diary 2006.5.

diary 2006.6.


2006.5.31 (Wed.)

橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』。
かつて僕ももぐった東工大の「宗教社会学」(→2001.4.27)のレジュメから生まれた本。
ハードカバーだった本がこのたび、ちくま文庫で出たので、遅まきながら買って読んだ。

内容については特にここで書く必要はない。僕がダラダラ書くよりも、実物を読んだほうが早い。
さらっと特色を挙げるとすれば、世界の主要な宗教について、その歴史的経緯と特色を紹介している。
歴史的経緯については、高校レヴェルの世界史の知識があれば、うまくそれとリンクして呑み込めるようになっている。
特色については、 重要語句を軸にして、日本人らしい客観的な位置(ほとんど他宗教との比較をしないということ)から、
それぞれの宗教がもっている世界観を、その内部だけで説明しようとしている点が面白い。
宗教はそれぞれですでにできあがっているものだから、それらを横に並べていちいち比較をしていくよりも、
縦の流れを押さえることでひとつひとつを知っていく、そういう姿勢がフェアでいい。

気になる点としてはやはり、これはあくまで「入門」であって、ほんの入口の部分を素早く紹介してまわっている、
それで終わっている点である。もっとも、著者もそう割り切っているので、それはしょうがないことではある。
実際、入門書としてこれだけとっつきやすくて使い勝手のいいものはそうそうないだろう。絶対に読んでおくべき本だ。
でも、僕はさらにその先も読みたいのだ。それも、橋爪大三郎独自のバランス感覚で書かれたものを読んでみたい。
大学院時代に「言説編成」で著者の授業を受けたとき、9.11テロが起きた後ということもあり、
この宗教社会学ともかかわる内容の講義・演習を体験することができた。それを、本にしてほしいのだ。
今でも深く印象に残っているのは、「殺人にはランクがある」という話だ。
死刑囚に対する処刑、これがいちばん「軽い」。次に戦争において軍人が敵の軍人を殺すこと。
このふたつに共通しているのは、職業としての殺人である。つまり、「合法的」なレヴェルの殺人であるということ。
続いて過失致死、そして一般における殺人、いちばん重いのが無差別のテロとなる。
一般市民に対する殺人は重い、そういう序列が存在しているのである。
これは暴力を囲いこんでいる「法」が根拠に置かれる。その「法」の根源をたどっていくと、宗教にも通じていくはずだ。
そしてこの辺の事情は、あまり本になっていない気がする。僕の狭い視野では、ここをきれいに説明した本は見つからない。
以前日記で書いたように(→2005.6.13)、これこそ今の日本がいちばん必要としている知識だと思うのだが。

そんなわけで、むりやり結論に戻す。
せっかく圧倒的な知識量、それも幅広い分野にリンクした知識を持っている著者なのだから、
著者なりに社会学的なニッチを埋めるような続編というか発展編をぜひ書いてほしい。需要は絶対に存在する。
この後は各自で、と読者に問題を提起することが多いんだけど、そこまで賢い読者なんてそう多くないのだ。
僕はこの著者による、さらに踏み込んだ内容の本を、もっと気軽に読みたい。たとえ僕が勉強をサボりすぎ、と言われても。


2006.5.30 (Tue.)

大江健三郎『死者の奢り・飼育』。書くまでもないことだが、この文庫本は短編集であり、
「死者の奢り」「他人の足」「飼育」「人間の羊」「不意のおし(漢字出ない)」「戦いの今日」という、
ぜんぶで6編の作品が収録されている。特に有名な2作品が、文庫本のタイトルとなっているわけだ。念のため。

「死者の奢り」。デビュー作。医学部の解剖に使う死体を移し替えるアルバイトをする学生が主人公。
一緒にバイトに応募した女子学生は妊娠しているという設定。そうして生を遠巻きに眺めつつ死(=物)と接する。
自分の中での対話、考える・思考するというプロセスを非常に丁寧に追う姿勢は、現在の小説ではあまり見かけない。
今だったら無視してしまう部分をきちんと描写している部分こそ、この作家のキモなのかな、と思う。
死者との対話ってのはつまり妄想で、相手にゲタを履かせないと成立しない行為なのだ。
ラストでバイトを徒労に終わらせることで、ちまちまと築き上げていた想像の世界を現実で一気に壊すのも秀逸なんだろう。
ただ、僕はなんとなく読んでいて思考のプロセスがねちねちしていて、好きになれなかった。

「飼育」。芥川賞受賞。戦時中のクソ田舎の村に、敵の飛行機が落ちる。パイロットだった黒人兵は村人に捕らえられ、
主人公の住む倉庫の地下に閉じ込められる。最初は黒人兵を別の生き物のように感じていた子どもたちだが、
ゆっくりと馴染んでいき、やがて彼は半ば自由に村で過ごすことができるようになる。
しかし県からの通達で黒人兵を村から出すことが決まったことで、事態は急展開する。
戦争とディスコミュニケーションの厳しい現実を背景に、主人公の少年の成長を描いている。
読み終えたときの感触としては、「ああそうですか」といったところ。それ以上でも以下でもない感触。
「死者の奢り」ほど饒舌というか表現に言葉を費やしすぎというか、そういうもたもたした印象がない分読みやすいし、
きわめて閉塞的な村の中での生活と、そこに突然割り込んできた戦争という異世界との衝突の中で、
多感な少年がたどる思考回路をものすごく丁寧に追っているから納得もできるけど、どこかちょっとした違和感が消えない。
たぶん大江健三郎が自己を投影した一人称しか書けない点に起因することだと思う。

あとの作品は、特にコメントしなくてもいいと思う。「人間の羊」が抜群に、読んでてフラストレーションがたまったくらいで。
(もっともこの作品についてはそういうフラストレーションを読者に感じさせるのが作家の腕だと思うので、その点は脱帽だ。)

収録された作品に共通するのは、狭い自分の世界(あるいは自分の属している世界)と、他者の世界との衝突である。
それぞれのヴァリエーションはあるが、基本的に作者を投影した主人公による一人称とまとめて差し支えないだろう。
だから僕が感じた違和感ってのは結局、どの物語も片側からの視線でしかないところにあると思う。
なるほど、戦争や権力など、そういう勝てない関係性を強いられた状況下でもがく主人公の姿は鮮明に描かれている。
でも、その反対側、権力を行使する側(主人公に対する「強者」)に対する視線が徹底的に欠けている。
「死者の奢り」では、死者が「強者」のサイドに立っている。彼らはもう死んでいるから、こちらからはどうすることもできない。
(繰り返すが、そこに第三者の「現実」を持ってきて、膠着した状況を無理やり壊してしまったところが、上手いのだ。)
「飼育」では、「強者」のサイドに立っているものの姿が見えないままだ。それは父親でも黒人兵でもない。書記でもない。
県庁あるいは日本政府あるいはアメリカという、村人からは決して見えない位置に、絶対的な強者は置かれているのだ。
つまり、大江健三郎の作品で高い評価を得ているものは、絶対的な他者(「強者」)について、干渉できない、
あるいはその存在をぼかしている、そういう工夫をしたものであると思う。
それに対して他者を具体的に描写した他の4作品は、世間的にはきわめて地味な扱いとなっている。

少し話がズレたので、元に戻してみる。
作者が物語における神なのであれば、当然、主人公と対立する人物(「強者」)たちにも背景を与えていいはずだ。
ところが大江健三郎はそれを拒否している。それが、上記の「片側からの視線でしかない」という表現になる。
だから彼の作品を読んで情景を思い浮かべると、視野が半分だけしかない印象になる。片方の脳しか機能しない感じ。
僕自身としては、「強者」がいかに人を傷つけるか、それもいかに無意識に人を傷つけるかという悲しさに興味がある。
「強者」は決して、相手を傷つけようと思って主人公を痛めつけるのではないのだ。
「強者」は彼らなりの論理で、良かれと思って弱者を傷つける。本当に深い傷をつくるのは、悪意ではない。善意だ。
(そういう視点から、アメリカがイラクに対してしたことを考えないといけないだろう。アメリカは“善意”を押し付ける。)
しかも、「強者」はその事実を知ってまた傷つく。「強者」が傷つく。そして「強者」が自己の存在を否定すると、
これまた切ない社会問題になる。僕自身は、そここそ現代の文学が描いていかなくちゃいけない部分だと思っているのだ。
(そういう意味で、1950年代に書かれたこの作品たちを批判するのは的外れなことなのかもしれない。50年も前なのだ。)

なるほど確かに大江健三郎は、ものすごく知的な言葉で的確に弱者の思考回路を紹介する。恐ろしいほどの才能だ。
しかし、これまた恐ろしいほどに片手落ちなのだ。傷つける側の悲しさに対して、大江健三郎はあまりにも無頓着なのだ。
だから「強者」をぼかした作品だと評価されるし、「強者」を具体的に描こうとした作品になると失敗してしまう。
この後、偉大な作家がどうやってその点を乗り越えたのか、乗り越えられたのか、きちんと読まないといけない、と感じた。


2006.5.29 (Mon.)

朝、会社に行ったらいきなり健康診断でびっくりした。


2006.5.28 (Sun.)

『ガチャろく』は結局やらなかった。

マサルから出ていた「総合的なアミューズメント施設かテーマパークに行きたい」という要望を、
昨日の夜にリョーシ氏とあれこれ検討したのだが、結局、マサルが遅刻することを勘案したうえで、
入場料が無料の東京ドームシティ(旧・後楽園ゆうえんち)に行くことに決めた。
近くにはバッティングセンターもあるし、いろいろ揃ってるからいいやね、ということでふたりで納得。

「11時に水道橋に集合!」と書き込んだはいいが、みやもりは寝坊(前日は遅くまで仕事だったそうな)、
ニシマッキーは掲示板を見ていなかったということで、時間どおりに水道橋にいたのは僕らだけなのであった。
ちなみに今回ダニエルは、掲示板での姉歯祭りの告知をチェックし忘れて不参加。残念である。
で、じゃあとりあえず、野球殿堂があることでお馴染みの、野球体育博物館に行ってみよう!ということになった。

野球体育博物館は、東京ドームの中にある。一塁側、21番ゲートの奥に、こぢんまりとした入口がある。
そこで400円出して入場券を買うと、地下の展示場へと下りていく(地下だけに電波状況は良くないので注意)。
そんな大した施設じゃないだろう、と思っていたのだが、中は意外と広い。

まずはWBCの優勝トロフィーがお出迎え。誇らしげに、日本代表の活躍の跡が展示されている。
それから順路は左へ。金田・王・福本・衣笠という不滅の金字塔を打ち立てた選手のユニフォームが展示されている。
個人成績もガラスにプリントされていて、リョーシ氏とひとつひとつ確認しつつ、ゆっくりゆっくり進んでいく。
壁にはベンチがつくられ、往年の名選手たちの等身大写真が貼られていて、一緒に記念撮影ができるようになっていた。
そうなのだ。この施設は個人使用に限り、写真が撮りたい放題。ガンガン撮ってくれ、と言わんばかりなのだ。
ふつうこの手の施設では撮影禁止が当たり前なのだが、ここは違う。その姿勢にはとても好感が持てた。

  
L: WBCのメダルと優勝トロフィー。いい試合だったなあ、としばし感慨にふけるのであった。  C: 古田のユニフォームの前で記念撮影。
R: 阪神のブースにあった、下柳のグラブ。球界でも有名な愛犬家だけあって、こんなところ(「ウェブ」という部分)にも犬を飼っていた!

プロ野球の12球団を紹介した後は、日本における野球の歴史を紹介するコーナーとなっている。
大リーグの基礎知識を押さえつつ(日米野球のベーブ=ルースのポスターもあった。さすが)、
旧制一高から早慶戦へと中心が移っていく様子も、しっかり展示。エポック社の野球盤まで展示。
「文化としての野球」という側面もきちんと見せていて、純粋に文化史として楽しめる内容になっていた。
もちろん、高校野球・大学野球・社会人野球・リトルリーグといったアマチュアの世界にもしっかりスペースを割いている。

そして野球殿堂では、表彰者のレリーフが壁の両面にずらっと展示されていた。
これをひとつひとつ見ていくだけでも、かなりの時間がかかる。でも誰が何をしたのかがよくわかって、勉強になる。
選手・監督だけでなく、審判やオーナー、文化人まで、その顔ぶれは多彩。
やはりここでも野球の歴史を多角的に振り返ることができる。実際に来てみると、説得力があるように感じた。
部屋の真ん中には2005年シーズンスタート時の選手たちによるサインが書かれた巨大なボールがあった。
皆さん、非常に読みやすい、けっこうきれいな字を書いていたのが印象的だった。
そしてもうひとつ印象的だったのは、この2日前に、元アマ野球連盟会長の山本英一郎氏が亡くなっていたのだが、
彼のレリーフの上に花が飾られていたことだ。そういう計らいができるっていうことが、美しいと思った。

企画展では「名選手のグラブ展」というのをやっていた。これは守備位置別に使い込まれたグラブが展示されていて、
大リーグの選手や戦後すぐの時代のグラブまで展示されていた。道具の歴史ってのも、あらためて見ると実に奥が深い。
個人的にはオジー=スミスのグラブに大興奮したり、カービー=パケットのグラブにシュンとなったりした。
(K.パケットはツインズ一筋で活躍した名選手で(#34は永久欠番)、今年の3月に46歳で死去。がっくりだよ。)

最初、僕もリョーシ氏も東京ドーム内にある施設ということで、どうせ巨人一辺倒なんでしょ、って思っていたのだが、
全然そんなことはなくって、本当に野球について丁寧に展示をしてある、とても充実している施設だった。しかも撮影自由。
個人的には、野球の文化史ということでぜひ、野球ゲームのコーナーもつくってほしかった。
ファミコンの『ベースボール』にはじまり、『ファミスタ』に『燃えプロ』など、ありとあらゆる野球ゲームを収集して、
それらを実際に遊べるようにしてほしい。体を動かすという運動の本質からは離れる行為であるとはいえ、
ゲームがプロ野球に還元したものの大きさも否定できまい。「くわわ」「きよすく」「おみあい」といった名前にした事情も含め、
ぜひ一般に紹介してほしいと思うんだけど(参考までに、東京都写真美術館の「レベルX」のログ(→2004.1.16))。

さて、野球体育博物館でニシマッキーとみやもりが合流。無事に総勢4名となったところで、
オールスターのファン投票をしてから(これがいろいろ迷って本当に時間がかかった)、メシを食うべく移動する。
予想外に野球体育博物館で時間がかかってしまい(野球の知識のある人なら、けっこう時間を食ってしまうと思う)、
かなりの空腹だった。地下鉄の後楽園駅まで歩いて、リョーシ氏の買ったスポーツ新聞を眺めつつ中華料理を食べる。

この日は競馬の日本ダービーが開催されるということで、東京ドームの周辺にはスポーツ新聞を持ったおじさんたちが、
大挙して押し寄せていたのだ。その列は、「WINS後楽園」と書かれたビルへときれいに吸い込まれていく。
僕らもせっかく来たんだからということで、馬券を買ってみることにしたのだ。リョーシ氏が詳しいので、買い方を教わる。
ちなみに僕は、WINSに来たのも初めてなら、馬券を買うのも初めてなのである。
(競馬における「単」と「複」についても教わった。「連単」とか「連複」とか素人の僕にはワケがわからなかったのだが、
 着順を順列で当てるのが「単」、組み合わせで当てるのが「複」。こんなところで高校数学の復習をするとは思わなんだ。)

WINSの中に入ってたまげた。タバコの煙で、まるで霧がかかっているかのよう。
建物の内壁も心なしか妙に汚れていて、思わず「あれここ大阪?」と口走ってしまった(大阪の人には悪いけど)。
2階、3階へとエスカレーターで上がっていくが、各フロアはモニターを見つめている人たちでいっぱい。
地べたに新聞を広げて座っている人もいっぱい。これはどこの収容所だ、あるいはどこの奴隷船だ、って思った。
(ワンフロアあたりの天井が低いので、圧迫感がある。それでよけいに狭っ苦しく感じるのだ。)
建物はまるでバベルの塔かってくらい、同じ風景が何階も続く。ただ、禁煙フロアになると少しだけ行儀が良くなる。
郷に入れば郷に従えってことで、7階と8階の間の踊り場に腰を下ろしてマークシートにチェックを入れる。
ニッカンでは2枠の「メイショウサムソン」が一押しのようだ。あとはフジテレビの『ジャンクSPORTS』でお馴染みの
「フサイチジャンク」が気になる。そんなこんなで単勝100円を3つ、3連単を200円、計500円購入。みみっちいのである。

 予想中。

馬券を買い終わって、僕の強い希望でバッティングセンターへ。お得な11回券を買い、みんなでまわして使う。
バッティングセンターに行くたび思うことで、こんなところで書いてもしょうがないんだけど、いちおう書いておく。
左打者はバッティングセンターでいつも差別される。10ヶ所くらいブースがあっても、左専用のブースがあることはまれだ。
たいていは左右両方になっている。それも1ヶ所だけってことが圧倒的に多い。
そして僕は左打者なので、列に並ばないといけないことが多い。これだけでもフラストレーションがたまる。
信じられないのは、右でしか打たないくせしてわざわざ左右両方のブースに入るバカがいる、ということだ。
きちんと打てる人は左打者の事情を知っていてくれるので、左右両方のブースには入らない。
つまり右しか打てないくせに左右両方のブースに入るやつは、ヘタクソが圧倒的に多いのである。
まともにバットに当たらねえくせしてわざわざ時間とらせるんじゃねえよ!と何度叫びたくなったことか。
そういうわけで、右でしか打たない人は、なるべく左右両方のブースには入らないようにしてください。お願いです。

バッティングのほかにもストラックアウト、PKで同じようにストラックアウトするやつがあった。
そしてテニスでストラックアウトするやつがあって、テニサー出身のみやもりを中心に、僕らも挑戦した。
僕は中学時代には「スナイパー」という異名を持っていたのだが(人に当てるのだけやたらと上手いから)、
ボールは思ったようには飛んでくれず、まるっきりダメだった。傍目には簡単に見えるが、意外と難しいのであった。

ひととおり遊んでエレベーターに乗ろうかな、というところで、クイズゲームがあるのを発見。
「ルー大柴と細川ふみえの」なんてタイトルがついているのに反応して、ニシマッキーが挑戦。
早押しボタンを押してから4択のボタンを押す、というけっこう親切なゲームで、
ニシマッキーは圧倒的な強さを見せて5週勝ち抜き。ラストボスのクイズ王にもあっさり勝って1コインクリア。
ふつうなら得意な芸能問題も、なんせ機械が古いのですっかり腐ってしまっていて、逆に危険。
その辺が妙に面白くって、あれこれツッコミを入れつつ楽しんだのであった。

さて、そうこうしているうちにダービーは終了。ニッカンで本命だった「メイショウサムソン」が勝った。
が、2着の「アドマイヤメイン」を誰も予想できず。結局、メイショウサムソンの単勝を買った僕だけが当たった。
しかし、倍率は3.8倍。僕は100円しか買ってなくって、総額500円つっこんでいるので、120円の赤字である。
まあ競馬なんてものはそんなもんさ、当たっただけラッキーと思いつつ換金。
「でももしこの本命を200円で買っていたら黒字だったんだよな……」という悪魔のささやきが聞こえたのは気のせい。

さていよいよ、本日のメインエベントである東京ドームシティのアトラクションである。
が、敷地内を闊歩する妙な集団を見てびっくり。コスプレの人たちが、あちこちにウジャウジャといるのだ。

 
L: ウジャウジャ。  R: ウジャウジャ。

コスプレイヤー略して「レイヤー」なんだそうで、そのイベントがあるようなのだ。
ところがわれわれ、いったい何のマンガの恰好をしているのかがサッパリわからない。
少年ジャンプの関連グッズを売っている「ジャンプショップ」にふらっと入って、
どうやらあの集団のうち、背中に漢数字が書いてある連中は『ブリーチ』らしい、ということだけわかる。
でも誰も『ブリーチ』を読んだことがないので、結局よくわからないままなのであった。

気を取り直して、アトラクションである。デートで何回か来たことがあるというニシマッキーの指導のもと、
まずは「リニアゲイル」に挑戦。吊り下げられて空中を行ったりきたりするというアトラクションである。
足場が下がりきると、マシンは猛スピードで前進する。青空を眺めてから、今度は後ろ向きに猛スピードで進む。
するとそのまま思いっきり後ろ向きで上にのぼっていく。つまり、視界には真下の地面の光景が広がる。
そうしてスピードが弱まっていき、一瞬、空中で速度が0になる。ふわっと止まるのだ。
そこから重力加速度と機械の速度が重なってまた前進。空中での一瞬の停止は、臨死体験に近いものがあると思う。
本当に宙に投げ出される感覚がして、地面にたたきつけられるまでのスローモーションな時間を想像してしまう。怖かった。
で、いざ怖いものを体験してしまうと、そこには前よりも少しだけ優しくなっている自分がいた。
それまで「コスプレうぜえ」という発言しかしていなかったのだが、「まあせいぜいがんばれよ」と言える自分がいた。

続いては、「ワンダードロップ」。まあいわゆるスプラッシュマウンテン的なもの。
乗り込んでからしばらく、男4人縦に並んで日本三名園(後楽園・偕楽園・兼六園)の話をする。
いかにもクイ研的な雑談だ。僕はどこがどの県にあるかごっちゃになっていて、かなり恥ずかしかった。
(正解は後楽園=岡山県、偕楽園=茨城県、兼六園=石川県。東京の後楽園は日本三名園とは別物である。)
そんなこんなで勢いよくスプラッシュした結果、先頭のリョーシ氏が見事、全身びしょ濡れの刑に。
最後尾の僕はふとももが濡れた程度。順番で大きく差があるようなので、これは罰ゲームに使えるぞ、と思ったのであった。

最後に、「サンダードルフィン」。東京ドームシティ名物のジェットコースターである。
東京ドームシティは都心で広さがとれない分、高さにこだわったアトラクションが多い。
で、サンダードルフィンは80mの高さから80°の角度で落ちていくという、高所恐怖症の僕には信じがたいアトラクションだ。
「かいしゃーよりはーまーしーだー かいしゃーよりはーまーしーだー」と呪文のようにつぶやいて列に並ぶ。

番が来た。僕は左側、みやもりが右側に乗り込む。ポケットの中の物はすべて取り出さなくてはいけない。
リョーシ氏にいたっては、メガネまではずしてのチャレンジ。もうそれだけで、叫び出したくなる。
目の前のレールは、そのまま空へと飛んでいくんじゃないかってくらい高くまで続いている。鳥肌が立つ。
係のおにいさんが「さてここで問題です。右側の席と左側の席とどちらが怖いでしょうか?」とクイズを出題。
「……正解は右側です。それじゃあいってらっしゃーい」とのこと。悪態をつくみやもり、少しだけ緊張がほぐれる僕。
でもそれも一瞬。いざコースターが坂をのぼりだすと、周りの建物がどんどん下へと沈んでいく。
レールの上のコースターは、孤独にぽつんと上へ上へとのぼっていく。本気で高い。こんなの死ぬ。
隣に建物がないってことがこんなに怖いことだとは思わなかった。妙に冷静になっているだけに、怖さが客観的でイヤだ。
「オレもう二度と乗らねえ」とこの時点で言ったら、隣のみやもり・前にいるニシマッキー・リョーシ氏全員から笑われた。

頂上では停止する間もなく、80°の落下である。これはもう、「落下」なのである。
さっきの「リニアゲイル」のつづきのように思えた。猛スピードで地面が近づいてくる。
しかしすぐに上昇すると、今度は右へと急に曲がる。空中で投げ出される感覚に、「もーどーでもいーやー」。
それからMINOLTAの穴を抜ける。直後に落下。「これつくったやつ頭おかしいだろ、絶対!」と思うが声にならない。
でもあとはだいたい、高いところに剥き出しなのが怖い感じ(落ちる感覚に慣れてしまったのかもしれない)。
全体的な印象として、2周目は1周目よりもずいぶん良心的なので助かった。
正直、途中で何かが吹っ切れて、コースターに乗っている自分を斜め上から眺めている自分がいた。
幽体離脱を体験したのは初めてです。

 高所恐怖症には、ゆっくりのぼっていくときがいちばん怖かった気がしないでもない。

すべてが終わって、ガクガクになった下半身を引きずりつつラクーアの中に入る。4階にヴィレッジ・ヴァンガードがあったので、
そこでメシまでの時間を軽くつぶす。『VOW』でおなじみの点取占いがあったので買った。

  

  

  8色×2=16枚が1セット。105円(税込)。

その後、水道橋駅に行く途中で、みやもりが「クイズゲームやりたい」と言い出す。「なんか魔法の育てるやつ」
『クイズマジックアカデミーIII』だ。関西旅行でもみんなで盛り上がったゲームである(→2006.4.8)。
これだけはカードをつくるまい……と思っていたが(ハマると際限ないから)、結局やることに。
僕の個人的な趣味嗜好を優先させて、ツンデレなキャラを選んでいざスタート。ああ、ツンデレ大好きさ!
4択ならいいんだけど、タイピングになるとかなり苦手で、それで成績にけっこう影響が出た。
それでもそこはさすがにクイ研OBが4人も揃っているわけで、順調に勝たせてもらった。

僕は前にマサルがやっていたのを見ていたので事情を知っていたのだが、
その当時、ネットで対戦してクイズをやる、という最新のゲーム事情にひどく驚いた記憶がある(→2005.4.30)。
で、今回そのショックにみやもりが直面したわけで、最近のゲームがいかに進化したかにひたすら感嘆していた。
確かに、タッチスクリーンでネットで、昔のゲームでは考えられない自由さがある。
当たり前のことのように偉そうにみやもりに解説している自分も、1年前は同じだったのだ。なんだか照れくさい。

もう1ゲーム、もう1ゲームと続けていくうちに、マサルが合流。
なんでも雑誌の表紙の撮影に同席していたそうで、ここまで時間がズレこんでしまった(ちなみにモデルは綾瀬はるかだと)。
マサルは僕らが『マジックアカデミー』を夢中になってやっているのを見て、「うわあ」といった表情。
きっと、とても一言ではまとめられないような、いろんな感情が渦巻いていたのに違いない。

ダニエル以外の全員が揃ったところで、水道橋駅近くの居酒屋で遅い晩飯をいただく。
話の内容は相変わらずで、マサルが引っかきまわしたところを総ツッコミで話が進んでいく感じ。
マサルは実はマンガ喫茶で『デスノート』と『ケロロ軍曹』を読んでいて、それで遅れたという事実も判明。
でもそれで苦手な絶叫マシンの回避に成功したってことで、「やったあ!」などと喜んでいるあたりがいかにもマサル。
あと、ガンダムを見たことないのに名ゼリフの音声だけはなぜか聞いたことがある、などという話題が出る。
そういう周辺知識だけやたらと詳しいのに肝心の中身を知らない伝説が健在で、やっぱりいかにもマサル。
本当に久しぶりに腹の底から笑った気がする。全員ケタケタ笑って実に楽しかった。
まあぜひ次回はダニエルさんにも参加してもらいたいものだ。

「マツシマさん、あなた、たむらけんじ病がそうとう悪化してるよ」と全員一致で言われたのでへこんだ。

さて、翌日の仕事にそなえてそそくさと帰ったニシマッキーをよそに、僕らは結局、東京ドームのゲームコーナーに戻り、
もう1ラウンド挑戦するのであった。「クイ研っておかしいね」とマサルがつぶやく。
僕は「ああ、姉歯祭りを開催するたびにこのキャラを育てていくことになるのかー」とぼんやり考えるのであった。

それにしても実に久しぶりに、思いっきり遊んだ。これでもか!ってほど、めいっぱい遊んだ。


2006.5.27 (Sat.)

姉歯祭りである。が、今回は1日目の集まりが非常に悪く、参加者は僕とリョーシ氏のふたりだけである。
リョーシ氏は掲示板に「『嫌われ松子の一生』を見に行こう」と書き込み。二つ返事でオーケー。
そんなわけで、映画を見に出かけることになったのであった。
もともとリョーシ氏は映画が好き。僕は映画はあまり好きじゃないけど友人と行くのは大歓迎。
そして『嫌われ松子~』は『下妻物語』(→2005.7.12)の中島哲也監督の最新作ということで、
僕が行かないわけはないのだ。ただ、この日は『嫌われ松子~』の初日ということで、都心の映画館は混みそうだ。
どこかエアポケットになっているような場所は……?ということで、話し合った結果、川崎のDICEにあるTOHOに決定。

14時、川崎駅に集合する。リョーシ氏はあらかじめ金券ショップで前売り券を安く用意してくれた。
僕にはそういう発想がなかったので、やはり映画が好きできちんと映画館で見ている人は違うなあ、と妙に感心。
チケットを購入すると、昼飯を食うべく駅周辺をうろつく。小雨がジャマったい天気で、アーケード内をプラプラ。
時間もあまりなかったので、ファストフードの店に入る。しばらくあれこれダベって映画館に戻る。

『嫌われ松子の一生』。中谷美紀主演で中島監督とはいろいろ確執があったとかなかったとか。

東京でミュージシャンを目指すと言いつつだらしない生活をしている男・笙は、父親から突然、叔母の死を聞かされる。
しかし父の口ぶりでは、その叔母・松子は「つまらない人生」を送って死んだ、らしい。
叔母がいるなんて話を聞いたことのなかった笙は、戸惑いつつも彼女のアパートへ行って部屋を片付ける。
そこでさまざまな人に出会い、松子の人生について、あらゆる角度から話を聞いていく。
だから主人公は中谷美紀演じる松子ではあるが、彼女はつねに過去形の回想で語られるという形式になっている。

映画を見ているとき、まず思ったことは、「ああ、これは『市民ケーン』(→2003.10.22)だ」ということ。
亡くなった人の表向きの人生と、隠されてしまった実際の姿と、インタヴューを通して切り込んでいくスタイルはまったく一緒。
しかし『嫌われ松子~』では、『市民ケーン』にはなかった強力な武器をいくつか用意している。
まず、キャスティング。現在進行形の人気芸能人を積極的に起用して、贅沢な作品に仕上げている。
そして、歌。CGを多用しつつ、歌を劇中に大胆に織り込んでくる。ほとんどPVかと思えるくらいに、歌が目立っている。
それから、「昭和」を思わせる数々のガジェット(小物・小道具)。物語の進行と並行する時代の波が、かなり強調される。
そうして中島監督にしか生み出すことのできない独特の世界観が確立されている。
『市民ケーン』が誰でも知ってる英雄のような有名人の男性を主役としていたのに対し、こちらは無名の女性、
それもとてもみじめな死を迎えてしまった女性を主役にしているのが、大きな違いである。
もし『市民ケーン』のようにマジメに地道に演出をしたらシャレにならない、とても楽しめないデキになってしまう。
過剰なまでにファンタジックな演出で、なんとか話の内容をポップとシリアスを兼ね備えたものにしようとしたわけだ。

感想は一言でまとめられる。「いい映画だが、面白くはない。」
言葉や行為でもうまく伝わらない、伝えられない、「愛する」ということ。
(この「愛する」という“行為”は、本来、動詞で表現されるべきものなのだろうか?)
その齟齬が引き起こす最も悲しい例を、前述した武器を使ってオブラートにくるみながら、一歩も退くことなく描いていく。
「愛する」とは実は一般動詞ではなくbe動詞であるという結論が見える、しかし、それを信じるにはヒントはあまりに少ない。
そして同じあやまちが繰り返されていく様子は、表面上の派手な演出と大きな落差をもって観客に迫ってくる。
そういう点において、この映画は「非常にいい映画」なのである。
しかしながら、これは本当に厳しいことなのだけど、「いい映画」であるがゆえに、やはりテーマの重さが響いてきて、
丁寧な演出がかえって空虚に見えてしまう瞬間も多々あった。それが「面白くない」という評価へとつながる。
これは非常に贅沢な要求だ。でもお客様は神様だから、作り手の人間に容赦なく要求してしまうのだ。

いちばん肝心なことを書いてしまったので、気が抜けた。あとは細かい点についてとりとめもなく書いてみよう。
歌のシーンは、正直あまり必要性を感じなかった。唯一、刑務所内のシーンが抜群に魅力的だった。
ここだけ取り出して一本の映画をつくってほしい、と本気で思ったくらいだ。
塀の中の女の子が踊る、『ウェストサイド・ストーリー』(→2005.4.26)みたいなの。観たい。
ガレッジセール・ゴリが面白い。これって何気に、ゴリしかできない役だと思う。さすがにすごくいい使い方をする。
中洲の「白夜」のシーン、これスカパラの谷中敦に似てるなあ、とずっと気になっていたのだが、やっぱり谷中だった。
竹中直人とスカパラが組んだ深夜番組『デカメロン』の谷中はひたすら女たらしのイケメン役だったのだが、時代を感じる。
人生の岐路に立ちつつある自分としては、ひしひしと背筋に近づいてくる何かがあって、いまいち素直には楽しめなかった。
公私ともに充実している人なら笑えるだろうけど、人生で悩んでいる人は覚悟を決めてから見たほうがいいと思う。

最後に、ラストについて。
僕はこの映画のラストシーンにはかなり失望した。長いわりに意味が薄いと考えるからだ。
というよりそもそも、最後はどう考えても笙を映して終わらなければいけないだろう。
松子はこの話において過去でしかない。その過去が現在に回収されるには、笙という存在が必要になる。
笙を通して松子が生きる、そういう表現をしなければ、この物語は意味をなさない。
っていうか、実は主人公は笙であるという逆説が成立しないと、作品が今度は観客の側に移って始まり出す、
そういうリレーが生まれてこない。それでは映画館に来た意味が半減してしまうのだ。この点は究極的に不満である。

以上のことのほんの上澄みをリョーシ氏にしゃべりつつ、映画館を出る。
大岡山に戻ってもメシ屋ないし、ということで、再び川崎の街をふらついて晩飯を食うところを探す。
そしてやよい軒で食券を買おうとしたとき、ようやく気がついた。――財布がねえ!
心当たりがあるのは1ヶ所。携帯電話の電源をお切りください、と言われた映画館である。
すまんねーとリョーシ氏に謝りつつ同行してもらい、映画館に戻る。で、係の人に無事財布を持ってきてもらって一安心。

ちょうどいい具合に腹を減らす運動・時間つぶしになってしまった。
晩飯を食いつつ、映画の話よりはリョーシ氏がついこのあいだまでがんばっていた法科大学院の試験の話になる。
(たぶんどっちの身の上にもヘヴィだったので、『嫌われ松子~』の話にはならなかったんだと思う。)
僕の脳みそはそっち系の勉強にはまったくもって向いていないお粗末なデキなので、聞く話のすべてが新鮮だった。

食べ終わって「みやもりが来たときのために、パーティーゲームのソフトでも買っておこっか」というアイデアが出る。
ブックオフへ行ってみる。目当てのものはなかったが、そのビルのテナントがなかなか衝撃的だった。
というのも、ワンフロアがまるごと『ムシキング』のコーナーとなっていたのだ。『ムシキング』のゲーム機だけでなく、
昆虫の標本の展示、虫取り網の販売、とにかく『ムシキング』に関連しているものをことごとく揃えているフロアになっていた。
これには、そこまで流行っているものなのか、と僕もリョーシ氏もびっくり。

 小学23年生。

大井町経由でブックオフに行ってみようと思ったら、営業時間は終わっていた。
戸越公園駅の近くに中古のゲーム屋があったのを思い出したので寄って、『ガチャろく』を買う。
僕は戸越公園駅に来たのが本当に久しぶりで、まあなんつーか、とってもおセンチな気分になったよ!

家に着いて、テレビを見たり談志の落語を聴いたりしつつ過ごしたけど、ふたりともけっこう疲れていてわりとあっさり寝た。
寝る前にクルーンから逆転サヨナラ満塁ホームランを打った清原の映像を見て、すげーすげーと繰り返しうなっていたとさ。


2006.5.26 (Fri.)

J.ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』。SFなのに(SFだから?)挿絵の存在がライトノベルっぽくてキモイ。
ずっと前に読んだのに感想を書いていなかったので、あらためて書いてみるのである。

第一話が「たったひとつの冴えたやりかた」ってことでこの本のタイトルにも採用されているわけだが、
これはつまり、日本で訳した際に元のタイトル「The Starry Rift」を変えてしまったということ。そういうのは好きになれない。
で、この第一話は男のペンネームで女性作者が書いた、生殖と異種生命体との悲しい出会いってことで、
その点が大いにクローズアップされているものの、話じたいにはどうにも面白みを感じられない。
この作品はもともと宇宙を舞台にした連作中編集であるわけで、全体の一部分としてならわかるが、
ここだけを代表的な作品として扱うのは、違うと思うのである。

第二話「グッドナイト、スイートハーツ」も結局、設定になじめないままで終わってしまった。
クローンが出てきたり「肉体はごみだ」ってセリフが出てきたり、現代的な鋭い視線を持っていながら、
肝心の話に魅力を感じられない。これはもう相性の問題なのかもしれない。

なんて思っていたら第三話「衝突」は面白かった。全体の分量の半分近くを占める力作で、それに相応しい内容だった。
二酸化炭素を吸って生き、水に触れるとヤケドをしてしまう一つ目のキツネのような生命体と人類との遭遇がテーマ。
言語でのコミュニケーションがろくすっぽとれない危機的な状況で、それが回避されるまでが非常に丁寧に描かれる。
この作品では異種生命体の生活や生態をかなり細かいところまで書いているので、人類とまったく対照的なのだが、
それでも同じように貴重な命を持っている、そういう対等さが響いていて、きちんと感情移入ができる。
だから人類のピンチ、相手のピンチ、どっちもが読者に迫ってくるようになっていて、その緊張感が話を魅力的にしている。
第一話と第二話を読んだ時点では「この本は大いにハズレ」という評価だったのだが、
第三話はそれをひっくり返しておつりがくるほどに楽しませてもらった。

そんなわけで、本来の連作と考えた場合、ハズレもあれば当たりもありってことで、まあ納得がいく。
でも日本でのこの本の売り方は、どうにも第三話の面白さから読者たちの目を逸らせてしまうように思えて、気に食わない。
とりあえず、きちんと最後まで読んでおいてよかった、と思ったのであった。


2006.5.25 (Thu.)

小田実『何でも見てやろう』。
まだ日本人が自由に海外旅行できなかった1958年、当時東大の大学院生だった筆者が書いた貧乏旅行記である。
帰国後に出版されてからはベストセラーになった、日本における貧乏旅行記の元祖的存在といえる作品。
(そうなった最大の要因は、内容もさることながら、やはりこの強烈なタイトルにあるだろう。すばらしい。)
筆者はハーヴァードに留学し、そこからヨーロッパ、イスラム圏、インドと旅行して日本に戻ってきた。
全編を通して、謙遜しておどけているようで、実は自信にあふれているという印象の文体である。好みが分かれそうだ。

この作品が価値を持っているのは2つの点からだ。
ひとつは、これが1960年、ちょうど安保闘争の頃に前後して生み出されたということ。
つまりは戦後の日本の復興と世界を席巻するアメリカの影響力、そういった力の交錯した状況の中で、
日本の能力のある若者が世界を見てまわった。その時代ならではの意義、絶好のタイミングによる記録として、
まさに隠れていた需要を満たす必然でもって、この作品は受け入れられたという点。いわば歴史的価値である。
もうひとつは、いつの時代にも変わることのない感性によって記録されたという事実である。
この作品には1950年代から60年代へと差し掛かる時期の社会状況が克明に描かれているが、
それを見つめる目は普遍的というか、時代に左右されない確かさを持っている。揺るぎない視点を持っているのだ。
貧乏旅行という永遠に繰り返される行為だからこそいつまでも新鮮さを持ちうる、古びない、そういう価値がある。

しかし僕はこの作品を読んでいる間、どうしてもぬぐいきれない違和感がついてまわった。
それは、筆者はいちばんオイシイところを隠している、というものだ。本当に大切な部分を、巧妙に隠している。
その文体から何でもあけっぴろげに書かれている印象があるのだが、肝心なことが書かれていないように思えるのだ。
端的に言ってしまえばそれは、現地のおねえちゃんとのさまざまな体験という陳腐な事実かもしれない。
でもそれ以上のこと、筆者が心の奥底にしまっているきわめて個人的な部分のことが一切描かれていないのである。
本当に主観的な文章ならはずすことのできない感情、もっといえば激情、熱情が、丁寧にそぎ落とされている。
そこに、個人的な体験記がジャーナリスティックな風味で描かれている、そういうどっちつかずな奇妙な感じが漂う。

冷静に考えてみれば、つまり旅とはどこまでも個人的な体験であり、主役はつねに「自分」でしかないのだ。
だから他人の旅行記を読んだところで十分に満足することは、本質的にはありえないことなのかもしれない。
『何でも見てやろう』は優れた作品であるからこそ、その限界というか真実を気づかせてくれた、と考えるべきか。
この手の作品はやはり、読み終えた読者がリレーのように旅を続けてこそ存在意義を持つ。結局は読み手の問題なのだ。


2006.5.24 (Wed.)

突如、人生の岐路というものについて考えてしまった。こんなんでいいのか、いいや、よくない。

もともと僕には将来の夢というものがまったくなくって、きわめて場当たり的な人生を歩んできているのである。
で、「いやー、自分はコレがやりたいんだ!」って目標を持っている人は強いなァーなんて横目で見ながら、
毎日をけっこう自堕落に過ごしているという現状がある。いちばんよくないパターンである。
「人生あきらめが肝心」なんていうわけだけど、そもそもあきらめる対象がない。スタートラインにすら立っていないのだ。
しかしながら、現状に満足してはいない。今のままでこれからをずっと過ごしていく、それは絶対に受け入れられない。
じゃあどこかで立ち上がらないといけない。そしてそのタイミングを待つための準備をしておかないといけない。

それでぐるぐるぐると頭を回転させて考えてみた結果、結局は地に足のついた目標を見つけないといけないか、となった。
そして、その答えを考えてみる。「地に足のついた」という条件となると、ひとつしか思い浮かばない。
(地に足のつかない目標ならいっぱいある。でもいい歳してそれを書くのは恥ずかしいので、さすがに書かない。)
だから、当面はそれを実現する方向にがんばってみることに決めた。突然の思いつきだが、断固たる決意をしたのである。
話が抽象的で、皆さんは何がどうなっているのかわからないだろうけど、書いているこっちはバッチリわかる。それでいいのだ。
読んでいる皆さんにわかる形で実現できるように、いつかこの日記でそのことを書けるように、がんばるだけなのだ。

やるど。


2006.5.23 (Tue.)

仕事の関係で「鰭脚類」についてちょっとだけ調べた。「ききゃくるい」もしくは「ひれあしるい」と読む。
今は「アシカ亜目」というのが正式らしい。まあ要するに、アシカやアザラシやオットセイやセイウチのなかまのこと。

2億数千万年前、爬虫類の中の単弓類から派生して生まれた哺乳類は、白亜紀末の生物の大量絶滅をくぐり抜け、
恐竜なき後の地球上にまたたく間に拡大していった。陸上だけでなく、海にまでその生息範囲を広げていったのである。
海へと進出した哺乳類は、大きく分けて3種類。クジラ目、ジュゴン目、そしてアシカ亜目である。
このうち、もともとクジラ目は沿岸で水陸両方での生活していたが、やがて水中生活に特化し、外洋へと出て行った。
そうして空いた、この「沿岸性の肉食動物」というポジション(ニッチ)を埋めたのが、アシカ亜目だったのである。
(ジュゴン目は草食動物である。なお、この辺の記述はWikipediaの「アシカ亜目」の記事を参考にしている。)

これをもとにして考えてみる。結局この世はキャラクター、いわゆる「キャラ」というものでできているんじゃないか、と。

たとえば、今のテレビを見ていると、もはやほとんどの番組は「キャラ」で成り立っているのがわかる。
『エンタの神様』なんか新しいキャラを発掘するのに必死でみっともない。まあこれは極端な例にしても、
どんな得意技があるか、あるいは世間でどういうイメージを持たれているかでキャスティングが決まってくる。
バラエティ番組は言うに及ばず、ドラマは「キャラ」を生み出す絶好の機会だ。右を向いても左を向いても「キャラ」である。

そういえばいつからか、日常生活においても「キャラ」による判断をする機会が増えてきたように思う。
僕が高校生くらいまでは、特に「キャラ」を意識して人付き合いをすることはなかった。
純粋に、会って話をしていく中で、その人の特徴をゆっくりとつかんでいったように思う。
しかし、大学入学以降、特に大学院に進んでからは、まず「キャラ」を固めることで人間関係を構築することが多くなった。
大学院の研究室では「キャラ」の成立=存在の認知みたいなところがあり、それに対する疑問がずっと頭の中にあった。
注意しておきたいのは、「キャラ」というシステムの浸透は、年齢的なものが原因なのか、社会的なものが原因なのか、だ。
僕は後者だと考える。それも、キャラクターやアイデンティティという言葉でなく、「キャラ」という言葉が生まれたタイミングだ。
「キャラ」という軽い響きの略語が生まれた瞬間に、人間関係の構築法に決定的な変化が生じたように思えてならない。

「キャラ」で始まる人間関係は便利だ。わけのわからない相手を、とりあえず自分の知っている範囲に収めることができる。
そうして「キャラ」からはみ出す部分は後で回収していけばいい。そういう手軽さ、とっつきやすさがある。
そもそも性別とか出身地とか国籍とか職業とか趣味とか、そういうアイデンティティだって、「キャラ」の一種となるのだ。
ただ、「キャラ」は人間関係において“演じる”という要素を含みながら構築される。だから、ウソの「キャラ」も成立しうる。
実は、そんなことはずっと昔から行われてきたことだ。それこそ縄文時代、いやもっとずっとずっと前から、
きっとそうやって人間は社会を構成してきた。しかし、現代ほど「キャラ」というものが手軽に次から次へと、
大量生産・大量消費されている時代はないだろう。そうやっているうちに、複数の自分が「キャラ」という断面から、
あちこちにバラまかれていく。「あれ? こっちのグループの中では、自分はどんなキャラだったっけ?」
……なんて間の抜けた疑問が頭をかすめるようになっているのだ。

さて、話をアシカ亜目に戻そう。
言ってみれば、かつてクジラが担当していた「沿岸性の肉食動物」という「キャラ」が空いたことで、アシカ亜目が進出した。
生態系で苛烈なニッチ(隙間)争いが繰り広げられるのは当然のことで、これは芸能界の生存競争にも通じていそうだ。
そうして振り返ってみたとき、僕らの生活の中に浸透している「キャラ」による人間関係ってのは、いったいなんなんだろう。
水滸伝の梁山泊も里見八犬伝も自民党もセーラームーンもモーニング娘。も、まとめてしまえば「キャラの集団」である。
日本人はもともとそういったものが大好きという下地があるわけで、とりあえず「キャラ」を設定してやりくりしようという態度は、
自分の今いる環境をより手軽かつ堅実にコントロールしようという意志の現れなのだろう。問題なのは、
僕らの日常生活における人間関係は、自然界の食うか食われるかのような切羽詰まったものではないわけで、
そういった「キャラ」による判断というものの困った側面をきちんと考えている人が、減っているように見受けられることだ。

まあでも結局のところ、どこにおいてもわかって「キャラ」を演じきる人がいちばん賢い、というのが真実になるのだろう。
たいていの人はそれを意識することなくこなしているわけで、そういう要素が「社会性」という言葉に色濃く含まれている。
生態系でも当然のこととして行われているのだから、きっと「キャラ」の設定は、生物学的に“正しい”ことなんだろう。
しかしどこかイマイチ、納得できないところもある。だって、そういうところについて考えちゃうのが人間って生き物だろうから。


2006.5.22 (Mon.)

おととい、土砂降りの中で必死に自転車をこいで、家まで帰ってきた。
その最中は無事に帰ることだけで頭の中がいっぱいで、物事を考える余裕などなかった。
しかし環七を半分ほど進んだ辺りで雨もだいぶ弱まってきて、気がつけばぼんやりと思うことがあったので、
もったいないからそれをちょこっとだけ書きつけておく。

雨に降られるということは、つらい。できれば、避けたい事態だ。
ぐちゃぐちゃのびしょ濡れになって、水を吸って重くなった衣服が全身にへばりつく。下着もひっつく。
顔全体に水がダラダラ流れてくる。視界だってさえぎられる。口の中に入ってくる。もう本当に気持ちが悪くって仕方がない。

しかし、である。そういった不測の事態を楽しむ余裕こそ必要じゃないか、とも思う。
最悪なものは最悪であって、それを楽しいと感じることは、よっぽどの特殊な趣向の持ち主でない限り難しい。
誰だって山中鹿之助のような物好きではないのだ。天が七難八苦を与えてくれた、などと喜ぶことはありえない。
そこで悪態をつくのは簡単だ。だが、その行為に生産性はまるでない。悪態をついてよけい厭な気分になって終わり。
救われないまま時間は続いていくのである。

印象に残っているのは足立区で震度5の地震があった日のこと(→2005.7.23)で、
要するにまあ、ピンチを楽しむ余裕があれば、それだけヤなことが少しは楽しいことに変化するわけで、
そういう気の持ちようがいつでも発揮できればいいなあ、ということだ。
(僕は睡眠時無呼吸症候群の治療も、楽しんでいるつもりである。いびきを聞く周りの人は迷惑かもしれないけど。)

だから全身ぐちょぐちょで気持ち悪くって仕方がないんだけど、なんとか少しは楽しもうと努力する。
そしたら、高校時代のことを思い出した。僕は自転車通学をしていて、朝のうちは曇りだったのに、
帰りの時間には雨になっている、なんてことがけっこう頻繁にあった。そういうときは、覚悟を決めて雨の中を突っ切っていく。
家に着くころにはぐちょぐちょのびしょびしょになるのだが、そういうもんだと覚悟を決めた後なので、別にどうということはない。
それから大学のときも、いきなり雨に降られてあわてて帰ってユニットバスにお湯を張る、ということはそこそこよくあった。
今は毎日自転車に乗る余裕がないのでそういう目に遭う機会が減ったわけだけど、かつては当然のこととしてあったのだ。

そうやって懐かしい日のことを思い出して、あんまり変わっていない今の状況を重ねてみると、少しは笑う余裕ができてくる。
その余裕をきちんと逃さずに頭の中に保存しておいたら、ぐちょぐちょのびしょびしょな帰り道も、ちっとはマシなものに思えた、
ってな話。


2006.5.21 (Sun.)

朝起きたらあまりに天気がよくって、ジタバタする。
昨日は五月晴れに夕立でけっこう大変だったけど、そんなのに懲りていられないのだ。うおー自転車だー

じゃあ今日は昨日と逆の方角に行ってみるか。そういえば県庁所在地めぐり、神奈川・横浜がまだだった。
東急ハンズで文具も買いたいし、横浜をあちこちまわってみるか、と思っていざ自転車にまたがる。
昨日走ったせいで、持病の右膝裏側が少し張っている感じがあるが、気にせずお出かけである。

横浜はすっかり、自転車で行く街になってしまった。ルートもだいたい固定していて、第二京浜(国道1号)を行く。
これがいちばん疲れなくて済むのだ。東京を出て川崎の大雑把な道を走っていくと、横浜は鶴見区に出る。
鶴見川に架かる新鶴見橋を渡ると、「あー横浜に行くんだなー」という実感が湧いてくる。
去年、入試応援に行ったときには、ここで夜明けを迎えた(→2005.2.12)。あのときの日の出はきれいだった。

山の中の坂道を上がっていくと、また落ち着いた郊外の風景になる。
ちょっとだけ都会な東神奈川駅前を抜けてしばらく行くと、横浜駅西口が見えてくる。
面白いもので、横浜駅西口は、駅から出てくると広々とした印象である。しかし、自転車で駅前に出ると、
思ったよりもずっと狭い印象を受けるのだ。この理由をちょっと考えてみたのだが、駅前ロータリーに集まる道路の角度が、
ほかの駅前よりも小さいからではないか、という予感がする。そのせいで、袋小路のような感触がするのではないか。
しかし歩いている人の感覚では、ロータリーから眺める建物の群れはほかの街とさして違いはない。
その辺が、駅から出てきたときと、外から駅へ入ってきたときの感覚の違いにつながっている原因だと思う。

横浜駅の正面にはヨドバシカメラがある。ここのガチャガチャのコーナーはとてつもなく充実しているのだ。
前に来たとき、「思い出のクラシックGAMEタグ CAPCOM」というのが100円であって、思わずチャレンジしてしまった。
いい歳してガチャガチャなんて……と思いつつやってしまうのが怖い。どうしてもロックマンがほしくなってしまったのだ。
吸い寄せられるように店内に入ると、まずはノートパソコンのコーナーで、目をつけているタイプのものを眺める。
こうやって欲しいなあと思っているうちがいちばん楽しいのだ、とかつて父親が言ったセリフを反芻しつつ、上の階へ。
ガチャガチャは6階のホビー売り場の一角にある。前回のリヴェンジを果たすべく、100円玉を入れて回す。
出てきたカプセルを覗き込む。前も出た『1942』のP-38ライトニングだ。悔しくってもう一回。『戦場の狼』のスーパージョー。
もうこれで最後だ、と思ってもう一回。出てきたカプセルの中に黄色いものが見えた。メットールっぽい。
開けて確認したら、果たしてロックマンだった。万々歳である。が、見事に業者の思う壺にはまっている。
ウロウロしていたら、今度はセサミストリートのガチャガチャを発見。やらずにはいられない悲しい性(さが)。
さっきのCAPCOMも、セサミもそうだが、どのキャラクターが出ても僕はうれしいのだ。だから気軽にやってしまう。
エルモがいいなと思ったのだが、出てきたのは、バートだった。そうなるとアーニーが欲しくなる。思う壺である。

キリがないので、次の目的地である東急ハンズへと向かう。1階のバッグ売り場でFREITAGを確認。
来るたびに扱いが小さくなっていくのは少し悲しい。高いからなかなか売れないとは思うけど。
で、人の気配を感じて地下へ続く階段を下りたら、なんと超特大サイズの黒ひげ危機一発とジェンガを発見。
何のキャンペーンかわからないけど、これは面白そうだと思う。こんな感じ↓

 写真左奥がジェンガ、中央が黒ひげ。剣のデカさがものすごい違和感。

ふだん見慣れているゲームが自分の身体とだいたい同じサイズになる、というのは、すごく意外で面白い。
何が理由でこんな企画が出てきたのかわからないけど、これはけっこういいアイデアだと思った。

さて、ハンズを出ると、今回のメインの目的である、神奈川県庁と横浜市役所をめぐる旅へ。
どちらも関内にあるので、自転車でみなとみらい側に出て南下する。
みなとみらいを自転車で走るのは、特別な気持ちよさがある。もともと埋立地のスケール感というのは、
歩くのには大きすぎるものだ。しかしそれが自転車だと、ちょうどいいサイズになるのである。
臨海部はサイクリングしながら移動するに限る。この感覚は実際に走ってみないと絶対にわからない。

関内とは、もともと横浜が外国人居留地だったことによって生まれた地名だ。
ここへの出入りを制限するために「関門」という関所が設けられ、その内側ということで「関内」という名がついた。
埋め立てでつくられたうえに重要な施設が建てられていったので、街並みが非常に美しいものになっている。
今でも関内を歩いてみると歴史のある建築があちこちに残っていて、横浜の大きな財産になっている。

神奈川県庁は、ほかの県庁舎などに比べて、やはりどこかコロニアルスタイルを思わせるというか、
事務を目的とした庁舎建築というよりは少し「余裕」を感じさせる外観である(特に屋根の辺り)。
シュロがあちこちに植えてあり、その点でも異国情緒を漂わせているのが特徴であろう。

  
L: 神奈川県庁舎(本庁舎)。周囲は緑に囲まれた穏やかな一帯。  C: 違う角度からファサードを撮ってみた。
R: 関内では並木を柵で囲むのではなく、座れるベンチで囲んでいる。こういう配慮が街の親しみのある雰囲気をつくると思う。

なお、神奈川県庁舎は、土日には駐車場を一般に有料で開放している。その辺の柔軟さはさすがである。
関内の雰囲気というのは、ほかの街では味わえない独特のものがある。まあ一言でいえばお洒落ってことなのだが。
そういう雰囲気をありのままにうまく演出しているところに、横浜の地力を感じるのだ。

 
L: 神奈川県庁舎の新庁舎。庁舎は建てた瞬間に狭くなっていくものであるが、こうやって古い庁舎を保存しているのは偉いの一言。
R: こちらは本庁舎から見た、横浜市開港記念会館。関内にはこういった歴史ある名建築がゴロゴロある。

続いて、今度は横浜市役所。こちらは横浜スタジアムのある横浜公園のすぐ隣。
ちょうどプロ野球のデーゲームをやってて、歓声がひっきりなしに聞こえてくる。

 横浜市役所。ピロティでモダン。でも「横浜」という響きから考えると、まだ地味。

横浜市役所は大学在学中に、大さん橋のコンペについて聞き取りをするために寄ったことがある。
中は典型的な狭隘っぷりで、窓口がひどく混雑していたことが記憶に残っている。
関内のほかの建築に比べると、ずいぶん地味な印象を受けてしまう。モダンさがかえってあだになっている感じ。

さて、せっかくだから横浜スタジアムの周囲もぐるっとまわってみる。
ちょうど交流戦の真っ最中で、横浜が西武に4-0で勝っていた。ずいぶんと応援も威勢がいい。

  
L: 横浜スタジアム外観。街のど真ん中に球場があるってのはすばらしいことだと思う。
C: これは日本最速・クルーンの投げる161km/hが体験できるというもの。ランプが161km/hのスピードでホームベースまで光る。
R: 横浜スタジアム内の様子を、ムリヤリ撮影してみた。外から撮ってるのに、なんか「出口」って感じ。

そのまま線路の反対側に出て、伊勢佐木町に行ってみる。
こちらは比較的大きめの「商店街」という印象。ただしかなり長い。大型店もあることはあるけど、少し小さめサイズで、
全体的に落ち着きと活気を併せもっている面白い空間だ。元気な地元商店街のモデルケースって感じ。
歴史があるゆえの小さなスケール感と、それが今も健在であるという現代性とが混在して、独特の空気を醸し出している。

ふらふらしていたら、ユニーを発見。僕のような飯田市出身者には、ものすごく懐かしい響きである。
飯田のユニーといえば、かつて駅前にあった大型店だった。今は営業規模を縮小し、ジョイマートなんて名前になっている。
ユニー。それは甘美な響き。UNY、ユニー。「ユニー」と口に出してみると、5階の寿がきやラーメンの香りとともに、
その何語だかわからない不思議な3文字の中にいろんな思い出が詰まっていることを実感する(われながら大げさだ)。

 思わず記念撮影しちゃったよ。

横浜の上っ面、それも本当に大雑把にまわってきただけなんだけど、横浜という街について軽く総括をしてみたい。
以前関西旅行をしたときに神戸は横浜に似ているって書いたけど(→2004.8.12)、やはりそれは少し違う。
というのも、横浜は実に多層的なのだ。横浜駅前があって、みなとみらいがあって、関内がある。伊勢佐木町もある。
特に関内に残っている建築の影響だと思うのだが、横浜の街は、もうそれ自体がかけがえのない財産だ。
街が財産というのはどこでもそうだし当たり前の話だが、横浜にはさらに特別な何かを感じる。
東京ならたとえば新宿・渋谷・池袋など、それぞれに確固たる個性を持った街がある。
これが横浜の場合、やはりそれぞれの街に固有名詞があるが、そのワンランク上に「横浜」というものが存在している。
東京の場合には、新宿や渋谷などそれぞれの街に支えられた、どこかごちゃまぜな都会なのだ。
しかし横浜は、まず横浜という個性があって、その個性のそれぞれの面として、関内やらみなとみらいやらがある。
それは「横浜」というブランドイメージが強烈に存在している、と言い換えられるかもしれない。
そのイメージは関内がまず代表しているのだが、その内側にはしっかり、みなとみらいや中華街・元町などが根を張っている。
だからそういう意味で「多層的」という表現になる。「横浜」という名前の奥には、実はあらゆる要素がしっかり詰まっている。
これだけありとあらゆるものがあって、なおかつひとつの名前に集約ができる。そういう街は、横浜しかないんじゃないか。
(横浜とは真逆のベクトルになるが、大阪という街もそういう特徴があると考えられなくもない。本当に真逆だけど。)

さて、家に戻ってガチャガチャを開けてみた。せっかくなので、写真を公開してみることにしよう。

  
L: 『1942』のP-38ライトニングと「Pow」(パワーアップアイテム)。「Pow」ってのがしぶいなあ。
C: 『魔界村』のアーサーとレッドアリーマー。  R: 『戦場の狼』のスーパージョーと勲章。

 
L: 『ロックマン』のメットールとロックマン。これがほしかったのだ。  R: セサミストリートのバート。200円だけあってなかなかデキがよい。


2006.5.20 (Sat.)

朝起きたらあまりに天気がよくって、ジタバタする。
ここんとこ毎日雨ばかりでウンザリしていたので、久々の青空を目にして一気に目が覚めた。うおー自転車だー

ストレスがたまったときには買い物が一番。ぷらっと秋葉原に行ってみることにする。
懐かしの中古ゲームミュージックCDを売っている店がわかってきたおかげで、最近はなんとなく秋葉原が気になる。
もっとも、それ以外に興味の持てるものがないのも確かで、少し中途半端な気になり方なのだが。

恒例のルートで五反田駅のガード下を抜け、慶応大学のT字路を左折し、第一京浜の一本西を突き進む。
新橋からは山手線に沿って走り、有楽町のビックカメラ前をかすめて、行幸通りを強引に突破。
しかし本日はここで寄り道。丸の内オアゾの丸善で落語関係の文庫本を買いこむ。
どうでもいいが、ここのレジは10ヶ所ほどあり店員さんがズラッと並んでいて、行列ができなくてスムーズな反面、
右サイドと左サイド、どっちの店員さんのところに行けばいいのか迷って困る。両側から「どうぞー」って言われるんだもん。

で、再び自転車にまたがると、ひたすら北上。淡路町まで突っ切って、右折して秋葉原へ。
そういえば名物だった交通博物館が閉館したというニュースがあった。早くも撤収が始まって、物悲しい雰囲気。
結局僕は一度も行くことがないまま大宮に移転、ということになってしまった。少し後悔。

秋葉原ではまず、店先に展示されているノートパソコンを眺める。肩からさげたFREITAGと見比べて、サイズを確認。
欲しいなあ、と思っているタイプのものは、今使っているノートよりずっと薄い。よけい欲しくなる。
こうやって欲しいなあと思っているうちがいちばん楽しいのだ、とかつて父親が言ったセリフを反芻しつつ店を出る。

続いて例のゲームミュージックCDを売っている店に入る。実は以前、目をつけていたものがあったのだ。
限定盤の4枚組で1万円という値段がついていて、単純に考えると高いんだけど相場からすると激安というシロモノ。
前来たときにはそいつが2つも並んでいたので「こりゃいつか買えるな」と思っていたんだけど、甘かった。
勢いこんで行ってみたら見事にどちらも売れていて、唖然茫然。でも今さら悔しがっても後の祭り。
中古でプレミアムがついているものは、チャンスとみたら即断即決しないといかんなあ、と痛感した。

とりあえずこれで秋葉原にはもう用はない。しかし天気もいいし、このまま帰るのももったいないので、
どこか遠くに行ってみようと思い立った。地図を広げて考えること10秒。赤羽という街に行ったことがないのに気がついた。
僕の中で「赤羽」といえば、飲み屋と林家ペーという認識しかない。いくらなんでもそれは恥ずかしい。
そんなわけで、ちょっくら赤羽まで足を伸ばしてみることにしたのである。

上野まで昭和通りを行き、言問通りと交差したところで左折する。そのまま鶯谷まで行って尾久橋通りへ。
そのままグイグイ進んで明治通りに合流すると、そちらにスイッチ。
ところで、「尾久駅」は「おくえき」なのに、「尾久橋通」は「おぐばしどおり」である。
「尾久」は 「おく」なのか「おぐ」なのか。この街出身の伊集院光は「おぐ」と言っていた。謎である。
(ネットで調べた結果(「尾久 おぐ おく」と検索)、JRの駅名のみ「おく」で、あとはことごとく「おぐ」でいいらしい。
 でも「おぐ」で変換しても「尾久」は出ない。「おく」で変換すると「尾久」は出るのに。IMEがおかしいのか?)

さらに王子を通過して北本通りに移って北上。地下鉄南北線が走るその上を進んでいく。
赤羽岩淵駅にて右折、そのまま勢いあまって荒川を渡り、埼玉県(川口市)まで出る。
ここまで来たら東京を脱出しないと損だ、と思ってしまう自分の思考回路はちっとも成長する気配がない。
埼玉に入った瞬間に、周囲のコンクリートの汚れ具合、砂ぼこりの多さが急に目立つようになる。
大田区から川崎に抜けるときもそうだが、自転車に乗っていると、こういう細かいところで東京都内の良さを感じる。

コンビニで水分を補給すると、すぐに来た道を戻って赤羽へ。いきなり大きなアーケードが目に入った。
ゆっくりと駅のほうへと向かう。赤羽駅は最近再開発が済んだばかりという印象で、妙に街並みがきれいだ。
西口周辺をまわってみても、印象は同じ。きれいで新しい店が行き交う人波をぐるっと取り囲んでいる。
もう一度東口に戻ってみる。と、「赤羽一番街」という看板が目に入る。するするとそちらに引き寄せられる。
こちらは西口とは対照的に、昔からの店が並んでいる。いかにも下町な身近なスケール感が心地よい。
往復して街の感触を確かめる。駅前に戻ると今度は南のほうへ行ってみる。ガード下には新しい店ができている。
しかし線路から離れると、夜の妖しげな店が並んだ一角が見えてくる。さすがは赤羽と、なんとなく納得。
お次は駅からさらに東に離れて、スズラン通りというアーケード街を行く。なんとなく宇都宮を思い出す。
さっきの一番街では赤羽小学校が、そしてこっちでは岩淵中学校が、それぞれ商店街の一角にその姿を見せている。
賑やかな通りの中にここまで食い込んでいる学校、というのは、ちょっと珍しいかもしれない。
そんなわけで赤羽の印象をまとめると、いろんなサイズ・スケールの通りが複合していて実に面白い。
大型店での買い物も、懐かしい雰囲気の商店街での買い物も、アーケードにスーパーでの買い物も、なんでもできる。
これはかなり暮らしやすいというか、まったく飽きることなく毎日を過ごせそうな街だと思った。

さっきまで雲ひとつない快晴だったのに、気がつけば西の空を黒い雲が覆っていた。
こりゃお決まりの上昇気流で夕立だな、と思い、あわてて赤羽を後にする。あんまりあちこち見ることはできなかった。

急いで南に進んでいくと、商店街が目に入った。東十条の商店街だ。天気も気になるが街も気になる。
自転車でささっと往復してみることにする。この辺が都市社会学的な好奇心なのだ。
東十条駅前はJRのくせして私鉄のこぢんまりとした雰囲気が漂う。ちょっとだけ戸越銀座駅前と同じ印象がする。
そして東十条の商店街も、長いのである。長い商店街が一本、ずっと奥の住宅地まで貫いている。
赤羽と王子という都会に挟まれている中、独自の個性をきちんと発揮してそれなりの活気があって、楽しい。

空はどんどん雲に覆われていく。必死で南に針路をとり、走り続ける。
しかし王子駅前を抜けて、明治通りに入ってしばらくしたところで、ついに雨粒が降りてきた。
西巣鴨の交差点にたどり着いたところで完全に土砂降りに。降り出したら一気にピークになるのはさすがに夕立。
辺りに避難するような場所も見当たらないので、泣く泣くそのまま自転車で帰ることにする。
運悪くこの日はメガネだったので、レンズが濡れて視界がほとんどない。もっとも、雨の勢いはあまりに強くて、
コンタクトだったとしても視界の悪さは変わらなかった気がする。とにかくそれくらいひどい降り方だった。
FREITAGの中に入っている、丸の内の丸善で買ったばかりの文庫本のことが気になる。
びしょ濡れのぐちょぐちょになってしまったら悔しくってたまらない。FREITAGの防水力を信じるしかない。

ふらふらしながら池袋を通過。まるで着衣泳法の練習をしたのかというほどずぶ濡れなのに、
まだ池袋という現実にへこむ。帰りの道のりが無限の長さに思えてくる。が、止まってなどいられないのだ。
安全運転を心がけながら明治通りを下っていく。職安通りで新宿駅の西側に出ると、都庁前を通っていつものルートに。
新宿を抜けたあたりで雨の勢いはずいぶん弱まってきた。とはいえ、けっこうな降りであることに変わりはない。
淡々と、気をつけつつ、環七を目指して走る。これは風邪を引きそうだ、と思うが、雨が弱まると気温は意外と高かった。
おかげで比較的楽に、なんとか家までたどり着くことができた。

家に着くと、即、風呂に入る。そうして体を芯まで温める。
あがって、ニュースを見ると、やはりこの天気の話題がのぼっていた。夏日に夕立、冷静に考えれば当然のことだ。
天気があまりにいいのだから、夕立の可能性を考えて行動しなかった自分が愚かなのだ。
地理の教員免許を持っていてその辺の知識があるくせに情けない、と反省する。

FREITAGの中の文庫本は、バッグのフタの脇から入り込んできた水分に端っこがちょっとだけやられていたが、
全体的にはほとんどダメージのない状態だった。自分の強運とFREITAGの防水力にあらためて感謝したのであった。


2006.5.19 (Fri.)

松本清張『点と線』。日本においてミステリを語る際に絶対にはずせない名作、とのことで読んでみた。

いきなり結論からいうと、ものすげええええええええええつまんねええええええええ!!!
なんだこりゃ? これでいいの? こんな程度のものが名作扱いされていていいの? そんな感じ。呆れ果てた。

読んでいて不思議な感じがした。松本清張じたいは決して文章が下手な作家ではないと思うのである。
情景の描写、人物の描写、どちらもさすがだわと思わせる。しかし、事件がらみの部分に限って、急に稚拙な印象になる。
これはつまり、この作品が三人称であることに原因がある。物語の舞台を客観視するシーンでは三人称が効いている。
しかし、事件を解こうとする段になると、三人称に一人称の目線が混じる。このとき、急に文章のレヴェルが落ちるのだ。
物事を考えるとき、それをいちいち言葉に出している感じ。それがそのまま三人称の文章に埋め込まれる不自然さ。
昭和32年当時の読者にはその丁寧さが好感をもって受け入れられたのだと想像できるが、
新鮮味を失った現在から見ると、場面によって巧拙の差がありすぎて、読んでいてかなりの違和感をおぼえる。

致命的に思えたのは、89ページにある図。三原が鳥飼に見せた図を、そのまま再現したものだ。僕はこの図を見て、
小学校のときの算数のテストを思い出した。つまり、この作品が、小学生レヴェルの謎解きのように思えた。
これはもう完全に、読者に中身をわかりやすくするという意図をもっての図版だ。
逆を言うと、文章中での説明を放棄したということにほかならない。ある意味、作家としては完全に「負け」であると考える。
ここまでしたものを「娯楽」と割り切るのは正しい。読者を楽しませるための工夫にあふれた娯楽、そう見るならすばらしい。
でもそれだけのものでしかない、とも感じる。ただの時間つぶしであって、それ以上の意義を僕はここから見出せない。

今の時代においてミステリが抱えている問題点が、すでにこの時点からハッキリと見えている。
でもミステリの好きな読書家の皆さんは、それをほったらかしにして、そのままで21世紀まで来てしまった。
トリックをいかに仕掛けるか、そこにだけ興味が集中して読書家がタコツボになっていく現状は変わりそうにない。
そうして本を読む人はどんどん減っていく。活字離れが叫ばれているが、その理由をきちんと検証しているように思えない。
僕は決して、『点と線』が諸悪の根源だと言っているわけではない。
しかし、『点と線』のクオリティの低さをきちんと指摘する言説が見当たらないことは、明らかにマズいだろう。

松本清張の、推理小説でない作品をきちんと読んでみたいと思った。


2006.5.18 (Thu.)

S.フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』。知名度はあるけど、実際に読んだ人は少なそうな作品である。

テーマは簡単、セレブな生活、その虚栄である。ニューヨーク郊外の高級住宅地を舞台にそれを描く。
作者のフィツジェラルド本人がそういうセレブな生活のど真ん中にいたわけだが、しかしながらミネソタ州の生まれで、
純粋な都会人ではないというコンプレックスがあった。そんな彼をそのまま投影したような主人公・ニック=キャラウェイが、
隣で毎晩パーティを繰り広げているギャツビーを冷静に見つめる。そんな物語である。
だから先に書いちゃうと、公ではギャツビーを演じているようなフィツジェラルドが、私的な側面を見せた作品、
表向きの華やかさとその裏側の陰を正直な自分の側から描いてみせた作品であるわけで、だからこそ、
これだけの知名度のある作品となりえたってことだと思う。かつ、一生に一度書けるか書けないかの作品になったと思う。
でも発表されたのは1925年、大恐慌の前のバカ騒ぎの時代であるわけで(日本のバブル期も似たような感じかなあ)、
当時の読者がそこまで踏み込んで受け止めたとは思えない。それでも今もこの作品がきちんと生き残っているということは、
作者の生き様と作品の持つ切れ味の関係が確かなものだった、ってことか。

話としては、古典的なイニシエーション系と分類される。田舎の良家出身の青年が、
都会でセレブの虚栄に触れて、まあそういうものに踊らされない確かな自分の存在を確かめて故郷に帰る。
話はこの一行に集約されてしまうわけで、今となっては使い古されたパターンということになる。
だからこの作品を正当に味わうには、1920年代のアメリカの消費文化やらフィツジェラルドの生き様やらを、
正しく認識しておかないといけない。あの時代にああいう奴がこういうものを書いた、ということを知っていないと、
どうもただ「ふーん」で終わってしまって、それがすごくもったいないことだと思える。
つまりは、受け手である僕の知識が圧倒的に不足しているということである。
そういう意味では、きちんと理解するのに難しさを持った作品であるように感じる。過小評価してしまいそうだ。


2006.5.17 (Wed.)

『タイガー&ドラゴン』(→2006.5.10)のDVDを見終わる。良かった……。本当に良かった……。

設定はムチャクチャなんだけど、そこは現実感よりもキャラを優先した魅力があるわけで、特に気にしてはいけない。
娯楽作品として素直に享受すればいい。まずそれができるかどうかで、この作品をきちんと味わえるかどうかが決まるだろう。
クドカンのやり方は完全に少年マンガである。その少年マンガのカタルシスが、最高に楽しい。
この作品では特に落語をテーマとしているわけで、落語の持つ「憎めない感じ」が全編に漂っていて、
それがキャラの魅力、話の魅力、そして少年マンガ的カタルシスとガッチリ結びついて、見る人に爽快感を与えているのだ。

僕がこのドラマでいちばん好きな演出は、いきなり場面が落語の世界に移ってしまうところ。
それはつまり、現代と落語の時代(本来の落語は明治初期であることが多いが、まあ江戸時代としよう)がつながっている、
登場人物たちが僕らと等身大で同じように悩んだり笑ったりしているってことを示していて、実に的確だと思うのだ。
凄かったのは第2話「饅頭怖い」の回で、演芸場の客席で落語を聴いていた蕎麦屋の辰夫がチョンマゲになってしまい、
続いてやはりチョンマゲ姿でおでん屋の半蔵が客席にやってくる。そうして場面は一気に落語の中へと変化するのだ。
この演出は、シェイクスピアでいうところの「All the world's a stage, And all the men and women merely players」
ってなことを暗示しているようだ。舞台は客席の側にも広がっている、ということを示しているようで、実に見事。

こういう面白いものが当たり前のようにつくれるってのが本当にうらやましい。
いや、きっとつくっている側はものすごく大変なんだろうけど、見ているこっちからは鮮やかにやってのけているように見える。
逆にむしろ、余裕のない中でやっているから奇跡的な高い完成度になる、っていう化学変化もあるだろうし。
とにかくまあ、まいりましたと降参するしかない。ホントに脱帽。そんでもって感無量。


2006.5.16 (Tue.)

企画を聞いた段階では、まあ8割方自分に来るだろうなあと思っていた睡眠学の本が、本当にまわってきた。
そんなわけで、毒についての本がわけのわからない状態になりつつある中、また新しく本を担当することに。

この本は睡眠学の世界では権威だという先生によるもので、全編が敬体(ですます調)で書かれている。
素人が敬体で「読ませる」文章を書く、というのはかなり難しい。実際、塾で作文講座をやっていたときには、
とにかくお前らが敬体で書くのは10年早い、常体で書くクセをつけるんだ、と口を酸っぱくして言ったものだ。
いざチェックを入れながらパソコンの画面上で読んでみると、これが驚くほどミスが少ない。
表記のゆれは多少あるものの、日本語が怪しくなっていて思わず手を入れたくなる、という箇所が全然ないのだ。
その辺はさすがに経験豊富なんだなあ、と感心。書き慣れる、ということは地味かもしれないが、確実に財産だ。

それにしても無呼吸カムアウトの一件以来、自他ともに認める睡眠知識のセミプロになりつつある。
こういう仕事がまわってくるというのは、何にせよ面白いことだと思える。目いっぱい楽しんでやりたい。

詳しい内容の紹介はまたいずれ。序盤を読んだ限りでは、人文方面の知識もつく、バランスのいい内容だ。
いろいろ勉強させてもらって、きちんと身につけたいものである。


2006.5.15 (Mon.)

仕事をしているうちに、なかなかうまくいかなくって、ああもうやってらんねえや、と思うことがある。
それで本当に投げ出しちゃうようなことは絶対にないんだけど、どうにもイヤな感触が残って困ることがある。
今日は、そんな日だった。

なんとかこらえて仕事を続けている最中にも、考える。僕はどんなときにもつねに考え続けている人間だからだ。
考えているうちに、頭の中のモヤモヤしたものがだんだんと明確な言葉になっていく。
言葉になった瞬間に、頭の中に固体となって壁みたいに立ちふさがって、場所を独り占めする。
その言葉が過去にも生まれ出た瞬間を思い出したり、その言葉を乗り越える作戦を練ったり。そうして時間が過ぎる。

いろいろなものをまとめた結果、今回の言葉はこうなった。「僕は、誰の作品をつくっているのか?」

本ってのは著者の先生がいて、その原稿を企画担当の人がもらってきて、それを僕が整形して印刷所に送る。
あとは印刷所と先生の間に介在して、より誤植の少ない完成品を目指すという作業になる。
簡単に説明すると上のようなプロセスが僕の仕事になるのだが、そこにちらほらと雑務が挟まってくる。
心理言語学の本のときにはIllustratorを使ってジェスチャーする手を描いた(→2005.10.13)。
ほかの本でもかなりの量の図をトレースしている。いくら経費を抑えるためとはいえ、自分でやりすぎ、とは言われている。
でも、Illustratorでの作図は楽しい。なぜなら、確実に、できあがったものが「自分の作品」と呼べるものだからだ。
モノをつくるのはいつでも楽しいが、やはり100%自力で責任を持って取り組める課題は楽しいのだ。

同じようにデザインという要素が絡む仕事では、レイアウトの発案というのもある。実は今回引っかかったのが、ここだ。
本は、著者の作品である。これはもう揺るぎない事実である。しかし著者が本のデザインまでやることなど本当にまれだ。
ウチの会社の場合には、編集担当(たまに企画担当)がレイアウトをまとめる。
学術書だから凝る必要がなく、経費を抑えるための、まあ当然の処置と言えるだろう。
(もっとも、それが地味でなんとも21世紀とは思えないデザインの本をたくさん生み出している原因でもあるのだが。)
そこで僕の中に疑問が生じる。自分がひねり出したレイアウトってのは、これは自分の作品と呼べるものなのか?……と。
まあ要するに出版社の領分と、著者の権限と、デザインとは何ぞやという問いとがごっちゃになって、
さらにそこにオレは誰のために働いているのだー?という存在意義まで考え出しちゃって、
それで結局、「僕は、誰の作品をつくっているのか?」ってな具合の言葉に収束して悩んでいるわけである。

これとまったく同じ感覚は、以前にもあった。潤平の模型づくりを手伝ったときのことだ(→2003.2.20)。
僕はそのとき、便器やら流し台やら美術作品やら、あれこれと小道具づくりを手伝ったのだが、
作品じたいは当然潤平のものである。しかし、じゃあ今必死に小道具をつくっている自分の努力はどう報われるのだ?
という問いがムクムクと頭の中に湧いてきて、どの程度の力の入れ具合で取り組めばいいかが完全にわからなくなった。
それで結局、オレなりの本気をぶつけてほしかった潤平と、上記の打算と格闘している僕との間に温度差が生まれて、
じゃあとりあえずこの辺でオレの作業はストップするわーという具合に手伝いを中断したわけなのだ。
(だからいま潤平が、事務所の名の下にいろいろと下働きをできるというのが凄いとも思う。
 自分には絶対にできない。自分が考えた、思いついたことを他人の名前で発表するなんて、想像できない。)

で、ここでまた言葉がひとつまとまる。「やっぱ人間、先生と呼ばれる立場にならないといけないな」
形はどうあろうと、先生と呼ばれる立場で物事に当たらないといけない。先生と呼ばれるということは、
偉いということではない。集団に埋もれず、責任を自他に対して明確にできるということだと思う。
すばらしい成果を残しても、まずい成果を残しても、それに対する評価を独り占めできること、それが大切だと思う。
そういうリターンがないところでは、やっていてどうにも気持ち悪さを感じる。
そんな感情をうまくやりくりするのがオトナなんだろうけど、オトナに収まったら楽しみを持つ視野が狭まる気がしてならない。

まあ、今の仕事に関しては、そんなたいそうな責任を持てるほどの一人前じゃないし。ヒヨッコもいいところだし。
しょせんなに寝言ほざいてんだってレヴェルでしか役に立ててないし。

それにしても難しい。本当に難しい。


2006.5.14 (Sun.)

オードリー=ヘップバーン主演で『マイ・フェア・レディ』。
バーナード=ショウの原作『ピグマリオン』を戯曲化した作品を映画化した作品。

言葉の汚い花売り娘・イライザを「立派なレディにしてみせる!」と、言語学者のヒギンス博士が引き取って猛特訓。
同じ言葉を何度も繰り返し、基礎の基礎、[a]の発音から徹底的に言葉づかいを矯正していく。
血のにじむような特訓の結果、ついにイライザは社交界にデビューすることに成功する。
さらにアスコット競馬場では、ええとこのぼっちゃんに気に入られる。ヒギンス博士は友人のピカリング大佐と喜ぶが、
ふたりの話を聞いていたイライザは自分が単なる実験台だったと知って激怒。家を飛び出してしまう。
さあどうする、ヒギンス先生。原作ではイライザにふられちゃったけど、どうするの? ……ってなお話。

O.ヘップバーンの声は、実は容姿ほど美しくない。そんな彼女が序盤で思いっきり声をがなり立てるのがハマっている。

ミュージカルということで途中で歌が入るため、話の展開が時間のわりに遅い。だからやや退屈。
もうちょっと楽曲に恵まれていれば違ったのかもしれない。惹かれる曲がないことで損をしているように思う。
あと、この話はイギリスを舞台にしていて、イギリスの上流階級と労働者階級の生活習慣の違いがわからないと、
思う存分に話を楽しめないと思った。中流になじみきった日本人の感覚では、社交界の緊張感とかアスコットの権威とか、
いまいちピンとこないのである。その辺はこっちにきちんと受け止める回路がなかったので、残念。

おおっ!と思ったのはアスコット競馬場にシーンが移った、まさにそこ。
まず競馬場のセットがあって、そこに人込みができていく。そうして静止した人がたくさん重なると、急に動き出すのだ。
いかにも舞台のミュージカル出身らしい演出で、こういうのが映画の中にふっと織り込まれるとびっくりする。
そして、原作への敬意をそういう形で表現していることがものすごく格好よく思えて、「やるねぇ~」とうなずいてしまう。


2006.5.13 (Sat.)

髪の毛を切る。

おねーさん曰く、髪の色が明るくなったそうだ。身に覚えがないので「はぁ?」と口を開け放したまま考えていると、
「日に当たったりしました?」「しました、しました。自転車こぎまくってたんで」「それで紫外線で色が抜けたんですよ」
5月は紫外線が強い時期ということで、納得。自転車をこいで過ごした週末は、どれもとんでもない快晴だった。
僕としてはあまりにも生っ白い自分の腕に愕然として、ちったあ日焼けしないといかんなあ、という感覚だったのだが、
そのおかげで髪の毛まで茶色になっていたとは。鈍いから気づかなかったけど、さもありなん、である。

今年の5月はまるですでに梅雨のような雨の日が多くて、なんだか気分もモヤモヤする。
「雨の日って予約がキャンセルになることが多いんですよー」なんておねーさんは言う。へー、と思う。
どうにも、雨は憂鬱になってしまうことが多い。やっぱり、スカッと心まで晴れた週末を過ごしたい。


2006.5.12 (Fri.)

新しいパソコンがほしくなった。去年HPのノートを買っており、それを今もバリバリ使っているわけだが、
あくまでHPはサテライト、セカンドマシンなのである。メインのマシンを新しくしたいなあ、と思っているのだ。

現在メインにしているのは、SONYのVAIO、PCV-RX51V7というマシンである。
MP3をつくるのはこっちを専門にしているのだが、いかんせんHDの容量が足りなくなってきた。
データの大掃除をして3GB弱ほど容量をつくったが、今後落語のデータが増えることを考えると心もとない。
まだまだ十分使える余地があると思うのだが、さすがに発売から5年経っているので、いいかげん引退してもらおうか、
いやいやでもかなりお気に入りのマシンだし、と、通帳の残高を見てため息をつきつつあれこれ考えている。
(ちなみに、HPのノートはこのRX51とほぼ同等の性能である。そこが気に入って買ったわけだ。)

 左上がRX51の本体。右上は買ってから10年目になるコンポ。下がディスプレイ。デカい。

思えばRX51は、国立から今の部屋に引っ越してきたのとほぼ同時に買ったマシンだ。
RX52という後継機が出て安くなったタイミングで買ったわけで、まあつまり、5年前にすでに型落ちしたマシンなのである。
スペックを確認してたまげた。MPUがPentium III プロセッサー 866MHz。1GHzもないのだ。
メモリが128MB。もともとWindows MEだったのをXPに設定し直しているので、これはかなり無茶だ。
HDは40GB。Cドライブが5GBでDドライブが35GBと分けてある。どっちもほとんど余裕がなくなってしまっている。
かつては使っている部分が6GBで、HDがいっぱいになる日なんて来るのか?なんて日記に書いていたのに。
買った当時は、これで5年もたせよう!と思っていたので、潮時といえば潮時なのかもしれない。
でも、今でも性能面で特に不満を感じているわけではないので、引退させるにはもったいない、という気持ちも強い。

RX51には思い出がたくさん詰まっている。そもそも熱海ロマン関係の各種のデータを扱うために買った側面もある。
このマシンでCDをめちゃくちゃ焼いたし、レーベルも印刷したし、曲もつくったし、文章も書いた。
映像に手を出さなかったのでマシンの性能をフルに活用したとはいえないんだけど、
それでも自分なりに極限まで使いこなしたマシンなのだ。愛着は、もう半端じゃなく強い。

RX51最大の難点は、サイズが大きくて重いことだ。本体もディスプレイも、けっこうなボリュームなのである。
寒い冬場にはパソコンの前に座るのが非常につらくって、それがサテライトHPの購入動機にもなったくらいだ。
次からはもう、デスクトップは買わない!と心に決めているのである。そんなわけで新型のノートがほしくなっている。
だいたい僕は物持ちが非常にいいほうで(英和辞典なんかもう18年も同じものを使っているのだ)、
使えるものを処分する、という発想は本来持っていない。それだけに、RX51を手放すのが惜しくてたまらない。
性能の充実している新型ノートがほしい。でも今のマシンにもがんばってもらいたい。するとパソコンが3台になってしまう。

しかしやはり、限界にきているのは確かなのだ。遅かれ早かれ、今年か来年のうちには手を打たねばなるまい。
どこかで誰かが有効利用してくれればいいのだが、デカくて重くて型落ちのマシンを拾ってくれる人など思いつかない。
経済的にもしばらく現状維持していたほうが賢明に思える。さあ困った。どうすればいいのだろう。
実家で引き取ってくれないかなあ。用途がないだろうけど。
SONYのくせして5年間でどこも調子が悪くなっていない、すばらしいマシンなんだけどな。


2006.5.11 (Thu.)

『ゴッドファーザー』。人気シリーズの第一作。ニューヨークのイタリア系マフィアの姿を描いた作品。

ドン・コルレオーネはイタリア系移民に強い影響力を持つ男。移民たちは困ったことがあると彼に相談し、
彼は将来機会が訪れた際に借りを返すことを約束して、それを引き受ける。そうして移民の絆の中心に座っている。
あるとき麻薬を売買するソロッツォが接触してきたが、ドンはそれを断る。ドンを邪魔に思ったソロッツォは彼を襲撃する。
ドンは運よく一命を取りとめたが、長男のソニーが反撃に出る決意を固め、ソロッツォを暗殺する計画を立てる。
そしてそれまで裏の仕事には一切関わっていなかった末っ子のマイケルが、それを実行する。
マイケルはその後シチリアに身を隠すが、追っ手に命を狙われる。ニューヨークではソニーが殺されてしまう。
重傷から回復したドンは和解を成立させ、マイケルを呼び戻し、後を継がせる。
やがてドンは倒れるが、たくましく(冷酷に)成長したマイケルは、衰退したファミリーを立て直していく。という話。

あらすじだけを書き出してみると上記のようなものになるが、まあとにかく長い。
逆を言えばそれだけバカ丁寧につくっているということである。何から何まできちんと見せていて、漏れがないのだ。
すごいのは、長い映画なのだが一瞬たりとも「あーあなんかつまんなくなってきたなー」というシーンがないこと。
淡々と、ふつうの若者だったマイケルが、立派に父の後を継いでファミリーの再建を果たすまでに成長する姿が描かれる。
長いなーとは思いつつ見ているのだが、飽きはしない。まあやっぱり、きちんとつくってあるから面白いということなのだ。

イエという制度と裏の社会ってことで日本の家父長制度と比較して考えたくなるのだが、
あまり深い知識がないのでなんともコメントしようがない、というのが正直なところ。困った。


2006.5.10 (Wed.)

『タイガー&ドラゴン』のDVD-BOXを買ってきて、毎晩ちまちまと見ているのである。
ご存知クドカン脚本の落語をテーマとしたドラマで、落語ブームを巻き起こした作品。
いちおう、リアルタイムで見ているのだが、きちんと見ていなかった回もあるので、あらためてぜんぶ通して見るのである。

クドカンにはやはり、『池袋ウェストゲートパーク』でやられた。といってもこのドラマ、リアルタイムで見ていたわけではない。
深夜の再放送を見ているうちにハマってしまい、結局はDVD-BOXを買ってしまった。すっかりやられた(→2005.1.18)。
で、続く『木更津キャッツアイ』は、構成が「表」と「裏」に分かれるテクニカルな作品で、これまたよかった(→2004.1.23)。
ところがその次の『マンハッタンラブストーリー』はイマイチ(→2003.12.18)。そのせいか、この後ちょっと間が空いた。
でも満を持して登場した『タイガー&ドラゴン』は、絶賛のうちに終わったのである。

以前の日記でもちょこっとだけ書いているのだが(→2005.6.3)、序盤は少し硬いかなという印象だったのだが、
回を重ねるごとにぐんぐん面白くなっていく。特に荒川良々演じるジャンプ亭ジャンプが登場してきて以降、
ほかの弟子たちとのやりとりも自然になっていき、ゲストが登場してきてもそれをやんわり受け止めてさらに魅力を増してくる。
そうして「タイガー&ドラゴンの世界」が実に居心地のいいものになっているのだ。

落語ってのは家父長制度の最たるもののひとつで、弟子は師匠から新たな名前をもらって修行をする。
『タイガー&ドラゴン』は表立っては主張していないが、見ればわかるように、実際はガッチガチの家族ドラマなのだ。
落語という世界を利用して、先天的でなく後天的に構成される家族を描いている。これは実に鋭い選択だと思う。
だから「タイガー&ドラゴンの世界」ってのはそのまま林屋亭一門の世界、つまり家族そのものってわけで、
このドラマの本当の狙いは、「居心地のよい家族のつくり方」を描くことではないか、と思うのである。
直接的にやるんじゃなくって、間接的にやる。それでいて、落語という先行するストーリーのシステムに敬意を表し、
ドラマの本体でそれを再構成してみせる。こうして文章にすると簡単だが、これをあっさり毎回50分足らずでやっているのは、
ものすごく難しいことだ。でもその難しさをまったく感じさせないで、エンタテインメントに徹している。恐ろしい作品だ。

見ていて本当に幸せだ。ここまでいろんな面で高いレヴェルを実現しているドラマは、きわめて少ないだろう。
クドカンが確実に成熟したところを見せている作品だと言える。これはもう、必見である。


2006.5.9 (Tue.)

ここんとこ連休&戸田というスケジュールだったので、ふつうの仕事をするのがずいぶん久しぶりに感じられる。
本をつくる作業は相手(著者・印刷所)があっての作業なので、スケジュール管理がきちんとできないと迷惑がかかる。
仕事の間隔が空いてしまったおかげで、その辺の勘がイマイチつかみづらい感じでちょっと困った。
まあこういったところのバランスがつかめるようになるまでには、まだまだ時間がかかるわけで、じっとガマンなのである。


2006.5.8 (Mon.)

本日は戸田でチラシまとめの仕事である。
戸田に来るのは久々だ。毎日はさすがにたまらないが、たまに来ておじいちゃんたちと作業するのはけっこう楽しい。
何よりステキなのは、30分の休憩時間がきちんと入ること。みっちり休めるおかげで気分をリフレッシュして仕事ができる。
だからたまーに飯田橋での仕事を離れて戸田に来るのは、実は大歓迎なのである。月イチで来てもいいくらい。
こんなこと、上司に言ったら無言でジロリと睨まれるんだろうけど。でもそれが正直なところ。

今回は僕と新人くんと事務のベテラン女性に加えて、アルバイトで来ている女性がお手伝いでこっちに来た。
そのアルバイトの女性は先月結婚した社員が僕だと勘違いしていて、「ハァ!?」と思わずうなってしまった。
まあ確かに年齢的にはこっちのほうが適齢期なわけだけど、そんな夢のまた夢のようなこと、当面あるわけないのだ。
「え、でもマツシマさんはそういう話とかないんですか?」と訊かれたので「毎晩DVD見て干からびてます」と答える。虚しい。

戸田での仕事は非常にゆるーい。並んでいるチラシの山を順番に1枚ずつ取っていって、それをまとめて積み上げる。
鳥肌実で言うところの「単純作業のお出ましだ!」なわけだが、休憩がこまめに入るので、別につらいわけではない。

休憩も終わってさあ作業するか、と調子に乗って机を飛び越えようとしたら、机が古くって板の側面がはがれた。
そこに右手の親指を押しつけてしまい、流血。けっこう深く刺さったようで血がなかなか止まらない。
とりあえずセロテープでぎゅっと押さえつけて、血が出ないようにする。

休憩の時間になってセロテープをはがしたら、傷口はまったくふさがってなくって、血が再びあふれ出す。
アルバイトの女性がバンドエイドを持ち歩いていたので、それをもらって貼ったらその後の作業はけっこう調子よくできた。
うーん、かっこ悪い。


2006.5.7 (Sun.)

J.L.ゴダールが脚本と監督、『中国女』。YMOの曲名の元ネタになっていた、と思う(『マッド・ピエロ』も確かそう)。

『大人は判ってくれない』(→2005.4.19)のアントワール=ドワネルだったJ.P.レオが出てくるわけで、イケメンだなあ、と。
あの目つきの鋭いガキはこういうイケメンの成長するのかーと、まあそんなことばっか考えていた。

肝心の映画の内容はまっっっったく理解できず。途中の記憶が飛んでいる。ゆえに何も書けない。

『ペーパー・ムーン』。ライアン=オニールとテイタム=オニールという実際の親子が演じる話。

冴えない中年男・モーゼは、ひょんなことから9歳の女の子・アディを連れてミズーリまで届ける旅に出る。
アディはモーゼの娘、かもしれないのだが、その確証はなく、なんとも微妙な関係の旅である。
モーゼは新聞の死亡記事を読み、未亡人の家に押しかけて聖書を売る、という詐欺まがいの仕事で稼いでいた。
賢いアディはモーゼのピンチを救うどころか、よりいっそう稼ぎを増やすようにあれこれ手助けをするようになる。
そんなこんなで旅を続けるうち、目的地であるミズーリに到着する。が。……といった話。

さすがに、父・ライアン演じるモーゼと娘・テイタム演じるアディの掛け合いが絶妙。
一言で片づけるなら「キャラ」ということになるのだろうが、情けない感じ満載のモーゼとしっかりしたアディのやりとりは、
モノクロの画面とは思えないほど鮮やかな印象を残す。見ているとアディの聡明さが本当によく目立つのだが、
本当のところは、それを引き立てているライアンさすが、なんだろう。登場人物が少ないだけに、よけいにすばらしい。

ロードムービーに親子かもしれないふたりの絶妙なやりとりを混ぜて、それでいてホロリとさせるってことで、
ベタというか古典というか、そういう位置にある作品である。一度は見ておいたほうがいい作品かも。

ヒッチコック監督作品、『知りすぎていた男』。

アメリカ人の医師・マッケナは、家族旅行で来ていたモロッコで妙な経験をする。
バス内でフランス人ベルナールと知り合って食事の約束をするが、その後ベルナールは急に食事に行けなくなったと言う。
レストランではイギリス人のドレイトン夫妻と知り合い、翌日市場へ一緒に出かけることになる。
しかし、そこでアラビア人に変装したベルナールが殺され、マッケナは彼の死の間際にメッセージを告げられる。
そしてドレイトン夫妻によって息子のハンクが誘拐され、彼を探してマッケナと妻のジョーはロンドンへと向かう。

まずオープニングでオーケストラの演奏が映し出され、シンバルにズームしていくとともに、
「このシンバルの一打ちが、いかに平和な一家を脅かしたことか!」といった文字が入る。とても大胆な伏線の宣言だ。
音楽が場面を盛り上げるのに活用されている。観客はシンバルが鳴らされる瞬間を固唾を呑んで見守ることになるのだ。
しかも序盤はそんなシーンが出てくるようには思えない異国情緒あふれるシーンで始まるわけで、
その意表の突き方はまさにヒッチコック。それだけに、よけいにクライマックスの迫力が増してくる。

しかしテンポは悪い。観客はヒッチコックが意表を突いてくるのをただ受け止めるしかないのだが、主人公同様、
全容が見えないままであちこちに振りまわされるので、クライマックスに至るまで、ややフラストレーションがたまる。
そのリズムに乗れるかどうかで評価が変わってきそうだ。オーケストラでの緊張感は特筆すべきレヴェルではあるのだが。
その後、ハンクを探すための最後の切り札が披露されるのだが、ここはちょっとヒッチコック的なご都合主義が見られる。
これまた好みかどうか、というところなのだが、かなりベタにつくっているので、感動したって人は多そう。僕はふつー。

全体的な印象としては、ヒッチコックが何をやっても高いレヴェルで作品がつくれる充実した時期の作品で、
ストーリー自体はとてもシンプルなのだが、味付けがものすごく巧みである。彼にしかできない味付けになっている。
だからまあ、「見せ方うまいなー」というのが一番の感想。そういうテクニックの参考になる映画、というところである。

なお、今回のヒッチコックたぶん市場のシーンにいたと思う。ちょっとよくわからなかったのが残念だ。


2006.5.6 (Sat.)

目赤不動を目指して走った際(→2006.5.4)に、どうも文京区が走り足りないなと思い、走ってみることにした。
といってもそんなに本格的に走ったわけではなくて、不忍通を最初から最後まで行ってみた、というだけ。
地図を眺めているに、文京区は見所が多そうなので、いずれじっくりあちこちまわることにしようと思うけど、
今回はとりあえず、文京区とほかの区の接続の仕方というものを体感してみることにするのだ。

上野まで出て、不忍池からスタート。休日の不忍池はなかなかの人出で、実に穏やかな雰囲気だった。
根津駅周辺に入ると商店が目立ってきて、落ち着いた中に活気のある街、という印象。
そしてちょっと行くと根津神社、という案内表示を発見。さっそく行ってみる。

根津神社はけっこう広い。社殿のほか複数の稲荷神社があり、さらにつつじ苑まである。
この日は縁日で、境内には出店があふれんばかり。とても賑やかなのであった。
まわり込んで石段を上り、乙女稲荷の辺りを歩いてみる。人がいっぱいで思うように動けず。参拝せずに下におりた。
社殿の正面では、結婚式が催されていた。天気もいいし、人も多いし、良かったですねえなどと思いつつ境内を離れる。

不忍通はぐるっと大きくカーブする。交差する道路との角度だとか位置関係だとかが複雑で、
なかなかすっきりと頭の中の地図に収まらない。逆にそれが街の魅力にもなるわけだけど。
なんてぼーっと考えながら走っていたら、いつのまにか護国寺に着いていた。お参りしてみる。
仁王門から石段を上って、不老門を通って、観音堂(本堂)へ。都会の真ん中にあって、うまく広さを感じさせる。
上っていくとパッと開ける、そういう印象を与える空間になっているのだ。この日は快晴だったので、よけいにそう思えた。

さて、目白駅よりも西側はどうなっているか気になっていたので、そのまま不忍通から目白通にスイッチする。
駅前を抜けて走るが、特にこれといって目新しいもののない風景が続く。ふつうの住宅ばかりだ。
やがて西落合の交差点に出る。新青梅街道がここからスタートってことで、さらに西へと行ってみる。
でもすぐに哲学堂公園を左折。中野通を進んで、これが新井薬師かーなんて思いつつ南下。
中野駅前で一休みしてから再び南下。その後、環七に合流して帰宅。

帰ってから地図を眺めて、全然文京区の中に入ってないじゃん、とあらためて反省。目指せリヴェンジ。


2006.5.5 (Fri.)

本日はインドアに過ごした。

今年のGWを総括すると、「自転車とジャズと落語」ってことになりそう。

自転車はまあいつものことだけど、やはり乗りまわして過ごした。単純にペダルをこいでただ走りまわるだけなのだが、
なぜか僕にとってはそれが重要なことで、自転車に乗らないとどうしてもスカッとしないのだ。
どっかに旅行に行くなどするのが「GWの正しい過ごし方」なんだろうけど、なぜか自転車のほうを優先してしまう。
この辺の理屈は、いくら考えてみても、自分でもよくわからない。まあ安上がりに過ごせるのは確かなので、よし。

ジャズはコツコツと有名な曲を集めているけど、ここにきて「今後はこっち方面を攻めてみたいな」という気持ちが芽生えた。
それはピアノで、ピアニストの曲を重点的に聴いていきたいな、なんて思うようになってきたのだ。
オスカー=ピーターソンが映画『ウェストサイド・ストーリー』の曲たちをカヴァーをしているのだが、
その中の『Tonight』がめちゃくちゃ軽快で、聴いていてすごくいい気分になれるのだ。
それがきっかけ。というわけで、今後はしばらく、ジャズについてはピアノ中心でいくつもりである。

最後に落語。落語については興味はあるけど、その奥の深さに尻込みしてここまできてしまった、というのが正直なところ。
現在は談志だけでなく、談志の師匠であるところの柳家小さんを借りてきて、これまたデータにしている、という状況。
落語家の演技もきちんと味わいたいのだが、それ以上に、今はとにかく噺をたくさん知りたくってしょうがない。
落語には有名な演目がいっぱいあるけど、それをきちんと耳にすることで、その概要を知っていきたいと思うのだ。
語学で語彙を増やすのと同じ感覚で、物語・ストーリーの語彙を増やしたい。そう思って落語を聴いている。
まあまだ始めたばっかりで、右も左もわからずに手当たりしだいにつまみ食いしているわけだけど、僕、がんばる。

インドアなのかアウトドアなのかよくわからないが、独りでなんとかする過ごし方をしている点では共通している。
そしてそれが最近、お決まりのパターンになっている。それもナンだよなあ、と少し反省しつつ、iPodを再生する。


2006.5.4 (Thu.)

こないだcirco氏が上京した際(→2006.4.22)、一緒に目黒線に乗っていたときのこと。
「目黒不動行った?」「いや、行ったことないね」「目赤とか目青には行かないの?」「じゃあ行くよ、連休中に」
という会話をした。また以前にも、物理班時代の後輩に「マツシマさん、行かないんですか?」と言われたこともあった。
そんないきさつがあって、目黒・目白・目赤・目青・目黄のいわゆる江戸五色不動をまわってみることにした。
もちろん、自転車で。一日で。

まず予習ということで、ネットで五色不動について調べてみる。
五色不動は、徳川家光が天海の進言で、江戸にある不動尊から5ヶ所を選んで天下泰平を祈願したのが始まり。
(天海は家康の代から徳川家に仕えた僧侶で、江戸の鬼門にあたる上野に寛永寺を創建している。)
それぞれの不動尊は江戸の街を囲むように位置しており、結界のような意味合いがあったようだ。
しかしながら目黄不動が2ヶ所あったり(正確には3ヶ所らしいが)、目黒と目黄以外は移転していたりで、
現在ある五色不動は江戸期のそれとは異なった姿となってしまっている。
それでも目黒は区名・駅名に、目白も駅名になるなど、現在でもその影響は残っているのである。

朝9時、家を出発する。まずはいちばん近くにある目黒不動を目指す。

 愛機。いつもそうだけど、こいつだけが頼りな旅。

東急目黒線には「不動前」という駅があるが、目黒不動はそこから少し離れた位置にある。
(不動前駅のすぐ近くにある禿(かむろ)坂は緑に包まれた閑静な通りで、個人的に好きな場所だ。)
目黒不動の所在地は目黒区下目黒。山手通りから参道が伸びているので、比較的わかりやすい。

  
L: 目黒不動の山門。周囲は住宅と小規模な商店が混在して、のんびりした雰囲気。
C: 境内は平らで広い。なんだか公園みたいだ。トイレには「湯放処」という看板があった。
R: 石段を上ると堂々たる本堂が。提灯には「目黒不動」と大きく書かれて威厳たっぷり。さすがに五色不動で最も規模が大きかった。

目黒不動は正式には瀧泉寺といい、五色不動の中でも最も有名な寺院である。
その名のとおり境内には池があるが、これはこの寺をひらいた慈覚大師円仁が独鈷を投げた際に湧き出たという。
有名な寺社の周りは賑やかな盛り場になっていることが多いのだが、目黒不動の周辺は完全に住宅街。
だから純粋に「清潔な空間」という印象がして面白い。よけいなものがあまりない分、シンプルでいい。

 いかにも、5月!って感じの空と緑である。

さて、目黒不動の次は、とりあえず東に向かってみることにした。地図で目黄不動の位置を確認する。
前述のように目黄不動は2ヶ所あるのだが、まずは江戸川区平井のほうを目指す。江戸川区……。遠い……。
しばし呆けて、それから無言でペダルをこぎだす。

いつものルート(国道1号で港区に入り、15号に並行して新橋まで出て山手線の内側を北上する)で靖国通りまで行く。
そこで右折して、今度は国道14号を東へ進む。両国・錦糸町を抜けて亀戸でメシを補給し、再び東へ。
江戸川区平井は、荒川の西側にある。以前、後輩のラビー和田とメシを食った場所なので知っている(→2002.6.1)。
駅前を少しウロついてから、事前にチェックしておいた番地を目指して、荒川沿いに迂回して向かう。

  
L: 目黄不動山門。きちんと阿形・吽形の仁王様がいる。  C: 境内はこぎれい。画面中央よりやや右にある瓶では蓮を育てていた。
R: 不動明王はこちら。目黒に比べれば規模は小さいけど、きれいにしてあって非常にやる気が感じられる。好感が持てるのである。

江戸川区の目黄不動は正式な名を最勝寺という。もともとは本所(墨田区)にあったが、大正時代に区画整理で移転。
中の様子を見るに、移転後も周囲の人々から大切に扱われてきたのがわかる。街の穏やかなお寺である。

お参りを済ませると、次は台東区の方の目黄不動に向かう。浅草通りから言問通りを進み、三ノ輪の交差点を目指す。

もうひとつの目黄不動は台東区三ノ輪にある永久寺。三ノ輪の交差点から本当にすぐの位置にあるのだが、
これがほとんどふつうの住宅といった外見をしているので、うっかりしていると通り過ぎてしまいそうになる。
昔は木造の寺だったらしいのだが、2002年に現在のコンクリート造になった模様。

 
L: 左側にあるプレートがないと、絶対に目黄不動とわからない。  R: 道路を挟んで反対側から撮影。とても寺に見えない。

江戸情緒のかけらもなくってガッカリしつつ、次の目赤不動を目指す。
明治通りでいったん荒川区に出て、そこから西日暮里駅前を通り抜け、不忍通りに合流。
この周辺、文京区というのは、あまり自転車できちんとまわったことがない。新鮮さを感じつつ走る。
やがて本郷通りとの交差点に出たので、左折して坂を下っていく。その途中に、目赤不動がある。

  
L: 「目赤不動尊」と書かれた柱が立っているのでわかりやすい。でもこれだけじゃあ山門とは呼べない気もする……。
C: 境内は広くないが、各種の植物がたくさん植えられている。とても落ち着いた雰囲気の場所。
R: 不動明王はこちら。300円でお守りを無人販売していた。規模は大きくないものの、なんとなくご利益がありそうな寺だな。

目赤不動は正式には南谷寺といい、文京区本駒込にある。南北線・本駒込駅から近い。
隣には医歯薬出版のビルがそびえる。かつては動坂にあり、伊勢の赤目山から勧請したことから赤目不動といったらしい。
しかし家光の命により目赤不動と名を改め現在地に移り、五色不動のひとつに加えられたのだそうだ。
やっぱりそんなに目立ってはいないんだけど、訪れる人はそこそこいるようで、熟年の夫婦が地図を片手にお参りしていた。

次は目白だ、ということで、来た道を戻って再び不忍通りを西へ行く。途中で緑の塊が右手にあるのを発見、寄ってみる。
高い塀に囲まれた敷地から、緑が溢れている。訪れる人がいっぱいいて、なんだろうと思って正門にまわってみる。
そこには「都立庭園・六義園(りくぎえん)」とあった。

 六義園入口の様子。客層はさすがにアダルト世代中心。

六義園は柳沢吉保(徳川綱吉のブレーン。『水戸黄門』では黄門様を何かといじめる悪役として描かれる)がつくった。
平地だったところに池や山をつくって和歌の世界を実現したもので、特にツツジが有名とのこと。
今はまさにそのシーズンなので、観光客で溢れかえっていたわけだ。入園料は300円也。
僕は当然、独りで行って300円払ってというのは虚しいので、入口だけでパス。機会があればぜひ入りたいけど。
ちなみに六義園の向かい側にはフレーベル館のビルがあり、中にはアンパンマンのミュージアムがあるようだ。
なんだか、子どもはアンパンマンで大人は六義園と、双方の需要に対応しているみたいで面白い。

不忍通りに戻る。千石、大塚を行くと、巨大な高速道路の構造物が見えてくる。
これがなんだか、閑静なこの地域にはミスマッチで、ちょっと異様な風景に思える。
護国寺の前を通って高速の下を抜けると、何事もなかったかのように落ち着いた道にまた戻る。

まっすぐ行くと目白通りにぶつかって、不忍通りはおしまい。とりあえずいったん目白駅に寄ることにする。
千登勢橋で明治通りと立体交差。池袋から自転車で帰るときにいつも見上げている道を走っているわけで、
頭の中の地図が広がっていくのがわかる。これが楽しいから、自転車に乗るのはやめられない。
そのまま行くと学習院大学の脇を通る。守衛にまったく隙がない。おぬしやるのう、と思いつつ目白駅に着く。
といっても、目白駅ではトイレに寄ったぐらいで特に書くこともない。戻って、再び千登勢橋へ。

千登勢橋から明治通りを下る。都電荒川線が並んで走るが、この学習院下駅が目印。左折する。
しばらく道を走ると小学校があり、その奥にあるのが金乗院というお寺である。所在地は豊島区高田。
この金乗院の敷地の一角に、目白不動があるのだ。

  
L: 金乗院の山門。奥にはコンクリート造でいかにも頑丈そうな本堂がある。  C: これが目白不動。階段を上がってお参りする。
R: というのも、地形が坂になっているから。この坂は「宿坂」といい、かつてはここで狐や狸が人を化かしたそうな。
  なお、これより一本西側には、東京で最も急な坂といわれる「のぞき坂」がある。

もともと目白不動は現在の文京区関口にあったのだが、戦災(空襲)で焼失してしまった。
それで本尊である不動明王像をこちらの金乗院に移し、合併して目白不動復活、ということになったのである。
そのため、目白という地名にもなったわりには規模は非常に小さい。いろいろと紆余曲折があるものだ。

さて、残すは目青不動のみということで、自転車にまたがり南を目指す。
明治通りを南下するが、そのまま行くのも芸がないので(なんせ前日に新宿に行っている)、
新目白通りから山手通りに移って南下。まあこうしても大して違わないのだが。
そのまま無心で進んでいき、国道246号にぶつかるまで南進。で、右折。
そこから三軒茶屋まではすぐで、住宅街の中を迷いながら目青不動を探す。
後でわかったのだが、目青不動はキャロットタワーから東急世田谷線の線路沿いに行くと簡単にわかる。
地番表示を頼りに住宅街を進んでいくと、まるで迷路のように複雑になるのだ。さすが世田谷区だぜ。

  
L: 住宅街側から撮影した入口。この道を抜けると境内。  C: 境内の様子。木々が茂っていて、夏場はすごくいい場所だと思う。
R: すぐ回れ右をすると不動明王のいるお堂。猫が昼寝してそうなくらい、のどかな場所。日差しで屋根が反射しちゃってる。

 世田谷線側から撮影。電車内から双眼鏡で覗いたら、目青不動が見えるかも?

目青不動は正式には教学院という。所在地は世田谷区太子堂。
世田谷らしく緑のあふれている場所なので、天気のいい日に三軒茶屋に来たら、ちょっと寄ってみるといいかもしれない。
こちらももともとは港区六本木・青山にあったが、現在地に移転した。地元住民にとってはちょっとした庭という存在だろう。

これにて五色不動巡りは終了。目青不動に到着した時点でちょうど14時。したがって5時間で6ヶ所をまわったことになる。
もっと時間がかかるかと思っていたのだが、意外とすんなりとまわることができた。
もしかしたら、電車やバスを使ってまわるよりも、自転車の方が速くまわれるのかもしれない。

五色不動をぐるりと一周するということは、つまり、江戸の街を一周するという行程でもある(上述の「結界」)。
もっとも、ほとんどが当時の位置から移転しているので、江戸という範囲を正確に体感するということにはならないが。
とはいえ、移転している不動尊はすべて、江戸城から見て郊外側に移っている。つまり江戸を拡大する方向に移っている。
これは家光の時代からだんだんと、江戸が栄えて広がっていった事実を示していると考えられるのだ。
そういう意味でも、実際に一周してみるという試みは、決して価値がないわけではない、と信じたい。


2006.5.3 (Wed.)

新宿へ自転車のメンテに出かける。

スポーツショップの地下に自転車屋はあって、そこに自転車を預けると、フラフラと東口をうろつく。
暇をつぶすのに最も適した場所といえば、マツシマ家の場合には圧倒的に本屋なのだが、
紀伊國屋書店には気をつけないといけない。前川國男設計の紀伊國屋書店ビルは、
携帯電話の電波が異常に入りにくいのだ。ちょっと気の利いた山の中のほうが電波が入る。
だから待ち合わせや電話での連絡待ちをしているときに紀伊國屋書店に入るのには注意を要する。
そんなことを考えつつあちこちのんびり歩いていたら、電話が鳴って、スポーツショップへと向かう。

タイヤ・チューブともに限界だったので、両方とも新しいものに替えてもらった。が、黒いふつうのタイヤがなくって、
側面に色のついたものしかないという。赤・青・黄色の3種からひとつ選んでくださいとのこと。
しょうがないので、持っているFREITAGとの色の相性を考えて、青にした。ちょっと派手な気もするけど、しょうがない。
これからしばらくは、色つきタイヤで街を闊歩するとしよう。

家に帰ってメールをチェックする。
実は先日、ザコちゃん(飯田高校の後輩。3つ下なので卒業後に知り合った)からmixiのお誘いを受けた。
まる婚(→2006.4.16)の際にその辺の話題になって、「マツシマさんの日記、毎日チェックしていますよ」と言われたのだが、
ザコちゃんもブログをしたためているということで、見てえと言ったらmixiに誘ってくれたというわけだ。ありがたいことである。
しかしながらここで悩む。ザコちゃんの日記は是が非でも読みたい。しかしmixiは気に入らない。ダブル・バインドである。

なぜ僕がmixiを嫌っているかといえば、その閉鎖的な点が理由だ。誰かに呼ばれないと閲覧できないのが気に入らない。
たとえばいま僕がこうして書いている日記は、ものすごく個人的な内容で、読む対象をあえて限定しているところがある。
この日記の目的は、親しい人への近況報告と、自分のための備忘録なのだ。それ以上でも以下でもない。
しかし、だからといって検索した結果やってきた人に対して「読むな!」というようなことはしたくない。それはつまらないと思う。
何かの偶然でたどり着いた人が、将来自分にとってプラスなものを提供してくれるかもしれないし、
場合によってはもっと深く、プラスな存在になってくれるかもしれないじゃないか。そういう可能性を閉じるのはカッコ悪い。
上記のことはあくまで僕の個人的なポリシーであって、他人にまで強制すべき考え方ではない。
しかし、以上のことからどうしても、mixiに対する嫌悪感というか違和感というか、そういう感触が消えないのである。

で、いろいろ考えた結果、ザコちゃんの日記はもうめちゃくちゃ読みたいんだけど、僕はバカなので我を通して、
mixiへのお誘いを保留させていただくことにします。やはり、mixiの内側には入りたくないのだ。外側にいたいのだ。
外側にいても、内側にいるのと同じことはできると思う。だから、あえて、今のままでいたいと思うのである。

ちなみにダニエルさんはいつまで経ってもmixiに誘ってくれなくって、それが原因でヘソを曲げちゃっている気がしなくもない。
なんにせよ、コミュニティを閉じる方向にもっていく、ってのには賛成できないなーと思うのである。


2006.5.2 (Tue.)

人としてやってはいけないこと、というのはいくつかあるわけだけど、
その中のひとつに「置いてある自転車のカゴにゴミを捨てること」が入ると僕は思う。
同じ人間としてそういうことをする奴の神経を疑う。というか、同じ人類と考えたくない、とすら思うのだ。
何もそこまで、と言われるかもしれないが、これをやられると非常にムカつく。腹の底から怒りがこみ上げてくる。
れっきとした他人の所有物に対してそれを勝手にゴミ収集所とみなし、その絶対的な物的証拠を残していく。
自分の大切にしているものに対して絶対的な否定をされたという感触を、僕は覚えるのだ。これは許しがたい。
そんなわけで、置いてある自転車のカゴにゴミを平気で捨てるような根性の奴は絶対に許さないのだ。覚悟をするのだ。


2006.5.1 (Mon.)

真夏日だった。昼休み、いつものように自転車で神楽坂まで昼飯を食いに出たのだが、もう、空気の質が違う。
つい昨日までは4月で、三寒四温から徐々に「春」の気配が強くなっていって、そして中旬には「春」が完成する。
そういう季節の変化というものを、ゆっくり、でも確実に身体で感じていたところに、急に夏が来た。

「小春日和」という言葉はあるのに(冬の穏やかな暖かい日のことね、念のため)、「小夏」という言葉はない。
でも今日は、完全に「小夏」だったような気がする。「五月晴れ」だと夏に向けて準備する春の一日って感じがするけど、
そんな生やさしい天気じゃなかった。夏のかけらが間違って地面に刺さってきた、そんな感じがした。

おととしまではそんな日には自転車で外に出て、涼しいどこかに避難して過ごしていたわけで、
昼休みの1時間しか自由のない今となっては、かつての日々がいとおしくってたまらない。
こうして毎日を同じ場所で過ごすことで、季節に対して鈍感になっていくとしたら悲しい。
だから、今まで以上に神経を張り巡らさないといけない。敏感に季節を受け止め、語彙を増やして、
的確に表現できるようになりたい。そんなわけで日記でちまちま訓練をするとしよう。
とりあえず、今日はこんなところで。


diary 2006.4.

diary 2006

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