diary 2004.6.

diary 2004.7.


2004.6.30 (Wed.)

最終面接。
社長だとか役員だとかは、どうも現場の人とは違う感触の視線でこっちを見てくる。
使えるヤツかどうかというよりも、自分たちにとって都合のいい人間かどうかを判断する視線だ。
それは当然のことかもしれないが、その当然さが「つまらなさ」「退屈さ」を生んでいるような気がしてならない。
……そんな気持ちで面接に臨んでりゃ、受かりっこないわな。


2004.6.29 (Tue.)

中3のクラスに「どうしても上のクラスに行きたい!」ってヤツがいて、そいつと英語の対策を考えている。
熟語を覚えてイージーミスさえしなければ大丈夫とは思うのだが、それをやるのが難しいのだ。
とりあえず過去の傾向からやりそうなミスを挙げてみたり、重要度の高い熟語を挙げてみたり。
やる気を前面に押し出して努力する人間が、すべからく報われる世の中であってほしい。


2004.6.28 (Mon.)

体調がカンペキでないとリスニングはミスが出る、ということが判明。
まだ熱が退かないせいで、みっともないミスを生徒の前でやらかした。困った。


2004.6.27 (Sun.)

突如、38℃の熱が出た。そんなときに限って面接がある。
なんとか根性で会場にたどり着くが、汗がじわじわ出てきて思考回路がどうも鈍い。
頭は全然回らないし、いつものように要点だけをまとめて話すことができない。
これも運なのかもしれないけど、当事者としてはなんともやりきれない。


2004.6.26 (Sat.)

『カリキュラマシーン』のDVDを見る。

何より惜しいのは、ビデオでは収録されていた「エンピツのジョー」が本編に登場しないこと。
おまけ映像の宍戸錠はその格好をしているだけに、残念な気持ちがよけい強くなる。

本編を通して見ると、次から次へと矢継ぎ早に飛び出すナンセンスギャグに本当に圧倒される。
これが当時どれだけの破壊力をもって子どもたちをなぎ倒していったのか、考えるだけで楽しくなる。
ブラックなギャグもいいんだけど、それ以上にいいのが宮川泰の担当している音楽。
アレンジの幅がとっても広いのに、聴けばすぐにそれとわかる安心感。本物の、プロの仕事だ。
すべてにおいて、スタッフが子どもと同じ無邪気さで楽しんでいる。だから見ていてワクワクする。
やっぱり、なんとかして頭のおかしい子ども番組づくりに関わってみたい、と思う。
すべての子どもを洗脳して、「何かをつくっちゃう遺伝子」をがっつり刻みつけてしまいたい。

それにしても、建物探訪しているときとの渡辺篤史の落差に愕然とする。あとオヒョイ若すぎ!


2004.6.25 (Fri.)

2次面接。前回の面接をほめられつつ、大学院時代の研究についてしゃべりつつ。
どうも先方はこちらの口八丁手八丁ぶりに好感触を持っているようだ。とってもいい雰囲気。
それでもやっぱり緊張していたんだろう、面接終了後に足がしびれて立てなくなるという醜態をさらす。
自分じゃ冷静なつもりでいても、どんなときも100%冷静でいられる自分なんて絶対に存在しないんだろうなあ、
などとボンヤリ考えてみる。必ず心のどこかで緊張してあがっている自分がいる。おもしろい。


2004.6.24 (Thu.)

潤平があまりに勧めるので、東京都現代美術館「YES オノ・ヨーコ展」を見に行く。

一言でまとめるなら、オノ・ヨーコの作品(特に初期)は、観念(言葉あるいは思考)を最高のものとして提示する。
たとえば、白い壁に鉛筆で「この壁は青い」と書きつける。本来ありえないことばかりが壁には書かれている。
そうして額の中の紙や部屋に書かれた言葉は、相手の想像力に対して直接的に訴えかけてくる。
そこにあるのは、作品という本来フィジカル(物理的)な存在を、ひとりひとりの想像力で乗り越えようという意志だ。
芸術として置かれているどんな作品よりも、あなたの頭の中で想像したものが一番のものなんですよ、というささやきだ。
それはきわめて挑戦的な態度だ。一人ひとりの想像力を刺激する仕事をする芸術家、というスタイルを確立している。

そうかと思えば、アトリウムいっぱいを使った『モーニング・ビーム』という作品がある。
これは頭上の一点から無数の白い紐を地面にピンと下ろして固定したものだ。見上げると、その名が示すように、
光が一点から拡散して地面に注いでいる光景を体験できる。これには素直に感動した。

オノ・ヨーコというとハプニングが真っ先に思い浮かぶが、個人的にはそれ以外のジャンルの作品に強い衝撃を受けた。
今までその本質を勘違いしていたのがなんとも悔しい。観念・想像力を絶対的に信じる芸術家として覚えておこう。


2004.6.23 (Wed.)

ドラムス。まだ右手と右足がくっついてる。
これはもう、家にドラムスが置いてある人じゃないと劇的な改善は望めないと思う。悲しくなる。

夜には塾のレギュラー授業終了後に、定番の個人特訓。
やっぱり本番の授業のためのいい予行演習になっている。ある意味、こっちが教わってる感じだ。感謝感謝。


2004.6.22 (Tue.)

僕の担当のクラスはレギュラーの最上位クラスであるわけで、最上級クラスに上がりたい生徒が在籍している。
でも最上級クラスに入るには、年に何回か設定されている難問対応のテストで結果を出さないといけない。
それで自分も生徒と一緒に過去問を解いてみることに。

……ところがどっこい、これが難しい。「こんなん大学受験レベルやん!」という熟語が目白押し。
逆を言えばある程度熟語を知っていれば対応できるけど、それにしても英語を勉強して3年目の生徒には厳しい内容。
自分が中3だったときを思い起こして、苦笑い。都会の子どもは大変であります。


2004.6.21 (Mon.)

数学的センスとはなんだろう、と考えてみる。
思えば自分には、たとえ他の科目でもある程度数学的にとらえているところがある。
たとえば英語。SVCなんか完全に左辺=右辺という感覚だし、従属節はカッコでくくって先に計算(和訳)する。
かつて地元の個別指導でこづかいを稼いでいたとき(→2001.12.292002.1.6)によく言っていたことは、
「数学は言語だから、相手にわかるように(後で見直ししたときの自分にわかるように)答案をつくらないとダメだ!」
逆を言えば言語なんかも数学的にとらえることが可能なはずだ。うーん、ヴィトゲンシュタインっぽい。

結局、中学レベルの数学で学んでいることは、“視野の広さ”ではないかと思う。
物事に取り組むにあたって、どういうアプローチがあるのか概観する視野の広さを養っているように感じるのだ。
よくある「数学なんて生きてくうえで役に立たないじゃん」というのは本当につまんない言い訳で、
そういう考え方に陥ること自体が視野の狭さを示しているのかな、と思う。視野狭窄は悪循環だから、本当に怖い。


2004.6.20 (Sun.)

調子に乗って制作会社をもうひとつ受けてみる。
まず5人並んで待合室(関連会社の社長室でやんの)でビデオを見させられる。ドキュメンタリーと、麿赤兒。
で、5対5の集団面接。まずは自己PRなのだが、同席した「テレビ業界入りたいっ子」のアピールを見てちょっと引く。
相手にするのもなんだかバカっぽいので、マイペースでしゃべる。そしたら「アナウンサーっぽいね」と言われる。
言われて初めて、そういう進路選択があったことに気がつく。しまった!!
最後にドキュメンタリーと麿赤兒、それぞれの優劣をどうクロスオーヴァーさせるか、というアイデアを出しておしまい。

帰りに有名な山頭火のラーメンを食べる。嫌いじゃない味つけだけど、やたら油っぽいのが気になった。


2004.6.19 (Sat.)

「明日の午後1時にくるようにつたえてください。都合がわるくてもこさせてください」
……とまで言われて、授業がない日だけど補習をすることになった。
まあ信頼されているのはうれしいことだし、意欲があるならそれに応えるのにはやぶさかでないので、
別にかったりーとか思うわけでもなく、きちんと対応する。

で、英語の補習は夕方5時まで続いた。
範囲としてはいわゆる「関係代名詞」なのだが、むしろこの補習が授業の予行演習になっている。
補習のおかげで本番の授業を進めるにあたってのポイントが明確になっていくように思うのだ。
感謝しなくちゃいけないのはこっちの方かもしれないなあ、と思いながら生徒にチラッと目をやったら、
4時間の疲れを感じさせない満面の笑みを返してきた。こっちまでうれしくなる。

後日この補習に対して給料が出た(本来なら出ない)。うちの校長は本当に上司としては最強の人だと思う。
あと、後日この補習に対して生徒から「お礼。」とお菓子をもらった。これは皆さんには内緒。


2004.6.18 (Fri.)

教科書を出している会社の面接を受ける。
いわゆるグループ面接で、「大学入試をどう改革すべきか」というテーマで討論。
メモ用紙を渡されていたので、話し合いの内容を克明に記録するメモをつくって提出。
その後の個人面接ではその点を大いに評価される。してやったり。
ただのしゃべりだけじゃなくって、こういうところをしっかり見てくれる会社っていいよね!


2004.6.17 (Thu.)

「学芸大学まで出てきたから、せっかくだから会おうよ」とリョーシ氏から電話があった。
ちょうど筆記試験が終わったタイミングだったので、家に戻って着替えて自由が丘で落ち合うことに。

自由が丘ではウェンディーズで近況報告。久しぶりに会ったので、こちらはいろいろとサービスをまじえてトーク。
リョーシ氏はリョーシ氏で、けっこう不安の多い学生生活を送っている模様。
でもまあ20代半ばなんてみんな不安だしね、となんとかオプティミスティックに笑いあう。
正直、こちらもテンパりまくっていただけに、このタイミングで会って話ができたのはうれしかった。
こうやって助け合える関係が存在している、それだけで前を向ける。


2004.6.16 (Wed.)

ここんとこ、ドラムスがどうも伸び悩んでいる状況だ。
基本的なパターンを完全にマスターする必要は指摘されているし、自分でもそれは十分自覚している。
右手と右足がくっついて、なかなかバラバラに動いてくれないこの苦しみ。
これを打破するには、ひたすら基礎の反復練習をするしかないのもわかっている。
でも、そんな生活環境じゃないのもまた事実で、この停滞はまだしばらく続きそうな気配。ニンともカンとも。


2004.6.15 (Tue.)

スラッシュ(/)が好きだ。
日本語の表記としては本来存在しないものだが、自分はけっこうよく使っている。
思えば大学3年のときのゼミ論でも、堂々とタイトルにスラッシュを使っていた。

自分はスラッシュを、「ふたつのうちどちらか一方を選ぶ、どちらを選ぶのかは任意」というニュアンスで使うことが多い。
それだけ他人(読み手)任せのいいかげんな文章を書いているということなのかもしれないが、
逆にそういう文章の解釈に幅を持たせられる融通というか、余裕があるので無意識に好んでいると思う。
一度、そんなスラッシュの特性を活かしきった文章をきちんと書いてみたい。


2004.6.14 (Mon.)

ハレー彗星の話から、中3コンビに歳がバレた。いやー、油断できないもんですな。


2004.6.13 (Sun.)

『24』をようやく見終わる(スタート時の日記はこちら →2004.4.5)。

23時間目が終わった時点で「えー、それやっちゃうのー?」と思う展開。
最後の最後まで同じテンションで、ずーっとトップスピードのままで話が進んでいく。
あと残り何時間だからこの程度で抑えておこう、という軟着陸を徹底して許さないのがすごい。

それでも24時間経過したら物語は強制終了になるわけで、やはりその分、ラストシーンはドタバタ。
僕たちがふだん見慣れている大団円がよくできたシステムだったことを、逆に再認識させられる。
そんなわけで『24』のラストは、仕方がないとはいえ、どうしても消化不良になる。

ひねくれた感想を言うと、別にこの作品を24時間同時進行にする必要性は感じなかった。
以前に観た劇団☆世界一団の『地球人大襲来』(→2002.1.122002.1.14)の方が同時進行としてふさわしい。
それは結局、メインストーリー(バウアー視点)にすべてのサイドストーリーが交差していた(関わっていた)せいだろう。
メインとまったく交差しないけど、時間を強く意識させる別のストーリーを織り込むべきだったと思う。
あと、全般的に映像がどこか暗いというか、汚いというか、そういうような印象を受ける。
これはむしろ、僕らがハリウッド映画が莫大な金をかけているきれいな映像に慣れきっているからだろう。


2004.6.12 (Sat.)

職場が近いのに一度も行ったことがなかった戸越公園に行ってみる。
沿革を書いた案内板があったので見てみる。この公園はもともと細川家の下屋敷で、それを三井財閥が買い取って、
最終的には行政に寄付したのだそうだ。それでなんとなく、和風な雰囲気が漂っているわけだ。

とりあえず一周してみることにする。子どもがたくさん遊んでいる。くつろぐお年寄りも多い。
大崎高校側はけっこうな高さになっていて、しっかりと木々が茂っている。ちょっとだけ、虚空蔵に登っている雰囲気。
都会の住宅地の中にこれだけの起伏が残っているというのが、少しうれしい。

だいたいこんな感じか、と把握して外に出る。大井町に抜けて昼飯食って帰る。


2004.6.11 (Fri.)

例のごとく、塾で毎月やっているテストの採点をする。
1年の国語が上昇、英語が急落した。国語は小説だったのが、うまくハマったみたい。
英語は今まで単語中心だったのから文法中心に移ったせいで、いまいち対応できなかったようだ。
あっちができればこっちがひっこむ。


2004.6.10 (Thu.)

のんびりと過ごす。とにかく、できるだけゆったりと過ごす。


2004.6.9 (Wed.)

採用するよ、と電報がきた。
思えば最終面接の通知は即日家で手渡しだったし(仕事に行っていて直接は受け取れなかったが)、
今度は電報ということで、なんだか変な会社だなあ、と思う。まあ、採用してくれればそれでいいんだけど。


2004.6.8 (Tue.)

エアコンのカビを洗う。掃除機で吸い込むだけじゃ限界を感じたので、風呂向けの洗剤とスポンジでこする。
ゴシゴシやってるうちに泡がどんどん真っ黒になっていくのを見て、なんだかちょっと怖くなる。
終わって干したらフィルターはきれいになったんだけど、スポンジは黒ずんだままだった。


2004.6.7 (Mon.)

最終面接2つでいろいろブルーになる。
「社会人になる」ということを突きつけられて、動揺している自分がいる。
みんなやっていることだし、考えているほどそんなに悪いことじゃないのはわかる。
でも、自分の将来をある程度固めてしまうことに対して、ものすごい恐怖を感じる。
だけど、もう固めないと何にもなれない時期にさしかかっているのも自覚している。
だから、納得して受け入れないといけない。そう自分に言い聞かせる。


2004.6.6 (Sun.)

まあムリだろーと思いつつ、テレビの制作会社の試験を受ける。
活きのいい現場でがんばっている人たちはやっぱり面白い。とにかく、演出のセンスがケタ違い。
ちょこっと触れただけなんだけど、競争率が高いのに納得がいく。素直に、いいなあとうらやましくなる。
落ちたけど。


2004.6.5 (Sat.)

久しぶりに二子玉川へ行ってみる。別にベーグルを食べるくらいしか用はないのだが、ふらりと。
で、ベーグルかじりつつ本を読んで、飽きたら家に帰る。なんとも低調な日常。


2004.6.4 (Fri.)

毎週金曜日は国語ができない国語ができないと書いているわけだが、今週もそんな話。
たとえば自分で解答に丸をつけるとき、できないヤツほどそれが粗い。
間違って丸をつけてしまうことがすごく多いし、そもそも丸のカタチからして粗い。
結局、手っ取り早いところでは、「ていねいさ」が重要な要素なんだろうと思う。


2004.6.3 (Thu.)

ゼミ。最近はめっきりゼミの時間が減っているので、頭を使わないでいるような気がする。
久しぶりにしゃべってみると、いつも以上に話題が飛ぶというか、まとまらない感じ。
自分の中ではつながっているものを、短時間に簡潔に相手に提示するのは本当に難しい。


2004.6.2 (Wed.)

インターネット、書き込み、学校、小学生、殺人。
現実空間と情報空間については日ごろちょこちょこ考えてはいるんだけど、何か臨界点を超えた印象。
つまらないコメンテーターは必要ないんだ。必要なのは、その痛みを自分の身体の中で解釈する意識なんだ。


2004.6.1 (Tue.)

こないだ受けたマニアックな出版社の2次試験。書類には「面接等」と書いてあった。
まさかと思ったら、やっぱり筆記試験があった。しかも個別面接と重役面接もローテーションでこなしていくという強行軍。
ヘンな会社だなーと思いつつ、神保町に寄って帰る。


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