diary 2007.2.

diary 2007.3.


2007.2.28 (Wed.)

え、もう明日から3月!?と、カレンダーを見て焦った。
そうなのだ、2月はほかの月よりも2~3日ほど短いのである。すっかり忘れていた。

「今年はガマンの1年だ」みたいなことを言って幕を開けた2007年も、もう1/6が経過しようとしている。早すぎ。
ではその1/6で何ができたかというと、「とりあえず、潮岬がステキでした」と言うくらいしかできないのが現実なのだ。
あとは仕事に追われたりリポートの準備に追われたりしている一方で、
自転車と『信長の野望・武将風雲録』とiPodのMP3データ追加と日記書きに追われているのである。
マツシマくん、何かこう、ドカンとデカいことはできないのかね、と自分でツッコミを入れたくなるのだが、
悲しいことに、これといって祭りを起こせるような武器は今のところ何も思いつかないのである。
こないだのマサルとの人生相談(→2007.2.21)なんかでは、チラッと妄想を披露してみたりもしたのだが、
そのためにはまだまだ自分には足りないことだらけなので、手も足も出ないでいるのである。

以前に比べてDVD鑑賞がまったくできていないので、とりあえず週に1本のペースでなんとかしようか、と考えてみる。
それくらいなら通信での勉強のジャマにもならずに自分にとってのプラスとできるだろう。
いつも風邪をひいたときには食欲がなかろうがなんだろうがムリして食い物を詰め込んで治すくせして、
やる気が風邪をひいている今みたいな状況で何もしないのはおかしいではないか。
いろいろメチャクチャ取り込むのが僕のやり方なんだから、とりあえず自分らしく脈絡もなく動いてみようかな。


2007.2.27 (Tue.)

大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン』。
グミ編・チョコ編・パイン編と3つに分かれていて、このたび最後のパイン編が文庫で出たので読んだ。

自慰行為とマニアックな映画ばかりの暮らしをしている都立黒所高校2年生・大橋賢三が主人公。
彼は仲間のカワボン・タクオとともに周りにいるクラスメイトたちを軽蔑し、オレたちは違うんだ、と思っている。
しかしだからといって何ができるというわけでもなく、ただ悶々と日々を過ごしている。
やがて「ノイズバンドの結成」というひとつの目標ができ、それに向かってゆっくりと進んでいく……ってな話。

大槻ケンヂといえば筋肉少女帯での独特の世界観の構築ぶりで熱狂的な支持者を集めたわけだが、
この『グミ・チョコレート・パイン』で描かれているのは、果てしなく冴えない日常である。
1980年代を舞台に、コンプレックスの塊のような青春がかなり几帳面に描かれている。
まあどの時代でも悶々としている青春の日々は同じであり、連綿と歴史は繰り返されているのである。
だから冴えない日常に現在進行形でどっぷり浸かっている僕も「うんうん」と何度もうなずきつつ読んだ。
大槻ケンヂは未来の目線から、そういったすべてを全肯定する。非常に優しい視線で安心感が持てる。
あとがきで彼自身も書いているが、大槻ケンヂは登場人物全員に対して底知れぬ愛情を注いでいる。
だから一人として粗末に扱われることがなく、その解決の上手さには確かに才能を感じるのだ。
世界をうまく完結させる能力、物語を発射してからそれをまとめきる能力。
その見事さは筋肉少女帯の歌詞とまったく同じで、才能とテクニックの相乗効果を見ることができる。

では難点は。それは話の進行するペースが非常に遅いこと。
高校2年の夏の話を完結するのに11年かかった、ということもその難点に含まれるといえば含まれるが、
その夏の話が文庫本で計1001ページを要する、というのはいくらなんでも進度が遅すぎると思う。
ノイズバンドつくるぞー!となってからの紆余曲折は、まあ確かに作者にはいちばん魅力的な部分かもしれない。
しかしライヴハウスでのほかのバンドの丁寧な描写は読み手のリズムを殺いでいると思うし、
ヒロイン・山口美甘子のシンデレラストーリーとのスピード感の差も現実味を薄めている。
時間の進行に対して描写されているものがちょっと遅れている。衛星中継で画像より声が遅れるようなイメージだ。
それで全体的に遅めの印象が残るんだと思う。思い入れの強さと話の進行のバランスという難しさを感じる。
あと個人的にジーさんが便利屋すぎる、超人的存在なのもけっこうイヤだ。
賢三とジーさんの修行のシーンは、ラストを盛り上げるためだけにあるような気がして、どうも好きになれない。
確かに自分のコンプレックスいっぱいの日々を「みんなそうなのさ」と慰められるなあ、という気持ちは非常に大きい。
でも、美甘子やジーさんの現実離れした感じは強烈にフィクションで、あまり救われた感じになれないなあ、とも思う。

で、この小説を読んで僕がいちばん強く思ったこと。
それは、男は絶対に女に勝てないのだ、という事実である。特に高校あたりからそれは顕著になる気がする。
ヒロインの美甘子は、この小説に登場するすべての男の想像する範囲を軽々と超えていってしまう。
僕らは賢三・羽村・大林森といった面々と一緒に、指をくわえてその様子をただ黙って眺めるしかないのだ。
ヒロインだとか夢だとか、そういう理想は自分の100倍速くらいのスピードで遠ざかっていく。
でもあきらめずに一歩一歩詰めていくしかない、という泣きたくなる現実がしっかりと埋め込まれている。
天才と凡人の差というよりは、僕にはそこに絶対的な性別の差が重なって見えるのだ。
僕にはどちらかというと、その「女には勝てない」って宣言のほうが、「ダメな青春」という要素より強く思えた。
(※ここでの「勝つ」というのは、単純な勝ち負けでなく、「泣く子と地頭には勝てない」みたいな「勝つ」。念のため。)
つまり「ダメな青春をあきらめずがんばろう」よりも「女の子ってのは僕らの想像なんて軽く超えて行っちゃうのさ」という、
そっちのメッセージを勝手に読み取ってしまうのである。なんだか、ガックリ。


2007.2.26 (Mon.)

ジャズを聴くときには、生意気にもビル=エヴァンスの曲を再生することがかなり多い。ピアノが好きなのだ。
リヴァーサイド四部作なんぞを流しながら部屋でボーッとしていると、気分だけでもオシャレになれる。

もし仮にビル=エヴァンスで何が一番お気に入りよ?と訊かれれば、
それに答えられるほど量をきちんと聴いているわけじゃないので困ってしまうのだが、
今のところ、『Alone』に収録されている『A Time for Love』がたまらなく好きだ。
聴くたびに泣いてしまいそうな気分になる。ピアノって楽器をつくり上げた人々に尊敬の念を覚える。
言葉で片付けたくないあれやこれやの感情が、思わず身体のあちこちから漏れ出してしまいそうになる。
この日記なんかは、思っていること考えていることを極力やわらかい言葉で噛み砕いて伝える、
そういう個人的な訓練のために書いている。自分の言葉でさまざまなものを表現する練習なのだ。
しかしビル=エヴァンスの『A Time for Love』を聴いて泣きそうな気分になっていると、
そうやってなんでも言葉で解決しようとすることの限界というか、
グダグダ言わんとなんでもいいから自分の能力を発揮できるメディアで相手を共感させんかい!というか、
まあそういう、考える前に走るみたいな、理屈抜きで勝負するみたいな、
圧倒的な存在感のもたらす説得力ってものを実感させられるのである。
何をするにもまず理由を求めてしまう僕には欠けているものだ。

言葉を使って相手を共感させるということは、間違いなくすばらしいことだ。
僕は文章を書いていて、それがまったくできていないことに落胆する(ごくたまーにできることもあるようだが)。
だけど究極的には、言葉を使わず相手を共感させるようなスキルを身につけたいなあ、と密かに思っている。
身体の振舞いで相手を共感させることができる、それは本当にシビアなことだ。だらしない僕には難しい。

『A Time for Love』を聴いて泣きそうな気分になっているときには、実はそういうことは一切考えていない。
何も考えられず、ただ魅了されているだけの裸の状態になっているのだ。
いったい何をどうすりゃそういう領域を垣間見ることができるのやら。暗中模索はひたすら続くのである。


2007.2.25 (Sun.)

大森でベーグルを食いつつ日記を書く、というスタイルがだいぶ確立されてきたように思う。
やはり大森という適度な距離と、いつでもできたてベーグルが食えるという魅力は、抗いがたいものがある。
とにかく日記の遅れは早いところ取り戻してしまいたいので、なんとかがんばって書き続けていきたいものだ。


2007.2.24 (Sat.)

秋葉原へ行く。大阪でのゲームミュージックCD発掘作戦が不発に終わったとはいえ、『エリア88』のCDをゲット。
こうなりゃ、秋葉原でいろいろ見てやるぜ!と鼻息を荒くして乗り込んだのである。

で、行きつけの店でガラスケース内のCDを潤んだ瞳で見つめていたら、なんと、『千両箱・平成三年版』を発見。
前に偶然見つけたが、次の機会でいいやと思ったら見事に売れてしまって地団駄を踏んだ、アレだ(→2006.5.20)。
迷わず購入。ここんとこずっと「ゲットしたい中古CD第1位」を独占していたものがあっさり手に入って拍子抜けした。

ここで説明を入れておくことにしよう。僕の聴くゲームミュージックCDが全盛期だったのは1990年~1995年くらいまで。
音楽性が高く評価されていたコナミと日本ファルコムはキングレコードで独自のレーベルから発売、
それ以外のメーカーはポニーキャニオンのサイトロンレーベルが発売する、というのが一般的なスタイルだった。
(それ以前にはアルファレコードのG.M.O.レーベルがあったが、廃盤ばかりで当時すでにプレミアムがついていた。)
僕が贔屓していたカプコンの場合、だいたい年1回、2枚組のオムニバスアルバムが出る。
(僕が初めて買ったCDは『Final Fight』のアルバムで、ゲームへの興味がそのまま音楽へと移行したのである。)
収録されているのはアーケードのCPシステムのBGMがほとんどで、ファミコンなどコンシューマーのBGMは入らなかった。
そしてこのCDには各ゲームに1曲ほどの割合で、アレンジ・ヴァージョンが収録されていたのである。
アレンジャーはBGM原曲の作曲者が担当することがほとんどである。
しかしシンセの打ち込みから生音まであれこれ毎回趣向を凝らしていて、これが非常に聴き応えがあった。
それに対し、コナミの場合には各ゲーム単位でアルバムが発売されることがほとんどだった。
やはり各アルバムで3~4曲のアレンジ・ヴァージョンが収録されていた。
特にコナミの場合には矩形波倶楽部というグループでオリジナルアルバムまで出していて、これが良かった。
(2ndアルバムの『HOPE』など、友人に貸すとなかなか返ってこなかった。今でも運が良ければ中古屋で買える名盤。)
『XEXEX』のアルバムを初めて聴いたときには、思わず震えがきたものだ。
PCM音源のあまりのクオリティに、これからのゲームミュージックの行く先に絶望に近い感動を覚えた。
(あまりに音がきれいでメロディも良かったので、一般の音楽と境界なくなっちゃうじゃん、という恐怖。今では現実。)
アーケードゲームのアレンジ・ヴァージョンはメロディの重要性と楽器編成がフュージョンにきわめて近いため、
僕はこれを入口にしてフュージョンの世界へと踏み込んでいったわけだ。その後、YMOに迂回してみたり。
で、中学のときにはファルコム党の友人がいたので、こっちからはカプコンとコナミを貸し、
向こうからはファルコムとなぜか服部克久を借り、そうやってインスト重視の音楽性の下地をつくっていったのである。

説明が思いのほか長くなってしまったが、『千両箱』というのはコナミが1989年~1991年まで毎年出していたCDだ。
3枚組の豪華盤で、アレンジやファン好みの企画を収録した贅沢品である。もちろん当時の僕には手が出なかった。
それでも『平成四年版』は浪人中に偶然発見して買ったし、初代の平成二年版はこないだ入手した(→2007.1.27)。
あとは『平成三年版』だけ、これにはSFC版の『グラディウスIII』のBGMが収録されていてぜひとも欲しい、と
ずーっと思っていたわけなのだ。で、ついに見つけてしまったのである。悲願達成なのである。

上機嫌で帰りには牛天神に寄ってみる。ちょっと小さめだが、立派な神社だ。
仕事で境内を通る機会が何度かあって、そのたびにお参りしなきゃと思っていたのだ。
で、後楽園の裏側、中央大学理工学部方向からまわり込んで牛天神に到着。
鮮やかな色合いで梅の花が咲いている。天気もいいし、のどかでいいなあと思いつつ二礼二拍手一礼。
通信で勉強しているから学業の御守でも頂戴しますか、と社務所に行ったら巫女さんが3人もいたよ、バヒさん。

帰って早速、SFCの『グラディウスIII』のBGMを聴いてみる。
実家で毎回遊んでいるのだが、こうしてステレオでじっくり聴くというのは格別である。
僕は特にSFCオリジナルのボーナスステージの曲が大好きで、これを聴きたくて遊んでいたフシがある。
それがもう自由に聴けるというわけで、狂喜乱舞。ずっとそればかり再生して、
まるでマタタビを食べたネコのようにうにゃうにゃと喜ぶのであった。

だいたいこれで、欲しかった中古ゲームミュージックCDは手元にそろった。もういいかな、という感触である。
今にしてみれば、あれは僕にとっては壮大な祭りで、でもそれは世間で見たときにはごくごく小さな一部分での祭りで、
でも確実に面白かった。中学生・高校生という大事な時期に、それに魅了されたことを、僕は後悔していない。
現在でもゲームにまつわる音楽たちは、僕の身体の中をぐるぐると血液のように巡っているのである。
こうやって、小さな祭りたちに魅了されて、その中の確かなものを漉し取るようにして僕は自分をつくっていくのだろう。
そうしてできあがった自分が、今度は何をつくっていくのか。つくらなくっちゃいけない。そうしみじみ思った。


2007.2.23 (Fri.)

今日は昨日と違った形で、政治について書いてみる。政治とは、プロレスである! 投票率は、視聴率である!
(参考までに、小泉の郵政解散時に書いた政治=プロレス論はこちら。→2005.8.21

といっても、あらかじめ書いておくが、正直言って僕はプロレスについて詳しくない。
とりあえずプロレスとは各選手の因縁だとか因果関係だとかをショウとして見せるもの、という認識でいる。

さてここで問題。民主党が自民党から政権を奪うにはどうすればいいか。
答えは簡単である。渡部恒三を代表にすればいい。というのも、渡部恒三は民主党で唯一のプロレスラーだからだ。

なぜ55年体制が長く続いたのかというと、それがプロレスだったからだと思う。
それも、一方的な自民党内でのプロレス。派閥抗争という無限のプロレスが繰り広げられていたからだ。
今でもたまにテレビに出てくる、四十日抗争で暴れまわるハマコーなんて完全にプロレスの凶器攻撃じゃないか。
平時にはそうやって自民党内で派閥のゴタゴタを起こして注目を集めておく。マスコミはそっちを向く。
社会党の存在なんて特撮ヒーローものに出てくる怪獣みたいなものである。選挙のときだけ出てくる敵。
そうして自民党は党内の各選手の因縁をがんじがらめにつくっておいて、お茶の間に娯楽を提供していたというわけだ。

最近では派閥が諸悪の根源のように言われてすっかり一時期の勢いを失っているわけだが、
いま考えてみると、派閥のもたらす利点はかなり大きなものがあった。
まず上記のように、人々の注目をつねに党内事情に集めておくことができるという点。
そして何より、リングに上がることによって名前を覚えてもらえるという点。キャラがついてくる、という点だ。
今の政治家は小粒になったというよりは、キャラが薄くなったのである。派閥の弱体化が知名度の低下をもたらした。
自民党は既得権益を守りたい地方の人たちが集まってできた集団であって、決して政治的理念を共有していない。
しかしこの既得権益に対する欲求はとんでもなく強い。理念がなくて欲求が強いから、自民党という枠は異常に頑丈だ。
だからどんなに激しい抗争をしたところで、自民党という枠から飛び出すことはありえない(飛び出しても必ず戻る)。
みんなそれをわかっているから、思う存分、派閥同士での抗争ができる。そうしてプロレスが成立するのである。
そうやって、みんなが本気でやっていると信じているリングでの戦いの日々が繰り広げられていたのだ。

渡部恒三が民主党の国対委員長になったときのフィーヴァーぶりは異常だった。けど、確かになんか面白かった。
平時から面白おかしく話題をつくることができる、それがプロレスラーの資質なのである。
今はもう政界再編が当たり前のことになっちゃったから、かつてのプロレスの再現はなかなか難しいだろうけど、
面白おかしく振る舞うことで興味・関心を惹きつける手法じたいは使えるはずである。

かつてテレビが各家庭に普及していないころ、力道山のプロレスが圧倒的な視聴率をたたき出していた。
人々の注目を集める=高視聴率ととらえるならば、投票率は視聴率のアナロジーとして考えてもいいのではないか。
政治が面白かったら投票率が高くなる(ただし、視聴率の高い番組が必ずしも面白いとは限らないが)。
因果関係なんて調べてみてもわからないかもしれないが、そういう側面は間違いなくあるはずだ。
というかもうこの際、政治は興行であると割り切っちゃって、歳費を投票率に応じて増減させたらいいだろう。
マジメなことばかりじゃ政治はつまんなくなっていく。面白おかしくやっていく方が、より真実に近いと僕は思うのだが。


2007.2.22 (Thu.)

ちょっと「ずく」を出して、今日は政治について書いてみよう。
以前、選挙について考えていることを書いたけど(→2006.8.9)、今回はその延長線上で、政治全般をさらっと。
書いていく内容はかなり細部をはしょっていて、ものすごく大まかに考えているものである。
その点はあらかじめご了承願いたい。

実家に帰って政治の話になったとき、母親が「で、結局あんたは右翼なの? 左翼なの?」と訊いてきたことがある。
それに対する僕の答えは、「そういう短絡的な発想しかできない人は選挙権を返上してください」であった。

一言でまとめてしまえば、政治における対立は、つねに「理想」と「現実」の対立なのである。
東西冷戦の構造を引きずっている人には右翼(保守)と左翼(革新)が対立するもの、という発想しかないと思われる。
しかし、冷戦におけるイデオロギーの対立も、その後の状況も、「理想」と「現実」の対立という考え方で概観できるのだ。

ひらたく言ってしまえば、かつては左翼(革新)が「理想」、右翼(保守)が「現実」ということになる。
これは、理想とするお手本の発達度合いを基準とした分類である。革新にはマルクスというお手本があった、ということ。
学生運動の終焉とは(本当は僕は詳しくは知らないのだが)「現実」が「理想」を決定的に打ち砕いた事件であり、
日本はここで「理想」を失ったことで、バブル経済とその後の不透明感、そしてオウム真理教のテロを招いた、と見る。
(かなり大雑把な議論。しかしオウム真理教のやり口は、学生運動がかなり子どもっぽく再生したように僕は感じる。)
注意しておきたいのは、だからといって、学生運動を理想的なものだったと見てはいけない、ということ。
結局は内部での権力争いという無数の小さな「現実」に食い破られて本来の理想を見失ってしまったわけだから。

現状を「理想」と「現実」の二項対立で見ていくなら、アメリカの民主党は「理想」、共和党は「現実」と言っていいと思う。
日本の場合は「理想」サイドがかなり頼りないが、まあ現時点では民主党を「理想」、自民党を「現実」としていいだろう。
(本当は、もう一度自民党と民主党をシャッフルするのが望ましい。今の民主党は、そのための捨石的存在である。)
純粋に二分法に沿うなら、いちばん「理想」なのは憲法第9条しか論点のない社民党。
共産党は目的意識がなく、何にでもただ反対するだけの存在なので、「理想」になれない。
55年体制の崩壊により、日本において保守と革新という対立軸は失われた。
そして混乱の末、二大政党制が意識されるようになる。こうして日本の政党の保守化が進んだわけだが、
実態としては「理想」と「現実」の対立が時代に合わせて更新されただけ、にすぎない。
外交問題、具体的には他国の脅威に対してどのような手段をとるかでこの点はかなりわかりやすくなっている。
「現実」代表の自民党は、集団的自衛権やガイドライン法案などの議論で現実に対する対処法を明確に示している。
それに対して「理想」の側は、憲法という日本における最大の理想を盾に抵抗を試みるが、有効な対案が示せない。
もしかしたら、日本における「理想」の最後の砦は憲法なのかもしれない。

冷戦終結後の国際的な状況は、アメリカ対イスラムという構図が最も一般的というか、“見えやすい”ものになっている。
これも「理想」と「現実」の対立である。イスラム諸国が宗教を基盤とした「理想」を掲げているのに対し、
アメリカは圧倒的な経済力と軍事力という「現実」を押し付ける。それで「理想」がねじ曲がってテロになる例が出てくる。
ただしこれは、イスラム側から見れば、アメリカがイスラムの慣習という「現実」に民主主義と称する「理想」を押し付ける、
ということになる。僕らはアメリカ側の価値観に組み込まれているので、そのような視点にならないだけなのだ。
同じようにして中国を見ることができるかもしれない。中国はいちおう、社会主義という「理想」を建前としている国だが、
どれだけ現実的な対処が得意なのかは世界中にいる華僑の皆さんの活躍ぶりを見ればわかる。
日本としては両側から巨大な「現実」に挟まれており、アメリカに親しい立場をとっているから中国が当面の脅威と映る。
「現実」に対抗するには「現実」しかない。自民党が「現実」的な対処を焦るのもなんとなくわかるといえばわかるのである。
あと環境問題についていえば、アメリカが京都議定書という「理想」に「現実」の立場からノーを突きつけた、と言えそうだ。
もっとも、将来には京都議定書のほうが「生きていくために守らなければならない現実」となる可能性もある。
このように「理想」と「現実」は視点により簡単に入れ替わるわけで、それをきちんと見定めることが重要になってくるだろう。

勘のいい人ならわかるように、「現実」は常に「理想」よりも強い。絶対に「理想」側の方が負けることになる。
たとえば、かつては自衛隊が違憲だの合憲だので騒いでいたのだが、もはやそんなことは議論されない。するまでもない。
このようにして、今も世界中で「無理が通れば道理が引っ込む」式に「現実」による「理想」叩きが進行している。
それは、僕らが生活しているからである。現実とは、生活のことだ。現実を生きる=生活する、である。
ご飯を食べなきゃ生きていけない。理想に生きるとメシが食えない(就職活動はその通過儀礼にほかならない)。
そもそも、現実の問題に対処していくことこそが、政治という言葉の定義なのである。
だから「現実」側が勝つのは当たり前のことなのだ。現実が勝つからこそ、僕たちは生きていくことができる。
しかし、現実しかない社会、理想のない社会ってのは、果たして魅力的な社会と言えるだろうか?
僕の答えは、現実を見つめないといけない、しかし理想のない社会は生き地獄になりうる、といったところ。
だから冒頭の母親の質問に対する答えをマジメに考えるのであれば、
「とりあえず今の状況なら僕の1票は『理想』の側に足しておきたい」といった感じの回答になる。
だから自民党には入れたことがない。まあ結局、いちばん大切なのはバランスじゃないですかね。

(ちなみに、僕がこういう視点に至った源泉として、大学院生のときに都内の市役所で聞き取りをした経験がある。
 話を聞いていくうちに、保守と革新がどのように権力を行使して空間をつくろうとしてきたか、がおぼろげに見えてきたのだ。
 保守はハプニングの要素を極力取り除いたオフィスを求め、革新は演劇の舞台空間に近い形で理想を再現したがる。
 それぞれの建物の是非はともかくとして、僕には「理想」を追った分だけ建築としての面白みが増したように感じられた。)


2007.2.21 (Wed.)

夜中にリポートを書いていたらマサルから電話がかかってきて、臨時人生相談のはじまりはじまり。
20代後半特有の鬱屈したものが、お互いドロドロと流れ出す。それはもう、堰を切ったように。
僕の場合には「やってられっかチクショー!」と叫んで通信教育をおっぱじめて毎日ちまちまとお勉強をしているわけだが、
マサルとしてはそういう目標がなかなか見つからないようで、そんな中で日常の鬱屈に巻き込まれているので、
四方が真っ暗に見えている、そういう感じなんだろう。

この手の話は相談する側もされる側も同等にカウンセリング状態になるのが世の常で、
僕としては日ごろ抱えているトラウマだとか基本的な物事の考え方だとか自分なりの乗り切り方だとか、
その辺をマサルに対してしゃべることで自分自身の頭の中を整理していった感じ。
マサルはマサルで話すことで多少は気が紛れてくれたみたいで、まあなんとか落ち着いたかな、と。

最終的には「とりあえずM-1グランプリに出ようぜ」という結論になって電話を切った。
学生時代と違って、今の僕らは何かによって分断されている。そいつがよくない。
つなげる努力をしなければつながらない、それが20代後半になって僕らを苦しめている、そんなふうに感じる。


2007.2.20 (Tue.)

仕事と勉強がヨタヨタ状態だ。

前に日記で「手が痛い」と書いたが、今やっている仕事は手も痛くなるうえに頭が非常にこんがらかる。
いまニンテンドーDSなんかで流行っている脳トレなんか全然いらない、それくらい頭を使う仕事をしているのだ。
何をやっているのかというと、前にやったゲラの著者の修正をまとめ直して印刷所に送る準備をする、という仕事である。
そう書くと簡単そうに見えるし、実際ほかの本の場合にはそれほど難しい仕事ではないのだが、
いま担当している本は、もうフルスロットルで手を動かして修正しないといけない、それくらいとんでもない状況なのだ。
昨日は腱鞘炎で残業ができなかった。ホントにシャレにならない状況になっている。

それでもなんとか、メシの時間にふんばってリポートのプロットを書いたが、どうにも厳しいものがある。
今年はずっとこんな調子になるのかーと軽くクラクラしつつ、今年でケリをつけてやるーとも意気込む。
オレって生きてるぜーとか思う。


2007.2.19 (Mon.)

本日よりプロテインライフがスタートしたのである。

旅行でバカ歩きをした後は、よけいな体脂肪がとれている理想的なカラダになっているのである。
去年の北陸旅行は、かなり痩せた。ズボンのふともものところが明らかにひとまわり小さくなったのがわかる。
いま考えてみると、年末年始に実家に帰った際に「太ってないじゃん」と言われたのもそのおかげだったのかもしれない。
まあ確かに1日8時間は確実に歩く大運動をしているわけで、健康のために旅行に出る、という感じになっていなくもない。

だからこそ、日常生活に戻ってからもそのシェイプされた状態をなんとかして維持したいわけで、
それでこのたび、プロテインで腹を膨らませて食事の摂取量を抑えるという生活スタイルへの移行に踏み切ったのである。
どれだけ効果があるのかはわからないけど、ふだんの貧相な食生活にサポートを加える意味でも、意義がなくはないはず。

で、ネットで安く売ってたウェイトダウン用のプロテインを晩飯の前にグイッと飲む。
最近味がリニューアルされたようで、以前のものよりもずいぶん甘い。風味もかなりプロテインっぽさを抑えている。
とりあえずコイツを朝と晩にグイグイ流し込んで、なんとか体型の維持に努めるのである。


2007.2.18 (Sun.)

「たのみこむ」経由で注文していた『エリア88』のCDが届いた。狂喜乱舞しつつ、さっそく聴いてみる。

大阪・日本橋の中古ゲームミュージックCD屋を覗いてみたところ、見たことのない『エリア88』のCDが売られていた。
で、収録されている曲をチェックしてびっくり。僕がよく知っているアーケード版のほかにSFC版のBGMも収録していて、
さらに、なんと、新しいアレンジヴァージョンが入っている。しかもその曲が『雷雲』ときたもんだ。
この『雷雲』はアーケード版エリア88で最も美しい曲だったのだが、SFC版には収録されなかった。
それが、アレンジで復活なんて、もう買って聴くしかないでしょう!というわけで、なんと旅先から注文していたのだ。
(この感覚はたぶん潤平しかわかってくれないのが悲しい。『雷雲』だぜ!? あの『雷雲』がアレンジになったんだぜ!?)

で、『雷雲』。アレンジャーはアーケード版の原曲作曲者であらせられるところの、いわゆる「ちゃんちゃこりん」先生なのだ。
ストIIのアルバムでは『U.S.NAVY』と『マジックソード』のアレンジを担当、どっちもメチャクチャ名曲なのであった。
それでいざ聴いてみると、うーん、困った。輪郭のゆるいシンセサイザー音が中心でイマイチだ。
『U.S.NAVY』での泣きのギター、『マジックソード』でのサンプリングを加えたダンス、といった全盛期のキレがない。
アレンジヴァージョンも10年ぶりくらいになっちゃうと腕が落ちちゃうもんなのかねえ、とちょっとがっくり。
でも『雷雲』を選曲してくれる辺りは、さすが!と思うわけで、それだけでもうれしいです、というのが本音なのだ。

そしてゲームの音源の方ではうれしい発見もあった。
かつて発売されていた『エリア88』の1500円CDには収録されていなかったROUND 1の曲が聴けるのだ。
(旧CDでは未使用曲がROUND 1の曲として入っていた。新CDにはどちらも入っている。)
そしてSFC版の曲もしっかりと聴ける。いろんな曲が久々に存分に楽しめて、満足である。

まあそんな具合にCDを聴いてばっかりいたので、またしても勉強は進まず。ピンチの度合いが増した。


2007.2.17 (Sat.)

旅行記はどうしても書くのにエネルギーがいる。というよりは、エネルギーを自分から積極的に使ってしまう。
呼び起こした記憶を文章にしていくのにも力がいるし、きちんと物事を調べないといけないので、それにも力がいる。
それでどうしても遅れが出てしまうのだ。取り戻そうと必死になって、キーボードをたたいて過ごす。

家に帰ってくると、大森アトレのブックファーストで買ったのだめの最新巻を熟読。
僕は楽しみにしていたマンガを読むときには気が焦ってものすごいスピードで読んでしまう。
でも細部をまるっきり覚えていないので、あらためて落ち着いて読み直す、そういう二段構えになっているのだ。
そうやってようやく、話の筋とか追加された設定とかキャラクターの心情だとかを理解する。

で、結局今日は勉強できず。今シーズンは寝正月に始まって、後手後手にまわっている。ちょっとピンチである。


2007.2.16 (Fri.)

伊東孝『東京再発見』。岩波新書で、たぶんタイトルに惹かれて買ったんだと思う。
気がついたら家にあって、ほったらかしになっていて、旅行のせいで新しく本を買う金がないので読んでみる。

この本、サブタイトルは「土木遺産は語る」となっている。むしろこちらの方が内容にふさわしい。
概観すると、東京論ブームからそこそこ遅れて、土木屋さんの立場からさまざまな例を紹介した本である。
なるほど、確かに言われてみれば橋だのトンネルだのといった土木建造物ってのも奥が深いものだ。
橋は最もわかりやすい。川を渡るその重要性、デザインの見えやすさ。橋とは象徴的な存在なのだ。
日記でも勝鬨橋(→2006.10.7)や金沢の犀川大橋(→2006.11.3)について書いたが、美しい橋は人を惹きつける。
そして橋は川を渡るものだけではない。鉄道の陸橋だってモダンの象徴なのだ。ガード下だって魅力満載である。
ほかにも地下鉄の駅構内、トンネル、水門まで扱っている。本のタイトルのせいもあり、都内と神奈川の例が多い。

筆者の主張としては、建築史があるんだから土木史があってしかるべきだ、というところ。そりゃそうだ。
しかし土木建造物はその老朽化が人命への危険に直結しかねないので、保存されることはほとんどない。
そういう難しさを承知のうえで、とにかく価値のある物として認めてくれ、という気持ちはよくわかる。
まあ正直を言ってしまうと、あまり整理された内容となっていないし、
土木史の方法論というものが確立されていないこともあって思い出話レベルの箇所もちょっとあるし、
読みやすいのはいいがイマイチまとまった印象に欠ける、という感触のする本である。
それでも僕のようなシロートにとって基礎知識を取り入れる準備には適していると思うし、
土木建造物のどこを見ればいいのかが示されている点は大いに参考になる。
『タモリ倶楽部』なんかが面白おかしく取り上げればうまく転がりそうな世界だなあ、と思ったのであった。


2007.2.15 (Thu.)

ワカメが就職活動で上京するということで、久々の飲み会に誘われるのであった。仕事が終わって新宿へ。
メンツはナカガキさん・ハセガワさん・イヌ女史・ワカメである。
これはある意味では、もう本当に鼻血が出るほどオールスターなラインナップなのである。
お仲間に数えてもらえているだけ幸せなのである。まあそれがどういう意味でオールスターなのかは内緒なのだが。

「おいすたーばー」というところで飲むというのだが、当方、そんなものに一切縁のない人生なので、よくわからない。
とりあえずなんとかイヌ女史と合流し、先に飲んでいる3人が入っているという店に案内してもらう。
そしたらスーツ姿のワカメ・ハセガワさんと私服のナカガキさんがいた。ワカメ・ハセガワさんは就職活動、ナカガキさんは休日。
「おいワカメ! ひっさしぶりだなぁ~! 何年ぶりかなあ! 全然変わってないなあ! うわー懐かしいなあ!」
「3日前に大阪で会ってるじゃねーか」(→2007.2.12)などといういかにもお約束の会話をしているうちに、
氷の上に並べられて生牡蠣がやってきた。ここはオイスターバーなのである。牡蠣と酒をいただくところなのである。
牡蠣と酒の間にいったいどんな関係があるのか、本気でまったくわからない。
西洋人の考えることはよくわからんのである(英語を勉強しているっつーのに)。
そもそもバーでオイスターといったら、『ポリス・アカデミー』シリーズを小学生時代に完全制覇した僕にしてみれば、
BGMでオリーブの首飾りが流れている「ブルー・オイスター」しか思い浮かばないじゃないかフォ~ッ!

昔は牡蠣が苦手だったのだが、20代に入って味覚が変化しているので、平然と食えるのであった。
生牡蠣の魅力はいまだによくわからないのだが、焼いた牡蠣がめちゃくちゃ旨いのであった。
5人でハフハフ言いつつかぶりつき、貝殻に残った汁をいただく。これが本当に旨い。
気がつけば「オイスターバーって、いいね」とつぶやいていた。まあ、来る機会なんてないんだろうけどさ。ケッ。

2次会は近くの居酒屋に入って気楽にあれこれダベる。さっきの話題はどうしても就職活動全般が中心になったが、
今度はオススメのマンガについてってことで、なかなか参考になる話が聞けた。
ハセガワさんは桂正和といえば『Is゛』とタワケたことをぬかすので、僕とワカメが口角泡を飛ばして、
「桂正和はぜったいに『電影少女』(→2002.1.12005.8.17)! あれが最高傑作でそれ以外はダメ!」
「夏美ちゃんが死ぬところとかもうホントすげえぞ!」「そうだよ、清水さん岡山に帰っちゃうんだよ! 11巻だよ!」
などと身を乗り出して読め読め読め読めと説得。まあそんな感じであれこれ語って面白かった。

僕は正直、もうこのメンツで飲む機会はないんだろうなーと思っていたので、久々の再会がとてもうれしかった。
まあまた暇をみて集まれれば楽しいのだが。そのためにも、ぜひともワカメ・ハセガワさんには就職を決めてほしい。


2007.2.14 (Wed.)

僕は旅に出るたび晴れ男ぶりを発揮してきているのだが、去年は大阪を離れる際、雨にやられている(→2006.4.10)。
そして今回もそうなってしまった。旅行の最終日、勢いは強くないものの、雨がシトシトと降っている。
でもいつも使っている折りたたみ傘を持ってきているので、特に困らない。気にせず宿を後にする。

三ノ宮駅からJRで大阪へ。14時過ぎに出発するバスで帰る予定なので、少々時間に余裕がある。
とりあえず大阪の街をテキトーに歩いてみようかな、と思う。駅に着いてロッカーに荷物を置くと、地下鉄に乗る。

高速バスに乗って大阪から帰るたび、「しまったあ!」と思う。それは、東急ハンズ江坂店の横を通るからだ。
ハンズ好きとしてはぜひとも制覇したいのだが、大阪市内ではなく吹田にあるので、今まで行きそびれていたのだ。
それで今回ようやく行ってみることにしたのである。御堂筋線が地上に出て高速道路と並行して、しばらく行くと江坂駅。
そこから徒歩で1分もしないくらいのところに、東急ハンズ江坂店はある。

江坂店の中は陳列の仕方がほかの店とちょっと違っている印象を受ける。なんとなく、ゆったりめになっている。
1階がキッチン・トイレタリー用品、2階がインテリア関係、3階がバラエティグッズに文具や素材、
おまけの4階がペット用品である。東急ハンズというといつも人で混んでいてゴチャゴチャというイメージが強いのだが、
江坂店は比較的すっきりだった(平日午前中というのもあるが)。置いてあるものもそんなに専門的でなく、
2階にはファッション方面のものまであった。正直、あんまりハンズらしくない。
ふつうのハンズの2フロア分を1フロアに凝縮して全3階にしている、そんな構成になっている。まあ、ちょっと物足りない。
それでも3階ではエルモのグッズに「いいなあ」と見とれてみたり、『はらぺこあおむし』グッズの量にブームを確信したり。
2階でhummelの手頃な帽子を売っていたので、買って店を出る。自転車に乗るときにはあったかそうだ。

さてまだまだ時間はあるのだ。北の江坂ハンズに行ったなら、このまま南の心斎橋ハンズまで行っちゃいまひょか、と直行。
心斎橋駅の地下からハンズには直接行けない構造になっているので、いったん地上に出る。
そしたらものすごく強い風で、折りたたみ傘がピンチに。慌てて店の中へと避難する。

江坂に行った後だと、心斎橋ハンズはよけいに「ふつうのハンズ」という感触がする。
とりあえず1階のバッグ売り場でFREITAGを確認し(売ってはいたが、以前に比べてかなり小規模になっていた)、
上の階から順々にチェックしていく。荷物を増やしたくないので(手ぶらだし)、買い物はしない。
しかしハンズは見ているだけで楽しくなる。僕みたいに「モノ」が楽しくってしょうがない人間には、ここは天国だ。

ハンズを堪能した後はそのまま道頓堀方面へ南下。心斎橋から難波、千日前周辺に至るこの辺りはいつ来ても楽しい。
最も「大阪らしい」場所だと思う。梅田はちょっと冷たいし、これより南は変に生活感がありすぎて気軽に楽しめなくなる。
歩いているうち、昨日までの「ちょっとほかの県に比べて大阪が物足りなかったかなあ」という気持ちは、完全に吹き飛んだ。

 
L: 心斎橋筋。御堂筋と平行にずーっと続いているアーケードの商店街。いつでも活気ありまくり。
R: 道頓堀。右端には食い倒れ人形。高校のクラス旅行で来たけど、正直あまり記憶がない。当時から日記つけてりゃよかったな。

千日前の道具屋街(東京の合羽橋のようなもの)を抜けると日本橋に出る。秋葉原的雰囲気へと切り替わる。
定食屋を発見したので、中に入ってようやくメシにありつく。たっぷり食って養分を蓄えると、梅田に戻る。

梅田に着いても少し時間があまったので、ヨドバシカメラのガチャガチャコーナーをぷらっと見てまわる。
『行け!稲中卓球部』のガチャガチャがあったので、やってみる。そしたら見事にキクちゃんが出た。うわー!
これは潤平への土産とする。自分用にもう一回やってみたら、前野と井沢のワンダースが出た。いやー、最高に運がいい。

満足感にひたりつつバスに乗り込む。直前には職場で配るおみやげも購入。毎回大阪みやげで申し訳なく思う。
ホントは何か紀伊半島関係のみやげにしたかったのだが、かさばるものを持ち歩くことはできないので、しょうがないのだ。

バスに8時間ほど揺られて東京駅に到着。新幹線の便利さを実感するが、バスは半額以下なのでどうしてもそっちになる。
しかしこうやって必死に切り詰めても、今回の旅行では宿泊費よりも交通費の方が高くついた。
ネットをフル活用して宿泊費を抑えることに成功したのも大きいけど、それ以上に移動するのに費用がかかった。
とんでもなく楽しくて、しかし財布を見て愕然とし、まあそれでもいいやと思える、そういう感じの旅なのであった。ああ幸せ。


2007.2.13 (Tue.)

朝起きると優雅に出かける準備を始めた……つもりなのだが、やっぱりツインの部屋は落ち着かない。
いつも以上に忘れ物をしていないかどうかが気になる。部屋の広さにたじろいでしまう。なんとも情けない。

宿から出ると天満駅まで歩いていく。世間の皆さんは連休が終わったってことでまた日常生活に戻っているわけだが、
僕は違うのである。優雅な有給休暇なのである。心なしか、殺風景な大阪の街が輝いて見えるのであった。
しかも、休みは2日間とったのである。今日も休み、明日も休み! つまりは5連休としたのだ。
これまでの慌しい仕事が見事に一段落ついた状況なので、大手を振って休めるのである。ヌハハハハ!
なので三重から和歌山経由大阪行きという紀伊半島半周旅行の予定も、思いきって拡大してしまう。
本日の目的地は、神戸。オシャレな港町を思う存分歩き倒してやるのだ。

さて、そう意気込んではみたものの、今回のテーマは「寄り道」であり、兵庫県で「寄り道」というのが思いつかない。
神戸は兵庫県ではかなり大阪に近い位置にある。そして兵庫は広いので、動くのに意外と時間を食いそうだ。
播磨や但馬もそれはそれで面白いんだろうけど、イマイチ惹かれないのである。まさか淡路島まで行く暇もあるまい。
結局、昔っからちょっとあこがれていた神戸大学に行ってみることにした。平日だし、学生のふりして生協でメシを食うのだ。

神戸大学に行くには阪急の六甲駅とJRの六甲道駅のふたつがあるが、微妙に阪急の方が近い。
足も痛いので、阪急に揺られることにした。阪急の電車はどの路線も外はマルーン、中は緑のシートで統一されている。
南海だとか大阪地下鉄とは客層が全然違うなあ、と思う。北の山の手と南の下町の差は東京よりも半端なくデカいのだ。
で、そんなハイソな阪急は、昼間は中の電気をつけていないので日陰に入るとけっこう車内が暗くなる。
いつも車内を蛍光灯が照らし続けているのに慣れていたので、暗い車内というのがなんだかひどく新鮮だった。

六甲駅で降りると、いかにも神戸大学の学生らしい連中が坂道を上っていくので、それにぴったりとついていく。
学生たちはメインストリートよりも一本東側の道を歩いていく。周囲は住宅街で、ふと飯田風越高校への道を思い出す。
なかなか容赦ない坂道を延々と上っていく。オレいま風越高校に行こうとしてんじゃねーの?という錯覚がどんどん強くなる。
やがて学生たちは、一本の細い路地へと入った。僕もそれについていく。そこはいかにも大学への近道といった坂だった。

坂道を上りきると、背の高い枯れ草の向こうにうっすらと神戸の街が見える。
知らない間にかなりの高さを上っていたようだ。無数の建物の先には瀬戸内海が見える。絶景かな。
キャンパス内に入ると、そこはふつうに大学。景色を見渡せるスペースがあったので、そこからしばらく茫然と街を見下ろす。
そうして飽きたら探検をおっぱじめる。まずは今いる工学部の中を歩いてみることにする。
神戸大学は山の中腹にある。つまりは平らな場所が限られているわけで、けっこう分散型のキャンパスだ。
そして工学部を歩いていて驚いた。デッキ状になっている歩道と、アスファルトの狭い車道が分離されていたのだ。
よく考えたらこれは当たり前の話で、学生は毎日山を登ることになるわけだから、バイク通学という発想の人が多くなる。
だからキャンパス内の安全を確保するために、歩車分離が徹底しているのだ。平地に慣れきった自分には異文化である。

  
L: 神戸大学(工学部)へと通じる坂道。いかにも学生たちが通う近道って感じである。
C: 神戸大学内の様子(工学部)。左側は歩道、右側はバイク専用の道路。歩車分離を徹底していて驚いた。
R: 駐車場。原チャリ天国である。そんな中、自転車通学の剛の者が駐輪したと思われる自転車も3台ほどあった。

理系のキャンパスだからということもあって、とにかく原チャリの多いこと多いこと。
僕が歩いている間にもヘルメットをかぶった女子学生が走り抜けていって、うーん、これはこれでよし、と思ったことよ。
敷地を軽く一周するように歩いていたら、馬術部の厩舎を発見。馬がイチャイチャしていた。僕もあれくらいモテたいです。
その先には学生会館。生協の本屋に入ってみたら、ウチの会社の本がけっこういっぱい置いてあった。
自分の担当した本がそのうち並ぶと思うと、なんとも身の引き締まる思いがした(でもそれが長続きせんのよね)。

  
L: 馬。  C: 学生会館。斜面に合わせて各フロアを斜めに積み上げている、ガッチガチにモダンスタイルな建物。
R: 坂道をさらに上っていった先にあるこちらが神戸大学の正門。奥には経済学部のキャンパスが広がる。

道はまたしても上り坂になっていく。そのままのん気に歩いていったら、経済学部のキャンパスに到着。
神戸大学はもともと神戸高等商業学校として設立されたのだ(一橋・大阪市立大と「旧三商大」として交流をしている)。
そのためか、階段を上がるとすぐ見えてくる一番偉そうな顔している建物・六甲台本館は、経済学部の建物なのである。
神戸大学にはほかの大学にある時計台みたいな建物がないようなので、とりあえずこいつを撮影して記念とする。

  
L: 神戸大学六甲台本館。  C: その時計をクローズアップしてみる。かわいいデザイン。さすがは神戸大学。
R: 六甲台講堂。よく演劇が上演されるみたい(世界一団は神戸大学の演劇サークルが母体だった)。国登録有形文化財。

理系キャンパスは原チャリ天国だったのだが、こっちの文系キャンパスには車が目立つ。むーボンボンどもめ、と思う。
で、猛烈に腹が減っていたので生協を求めて右往左往する。しばらくあちこちを歩きまわっていると、
正門に近いところで職員向けの食堂があるのを発見。食堂に学生と職員という区分けがあるのは初めて見た。
ホヘーと思って同じ建物の下におりると、そこが学生向けのカフェテリアになっていた。けっこう混雑している。
中に入り、学生のふりをしてあれこれ注文。一橋東生協でのメシを思い出す。どこの大学も似たような感じである。
そんでもって、端っこの席で学生のふりをして食べる。おばちゃんやじいさんもチラホラといて、しっくり共存していた。
学生じたいも法科大学院の影響なのか、ぱっと見20代後半も少なくない。なんとなくほっとしながら満腹になる。

食べ終えると、カフェテリアの外に出て景色を眺める。ここから見える景色もまた絶景である。
あまりにきれいだったので、神戸大学の学生なら絶対にやらない行動、景色をデジカメで撮るという行動に出るのであった。
学生にしてみりゃ毎日坂道が大変でたまらないのだろうけど、僕みたいな人間には、この景色はとてもうらやましい。
山の上だし駅までけっこう距離があるので、学生生活がキャンパスからはみ出すという要素はなかなか少なそうだ。
でも原チャリで三宮や元町まで豪快に動きまわる生活も、きっと楽しいだろうと思う。

  
L: まっすぐ南側をパシャリ。  C: 瀬戸内海をパシャリ。  R: 三宮方面をパシャリ。

帰りはバスに乗り込んで、そのままJRの六甲道駅まで行ってしまう。
そこから兵庫県庁のある元町まで揺られる。いよいよ、神戸の中心市街地を歩きまわるのである。

元町駅を降りると、兵庫県庁への矢印が出ている方向へと歩いていく。
すると緩やかな坂の上に、いかにもな建物を発見。「兵庫県公館」とある。もちろん、かつての兵庫県庁である。
建物の入口までの空間には花がいっぱい植えられており、見事に咲き誇っている。
そういう西洋風な気取り方がしっくりきていて、なるほどこれが港町の風格なのか、と納得させられる。そういう場所だ。

  
L: 兵庫県公館(旧兵庫県庁)。現在の建物は復元されたものだが、歴史ある雰囲気が漂う。
C: 建物の入口から眺めた庭。敷地の先、坂の下まで見下ろす光景が美しい。さすがは神戸。
R: 公館の脇から教会を眺めたところ。大規模に整備中のようで、工事のおじさんたちがお昼寝中。

裏手にまわると公館の中に入ることができる。中は兵庫県の資料館になっているのだ。
兵庫県は、実はかなり複雑なのだ。基本的には播磨国+但馬国なのだが、摂津国と丹波国の一部も取り込んでいる。
たとえば、神戸は摂津国、篠山(ささやま)は丹波国である。そういうわけで、淡路島を加え、県内を5つに区分している。
展示スペースではこの5つの区域ごとに名物だとか名所だとかを紹介している。県外の人間にもわかりやすい内容だ。
いろいろと見ていくうちに、淡路島に無理して行ってみるのも面白かったかなあ、と思う。まあ、いずれ、ぜひ。

 展示されている兵庫県公館の模型。

兵庫県のお勉強を終えたところで、公館のすぐ北にある現在の兵庫県庁へと行ってみる。
ちょうど昼休みを終えた職員が職場へと戻る時間と重なり、一緒に県庁の中へと紛れ込む。

兵庫県庁は西から1号館、2号館、3号館と、まったく同じファサードの建物が見事に3つ並んでいる。どれもデカい。
比較的濃い色合いとデザインに目立った工夫が見られない点から、1970年代保守系の建物、という推理をしてみる。
地下に駐車場があり、県庁のフロアは周りよりも一段高いところから始まる。上がってみると、いちおうオープンスペース。
コンクリートのだだっ広い空間の先端(南側)に、申し訳程度の緑とベンチが置かれている。
さすがに見晴らしはいい。さっき中を探検した兵庫県公館がよく見える。でも、それくらいなもの。
特に面白みがあるわけでもなかったので、すぐに建物の中へと入り込んでみる。すると、見事に昭和のお役所って印象。
薄暗い休憩スペース(省エネのために明かりをつけないらしい)に行ってみたら、淡路島の牛乳を自販機で売っていた。
迷わず買って、飲んでみる。よく冷えていてうまい。とりあえず今回は、これで淡路島に行ったつもりになっておこう。
目を閉じてそんなことを考える。飲み終えると今度は北側の方に出てみる。県庁の裏側を写真に撮るのだ。

  
L: 兵庫県庁1号館。スケールが周囲の建物より大きく感じられる。サイズで圧倒するのが高度経済成長期以降のやり方。
C: 左から1号館・2号館・3号館。カメラの視野におさまんない。2号館のてっぺんには日本の国旗と兵庫県のマークが貼り付いている。
R: 1号館のオープンスペース。だだっ広いコンクリートの先に緑とベンチ。その先に見えるのは兵庫県公館。

北側も兵庫県庁のファサードはほとんど同じ。大きさで県庁とわかるが、それ以上の工夫がない、そんな建物。
まあ、いかにも昭和のお役所ということで、今後そういう空間は少しずつ貴重になっていくとは思うのだが。
(だからもしかしたら、いやたぶん間違いなく、僕らはそういう空間にノスタルジーを感じる日が来るだろう。
 たとえばプラ板に丸ゴチックっぽいレタリングで筆によって書かれた文字とか、リノリウム張りの廊下と階段とか。
 淡いパステルカラーを混ぜたようなプラスチックでできた平成のオフィス空間が侵食する中、これらはゆっくりと消えていく。)
ところでファサードをよく見てみると、南側には太陽電池が窓一面に取り付けられていたのに対し、北側にはそれがない。
この建物ができた当時には太陽電池はなく、南も北も完全に同じファサードだったんだろうな、と思う。
さっきの照明のない休憩スペースといい、兵庫県庁は省エネに躍起になっているようだ。

  
L: 南側のファサードはこのように、一面に太陽電池が貼り付けられているのだ。
C: こちらは北側のファサード。南側もかつてはこのようなデザインになっていたと思われる。
R: 県庁の北側を眺める。ところでこの歩道橋は、おそらく神戸市の市章をかたどっている。

県庁の撮影を終えると、次は当然、神戸市役所である。市役所は三宮にある。
といっても、元町から三宮は日暮里と西日暮里程度の距離感なので、さっさと歩いて行ってしまう。
三宮の賑やかな街並みから、神戸市役所を眺めることができる。南にあるやたら背の高い建物、それが市役所だ。
民間企業のオフィスビルみたいだが、てっぺんには「中途半端なシャネル」といった感じの神戸市の市章がくっついている。
大通りを南下して近づいていくと、のっぽの1号館の足元に伏している2号館も見えてくる。
2号館は大きく張り出した日よけが印象的である。以前はこっちが本館だったというのが、なんとなくわかる。

  
L: 神戸市役所1号館(奥の背の高い建物)と2号館(手前の建物)。バランスの悪い構成だなあ。
C: 1号館を見上げてみたところ。  R: 2号館のファサードは手動の日よけが面白い。何重にもなったまつ毛のようだ。

神戸市役所1号館の中には3年前に来たときにも侵入している(→2004.8.12)。
下のフロアは市民ロビーやら市民ギャラリーやらがつくられている。一番上は議会。
その間にオフィスがたっぷり詰まってこの高さになっているというわけである。
1989年の竣工当時は日本一高い地方自治体の庁舎だったそうで、あの阪神淡路大震災も無事に切り抜けたそうな。

  
L: 1号館の入口。市役所というよりもホテルに近い印象を受ける。  C: 市役所の南隣は公園になっている。
R: 公園から眺めた市役所。公園が平坦なせいかあんまり一体感がなく、なんだか突き放されている感じがするのだ。

これにて今回の旅における県庁・市役所巡りはすべて終了である。あとは神戸の街をひたすら歩きまわるのみ。
まずは三ノ宮駅前に戻り、アーケードの商店街へと入っていく。この辺の混雑している感触が、まさに神戸の感触なのだ。
で、そのまま西へと進んで行き、元町のアーケードへ。この元町商店街を歩かなければ神戸に来たとは言えまい。

元町商店街はJRの線路に沿うようにして、東西1.2kmにわたって延びている(⇒神戸元町商店街HP)。
三宮のアーケードには全国展開している店が多いが、こちらは地元の店がずーっと並んでいる。
どうしても活気が失われた地元商店街を目にする機会が多い中、元町は今も元気があふれていて、歩いていて楽しい。
荷物を増やすわけにはいかないので買い物ができないのが申し訳ないのだが、
街並みから元気を分けてもらったせいか、足の痛みが多少やわらいでいる気がする。
おかげでしっかり、元町商店街を東の1番街から西の6丁目まで往復できたのであった。

  
L: 三宮のアーケード。HMVやらジュンク堂やら、全国展開している店の神戸店はたいていここにある感じ。
C: 元町商店街入口。三宮アーケードを抜けるとすぐ。ここからずーっと、活気のある商店街が続くのである。
R: 元町商店街の中の様子(1番街)。すぐ南側にある中華街(南京町)の影響で、飾りつけが中華風。

 
L: 元町商店街4丁目。この辺にまで来るとだいぶ落ち着いた感じになる。
R: 元町商店街6丁目入口。つまり商店街の西端。ここからもうちょっと歩けばJR神戸駅である。

往復して三宮まで戻ってきたので、今度は旧居留地を歩きまわってみることにする(⇒神戸旧居留地HP)。
この区域の建物は、ファサードの雰囲気を完全に統一しているので、歩いていて独特な印象がある。
リニューアルなのか建て替えなのか、遠目には古くても実は新品なんですよという建物が意外と多い。
でもその中に歴史を感じさせる“ホンモノ”が混じっており、これが実に見事な風格を漂わせているのだ。

  
L: 神戸市立博物館(旧横浜正金銀行神戸支店)。企画展の内容がイマイチ好みでないので、まだ入ったことがない。
C: 商船三井ビル。周囲の建物とは色合いが違う。“ホンモノ”の風格がビンビン伝わってくる。
R: ヴォーリズ設計、旧居留地38番館(旧ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク神戸支店)。80年代の神戸旧居留地再生の象徴。

続いて中華街・南京町を行く(⇒神戸南京町HP)。屋台がいくつも出ていて、思わず肉まんを買い食いしてしまう。
旅行中の買い食いは本当においしい。こちらは横浜の中華街とは違って、わりと小ぢんまりとしている印象だ。
しかしエネルギーは変わらない。いかにも中華風のどぎつい赤が街を彩る。中国のたくましさを肌で感じつつ歩きまわる。

  
L: 南京町のど真ん中の広場。屋台で買ったものをこの広場で食べる、というのが標準的な過ごし方、なのかな。
C: 東端にある長安門。いかにも都会な神戸の街に、ポンと現れた異空間。中に入ると凝縮されたアジアがお出迎え。
R: 南京町の街並みはこんな感じ。横浜と違い、この道幅の狭さが親しげな印象をもたらしているのかも。

 
L: さすがに中華街だけあって、コカ・コーラの自販機も一味違う。  R: 中国語なのだ。

僕は神戸に来るたびに、どう振舞っていいのかわからなくなって困る。横浜と同じで、一人で来ると締まらない街なのだ。
それでとりあえず歩く。ひたすら歩いて過ごす。そうして商店街を歩いていると、うまくごまかしている、そんな気分になる。
まあ所在ないながらも元町商店街を往復して旧居留地を歩きまわって南京町もうろついたので、
神戸を体感することは最低限はできたかな、とは思う。いつか神戸に来てもドギマギしないくらいなオトナになりたいもんだ。
ちなみに三宮にある東急ハンズにも行ってみた。入ってすぐFREITAGが置かれていて、関西でブームが来るかな、と思う。
でも置いてある柄は特にこれといって魅力的なものがなかったのは残念。置いてあるだけマシってものでもないんだよなあ。
それから生田神社でお参りをしてみる。藤原紀香と陣内智則の結婚式予定地で人気急上昇ってのは後で知った。
のん気にふらふら、そこらを漂流して過ごすのであった。

昨日ネットで予約した帰りのバスのチケットをプリントアウトするために、マンガ喫茶に入る。
足もいいかげん疲れていたので、靴を脱いでほぐしたかったというのもある。
個室のパソコンから出力して、置いてあるコピー機で金を払って印刷する。
なんでもないこととして受け止めることもできるが、あらためて考えてみると、時代って変わったなあ、としみじみする。
旅先でもネットで情報をやりとりして、それが実体となる。そうやって僕は東京まで帰ることができる。
情報を鮮やかにコントロールすることで、スムーズに旅ができる。旅と情報が密接な関係にあるのは昔からだけど、
その関係性は絶対値を同じにしながら、形を変えて僕らを包み込んでいる。
こういうふうにして宿やチケットを確保するのは初めてなのに、当たり前のようにこなしている自分が一番不思議だ。

で、以前読んだマンガで新刊が出ていた分をチェックする。『スクールランブル』『涼風』『都立水商!』というラインナップ。
『スクールランブル』は久々に最新巻だけ読んだらつまんなかった。なんか、ついていけない感じ。
前はぜんぶ通しで読んだから徐々に慣れたんだろうけど(→2006.9.17)、久々だと違和感があった。沢近のツンデレ頼り。
『涼風』はもっとつまんなかった。前に褒めたのが恥ずかしい(→2006.11.26)。あーウジウジもうめんどくせー!と思った。
『都立水商!』はまだ日記でのレビューを書いていないが、小説を読んだ後で(→2006.11.9)マンガも読んでみたのだ。
これまたついていけない。登場人物の目がデカすぎるんだもん。内容は参考になったりならなかったり。

 夜、南京町では旧正月の出し物か何かを練習していた。

晩飯は当然、南京町で食った。神戸も横浜も、中華街の中華料理屋はどこに入ればいいのか基準がわからなくて困る。


2007.2.12 (Mon.)

朝起きて支度を済ませると、コインロッカーへ荷物を置きに南海和歌山市駅まで行く。
今日もしっかり快晴で、思わず踊り出したくなってしまうほど白い光が視界すべてを包み込んでいるのだが、
どうにもこの界隈はそういう雰囲気ではないのである。名古屋駅太閤口をちょっと進んだ先のような、
くたびれた「駅裏」という印象が非常に強く漂っているのだ。東口のこっちがオモテ側のはずなのに、である。
むしろJR和歌山駅がオモテで、こっちはウラという解釈ができるのかもしれない。まあとにかく、落ち着かない。
おまけに足が痛い。昨日の夜、調子に乗って何時間もマッサージ器の上に乗っていたせいで、
かえって状況が悪化している。過ぎたるは猶お及ばざるがごとし、という言葉を今さら思い出す。

まあだからといってせっかくの旅行、歩かないでじっとしているという選択肢は存在しないのである。
こうしてやたらとあちこち歩きまわる旅をしていると、ちょっと面倒くさがると大きな損をする、ということを実感させられる。
足が痛かろうがなんだろうが、無理してでも動きまわった先では必ず面白いことが発見できるものなのだ。
そんなわけで荷物を預けると、手ぶらで来た道を引き返す。和歌山城までぷらぷらと歩いていく。

時刻は朝9時ちょっとすぎ。街はまだ完全に目を覚ましていないが、人はそれなりにいる。
郵便局のすぐそば、和歌山城の一の橋に近づいていくと、やたらと騒がしい。海鳥の鳴き声がビルにこだましている。
橋まで来たら、鳥の群れが堀の一角を完全に占拠して飛びまわっていた。人間様などお構いなしに騒ぎまくっている。
朝からいきなりヒッチコック状態かよ、と思いつつ橋を渡る。和歌山城では毎朝こんなことになっているのだろうか。

 
L: 無数の鳥が飛びまわる中、橋から郵便局方向を見る。これだけの鳥に囲まれたのはたぶん人生で初めて。
R: 1羽だけでいるぶんにはかわいいんだけどねえ。

和歌山城の天守閣をぐるっと一周してみることにする。とりあえず北側の裏坂から行って南側の表坂を抜けることに。
裏坂はその名から受ける印象のとおり、日陰になっていて、なんとなく陰気っぽい。しかもけっこう急なのだ。
日ごろの運動不足を実感しつつ上って行ったら、わりとあっさり天守閣に到着した。

 
L: 裏坂の入口。城の北側なので暗めの印象。坂は上っていくにつれ、なかなか急になる。
R: 和歌山城天守閣。紀州徳川家の城である。中に入るには350円で、僕は入らず。再建天守だしなあ。

天守閣の中に入る気はあんまりしなかったので、裏手のほうにまわってみることにした。
もしかしたら和歌山市役所を面白く撮れるかもしれないし、なんて思いつつ行ってみたら、さっそく高所恐怖症が出た。
幅が狭く一方が崖ということで、これは正直かなり怖い状況である。足を滑らせないようにおそるおそる進んでいく。
木々の間から見える市役所は全然面白くなく、「うーん、これじゃ撮ってもしょうがないなー無駄足だったか」と思っていたら、
目の前に妙な生き物がいることに気がついた。木の幹にへばりついているその姿は、ムササビなのかモモンガなのか、
とにかく、脚の間をバッと広げて空を飛ぶアイツである。まさかそんなのがいると思わなかったのでびっくり。
こりゃ撮らなきゃ、と気配を抑えて崖のほうへと近づいていく。高所恐怖所はムササビ1匹の前にふっとんでいた。
そいつは枝を支える棒に飛び移ると、葉っぱの陰に隠れてしまった。しょうがないのでしばらく待っていると、また出てきた。
貴重なチャンスに慌ててシャッターを切ってみたのだが、背景が明るいせいで影になってしまった。
なんとかもう一度木の幹のほうに来てくれないかなあ、と思ったのだが、結局姿を隠してしまい、それきり出てこなくなった。
それでもメジロをはじめとするいろんな鳥がいて、街の真ん中に残った自然の姿をはっきり見せてもらえたのでヨシとしよう。

  
L: 天守閣の下、裏手の様子。ふつうの人ならどうってことないかもしれんが、高所恐怖症には非常に怖い。
C: ムササビもしくはモモンガ。光の関係で影になってしまった。きちんと撮れればよかったのだが、残念。
R: メジロ。一見ウグイスっぽいのだが、目の周りが白いのでメジロなのである。

帰りは広くてゆったりとしている表坂を下る。いやームササビ(もしくはモモンガ)がいるとはなー、と感心しつつ歩く。
途中で石垣の端から和歌山駅の方を眺めた。特にこれといって特徴のあるランドマークはこの和歌山城以外にないので、
見えるのはごくふつうの街並みである。それにしても、ものすごくいい天気である。

  
L: 表坂。裏坂は近道なので急だが、こちらは緩やか。  C: 表坂の石垣。スイッチバック式に天守閣に続くのだ。  R: 無題。

表坂を下りて西のほうへと曲がると、そこにあるのはなんと、動物園なのである。
和歌山城には「童話園」と「水禽園」という動物園が入場無料でくっついている。
「童話園」はふつうの動物園のミニチュア版、「水禽園」はその名のとおり水鳥がいっぱい飼われている。
20代後半の男が一人で動物園を朝からブラつくのもどうかと思うが、いちおう見てまわる。こういう場所は久々だ。

  
L: 童話園を正面から。規模としては小さいが、匂いは立派に動物園だったよ!  C: 「ジロジロ見てんじゃねーよ」
R: フラミンゴの寝姿。どーでもいいが、寝ているフラミンゴを遠くから見ると、棒で支えられた脳ミソが置いてあるみたいで気持ち悪い。

動物園をまわりきると、護国神社の方からけやき大通りに戻る。なんだか動物いっぱいだったなーと思いつつ、駅まで歩く。

和歌山市駅に着くと、ロッカーからBONANZAを出して切符を買う。いよいよ本日は大阪に突入なのである。
ホームで電車を待つのだが、どうやら次に来るのは特急らしい。特急券とかいるのか? 何号車とか決まっているのか?
南海に乗るたび、毎回いろいろ迷ってしまう気がする。去年は難波駅で奥まった各駅停車のホームに気づかなかったし。
こういうのも相性なのかねえ、なんて考えているうちに電車が来た。特急は指定席のみ料金がよけいにかかると判明。
乗り込むとロングシートに腰を下ろして、目をいっぱいに開いて過ぎ去る景色を眺めながら過ごすのであった。

さて今回の旅は「寄り道」をテーマにしている。三重県では伊勢神宮、和歌山県では潮岬と寄り道をしてきたわけだが、
ここ大阪府では、関西国際空港に行ってみるのである。いわゆる「関空」である。
もう今さら、飛行機に乗るわけでもなくただ観光のためだけに行く人なんてオレくらいなもんだろうな、と思いつつ、
泉佐野駅で降りて空港行きの列車に乗り換える。これもやっぱり特急で、どの席に座ればいいのか大いに迷った。

関西空港駅で降りると、人の歩いていく方向に従ってそのまま歩いていく。するとすぐ、目の前にはどでかい建物が。
これが関空かーふつうに建物してんねえ、なんて思う。視野に収まるのはエントランスだけで、全体像なんか見えやしない。
で、中に入ってみたのはいいものの、なんせ目的があって来たわけではないので、どこに行けばいいのかまったくわからない。
入ったところがちょうど国内線の搭乗手続きをするところだったので、とりあえず一発シャッターを切って、途方に暮れる。
そして気がついた。今、オレは猛烈に腹が減っている、と。空港の中にだって、メシを食う場所はきっとあるはずだ。
かくして、メシを食えるところを探そう、と思い立った。そうなると、とにかく歩きまわるしかない。今いる2階の奥へと進む。
そしたら10秒でフードコートを発見。目的達成。というか、あっさり達成しすぎて「じゃあ次はどうすりゃいいのよ?」となる。
そこでまたちょっと考えた結果、「別のフロアにもメシ屋があるかもしれないじゃん」となる。
今や目標はメシ屋を見つけることではなく、どこでメシを食うか、なのだ。とりあえず2階を一周すると、3階に行ってみる。

エスカレーターで上がった3階は、メシ屋と土産物屋のフロアなのであった。「なるほど、わかってきたぞ」
関空は、1階がバス停とかいろいろ、2階が国内線、3階が店舗、そして4階が国際線となっているのだ。
とりあえず3階をあちこち物色してみる。どこもふつうのデパートの店舗と変わらない印象で、あんまり空港って気がしない。
これならさっきのフードコートの方が賑やかでいいや、とだいたい本日の昼メシの概要が決まった。心に余裕ができてくる。
じゃあ行ってみますか、4階。と再びエスカレーターに乗って最上階へと上がる。
そして目の前に広がっていたのは、今までに見たことのない、巨大な屋根裏部屋だった。

 
L: 2階、国内線のロビー。あまり活気がなくっておとなしい空間。
R: 4階、国際線のロビー。国内線とは対照的に、大きな荷物を持った人の列があちこちを占拠していた。人口密度が高い。

それまでの階とはまったく異なる、立体トラス構造がスケスケな天井。翼を思わせる流線型にうねっていて、
青や黄色の三角形がひらひらと飾りつけられている。見渡す限りは搭乗手続きの窓口で、航空会社のロゴがまぶしい。
そこらじゅうに大きな荷物を持った人の列ができていて、囲まれていると懐かしの立体迷路を思い出してしまった。
これから日本を脱出しようとしている人々の群れの中で、ただ観光のためだけに来ちゃいました、という自分が恥ずかしい。
ジロリと見つめる警備員の皆さんや早足で歩きまわるフライトアテンダントのおねーさんたちから、
「飛べないブタはただのブタだ」なんて言葉がテレパシーで伝わってくる気がしてならないブー。
まあだからって萎縮するほど被害妄想にやられちゃっているわけでもないので、ガンガン歩きまわる。
歩きまわってあちこち眺めて、空港だとか海外旅行だとか、そういう雰囲気というものを吸収してみようと試みる。

しかしまったく落ち着きのない場所だ。いやそれは当然のことで、落ち着いている国際線のロビーなんてありえないのだが、
座れる場所が隅っこのスタバくらいしかないという物理的なことからはじまって、テロ警戒の警備員の視線、
列に並ぶ人たちのこれから飛行機に乗るのだという緊張感だとか浮揚感だとか、そういう空気が充満していること、
そういうもろもろが盛大に混じり合って、ドタバタしている現場特有の「忙しいベクトル」をつくりあげているように感じる。
これは僕一人が蚊帳の外にいるから気づくことなのだ、きっと。文字どおりに浮き足立っている姿が見えるのだ。
そして、天井のデザインがそのことに一役買っているように思えてならない。
さっきも書いたが、ここは巨大な「屋根裏」なのだ。この全然秘密になっていない秘密基地は、世界中につながっている。
そういうワクワク感が天井を通して増幅されているように思えるのだ。空港の天井は、「最後の天井」である。
そこが屋根裏になっているという事実は、アナロジーとして非常に正しいことだと直感的に感じる。
もし僕が近い将来、海外へ行くとき、(関空を利用するわけではないにしても)天井をどう感じるのだろうか。
他人事のように客観的に気になる。もしその機会があったら、ぜひ気にしてみようと思う。

  
L: 搭乗手続きの窓口。東京ビッグサイトあたりの新製品の展示会みたいで、航空会社ごとの個性がチラリと見える、かも。
C: 建物の端っこの様子を撮ってみた。  R: まさに翼の中にいるような天井。これが屋根裏的雰囲気を醸し出す。

2階に戻ってフードコートでパスタをいただく。値段じたいは妥当だとしても量が少ないなあ、と思ったが、
空港は満腹になるための場所ではないのでそれはしょうがないことなのだろう。

建物の中にいるのも飽きたので、なんとかこの旅客ターミナルの全貌を見たいなあ、と思う。
それで1階をウロついていたら、「関空展望ホール」のパンフレットを発見。シャトルバスで行けるという。運賃100円。
さっそく外に出て、高速バスのバス停ばかりの中、いちばん奥にあるバス停でぼんやりと待つ。
すると家族連れを中心に、わらわらとバス停に乗客がやってくる。観光目的に関空に来る人なんてオレくらい、
と思い込んでいたので、けっこう意外だった。20分ほど待ったらバスが来て、なんとすし詰め状態で発車。

しばらく揺られて関空展望ホールに着いた。旅客ターミナル本体は巨大だったが、こちらはわりと小規模。
建物はエントランスホールとメインホールの2つに分かれていて、4階に連絡通路がある。
エントランス4階のショッピングフロアを軽く物色する。空港のグッズ、航空会社のグッズ、旅客機の模型、
さらには戦闘機の絵までが売られていた。10年前なら欲しくてたまらなかったかもしれんなあ、と思いつつ連絡通路を行く。
メインホールは4階の半分がテラスになっていて、連絡通路はそこに出る。奥はカフェと売店で、どっちも子どもだらけ。
しばらく柵に寄りかかって空港を眺める。でも全然飛行機が離陸する気配がないので、ぐるっと一周してみることにする。

  
L: スカイゲートブリッジ。電車はJRと南海、そして高速道路がすべてこの一本の橋に集中している。オレが映画監督ならこれ壊すね。
C: 滑走路。僕が眺めている間、1機も飛行機は離陸・着陸しなかった。時間帯によって差があるものなのかな。
R: 関西国際空港旅客ターミナル。レンゾ=ピアノ設計で、似たような感じのデザインがこれ以後日本で流行した気がする。

  
L: 北を眺める。神戸の街がかすかに見える。  C: こちらは大阪方面。
R: テラスはこんな感じ。傾斜のついたデッキを、飛行機のマネをした子どもが走りまわる。

天気がよくって見晴らしがいい。本来なら海の底だった場所に、突如としてできた空港。
そういう場所から陸の方を眺めるというのは、なんとなく変な感じがしなくもない。
もういいかな、と1階に下りてバスを待っていたら、轟音とともに飛行機が北に向かって飛んでいくのが見えた。
しまった! シャッターチャンス逃した!と思ったがもう遅い。ちくしょー、いつかお前に乗ってやる。

またシャトルバスに乗って旅客ターミナルに戻り、軽くもう一度建物の中を見てまわると、関西空港駅へ。
今度はJRに乗っていくかな、と新快速に乗り込む。歩き通しで足がかなり痛い。車内では靴を脱いで回復に努める。
まるでテーマパークのアトラクションのように列車はスカイゲートブリッジを進んで行き、りんくうタウンを越えると、
大きく左にカーブして住宅地を走り抜ける。将来、宇宙旅行をした人類が宇宙ステーションから帰ってくるときの感じは、
きっとこの感じの延長線上にあるんだろうなあ、なんて思っているうちにぐっすりすやすや。仁徳天皇陵を見逃す。

目が覚めたら阪和線は大阪環状線に乗り入れていて、大阪のひとつ手前、天満で降りる。本日の宿にチェックインなのだ。
改札から出て、ちょっと商店街に寄り道。そこはいかにも大阪らしいエネルギーにあふれていて、聞こえてくる関西弁に、
「うわあホンモノの大阪だ」と気おされる。こういうのに触れると、やっぱ東京はお上品だよな、と思わされる。
ドトールで一服して地図を広げ、今後のルートを確認。夜にはワカメ・ふぐさんと会う約束なので、あまりあちこち行けない。
だいたい算段ができると、店を出る。なんだかちょっと夜は怖いかな、という雰囲気のところをしばらく東へ歩いて宿に到着。
本日の宿は、いま耐震強度で話題のあのホテルである。ネットで調べたらけっこう安い値段だし、ネタにもなるしで決めた。
そしたらなんだか手違いがあったみたいで、手続きにけっこう時間がかかった。で、支払いの段になってびっくり。
シングル希望なのに間違ってツインの部屋を用意した、ネットで申込みをした代理店のキャンペーン中で1000円引き、
したがってツインの部屋に4500円で泊まれますというワケのわからないお得な状況になってしまったのである。
部屋に入ると、けっこう見晴らしがいい立派な部屋で戸惑う。まあたまにはこういうラッキーもありかなあ、とは思うのだが。
いや、これは捏造ではなくて本当の話ですよ。

 写真と本文とは一切関係ございません。

(※上のギャグは関西テレビの捏造騒動をふまえたものだが、時事ネタということもあり、誰もわかってくれなかった……。
  天満駅から大阪駅の間には関西テレビの本社(上の写真)があったので、撮って使ってみたんだけどなあ。)

重い荷物を宿に置いて、街へと繰り出す。まずは大阪駅まで歩いてみる。電車では1駅なのにけっこう距離があった。
曽根崎警察署まで来ると、南へと曲がる。そのまままっすぐ歩いていく。御堂筋の風景は前と全然変わらない。
やがてわりとすぐに中之島に到着。堂島川の頭上を走る高速道路の向こう側に出ると、大阪市役所がそびえ立つ。

  
L: 大阪市役所。見事に真四角である。これは北西側から見たところだけど、どこから見てもあんまり変わんないと思う。
C: 正面(日本銀行大阪支店側)から撮影したところ。2008年大阪サミット(開催希望)の垂れ幕が目立つ。
R: 大阪市役所の側面を撮影してみた。こんな感じでひたすら窓が並んでいる。

大阪市役所は非常に大きい建物なのだが、特にこれといって特徴的なものがないので、デザイン的にどうこう言いづらい。
むしろ日本銀行大阪支店、大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂など周辺の建物のほうが迫力がある。
堂島川・土佐堀川の中州である中之島には、明治・大正期の威信を前面に押し出した建物が並んでいる。
一度くらいはきちんと、建築の見学を目的にして訪れておきたい場所なのである。
(ちなみに中之島の北を流れるのが堂島川で、南は土佐堀川。中之島より川上は大川といい、川下は安治川という。)

  
L: 日本銀行大阪支店。大阪市役所と対面して建てられている。威風堂々。
C: 大阪府立中之島図書館。明治の風格がそのままで、大阪の文化施設としての誇りが十分に感じられますなあ。
R: 大阪市中央公会堂。素人目にはなんとなく築地本願寺風な印象を受けてしまうんですけど。

東の方へとぷらぷら歩いていたら、大きな石碑が立っているのに出くわした。
何の気なしに見てみると、「木邨長門守」と書いてある。少し考えた後、「あ! 木村重成か!」と気がついた。
大阪夏の陣で若くして討死した豊臣方の武将・木村重成を祀ったものなのだ。まさかこんな都会のど真ん中にあるとは。
中之島もきちんと歩いてみるといろんなものがある。歴史をたどっていくのはキリがないなあ、とちょっと困った気持ちになる。

  
L: 木村重成の表忠碑。もとは神社の一角にあったが、神社移転後も残されたせいでここにポツンと建っている。
C: 難波橋。頭上を阪神高速環状線がふさぐ。川と橋と高速道路の問題は東京に限った話じゃないようだ。
R: 中之島の建築群を遠景で。手前から公会堂、図書館、市役所という位置関係になっているけどよく見えないな。

さらに東に進んでいき、谷町筋で南下する。大阪では南北の通りを「筋」と呼ぶのが徹底していて面白い(東西は「通」)。
区画が混沌としている東京では考えられないことだ。歩いていて、う~ん、旅行しているぜーという気分になる。
で、しばらく進んで左に曲がると大阪府庁舎。ここは3年前にも来ており(→2004.8.10)、道の雰囲気をよく覚えている。
大阪府庁舎は大阪城公園の方に面しているので、谷町筋から行くと裏手になる。まずは府庁別館がお出迎え。

 
L: 大阪府庁舎の裏手。3年前に中に入ったときには、大学の古い建物のような感じだった。
R: 大阪府庁別館。こちらはいかにも昭和のお役所って感じ。大阪府は各セクションをあちこちに分散させているのだ。

そのまま大阪城を目指して歩くと、大阪府庁舎の正面に出ることになる。
建物としては市役所同様にシンプルな四角形なのだが、細かいところはまったく違う。
竣工は1926年で、いかにも当時の最先端らしい矩形の使い方が目を引く。
何より、デカい。遠目で見るぶんには何の変哲もないのだが、近づくとスケール感がかなり大きくつくられているのがわかる。
ファインダー越しに見てみると、そのデカさがわかる。かなり距離をとらないとその全容を視野におさめられないのだ。
地味と思って近寄ってみると、しっかりと庁舎としての誇りを漂わせているという建物で、
時代背景なども考えると庁舎建築としてすごく重要な例であるように思う。
あまりに分散がひどいので新庁舎建設計画が立てられるも、財政難でかなり難航している模様。
これだけデカいと保存するのも大変だろうけど、ぜひなんとかしてほしいなあ、と思うのである。

  
L: 大阪府庁舎本館を遠景で。非常にヴォリュームのある建物で、かなり距離をとらないとはみ出るのだ。
C: 正面入口はこんな感じ。シンプルだが、威厳がある。  R: 入口の「大阪府廰」の文字。天井のところの飾り具合がタダモノではない。

 大阪府庁舎の正面からまっすぐ向こうには大阪城があるよ。

というわけで本日もこれにてタスク終了である。
地下鉄に乗り込むと、大阪に来たら行かなきゃいけない場所へと向かう。それは日本橋である。
……というと、上京して秋葉原へ行く感覚とまったく変わらないように思われてしまうかもしれないが、
僕としてはちょっと違うのである。日本橋で探し求めるものといえばたったひとつ、ゲームミュージックの中古CDなのだ。
今やもうどこも売らなくなってしまった、往年のアーケードゲームのBGMを収録したCD、それをチェックするのである。
それで日本橋駅で意気揚々と降りたのはいいのだが、日本橋で懐かしのゲームなどを扱っている店は、ここからかなり南、
というか道を挟んで新世界の北側の辺りになる。つまり本当に最南端。結局、かなり長い道をトボトボと歩いていくことに。
まあ、途中で鯛焼きを食ってエネルギーを補給できたので、よし。

お目当ての店に入ると鼻息荒く中古CDにチェックを入れる。が、なかなか目ぼしいものがない。
僕の感覚では、この手の市場は大阪の方が充実していて、最近になって東京でも活性化してきた、ってな印象だったが、
東京が元気になった分、こちらの市場はしぼんでしまったようだ。どうにもイマイチ、魅力的なアイテムを置いていない。
とりあえず東京よりも安く売っていたものをいくつか購入はしたのだが、予想もしていなかった現実に少々がっくり。
プレミアムのついてしまったあんなものやこんなものをがっつり置いてあると思っていたんだけどなあ。
そんなこんなで店を出たときにはもうすっかり暗くなっていた。新世界を見れば通天閣がネオンに輝いている。

 通天閣。そういえば僕はまだ一度ものぼったことがない。いずれ行かないとなあ。

時間調整も兼ねつつ新世界以南のディープゾーンをテキトーにウロウロしてから、再び地下鉄に乗って梅田に戻る。
ワカメ・ふぐさんとの待ち合わせがあるのだ。集合場所はよくわからんが、ふたりとも阪急を利用するだろうから、
阪急梅田駅の周辺で待っていれば合流できるだろう、とふんで歩いていく。そしたらメッセで話題になっていた場所に出た。

しばらくしてケータイにメールが入り、ワカメが登場。ふぐさんはバイト先のトラブルのせいで1時間遅刻とのこと。
しょうがないのでその間、ふたりでテキトーにブラつきながら時間をつぶすことに。

 撮られまいと全力で逃げるワカメなのだ。

茶屋町方面に出て、路地を入ったところのたこ焼きがうまい、とのことで、食べてみる。
よく考えてみたら、僕は大阪でたこ焼きを食うのがこれが初めてなのである。もう大阪は人生で4回目になるというのに。
店の脇に置かれたパイプ椅子に腰掛けつついただく。なるほど、とろける生地にでっかいタコ、確かにたまらん。
で、話題はワカメの就職活動について。やりたいことが絞れない、などと贅沢な悩みをもらすワカメ。
自分の経験からそれなりにアドバイスをしつつ教員免許取っちゃえよ、とささやく僕。話は妙にねじれた平行線を描く。
まあワカメは賢いからオレがどーこー言うまでもないだろーと思っているわけなんだが。

やがてふぐさんから連絡があり、さっきの場所に戻って合流。集まったところでまた茶屋町方面へ。
久々に3人顔を合わせたのだが、今回僕らはワカメのSPI対策の特別講師という役割を課せられているのである。
マクド(←関西風)に入ってテキストとノートを広げる。「オレたち高校生みたいだ」ホントにそうだ。
SPIでも特にワカメは非言語の問題(つまり数学の問題)が大の苦手ということで、ふぐさんとふたりで解説を仰せつかる。
問題を見てみたら、数学というよりも完全に中学受験の算数だ。xなどの文字を使わないで解く方程式みたいなの。
でも確かによく考えてみたら、判断力やら論理力やらを見るという目的は、中学受験の算数と何ら変わらないのだ。
つまりは、そういうことだったのだ。塾講師時代に夏休みに小4に算数を教えたときのことを思い出しつつ、
ああなるほど社会ってのはとことんそういうものを求めるのね、とひとり変に納得していたのであった。

僕はマクド(←関西風)のハンバーガーをもうかれこれ18年間食っていない、って話をしたら驚かれた。
(最後に食ったのは確か11歳のときに松本で。これは僕が高校を卒業するまで飯田にマクドナルドがなかったことと、
 僕がマクドナルドを猛烈に嫌っていることによる。通算でも2回しか食っていないはず。このまま墓場まで行くぜ。)
でもマックフルーリー(ソフトクリームの中にオレオやネスレクランチを砕いて入れたやつ)はうまかった。
で、そんなマックフルーリーをペロペロしつつ、一緒に問題を解いていく。
なぜか知らないが、僕は人にものを教えるときだけ妙に流暢な関西弁が出ることがある。
「こうすっとこうなるやんか、せやからこれをこうせんとあかんねん。そそそ、そんなんしたらええねんな」
本場の関西人相手に関西弁でまくし立てるというのは、考えてみると変な感じがした。

夜11時になって京都から来ているふぐさんの終電の時間なので、解散。
少しでもワカメの勉強の足しになれたらいいのだが、まあその成果は内定の報告という形で聞くことにしよう。
次に皆さんに会えるのはいつになるかはわからんが、こうして会っていろいろ話す機会があるのは本当にうれしいことだ。
有朋自遠方来、不亦楽乎。あ、遠方から来ているのはオレか。ともかく、まあ、今後ともよろしくってことで。

それにしても一人で泊まるツインの部屋のなんと落ち着かなかったことよ。(詠嘆)


2007.2.11 (Sun.)

●06:28 津 → 07:00 多気

まだ真っ暗なうちに宿を出て、駅へと向かう。駅には待合室がないので30分ほど寒い思いをしながら始発が来るのを待つ。
列車が来たのはだいぶ明るくなってきてからで、うーん、気合を入れすぎたか、と思う。
でも乗り遅れたら予定が大幅に狂いまくってしまうので、きっとこれくらいでちょうどいいのだ。
津を出ると広がっているのは田んぼばかり。松阪市を過ぎると今度は山の中である。
多気駅に着くと乗り換え。伊勢・鳥羽方面に行く人は学生を中心に多かったが、紀勢本線に乗る人はわりとまばら。

●07:12 多気 → 10:26 新宮

多気駅を出てしばらくはやっぱり山の中。パソコンを取り出して、書ける分だけ日記を書いていく。
やがて列車は、紀伊長島から海沿いを走るようになる。右手は急な山、左手は入りくんだ湾という対照的な風景が続く。
ものすごく典型的なリアス式海岸である。これで、ああオレは紀伊半島に来たんだ、と実感する。
ふだん見慣れない景色はただ見ているだけでも面白い。やたらめったらデジカメのシャッターを切って過ごす。

  
L: 海面からポコポコと緑が出ている、典型的なリアス式海岸の風景。
C: 急な山のふもとに住宅が集中する。そのまま港へとつながっている。ちなみに、住宅と山の緑の間にあるのは墓地。
R: だいぶ晴れてきた。海の青、空の青、そして山の緑がどれも鮮やかで絶景だった。

熊野市を越えると海岸線は急に平坦になる。列車は熊野街道と並んで走る。
うーん、ふつうだ。と思っているうちに新宮に着いた。ここからは和歌山県である。

●10:35 新宮 → 11:22 串本 特急スーパーくろしお16号

金がないからホントは特急になんて乗りたくないのだが、乗らないことには和歌山市への到着時刻が大幅に遅れてしまう。
仕方なく自由席の車両に乗り込んで特急料金を支払う。景色は再びリアス式海岸のそれに戻る。
でも特急は勢いよく走っていくので、のんびりと景色を楽しむという感覚にはならない。まあ、しょうがない。
串本に着いて降りたら、ほかにもけっこうな客がいた。この皆さんも同じ目的地へ行くんかーと、なんか気恥ずかしくなる。

 
L: 串本駅。本州最南端の駅である。後ろに急な山があって、うーんリアス式、と思うのであった。右手は観光案内所。
R: 串本町内を走る国道42号線。TSUTAYAもあるしけっこう都会だった。ヘタな市よりも元気がありそう。観光地おそるべし。

バスが来るまでの間、周辺をウロウロして過ごす。やがて駅前ロータリーにバスが来たので乗り込む。
終点の潮岬までは片道370円。ちと高いが、まあしょうがない。

●11:32 串本 → 11:49 潮岬 路線バス(熊野交通)

バスは国道から潮岬方面へと進んでいく。潮岬は陸繋島なので急な坂道を上るのだが、その際に須賀の浜が見えた。
海の色が澄んだ青と緑に染まっていて、これがとんでもなくきれい。いずれじっくり泳ぎに来てえ、と思いつつもバスは行く。
バスは海岸沿いではなく、そこから一本内側を進んでいく。完全に島の住宅地の中を走っていくので、生活感がわかる。
しばらく行くと灯台の入口に出る。そして左折すると、一気に視界がひらける。終点の潮岬に到着したのだ。

バスを降りると、さっそく海のほうへと歩いていく。一面が枯れた芝に覆われていて、風が勢いよく吹き抜けていく。
頭上には青空が広がっていて、気温はそれほど高くないはずなのだが、あまり寒さを感じない。いい気分。

 春~夏に来たら芝生が緑で最高に鮮やかな景色なんだろうなあ。

展望台から海を眺める。本州最南端の地に来たのだ。目の前のクレ崎から向こうには、もう何もないのだ。
2種類の青に挟まれた水平線は、微かに光って見える。その美しさは、ずっと見ていても全然飽きない。
水平線は緩やかに、でも確実にカーブを描いて続いている。地球丸すぎ!なんてツッコミを入れたくなる。

天気のいい日に来られてよかったなあ、と心の底から思った。目に映る色のすべてが贅沢だった。

次のバスまでほぼ1時間。その間ずーっとここでぼーっとしていてもいいのだが、せっかく展望タワーがあるので、行ってみた。
中に入るとちょいとばかし見世物的というか怪しげな匂いがした。どうにも日本の田舎の観光地はこういうところが多い。
直通のエレベーターで7階の展望スペースへ。僕しか客がいない。6階から地元の音頭が流れているのが聞こえてくる。
とりあえず気にしないで景色を楽しむことにした。テラスに出ると、思ったよりも風が強く、いきなり高所恐怖症が顔を出す。
がに股でふらふらしながらカメラを構える。人がいないのでよかったが、他人から見ればものすごく挙動不審に見えただろう。
必死になってテラスを一周すると、屋上に出る階段が目に入った。自由に上っていいようだが、そんなの絶対に無理だ。
こんな風の強い高いところにむき出し状態で行くなんて、拷問でしかない。というわけで、鳥肌をたてながら地上に戻った。

  
L: 潮岬展望タワー。入場料300円で、本州最南端訪問証明書がついてくる。いらねー
C: タワーより紀伊大島を臨む。紀伊大島は明治時代に沈没したトルコ船を住民総出で救助した過去(エルトゥールル号事件)があり、
  記念碑もある。トルコに親日家が多いのはその影響。日韓W杯のときもクローズアップされた話だ。徒歩じゃさすがに行けないなあ。
R: 紀伊大島と反対側には潮岬灯台が見える。水平線がきれいなことといったら!

展望タワーにくっついている売店・食堂に行ってみる。いいかげん何も食ってないので空腹でたまらない。
そしたらメニューに「くじら丼」の文字が。これはもう、食うしかない! というわけで「くじら丼セット \1500」を注文。

 これがくじら丼。

クジラといえば太地町が有名なのだが、同じ紀伊半島ということもあってか、ここでも食える。
いざ口にしてみると、脂に独特の風味があって、これはちょっと……という人がいそうな感じ。僕は戸惑いつつも食える感じ。
肉はしっかり煮込んであるせいかちょっと硬めで、口の中でボロボロと細かく分かれる。
肉質は完全に哺乳類のそれだ。「A whale is no more a fish than a horse is.」。食えばわかる。
僕は捕鯨については認めるべきでしょーと思っているのだが、いざ食ってみると、なんというか、どこか違和感がある。
陸で獲れる哺乳類をガンガン食っといて海で獲れる哺乳類を食べるのに反対というのはナンセンスだと思う。
それは変わらない。でもこうして、クジラの肉が明らかに魚類ではない肉だ、哺乳類の肉だということを体感してみると、
海という水中でがんばってる仲間を食べているという意識が芽生えてきて、妙に感傷的になってしまうのだ。変なの。
また、本州最南端でクジラを食いつつ、北極でアザラシを食っているイヌイットのことも想像する。あーこんな感じなのか、と。

残りの時間は、もう一度岬の突端から太平洋を眺めたり、芝生に大の字に寝転がって空を眺めたりして過ごした。
潮岬で大の字に寝転がるのは格別に気持ちがいい。強い風がするりとよけて体の上を吹き抜けていくのがわかる。
もしGoogle Earthで潮岬を拡大したときに大の字が見えたら、それは寝転がっている僕かもしれない。

●12:50 潮岬 → 13:07 串本 路線バス(熊野交通)

まったく同じルートで串本駅まで戻る。やっぱり海の色がきれいで、惚れ惚れしてしまった。
潮岬にはもう一度、今度は暑い季節にのんびり来てみたい。大阪の人は気軽に来られるようでちょっとうらやましい。

バスが駅に着いてから電車の時間まで、けっこう空いている。
おやつでも買い込むかな、と国道沿いのスーパーに入ってあれこれ物色してみる。
そしたらウチの近所ではもう売らなくなってしまったお気に入りの炒飯の素を売っているのを発見。しかも激安。
迷わず3袋も買い込んでしまった。わざわざ本州最南端まで中華材料を買いに来たのかと思うと、おかしくてたまらない。

●13:45 串本 → 15:46 和歌山 特急オーシャンアロー22号

景色を見ようとがんばっていたつもりなのだが、すぐにぐっすり。気がついたらもう和歌山駅で焦った。
半分寝ぼけた状態で改札をくぐり、駅前に出る。そしたらエスカレーターで行った先の地下に市役所の窓口があり、
そこで観光案内業務もやってるという表示を見かけたので、行ってみる。地図をもらってまた地上に戻り、歩きだす。

というわけでいよいよ和歌山市に到着である。和歌山市には主要な駅が2つある。東にあるのが和歌山駅(JRがメイン)。
西にあるのが和歌山市駅(JRも通っているが、南海がメイン)。市街地は、この2つの駅に挟まれた格好になっている。
いま僕がいるのは和歌山駅。昨日ネットで予約した宿は和歌山市駅の近くなので、観光がてら西へと歩いていく。
和歌山駅からはまっすぐに「けやき大通り」という広い道が伸びている。これがたぶん、和歌山市で最も重要な道路だ。
途中で和歌山城と和歌山市役所がけやき大通りを挟むように位置している。とりあえずそこまで歩いていく。

けやき大通りも和歌山駅に近いうちは賑やかな印象だったのだが、そのうちすぐに閑散としだす。
2つの駅の間にはけっこうな距離があるため、そのせいで都市の密度が薄まってしまっている、そんな感じを受ける。
歩いていると、自転車が猛スピードですぐ脇を走り抜けていくのが気になる。人が歩いていてもまったく速度を落とさない。
どうやら和歌山市民は、どんなに狭いところでも、歩行者の存在を気にすることなく走り抜けていく性質のようだ。
みんながみんな、触れそうな距離を無神経に走っていくので少しムカついた。こういうのも都市の文化なのかねえ、と思う。

  
L: JR和歌山駅。けやき大通りの起点(終点)でもある。駅の近くは賑やかなのだが、2ブロックも進むと寂しい雰囲気が……。
C: けやき大通りはこんな感じ。  R: 和歌山市では、「まちなか観光案内所」として店先にパンフレットが置かれている。便利。

だいぶ西へと行ったところで和歌山城が見えてくる。さすがは紀伊徳川家の城だけあって、なかなか大きい。
紀伊徳川家といえば8代将軍・吉宗を輩出している。往時の勢いはさぞかしすごかったんだろうな、と想像してみる。
西汀(みぎわ)丁交差点の近くまで行くと、右手に和歌山市役所。敷地いっぱいに建物が建っているので圧迫感がある。
建物じたいもセットバックしてつくった申し訳程度のオープンスペースに真っ白な高層オフィスというオーソドクスさで、
周囲に対してまったく目立っておらず、存在感があまりない。和歌山城の貫禄とはまったく月とスッポンなのであった。
市役所よりもむしろ、近くにある民間の建物たちのほうが個性豊かで面白い。

  
L: 和歌山市役所。周囲に大きな建物が多いため、地味な市役所は全然目立たない。敷地もずいぶん狭い。
C: 東隣にある紀陽銀行。ファサードにダイナミックな縦線をとり入れ、側面はシックに。対比がなかなか面白い。
R: すぐ西にあるのは和歌山市商工会議所。市役所よりもはるかに目立っている。いっそのこと交換しちゃえばいいや。

さて、けやき大通りを南に折れる。和歌山城の終端を合図にまた西へと進むと、和歌山県庁である。
和歌山県庁は古いタイプの庁舎を現在も残している。大きなシュロの木が特に目立っている。いかにも南国らしい。
敷地には別の建物もあり、なかなか県庁の建物が狭いことで苦労をしていそうな感触がする。
でもがんばって、この今のファサードを残していってほしいものである。

  
L: 和歌山県庁を遠景で。シュロが目立っていて楽しい。建物の配置とシュロの存在は神奈川(→2006.5.21)に似ているかも?
C: 近くで撮ってみたところ。夕日をいっぱいに浴びているのであった。  R: シュロの木をアップで。まるでトトロみたい。

裏手にまわってみると、県議会の入っている建物の耐震補強工事をしているところだった。
今ある建物の柱の中に穴を開け、鉄筋を仕込んでいる模様。まるで建物が鍼治療をしているようで面白い。

 
L: 県庁裏手。工事の真っ最中。  R: こんな感じで作業しとりました。びっしり刺さって痛そうっちゃ痛そうだ。

というわけで、本日のタスクはこれにて終了。あとは和歌山市内をテキトーに歩きまわるだけである。
和歌山市は当然ながら和歌山城の城下町で、町名に「○○丁」と「○○町」という2つの表現が混在している。
Wikipediaで調べてみたところ、「丁」は「ちょう」と読み、もともと武家地であることを示すという。
「町」は「まち」と読む場合がほとんどで、こちらは町人町とのこと。市内にはこの両者が複雑に混じっている。
で、和歌山市も道が非常に広い。これは第二次大戦における和歌山大空襲の影響によるものだろう。
それでも城下町特有の町名を現在まで頑固に残しているのは、紀伊徳川家のお膝元という強い意識があるからだろう。

街を歩いていて、道の広さとともにやたらと黄色やオレンジの標識が中央分離帯に立っているのが気になる。
これはいったいなんでだ?と疑問に思う。右折する車のための車線拡張(とでもいえばいいのか?)もやたらと多いのだ。
思いついた答えは、かつてあった路面電車の名残、というもの。和歌山市では、1971年まで路面電車が走っていた。
それが今はこのような形で残っているということなのだろう。……もっとも、当時の路面電車のルートと照らし合わせると、
必ずしもすべてがそうだというわけではないみたいだ(路面電車のルートは現在、そのまま路線バスのルートになっている)。
これだけ道が広ければ、路面電車は今でも活躍できそうなものだと思うが、コストがかかりすぎるんだろうか。
とりあえずのん気な観光客としては、東西の長い距離を歩かされてフラフラ。路面電車の便利さがうらやましい。

宿に到着して部屋に入ると、電動マッサージ器が置いてあった。すでに昨日一日で足がぐちゃぐちゃに痛んでいたので、
(徹底的に歩いて、一日で土踏まずができあがった。朝と夜とで明らかに足の裏の接地面積が違う感覚はなかなか壮絶)
試してみたらこれがまあすげえのなんの。30分くらい裸足でマッサージを続け、小走りできるくらいにまで回復してしまった。

というわけでけっこう元気になったので、夕暮れの中、街へと繰り出してみる。
市内を流れる市堀川の北側にはアーケードの「ぶらくり丁」があるので、そこを経由して和歌山駅まで戻ってみることに。
トボトボと歩いていくと、どでかい「ぶらくり丁」の文字が。ここは和歌山市でも最も活気のある区域のはずなのだが、
以前に比べると衰退がずいぶん激しくなっているという。ぱっと見た感じでは、もっとひどいところなんていくらでもあるのに、
というくらいに、壊滅的な印象はない。でも地元の人にしてみたら、これはだいぶ地盤沈下が進行した状況なのだろう。
言われてみれば確かに大型商業施設が撤退した跡が生々しく残っている。核がない中、小さな店ががんばっている。
ドンキホーテが商店街のど真ん中に位置して堂々と営業している姿は、なんだかちょっと違和感があった。

さらに東へ進んで雑賀橋を渡る。するときゅっと下町テイストというか、若干怪しげな雰囲気が加わった。
アーケードからはずれた部分ではピンク色の明かりが並んでいて、ああここはそういう一角なのか、と認識。
で、まっすぐアーケードを抜けると真っ暗に。住宅の多い地域なのか、静かな街並みが続く。

  
L: ぶらくり丁の西側入口。大きな文字が全力でアピールしている。  C: ぶらくり丁の大通り。確かに、明るいが物足りない。
R: 雑賀橋を渡った先のアーケード。スマートボールの店などがあって、なんとなく大阪の地元商店街風な印象がした。

けやき大通りに戻って和歌山駅の目の前まで来ると、南に曲がってそのまま進んでいく。
せっかく和歌山まで来たんだから和歌山ラーメンを食べなきゃね、ということで目的地は決まっているのだ。
和歌山ラーメンは豚骨醤油で知られているが、醤油メインの「車庫前系」と豚骨の目立つ「井出系」に分かれている。
市内における主流派は「車庫前系」らしいのだが、テレビを通して全国的に有名になったのは「井出系」だそうだ。
で、今回はとりあえず、その「井出系」の元祖であるという井出商店まで食べに行くことにしたわけ。
ちなみに和歌山ではラーメンよりも中華そばという呼び方のほうが一般的なようだ。独自文化として成立しているみたい。

駅からけっこう歩いてだんだんと辺りが暗くなっていく中、行列ができているのが見えた。井出商店である。
並んでいる人はカップルだったり家族連れだったりで、一人もんはオレくらいしかいねーんでやんの。チクショー
30分ほど並んで店に入る。大衆食堂感覚あふれる店内に驚きつつ、大盛を注文。600円。

 東京の人が想像する、最も典型的であろう和歌山ラーメン。

麺が細い。スープの味が薄い。確かに豚骨+醤油で、豚骨の臭みはギリギリない感じ。
個人的な印象としては、そんなに騒ぐほどではないんじゃないの、といったところ。スープにパンチがなさすぎだ。
そんなわけで「井出系」についてはだいたいわかったので、次は機会をみて「車庫前系」に挑戦してみたいものである。

帰りにもう一度けやき大通りを通る。和歌山城がライトアップされていて、なかなか印象的だった。
明日は午前中に城の周辺を歩いてみるつもりでいる。それから、紀ノ川を渡って山を越え、大阪府に入るのだ。
暇があればもうちょっとじっくり紀伊半島をまわっていろいろ味わってみたかったのだが、金もないし、しょうがない。
宿に戻ったらじっくりマッサージして足の具合を調整しよう、と思いつつ、相変わらずの長い距離を歩くのであった。

 和歌山城。国宝だったが空襲で焼失し、今の天守閣は1958年に再建された。


2007.2.10 (Sat.)

旅の始まりは出産にも似ている。
深夜バスから転がるように降りると、薄暗い中、ゆっくりと周りの景色が見えてくる。
それは今までにまったく見たことのない光景で、一瞬、自分が何者だったのかさえ忘れてしまいそうになる。
で、1分ほどボーッとしているうちにようやく気がつき、どうやら駅のありそうな方向へと歩きだす。

今回、僕がいきなり放り出されたのは、そこそこ大きな通りだった。
路面はまだ濡れていて、ついさっきまで雨が降っていたことをそれとなく告げている。
顔を上げると視線の先に線路と金網と電線のセットが見えて、その先を追ったら駅前らしき雰囲気を感じた。
歩いていった先には、果たして、駅舎が見えた。予想とはまったく違って、それほど大きくない地味な駅だった。

ここは三重県伊勢市である。伊勢市といえばなんといっても伊勢神宮で、今回はお伊勢参りからのスタートである。
なお、僕の出身地・飯田市は伊勢市と交流をしていて、中学2年のときに伊勢市から中学生が来たことがある。
潤平はそのお返しの番に当たって伊勢に行ったことがあるのだが、僕は初めてなのである。
江戸時代にはお伊勢参りが庶民の旅行先として圧倒的な人気を誇っていたわけで(→2006.8.30)、
それを少しだけでもいいから味わってみようと思い、恒例の県庁所在地巡りの旅のついでに訪れることにしたのだ。
なお、今回の県庁所在地巡りでは三重・和歌山・大阪と、紀伊半島をぐるっとまわるという計画である。
そしてさらに「寄り道」をテーマにして、県庁所在地だけでなくもう1ヶ所、その府県の名所に行ってみることにした。
それで、三重県については伊勢神宮に寄り道をすることにしたわけである。

とりあえず駅の周囲を歩いて情報を集めてみる。地図が出ていたのでそれを眺めると、伊勢神宮がふたつあった。
ひとつは外宮(げくう)といい、駅からまっすぐに参道が伸びていて、歩いて5分ほどの距離にある。
もうひとつは内宮(ないくう)で、これはけっこう遠くにある。「おかげ横丁」は内宮のほうにあることをここで初めて知る。
というわけで、やっぱり両方まわらなくちゃいかん、と決定。まずは外宮に行ってみることにした。

 
L: 伊勢市駅。朝8時ちょい過ぎだが客待ちタクシーの列がすげえ。  R: 駅からは外宮への参道がまっすぐ延びている。

外宮への参道は、朝早いこともあってか非常に閑散としていた。
が、やはりそれだけではなく、中心市街地の衰退という種類の匂いが漂っている。
参拝客が買い物するような気配がまったく感じられず、大丈夫かよ伊勢、なんて思いながら歩いていく。

外宮に到着する。一面の緑に覆われていて、非常に荘厳な雰囲気がする。
説明が出ていたので見てみると、外宮は「豊受大神宮」といい、神に捧げる食物を司る豊受大神を祀っているとのこと。
ということはつまり、やっぱり内宮のほうがメインの伊勢神宮ということなのだ。
(そもそも伊勢神宮は、正式には「神宮」という。the 神宮というわけだ。) 
だからってお参りしないわけはない。橋を渡って鳥居をくぐり、境内を進んでいく。
さっきまで雨が降っていたこともあり、神社の緑は吸い込んでおいた水分をたっぷり吐き出している。
参拝客はそれなりにパラパラといるのだが、朝もやに包まれた森の中にいると、
人里から遠く離れた山奥にいるような気分になってくるから不思議なものだ。

  
L: 外宮入口。広い駐車場の奥は一面の緑。  C: 橋。外宮では左側通行厳守のようです。
R: 外宮にある鳥居。くぐると、緑のトンネルにご案内。もやがかかってとても神秘的なのであった。

砂利道をしばらく行くと、正宮に着く。お賽銭を取り出すが、5円玉がない。10円玉ならたくさんある。
でも以前、「10円は『とおえん』→『遠縁』になるからあまりよくない」とバヒさんから聞いたことを思い出す。しかも、
あれ? 出雲大社は確か二礼四拍手一礼だけど、伊勢神宮って二礼二拍手一礼でよかったっけ?などと混乱しだす。
横でコートを着た警備員の人が無言のプレッシャーをかけてくる(ような気がしだす)。ワケがわからなくなってくる。
えーい、いいや!と20円を入れて二礼二拍手一礼して僕の外宮の公式参拝は終了。こんなんでご利益あるんだろうか。

 外宮の正宮。ちらっと見える建物はなんとなく縄文の匂いがする?

入口のところまで戻ってくると、それじゃ内宮まで行きますか、と歩きだす。
バスも出ているようだが、ここはやっぱり歩いていきたい。昔の人も歩いて参拝したんだろうから。
そう思って、内宮があると思われる方向へ、御木本道路という広い道をトボトボ行く。
しかしながら、いつまで経っても内宮に近づいているという感触がない。
タクシーやバスなど地元の交通を潤わせるためなのかわからないが、道の途中に案内がまったく出ていないのだ。
だから自分がいま歩いているのがはたして正しいルートなのか、確認する術がない。
そこそこな交通量の道をたまに観光バスが行き来するのを見て、たぶん大丈夫だろ、とあいまいに納得しつつ歩く。

伊勢高速道路を越えたあたりで本格的に心配になってくる。もうかれこれ30分くらい歩いているが、
地図はおろか矢印の表示された案内板さえひとつもない。もうヤケになって進んでいくしかない。
やがて「おかげ横丁」の立て看板が見えてきて、ここでようやく正しいルートであることを確信できた。
やっぱりみんなバスやらタクシーやらで移動するため、徒歩より詣でけりな人のための案内なんてないんだろう。
困ったもんだと思って看板に近づいて腰が抜けた。メインの看板の横に、「3つめの信号を右折」と書かれた矢印がある。
信号なんて、全然見えないじゃん! いったいどこまで歩けばいいんだよ! くじけそうになる。が、歩くしかない。

 
L: 御木本道路。真珠王・御木本幸吉が米寿の記念で市に贈った資金でつくられた。外宮と内宮を最短距離で結ぶが……遠い。
R: 途中で見えたおかげ横丁の看板。御木本道路を歩いていて初めて目にする、内宮に関係するランドマークだった。

そのうち、背中の荷物が重くなってきた。今回の旅にはやっぱりパソコンは必要なかったなあ、と後悔する。
実は今回の旅は、いつもと違う環境で英語の勉強を集中してやるのが目標なわけで、いらんもん持ってきちゃったなあ、
と思って足を動かしているうちに、遠くのほうで信号が見えた。ほっと一安心である。
1つめの信号を越えるとあとは立て続けに信号が登場。猿田彦神社の前がちょうど3つめで、ここで右折である。
歩道にはいかにも神社らしく灯篭が立っていて、内宮が近いことを匂わせている。車の交通量がなかなか激しい。

 
L: 猿田彦神社。「伊勢神宮(内宮)⇒」という案内板が出ているが、公式な案内板は外宮以来ここが初めて。
R: 御木本道路を右折するこんな感じに。このまままっすぐ行けば内宮なのだが、また意外と距離があった感じ。

ここからは歩きの参拝客もちらほらいたので、自信を持って早足で先を急ぐ。
やがてバスが何台も止まっているのが見えてきた。ロータリーに沿って左手に出ると、鳥居が見える。内宮である。
さっそく中に入ろうとして、戸惑ってしまう。さっきの外宮の橋は左側通行だったのだが、内宮の宇治橋は右側通行なのだ。
そんなに厳密なものなのかね、へぇーと妙に感心しながら橋を渡り、五十鈴川を越える。
そしたら曇り空から日が差してきて、晴れ男の本領発揮である。

  
L: 内宮の鳥居。奥に見える宇治橋は右側通行だった。外宮が左側通行で内宮が右側通行というのは、何か意味があるのか。
C: 内宮の中。さすがに外宮とは比べ物にならないほどの参拝客がいた。が、お年寄りばかりで若い人の姿がほとんどない。
R: 五十鈴川。神社の手水は、もともとはこのような川などで身を清める行為を簡略化したものなんだそうな。とりあえずほとりで深呼吸。

 
L: 売店……じゃなかった、神楽殿付近の光景。伊勢神宮ではおみくじを扱っていなかった。その辺はさすが、なのかも。
R: これが内宮の正宮。「写真は石段の下から撮ること」ということで、このようなアングルに。

内宮は正式には「皇大神宮」といい、天照大神を祀っている。三種の神器のひとつである八咫鏡がある。
緑に包まれている点は外宮と同じなのだが、通路の幅が広いのでその分ひらけた明るい印象がする。
参拝客は圧倒的に年配のツアー客ばかりで、僕より若い人は親に連れられた子どもくらいなもの。
ツアー客が多い点は、御師が代理店業務をやっていた江戸時代とまったく変わらないのかもしれない。
さっきと同じように、やっぱり20円を放り込んで二礼二拍手一礼を済ませると、順路に従い左手の方から下りていく。 
神楽殿ではとりあえずいちばんフツーな御守をいただきBONANZAの中に入れると、砂利道をスタスタ歩いて境内を出る。
休憩所と白馬がいたほかは純粋に参拝する施設という印象で、もう少しゴテゴテしていると思っていたので意外だった。

さて、お伊勢参りといったら、なんといっても「おはらい町」と「おかげ横丁」である。
ここをぶらぶらと歩かなければ、伊勢神宮に来た意味などまったくないのである。
調べてみると、事実はちょっとややこしい。内宮までの参道は「おはらい町」。こちらは純粋な、内宮の門前町だ。
この中にある赤福が1993年に出資してつくったのが、「おかげ横丁」なのである。
「おかげ横丁」はおはらい町の終端に隣接している。両者はなめらかに一体化して賑わっている、という印象。

で、いざ行ってみると、見事に人でいっぱいだった。こちらは内宮と比べて年齢層に幅があり、若者もけっこう多くいた。
街並みは木造の商店が圧倒的に多く、歴史を売りにしている他の観光地と同じように、昔懐かしい感じがする。
伊勢神宮というと長い歴史があるわけだけど、むしろ昭和をテーマにしたテーマパークみたいな、そういう印象がした。
そういう意味では昭和と平成の間には決定的な断絶があるでもいうことなのか。どうにもよくわからない。
まあともかく、つい最近まで身近に存在していたような、そういう感触の懐かしさにあふれている場所なのは確かだ。
伊勢市駅前はずいぶん元気がなかったが、それを補って余りあるエネルギーがここにはあふれている。
どうやら伊勢市の街の活力は、おはらい町・おかげ横丁を中心にして渦巻いているようだ。

  
L: 内宮からおはらい町にまわり込んだらこんな感じだった。  C: 店は徹底して木造が多い。新築の木造の店もあった。
R: おかげ横丁を橋から見下ろす。写真の左手は内宮の参道つまりおはらい町で、このまままっすぐ行けばおかげ横丁という位置関係。

  
L: おかげ横丁内、伊勢うどんを食べつつ広場の様子を撮影。ホントにテーマパークみたい。
C: 広場の真ん中には太鼓を置いた櫓がある。時間を決めてパフォーマンスをしている模様。
R: 広場から奥まった方に進んでみた。伊勢湾付近の名産品、特に干物を売る店が多かった。

さてここの名物といえば伊勢うどんである。広場に面した店でいただくことにする。
伊勢うどんは麺のコシよりもふわふわした食感を優先させていて、そのふわふわにタレがよく染み込む。
タレは非常に濃い醤油のようだが、決してしょっぱすぎることはない。それが麺の半分ほどを浸している。つけ麺感覚だ。
麺にタレをよく絡め、しっかり染み込ませてからつるつるとすする。具は刻んだ浅葱のみというシンプルさがまたよろしい。
腹が減っていたので、写真を撮らなきゃ!と思い出したのは半分以上食ってからだった。時すでに遅し、である。

そういえば事前にネットで三重名物を調べてみたのだが、出てくるのが「松阪牛」やら「伊勢エビ」やら「焼きハマグリ」やら、
高級品ばっかりで貧乏旅行には縁のないものばかり。中には「真珠」なんてものもヒットした。さすがにそれは食えない。
で、そこは貧乏人らしく、松阪牛入り肉まん(本当かどうかイマイチ怪しいが、まんじゅう部分がすごくうまかった)と、
伊勢エビ入りクリームコロッケ(ぶつ切りの伊勢エビがちょろっと入っている。さすがに風味が違う)でガマンするのであった。
金もないし土産をあげる相手もいないし、そもそも荷物を増やすわけにはいかないしで、買い物はまったくしていない。
でも歩いているだけで面白いし、確かにこれは熟年夫婦にはいい観光地だわ、と感心しながらあちこちまわっていた。

帰りはいいかげん伊勢市駅まで歩く気が失せていたので、路線バスに乗ることにした。
が、料金が410円。これは高い。やっぱり駅でレンタサイクルを借りるのが正解なのかーと思っても、もう遅い。
バスに乗ったら、運転手さんが三重弁で乗客のおっさんとやりとりをしていた。明らかに関西弁なのだが、重くない。
これぐらいのソフトな関西弁なら自分にもしゃべれそうだな、と思いつつバスは走っていく。
近鉄の宇治山田駅の駅舎がなかなか風格があって感心しているのも束の間、大量の乗客が乗り込んでくる。
しかも乗車券を取り忘れたとかでおばちゃんが騒ぐ。それも何人も。観光地って大変だなあ、と思うのであった。

伊勢市駅でバスを降りたらちょうど津を経由する近鉄の急行が行ってしまった後で、料金の高いJRの快速を待つ破目に。
30分くらい周辺を散歩し、伊勢市のエネルギーがおはらい町&おかげ横丁に集中していることを再確認して駅に戻る。
そして快速みえに乗り込むと、疲れが出てきてうつらうつら。そんなこんなで津に着いたので、降りる。

 
L: This is the つ! 日本全国いろんな津はあれど、定冠詞つきの津はここだけ。
R: 津駅。これは東口・JRの駅ビルでまだそこそこの規模だが、西口・近鉄はとても県庁所在地とは思えない地味さだった……。

さて、津にやってきたのはいいものの、ひとつ困った事態が発生した。
今までいろんな県庁所在地に行って、そのたびにお世話になってきた観光案内所が、津にはないのである。
観光案内所で地図と宿泊所の案内をもらうことでどうにかなってきたのだが、今回はそれができないのだ。
まいったなあと思うが、じっとしていても始まらないので歩きだす。とりあえず目についたビジネスホテルについて、
料金と電話番号をケータイのメモに押さえながら、南のほうにある市街地へと向かうことにした。


津駅と市街地の間にある安濃(あのう)川。魚の群れが水面に影のように広がり、時おりキラキラ光る。
そこに鳥が飛び込むと、影は素早く散らばって逃げる。ちなみに写真真ん中の点はぜんぶ鳥である。

津駅は市街地からちょっと離れている。国道23号は広いがどうにも閑散としていて、あんまり面白くない。
そのうち「三重県庁」という案内板が見えてきたので、吸い寄せられるようにふらふらと歩いていく。
JRと近鉄の線路をまたぐけっこう大きな橋の上に鎮座しているのが三重県庁。
周囲は県の施設がそこそこ集中しているものの、それほど大規模な行政地域という感じではない。
変に小ぢんまりしていて、本腰を入れて県庁所在地やってます、という印象がしないのである。

  
L: 三重県庁。これといった特徴のない、わりと純粋なオフィス建築。  C: 玄関の軒だけは大胆なコンクリートでモダン風。
R: こちらは県議会。これまたよくありがちな箱型建築。隣の県庁舎とデザイン上のつながりは皆無。

高台の上にあって見晴らしはかなりいいのだが、市街地までちょっと距離があり、休日は非常にさびしい。
四日市のほうが都会だろうし、津はホントに県庁があるだけでほかに売りのない街なのかな、と思えてきた。

国道23号に戻ると、相変わらずのだだっ広い歩道を南下していって、これまた広い道と交差しているのに出くわす。
右折すると津市役所との案内板が出ているので、その指示に従ってトボトボ歩いてみる。
しばらく行ったらどっからどう見ても市役所な建物が見えた。県庁といい市役所といい、個性がない。
市役所の前は広場になっていたので、そちらからまわり込んで撮影しつつ、建物に近づいていく。
広場の脇に植えられていた梅の木が、紅いのも白いのも咲いていて、ああもう春が来るのかね、と思った。

  
L: 津市役所。ふつうです。  C: かつての津市の市章をかたどっていると思われる噴水(動いていなかった)。
R: 市役所を裏手から見たところ。ふつうです。色といい形といい、典型的な無個性庁舎建築だ。

津は城下町である。最初に城を築いたのは信長の弟・織田信包で、その後に藤堂高虎が街を発展させたそうだ。
市役所は二の丸にあたる場所に建っていて、ここは市役所になる前は師範学校だった、という石碑があった。
そんな一等地を県庁が押さえていないあたりに、どうも三重県の複雑さというか求心力のなさというか、
そういう事情が透けて見える。伊勢・志摩・伊賀に加えて紀伊の一部が合体した県という事実も影響しているのだろう。
まあとにかく、津は全般的にパワー不足という印象がやたら残る街なのだった。

さて、津市役所を十分にウロついたら、そのまま隣の津城の本丸跡に入る。
ここは現在、公園になっていて、小さな日本庭園がある。その隣は円形の広場になっていて、藤堂高虎の像がある。

 
L: 津城址の日本庭園。といっても、あんまり本格的ではない。  R: 藤堂高虎像。ちなみに父親の名前は「藤堂虎高」。

あとは津の市街地をぐるぐる歩きまわるだけなのだが、なんだかどうにも物足りない。
もうちょっとなんか、こう、ネタになるようなもんはないのか?と考える。とりあえず松菱に入って本屋で地図を眺める。
すると、ひとつあった。津の中心市街地は北を安濃川、南を岩田川に囲まれているのだが、
その岩田川の河口の南側が、海水浴場になっているのである。その名は、「阿漕浦」。
日本語には「あこぎな」という形容動詞があるが、その「あこぎ」の由来が「阿漕浦」なのである。
昔、ここの漁師が禁漁区域を無視して漁を続けたことからきた表現である。じゃあ行ってみるか、と歩きだす。

岩田川の堤防に沿って河口へと歩く。ところがこれがまた意外と距離があり、歩いても歩いても住宅街。
いいかげん海は見えんのか、と思って横断歩道を渡ったら、無数のヨットが並んだ一角に出た。
お、と思って早足で道なりに右へと曲がる。するとそこには太平洋が広がっていた。阿漕浦に到着したのだ。

  
L: 阿漕浦海水浴場。近くの岸に船がいっぱい停泊しているのが見えて、さすがは工業地帯、と認識させられた。
C: 砂浜にはけっこう貝殻の破片が多かったので、裸足で歩く際にはご注意を。
R: 阿漕浦からの帰りに通ったフェニックス通り。福井市とは違い、こちらは中央分離帯にシュロが植えられている。

まあ海に来たところで泳げる季節でもないし、「来た」という経験的な事実が残るだけでしかないのだが、
30分ほどぼんやりと海を眺めて過ごす。山国育ちには、そばに海のある生活ってのが想像できないんですよ。

で、飽きたら市街地に戻る。同じルートじゃつまんないので、フェニックス通り経由でさらに安濃川も越えて、
マイカルがデパートと映画館をつくった郊外の方まで行ってみる。まだメシを食ってなかったので、そこでなんとかするつもり。
歩きながら、津という街について考えてみる。城下町である。そしてとにかく道が広い。
福井のときの記憶が蘇る(→2006.11.4)。それは「フェニックス」という名がつけられた道の存在のせいでもある。
福井では震災からの復興がその理由だったが、津の場合は調べてみたのだがよくわからない(空襲? 伊勢湾台風?)。
歴史のある城下町でこれだけ道が広いのは何か特別な事情があるとしか考えられないので、
まあ、何か悲劇があったんだろうなあ、と思う。どうにも津は何ごとについてもアピールの足りない街である。
SATYのフードコートで寿がきやラーメンのつけ麺をすすりながら、ぼんやりとそんなことを考えてみる。

  
L: 国道23号線、津市の中心市街地にて。しかしながら、ほかの三重県の都市への単なる通過点、という印象である。
C: 夕方の買い物時だってのに、アーケードにはひと気がほとんどない。  R: きれいにしている一角なのに、人がいない……。

伊勢でも駅前についてはまったく同じ印象だったのだが、津で元気なのは予備校と学習塾だけ、そんな気がする。
道が広いせいもあって、とにかく歩いている人の密度がものすごくまばらにしか見えない。
日が落ちても街灯はどこか薄暗く、明るい光が漏れているのは予備校と塾の入口と窓から、そういう印象が残った。
もともと三重には四日市以外に経済的な求心力のある街がなく(伊勢は観光客に対してのみ求心力を持つ)、
津は三重の中心に位置しているものの、それゆえに、どこかへと行く人々の通過点でしかない。
市内の道の広さの裏側には、そんな事情があるように思えるのだ。
県庁所在地の津に地力がないということはないだろうから、なんというか、損している街だなあ、と感じた。

さて、僕が津市で最も感心した部分はどこかというと、それは自転車の駐輪具合である。
津では道が広いこともあってか、街中でもそこらじゅうに「白線の内側なら自由に駐輪してOK」と看板が出ている。
駐輪禁止区域を設定するというよりは、駐輪できるスペースを積極的に設定しているのだ。
おかげで、置いてある自転車がジャマになっていることは、まったくといっていいほどない。
都内でもこの工夫をうまく取り入れてほしいなあ、と思ったのであった。

 
L: デパート・松菱はセットバックして駐輪スペースをつくっている。  R: 津駅西口。わりと礼儀正しい駐輪ぶりである。

宿は電話で聞いてみたらあっさり取ることができた。駅前でLANが使えるという好条件。今回は運がいい。
で、明日は紀伊半島を一気にまわる計画なわけで、持ってきているパソコンをネットにつないであれこれ調べてみる。
僕は時刻表が読めない人なので、ネットで検索ができる今の世の中は非常に便利でうれしい限りなのである。
やっていくうちに、いつ出発すればいいか、どの電車に乗ればいいかがわかってくる。
さらには、考えていたよりもずっと安い値段で宿が予約できることもわかってきた。さっそく申し込んでしまう。
伊勢を歩いているときには「パソコンいらなかったかも」なんて思っていたけど、とんでもない。パソコンさまさまである。
ネットで何でもできてしまう。もはや旅にパソコンは必需品になっているのだ。世界は便利になっていくなあ、と思いつつ、
英語の勉強をがんばって、ぐっすり寝た。なんてったって、明日は始発に乗らなきゃいけないのだ……。


2007.2.9 (Fri.)

「人生とは旅であり、旅とは人生である」みたいな格好悪いことは考えていないのだけど、
旅に出るたびに心の底からじわじわとこみ上げてくるものがあるので、それをきちんと文章にして残してみようと思う。

旅に出る。そうして乗り物に揺られながら目を閉じると(特に深夜バス)、「絶対に帰ってくること」の大切さを感じる。
ああ、自分は戻ってこなくちゃいけない。これから体験することは特殊なことで、そこから戻ってこないといけないのだ。
オレは無事に戻ってこなくちゃいかん、そう思うのだ。特に誰かが待っているということもないけど、まあ、勝手に。

パイオニア10号という木星探査機がある。これは1972年にNASAによって打ち上げられたもので、
木星の探査という任務を終えた後は、おうし座のアルデバランに向かって今も飛んでいっている。
人間の男女だとか太陽と地球の位置を描いたプラークが取り付けられていて、その図柄を見たことのある人は多いだろう。
パイオニア10号は手紙を詰めて海に流した瓶のように、誰かが拾ってくれるかも、という期待を乗せて宇宙空間を漂っている。

僕は高所恐怖症であり、海に浮かぶ島の地図を眺めていると怖くなるタチで、それと同じように宇宙空間にも怖さを感じる。
共通しているのは、頼りにできる大きな存在に寄りかかる術のまったくない感じである。
そのまま遠くへ行ってしまい戻れなくなるということへの恐怖、言い換えれば絶対的な孤独感がそこにはある。
そして旅に出るとき、それと同じ背筋のゾクゾクする感じを味わうことになるのだ。
今ある強固な現実から離れるということの抗いがたい魅力と、その事実に囚われてしまったときの際限のない悲しみと、
そのギリギリのところでの駆け引き。第二宇宙速度の11.2 km/sを超える/超えないのスピード感。
旅が終わって家に帰ってきたときの、「旅が終わっちゃったなあ」というさみしさと底知れない安心感。
これは自転車で遠出して帰ってきたときにも感じることだが、旅から戻ってきたときの感触、虚脱感は格別なものだ。

旅というものはそのギリギリの駆け引きを、「帰れないかも」というスリルを味わうために行われる行為である。
非日常と日常が綱引きをしているその上をバランスを保ちながら渡るために、繰り返されることなのだ。
人類は多かれ少なかれ誰もが、そういう種類の娯楽を味わい続けている。

そんなことを考えているうちに、バスは池袋を離れた。


2007.2.8 (Thu.)

レム=コールハース『錯乱のニューヨーク』。

以前に『現代建築に関する16章』(→2007.1.23)でレム=コールハースの章を読んだときには、
「これは『アンチ・オイディプス』(→2004.7.1)が建築の分野においてどう発症したかを描いた話なのだな」と直感したのだが、
実際に読んでみるとそれほど理論面での話は目立たず、むしろ各論に重きが置かれているように思った。
つまりは、僕は事前に「マンハッタニズム」というものを無意識下で進行したムーヴメント・運動と捉えていたのだが、
この本においてはその無意識ゆえに現象としての扱いに留まっていた。ひたすら事例の紹介である。

本はマニフェストから始まる。そして「私はマンハッタンのゴーストライターであった。」と宣言をする。
そして歴史が語られる。マンハッタンがただの島だった時代から始まり、やがて地表に矩形の街区が刻まれる。
ここからマンハッタンは、そのグリッドを基準の単位として形づくられていくことになる。
完全なユークリッド空間、プレーンな空間、そこに針と球でまとめられる建築物が生み出されていく。
やがてコニーアイランドという実験室で、現代のテーマパークに至る空間操作術が熟成される。
そしてマンハッタンに摩天楼が現れる。20世紀に入ると完全に、経済が矩形の空間を伸ばし、育てる。
そこにあるのは要求である。要求があるから充たす。誰が要求しているのかを問う人などいない。そんな暇はない。
キーワードは「過密」。機械・速度といった要素がマンハッタンの過密を加速していく。
やがて過密はそれ自体がエネルギーとなってさらなる過密を要求する。
過密の解消はヒューマニズム的に次の行動の口実となるが、誰もそれを実際にやろうとするつもりなどない。
言葉とは裏腹に、新たに過密を積み上げることが要求されているからだ。そしてマンハッタンは再生産される。
ダリは芸術を一瞬だけ反転させることでマンハッタンと打ち解けた。コルビュジェはマンハッタンに撥ね付けられる。
こうして建築が矩形の細胞を自己増殖させていく「マンハッタニズム」の姿が鮮明に描かれていく。

よくまあ調べたなあ、と呆れた。それだけでも価値のあることだ。
コールハースはマンハッタニズムを“発見”するが、それを肯定も否定もしない。
ただ、ゴーストライターという立場を守り、それまで誰からも省みられることのなかった対象を丁寧に描き出す。
この描き方がきわめて精緻で、非常に細かいところまで徹底して調べられていて、ぐうの音も出ないほどだ。
学生時代に聞き取りと資料集めで論文を書いた身としては、その徹底ぶりには素直に脱帽するしかない。

しかしマンハッタンは、終章の直前(1930年代末)で突然、「死」を迎える(ように書かれている)。
それまでの無限の細胞分裂に比べると、本当にいきなり、ぶっきらぼうに、「死」が告げられるのである。
ゴーストライターだけに、相手に死なれてしまうと何もできなくなってしまうのだろうか。
物体が急に消えたことでその影も消えてしまったかのように、コールハースの歯切れは急に悪くなる。
マンハッタニズムを生み出したものは、確実に現代にも息を潜めている。
しかしそこに到達することなく、コールハースは書くことを切り上げてしまった。
だから僕はコールハースという脚本家がニューヨークの物語を描いた、という見方には与したくない。
それだと物語の終わり方は、まったく美しいものではなくなってしまう。
物語としての完成度の低さが、ここに書かれている内容の価値を減じてしまうじゃないか。

そんなわけで僕は、この本に対して諸手を挙げて絶賛することはできないな、という気持ちを抱いている。
建築学的興味関心では違うかもしれないが、社会学的興味関心からすると、中途半端となってしまうのだ。
その点で、冒頭に書いたこの本における『アンチ・オイディプス』(→2004.7.1)との関係性は、
マンハッタンの「死」後と現代をつなぐ線について、あれこれその存在について考えるヒントになりうるのではないかと思う。
だから、具体例の面からそれだけのものを掘り出したコールハースはなるほどすげえ、と心底思うのだ。
ややこしいのだが、つまり、やっていることがものすげえのに、尻切れトンボなのでおいおい待てよ、となっているわけだ。
で、それを脚本家として物語を紡いだみたいに言われると、それって内容はともかく作品としては失敗になるだろ、と。
まあ結局のところは、読者がそれを読んで次に何を始めるか、までが作品の持っている価値と言えるわけで、
その点では僕らに線をつなぐ役割が課せられていると考えられるわけだ。そういうことなのだ。


2007.2.7 (Wed.)

いきなり旅行に出ることを思いついた。
仕事もちょうどキリのいいところで(抱えていた本が3冊、ポン、ポンポンと校了したところなのだ)、絶好のタイミングだ。
一度思いついちゃったら思いつめるしかないわけで、頭の中はそのことでいっぱい、計画を練りはじめる。
冬だから寒いところはイヤだな、でもキリのいいところでしっかり休みも取れるし、ある程度遠くないともったいないし、
そんな感じであれこれ作戦を練る。いくらなんでも今週末ってのは急すぎるが、この勢いがあるから楽しいのだ。

そういうわけで、本当にいきなりなんだけど、今週末の連休を利用して、旅に出ることにした。
毎回思いつきだけで行動していてホントに計画性がないなーと思うのだが、こればっかりはしょうがない。
そういういいかげんな部分がなくなったら、自分が自分でなくなる気がする。根っからのダメ人間って気もするが。

あっちこっちの「ふつう」を見に行ってやる。
そんでもって、日本全国で自分の人生と同時進行しているものを、少しでも多くこの目で見てしっかりと認識してやる。


2007.2.6 (Tue.)

今日は僕の脳ミソの中身について書いてみよう。
まず、人の名前は必ず漢字&フルネームで覚える、というところから話を始めよう。

僕は人の名前を、漢字&フルネームでないと覚えられない。自己紹介で名前を言われても、なかなか覚えられない。
しかし名前を漢字&フルネームで書いてもらえれば、一発で覚えられる。そしてその後、3年間は絶対に忘れない。
かなり極端なんだけど本当にそうで、音だけでなく、きちんと目で認識できないとダメなのだ。

……という話をするとたいていの人は「すげー」という反応をするが、実はこれは大したことではない。
僕はいつも、名前の中の漢字1文字を取り出して、その人のイメージとして認識する。
たとえば「松島潤平」なら、「潤」の字を取り出して、その人のイメージとする。下の名前の1文字目ということが多い。
そして残りの文字については、メインの1文字との関係性から覚えるようにする。特に、顔の印象と重ねる。
たとえば「ひろ」という音には「裕」「博」「弘」「広」「宏」「浩」「洋」「寛」「大」「紘」「啓」などさまざまな候補があるが、
この人の顔はこの並びじゃないとしっくりこない!というイメージを瞬間的に自分の中に植えつけることで、
正しい名前の漢字を変換できるようにクセをつける。名字は特殊な変換が必要になることが少ないので、
音を覚えるだけでいい。そうしてメインの1文字とフルネームの語感とその人の顔が結びつけば、もう忘れることはない。

僕は上記のことを誰に教えられたわけでもなく生まれたときから実践している(小学校入学前から漢字には強かった)。
これは漢字が表音文字ではなく表意文字だからできることで、漢字の持つヴィジュアル的な特徴を活用しているわけだ。
漢字というのは面白いもので、紙に書くぶんには2次元の平面で済んじゃうんだけど、
それ自体が意味を持っているから、意味という次元を加えれば、それは3次元の存在と考えることができる。
で、僕はその3次元のレベルで漢字を認識しているので、上記のように名前を覚えることに応用を利かせているのである。

というわけで、ようやく本題の空間認識能力の話題に入る。
僕は自慢じゃないけど、空間認識能力についてはわりと自信がある。
まったく道に迷わないわけではないが、一度行った場所についてはたいてい次は迷わず行けるし、距離感もつかめる。
昼間は太陽の方向つまり光源の角度を覚えておくことで、絶対的な方位を体感していることが大きいと思う。
で、旅先などで街を歩いているうちに、頭の中にその街の構造ができあがって、2次元の地図と3次元の体験が合体する。
そうなるとしめたもので、いま見ている風景を自由自在にそのまま斜め上から見た光景に変換できるようになる。
つまり、今いる場所からそのままジャンプして空から見た景色、それを勝手に頭の中で合成できるようになるのである。
だから地図を見て、この地点からこの方向を向いたらどんな景色が見えるか、それが想像できるのである。
生きていくうえではそれほど重要ではない能力ではあるものの、きわめて便利な能力ではあると思う。
(という話を以前circo氏にしたら、「サヴァン症候群じゃないのか」と言われた。さすがにそこまで精密ではない。)

(ちなみに、こないだのNHKの番組によると、空間認識能力は男性性というか、男性らしさに大いに関係するものらしい。
 空間認識能力は概して男性の方が高く、女性は月経周期によって空間認識能力に有意に差が出るんだそうだ。)

とまあこのように、僕の脳ミソはつねに3次元空間を対象にしているのである。なんでも3次元の立体で認識している。
たとえば物事を考えるときには、つねに結果が3次元映像というか立体のオブジェで出てくる。
それをいちいち日本語という1次元のものに変換してしゃべっているのだ。信じられないかもしれないけど、本当にそうだ。
だから潤平や友人たちなんかとつっこんだ抽象的な話をする場合、つねに頭の中に立体があって、
それを時間をかけて1次元の列に戻してしゃべるので、どうしても途中で言葉が詰まったりジェスチャーが多くなったりする。
物理や数学のたとえ話が出るのもその一環。物理は物と物の関係を扱う学問なので、3次元の説明を端的にしやすい。
また、数学も幾何学や微分積分でわかるように、本来はヴィジュアルでの理解をともなう。それでそっちの用語が出てくる。
しかし言葉はつねに1次元なので(特に話し言葉の場合にはそうだ)、3次元のものをそのまま表現することができない。
でも僕は欲張りなので、見えているものをすべて説明しきろうとする。それで理解してもらうまでにえらく時間がかかる。
そのため、コミュニケーションの成功具合が、相手の聞く姿勢の粘り強さに依存せざるをえない。これは困ったことだ。

世の中にはいろんなタイプの脳ミソがあると思うんだけど、文系のクセして変に理系な僕の頭の中身はこんな感じだ。
バヒサシさんだかトシユキさんだか、「せんたの頭は8:2で右脳が強いんだけど、残り2割の左脳ががっちりガードをしてる」
と言われたことがある。まさしくそのとおり、と思っているが、上記のことと合わせて客観的に確認してみたいことではある。


2007.2.5 (Mon.)

スーパーボウル。今年のカードは、インディアナポリス・コルツとシカゴ・ベアーズである。
どちらもNFLきっての名門チームだが、ベアーズがあのウォルター=ペイトンや“パンキー”マクマーン以来の21年ぶり出場、
コルツにいたってはジョニー=ユナイタス以来の36年ぶり出場というんだから、驚いてしまう。
NFLはサラリーキャップ制を導入するなど勢力の均衡に力を入れているので、この両チームの久々の出場ぶりにはびっくり。

さて、試合のほうは久々にMessengerをつないでワカメと観戦。
序盤のコルツのグダグダぶりが異常。いきなりキックオフリターンタッチダウンを許すとか、なんなんだそれ、と呆れた。
と思ったらベアーズも締まらない。どこか歯車がかみ合っていない感じがプンプン。両軍ガチガチに緊張しているのがわかる。
やっぱりそれだけプレッシャーがかかってるってことなんだなあ、と思いつつ見るのだが、なかなか盛り上がらない。
激しい雨のせいもあるんだろうけど、ファンブルが多くて、すきっとした展開にならないのがもどかしい。

ゲームが始まる前には攻のコルツと守のベアーズってことで注目が集まっていたわけなんだけど、
攻めきれないどうしの戦いという印象だった。結局はQBペイトン=マニングが要所を締めて、コルツが勝った。
抜群に守備のいいチームをつくりあげながらも、「プレイオフで勝てない」という理由でバッカニアーズを追われてしまった
HCトニー=ダンジーが初の栄冠を手にしたので、その点についてはよかったね、というのが正直なところではある。

スーパーボウルというといまだに、残り1ヤードが足りなくてラムズに屈したタイタンズの印象が強くて(第34回、2000年)、
ここ最近のニーダウンしまくり、残り10秒でヘッドコーチにゲータレードが浴びせられる、残り3秒でMVPが発表される、
そんな感じのスーパーボウルの試合展開は、結果を見ちゃわないように電車内のニュース画面は見ない、
ネットをつないでもニュース欄は見ない、そういう地道な努力の割に合わない感じがして、ちょっとさびしい。
来年のスーパーはぜひとも、残り1秒まで目が離せないような熱戦を期待したいものである。


2007.2.4 (Sun.)

天気があまりによかったので、こりゃ出かけないわけにはいかんぞ、と思う。
しかし北も南も東もいいかげん自転車で走るのに飽きてきた。じゃあ西だ、そうだ吉祥寺だ、となる。
吉祥寺は特に思い出があるというわけでもないが、昔っからわりと好きな街である。
国立に住んでいた頃にはたまにふらっと行っていた。東急ハンズがあれば最強の街なのに、と思っていた。

吉祥寺に行くためには、まず環七で甲州街道まで出て、そこから井ノ頭通りをひたすら突き進む。
だいたい京王井の頭線と並走することになり、途中で浜田山周辺を寄り道してみる。
こないだ桜上水~明大前を走ったときとだいたい同じ印象で(→2006.12.17)、なんとなく京王電鉄の構造を感じる。
駅前は小規模で商店はひととおり揃っている。わりときれい。でもすぐに住宅に呑み込まれて歩いて5分でまわりきれる。
もっとも、これは世田谷区と杉並区に共通する印象なのかもしれない。一度、区内の駅を全駅探索とかやってみようか。

さて、今日はかなり風が強くて寒い。西へと向かう道は当然ながらゆったりとしつつも確実な上り坂になっているので、
ペダルをこいでもなかなか前に進まない。しかも風がジャマする。吉祥寺の南口に着いたときには体の芯まで冷えていた。
とにかく昼メシを食ってどうにか燃料を補給しないと寒くてたまらん! 寒い日に食いたいものはなんだ? 味噌ラーメンだ!
脳内自問自答の結果、味噌ラーメンを食わないと死ぬ、という結論になったので、それっぽい店を探す。
ついでに駐輪できそうな場所も探す。吉祥寺は合法的に違法駐輪するのが難しい街なので、五日市街道まで出た。
(合法的違法駐輪……どっからどう見ても違法駐輪なのだが、なんとなく許せる気持ちにさせるような置き方をすること。)
そしたら味噌ラーメンの店もあったので、入る。大盛にしてもなかなか量が多く、非常にあったまった。味噌ラーメン最強。

メシを食うと途端に元気になる人間なので、自転車はそのままに、アーケードを駅のほうへと闊歩していく。
休日の吉祥寺は人出がめちゃくちゃ多くって、どの店も並んでいるように見えてしまう。活気があってよろしい。
あくまで個人的な印象なのだが、吉祥寺のアーケードは大阪・梅田のアーケード街に似ている気がする。
3年前、ワカメとの待ち合わせのために『オイディプス王』を読みながら時間をつぶしていた記憶が蘇る(→2004.8.5)。
ああ、また関西に行きたくなってきた。今度はしっかり庁舎建築の写真を撮って、ゲームミュージックCDを漁ってみたい。

PARCOやらLOFTやらを覗きつつ、街をあてもなくさまよう。吉祥寺のアーケードは、ただ歩くことを目的にできるからいい。
よくテレビに出るメンチカツの店に尋常でない行列ができていて、これにはたまげた。寒いのによくまあ、と。
あとは姉歯祭りでお馴染みの『クイズマジックアカデミー』の最新作(IV)があったので、しかもなぜかカードを持っていたので、
1ゲームだけやってみることにする。クラスやらなんやらはぜんぶ最初からのスタートになってしまって、
今までの努力が水の泡になっちゃった印象。実にがっくりである。しかもひとりだと全然やる気が起きないし。
「テニスの王子様=越前リョーマ」もわからず「ゴルフのドラコン=ドライビングコンテスト」もわからずミスしまくり。
それでもどうにか決勝ラウンドまで進んで、奇跡的に2位になった。やっぱクイズゲームは集団でやらないとつまんない。
IIIのときよりも誤答のダメージが大きい気がした。遅くても着実に正解をとっていかないと勝てないみたいだ。

まあそんな感じで、ここんとこの仕事&勉強の日々から少しだけ解放されてすっきりした。
帰りは西永福・永福町・新代田にも寄ってみて、ああやっぱり京王電鉄の駅周辺の印象って似ているなあ、と実感。
ミスドで一服して日記を書いて帰った。追いつきそうでなかなか追いつかないんだよなあ。


2007.2.3 (Sat.)

同じ東急ハンズでも店によって扱っているものが微妙に違う。
前に豊洲で買ったビニールのケースというか袋というかが、これがかなり使い勝手がよくって満足しているのだが、
唯一、サイズが小さいという点で困っている。B5サイズのケースを買ったのだが、ピッチピチで中身が取り出しづらいのだ。
で、これと同じシリーズでA4サイズのものを池袋から新宿、渋谷、横浜とハンズに行くたびチェックしていたのだが、ない。
しょうがないので意を決して、豊洲まで行くことにする。豊洲はけっこう陸の孤島なので、なんとなく行くのが億劫なのだ。

豊洲に行こうとした前回もそうなのだが、自転車で走っているとその行為じたいが楽しくなっちゃって、目的地を忘れる。
それで東京駅を突っ切ってしばらくしたところで、「あ! オレ築地方面に行くんじゃなかったっけな!」と思い出す。
ただ引き返してもつまんないし東京駅周辺は自転車では通りづらい場所なので、回り道して南に戻る。
それで日本橋から明石町の辺りをウロウロする、というのがどうもパターンになっている。これって老化現象なのか?
しかしやっぱり晴海大橋を渡るのは楽しい。周囲に人がいないことをいいことに、真っ白な快晴の日差しの中、
なぜか思いっきりダミ声で「た~~~のし~~~~いな~~~~~あ!」と叫びながら走る。アホですわ。

ららぽーと豊洲は今日もけっこうな人ごみ。わき目もふらずまっすぐハンズへと向かうと、バレンタインのコーナーが目に入る。
まるっきり別世界のことデスナーなどと思う僕には、ホントに月ぐらいの距離感がある。
手が届かないくせに、ついてまわっている感じもまたそうだ。まあそれはおいといて、驚いたのが、
絵本のグッズを売っている一角があって、そこで『はらぺこあおむし』のグッズを売ってたこと。
『はらぺこあおむし』はやたらとカラフルな色彩と穴のあいた仕掛けとが人気の名作絵本である(⇒これとか参照)。
そのあおむしの人形が天井からぶら下がっていた。いま見るとこのあおむし、かなりかわいい。
人形以外にもノートやストラップなどを売っている。ちょうど会社で乗っている自転車の鍵をなくしたところだったので、
こりゃスペアキーのキーホルダーにいいや、とストラップを購入。意外な買い物をしてしまった。
あとは当初の目的どおり、A4サイズのビニールケースも買った。ユニクロで靴下も買った。けっこう買い物してしまった。
キッザニア東京の際限のない行列に「ひえ~すげえなぁ~」と呆れたため息を漏らしつつ、ららぽーとを出る。

それから門前仲町まで出て、永代通りから日本橋周辺をふらふらして、やっぱ中央区はぜんぜん活気がねえなあ、
この活気のない秘密を探るべく、いっぺんきちんと走りまわらなきゃなあ、なんて思いつつ帰りましたとさ。


2007.2.2 (Fri.)

キリンラガーのCMでYMOが復活するっつーんでHPをチェックしてみたんだけど、うーん……。
新録音だという『ライディーン』もまったく魅力を感じないし、CMのコンセプトが全然理解できないし、うーん……。
なんつーか、昔はよかった的な復活に思えてうれしくない。前向きな印象がないのがなんとも。

そういえば、TSUTAYAの半額に乗じて、あらためて『テクノドン』を借りて聴いてみた。
1993年にYMOが一時的に復活したのだが、この『テクノドン』はそのとき出された唯一のオリジナルアルバムである。
当時僕はまだYMOにはハマっておらず、『LOGiN』の記事でベッドに寝て記者会見する3人を見て「へえ」と思ったくらい。
(『LOGiN』懐かしい……。僕にとっては中学時代における伊集院のラジオ的存在で、この雑誌でギャグセンスを磨いた。
 そういえば「サカつく5」の公式HPで忍者増田がインタビューを受けているのを発見。ホントお世話になったでござるよ。)
それから『イエロー・マジック・オーケストラ』から『サーヴィス』に至るオリジナルアルバムを聴いてバカハマりした後で、
『テクノドン』も聴いてみて、「アンビエントじゃん。しかも個性のない」と思いっきり落胆したのである。

まああれから時間もだいぶ経ったし、もう1回聴いてみたら案外よかったなんてこともあるかなー
……なんて期待をして借りてきたわけだが、評価は相変わらずだった。つくる必然性が感じられないアルバム。
バロウズとウィリアム=ギブスンを引っぱってきていることについても、ただ話題づくりのためにしか思えないのだ。
うーん、やっぱり1983年の散開の時点でYMOは死んじゃったか、とあらためて再確認した、そんな感じである。

で、そういう経緯もあって、今回のYMOのCMについては、もうやめときなよーというのが僕のスタンス。見ていられない。


2007.2.1 (Thu.)

今日もリポート書きである。来週が〆切になっているので、今週の過ごし方が勝負なのである。
できれば土日に負担をかけないように、平日のうちにやれるだけやっちゃえ、というのが今週の目標。

朝も昼も、メシを食いながらルーズリーフにリポートのプロットを書き出していく。
英語学(言語学)のほうは昨日奇跡的に素早く書きあげることができたので、今日は教職科目のほうに取り組む。
書くべき要点はわかっているので、あとはそれをいかに自然に盛り込んで構成をつくるか、である。
リポートだって論文だって小説だって、ストーリーを構築する点では一緒、と僕は割り切っている。
ただ、リポートや論文は調べた内容しか書いちゃいけないってだけのこと。
その条件にさえ気をつければ、文章をひねり出すという行為に変わりはないのだ。

午前も午後も仕事は相変わらず、赤ペンでの校正作業。いいかげん、ホントに手が限界。でも残業しちゃう。

そしてやっぱり家ではひたすらリポートを書く。僕はいつも、まずパソコンのワープロソフトで書くことにしている。
で、それを見ながらリポート用紙に書き写していく、というスタイルをとっている。
(通信でのリポートは手書きでないとダメなのだ。これはよく考えれば当たり前の話である。)
昨日パソコン上で仕上げたリポートと2本分、手書きで専用の用紙に書いていく。手が痛くて痛くてたまらない。
今日は今までの人生でいちばん長くペンを握っていた日だと思う(10代のときにろくに勉強しとらんし)。
まあ、土日に取り組む予定だったリポートが今日できあがっちゃったので、うれしくってこんな痛みなんかへっちゃらだけど。


diary 2007.1.

diary 2007

index