自由の最後の日だというのに、昨日のスノボのせいでひどすぎる筋肉痛に悩まされる。
本当にすごい筋肉痛で、上半身も下半身も、ことごとく痛い。筋肉のあるところ=痛い、というくらい。
でもまあ、運動の翌日に筋肉痛が出ているということは、まだまだ若いということなのだと自分に言い聞かせる。
筋肉痛になるってことは運動不足ってことじゃん、という意見は棚に上げておくのだ。
午前2時集合で、塾の先生方と苗場に向かう。そんなイベント初めてなので、ちょっとドキドキ。
深夜の塾ってのは全然いつもと違う印象。勉強する場所なのにそんな感じがしないのが、違和感。
ワゴン車に乗せてもらって、出発。練馬から関越に乗り込むが、僕はすでに爆睡。寝る子は育つってゆーしぃ。起きたら雪景色。すべてが真っ白だった。東京も寒かったけど、もうまるで比べ物にならない。
スキー場の前にレンタルの店があったので、そこで道具一式を借りることに。
イケメンの先生がタフ・ネゴシエーターぶりを発揮して、安く借りることができた。交渉の様子が面白いのなんの。
スキーとスノボ、どっちにする?と訊かれる。「ここでスノボをしないと一生やらないだろう」と思い、迷わずスノボを選ぶ。
ボードのつけ方がわからず四苦八苦していたら、「お兄さんは面白い人だねえ」と店の人にからかわれた。駐車場で着替える。バッチリ防寒が完了したのに、寒さが忍び込んでくる。いや、寒いというよりむしろ、痛い。
指先がつねに痛んでいる感覚がする。痛いほどに寒いというのは、飯田に住んでいるときにもなかった。初めてだ。さっきのイケメン先生にスノボのイロハを教えてもらう。まずは斜面にまっすぐ向き合って降りていく。
それができるようになったら、今度は斜面にまっすぐ背を向けて降りていく。これが基本中の基本なのだそうだ。
その次の段階が、まっすぐ前を向いた状態で横移動。木の葉のようにジグザグで斜面を降りていく。
同じように後ろ向きでの横移動もする。その間、徹底的に転びまくって感覚を必死でつかむ。
やっとスノボらしくなってくるのは、体重移動でカーヴができるようになってきてから。
でもスピードがついて怖くてへっぴり腰になってしまう。そうすると重心があやしくなってしまうので、よけいに危ない。困らない程度に基礎が身についたところで、リフトに乗って高いところから降りることに。
転びながらも、なんとか必死で降りていく。木の葉のジグザグは簡単だけど、カーヴはまだ幅をとってしまうので難しい。
まっすぐ降りていくと加速度がついて、本当に怖い。うまくスピードを殺すようにエッジを立てて曲がりながらすべる。
そんな具合で大冒険が終わると、すっかり虚脱状態。これをスムーズにできるようになるまで、どれくらいかかるんだろう。
それでも午前7時くらいから夢中ですべり続けていたので、下手っぴなりに迷惑をかけない動きはできるようになった。
そうして何度もリフトに乗っては降りてきて、長い午前が終わった。バイキング形式の昼メシをいただく。バイキングの料理はイマイチというイメージがあったのだが、予想に反しておいしかった。
そのためか皆さん食べ過ぎてしまい、「もうすべるのはいいかなー」という雰囲気がそこはかとなく漂う。
でも店を出るとそんなことカラッと忘れて、再び元気にすべり出す。この辺はさすがに皆さん、若い。午後はスノボの感覚をしっかり身体で覚えておこうと思い、初心者向けのコースでひたすら基礎の反復。
超ボーゲンでスキーをすべる数学の先生は午前中の僕の醜態を見ていたのだが、その変わりように驚いていた。ヤッタネ!すべり終えると群馬に移動(この間も熟睡で、いきなり群馬県にワープしたと思って驚いた)、温泉につかって疲れを癒す。
そして東京に帰る(やっぱり爆睡ワープ)。この職場を離れるのはさみしいなあ、なんてひっそり思いつつ。
前に高校のクラスマッチの思い出を書いたので(→2005.2.15)、中学のクラスマッチについても書いてみる。
人口減が続いているから、僕らの学年が最後の3年「5組」だったと思う。そして、史上最強の5組だったと思う。
中学の同級生にそんな話をすると、「あのクラスはエネルギーが違った」という答えが返ってくる。
いつでも最大級の力が出せるように準備運動をしているような、気圧を高めているような、そんなクラスだった。一番の思い出は、3年のときの陸上クラスマッチだ。これは本当に凄かった。
100m、200m、400mに長距離と、あらゆる種目で1位を独占し、圧倒的な差をつけて優勝したのだ。
僕も3000mで1位になって優勝に貢献したので、本当に最高の記憶になっている。
これは個人種目だったことが大きいのかもしれない。才能のあるひとりひとりが、全力を尽くした、その結果。
それぞれの得意なことを当然のようにこなして、振り返ったらぶっちぎりだった。その一員になれたことは幸せだ。百人一首大会にも強かった。わが5組は、1年生のときから3年間、すべて優勝しているのだ。
3年のときには僕は学芸委員長で、大会の運営責任者だった。それで有終の美を飾るべく、担任と策を練った。
まさに僕が監督、担任がGMといった具合でチームを編成し、結果は完勝。
個人でも51枚取って委員長としてのメンツを守ったのだ(それでもクラスにはもっと取ったやつがふたりいた)。5組の特徴は、いつもは完全に個人主義というかバラバラで、気まぐれな猫みたいな集団だったことだ。
いちおう軽くヤンキーの入ったグループやおとなしいグループなどが複数ゆったりと固まっていて、
でもそれぞれの垣根はけっこう低くて、みんなが「アイツは意外なものを持ってる」という目で相手を見ていた。
何かが起きて、そのことを気に入ったやつは、グループに関係なくふんふんふん、と首をつっこんでいった。
そんな5組が休み時間に教室で暇をもてあましている姿は、まさに空き地でひなたぼっこをする猫の集団だった。クラスマッチに勝とう!という目的があったわけじゃなくて、クラスマッチという状況をみんな気に入っていたのだ。
そこで仲間に負けないように、自分の力を見せつけ、自分の存在を認めてもらう。そういう場だった。
あいつが凄いところを見せたから、オレも。そういう空気が、気がつけば優勝という結果に結びついていた。
担任が鼻息を荒くしているのをみんなは冷ややかに見つめて、でも本番では誰のためでもなく自分のために全力を出し、
イベントが終わったらまたのんびりとひなたぼっこして過ごす。いつでも立ち上がれるように準備をしながら。
ある意味、南米の代表チームのサッカーに近い感覚があった。自分たちのやりたいこと/やるべきことをやればいい。
それぞれが自分の信じる「面白いこと」をやりきれば、結果はおのずとついてくるんだ、という開き直り。中学校生活をあのクラスで過ごした、というのは、僕にとってかけがえのないものになっている。
すべての原点と言い切ってもいいと思う。それくらい、本当に大切な思い出なのだ。
そしてもう一度あの時間を取り戻すために必要なことは? ──自分の実力を磨いておくことだ。
今日の1年生の授業で、塾講師の全日程が終了した。
長いようで短い2年ちょっとだった。……と書くといかにも平凡だけど、実に山あり谷ありな平凡だった。
僕が塾講師で食いつなごうと決心したのは左足をヤケドしたときで、あのときは本当にどん底にいた(→2002.12.12)。
それからはもう無我夢中で、昼は論文のアイデアを練り、夜は若い連中に負けないようにカンを戻して、といった具合。
2年目からは多少余裕もできて、英語での点の取り方を徹底的に教える方法論がおぼろげながらも見えてきた。
そうして、生徒たちと本当にお互いプラスになる関係を築いて、そしてここまで駆け抜けることができた。生徒に恵まれていたと心から思う。僕の担当した生徒たちは、見事なまでに全員、謙虚で熱心だった。
その姿勢に真っ向から向き合うことで、僕もたくさんもらったし、生徒たちにもたくさん与えることができたと自負している。
これは幸せなことだ。世代の差なんて僕はちっとも感じなかったし、むしろ若い連中を尊敬できたことを誇りに思う。
塾という場所で出会ったのだが、それを少し疎ましくすら思う。なぜなら、こいつらの今後を、僕はずっと見ていきたいから。
こいつらがどれだけかっこよく成長していくのか、それを見届けられないことだけが心残りだ。後を引き継ぐ先生にありとあらゆる資料を渡して(ひとつも家に持ち帰らなかった)、校長にしっかりと礼を言って、
ゆっくりと教室や事務室を眺めて、細かいひとつひとつを忘れることのないように記憶して、建物を出た。白い息をふっと吐いて、空を見上げる。戸越の街は深夜になるとシンと静かだ。
自転車にまたがり、メールを送ってみた。しばらくして返ってきた言葉に、ちょっとウルッときた。
こんな充実した気持ちでひとつの区切りをつけることができて、もう何も言うことはない。
一言だけあるとすれば、すべてに対して「ありがとう。」と言いたい。それしか思いつかない。2年間で、僕の受け持った生徒たちは驚くほどの成長をした。そして僕はどれだけ成長できていたのか。
具体的にはうまく表現できないけど、成長したという自信はある。あいつらにいつも引っ張られていたからね。
僕が初めて買ったパソコンのゲームは、PC-9801用の『水滸伝』である。
かなり難しかったせいか、世間的な評価はそんなに高くない。でもみっちりハマったゲームなのである。コーエーが25周年ということで、このPC-9801版を完全再現したものが出ていた。
迷わず買ってきてプレー。FM音源のBGMを聴きながら、中学生当時の思い出にひたる。思えば、いま僕が持っているゲームはほとんどリバイバルものばっかりだ。
そうじゃないゲームなんて『ウィニングイレブン』ぐらいなもの。なんだか、世間から取り残されている気がしなくもない。
まあでもあんまりゲーム自体に興味がなくなっているので、楽しめればいいや、と割り切っているのも確か。
都立高校の入試である。その応援で自分が行くことになったのは、両国高校。最寄り駅は錦糸町。でも自転車。
朝4時起きで、5時には出発。暗くて寒い中を、まずは国道1号まで出て北上していく。
それからはいつものルートで、靖国通りにぶつかると東へ針路変更。国道14号を行く。
やがて錦糸町駅が見えてくるかな、という辺りで右手を見ると、両国高校。場所も確認したし、ちょっと行って駅の周辺で一息つこう、と思ったのだが、これがまずかった。
買ったばかりのハードコンタクトに慣れようと思ってそれをつけて来たのだが、目にゴミが入ってめちゃくちゃ痛い。
それでトイレを探してウロウロ駅周辺を歩きまわるのだが、これが全然見つからない。
そうこうしているうちに受験生らしきいろんな制服の中学生たちが高校へと向かっていく。
目にいっぱいの涙をためつつ正門に行ってみたけど、結局生徒には会えず。情けない。そのまま亀戸まで行く。亀戸天神に行って、お賽銭にギザジューを入れて合格祈願。
そして帰りに新宿のハンズに寄って、自転車用のゴーグルを買った。買わずにはいられなかったね。前に行った横浜・鶴見(→2005.2.12)の方が、錦糸町よりもずっと近い。この事実は意外で、けっこう驚いた。
新しい職場に備えてコンタクトのハードレンズを買ったのだが、これがもう、目がゴロゴロして大変。
やけに店の人が「ソフトじゃなくていいんですか?」って訊くなあと思ったのだが、いや、もう、違和感がすごいのなんの。
1ヶ月くらいすれば慣れる、とはいうが、全然慣れる気がしない。確かに店の人が念入りに訊くわけだ。
しかも小さなゴミが目に入った日には、もうあちこち転げまわっちゃうほど痛い。自転車こいだら地獄って感じ。
こんな思いをしてまでハードにこだわる必要はあるんだろうか、と思わないでもない。
でもソフトの、目が窒息する感じもイヤなので、慣れるまでガマンしてみようかと思う。気長にいこーぜ、人生。
中3にとっては都立入試に向けて、最後の塾の日となる。ゆえに今日は最後の補習でもある。
「(補習は)あと○回できるねえ」なんてカウントダウンしていたので、なんだかしんみり。
でも周囲がけっこうバタバタしていたので、教室で演習をしているこっちまでワタワタ。
都立の1科目1年分の問題をチェックしたところで解散、となってしまう。最後の最後が落ち着かないカタチになっちゃったのはすごく残念。
でもここまで一年近くずっと努力を続けてきたわけで、この時間は本当に貴重なものだった。
あさって、しっかりと今までの努力を結果として残せるといいなあ、と心から思う。
今、この世界でいちばん人間の身体について詳しく知っている人間は、ズバリ、ロナウジーニョではないか。
彼の想像力はすごい。どう身体を動かせばどういう結果になるのかというのが完全にわかっていて、
しかもそれをここぞという場面で実際にやってみせる。サッカー通も素人も、そんなことができるなんて!って圧倒される。
イメージトレーニングという言葉があるけど、ふつうの人間にはイメージできないようなことを彼はやってのける。
身体が動くから想像力の幅が広がり、そうして身体がさらに自由になって、想像力がまた一段と飛躍する。
彼のプレーを見ていると、頭と身体の幸福な関係が実現されていることがわかる。いやはや、まいった。
中学ではテスト直前ということで、昼は1年生のテスト対策授業を担当する。そして夜には2年生のレギュラー授業。
元気がありあまっている連中の相手を次から次へとこなして、もう本当にフラフラだ。
家に帰ったときにはとにかく風呂に入りたくって、風呂からあがったらさっさと寝る。心地よい疲れではある。
英語があまりに得意なので(ホントはまだまだ手ぬるいけど)、年明けから数・国の2科目に減らした生徒がいる。
講師としてはこういう状況を喜んでいいのか喜ぶべきではないのか、なんだかよくわかんない複雑な心境ではある。
で、その生徒は塾に来るのが今日で最後になるということで、わざわざ僕のところまで一言挨拶しに来た。
照れくさそうに「先生、今までありがとう」って言ったそいつに、「おう、がんばれ」としか言えなかった自分が悔しい。
本当に重みを持った一言だったと思う。ありがたいのはむしろこっちだ。わざわざそう言ってもらえるなんて。
お互いにプラスになる関係が2年間築けたことを、うれしく、そして誇りに思う。で、ミーティングで自分ともうひとり、ベテランの先生が戸越から離れることが発表された。
英語科のことを考えると、これはかなり危機的な状況かもしれない、と思う。ゼロからのスタートという印象だ。
できるだけの資料やノウハウを残していかないといけない、そうあらためて実感するのだった。
昨日のさびしさが今日も続いていて、それで一日中ブルー。
それはつまり、実はそれだけ今が充実している、ということでもあるのだろう。
じゃあわざわざそれを崩すこともないじゃん、という思いももちろんないわけじゃない。
でもそうして知らないうちに歳をとっていくことの方が怖い。せめて自覚的に歳をとりたい。
この先どうなるかわからないが、どこで何をしようと充実感を持てるようにしたいものだ。
ドラムも塾も、身のまわりを片付けはじめる感覚がしている。
環境を変えるわけだから当然、今の状況を整理しなくちゃいけないわけなんだけど、これがさびしい。
今までは親がやってくれたりドタバタの中でなんとかなっていたり、そういう形で新しい環境に入っていったけど、
今回はすべて自分で、しかも冷静にひとつひとつ状況を整理していっている。
この冷静さ、落ち着いて振舞っている自分というのがちょっと冷たく思えて、それがさびしさを加速している。
でもどうにもならない。きっと明日はもっとよくなるさ、と信じて動くしかないのである。
なんとなく、昔話をひとつ。
僕らは高校時代、ソフトボールのクラスマッチにめちゃくちゃ燃えていた。
だいたい6人の常連メンバーでチームをつくり、毎回いろんなヤツをスカウトしては、試合に出ていた。
もちろんクラスマッチ前の休日には、近くの小学校に集まって練習。カンカン照りの中、帽子をかぶって守備につく。
ノックのときには「オラ、殺せー!」とか叫んで、やたら速い打球の処理を倒れるまでやっていたもんだ。僕は中学3年の3学期に、受験そっちのけでバットを振り回して左バッターに転向した。
でもクラスマッチで打てるようになるまで、丸一年かかった。仕方なく右打席に入った悔しさは今でも忘れない。
だから左打席で二塁打を打ちまくった高校2年秋のクラスマッチは、今でも忘れられない思い出になっているのだ。
内心テッド=ウィリアムズやウェイド=ボッグスになった気持ちでいたもんだ。恥ずかしくってみんなには言えなかったけど。なんであそこまでクラスマッチに執着していたのか、今じっくりと考えてみると、
仲間でひとつの目的に向かって力を合わせることの快感があったのだと思う。
やたら球が速いけどノーコンのピッチャー、腰痛に苦しむキャプテンのキャッチャー、太っているけど素早いファースト、
完全に守備の人のショート、美声でスイッチヒッターのセンター、構えだけは大リーガーのレフト(僕)、それ以外にも、
卓球の上手いセカンド、アメリカに行っちゃったサード、筋肉ムキムキのライト、いろんな連中といろんな個性をぶつけあった。
みんなそれぞれ自分にはないものを持っていて、それを認めて組み合わせていたのが、たまらなく楽しかった。でもこの話にはオチがあって、チームのベストメンバー9人中8人が浪人して名古屋に集団移動する破目になったのだ。
名古屋でもヒマをみてはキャッチボールをしたり、バッティングセンターに行ったり。ドラマは細々と続いていた。
センター試験の数学で失敗したときには、キャッチャーとふたりで気晴らしに近所のバッティングセンターに行ったっけ。
ふたりして無言でバカスカ打ちまくって、2次試験に向けてやる気を研いでいた瞬間だと思う。クラスマッチの試合前、僕らのチームにはひとつの儀式があった。
元ネタは『SLAM DUNK』なんだけど、軽く円陣を組んで「オレたちは強い!」と叫ぶのだ。
なぜか僕がそのリードを担当することになっていて、僕の「オレたちは強い!」の後に続いてみんなが叫ぶ。
3回叫んで僕らはそれぞれの守備位置に散る。口元をぎゅっと引き締めて。なんだか、今、もう一度叫んでみたい気分なのだ。「オレたちは強い!」
都立高校の受験日以降にある授業を前倒し、ということで、今日の授業は4時間。
夏期講習や冬期講習で毎回4時間の授業をやるたびに「壊れた」と日記に書いているような気がするわけだが、
さすがに今回はある程度ペース配分を考えられるようになっていて、「疲れた」というレヴェルで済ますことができた。僕が演習をやるときには、実際に生徒と一緒に問題を解く。といっても、見直しはしないで半分程度の時間でやる。
全問正解なら「さすがー」ということになるし、ミスがあれば「見直ししないとこうなるんだ」という反面教師になる。
その場で問題を解くってのは、事前準備をサボっているってことじゃないのか、という指摘をされそうだが、僕はそう思わない。
むしろその場で生徒の間違えそうなポイントを感覚的にライヴでつかむ方が、よほど生きた授業になると思う。
事前に考えていたことと実際の本番とでは、まったく質の異なる事態が発生するのだ。それを予測することなんてできない。
そういう生きている現実の時間の中でベストを尽くすことができれば、それが最高の授業になるはずなのだ。4時間ずっと真剣勝負をやっていれば、そりゃあ壊れもするだろうさ。
なんとなく、オススメの本を1冊紹介してみよう。東京書籍から出ている『アメリカ野球珍事件珍記録大全』。
メジャーリーグが好きで好きでしょうがない人なら、読んでいないはずがない本である。日本のプロ野球にもメジャーリーグにも、選手の偉大さを示すエピソードはいくらでもある。
しかし残念なが日本のプロ野球には、あまりのバカさ加減に笑いが止まらなくなってしまう、
そんなエピソードはあまり見かけない。でもメジャーリーグにはそこらじゅうに転がっているのだ。この本の帯には「あまりに面白すぎて説明できない!」というコピーが書かれている。
まったくそのとおりで、だから僕はいまだにその帯を大切に本に巻いているのである。そんな本、これ1冊だけだ。
そしてそこにはびっしりと細かい字で珍事件珍記録の概要がそれぞれ書かれているのである。どのエピソードもバカバカしくって好きなのだが、特にひとつお気に入りを挙げるとすると、セントルイス・ブラウンズの話。
1933年にはある試合の入場者数が34人という記録をたたき出し、あまりに勝てないので心理学者に催眠術をかけさせ、
それでも勝てないので観客の多数決で試合を進め、それでも勝てないので結局つぶれてしまった球団である。
この限りなく喜劇に近い悲劇を知ると、楽天イーグルスも今の状況をもっと楽しんだらいいのに、なんて思えてくる。もともとそんなに新しい本ではないし、かなり古めのエピソードも相当入っているので、
日本人選手がバリバリ活躍している今のメジャーの感覚で読んだら多少の違和感はあるかもれしれない。
しかし間違いなく現在に続く歴史の1ページとして、この本に書かれたできごとは現実に起こっていたのだ。
トップのレヴェルも凄けりゃ、おバカな面のレヴェルも凄い。メジャーリーグの奥深さを堪能するためには必読の書である。
お笑い芸人が出しているヘタな本なんかとは比べものにならないくらい、本当に面白いよ。
私立高校入試の応援である。今回の舞台は横浜市鶴見区生麦。生麦事件の起こった場所。
前に横浜へ自転車で行ったときには第一京浜でヘトヘトになったので、今回は第二京浜(国道1号)で行くことにした。朝4時に起きて5時に出発。空はまだ真っ暗で、思わず笑いがこみ上げてくる。オレ何してんだろ、って。
でもいざペダルをこぎ出すと、その笑いに別のものが混じっていく。やってやろうじゃん、って。
警視庁池上署の脇を走り抜けるとき、ふと空を見上げる。星が妙にきれいだった。川崎市に入ると、道はだいぶ郊外の雰囲気になってくる。
具体的な特徴を挙げると、広い車道、狭い歩道、そしてひび割れて色の薄いアスファルト。
時間帯が時間帯なので、交通量はそんなにない。わりと快適に、南西へと進んでいく。
尻手駅のガードを抜けると緩やかなカーヴ。新鶴見橋の真ん中でひと休み。空がゆっくりと明るくなっていく。
空が明るくなっていく中で輝いている街灯ってのは、なんだか独特の哀愁がある。そんなことを思った。第二京浜はいよいよ、山の中を切り開くようにして突っ切っていく道になる。
そこそこの起伏はあるが、面倒な交差点はあまりない。それだけに、快適さがさらに増していく。
しばらくぶっ飛ばしていると岸谷の交差点が見えてきた。そこから、京浜急行の生麦駅方面に南下。とりあえず朝メシをなんとかせねばと思い、駅周辺をウロつく。
でも店が全然開いてなくって、仕方なく線路をわたって第一京浜(国道15号)まで足を伸ばすことに。
生麦駅近くの第一京浜からは南の埋立地へと続く道が伸びている。周辺は見事にガテン系労働者ばっかりだ。
途中の立ち食いそば屋に入って空腹を満たすと、周囲をサイクリング。だってまだ6時ちょい過ぎだったから。
花月園前まで行ってみるけど、何もない。しょうがないのでコンビニに入って時間をつぶす。
時間をつぶすとはいっても、特別読みたい雑誌があるわけでもない。地図を見て過ごす。8時近くになって、目的の学校へと向かう。しばらく待っていたら生徒がやって来た。がんばれよ、と握手して任務完了。
英語については絶対的な実力があるが、数学が泣きたくなるほど苦手な生徒。
本命の高校にはすでに合格していたけど、ここまできたら全勝目指して、全力を出しきってほしい。受験生があらかた校内に入っていって、そろそろ帰ろうかな、と思ったら、見知らぬ男に声をかけられた。
「あのー、教員採用試験を受けに来た方ですか?」「はあ?」
どうやら、この学校は受験と教員採用試験を同じ日にやるらしい。気づくのにかなり時間がかかった。
そして「しまったー!」と猛烈に後悔。女子高の教師になる、という人生の選択肢もあったのだ! でも今さら、後の祭り。帰りはそのまま、第一京浜を行く。「そういう人生もあったのかあ……」なんてつぶやきながら。
川崎は武蔵小杉にある高校へ、入試の応援に行く。武蔵小杉は超近所なので、自転車でも余裕をもって行ける。
駅に着くと、まずは腹ごしらえ。吉野家でメシを食うと、学校へと向かう。
昨日のこともあってかなり早めに着いてしまったので、散歩がてら周辺をあれこれと見てまわる。
そろそろいい頃合かな、と思って校門へ。そしたら同僚の先生に「マツシマ先生、さっきここ通り過ぎましたよね」と言われる。さすがに塾に理解のある学校だからか、入試応援の先生方にホットの缶コーヒーが配られる。
こんな待遇を受けるのは初めてだ。ちょっと感動する。懐に入れるとそのあたたかさが沁みるぜ。やがて生徒がやって来た。実力を出しきることができれば受かると思うのだが、どうにもそそっかしいので不安なヤツだ。
「やべえ、落ちそうだよ」と自信なさそうにヘラヘラしているそいつに、全力を出せば結果はついてくる、と言う。
ここまできちゃったら、もうやるしかないのだ。うん、まあ、やってみる。といった感じで生徒は校舎に消えた。◇
午後になって塾へ行くと、こないだの日記で書いた、いちばん合格が危ぶまれた生徒が受かった、との報告を受ける。
担当の先生方と抱き合うようにして喜ぶ。最高のミラクル。本当に、心の底からホッとした。◇
塾から帰ってニュースを見る。そういえば、今日は一日限定で吉野家の牛丼が復活したのだ。
バカじゃねーの、と思う。大してうまくもないものをそんなにありがたがる神経が理解できない。
私立高校の入試が本格的にスタート。僕は外苑前にある高校の担当になる。
自転車で行ける距離だな、と思って甘く見たのがマズかった。駐輪するのにいい場所もなかなかなかった。
おかげで、校門に着いたときにはほとんどの生徒が校内に入ってしまっていた。結局会えず。応援に行って会えないと、かなりこちらがへこんでしまう。
生徒のための努力を最後の最後で欠いた気がして、悲しくなってしまう。
久々に、自分でつくった曲をじっくりと聴いてみる。
当時は必死で音符を並べていったわけだが、いま聴いてみると、どこか未熟なのがわかる。
それはここんとこ、わりとしっかり洋楽や懐メロを聴くようにしていることが効いているのかもしれない。
別のやり方をしたほうが魅力的だったのに、というのが感覚的にわかるようになっていたのだ。
だから「ヘッタクソだなあ」と思った。そう、ヘタクソ。基礎的な練習が足りていない印象。僕はまず最初につくりたいという欲望があって、それをカタチにすることだけを考えて曲をつくっていた。
その分、参考として音楽を聴くということは、あまり熱心にやっているとは言えなかった。
アウトプットにばかり夢中でいて、インプットをおろそかにしていた、という表現もできるだろう。でもまあ考え方によっては、アウトプットからスタートしている点は長所かもしれない。
アウトプットが先天的に染みついている、そう思えば、今の状況も肯定的にとらえられる……はず。
2年生のクラスもだいぶまとまってきた印象がある。
こいつらは2年に上がって最初の「助動詞」でひどくつまずいた。とにかく、助動詞の書き換えが覚えられない。
原因は、1年生に比べて大幅にアップした進度のスピードに戸惑っていたからだ。目を回していた。
でもそれからほぼ一年が経って、だいぶスピード感に慣れてきて、ようやく落ち着いて考えられるようになってきた。
もともとマジメな性格だし、同じミスを繰り返すことを悔しがる根性もあるので、一度コツをつかんでしまえば安心。
来年には、きっと、自分たちの望む結果を出してくれるだろう。僕はそう確信している。
1年生たちが、今年度最後のテストで爆発的な点数をとってくれた。
20名在籍のクラスで、100点が2名、1問まちがいの97点が6名、それ以外の90点台が4名。
80点台が5名ということで、つまり80点未満をたったの3名に抑え込んだのである。快挙である。
自分は英語が得意なんだという意識がしっかりと根づいている。みんながコツをつかんだ確信を持てている。
中学生の英語ってのは、文法で重要なことは2年生でほとんどを勉強する。受験の7割は2年生で扱う、との指摘もある。
だから1年生のうちは進度を気にせず、絶対にミスをしないクセをつけることが大事だ、と考えたのは正解だった。Jリーグ・ジェフ市原(来年からはジェフ千葉だっけ)に、イヴィツィア=オシムという名物監督がいる。
世界的に活躍してきた名将なのだが、とにかくコメントが粋で面白い。ジェフの公式HPには「オシム語録」があるくらいだ。
この監督のいろんなセリフを見ていると、なんだか中学生に対して英語を教える自分の姿がダブる。非常に僭越だけど。
僕が担当しているのはどの学年にしても、選抜されたトップのクラスではない。「ふつう」の生徒たちだ。
そいつらをあの手この手で勝てる集団にしていくこと。そういう意味で、ジェフを優勝争いさせるオシムには強く憧れるのだ。
そんでもって生徒たちがこちらのアドヴァイスを素直に受け入れ、確実に成長を見せてくれると、
ジャンルこそ違えどちょっとはオシムに近づいたような気分になれて、非常にうれしい。「だいたいこうすれば100点が取れるっていうコツ、もうつかんでるだろ?」と言うと、しっかりとうなずく。
「でもやっぱりミスって消えないだろ?」と言うと、またしっかりとうなずく。ここでうなずけることが大事なのだ。
うなずけるようになった連中は、僕がいなくなっても、きっとやってくれる。
ほとんど一日がかりで曲をまとめた。iPodに入れるMP3を増産したのである。
とにかくMDに録音してある曲がそこそこ膨大なので、必要なものだけ選んでMP3にしていく。
できたものは、ネットを使って検索して、詳細なデータを入力していく。
手づくりなので、けっこう時間がかかってしまう。でも、時間がかかるから吟味をするわけで、その作業も悪くない。
橋爪大三郎『性愛論』。
まず、猥褻という言葉の定義について論じるところから入る。猥褻である/ないの境界線は、どこに引かれるのか。
筆者は世間一般における猥褻を「ワイセツ」とカタカナで表記して、社会を構成する理性をぐらつかせるもの、とまとめる。
ここでいう社会とは個人がそれぞれ属するもので、大小さまざまなグループに分かれる。複数並行して存在もする。
そういったそれぞれの社会の文脈において、性愛関係が無秩序にならないように抑止する方向づけを、
「ワイセツ」としてまとめているのだ。だから社会によって、ワイセツである/ないの判断は多様化している。ここはとても面白い。ここから入る、というのがこの本に社会学的センスが存分に活用されている証拠。
子どもなんかすごく敏感だけど、ワイセツは今ある決まった価値観・ルールをくつがえすから面白いし、問題になるのだ。
そのことをきちんと言葉にして提示しているこの章だけでも、十分に読む価値はあると思う。続いて生物学的な観点から社会へと論を広げる「性別論」、社会性の観点から制度としての性に踏み込む「性関係論」、
宗教を背景とする倫理観からスタートして現状の分析へと移っていく「性愛倫理」、
そしてそういったものが日本にどう根付いていったのかが論じられる「性愛倫理の模造」へと進んでいく。内容としては、『橋爪大三郎コレクションII』(→2004.11.30)の「性別論」「性別のありか」ほどの迫力はない。
どちらかというと一般の読者向けな分、ふつうの記述で済むところだけをピックアップした印象を受ける。
上記のふたつは数学的な論理展開や生物学的な知見の活用が見所だったわけだけど、
そのキモの部分が(論旨が重複しているせいもあってか)わざわざ弱められているのは、非常に残念だった。全体として、「書きかけ」という感触だ。対象が大きすぎるし、それほど力を入れて書いているわけでもないし、ということで、
やはりどうしても通過点の中間報告、というイメージなのだ。仕方がない面もあるとは思うけど。
橋爪氏が取り組んだこのテーマは非常に重要な問題であり、もっと世間のレヴェルで議論を深めていく必要があることだ。
それは単純に性行為をめぐる社会問題という点でもそうだし、ひいてはよりよい家族や社会の構築に関わってくる。
性にまつわることは隠したり遠ざけたりしてしまいがちだけど、それは人間として理性的に生きることから逃げるのに等しい。
扱いづらいことだからこそ、十分に距離感をつかんだり、理性でコントロールする訓練を積極的にする必要があるはずだ。
でも現状にインパクトを与えるには、まだ不十分。これまでの論旨をしっかり包括した完全版を大いに期待したい。
担当している3年生のクラスにひとり、まあかなりの身の程知らずがいるわけだ。
どう身の程知らずなのか具体的には書けないが、要するに、自分の実力よりはるかに難しい高校を受けたがるのだ。
特に本人より母親の錯覚ぶりがすごい。「大学はここ以上じゃないと価値がないから」と、その附属を受けさせたがるが、
何回生まれ変わってもムリでしょ、とこちらは思ってしまう。で、本人は母親に言われるがまま。主体性ゼロ。
しかも本人は英語が一番得意だと言うが、正直なところその英語は、武器になるどころか弱点でしかないレヴェル。
こんなもんで得意だと豪語できるというのが信じられない。マジメに授業を受けているのか、と不安にさえなる。
まあそんな具合だから、いま通っている中学校ともケンカしている状態で、系列の高校への進学は事実上できないらしい。
だから外の学校を受験するしかないのだが、その難関校に五分五分で受かると思い込んでるので、全然話が進まない。何をどうしたらそんな妄想を持てるんだろう、現実がまったく見えていないその姿にため息が出てしまう。
と同時に、同じようなことを自分もやらかしていないだろうか、と反省してみるのである。
身の程知らず自体は問題ない。身の程を知っているヤツが面白いものをつくれるはずがない、とは野田秀樹の言葉。
問題は、現実がまったく見えていないことだ。現実と理想の距離をきちんと測り、足りない部分を努力する。それが必要だ。
しかしこの生徒には明らかに努力が欠けている。そのくせ、身の程を知らない。まさに妄想の中にいる状態なのだ。
確かに努力ってのは抽象的だし、都合の悪い現実はできることなら見たくない。そういう心境は痛いほどわかる。
でもそれをそのまま放っておいて破滅に向かって突撃していく姿は、残酷なことに、周りの人には滑稽にしか映らないのだ。僕だってそういう身の程知らずな面は持っていると思う。具体的にどこが、というのはあんまり言いたくないけど。
では努力のベクトルがわからない、手探りの状況の中で、滑稽にならないためにはどうすればいいのか。
結論としては、動くことだと思う。途方に暮れて時間を浪費するのではなく、なんでもいいから動きまわること。
動きまわっているうちに全体の概要が見えてくるかもしれないし、その熱意にほだされてヒントをくれる人がいるかもしれない。
そういう姿勢を前面に押し出すことが必要なのかな、と考えている。今はそれくらいしかわからない。受験の件については、本人・母親が譲歩して「すべりどめ」を受けることで合意(最初はそれすら拒否していたのだ……)。
もちろん、われわれにとってはこっちが本命。受かるといいんだけどなあ……。難しいかなあ……。
瀬名秀明『パラサイト・イヴ』。発表された当時、大いに話題になったサイエンス・ホラー小説である。
かつて大昔に細胞の中に取り込まれたミトコンドリアが、共生関係から独立してより進化した生命になろうとする話。
人間としてはミトコンドリアが勝手に動き出したら種の存続に関わる事態となるので、その辺がホラーの要因となるわけだ。まず、厚い。原因はふんだんに盛り込まれた専門用語にあると思う。専門用語による綿密な描写がリアリティを持たせる。
特にこの小説では読者を怖がらせるために、いかに説得力を持たせるかが鍵になっているわけだ。
話の舞台も大学の研究室や病院に限っているため、そういった専門用語がまったく自然に思えてくる。
逆を言えば偏った設定ということになるのかもしれないが(後述)、うまくまとめていると僕は思う。それにしても作者はよく勉強しているし、よく話も練っている。非常に丁寧につくり込んでいる。
ラストまで読み終えると、作者がひとつの世界をきっちりとつくり終えて「やったぜ!」と叫んでいる姿が目に浮かぶようだ。
ただ単純に学術的な話を聞いて「ふーん」と思うだけでなく、そこから想像力をはたらかせて物語へと仕立てる姿勢がいい。
若さによる勢いと、設定をはじめとする冷静なやり口とがきれいにマッチしていて、読んでいるこっちも唸らされる作品だ。欲を言えばやはり、この話は象牙の塔の中だけの話だと思う。
象牙の塔の中に身を置く作者が、そういう知で組み上げられた空間を再現するかのようにつくったのが、この話だ。
だから読んでみると、この話の世界は非常にきれいにひとつの真空パックみたいに閉じられている印象を受けるはずだ。
それも「若さ」のひとつの発露だと思う。それだけに、今後歳をとった作者がどうこの枠を壊してくるのかが楽しみだ。
『パラサイト・イヴ』というのは非常に高いレヴェルでつくられた、通過点としての作品であるように僕は感じた。
塾講師として最後の月がはじまった。とにかく後悔のないように、全力を尽くしたい。
校長に頼まれて、中学入試の応援に出かける。
以前自転車通勤している最中に自転車で塾に向かう生徒とたまたま一緒になったのだが、目の前でそいつがこけた。
で、まあ腐れ縁というか、そいつの応援に行くことになった。「今度はこけるなよー」といったところか。学校に着いて、けっこう待った後、そいつが現れた。いつものように飄々としていたのだが、ちょっと感じがおかしい。
付き添っていた父親によると、インフルエンザで39℃の熱があるらしい。なんという不運。
キツいかもしれないけど、とにかく全力をぶつけてこい、と言って送り出す。ホント、なおさらがんばってほしい。だいじょうぶかなあ、と思いつつ帰る。途中で今日が都立の推薦入試の発表だったことを思い出した。
近所にある都立高校に寄って、ちょっと様子を見てみようかな、と思う。朝わりと早かったせいもあってか、高校はけっこう閑散としていて、あまり入試の発表という雰囲気ではなかった。
まあ推薦入試だし、盛り上がりとしてはこんなもんなのかなあ、と思っていたら、偶然、いつもの補習相手にバッタリ遭遇。
相手もこっちも驚いた。まさかこんなタイミングで鉢合わせるとは。そして補習相手は「ダメだった」と残念そうに一言。
内申いいし性格もしっかりしているから受かるもんだ、と思い込んでいたこっちはショック。近くの交差点でしばらく立ち話をした。話すことで少しでも力になれればいいな、と思いつつ。
「それじゃ」と別れてからも、補習相手は何度か振り向いて笑顔で手を振って歩いていった。
その元気があればきっと大丈夫だ。