村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。
各所で絶賛されている小説だが、僕にはまったくその魅力がわからなかった。
僕の評価軸は基本的に、読後感の良し悪しによる。これは読み終えても何も残らない小説だった。見事なまでに。まずは、具体的なレベルで気に入らない点を挙げておく。
「ハードボイルド・ワンダーランド」側が圧倒的につまらない。延々と続く地下での時間。しかも、ただ逃げまわっているだけ。
「世界の終り」もラストが超腰くだけ。話としては賢明な選択と言えるかもしれないが、
読者の費やした時間をとてもペイできる結論ではない。つまりは、ふたつの閉塞的な空間に読者を閉じ込めておいて、
村上春樹は「それじゃバイバイ」とやり逃げをかましているのだ。人間という動物だけが物語を必要とするのは、
フィクションによって現実と折り合いをつけるための想像力を蓄えるからだと僕は信じている。
そんな立場からすればこの小説は無意味でしかない。作者の想像力は見事だが、
それを披露する自己満足に付き合わされただけという気分。ここからはちょっと抽象的にいこう。
村上春樹の描く空間は妄想でしかない(ヴァーチャル、だ)。物語はすべて想像の空間の中でしか語られない。
登場する人間も、か弱い「僕」/決してわかりあえない(ある種の暴力を持つから)他者/女性(セックスさせてくれる)
という3類型しかない。つまりは、おそろしく内向的なのだ。多種多様な人物が活躍する物語とは真逆の世界。
友達のいない人間、あるいは人生をそのように達観している人間には好まれると思う。
だから僕は、村上春樹が世間で支持されることに危機感をおぼえる。
彼の小説は、読者の中に何もつくらないから。ただ時間が流れていくだけ。流れる、という意味では、喫茶店での女性の会話(→2004.2.10)に近い感触がある。
この小説を読むことは、女性たちの無意味な会話に耳を傾ける感覚に似ている。ただ時間をつぶすことが目的の会話。
そもそも「世界の終り」における「世界」とは、自分という存在そのもの。それはそれで絶対的に正しい事実ではある。
しかし、そこから一歩踏み出そうという意欲がまるで欠けている。だからこの小説は物語とは呼べない。ただの描写の塊だ。20世紀末の重苦しさというか、気だるさを予期している点において、村上春樹は非常に優れた作家なのは間違いない。
が、もういいかげんその空気には飽きた方がいい。次へと踏み出す想像力だけが、人間の持っている武器なんだから。
塾で飲み会である。場所は新宿。ちょっといつもよりお金をはずんだおかげで、出てくるものは豪勢な食材ばかり。
なんとなく、世界各地でとれる高級食材の行く先、食べられ先が想像できる感じ。
確かにおいしいんだけど、たまに食べるからその価値がわかるんじゃないかなあと思う自分は、
やはりセレブとはほど遠い貧乏性であるのかな、と実感。
で、酒の席での話題は結局、あいつはできる、あいつがだらしねーといった辺りに終始。やはり皆さんマジメだ。
とりあえず夏期講習がようやく最終日となった。
ところが寝すぎたせいで、起きても頭がボンヤリ痛い。
睡眠不足は良くないくせに、寝すぎても調子が悪くなるなんて、人間のカラダって不思議。
アテネオリンピックを勝手に総括。
サッカー男子は山本監督の采配に疑問。なぜ田中達也を先発で出さないのか理解できない。
那須は丸坊主にしたのが潔くてよい。それにしてもあれだけ点を取れるチームとは思わなかった。
サッカー女子は動きが硬かったように思う。山本は故障してたんだろうか、出てくるの遅すぎ。柔道は谷(田村)・野村ともに目が怖かった。完全に人殺しの目をしていて、負けるはずがない雰囲気だった。
あまりに強いと周りに帯びる空気も違うのかと思った。ああいう迫力を出す秘訣はなんなんだろう。野球。メンバー全員がプロで構成されている、現場にいない長嶋ばかりが注目されている、間違いまくったチーム。
銅メダルという結果は期待はずれという意見が多いだろうが、そもそもこのチームに期待する姿勢がおかしいのだ。水泳。北島は絶対的に強い。あたりまえのように金メダルをかっさらうという感覚は、理解を超えた世界だ。
男子のメドレーリレーはみんな自由形の選手を応援していただろうが、どうしてこの種目だけ日本は苦手なのか不思議。自転車。中継を見たんだけど、最初3人縦に並んで走って、ひとりずつ抜けていくのがなんとなく面白い。
純粋な脚力勝負の世界は本当にシビアで、それで結果を残したってのがかっこいい。体操。アナウンサーの実況ばかりに注目がいくが、団体の展開は劇的で素直に感動した。
あとでNHKがドキュメンタリーでその経過を追っていたのだが、非常に楽しく見させてもらった。陸上。がっくり。
マラソン。野口は海外からは絶対にロリ的視線にさらされていたはず。追ってくるヌデレバは夢に出そうなくらい怖かった。
片付け計画はゆっくりと進行している。今日は渋谷に出かけて、東急ハンズでラックを、無印良品でラグを買ってきた。
ラックはパソコンスペースの脇にある電話機を置くためのもの。従来のダンボールは捨てた。
電話機のほかにはカギ類や筆記用具などのこまごまとしたものをまとめてカゴに入れる。
カゴは3段のラックから引き出せるようになっている。周辺が一気に片付いた。ラグは下に滑り止めを敷いて部屋の中央に広げる。
今まではワケのわからんマットを敷いていたわけで、これまた一気にマトモな部屋という印象に。
部屋が片付くと心も穏やかになる。のんびり寝転びながら、そんなことを考えてみる。
休みなのだが、伊集院ラジオを編集したりMP3をつくったりして過ごしていると塾のある日と大差がない。
旅行して正解だったなあと思う。あの自由で、頼れるものが何もなかった日々がいとおしい。
ドラムス。きちんと事前に練習ができないと、ガタガタになる。個人練習の大切さを身にしみて実感。
ポータブルMDを修理に出す。編集したデータが更新されなくなるという末期状況だったのだ。
電気信号であるMP3に比べ、物理的接触を伴うMDはやはり故障が多いのだろう。
よけいにiPodが欲しくなってきたのであった。
駒苫の選手たちが乗る飛行機が津軽海峡を越えたときに、
「ただいま優勝旗も初めて津軽海峡を越えました」と機内放送があったそうだ。
そういうささやかなセンスをつねに持っている人間になりたいと思う。
夏の甲子園、1回戦(→2004.8.12)で偶然応援した駒大苫小牧が優勝してしまった。
ヤクルトのメガホン片手にテレビにかじりついていたのだが、内野フライがグラブにおさまった瞬間、思わず自分も雄叫び。冷静に考えれば、とにかく打線がしぶとかった。相手投手が少しでもスキを見せると必ず食らいついていた。
高校野球はもはや超打者有利の世界になってしまったのか、ともちょこっと思うのだが、
なんだかいろいろとイヤ~な感じの済美をその打線が振り切って優勝したわけだし、おとなしく喜んでおく。それにしても、縁もゆかりもない高校をここまで必死に応援したのは初めてのことだ。
たまたま甲子園に行ってたまたま試合を観ただけなのに、優勝してくれて心からうれしい。
勝手に強運を分けてもらった気分になって、なんだか幸せ。
のどちんこ肥大に苦しむ。
中学のときだったか、のどちんこがいきなり肥大したことがあった。
医者に診てもらったところ、傷口に菌が入った「浮腫」という症状だという。
確か天ぷらを食ったのが原因で、ころもでのどちんこを傷つけたところに菌が入ったのだ。
以来フライ系は注意して、よく噛んでから飲み込むように心がけてはいるのだが、
油断したのか、のどちんこが肥大してしまった。のどちんこが肥大するとどうなるか。まず、舌の上にのどちんこが乗る。
コレが厄介だ。歯磨きするとのどちんこがのどの奥に落ちる。思わず「うぇっ」と吐き気がする。
メシを食うのも大変だ。のどちんこがジャマになって飲み込みづらい。食事にけっこう時間がかかる。
この苦しみは、肥大してみないと実感できないことなので、皆さん気をつけましょう。
伊集院のラジオが膨大。
今までテープで保管していたものをMDに録音し直す作業をしているのだが、この量がシャレにならない。
上京してからだいたい4年分のテープが存在し、そのうち再発掘された分でも半年強になる。
しかも途中で欠番がちょこちょこ出るので、そのチェックもする必要がある。これがけっこう面倒くさい。
それでも中途半端はイヤだから、地道にこなしていく。ぜんぶ完了するのはいつになることやら……。
MP3のインデックスが膨大。
XPに入れ替えてからMP3のインデックスデータを書き換えできるようになったのだが、これの管理が本当にキツい。
もともと1200曲ほどあったのだが、それにいちいち、アーティスト名やらアルバム名やら曲順やら発売年やらを入力する。
手元にCDがない場合には、ネットで検索をかけてチェックしていく。もう本当に面倒くさい。
それでも中途半端はイヤだから、地道にこなしていく。ぜんぶ完了するのはいつになることやら……。
ドラムスで塾。時間がないのでスーツ姿でたたく。
別にスーツにネクタイでたたいちゃいけないという法律はないのだが、なんか枠を壊している気がして面白い。
夏期講習再開。また、いつもの毎日がスタートする。
生徒の側からすれば、ちょっと日焼けしたマツシマ先生がいる。
言わなきゃ関西に行ってきたなんてわかんない。それは生徒も一緒。相手も旅行してきたのかもしれない。
表面上はわからない変化を繰り返して僕らは生きているのだ、なんて思ってみる。ただ思ってみるだけ。
食べるものだけ食べて、東京に戻る。
高校まで実家にいたわけだが、外食に行くタイミングには特に理由がなかった。「なんとなく」の外食だった。
いろんな店に行ったけど、やはりローテーションからはずせない店がいくつか存在していた。
東京暮らしが標準になってから、実家に帰省したときには強迫観念にかられるように「思い出の味」めぐりをしている。
都会にだってうまい店はもちろんあるんだけど、その味を評価するベースはやはり、飯田で培ったものだ。
実家に帰る理由に「味覚のリセット」を認めるのも、素直でいいんじゃないかと思う。
徳山。
飯田市中央通りにある焼肉屋。ご主人兄弟がウチのcirco氏と高校の同級生という関係にある。
マツシマ家ではここ以外に焼肉を食べに行くということはありえない。自然な流れでそうなっている。のれんをくぐるとまず、脂の混じった煙。縦長の店内にはまっすぐ机が、四角いガスコンロが並んでいる。
ある意味、古風な日本の食堂という雰囲気であり、アジアの屋台のような感触もある。
奥まっているテレビではNHKのニュースが流れている。でも、煙にぼやけてよく見えない気がする。だいたいいつも入り口近くに陣取って、野菜の後、赤身の肉と牛モツと豚モツを1:1:1くらいで注文する。もちろんメシも。
10代の頃には赤身ばっかり食っていたが、なぜか急にモツが標準になって、以来3人でモツを食いまくる。
酒を飲むのはcirco氏だけ、僕と潤平はウーロン茶だが、おばちゃんが焼酎の注文を受けたときには手を止める。
ヤカンに入った焼酎を、おばちゃんはよそを向いたままでコップに表面張力ギリギリ一杯絶妙のところまで注ぐのだ。
3人でそれをじっと観察しては、ほお、とため息をつく。これも、帰省したときの大切な儀式のひとつだ。
ピザ。
特に味に関してうるさいわけでもない家族なのだが、それをここまで狂わせるんだから凄い。
本当に、本当に特別なのだ。「ベルディ」のピザは。
朝、梅田から名古屋へバスで移動する。
お盆のラッシュで大阪から直接飯田に帰るバスが確保できず、名古屋経由はどうかというcirco氏の提案に乗ったのだ。
名古屋行きのバスは簡単にチケットが取れたものの、高速が混んでいるという事実に変わりはなかった。
ノロノロ運転に酔いかけてしまう。寝れば酔わないと知っているので、無理して寝る。名古屋に着くと、circo氏が車を出して中津川まで迎えに来ることに。
本当は名古屋をブラつきたかったのだがあまり時間がなかったので、名駅周辺を歩きまわる。
浪人中に世話になった店を、わけもなくまわってみる。地上の印象は変わっても、地下はあんまり変わっていない。
寿がきやラーメンを食べてソフトクリームまで食べて、駅に戻る。そして、電車に乗る。中央本線が田舎の風景を突っ切る。なんとなく、「帰ってきた」という気分になってくる。
中津川駅で降りると、ちょうど祭りをやっていた。中学生のマーチングバンドが駅前のロータリーを一周する。
東京で暮らすようになって「地元の祭り」には違和感をおぼえるようになってきていたのだが、
ここまで完全に他所という感覚だと、逆に楽しくなってくる。のんびり見学しつつ、待ち合わせ場所のアピタへ。
久々に会った親の反応は、着ていたオレンジのシャツが派手だ、というものだった。まあ、そんなもんだ。で、実家に帰る。実家に帰るとやることがないから、とたんにだらしなくなってしまう。
雲ひとつない早朝、阪神電車に乗り込む。甲子園に行くためだ。
狭い間隔の駅を、快速電車はすっ飛ばしていく。甲子園に着いたのは、7時半くらい。とりあえずツタで覆われた外観を、のんびり一周して眺めてみる。
思っていたよりも、小さいというか、コンパクトな建物だ。コンクリートから大正モダンの雰囲気が漂う。
この日の第1試合は駒大苫小牧(南北海道)と佐世保実業(長崎)。ちょっと迷ったが、結局北海道を応援することに。
甲子園はやっぱアルプススタンドでしょ、と思い、チケットを買って三塁側の入口から中に入る。高所恐怖症なので一番上までは上がれなかったが、中腹くらいの位置に陣取り、フィールドを見下ろす。
背中から日が差した。空はずっとずっとその先にある深さを感じさせるほどの青さ。夏、だ。
芝生と外野席が鮮やかに緑のコントラストを描く。すべての色が原色のように輝いている。
応援席が埋まりだし、練習が始まり、グラウンドが整備される。9時の試合開始に向けて、時間が慌しく流れ出す。テレビ中継と違い、テロップも実況もない。マウンドのピッチャーが投げて、サイレンが鳴る。
苫小牧の左腕投手はなかなかいい。ストレートがきれいにミットに決まる。奪三振を指折り数えながら見る。
序盤は佐世保実業が先行するシーソーゲーム。駒苫打線が逆転するたび、スタンドは大騒ぎになる。
ふと、甲子園はやはり特別な場所なのだと思った。このとんでもなく贅沢な時間のために、高校生は努力しているのか。
中押し、ダメ押し(高校野球にダメ押しなんてないけど)と、得点を追加していく。かちわりを味わいつつ、自分も応援する。
(かちわりは非常に優れた発明だ。氷を噛むこともできるし、水を飲むこともできる。意外と長く楽しめるのも素晴らしい。)
そうこうしている間に苫小牧の先発左腕は奪三振を積み上げていく。最終的には11まで伸びた。
やがて9回表、同じ左腕の救援投手が登場。速球が勢いよくミットに収まった。130キロを超えるスピードに、
甲子園がどよめいた。しかしコントロールが今ひとつで、無死満塁のピンチを自分でつくってしまう。
スコアは7対3。ドラマティックな展開だ。そしてそこから速球でねじ伏せて三者三振。
いかにも高校野球らしい、緻密で大味で予測のつかない試合。思う存分に満喫した。第2試合が始まったところで甲子園をあとにする。JRの甲子園口駅まで歩いてみることにする。
が、これが意外と距離があった。炎天下を必死で歩く。しかも住宅街で方向がわかりづらいこともあり、
駅の直前で迷ってしまう。なんとか駅にたどり着くと、そこから一気に神戸の街へ。神戸駅で降りると、三宮まで歩いてみることにする。湾岸エリアを、目的もなく漂流するように歩いてみる。
神戸は港町であるためか、やはりどこか横浜に似ている。歩いていて、みなとみらいを歩いている錯覚にしばしば陥った。
山国育ちの自分にはまったく新鮮な感覚。と同時になんとなく違和感をおぼえてしまうのも正直なところだ。
神戸駅から元町駅、そして三ノ宮駅まではアーケードの商店街が続いている。
西の神戸駅はわりと古いタイプの商店街なのだが、東に行くにつれて若者向けの色合いが濃くなっていく。
三宮に着くと、市役所などがある中心区域をぐるぐる歩いてみる。が、歴史ある地区もやっぱり横浜に似ている。
線路の反対側に出てスタバで一服すると、東急ハンズへ。そんな調子で周辺のいろんな店をまわってみる。
結論としては、神戸はふつうの港町だ。確実にオシャレではあるのだが、大阪や京都ほどの個性/アクの強さはない。
そのせいか「横浜に行けば神戸に行った気になれちゃうなあ」と思ってしまった。じっくり見てまわればまた違うのだろうけど。歩き疲れて、フラフラになって梅田に戻る。例のごとく定食屋でメシをバカ食いしてカプセルホテルへ。
いったんはさっさと寝たのだが、夜中にむっくり起きてオリンピックのサッカーを見る。パラグアイ戦。
いきなり那須がミス。2回もミス。守備ザルすぎ。そして交代遅すぎ。
山本監督はなぜ、田中達也を先発で使わないんだろう?
今日は梅田から、まっすぐ御堂筋を歩くことにした。
梅田=JR大阪駅周辺はいわゆる「キタ」。そこからまっすぐ御堂筋を行けば、難波いわゆる「ミナミ」にたどり着く。
それを実際に歩いて体験してみよう、というわけだ。梅田の中心部は本当に大きなビルが多く、その点では名古屋駅の桜通口とほとんど同じ印象だ。よく似ている。
朝日を浴びながら都会の街を歩く。あんまり大阪らしくない。この辺は、ふつうに都会だ。堂島川に架かる大江橋を渡ると中之島。中州のくせして大阪市役所があるなど重要拠点。パリみたい。
大阪市役所はでかい。どっしりしている四角い建物。市役所というよりもホールみたいだ。
地下の売店でジンジャエールを買ってから、1階を探索してみる。やっぱり、情報公開コーナーが弱い。
それにしてもこの中之島にはなかなかの歴史建築がそろっているようだ。
市役所を挟む格好の日本銀行大阪支店と府立中之島図書館、その奥には中央公会堂。
どれも東京に次ぐ都市としての歴史を感じさせる。大阪におけるライトサイドの意地を垣間見ることができる。淀屋橋を渡ると御堂筋のオフィス街が続く。銀行が規則正しく並んでいて、商都大阪らしさを見せる。
しかし見事なまでにずーっとオフィス街なので、歩いていても面白みはそんなにないのも確かだ。
つまんないなあと思いながら歩いていると、長堀通に出た。東に曲がって東急ハンズ・心斎橋店へ。
東急ハンズはそれぞれの店でけっこう個性がある。心斎橋店は、どうもインテリアに強そうな感じがする。
個人的に部屋の片付けを継続中ということもあるのかもしれないが、あれこれ気になるものが置いてある。
純粋な素材系統はちょっと弱めだが、インテリアが充実しているというのもなかなか見ていて楽しい。御堂筋がカタくてつまんなかったのに対し、心斎橋筋は非常に活気があふれている。
ふらふらと吸い込まれるように、人でごった返す心斎橋筋を北へ歩いてみる。
今まで見てきた大阪とは違い、全体的に汚さがない。行きかう人々の年齢層も若い。
中央大通まで行ったところで引き返し、来たルートを戻る。やっぱり歩いているだけでわくわくしてくる。
そのまま道頓堀に架かる戎橋が見えてくる。小さい。もっと大きいものだと思っていたのだが。
と、キリンプラザで若手アーティスト4人の作品展をやっている、というのが目に入る。行ってみる。「Hi-energy field」と題された作品展。まず最初は岡部俊彦。ガラクタが並んでいる。
これは“合う”人には合うだろうし、“合わない”人には合わないだろう。僕には合わない。全然興奮しない。独りよがりだ。
続いて西尾康之。指だけを使って掘った型に素材を入れて造形するというつくり方をしている。
ボンと置かれているのは、そうしてつくった戦艦。細部を見ると、指紋や爪の形がきれいに残っている。
これは本当に面白い。自分の身体のヴァリアントとして生まれた戦艦。人間と機械のおぞましい融合。
機械化する人間とか人間化する機械とか、そういうレベルでの視野が提供される。機械は人間の奇形、ともとれるのだ。
もうひとつ面白かったのが名和晃平。シリコンの下からグリッドに沿って、空気を送り出すという作品。
下からの照明のせいもあって、出てくる泡の粘りとゆっくりさとがまるで生きているようだ。
「無感情」の空間という説明がパンフには載っているが、納得がいく。感情以前の生命の断片みたいで面白い。
あとひとり、高橋匡太の作品は見つからず。夜になってから照明を当てる作品だったのだろうか。
ともかく、2作品のおかげで十分楽しむことができる企画だった。10月には東京でやるそうだ。そしてようやく、難波駅に到着。「ミナミ」はとにかく日差しがきつくて暑かった。
すっかり心斎橋筋で満足してしまっていたので、近くのスタバで一服&読書してから、千日前をうろつく。
高校時代にも来た吉本の演芸場の前を通るが、じっとしているのはイヤなのでスルー。
ミナミは骨の髄までエネルギッシュというイメージ。猥雑さが生み出す底力が店にも客にもあふれている。
やたらめったら歩きまわって正しい大阪の空気をガンガン吸い込む。そのまま勢いあまって御堂筋の西に出る。
そしてアメリカ村方面へ。でもブラック系ファッションが全盛で自分にはまったく縁がない感じ。通り抜ける。帰りも御堂筋。まっすぐ北に進路をとって歩いていく。梅田に戻る頃には真っ暗になっていた。
カプセルホテルでなんとなくテレビを見ていたら、いつのまにかアテネ五輪が開幕していた。
なでしこジャパンの試合を後半だけ見たら、勝った。
今日も快晴だ。環状線に乗って大阪城公園駅で降りる。
大阪城公園はディズニーの世界に染まっていた。小学生あるいはそれ未満の女の子でいっぱいだ。
それも大阪城ホールで「ディズニー・オン・アイス」があるせい。なんだか気まずい思いをしつつ、天守閣へと歩く。玉造口の方から大阪城に入る。市立博物館にまず圧倒される。もうとっくに閉館しているのだが、迫力は衰えていない。
第4師団司令部庁舎として建てられ、戦後は大阪府警本部にもなったという。お城の本丸にあるというのが凄い。
そこからちょっと歩いて天守閣の真正面に立つ。高校時代のクラス旅行ではここで記念撮影をしたのを覚えている。
そのときと全然かわっていない。なんだか、少し安心する。そのまま中に入らずに、街へと下りる。大阪府庁に行ってみる。建物の中に入ると、まるで歴史のある大学の構内という雰囲気。
京都もそうだったが、どうも歴史的な庁舎は歴史的な大学と似てくるものらしい。面白い相似関係だ。
近所の府庁別館は、戦後の庁舎建築の典型。味気のないオフィスと申し訳程度の売店。
情報公開コーナーを探したが、どちらにも存在しなかった。別の公共施設に行かないといけないようだ。谷町筋を南に歩く。相撲の「タニマチ」の語源になった通りだ。でも今は大きな建物が多く、あまり風情はない。
7丁目の交差点で東に曲がる。歩いた先にあるのは真田山町。大阪冬の陣で真田幸村が真田丸を築いた場所だ。
今ではテニスコートがあったり野球場があったりプールがあったりと、ちょっとした運動施設公園になっている。
公園を一周すると、ベンチに腰掛けてぼんやり400年前の出来事に思いを馳せる。玉造筋で鶴橋駅の脇に出ると、千日前通りを西に行って日本橋へと向かう。
途中の上本町で昼メシを食うと、谷町筋を横断。さすがに9丁目周辺は寺が多いので、さっきとは雰囲気が違う。
高速道路を横目に歩き続けると、日本橋に到着。高校時代にも来た場所だ。堺筋を南に行く。日本橋は秋葉原にまったく劣らない活気にあふれていた。とりあえず話題になっていたガンダムの店に入る。
でも当然買いたいものなんてないので、すぐに出る。それからエロが充実しているという信長書店にも入ってみる。
いわゆるでんでんタウンは、秋葉原よりも正しく電気街のような気がする。おたく文化に引っ張られすぎていないのがいい。
ふらりと入った中古CD屋では、今ではすっかりレアになってしまったゲームミュージックCDを売っていた。
しかしどれも高い。定価の1.5倍が当たり前というレベルで値がついている。何も買わずにそのまま南下。まっすぐ行くと恵美須町、いわゆる新世界、そして通天閣がある。実際に通天閣を見てみると、とにかく小さい。
東京タワーや名古屋のテレビ塔を基準に考えていたので驚いた。自販機のミルクセーキを飲みつつ、見上げてみる。
でもきっと、このサイズがいいのだ。あくまで庶民のものというスケール。そう考えればなかなかでっかいじゃないか。フェスティバルゲートというよくわからないいかにも新しい建物を抜けると、そこは新今宮駅。
もう一度、萩之茶屋周辺を眺める。刺すような日差しの中、あいりん労働福祉センターの日陰で男たちは休んでいる。
天王寺動物園の方へと歩いてみる。店で売っているのは軍手や作業着の類。しかもその価格はすごく安い。
どこかで拾ってきたようなビデオや雑貨を売る露店。東京で隠されているものが、大阪ではあらわになっているのだ。天王寺動物園の新世界側のゲートから、陸橋で市立美術館へ。青いビニールシートが青空を映しているかのよう。
ニュースで話題になっていたカラオケの露店は見つからなくて、それが逆に大阪らしからぬ印象になるから不思議だ。
だんだん大阪というのが、汚い要素や俗な要素を人間の本質として、それに素直に従う街なのだと思えてきた。
清濁併せ呑むというよりも、清を不自然だと見抜いている街。これ以上汚してもいっしょいっしょ、という開き直り。
いたるところにあるビニールシートの青さが鮮やかだ。でも、そのシートの周囲にあるものは、本来すごく残酷だ。
東京なら残酷だ、で終わる気がする。でも大阪は隣のシートの青さを「そーゆーもの」と受け止める強さがあるように思う。そうなると市立美術館の外装もウソくさく思えてくる。中ではシルクロードの特別展をやっていたが、僕は常設展だけ見た。
常設展は寄贈された個人のコレクションだけで構成されていた。それも、美術館よりは博物館にあるべきものばかり。
展示室も3部屋でおしまい。ここまでテキトーな常設展は初めて体験した。さすが大阪、と笑えてくるぐらいだ。美術館を出ると、気を取り直して茶臼山へ行ってみる。大阪冬の陣で徳川家康が本陣にしたという場所。
いざ到着してみると、ちょっと小高い丘という感じ。何もない。木がまばらに植わっているだけ。
兵どもが夢の跡だなあなどと思いつつ公園の外に出て、美術館でもらった新世界ガイドマップを広げる。
真田幸村が戦死したのはこの辺り、ということで、うろうろ迷いながらその神社を探してみる。さんざん迷った末、安居神社にたどり着いた。ここの境内で休んでいるときに真田幸村は見つかって、首を斬られたのだ。
真田なので6円を賽銭箱に入れようとするも、1円玉があと1枚足りない。これでは五文銭だ。
仕方がないので、残り1円はまた来たときに、とする。そして真田幸村戦死跡之碑の前で腰を下ろして休んでみる。
夕暮れになりはじめた風がとても心地よい。立ち上がると、四天王寺の方へと向かう。そのまま谷町筋を南下して行って、天王寺駅に出る。一大ターミナル駅なので、大きなデパートでいっぱいだ。
庶民的な新世界の東が茶臼山公園で、その東がいかにも都会な天王寺駅。大阪の街はめまぐるしい。
さらに南下して、阿倍野区に入ってみる。阿倍野ベルタに行ってみたら、中はすっかりシャッターだらけ。
高校時代に関西方面のラジオを聞いていたときには、この辺はけっこう賑やかだという印象があったのだが……。
悲しくなったので引き返して天王寺駅の駅ビルをぐるぐるとまわる。喫茶店で一休みしてのんびり本を読む。帰りは地下鉄御堂筋線に乗ってみる。こう書くと鉄分多めに思われるだろうが、市営地下鉄には興味があるのだ。
梅田駅で降りると、例のごとく定食屋で腹いっぱいメシをかっ喰らう。そしてケータイを充電しておくため、
あらかじめ大阪市ビジターズインフォメーションセンターで紹介してもらったビジネスホテルに泊まる。
きっかけは本当に小さなミスだった。パンツ一丁で不用意に顔を洗っているのがまずかった。
掃除のおばちゃんが寮生全員の顔を把握しているとは思わなかった。そして追いかけっこがスタート。
うまいことまいてふぐさんの部屋に戻ったと思ったら、館内放送。「不審者が侵入しています。寮生は気をつけなさい」
それを聞いて青ざめる。ふぐさん曰く、「最高に運の悪い展開」。慌てて外に出る支度をととのえて、隙をうかがう。
京都があまりに面白かったので、滞在を1日延長したのも失敗だったかなあと内心思う。が、後の祭り。
手早くふぐさんに別れの言葉をかけて建物を出た瞬間、寮長に捕まった。そのまま寮長室に連行。こってりしぼられた……のはふぐさんだった。寮生が友達を泊めるのは日常茶飯事のことのようだ。
正式な手続きを踏まなかったことをネタに、もっと堂々とせんか!と怒られるふぐさん。悪いのは自分も一緒なのだが。
結局、30分程度で解放。できる限りしっかりと謝って寮を出させてもらう。そのままふぐさんとふたりでファミレスへ。
今さっきのことについて、また、昨日寝る前に家族の悩みの話を互いにしたのでそのことについて話す。
やっぱりまたこうやってしっかり話をすることができたから、捕まって正解だった、と正直な気持ちを口にする。お礼を言って寮の前で別れると、路面電車で四条大宮へ。そこから阪急で大阪へ移動する。
さすがにいろいろありすぎたせいで、電車内の景色を全然見ることないまま、起きたときには梅田駅のホームだった。改札を抜けると、コインロッカーに荷物をすべて預ける。手ぶらの状態になって、大阪環状線に乗った。
鶴橋駅で降りて、桃谷駅までなんとなく歩き、生野区を横切ってみる。こぢんまりとしたアーケードとふつうの住宅街。
どの辺りがコリアンなタウンなのかよくわからないので、あてずっぽうに動く。区の北西部はとりたててそんな雰囲気ではない。
確かに韓国系の匂いはするけどそれほどじゃないなあ、と勘違いしたまま今里駅から地下鉄千日前線に乗る。
(後で調べてみたら、コリアンタウンをうまくすり抜けるように歩いていたことがわかって、非常に悔しい思いをした。)日本橋駅で堺筋線に乗り換え、天下茶屋駅で降りる。住宅地をぶらりと歩き、線路を越えると花園を南下して、
その西側、碁盤のようにきれいな四角に仕切られた西成の街を歩く。黒ずんだ木造住宅の間にある狭い路地を抜ける。
「沖縄県人会」というような看板を見かける。土地の歴史をちょっと思い浮かべて、思索にふけりながら歩いてみる。
鶴見橋の商店街に出た。物価が異様に安く感じる。閉められたシャッターには「店の前で寝るな」という紙が貼ってある。
空はだんだん暗くなってきている。ここでも他のところと同じように、昨日と同じ一日がまたゆっくりと終わろうとしているのだ。
萩之茶屋の方に行ってみる。薄暗いせいか、広い道路のアスファルトや建物のコンクリートがひどく冷たく感じられる。
奥に踏み込んでみようとも思ったが、そうするにはあまりに空が暗すぎた。新今宮駅からJRに乗る。梅田に戻ると、メシを食ってカプセルホテルに入る。シャワーを浴びて、早々に寝床に入る。
ブックファーストで買っておいた、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読む。
ふぐさんは街の中だとは思えない雰囲気があるから、と金閣寺をオススメしてくれた。
僕は中学の修学旅行で深く印象に残っていた嵯峨野に行ってみたかった。
で、ぜんぶ歩いてみることにした。京福電鉄(いわゆる嵐電、例の路面電車だ)で北野白梅町へ。ここからまっすぐ北に行って金閣寺へ。
鏡湖池を挟んで金閣が見える。人を狂わせるほどに美しいはずの建物だが、僕としては「わかりやすいなあ」の一言。
やっぱり外国人観光客が群がっている。ここも、わかりやすくジャパン(ジパング)な場所だ。
しかし順路に沿って庭園をちょっと進めば、ふぐさんの言ってた通りに落ち着いた雰囲気が漂っている。
確かに銀閣や清水寺よりも手軽にわびさびを感じることができる。ゆっくり歩いて堪能する。木辻通りを歩いて、立命館大学に行く。何かが間違っていたらこっちのクイ研のお世話になってたかもしれない場所だ。
もともと大学に忍び込むのは大好きなので、どんな場所なのかわくわくしながら門をくぐる。
が、ひと気があまりにない。行っても行っても強い日差しに刻まれた陰影のコントラストがあるだけ。
生協に行ってみるが、当然、やっていない。自販機で何か飲もうかと思ったら、電源が入っていない。うなだれる。
後で知ったのだが、この日は全館停電日だった。だからサークル棟で力なくだべっている数人しか人がいなかったのだ。
学食で学生のふりしてメシを食べるのが密かな楽しみだったので、がっくりしながらキャンパスをあとにする。そのまま府道29号を西へ行った先にあるのが龍安寺。石庭はぜひもう一度来たかった場所のひとつだ。
実際に目にする石庭は意外と小さい。軒下から10mくらい先の塀と向き合うと、その下にあっさり、地味に広がっている。
縁側にどっかり腰を下ろして、ぼーっと石庭を眺めてみる。相変わらず日差しは苛烈だが、軒に守られた日陰は心地よい。
風が通り抜ける。木々の葉がささやき合う。空はこの世の青という色を独り占めしているかのように堂々とふるまっている。
他の観光客はパンフレットを見ながらおしゃべりをしている。石庭の意義やら、次の目的地やら、家族の話やら。
そしてはっと気がつく。こうして見知らぬみんなと縁側に座って石庭(と塀)を眺めている今の状態は、
これからまもなくはじまる演劇を胸を高鳴らせて待っているのとまったく同じだということに。
石庭に隠された哲学的意義は、実は大切なものの中のひとつにすぎないのだ。ただの名目と同じことなのだ。
こうして国籍とか人種とか年齢とか関係なく、みんな同じ空間で同じ空気を吸って同じ時間を過ごすことに価値がある。
完璧に典型的で完成された日本の夏を、黒光りする木でできた縁側で感じることが、楽しいのだ。
あんまり長い間同じ場所を占領しているのも悪いので、横にある苔に包まれた中庭に面した縁側へと移る。
そしてまた、日本の夏と観光客のおしゃべりと今の自分の存在を重ね合わせて、風に流す。そこからさらに西にあるのが仁和寺。その先にある国道との交差点を越えると、風景はゆっくりと田舎の雰囲気となる。
道には少し起伏がある。白線で仕切られた歩道は狭い。ときどき横を通るバスになんとなく体をよじりつつ、西へと歩く。
病院を越えると、山梨かどこかの高原に来たようなデジャヴ。それでものんびり、歩いていく。
キリがないんじゃないか、と思いつつ、でも足を止めることはない。一歩一歩、確実に進んでいく。
やがて右手に広沢池が見えてきた。けっこう大きい池だ。歩き続けるとその先、山裾には畑が広がっている。
どこかで見たような、「田舎の風景」。幼稚園のころに暮らしていた場所をぼんやりと思い出しながら歩く。嵯峨野駅に着いてからようやく昼メシ。家族連れでごった返す中、席について、冷凍ピラフを食べる。
一息つくと、歩きすぎたせいか、休んだことに足がとまどっている感覚がある。気持ちの良い疲れだ。
食べ終わると時間がもったいないので、地図の載ったパンフレットを手に取り、すぐに嵯峨野へと歩きだす。まずは北、化野念仏寺の方から歩いてみる。厳しかった日差しはもう緩やかなオレンジが混じりはじめていた。
石畳の上で1匹のハンミョウが弱っていた。ひっくり返って、元に戻ろうともがいているが、その力がもうない。
パンフの先でつついて起こしてやる。それから念仏寺の入り口まで行って、中に入らず来た道を戻る。
ハンミョウはまたひっくり返ってもがいていた。できるだけ優しい視線を送って、今度は何もせずにほうっておく。祇王寺に行こうとしたのだが、本当にタッチの差で拝観時間に間に合わず。
隣の滝口寺の入り口に腰を下ろして、竹林に切り取られた空をしばし眺める。
「嵯峨野だ。」と思う。中学のときに一発で気に入ったあの空気を、もう一度吸っていることを実感する。
ここまで、考えていたよりもずっと時間がかかってしまったことを噛み締める。後悔ではなく、ただ噛み締めるだけ。立ち上がると、道に迷うことを楽しむように漠然と南の方角へと歩いていく。
落柿舎の脇を歩いて、再び竹林の中へ。JRとトロッコの線路の上を通ると、そこは嵐山の区域に入るらしい。
壁のように両側にそびえる竹林を抜けると、府道29号に戻る。嵐山のメインストリートを行く。
が、こちらは嵯峨野とはうってかわって修学旅行の中学生・高校生でいっぱい。
土産物屋も清里みたいな雰囲気で、一気に興ざめしてしまう。この落差はなんなんだろう。
首を傾げつつ、渡月橋を半分だけ渡って戻ってくる。そのまま桂川沿いに下っていく。「なぜ関西に来るのか」とMessengerで訊かれて、僕は「歩くためだ。」と答えた。
そして今、僕は何の目的もなく、ただ歩いている。川沿いに歩くという点では多摩川も桂川も変わらない。
でも、こうして歩くことで、自分の内側の何かと、自分の外側の何かを確かめている気がする。
歩きすぎると、足がむくむ代わりに手がむくんでくる。手のひらを広げてみると、パンパンに赤く膨らんでいる。
これは面白い現象だなあ、と思う間も足は動き続けている。松尾橋に着いたので、左折して東へまっすぐ進む。このまま行けば、四条に着くはずだ。
途中でトイレに寄るため、スーパーに入る。そして自分の歩くペースが異常に速かったことに気がついた。
陳列棚が去っていくスピードが、いつも買い物で店内を歩くときの3倍くらい速い。それだけの速歩きだったのだ。
人間は無意識のうちに、歩く速さを適切にコントロールできるのだという事実を知って、ひとり面白がる。バカみたいに広く感じた三菱自動車の工場の脇を通り、四条の西院へとたどり着く。定食屋に入って晩メシ。
時間つぶしに一駅歩いて路面電車の大宮駅へ。太秦の寮へと戻り、ふぐさんに買っておいた寿司をあげる。
ふぐさんは金閣寺から嵯峨野を経由して四条大宮まで歩いたという話を聞いて、本気で呆れていた。無理もない。
10時に寮を出た。昨日と同じく嵯峨野線に乗り込むと、二条駅で降りる。
歩いている最中、猛烈に腹が減る。でもがまんして、トボトボと東へ。
やはり、中学の修学旅行で来たことのある二条城に入る。
あのときには周囲がもう少し都会っぽいイメージがあったのだが、実際はわりと落ち着いていた。板張りの廊下は小さなバネが仕込んであるかのように、微妙に上下に揺れる。かの有名なうぐいす張りだ。
面白いもので、うぐいす張りのキュッキュッという音は、つねに遠くから聞こえてくる。
他の観光客の足音は聞こえてくるのに、自分の足音だけが聞こえてこないという錯覚。
つまり、自分の足音は自分の足元では聞こえず、遠くにいる人には聞こえているということだ。
こういう構造を実現できるメカニックに素直に感心。400年経っても健在なのがまたすごい。庭園を一周すると二条城を出る。ちょっと北上すると、今度はまっすぐ丸太町通を東へ向かう。
中途半端な商店街をしばらく歩くと、街路樹が植えられたこぎれいな道にでくわした。その先にあるのは京都府庁。
かつて蜷川府政時代には「くらしに憲法を」という垂れ幕が掲げられたという建物は今も健在。
その左手にはいかにも近代建築といったたたずまいの府議会。そのコントラストがなんとなく大学っぽい。
しかしながら土曜閉庁で中には入れず。そんな初歩的なことを忘れていた自分に唖然とする。さらに東へ行った先には京都御所。緑の雰囲気がなんとなく神社っぽい。
二条城に入るときには怪しかった雲行きも、もうすっかり焼け付くような日差しへと変わっている。
さえぎるものが何もない中、バカみたいに広い砂利道を歩いていく。
御所の建物を真正面から眺めるも、当然中に入れるわけもないので、そのまま引き返す。
途中、ふと、この広い砂利道を1000年前に踏みしめた牛車を想像してみる。
照りつける太陽をよける簾、あるいはその簾を巻き上げて、夜空に浮かぶ満月を眺める。
そんな場面を想像すると、京都の街のあちこちに、まだ魔物が息を潜めているような気がした。
もし京都の人の過半数が魔物の存在を信じるなら、彼らは喜んで飛び出してきて、その姿を現す──。
京都御所を見ていると、平安時代が現在にじっとりとつながっているのがわかるように思えた。南下して京都市役所へ。柵で囲われていた府庁とちがい、こちらはあけっぴろげ。
正面玄関前の広場では仮設ステージが組まれ、民俗音楽のイベントをやっていた。
全然客がいなかったんだけど、腰を下ろしてぼーっと眺めてみる。
府庁と市役所を比べてみて、公共建築の開放性っていうのはこういうところからスタートするんだよなあ、と再確認。御池通をはさんだ市役所の向かい側には本能寺。信長が死んだ本能寺とは別の位置なのだが、寄ってみる。
本能寺は本当は「能」の字がちょっと特殊で、ポスター等の活字もわざわざ特殊なものをつくっていた。
どうしてふつうの「能」じゃないのか知りたかったが、教えてくれそうな人がいなかったので訊かないで出た。さらに三条には池田屋跡のパチンコ屋が、まったく目立たないたたずまいで建っていた。
歴史が残ったり残らなかったりするままで現在とぐちゃぐちゃに混じっていて、京都という街は本当に面白い。
昔の人の息づかいが残っているかと思えば、今の息づかいの荒さにかき消されていることもある。
そういうすべてをひっくるめて人間が暮らしている(いた)わけで、根拠のあるたくましさをなんとなく感じた。そのまま三条を歩いて平安神宮へと向かう。いわゆる岡崎。
まず国立近代美術館。「横山大観展」をやっており、かなりの人出。平均年齢が圧倒的に高い。
横山大観といえば、飯田市出身としては「菱田春草のマブダチ」という位置づけになる。
見ていくと、ユーモラスな作品が多い。日本画とはこんなに自由なものなのか。それとも、大観だから許されるのか。
美術館で海外の画家の作品を見る場合、画家とこっちで真剣勝負をしてしまうことがけっこう多い。
命を削って作品を描き上げたアーティストと、その作品にエネルギーを吸い取られる観客との勝負。
でも大観の日本画は、それとはまったく無縁のリラックスした雰囲気がある。こっちも肩の力が抜ける。
豆腐のようなつるっとしたのどごし、とでも形容できるかもしれない。そんな作品群。
その上の階には常設展。ところがこちらは、どれも迫力不足。東京都現代美術館のそれに遠く及ばない。
昨日の京都国立博物館といい、どうも関西はアートに恵まれていないようだ。美術館を出ると、平安神宮へ。くどいくらいの朱色が目に飛び込んでくる。
平安神宮の中は完全に人種のるつぼという印象がした。とにかくやたらと外国人観光客が多い。
日本人かな、と思っても、聞こえてくるのは中国語(広東語かも)だったり韓国語だったり。
(そういえば、12年前の修学旅行と圧倒的に異なっていたのはアジア系の観光客の多さ。すげーいっぱいいる。)
間違いなく、平安神宮は京都でいちばん外人受けする場所なのであった。わかりやすくジャパンだからなのかな。岡崎を出ると、東大路通を北上して吉田へ。京都大学に行く。
途中で吉田寮が目に入る。大正時代の建物は、周囲の自然と一体化していたように見えた。怖くて近寄れなかった。
グラウンドを右に曲がって正門へ。すれちがう人がみんな頭よさそうに見える。吉田寮とは別次元のきれいな正門。
京都大学のキャンパスはなんとなく道幅が狭い感じ。百周年時計台記念館周辺はきわめて小ぎれい。
その向かいにあるカフェに入る。ここでようやく昼メシにありついた。スパゲティとカフェラテを注文し、
地図を広げつつ周囲を観察。女子学生ばっかり。これは完全にオシャレ軍の領土だ!
店の人は白いコック服に緑のなんかを首に巻いていて(←こんな表現しかできないのがすでにブサイク軍)、
ここはホントに大学の中なのか、と疑ってしまう。吉田寮とこんなオシャレカフェが同時に存在するとは!
もっとも、そのどちらもがタダモノではない雰囲気をかもし出しているわけで、この大学の面白さを示している。
生まれ変わったらぜひ京都大学に入ってみたい、と思った。昼飯を食い終わって、京都大学を出る。哲学の道を通って銀閣寺へ向かう。
哲学の道ではなんとなく、玉川上水を思い出す。哲学の道の方がずっと小さくてこぎれいなのだが。
そして銀閣。相変わらず見事な向月台。隣で静かにたたずむ銀閣を見ていると、「和」というイメージの体現に思える。
何より、庭園が美しい。特に、数えきれない種類の緑の組み合わせが絶妙だ。
苔の美学と言うべきか、ふだんなら気にしない苔を緑のひとつとして大切に扱っているのが印象的だった。今出川通を戻って、今出川駅から京都市営地下鉄に乗る。
歩いてもいいのだが、名古屋で暮らしたときに地下鉄の世話になったこともあり、市営地下鉄には興味があるのだ。
四条で降りたのだが、京都の地下鉄は使えないとわかった。碁盤状の街はそもそも地下鉄に向かないのだ。
路線も2つしかないのが致命的だ(後でふぐさんが、京都の地盤は地下鉄に向かないのだと教えてくれた)。四条に着いたら河原町へ。ふぐさん、ワカメと晩飯を食べる約束をしていたのだ。
本屋でふぐさんと合流して、高島屋の店先でワカメを待っていたら、突然、ものすごい夕立に遭った。
バケツどころか50mプールをひっくり返したような雨。そして眩しいほどの雷。車道が雨水に沈んだ。
昼間の暑さ、そして盆地と、条件がそろっていたとはいえ、生まれてこのかたトップレベルの夕立。
口をあんぐり開けて呆れているうちにワカメが来たので、近くのモスバーガーで3人、ハンバーガーを食べる。夕立がおさまってから、バスに乗って太秦方面へ。
ワカメと一緒にふぐさんの部屋におじゃまし、サッカー・アジアカップ決勝の中国戦を見る。
ブーイングもすごいのだが、アウェーのジャッジがあまりにひどい。3人で騒ぎながら日本代表を応援する。
玉田が3点目を入れると大歓声(柏は死ぬほど嫌いだけど)。溜飲が下がった。その後はダラダラとテレビを見て、ダラダラと話をして、深夜にコンビニに出かけ、ダラダラと過ごした。
親しい間柄だから、ダラダラできる。ダラダラ幸せ。ダラダラ最高。
早朝の梅田駅でワカメと別れ、ふぐさんと一緒に阪急電車で京都へ向かう。
ふぐさんは京都で学生をやっていて、彼の寮におじゃまさせていただくことにしたのだ。
京都に向かう電車の中ではひたすら、昨年末にあったちょっとしたトラブル(→2003.12.23)についての話。
弁解というよりも見解を述べる。何をどうすることがフェアなのか、考えながらしゃべる。
そのまま電車を乗り換え、太秦へ。近辺にある寮に入れてもらう。で、着いたら即、寝る。◇
昼の14時にむっくり起きて、京都観光を開始する。とりあえず、JRで京都駅に出てみることにする。
着いてみると、京都駅は思いっきり空洞。屋根はあるけど壁が南北にしかない。東西が筒抜けなのだ。
こりゃまた大胆なことをしたもんだ、と思う。台風のときなんか困るんじゃないか、と考えるのはよけいな心配なのか。
刺すような日差しの中、駅ビルを歩きまわってみる。大階段をのぼって東側、そこから通路で西側へ移動する。
そして西側の屋外に出た瞬間、既視感をおぼえる。僕の地元・飯田市の美術博物館にそっくりなのだ。
来場者を日照りにさらすオープンスペース、コンクリートに包まれたひと気のない空白。原広司のダサさ全開だ。
この建物を評価する人とは友達になれないな、と思いつつ、駅を出る。七条通を東へ歩く。七条通の東端には三十三間堂がある。中学の修学旅行以来の京都らしい場所。中に入る。
1001体の観音像が静かに並んでいる。でも、その前に一列で陳列されている国宝の仏像がジャマだ。
「ジャマ」と言うと大いに語弊があるが、観音像の前で存在感をバリバリに漂わせているので、気になってしょうがない。
別の場所にまとめて置けばいいのに、と思う。今の展示方法では、どうしても観音像の方に集中できなくなってしまう。
三十三間堂で表現されているのは「無限/永遠」だと思う。それも、時間を静止させることで発生する無限/永遠だ。
時間を止めてしまうことで、万物は仮死状態と引きかえに無限/永遠を獲得するという逆説、そんなイメージ。
1001体の観音像の中には必ず自分に似ているものがあるというが、それは静止した仮死状態の自分なのだ。
世界中の人間を1001体の人形に封じ込めて真空パックにした瞬間。
三十三間堂の中には無限/永遠の世界が表現されている。三十三間堂を出ると、真向かいの京都国立博物館に入る。閉館時間が迫っていたので、慌てて順路を回る。
薄暗い中、土から掘り起こされた歴史の産物が、ガラスの中で息を潜めている。
二度と使われることのない道具たちが、ただ静かにライトを浴びている。
やがて仏像が姿を現す。やはり、辺りは薄暗い。強烈な「死」のイメージ。彼岸、あの世の再現のつもりかと思えるほどに。
きれいに保存処理された死体を見ているような気分になる。そのとき、あと30分で閉館時間だと館内アナウンスが流れた。
現実に時間が流れていることを確認すると、少し周りが明るくなった気がした。急ぎ足で、上の階へとあがる。
2階では絵巻物が展示されていた。日本人は1000年以上昔からマンガを描いてきたのだ、と再認識することができた。
京都国立博物館の常設展示物は、どれも迫力に欠けていた。生気のない、死体のような展示物ばかりだった。
建物を出ると空はすっかり夕方の光に変わっていて、それがやはり最後まで僕に彼岸のイメージを保たせた。せっかく東の方に来たんだからと、五条まで歩いて、それから坂をのぼっていく。
ひたすら坂をのぼっていった先にあるのは清水寺。中学のときは高所恐怖症に苦しんだ場所だ。
清水の舞台は一部を改修中だったが、それでもゆるい下りになっているのは健在。12年前もこれが怖かった。
盆地を吹き抜ける風が舞台をかすめ、僕の汗をふき取ってから、背後にたたずむ山の緑を揺らして去っていく。
これだけ気持ちよく風を受け止めたのはいつ以来か思い出せない。目を閉じても心地よいし、景色を眺めても心地よい。
外国人観光客だけじゃなく、日本人も必死にカメラのシャッターを切っている。
カメラのシャッターをいくら切ってもこの風はつかまえられないよ、なんて思いながら順路を歩いて、門を出た。いま来た坂道を今度は下って、東大路通に戻る。路線バスが歩道のすぐ近くを走っていく。
京都は平安時代の日本人の身体スケールでできた街なので、どうしても道が狭い。
ふだん僕は東京を自転車で走りまわっているが、この街で自転車に乗るのには、かなりの勇気や覚悟がいりそうだ。
やがて祇園の交差点で八坂神社に出た。有名なわりにはシンプルな印象の場所だ。もっとダイナミックな場所かと思った。
八坂なのでお賽銭に8円出した。「人生なんとかなりますよーに」とテキトーなお祈りをして四条通に戻る。とりあえずスタバで一服。昨日の続きで文庫本と地図帳を読む。
そうしているうちに晩飯タイムになったので、とりあえず祇園周辺を歩いてみることにする。
花見小路通のこぎれいな街並みは、松本になんとなく似ていた。もちろんこっちの方が歴史があるに決まっているけど、
伝統ある街並みを再現・維持しようとすると、どうしても似たものになってしまうのかもしれない。鴨川に出た。右岸に渡って先斗町を歩いてみる。飲み屋ばっかりでつまらない。
歩き疲れたのでテキトーにビアレストランに入ってピラフ的なものと黒ビールを飲んで空腹を満たす。
食べ終わったら無性に冷奴が食べたくなったので追加注文する。これも京都の持つ「和」の力のせいなのか。ほろ酔い気分で四条通を西へ行く。四条通は京都で一番の繁華街。途中でアーケードの商店街に寄り道をする。
しかし、烏丸を境に四条の街並みは雰囲気を変える。急に人の暮らしの匂いが漂いはじめたのだ。
さらに西へ行くと大宮駅。ここから、路面電車で太秦へ戻る。京都の初日がようやく終わった。寮に戻るとふぐさんにお土産。京都の人に清水寺で売っていた生八ツ橋をプレゼントするという暴挙に出る。
昼過ぎに家を出る。まず秋葉原に寄り、いわゆるネックバンドのイヤフォンを購入。それから東京駅に行く。
「新大阪行きの一番やっすいの1枚」
新幹線のチケットを購入する。自由席ならどれに乗ってもいいらしいので、14時30分ごろ発の岡山行きに乗る。それにしても新幹線の格付けというものがわからない。「ひかり」「のぞみ」「こだま」の3種類があるのはわかるのだが、
どれがどう違うのかサッパリわからない。素人目には「こだま」は音速で「ひかり」が光速だから「ひかり」の方が速そうだ。
でもそうすると「のぞみ」の扱いが困る。もはや速度とは関係のない名前ではないか。
それなのに一番扱いがいいのは「のぞみ」らしいとどこかで聞いた記憶がある。わけがわからない。新幹線はそんな疑問を無視して西へ走る。新横浜でいったん止まってからは名古屋までノンストップ。
途中、静岡で雲が立体的に動いているのを見た。
高い雲を背景に、低い雲が平面的でなく3次元的に視線の先へと去っていく。
「ほお」と思っていたら、名古屋に着く、とアナウンス。名古屋駅では生活創庫がビックカメラになっていた。
思えば自分が名古屋で暮らしていたのは、もう8年も前のことになる。時間の経過に少しブルーになる。
岐阜羽島ではなぜか駅のすぐ横に「マサル店」と書かれたビルを発見。どういう経緯で書いたのかすごく知りたい。
そして関ヶ原を通過。山に囲まれた地形は緑一色。400年前にはここで天下分け目の合戦が行われたわけだが、
きちんと国土の真ん中で2つの軍に分かれて決着をつけた日本人ってのは、なんだか律儀な民族だなあと思った。米原・京都を経て新大阪に着いた。JR神戸線に乗って大阪駅に出る。
大阪駅に着いてまず最初にやったのは、大阪環状線に乗って一周すること。とりあえず外回りの列車に乗り込む。
東京の山手線は約60分で一周するが、こちらは一周約45分。
山手線は東西で乗降者数に大きな差があるが、こちらはだいたい均等だった。
先頭車両の一番前で各駅のプラットホームと駅前の様子を観察しながら過ごす。ターミナル駅の感触を肌で覚える。再び大阪駅に戻ると、阪急梅田駅の東側に繁華街が広がっているようなので、頭の中でマップをつくるべく歩きまわる。
ズンズン突き進んでいった先は風俗街。神社の真向かいに風俗。これが大阪なのか!なんて思う。
晩飯を食って一息つくと、読書タイム。東京から持ってきたP.K.ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の文庫本と、
すぐそこのブックファーストで買っておいたソフォクレス『オイディプス王』の文庫本を並行して読んで時間をつぶす。
それともう1冊、『京阪神駅前便利ガイド』という、京都・大阪・神戸をすべてカヴァーしている地図帳も見て過ごす。
本を読むのに飽きたらもう一度街に出て、とにかく歩く。夜の街を、人ごみの中を、ただ歩くことだけを目的に、歩く。22時を過ぎて友人のワカメと待ち合わせ。カラオケ屋に入って雑談。
そのうちにもうひとりの友人・ふぐさんが合流。だらだらダベっているうちに最初の夜は朝になっていった。
旅は、最初からハイテンションかつローテンションなのであった。
昨日の演劇が開演するのを待つ間、ふと考えた。
「塾も休みになるし、せっかくの空いている時間、今までと同じ生活スタイルでいいのかなあ……?」
いいや、よくない。と心の中で反語表現を付け加え、どうしようかアイデアを練ってみる。
そして、どうせなら知っているつもりだけど本当は知らない街を歩いてみよう!と思い立った。
京都、大阪、神戸。関西の3つの街を、できる限り歩いてみようと決めた。それで冷蔵庫の中の物や部屋のゴミなどを片付けて、旅の準備を始めた。
あと、WindowsのXPを入れた。このタイミングで入れたのに特に意味はないけど、思い立った勢いで。夜にはMessengerを使って、世話になるであろう関西在住の友人たちと連絡を取る。
メッセで話していても、いきなり明日から旅に出るということに今ひとつ実感が湧かない。
でも後先考えず飛び出すような勢いが今の自分には欲しい、という気持ちが強くある。
ダブルバインドのような、なんともいえない緊張感がうっすらと身体を包んでいる。それでも寝不足はよろしくないので、さっさと寝る。
the original tempo vol.2 『インディアンポーカー』。
端的に言うと、ダメな男4人の話。大名行列(お祭り)を待っている、暇でダメーな30代の浪人4人+町娘の話。つくり方がとても面白い。インプロビゼーションのような感覚で展開をゆるやかに設定しているのがわかる。
箸で茶碗をたたいているうちにリズムが生まれてきて、傘や刀を手に踊りだしてみたり、
賽銭箱に頭を突っ込んで抜けなくなって、筆で顔を勝手に書いてみたり。
畳の上にふたり寝転がって、スカイラブハリケーン的に互いの足の裏を合わせて
「なん、でや、ねーん!」と勢いをつけて背中ですべってみたり。
話に脈絡はまったくない。ただ、ダメな4人のだらしなーい姿が微笑ましく描かれていく。演劇というのはとても自由なメディアで、観客と一体となって共感が得られれば“勝ち”である。
この作品は、かわりばえのしない冴えない毎日を暮らしている人間たちを肩肘張ることなく描いている。
「ああーこいつらダメだー」と笑うことで、自分たちの日常にあるダメさも微笑ましく肯定できる。
大きなストーリーとは正反対の、とてもコンパクトなカタルシスが実現されている、貴重な作品だった。
こんな演劇が増えると、毎日がもっと気楽で楽しくなると思うんだけど。
ビデオというメディアについて、ぼんやりと考えてみる。
ビデオは当然のことながら、時間に関係するメディアである。時間を凍らせて、解凍するメディアだ。
僕はビデオが苦手だ。本来なら別のことをしていた時間を、わざわざ解凍させて費やすことになるから。
ビデオを見ている現在が、2次的な現在に思えてならない。2級品の現在と言ってもいい。
つねに現在を生きているはずなのに、ビデオを見ている間だけは過去にとらわれてしまう。それがイヤだ。塾で仕事をするようになって、ビデオで録画ということをまったくしなくなった。
家に帰ってから番組を見るという余裕がなくなったのだ。これは上述のような心理的余裕という意味で、だ。
昔はあれだけ必死でタイマー録画をしたものだが、今はもうそんな欲はなくなってしまった。
(ちなみに、我が家がビデオを導入したのはネット局の関係で深夜に放送されるウルトラクイズを録画するため。)考えられる原因はいくつかある。テレビ番組がつまらなくなった。歳をとって欲がなくなった。物理的にじっくり見る暇がない。
あるいは、塾での1次的な現在が、ビデオの2次的現在に圧勝しているから。……これはかなり幸せな答えだ。──そんなこと考えているうちに、だいたい部屋の片付け完了のメドがつく。
宮部みゆき『火車』。
世間一般ではカード破産をテーマにした小説という扱いを受けているようだが、それは一部分でしかない。
その一部分だけを全体のように紹介している人たちは、本当にセンスがないなあと思う。
これは単純に、借金がもたらす悲劇と、そこから脱出するための完全犯罪に対する挑戦にすぎない。僕には「ミステリ」というものを好んで読む心理がわからない。
(「ミステリ」という定義さえ知らなかった。読んでいる途中で「ああ、探偵小説のことか」と理解したくらい。)
確かに都市社会を描くのには最適の方法とは思う。でも、用意されている謎解きにはリアリティを感じられないのだ。
トリックに重点を置いて人間を描ききれないのがミステリの欠点と言われているらしいが、自分もそれには同意だ。
その点、『火車』は「他人になりすます」トリックを非常に丁寧に用意していて、それが人間を描くことにつながっている。
謎解きのプロセスはけっこう強引なのだが、社会背景をしっかり押さえているから許せるのだ。読み終えて真っ先に思ったのは、最終的にはトリックの緻密さなんかよりも社会を描くリアリティが勝負を分けるということ。
それはカードの怖さであり、他人になりすます犯罪者の怖さであり、借金の怖さであり。
身近に潜んでいるいろんな怖さを丁寧に組み合わせていったから、この作品は面白かったのだ。
頭の中だけで解決するのではなく、足を使って解決しなくてはいけないというのは、小説においても一般解のようだ。