diary 2004.10.

diary 2004.11.


2004.10.31 (Sun.)

こないだ読んだH.G.ウェルズの『タイムマシン』(→2004.10.15)から、じわじわと思考回路を広げているうちに、思いついた。
人間はもともと4次元の身体を持っていて、それを3次元空間に投影する連続的な運動が「時間」なのではないか。

たとえば平面図形(2次元)を、一本の線(1次元)に通す。その平面は、線の世界では長さの変わる線と認識される。
紙を斜めしてにシュレッダーにかけるとき、シュレッダーが切っている瞬間の紙の幅が徐々に変化していくのと一緒だ。
同じように、今度は立体(3次元)を平面(2次元)に通す。平面の世界から見れば立体は(断)面積が変化する図形だ。
これは、CTスキャンと同じことだ。平面の変化を時間に沿って等間隔に並べていくと、元の立体が再現できる。
以上のことをふまえたうえで、人間の成長/老化を3次元空間における量的な変化と捉えられないだろうか。
それをもうひとつ空間軸を加えたカタチで時間的に等間隔に置いていけば、人間の4次元的な像ができあがるはずだ。

そして、それを逆から考えるのである。つまり、第4の空間軸における運動を、「時間」と呼んでみる。
そう考えると、時間とはまったく相対的なものになる。それぞれの存在固有の、不可逆の運動として時間を定義できる。
見えないところからでてくるトコロテンみたいに、ぎゅっと押し出されて今の自分が存在している。
そしてそのトコロテンは、またどこか見えないところに回収されていく。押し出され続け、見えている部分だけが今の自分だ。
定位置で滝を観察するようなものだ。その水の運動・エネルギーのことを、「時間」と呼んでいるのだ。

誰も褒めてくれないし、お金にもならないわけだが、ひとつ物事が見えた気がして、ちょっと安心するのであった。


2004.10.30 (Sat.)

今日もプリントをちまちまつくる。
いちおう、文法プリントは一部の生徒には非常に好評なので、それを励みにがんばる。特別手当とか出ないのかな。


2004.10.29 (Fri.)

雨がうざい! 本当に、今年の天気はどうかしているとしか思えない。昔はもっとなんというか、マトモだったぞ!


2004.10.28 (Thu.)

underworld『EVERYTHING, EVERYTHING』にバカハマりしている。ここまで凄いグループとは思わなかった。
とりあえずCDを借りてきたのだが、捨て曲がひとつもない。前に買ったベスト盤のはるかに上をいくデキだ。
最初から最後まで、ノンストップでずっとかけている。風呂に入っている間も聴いている。
MDにしてどこへ行くときでも必ず聴いている。自転車に乗りながらリズムをとる。
おかげで、クラブへ行って踊る気持ちというのが、ようやくなんとなくわかってきた気がする。


2004.10.27 (Wed.)

ドラムス。シャッフルのリズムに思わぬ苦戦をしている。足がついてこないのだ。
これはもう、単純に練習が不足しているということなのだが、脳ミソはノリたくても身体がついていかない悲しさ。
がんばってトレーニングするしかない。


2004.10.26 (Tue.)

2年生に向けて、最大のポイントのひとつ、ということで比較をやる。
あらかじめしっかり脅しておいただけあって、さすがに最初はギンギンに集中して取り組んでいた。
が、後半見事にだれた。2時間集中するのって、そんなに大変だったっけか、と首を傾げる。
成績は確かにいいのだが、集中力と根気と野望がないのが、この学年の一番困ったところだ。


2004.10.25 (Mon.)

私立を受けるんなら避けられないし、と考えて、授業で発音を特集してみる。
『はじめての構造主義』に出てくるヤコブソンの母音三角形と子音三角形を持ち出して説明したが、反応が鈍い。
まあ中学生ならそんなもんかと思って、大学の中国語で勉強した有声音と無声音でも説明したが、やっぱり鈍い。
とりあえず紛らわしい発音の種類を挙げて、「おぼえとけー」でおしまい。ガックシ。


2004.10.24 (Sun.)

朝から晩まで塾の研修。
今回はベテラン講師による模範授業がプログラムに組まれていたのだが、これが面白い。
やはりプロの教え方というのは惹きつけるのが本当に上手くて、新鮮な気分で話に聴き入ってしまった。
自分がそれだけのことをきちんとできているのか、と考えると、さすがにそんなレヴェルではできていないと思うわけで、
塾講師として残された期間をなんとか少しでも成長の場にしていけたら、と誓いを新たにした。
やはり他人の圧倒的な実力を見せられると、素直に謙虚に受け止めるしかない。


2004.10.23 (Sat.)

誕生日も変わりばえがしないのである。ずっと塾でプリントづくりである。
3年生2学期の期末テストでは、分詞と関係代名詞が出る。それまでには文法のまとめプリントを出したいのだ。
一番手間がかかるのが、例文。凝ったものを考えるとキリがないのだが、やっぱりそこがこだわり。
で、辞書を片手にあーでもないこーでもないとやっていると、すぐに時間が経ってしまう。

夜になって作文講座。そしたら教えている最中にかなり大きな地震がきた。慌てるほどではなかったが、みんなびっくり。
震源が新潟なのにあれだけ長い時間揺れたのには驚きだ。現地の被害はさぞかし甚大だろうと思う。
誕生日に災害というのは、まったく関係のない偶然なんだけど、なんだか申し訳ない気分になってしまうのはなぜだろう。


2004.10.22 (Fri.)

空耳アワーでお馴染みのEarth,Wind & Fireのベスト盤を借りてきた。
きっかけはTVCMで流れていた『Let's Groove』なのだが、ディスコってジャンルにも興味があったので、チェックしたのだ。

まず最初の印象が、「宗教くせー」というもの。デザインがなんとなく、フリーメーソン・アフリカ系版という匂いがプンプン。
しかし曲を聴いてみると、これが素直にうんうんとうなずいてしまうくらいにいい。ブラック系の底力を見せつけられる。
『September』がまず最高。『Boogie Wonderland』も、「そりゃ売れるよなあ」という説得力にあふれている。
でも『Let's Groove』は意外と音に厚みが少なくてちょっと残念。TVではもうちょっとリズムが細かかった気がしたのだが。

つらつらと聴いてみて、自分が思っていたよりも、こういうコテコテのブラック系が楽しく感じられるのがわかってビックリ。
もうちょっと早くチェックしていれば、もっと面白いことになっていたのに、なんて思う。参考にすべき古典がまたひとつ増えた。


2004.10.21 (Thu.)

毎年誕生日にはいろいろ欲しい物を買い込むことにしている。
で、今年は考えた結果、いいかげんYMOのオリジナルアルバムをそろえよう、ということで、買いに出かけた。

YMOにハマったのは高校2年の後半だった。当時僕は物理班(物理部)でコンピューターミュージックをやっていた。
そこに偶然、YMOのスコアが備品としてあった。フュージョン専門だった僕は「テクノ」という言葉から連想される音色で、
原曲をまったく聴かないままで、『ライディーン』をMIDIで演奏してみたのである。これが一番最初のきっかけ。
で、じゃあ原曲を聴いてみよう、と思って伝説の5枚組ボックス『テクノバイブル』を借りてきて、そこから中毒になったのだ。
そして次から次へとMIDIでカヴァーをしていくことで、曲作りやアレンジの腕をちょこちょこと鍛えていったのである。

ご多分に漏れず、最初は初期のいかにもテクノポップな曲がお気に入りだった。新しいジャンルを開拓した凄みもあったし。
しかしながら長く聴いていくうち、『BGM』や『テクノデリック』の前衛的な部分が自分にとって必須の音楽になっていった。
さらにライヴ音源にも手を出すと、これがまたいい。それぞれの時期で音色がぜんぜん違うのだが、それぞれに味がある。

CDをぜんぶで7枚、買ってきて聴いてみる。リマスタリングしたそうで、確かに以前よりそれぞれの音がクッキリしている。

まずは『イエロー・マジック・オーケストラ』。個人的にはUS盤の方が聴きやすくて好きな曲もある(特に『マッド・ピエロ』)。
いま聴くと、ジャンル分けできないよくわからない猥雑さがあって面白い。それが海外では「アジア的」と受けたんだろう。
またこれより後のアルバムと比べるとどうしても粗っぽさを感じるが、またそれが逆にエネルギッシュになっているようにも思う。

『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』。YMOが国内で爆発的な人気を得る原因となったアルバムだ。
前作はどこかアーティスティックにいこうという雰囲気が強かったが、このアルバムはポップに徹している。そりゃ売れるはずだ。
『テクノポリス』『ライディーン』『ビハインド・ザ・マスク』など文句のつけようのない有名どころがそろっているが、
自分は『アブソリュート・エゴ・ダンス』も同じように好きだ。踊れてテクノでアジアという、とてもこの頃のYMOらしい曲だ。

『×∞ 増殖』。ミニアルバムの分量を、スネークマン・ショーとのコラボでフルアルバムにしている作品。
シンセだったり生音インストだったりロックだったりと、収録曲の幅が非常に広いのが特徴。
ある意味おまけを集めたアルバムだと思うのだが、それにしてはクオリティが高く、リラックスしてつくっているのがわかる。

『BGM』。ここから中期YMO。よく「暗い」と形容されることの多いアルバムだが、確かに閉塞感の強い作品だ。
初期が人型ロボットのコミカルさ、未来へ向けての無条件にポジティヴな感情を持っているとすると、
こちらは機械のひんやりした感じ、無機質で無表情な感じ、夜のような雰囲気がそのまま増殖していくイメージがある。
実際にこのアルバムで、『ソリッド~』路線を期待していた「薄め」のファンを一気に切り離したことは伝説になっている。
収録曲では『音楽の計画』『千のナイフ』『カムフラージュ』が好み。特に『カムフラージュ』は、たまに妙に聴きたくなる。

『テクノデリック』。前作に比べれば明るいと言われるが、やはり無機的なイメージが続いているアルバム。
世界で初めてサンプリングを使ったアルバム、として一部では知られているみたい。
そのせいか、それぞれの部分はハッキリしているが、全体としてはぼやけたイメージの曲が多い印象がある。
『ジャム』やら『京城音楽』やら『体操』やら『手掛かり』やら、みんな低音やリズムに面白みがあって好き。

『浮気なぼくら』。ソロ活動やYENレーベルなどを経て復活した後期YMOは、元の一般受けを目指す路線に戻った。
でもそれは以前のテクノポップというよりは、メンバーの洋楽趣味や歌謡曲での実績をYMOに還元した、といったところ。
メンバーはあまり後期に思い入れはないようだが、聴きやすい曲が多く、聴く方がいろいろ考えないで済むのはいい点。
むしろ職人が実力を出し切った「元祖J-POP」として楽しめる。中での個人的なお気に入りは『ワイルド・アンビションズ』。

『サーヴィス』。最後のアルバムはスーパー・エキセントリック・シアターとのコラボ。でもSET部分がどうしょうもなくつまんない。
曲も3人のソロを集めて出した、という感じがいよいよ強くなってくる。でもクオリティはやたらと高くって、そこはさすが。
『シャドウズ・オン・ザ・グラウンド』と『以心電信』があるので、決して嫌いではないアルバムだ。

そんなわけで、あらためてCDを聴いて勉強をし直しているところ。YMOは噛めば噛むほど味が出る、唯一無二の音楽だ。


2004.10.20 (Wed.)

また台風で塾が休みになった。今月二度目である。
それにしても今年は日本に上陸する台風があまりに多すぎる。そんでもってみんな強すぎる。
NHKのニュースは毎日台風関連の情報を伝えているし、アナウンサーが口を開けば必ず「今年最大の台風……」だ。
いくら異常気象とはいえ、もういいかげんにしていただきたい。


2004.10.19 (Tue.)

今年の日本シリーズは一切無視なのである。
西武にしろ中日にしろ、「本当に強くて優勝したの?」と訊きたくなるような、説得力に欠けるチームの対戦だからだ。
昔はよかった、なんて言うつもりはまったくないが、昔あった「華」が確実になくなってきているように思えて、なんだか悲しい。


2004.10.18 (Mon.)

ここにきて、毎月やっているテストの結果がガタガタになっている。きちんと勉強していればありえないミスを連発している。
答案を返却した後で「オレの教え方はまちがってないよな? オレが原因のミスじゃないよな?」と生徒に訊いてしまったよ。
そしたらみんな申し訳なさそうにうなずいていたので、ほっとした。これで安心してミスの修正に専念できる。


2004.10.17 (Sun.)

偶然、朝早く目が覚めた。
テレビの電源を入れてザッピングしていたら、テレビ東京で再スタートした『セサミストリート』が目に入った。
愕然とした。単にジム=ヘンソンがデザインしたキャラが、日本のお子様向けに動いているだけじゃないか。

そりゃ確かにアメリカでも『セサミストリート』はれっきとした子ども番組なわけで、アメリカのお子様向けに動いているけど、
見ている僕らにとっては文脈が全然違っていたのだ。だからこそ、『セサミストリート』が好きだったのに。
たとえば同じ街のシーンでも、道路に面したアパートには前面に階段がついていて、そこに腰掛けてダベるのがアメリカ流だ。
ストリートの脇には「SESAME STREET」と書いてある無骨な標識がひょろっと立っていて、それがアメリカだったのだ。
僕らは『セサミストリート』を通して、マペットを通して、アメリカの空気を吸っていたんだ。

それが、キャラだけを残して根こそぎなくなってしまっている。これのどこが『セサミストリート』だというんだ!?
オスカーの住んでいるゴミ箱だって、あれがアメリカのカタチだったのだ。
日本にオスカーの住めるカタチをしたゴミ箱なんてどこにもない。だからオスカーが日本に現れることはもうない。
もうがっかりだ。
誰もがチャンネルさえ合わせれば治外法権的にアメリカに接することができる楽しさが、完全に消し去られてしまった。

いい天気だったので、気晴らしに自転車で吉祥寺、小平、国立へ行った。多摩地区はやっぱりのんびりしていていい。


2004.10.16 (Sat.)

雨が降らないってのは、それだけでありがたいことだ。
日ごろ自転車に乗り慣れていると、雨が降っただけで一気に行動範囲が狭くなる。駅前まで行く気すらなくなるのだ。
雨がやんだ日に思いっきり自転車にまたがっていると、どこまでも行けそうな開放感に包まれる。
ギアで増幅された自分の足の力が、想像力を加速していく。自由という言葉を足の感触で確かめて走る。


2004.10.15 (Fri.)

H.G.ウェルズ『タイムマシン』を読んだ。
とても19世紀の作品とは思えない!というのが真っ先に思ったこと。現代をえぐる力が諸所に潜んでいる。
いまだにこの作品の持つ威力は、まったく衰えていない。むしろ、僕らがウェルズの手の中にいる錯覚すらおぼえる。

まずは時間の概念を空間との関連で説明しているシーンに感動した。この作品では、過去を思い出すということは、
空間内を移動するのと同じように時間内を移動しているのだ、と大胆に言い切っている。大胆だが、これはきっと正しい。
ネットのような情報空間を移動するのとまったく同じようにして、人間は誰もが自然と時間の中を移動していたのだ。
そして未来の世界の描写。19世紀から現代へと線を引いたとき、『タイムマシン』の世界は確実にその延長線上にある。
作中では未来の人間たちが使っている「言葉」を未来世界を理解するカギのひとつとしているが、その考察も非常に鋭い。
ただの時間旅行の話ではなく、人間はなぜ人間であるのか? どこまで人間でいられるのか?という疑問に向き合う。
だから、徐々に明かされていく未来世界の真実が、いっそう読者に向かって激しく突きたてられることになるのだ。
同じ地下の怪物との戦いの話でも、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(→2004.8.31)なんかとは
比べ物にならないくらい面白い。そこにはきちんと、「人間」に照準を合わせたメッセージが刻まれているからだ。

ただ、やはりさまざまな切り口を贅沢に持っているからこそ、誤解の多い作品であるとも思う。
これは未来旅行の話でもなければ、現代の人間の愚かさを嘆いている話でもないのだ。
まず純粋に恋愛小説で、そして冒険小説で、最後に自分たちがいかに素晴らしい存在であるかを語る哲学書なのだ。


2004.10.14 (Thu.)

Bunkamuraの「グッゲンハイム美術館展」を見に行く。

とにかくピカソの『黄色い髪の女』に尽きる。ピカソの優しさが全面ににじみ出ている。
「幸せ」というとても曖昧な言葉を具体的なイメージにした場合、おそらくこの絵が一番リアルなんじゃないかと思う。
大胆に柔らかい線で描かれた姿は、対象がなんであろうと本質を正確につかみ出してしまうピカソのとんでもない才能と、
その才能を発揮させた恋愛という感情・時間の素晴らしさとを、見ている者へと完璧に伝えてくるのだ。

全体の内容としては、いかにもBunkamuraらしいつまみ食い精神というか、広くて浅い中途半端さというか、
話題になる数点の作品とそれ以外の作品の落差がやっぱり激しい。ひどく言えば、客がナメられている感じがする。
良く言えば「いいとこどり」かもしれないが、それにしては荒っぽい。テキトーに各アーティストから1作品選んだだけって印象。
まあそれはいつものことなので、食ってかかるほどのことではない。とはいえやっぱり、なんとかならんかなあ、とも思う。


2004.10.13 (Wed.)

なんでか、授業前、ふだん英語を教えている生徒の数学の面倒を見ることに。
相似の範囲だったのだが、見事なまでに相似な三角形を見つけることができない。
前に数学は物事に対するアプローチを鍛える、ということを書いたが(→2004.6.21)、
これは図形を見た瞬間の想像力の問題だとあらためて感じた。物事を解きほぐしていく上での直観力。
でもそれって訓練すればスキルは上がるわけで、できないのはつまり、単純に勉強をサボっている、ということ。
しっかりしろやコラ、と軽く叱って解放。数学は面倒くさがったら負けだ(→2004.7.13)。


2004.10.12 (Tue.)

英語で「another」の概念を教えるとき、僕は文房具屋の話をしている。
文房具屋に行ってペンを買うとき、全体の中からまず1本を手に取る。これが「one」。
試し書きして気に入らなかったら、残りの全体からもう1本別のものを手に取るはずだ。これが「another」。
自分でこの説明を思いつけたことにちょっと自信がある。こっそり、ちょっとだけ、オレってすげーと思っている。

ちなみに、文房具屋の話をした後できちんとオチをつけるため、モテもしないのに、
「ひとりの女の子と付き合っていて、もうひとりだけと付き合うのも『another』。他にも女の子はいっぱいいるわけでな。」
と言うことにしている。ふつうにきちんと説明するだけじゃ面白くないのだ。哀しき芸人根性。


2004.10.11 (Mon.)

懐かしの歌謡曲をMP3化する計画をスタート。古い歌謡曲も一般教養として押さえておきたい、と思ったのだ。
毎年のヒット曲をまとめたアルバムを借りてきて、いろいろ聴いてみる。
知っている曲が意外なタイトルでびっくりすること多数。謙虚に勉強している最中である。


2004.10.10 (Sun.)

劇団☆世界一団『不思議な森のチュチュ』。

一言でまとめるなら、まだまだ「リハビリ中」といったところだろうか。
『世界一団の博物館』(→2003.8.222004.7.20)で限界を超えたパフォーマンスをしてしまい、
おかげで『空飛ぶ遊園地』(→2004.1.302004.2.1)はガタガタになってしまった。
今回の『不思議な森のチュチュ』は、そこからある程度回復している最中の物語、という印象だった。
全体的に初心にかえるというか、原点回帰というか、そんなコンセプトが貫かれていたように思う。
「世界のねじ」とかまさにそんな感じ。第1期終了公演だからこそ、やりたいことをやろう、というのがわかる。
もっとも印象的だったのは、自称作家が「面白い話をつくれ!」と強要されるシーン。
観ているこっち側にも、相当なスランプに陥っているのだろうその状況がダイレクトに伝わってくる。

これでしばらく世界一団の演劇が観られない、というのは正直本当に悲しいことだ。
しかしその反面、『空飛ぶ遊園地』以降をきちんとスランプと捉えているであろうことが、救いにも感じられる。
ぜひともたっぷりと充電をして、実力をフルに発揮した新作をまた見せてほしい。


2004.10.9 (Sat.)

台風が来た。

ハッピーマンデー法案が成立・施行されてから、旧「体育の日」には呪いがかかっているのではないか。
なぜ10月10日が「体育の日」だったのか。ご存知のとおり、これは東京オリンピックの開会式の日で、
気象庁が晴れの特異日だからというデータを出して決まったのだ。確かに昔はよく晴れた記憶がある。
しかし体育の日が月曜日にズレて以降、10月10日は晴れたためしがないように思う。
10月10日が怒って雨の特異日に変わってしまったのだ!と僕は妄想しているのだ。


2004.10.8 (Fri.)

担当している1年生英語のクラスは人数多すぎでしっちゃかめっちゃかだー!
やんちゃな連中が20人もいて、授業が終わると本当にフラフラになる。なんとかしてくれ!


2004.10.7 (Thu.)

野田秀樹『赤鬼』。
以前、テレビでロンドンヴァージョンは見たが(→2003.9.28)、金がないので日本ヴァージョンだけを観ることにする。
キャストは「あの女」に小西真奈美、「とんび」に野田秀樹、「水銀(ミズカネ)」にナイロン100℃の大倉孝二。
「赤鬼」は今回のロンドンヴァージョンにも出ているヨハネス=フラッシュバーガー。

何の予告もなしに、役者たちが客席から舞台に駆け上がって物語は始まる。
序盤から野田と大倉の掛け合いで魅せる。大倉が体格を活かしたダイナミックなツッコミで笑わせる。
野田のテンションは大倉との絡みの中でどんどん上がっていく。対する大倉のテンションも高く、舞台の雰囲気も高まる。
大倉の身体の大きさと乱暴さ(を演じる繊細さ)がうまくアクセントをつけているように思った。

僕の座っていた席は、舞台から2mくらいしか離れていない(舞台はひょうたん型で、客席に360°囲まれているのだ)。
すぐ隣で唾を飛ばして役者がしゃべる。野田は「ほらほらほら~」と、赤ちゃん(縛ってまとめた縄)を客席に見せてまわる。
さらに、演じている野田の足が僕の爪先にぶつかった。こんなの、まさに小劇場演劇ならでは、だ。
話の内容は知っているとおりだったのだが、まるで初めて見たときのように引き込まれた。
わかっているのに、感動させられてしまう。以前講演会で言っていた(→2004.7.6)客席との一体感が実現されている。
強制的に観客を物語に引き込んじゃう凄み。心底恐れ入った。

ちなみに、小西真奈美は顔がちっちゃい。すごくちっちゃい。
表情も声色も多彩で、確かにタレントではなく“女優”の才能の匂いがした。いいなあ、才能が明らかにある人って。


2004.10.6 (Wed.)

国語の授業。今回のテーマは短歌。
自分が中学生のときにはただ問題を解いているだけだったんだけど、いざ実際に教える側に立つと、
テキストに出てくるような名作短歌がいかに言葉の奥深さに挑戦しているかを実感させられる。
生徒に解説しながら内心「すげーなー」と思っている。31文字ギリギリの駆け引きにシビれている。
字数が少ない分だけ、どの言葉を選ぶのかが本当にしんどい勝負になっている。
もちろん、言葉を選ぶ以前にセンスで駆け抜ける作品もある。自分には到底ムリな世界だ。
一度でいいから、あんなふうに自由自在に言葉を操ってみたい。


2004.10.5 (Tue.)

世間の中学校は中間テストの時期。そのせいで生徒がたったの3人だった。
でもそれはまだいい方で、隣のクラスはなんと、0人。さすがは通称「動物園」。
これはウチの塾でも史上初のことだったようだ。こうして、またひとつ伝説ができたのであった。


2004.10.4 (Mon.)

中3コンビの片方が学年トップをとった。異常に難しかった数学でぶっちぎってのトップなので、
特に英語が貢献したわけではないのだが、素直にこちらも喜んでおく。よかったよかった。


2004.10.3 (Sun.)

雨のせいで一日中、家にこもる。とてもムダな時間。一番イヤなす過ごし方だ。
なんとなく、『ストッパー毒島』の単行本を読み返す。いいマンガは、何度読んでもいい。
あまりに連載ペースがキツかったのか拾ってない伏線がたくさんあるんだけど、そんなの関係なくいい。
『BECK』もいいけど続編やんねーかな……って、前も日記に書いたな。


2004.10.2 (Sat.)

中2クラスの保護者会である。もっと欲張れ!という話をする。

夕方からは作文講座。大人でも難しいあいさつ文の指導。パターン覚えましょうねー、という話をする。


2004.10.1 (Fri.)

ついに10月になってしまった。
こうして1ヶ月ずつ、明確に時は刻まれていく。時間が進むことを老化と同じものとして恐怖を感じている自分がいる。
だけど、なんとかして進行方向に対して正面を向いてみたい、と思っている自分もいる。
猛スピードで川を下る船に乗った場合、前向きと後ろ向きではまったくスピード感が違うはずだ。
後ろ向きなら広い範囲を落ち着いて見渡すことができる。でも、風景はただ去っていく。船の速度にも鈍感になる。
前向きになれば狭い範囲しか視野に入らないかもしれない。でも、新しいものを発見できるかもしれない。
今の自分は斜に構えて足元を踏ん張って、ローリングとピッチングの両方に耐えている気がする。
その努力じたいはムダではないと信じたい。


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