diary 2003.11.

diary 2003.12.


2003.11.30 (Sun.)

ちょっと思うところがあって、『グランドホテル』のDVDを見る。

めちゃくちゃ面白い! これは本当に戦前の作品なのか、というくらいポップだ。
舞台であるグランドホテルから一歩も出ないで5人の登場人物の交錯を描く。
人間関係が入り乱れるドラマを時間・空間を固定してつくり出すという発想、
これを一番最初にやったってのは、やっぱり驚くしかない。
オープニングでは電話という「外との対話」で観客に基本情報を理解させる。
そのカットの切り替え方も、本当にポップ。『渡る世間~』も少しは見習うべきだ。
エンディングではさまざまな形で5人がホテルを後にする。特にバロンとクリングラインのあまりに対比的な去り方、
そこに込められた「生きる」ということを軸に据えた仕掛けの鮮やかさは見事というほかない。
そしてこれをまとめるべく最初と最後に出てくる医師のセリフが、本当にガッチリ決まっている。
これは古典中の古典だ。一般常識として見ておかなくちゃいけない、と思うんですが。マジで。


2003.11.29 (Sat.)

『東京ラブストーリー』のビデオを一気に見た。なんとなく、有名なドラマを見たかったのだ。

一言でまとめると、空気の読めない男と面倒くさい女の話。
でも、この構造はきっと普遍性を持っている構造なのだろう。ラブストーリーって、そういうものなんだろう。

見ていて鈴木保奈美の人気が出たのがなんとなくわかった。
役柄と役者がぴったりしている、という点でよくできたドラマだと思った。そんぐらい。


2003.11.28 (Fri.)

しかしこうやって日記をまとめて書いていくというのも、なんとも不思議な気分だ。
忘れないように最低限のメモをとっておいて、それをもとにして書いていくのだが、
当時の記憶が要点だけをまとめた形でよみがえってくる。余分なものを一切削ぎ落とした形で。
そんなわけで、ある程度時間が経過した方がわかりやすい日記を書くことができる。
だけど、削ぎ落とした余分な部分の方が重要なこともきっとあるはず。
そういう意味では、今書いている文章の意味は正直微妙だ。
でもやっぱり、まがりなりにもネットに出しているわけだから、感情の揺れは少ない方がいいんだろうな。


2003.11.27 (Thu.)

『課長 島耕作』で樫村の死が気に入らないので、それについて書いておく。
作中では樫村の死を、家庭・仕事・プライヴェイトの臨界点として島耕作が総括していたけど、
その理屈づけはどうかなあ、と思うのである。
単純に、将来島の出世にとって最大の障害になる樫村を排除しただけじゃないの、と言いたい。
樫村は同期での出世頭であるわけで、また樫村は島の最大の味方であるわけだから、
ふたりが出世していった先での扱いが非常に難しくなる。トガった話にならなくなってくる。

あるいは、別の考え方。この作品は島の一人称の体裁をとっている。
そのため、その島の姿を外側から描く可能性を持っている樫村は、本質的にジャマな存在だった。
樫村を舞台に登場させ続ける以上、他者から見た島の姿が話の主要な位置にとどまり続ける。
(それは結局、樫村の決定的な設定=島に惚れている、をコントロールしきれないということ。)
その面倒くささ、あるいはホモセクシュアルへのテーマのズレを排除するために、樫村を殺した。
そう考えれば、樫村の死は島の一人称をより強固にする宣言ということになる。

どっちにしろ、樫村の死によって作品の進む方向は確実に定まった。
それはいいのだが、できれば、もうちょっと、なんとかする方法がなかったのかな、と思うのである。


2003.11.26 (Wed.)

TBSの深夜番組『新すぃ日本語』がめちゃくちゃ面白い。
プリンス・武田鉄也の知識は詰めが甘いが、まあこれはかなり良い人選だと思う。
フットボールアワー、カリカ、友近といった芸人たちのコントもすごくいい。演技もいいけど、台本もいいのだ。
きちんとつくり込んだ笑いを見せる、という点で、近年でも出色の丁寧さを持った番組なのは間違いないと思う。
なによりすごいのは、司会のさまぁ~ず。三村のツッコミは言わずもがなだが、とにかく大竹の発言のくだらなさがいい。
本当にくだらなくて、本当に笑える。『内P』でもそうだけど、もはやさまぁ~ずは何をやっても面白い。全面降伏だ。


2003.11.25 (Tue.)

『池袋ウェストゲートパーク・スープの回』のDVDを買ってきた。
「RISEじゃダメっしょー」というツッコミはおいといて、とりあえずドキドキして見る。

相変わらず、宮藤官九郎はバラバラの要素から統一されたコードをまとめるのが上手い。
池袋、ラーメン戦争、スペシャル=SP=スープ、骨のダシ、骨音。
これだけキレイにハマっていると、文句のつけようがない。楽しんでやっているのが伝わってくる。
スペシャルってことで、レギュラーだったキャストがちょこっとしか出てこなかったり、
ライヴシーンがムダに長かったりと気になる点もあるけど、まあ、しょうがない。
純粋に楽しめたから、よいのである。

でもRISEのドラムスはきちんと演技していた。そりゃあひとりだけ出番もセリフも多くなるわな。


2003.11.24 (Mon.)

劇団夢の遊眠社のビデオシリーズ。『小指の思い出』と『ゼンダ城の虜』を見た。
正直、どちらも途中で集中力が切れた。「演劇部くささ」にギブアップしたのだと思う。

とりあえずここまで遊眠社のビデオを3作見て、どうもパターンが見えた気がする。
中盤以降、野田の長ゼリフと熱の入った演技で一気に作品の世界に変化をつけていくのだ。

『ゼンダ城の虜』については、肝心の言葉遊びはまったく面白くなかったんだけど、
途中に出てくるデパートの各階で売られている商品の身体表現にはかなり笑った。
ああいう笑いは演劇にしかできないと思う。


2003.11.23 (Sun.)

午前中は塾で試験監督。前日夜に校長から電話がかかってきて頼まれた。
近所の高校のグラウンドを眺めつつ、すっかり便利屋が板についているよなあ、としみじみ思う。
その後、大崎広小路で『課長 島耕作』を読みふける。研究室で飛び飛びだった部分をなんとか補完できた。
で、店を出るころには暗くなっていた。


2003.11.22 (Sat.)

NHKをぼーっと見ていると、『小さな旅』に出くわすことがある。
このテーマ曲が昔からけっこう好き。作曲は『ルパン三世』のテーマも手がけた大野雄二。
『ルパン三世 愛のテーマ』を聴いてみると、なんとなくこのことが納得できる。
宮川泰もそうだけど、職業で感動する音楽を書ける人は、本当にすごいといつも思う。


2003.11.21 (Fri.)

身体障害者施設のアート化プロジェクト。
渡り廊下と中庭のデッキをつなげるスロープをつくるべく、レンガを並べる。レンガはけっこう厚みがあるので、
しっかり地面を掘っておく必要がある。それから砂利・砂を敷き詰めて、なるべくなめらかな下地をつくっておく。
レンガを並べると、隙間に砂利を入れて固定。力を分散させてグラつかないようにするわけ。
現場の知恵に「なるほどなあ」とうなずかされる。手を動かすって、面白い。


2003.11.20 (Thu.)

ゼミ。
終了後、ボジョレー・ヌーヴォーを飲む。まるでジュース。本当にジュース。ぐいぐい飲んでベロンベロン。
そりゃあ解禁がニュースになるわな、と思うほど飲みやすくて、まいった。


2003.11.19 (Wed.)

塾で渚カヲルを描かされる。いやー、21世紀になってから平成生まれにエヴァの絵を描かされるとは思わんかった。


2003.11.18 (Tue.)

チタンの中華鍋をついに購入する。長年の夢。
いざコンロの上に置いてみると、さすがに直径30cmは大きい。でもチタンだからいいのだ。
ためしにチャーハンをつくってみる。火の通りがよくて少し焦げた。でもチタンだからいいのだ。
チタン最高。チタン万歳。レアメタルは男のロマンだぜ。


2003.11.17 (Mon.)

期末テスト対策で中3の数学を教える。
いつも作文を教えている人がいきなり出てきて数式をいじくり出せば、そりゃ驚くわな。


2003.11.16 (Sun.)

友人・ワカメのオススメ映画シリーズということで、『太陽を盗んだ男』をビデオで見る。
原子爆弾の製造に成功した主人公に沢田研二。ヒロインに池上季実子、敵役の刑事に菅原文太。
確かに丁寧につくってあるし、究極のジョーカーを手にしたジュリーの演技もいい。
1979年という時代もフィルムに刻まれていて面白い。見て絶対に損はしない完成度だ。

しかし、これは個人的な好みによるものだろうけど、文太があまりに超人的すぎて、萎えた。
原爆を手にするということ、そこにリアリティを持たせなければこの話は成立しない。
ところが文太演じる刑事のヴァイタリティは常軌を逸している。非常識ですらある。
人間の体力のリアリティと原爆のリアリティは同列で論じられないのかもしれないが、
それではこの話の拠って立つリアルはどこにあるのだと考えたとき、あまりにすわりが悪いのだ。
原爆にとって人間は殺す標的、つまり殺されるための存在でしかない。
その殺されるはずの人間がああまでしぶといのは、究極の武器であるはずの原爆の意義を揺るがしかねない。
そう考えてみると、やはり文太の体力は話のバランスを大いに損ねていると思う。

ただし、ラストは文句なし。ああ終わるしかないよね、という終わり方で、まあ満足。


2003.11.15 (Sat.)

中3の作文講座を担当しているわけだが、「マツシマ先生」ではなく「せんたろーさん」と呼ばれて困る。
「先生って呼べや」と注意しても「だって、せんたろーさんって感じなんだもん」と返される。
まあそれはそれでいいんだけど、なんともな気分。威厳のないオトナになってしまったということか。


2003.11.14 (Fri.)

借りてくるビデオの統一性のなさは、もう自分でもおかしいと思う。
本日は、劇団夢の遊眠社 『野獣降臨』。野田秀樹が岸田國士戯曲賞をとったやつ。

あばら骨を失ったボクサー・アポロ獣一からはじまり、月に住むかぐや姫、月面であばら骨を掘り出した宇宙飛行士、
逃げた月のウサギを追いかける研究者たち、十五少年漂流記、古事記、どんどん話がこんがらかってくる。
必死でついていこうとしたのだが、ビデオということもあり、1回目は途中で集中力が切れた。
2回目でなんとかうっすら、バラバラだった話の展開がつながりだす。
でも最後まで全体が見えてこなくて(それを見る必要はなさそうなのだが)、釈然としなかった。
これが劇場なら「なんだかよくわからんが、すごい」という説得力にあふれているのかもしれない。
ライヴとレコードに非常に大きな違いのある作品なのだろう、と直感するのがやっとだった。

特に書いておきたいのは、野田秀樹の演技と志村けんの演技には共通点がある、ということだ。
野田には少女マンガ趣味→「演劇部」的な好みという発想のラインが見え隠れしているのに対し、
志村けんは生粋の芸人らしさ、社会からはずれる立場に立ち続けるという明らかな違いはある。
しかし与太郎的な愚かさから本質(その差異が笑いだ)をえぐり出そうという意欲は共通している。
それにしてもやはり、一度はライヴで野田の舞台を観なくてはいけないようだ。


2003.11.13 (Thu.)

ゼミで身体と空間に関する議論になった。これは常日頃から考えているテーマ。
細かい点についてはまとめるのに時間がかかるので、覚え書き程度で考えていることを書き出してみる。

・インターネット等の情報空間を、われわれは身体的感覚もとに把握/理解している。
・手がかりとなる身体感覚が、各文化によりどの程度共有されているのかは不明。
・コミュニケーションの方法としての情報空間は、書き言葉と話し言葉の境界を再定義しつつある。
・自己の身体感覚をもとに、会ったことのない相手とやりとりする場合、他人ではなく「自己との対話」の要素が強くなる。
・自分にとって都合のよいメル友の選択は、むしろ、肯定してくれる自己を探す作業といえる。
・そういう意味で、情報空間は自分しか存在しえない閉じたコミュニケーションの環となりうる。


2003.11.12 (Wed.)

『お笑いウルトラクイズのすべて』も一緒に借りていたので、見る。

いちおうこっちのウルトラクイズも毎回リアルタイムで見ていたのだが、今だと、とても新鮮。
当時若手の出川哲朗が後輩にあたるナイナイ岡村をSMでしばこうとして逆にやられる人間性クイズなんて、
「ゴチバトル」に慣れきった今じゃまったく考えられない映像だ。もうこれだけで笑えてくる。

『お笑いウルトラクイズ』の凄いところは、いわゆる「お約束ギャグ」の現代における古典の位置を占める点にある。
ダチョウ倶楽部をはじめとする面々が、笑いの“間”とは何か、ということを文字どおり身をもって教えてくれるのだ。
しかもめちゃくちゃ金がかかっているので、夢のようなシチュエーションでのお約束が実現されている。
シュールとはまったく異なる、場の空気を完全に読みきることで成立する笑い。
見ている誰もが「やれ! やれ!」と期待を込めて、そして芸人たちは抜群の表現センスで実行してみせる。
笑いの神様が降りてきた、なんて陳腐な言葉は正しくない。なぜなら、すべては計算されているものだから。

これも、すべての回の放送をもう一度見たい。間違いなく日本の誇るべき財産だと思う。いや、ホントに。


2003.11.11 (Tue.)

『ウルトラクイズのすべて』というビデオがあって、渋谷のTSUTAYAで見つけたので借りた。
内容的には全16回分の本当に総集編。上澄みの部分だけをほんのちょこっとだけかすめ取った感じ。

見ていると、熱かった当時を思い出す。時代的なもの(自分の周り)というよりは、自分の内側にあったもの。
そして次に、企画を思いついたスタッフの力量を素直に尊敬する。すげー脳みそだ、と。
バブル期だったからできたんだろうけど、ウルトラクイズには「本当に実行してしまう」格好よさがあった。
それも、最も絵になるカタチで実現するという凄み。カメラを通して実物の説得力は増幅されていた。

現在のバラエティ番組にもウルトラクイズのやり口、遺伝子は脈々と受け継がれているのだ。
すべての回の放送を、もう一度じっくりと目にしたい。今度は、参加希望者ではなく、スタッフ側の視点で。


2003.11.10 (Mon.)

『12人の優しい日本人』を見る。こないだの『櫻の園』(→2003.11.6)と同じく中原俊監督。
友人・ワカメ(→2003.8.23)が勧めてくれたので借りたのだ。脚本は三谷幸喜&東京サンシャインボーイズ。
(後で知ったのだが、この作品はもともと、映画『十二人の怒れる男』をもとに三谷幸喜が書いた戯曲だった。)

舞台空間は裁判所の一室、陪審員たちの会議室。それだけ。
陪審員を務める12人の市民が、被告が有罪か無罪かを話し合う。それだけ。
こう書くとおそろしく単純な話なのだが、話し合いの推移を徹底的に緻密に描いており、まったく飽きることはない。
非常によくできている密室劇である。

おそらく脚本の狙いどころとしては、密室内での推理(想像)のみで真実に迫るところにあるのだろうが、
役者がみんなおそろしく上手くて、僕としては推理の展開よりもそっちの迫力に呑まれてしまった。
各人のナイスな面と困った面が実になめらかに接続して演じられている。
つまり、演じられている役柄としては見えてこないのだ。自然な一個人にしか見えない。これはすごい。
もっと深く言えば、この映画では、陪審員制度というアメリカ的民主主義の産物をベースにして、
そこにいかにも日本人的な寄合の光景を重ねることで、笑い・ドラマを拾い出そうと試みている。
そしてそれを可能にしているのは、確実に役者たちの力なのだ。

演劇的なセンスと映画というメディア、双方が役者を媒介にしてきれいにマッチしている。
これは確かに、他人に勧めることのできるすばらしい作品だ。


2003.11.9 (Sun.)

衆議院議員総選挙。特番に釘付け。ザッピングしまくる。

それにしても社民党は救いがたい。
護憲が否定されたのではない。護憲以外のことを語る能力のない政党が否定されたのだ。
しかも、重要なのは憲法を守ることではないのだ。憲法の何を守るのか、なのだ。
中心に据えたはずのテーマで論点をまったく整理していなかったわけだから、負けて当然。
こんな政党、議席を持っているだけジャマだから、一刻も早く消えた方が世のためだ。


2003.11.8 (Sat.)

テレビのスポーツ番組で扱っているヨーロッパサッカー。
毎週見るたびに、素人目にもとんでもないとわかるプレーが必ずいくつも入っている。
試合をやるたびにあんなプレーがポンポン出てくるって、どういうことだ。
ちょっと研究してみようかな、という気になってきたかもしれない。


2003.11.7 (Fri.)

身体障害者施設のアート化プロジェクト。今回の仕事は、中庭をひたすら掘ること。デッキの土台を置くためだ。
近所の区立中学の生徒が体験学習か何かでたまたま施設に来ていたので、手伝ってもらう。
アートとはなんぞや、という疑問はとりあえずしまっておいて、とにかく共同作業だ。ひたすらスコップを動かしていく。
結局、この日は穴掘りでほとんどが終わった。それはそれで楽しかったよ。


2003.11.6 (Thu.)

吉田秋生のマンガを原作にした中原俊監督の作品『櫻の園』を見る。
伊集院光は自分の女子校への幻想が壊されるのを恐れて、この作品を奥さんに隠して持っていたという。
実際に、閉ざされた特別な空間で起きるドラマを丁寧に丁寧に拾っていった作品で、
観ていると「女子校って、こんなんかー」「モーニング娘。もこんなんやろなー」と思えてくる。
原作のマンガの影響は、映画の設定のベースになっている程度。別物と考えてよい。
創立記念日で演劇部が『櫻の園』を上演するまでを、現実とだいたい同じ時間経過で描く。

とにかく、つみきみほの杉山がすばらしい。演技しているはずなのに、演技をしていないように見える。
視線の強さをごく自然にコントロールするだけで、その空間に溶け込んでしまう。
実際、杉山は、映画では話の裏側を支える非常に重要な役割を果たしている。
もし他の女優なら、まったく別の質の映画になっていたのではないかと思う。表面だけ見ていればいい映画。
しかしつみきみほの存在感が、話に確実に厚みを加えている。報われないことで、物語がリアルになる。
いや、本当の主役は杉山なのだ。見終わって「もっと杉山を中心にやってくれよ」と思うことは間違いない。
ずっと杉山を見ていたいのだ。それくらいに、つみきみほが良い。

惜しむらくは、志水と倉田が写真を撮るシーン。
個人的に、スローモーションは時間を自力で自然にコントロールできないときにごまかす手法だと思っている。
それをヤマ場に持ってこられると、引いてしまう。これさえなければ最高なのだが。本当に惜しい。


2003.11.5 (Wed.)

渋谷のTSUTAYAでビデオとDVDを借りまくり生活。

『カリキュラマシーン・ベストソングコレクション』と『カリキュラマシーン・ベストギャグコレクション』。
いや、もう、なんというか、すばらしい。ナンセンスギャグが満載で、その思考回路に笑わされっぱなし。
不謹慎でバカバカしくてどうしょうもなくて、でもちょっとマジメ。そのサジ加減がいい。
宮川泰の音楽もあらゆるジャンルをこなしていて、それでいてアレンジにオリジナリティもある。
特に子どもが聴いたら喜んで一緒に歌っちゃいそうな歌ばかり。メロディが歌詞を押し出す、理想的展開。
職業として音楽をつくることのできる凄みが、ひしひしと伝わってくるのだ。
DVD化されないかなあ……。ギャグの参考資料として、ぜひ手元に置いておきたいのだが。


2003.11.4 (Tue.)

『ブレードランナー』を借りてきて、見る。
近未来アジアンテイストの世界観でクラクラして、最初見たときには全然話がつかめなかった。
それに対して2回目はなるほどなるほどと、それなりに楽しむことができた。

フィリップ・K・ディックの原作を読んでいないので正直なんともいえないところなのだが、
全体を通してストーリーを持て余している印象がプンプン漂っている。7割くらいの力でしか駆け抜けていない。
それ以上の力を出すと原作から逸れてしまうからだろうか。作品中の酸性雨に覆われた空と一緒で、
どこか頭上を押さえつけられているような圧迫感がある。高音のヌケの悪い、こもったベースの音を聴かされているみたい。
それが狙いであるなら仕方ないが。ともかく、「これは明らかに原作の勝ちなんだろうな」というレヴェルの作品だと直感した。

どーでもいいが、坂本龍一『Broadway Boogie Woogie』に入っている声はこの映画から録ったな。


2003.11.3 (Mon.)

ヴァレンタイン監督が帰ってきた。もうそれだけで、来年のパ・リーグは何かが起きそうな予感がする。
上位3チームと下位3チームが完全に固まってしまっている現状は、本当につまらない。
ヒルマン監督とヴァレンタイン監督には、ぜひとも革命を起こしてもらいたいものだ。


2003.11.2 (Sun.)

一橋祭。『ハロモニ。』を見てから国立へ出発するあたりがダメ人間。もちろん自転車。
久々に環七→世田谷通り→狛江通り→旧甲州街道→甲州街道のルートを通る。
国領駅横の踏切は相変わらずで、のぼりくだり合わせて5本の列車が横切ってから、やっと開いた。

大学の構内に入るのは本当に久しぶりだけど、全然変わっていない。
HQSの屋台の前、まったく気づかないで通り過ぎる。ホントに素でわかんなかった。
ダニエルのおごりで買ってきた酒を飲みつつダベる。脱ぐ。騒ぐ。昔はもっとハジけたもんだが。
熱海ロマンに加入を希望しているキチガイじゃなかったオモシロねーちゃんの“えびあん”に遭遇する。
本気で熱海ロマンに入りたがっていたのでちょっと引く。でも話すとマトモだったのでちょっと安心。
店じまいをしてからロージナでザイカレー。やっぱり国立は食べ物に恵まれている街だと思った。
食っている間は徹底的にボケでトークを進めていく。周りの皆さんがきわめて的確にツッコんでくれて楽しかった。

帰り道はニコニコしながらペダルをこぐ。メシは旨いし話して楽しいし。たまらない休日でした。


2003.11.1 (Sat.)

ウディ=アレンを見てみようと思い、『ラジオ・デイズ』を借りた。
話はアレンの自伝的な内容で、少年時代をただ振り返ったものになっている。
時代背景やシチュエーションなども細かく見てみると面白い。オーソン=ウェルズ先生の『火星人襲来』も出てくる。
とにかく、音楽がいい。時代を流れる音楽、それを紡ぎ出すラジオ。ラジオがそこにあった懐かしい日々。
音楽とともにわりと静かに日常を描き出す。穏やかで、あったかい。豊かな音楽、豊かな毎日。
こういう映画がつくれるってのは、とても贅沢なことだ。味わい甲斐のある過去を持っているという意味でもそうだし、
それを表現できる現在があるという意味でもそうだ。素直に、幸せな映画だと思う。


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