自転車のサドルの下につけているバッグが、朝起きたら何者かに盗まれていた。
怒りを通り越して呆れる。そういう発想が出てくること自体、理解したくないという気持ち。
で、しょうがないので渋谷に行って新しいバッグを買ってくる。今度は名前を書いて盗まれないようにする。
サドルが高いせいもあって、やはりバッグがあるとしっくりくる。いやー、自転車かわいいかわいい。
なんだかよくわかんないうちに、頼まれて授業前に数学を教えることに。
相似の単元。最初からふたつの三角形を見つけるつもりにならないと問題は解けないぜ、とアドヴァイス。
前に日記に書いたこと(→2004.6.21)を思い出す。数学とは、物事に当たるときのアプローチを学ぶためにあるのだ。で、授業後は例のごとく補習。
時間というのは本当に不思議なものだ。
追い立てられるように流れることもあれば、止まっているんじゃないかと錯覚するほど遅く流れることもある。
流れ方に法則が当てはまる場合も多い。充実していると速く、退屈していると遅い。
でも、そういった説明がつかない流れ方をする場合もあることに最近気がついた。
同じように補習していても、その中身にかかわらず、流れが急なときも緩やかなときもあるのだ。
そして今日は本当にゆったりと時間が流れていた。「今日はなんか、ヘンにゆっくりだよなあ」なんて話をした。
緩やかな時間の流れはとても大きな安心感を与えてくれる。いつもこうならいいのに。
ふだんは言いたい放題な2年生だが、いざ「ここは真剣にやらないとまずいぞ」と脅すと、きちんとまじめになる。
その辺のメリハリがつくのが、周りから優秀と言われるゆえんなんだろう。なんともかわいい連中だ。
冷静に考えてみると、僕の英語の教え方はかなり乱暴な部類に入ると思う。
生徒をいちいち当てていると時間を食うので、こちらでひたすら模範解答を見せる、というやり方だ。
ただ、ふつうに答えを見せたり読みあげたりするのでは絶対に勉強にならないのはわかりきっているので、
ミスしやすいポイントはあらかじめ拾えるだけ拾っておいて、大きめの声で1問ごとに確認している。1問ごとにだ。
だからきちんと説明を聞いていれば、ありがちなミスのパターンはすべて頭の中に入るはずだ、とは思っている。英語ってのは、簡単な問題ではミスをしない集中力が要求される。
そして難しい問題になってくると、今度はひらめきが必要になる。頭の回転の速さ、発想の柔軟さと言い換えてもよい。
僕は両者をひっくるめて、「英語のセンス」と呼んでいる。浪人中に、一気に築き上げたものだ。
当然、センスを生徒に教えるのは至難の技である。これは受け手が送り手から勝手に盗むしかないものだからだ。
そのせいか成績のいいヤツと安定しないヤツとで差が開いてきた。どうも、これがまずい。
本当に優秀な先生なら関係なく底上げができるはずなのだ。そしてそれが去年はできていた。
ミスするヤツはいつまでもミスをし続ける。この時期にきて、一番根本的な部分で課題を突きつけられた。正念場だ。
1992年の日本シリーズのDVDを買う。ヤクルトと西武が戦ったこの日本シリーズは、僕にとっての原点だ。
僕は今でも、この1992年の日本シリーズが歴史上最高のシリーズだと信じている。
神宮球場と西武球場、どちらも最高にデーゲームが映える球場だったのがポイントだ。
常勝西武に野村ID野球が挑戦したわけだが、第1戦・杉浦の代打サヨナラ満塁本塁打にはじまり、
池山や秦が延長戦の本塁打で勝負を決めるなど、毎試合がドラマティックな展開だったのだ。
ヤクルトは第7戦の10回裏、サヨナラ犠飛で負ける。だが、ヤクルトという若いチームが西武を追い詰めた姿は
「閉塞感をあと一歩でぶち破る可能性」を強く印象づけた。以来、僕は徹底してヤクルトファンだ。DVDではドキュメンタリーのように試合の展開、シリーズの展開を追っていく。
7試合分を100分弱にまとめているので、ややテンポは急なのだが、それでも当時の興奮は十分よみがえる。
簡単にひねられるだろうと思ったら、意外に粘るヤクルト。まるで徳川家康の本陣に迫る真田幸村のようだと思う。
当時のユニフォーム、当時のラインナップを見ていると、1992年に戻ったような錯覚をおぼえる。
西武がいかにも西武らしい点の取り方で日本シリーズを制した瞬間、心の底から悔しかった。見終わって、どうにも気持ちが晴れない。
今まで僕には1992年だけでいいと思っていたのだが、どうやらそれは間違いだった。
ヤクルトが同じように第7戦までもつれ込みながら西武を破った1993年の日本シリーズがあって、
それでようやく物語が一段落つくのだということに気がついた。
閉塞感はぶち破らないとダメだ。「可能性」じゃいけないのだ。……とりあえず、金を貯めよう。
塾の保護者会。お母様たちの前でしゃべるわけだが、学年ごとに時間が決まっているわけで、
プリントをつくりながら準備をしてしゃべって、ということを繰り返していると、なんか忙しい。
特に校長をはじめ皆さんが熱心にしゃべるもんだから、スケジュールが延びてややこしくなる。
夕方からは作文講座があったのだが、なんとかギリギリのところで授業には間に合った。
時間に追われるイベントはホントに手間がかかる。
わりと遅くまで、数学・国語担当の先生方と併願推薦パターンの相談をする。
東京都の高校受験はけっこうややこしい。都立と私立の高校があるわけだが、
「私立単願推薦」は、そこしか受けないというもの(だからほぼ受かる)。
「私立併願推薦」は、第一志望の都立に落ちたらそこに行く、と約束する。他の私立は受けられない。
私立との併願推薦を認めてくれる高校もあるが、きわめて少ない(あまり現実的ではない)。さらに都立では内申点が大きな要素となってくる。都立で進学実績のしっかりしている高校に行くには、
9科目で合計40弱ほしいところ。これがなかなか男子では難しい。ウチのクラスにはだらしないヤツが多いのだ。
以前よりは試験重視になっているとはいえ、内申点が大きなウェイトを占めていることにかわりはない。推薦と一般受験を組み合わせると、ホントにいろんなパターンが生まれる。
それをそれぞれの希望(第一志望が都立か私立か等)に沿って、考えてみるということをしたわけだ。
レヴェル的に、僕たちが担当しているクラスが一番ややこしい。都立の推薦は基本的には宝くじ。
で、都立一般受験の保険を確保しようにも、併願を認めてくれるいい具合の高校がない。
かといって都立志望なのに私立も一般で受けていくのは、けっこうエネルギーがいることだ(過去問対策とか)。
大学受験ならわかるが、高校受験でこんな駆け引きをせにゃならんとは。いやはや。地方の中学から名門・八王子東にすんなり入ったみやもりはやっぱりすげえや、なんてしんみり思った。
最近は、洋楽を重点的にMP3にしている。洋楽は一般常識として知っておくべき曲が多いと個人的に考えている。
そこで、古典と呼べるようなものをあれこれ借りてきて、MP3にしているのだ。
ここにきて、とにかく多くの曲を知っておきたいという欲が出てきている。
素直にいいことだと思うので、ガンガン聴いて、ガンガンデータをつくる。
MP3が1500曲に到達。どこまで伸びるか。
引きこもりと服を着る行為は似ているのではないか?
ヒントになるのは秋葉原で見かけるファッション。おたく=服装へのこだわりほぼゼロ、という地点だ。
自分のことも例に含めて考えるに、自分の内面への自信(過信)が外面を粗雑に扱うことにつながっている。
「オレはスペシャリストだから少し偏っているんだ」という心理と外見をカッコよくすることへのあきらめとが同居している。
本来、服を着るという行為は理想的な皮膚の選択を意味するのだが、ここでは服は機能としてしか捉えられない。ここを一歩飛躍させると、インテリアとエクステリアの関係に似ていることが指摘できないか。
機能としての家、快適な内面とつねに汚れに向き合う外面。人間は移動する機能を持った家と見なされていないか。
おたくから引きこもりへの「転落」というポイントがかなり乱暴ではあるものの、このアナロジーからいくと、
引きこもりというのはおたく型思考からすれば、醜い自分の身体を隠蔽(防護)する究極の形態と言えるのではないか。
もっとも鈍感でもっとも厚みのある素材による服。それが、家というフィジカルで固定的な居場所として現れる。
外見の醜さがある一定のラインを超えると(それを評価するのは社会でなくあくまで自分、自主性のレベルなのに注意)、
ブラックホールのように内側にのみ意識が向かっていくのではないか、と考える。そして家だけが残る。もうちょっと緻密な分析が必要だろうが、とりあえず現時点ではこの路線でいけそうだ、と思ってメモしておく。
ハッピーマンデーだけど、英語の授業について。
ここにきて男子のミスが救いがたいほど増えたうえ、女子のミスまで目立つようになってきた。
どいつもこいつもイージーミスしやがって、自分が一年以上言い続けてきたことが全然実践できてないので悲しい。
勉強に限らないことだが、自分の脳みそを100%相手に伝えることなんてそもそも不可能なのだ。おこがましいのだ。
それでも相手を信じてヒントを出し続けるしかない。ヒントを出し続ける姿勢と真摯に受け取る姿勢は美しいはずなのだ。
自転車こいで、呆けてすごす。
◇
昔ジャンプに連載されていた『THE MOMOTAROH』の文庫本が出ていたので、牛バカと坂田鋼鉄郎見たさに購入。
出てくる全員がほとんどボケキャラで、しかも1ミリもブレーキをかけていない。ひたすらフルスロットル。
だからもう、肝心の試合展開なんて全然わからない。ボケだけ拾って読んでいるという錯覚すらしてしまう。
きっと連載中の作者の頭の中は大変なことになっていたんだろうなあ、と思う。
毎日24時間、牛バカと坂田のおっさんがノンストップでわめいている生活なんて想像しただけで悶絶だ。
でもそれはとてつもなく幸せな時間でもあったんだろうとも思う。読者の僕はページをめくっておすそわけを楽しむ。
作文の添削がキツい。去年もやったから要領は十分わかっていたはずなのだが、やはりキツい。
もうちょっと力を抜いて作業ができればいいのだが(決して「手を抜く」のとは違うよ)、それができない。
ミスを見ると、徹底的にチェックを入れてしまう。それはもう鬼姑のようなしつこさでつぶしていく。
前に同じミスを繰り返していたのにできてなくて、がっくりして、でも気を取り直してチェックを入れる。
ぜったい割に合っていないよなあ、とため息をつくのだが、でもこのスタイルが直せない。困った。
5日目。仕事はいちおう、終了である。お給金を現金で渡される。
振り返ってみると、便利屋と言えば聞こえはいいが、なんかリストラおやじの仕事ばっかりだったような気がする。
手が抜けない性格なので、クッタクタになるまでやったのだが、それは損だったように思う。
というわけで、社会人になったら適度に流すことを覚えたいと心に誓ったのであった。
4日目。体力的にもう限界。塾が休みで本当によかった……と心から思った。
昨日に引き続きデータを入力。だいぶソフトの扱い方がわかってきたので、スムーズに進められるようになる。
しかしながら、3日連続となるとさすがに塾ではヘロヘロ。疲れがいつもの倍以上だ。
8時間労働の後できっちり2時間立ちっぱなし、その前後には授業準備ということで、実質半日は働いていると思う。
職場と塾と、完全に世界が違うので、誰も自分のキツさを理解してくれる人はいない。もちろん、甘える気もない。
充実している時間を過ごしていると満足するわけでもない。ただ、目の前の課題を黙々とこなしていくだけだ。
2日目。地名大事典をつくっているんだそうで、地理のデータを扱う。
地理なら教員免許を持っているし、ある程度興味を持って楽しめる。でもやっぱり目がつらい。
朝メシを食べる習慣がないので、お昼ご飯の弁当が非常に楽しみ。小学生に戻った気分。
9時から17時まで、来年からお世話になる会社でバイトというか研修。
今までに出した本の目録をつくっているんだそうで、データ入力を任される。
ひたすらずっとExcelをいじって、本気で目が疲れる。仕事が終わると、塾に移動して英語を教える。
レギュラー授業の後は補習。教えつつ軽く雑談しつつ。こういう時間が楽しいね。
昨日にひきつづきダラダラすごす。
インターネット上の「モーニング娘。番付」をやってみたり、リョーシ氏がPS2でときメモやってみたり。
リョーシ氏はまったくモテることがなく、好雄にも裏切られ、ひとりでさみしい卒業を迎えたのであった。晩飯食いに出て、やっぱりダラダラ。スポーツ新聞を読んで松中すげーとかいろいろダベる。
こういう時間が楽しいのだ。僕らは集まれば、自然とその時間をふるまうことができる。
塾の作文講座が終わって、HQS同期の飲み会に合流する。
合流したらもう皆さん食い終わっていい感じにまったりしていたところ。間が悪い。
就職先を言え!とみやもり・ダニエル・ニシマッキーに迫られる。最初は渋るが、結局職種を言っておごってもらう。次のラウンドはカラオケ。思い思いに自分の歌いたい曲を勝手に歌っていく。
が、学生時代に比べてみんなちょっとずつ確実に下手になっていて軽くショックを受ける。
歌う機会がないということなのだろうが、なんとなく前に比べてパワーダウンしている気分がして悔しくなる。歌い終わると酒やつまみを買い込んで、我が家でダラダラ。
卒業旅行で大学の部室に泊り込んだときとまったく同じ状態。果てしなくだらしがなくて楽しくて贅沢な時間。やがてマサルが合流。DVDのパッケージをいくつか取り出し、「どれが見たい?」と訊いてくる。
藤本美貴のアロハロ、と即答する、が、そのパッケージの中に入っていたのは桃鉄のディスクだった。完全にやられた。
そして接待桃鉄がスタートする。マサルが丹精を込めて総資産に天文学的な差をつけたデータ。会場が爆笑に包まれる。
僕は桃鉄がよくわからないのでテキトーにコントローラーを動かしている状態なのだが、何もしなくても資産が増える。
だが、ここで桃鉄を徹底的にやりこんでいるニシマッキーの目が光る。鬼小島弥太郎のように情容赦なく攻めまくる。
ワケのわからんゲームを接待ということで強制的にやらされる苦痛に「勘弁してください」と泣きが入って、ようやく解放。その後は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のDVDを鑑賞しつつ、眠くなった人は寝るという態勢に。
第1巻は「浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ!」なのだが、松本人志の想像力が本当にすげえ。脱帽するしかない。
鬼の全身黒タイツというコスチュームも恐ろしいが、そのありとあらゆる罰ゲームのバリエーションがもうとんでもない。
ああいうのを思いつけて、きちんとカタチにできるというのがうらやましい。なんて思いながら、いつの間にやら夢の中。
塾が終わってから、上京してきたcirco氏を泊める。
こんなこと書くと「そんなこたぁねえよ」と言われちゃいそうだが、思えば僕と潤平の受験が終わった辺りから、
なんとなくcirco氏の動作というか立ち居振る舞いに「軽さ」を感じるようになった気がする。
それは歳をとって体重が軽くなったということかもしれないし、大学まで出したという開放感なのかもしれない。
ではその分の「重さ」はどこへ行ったのか、を考えるとちょっとブルーになりそうなので、気にしないでおくことにする。
今週分の作文の添削を、なんとか完了する。
始まったばかりの作文講座だが、スタート地点を考えると、去年に比べて非常に優秀であると言える。
問題はやはり勉強嫌いの男子だ。こいつらをマトモな文章を書けるようにしていくのは、本当に根気のいる仕事だ。
がんばるしかないのである。
補習の最中、なんとなく中3とふたりでしんみりする。
お互い、あと半年で環境がガラッと変わることがわかっているのだ。過ごしている「今」の終わりがぼんやり見える。
そしてきっとその終わりは突然で、いきなり当たり前が当たり前でなくなるのだ、という話をしたからだ。
まあ今後もそれをずっと繰り返していくわけだから前向きにとらえましょ、と結論づけて本日の補習は終了。
いちおう、ちゃんと勉強はやっている。念のため。
土曜に作文の授業があって、そこから毎日ちまちまと地獄の添削をしている。
書く方も30分使って必死に原稿用紙を埋めていくわけだから、もちろん地道でつらい作業だ。
しかしそれを一気に読んでチェックしていくこっちだってつらい。気分転換を挟みつつやり抜いていく。
去年はこの作業が自分の作文能力の向上へと直結していたわけなので、別に嫌がっているわけではない。
いつかまたプラスになると信じて、がんばるしかないのである。
久しぶりに補習が復活した。3年の英語でなかなかの難度の問題が手に入ったので、それをわたしてみる。
要領がよくてコツをつかめばスイスイ解いていくのだが、たまに「あれ? なんで?」と自分で言っちゃうようなミスが飛び出す。
まあ自分も中学生のときは人のこと言えない調子だったしなあ、と思いつつ時間は過ぎていく。
ハンズで買い物をするとすぐに金がふっとぶ! 困った!
最悪だ。本当に最悪だ。それ以外の言葉が出てこない。ロシアの学校占拠事件のことだ。
人間として、いやもう人間じゃない、最低の選択肢を取りやがった。イヤだ。相手に合わせて少しも想像力を使いたくない。冷戦が終わってナショナリズムがどーのこーの、というのはよくある議論ではある。
もう一歩踏み込んで冷静に考えてみると、ナショナリズムの皮をかぶった何かが突き抜けようとしている感じがする。
冷戦は戦争の上に乗った平穏だった。東西の緊張が平穏の土台をつくっていた(それに日本人はあまりに鈍感だった)。
だから現在の状況は、冷戦が終わったことで、土台から「戦争」という純粋な要素がせり上がってきただけに過ぎないのだ。
戦争と平穏の位相が逆転した。それは個人レベルでも、隠していた残酷さが表面化するという事態でもある。
世界は自分の一番醜い部分を見せつけられる不快感で溢れている。今は歴史上でもなかなか屈指の、
人間の汚い本性を誰もが競うように露出しようとしている時期ではないのか。そのようにすら思える。そしてロシアでは、人間の理性を精神的・社会的にだけでなく、空間的にもぶっつぶそうとする事件が起きた。
9/11のテロからの流れでこの事件を読むのは、ちょっと違うと思う。もっともっと直接的な、もっともっと汚らしい、
人間の理性への挑戦があるように思う。それは子ども=未来への否定という要素じゃないか、と感じる。
宗教ですらない、救いのない世界に他者を無差別に引き込む恐怖にまみれている。
夏期講習が終わって久しぶりの1年生の英語。相変わらずの元気っぷりで、どっと疲れた。
授業はぜんぶで4つ持っているが、一番疲れるのはこの1年生英語。振り回されっぱなしだ。
修理に出したMDプレーヤーが戻ってきた。さっそく伊集院のMDを編集しながら神保町へ行く。
神保町では新しく買った自転車の初期点検をする。思いきって購入したが、これが非常に調子がいい。
サドルをしっかり高くして乗っているので、膝が楽だし、2階から見下ろすような爽快感があるのだ。
しっかりとメンテナンスをして、できるだけ長く乗りたい。もう最高に愛おしいぜ!さて家に帰って調べてみたら、所有MP3が1200曲を超えていることがわかった。
昨日も書いたけど、MDを編集する一方で、MP3にし終わったMDを捨てている。
ちょっとだけ複雑な気分というか、ワケのわからない気分になる。
持っているMDの整理を開始する。感覚的には部屋の片付け(→2004.7.23/2004.7.28/2004.8.27)の延長にある。
部屋の片付けがだいたい終わって、ふと山のように積まれているディスクを見て、首を傾げる。
「これだけ持ってても、つねに聴くものは限られているしなあ……」なんてつぶやいて、それらをMP3に移しはじめた。
MP3は正直、好きではない。実体のないファイルというのが幽霊のようで気持ち悪い。
データを変換し終えてほぼ不要になったディスクは、容赦なく捨てていく。また身体が軽くなる感じがする。
いったい僕は何をしているんだろう?という居心地の悪い疑問を抱えたまま、僕は音楽を電気信号に変えていく。