diary 2007.1.

diary 2007.2.


2007.1.31 (Wed.)

TEXなんだけどテキストエディタ上での修正は控えてくれ、と頼まれている仕事があって、
おかげでひたすら赤を入れまくる破目に。冗談でなく、原稿のプリントが真っ赤に染まるくらいに修正しまくり。
それが合計で250ページを超えるってんだから、右手がもう痛いのなんの。
今日ほど、両利きで生まれたかったと心から思った日はない。
でも残業する。そうして作業を続ける。慣れてくると赤を入れるケースが読めてくるので多少は早くなる。
そんでもって家に帰ってくると、今度は大学のリポート書きが待っている。
こないだ図書館で調べた内容をあれこれ編集していって、無事になんとか1本終わらせることができた。
いやーよかったよかったと安心して熟睡。テレビとか見ている暇なんてないよ、まったく。

日記が仕事のグチばっかでごめんなさいね。


2007.1.30 (Tue.)

誤字やら脱字やらのミスの修正で必死になっていた本があって、これでもか!というほどがんばってつぶして、
「あーもうやれるだけのことはやったぜ、ホントに限界までやったぜ、後は知らん!」ぐらいに思っていたのだが、
できあがったインクジェット刷りを上司にチェックしてもらったところ、レイアウト上でのミスが2箇所見つかった。
あくまでレイアウト上、格好悪いという事例なので致命的な間違いではないものの、かなりショックだった。
文字のミスに気をとられて、レイアウトでしくじるとは。きちんとやったつもりでいただけに、がっくりである。
サッカーでDFが相手のFWに釣られてスペースを空けて失点したらこんな気持ちなんだろうか。とにかく、ものすごく悔しい。


2007.1.29 (Mon.)

今月の社内報が出て、昨年の納会の様子が載ったんですけど。

いやー、われながら実にヒドい写真だ。

(※実際に飲まされているわけじゃなくって、空瓶をくわえているだけです。念のため。)


2007.1.28 (Sun.)

都立中央図書館へ行く。リポートの参考文献のチェックするためである。

広尾はどうも苦手だ。周辺に強いセレブ臭があって、僕みたいな人間には居心地がよくない。
外国の人が多くてなんか「居留地」っぽいなあって印象はまあいいとして、
コンビニもブサイクメシ屋(吉野家とか松屋とか)も見当たらないので、なんだか落ち着かない。
商業という要素があんまりなくって、でも高級な雰囲気が漂っていて。アウェイである。

図書館に入ると、まずメシを食い、それから言語学方面の知識を補強していく。
semantics(意味論)かpragmatics(語用論)でリポートを書かねばならんのだが、
日本語での知識がなければついていけない。使えそうな本を引っぱり出して、該当箇所をあたっていく。
で、語用論について調べていくうちに、聞いたことのあるフレーズがパラパラと出てきた。
「会話の協調の原則」だとか、「発話行為」だとか、あれ? オレこれ知ってるぞ?と首を傾げる。
腕を組んでしばらく考えてみて、思い出した。オレ『言語心理学』っていう、その手の本をつくったじゃん、と。
そんなわけで実はそれなりに門前の小僧状態だったことが発覚し、「あ、こりゃリポート書けるわ」となる。
いつどこでどんな知識が役に立つかわからない。地道な努力はしておくものだ。

その後はカウンセリング関係の本に目を通して、教職科目のほうもリポートの準備をしておく。
前回に比べれば緩急をつけるポイントが格段にわかっているので、思いのほかスムーズにできた。

しかし浮かれていたのも束の間。一気に地獄の底に突き落とされる事態が発生した。
ロッカーに入れておいたiPod shuffle(→2007.1.4)が見つからないのである。
おそらく番号を間違えてカバンとiPod shuffleを別のロッカーに入れてしまい、カバンのほうに鍵をかけたのだ。
忽然と消えたshuffleだが、受付で訊いてみても届いていない、とのこと。盗まれた!
手に入れてから1ヶ月もしていないのに。自分の愚かさに呆れ果て、また盗んだ相手に猛烈な怒りを覚え、
ムカムカしながら帰る。あームカつく! 盗んだヤツが天罰を食らってひどい目に遭いますよーに!


2007.1.27 (Sat.)

髪の毛がいいかげん伸びきっていたので切りに行った。
なんでか知らないが非常に混みあっていて、いつもより時間がかかった。たまにはそんなこともあるさ。
相変わらずおねーさんの仕上げはすばらしい。自分じゃ髪型を器用にまとめきれないでいて、
毎回必死でおねーさんのテクニックを食い入るように見ているのだが、どうもうまくいかなくって悔しい。

で、今日は暖かくって天気もよかったので、ふらっと散歩程度にサイクリングに出たつもりが、
気がついたら秋葉原にいた。どうせ来てもゲームミュージックCDしか見ないのに、しょっちゅう来ている気がする。
が、そのゲームミュージックCDで思わぬ掘り出し物を発見。まさかこんな値段で出ているとは! 即決で購入。
オレはなんてツイてるんだ!とニヤニヤしながら日記を書いて、家路についたとさ。ワーイ。


2007.1.26 (Fri.)

去年のクリスマスイヴに試験のあった4科目、無事にぜんぶ単位が取れた。これで8単位取得。
手ごたえは十分すぎるほどあったので、うれしいのではあるが、さほどでもないというのが正直なところ。当たり前だろ、と。
まだまだ、目標としている単位数には足りない。やらなきゃいけない勉強は、この先いくらでもあるのだ。
特に現在取り組んでいる科目の進みが非常に悪いので(→2007.1.21)、とても浮かれてなんていられない。
勝って兜の緒を締めなきゃならんのである。なんとかして、モチベーションを上げていかねば。


2007.1.25 (Thu.)

とりとめのないままに。

ここんとこ風邪気味で、熱があるわけではないんだけど、鼻から喉の辺りが異常に乾燥して困っている。
それが少し良くなったと思ったら、今度は腹の調子が悪くなって、しかも肌がやたらと敏感になって衣擦れが気持ち悪い。
しょうがないから勉強もそこそこに、福井で買った風邪薬(→2006.11.4)を飲んで早寝する生活が続いている。

不幸中の幸いってなもんで、最近は定時に帰ることができている。
一時期の嵐のような校正ラッシュは過ぎて、今はこまごました追加原稿の処置が中心になっているのだ。
もしこの風邪のピークが先週来ていたら、と想像するだけで恐ろしい。
まあ逆に、余裕ができたから油断して風邪を引いただけなのかもしれないけど。

今日は昼に、ゲラを渡しに調布へ行った。
これまでは企画担当者に連れられて行く形ばかりだったのだが、今日は初めての一人旅。
非常に緊張したのだが、案ずるほどのこともなく、無事に任務完了となった。
それで、帰りに鯛焼きをひとつ買い食いした。駅前で鯛焼きを売っているとはさすがに調布、いい街だ。
ホームでもぐもぐしながら、「しまった、2個買っておけばよかった」なんて心底思う。『めぞん一刻』の惣一郎さんみたいだ。

仕事場に戻ると、手元にある原稿の整理を始める。ゲラを扱う仕事が今のところないので、それくらいしかやることがない。
こないだ出た新刊のいらなくなったゲラやらコピーやらを一掃。しかしそれが終わると、もはや完全にやることがない。
つい先週まで体力の続く限り残業ってな態勢だったのに。どうにも極端でかなわない。

さて交通費を請求しようと総務に行ったら、南極観測50周年記念の500円玉を渡された(⇒これ)。
外枠はふつうの500円玉とまったく一緒なんだけど、表にはタロ・ジロと宗谷、裏には南極大陸とオーロラが刻まれていて、
なんかちょっと国立科学博物館テイストの香りがしてかっこいい。もったいなくって使えない。
こういう記念硬貨を手にするのは初めてなので、すごく新鮮だ。面白いもんだなあ、と帰りの電車で眺めて過ごした。


2007.1.24 (Wed.)

今日はネタが特にないので、受験シーズンだし、なぜ僕が一橋大学を目指したのか、という話をきちんと書いておこう。

最大の理由は、これは誇張でもなんでもなく、「国立に親戚がいたから」である。
国立市といえば一橋大学。なんでも親戚のいる街に立派な大学があるらしい、そう親から聞いたのがきっかけになる。
で、小さい頃は、親に倣って建築でも勉強しようかなあ、とうすうす考えていなかったこともなかったのだが、
一橋大学には建築学科がないらしい、それどころか理系の学部すらないらしい、と知ったのが人生最初の挫折。
冗談みたいな恥ずかしい話だが、これは本当のことなのだ。行きたい大学が突如、なくなってしまったのである。
それでもウルトラクイズとかクイズ番組を見るたびに一橋大学が出てきて、強くてすげえなあ、と憧れはあった。

高校に入るととりあえず理系ってことで進路を選択するわけだが、行きたい大学は相変わらず、ない。
「親戚もいるし、広大(広島大学)にでもしとけばー?」という親の声にも「んーそーだなー」と生返事であった。
信州大学農学部に入って、ベルディに弟子入りして将来はピザ屋になるかなあ、とわりかし本気で考えたこともある。
まあとにかく、やりたいことは何もないし、行きたい大学もあるわけでないし、そもそも成績ぜんぜん良くないし、という、
いちばん最悪のパターンで高校生活を過ごしていたわけで、周囲の予想どおりに浪人して名古屋直行、となった。

さて浪人ぶっこいた瞬間に、「よしオレちゃんと勉強して一橋の社会学部に入るー」と一大決心を固めてしまった。
振り返ってみると、こういうことを“一瞬の魔がさした”って言うんだろうなあ、と思う。それくらい、唐突な決断だった。
まあ伏線がないわけではなくて、ひとつにはどうにも理系の大学がみんな同じに見えて魅力が理解できなかったこと、
あともうひとつはcirco氏の「おい、一橋の社会学部には変人が集まるって噂だぞ」というささやき。
それから高校のときの進路担当・アルコール酒井先生が「浪人したら受かるかもわからん」という“予言”をしたのも根拠。
それで将来の希望とか何も考えないまま、名古屋での愉快な浪人ライフをスタートさせてしまったのであった。

そういうわけで、まとめると、1. 国立に親戚がいた、2. 変人が集まるという噂を聞いた、3. クイズ研究会が強かった、
以上の3点から大学を選んだわけで、われながら呆れるほどにいいかげんである。まあ、受かったから言えることだけど。

ちなみにマサルが一橋にしたのは、久米田康治のマンガ『ルートパラダイス』に「二橋大学」という大学が出てきた、
というのがきっかけ。元ネタを調べた結果、一橋大学という大学の存在を知り、そこから目指すようになったんだそうだ。
キャバクラマンガのヒロインが通うことになる大学ってことで選ぶとは、なんていいかげんなヤツなんだ。上には上がいる。

まあそういういいかげんな理由のほうが後々になって魅力的なドラマを生むことは、えてして多いものだ。
僕は非常に満足しておりますが。


2007.1.23 (Tue.)

五十嵐太郎『現代建築に関する16章』。講談社現代新書で、目についたので読んでみた。

もはや建築と現代思想が切っても切れない関係にあるのは周知の事実。
「ポストモダン」という言葉が建築の世界から輸入されたとき、それは誰の目からも明らかになった(と思う)。
この本では、建築における各種のキーワードを16個にまとめ、“語り下ろし”形式によって解説している。
おかげで講義を聴いているような印象で、非常に読みやすい。ただし図版にはやや不満もある。
特徴としては、「建築史」というと建築それ自体の歴史、つまり建築をめぐる内部の学問というイメージが強いが、
この本では積極的に、建築に影響を与えた外部のできごとを取り上げている点が指摘できる。
もっとも、現代建築に関する本なので、このことは当たり前といえば当たり前だ。

建築は確実に、20世紀を経て変化している。物をつくるのには根拠がいるからだ。
根拠がなくてもできちゃうメディアもないことはないが、建築は現実の物質を相手にするから、特に根拠が必要になる。
かつての理由は宗教であり、美への意識であり、権力や政治であった。
しかし資本主義が席巻して消費社会が訪れた20世紀以降、建築は貪欲に根拠をあちこちに求めるようになる。
そこで逆に、建築という鏡を見つめることで社会を把握することも可能になる(というか、その可能性に皆が気づいた)。
まあそういうわけで、現代建築は猛スピードで動き続けている。これが現状。
そしてこの本では、建築内部をめぐる語彙も、歴史・身体・情報・戦争・日本らしさなどといったものも、
きわめて冷静に分け隔てなく扱っている。つまり現代建築が置かれた客観的位置を正確に理解できるということ。

内容は広く浅いが、どの章も押さえるべきことは押さえていて、かつ深入りして混乱するようなことがない。
素人向けに実にいいバランスの本が出たなあ、と感心してしまった。
章ごとのブックガイドや建築の紹介があれば言うことなしだったが、それくらいは自力でやれってことなのだろう。

気になった点というか、さすがに鋭いなと思った点というか、現代建築の“現代”たるゆえんとして、
10年前だったらここまで重点的に扱われなかったんじゃないかな、という章を挙げると以下のとおり。
まず「日本的なるもの」。藤森照信(→2007.1.18)の活躍とともに再び議論が活発化してきた視点。
前世紀末のころには透明感や軽さなんかがひたすら志向されていたように思うから、面白くなってきたな、ってところ。
こういう「日本的」ということを、過去形でなく現在形で語れる状況が来ていることは歓迎すべきだと思う。
「歴史と記憶」の章も非常に重要だ。丸の内やら同潤会アパートやら、事例は飛躍的に増えた。
古くなった建築を保存しない場合に、その記憶をどのような形で残すか、いよいよ待ったなしの状況になっている。
「ビルディングタイプ」の章ではお馴染みの監獄とコンビニの議論。今ではここに情報空間での身体性を加味して、
議論はさらにそこからずっと先に進んでいる。そこで「情報」「メディア」「透明性と映像性」という章がラストに陣取る。
この辺はもう完全に、今後の建築の根拠となる現象を読み取っていくという内容になっている。
(あるいは、最先端の、最先端だった建築の事例を現代社会の潮流と合わせて解いていくという内容。)
で、僕の興味関心が建築を経由した現代社会にあるのに対し、筆者の視点は最終的には建築に戻る。
その辺が、ああなるほど建築でメシを食ってる人とそうでない人との差なのかー、などと思った。

なんだかまとまらない文章になってしまったが、物質に時代を刻みつけた痕跡としての建築が、
現代においてどれだけ重要な存在であるのか、それを実感するにはうってつけの本だと思う。
ド素人にもオススメできる一冊。講談社現代新書の底力を感じるなあ。


2007.1.22 (Mon.)

筒井康隆『日本以外全部沈没』。
ホントはこれを読むために小松左京の本家(→2006.11.16)を読んだのだが、こっちについて書くのをすっかり忘れていた。

結論。面白くなかった……。元ネタがなかったらたぶん出てこなかった話なわけで、そこがどうにも。
個人的には、パロディをやるにせよ、それでもどこかにその作品特有のオリジナリティという意地が見えてないとつまらない。
「この話を書いた理由」ってのがいまひとつ見えなくって、面白いと思えなかった。

この文庫本は短編集なのだが、基本的に破滅志向といえばいいのか、破壊的な方向に進んでいく話が目立つ。
読者に対して生産的な興奮を与えることがない。つまり、読んでいて建設的な想像力を掻き立てられない。
作者による作って壊しての繰り返しで、その作品から読者は何を引き出せばいいのか、僕にはわからなかった。
そういうわけで、この作品群を評価している日本のSFってどうよ?というのが、僕の正直な気持ちである。


2007.1.21 (Sun.)

英語の勉強のモチベーションが上がらない理由がわかった。内容がつまらないからだ。
僕は生意気というか現金というか、昔っからそうで、面白いと思ったら夢中でやるし、つまんなかったら何もしない。
勉強についてこの傾向は非常に激しく、あーこれ面白いと思った勉強については言われなくてもやるのだが、
つまんない勉強にはまったく興味を示さない。そういう根性が染みついていて、今もまったく抜けていないのだ。

前にやっていたのは「英米事情II」で、これはけっこう単純な英語でイギリスについていろいろ書かれた内容だった。
地理に始まり、王室、政治、学校、バンク・ホリデー、NHS、BBC、まあ大雑把にイギリスを知ることのできる内容で、
読んでいてなかなか楽しめたので、なんだかんだ比較的順調に勉強が進んだのだと思っている。
特にパブを扱った章では「エールがどうのこうの、スタウトがどうのこうの」とか書いてあるから、なんだか飲みたくなっちゃって、
冷蔵庫の奥に眠っている社員旅行でもらった黒ビールを引っぱり出して空けてしまった。この僕が。
ふだん酒を飲む習慣のまったくない自分にとっては異常事態だが、やはりそれだけ内容を楽しんでいたということなのだ。
毎回、こんなふうに勉強を進めることができればいいのだが、なかなかそうもいかない。

「英米事情II」ではラストになって英語の発音法が話題になり、すさまじい勢いで勉強のペースがダウンしてしまった。
で、今やっている「英語学概説」も同じような感じでまったく外の世界と関係のない内容なので、泣けてくるほど進まない。
言語学については橋爪大三郎『はじめての構造主義』(→2004.12.1)の知識が僕の精一杯で、
予備知識がないのだからまるで内容がつかめない。とりあえず単語を訳しまくって、内容の理解は後回し、
という方針にした。もう本当に、モチベーションの上がらない勉強ほどキツいものはない。


2007.1.20 (Sat.)

横浜にて、モゲの会が開催された。
今年のいちばん最初のところでああいった事態になったので(→2007.1.3)、その仕切り直しというかなんというか。

で、具体的な内容については、日記で公開するのもアレなので、書かないでおく。
ただまあ、個人的には「監督、オレ、水を運んだよ! けっこうこぼしたけど。……でも一生懸命運んだよ!」と言いたい。
トリックスターに終始した飲み会だった。いやー気をつかった気をつかった(そうは見えてないかもしれんが)。
僕自身としては、みんなどうしていいのかわからないままでいる、というのがいちばん困る。
匙加減を見つつ自分なりのペースで話題をひとつにまとめる、それをするのがあの場での役割と割り切った。
(これは塾講師の仕事にも通じていたことで、それで島田紳助最強説(→2006.1.17)に至ったりしたのだが。)
まあその結果として楽しい時間になるのであれば、僕はどんなに傍目から見て恥ずかしくっても構わないわけで。

このままじゃあまりに日記の内容が抽象的すぎてつまんないので、
参加者の趣味嗜好をインターネットを通じて全世界に公開することでお茶を濁します。

トシユキ:堤さやか・宮下杏奈
バヒサシ:鮎川あみ
まる:朝河蘭・北原梨奈
びゅく仙:白石ひより・高樹マリア

トシユキさんがあんなにエッチな人だったなんて、23年来の友人だったのに初めて知りました。


2007.1.19 (Fri.)

じーっと要三校の素読み作業をしていると、非常に切ない気分になってくる。

本をつくるとき、まず著者から原稿が渡される。それにレイアウトを考えて(割付)、印刷所に入稿する。
そうして出てくるのが、初校。初校のゲラと原稿を比較してチェックを入れたものを、著者に送る。で、校正してもらう。
戻ってきたものにあらためて赤を入れて印刷所に初校のゲラを渡す。このことを「要再校」という。
そして次に出てくるのが、再校。こちらも著者に見てもらうことが多い。それを印刷所に戻すのが、「要三校」。
三校ではほとんど完成品という扱いになるため、要三校の段階でかなり気合の入ったチェックをすることになる。
何度もチェックを入れているのでミスなんてほとんどなくなっているのだが、それがゼロになることは物理的にかなり難しい。
しかしゼロを目指さなくてはいけない。だから素読みといって、隅から隅までくまなくチェックをするのである。
ミスが極めて少ない中で、それでも残っているミスを探す。これが本当にきついのである。

どういったタイプのミスが難しいか。いくつか例を挙げてみよう。

まず、文字が入れ替わっちゃってる系。
「Neuro」が「Nuero」になってしまっていたり、「蛋白質」が「蛋質白」になっていたり。
その部分だけ見れば簡単に思えるかもしれないが、膨大な量の文章の中に紛れ込んだミスを見つけるのは、至難の業だ。
慣れてくると、脳ミソはスルーしても目が違和感を覚えて立ち止まる。それで戻って読み直すと、あった。そんな感じになる。
本に限らずウェブでも「~という」が「~とうい」となっちゃっているケースはよく見かける。これはキーボードが原因のミスだ。

それから、漢字が間違っちゃってる系。
今まででいちばん危なかったのが、「反時計回り」が「半時計回り」になっているのにまったく気づかなかったケース。
これは三校の修正でようやく発見して、もしこのまま本が出ていたら……。と真っ青になった。
大の大人が3人がかりで10回ぐらいチェックしていたのに、それでも発見できていなかったのだ。本当に怖い。
変換ミス以外でも、OCR(スキャナで文字を読み取る)を使うとこのミスが飛躍的に増える。活版印刷の時代を思わせる。

まあそんなわけで、ミスにもいろいろあるのだが、やはり経験を積めばそれだけミスのパターンを知っている、ということになる。
つまり「クサい」ところが最初から見えていることになるわけで、英語で点を取るコツに似ているなあ、としみじみ思う。


2007.1.18 (Thu.)

藤森照信『建築探偵の冒険・東京篇』。

とにかくまあ、読ませる文章である。建築史をきっちり勉強しているうえで、くだけた表現を使うのが効いている。
つまり緩急のつけ方が非常に上手いのだ。硬軟取り混ぜるリズム感がとても優れているのである。
これはプレゼンテーションの才能だと思う。相手にわからせる才能と言い換えることもできるだろう。
ある程度後天的に身につくものではあるのだが、筆者は先天的なアドバンテージをかなり持っているように思える。
一番象徴的なのは、この本のいちばん最初の部分。「コンタクトレンズのことから始めようと思う。」という一文で始まる。
建築の本を手にした読者の意表をまず突く。その理由を説明していく過程で、読者を筆者の側に引き込んでしまう。
ところが、この本にはその後、コンタクトレンズに関する記述は一切ない。最初の7行で使い捨ててしまうのである。
僕は、それは反則だと思う。コンタクトレンズをきちんと伏線として回収しなければ美しくない、なんて美意識があるからだ。
しかし、たいていの読者はそうして引き込まれたまま、レンズのことは忘れて、畳み掛けてくる文のリズムに乗せられてしまう。
そうして、相手に文句を言わせない藤森のテクニックの勝利となってしまうのだ。

本の内容じたいはとても充実している。今和次郎、看板建築と今となってはオーソドクスなところからスタートし、
東洋キネマ、東京駅、聖路加病院と建築の魅力をいろんな角度からつついていったと思えば、
日本にやってきたマッカーサーの行く先を追いかけて、建築を通して人間の実像に迫ってみたり。
学術的な建築史という視点と、興味関心の視線の先に実は建築がありましたという視点と、
その絶妙のバランスに位置して、誰にとっても有益と受け止めることができるレベルで文章を紡ぎ出しているのだ。
特に最後に収録されている「東京を私造したかった人の伝」は、質・量ともに非常に充実している。
パトロンがいなくては建築は成立しないという絶対的な真理をスタート地点に、渋沢栄一の生涯を建築を通して描く。
これは単なる建築学科の一科目としての建築史ではない、もっと大きな可能性を持った学問としての建築史と言える。
僕ら読者は、読みやすい文章のせいもあってなるほどなるほどとスムーズに筆者の成果を通り抜けてしまうわけだが、
水面下でどれだけの努力をしないとこの成果を世に出すことができないか、冷静に考えてみると圧倒されてしまう。

藤森照信といえば、近年は「縄文系」とでも言うべき新しい地平を切り拓いた建築家としても非常に高い評価を得て、
その活躍はとどまるところを知らない。いや、むしろこの本を読めば、現在の活躍ぶりが必然であることがよくわかる。
建築史家としても建築家としても圧倒的なヴァイタリティで仕事をこなしていく彼のエネルギーの源泉を知りたい。
なんでそこまで動けるのだろう。というよりも、彼を見習って動き出さなきゃいかんのだ、そう痛感させられた一冊である。


2007.1.17 (Wed.)

そこまで激しくはないんだけど、じんわりつらい、そんな腰痛に襲われた。
ここんとこ仕事が立て込んでいて、あまりゆったり構えていられない。
僕の仕事は座っていないと成り立たないので、腰がつらいのは集中力が奪われて大変。
これ以上は無理だわ、と思ったので、残業を軽めで済ませて帰宅。
家でおとなしくしているしか治す方法がないのか。困ったもんである。


2007.1.16 (Tue.)

不二家の騒動(→2007.1.14)の影響が、昼休みに現れた。
僕はいつも無印良品の自転車に乗って神楽坂周辺で昼メシを食べることが多い。
で、神楽坂下には日本で唯一、「ペコちゃん焼き」を売っている店があり、その近くをよく行き来するのだ。
そして今日、ペコちゃん焼きの店に行ってみたら、休業を知らせる貼り紙がしてあったのである。

なくなってみると食べたくなるもので、いったいどんな味だったのか無性に気になってしまう。
鯛焼きファンの僕にしてみれば、ペコちゃん焼きというのは微妙な存在である。
系統が同じである以上、決して味方ではない。しかし大判焼き・今川焼きと比べれば、なんとなく「こっち」寄りである。
ふつうに営業しているうちは、近寄るのが昼休みということもあり、食べてみようと考えたことはなかった。
しかしこうして突然その存在が消えてしまうと、「ああ、なんでオレはきちんと食べておかなかったんだー!」
なんて具合に後悔の念がなかなかの勢いで押し寄せてくるのである。

まあ、マスコミも注目しているし、ペコちゃん焼きは不二家物件の中では復活が比較的早そうな予感がする。
もし営業を再開したら、会社帰りにふらっと寄って、いっちょ食べてみるかな、なんて思う。


2007.1.15 (Mon.)

書こうと思わないと書かないことだろうから、せっかくだからチェッカーズについて書いておこうか。
(iPod shuffleでちょこちょことチェッカーズの曲が再生されるので、書く気になった。)

世間で「チェッカーズ」と聞けば『ギザギザハートの子守唄』だったり『涙のリクエスト』だったりするのかもしれないが、
それはまったく誤解もはなはだしい。チェッカーズはかなりの実力を持ったバンドであり、本当の意味でのアーティストだ。
決して藤井フミヤのいた久留米出身の元不良によるアイドルグループ、だけではないのだ。
確かに最初はそこからスタートしたが、肝心なのはその後のこと。後期のチェッカーズの凄さといったらない。
つまり、メンバーが作詞作曲を始めたシングル『NANA』以降が凄い、ということなのである。

僕が小学生の後半にちょうどチェッカーズが作詞作曲を始めて、まあこれがツボに入った。
覚えやすいメロディに凝ったアレンジ、そこにフミヤの声ってわけで、かなり強い影響をいまだに受けている。
『100Vのペンギン』の前衛っぷりといったらないし、『ONE NIGHT GIGOLO』のリフはいま聴いてもちょっと興奮する。
『Blue Moon Stone』はカラオケで歌が上手いと思われて得だし、『FINAL LAP』はインストとして非常にレベルが高い。
アイドルグループと思ったら、アルバムごとに独特の世界観を見せるバンドに変化していて、その変貌ぶりに驚かされた。
武内・大土井・鶴久・藤井弟がそれぞれ作曲を担当する、その入れかわり立ちかわりリボルバー感覚が面白かった。
何よりサポートメンバーを含めて行っていたアレンジが、非常に多彩な引き出しを持っていて面白かった。
プロの他者から曲を提供されていた態勢から自力での作詞作曲に切り替わったのにこれだけ質の高さを維持した、
というより、ここまで見事に脱皮して「本物」へと成長してみせた例ってのはほかにないんじゃないのかと思う。

まあそういうわけで、いまだに僕にとってチェッカーズは特別な存在だったりする。
自分たちの力だけで動き出したときに、それまで貯め込んでいた才能をきれいに発揮してみせた姿が印象深いからだ。
それをずっとうらやましく思っていただけに、近年のドタバタは非常に残念なことである。
もっとも、再結成の可能性がまったくなくなってしまっている分だけ、潔く過去のものとして接することができる、
というのは、それはそれで美しいことではあるなあ、と思わなくもない。
アーティストってのは、残した作品だけが確かなものなのだ、と感じつつ聴いてみる。


2007.1.14 (Sun.)

マサルから「こないだ忘れたDVDを受け取りたいんだけど」と連絡があり、会うことに。
「お礼はもちろんするよ!」ということで、メシをおごってもらいに赤坂見附まで自転車で出かける。

赤坂見附に着くとマサルに連絡を入れる。待っている間、コージーコーナーを見ていて、ふと思い出した。
僕が中1くらいの頃、潤平が「日本の小学生がロシアに行く」という内容の番組のオーディションに参加するため、
TBSのある赤坂まで家族でやってきたことがあった。「これ本番ですか?」で知られる秋山豊寛宇宙飛行士関係で、
当時のTBSはそういう番組を企画していたというわけ。で、潤平出しちゃえ、と応募したら東京へどうぞ、と。
父親(circo氏)と潤平がTBSに行っている間、僕と母親は暇なので、赤坂近辺をブラついたりコージーコーナーに入ったり。
僕は家にお金がないことを自覚している子どもだったので、いちばん安いアイスミルクを断固として注文した、
そんな記憶がフラッシュバックしたのであった。あと、このときにゲーセンで『ストII』を初めて見た記憶とかも。
ちなみに、オーディションのほうは残念ながら落選してしまったとさ。

あああああーと懐かしい記憶の中を泳いでいると、マサル到着。
マサルは食べることにまったくお金を惜しまない人なので、ちょっと高級そうな海鮮丼を食べることに。
店で丼を待っている間、とりとめもなくいろんな話をする。
と、そのうちにマサルが「僕はどうしても、ホモが理解できんのよ」みたいな話になるので、社会学的な観点から、
なぜ社会が許容する流れになっているのかを説明する(僕はヘテロでノンケでストレートです、念のため)。
で、あーだこーだ話しているうちに、僕はまだ誰にも話していないような深いレベルでの話が出てきたりと、
硬軟取り混ぜた貴重な会話ができたように思う。マサルとマトモな話をしたのは、本当に久々な気がする。

で、なかなか会社に行きたくないマサルと一緒に、どっか行きめえ、という展開に。
「マツシマくん、銀座にはApple Storeがあるよ」それでマサルと銀ブラすることに。自転車を置いてぬかてつに乗る。
しかしマサルと銀座に来る、というのは想像をしたことがないコースである。お互い、銀座で行く場所なんてないわけで。
マサルは携帯を取り出して、EZナビウォークでApple Storeを探す(マサルはauに番号ポータビリティしたのである)。
そんなもん、大通りを歩いていりゃあ見つかるだろ、と思うのだが、マサルはこのためにauにしたんだ、と聞かない。
で、右往左往した挙句、30分ほどしてようやく店に到着。でも5分もしないうちに出てきた。いったい何だったんだか。

その後も歩いていると、マサルが突然言い出す。「マツシマくん、僕、どうしても不二家のケーキを食べたいんよ」
不二家の衛生管理の問題が表面化し、不二家製品の販売が自粛されている中、そのお菓子を食べたくなった、
そうマサルは言う。ハッとして振り返ると、そこには数寄屋橋に向けて張り出している巨大な不二家の看板が。
まさか、マサルが銀座に来たいと言い出したのはっ……! それで、オレを連れてくるためにAppleの話をっ……!
ざわ…… ざわ……

まあ結局、銀座の不二家もレストランのほうだけしか営業してなくて、お菓子は売っていなかったんですけど。

銀座にせっかく来たんだからということで、伊東屋にマサルを連れて行って各フロアをまわると、僕としてはオシマイ。
しばらくルノアールでダベりつつ過ごす。マサルはここでも追加注文をするなど、飲み食いに金を惜しまないっぷりを発揮。

しょうがないなあ、いつものコースに行きますか、と銀座線に乗って末広町で降りる。結局、秋葉原に来ちゃうのであった。
「僕はアニメとかパソコンとか全然興味ないけど、なぜかここに来ると落ち着くんよね」
マサルがつぶやく。それは僕にもよくわかる。この街にはダメ人間を優しく包むオーラがあるのだ。
DVDを売っている店に行って、マサルといろいろ物色。あーんなものからこーんなものまで見てまわる。
僕は先週から気になっていた「ピタゴラ装置」のDVDブックをついに買ってしまった。これは一家に一枚、永久保存すべきだ。

で、いいかげん空も暗くなってきていたので、解散。マサルはそのまま会社へとイヤイヤ向かったのであった。
僕は赤坂見附まで戻って自転車を回収すると、交番でタイヤに空気を入れさせてもらって快調に帰宅。

ところで、この日はやたらと寒くて、それからずっと風邪気味の毎日が続いている。重装備すべきだったわ……。


2007.1.13 (Sat.)

大森まで昼メシを食いに自転車で。あんまり遠くに行かないで勉強しようと思った結果の選択である。
テキトーに丼物をかきこむと、アトレでベーグルを買ってちょっとスポーツ雑誌を立ち読みして帰る。

ここからは独り言。最近、とんでもなくムカついたことがある。
「お前の好きなものは過去に対する思い入れでしかない。エルモにしてもベーグルにしても鯛焼きにしてもみんなそうだ」
みたいなことを言われたからだ。人の好みに対する全否定で、これには非常に腹が立った。というか呆れて声も出なかった。

人がものを好きになるとき、無条件に好きになってしまうこともあれば、過去の経験則から好きになることもある。
このうち前者が優れて後者が劣る、なんてことは決してありえない。意識していなくても、誰しも後者の要素は持っている。
人が「好きになる」ことを否定して、それが何を生むのか理解できない。どのような建設的な結果をもたらすというのか。
この人はきちんと物を考えて発言しているのかな、と思う。人のやる気を一方的に殺いでおいて、いい気になっている。

とりあえずこちらの論拠は2点ある。そのうちひとつは、上記のように、人を否定するという無礼をはたらかれたということ。
あともうひとつが、僕がものを好きになるのは、決して過去の思い入れだけによるものではないということ。
ただ、これについては説明したところで、信じる/信じないは聞き手にゆだねられることになる。
それでもいちおう書いておくと、セサミがダメになった今でもやっぱりエルモはかわいいし、
吉澤卒業をみやもりに告げられるまで知らなかった今でもやっぱりできたてのベーグルはおいしいし、
そもそも鯛焼きについては小さいときにはそれほどこだわりがなかったはずなんだがなあ、と思う。
まあ要するに、それ自体が持っている「味」について、あらためて再確認した結果として好きだと主張しているわけで、
他人が感じていることを自分も同じように追体験してみようという意欲も持たないくせしてあれこれ言うな、と。
同じようにやってみて好きになれないならしょうがないけど、何もしてないくせして文句を言うなよ、と。
少なくともオレはあちこち新しいものを見てまわる努力はしているし、そのうえで昔から触れているものも好きでいるぞ、と。
これだけは確実に言える。人間、好きなものが多い方が楽しいに決まっている。

確か竹中直人と宮沢章夫だったと思うのだが、学生時代に「何様のつもりだ」「お互い様だ」というやりとりがあったそうだ。
これをそっくりそのまま今回ムカついた相手に捧げてやりたい。オレはそいつを「何様のつもりだ?」と思っているし、
それと同時に「お互い様だ!」とも思っている。それ以上、かける言葉は何もない。


2007.1.12 (Fri.)

期せずしてマサルから借りることになった『FNS 地球特捜隊 ダイバスター』のDVDを見る。

『ダイバスター』とはフジテレビの深夜番組で、昔のヒーローロボットアニメのノリのキャラクターが登場し、
世の中のさまざまなホントーにどーでもいい疑問について、ひたすら調査をするという内容である。
そのあまりのバカバカしさは、大学生の熱いハートを残したわれわれのお仲間から熱い支持を得ている。

人をナメきった歌詞のオープニングから始まり、「マンホールのフタをまわすと10円玉みたいにイライラするのか?」
「イカリングはあるのにタコリングがないのはおかしい」「ちりめんじゃこに混ざっている小さなイカとかタコを救え!」
「人の体重が減る瞬間を見る」「エスカレーターの溝でラーメンを作る」「琵琶湖と淡路島がぴったりはまる問題」
など本当にくだらない(もちろん褒め言葉)疑問や挑戦を次々とテンポよく扱っていく。
しかも、ゴールデンタイムなら「これだけ大変でした」とこれ見よがしに放送するであろう部分を一切やらない。
本当に、博士が提示した疑問についてのみしかやらない。余分なことはまったくやらないのだ。これが凄い。
ふと思いついたことをそのまま勢いで実現してしまう、こういう番組が出てきたことに景気の回復を実感する。
好景気バンザイ。このままどこまでも、くだらないことを拾い出しては実践していってほしい。

それにしてもプレゼントコーナーでのユリッペによる銀河万丈(博士の声の人)のイジリっぷりがすげー。


2007.1.11 (Thu.)

今日から英語のテキストの勉強を再開した。疲れているけど、がんばる。
4単位(つまりリポートを2回出さないといけない)の必須科目で、洋書がそのままテキストとなっている。
まえがきからバカ丁寧に訳していったら、1ページと1/3しか進まなかった。いつ終わるのかわからないペースだ。
でも、やらないことは、つらいことをやることよりも怖い。だから、やるしかない。
これってなんだか、浪人時代のモチベーションに似ている。

上に書いたのがネガティヴ(?)なモチベーションだとしたら、ポジティヴなモチベーションもある。
僕には負けたくない相手がいるのだ。そいつとは今は直接顔を合わせる機会がないのだけど、
どんなキツい状況だってニコニコ笑いながら切り抜けちゃうようなヤツだってことは、よく知っている。
だから僕も負けないようにするのだ。


2007.1.10 (Wed.)

担当している本のうちの1冊が、最終的な印刷作業に入ろうとするところまで来た。
著者の先生の異常なほどスピーディな対応のおかげでこれといったトラブルもなく、当初の予定より2ヶ月早く出せる。
非常にありがたいケースであり、ぜんぶこうならいいのに、と心底思う。それぐらいナイスな仕事だった。

しかし、一息ついている暇が本当にない。ほかに担当している本が、見事なまでに佳境を迎えているからだ。
数えてみたら、合計5冊分。それらのゲラがすべて今、僕の手元にあって、印刷所が修正を待っている。
しかも〆切を大幅に遅れてまだ著者校正を回収できていないうえに、追加原稿がワンサカ、というものがある。
やたらと体裁にこだわって何度も赤字を入れたがる著者もいる。優先順位が全然見えないのだが、それでも踏ん張る。
そうしてなんとか、手書き原稿を印刷所に引き渡す。でもやはり、休む暇なく課題は続いていく。しっちゃかめっちゃかだ。

「ゴールの見えない作業」というのが続くのは、かなりシビアだ。
本が出る=ゴールには違いないのだが、その本をいくつも並行して担当していると、そのゴールの感触を味わう暇がない。
今の仕事で、どのタイミングで喜べばいいのかがイマイチつかめなくって、まいったなあ、となっている。
まあ当面はこの混雑ぶりに振り回されて、定時に帰られる日がチラホラ出たところで、ゴールを実感するのだろう。
いつになるやら。


2007.1.9 (Tue.)

リポート提出課題が明日までだ、今夜は徹夜かも……と慌てて帰ってきて、きちんと調べてみたら大丈夫だった。
正確には、試験の日程を勘違いしていて、リポートの期限がまだ3回あるのがわかったのだ。
ほっと一安心するのと同時に、こりゃいかんと反省。あらためてきちんと今後の履修プランを練ることにした。

まずはExcelを使って、現在までの単位取得状況の一覧表をつくる。
僕の場合、少々事情がややこしい。というのも、一橋時代に取得した単位に使えるものと使えないものがあるからだ。
これは1998年に教員免許の取得条件が変わったため。97年入学の僕は旧課程のままで免許を取ったのだが、
一度大学を離れてしまうと、新課程しか認められない。それで、使える単位と使えない単位が出てくるわけだ。
前に大学で出してもらった新課程でも使える単位一覧表を、Excelにそのまま入力していく。

教員免許に関係する授業科目は、大きく分けて2つある。「教職に関する科目」と「教科に関する科目」である。
前者は主に教育学関係の科目。教育史や教育心理学や生徒指導論や教育カウンセリング論みたいなもののほか、
各科目の教育法を概観する「○○科教育法」も、実はここに含まれる。これらが31単位必要になる(教育実習含む)。
ちなみに旧課程ではたったの19単位でよかった。だから新課程になって新たに取らなきゃいけない単位が大幅に増えた。
後者は大学の専門科目を教職課程向けの授業として読み替えたもの。つまり学部3年生以降の授業そのものである。
一橋時代には、「教科に関する科目」にはなるが卒業には関係しない単位がけっこう多くあり、4年になっても泣かされた。
この「教科に関する科目」も、現在は20単位取ればいいことになっている。この点については、自分にとっては追い風。
(僕が一橋時代に英語の免許取得を断念したのは、旧課程では「教科に関する科目」が40単位も必要だったから。
 卒業にまったく関係しない単位を40も取るってことは、常識的には大学にもう1年よけいに通わないといけなくなる。)
で、さらに、教職でも教科でもどっちでもいいのであと8単位取得して、合計59単位を取得すればいい。
(要するに、1998年以前は「教職に関する科目」と「教科に関する科目」を19:40で59単位取る必要があったのだが、
 今は31:20+選択8で計59単位になったわけだ。教育学というエセ学問をやんなきゃいけない分、改悪だろう。)
ただし、ややこしいのだが、さらにこのほかにも取得しなくちゃいけない単位が実はあるのだ。
「憲法」「体育」「外国語コミュニケーション(英語)」「情報機器の操作」の4つである。
このうち体育と英語はふつう大学1年で取る単位が該当する。だから残りの存在を忘れないようにしないといけないのだ。

さて次に、そのデータをもとにして、今後の履修科目の一覧表をつくる。
ポイントは、「教職」と「教科」のバランスをどうするか、である。どちらでもよい8単位を、何で埋めるのかが問題となる。
もちろん、教科に関する科目で何を履修するのかも大きな問題である。なるべく面白そうなものにしたい。
通信ではあらかじめ、どの授業の試験が何時限目に行われるかが決められている。だから早く免許を取るためには、
試験時刻が重ならないようにして詰めていったほうがいい。だから履修する授業も、ある程度妥協しないといけない。
考えた末、毎日メシを食べながらテキストを読める「教職に関する科目」で8単位をすべて埋めることにした。
「教科に関する科目」を下限ギリギリの20単位で切り抜けるという計画である。
そうなると英文を読む量が少なくなるという不安が出てくるが、そこは毎日の自主的な勉強でカヴァーすることにした。
おそらく、大学のテキストよりは市販のTOEIC問題集のほうがよっぽどためになるはず。やる気があれば問題なかろう。

なーんてやっているうちにそれが面白くなっちゃって、あれやこれやと考えているうちに、
結局今日も勉強することなく一日が終わるのであった。本末転倒とはこのことか。ニンともカンとも。


2007.1.8 (Mon.)

朝起きて『ゲームセンターCX』のいちばん新しいDVDを見る。みんなで有野が『迷宮組曲』をクリアするのをじっくり見守り、
究極のクソゲーと言われる『元祖西遊記スーパーモンキー大冒険』をクリアするのをまた見守る。
それにしてもマサルの所有DVDのラインナップは異常だ。目についたものは手当たりしだい入手しているわけだが、
昨日見たものだけでなく、岸田秀最終講義「ある西洋史」、時東ぁみDVD、水曜どうでしょうなども持参してきていた。
もうワケがわからない。セレクトしてきてコレだから、家にはいったい何枚のDVDがあるんだろう。想像できない。

さて、本日はいよいよ「第1回・チキチキ知らず演歌バトル」が開催されるのである。
この「知らず演歌」とは、マサルが年末の有線大賞を見ていて思いついた“紳士のスポーツ”。
演歌のメロディはなんとなく先が読めるってことで、自分の知らない演歌を、勝手にメロディを想像して歌うのである。
そして、カラオケの採点機能で出された点数により優劣を競うのだ。いかにもマサル発のゲームである。

昨日の終電前にニシマッキーとえんだうは帰ったのだが、入れ替わるように引越ししたばかりのリョーシ氏が参加。
なんでも引越しがあまりに忙しくて睡眠時間がズレてしまったから合流が遅れたとのこと。
現在は司法研修生だかなんだかで、行列のできる某弁護士事務所で働いているとかいないとか。さすがはエニート。

テキトーにカラオケ屋に入ったら、フリータイムをオススメされた。飲み物セルフサービスでやりたい放題。
席に着くと、マサルが掲示板に書き込んだ式次第に沿って、まずはみやもりの開会の辞からスタート。
続いてなぜか僕が亀田けんか祭りの感想。ついでに亀田デート祭りの感想も付け加える。
そして国歌斉唱。左胸に手を当てて左右に揺れながら杉田かおるの『鳥の歌』を歌う。われわれにはおなじみの光景だ。

  
L,C: 国歌斉唱するわれわれ。  R: 第1回戦スタート。熱唱するリョーシ氏。この日は勝ち組の貫禄を存分に発揮。

タッチペンで入力できる装置があったので、その検索機能を使って曲目を決めることにする。
第1回戦のテーマは、「港」。「港」で始まる曲目を検索し、その中から知らない曲を自己申告で入力するのだ。
このいかにも演歌っぽいテーマ選択のセンスはさすがである。曲目と点数は以下のとおり。

リョーシ: 吉幾三 『港』 67点
みやもり: 鳥羽一郎 『港駅』 64点
びゅく仙: 山川豊 『港酒場』 65点
ラビー: 石川さゆり 『港歌』 64点
マサル: 星てる美 『港・縄のれん』 65点

拮抗した戦いぶりである。ちなみにどの曲もツーコーラスで強制終了ということで、点数が60点台に集中した模様。

  
L: ラグビーでいうところのエリス少年、バスケットでいうところのジェームズ=ネイスミス的存在の、「知らず演歌」発案者・マサル。
  手前のビニール袋には自慢のDVDが入っていたが、この後見事にカラオケ屋に忘れて置いてきてしまった。
C: 下関からはるばるやってきて歌うラビー。顔つき全然変わっていないんでやんの。  R: メロディがわからず、首を傾げつつ歌うみやもり。

続いて第2回戦のテーマは、「酒」。いかにもド演歌なイントロが流れるたび、歓声と爆笑が入り混じる。

リョーシ: 宮路オサム 『酒二合』 73点
びゅく仙: 小沢亜貴子(飯田市出身、しかもタメ) 『酒と女と猫』 67点
マサル : 五木ひろし 『酒尽尽』 61点
みやもり: 渡哲也 『酒は男の子守唄』 56点
ラビー: 宮史郎 『酒春秋』 63点

ここで夢の70点台をたたき出したリョーシ氏が一気に飛び出す。
そして運命の第3回戦は、「北島三郎縛り」でいくことに。検索してみて、その収録曲数の多さにはたまげた。
原譲二(北島三郎自身が作曲するときの名義)作曲の歌がかなり多く、さすがだなあ、と妙に感心した。

びゅく仙: 『あばれ松』 62点
ラビー: 『日本海』 59点
マサル: 『さがさないでください』 65点
みやもり: 『がまん坂』 63点
リョーシ: 『波止場』 61点

というわけで、「第1回・チキチキ知らず演歌バトル」の優勝者は計201点という高得点をマークしたリョーシ氏に決定。

その後、「第1回・チキチキ知らずHIPHOPバトル」も開催されたが、やっぱりリョーシ氏が優勝した。
さてフリータイムで夜7時まで歌えるってことで、その後はいろいろやりたい放題に。
本人出演のカラオケ映像を堪能してみたり、「フリツケ超マスター」で踊りを覚えてみたり。
最後は例のごとく「サライ斉唱」ということで、杉田かおる『鳥の歌』をみんなで歌っておしまい。

  
L,C: 「フリツケ超マスター」で踊る人たち。マサルとみやもりは今年で30歳になるのだが……。  R: 「サライ斉唱」するわれわれ。

カラオケ終了後は新宿に出て『マジックアカデミーIII』。ラビーをまじえて、いつものようにツンデレを育成。
その後はご飯を食べて解散。ラビーは遠いところお疲れ様でした。みやもりもか。堪能してもらえたようで幸いです。


2007.1.7 (Sun.)

姉歯祭り、つまりHQSの同期による新年会である。
今回はいつものメンバーに加えて、下関在住の後輩・ラビーが上京してきて参加するのである。

この日はHQSのOBの皆さんが大学に集まってクイズ大会の対策をするんだそうで、せっかくなので行くことに。
みやもりと13時くらいに国立に行くか、って話になっていたのだが、掃除・洗濯をしていたら1時間ほど遅刻ぶっこいた。
とりあえず国立駅で待ち合わせ。駅は中央線の高架化に伴って三角駅舎じゃなくなっていた。
中も外もいかにも仮設という印象になっていて、けっこう驚いた。

さてみやもりと合流すると、旭通りを歩いていく。僕らの記憶とは店がだいぶ入れ替わっていて、微妙にショック。
そしてふたりでスタ丼をいただく。みやもりはスタ丼を食べるのがかなり久々の模様。
食券を買う、卵が別の器、みそ汁にもやしが入っていない、味が薄くなった、などの変化に驚いていた。
僕はこの場でみやもりから「モーニング娘。の吉澤が卒業予定」「新メンバーが入った」というニュースを初めて聞いた。
正直もはやどうでもいいので、本当にどうでもいいのだった。時間の経過をヒシヒシと実感。

スタ丼を食った後は、大学の第一講義棟へ。教室に入ると早押し機が広がる懐かしの風景。
とりあえず参加してボタンを押したり押さなかったり。以前にも増して指が遅くなっていて泣けた。
さまざまなルールで存分に楽しませてもらった後、時間になったので教室から部室に移動。
部室は以前の広いスペースから本当に一人暮らしの一室のような空間に移った。
置いてあるものが以前よりもマニアックになっていたので、なんだか危機感を覚えた。
ここでもしばらくクイズをしてから、姉歯祭り参加者は谷保から大岡山へ移動。

移動する間、マンガにおける「数」を挙げていく、というゲームが自然と始まった。
まずは『キン肉マン』の七人の悪魔超人、六人の悪魔騎士、それからタッグのコンビ、王位争奪戦のメンバーと、
どれだけ覚えているかを挙げていく。これがけっこう熱い。あとは『聖闘士星矢』のゴールドセイント12人など。
『SLAM DUNK』の湘北高校バスケットボール部員を背番号順に挙げていくのも盛り上がったのであった。

マサルは夕方になって起床、リョーシ氏は引越しで徹夜したので仮眠を取るってことで、先に晩メシをいただくことに。
ラビーが「担々麺がいい」ということでみんなで食べて、それから寒いので我が家でマサルを待つことにした。

チーム青森のDVDを見ていたらマサルが到着。マサルはこの日のために厳選したDVDを持参して、鑑賞会が始まる。
まずはNHK教育の『ピタゴラスイッチ』でおなじみの“ピタゴラ装置”の映像ばかりを集めたDVDから。
これがものすごくいい。最初の装置からぜんぶ、全員で食い入るように無言で見入ってしまう。
めちゃくちゃほしくなってしまったが、DVDを単独で売っているわけではなく、本の付属物とのこと。買ってしまいそうだ。
続いてはGAMの『メロディーズ』PV。曲のラストで松浦亜弥と藤本美貴がキスするというアレである。
これまたみんなで、「そういやt.A.T.uってどこいったっけな」と思いつつ無言で見入る。
それからマサルの気まぐれで、『スカイフィッシュの捕まえ方』なるものを見る。
これは架空のスカイフィッシュというものを、ウソの専門家が次々と出てきてもっともらしく説明していくというもの。
あとは近代麻雀の付録である「雀鬼流の基本動作」とか中川翔子のDVD『しょこファンタジー』とか。
CM NOWの付録「ミスタードーナツの相武紗季CM集」も見た。相武紗季は最初『Happy!』のドラマで見たとき、
なんだか紋舞らんに似てるなあと思ったのだが、誰も同意してくれない。大人はわかってくれない。
それで年末の『Happy!2』も見たら、もうヤクルトスワローズの左ピッチャー・藤井秀悟にしか見えなかった。
で、ミスタードーナツのCMは、むしろ一緒に出ている店員2人がタカアンドトシだったことにびっくり。
さすがにCM業界はいいところに目をつけていたんだなあ、と感心したのであった。
そして東京ダイナマイト『ダイナマニア』も見た。まあこんな具合に次から次へと濃い内容で、ヘトヘトになって寝た。

 目を開けながら眠る人(ラビー)。

ちなみに昼夜がほぼ完全に逆転した生活を送っているマサルは、夜を徹して『のだめカンタービレ』を読破した模様。
よかったね。


2007.1.6 (Sat.)

ねだめカンタービレ


2007.1.5 (Fri.)

仕事始め。
昨年末からの懸案事項であった手書き原稿の入稿準備に追われつつ、午後は電通大へゲラの受領に出かける。

なんだかんだ昨年末は、睡眠時無呼吸症候群の影響が奇跡的に弱まってくれて、かなり思いどおりに動けた。
次から次へと仕事が積もってきて目が回るような状況の中、一番うれしいのはこのことだったと言っても過言ではあるまい。
今年も思いどおりに動けるといいなあ、と願いつつ、もらってきたゲラにチェックを入れる。
さあ、またいつもと同じ日常が始まった。


2007.1.4 (Thu.)

東京に帰ってくる。

なんだか気分がモヤモヤしていて、こうなったら買い物で憂さ晴らししてやる!と思って、
そのまま新宿でiPod shuffleを買ってしまった。衝動買いである。
これでMP3プレーヤーが手元に2つという状況になった。われながら、贅沢になったものだ。
実家でcirco氏が「オレは3つ持ってるぜ」と言うのを聞いて、タガがはずれたのだ。仕方ないのだ。
そういえば潤平もiPod nanoの黒、8GBを買っていた。すべてはiPodに収束するのだ。2つあるのも仕方のないことなのだ。

実際にiPod shuffleを手にしてみると、本当に小さい。そのうちどこかになくしてしまいそうだ。
クリップ型のデザインはやはりステキだ。サイクリングのときなんか、かなり重宝しそうだ。

 
L: 手のひらサイズ、よりも小さいだろコレ。  R: 近くで見るとこんなん。すばらしいデザイン!

ノートパソコンにつなぐと、名前をつけるように指示が出た。
ちょっと考えてから、「mizutamari」と名づけた。以前の日記で「1GBなんて水たまり」と書いたが(→2006.11.10)、
それをそのまま名前にしてみた。かわいさを優先させる場合には「みずたま」と略すこともできる。けっこう気に入った。

さっそく服にくっつけて、曲を聴きながら部屋の中をウロウロ歩いてみる。
鏡で見てみたら、まさに、着ている服をベロベロ脱いでいくCMの一部になったような印象がした。
iPodでさえ携帯性が優れているというのに、iPod shuffleはさらにその圧倒的な上をいく。
そのうちiPodを持ち歩くことすら億劫になってshuffleばかり持ち歩くようになるとしたら、それはもう、なんというか、
究極的な状況だと思う。究極的にものぐさで、究極的にミニマムなものを好むという状況。
デスクトップからノートパソコンに切り替えて、空間と身体と情報の関係性をネチネチ考えている自分としては、
最先端をいく何か(社会的な雰囲気?)に加速度的に振り回されている気がして、ちょっと怖くなってしまった。
新しい仲間が増えてそいつがかわいくてすごくうれしいんだけど、でも少しだけ怖い。そんな買い物になった。


2007.1.3 (Wed.)

 ベルディである。ピザである。

毎度おなじみ、ベルディのピザ。オヤジはピザが来るたび1枚ごとに写真を撮っているのだが、
途中で食べるほうに夢中になってしまい、「しまった!」と気づいたときには1/3がなくなっている、
そんなことを毎回繰り返している。案の定、今日もやらかしたのであった。
さて今回はシーフードにもチャレンジした。味に多様性があるということは非常にすばらしいことです。

夜になって急遽、トシユキさん・バヒサシさんと3人で忘年会が行われた(まる氏は都合つかず)。
「なんか景気のいい話はないのかねえ」なんて言葉をふと口に出してみたら、そこから大荒れ。
一身上の都合により詳しい内容は書かないでおくが、まあ、なんつーか。まいった。
もうホント、強烈な自己嫌悪とかオレたちゃOLかよ!とか隣のバアさんウザいナリーとか、まいった。

 ここで突然ですが、クリスマスツリーを無理やり正月の飾りとしていたモノ。

とりあえず後学のために、今回のキーワードである「想像力の欠如」ってのを、日記に書き残しておきます。


2007.1.2 (Tue.)

実家の真正面に果物の問屋があったのだが、このたび廃業して駐車場にするんだそうだ。
で、建物の取り壊しが始まっていて、これがまあいい具合の廃墟になっているので、潤平と侵入する。

 
L,R: 取り壊し用の機械。ペンチみたいなのとショベルカーのコンビ。

 
L: ガレキ。焚き火用と思われるドラム缶の存在がなんかリアル。  R: 壊されかけている屋根を見上げる。

 写真を撮る人と実家。

取り壊しが行われている内部にも入ってみる。そこは錆びた鉄と砕かれたコンクリート、コルゲートな板の世界。
映画『ロボコップ』のクライマックスに出てきそうな、まさに絵に描いたような廃墟である。

  
L: 錆びた鉄骨の世界。  R: こちらは倉庫だった場所。床に残骸が散らばっている。
R: 崖の上に建っているため、下のほうへと抜ける通路もある。これがまたなかなか怖めな雰囲気。

 
L: 廃墟を抜けると、その先には鼎の街が。  R: 廃墟を振り返ったところ。光を浴びて、なんだか独特のきれいさがあった。

まだ食堂や事務所などの建物は残っているので、そちらにも入ってみた。日本人形が置いてあって非常に怖かった。
後日潤平があらためて中に入って「2つあった」と確認。よけいに怖い。

この日は松本へ行って、パルコや中町商店街、ナワテ通り商店街をぷらぷらした。鯛焼きがおいしゅうござんした。
あと、伊東豊雄が設計した「まつもと市民芸術館」を見た。中に入れなかったのでなんとも言えないところはあるのだが、
外見は正直、「捕鯨博物館」って印象だった。敷地が狭いのがとにかく厳しい。


2007.1.1 (Mon.)

11年ぶりに復活した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』でバカ笑い。ロウとかどうやったら思いつくんだ?

日記らしく、今年の目標でも書いておくことにする。

1. 通信教育での単位をひとつも落とさない。
これは当然のこと。ひとつひとつ確実に、着実に成果を出していく。
テキストでの勉強だけでなく、スクーリングも積極的にこなしていきたい。

2. 海外へ行く。
いいかげんそろそろ、日本を脱出しなけりゃいかん。なんとか30歳になる前に行きたい。
とりあえずシェイ・スタジアムとリグレー・フィールドとフェンウェイ・パークを見に行きたい。

3. 太らない。
家族に「全然太ってないじゃん」と言われつつも、「脇腹がだらしない」と指摘された。
時間の都合で休日のサイクリング以外の運動は難しいが、毎日の節制を心がけたい。

まあ、こんなところで。今年はまず確実に、去年の延長線上を行くような年になるだろう。
つまりは去年と似たような年になると思うが、つねに一味違った、成長した自分ってのを発揮できるようにがんばる。


diary 2006.12.

diary 2007

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