのであった。
で、たらい回しの結果、蒲田だけではおさまらず、なんとお茶の水まで行かなきゃいけないことになった。
天気も悪くなってきていたので、続きはGWが明けてさらにまたその先ということにする。
いやはや、世の中の仕組みは複雑だ。

僕はお金の計算ができない一橋OBということで、こういうお役所でお金がからむ手続きというものが猛烈に苦手だ。
それで知恵熱が出たのか、気がつけば疲れ果てて寝っこけていた。ホント、世間は複雑で困る。


2008.5.1 (Thu.)

今日はまず、午前中に荷物(BONANZA)を受け取ることから始まった。
これでようやく、長い長い旅が本当に終わった、そんな気分である。
その後は新しいパスポートを受け取り、自転車を修理してもらい、ハローワークへ問い合わせをし、のんびりと過ごした。
そしたらマサルから様子を探る電話がわざわざかかってきた。「キミは自由だ!」とか言われても困るでありますよ。
まあ心配してもらえるのはうれしいことだ。今後はいろいろ不安になることもあるだろうけど、なんとかがんばれる気がしたよ。

家では楽しみにしていた『GIANT KILLING』5巻と『まんがサイエンス』XI巻を読む。
『GIANT KILLING』は本当に面白い。絵がめちゃくちゃ上手いところにものすごくしっかりとした試合内容。
ここまで頭を使ってサッカーを観ることなんてできないので、その深い知識には感嘆するばかりである。
『まんがサイエンス』はいつもの4人組がメインではなかったのでちょっと違和感。でもまあこういうのもアリである。

そんな感じに本日はリラックスして過ごした。日記も並行してがんばんなきゃね。


diary 2008.4.

diary 2008

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