1年生の国語ができなさすぎ! 漢字はもともと壊滅的なのだが、読解もここまでひどいとは思わなかった。
とにかく、読むのが遅い。読むという行為じたいにまったく慣れていないのがわかる。話にならない。
……などとグチってみても何もはじまらないので、国語ができるってのはどういうことなのかを考えてみる。塾の飲み会で出た一定の結論は、「どれだけ人と関わったかの経験で決まる」というものだ。おおむね賛成。
自分の体験もふまえて考えてみると、論説文・説明文と小説では少々細かい点が異なってくる。論説文・説明文は筆者の意図が読み取れるかどうか。これに尽きる。
話題の中心になっていることと、それに対する筆者の評価を押さえることができればよい。わりと単純。
当然、知識の多い方が有利ではある。でも自分が体験したことを本文と結びつけて「なるほど」と思えればいいわけで、
そういう意味でやはり、いろんな経験の引き出し(知識を含めて)を持っている人が一番強いということになる。小説の場合、これは自省を込めてのことだが、我が強いとミスリードが出てくる。
話の中で多様な登場人物がそれぞれの論理で動いている様子をつかむことが必要になってくる。
ときには自分と正反対の考え方をする人物の立場にも立たなければならない。言わば、「自分を殺す」必要さえある。
したがってやはり、他人と関わった経験の多い方が有利になる。自分の属していない論理への理解がカギだ。
自分が大切なのと同じだけ他人が大切というような、広い視野を持つことが有効そうだ。テクニック面としては、「書き抜きなさい」には本文そのまま抜き出すとか、「なぜですか」には「~から。」で答えるとか、
問題文を見て答え方を察することが必須。多様な文章を読んでおき、文を“編集”するセンスを磨くことも必要だ。まあそんなわけで、結論としては「他人と関わっていること」「空気が読めること」が国語の成績につながるのだと思う。
研究室で英文法のプリントづくり。4時間ぐらいWordでじっと作業をする。
プリントアウトしてみて気に入らないところを直して、またプリントアウトして……。
これだけ手間をかけているんだから、しっかりと活用してもらいたいもんだ。
ドラムスの発表会が近づく。黙々と練習。
日によってけっこうデキに波があるのがなんとも。練習不足ってことなんだろうな。
潤平から又貸しされた大友克洋『AKIRA』を読む。
結論から言ってしまえば、世間であれだけ名作と騒いでいるのが少し不思議。フツーのデキって印象だ。
しかしそれは今だから言えることで、当時(80年代)にしてみれば、具体的な「未来」を描いた点が衝撃的だったのだろう。
よく指摘される点では、建築・廃墟の描写だ。『北斗の拳』とは対照的に、空間のリアリティがとことん重視されている。
空間が“汚れる”ことで秩序の崩壊と生成が説得力をもってくる。確かに、これは斬新な視角だったはずだ。『AKIRA』においてもうひとつ重要な点は、「能力」「覚醒」というファンタジー概念を決定づけたことだろう。
これは、以後の少年マンガ・ゲームにおいてはじめから肯定されている概念だ。特に少年ジャンプで顕著。
(それが現在において逆輸入されて再発見されたのが『マトリックス』ということになるはず。見ていないけど。)
超能力だか何だかわからない「チカラ」によるケンカは、運動不足のガキに支持されていったというわけか。
とにかく、以上の点において『AKIRA』が古典の位置を占める作品であるのは紛れもない事実。
数々の作品が影響を受け、『AKIRA』が発見した「能力」「覚醒」をベースにストーリーが語られていった。
(それが世紀末思想だとか少女マンガに対する「オトナになれない少年」と絡んでくるのだろう。)個人的には『AKIRA』を「ひたすら友情だけを描いたマンガ」として読みたい。
金田をはじめ、鉄雄、甲斐、大佐、おばさん、竜、ジョーカー、さらには密偵のおっさんまで、
対立して、仲間になって、また離れて、をただひたすら繰り返していく。それだけが描かれている。
『水滸伝』などとは違い、仲間はきわめて流動的な要素で組まれる。そこに現実の生活とクロスする可能性がある。
その点でも、『AKIRA』はやはり独特の位置を占めている作品と言えるだろう。
深夜に潤平と話す。
ヨーロッパ土産にベルリンの壁のカケラをもらう。正直、もっといいもんが欲しかった……。
潤平はいろいろと外の世界を飛びまわっているわけだが、対照的に自分は内側にこもっている。
世間のすべてが輝いているようで、自分だけが醜く思えて、なんだかつらい。
塾の研修。午前、昼と、じっとガマンの子で過ごす。
夕方には模擬授業。腹を決めて、深呼吸して出番をクリアする。終わってしまえば安心。
サッカー女子日本代表の北朝鮮戦をテレビで見る。
フィジカルで男子に劣る分、けっこうテクニックがすごい。これはこれでしっかりと面白い。
女子代表は圧倒的な集中力で試合をモノにした。素直に「この人たちかっこいいなあ」と思う。試合を見ているうちに、かつて『ウゴウゴルーガ』でやっていた「ちなつのシュート」を思い出した。ちょっとホロリときた。
借りたCDの感想。
スネオヘアー『ヒコウ』。前作(→2003.7.23/2003.7.28)・前々作のカンペキなコンビネーションに比べると、
今回は劣っている印象。特にキレているところもないし、致命的なくらいにフツー。とりあえず次回に期待。モーニング娘。さくら組『さくら満開』。つまらねえ曲をつくるんじゃねえよ。
モーニング娘。おとめ組『友情 ~心のブスにはならねえ~』。これも話にならない。
ミニモニ。『ラッキーチャチャチャ!』。いいと思う。
ラストシングルだが、結局ミニモニ。はこういう方向性のユニットでしかありえなかったということか。中澤裕子『元気のない日の子守唄』。中澤に何をさせたいのかが見えてこないなあ。
プッチモニ『WOW WOW WOW』(プッチベスト4に収録)。これがシングルで出せないってのが痛い。
現在のハロプロにおいては平均的なデキか。及第点だが明らかにパンチ不足。後藤真希『ペイント イット ゴールド』。これ、地味に名盤だと思う。
ダンス系の曲がすごく充実していて、ごっちんの今後の活路がかすかに見えてくる。
華麗さと優しさとちょっとの残酷さ。そのバランスはきっと針の穴に糸を通すような難しさなんだな。
国立へ。久しぶりに東生協でメシを食い、西生協の本を物色。でも本当に欲しい本がなかったので、
少し休んでから旧甲州街道を戻る。そのまま渋谷まで行って、ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』を買う。
じっくり落ち着いて読める精神状態になれるといいなあ、と思いつつ。
ドラムスたたいても忘れられんのである。鬱なのである。
どんなに鬱でも授業はせにゃならんので、塾に行く。苦しいことを表に出さないでがんばっている人って、えらいよね!
面接の結果、落ちる。つらい……。
『オースティン・パワーズ・デラックス』のDVDを借りてくる(前作についてのログはこちら →2003.12.4)。
まず、最初から全裸。それに細かいギャグが本当にバカ。
ジェリー=スプリンガー・ショウにイーブルが出てきたのには爆笑。これはクソバカだ!
さらにスターバックスまでギャグにしているのに驚く。よく許可が下りたなあ、と思う。
今作はバート=バカラックに加えてエルヴィス=コステロまで出てきている。
こうなるともう、ひとつひとつのギャグのクオリティよりも、こういうことをやっちゃった!という点が見どころになる。
それはそれで正直疑問に思わないでもないが、まあ気にしないことにする。
全体としては、「いいんじゃないんスか」といったところ。バカに市民権があるのはいいことに違いない。
某公共放送の2次面接。1対1。
まずは面接官と長津田キャンパスの悪口を言って盛り上がる。
続いて、エントリーシートに沿った話。友好的なムードで進む一方、油断のならない視線。
対するこちらはやはりどこかに甘さがあったのだと思う。
冷静になってみると、ひとつひとつ、わずかにネガティヴなイメージの残るコメントを返していたように思う。
終わって、照りつける日差しに汗をかきつつ、家に戻る。
朝9時集合で某新聞社の2次面接。私服で集合して、7時間にわたる長丁場。
まずはグループ討論。テーマは「22世紀の日本が世界でリードしているもの」。
22世紀と聞いてドラえもんを想像したものの、話はうまく膨らまず。
次のテーマは「自治体のカジノ構想は是か非か」。とりあえず非の立場を選択。
しかし前日のゼミと同じ要領で個人プレーに走り、タイムアップ。われながらアホだ。
そして模擬取材。「顧客情報の流出した企業に対する取材」。質疑の内容が思い浮かばない。
終わったらそれっぽく記事を書く。対策をしている奴としていない奴で差が出るなあ、と思う。
最後に面接。なんとなく違和感。あっさり終わる。駅のホームでシャツを着て、車内でネクタイを締め、トイレでズボンを穿く。
全速力で移動しながらスーツを着込む。次の面接会場に、なんとか間に合った。で、塾に直行して国語を教える。ぐったり。
今年度一発目のゼミ。身体、メディア、教育。ふだん興味関心の強い領域とかぶったので、爆裂する。
人の意見についてどーこー言うだけじゃなくて、いいかげん自分なりの成果をまとめないとなあ、と思う。
とりあえず年齢制限のユルいところを3つ受けているのだが、すべて筆記を通過できた。
なんだかんだ言って、やっぱりクイズ研究会にいたことは大きかったと思う。
あと、中学生相手に数学を教えていたのもプラスだったと思う。ギリギリのタイミングで、センスが戻ってきた感じ。
作文の添削もいい経験だった。テーマを見て、書くべき理想的な文章がなんとなくわかるってのは強い。
ふだん「なんだかなあ」と思っていたことも、いざというときには必ず役に立つもんだと実感しているしだい。
今年の2年生は昨年よりできるので安心だ。be動詞と一般動詞がきちんと区別ついているからエライ。
◇
授業をやっている最中に、次の面接についての電話がかかってくる。なかなか出られなくてごめんなさい。
吉澤さんが19歳。うーむ。時間は待ってくれない。
NHKでやっていたドラマ、『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』について。
序盤を見るに、ここまで面白いというかテクニカルな展開をする話とは思わなかった。
それだけに、後半は「どうつながる? どうつながる?」と純粋に楽しむことができた。
部分部分はやっぱりNHKというか、いかにも教育っ!てなテーマが強かったのだが、全体を眺めると、
(ご都合主義はともかく)大胆な辻褄の合わせ方が非常に爽快。現代から過去に向かっていくことで謎を増やしていき、
最終回で一気に解いていく。時間というものの性質を考えても、なかなか面白い視点を持っていたドラマだと思う。
素直に、民放のフツーのドラマよりも圧倒的に見所の多いドラマだったと評価したい。
某新聞社の面接を受ける。なぜかレジー=ジャクソンの話をする。
面接官の人がわりかし親切だったので、なかなか楽しかった。
3年生のクラスは昨年度の上半分を集めただけあって、今月の成績は非常によろしかった。
ずーっとこの調子でいって受験まで突っ走っていければいいなあ、と思うのであった。
研究室でメンバーの顔合わせ会。といっても、学部4年生がゼロで、修士にひとり入っただけ。
学部4年生ゼロって状況は、いくら先生が留学中とはいえどうかなあと思うのである。
ウチの研究室は自分が入って以来、学年の人数バランスがぐちゃぐちゃになってきている印象があるなあ……。
1年生の英語は意外と教えるのが難しい。
というのも、小学生時代にもともと知っていた知識が存在するので、それが厄介なのだ。
正しい知識と間違った知識を慎重に選り分けていかないといけない。間違っているものだけを排除する。
また、生徒によって知識量にバラつきがあるのも難しい。授業における手綱のバランスが微妙なのだ。
当面はゆっくりゆっくり、ミスなくやっていくことを優先する方針。先走りするヤツがいなきゃいいけど。
塾の研修。校長の決意表明のしゃべりは、なんとなく面接のヒントになりそうだ。
◇
帰りに新宿に寄って「神座」のラーメンを食べてみる。
1・2回目は首を傾げるが3回食べたらやみつきになる、とうたっているが、確かに、よくわからない味。
とりあえず3回食べてみよう、とは思った。
『24』に挑戦を開始する。伊集院光も大いにハマっていた、アメリカのドラマ。
印象としては、やや映像が汚い。逆を言うと、見慣れた映画の映像は金をかけまくっているからきれいなんだろう。
1話=1時間の時間経過で一日を描いていくというアイデア自体は確かに斬新なのだが、
序盤を見た限りでは、ストーリーが進むうえでその仕掛けが特別に必要だったとはあまり思えなかった。
まあ、暇をみてじっくりと全話をチェックしていきたい。
午前中にひとつ、午後にもひとつ、筆記試験を連続で受ける。
解いていて思ったのだが、これは試験というよりも、完全にクイズ。
こりゃ落ちるわけにはいかねーなー、と思いつつ、マークシートをつぶしていく。
某公共放送の1次面接。ここは筆記試験のデキにかかわらず、エントリーシートを通過した全員と会うのだ。
で、コケる。考え出したらハマる悪いクセが出て、思うようなリズムで答えが返せない。
ものすごい消化不良のまま、汗びっしょりになって渋谷を出る。電車の中じゃ肩を落としっぱなし。その影響か、授業でまたしても壊れる。春期講習最終日だというのに。
春期講習期間は休みなく働いている。昼だけ休みの日もあれば、朝・昼・夜とフル稼動の日もある。
去年に比べると、明らかに出番が増えているのは、単純にうれしいことだ。
新年度がスタート。学生でも社会人でもない自分には、まったく実感がわかない。