長野県のガソリンは高い。理由は簡単で、海から運んでくるのに手間がかかるからだ。
特に南信は県内でもトップクラスの単価になっている、と言われている。
で、実家はずいぶんと倒錯した状況になっていて、「ガソリンを入れにいくか」と県外へ行く。
まあさすがに冗談半分だとは思うものの、上記のような事実を言い訳にして、土岐のアウトレットへと向かう。土岐には今年の年明けにも来ているわけで(→2006.1.2)、僕にとっては年末年始の風物詩になりつつある。
大晦日で「いつも(いつも来ているのかよ!)より少ない」とは言うものの、それなりの人出である。
相変わらず僕には見るところがない。潤平のしゃべるファッションの歴史とお国柄の違いの話を聞いて歩く。
アニキはイギリス系だと思う。イギリスはスタンダードなんだ。これはつまり褒めてるんだ。
みたいな感じで言われても、それが理解できるほどのアタマがないので困る。豚に真珠、猫に小判。
まあとりあえず、将来一張羅を買えるほどお金が貯まったら、潤平にアドヴァイスしてもらえばいーや、と思う。
世の中、自分の近くに詳しい人がいると、それにつられて詳しくなるか、すべてお任せになってしまうかの両極端なのだ。サッカーに興味のある人が、サッカーを通して世界史や地理に詳しくなっていくことは大いにありうる。
それと同じようにして、ファッションに興味のある人が、ファッションを通して勉強しちゃう、それだって可能なはずだ。
そして逆に、世界史や地理からファッションの知識を得ていくことだってできるはずなのだ。
そう考えると、明らかに僕は勉強をサボっているのである。サボりぐせがついたまま、ここまで来てしまっているのだ。
きちんとチェックすればそういう本はいくらでもあるんだろうけど、中高生向けではないものか。あればぜひ読みたい。
あと、そうしてファッションを通して勉強すると、必然的にヨーロッパ・北アメリカに偏ってしまいそうな気がする。
まあそういう事実も含めての世界史・地理を学ぶってことになるのかもしれないけど。そうだなあ、政治と世界史とファッションを面白おかしく総括する本を読んでみたいなあ。
(たぶん今まででいちばん、書き出しから〆までの話題がズレた日記。)
名古屋で遊んだ。ああやってこうやった。
◇
これは潤平が小学生のときに残した伝説的な日記へのオマージュである。
が、さすがにそのままこれでオシマイ、というのもアレなので、もうちょいきちんと書いておこう。北陸旅行の帰りに名古屋に寄って(→2006.11.5)、CD屋がなくて愕然として、以来どうしても欲しいCDが見つからない。
東京から名古屋は遠いのだが飯田から名古屋は感覚的にぐっと近くなるので、やることもないし、行くことにしたのだ。スカスカのバスに揺られて2時間ちょっと、名古屋駅のバスターミナルに到着。
さっそく予備校時代にさんざんお世話になったバッティングセンターへ行く。
かなり久々だが、球はよく見える。もう少しでホームラン賞という当たりがけっこう出たのだが、その数センチが当たらない。
まあそれでもかなり調子が良かったので、上機嫌で名古屋駅まで戻る。駅に着くと地下鉄桜通線に乗り(これを「チェリーする」という)、途中で乗り換えて矢場町へ。矢場町といったらPARCO。
PARCOをぷらぷらして、それからナディアパークへ。目的のCDはどちらにもあった。すげえよ名古屋、と感動。
そっからけっこうな人ごみでごった返している大須まで行って、寿がきやラーメンを食べる。これはもはや好例の儀式である。
でもその後、特に見たいところがない。だいぶ大須離れが進んだ感じ。淋しさをおぼえつつ若宮大通を栄方面に戻る。途中でAppleの直営店を見かけてiPod shuffleいいなあ、なんて思いつつ栄の交差点に到着。地下にもぐる。
そのままずんずん進んで東急ハンズまで。オヤジから建築模型の材料を頼まれていたので、それを買うのである。
で、バッグ売り場を見たらFREITAGがワンサカ置いてあった。アイテムの絶対数が多く、なかなか面白い柄もあったので、
ファンの人は一度チェックをしてみるのもいいかもしれない。さすがにあなどりがたし、ANNEXハンズ。
肝心の模型材料は無事に買うことができた。買うべき目標をすべて達成できて満足感にひたる。
すべてのフロアを見てまわると、地下鉄桜通線に乗り(これを「チェリーする」という)、名古屋駅に戻る。帰りのバスの時間が近づいていたので、あとは地下街を歩きまわって過ごす。
昼メシを食べたとき以外はここまでずっと歩きっぱなしだったので、カフェでパンを食べて一休み。
でもそうやって血糖値が上がると、やっぱり動きまわりたくなる。そんなわけで、セントラルタワーズのハンズにも行ってみる。
こちらはANNEXとは比べ物にならない大勢の人でにぎわっていたのだが、品揃えの規模は正反対。まあしょうがない。
そうこうしているうちにバスの発車時刻の20分前になったので、バスターミナルに移動する。
5時間の滞在では急ぎ足になってしまうが、来られただけでも満足しなければなるまい。
なんてったって目的のCDを手に入れられたんだし。そんなわけでニヤニヤしながら寝て帰る。◇
さて夜はテレビでダンス甲子園を見る。けっこう楽しみにしていたのだ。
しかしながら予選にしろ決勝にしろ、踊っている時間が短すぎる印象。
見ているこっちとしては、各チームの魅力を感じはじめたところでハイおしまいとなるわけで、どうにも不満。
エッジの利いている男子のダンスに比べると、女子のダンスにややパンチがないかなあ、と思った。
女装した男子・男装した女子という組み合わせでやったらウケるかもしんねーなー、とも。
選曲・衣装も含めてダンスの奥深さを思い知らされたわけで、自堕落な自分の10代と比較して悔しくなった。
実家に帰って「さあ勉強だ!」と張り切るものの、コタツに座っていたらテキストを3ページと読まないうちに寝た。
こりゃダメだ、と早々に諦めて、ファミコン・スーパーファミコンを取り出してゲームをおっぱじめる。
しかし長年使ってきたせいか、ファミコンはコントローラーが接触不良でボタンが利かない、
スーファミはROMの部分がやはり接触不良で途中で止まる。もういいや、とギブアップ。
そんなわけで結局ふて寝。非常にだらけた生活を送っております。
午前中で仕事が終わると、午後からは片付け。
結局、年内に新しい本の原稿を印刷所に入れることはできなかった。無念である。
さて、片付け。大量の予備ゲラやコピーを処分する。
しかしまだ捨てることができないものも多く、片付け終わってもあまりすっきりした印象はない。
そして納会である。会議室に社員全員集まって飲んだり食べたり。
途中で出てきた日本酒があまりに飲みやすいものだったので、気がついたらかなり酔っ払っていた。
フラフラになりながら家に帰り、ちょっと片付けをして、新宿へ。バスに乗って帰省。きしめん食って寝る。
藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』。会社の先輩にオススメされたので迷わず読むことにした。
主人公は神名平四郎。旗本の育ちなのだが正式な妻の子でなく、家を飛び出して浪人している。
道場仲間の北見十蔵・明石半太夫とともに新たな道場を立ち上げようとした矢先、明石が金を持ち逃げしてしまう。
北見は寺子屋の師匠として生計を立てているが、平四郎には収入のあてがない。
そこで「よろずもめごと仲裁つかまつり候」と長屋に看板を掲げ、夫婦喧嘩の仲裁から人探し、
さらには犯罪者との交渉まで引き受ける。最初は白い目で見られていたが、やがて口コミで仕事が舞い込むようになる。
一方、平四郎の腹違いの兄・神名監物は天保の改革で暗躍する鳥居耀蔵と対立する関係にある。
平四郎は仲裁屋と兄の警護を両立しながら、やがて再び道場を立ち上げようとする、というあらすじ。
あ、もちろん、今は離れ離れになってしまった、かつての婚約者とのやりとりもあり。『用心棒日月抄』シリーズ(→2006.10.11/→2006.10.30)では、主人公は用心棒として剣を振るいまくった。
しかし今回は仲裁が仕事ということで、世の中の困った問題を、なるべく穏便に金で解決する場面がほとんどとなる。
その分だけリアリティがあるというか、より生活感があるというか、実態に即しているような印象を受ける。
ただし当然、剣を抜く場面は少なくなる。監物の警護でバランスをとってはいるものの、ちょっと迫力不足なのも否めない。
せっかく平四郎だって剣の名人なのに。まあそんなふうに、読者ってのは贅沢なものなのだ。話がよく飛ぶ。これは『用心棒日月抄』と同じように、短編の連作というスタイルになっているから、
あまり一話を深く掘り下げる余裕がないことが原因になっている。どうしても、重要な場面を線でつなげる余裕がない。
しかし、どうしても飛ばされた部分が気になってしまうのである。たとえば、監物サイドで密偵の仕事をこなす仙吉が、
平四郎にアルバイトを頼まれて、仲裁屋のほうで必要な情報を仕入れてきてくれることが非常に多い。
そうなると、じゃあ仙吉にはどんなドラマがあるのよ?ということで、そっちのほうに意識が寄ってしまうのだ。
あまりに仙吉の存在が便利すぎて、なかなかどうにも。また、北見にまつわるドラマもややウェイトが軽い印象。
結局のところ、登場人物それぞれに魅力があるにもかかわらず、描かれる分量が平四郎に偏っているってこと。
主人公なんだからしょうがないんだけど、ちょっと一人称的な視点が強すぎるように思えた。今回の敵役である鳥居耀蔵は、直接姿を現すことがない。
配下を使ってネチネチ迫ってくるわけで、それはいかにも“妖怪”らしい(“耀”蔵・“甲斐”守で「ようかい」。念のため)。
しかしまあやっぱりその分、迫力不足になってしまうのだ。『用心棒~』で赤穂浪士と会うときほどの緊張感がない。
用意された設定は重要度の高いものばかりなので(仲裁をする、鳥居と戦う、婚約者を取り戻す、道場を開く)、
そのどれもをきちんと消化はするのはさすがなんだけど、その分、細部が犠牲になっている。ベテランらしい安定感があって、十分面白いんだけどなあ。読者ってのはホント、とことん贅沢だ。
自転車に乗っているときには、周りに注意しないと危ない。
危険予測が必要になる。それは動いている対象についてもそうだし、道の状態についてもそうだ。
音楽を聴いたり考えごとをしたりしながら自転車をこいでいるわけだけど、つねに気を配ることを忘れない。自転車に乗っていると、周りの風景はゆっくり近づいてきて、すぐに後ろへと去っていく。
ギブソン風に表現するなら、ヴィスタが連続的に更新されていくってことかもしれない。
頭の中で映像をうまく調整すれば、いま遠くのほうに見えている光景は未来の姿ということになるし、
記憶に残っているついさっきの光景を思い出せば、それは過去そのものなのだ。時間と空間がくっついている。そんな具合にして、僕は自転車に乗っていながら、正面だけでなく後ろの光景も見えているのだ。
というのは、いま道を走っていて、追い越した人や物があるとしよう。
頭の中で追い越す直前のその並びを思い出して鏡に映し、正面から見た姿に置き換えれば、
それは自分がいま真後ろを見たときの光景ってことになる。走っていて、その姿が容易に想像できるのだ。相対性理論では、光速に近づくと後ろの景色が前に見えるようになるという。
確かそんなようなことが、『まんがサイエンス』に書いてあったような記憶がある。
そして自転車に乗っていると、そのことがなんとなく実感できる。追い越す瞬間に見た光景が、すでに過去となる。
正面を向いたままでいても、過去という後ろの光景がまぶたに浮かんでくる。そんな感じなのかな、と勝手に想像している。
まあそうやって、僕はいつも全方向に注意をしながら自転車をこいでいるというわけである。
NORADのサンタクロース追跡サイトが日本語に対応するようになっていて驚いた。
こうやって子どもはどんどん、僕らにとって新しいことを、当たり前のものとして消化していくんだろうなあ。
いよいよ大学の試験である。クリスマスイヴなんて、そんなもん、まったく関係ないのである。
昨日の勉強で要点をルーズリーフにまとめておいたので、それを見たりテキストを見たりして過ごす。
でもそのうち、本番が近づくにつれて、ドタバタするのをやめてiPodで音楽を聴きだす。
昔っから直前にジタバタ動くのは嫌いなタチで、どうもそういうところは受験のときから変わっていない。周りを見てみると、けっこう女性の姿が多い。20代半ば~おばちゃんまで、幅広い。
男は僕を含めて学生の匂いを残している人が多かったように思う。ひとつの教室に200人ほどが入っている。
僕が所属している英文学専攻は学生番号で学生を2つに分けて試験をやるわけで、
こりゃなるほど、けっこうな人数が通信教育を受けているんだなあ、と変に実感した。で、いざ試験開始。昨日の勉強が効いて、あれこれ思い出しながら順調に文章を書いていく。
こういうインチキ文章をこねくりまわすのはホントに得意なんだなーと実感しつつ、右手は動き続ける。
まあそんな具合に、4つのテストを無事にこなした。成績が出るまで油断はできないが、最低限のパフォーマンスはできた。◇
帰ってきて、延滞していた『櫻の園』のDVDを見る。
以前にも見たことがあるけど(→2003.11.6)、なんとなく見たくなってしまったのでまた借りたのだ。物語は等速度で、なめらかに続いていく。決して平坦ではないが、しかし大きな落差もない。
一緒に借りた『下妻物語』が短距離のインターバル走なら、こちらは完全に長距離走である。
尋常でないスタミナでもって物語が紡ぎ出されていく。しばしその世界の中に引き込まれて楽しむのであった。
テスト前スクランブル態勢ということで、朝起きてさっそく勉強。
英語についてはハイペースでこなしていき、なんとか午前中に終わらせることができた。
それから大森まで気分転換のサイクリングに出て、昼メシ&ベーグル購入。
そんでもって家まで引き返すと、今度は自由が丘に出て髪の毛を切る。
サッパリすると家に戻って勉強を再開。わりと余裕を持って、ノートへの要点の書き出しをしていく。
テスト勉強なんて生まれてこの方やったことがないので要領がわからない。
とりあえず最低限のことを書きながら覚える、という方式で準備を進めていく。
全科目の準備が整うと、風呂に入って寝る。
ヘッドフォンの話をしよう。
僕は中学生のとき、PC-9801というパソコンをいじって遊んでいた。
このパソコンは本来ビジネス向けだったので、BEEP音しか出ない。
しかしそれじゃあつまらないってことでサウンドボードを載せた。FM音源×3とSSG音源×3が使えるようになった。
以後、MIDIに手を出し、シーケンサーを買い換え、ずっと音楽をやってきた。最近は全然やっていないけど。コンピューターを使ってカヴァーやら作曲やらをやっていると、必要になるアイテムがある。ヘッドフォンだ。
最初は安物を使っていたのだが、買い換えるたびにだんだんそこそこいい物にステップアップしていった。
ヘッドフォンというものは、価格の差がけっこうわかりやすく出るものだ。そしてどこで妥協するかで性格が出る。さて、ヘッドフォンを使って曲をつくる。FM音源はモノラルだったが、MIDIになるとステレオで音を割り当てられる。
最大の数値を128とし、64をセンターとする。64より数が多ければ音は右に寄り、少なければ左に寄る。
僕の使っていたソフトでは、そのようにして左右のバランスを設定した。音を目立たせるために、わざと中央から少しずらす。
そうやって各音の特徴を引き出しながら鳴らしていく工夫に明け暮れていたものだった。で、そうやって右か左かの格闘をしていると、どうしてもこういう考えに至る。
「なんとかして音を前後に配置できないか。今やっていることは数直線上のやりとり、1次元だ。2次元にならないか。」
つまり、ヘッドフォンは右と左の2つの要素しかないが、これを前後方向にも音が認識できるような工夫はできないものか。
そう考えるようになった。考えるだけで実験してみないところが僕の器の小さなところなのではあるが、
ともかく全部で6方向、左右それぞれで前中後ろと音を分けて配置できないかなあ、とずっと考えていたのである。
聴覚が対象にする空間は前方に偏っているから、現実にはありえない頭のすぐ後ろで接する音とか面白いはずなのだ。
よく考えたらこれは5.1chと同じことである。それをヘッドフォンという環境でできないか、と思っていたわけだ。
当時は骨伝導なんて発想はなかったわけだけど、今の技術であれば、これはがんばれば実現できそうな気がする。ところが、僕はそう思っていても、世間でそういう需要はほとんどといっていいほど存在しないようで、
10年経ってもヘッドフォンはヘッドフォンのままだ。5.1chでウハウハ言っている人も、今までに見たことがあるのはひとりだけ。
(ただ、その人の部屋におじゃました際に5.1chを体験してみて、おお!確かにこれはすばらしい!と思った。)
つまり世間の圧倒的な大多数は、現状の2つのチャンネルで満足しているということなのだ。必要性が感じられていない。
そもそも、チャンネルが2つだけなら情報は右と左の2種類で済む。チャンネルが増えれば、それだけ情報が必要になる。
そのコストや手間を考えた場合、耳の数と同じだけでいいや、ということになっているということなのだ。
つくる側の欲求と、受け手の満足。そのバランスが2という数字で保たれている。おそらく、これは変わることがない。僕はそれほど音質にこだわりを持つタイプではないと自分では思っているのだが、音を鳴らす側の立場で考えた場合、
やはり、チャンネルの数を多くして遊んでみたいという気持ちがいまだにあるのだ。
いつもイヤフォンや安物のスピーカーで済ませている音楽を、たまにヘッドフォンで聴いてみると、
やっぱり前や後ろから音が聞こえてこないことが悔しくなるのだ。
YMOの散開ライヴを収録したアルバム『AFTER SERVICE』について、あらためてきちんと書いておく。
今までは、ほぼ同じ内容だがミックスの異なる『COMPLETE SERVICE』のほうに慣れていたが、とにかく音がまったく違う。
リマスタリングされたことで奥行きと各音の明確さが際立っているのだ。音の一粒一粒というのは変な表現かもしれないが、
それが鮮明に聞こえる。画像ファイルでいうところの解像度が段違いに上がったような、そういう印象。
聴いていて23年という時間の差を全然感じさせない(1983年のライヴなのだ)、鮮やかさがあるのだ。そして、声もまったく違って聴こえる。今までの音源に慣れていたせいか、別人の声にすら聞こえてしまうくらいだ。
かつて岩崎マサルは初めてメガネをかけたとき、「世界がケバい」という名言を残したが、まさにそれと同じである。
ケバいと感じてしまうくらいに音が強く聞こえる。大きいのではなく、本当に「強く」聞こえるのだ。
それでいてバックの音と打ち消しあわないことこそが、音質が向上したということなのだろう。このライヴの演奏は大好きなので昔っからよく聴いていたのだが、リマスタリング音源に出会ったことで、
新しい魅力を感じている。23年前の音がまた美しくなって蘇るってのは、昔と比べればいい時代になったんでしょうなあ。
手書き原稿では、拗音(ゃ・ゅ・ょ)や促音(っ)にも下つき文字の指定をしていかないといけない。
その作業をしているうちに、気づいたことがある。日本語で拗音が使われる機会は、圧倒的に熟語が多い。漢字の音読みとして使われることがほとんど。
そのため、漢字で隠れてしまって、書き言葉では目に見える形で出てくることが極めて少ない。
ただし、外来語のカタカナ表記で使われるというパターンはそれなりにある。
一方、促音は非常によく登場する。これは、日本語の音便に促音便があるため。
動詞が活用して連用形になるとき、促音便が発生することがある。そのため、「っ」の使用頻度が比較的高いのだ。それにしても、手書きの原稿ってのはなかなか面倒くさい。けっこう気づかず促音をスルーしてしまう。
また、著者によって字のクセがあり、慣れるまで少々時間がかかるのも大変。
いま作業している著者の字もけっこう特徴的で、誤植とか大丈夫かなあ、とそこそこ不安である。
もっとも、原稿を見たベテランの方からは「わりと読みやすい字だね」という声がチラホラ。僕にはそうは思えないけど……。
上には上がいる、ということか。きっと、テキストファイルで入稿できる今って、昔と比べればいい時代になったんでしょうなあ。
日記を書いていてつまんない病にかかっております。
文体が固まってきちゃっているし、扱っている内容も多岐にわたっているわけじゃないし、ということで、
書いていてもどうにも楽しくない、という状態になっているのであります。
そうなると、自分が楽しめてないものを他人が楽しめるわけがないだろーとなって、
そんなら日記を書いてネットで公開する意義なんてないだろーとなるわけで、
いつものごとく、やめちゃおっかなーと考えだしているわけである。
でもまあしかし、元気づけてくれる人もいることはいるわけで、とりあえずやめるのはよそう、と考え直す。
しかし調子が上がるまでしばらく休みたいなあ、と思う。そうして日記はたまっていき、また書きづらくなっていく。
悪循環である。
有給をとった。要するに、週末のテストに向けて勉強&コンディション調整のため。
そんなわけで、サイクリングでのんびりと過ごすことにする。帰ってからは勉強。
地味な毎日だなーと思うが、今はじっくり、地道にやるしかないのである。なんか毎回こればっかりだな。
ふと世田谷区の京王線沿線地帯でも行ってみようかな、と思い立つ。
世田谷区は東京の23区で最も広い。そして、さまざまな私鉄によって切り取られている。
私鉄の駅には小ぢんまりとした独特の雰囲気がある。それをのんびり味わってみようか、と思ったのである。環七で甲州街道まで出ると、西に進路をとる。そうして、桜上水まで行ってみる。
北口の細い道を駅まで進む。住宅地の中にパラパラと店舗を撒いた、そんな印象。
線路を渡って南側に移動すると、店なんてほとんどなくって、すぐに住宅地になってしまう。
ちょっとはずれたところに日本大学文理学部と日大桜ヶ丘高校がある。とにかく、閑静。
桜上水駅は乗り場が4つあって規模が大きそうなイメージがあったのに、周囲はものすごくおとなしい。意外だった。そのまま東に戻って下高井戸駅へ。下高井戸駅には大学時代に一度、来たことがある。
東急の世田谷線の駅もあるので、そこそこ周囲は複雑。それが私鉄の醍醐味なのである。
で、途中で鯛焼き屋を発見。なんてステキな街なんだ!と感動する。ぜひとも食べたい。
しかしけっこうな行列ができている。しかも進む気配が全然ない。しょうがないのであきらめて、探索を続ける。
下高井戸は、隣の桜上水とは対照的に、ずいぶん賑やか。いかにも私鉄らしく曲がった駅への道を、
無秩序に人々が歩いている。大学生っぽい人が多い。日大文理学部の最寄り駅は隣なのだが、
もしかしたら下高井戸のほうが商店街が充実しているので、わざわざこっちで降りて歩いているのだろうか。
そうだとしたら、その気持ちはわかる。気取ってないけど品はある、そういう印象があるからだ。
生活するには便利でうるさくない、いちばんいいバランスの街かもしれないなあ、と思った。続いて明大前へ。明大前には大学時代にけっこう来ていて(明治大学和泉校舎にクイズ関連で行ったのだ)、
あらためて自転車で駅の正面にまわり込んでみると、すごく新鮮だった。
京王線にとっては非常に重要なターミナル駅なのだが、周囲は繁華街になっているわけではなく、
その重要性のわりにはおとなしめの印象を受ける。近くの甲州街道が騒がしい程度。
商店街の範囲もむしろ下高井戸より狭いくらいで、じっくりまわってみて拍子抜けしてしまった。メシを食って元気が出たので、勢いあまってそのまま新宿まで出てしまうことにする。
甲州街道をひたすら東へ、東へと進んでいく。やっぱり交通量が多くて歩道が狭いので走りづらい。西新宿では、都庁舎議会棟の脇を通る。と、ホテルの前で外国人の皆さんが大挙してバスに乗り込んでいる。
そのバスも10台ほどの数が並んでいる。中でみんな白と赤のシャツを着込んでいる。何ごとだ?と思う。
歌なんか歌っちゃって陽気に騒いでいるのだが、そのシャツを見ているうちにようやく事態が呑み込めた。
彼らは、クラブW杯に南米代表で出場しているインテルナシオナルのサポーターなのだ。
今日はバルセロナと決勝を戦うわけで、金持ちクラブに意地を見せるべく、今から盛り上がっているのだろう。
ブラジルから来てわざわざちゃんとしたホテルに泊まって、けっこうサポーターって金あるんだなーと妙に感心した。
それと同時に、昨日は川崎でフロンターレのイベントを目にしていたわけで、2日連続の偶然に、
日本という国にサッカーというものが着実に根づいていることを実感したのであった。◇
試合はインテルナシオナルが勝利。サポーターを目にしたことや判官びいきで、なんとなく僕もうれしくなる。
それにしても、バルサが負けて号泣した少年の写真は、あれはホントにいいところをよく撮ったなあ、と感心した。
ふらっと川崎へ行ってみる。環八を走っていたのだが、途中で知らない道を走りたくなって、
右折して多摩堤通を行く。下丸子のキヤノン地帯を走り抜ける。大田区民でありながら、来るのは初めてなのである。
多摩川に近づくにつれて、大規模なマンションが目立ってくる。まるでニュータウンのようだ。
そして川にぶつかると、わりと小さめなサイズの橋が架かっていた。その名も「ガス橋」。たもとの交番も「ガス橋交番」。
ローマ字表記は「Gasubashi」。もともとガスを通していた橋を、人も渡れるようにしたとのこと。
中原街道の丸子橋と国道1号の多摩川大橋の間にあり、確かに地元住民には便利な存在だ。
Wikipediaにもちゃんと載っているので、暇な人はチェックしてみましょう。デジカメ持ってくりゃよかったな、と思う。まあそんな具合に川崎市に入る。多摩川の堤防を走る。河川敷のサッカーグラウンドは大繁盛。
ぷらぷら走っていると、国道1号にぶつかる。なんとか横断して堤防に戻るが、アスファルトの舗装から砂利道に。
まだ水たまりが残っている競馬の練習場を眺めつつ、南下していく。堤防から下りると戸手4丁目。
以前の姿(→2003.9.12)が完全にかき消されるクリアランスの真っ最中。公権力ってすげえなあ、と呆れる。さてそんなこんなで川崎駅前に到着。ウロウロしているうちに、駅の南西にあるラ・チッタデッラに初めて入った。
川崎名物であるハロウィンでは、ここが仮装をした人たちでいっぱいになる、という映像を見たことがある。
実際に行ってみると、表面的にはすごく徹底している印象があるのだが、なんせそこは川崎。
一歩外に出れば現実に引き戻されてしまうわけで、なんだかすごく浮いている印象がした。その後はDICEで本を買ったり東急ハンズをひやかしたりして過ごす。なんだか川崎に来るたびにこのパターンだ。
さらに駅の方に行ったら、ヨドバシカメラの入っている丸井で川崎フロンターレのキャンペーンか何かをやっている模様。
なんでも我那覇と中村憲剛のトークショーをやるらしい。正直、それは見たい。
しばらく待っていたら、女性司会者に続いてNHKの解説でおなじみの宮沢ミシェルが登場。
そしてついに我那覇と中村憲剛がステージに出てきた。なんとなくホスト気味な(失礼)雰囲気の漂う我那覇に対し、
中村憲剛は街を歩いていたらただの大学生にしか見えないってくらいフツー。しゃべりも極めて実直だった。
ただ、ふたりともものすごく体脂肪率が低そうな感じの顔つきをしていて、自堕落な生活を戒められた気分になった。
だいたい5分ぐらいその様子を眺めて、その場を後にする。ステージを高くつくっていたので、遠くからでもよく見えた。
地元密着感というか、「うちの街のチーム」っていう雰囲気があって、なんだかすごくうらやましかった。
デジカメ持ってくりゃよかったな、と思う。なんとなく瓶のコーラが飲みたくなったので、ハンズにもう一度行く。エスカレーター脇の自販機で買えるのだ。
そして稲毛神社の前まで行って、自転車にまたがったままでコーラを飲む。贅沢なものである。
ちなみに僕は歯で瓶ビールやコーラの王冠をはずせるので、こういうときには便利である。
犬歯と奥歯の間に位置している下の歯を使って王冠をはずすのだ。まったく自慢にならないスキルだが、まあ便利である。国道15号を戻って大森海岸へ。そこから大森駅前に行き、カフェで日記を書き、アトレでベーグルを買い、環七へ。
途中で旗の台にあるTSUTAYAに寄る。半額キャンペーンに乗じて、『下妻物語』のDVDを借りる。ついでに『櫻の園』も。
どっちも二度目になるのだが(→2005.7.12/→2003.11.6)、見たいんだからしょうがない。休日とはかくあるべきなのだ。で、家に帰って『下妻物語』を見る。やはり面白い。長距離走ではなく、短距離のインターバル走という印象。
小説の世界観をそのままに、それを完璧なキャスティングでおまけもつけて再現しきっている。
自分の頭の中で想像したことを100%、いやそれ以上に相手に伝えきっている、そういう作品。
なんだか買って手元に置いておきたくなってきた。こりゃまずい。でも面白い。ああもう満足。
朝9時、今日は一気に仕事をこなしてしまおう、と気合を入れる。
ここんとこ、次から次へと切れ目なく仕事が舞い込んできていて、息がつけない。
それでもなんとかこなしていって、今日予定どおりにやれれば、一段落つく――そういう状況なのである。それで無理難題をふっかけてくる著者の要望を印刷所向けにやんわり翻訳していく、そんな作業を集中してやる。
そしたら途中で、こないだ別の先生に渡したゲラが戻ってきたので、そっちの作業に移行する。
これまた無理難題をふっかけてきて、ドタバタの挙句に泣く泣く要求を呑んだといういわくつきのやつで、
目次や索引のズレをひとつひとつチェックしながら修正していく。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と同じように「著者が憎けりゃゲラまで憎い」と言いたいが、そこはぐっとガマン。
そうして昼休みでいったん休憩、神楽坂まで自転車で移動して読書をしつつ食事。でもすぐ戻って、また作業。
午後になって仕事をひとつ仕上げると、元の作業に戻る。そしたらまた途中で、別の本のゲラが出てきた。
読んでいる暇もなく、作業を続行。図を差し替える必要が出てきたので、しょうがないので自分で描く。
Macの前に座ってIllustratorを起動、線を引いたり円を描いたりしてさっさと完成させる。
上司にチェックを入れてもらう間に、新しい本の原稿に赤を入れる。よりによって手書き原稿なのだ。
由緒正しい校正記号を入れながら、シリーズの既刊の本を見て著者のクセを調べる。
そうこうしているうちに上司チェック終了、引用されている文献の出典が明記されてない、とダメ出し。イージーミス。
しょうがないので、著者の先生に電話して確認。30分後、FAXが届いて無事に解決。
そんなこんなでようやく、当初の予定をクリア。ちょっとの間、呆ける。
でもまだ仕事は残っているのだ。さっき届いたゲラもあるし(でもこれは予定より1週間早いので来週にまわしちゃう)、
手書き原稿のやつの図をトレースしておきたい(これはモタモタしているとズルズル遅れるので、早めにこなしたい)。
てなわけで残業。再びMacの前に座って線を引いたり、円を描いたり、文字を打ったり。今日ぐらいは勉強サボってもいいよね、ねえいいよね?
嶽本野ばら『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』。中島哲也監督で映画化された作品(→2005.7.12)の原作。
固有名詞の使い方が上手い。固有名詞をたくさん出して、知っている人にはふーんと思わせ、
知らない人には勝手にイメージを喚起させる。そうしてセリフ回しの部分でイメージを修正させて、正しい姿へともっていく。
このテクニックが実に上手い。だから読んでいくうちに、だんだん映像が明確になっていく、そういう印象を受けるのだ。
文章が一人称の話し言葉なのもその効果を狙ったもので(無意識にやっているとしたらそれはそれで非常にクレヴァー)、
横で他人のしゃべっているまったく知らない内容の話が、聞いているうちにだんだん具体的にわかってくる、その感覚がある。
そしてそれが、たいていの人には“別世界”であるロリータファッションのことを、うまく呑み込ませる優れた方法になっている。
嶽本野ばらはファッションに関する語彙が非常に豊富であり、容赦なくそれを読者に投げつけてくる。
読者はそれを仕方なく受け止めるしかないのだが、読み進めていくうちに、なんとなくわかってくる。
そうすれば、もう、楽しめる。これはある種、SFの才能と言えよう。まず、ブリブリのロリータとギンギンのヤンキーというありえない組み合わせが最初の発想にあって、そこに友情を噛ませる。
そうしてできた、比較的つくっていく経緯のわかりやすい話なのだが、これがきちんと面白い。
ありえない組み合わせだからこそ生じるズレをうまくギャグに変え、主要な人物をふたりに絞ることでテーマの濃度を高める。
だから筋は非常に単純なんだけど、くっついている飾りの部分がとても魅力的なのである。
それはつまり、ヒラヒラ満載のロリータファッションと共通している。そういう目に見えない部分でも、一貫性を持っている。ファッションに興味がないとこの話は書けない。ヤンキー文化もロリータ文化も、まずその服装あってのものである。
ヤンキー文化が比較的わかりやすいというか、接点が世間で豊富なのに比べると、ロリータ文化はやや遠い位置にある。
そのために、ロココという歴史的経緯から入ってロリータ文化を説明していく、そういうところから話がスタートするわけだ。
そして主人公たちは、それぞれのファッションを受け入れる、つまりそういうキャラであるということで、自然と造形される。
つまり作者は、内面からではなく、完全に外面から主人公たちをつくっているのだ。
だから読んでいて、具体的な顔が思い浮かばなかった(運よく(?)深田恭子と土屋アンナを想像しないで読めた)。
それはつまり、中身はないけど型としては存在しているってことで、主人公たちがまさに服のような存在なのだ。
誰でも着ることができる。着るという行為を選択することで、その立場をとれるということ。誰でもその役になりうるということ。
この方法論は、僕は今まで少しも想像したことがなかった。ひどく斬新なものに触れた感じがした。読み終えたら猛烈に映画のほうの『下妻物語』が見たくなってきた。めちゃくちゃ見たい。いてもたってもいられない。
週末になったらDVDを借りてくるのだ。
悲しいことだが、ここに宣言をしたい。今週をもって、伊集院のラジオのヘビーリスナーを卒業するのであります。
思えば僕が浪人しているときにも、伊集院のラジオは聴いていた。
名古屋じゃ直接は聴けなかったが、トシユキ氏がテープをくれて、それを擦り切れるほど聴いていたのだ。
それで大学に受かって上京したら、もうしめたもの。毎週毎週、きちんと欠かすことなく聴いてきたのである。
そして、それらはテープに録音して保存していた。なぜかはわらかないが、大切に保存していたのだ。
大学院入学後、ダンボールいっぱいのテープがジャマになるのでMDに移した。
その際、計50回分のテープを紛失していることに気がついた。絶頂期のテープだったので、今でも本当に悔しい。
しかしそれにめげることなく、毎回毎回MDに録音を続けた。うっかり忘れることもたまにあったが、録音し続けた。
そして通勤電車の中、ポータブルMDで聴いた。CMや曲を編集しつつ、聴き続けた。ここんところの伊集院のトークは、表現上での冴えはちっとも衰えていないのだが、扱うテーマがどうも内向き。
特に最近はサイクリング部の活動についてのトークが目立つようになり、個人的には不満だった。
そしてスペシャルウィークをサイクリングとリクエスト曲でやる、ということで、もう潮時だと判断したのだ。ラジオでしゃべるということと、このようにちまちま日記を書くということはまったく違うわけだけど、
他人から見て、それに触れたときに感じる面白さという点では、共通点を持っている。
僕はその辺を「タダだから」「親しい人向けだから」というエクスキューズで割り切っているのだが、
最近の伊集院のラジオを聴いていると、内向きになることがもたらすつまらなさということが、ものすごく怖く思える。
こうして自分の書いている日記が、実は究極的に面白くないもので、「親しい人」ですら楽しませられない、という怖さ。
あの伊集院のラジオでさえそうなっているんだから、いわんや僕の日記をや、というわけである。
やるからにはやっぱり、使用前と使用後で1.15倍くらいお得な気分にさせられるような日記を書きたいと思っているし。まあとにかく、伊集院のラジオはもう聴きません、ということにしたわけである。
あんまり喪失感がないのは、もうしばらく前からそういう予感があったからなんだと思う。
そのせいか、とにかくいま考えているのは、「もうびゅく仙の日記は、いいや」と言われないようにしたいな、ということ。
まあ日記に限らず、飽きられない人間を目指したいなあ、なんてぼんやり思う。
(飽きられない人間になるよりも、呆れられない人間になる方が先だ、というツッコミが入りそうだ。)
山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』。昭和37年(1962年)に直木賞を受賞。
元・国立市民としては、山口瞳は読んでおいたほうがいいかなあ、と思ったわけでございますな。ただひたすら、東西電機のサラリーマンで社宅暮らしである江分利満の生活が描かれる。
本当にただひたすら、その日常生活が丁寧に等速度で描かれるだけなのである。
江分利満は当然「every man」ということで、作者をモデルにしてはいるものの、ごく「ふつうの人」である。
ふつうの人のふつうの暮らしをただ描く、それだけ。しかし文章のリズムがやや独特である。
日常のさまざまな場面を断片的に切り取るのだが、文章は何気なく始まり、何気なく終わる。書かれた時代が高度経済成長の入口ということで、戦争が終わって混乱した状況を微妙に引きずりながら、
やがて来る猛スピードの時代の加速度がチラチラ姿を覗かせる。そういう風景がばっちり捉えられている。
昭和という時代を理解するのに最も適した素材といえば、たぶん長谷川町子の『サザエさん』なのだが、
この『江分利満氏~』は、ヴィヴィッドな記録という点で、『サザエさん』に似た印象を残す作品なのだ。
1960年代前半が舞台だが、第二次大戦という過去、高度経済成長という未来に接続していることがよくわかり、
時間につながれた現在が克明に描かれていて、どんな映像よりも正確な資料に思えるのだ。読んでいると、人間として(日本人として?)いつの時代も変わらないものがあるのがわかる。
そうして1960年代を眺めることで、反射的に現在を考える。いろいろ、あらゆることを、考えてしまう。
会社の忘年会があった。昼間に出かけて、ものすごくイヤなことに出くわして(これはいずれオブラートに包んで書くだろう)、
精神的にはそれどころじゃねーってばよ、もう。と言いたくなる状況だったのだが、出ないという選択肢は存在しない。
それに、出て損するように感じたらオシマイ、という強い意識もあるし。物事は積極的にいかないといけないのだ。忘年会は、ビンゴやくじでプレゼントが出され、当たった人はカラオケを歌わなければいけない、というもの。
で、なんだかよくわからないうちにBINGOが3番目に当たり、賞品をもらってしまった。
ミルフィーユチョコセットで、ダイエット中には正直うれし厳しい賞品である。まあ、食べますけどね。ピーターのデビュー曲である『夜と朝のあいだに』を歌う。忘年会で歌う歌なのか?と自問自答しつつ熱唱。
ベテランの皆さんが「お前はいくつなんだ」とツッコミを入れてくるが、僕は人よりもちょっと音楽をよく聴くだけなのだ。
最近はまったく聴く暇がないのだが、なんとかいろいろ聴いていきたいという意志だけは持ち続けたいものである。そんな感じで忘年会は終了。やっぱり酒に弱い。月曜からこれとは、今週は先が思いやられる。
偶然、朝起きてテレ東の『セサミストリート』を見る。
エルモの語尾の切り方は、安田大サーカスのクロちゃんにものすごくよく似ている。
この日記で書いているように、僕は本来セサミ大好きっ子なのだが(→2006.9.1)、テレ東セサミは見ていて悲しくなる。
エルモは超かわいい、でもこの内容をなんとかしてくれ、ああでもエルモかわいい、でもやっぱこの内容キツい、
そんなのの繰り返しで放送時間が終わる。衛星放送やケーブルテレビだとアメリカのセサミをそのまま見られるのだろうか。
将来金持ちになったら……けっこう気になるところだ。それにしても安田大サーカスのクロちゃんは、ダメ人間なところをアピールさせられるキャラになってからはバッチリ面白い。
正直、初めて見たときにはここまで長持ちするとは思わなかったけど、いやーやるなあ、とセサミを見ながら感心した次第。◇
昼間は運動しなければ!ってことで、自転車をこぐ。
なんとなく秋葉原へ行って、まだ入手してなかったYMOのライヴ盤『公的抑圧』と『アフター・サーヴィス』を購入。
あとはヨドバシカメラの有隣堂に寄って文庫本をがっつりと買ってきた。至福である。
今こうしてYMOを聴きながら日記を書いているのだが、これがもうすごくよくってうひひひひ勉強にならねー
昼間は超ダラダラ過ごす。雨のせい、ということにしておく。
◇
さて、仮眠も終わってネットでJ1とJ2の入れ替え戦の結果をチェックする。
アビスパ福岡がJ1から落ち、ヴィッセル神戸が復帰とのこと。別に神戸に恨みはないのだが、ちょっと残念。
というのもアビスパには、J2に落ちそうでなかなか「落ちない」ことから受験生がアビスパグッズを買うという、
キットカット的おまじないがあるからだ。売る方も太宰府天満宮でお祓いを済ませてから売ったというから気が利いている。
まあそんな微笑ましいエピソードがあるのに、負けてしまってはなんだか損をした気分になってしまうではないか。
そういうわけで、アビスパのJ2陥落はけっこう残念なのである。そういえば去年、入れ替え戦で大爆発した甲府は無事にJ1に残留した。でもバレーがいなくなるとのこと。
ユニフォームのデザインが変更になるので、もしかっこよくなるんなら、ちょっくら応援しようかなあ、なんて気がしなくもない。
まあもし六連銭をトレードマークにした赤いユニフォーム(赤備え)のチームが長野県にできたら、そっちが最優先だけどね。
長野県は盆地ごとに文化圏が違うから、全県がサポートするチームなんて生まれっこないんですけど。◇
夜には英語のお勉強。遅々として進まないが、じっとガマンである。
英語の勉強をしていて、今はイギリスに関する英文をちまちま読んでいるという状況である。
で、その中でBBCという文字が出てきて、反射的にモンティ・パイソンを想像してしまった。
黙々と英文を読んでいると、あのバカバカしいコメディで気分転換をしたくなってくる。
映像ってのはけっこう時間をとってしまうものなので、そうホイホイと気軽に見る暇はないのだが、
なんだかすごく見たくなってきてしまった。そもそも英文ってのは辞書を引き引き読んでいくので、どうしても1巡目は時間がかかる。
2巡目以降はそれに比べるとスイスイいけるはずなので、じっとガマンして地道に取り組んでいくしかないのだ。
今、モンティ・パイソンのDVDを見てしまうと、なんとなく安易なほうに流れていってしまいそうな気がする。
とりあえずこの1巡目が終わったあかつきには、ごほうびとしてちょっとだけ見ることにしよう、と決める。
まあそんな感じでやっとります。
今日は本当にしっちゃかめっちゃかだった。総勢30名以上の先生方にゲラを発送する作業にてんてこ舞い。
手を動かす作業は意外と時間を食うわけだけど、まさかここまでとは……。参った。
しかしまあ、いくら時間があっても足りない気がする。もう少しなんとかならんもんかねえ。
エミリー=ブロンテ『嵐が丘』。海外の古典を読もう、と思ったので、毎朝昼にがんばって読んだ。
がんばらなくては読めなかった理由を、以下につらつら書いていく。ところで『嵐が丘』といえば、僕はモンティ・パイソンでメンバーが手旗信号で演じるスケッチをまず思い浮かべてしまう。
そのせいでヒースクリフという文字を見るたび、ヒースクリフを演じているテリー=ジョーンズを想像してしまうのである。
結局、最後までこのテリー=ジョーンズっ気は抜けなくって、なかなか苦労した。で、本題。まあとにかく、きつかった。登場人物がことごとく、性格がねじ曲がっているか思慮が浅いかのどっちか。
読むたびに必ずイヤな気分にさせられるわけで、もう最後には意地になって読むしかなかった。途中で投げ出したくなった。
「これがイギリス文学の最高峰のひとつ? イギリス国民はそれでいいわけ?」と何度思ったことか。
19世紀の外国の価値観とはそういうもんなんだ、と自分に言い聞かせて、なんとか読破した。
たぶんイギリス特有の階級社会というバックグラウンドを理解していないと、この話を正確には味わえないように思う。
貴族階級特有の困った側面、それに対する距離感が、日本の中流にどっぷり浸かっている僕にはわからないのだ。
もっとも、そのことを考慮したとしても、まったく魅力的な話には思えなかった。
19世紀なりのリアリティに富んでいる作品なのだろうけど、ダメだった。物語の手法としては、部外者であるロックウッドに、使用人であるネリーおばさんが過去の話を語る形式をとっている。
そうして、唯一物事を客観視できる人物を媒介とすることで、二世代にわたる愛憎劇を三人称的に紡ぎ出している。
今の感覚でいえば、このやり口はやや幼稚に見える。逆を言うと、極めてオーソドクスなスタイルである。
愛憎劇の結末を現在進行形でもってくる点は、確かに他の作品に比べると一味違う印象を与える。でもそこだけ。世間的にはヒースクリフとキャサリンの永遠の愛を描いた作品、みたいに言われているみたいなんだけど、僕にはどうにも、
ヒースクリフという邪悪な要素をいかに貴族階級が排除したか、キリスト教的な価値観で正義が勝ったか、
そこを描いた話にしか思えない。出てくる皆さん自業自得で自滅していく印象ばかりなので、よけいに落ち着かない。
登場人物を魅力的にしないと話って面白くならないんだなあ、と変に勉強になった。
食べすぎで体重が増えている、そんな現状を打破すべく、毎日節制を心がけていたところ、
昼間どうしょうもなく腹が減って困る、という事態に陥ってしまった。僕はもともと燃費のよくない子なのだ。
そうなると、メシの量はそのままに、太ることのない何かを口にすることで満腹感を得る、ということが必要になる。
あれこれ考えてみたのだが、なかなかいいアイデアが出ない。というのも、金がかかるからだ。
たとえば、スーパーで惣菜を買ってくるとする。たまの贅沢ならいいけど、毎回となると、ちょっと考えてしまう。
かといって空腹は待ってくれない。何もしなくても腹は減るのだ。そんなわけで、なんとか100円台で晩飯+αとなるものはないか、とスーパーを歩きまわって探してみる。
しかし、これがなかなか見つからない。値段としては菓子パン1個くらいが妥当な線なのだが、太るということを考えると、
できればそれは避けたい。太る要素が少なくて、腹を膨らませるだけの量になるものはないか。で、最終的に出た結論が、納豆である。納豆のパックを安く買って一気食いすれば、それなりの量になる。
それでいて脂分もないし糖分もないから、太る要素は少ないはずだ。炭水化物でもないし。
そういうわけで、さっそく納豆ライフのスタートである。そういえば以前にもこんな食生活をしていたっけ、と思い出す。しかし納豆だけでは飽きる。そこで、空腹に対抗するもうひとつの手段として登場したのが、ヨーグルトである。
ヨーグルトもこれまたよく食べていたのだが(→2001.10.21)、最近は全然口にしていなかった。
しかし、砂糖を入れないプレーンヨーグルトの一気食いは、十分胃袋の要求を満たす量になる。そういうわけで、納豆とヨーグルトでローテーションを組んで満腹になる作戦がスタートしたのであった。
どれくらいこの生活が続くかはわからないけど(けっこう途中で飽きてしまうことが多いので)、
とりあえず発酵食品バンザイってことで、毎日暮らしていくのである。
仕事で電気通信大学へ。今回は確率・統計の本の著者である先生にゲラを渡すためだ。
が、コートに入れた財布を持って行くのを忘れ、一緒に行った企画担当の方からお金を借りる破目に。本当に恥ずかしい。
いくつになっても、うっかりなところは直ってくれない。オレ本当に大丈夫かよ、と反省する。そんな師走のはじまり。それはそうと、仕事がボコボコとたまってきつつある。テトリスをやっているような感じで、次から次へと課題が降ってくる。
まあ、以前に比べれば、どこにブロックを動かせばいいかが多少はわかってきているのだけど、
だからといってミスが減っているわけではないので、ヒヤヒヤものである。
「一段落つく」という感覚がない仕事ってのも、なかなか難しい。テトリス棒なんて、そんなもん、全然来ないんですよ。
いま、大森に来ているのだが、アトレの中が大規模に改装されていて驚いた(今ごろ)。
ブックファーストが入って、本屋がものすごく充実した。これは非常にうれしい。
そんでもってBAGEL&BAGELも入って、簡単にベーグルを買って帰ることができるようになった。
なんだよ、ベーグルとはびゅく仙ぜんぜん懲りてねーなー、と思われるかもしれないが、
できたてで綿のように柔らかいベーグルは、小腹が空いたときに食べるおやつとしては間違いなく最強である。
ちょっとでも硬くなると、この独特の風味は味わえなくなる。できあがってから1~2時間くらいの勝負なのだ。
それを簡単に持ち帰ることができるというのは、僕にとってはかなり大きい。メシ食ってちょっと日記でも書くかな、
と思って来てみたら、うれしい発見。これからも大森にはちょくちょく出没してしまいそうだ。いやー、ホントうれしい。
今年の夏に自転車でJR鶴見線をまわるというバカをやらかしたのだが(→2006.8.6)、企業の敷地内にあるため、
海芝浦駅だけは行くことができなかった。それで本日、ようやくリヴェンジに行ってきたのである。念のため、海芝浦駅についての説明。海芝浦駅は、鶴見線・海芝浦支線の終点駅である。
駅の敷地はおろか、ここに来るまでの路線も東芝の敷地となっている。
そのため、手前の新芝浦駅までは徒歩や自転車で行くことはできても、そこから先は関係者以外入れない。
だから列車に乗って行くことはできても、そこから「出られない駅」としてその筋では有名なのだそうだ。まずは鶴見駅まで自転車で行く。鶴見線はだいたい1時間に1本なので、周囲のデパートをウロついて時間をつぶし、
発車時刻の10分前に列車に乗り込む。ちなみに、鶴見線は無人駅ばかりなので、ホームが隔離されている。列車が動き出したとき、座席は8割くらい埋まっている感じ。意外と人が乗っている。
国道駅で少し減り、鶴見小野駅でも少し減り、弁天橋駅でかなり減って、浅野駅でもけっこう減る。
この時点で乗っている人は、ほぼ100%海芝浦駅に行く人ということになる。
僕の乗った車両には2ケタ以上の人が残っていたので、自分のことは棚に上げて、ええいこのスキモノどもめ、と呆れる。で、新芝浦駅では誰ひとり降りることなく、そのまま海芝浦駅に到着。
ホームに出てみると、天気がよくって運河の向こう岸がはっきり見える。風が強い。
L: 海芝浦駅のホーム。手すりの向こうはすぐに海(運河)。 C: 逆側を撮ってみた。波が青い。
R: 鶴見線の電車。運転手さんは暇そうにしていた。のどかな休日の風景でありますな。東芝への入口の脇には、公園がある。これは好奇心旺盛な来場者のために、東芝がわざわざつくったものなんだそうだ。
海芝浦駅の周辺には、一般人の行ける場所はここしかない。自販機でアルミボトルのジュースを買うと、中に入る。
公園入口の前にはSuicaの機械が置いてあるので、もちろんきちんと運賃を精算する。中でのんびりノートパソコンを取り出して日記でも書こうかなあ、なんて思っていたのだが、
日陰はなく、ベンチがいくつか置いてあるのみ。あとは木々が植えてあるだけ。長方形の狭い空間である。
L: 海芝公園入口。 C: 入口に近いところは、このように曲がった通路。 R: 奥に進むと、まっすぐになる。でもそれだけ。見晴らしはよかったのだが、まあ工業地帯にあるわけで、そこまで絶景というわけでもないのが正直なところ。
風景にあまり変化がないので、けっこう飽きやすい場所である。公園内にもうひとつ、何かインパクトのあるものがほしい。
列車の海芝浦駅での停車時間はだいたい20分。それだけいればもう本当に十分な、何もすることがない場所である。
1時間以上ここにいたら、どうにかなってしまいそうだ。そんなわけで、日記を書く計画はヤメにする。
L: 今度はいちばん奥から園内を眺める。カップルが2組いたけど、僕にはこんな変態的なデートはできません。
R: 公園内より運河とその向こうにある工業地帯を眺める。発車時刻まで園内をプラプラ歩きまわる。海(運河)に向かってデジカメのシャッターを切って過ごす。
L: 運河(海)。 C: 鶴見つばさ橋。海芝浦駅からは非常によく見える。 R: こちらは横浜ベイブリッジ。うっすら見える。アルミボトルの口が横からの強風に共鳴して、音を立てる。
(小さい頃に父親がやっていたが、ビール瓶に横から口をつけて息を吹くと、ボーッと音が鳴る。それと同じ原理だ。)
なんとなくその音色を聞きつつ、青い波を眺めているうちに、時間になった。列車に揺られて鶴見駅まで戻る。さて、鶴見駅まで戻ったところでまだまだ日は高い。せっかくだから、そのまま国道15号で横浜まで行ってしまう。
みなとみらいやら駅の西口やらをフラフラするものの、独りの横浜がまあつまんねーのなんの。
気晴らしにそごうの地下で鯛焼きを買おう!と思って歩きまわるが、どうも店が替わったのか、見つからない。
大判焼きの店はあるのに。でも鯛焼き大好きっ子な僕としては、大判焼きに屈するわけにはいかないのだ。そんなわけで特にこれということもなく、横浜を後にする。
次に行くときまでには、何か面白いものがないかきちんとリサーチしておこう、と反省。
さて12月である。
「今年はきちんと今現在を大切にして、日々ていねいに生きていきます」などとエラソーに宣言して(→2006.1.1)、
あれからもう一年が経とうとしているのである。結局、その宣言はあんまり守れていないように思う。
毎日なんとか必死に乗り切ってはいるのだが、大切にできているかというと、正直疑問が残る。
なんとか残り1ヶ月、心を入れ替えてがんばるとしよう。まずは勉強から。