diary 2006.4.

diary 2006.5.


2006.4.30 (Sun.)

『大脱走』。1944年、実際にドイツ軍の第3捕虜収容所で発生した脱走事件を描いたノンフィクションを映画化したもの。
バーンスタインのテーマ曲からして非常に有名な作品。最近ではビールか何かのCMでも使われていたっけ。
主演のスティーヴ=マックィーンのグラヴやバイクといった小道具もよく見かける。そんなわけで、ネタバレありでいろいろ書く。

ドイツ北部に新たに捕虜収容所がつくられ、そこに脱走を企む札付きの捕虜たちが多数連行されてくる。
ヒルツ(S.マックィーン)は早速脱走を試みるが失敗、独房入りとなる(それで壁と一人キャッチボールをするシーンとなる)。
やがて脱走に命を懸けるバートレットはトンネルを掘る計画を立案、仲間と仕事を分担して作業を着実に進めていく。
このそれぞれにベストを尽くして準備を進めていくシーンがかっこいい。この映画最大の見所は、個人的にはここである。
そして3本掘ったトンネルのうち1本は見つかるなど失敗もあったが、なんとか工事を完成させて、いざ脱走開始。
ちなみにこの時点で3時間弱の上演時間のうちおよそ半分ということで、イヤな予感がプンプン漂う。
案の定途中で見破られてしまい、250名全員脱走のつもりが1/5程度しか逃げられなかった。

そして後半は、収容所を脱走してからそれぞれの面々が逃げる様子が描かれる。
バイクで駆け抜けるヒルツ、語学力を駆使して逃げようとするバートレットら、手に汗握る展開が次々と繰り広げられる。
ナチスドイツは全力を挙げて脱走者を捕まえようとする。その結果、脱走者たちの当初の目的のとおり、
ドイツを撹乱してダメージを与えることには成功する。しかし最終的に多くの犠牲を払う結果となってしまう。
その辺りはさすがに史実にもとづいているだけあり、変な脚色は入らない。英雄譚に終わらないリアリティが本当に切ない。
最後、捕まってしまったヒルツが収容所に連れ戻される。捕虜たちに対して紳士的な態度だった所長は更迭されてしまう。
だがヒルツはあきらめず、独房の中で再び一人キャッチボールを始め、脱走のアイデアを練ろうとする。そんな話。

軽快なテーマ曲に順調な前半は、とても明るい印象となっている。
しかし収容所を出てからの後半は、逃げる者と追う者が互いに全力を尽くす、まったく息をつく暇がない緊張の連続となる。
この対比が、脱走計画の悲しい結末をよりいっそう強調する。しかしラストではマックィーンが以前と同じようにふるまう。
その辺の不屈な姿勢が観客の共感を呼んだように思う。とにかく前半と後半の対比が切ない。
やはりただの戦争映画ではないのだ。


2006.4.29 (Sat.)

GWがはじまったというのだが、すっかり寝ていた。寝正月ならぬ寝GWである。ゴロ寝ウィーク。
よく、休日で父ちゃんゴロゴロ、どこにも連れてってもらえない子どもが暴れるってな構図がマンガなんかにあるけど、
頭ではどこかに行きたくてウズウズしてんだけど体はもっと寝たいと要求する、そんな僕は両方の気持ちがわかって、
ううむ、なんてうなっているのである。寝床の中で。

とりあえず初日はのんびり近場で自転車をこいだり、日記を書こうとしてウンウンうなってみたりする。


2006.4.28 (Fri.)

高畑京一郎『クリス・クロス』。いちおう、僕が個人的に考えていることの資料として秋葉原で買った。
とりあえず、ネタバレありであれこれ書いていく。

実は、僕は高校時代からこの本の存在を知っていたのである。
というのも、当時の僕には日付が変わる変わらないかの時間帯にラジオを聞く習慣があり、
その中でも特に文化放送を朝鮮語と格闘しながら必死で聞いていたのだ。今となっては恥ずかしい過去である。
(でもいちばん好きだったのは、伊集院光『Oh!デカナイト』の「光ファイヤー通信」のコーナー。念のため。)
で、この『クリス・クロス』は当時電撃ナントカのナントカ賞をとったとかなんとかで、ラジオドラマになった。
それで偶然毎週耳にしていたわけである。もうあんまりよく覚えてないけど(言い訳)。

スーパーコンピューター「ギガント」で起動される『ダンジョントライアル』という仮想現実型のRPG、
その一般体験会に参加した“ゲイル”が主人公。ゲイルは盗賊としてパーティに加わり、冒険を進めていく。
今となってはオンラインゲームで半ば実現しつつある設定だが、あくまで会場で機器を体に取り付ける、というスタイルだ。
そうして地下5階まであるダンジョンを冒険していき、魔王を倒したら優勝、というルールになっている。

当時は(ラジオでドラマを聞いていた当時は)、ああ確かにアーケードゲームはそういう方向に行くかもなーと思っていたが、
実際には10年経って、家庭用でそっちの方向へと進んでいる。別にだからといってどうこうというわけではない。
やはりそれだけネットが普及するということは、想像しにくかったことなのだ。あらためてそんなことを感じた。

さて、肝心の内容は、特にこれといって書くべきことはないように思う。まとまっているけど、それ以上のものはない感じだ。
それも結局、中心に据えられているのはゲームシナリオの中での戦いなわけで、現実の生活ではないからだ。
この作品ではその境界を揺さぶる仕掛けが織り込まれているが、それはゲームが現実を侵食してくる恐怖ということであり、
その発想については特に目新しい要素は感じられない。悪役が結局悪意を持った人間である点も、予想の範囲だった。
僕はRPGができないファンタジー苦手人間なので、この作品に惹かれる部分はまったくといっていいほどない。

むしろ興味深いのは、原作ではゲームから生還した主人公がリアリティを確かめるために匂いを嗅ぐのだが、
ラジオドラマでは行方不明になったヒロインのことを思い出すために、匂いを嗅ぐ。
つまり原作では恋愛の要素がかけらもなかったのだが、ラジオではその点を大いに脚色してドラマ化した、ということなのだ。
原作の設定についてあれこれ考えるよりも、この両者の差がなぜ生まれたのか、そっちをいろいろ想像するほうが面白い。
それくらいなもの。


2006.4.27 (Thu.)

深夜にやたらと井筒和幸がエラソーなことを言ってるので、じゃあお前はどうなんだ、と思い借りてきた。
『パッチギ!』。学園紛争真っ只中の京都を舞台に、朝鮮学校に通う女の子に恋した男子高校生の姿を描く。

府立東高校2年の松山康介は、日ごろ対立している朝鮮高校にサッカーの親善試合を申し込みに行くことになる。
そこで偶然、フルートを吹いていた女生徒のキョンジャに一目ぼれしてしまう。
ところがキョンジャの兄は朝鮮学校の番長、つまりは筋金入りの怖い存在だった。しかしそれでも康介はあきらめない。
楽器店で知り合った坂崎の協力を得て、キョンジャが演奏していた『イムジン河』をマスターし、彼女に会いに行く。
結果ふたりは親しくなることができた。が、高校の空手部と朝鮮学校の対立はエスカレートする一方。
そして不慮の事故で犠牲者が出たことがきっかけで、康介は越えることのできない壁の存在を知る、ってな具合。

クライマックスでは悲しみに暮れる葬式、ラジオで歌う『イムジン河』、ケンカと出産、それらがひとつになる。
複数の空間で同時に進行するドラマってのはとても好みなのだが、この作品に関しては疑問が残った。
というのも、あらかじめそれを予定して話が組まれているから。すべてを同時進行にするために、物語に無理をさせている。
本来なら必要になる、話が熟成していくだけの時間的余裕・バランスがないのだ。すべてが突発的に見えてしまう。
だからこのクライマックスについては、ご都合主義になっているという印象が強くなってしまった。
観客にそれぞれのシーンを見せていく手際が悪い結果、という言い方もできそうだ。あまり監督が良くないということか。

結局、見るべきところは空手部のケンコバしかなかったように思うんですけど。


2006.4.26 (Wed.)

いしいしんじ『ぶらんこ乗り』。すごい物語を書く人だって噂を耳にしたので、その長編作品を買って読んでみた。

高校生の女の子の一人称、なのだが、主役はその弟。弟は天才。
ぶらんこに乗るのが上手く、指を鳴らすのが上手く、小さい子どもだってのに物語を書くことができる。
しかしある日、ぶらんこに乗っている弟の喉に、雹が落ちる。そして弟は、人間の声を失ってしまう。
ところがその後、弟は動物の言葉を聞いて、それをもとに話を書くようになる。
弟のもとを次々にいろんな動物が訪れ、そして弟は次々と物語を書く。しかし平穏は続かなくって、以下略。
この話はあらすじを書いたところで無意味な気がする。話はただ、次々と書かれていく。そんな感じだ。

合うか、合わないか。その2つのうちどちらかしかない。で、僕は合わなかった。
何の狙いもなく、純粋に子どもが物語を生み出す。そういうまじりっけのなさというか、創作の根源的な力というか、
すでにある理屈とは異なる方法でこの世界を読み込んでいく力とでも形容すればいいのか、そういう凄みは確かにある。
でも僕の中に個人的にある「面白さ」という基準では、評価ができないのだ。つまり僕の感覚では、面白くないということ。
作者(あるいは弟)の想像が、独特の感覚からどんどん物語を積み上げていく。
その行為に対して文句をつけることはできない。合うか、合わないか。それだけなのだ。

つねに作品を生み出す環境や理由と、その作品がもたらすフィードバックとを考えてしまう僕は、
純粋ではないのかもしれない。でももはや、こればっかりはしょうがないのだ。どうもしようがないのだ。


2006.4.25 (Tue.)

iPod落語化計画が本格化してきている。僕にとって、このアイデアの先輩にあたるのがマサル。
マサルのiPodには落語が入っている、それを聞いたときに「その手があったか!」と思った。

いざ落語を入れてみると、古い落語の音源は音質が悪く、意外とけっこう集中力を使ってしまう。
自転車に乗りながらアハハハハってのを期待していたわけだけど、実際にはなかなかそううまくいくものではない。
運転に集中すれば何も聞こえなくなるし、イヤホンからの落語に集中すればノロノロ運転になる。人間、そんなものなのだ。
だから目を閉じてじっくり聴かないと、思うように噺の内容をつかめないことがほとんどなのである。

それでも通勤電車の中で楽しむには非常に有効であるのは間違いないので、
今後もちまちまとラインナップを充実させていく方針は変わらない。コツコツ聴いていけばいいんではないか、なんて思う。


2006.4.24 (Mon.)

日記を書かなかったりたまに書いたりしているわけだけど、ふと思う。僕の日記のライバルは、実はWikipediaなんじゃないか。
Wikipediaにはなんでも書いてあって、ものすごく便利だ。ネットだけどできるだけ客観的に書いてあるのもいい。
対して、僕の日記は雑食性で話題があちこちに飛ぶ。ある意味、きわめて主観的な事典に近い存在なのかもしれない。
まあそんなの非常におこがましい考えだけど、コツコツ続けていけば、それなりの価値は持つだろう。
Wikipedia的な便利さ、面白さを目指してがんばってみましょうか。


2006.4.23 (Sun.)

『博士の異常な愛情:または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』。キューブリック。

副官のイギリス人と大統領と博士の3役を演じ分けているピーター=セラーズの一人勝ちである。以上。

……内容としては、特にこれといって気になるところはなかった。当時の時代状況を把握していれば別なのかもしれないが、
変人だらけの集団に人類の未来がゆだねられて、結局ドカン、それだけのこと。93分もやるほどの話とも思えないし。
世間で褒められているその根拠がわからない。


2006.4.22 (Sat.)

circo氏が上京してきたところで特にやることもないわけで、「じゃあどっか行ってみっか」ってことになる。
あれこれいろいろと候補を挙げていった結果、今回行ってみることにしたのは、表参道ヒルズである。

表参道ヒルズってのは、同潤会・青山アパートの再開発によって生まれた街である。
じゃあ同潤会とは何かというと、都市社会学出身者としてはこれが長い話になるわけだが、そこは思いきってはしょって、
つまり関東大震災後に住宅の供給を目的として設立された財団法人なのである。後の住都公団とはとりえあず別物。
同潤会の建てたアパートは日本における初期の鉄筋コンクリートによるモダニズム建築として非常に重要なのである。
また、同潤会アパートでの設計思想が後の民間による集合住宅づくりに多大な影響を与えた面も、忘れてはなるまい。
そんな同潤会アパートの代表的存在である青山アパートをぶっつぶし、安藤忠雄が設計してできたのが、表参道ヒルズ。
どこがヒルズ(=丘、しかも複数形)なの?と思ったら、森ビルが関わっているからだ、とのこと。やりたい放題だな、ホントに。

敷地が狭いこともあって、地上3階・地下3階となっている。真ん中は大胆にアトリウムとして、商業施設を周囲に配置。
また、フロアはすべてスロープとなっていて、螺旋階段のような感じで地下3階から地上3階までなだらかに接続している。
おかげで両端からアトリウムを眺めた景色はとても壮観である。でも撮影禁止とわざわざ表示が出ている。つまらない。
敷地が狭いうえに中央をアトリウムとしているので、通路も店舗も非常に狭い。人ごみですぐに動きづらくなる。
さらにエスカレーターに乗って自分が何階に向かっているのかがわかりづらい。これはスロープによる影響だろう。
さまざまな制約がありながらも、きちんと見栄えのいいデザインを整えているのはわかる。
しかし根本的なところで大きな問題を抱えている気がする。確かに建物の内部の見た目は面白いのではないかと思う。
でも実際に歩いてみると、いろいろ不便で見かけ倒しに思えてしまうのである。

僕もcirco氏も魅力的に思えるテナントが全然なくって、ただ上から下までスロープを行ったりきたりしただけで終了。
それでも地下3階にはネフ(naef)のおもちゃを扱っている店があって、そこをちらちら見た。そのくらい。

やることがなくなって、とりあえず原宿駅の方向に歩いて途中で地下の店に入って昼メシをいただく。そして解散。
あらかじめきちんと「面白くって楽しい東京」をリサーチせんといかんなー、なんて痛感した。


2006.4.21 (Fri.)

circo氏が上京してきた。会社が終わって新橋に集合、とのメールが入る。
飯田橋から新橋へ行くには当然、JRがいちばんいい。秋葉原乗り換えで簡単に着く。
しかしなぜか僕は血迷ってしまって地下鉄に乗ってしまう。大江戸線から浅草線の都営地下鉄で行くことにしたのだ。
これが、もう、大失敗。

大江戸線でしばらく揺られると、蔵前で乗り換えとなる。さすがに新しい地下鉄は深いなあ、と思いつつ浅草線を目指す。
しかし入り組んだ通路を上っていって、唖然とした。地上に出てしまったのだ。出たはいいが、浅草線の入口がわからない。
とりあえず指示のあった方向に歩いてみる。そしてそのまま進むこと270m、やっと浅草線の入口に着いた。
これには呆れた。永田町と赤坂見附もひどいが、あれはすべて地下なので、大いに不安になる距離だが迷うことはない。
しかし蔵前の場合、地上に出るうえ案内板がほとんどない。さすがに入口を出てすぐはあるけど、その後のフォローがない。
おかげで、歩いていてどこを目指せばいいのかがわからなくなる。街歩きに自信のない人なら確実に迷うと思う。
地下鉄の乗り換えをするのに横断歩道を渡ったのは初めてだ。いくらなんでもこれはおかしすぎる。
――といった怒りを呑み込み、新橋駅の烏森口改札でcirco氏と無事合流。正直、一時はどうなることかと思った。

新橋ではライオンに入り、いろいろとしゃべる。飲むのは定番の黒ビール。ライオンに来るたびこれだ。
circo氏は銀座で剣持勇のデザインしたものをいろいろ見てきたようで、剣持デザインのスプーンをくれた。
(剣持勇は日本を代表するモダンスタイルのデザイナーだった。ヤクルトの容器も剣持の作品なのだ。)
そして偉大なデザイナーが晩年、才能の枯渇に苦しんだ話をした(剣持は1971年に59歳で自殺している)。
で、「やっぱり確実に、歳をとると創作の能力は落ちる」なんてことを言い出す。背筋がゾッとした。
これは僕が今のところ何も創作をしていない状態でいるにもかかわらず期限があることを示唆されたからであって、
それ以外の理由はない。circo氏の心配などしていない。あくまで自己中心的な理由で、僕の背筋は凍ったのだ。
でもそれは顔の表面に出すことはしなかった。顔に出すのが悔しかったんじゃないかって気がする。

ライオンのゴーヤチャンプルーは、大学時代にゼミのみんなと大宮の沖縄料理店で食べたものよりはるかに食べやすかった。
めちゃくちゃおいしかったんだけど、それが逆に、ソフトな味付けであることが本来のゴーヤチャンプルーをぼかしている、
そんなふうにも思えて、うーむ、とうなってしまった。おいしいのにうなるなんて、変な話だと思う。

それから駅に向かう途中、僕はcirco氏に「味覚ってのは歳をとると確実に変わるね」という話をした。
かつて自分からは決して食べることのなかった牡蠣や椎茸を、おいしいと思える舌を今の僕は持っているのだ。
「ゼミで食べたときに、ゴーヤの苦さがおいしく思えるかどうかって話になったんだけど、今は苦くないとおいしくないね」
circo氏は好き嫌いのほとんどなかった子どもの成長だかなんだかよくわからない言葉に、笑って「そうか」と答えた。
それから駅の近くにチェーン店の豚カツ屋があるのを見つけて、ふたりで入る。並んで定食を食べた。

circo氏が酔っ払って言ったことと、僕が酔っ払って言ったことは、酔っ払いどうし明らかに話題がズレているんだけど、
実はそんなに遠いことでもないような気がする。楽天的に考えれば。


2006.4.20 (Thu.)

M.クンデラ『存在の耐えられない軽さ』。チェコ出身の作家だが、「プラハの春」以降の揺り戻しでパリに亡命。

主人公はプラハの優秀な外科医・トマーシュ。モテまくりのやりまくりでウハウハな生活を送る。
テレザは彼を慕って田舎から出てきたが、なんせトマーシュがウハウハなので結婚しても嫉妬の毎日。でもトマーシュ一筋。
画家のサビナはトマーシュの浮気相手だが、奔放に生きていく術を本能的に知っている。広い意味での才能を持つ女性。
あと、ジュネーヴでサビナの浮気相手になる大学教授のフランツという男もいる。
以上、わりと軽いタッチで登場人物を紹介してみたが、当然ながら、実際にはもうちょっとドロドロした感じである。

田舎と都会、粗野と洗練、共産圏と自由、そしてもちろん男と女といった対比軸を持ち込んで、話は展開する。
登場人物の背景はしっかりと書き込まれていて、「なぜ彼・彼女はそう考えるようになったのか」、
その思考回路を読者に納得させる。恋愛ってのは当人には“特殊”であっても一般論に巻き込まれてしまいがちなものだ。
今のテレビなんかじゃ特にそうだ。しかしこの小説では徹底的に当人ならではの事情を描いていくことで、
“特殊”と“一般”のバランスをうまく保っているのが目立つ。表現を変えて言い直すと、
“一般”に帰納される直前の個々の事情、それをきちんと言葉を費やして丁寧に追いかけているのである。
そのための方法として、過去・現在・その後を自由に行き来する時間的な飛躍がある。
人物の描写を優先して時間軸を飛ばすのだ。そしてそれはラストの部分での時間的な順序の入れ替えをもたらしていて、
独特な読後感につなげる役割を果たしている。“一般”的な恋愛論を背景にした“特殊”だから文学として成立している。

僕はそもそも文学になんて詳しくないし、まして外国文学なんて全然わかんないし、さらにフランス文学なんてサッパリだが、
読んでみて直感的に、「これってフランス文学になっているからチェコ出身の作家でも評価されたんじゃないの?」と思った。
あくまで僕の勘だが、主題が極めてフランス的じゃないかと思うのだ。奔放な恋愛の持っているスピードが克明に描写され、
なおかつ質量を持つ分だけコントロールの難しい身体、その両者の関係を描く意欲がとてもフランス向きであると感じる。
そこにチェコという民主化運動が弾圧された共産圏の国らしさを感じさせる、「政治による抑圧」が味付けとして入ってくる。
この抑圧が物語に暗い影を落としていて、そうして彩度が下げられているからこそ鮮明に描かれているものがある。
結局のところそのバランス感覚がフランス人にぴったりということで、それが国際的な評価の源となっているように思えるのだ。
ある意味それは、日本文化の中で相手にわかりやすい部分が国際的に認知されて重宝されているのとまったく同じことだ。
キツい言い方をすれば、クンデラはフランス文学に共産圏らしさという適度な味付けをすることができたから、
偉大な作家扱いされたのだ。だから厳密にはチェコの作家とは言えないと思うわけだ。フランスの作家だと思うわけだ。

マクロのレヴェルで個人に襲いかかってくる政治と、ミクロのレヴェルで葛藤する心と身体。
身体は双方のレヴェルから二重に翻弄されている。読者はここに描かれている“特殊”と、
自分の経験した“特殊”とをかけあわせて、“一般”への帰納を無意識に図ってしまうのである。
タイトルも含めて、実にうまいこと書いたもんだと感心した。
「こうやって書けばいい」という取捨選択が抜群に上手い人だと思う。文学として通用するにはここまで書けばよく、
ここからは書く必要がないから書かない、そういう判断が優れた人だと思う。なんとなく。


2006.4.19 (Wed.)

また新たに、本を担当することになった。今度は毒について書かれた本である。

内容はなかなか幅広く、毒をめぐる社会の動きから入って、各種の毒の説明へと入る構成。
つまり前半は時間軸に沿って毒を外側から扱い、後半は毒をつくられる過程とともに内側から紹介する。
そのため正直、重複した記述もあるのだが、それだけしっかりと説明がなされている、という考え方もできる。
特に後半の毒の各論は、植物起源、動物・微生物起源、有機物、無機物などカテゴライズがきちんとしている。
だからどの毒とどの毒が「似ている」のかがわかりやすくて面白い。

一口に「毒」とまとめていはいるが、それは人体に有害だからそう呼んでいるだけであって、
有効に利用できる場合には「薬」と呼び方が変わる。筆者の先生はその視点を徹底している。
そのため抗生物質の説明などに力が入っていて、これがなかなか熱くて読んでいてなるほどと思わされる。
全体をとおして、ただの毒の威力の説明に終わるようなことはしないで、
どのようなプロセスを経て人体に影響を与えるのかが書かれている。勉強になるのである。

しかし上に書いたようなことを口でさらっと説明するのは難しい。
何も知らない人に「毒の本をつくってます」なんて言ったら間違いなく何らかの誤解を受けてしまいそうな気がする。
いったいオレはどこに行こうとしているのだ、と思わないでもない。読めば納得なんだけどな。


2006.4.18 (Tue.)

いつも読書をしながら朝メシを食べているカフェで、知らない人から凝視された。
それがもう半端でない凝視っぷりだったので、怖くってずっと文庫本から視線を離せなかった。
会社に着いてから同期に「オレって今日、なんか変?」って訊いたら、「そういうことを訊くのが変です」と返された。
あれはいったい何だったんだろう。思い出してみるけど、やっぱり怖い。


2006.4.17 (Mon.)

ジョージ=ルーカス監督で『アメリカン・グラフィティ』。

もうサッパリ。高校生が卒業式のあと車を乗りまわす話、としか認識できなくってなんとも。
これは完全にアメリカの価値観にもとづいた話なので、日本にどっぷりの僕には本当にわからない。
ウルフマン・ジャックかっこいいなあ、ぐらいしか書けることがない。僕の中にこの作品を評価する軸がないのだ。


2006.4.16 (Sun.)

中学からの友人である「まる」氏がこのたびめでたく結婚するということで、式にお呼ばれしたので行ってきた。
ちなみに、まる氏が20代にしてわれわれの仲間うちで最も早く結婚するということは、
10年前にはまったく考えられない事態であった。競馬の着順なら万馬券では済まないくらいの賭け率だったのだ。
しかしまる氏はなりふりかまわない積極性で一番乗りを果たしたのである。偉いのは確かである。

ところがまあ、まる氏は彼女ができた途端に男友達との付き合いが悪くなり、
「男の価値は、間違ってモテた瞬間に、モテない仲間にどれだけ優しくできるかだよな!」と陰で言われていた。
というか、僕が陰でそう言ってました。言いまくってました。すいません。
そんなわけで、素直に祝福できないダメ人間は、会場へと向かう足取りがなんとなく重いのである。

正午の少し前から式が始まるのだが、前日夜9時に頼まれた挨拶を考えるべく、10時半に集合することに。
とりあえず会場のホテルに泊まっていたバヒさんと『芝浜』の内容をチェックしてアレンジの方向性を考えるが、
いろいろと頭の中をチラチラするものがあって、集中できない。直視したくない現実が、すぐそこにあるのが原因だ。
だからって「プリキュアどっち好き? オレは黒ー」なんて話題を無理して(ホントに無理して)バヒさんに振る自分は、
明らかに動揺しているのが見え見えで切ない。もうこの日記の文章を書いている時点でも思考がまとまってないし。
つまりは、ただムダな話をすることで時間を費やしていくしかできることがない、という無力感でいっぱいだったのだ。

さて、ちょっと遅刻したトシユキ氏が到着すると、三人寄れば文殊の知恵ってことで、状況が好転する。
トシユキさんはいつでも冷静に物事を対処できる人なので、すでにアガっている僕がのた打ち回っているところを、
うまい具合に転がる方向を指示してくれる。そんなわけで最低限のヴィジョンが見えてきた。
(それにしても文章がすごく抽象的で、読んでいる人は困るだろうと思う。
 けど、具体的に書けないくらい、当時はテンパっていて記憶が混乱しているのだ。)
で、時間はあっという間に経って11時半を過ぎ、披露宴の会場のあるフロアへと上がる。

「神前式でもないキリスト教でもない人前式(じんぜんしき)」ってことで、場所はチャペルなんだけど、
正面の十字架ははずしてあった。「あれってはずせるものなんだー、でも金具が残ってるのが見えるなー」
なんていらんことを考えているうちに、司会者の挨拶に続いて新郎新婦が入場。僕らは拍手でお出迎え。
緊張しているのがはっきりわかるけど、体格的に安定感があるので、滑稽さはまったくない。
まる氏のそういう強さ(あえて言えばふてぶてしさにも通じる)は、こういうときに存分に発揮されるのがうらやましい。
結婚の誓約だの指輪の交換だの誓いのチューだのいろいろあって、無事に夫婦が誕生。
こういう何も考える必要のないお決まりの手順というのが僕は本当に苦手で
(なぜならいつでもどこでも何についても考えてしまうクセがついているから。社会学をやっていたからかも)、
当たり前として用意されていることをきちんとこなせるまる氏を、オトナだなあ、と思いつつ眺めていた。

その後、披露宴の準備のときに、物理班仲間だったスギモト氏に会う。高校卒業以来だ。
当時の面影を残しつつ、彼は見事に落ち着いたオトナになっていて、僕はなんだか少し恥ずかしかった。

披露宴は滞りなく進んでいく。会社の上司の挨拶とか、大学同期の挨拶とか、まるでドラマみたいだ。
料理もナイフとフォークでいただく。すべてが絵に描いたような世界にいる印象。どこか現実感がない。
でも僕はどんどん迫ってくる二次会の挨拶の時間が気になって、どうしても頭の中が落ち着かない。
右に座るトシユキ氏、左に座るバヒ氏と雑談をしながら、必死でアイデアをシェイプしていった。
あと、途中でまる氏の親戚の方に一橋出身の方がいて、やあやあやあどーもどーも、という展開に。
公式の場は苦手だけど人とあれこれ話すのは好きなので、ただでさえテンパっているのに、
気分が高揚するんだか沈んでいくんだかまったくわからない状態になった。困った。

一次会が終わってから二次会までほとんど時間的な余裕がなくって、それでも雑談をしているうちに
トシユキ氏が強力なギャグを思いついてくれたので、ゆっくりと決心がついていく。
自分を油断させないために、口ではわざと弱気なことを言って反作用で強気を引き出していく。

二次会には高校時代の物理班の後輩どもが集結。会うのはもう5年ぶりくらいになるので、
けっこう皆さん外見が落ち着いている。後輩の落ち着きぶりで時間の経過を実感するダメな先輩である。

で、ものすごくあっけなく乾杯の時間が来た。逃げるなんて選択肢は最初っからないので、
いつもどおりの気分でマイクの前に立つ。照明の関係もあって、目の前が真っ白。何も見えない。
とりあえずテキトーに高校時代の話をして、そこからさっきトシユキ氏の思いついたギャグを言ったらウケた。
でもまだ視界は真っ白で、何も見えない。なんとか予定していた手順をこなしていこうと必死でしゃべる。
「でもみんなからは全然必死に見えないんだろーなー。テンパっててもふつーにこなしているように見えちゃう、
そんな自分が今日はちょっとだけ好き☆」なんてバカなことを考えながらも口は勝手にしゃべっていく。
途中で若い声の茶々が入るが、そんなものは頭の回転に物を言わせてうっちゃり、話を元に戻す。それには慣れている。
すると、最初のうちは皆さんあんまり集中していなかったのに、『鉄浜』の話が進んでいくにつれ、
一言も発さずに僕の言葉に耳を傾けているのがわかる。視界が真っ白で見えないのに、わかる。
うれしいなんて気持ちは全然なくって、とにかく怖かった。こんな感覚は初めてだった。
でも表面上の僕はそんなのおくびにも出さないで、切符を拾い上げたところで無事に強制終了。
テンパりまくって恥ずかしくって、元の場所に戻る際、思わずまる氏に「こんなんでいいの?」と訊いてしまった。
まる氏が「いい、いい」と言ってくれたんで、心底ほっとした。やはり他人のために物事をやるのは疲れる。
後はもう、足がガクガクして立っているのが辛かった。食べた記憶のほかは、ほとんどない。

二次会が終わって、物理班の有志と近くの飲み屋に入ってあれこれダベる。
まる氏(を中心に、僕ら)の高校時代の悪事を話しては爆笑。幸せな時間を過ごした。
あちこちに呼ばれて忙しいであろうまる氏も顔を出してくれて、最終的には嫁さんを連れてご登場。
嫁さんの前で「せんたは性格がアレだからなー(だからモテないよな)」と上から言われてしまった。
否定できないし、するつもりもないけど、まあ、優しい人になりたいなあ、と思わされた。いろんな角度から。

久しぶりに懐かしい顔に会ってすごく楽しい時間だったし、
自分の至らない箇所をビシビシ指摘された気がして切ない時間だったし、
でもまあ主役はまる氏なんだから、まる氏にとって良かったんならとりあえずそれでいーじゃん、
そう総括して、帰って即、倒れるように寝た。とにかく、おめでとうございました。


2006.4.15 (Sat.)

会社の同僚の結婚式、二次会に呼ばれる。出席する。
そしたら以前うちの会社に勤めていたという方にお会いした。これがものすごく強烈なキャラクターの方で、
とびきり厚い胸板を半袖シャツで強調しておられる。茶髪にピアスで、ブーツがカウボーイっぽい。
僕はいつも「うーん、この高度経済成長期を思わせる皆さん、なんとかならんもんか」と思いつつ働いているので、
かつてこの方が会社にいた、という事実が衝撃的だった。そのときの職場をぜひ見たかった。

パーティの間、同期の仲間とずっといた。立食形式なのだが、食べることしかやることがない。
なんというか、結婚式の雰囲気というのはつねにアウェイだ。どこにいればいいのかまったくわからない。
知り合ってそんなに時間が経っていないからというのもあるんだけど、それにしてもアウェイなのだ。
こういうパーティで騒げる思考回路というのがわからない。うらやましいとちょっと思っているけど、自分には無理だ。

その後、会社の皆さんで会場近くの別の店に入る。ところがすぐに、バヒサシさんとトシユキさんから連絡が入る。
というのも、明日は中学からの友人である「まる」氏の結婚式だからだ。僕ら4人は「モゲの会」の仲間なのだ。
そんなわけで、中座させてもらってバヒさんトシさんのいる飯田橋まで行く。その途中でまた別の連絡が入ってくる。
電話に出ると、高校の後輩(3つ下なので直接顔を合わせていたわけではないのだが、よく知っているのだ)である、
ザコちゃんから。何事かと思ってたら、「明日の二次会で乾杯の音頭をとってください」という依頼。
前日の夜9時になんだよそれーと思う(後日、僕宛てのメールで2日前に依頼があったのを知った。申し訳ない)。
しょうがないので(?)引き受ける。高校時代のメンツを考えると自分しかそういうことできる人いなさそうだし。

飯田橋のカフェでバヒさんトシさんは飲んでいた。僕も混じる。
さっそく乾杯の件の話をして協力をお願いする。まさかあいつ(まる)がねえ……という雑談をまじえつつ。
僕はどうしても、前にあった同僚の結婚式(→2006.3.12)でふと思いついた、落語の『芝浜』をやりたかった。
でもぜんぶやるのは時間的にも実力的にも無理なので、途中のいいところで話を切って、
「それでサゲはどうなるのー?」という状態にしたいと思った。まるは酒が飲めない鉄道好きなので、
『鉄浜』という題にして話を脚色していくことだけは決めていた。ふたりにあれこれアイデアを出してもらう。
しかし手元に資料も何もないので、なかなかいい具合にアイデアがまとまらない。
結局、近況を話しつつ、モテたいねえ、というおなじみの話題に落ち着くのであった。

閉店の時間になって外に出る。なんだか30歳が近づいてきたことを少し実感して、なんとも形容しがたい気分になる。


2006.4.14 (Fri.)

岩井俊二監督、『リリイ・シュシュのすべて』。

久々に、見ていてムカつく映画を借りてきたように思う。とにかく、すべてがウソ臭い。
映画だしフィクションなんだし、ウソ臭いのは当然のことなのかもしれない。
しかし、なんというか、納得がいかないのだ。物語の世界の中での論理すべてがウソ臭い。
現実と違う物語の中にも、重力はあるし、登場人物には心理がある。そこには「ルール」があるはずだ。
それらがすべて、監督の論理だけで動いているように思う。監督の都合で論理ができていて、ウソ臭いのだ。

映像がとにかく気持ち悪い。一見きれいに見えなくはないんだけど、そのどこまでも作り物めいた色がきわめて不快だ。
岩井俊二の映像はこれと『四月物語』しか見てないんだけど(→2005.9.13)、共通しているのは作り物っぽさ。
現実の(らしく見える自然な)映像にいちいち手を入れて、すべてを監督の目というフィルターを通して提示している。
そのせいで、かなり閉塞感を感じる。窮屈で、不自然な格好で覗き窓を眺めている感覚になる。
そもそも映画を上映する映画館という存在じたいが、非常に閉鎖的な空間なのだ。光を遮断するから当然だが。
その閉鎖的な空間の中で、無限に広がる物語を観客の頭の中に広げるところに映画の本質があると思う。
(これが演劇の場合、観客の世界を広げるのが、物語の魅力、さらに役者(身体)との駆け引きといったことになる。)
ところが岩井俊二の場合、空間が閉鎖的なうえに話も映像も閉鎖的なので、見ていて窒息しそうになる。
それこそ毎度おなじみ、作り手の頭の中にある箱庭でちまちま人形を動かして満足している気持ち悪さ(→2006.3.22)、
そのものだ。スクリーンの中だけでしか通用しない理屈を見せられて、もうウンザリ。

ストーリーとしては14歳というのがキーになっているらしい。
理想(ここでは「エーテル」という表現を使っている)を見せてくれる歌手・リリイのファンである主人公を軸に、
グレていく友人と何もできないでいる自分との関係、その葛藤を描いているようなのだが、
時間軸の飛ばし方がどうにも手際が悪いし、登場人物が中2に全然見えないしで、ついていけなかった。
(笑ったのは本上まなみ演じる友人の母親について、「あいつの母ちゃん本上まなみにソックリ」と言わせたシーンのみ。)
グレていく友人と14歳の自分、というのは僕も中学時代に体験しているのだが、どうにもなじめない内容だった。
やはり、大人の側の視点から14歳をおそるおそるこわごわ扱っている感じ。
大人にとって子どもってのは絶対的な他者だ。14歳にはその大人と子どものバランスの危うさが、まず身体的にある。
しかし大人はそれを利用して共犯関係を結ぼうとしていると思う。意識しているにせよ、していないにせよ。
そうして14歳を自分の都合にいいように扱いたい、と考えている。14歳はその点、まだうまく立ち振る舞うことができない。
だから14歳の姿を正確に描くには、実は大人が不可欠になる。しかしこの映画もやはり、14歳を他者にしておびえている。
ゆえに、「14歳が半分大人の身体で、独自の理屈で暴れまわる」という荒唐無稽な話ができあがる。
これほど14歳に対して失礼な態度はないってのは、もうわかるだろう。14歳を利用しているのは、大人(親もそうだ)なのに。

この映画を評価する人を僕は信じられない、ってくらいにつまらなかった。
本質的なことを一切避けて、監督の都合のいいようにだけ世界を切り取って縫い合わせている。
表面はつるつるして感触がよさそうに思えても、裏側のつぎはぎが実に醜い。そんな程度の映画だ。くだらない。


2006.4.13 (Thu.)

今日は、春が完成した気配がした。
三寒四温ってのは本当で、寒い日と穏やかな日とを繰り返しながら季節は春へと近づいていく。
寒い日は冬の延長線上にあるような印象。でも、空気の奥にはトゲトゲしさがなくなっていて、
その寒さを剥ぎ取ったそこにはちんまりと春が眠っている、そんなふうに思える。
穏やかで暖かい日には引力を感じる。背中が引っぱられて背筋がなんとなく伸びる感じ。
植物の芽は、そんな引力に引っぱられて大きくなるように思える。自分から大きくなるのではなく、
あくまで春の引力に引っぱられて、前へ前へと育っていく感じ。抽象的で申し訳ないけど、そう思うのだ。
そして、今日はそういったやりとりが終わって完全に春になった、そんな気がした。

これから季節は落ち着いた春になって、それが5月に入るとちょっと夏みたいにキツい日差しになって、
それから梅雨になって、それが終わったら本物の夏の日差しが待っている。
でも温度はそのままで気がつけば残暑に切り替わっていて、涼しさを感じたときにはもう冬が準備を始めている。
一日一日はきちんと24時間あっても、季節の流れで考えれば、時間はかなりのスピードで進んでいく。
今という時間を大切にしなきゃいかんなあ、と思うんだけど、忙しくって目が回って、なかなか思いどおりにいかない。
がんばらなくちゃ。


2006.4.12 (Wed.)

旅行も終わって日常に戻ってきたのであるが、いきなり信じられないことに出くわした。
大岡山TSUTAYAが来月に閉店をするというのである。ウワサでは耳にしていたものの、まさか本当にそうなってしまうとは。
目の前が軽~く真っ暗になった。今までの生活スタイルに満足しきっていただけに、これは痛い。どうすりゃいいやら。

村上龍『半島を出よ』。関西旅行中に読んだので(分厚い下巻を持ち歩いたのだ……)、感想を。

まず、これはとんでもない力作である。2011年、北朝鮮から脱出したと主張する武装グループが、福岡市を占拠した。
日本政府はまったく頼りにならない。外国の軍隊も協力してくれない。福岡は完全に孤立してしまう。
そういうなかなかぶっ飛んだ設定を用意し、なおかつそれが現実の延長線上にあるように研究し尽くしている。
この努力だけでも大いに評価しなければなるまい。徹底的に綿密に、物語の舞台がつくられている。
主人公と呼べるのは、社会から疎外されている少年たち。彼らは社会に馴染めない。でも確かな自分の武器がある。
福岡のはずれに暮らす詩人のイシハラのもとに集まった少年たちが、決して正義のためではなく、
あいつらが気に入らない、あいつらは敵だ、という直感から武器を手にする。そんな感じか。

文章は読みづらいことはなく、淡々と(物語の中の)事実をつづっていく。
膨大な分量があって読むのに時間がかかるが、振り返ってみると、するすると物語を思い出すことができる。
つまりそれだけみっちりと情報が詰め込まれている、事実についての描写が丁寧ということで、
本当に細かい仕草のひとつひとつまで徹底的にリアリティをもって描かれている。
自分の頭の中で想像したものを、きちんと文章に落としている、それを確実にやってのけているのには心底まいった。

とにかくストーリーが圧倒的なので、それに対してあれこれ文句をつける気にはならない。
それだけのリアリティがある。努力がはっきりわかるし、それが100%機能しているのもわかる。
だから読者のこちらとしては、ただ膨大な情報量とともに流れてくる物語を、ひたすら受け止めるしかない。
言葉を変えれば、読んでいる間はただ夢中ってことだ。ある意味それは最も贅沢な時間の使い方である。

かといって、不満がないわけではない。最大の不満は、福岡市内の地図がないことである。
僕は福岡についての知識が乏しいので、市内のどこで事件が起きているのかが今ひとつつかみづらい。
そういうときに市内の地図があればずいぶんと助かるのだが、それがないのだ。
かわりに登場人物の一覧がついている。重要な人物からチョイ役までまったく同列に扱われていて、
ハッキリ言ってこんなくだらないものをつけて地図をつけない、その感覚が理解できない。
この小説はほかの小説以上に、空間の関係というものが重要であるはずだ。
福岡という地方都市だからというだけではない。国と都市の関係、外国との駆け引きにはじまり、
都市の内部での落差(山の手と下町、中心部と郊外、その他もろもろ)、そういったものが物語の背景にある。
地図がなく不要なものがあるということは、編集する側が空間の重要性をまったくわかっていない事実を示している。

装丁もズルい。見るからに毒々しいヤドクガエルを表紙にもってくるという選択は、大正解なのである。
でも作中でヤドクガエルが活躍する場面はない(アマゾンにいないと毒がカエルの体内に蓄積されないため)。
それってどうなの、とどうしても思ってしまう。デザインとしては正しいんだけど、やっぱり納得いかない。
おかげで素直に装丁を褒めることもできない。

さて、村上龍の作品は、これまで『69 sixty nine』(→2005.9.21)、『限りなく透明に近いブルー』(→2006.2.14)と、
ぜんぶで3つ読んだことになる。これらの作品を通して感じたことを書いてみよう。

一言で表現してしまうと、それは、高いところからハシゴをはずして読者を見下ろしている感覚、となる。
『69 sixty nine』のケン、『限りなく透明に近いブルー』のリュウ、そして『半島に出よ』のイシハラと少年たち。
彼らは特別な存在なのだ。『69 sixty nine』』のケンは誰からも一目置かれて、ありあまるエネルギーを持った少年。
『限りなく~』のリュウはセックスとドラッグの中に埋没しているものの、社会からはずれたそういう位置にいながらも、
なおかつその後、その体験を小説という作品に昇華するという並外れたエネルギーを持った人物である。
『半島を出よ』の場合、少し毛色が違うのは確かだ。彼らは褒められるということがない。
むしろ、褒められるということは多数派に抱き込まれるということを意味する。それは嫌悪の対象でしかない。
しかし、だ。彼らは彼らにしか扱えない武器を持っている。それを使いこなす英雄として描かれているのに違いはない。
そういう意味で、やはり彼らは特別な存在であり、われわれ一般人とは別の世界にいると言ってよい。
村上龍の作品では、超人的な主人公の視点から、一般人がいかに「足りない」かを徹底して描いていく。
それでいて、では一般人が主人公たちに近づくためにはどうすればいいのか、それはまったく描かない。
生まれつき絶対的な断絶があるようにすら書く。それがハシゴをはずして見下ろす、ということだ。
村上龍自身を含めた英雄と、その作品を黙って享受することしかできない読者たち。
この置いてけぼりの感覚は、ふと気がついてみるとぞっとするレヴェルのものだ。気づいてしまったら、もう戻れない。


2006.4.11 (Tue.)

本日は名古屋を観光するのである。やはり昨日からの雨が続いていて、動きまわるのが億劫になる。
しかしそれではわざわざ名古屋に来た意味がないので、傘をさしてがんばって歩くのである。

名古屋で浪人をしているときの行動パターンはだいたい決まっていた。平日は名駅の地下で過ごす。
休日になると、地下鉄で伏見まで出て、名古屋市科学館でプラネタリウムを見る。これが月1回の儀式だった。
その後、大須でパソコン用品やらスポーツ用品やらを眺める。で、昼に寿がきやラーメンを食べて、
矢場町のPARCOに行って、楽器やら本やらを眺める。それから栄の地下を歩いて久屋大通まで行き、
東急ハンズをくまなく見てまわる。で、地下鉄桜通線に乗って(これを「チェリーする」という)、帰る。
今回、このパターンを久しぶりに再現するのである。ただし、時間の都合でプラネタリウムは抜き。残念だ。

大いに満足しつつ宿を出ると、名古屋駅へと向かう。地下鉄に乗り、大須を目指すのだ。
久しぶりに乗った名古屋市営地下鉄だが、路線図を見てめちゃくちゃ驚いた。
名城線が環状線になっている! そして桃色の上飯田線というのが新しくできている!
僕が名古屋にいたころ、名城線は名城公園までしかなくて、金山から名古屋港と新瑞橋に分岐していた。
今は新瑞橋から名城公園までがつながっていて、名古屋港は名港線という別路線扱いになっている。
考えてみればもうあれから10年経っているわけだけど、よくまあここまでつくったなあと感心してしまった。
基本的には郊外にまで地下鉄が広がった感じで、名古屋の中心を動きまわる分にはまったく関係のない話。
これも愛・地球博効果なのかねえ、と思いつつ、伏見で東山線から鶴舞線に乗り換える。

上前津で地上に出る。10時ちょっと前に着いてしまったので、とりあえずアーケードを中心にウロチョロ。
久々の大須だが、雰囲気は全然変わっていない。相変わらずだなーなんて思いつつ、大須観音へ。
「なんとかなりますよーに」とお決まりのお参りを済ませると、もう一度アーケードに戻る。
第2アメ横ビルが営業を始めていたので中に入る。で、顎がはずれるかってくらい驚いた。
かつてこのビルにはゲームやらパソコンやら、そっち方面の店がぎっしり詰まっていたのだが、
今は1階の一部を除いてそういう要素がまったくなくなっていた。ふつうに服を売っている店が入っている。
フロアもぜんぶ使っているわけではなく、テナントの入っていない部分は閉鎖されている。
あまりの変化にただ呆れるしかなかった。街全体は相変わらずの雰囲気だっただけに、よけい驚いた。

気を取り直して朝飯である。名古屋といったら寿がきやラーメン、特に大須は寿がきやラーメンの聖地である。
さっそく注文してハフハフをいただく。この味もまったく変わらない。僕には小さいころから染みついている味なのだ。
でも店内には「ラーメンフォークがリニューアルになります!」というポスターが貼ってあった。
僕にとってあの独特の形をしたフォーク(というよりスプーン?)と寿がきやラーメンの味は分かちがたいもので、
これはかなりショックだった。ゴールデンウィーク中にはそのラーメンフォークをプレゼントするキャンペーンをやるそうで、
もうめちゃくちゃほしいんだけど、東京在住の僕には入手する方法が思いつかず、断念するしかないのだった。

それからもしばらく大須をフラつく。でもまあ欲しいものも特にないし荷物も増やしたくないので、
買い物をすることもなくただ歩く。で、別の寿がきやでソフトクリームを買い、ペロペロしながら矢場町へ。

矢場町に着いたが、急に「PARCOに行っても東京と同じな気がするなあ。別んとこ行くかー」と突如考えて、
ナディアパークへ行くことにした。これは僕が浪人が終わるか終わらないかの頃にできた施設で、
LOFTやら紀伊国屋書店やらヤマギワソフトやらが入っている。ちょっと奥まった位置にあるので少しわかりづらい。
僕はここのアトリウムがなぜか好きで、来るたび写真に撮っている気がする。
あの金属のパイプとコンクリートでできたグリッドが、なんでかわからんがツボのようなのだ。

  
L: ナディアパーク外観。ナディアとはNHKでかつて一世を風靡したアニメ……ではなく、NAgoya, Design, Youth, Amusementから。
C,R: アトリウムで天井を見上げるとこんな感じ。金属とコンクリートのむき出し感がたまらん。

 
L: アトリウム内、矢場公園側。  R: その天井。

これまたテキトーに内部をウロつく。平日なので人がとても少ない。便利でいいなあと思う反面、やはりさびしい。
混んでいるからこそ楽しい、という逆説もあるのだ、なんて思いながら、ナディアパークを出るのであった。

白川大通に戻って北上。栄を目指して歩く。やっぱり名古屋は地下の街、というイメージで、特に栄はそう。
栄の地下をふらふら堪能しながら歩いて東急ハンズまで行く、というコースが、僕の定番なのである。

さて、栄の地下に来たのはいいものの、見慣れない名前がある。「オアシス21」。
なんだそれは、と思って矢印の方向へ歩いていく。愛・地球博に合わせてつくられたものなのか。そして地上に出て驚いた。

  
L: オアシス21のシンボル、「水の宇宙船」と名づけられた大屋根。 そういえば水の流れている屋根ってニュースになったな……。
C: 全体はなだらかな斜面になっていて、そのまま隣の愛知芸術文化センターの2階に接続しているのだ。大胆だなあ。
R: オアシス21よりテレビ塔を眺める。名古屋は景気がいいって話だけど、この周辺の整備の勢いを見ると十分うなずける。

さすがに10年経って、ずいぶん変わった。細かいところまできれいになっている、そういう印象を受ける。
歩いてみて昔のままの部分は昔のままで、なおかつ、他の地域から来た観光客の目につきやすい部分は、
徹底的にきれいにしている。そして地元の人は、それを誇りをもって受け入れている。そんな感触だ。

なんだか知らないうちに立派になっちゃってちくしょーなんて嫉妬をおぼえつつ、東急ハンズへ。
ここは品揃えが特に豊富ってわけではないのだが、飯田にいるときに一番近いハンズだったので、思い出の地なのだ。
FREITAGが2,3個置いてあって驚いた。まあ、売れそうにないけど。

ハンズを堪能した後は、桜通線に乗って(これを「チェリーする」という)名古屋駅に戻る。
ちなみに桜通線は深いところを走っているので通路の距離が長い。施設自体はわりと新しめ。そして、ひと気が少ない。
だから無人のSFっぽい空間を歩くわけで、その異次元な印象が面白い。さすがチェリー(なんて浪人時代によく言っていた)。

名古屋駅に着いてからは、やはりまずは名駅地下街を歩く。遅い昼飯にピラフをいただいて、歩く力を充電。
近鉄・名鉄、それぞれのデパートをブラつく。細かい変化はあるだろうけど、大きな印象としてはまったく変わっていない。
それからやっぱり名古屋駅高島屋のほうのハンズにも入ってみる。そんなこんなでタイムアップ。バスの時間になる。

バスは中央道経由で新宿へと向かう。途中で当然、飯田インターを通過する。

名古屋へは小さいころから本当に数え切れないくらい何度も行き来しているんだけど、
最初のころのことを思い出してみると、同じ名古屋なのに今とまったく違った姿だった。そのことにあらためて驚いた。
でも飯田にいたころは、かなり頻繁に行っていたので、その姿の変化を自然と受け入れていた。
20代になってから名古屋に行ったのは片手で足りるほどで、特に今回は万博の後ってこともあり、
ずいぶん姿が変わっているのを目の当たりにすることになった。
僕はそれを急激に変わったように感じているが、実際はそんなことないのかもしれない。
それだけ名古屋が遠くなってしまっていた、ということだろう。ちょっと切ない。


2006.4.10 (Mon.)

朝起きて支度を整えると、カプセルホテルを出る。
昨日までは焼けつくほどの晴天続きだったのに、この日はかなりの雨降り。
しょうがないのでコンビニで傘を買って、それから牛丼で歩く力を充電すると、大阪駅へと向かう。

まずはとりあえず、梅田のスカイビルに行ってみることにする。
再開発が進んでいるのかいないのかよくわからないけど、せっかく梅田にいるんだし行ってみよう、と地下道を行く。
月曜日ということで、スカイビルに向かう人はみなサラリーマン風。自分ひとり浮いている気がする。
いざ到着して中に入ってみると、受付嬢がいるだけであとはエレベーターがあるだけ。
念のためにもう一方の建物にも入ってみるが、やっぱり同じ。ずっと上の階には映画館もあるみたいだが、
サラリーマンたちのおかげで全然そんな雰囲気じゃない。夕方に来ればまた違うのかもしれないが。
外に出て周りを歩いてみるが、原広司特有のほったらかし感が満載で、居場所がない。そそくさと来た道を戻る。

なんとなくヨドバシカメラに入ってみる。けど、秋葉原や横浜にあるのとほとんどかわりがない。
平日なので空いているのはうれしいが、いろいろ買い物をして荷物を増やすつもりはさらさらないのである。
しょーがないなーと思い、阪急の電車に乗って、神戸に行ってみることにした。

神戸に着いたはいいけれど、特に目的があって来たわけではない。
雨の勢いは少しも衰えない。ウロウロと歩きまわる気にもならない。せっかくの有給だというのに低調である。

三宮の東急ハンズに行ってみた。平日・午前中・雨ということでか、客が全然いない。
1階はまだしも、上の階に行くにしたがって客の数は減っていき、店員以外は自分しかいないような錯覚すらおぼえる。
それはそれで好都合である。のんびりゆっくり、上の階から陳列されている商品を眺めながら下りていく。
にしても客がいない!

三宮ハンズにFREITAGはないのであった。

ハンズを出てしばらく駅周辺をフラフラして、腹が減ったので昼飯をかき込むと、結局梅田に戻ることに。
オレは神戸に何しに行ったんだろーと茫然としながら電車に揺られ、梅田に到着。
バスの時間を確認して会社の皆さんへのお土産を買うと、大阪駅周辺を歩きまわる。
次はいつ来れるかわかんないので(あっさり半年後にまた来たりして)、できるだけあちこちを目に焼きつけておく。

バスの時間になったので、乗り込んで名古屋へと向かう。地下鉄御堂筋線と並行する国道423号線を北へ。
途中で新大阪駅や江坂駅の横を通り、しまったーと思う。こっちのほうとか見に来ればよかった、と。
特に江坂にはハンズがあるわけで、ハンズ全国制覇が密かな目標である自分としては、あまりに迂闊なのだった。

途中で寝っこけて、目が覚めたら滋賀県を通過中。いつものことである(といっても2/2の確率だが)。

名古屋に着いた。雨の勢いは大阪と全然変わっていなくって、歩きまわるのはかなり億劫だ。
勝手知ったる名古屋駅太閤通口に出て、宿を探す。安めのビジネスホテルを狙うが、なかなかうまくいかない。
暗くなってからの椿町周辺はハッキリ言って怖い。名古屋に慣れている僕でも怖い。街灯が少ないせいもあるし、
やはり怪しい夜の店が点在(並んでいるわけでなく、本当にポツポツと点在)しているせいもある。
治安のいい雰囲気じゃないところに明かりが少ないときているので、早足で脇目もふらず歩くしかないのだ。

で、しばらく歩きまわった結果、地下が個室ビデオ屋になっているかなり怪しげなビジネスホテルに入った。
フロントが異常に狭い。あーもーしょうがないや、と思ってキーをもらい、上の階に行ってびっくり。こぎれい。
共同浴場に行ってみてまたびっくり。こぎれい。あれ? これひょっとして掘り出し物?と思う。安いし。
とりあえずもう一度外に出て、名古屋駅で晩飯を食べ、コンビニで夜食を買って戻る。
そしてゆっくりと風呂に浸かって旅の疲れをとり、ノートパソコンの電源を入れてあれこれ書き物をする。
やっぱりモノは外見で判断しちゃいかんなーと思う。最初は大丈夫かよと思っても、意外と満足することがあるのだ。
今回はまさにその典型で、ホクホクしながら寝たのであった。いやー善哉善哉。


2006.4.9 (Sun.)

本日は大阪観光である。といっても、2年前に来たときに主要な場所にはいちおう行ったので、
今回は前回行けなかったところを中心にまわるつもりである。

まずは地下鉄に乗って、難波へ。前に難波に来たときはとんでもない炎天下で(→2004.8.11)、まいった記憶がある。
今回はするりと高島屋を抜けて、南海の電車に乗り込むことにする。鉄分は低い僕だが、やはり乗ってみたいのだ。
が、ホームがいっぱいあって、しかも急行やら各駅停車やらがいっぱいあって複雑で、どれに乗るべきかサッパリ。
ホームの端から端までウロウロ行ったり来たりする僕の姿は非常に怪しかったに違いない。駅員がじっと見ていた気がする。
萩ノ茶屋駅で降りてやろう、と思ったのだが、ワケがわからなくなったので、とりあえずテキトーな列車に乗る。
動き出してから外を眺めていると、各駅停車専門の1番ホームだけ離れた位置にあるのが目に入った。……しまった。
電車は新今宮駅に着く。各駅停車に乗り換えようとするも、どのホームにどこ行きの列車が着くのかが本当にわからない。
今までそれなりに電車に乗ってきたが、この南海新今宮駅ほどこんがらかったことはなかった。結局、駅を出て歩くことに。

新今宮とか萩ノ茶屋とか、要するに最初の目的地は、日雇い労働者の街・あいりんである。
前回も来ていて、「お前は興味本位でそういう場所にばかり行くのか」とツッコミを入れられそうだが、正直そうだ。
恥ずかしい話だが、僕は大学1年のときに英語の授業で日本の経済やらなんやらを書いた文章を読まされて、
そこに「Airin」という単語が出てきて、その意味がわからなかった。大学に入って(出てからも)、あまりに物を知らなすぎた。
で、まあそういう意識がつねに頭の中にあるので、とりあえずこの目で確かめる、そういうことにこだわりがあるつもりだ。
(もうひとつ、大学3年から入ったゼミで都市社会学を勉強し、自分の足を使って考えるスタイルが身についたこともある。)
前回は国道沿いに表面を歩いただけだったので、今回はど真ん中を突っ切ることにする。

春にしてはややキツい朝の日差しの中、歩いていく。行き交う人々は圧倒的におじいちゃんあるいはおじさんばかりで、
明らかに自分は浮いている。太陽の白い光に照らされ、簡易宿泊所が並んでいる街並みは穏やかだった。
しばらく行くと、西成警察署が右手に現れる。建物は柵に囲まれている。正面には四角い柱がでっかく立っていて、
要塞というか砦というか、とにかくがっちりと守りを固めている、そういう印象を与える建物だった。
その先にはいわゆる三角公園があって、白いテントのようなものが目立っていた。地面の土の色との対比に、
なんとなく学校での運動会を思い出してしまった。ともかく、興味本位で来るところじゃない、とあらためて思った。

大通りに出ると、少し東に移動して、今度は飛田新地を突っ切る。昔からの、そして今でも、遊郭の街。
遊郭ってのは建築的にはけっこう重要なところがあって、建物の細部に施された意匠は見るべきものが多いのも確かだ。
しかしながらそんなじっくり歩く余裕はなくって、ただその独特な街並みを目にしながら早足で歩いていった。
まだ午前中なのに伝統的な木造建築にはピンクとブルーのネオンがきらめき、おばちゃんが軒先から声をかけてくる。
「うおーなんか怖え!」と思ってしまった僕は度胸がないのかもしれんが、とにかく歩いたことは歩いた。

坂を上って天王寺駅に出る。あちこち歩きまわってから歩道橋の上に立つと、大都会に来たって気持ちになる。
それにしても大阪って街は本当にすごい。人間の表と裏が、これほどまで狭い間隔で凝縮された街はほかにないだろう。
表面上のきれいさだけで固められている東京と比べると、大阪人のたくましさの根源がなんとなくわかる。

天王寺からは電車に乗って、鶴橋駅で降りる。今度こそ、生野のコリアンタウンに行ってみるのだ。
まずは鶴橋駅のガード下に入ってみる。本当に迷路のように複雑な構造になっていて、小さな店がびっしり軒を連ねている。
そのどれもが垢抜けていない昔ながらの商店で、用はないんだけど歩いているだけで楽しい、そういう場所だ。
鶴橋駅は北側が東成区、南側が生野区になる。ガード下も生野区側では韓国系の食品を売る店が多くなる。
駅を出て、しばらく迷った末に南に歩いて、聾学校の大通りまで出る。そこから少し東に動いて、また南下。

鶴橋駅の地図でコリアンタウンの場所を確認しておいたのだが、現地には特に案内板も出ているわけではないので、
軽く入口を通り過ぎてしまう。しかしすぐに気がつき、戻って、東へと折れる。本当にわかりにくい。
目印になるのは御幸森神社で、その脇をまっすぐに東へ行くと、いつの間にやらコリアンタウンになっているのだ。
生野屋内プールという公共施設が通りに面しているので、ここを目指せば簡単に来れるかもしれない。

さて、コリアンタウン。実際に行ってみると、かなり地元密着の商店街、という印象が強い。
幅の広さもそんなになく、商店街は「面」ではなくて「線」になっている。周囲はふつうの住宅。
もっと大々的に宣伝をしていて、観光客で賑わっていると思っていたので、これは意外だった。
店先で韓国料理をつくって売っていたり、惣菜を売っていたりと、食についてはさすがに充実している。
集団で来てあれこれ食べてみるのは楽しいと思う。でもひとりで来ると、ちょっと手持ち無沙汰だ。
今の韓国ブームに乗ってあれこれできれば面白いのに、と思うが、それはやはり日本と韓国の歴史について、
これといって実感した経験のない人間だから言えることなのかもしれない。きっと歴史の重みってのがあるのだろう。

 平野川側から商店街の門を撮ってみた。

さて、意外にあっさり済んでしまったので、なんだか拍子抜けした気分のままで駅まで戻る。
それから真田山公園を左手に眺めつつ玉造駅まで歩く。そこからは地下鉄に乗って、西へと向かう。
わりと大阪に来たときには東側を重点的にまわっている気がしたので、西側へ行こうと単純に思っただけ。
で、大阪ドームに行くだけ行ってみた(西側にはUSJもあるけど、ひとりで行くところじゃないし)。

 大阪ドーム。びっくりドンキー目立ちすぎ。

近鉄バファローズ亡き後大阪ドームがどうなるのか、揺れている真っ最中に行ったわけだが、
特にこれといって魅力的なものはなかったのであった。周囲もなんとなく無機質な印象がしたし。
ダフ屋のおばちゃんから声をかけられるが、別に試合を見るために大阪に来たわけではないので、無視。
阪神ファンがちらほらとやってきている中、30分ほどぷらぷらして、結局何もせずにまた地下鉄に乗る。
(ちなみにこの日は阪神の金本が連続イニング出場の世界記録を更新した日で、なるほどと思った。)

もう行きたい場所も特になかったので(ないわけではなかったのだが、ひとりで行くのが淋しい場所ばかりだった)、
心斎橋で降りて、とりあえず東急ハンズへ。バッグ売り場でFREITAGを発見。かなり強烈な柄でちょっと欲しくなる。
その後は、やっぱりなんとなく目的もないままでぷらぷら歩いて、千日前の辺りまで行く。
それから思い出したように日本橋へ。中古のファミコンショップをあれこれひやかしつつまわってみる。
すると、懐かしのゲームミュージックCDを売っている店を何軒か見かけた。一気にテンションが上がる。
秋葉原よりも日本橋のほうが、中古ゲームミュージック市場は成熟している。だから品揃えが非常に充実している。
思わずヨダレを垂らしそうになってしまう逸品がぽこぽこと売られている。店によっては良心的な値段もついている。
そんな中、『Falcom Special Box '93』を定価よりちょっと上の値段で売っているのを発見する。
大いに迷うが、これを逃したら次にいつチャンスが訪れるかわからないので、思い切って購入。手が震えた。
次はしっかりと金を貯めて大阪に来なければ、なんて思ってしまう。
なんだかこのためだけに関西に来た気がしないでもないのが、なんともだ。

地下鉄で梅田に戻ると、晩飯を食べてさっさとカプセルホテルへ。夜遊びという発想がないのである。
ケータイの電池が残り少なくなっていたので、カプセルの筐体の脇についていたコンセント穴からこっそり充電。
本を読みつつ日付が変わる頃まで過ごし、充電が終わったケータイを引っ込めて寝る。


2006.4.8 (Sat.)

大阪駅に着いたのが、朝の6時半。
やっぱりバスの座席で寝ても疲れはとれない。なんとなく首が痛いなあ、と思いつつ、券売機の前に立つ。
そしたら、僕の目に飛びこんできたもの。

 イコ太(左)とイコちゃん(右)。

JR東日本のICカードはご存知「Suica(スイカ)」である。ペンギンがイメージキャラクターのアレだ。
ところがJR西日本では「ICOCA(イコカ)」なのだ。イメージキャラクターは上の写真のカモノハシである。
これを見て、「あー大阪だー関西だー」と実感。Suicaが関西でも使えることに感動しつつ、改札を抜ける。

大阪環状線で天王寺駅まで行き、そこから奈良に向かう電車に乗りこむ。
細かいことを全然覚えていない。寝ぼけた頭で、少しも迷わずスムーズに行けたことにびっくりだ。

今回の奈良旅行は、もともとワカメの発案による。Messengerでワカメが「仏像見てえ」と言い出して、決まった。
現地に一番乗りをした僕は、とりあえず駅の周辺を一周してみる。まあ当然の行動パターンだ。
JR奈良駅は、プレハブだ。西口(なら100年会館・日航ホテル側)から見るとよくわかるのだが、
今、奈良駅は大規模に工事をしている真っ最中なのだ。近いうち、駅は今よりも少し南側で営業をするのだろう。
なお、プレハブ駅舎の北側には、旧奈良駅舎が保存というか放置されている。さすがに風情のある建物だ。
新しい駅ができた後、有効利用されることを切に願うのであった。

西口に戻ると、ミスタードーナツに入って読書をする。そうしてメンツが集まるのを待つ。
今回、ワカメの提案に賛同したのは僕・ふぐさん(京都市在住)・ハセガワさん(電通大院生)・イヌさん(千葉県在住)。
1時間ちょっと待っていたら、皆さん合流。ふぐさんは電車の都合だそうで、3分ほど遅れて合流。無事にそろった。

 
L: 今回のメンツ。左からイヌ女史、ハセガワ氏、ワカメ。ハセガワ氏は大学院の入学式の後、直接奈良に来た。後にふぐさんも合流。
R: こういう標識があるあたり、さすが奈良だわ、と妙に感心させられたのであった。

JR奈良駅からテケテケと、奈良公園方面へと歩いていく。道は非常に緩やかな上り坂。
ワカメが用意した地図を覗き込みつつ、勝手のまったくわからない道をワイワイしゃべりながら歩いていく。
途中に小さめのお寺があって、そこに何やら人が集まっていた。近づいてみると、花祭り(灌仏会、かんぶつえ)ということで、
皆さんお釈迦様の像に甘茶をかけているのであった。こんな光景を目にするのは幼稚園以来の気がする。
懐かしがって眺めていたら、おばちゃんに甘茶を勧められて、みんなありがたく一杯いただく。

左手に興福寺、右手に猿沢の池を眺めつつ歩く。「鹿に注意」なんて道路標識があるあたり、さすがは奈良だ。
実際、奈良公園に入るとあちこちに鹿がいる。放し飼いというより、鹿の土地に人間が踏み込んでいる感じ。
鹿たちはつぶらな瞳をしていて、かわいいったらありゃしない。連れて帰って飼いたい。とにかくかわいい。

 いらっしゃ~い

ぼーっと見ていたら、知らないおじさんが鹿せんべいをくれた。知らない人から物をもらってはいけないのだが、
鹿せんべいなら別に問題はあるまい。鹿はひょいっとお辞儀をしてから勢いよく食べる。
こちとら鹿せんべいを半分に割ると、ポッキー式に片方の端をくわえて鹿に近づいていく。
鹿はまったく躊躇することなく、もう片方の端っこに食らいついてくる。しかしながら鹿の食欲は実に旺盛で、
もうちょっとで唇と唇が……キャーってなる前に素早くせんべいを引っぱって食べちゃうのだった。

さて、今回の目的地その1・東大寺である。鹿とじゃれあってウロウロしているうちに、南大門が見えてきた。
早くも人でいっぱいの東大寺、いざ参らん、なのである。

  
L: 東大寺南大門。かの有名な金剛力士像はこの門の両側に控えている。金網で厳重に保護されて、見づらいのが少し悲しい。
C: 東大寺大仏殿。奈良時代には権力の象徴だった建物も、現代ではなんとなくフレンドリー。大仏に合わせたサイズなのでやはり巨大。
R: 大仏殿入口の天井を撮ってみた。松永久秀が焼いちゃったせいで、今の大仏殿は江戸時代に建てられたものだが、迫力十分。

 左斜め下から見る大仏はイケメンらしいが(ワカメ母・談)、確かにかっこいいかも。

大仏殿の中には大仏様のほか、四天王のうちの多聞天と広目天の像がある。これまた見事。
そして中に置かれている東大寺の模型にも一見の価値があると思う。すごく精密につくられているが、大正時代の作品。
建物の中に入れ子状に模型があるという対応関係も面白いが、純粋に、木でつくられた作品として美しくって気に入った。

大仏殿を出る際、灌仏会で釈迦の像に甘茶をかけたい人の列に出くわす。
余裕があれば並んでもよかったのだが、いかんせんけっこうな長さになっていたので、あっさり撤退。

東大寺は決して、大仏だけの場所ではない。南大門もそうだし、二月堂だってある。
二月堂は去年の12月に国宝に指定されたそうだ。実際にのぼって景色を眺めると、なんだか落ち着いた気分になる。
面白いのは階段の横の、寄付しました、という石碑で(こういうものの正式名を知らないところに教養の浅さが出るなあ)、
高い金額が彫られている碑の中にチラホラ、「壹萬圓(一万円)」「弐萬圓(二万円)」といった額があったことだ。
碑の裏側を見てみると答えは簡単で、「壹萬圓」「弐萬圓」のものは、戦前のものなのだ。大正時代のものまであった。
同じ「圓(円)」という単位でも、時代が変われば物価も変わる。でもそれを気にすることなく、
ほとんど順番を意識せずにどんどん碑が建てられる。お寺にお金を寄付する人の心持ちはいつまでも変わらないわけで、
額面だけが変わっていくのだ。そんな事実に、少し不思議な気持ちになる。

  
L: 二月堂。昨夜は海老名SAで女子大生の群れに出くわしたが、今日は二月堂で女子大生の群れに出くわす。ふぐさん大興奮。
C: 二月堂から眺めた桜の木。周囲の緑に対して孤高の美、という印象。屋根の瓦もまた美しい。自然と人工物の調和だ。
R: 角度を変えて、同じく二月堂から奈良の街を眺める。柔らかい日差しに穏やかな風。春の奈良はたまりません。

東京ではすっかり葉桜が目立ってきていたので、奈良でこれだけきれいな桜を見ることができたのは幸せだった。
やはり海のない内陸ということで、それだけ咲くのが遅くなるということなのだ。標高も当然、東京より高いし。
驚いたのは、咲いている桜はことごとく、満開でありながら少しも花を散らしていないことだ。こまめに掃いているのか。
僕の感覚では桜ってのは八分咲きになったあたりで花びらが散りはじめ、満開のときにはすでに葉がいくらか出ている、
というイメージだ。しかし奈良の桜は枝をたわわにするほど咲き誇っていながら、地面に花びらを少しも落としていない。
完全に満開なのだ。それもすべての木が、満開のまま、花びらを完璧に残している。思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
やはり奈良の桜ってのは別格なのかもしれない。これらの桜を見ることができただけでも、奈良に来て大正解だった。

 
L: 桜。美しいの一言に尽きる。ぐうの音も出ません。  R: 鹿軍団。メンチ切ってんじゃねーよ、とすごまれた気分。

春日大社経由でもう一度南大門の見える交差点の辺りに戻る。そして次の目的地である、奈良国立博物館に入る。

 奈良国立博物館・本館を正面から。片山東熊設計である。

大人料金は420円。学生料金はなんと、130円。小中学生にいたっては無料。国立のくせしてすばらしい施設である。
ワカメとハセガワ氏は学生料金なのでいいなーと思っていたが、チケットは受付のすぐ隣の自動販売機でも売っている。
中に入るときに学生証のチェックなど一切ない。こんなん、誰でも学生料金で入れるじゃん!と思ったのであった。
(今年の10月からは値上げされるらしいので、以降はしっかりチェックすると思われる。よいこは料金をちゃんと払おうね!)

中では仏像のほか、絵画や書や工芸の作品も展示されている。でもやはり、土地柄、仏像が目立っていた印象。
しかしながら休みなしで歩きまわっていたせいもあって、立って作品を鑑賞しつつ、猛烈に眠くなる。立ち寝しそうになる。
それはみんな同じだったようで、寝ないように必死になりながら目をこじ開けて作品を眺めていくのがおかしかった。
十二神将像(クビラ、バサラ、メキラなどのアレ)のところでボランティアのおじさんがいろいろ説明をしてくれた。
干支と仏教を組み合わせてデザインを生み出し、コミカルといっていいほど親しみやすいデキになっている。
まあいわゆる神話、それも現代のマンガなんかに応用しやすい(構造主義的な意味での)「神話」にダイレクトに触れて、
昔の人の想像力と今の僕らの想像力がとても近い場所で重なっている瞬間を体験できたのは、なかなか面白かった。
もちろん、展示されている作品はやはり、それぞれにさすがの迫力を持っている。
生半可な作品だったら絶対寝ていたほどの眠気だったけど、結局持ちこたえたわけだから。眠りを覚ます力があった、と。

新館の地下にはカフェとショップがあって、軽く覗いてから地上に出た。奈良のあちこちでは抹茶ソフトクリームを売っていて、
我慢の限界、ついに食べた。5人全員でペロペロしつつ、次の目的地へ向かう。

最後は興福寺である。五重塔を撮りつつ、南円堂まで行ってみる。そこでは例のごとく灌仏会である。甘茶をいただく。
それから来た道を戻って、メインイベントである国宝館へと向かう。ここの阿修羅像をワカメが見たがっているのだ。

 興福寺五重塔。興福寺は土地の真ん中が空白地帯なので、その分これが目立っている。

興福寺国宝館の中はとても暗い。暗い中で、数々の国宝たちが息を潜めている。
明るい照明のもとではおそらくただの「物」でしかないだろう国宝たちは、陰という不思議な存在に支えられ、
静かに呼吸をしているようだ。そのどれもがじわじわと個性を主張していて、例えがめちゃくちゃ俗っぽいが、
一時期の巨人打線のような印象を受ける。それはつまり、個々を取り出してその凄みを感じるというよりは、
凄みのインフレの嵐といった感じで、凄みに慣れてしまうところがややある。だからどうしても、ひとつひとつをじっくり見ると
その迫力に呆れちゃうんだけど、それが総体としてこちらに襲いかかってくるから、こってり、お腹いっぱいになってしまい、
次の作品に真正面からぶつかる体力が残ってない、そういうことになりがちなのだ。ものすごく贅沢なことを言っているけど、
そう思ってしまったのだからしょうがない。だから正直、ひとつひとつをきちんと味わえた自信がない。

しかしながら、それでもさらに別格なのが、乾漆八部衆立像の阿修羅像である。
この像は、8体の中のひとつの像にすぎない。しかし、それにしてはあまりに突出した魅力を持っている。
「興福寺」と聞くとパンフレットなんかに印刷されたこの阿修羅像の顔を思い浮かべる人は非常に多いと思う。
つまりは、興福寺の代名詞的な存在なのだと思う。そして実際に目にすれば、その印象が正しいことを実感する。
「少年漫画の主人公」とはワカメの表現だが、僕も同感で、14歳くらいの少年が子どもの世界と大人の世界の間にいて、
その一瞬の怒り(成長して矛盾がいっぱいの大人の世界に踏み出さなければならない=時間という運動に対する怒りと、
もうひとつ、そういう怒りを抱いてしまうこと、自分の存在がまったくスムーズに動かない、理想どおりに振舞えないという怒り
=自分の思考と身体に対する怒り)、やり場のないどうしょうもない、小さな怒りが表現されている……と、
僕は勝手に思うのだ。そこまで考えさせられる何かが、阿修羅像にはある。

興福寺国宝館を出ると、ちょうど夕方のなりはじめ、といった感じ。のんびり駅へ歩きながら、とりとめのない会話をする。

 猿沢の池にて。絶妙なバランスで乗っかる2匹。

JR奈良駅前で一休みをすることに。ケンタッキーに入ってフライドチキンにかぶりつく。ほとんど休んでいなかったので、
座ったらものすごく気持ちがよかった。やっぱりとりとめのない雑談をして過ごして、18時になるなあ、といったくらいに解散。
駅のホームで名古屋の友人宅に泊まるというイヌ女史と、男4人とに分かれる。

イヌ女史を見送った後、大阪駅へと向かう電車に乗り込む。
席に座ったはいいが、通路を挟んで隣に陣取った母親とガキ2人がとんでもないバカで、
天王寺に着くまでずっと絶叫しっぱなしの大騒ぎ。それでも立ち上がって文句を言えるほどの元気もなく、
4人ともずっとうつらうつらしていた。それくらい徹底的に疲れていた。

大阪駅に着いて、タワーレコードをプラプラした後に、ワカメオススメのカレー屋に連れて行ってもらう。
環状線の線路に沿って歩くこと15分ほど、休日の夜にしては静かな街の中に、その店はあった。
中に入ると、黒板にメニューが書かれていた。狭い店内は客でぎっしり。それでもあっさり座ることができた。
一番人気の「タイカレー」を注文。待っている間、左脳で皆さんとあれこれ雑談をしつつ、
右脳では、新宿にありそうな感じの、いかにも脱社会的なご主人のやってそうな店だなーなんて思う。
出てきたカレーは今までに食ったことのない味がした。確かにとてつもなく多くのスパイスが混ぜられており、
結果として日本人は「カレー」という言葉を当てはめるだろう、そんな感じのスパイスライス。
カレールーはかなり汁っぽく、手づくりで焼かれた皿に盛られたご飯に素早く染み込んでいく。
かといって決してマズいわけではない。このスパイスのバランスが気に入れば、かなり中毒になりそうだ。
しかしこの日の僕はカレーの風味を味わうよりも、早く満腹になりたかった。とにかく腹が減っていた。
そうしてじゃんじゃんかきこんで、やっと余裕をもってカレーを食べられるかな、というころには一皿食べきっていた。
今度はきちんと味わいたいなあ、と思ったが、食欲をそそる味には違いはないので、やはり結果は同じかもしれない。
グダグダわかりづらく書いたけど、つまり、うまかった。ただ、この日はうまさを客観視できるほどの余裕がなかったのだ。
食べ終わって、口の周りのカレーの残り香が鼻をくすぐるたび、「もっと食いてえ」と思ったのであった。

その後ボウリング場へ行く。が、ボウリングはやらず(体力的にそんな発想はなかった)、ゲームをやる。
オンラインのクイズゲーム『クイズマジックアカデミーIII』だの麻雀ゲームだのをやる。
のび太のママの結婚前の名前を知らないとかぬかしやがるので「片岡玉子!」と教えたら呆れられた。
ジョーシキ、ジョーシキ。あとは太鼓たたいたりマリオのレーシングやったり特殊部隊もので銃撃ったりした。

そして徹カラ。徹夜でカラオケなんて、大学時代に国分寺でやって以来のような気がする。
しかし僕は疲れが限界にきていて、1曲も歌うことなく突っ伏して寝る。皆さんはレミオロメンで盛り上がっていたようだ。
僕は『粉雪』以来すっかりアンチレミオロメンになりつつあるので、まあどのみちいーやーって感じ。

早朝、カラオケ店を出ると、そのままマンガ喫茶で始発まで時間をつぶす。
みんな思い思いにマンガを読む。とりあえず僕は『軍鶏』を読む。うーん、なまなましい。

3時間経って、マンガ喫茶を出る。もうすっかり、街は目を覚ましている。
東京へ帰るハセガワ氏を見送り、京都へ帰るふぐさんを見送る。残ったワカメと少し話をする。
ワカメは今年から大学3年生ということで、そろそろ就職活動が視野に入ってくる頃だ。その系統の話をした。
就職については僕は人様の参考になる話は到底できないので(ふつうじゃない「笑い話」ならいくらでもできるが)、
とりあえず会社に就職するってのは業種を決めるって要素が強いよーなんてことを偉そうに言う。
お互い体力が残っていれば、きちんとした話ができたろうに、少し残念だ。いつも僕らに足りないのは、時間だ。

阪急のマルーン一色の電車へと消えるワカメを見送ると、荷物をいつもの(2年前にさんざん世話になった)ロッカーに預け、
大阪の街へと飛び出した。人込みに入っていったら、さっきまで疲れてヘトヘトになっていたことをすっかり忘れてしまった。


2006.4.7 (Fri.)

会社が終わって、さあ、関西行きの準備である。といってもだいたいのことは済ませてあるから、
忘れ物がないか確認して時間になったら家を出る、くらいなもの。
今回は初めて、深夜バスというものに乗って旅行をする。ネットでチケットを確保してあるので、余裕をもって家を出る。

品川駅から22時にバスに乗る予定になっていた。すべては順調。
メンツにお土産を用意しないとね、と、品川駅の構内で一口サイズのチーズケーキを購入。北海道名物なのがご愛嬌。
改札を出て、乗り場を確認し、いざチケットを購入しようとみどりの窓口に並ぶ。

金曜夜のせいか、窓口には長い行列ができていた。別に気にすることなく、自分も並ぶ。
実に40分ぐらいかかって自分の番になる。「ネットで予約したんですけど……」と、予約番号を告げて待つ。
が、応対してくれたおねーさんが、首を傾げる。冊子をあれこれ引っぱり出して、必死で調べはじめる。
この時点でようやく、なんとなくイヤな感じがしていることに気づく。おねーさんはさらに首を傾げる。
で、15分くらいして結論が出た。「ネットでの予約はJRバス関西の扱いなので、ここではお渡しできないです……」
おねーさんは親切に、JRバスの電話番号を教えてくれたので、そっちに電話をかけて確認してみる。
すると、チケットは新宿駅か東京駅にあるJRバスの窓口でないとお取り扱いしてません、とのこと。
クレジットで決済すればその必要はないのだが、僕は品川駅でできるもんだと考えていたので、予約だけにしていたのだ。

バスの時刻まで残り40分。あわてて、京浜東北線に飛び乗って東京駅を目指す。迷う暇などないのだ。
品川から東京まで5駅。東京駅到着時点で15分を過ぎていたら、改札を抜けずに品川に戻って運転手に無理を言おう、
そうして現金を渡して乗せてもらうことにしよう、と決める。それで東京駅に着いたのが、だいたい13分後くらい。
ホームへ降りると猛ダッシュ、一番近い改札へ。駅員に「JRバスの窓口どこですか?」と聞く。「八重洲南口です」と即答。
礼もそこそこに再びダッシュ。アメフトやっていたら絶対RBに向いていたな、自分。なんて思いつつ人込みをかわして走る。
バスの窓口はありえないほどの行列ができていて、一瞬、終わった……と思う。が、すぐに真横の自動発券機に気がつく。
数台並んでいたが、こっちには誰ひとりとしていない。ケータイにメモしておいた予約番号を入れてチケットを購入すると、
いま来たルートを戻る。電車に乗り込み品川駅の改札を抜け、バス乗り場に到着したときには10分ほどの余裕があった。
助かった。思わず安堵の溜息が漏れる。

バスの座席は完全に、寝るために特化していた。毛布を膝に敷き、目を閉じる。ちょっと揺れるが、すぐに眠る。
途中、海老名サービスエリアで休憩。夜遅いので、店は半分ほど閉まっていた。それでもあちこち歩きまわってみる。
さすがに大きなサービスエリアだけあり、何でもある。食事にコンビニに、品物がものすごく充実しているのが印象的だった。
あと、妙に目立っていたのが女子大生と思しき集団。こんな時間になんでこんなにいるんだ、というくらい、たくさんいた。
後になって冷静に考えてみると、新歓のオリエンテーション旅行か何かなんだろうけど、
海老名サービスエリアがいきなり秘密の花園って感じに染まっていて、寝ぼけていたこともあってひどく現実感がなかった。


2006.4.6 (Thu.)

iPod Radio Remortの弱点をまたしても発見してしまった。
会社に行くのにラジオを聞いてやろう、と思って試してみたら、あーらびっくり。
まず、移動中は受信する感度が悪くなる。じっとしている分にはまったくないのだが、
歩きながら聞く、その程度でかなり雑音が入ってしまう。バスや電車で移動していると、かなりキツい。
こんな基本的なところに問題があるとは……まあ、そんなに聞くことはないから平気だけどね。


2006.4.5 (Wed.)

F.トリュフォー監督、『アメリカの夜』。
なお、「アメリカの夜」とは、夜のシーンを昼間に撮るため、カメラにフィルターをつける撮影の技法のこと。
(フランス語では「la nuit Americaine」というが、英語では単純に「day for night」。
 この技法はハリウッドで最初に使われたので、そう呼ばれるようになったそうだ。)

『パメラを紹介します』という映画の撮影開始からクランクアップまでを描いた作品。
監督のフェランをトリュフォー本人が演じているのがさすが。それでこの作品は高度なメタフィクションとして成立している。
あらすじとしては、一癖も二癖もある出演者・スタッフたちが、恋愛問題を中心にあれやこれやの大騒ぎ。
スケジュールに追い立てながら進んでいく撮影と並行して、人間関係は極度に込み入っていく。
タイトルの『アメリカの夜』には、夜に見える加工をして昼間に撮影したフィルムのほうが本物の夜っぽく見える、
そこから、真実らしく見せかけたものの中にこそ本物の真実はあるのかもしれない、という意味が込められている。
そんなわけで、必死になってフィクションをつくっていく映画づくりの中にこそ、真実の姿がある、
そういう意図のもと、メタフィクションが展開されていく。

見ていて監督がかわいそうになってくるほどのすさまじいドタバタ劇。しかし、全体を通して印象に残るのは、
優しい視線、上品な面白さである。あくまで、上品さを感じさせるレヴェルで仕上げてあるところがさすが。
冒頭のシーンはワンカットの長回しで、そこに「カット!」と声をかけることで映画をつくっているのだと観客に気づかせる。
そうしてこれはフィクションをつくるメタフィクションの話なのだと宣言しておいて、なおかつ、
監督役のトリュフォーが別の名前で出てくることで、全体丸ごとフィクションなのだ、とあらためて知らせる。
その手法が鮮やか。でも見ているうちに、本当に映画をノンフィクションでつくっているようにも見えてくるのがすごい。
そういう細かいところがつくりこまれているので、登場人物ひとりひとりの個性が生きてくる。

ヒロインであるジュリーがもう最高。美人で優しくて謙虚で、いうことなしである。
それでも精神的に不安定ってことで困った面もあるが、ジュリーが魅力的なおかげで、
この話全体がずいぶん観客を惹きつける要素を持ってくる。
もっとも、ジュリーに限らず、「困った人」ばかりだけど「イヤな人」はほとんどいない、というのがポイントなのだろう。

映画が好きでないと公言している僕でも面白かったんだから、映画が好きな人には気絶するくらいステキな映画のはず。
この作品は『映画に愛をこめて アメリカの夜』というのが正式タイトルのようだが、まさにそのとおり。
結局、モノをつくるのは面白いってことだと思う。そしてその途中には真実が隠れていて、
それを乗り超えながら作品をつくりあげていく、その魅力にとりつかれた監督だからこそ到達しえた領域だ。


2006.4.4 (Tue.)

週末の旅行に向けて、iPodのRadio Remortを購入した。
ホントはFMラジオなんて必要ないけど、リモートコントロール機能がほしかったので、結局買った。

iPodの4G(第4世代)までは、本体上部にあるイヤホンジャックの隣に、リモートをコントロールする端子がついていた。
つまり、リモートはイヤホンのコードを延長するおまけ的な存在で、必要最小限の機能にすぎなかったのだ。
しかし5Gでは、イヤホンジャックの隣に端子がない。代わりに、下についているコネクタ(USBに接続するためのアレ)を使い、
そこからリモートをつなぐ仕様になっているのだ。だから、リモートをつなぐと上下にイヤホンの穴があるという事態になる。
正直、下からつないだイヤホンで曲を聴くと、少々音質は落ちる。でもまあ、ガマンはできる範囲だ。

実際にラジオを聴いてみる。リモートをつなぐと、メニューに「Radio」という項目が出てくる。それを選んで、局を調整する。
僕はふだんAMしか聴かないから(『稲中』的には田中が目を血走らせていたように、恥ずかしいことかもしれないが……)、
FMが聞こえてくるのがなんだか特別な感じがする。しばらく聞いていると、またiPodの世界が広がったことが実感できた。
だって、何千曲も好きな曲が好きなときに聴けるうえに、コンテンポラリーな存在であるラジオも受信できるのだ。
音楽を携帯する機能が、さらに完全に近づいたのだ。そう冷静に考えると、やっぱりその便利さに呆れてしまう。

ただやっぱり、不便な点もある。まず電池の消費が激しいこと。
「ラジオも聞ける」ってだけで、iPodでラジオを聞くとメリットがある、というわけではない。見えないラジオだし。
また、本体の下のコネクタを使うわけだから、当然、電源に接続した状態では使えない。電池だけに頼るしかない。
こういった細かい点は、明らかに5Gより4Gの方が優れている。本体上部のジャックをイヤホン専用にしたのは失敗だと思う。
カラーになってバックライトがないと見づらいマイナスもそうで、どうも細かいところで不便になっているのが気にかかる。
大きな便利と小さな不便。気にする僕が贅沢なのだろうか。ともかく、リモート機能を確保したことで、便利にはなった。


2006.4.3 (Mon.)

『くりぃむナントカ』がもう面白いのなんの。
万事にテキトーな有田と徹底的につっこむ上田の司会は、キャラクターを完全に生かしきっていて何をやっても面白い。
そこに次長課長やらおぎやはぎやらが、実に的確な2番手感覚で花を添える。はずれがない、って印象。
そしてこの番組は、明らかにスタッフの頭がおかしい(もちろんいい意味で)。岡本夏生とか、ありえんだろ。
『内村プロデュース』以降の勢いのあるテレ朝深夜バラエティの粋を集めた内容と言えるだろう。
僕が特に好きなのは「ビンカン選手権」。これを全力で考えているスタッフは天才集団だと思う。すごすぎる。
今日は「芸能界・超拡大ビンカン選手権!!in京都」ってことでスペシャルだったのだが、もう死ぬほど笑った。
久々に、これはビデオに録画して永久保存すべきだったわーと思った。もう毎週楽しみ。

今や完全に、深夜番組はくりぃむしちゅーの天下である。もうひとつ、楽しみでたまらない番組がある。
『くりいむしちゅーのたりらリラ~ン』である。この中でやっている「ベタドラマ」が本当に最高なのだ。
ベタドラマとは、ドラマにおけるベタをいちいちツッコミのようにして確認しながらストーリーが展開していくのだが、
見ていていかにベタな展開が人を惹きつけるかがわかって面白い。知らず知らずのうちにき引き込まれているのだ。
おかげで、ご多分に漏れず、数多くの作品に主演している加勢大周の好感度が自分の中で上がっている始末。
上田が主演した「ベタ者のすべて」には、ベタとわかっていながら不覚にも感動してしまった。
(注:この日記を書いた時点では番組は終了。しかしゴールデンで復活が決定、という状況である。)

それ以外の深夜番組では、芸人たちが意味もなく狂喜乱舞する『爆笑問題の検索ちゃん』もいい。
爆笑問題・太田がやりたい放題を繰り広げ、対する芸人の回答者も品川・河本を中心にやりたい放題を繰り広げる。
そんな中で小池栄子のサディスティックな司会も光る。やっている側が楽しんでいる番組は、見ているこっちも面白い。

若手から中堅へと移行しつつある芸人たちの勢いはすさまじいものがある。
そして、それをできるだけストレートにパッキングした番組ほど、見ていて笑える。
やっぱり深夜番組が充実していると、なんだかうれしくなってくるのである。


2006.4.2 (Sun.)

「書くかも」と言ったまま書いていない、僕の友人の話でも書いておこうか。

僕はしっかり者の親友に支えられてここまできている。
その中でも特にふたり、こいつらがモテないうちは自分にはモテが回ってこないだろう、なんて密かに思っている友人がいる。

まずはトシユキ氏。小学校入学以来の友達である。腐れ縁とは言いたくない。まだ全然腐っていないので。
最初に会ったのは小学校1年で、誕生日が近かったので席が前と後ろ。それで話すようになった。
家も近所でよく遊んだし、学校では一緒に鉄棒に狂った(トシユキ氏は大学で器械体操をやるくらいそっちが好きだった)。
その後中学でも遊び、高校では同じ物理班で遊び、大学時代もわりと近かったので遊び、そんなんで今に至る。
とにかく僕にしてみれば暴走するのをやんわり軌道修正してくれる存在なので、いつも頼りきり。
たまに、よくまあこっちのムチャにニコニコ付き合ってくれるなあとしみじみ思うのだが、
口に出して感謝するのは照れくさいし不自然に意識するのもアレなので、こっそり感謝しているというわけだ。

みやもりとは大学からの付き合いになる。顔はいいし性格は非のうちどころないし当然頭もいいしで、
こいつには何があっても一生勝てねえ、と思っている。そういう存在である。
最初はなんでこんな真人間がクイ研にいるんだ、と思いつつ接していたのだが、付き合っていくうちに、
意外とダメ人間な側面をバランスよく持っているのがわかって安心した、そんな記憶がある。
そんなんで、最初のうちはちょいと壁を感じていたのだが、半年もしないうちにみっちり馴染んでしまった。
今でもいきなり一緒に映画を見に行ったり、姉歯祭りでは高い出席率を誇ったりと、よくつるむ。

ほかにも頼りにしている友人はいるけど、「モテ」という要素を勘案した場合、このふたりにはまったく勝てる気がしない。
「じゃあお前はほかの人には勝てると思ってんのか」と訊かれれば決してそういうことではなくて、
なんというか、このふたりがモテの状況にないことに、世間の女性に対して「どこ見とんのじゃボケ」と言いたくなるというか、
とにかく、お願いだからあなたたち早くモテてください、と懇願したくなるのはこのふたり、ということだ。……ワケわかんないな。

ふたりに共通しているのは、僕とは対照的に、性格にキツさというものがカケラもないということ。
トシユキは高校の、みやもりは大学のクイ研副会長だった。ふたりがしっかりしていたおかげで、
会長であるところの僕は思う存分にやりたい放題ができたのである。今にしてみりゃどっちが締めてるかわからなかったな。
ふたりとも実務をこなすということのエキスパートで、会長の空ける穴をふさぐことには抜群の才を発揮してくれたのだった。
遊びでも仕事でもこれだけ楽しめる相棒ってのは奇跡的な存在かもしれん、と思っていたりする。
恥ずかしいから口には出さないけどね。

とりあえず、僕がモテるためにも、トシユキとみやもりは早くモテなさい。これ命令。


2006.4.1 (Sat.)

  

国立は、とにかく人でいっぱいだった。


diary 2006.3.

diary 2006

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