diary 2003.3.

diary 2003.4.


2003.3.31 (Mon.)

『タイタニック』。ディカプリオって、やっぱ顔、変だと思う。ケイト=ウィンスレットも華がないし。
むしろ脇役のクルーの描き方がカッコイイ。沈むタイタニックの甲板で演奏するオヤジたちが最高。
どーでもいいけど、ウィンスレットの婚約者役・ビリー=ゼーンを見てて、なぜか別所哲也を思い出した。


2003.3.30 (Sun.)

今日までTSUTAYAのレンタルが半額ということで、ビデオを借りてきた。6本。
書くべき内容のあった作品について、ちょこちょこ書いていきます。

『スピード2』。
どこがスピードやねん、というツッコミは無粋な気がする。というか、スピードを止めるための話。
ラスト近くで結局それが失敗してしまうのだが、その映像がもうバカバカしくってすげえ。
話としても、まあよくできていると思う。これは純粋に、ドキドキハラハラしながら見ればいい。
そういう大雑把さは、気が楽でいい。


2003.3.29 (Sat.)

ネタがないのでどーでもいい話を少し。

RPGができない。ドラクエもFFもできない。なぜか昔っからそうなのだ。RPGの世界観にどうしてもなじめない。

考えた結果思いついたのが、ストーリー展開の問題。
(日本の)RPGはやるべきことが決まっていて、いちいちフラグを立てて進んでいくのが一般的だ。
それがいけないみたい。どうも制作者の手のひらの上ってのが気に障るみたいなのだ。
小説や映画と違ってゲームは自分が参加を要請されるメディアなんだけど、
参加を要請するわりには自由が奪われているという事実を無意識のうちに受け止めているのだと思う。
世界観をかっちり決めていて、やるべきことの順序も決まっているのなら、それを見せるだけで足りる。
参加を要請するからには、参加者が決める余地がなくちゃいけない。それがカジノだけでは悲しすぎる。

そのせいか、「ゲームをつくりたい」という欲望は年々落ちてきている。
潤平とも話したのだが、従来のゲーム、特にRPGはまったくつくる気がしないのだ。
では、自分がつくってみたい究極のゲームはなんだろう?
そう考えたとき、頭に浮かんだのは『同級生2』だった。このゲームが僕に与えた影響ははかりしれない。


2003.3.28 (Fri.)

伊集院ラジオのバックナンバーの編集作業に追われている。
個人的には「ツヨイロボ」とかでめちゃくちゃやってた頃の方が好きなので、楽しみながら編集中。
5年以上も前になるのに、伊集院のトークはいま聞いても新鮮だ。


2003.3.27 (Thu.)

マサルに頼まれた仕事をバリバリやる。

大森をブラついてからt.A.T.u.のアルバムを買っちゃった。
伊集院のラジオで流れてて、それをひたすら聴いていたのだ。おそるべし、トレヴァー=ホーン。
坂本龍一『OPERA』もそうで、ラジオで聴いて気に入ると、その日のうちにCDを買ってしまうことが多い気がする。
で、後になって潤平も同じt.A.T.u.のアルバムを買ったらしい。しまった、連絡不足。


2003.3.26 (Wed.)

塾講師と卒業式・研究室の謝恩会がバッティング。詫びを入れ、塾講師を優先させてもらう。
卒業しないから関係ないや、というわけではないのだが、前日まで忘れていた自分は本当にアホだと思った。

で、風邪が流行っているせいもあってか、声がつぶれた。
前にも飯田で個別指導をやってたときに声をつぶしたことがあるので(→2002.1.5)、またかって感じ。
自分の周囲1mぐらいしか声が伝わらないくらいひどい。そんな状態で謝恩会に合流したのであった。


2003.3.25 (Tue.)

大塚へ行く。マサルに頼まれた仕事を受けるためだ。
『ザ・ベスト』系の雑誌があって、そのアンケートハガキを集計するバイトである。
各項目別にデータをまとめてメールで送る、木曜まで、ということで了承。
仕事の話は5分で済ませ、残りの時間はモーニング娘。の話(「モ話」と呼んでいる)。いつものことだ。


2003.3.24 (Mon.)

広島在住の伯父さんに図書券をたっぷりもらってホクホク。今いちばんありがたいプレゼントかもしれない。

潤平とともに東京に戻る。


2003.3.23 (Sun.)

ピザ。ああ……。


2003.3.22 (Sat.)

実家に帰ったはいいが、なぜか冬眠するかのように寝まくる。特に疲れているわけでもないのだが。


2003.3.21 (Fri.)

ルフェーヴル読書会。扱ったのは最終章なのだが、「え? こんな終わりでいいの?」というラスト。
まあ全体が最初っから最後まで同じ内容というか、概念のひたすら繰り返しなので、
書いた本人は気取ったラストを用意する気なんてさらさらなかったのだろう。

時間が迫っていたので中座して、バスで帰省。お金と将来の話をするために。おお、怖い……。


2003.3.20 (Thu.)

新中1に「算数」ではなく「数学」の匂いを教える授業も、今日でおしまい。少しはお役に立てたのかな。


2003.3.19 (Wed.)

本日は英語の授業があったのだが、なぜか遅刻しそうになってしまう。なんとか、ギリギリセーフだったのだが。
通学路というか、通勤コースは決まっているのに、いまだに到着できるまでの時間が読めない。
なぜだ。


2003.3.18 (Tue.)

姚明とヴァーン=トロイアーが出演しているアップル・PowerBook G4のCM。

姚明は中国出身のNBAヒューストン・ロケッツのルーキー。オールスターに先発出場して話題になった。
その活躍を取り上げたニュースの中で見たのが、アメリカで流れているというPowerBookのCMだ。
17インチのノートパソコンはでけえぜ、12インチはちいせえぜ、という内容のCMなのだが、
飛行機の中で、ちいさい方を身長226cmの姚明が座ったまま頭上の棚から取り出して使いはじめると、
その隣ででかい方をオースティン・パワーズのミニ・ミー役で身長81cmのヴァーン=トロイアーが使い出す、アレだ。
それを見たとき、「さすがはアメリカだなー」とひどく感心したのを覚えている。

で、それからしばらくして、そのCMは日本でも平然とオンエアされているのである。
苦情の電話とかなかったのかな、というよけいな心配をする自分は、それだけやっぱり遅れている。
CMという商業ベースのものでふたりともサラリとやっちゃうことがステキだと思う。
個人的には姚明が演技慣れしていない分、最後がすごく自然な感じがして好きだ。


2003.3.17 (Mon.)

あややとごっちんのアルバムを借りてきた。

松浦亜弥『T・W・O』。
アイドルのアルバムってのは、たいてい王道のパターンというか、形式というかがあると思う。
たとえば、シングル曲とそれ以外の落差が大きいとか、最後の曲はしんみりと締める、とか。
そういう意味で、前作(→2002.4.22)と同じく王道の路線・構成に沿っている、という印象を受ける。
が、こちらはとにかく全体のクオリティが高い。アレンジャーの職人芸とあややの圧倒的な集中力で、
シングルになっていない曲がかなり聴けるデキになっている。「おまけ」で終わっていない。
1stアルバムの有無を言わせない迫力、2ndアルバムの他を圧倒する成長と完成度は、
椎名林檎の『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』(→2003.3.8)を思い起こさせる。
あとは、3rdでああならないことを祈るばかりだ。

後藤真希『マッキングGOLD 1』。
収録曲がシングルばかりだったりユニット曲の焼き直しだったりして、いまひとつ評判が良くない。
が、それは結局、後藤真希という才能に見合う楽曲を制作サイドが用意できていないということだ。
歌の表現力が飛びぬけている。あややはカワイイことでやっていけるが、ごっちんはそれでは済まない。
あまりに説得力がありすぎて、アイドルという表面を突き抜けた奥の側を見せてしまうというか。
象徴的なのは『愛ってどんな×××?』って曲だ。まあいわゆる打ち込みによるヒップホップ風味の曲。
アレンジャーは『溢れちゃう…BE IN LOVE』、あとは『初めてのロックコンサート』を担当した人なのだが、
この人はどうしょうもなくアレンジがヘタ。本当に救いようがないくらいヘタ。たぶんつんくファミリーで最低。
だが、『愛ってどんな×××?』に限っては、素直に聴けてしまうのだ。
シングル曲ではないというアレンジ面での脱力加減が、ごっちんの表現を活かし切れる余地を生んだのだろう。
つまり、後藤真希という才能は、どんなアレンジも超えてしまうということだ。大いなる矛盾。
才能がありすぎる、というのも不幸なのかもしれない。……そしてこれを言い過ぎだとは思わない。


2003.3.16 (Sun.)

昨日の夜に潤平の部屋から帰るとき、『伊集院光・深夜の馬鹿力』のテープを回収した。
上京してきた1997年の頃からあるので、それをMDに録音し直す作業を始める。

僕はけっこうなヘビーリスナーなのだが、あらためて聞いてみると忘れていたことも多かった。
一粒で二度おいしい、じゃないけど、時間を置いてから聞くのもいいものだ。
女にゃまったくモテないが男にはウケまくるトーク。知らないうちに自分にも染み付いている。

録音を始めた1回目の放送を聞いていたら、HPをリンクしていただいている太郎さんのハガキが読まれていた。
当時けっこう笑ったネタだったのでビックリ。「すげー」なんて口走っていたのであった。


2003.3.15 (Sat.)

自転車で秋葉原へなんとなく行ってみる。
行きつけの店先でスカパラのニューアルバム『HIGH MEMBERS』発見。金がないけど、買う。

昔からのスカパラファンとしては、ここ最近の方向性は正直言って少々気に食わなかったのだ。
いや、すごく上手くまとめているし、『美しく燃える森』はいまだによく聴いている名曲だ。
でも前作『Stompin' On DOWN BEAT ALLEY』はなんだか「売るための音楽」という匂いが強くて、
個々の収録曲は好きでも全体がなんとなく好きになれない、そういう微妙な感触だった。

で、『HIGH MEMBERS』。すごく完成度が高い。
なんというか、前作までの「売るため」路線は、こいつを広く聴いてもらうための策略だったんじゃないか。
「売るため」につくって、それが実際に売れた。だから、やりたいことをやって許される、そんな雰囲気。
歌モノ三部作でつられてきたミーハーな新参者にはつまらないかもしれないが、
周りのものを徹底的に吸収して成長を続けるトーキョー・スカのファンにはたまらないデキになっている。
インストゥルメンタルのある種の退屈さを、「売れた」経験がカヴァーしているのだ。
さすがはスカパラ。すっかりやられちまった。

夜になり、潤平といろいろ話す。内容としては1月に中野で話したもの(→2003.1.26)の延長線上か。


2003.3.14 (Fri.)

桜新町へ。2回目の国語。
授業でホワイトボードにバカボンのパパやコロ助を描くとめちゃくちゃウケるのね。
なんかのキャラクターの絵を描ける、というのはそれだけで有利なのだ。
問題は、それを授業内容の理解につなげること。今のところどうも逆に集中力を散らしてるだけ、のような気がする。


2003.3.13 (Thu.)

新中1の数学。式の計算の初歩を教える。やっぱり要領の良し悪しの差がデカい。どうすればいいのだろう。


2003.3.12 (Wed.)

英語の授業、2回目。やはり積極的に質問してくるヤツの方ができる感じだ。
おとなしくしているとそれだけで損して見える。勉強になるでありますね。


2003.3.11 (Tue.)

ルフェーヴル読書会。徹夜で飲んだ頭でこの抽象論は非常にキケンだ。ぐちゃぐちゃ。

終わってから、研究室の方でさらに飲んだ。今度は3杯。絶対、このペースはおかしい。


2003.3.10 (Mon.)

夕方くらいにちょいと誘われて、朝まで飲んだ。ジョッキで5杯は新記録。


2003.3.9 (Sun.)

第10回一橋オープンが開催されるということで、国立へ。自転車で。

一橋オープンというのはHQSが主催するクイズの大会なのである。
第9回では僕らの学年がメインで企画運営をして、マサルの司会をはじめ凄まじいライトスタッフぶりを発揮。
一部のクイズ屋さんの間ではいまだに伝説になっている(はずの)大会だったのである。
で、今年はスタッフのがんばりもあって無事に開催できる、ということで行ってきたのだ。
OB組で参加したのは三浦さん、少年ジャンプ編集部の相田さん、あとダニエル、みやもり、自分。
同期で司法試験をがんばっているリョーシ氏はスタッフをやっていた。さすがにきめ細かい仕事ぶりである。

場所はケータイによるカンニング事件の現場の教室。そして司会はえんだう&ゆうちゅけ。
のっけから「第10回一橋オープンですが、なにか?」と、おぎやはぎ風の脱力ぶりを見せていい感じ。
さらに2ラウンドでは各スタッフがそれぞれ独自の色を出したコーナー別だったのだが、
えんだうもそうりもゆうちゅけも戸田も、みんな例会での経験を活かして上手く企画をつくれていたと思う。
特にすごかったのは、だれぱんだ・倉浜那の両氏で、その有無を言わせない迫力に満ちた内容は、
久々に真剣勝負だけでは絶対に出せない「クイズショウ」の魅力を再確認させてくれたと思う。

全体の感想としては、まあなんというか、マジメにバカをやるDNAは確実に伝わっていたことが確認できてよかった。
そしてみんなが全力でハジけたのを見せつけてもらえて、こっちまで嬉しくなった。
参加者よりもスタッフの方がはるかに上手のショウ。これができるヤツは本当に才能のあるヤツだ。
それをキッチリ実現してみせたHQSの皆さんには、「てめーらサイコー」というよりほかにない。


2003.3.8 (Sat.)

椎名林檎『加爾基 精液 栗ノ花』を購入。

聴いてみての感想は、確かにアレンジは面白い。でも個々の曲の魅力は、『勝訴ストリップ』よりはるかに劣る。
なーんか好みの路線からはずれてしまった。サルのように聴きまくることは絶対にないだろう。

これはいったいなんなんだろう。
『無罪モラトリアム』では、とにかくその才能に圧倒された。捨て曲がなくって、荒削りながらも完成されていた。
『勝訴ストリップ』を聴いたら、前作が完成されていた以上に完成されていて、もう黙るしかなかった。
で、今作。尖り方が今までと違っている。矛盾のベクトルが変わった。エロでグロ。きもちわるい。
結論づけるなら、もう椎名林檎は若くない、ということなのだろう。
それまでの魅力だった若さと将来への矛盾がもたらしたきらめきは、死の匂いのコスプレで葬られた。

前に、椎名林檎のアルバムは三部作で終わる予定だという噂を聞いたことがある。
僕は密かに(公言していたけど)、3作目のアルバムをつくってさっさと自殺することを彼女に期待していた。
だって天才は夭折するものだから。
名作をがっちり残してさっさと死ね、とずっと思っていた。そして彼女は3作目で死んだ。彼女の才能が死んだ。
作品に永遠の命を吹き込むのとは真逆のベクトル、作品ではなく自分だけが生きるためのアルバムがつくられた。
彼女はそれまで自分に向けていた刃を、どこか別のところに向けてしまったのだ。
天才が死んで、凡人が生まれた。残された狂気がやたら焦げ臭い。


2003.3.7 (Fri.)

桜新町へ出張する。中2の国語を教えるのだ。
まさか塾講師を始めて1ヶ月で主要3科目すべてを教えることになるとは思わなんだ。うーん、ユーティリティ・プレーヤー。
でも授業の方は生徒数が多かったこともあって、正直けっこうこんがらかった。
国語の授業は、自分の思っていることをきちんと理解してもらうことが、本当に難しい。


2003.3.6 (Thu.)

今日は新中学1年の数学。正負の四則演算って、そんなに難しかったっけか?
要領のいいヤツは何の苦もなく解いちゃうけど、悪いヤツはけっこう苦戦している。
どうすればみんな同じようにスンナリ解けるようになるんだろう、と少々マジメに考える夜。


2003.3.5 (Wed.)

塾講師で中学2年の英語を担当することになった。その初授業。
「ゲッツ!」ってやったらすげーウケた。「センセーの笑いはなんか新しい」って褒められた。ホントにそうか?


2003.3.4 (Tue.)

ルフェーヴルの読書会。なんというか、この『都市革命』は、どの章でも同じことが書いてあるような気がする。
食らいつく気がなければたぶん永遠に理解することはできないままなんだろう。
逆に食らいつけば、繰り返される説明でなんとなくボンヤリと理想像が見えてくる……気になれる。
ルフェーヴルには見えているのか。僕たちには見えるのか。考えているうちに頭が裏返ってこんがらかる。

読書会の後には研究室の掃除。さすがに久々の掃除なのでけっこう汚れている。
電子ピアノを移動してスペースを確保した。研究室ってのはやっぱり、やたらと物が多いなあ。


2003.3.3 (Mon.)

府中の調査がいちおう一段落ついた格好なので、今度は日野市役所へ行ってみる。
日野は市政図書室が異常に充実している。そこで資料をあさって機構改革の歴史を探るのだ。
いろいろ見ていたら『新建築』の日野市庁舎の記事まで発見。やはりここの情報量は半端でない。
それでいつものように広報を中心にチェックしていったのだが、府中に比べると記事が甘い印象。
なんとか今の庁舎を建てた市長が当選した頃まで調べをつけたところで、タイムオーバー。

それまでなんとかもっていた天気が、ついに崩れて雨が降り出す。
途中のコンビニでビニールのカッパを買う。国立に寄ってスタ丼を食って帰る。
雨は旧甲州街道に分岐した辺りでやむ。やるせなさをペダルをこぐ力に変えて、帰るのであった。


2003.3.2 (Sun.)

府中市美術館に行く。天気がいいので、自転車で。
今は「ドイツ表現主義展」をやっている。ブリュッケとブラウエライターだ。

府中市美術館は作品の制作室を公開していて、つくってる様子を見ることができるようになっている。
潤平も卒業制作で随分参考にしたらしい。確かに、流し台が部屋の隅にあった。
ちょうど女性アーティストがマスクをしながら何かを塗っている最中。動物園みたいで面白い仕組み。

目的の「ドイツ表現主義展」は、非常にマジメにまとめている印象。
(ナチスに迫害されてしまう)美術運動の動きの中で各作品を鑑賞できるようにと工夫されていた。
特にブリュッケの方は充実していて、なかなかいい感じの作品が揃っていた。
逆にブラウエライターはやや弱かった。そういう程度のものだったのかもしれないけど。
ともかく、美術史を勉強するにはかなりいい展示だった。当時の流れがよくわかった。

帰ってきて、自由が丘で塾の飲み会に参加。
完全に社会人の飲みでもないし、そうかといって学生の飲みでもない。ちょっと不思議な感覚だった。


2003.3.1 (Sat.)

日記を更新する気がいまひとつ起こらない。
ここんとこリアルが忙しいので、そういう“リアルでないメディア”の占める位置が必然的に落ちてきたのか、と思う。
もともとこのサイトは親しい人への連絡というか、「まだいちおう生きている」ことを示すための手段であって、
決して世界に対してメッセージを投げかけるつもりなどない。つまり、非常に内向きなのだ。

2001年の10月以降は明確に、ある意識を持って日記を書くようにしている。
こないだ奥沢の喫茶店でタケカワさん・三谷さんたちと話をしたとき(→2003.2.22)、
「ウェブで日記を公開する人は何が目的なのか?」
と知らない隣の客に訊かれた。なるほど、もっともな疑問だ。
「人を不快にさせない、わかりやすい文章を書くトレーニングなんですよ。」
と僕は答えた。納得してくれた。

僕が日記を書く理由は、そのときの答え、それ以上でも以下でもないのだ。
ということは、僕の文章は、書き始めたころと比べて少しは上達していないと困る。
内向きに、ちょっと考えてみる。


diary 2003.2.

diary 2003

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