床屋へ行ってサッパリする。
途中でなんだかえらくダンディなおじさんが出現して店内の様子を探っていた。
おねーさん曰く、社長とのこと。還暦だというが、それにしちゃ確かに若い。
(とはいえ、僕はいつもcirco氏を基準にしているので、他人の年齢を見る感覚が微妙におかしい。)
社長さんはバリッと黒いスーツを着こなす辺り、風格がさすがにただものでない。
ウチの家系じゃ無理だな、なんて思いつつ刈られるのであった。午後には大森でベーグルをいただきつつ、たまっている日記を書いていく。
ホントは日記よりも試験勉強を優先させるべきなのだが、どうにもモチベーションが上がらない。
困ったなあ、と思いつつベーグルをかじる。できたてで柔らかいのでたまらない。
夢中で食っているうちに日記はそこそこ進んでいく。
一時期は現実の時間に追いつくかと思われた日記も、紀伊半島~関西旅行をきっかけにまた遅れが出た。
なるべくその日の分はその日のうちに書くようにせんとなあ、と反省しつつベーグルをまたかじる。夕方になって家に戻る。
アトレのブックファーストで買ってしまった細野不二彦『ギャラリーフェイク』を読む。
最近になって文庫本のリリースが復活したので、買わずにはいられないのだ。
『ギャラリーフェイク』はとにかく、ストーリーの展開の仕方がとんでもなく上手い。
毎回毎回、複雑な構成を用意しつつも、起承転結をしっかり保って読者を惹きつける。
限られたページ数できれいに話をまとめるという点で、これほど巧みなマンガはなかなかないはずだ。
しかも、そこに圧倒的な知識がからんでくるから、もう全然飽きないのだ。
そんな具合に、たまりませんなあ、と堪能していたらあっという間に夜。そうして本日も勉強が進まないのだった。ホントに大丈夫かよ、オレ。
選挙公報が新聞に混じって家に届いていたので、ざっと見てみる。
今回の都知事選は候補が乱立してお祭り状態になっているので、泡沫候補の主張がたくさん読めてしまう。
思わず「うわー」と声が漏れてしまうものがほとんどで、なんだか切なくなってくる。
というのも、「なんか、オレが日記で書いているのも似たような内容なのかなあ」と思えてくるからだ。
共通しているのは、どっちも絶対的な自分の視点から世界を見ているという点で、
世間の大多数が想定している現実との距離感が、その妄想にやられちゃっている具合を規定することになる。
で、その距離感がイマイチあやふやなところに、僕はなんとなく類似性を見てしまうのである。
特にこないだ書いた政治についての文章(→2007.2.22)なんか、大丈夫なのかオレ、と変に心配になる。
おかげでなんとなく日記が書きづらい。困ったものだ。
人生において初めて二日酔いになった。
といってもそんなにひどい状況ではなくって、ふつーに起きてふつーに電車乗ってふつーに会社に行く。
だが、なんとなく体が重い。それでいてなんだか足元がポワポワする。
背中と下半身だけまだ微妙に酒が残っている感じ。「おー、これがオレ的二日酔いかー」と思いつつ過ごす。
調子に乗って飲むからこうなるのだ。やはり次の日も仕事があるんだから抑えておくべきだったなあと反省。
昨日マサルから電話がかかってきて、「雑誌のアンケートに答えてくれたら晩ご飯おごるよ!」とのことだったので、
ホイホイと誘いに乗るのであった。目黒にて待ち合わせ、テキトーに居酒屋に入ってあれこれ話す。入った店が蕎麦をメインにしている店だったので、「じゃあ、蕎麦と豆腐と日本酒でいい?」となる。「ええよ!」と返事。
僕は酒に弱いのに、なぜか冷の日本酒だけは入る。そこに蕎麦と豆腐があった日には、かなり嬉しくなってしまうのだ。
酒なんて好きじゃないはずなのにおっかしいなあ、と思うのだが、でも現実にウキウキしてしまっているのだからしょうがない。
「ご注文は?」「この2人前の蕎麦をください。マツシマくん、ええよね?」「2つね」「はい?」「計4人前でお願いします」
高らかにオレは食うぜ、と宣言し、日本酒もちょっと高級なものを注文し、やる気は十分である。で、マサルから雑誌を見せてもらう。「なんでもいいから気がついたこと言ってよ!」「キツいこととか言うよ」
「ええよ! そういう素直な意見がほしいんよ!」「よーし、お兄さんがんばっちゃうぞ」
やってきた蕎麦を勢いよく手繰って、さらに日本酒をクイクイ仰ぎつつ、思いついたことをテキトーにしゃべっていく。
ブレインストーミング的にマサルはうまく相槌を入れてきて、酔っ払いに好き放題言わせてくれる。
手元ではきちんと僕が発言するごとにメモをとっていて、内心では「マサルも慣れてきてるんだなあ」と思いつつ、
自分の仕事上での経験もちょいとばかし加味しながら、デザインが垢抜けねえんだよなあ、などと調子よくしゃべった。自分の金じゃなくって蕎麦を食べ放題、しかも豆腐と日本酒までいただける。僕には究極的に贅沢である。
これできちんと要求に応えられなかったら男がすたるぜーと、思いつくままにあれこれ提案していったのであった。
だいたい3時間半くらいそうしてほとんどしゃべりっぱなしで過ごした。参考になったかどうか。
それにしても、これって接待なのか? 接待だとしたら、人生初だ。人生初接待がマサルからとは夢にも思わなんだわ。
特に日記のネタもないし、書けるときに書いておかないと一生に書きそうにないことなので、ここで書いておく。
――山手線は始発から終電までで何周するか?
そんな素朴な疑問を確かめるため、実際に山手線に始発から終電まで乗り続けたことがある。1998年3月23日。
もともとはHQSの新入生歓迎クイズの問題として発案されたもので、マサルと一緒に電車に乗り込んだ。当時、僕は国立、マサルは巣鴨の寮に住んでおり、このチャレンジのためにわざわざマサルの寮に泊めてもらった。
マサルは当時、メガドライブ版の『クイズ・殿様の野望』にハマっていて、よく「練り雲雀にしてくれるわ!」と、
誰にも理解されることのない声マネをするのだった。この夜も僕と一緒にこのゲームをしていた記憶がある。
またこのとき、マサルが真下のスペースを有効に利用できる高床式ベッドを使っているのを見て、「これだ!」と思った。
以来、僕も潤平も高床式のベッドを使っていて、真下のスペースに本棚を置いている。さて午前3時になり、寮を出た。空は真っ暗、3月なのでけっこう寒かった。
巣鴨の住宅街をふたり並んで抜けると、国道17号・白山通りを行く。さすがにこの時間に通る車はほとんどなかった。
都電荒川線の新庚申塚駅を越えてちょっと行くと、明治通りにぶつかる。そこを左折する。
途中のコンビニで食料を買い込む。ふだんなら朝・昼・夜と食事をとる時間にずっと電車に乗り続けることになるので、
かなり多めにサンドイッチやおにぎりを買っておく。しかしペットボトルの飲み物は1本だけ。池袋駅に着いた。駅の入口にはまだシャッターが下りていて、行くあてのない人々がチラホラいた。
当時はネットカフェもなければマンガ喫茶もなく、マクドナルドも24時間営業などしていなかったのだ。
僕らも周囲の人と同じようにしてシャッターの近くでぼーっとしながら時間をつぶす。やがて4時ごろになって駅構内に入れるようになった。とりあえず130円の切符を買って改札を抜ける。
電車に乗る前にしっかりとやっておかなければいけない行為。それはトイレである。
一度チャレンジが始まると、トイレに行くことは不可能なのだ。そういうわけでしっかり出すものを出しておく。
準備をしっかりと済ませると、先頭から2両目の一番隅っこの席にふたり並んで陣取る。
先頭だと運転手に見つかって怪しまれるんじゃないのか、ということで2両目にしたのだ。
そして今でもしっかり覚えている、4時26分に電車は動き出した。真っ暗な街を山手線は回っていく。最初の1周、2周は何の変哲もなくクリア。
3周目の途中、秋葉原の辺りで日の出を迎えた。閑散としたビルの谷間から勢いよく射した曙光は鮮やかだった。
酔っ払いのおっさんが右向こうの座席で寝っこけていたのだが、起きると慌てて飛び出していった。
そうして最初から乗っているのは僕とマサルのふたりだけ、という状態になって4周目に入った。山手線はほぼ、1時間に1周である。時計を見ながら確認した限りでは、乗降客のドタバタがあるので、
平均をとると1周するのに62分くらいだった。そういうわけで、かなり規則正しく山手線は周回するのである。
だから途中で油断して居眠りをしてしまっても、現在地を確認して時計を見れば、いま何周目なのかわかる。
気がつけばふたりとも寝てしまっていて、慌ててそうやって周回数を確認することが何度かあった。4~5周目になると列車内はしっかり客でいっぱいになる。若い者が座りっぱなしというのは非常にバツが悪い。
それで僕は持ってきた文庫本を読みはじめる。よりによって沢木耕太郎『深夜特急』である。
本の中では主人公がアジアからヨーロッパへと路線バスを乗り継ぐ旅をしているというのに、
読んでいるこっちは山手線の中でずっとぐるぐる。その落差といったらなかった。
マサルもヒマでヒマで仕方がなかったらしく(何時間も乗っていれば中吊り広告もそりゃ見飽きるさ)、
僕のMDプレーヤーを借りるとディスクのある限りそれを聴いて過ごしていた。ずっと山手線に乗り続けていると、イヤでも法則性というものが見えてくる。
乗客の数は圧倒的に西半分に集中している。僕らは外回り(右回り)に乗ったのだが、
恵比寿あたりから客が増え、渋谷でピークに達する。客は新宿で一気に降りるが、それと同じ量がまた入ってきて、
列車内の混雑ぶりは変わらない。そして池袋に着くと客はぐっと減り、東半分の快適な旅に変化するのだ。
そのため、コンビニで用意したメシを食べるのは東半分にいるとき、というルールが自然とできた。すでに書いているが、このチャレンジで最大の問題はトイレである。
万が一の場合には列車を降りて急いで用を済ませ、次の列車に乗ってチャレンジを続ける、と決めていたのだが、
そうならないように水分の摂取にはかなり気をつかった。基本的に、飲まない。
どうしても喉が渇いてしょうがないときにだけ、口にちょっとふくむ。そんな程度で徹底的に水分を抑えた。
結果、チャレンジ終了時には500mlペットボトルの1/3程度しか減っていなかったものの、
それでもふたり揃ってトイレに駆け込んだわけだから、なんとも人体というのは不思議なものだ。お昼になっても夕方になっても夜になっても、混雑の具合にはさほど差がなかった。
やっぱり東半分はいつでも余裕があり、座り続けて腰が痛くなると、スクワットをしたり柔軟運動をしたりして過ごした。印象に残っているのは、潤平が大学に落ちたという報告をマサルの携帯を通して聞いたこと。
当時は携帯電話が普及しだした頃で、マサルは寮暮らしということもあって携帯をすでに持っていた。
それでこの日は潤平の芸大受験の発表日ということで、マサルの携帯に報告をお願いしていたのだ。
まあ結果は「残念!」ということだったのだが、定員17名の狭すぎる門なのでしょうがねえよ、
そうふたりでしみじみしていたことをよく覚えている。山手線をぐるぐる回りながら上野の遠さを嘆いたものよ。そんなこんなで終盤も終盤の午後11時ごろ、山手線内の別の駅で事故が発生というアナウンスが入る。
顔を見合わせる僕とマサルだったが、5分程度の停車で運転再開。無事にチャレンジ続行となった。日付が変わって0時45分、実際には0時52分くらいか、その辺はイマイチよく覚えていないのだが、
列車は品川駅に着いて停まった。これにてチャレンジ終了である。
だが、僕もマサルも感慨にひたっているヒマなどまったくなかったのであった。
ドアが開いた瞬間に列車を飛び出す。「トイレトイレトイレ!」という絶叫がホームにこだまする。
階段を必死で駆け抜けるとトイレに最短距離ですべり込む。そして長い長いため息をついてようやく落ち着いた。池袋からスタートして最後は品川に着いた。山手線の駅はぜんぶで29ある。
始発から終電までの周回数を数えてみると、19周と17/29ということになった。クイズはこれが正解である。乗り越し精算を済ませて改札を出ると、すっかり明かりを落とした高輪の街並みがお出迎えである。
チャレンジ成功はいいが、行くあてなどないわけで、どうしようか考えた挙句、五反田方面まで歩いてみることにした。
途中の交番で道を聞き、24時間営業のファミレスがあると聞いてやっと安心。
しばらく歩くとそのファミレスが見つかったので、これでようやく休むことができた。
マサルはがっつりとメシを食い、僕は飲み物で済ませた。店員のおねーさんがやたら美人だったことを覚えている。
始発の時間までそこで仮眠をとったりダベったりして過ごし、5時になったので店を出て駅まで歩いた。
(ちなみに物持ちのいい僕は、このときのレシートを奇跡的に保存していた!)そして五反田駅からやっぱり山手線に乗る。
「なんかオレ、昨日から山手線にばっか乗ってる気がするなあ」「もしかしたらそうかもしれんね」
そうして新宿駅で別れて、僕は国立に帰ってぐったり眠り込んだ。そんな昔話。
昨日の姉歯祭り(同期会)で話題になった沖縄旅行について考えつつ仕事をする。
最大の問題は日程である。我が社は夏休みというものが実に3日しか取れないのである。どうかしちょる。
有給と組み合わせて休みをつくってをれを盆に充てる、というのが例年のパターン。
しかし今年は通信教育のスクーリングにぜひとも挑戦してみたい。だから盆に帰省はしないのである。
そうやって夏休みをスクーリングに充てるということは、つまり沖縄行きの休日を捻出することが難しくなる。
それで、じゃあ結局どうすればいいのか考えがまとまらないというわけなのだ。そもそもなんで沖縄なのか。ナンパもしない、海に行かなきゃ死んじゃう人種というわけでもない、
華々しい夏の思い出づくりがまったく得意ではない僕とみやもりでそういう話が出る、というのもすごく不思議だ。
かといって行きたくないわけでは決してない。沖縄の海。いいじゃないか、一度は見てみなきゃいかんだろう。
そんなわけで現地で具体的にどうするというアイデアもまったくないまま、イメージだけが先行している。
もうちょい参加希望者が出てくれば、具体的な話も出てくるのだろう。とりあえず様子をみることにするのである。
ニシマッキーからの電話で起きた。「さっき、能登半島で大きな地震がありましたよ」「なぬ?」
慌ててテレビをつける。それで目が覚めた。みんなでテレビにかじりついて過ごす。しかしマサルの寝起きがよろしくない。「あーもう行かなきゃ」とむっくり起き上がったのが13時ごろという有様。
そしてすぐに家を出ていった。本当に「ウチまで寝に来ただけ」という感じである。
その間、僕らは『のだめカンタービレ』を読んだり、『ハロモニ。』総集編で「加入当初の辻はかわいいなあ」などと語ったり、
まあそんな感じでだらしなく過ごしていた。当然、貴重な今日一日をどう過ごすのかというちゃんとしたアイデアもなく、
ただひたすらムダに時間を費やしていたのであった。このまま新宿でマジックアカデミー三昧なのかなあ、と思う。
そこにニシマッキーから電話がかかってくる。「今みなさんどちらですか」「オレんち。お前はどこだ」「僕は自分の家です」
「そうか」「今日の予定はどうなってるんですか」「未定ナリよ」「じゃあ決まったら教えてください」「わかった」
電話を切って本日の予定を相談開始。2秒で結論。「もしもし」「予定決まったよ」「どこ行きますか」「お前んち」というわけで、昼メシを食うとニシマッキー宅へと移動。みやもりの意向でのだめの単行本を持っていくことに。
結局場所を変えてダラダラするだけなのかーと思うが、今回は正当な理由があるのだ。
それは、ニシマッキーが引越しをしたからである。ついにアレがアレするぞ、ということで、今より広い団地に移ったのだ。
「人の家は襲撃しろ!」というのがわがサークルの掟なので、そこは当然、遠征するのである。ニシマッキー宅の最寄り駅は武蔵境ということで、久々に中央線に乗り込んだ。新型車両だ。
心なしか、窓外の風景も以前とちょっと違って見えるのであった。
駅に着くとニシマッキーに電話して迎えに来るように指示。その間、北口の「すきっぷ通り」をぼーっと眺めて過ごす。
やがて自転車に乗ったニシマッキーが到着。みんなですきっぷ通りをまっすぐ進んでいく。
武蔵境は古い宿場町でかなり早い段階から駅ができた歴史があるのだが、今は閑静な多摩のふつうの住宅街。
駅前にはけっこう店が揃っていて、暮らしやすそうな印象を受ける。のどかな場所である。
亜細亜大学に近づくにつれてやけに人が多くなる。これだけの人がわっと大学から出てくる理由がわからない。
卒業式なのか、合格発表なのか、学長のきまぐれ登校日なのか。ともかく、人の流れにたまげた。そこからさらにしばらく多摩的風景(畑ってことだ)を進んでいくと、団地が見えてきた。
この一角、生意気にも角部屋がニシマッキーの新居なのである。中に入ると真新しい内装の匂いがする。
そしてリビングに通されて驚いた。液晶テレビにプリンタっぽいデカいエアコンに、新しい家電が揃っている。
「はぁー」と間抜けな声しか漏らせない。自転車と貧乏旅行に明け暮れる身には遠い世界を見た。
まあだからってダラダラ過ごすっぷりに変わりはないわけで、ふだん僕の家でやるように、
テレビを見たりのだめを読んだりしてのんびり過ごす。僕はパソコンを取り出し、昨日の動物園画像を調整する。
液晶のテレビ画面ではドラえもん映画のPRということで、えなりかずきがのび太に扮して相武紗季とやりとりをしている。
なんとなく都知事選の話題になって、「マンゾーとキンゾー、どっちが上になるかな」などと話す。
そのうち二次会の終わったリョーシ氏から連絡があり、ニシマッキー宅までおいでとみやもりが返答。
しばらくしてやって来たリョーシ氏も、ニシマッキー宅の標準的理想的居住空間ぶりに感心をしていた。
まあそんな感じに、ニシマッキーは新居を通して四者四様にいろいろと考えさせたのであった。晩メシタイムになると、武蔵境の駅前まで出る。ちょっと待った末、チェーン店のしゃぶしゃぶをいただく。
ひたすら肉を注文してガツガツと食い、白飯のおかわりをいただき、あれこれとダベる。
話しているうちにどこかへ旅行へ行きたいねえ、なんて話になる。
もともと僕とみやもりの間では「沖縄に行きたいなあ」という話があったので、それを本格的に実行するか、となる。
男ばっかでナンパをするわけでもなく、特に行きたい場所があるというわけでもないのだが、
(約1名、那覇市役所と沖縄県庁だけは譲れないと主張する人がいる、つーかオレだ)
せっかくだからきちんと計画を練っていこう、という雰囲気になった。実行できれば楽しくなる。今年も来年もこれからもずっと、いろいろやっていければいいよなあ、と思いつつ解散したのであった。
本日は姉歯祭り(大学の同期会)なのである。
前日にリョーシ氏から電話がかかってきて、さてどこで何をしましょうかねという話になり、掲示板の書き込みを吟味。
ニシマッキーとダニエルのふたりに共通していたのが「上野動物園」。
そしてなんと、リョーシ氏はまだ上野動物園に一度も行ったことがないという。
それじゃあ決まり!ということで正午ちょっと過ぎに上野駅に集合。で、リョーシ氏とふたり、上野駅公園口でポカンと待つ。ニシマッキーは中央線内、ダニエルは連絡つかずということで、
上野の街で昼メシを食べることに。ガード下の焼き鳥屋で昼間から飲んだくれている皆様を尻目にテキトーな店を探す。
と、いかにも下町なカレー屋を見つけて入る。安くて量が多くて満足しつつ、駅に戻る。
するとまもなくダニエル合流。われわれが先にメシを食ってしまっていたので、ダニエルさんちょっとおかんむり。
パンダ橋を渡ってコンビニであれこれ買って、食ってニシマッキーを待つ。しばらく待っていたら、来た。
ちなみにニシマッキーも上野動物園は初めてとのこと。「こないだデートで多摩動物園には行った」そーですかハイハイ。ダニエルはちょくちょく上野動物園に来てはクマを観察しているらしい。
年間パスポートを持っていて、不慣れなわれわれをあちこち案内してくれることに。
その姿はまるでブッチ動物ものしり博士のようであった(『ヤダモン』(→2007.3.18)を見たことがないとは言わせないぞ)。
L: 園内に入っていきなり出現したシュールな状況。 C: ゾウだぞう。 R: ニホンザル。僕もこれくらいモテたいです。ダニエル先生はほかの動物に目をくれることなく、まっすぐにクマの場所へと近づいていく。
目を閉じていても迷わず行けるんじゃないかってくらい、その足取りは確固たるものだった。
先生はまず、ホッキョクグマから凝視。暇そうにしている2頭をずーっと見つめたまま動かない先生。
周りでは親に連れられたよい子のみんなが「シロクマさん、退屈だろうね」なんて話をしていたが、
先生はそんな俗な次元とはかけ離れた領域に思いを巡らし、クマの動きひとつひとつを丁寧に眺めていたのであった。
L: ホッキョクグマを凝視するダニエル先生。もはや求道者の風格すら漂っている。
R: 新宿副都心にも住んでいるというタヌキ。一橋大学本館に侵入しようとしていたのを見たことあるよ。クマ・タヌキをいったん見終えると、パンダ見ようぜ、となる。
しかしまずは入園口に戻って、順路どおりに鳥を見る。カラスバトがフィーチャーされているのが印象的だった。
で、パンダ。さすがにそこそこの行列になっている。並んでそのままゆるゆると進んでいくと、
室内で後ろ向きに寝転がっているお姿が目に入る。こりゃまるで白いパジャマを着た休日の父ちゃんじゃねえか、と思う。
動物ってのはなかなかフォトジェニックな動きをしてくれないものなのだ。その後は鳥の檻を見ていく。肉食の鳥は堂々としていて視線が鋭い。
男子たるものかくありたいものですな、と思うのであった。
L: キジ。1万円札にも描かれている日本の国鳥。 C: シロフクロウ。笑うと目が細くなるのだが、残念ながらその瞬間は見られず。
R: オジロワシ。戦闘機の機首に描かれていそうな鋭い目つきがかっこいい。なんかダンディーだ。続きましては猛獣シリーズ。まずはライオン。オスの姿は見えず、岩の上にたたずむメスがかっこいい。
それからぐるぐると歩きまわり続けるトラ。子どもがガラスを取り囲んでいて、ほとんど見えない。
やっぱり猛獣系はわかりやすいから人気なのだ。ダニエル先生はクマだってもっと評価されるべきだ、と憤っていた。
L: ライオン。凛々しいですなあ。 R: トラ。少しもじっとしていない。一度立ち上がって、大歓声が聞こえた。それからテナガザル。なぜかクジャクと同居していたのだが、本物の熱帯はそんな感じなのだろうか。
テナガザルは急に走り出すとあっという間に天井にのぼり、素早く動きまわる。
L: テナガザル、高いところを動きまわるの図。疲れないのかねえ。
R: 同居しているクジャク。羽を広げなくても、その色の鮮やかさには思わずため息が漏れる。うーん、動物園に来てるぜーと実感しつつ先へ行くと、そこはゴリラの場所。
ガラス越しに布をかぶった黒い塊があって、何かと思ってしゃがみこんで見てみたら、寝ているゴリラだった。
じっと見つめていると、むっくり起き上がって布をかぶり直す。その仕草がものすごくおっさんくさい。
おっさんは観客に背を向けてしばらく呆けると、急に歩きだして地面に落ちていた枝をつかんだ。
それからその枝を口にくわえて歩きまわる。布の羽織り方が本当に人間くさい。
周りの子どもたちはそういうおっさんくさい仕草ひとつひとつに反応して歓声をあげるのであった。
L: たそがれるおっさん。 R: 何の目的なのかわからないが、枝を口にして戻ってくるおっさん。そのまま鳥類を集めたバードハウスの中へと入る。さっきは肉食のたくましい連中ばかりだったが、
ここにいるのは小型のかわいい系の鳥たちである。「おおーこれがハチドリかー」などと言いつつ見ていく。
それにしても南の地方の鳥は信じられないほど鮮やかな色をしているものが多い。どうしてそうなるもんなのか。
L: ボタンインコ。レインボーカラーということで、ゲイの皆さんとか大喜びなのかな(不謹慎)。
C: カワセミ。首を振るような細かい仕草がめちゃくちゃかわいい。かわせみかわいい。
R: こちらはワライカワセミ。鳴き声が人間の笑い声に似ているそうで。聞いてみたいな。ふと昔実家で飼っていた十姉妹のことを思い出して、少ししんみりとしたのであった。
さて、建物を出るとちょっと大型の鳥の檻へと移動する。
個人的にはヘビクイワシがいるのに驚いた。全然落ち着きがなく、せわしなく動くので撮るのに苦労した。
L: ヘビクイワシ。1科1属1種の珍しい鳥。本当にヘビも食べる。 R: タンチョウヅル。真っ赤な頭が鮮やか。先導するダニエル先生に従って次のエリアへ進んでいくと、やっぱりクマ。
さっきはクマを横から見たのだが、今度は上から見るとのこと。なるほどと思いつつデジカメを構える。
クマの達人・ダニエル先生はあれこれとクマの行動パターンを教えてくれる。
なるほどなるほどと思いつつ、そんなに知り尽くしているほど来てるのかよ、と内心舌を巻くのであった。
L: ヒグマ。地面に転がって遊ぶの図。 C: ヒグマ、兄妹でじゃれ合うの図。傍から見ていると殴り合っているようにしか見えない。
R: ツキノワグマ。ヒグマに比べて毛の黒さとツヤが目立つ。ひたすら同じコースを素早くぐるぐる動きまわり続けるのであった。そしてペンギンとアシカ。アシカは地上の様子にほとんど興味を示すことなく、ひたすら往復して泳ぎ続けていた。
動物園の動物って、延々と同じ行動を繰り返しているものが多いように思える。やることないんだろうなあ。
L: アシカ。たまにこうしてこっちを見ることもある。 R: カピバラ。意外とデカい。だいたいこれで東園は一周したので、ちょっと休憩。男4人でテーブルを囲んで思い思いに一服。
そしたら軽く雨がパラパラと降ってきた。僕らは大きなパラソルの下にいたので特に被害はなし。
これ見終わったらどこ行くべ、と相談していたら雨はやんだ。よかったよかった。さて、上野動物園で東園と西園をつないでいるものといえば……そう、モノレールである。
いつもはイヤになるほど混んでいるらしいのだが(ダニエル先生談)、奇跡的に空いているタイミングをみて乗り込んだ。
やっぱり上野動物園に来たら乗らなきゃね、などとワクワクしている男4人。周りから浮いてなんてないさ。
L: 乗り場の掲示板に貼られていた注意書き。こういうのは大好きだ。右下の「恩賜上野動物園」の文字との対比もよい。
C: 都営交通なので細部のデザインが都営地下鉄と一緒。やっぱり鉄っちゃんは上野のモノレールにもわざわざ乗りに来るのかな。
R: モノレール「宝くじ号」。ゆったりのんびりやってくる。2両編成ってことは、飯田線よりも豪華!?
L: モノレール車内の様子。勝ち組リョーシ氏とニシマッキーがばっちり写っているが、ダニエル先生が隠れてしまった。
C: モノレールから眺めた不忍池。モノレールでないと見られない光景があるので、やっぱり乗って移動して正解なのだ。
R: 西園に着くとペンギンがお出迎え。ペンギンってただ突っ立っているだけでもかわいくて、いいですなあ。東と西を区別している基準がまったくわからないのだが、とにかくあちこち見ていく。
まずはとりあえず、カンガルー、ハリネズミ、ナマケモノなどの哺乳類から見ていく。
L: カンガルー。やたらメシばっか食ってた。 C: ジレンマそっちのけで集まって寝ているハリネズミ。
R: ナマケモノは室内にいた。条件によっては表に出てきて、木々の間に張ったロープにぶら下がるみたい。それは見たい。西園には「なかよし広場」があり、そこで動物たちと触れ合うことができるようになっている。
われわれ体は大人でもハートの中身は中二病なので(うち重症1名)、遠慮せずに中に入るのであった。
中ではニワトリとヤギとヒツジが放し飼いになっていて、それぞれ自由に触ることができるようになっている。
ただ、奈良公園の鹿ほどは人なつっこくないので、近づいても触っても反応がいまいち鈍い。そこはちょっと残念。レッツ・コミュニケーション。
L: ヤギばっか。 C: ヒツジばっか。 R: 動物さんと遊んだ後はきちんと手を洗いましょうね(花王が全面協力していた)。大型の動物たちが奥に引っ込んでいたので、なんとなく淋しい感じがした。
午前中からお昼にかけて来ると、もっといろんな動物がいて賑やかなのかもしれない。再び動物の檻のほうに戻る。やけに赤いフラミンゴがいた。エサに色素を混ぜています、と表示が出ていた。
でも現地にいるフラミンゴもきっと同じように赤いんだろうなと思い、アフリカの広い湖を彼らが埋め尽くす姿を想像する。広い大地で見たらきっと壮観なんだろう。
それから大型の哺乳類たちの一角へ。閉園時刻が迫っていたためか、みんな室内にいるのであった。
カバは記憶にあったよりもずっと大きく、コビトカバのお肌は妙にツヤツヤしていた。
キリンはやっぱりデカく、ダチョウは猛スピードで暴れまわっていた。サイもオカピもいた。
L: サイ。こんなのがこっちに向かって突進してきたらめちゃくちゃ怖いわな。
R: オカピ。上野動物園にはほかにコビトカバとジャイアントパンダがいるので、ボンゴ以外の世界四大珍獣を制覇できる。もうまもなく両生爬虫類館が閉まります、というアナウンスが聞こえて、慌てて建物の中に飛び込む。
後ろから警備員が急き立ててくる中、早足で見てまわっていく。
じっと身を潜めているワニやトカゲ、イグアナたち。ヘビなんか身じろぎもせず、物質と生物の中間みたいになっていた。
うわー生き物としてこいつらとは絶対にわかりあえないんだろうなあ、と思った。さすがは変温動物。
L: ガラパゴスゾウガメ。そんなに長生きして、何を思うというのだ。
R: ヤドクガエルも何種類か展示されていた。どいつもこいつも悪い毒がありそうなやつばかりだった。そんなわけでダニエル先生指導のもと、上野動物園一周ツアーは終了。おかげで非常に中身の濃い企画となった。
ダニエル先生は「いっつもオレが案内役になるんだよなあ」とボヤくが、僕らは大満足。
いいじゃないの、それだけ引き出しがいっぱいあるということなのだ。それは誇るべきことだよ、ホントに。不忍池ではオオワシが暮らしているのであった。
その後、みんなで歩いて秋葉原まで移動。ヨドバシカメラでガチャガチャコーナーを見てまわる。
用事で抜けたニシマッキーを見送ると、ダニエル先生オススメの定食屋で晩飯をいただく。
そこは味噌汁に徹底的にこだわっている店で、確かに味が濃くておいしい。たまらず3人ともおかわり。
しかも、いい味噌を使っているので料理の味もいい。ひたすら無言でがっつくのであった。
ダニエル先生には動物園といいおいしい晩メシといい、いろいろと教えてもらってばかりである。
おかげでまたいろんな種類の楽しみが広がった。感謝感謝である。秋葉原に行ったら絶対また食べようっと。◇
さて、明日は仕事というダニエル先生と別れ、リョーシ氏とふたりで帰宅。
みやもり・えんだうの合流まで時間があるので、とりあえず日本代表のペルー戦を見て過ごす。
それから県庁所在地ひとり合宿の話になる。リョーシ氏は旅行記の内容を褒めてくれたのでうれしかった。
書いている本人はめちゃくちゃ面白がっていることが他人にはそうでもない、というのはよくあることなので、
きちんとお墨つきをもらえたことは大きな自信になった(今まで誰も褒めてくれなかったのね)。
それで教育実習のときに使った地図帳を広げて、ふたりで今後の計画を練っていく。
実はリョーシ氏は僕なんか足元に及ばないくらい日本全国あちこちに行っているので(いやお恥ずかしい)、
あれこれ参考になる話が聞けた。四国一周は電車では難しいという現実にはたまげた。
今後の戦略を立てるうえでとても勉強になった。この恩は面白い旅行記を書くことで返すことにするのだ。◇
で、みやもり合流。そのうちえんだうも合流。リョーシ氏は明日友人の結婚式ということで帰宅。
やがてマサルもやってきた。マサルは速攻で寝転がり、安眠モードに入る。「ねえ、しりとりしよや!」
人名しりとりを始めるも10分でマサルが飽きて、5文字しりとりにルール変更。
しかし睡魔に負けて、結局5分もしないうちにみんな寝てしまった気がする。
毎朝いっつも同じカフェでいっつも同じメニューを頼んでいるわけだが、
そんな中、なんでか知らんがやたらと丁寧に「おはようございます」と挨拶をくれるバイトの兄ちゃんがいる。
外見を一言で表現するなら「えなりかずお」という感じで、動きにまったくそつがない。
当方まったく気の利かない人間なので、少々うらやましく思いつつ挨拶を返すのであった。就職活動をしていたのか、えなりかずお氏はわりと長く休んでいた時期があって、
店に復帰した日にわざわざ僕んところまで来て挨拶してきたときにはたまげた。
別にそんな特別に親しくなるようなことがあったわけでもないのだが。で、今朝もモフモフと朝メシを食っていると、えなりかずお氏がするすると近づいてきた。
「おはようございます。ぼく、今日で最後なんですよ」「え、そうなんですか。それは……お疲れ様でした」
そうか、それはさみしくなるなあ、と思いつつはにかんだ笑いを返すしかない僕。
毎朝通っているうちに女性店員と親しくなったりしちゃったりなんかして!な展開なら大歓迎なのだが、
まあ実際にはこうしてえなりかずお氏と「お元気で」と挨拶をしみじみ交わすくらいが精一杯である。
いいかげん男よりも女性にモテたいなあ、と思いつつ、それはそれとして、
えなりかずお氏のそつのない働きっぷりを目にすることがなくなることに一抹の淋しさを覚えるのであったことよ。
お疲れ様でした。
大貫妙子のベスト盤を借りて聴いてみて、考えたことを書く。
なんといっても『海と少年』のデキが頭ひとつ抜けている。
特にいいのが細野晴臣のベース。これがもうたまらない。おかげで曲が5割増しくらいに聞こえるのだ。
そして坂本龍一のアレンジがまたいいのだ。『海と少年』に限らず、高いレヴェルを維持し続けている。
このベスト盤には坂本が関わった時期とそうでない時期と両方の曲が収録されているが、
聴き比べてみると坂本がいかに多彩な方法論を持っているかがわかる。
そんなわけで、大貫妙子本人よりもむしろ周囲にいるミュージシャンの才能の方が強いなあ、と思った。さて、YMO周辺の皆さんが関わった女性ミュージシャンというと、もうひとり、矢野顕子が思い浮かぶ。
(矢野顕子では僕は『David』が好きで、これまたやっぱり坂本のアレンジってすげーと実感させられる作品だ。)
で、大貫妙子は『海と少年』、矢野顕子は『春咲小紅』が商業的に最も成功した作品ではないかと思う。
両者に共通しているのは、「売れるようにつくった曲なのでそんなに思い入れはない」という本人のコメントだ。
しかし実際に曲を聴いてみると、ああなるほどこれは売れて当然だ、と思わされるほどクオリティが高い。
ほかの作品と比べても、それぞれこれらに比肩するようなものがなかなか見当たらないのである。
つまりは結局のところ、本人たちの意思に反して、売れるようにつくったものがいちばん良かった、ということなのだ。
やっぱりここでも、脇を固めているミュージシャンたちの才能によって作品の光り具合が決まる、
という事実が見えてくるように思う。つくり手にとってはなかなか残酷な結論だが、実際そうなのだ。踊る才能、踊らされる才能、躍らせる才能。それぞれの思惑が複雑に絡み合って作品は生まれる。
しかし評価する側は細かい事情なんてわからないから、つねにシビアな判断を下すことになる。
厳しいもんだなあ、と思いつつ、僕はお金を払って曲を聴くのだ。
枕元を片付けた。
というのも、通信教育の学生証が突如として行方不明になっていて、見つけないと試験が受けられないから。
もうこの機会に徹底的に片付けてやる!と決意し、午前中をずっと枕元の整理に充てる。知ってのとおり(?)、僕は高校生ぐらいからすべての勉強を枕元でやる習慣が染み付いている。
いや、正確に言うと高校時代にはまったく勉強をしていなかったので、「浪人中から」ということになるが、
まあとにかく枕元が書斎!という状態はもうかなり長く続いているのである。
うつ伏せになって胸元に枕を敷いて作業をする。おかげで背筋だけがやたらと強い。
そして今も、勉強するのも日記を書くのもネットをやるのも、すべて枕元である。
したがっていつでもそばに置いておきたい重要な本だとか筆記用具だとかはすべて枕元に集中しているのだ。
それで今回、一念発起してそれらの整理をやったわけである。結果、用のなくなったメモやら使うことのない文具やらが一掃できたものの、
iPodのケーブルだとかiPod shuffleのケーブルだとかデジカメのケーブルだとか、新たに定位置を占めたものもある。
そして本のラインナップはほぼ変わらず。つまり表面上はほとんど変化していない。
それでも通信教育関係の不要な書類は捨て、必要なものを置くスペースは確保できた。
とりあえず見えない部分でのカスタマイズという観点では、整理はできた、ということになるはずである。で、結局、学生証は見つからずじまい。しょうがないので再発行を申請しなければならない。格好悪い……。
今度は盗まれないように名前を彫ったよ。
というわけで、新しいiPod shuffleが届いた。
金欠で金欠でどうしょうもない状況ではあるのだが、まあその辺はリポートでがんばったご褒美ということで。
名前はやっぱり「mizutamari」(→2007.1.4)。今度は盗まれないように、しっかりとかわいがってやるのだ。
本日よりPASMO定期券で出勤である。昨日、駅で切り替えておいたのだ。
私鉄・地下鉄がPASMOを導入したことで、かなり便利になった。
まず、いちいち自動改札の切手投入口に定期券を差し込む手間がなくなったこと。
タッチするだけで通れるというのは、慣れてくると本当に便利なのだ。
これを首都圏ならどこでもできるようになったことは大きい。未来がやって来た!って感じがする。
そして切符売り場に並ばなくても、どの鉄道の改札も通れてしまうことも大きい。
今日は実際に調布まで著者への献本に行ってきたのだが、まあ便利ったらありゃしない。
これでバスまで乗れちゃうってんだから、これはもう、未来なのだ。思えば僕らの想定していた未来っぽさってのは外見から、外側の形から入っていったもんだけど、
実際には自分たちの身体の周りから、内側の領域から未来は入り込んできている。
ウォークマンに始まって、携帯電話・iPodなんか完全にそうだ。
そして改札に触れるだけという、動作を極力少なくする方向でさらに未来がやって来た。
(ETCを車に取り付けている人だとまたちょっと感覚が違うかもしれない。)
地味だが、これでまたひとつ、僕らの身体感覚は変化をしていくのだろうと思う。さて、しかしながら僕はPASMO定期券にチャージをしていないのである。
理由は簡単で、PASMOのビミョーなロボットよりもSuicaのペンギンのほうがかわいいから、である。
やっぱそこはSuicaのほうを使いたいじゃん、というこだわりがなんとなくあるのだ。
現状ではSuicaとPASMOの両方を接触させると改札は通れないようになっている。
だから定期がPASMOのSuicaっ子には使い分けが必要になる、ちょっと困る状況になっているのだ。
これは今後も改善されないだろうという気がするので、ガマンするしかないのである。
まあ関西に行ったらPASMOは使えなくなるから、今のままでいいや、と開き直っているところもある。いつの日にか確実に、すべての交通網をカード1枚で乗れるようになる日が来るだろう。
未来がじわじわ、僕らの皮膚の周りから現れて社会を変えていくのだ。
『ヤダモン』。15年ほど前にNHKで夕方やっていた10分アニメ。テーマ曲がLINDBERGだったせいか、
LINDBERG支持層を中心に、ウチの高校ではそこそこの視聴率をだったんじゃないかと思う。みんな暇だったなあ。舞台は未来、動物たちが保護されて自然に近い状態で暮らしているクリーチャーアイランド(通称・ランド)である。
そこには動物についての大きな研究所があり、小学生のジャンは獣医のエディと所長のマリアの一人息子。
物語は謎の卵が研究所に運び込まれるところから始まる。卵の正体をエディとマリアは突き止めようとする。
その夜、ジャンはランドに一人の女の子が迷い込んだのを見つけ、家に連れて帰る。
女の子はヤダモンと名乗り、自分のことを魔女の森から来た魔女だ、とかたくなに言い張る。
そういうわけで、序盤は親が見つかるまでヤダモンを引き取ることに決めたジャンたちの日々が描かれる。このアニメは大きく3つの時期に分けられる。
5話(月~金)ごとに完結する序盤、1話完結の中盤、話がどんどん続いていく終盤、である。
序盤は各キャラクターの性格やエピソードを紹介する内容がほとんどで、
ブッチ・エンリコ兄弟が研究所におさまる辺りから中盤へと入っていく。この辺がいちばん平和で楽しい。
そして闇に惹かれた魔女・キラとの戦いが繰り広げられる終盤は非常にシリアス。
全体を通して、自然にあふれてどこか浮世離れしているランドの印象がすごく深く残っている。
都会化が進みきった未来の地球では、ランドは貴重な理想的な場所なのだ。
そのもろくはかない感じを漂わせる自然の中で話が進んでいくことに、たまらなく切ない気持ちになってしまう。
表面的には問題ないが、実際には壊れてしまいそうな平和というモチーフは、影響を受けていそうな感じだ。一見するとこのアニメは、超優柔不断な一人っ子ジャンのもとに勝手気ままな5歳児ヤダモンがやってきて、
アウトドアの趣味全開の父親と優しくて強い母親に囲まれてすくすく育つという、非常にのん気な話である。
コミカルなタイモン、徹底的にボケ倒すブッチ、スーパーマンでブラコンなエンリコ、しっかり者のハンナも華を添える。
しかしその背景には魔女の森と妖精の森で子どもが生まれなくなってきているという事実が描かれているし、
ジャンもその友人たちも全員一人っ子(兄弟がいるという描写がまったくない)ということで、
どことなく暗い影がさしている中、主人公たちは残された自然に包まれて暮らすという設定になっている。
そしてこの話の悪役であるキラは、闇の立場からの進化を訴えて魔女の森で反乱を起こしたというわけだ。
女王(ヤダモンの母、わりとヤンママ)と魔女ベリアルはキラを倒すが、その後も有効な手立てを打てずにいる。
この話は、魔女の森でも妖精の森でも人間社会でも、閉塞感がギリギリにまできているところで始まっているのだ。
ただその分、話が抽象的になる箇所がいくらかあり、それがメルヘンな設定とあいまって苦手と思う人もいるはず。
個人的にはランドの空間描写が好きだったのでセーフだったが、やはり放映当時は話の内容を理解しきれていなかった。
あともうひとつ、ベリアルの最期がかなり僕には衝撃的で、これまた深層意識に影響がきているように思う。
全体的に、さすがはNHK、民放のアニメとはちょっと違うぜ、という感じのあの独特の雰囲気がいまだに好きだ。ところでこのアニメ、変にアメリカナイズというか、海外っぽいところがある。
ジャンの友人でガキ大将格のリックとか、部屋で靴を履いてるところとか、なんだか変にアメリカ的なのだ。
SUEZENの線をきゅっと引いたような笑顔のキャラクターデザインもそうだし、一味違うことの積み重ねが効いている。
それにしても毎日毎日、日記の内容が感傷的ったらありゃしねーよなあ!
編集部のベテランの方が本日をもって退職された。
2年前になるか、僕らがルーキーだった頃にたまたま全員同じタイミングで会社を出た。
それで飲みますかねってことになり、駅に向かって歩いている途中、その方と偶然合流した。
5人で居酒屋に入ってあれこれ脈絡もなく話をした。今でも鮮明にそのときのことを覚えている。
かなり年上の方とこれだけ近い距離で飲む機会というのは滅多にないので緊張していたのだが、
酒が入ったこともあって、解散する頃には「あっはっはー」と打ち解けていたのであった。
そういう「実際の姿」に触れたことがあったので、退職されるのがひどく淋しく感じられる。
時間を共有した人が、記憶という僕の一部分をそのまま持ち去って行ってしまう、という淋しさ。
でもよく考えてみれば、そのベテランの方はもっと多くのものを残していくことになるのである。
僕がいずれこの場所を去るときにいったいどういう状況になっているのか、
まったく想像がつかないことがある種の救いのように思えた。
ここんとこ、仕事がわりと余裕があるので助かる。おかげでリポートに集中できる。
なんだか本末転倒な気がしなくもないが、つまりはまあ、それだけ真剣に取り組んでいるということなのだ。
朝と昼にテキストからわからない単語を書き出しておいて、夜に調べてリポートのプロットを練る。
特に娯楽の要素がないままで一日が終わる、そういう状況が続いていくのは少々厳しい。
結局、日常生活を楽しめないといけないんだよなあ、とぼやいてみる。
それが自分しだいだということはよく知っているのだけれども、でもどうにもならないこともある。
とにかく、今のうちにやるべきことをやっておくのだ。なんか毎回日記がこんな内容なんだけど、
たぶんそれが真実だから、それを追いかけていくしかないのだ。
蒼井優……じゃなくって松雪泰子が主演なの? 『フラガール』。
結論から書いちゃうと、全然面白くなかった。
映画関係のメディアでは絶賛されていて、日本映画の賞を総なめしているとのことだが、なんとも。
このタイプの映画には、もういいかげん飽きていないといけないと思う。僕にはその程度だった。物語は昭和40年、規模の縮小が決定されようとしている福島県いわき市の炭鉱の街で始まる。
常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)の初代ダンサーたちの奮闘を、実話をもとに描いている。褒めるところは松雪泰子演じるダンスの先生が男湯に闖入するシーンぐらい。あとはほとんど面白くない。
『ウォーターボーイズ』(→2005.5.22)や『スウィングガールズ』(→2005.8.10)とまったく同じ系統のストーリー。
冷たくされてもあきらめない主人公、努力を続けるシーンとそれに感化されて集まる仲間、大団円。
上記の矢口史靖監督作品は、コミカルなタッチでバカバカしさを混ぜつつ感動へともっていく。
それに対して『フラガール』では、過去の田舎が舞台だから、起きる事件のすべてがシリアス。笑えないのだ。
観客は次から次へと「さあ感動しなさい」というシーンをこってりと連発で見せられて胃もたれがする。
軽やかさがないので、いいかげんウンザリしてしまう。こんなので素直に感動できるほど、こちとら素直じゃないのだ。
脚本のせいか編集のせいか、登場する人物と物語から消えている人物のコントラストが激しすぎるのも気になる。
別のカットに切り替わっている間も、一度登場した人物は生き続けているはずだ。しかし、それが感じられない。つくっている側も見る側も、もうこのパターンには飽きてしかるべきだと思う。
『ウォーターボーイズ』以来、日本映画における新たな定番のスタイルが確立されたのは喜ばしいことだ。
しかし、もういいんじゃないか。同じことの繰り返しは、もうそろそろやめるべきじゃないか。
邦画の興行収入が洋画を逆転したと話題になっているようだが、そんなことで浮かれている場合じゃないと思う。
厳しい表現になってしまうんだけど、こんな映画が受けている限り、映画に未来はないと思う。
ワカメが就職活動のために再び上京してきた。
なんだよ、オレ「次は内定をもらったときかな」なんてカッコつけて書いちゃったよ(→2007.2.15)、と思ったわけだが、
せっかく来てんだからみんなでメシでも食うかーということで、17時半、新宿に集合。顔出しNGのワカメ。
店の予約を取ったイヌ女史が体調不良で突如欠席、ハセガワさんは大学院のゼミで20時半に合流ってことで、
西口に到着したのは僕とワカメだけ。「ど、どうする?」「東京らしいところに行きたい」「うーん」
前にもメッセで話してワカメは「東京タワーに行ってみたい」と言っていたので、じゃあ行きましょうか、となる。
でもその前に、「CDほしい」と言うワカメを連れて高島屋へ。エレベーターから見える風景にワカメは感動していた。
「東京は背の高い建物が多い」とのこと。そうかなあ、と梅田周辺を思い浮かべるが、いまいちよくわからない。
で、ワカメはレミオロメンのライヴDVDを購入。「レミオロメンは『南風』を最後に死んだ。『粉雪』なんて音楽じゃねえ」
そう主張する僕に対し、「それが正常な感覚だ」と答えるも、「でも追っかけてるから買っちゃうんだよ」とのこと。
まあ、そういう追いかける対象がなくなってしまった僕のほうがさみしいのかもしれない。さて代々木から大江戸線に乗り込んで赤羽橋まで行く。ふだん自転車なので地上のことはわかるが、
地下のことはよくわからない。しかし大阪から来ているワカメはそれ以上にわからないわけで、
これで大丈夫なのかなあ、という不安にかられつつもなんとか東京タワーが見えるところまで出た。
L: 赤羽橋駅入口のところから見える東京タワー。実物はもっと光量があってキレイ。
R: 足元から眺めたところ。周囲にオレンジの光が広がって、東京タワーのくせして幻想的。夜はやっぱ違うわ。実は今回、ワカメが来るということで、お土産を用意しておいたのだ。「ペコちゃん焼き」である。
不二家問題で揺れている中、営業を再開したということで、会社の昼休みに注文をしておいたというわけ。
現在、復活したペコちゃん焼きは行列ができるほど大人気で、注文票を書いてから並んで代金を支払い、
指定された焼き上がり時間に取りに行く、というスタイルになっているのだ。しかもお一人様限定18個まで。
ふだんなら「そこまでして食いたくねえよ」となるのだが、まあそこは今いちばん東京らしくて面白みのあるものなので、
みんなで食べようと思って並んで注文したのだ。おかげで午後、会社にちょっと遅刻した。
そしたら新宿に来ているのワカメだけなんだもんなー。まあ、不可抗力なことだからしょうがないけどね。そんなわけで男ふたりでペコちゃん焼きを頬張りながら東京タワーを目指して歩く。
タワーを照らす光が周囲をオレンジに染めていて、それこそ本物の火のような輝きを見せている。
ワカメは「すげー」と感動していた。僕も夜にここまで近づいたのは初めてなので、正直圧倒されていた。
さっそく中へと入ってみる。土産物屋が閉店時刻を過ぎていたのが非常に残念。ここの昭和っぷりが楽しいのに。入ったところが2階だったので、1階に下りて外に出てチケットを買い、再度中に入ってエレベーターを待つ。
待っている間、ワカメはひたすら「ノッポンいるかなあ、ノッポンいたら殴ってやるんだ」と繰り返す。お前は子どもか。
(ノッポン……東京タワー開業40周年を記念して誕生したイメージキャラクター。公式HPはこちら。Wikipediaではこちら。)
周りはみんな男女のヘテロな組み合わせばかりで、ネクタイ姿の2人組という僕らがいかに奇異な存在かよくわかる。
しかし気にせず、地上150mの大展望台へと上がっていく。ちなみに入場料は820円と高い。333円にしやがれ。
エレベーターの扉が開いて驚いた。照明は最小限に抑えられていて、かなり暗い。しかしその分、夜景がよく見える。
流れている音楽は洋楽で、なんだかえらくムーディーだ。まあ、音飛びしちゃっている辺りが東京タワーなのだが。ワカメはするすると窓のガラスに吸い寄せられていく。僕も後からのそのそと近づいていく。
無数の光が足元に散りばめられている。建物の光は白く、広告のネオンは青く、ビルのてっぺんは赤い点滅。
照明で照らされたグラウンドは緑に輝き、道路には光の列ができていて、白い光の中で色彩がアクセントをつける。
そんな光景は、「悔しいがこれは非常によろしいデートスポットですナー」「まったくだ」なのであった。
L: お台場。「あそこに中野美奈子がいるのかー」「中野美奈子好きか」「いや、なんとなく」「そうか。かわいいよな」
C: ひときわ輝いている光の線は、国道1号。ふだん自転車で走っているときには考えられない光景だ。
R: しかしこうして見ると、メトロポリスって言葉が実感できる。デジカメの写真じゃ限界があるのが悔しい。ぐるりと中を一周する。土地勘のないワカメに「あれお台場」「あっち渋谷」「こっち新宿」と指さして案内。
ワカメは「大阪にはこういうタワーがないから、すごく新鮮だ」と言う。なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
通天閣があるけど、実際に行ってみればわかるが、あれはかなり小さい。東京タワーとは比較にならない。
大阪の街を眺める名所というのは、ちょっと思いつかない。強いて言うなら大阪城ということになるのかもしれないが、
別に街を眺めることを目的としてつくられたわけではないので、やっぱりちょっと違うのだ。
まあそんなわけで、ワカメは初めて目にする光景を存分に堪能したようであった。それから、ここからさらに上、地上250mのところにある特別展望台へのチケットを購入。今度は600円。
金取りすぎだ!と鼻息を荒くしつつも階段を上っていくと、エレベーターへの列に加わる。
エレベーターは一度に10人しか乗れないので、どうしても時間がかかる。ぼんやり外の景色を眺めつつ待つ。
そしていざエレベーターに乗り込む。じわじわと上がっていく中、ガタンと揺れて思わず「ヒッ」と声が漏れる。
とても外の景色を見ている余裕なんてない。ワカメはそんな僕の高所恐怖症ぶりを目にして面白がっていた。扉が開くとそこはSF的なつくりになっていた。床にも天井にも銀色のパネルが貼られていて、
足元は緑や青や赤など原色の明かりがかわるがわるつくようになっている。一昔前の宇宙船内のイメージ。
おそるおそる窓へと近づいていく。一歩踏み出すたび、心なしか、ふわふわした感触がする。
「ああこれ揺れてるな」ワカメが冷静に言い放つ。「わかってる! わかってるけど、言うな!」へっぴり腰でうろたえる僕。
「風が強いんだなあ。なんか軽い乗り物酔いみたいなふわふわした感じするもんな。これ揺れてるわ」「言うなー!」
すぐに手のひらは汗でびっしょりになる。しかしなんとかこらえて窓へと近づき、僕も景色を眺める。
周囲はもはや、視界をさえぎる建物が何もない。白い光の点で引かれた地平線が見える。
潮岬でも実感したけど、やっぱり地球は丸い。それがよくわかる。
ワカメはさらに圧倒的になった高さをしっかり楽しんでいたようだが、こっちは歩くことすらままならない。
それでもなんとか意地でデジカメのシャッターを切る。デジカメを構えている間だけは、高所恐怖症が抜けるのが不思議。
L: 東京タワーから東を眺めると、巨大な「穴」が見える。この正体は何か、ずいぶん考えてしまった。
C: 北を眺めるともうひとつ「穴」が見える。ヒントは、左のほうにある緑がかったような色をした四角い建物・国会議事堂。
R: とりあえず自分のアパートがあると思われる方角を撮ってみた。さすがに目の前の麻布界隈はとても閑静。さて、東京タワーから周囲を眺めると、東に大きな「穴」がひとつ、そしてもうひとつ北にも「穴」が空いているのがわかる。
「穴」というのはつまり光がないところ、木々で埋め尽くされているところ、ということになる。
ワカメとあれこれ考えた結果、その正体は、東の「穴」が浜離宮、北の「穴」が皇居と判明。
特に浜離宮のダークマターっぷりは顕著で、光で埋め尽くされた都会の中にいきなり空洞があるのが面白い。
やはり、夜の景色は昼間のものとはまったく別物で、新しい発見がある。特別展望台のエレベーターは上りよりも下りのほうが猛烈な行列になっていて、展望台内にぐるっととぐろを巻いている。
その最後尾に並ぶこと30分弱、ようやく元の大展望台に戻ることができた。平日夜も東京タワーは大人気だ。
それにしてもこの日は風が非常に強く、張られているネットが飛んでいきそうになっているのがエレベーター内から見えた。
もう本当に怖かった。戻ってきたら修学旅行と思われる女子高生がいっぱいいて、ワカメ大興奮。しかもワカメは脚フェチなのだ。
こう書くと単なる変態でしかないが、なんせ外見がイケメン様なのでそれをごまかしてあまりあるのがうらやましい。
そんないじめっ子ワカメは高所恐怖症の僕を、東京タワー名物の透明な床に立たせようとする。受けて立つ僕。こんな感じ。左端に見えるのは、はとバス。小さい!
小学校の修学旅行で這って歩いたのを思い出しつつ、おそるおそる立つ。ワカメも「これは怖えーわ」と言いつつ立つ。
夜は下からの照明がきついので、この透明な床は昼間のほうが怖いと思う。まあそれでもやっぱり怖いものは怖い。
僕がガニ股で下を眺めていると、若オシムといった感じの外人さんがニヤニヤ笑いながらドン!と床を踏んづけて行った。
ちくしょー、外人は知らない人でもそうやって気軽にからかえるのがうらやましい。トゥーシャイシャイボーイ。結局ノッポンはいなかった。ワカメが受付のおねえさんに「あの、ノッポン、いないんですか……?」と訊いたところ、
ノッポンは土日にしか東京タワーに来ない、との返答。無事でよかったね、ノッポン。で、やっぱり赤羽橋から新宿まで大江戸線で戻る。車両が小さいところにかなりのラッシュでヘロヘロになる。
地下、しかも大江戸線なんて全然わからないので、とりあえず地上に出る。そうしたらしめたもので、さっさと歩いて東口へ。
紀伊国屋書店でハセガワさんと合流すると、今日お休みのイヌ女史が予約しておいた激安すき焼き店に入る。
ワカメは昨日1人前1980円の肉を親戚に食わせてもらったそうだが、その感覚をきちんとリセットすべくジャンジャン食べる。
話題について具体的なことはちょっと書けないが、まあ、なんというか、ある人のダメ人間ぶりの話。
人のふり見て我がふり直せってことで、オレはきちんと勉強がんばるぞー!と心底思いましたとさ。
ペコちゃん焼きは結局あまって、家で食った。中身をリボンのところでわかるようにしているのがオシャレですな。1個105円。
モスバーガーで昼飯を食おうとしたら、立方体の箱をもらった。
なんでもこの日はモスバーガー1号店が初めて開店した日で、その記念品なんだそうな。
箱には「ペチュニア」と書いてある。じゃあいっちょ、育ててみようかと思う。
前に観葉植物に水をやりすぎてダメにした苦い記憶がちょこっと蘇る。
今度は、適度に水をあげよう。
家でダラダラしながら古新聞を片付けていたら、折り込み広告で前に働いていた塾のチラシを見つけた。
ああ、受験シーズンが終わっていたんだ、と今頃気がついた。2年前には考えられなかったことだ。どこの学校にこれだけ合格しました、ってことで名前が載っていた。
細かい字を舐めるように見つめ、品川区のところを探して覚えている名前がないかチェックする。
今年高校受験をしたということは、僕が教えていたときには中1だった生徒たちだ。
そしてすぐに見覚えのある名前が見つかった。とんでもなく冷静でデキるやつの名前だ。
あれから後、どういう経緯でどういう学校を目指すようになったのか、僕は一切知らない。
この2年間に何があったのかもまったくわからない。どれだけ大人びた顔つきになったのかもわからない。
しかし当然のように名前が載っているという事実に、ほっと安心して腹の底から息を吐く。
続いて、職人肌の生徒の名前も見つけた。落ち着きがないが努力は欠かさなかった生徒の名前も見つけた。
そして、校長が全力で叱咤激励していた生徒の名前も見つけた。
彼は中学受験のときには行けなかった第一志望の学校に、合格していた。僕は部屋の中で「よかったぁ~!」と独り叫んで天井を見上げた。そしたら、無性に悲しくなってきた。
彼らが合格したのは心の底からうれしいのだけど、僕がいないくせに合格しやがったことが悲しかったのだ。
わかるか。彼らは、僕がいなくても合格してしまったのだ。別の先生に教えてもらって合格したのだ。
もし彼らにそのことについて聞けば、「マツシマ先生が中1のときに基礎をつくってくれた」と答えるかもしれない。
というか、たぶんそう答えるだろうと信じているし、そう答えるだろうという自信もある。
でも、その後の2年間、僕が見ていない間に、彼らは努力をして、合格したのだ。僕の不在を乗り越えられてしまったのだ。ちくしょー、もういいよ! お前らなんか、もうオレなしでやっていけるんだから、勝手にしやがれ!
順序がまるっきり逆なのだが、というか、2年前に彼らの前から去ったのはほかでもない僕自身なのだが、
そう言ってやりたくってたまらない。もちろん、言葉どおりの意味ではなくて、照れ隠しでそう言いたい。
そしてそれを賛辞として贈るという立場にいることがこっちにとっての成長なのだという事実も、またなんとも切ない。
けれどもまた、2年前にもらった「先生はずっと僕の先生です」という言葉もまた真実なのだ。
ぐるぐるぐるぐる、真実と事実が回転してごっちゃになって回りながら、世の中は進んでいく。
確実に言えることは、2年前に僕はあいつらの面倒を見ていて、その過去の延長線上に現在があるわけで、
誰も過去を否定したわけではないし、その過去は誰にも消すことなどできないのだから、現在を誇ればそれでいいのだ。
ベーグル食って日記書いて『ヤダモン』見てリポート書く。
まあそんな感じの、まったくかわりばえのしない休日を過ごした。
新しい中央線の車両を見たのだが、なんか微妙だなあ、と思う。カッチョよすぎて中央線とは思えない。
大学時代は国立に住んでいたので、中央線で新宿まで出て都会を満喫するのが休日の過ごし方だった。
国分寺でのぼりの中央特快をつかまえる、あるいは新宿でくだりの中央特快をつかまえることができると、
それだけでなんだか得をしたような気分になってしまうものだった。
いまだに380円という値段を目にすると「新宿に行けるな」と思ってしまう。
そしていまだに中央特快や青梅特快を見ると「乗らなきゃ損だ」と思ってしまう。しかし、中央線を見る目は確実に僕の中で変化をした。
かつてのお気楽な大学時代とはまったく異なる感触で、中央線を眺めている自分がいる。
というよりはむしろ、かつて中央線で嬉々として新宿まで往復していた自分には、
今の自分の気持ちというものがまったく想像できなかった。当たり前のことなのだが、確かにそうなのだ。
当時の自分にはまったく視野に入っていなかったところから、僕は今、中央線を眺めている。
この変化のことを「成長」と呼ぶことは、まあ間違いなく可能だと思う。
それは視野が広がったという単純な意味でもそうだし、僕が人間的に歳をくったという意味でもそうだ。では具体的に、新しくなった中央線に、僕は何を見ているのか。
浮かれている場合ではないことを悟っているのだ。
以前のように新宿まで往復するときのようなまっさらな気分は、もうない、ということを悟っているのだ。
国立から引っ越しての6年間で、いつのまにか責任ってのが染み付いていた。自分自身を食わせるという責任。
走っていく電車の向こうに、そいつが見えてしまったのだ。見えてしまったものは、しょうがない。そういえば、国立の駅舎が仮設のものになったこと、高架化が進んでいること、
そうしてじわじわと、でも変化がすでに訪れていたことは感じていた(→2007.1.7)。
だけど今までは中央線の車両が国立に住んでいたときとまったく変わっていなかったから、気づかなかった。
新しい車両が走っているのを見て、僕が変化していたことにようやく気がついた。そして、言葉にできた。
KOKAMI@network vol.9『僕たちの好きだった革命』。原案として堤幸彦も参加。
劇場に入って入口どこだんべと歩いていたら、機動隊の恰好をした人が歩いていた。
席に座ると、舞台上では俳優が座り込んだりしゃべったりリフティングしたりしていて、のんびり過ごしている。
開演を待つ客席とまったく同じ雰囲気で、その辺は鴻上尚史らしく、舞台と客席をつないでいるってことだろう。
俳優は客席の方に降りてきて歩きまわる。主演の中村雅俊は観客とテキトーに握手なんかしている。
そのうち鴻上尚史本人も出てきて、俳優とダベったり、歌を歌ったり。
やがて俳優は一人ずつ舞台の袖へと消えていき、ブザーが鳴った。母校に教師として戻ってきた男・日比野が、文芸部部室でかつてのできごとを書いた文章を見つけるところから始まる。
1969年、この高校でも学生運動が起こり、機動隊の手によって鎮圧された。
その際に意識不明になっていた山崎(中村雅俊)が、30年ぶりに目を覚まし、高校に戻ってきたことで騒動が起きる。
学生運動当時の感覚で学校の制度に立ち向かっていく山崎と、無関心な1999年の高校生たち。
しかし学園祭の出し物で予定していたラップのライヴが却下されたことで、学園祭をめぐる「闘争」が始まる。実のところ僕は鴻上尚史の芝居に対しては、微妙なスタンスでいる。
全肯定はできないが、描いているテーマが鋭いのでなるべく観に行っている、そんな感じなのだ。
それでやはりというかなんというか、今回もセリフでつっかかってイマイチのめりこめず。説明的なのだ。
テーマがマッシヴなこともあってか、特にスピード感に欠けているのが気にかかる。
結局、最後までこの距離感は埋まらずにいた。座った席が右端というのもやや影響したかもしれない。
でも細かいギャグは面白い。中村雅俊が学生服を着て生徒を演じる、というひねくれた設定。
ムカつくという言葉に対して大正漢方胃腸薬を出すところ、あーちくしょーうまい、と思わされる。
テーマが重苦しい分だけ、よけいにうまく作用しているように感じられた。さて内容については、こないだ日記で書いた政治についての話(→2007.2.22)をふまえて書いてみると、
これはかつて日本に存在していた「理想」と「現実」の対立が現代でも再現可能か、というところからまず踏み込んでいる。
当時は当時の「言語」があった。左翼な思想を語るべくあつらえられた言葉が、ぐるぐる回転して学生を巻き込んでいた。
しかし今の学生の使っている言語は、それとは徹底的に違う(上述の「ムカつく」はその差異をギャグにしているわけだ)。
現代では、言葉が革命だとか闘争だとかに向けてできていない。今を生きるだけで精一杯になっている。
そこには、かつて未来を描くと思われていた左翼的言葉が実はまったく無力でしかないことが明らかになったあきらめもある。
では「理想」はどうすれば動き出すのか、ということで使われているのがラップ(そしてフォークソング)。この視点は実に鋭い。
ある意味、左翼的言葉が陥った失敗に対し、言葉を別の視点から扱う、もっとカジュアルに身近な表現でとらえなおす、
そのことで再び、何も考えないで済まそうとする現代の現実に対抗しようとする可能性を持ち出しているのだ。
だが残念なことに、鴻上尚史は舞台でGAKU-MCにラップを歌わせるだけでそれを終わらせてしまう。言葉に深入りしない。
できればもうちょっと、言葉というものに向き合ってほしかった。その方が示唆に富む内容になったように思う。もうひとつ。学生運動に当然つきものなのが、暴力。これについての言及がまったくないのも痛い。
国家とは想定された主体(君主だったり国民だったり)が暴力を独占するための合理的な(合法的な)システムだが、
それに対してゲリラ的に、個人レヴェルで暴力が発揮されることがある。それは子どものケンカから、犯罪(=悪!)まで。
暴力と法(理性)の関係をきちんと問い直さないと、実は学生運動の問題点を描ききることはできない。
つまり、暴力とは程度によりあるいは行使者により許されるものなのか。暴力を行使する正当性はいかに保証されるのか。
リンチと公的制裁の境目は何なのか。この点は、特に日本人は、非常に曖昧にしてきたところであると思う。
それをまったく無視して機動隊とやり合うわけだから、なんとも片手落ちな印象しか残らないのだ。まあこうして書いてきたことをまとめると、つまり、僕の興味とズレているところがメイン、という意味で物足りないということだ。
僕の興味は上記のように、言葉と暴力、そして両者を操る理性についてだ。鴻上尚史が入口だけを提示した部分だ。
その点の哲学的な理解をすっ飛ばされて感動的なストーリー展開に無理やりもっていかれると、非常にムズムズする。
テーマが鋭いだけに、悔しくなる。この悔しさは、いずれ自力で晴らすしかないことなのだろうか。
しかしまあ、日記の内容が「懐かしい物」中心になっているなあ、と思う。
潤平なんかはそれに対して危機感を露わにしているわけで、落ち着いて読み返すとなるほどなあ、と思う。
言い訳をさせてもらうと、仕事だとか勉強だとかで、きちんと「今」を過ごしてはいるのである。
ただ、その「今」に納得がどうもいかない、違和感をおぼえずにはいられない、そういう感触があるわけだ。
なんというのか、日常に楽しい部分がないととてもじゃないがやってらんないわけで、
その楽しい部分の手がかりとして過去の記憶を利用しているということになるのか。
日記にはできれば楽しいことを書きたいわけで、その結果として「懐かしい物」の記述が増えている。
まあこの辺は、こないだマサルと人生相談モードになった原因といえば原因ではある(→2007.2.21)。種を蒔いてから芽が出るまでにはどうしても時間がかかるもの。
その間に、今まで育てた花について想像するようなものとして、「懐かしい物」には接したい。
そのことを忘れないように、ここにちょろっと書き残しておくことにするのだ。
昼休み、リポートを提出した。
今回は「モチベーションが上がらねー」と怠惰に過ごしていたせいで、だいぶピンチだった。
いったん「やるかー」と勉強する態勢になっちゃえば、なんとかある程度は進めることができるのだが、
その重い腰を上げるのがなかなか難しい。しかし、難しいのをそのままにしておくと、ピンチになる。
今回はそのことを実感した。ちびちびとでいいから、やらねば。正直、テキストの内容はあまり面白くないし、仕事で気分が乗らないことも多い。
それでも、やらないままでいることの方が怖いのである。あともうひとつ、なんとかして書き上げなければ。
今日はやたらと風が強かった。でも今日、完全に春になった気がする。
朝からものすごくモチベーションが低くて本当に困ったが、仕事をしているうちに、午後にはなんとか回復した。
夜は家で、根性でリポートを仕上げる。スランプのときには自分の文章が信じられなくなって、
それで身動きがとれなくなってしまうのだが、そんなもん知るかー!と突き抜けて書き終えた。正直言って、けっこう今の状態はキツい。でもグダグダ言ってられない。現実は変わらないのだ。
やることやって、じっと機を待つ。今の僕にはそれしかないのだ。
床屋に行く。すばらしくいい天気なのだが、世間では花粉症の季節のようで、皆さん大変そうだ。
終わってから、TSUTAYAの半額レンタルを利用して、なんかDVDでも借りるかーとあれこれ見てまわる。
今年の初めにバヒさんからCDを借りて以来、なんとなく『ふしぎの海のナディア』が見たいなあ、と思う。
ここんとこ仕事と勉強でだいぶ精神的にやられちゃっているのである。だからナディアも見たくなるのである。
でも自由が丘には置いてなくって、じゃあNHKつながりでってことで、『ヤダモン』を大量に借りてくる。いつもだったら迷わず自転車にまたがって飛び出すような見事な天気だったが、昼以降はあえて引きこもることにした。
この際、徹底的にインドアに過ごして逆療法を目指すのだ!ということで、さっそくゲーム。
久しぶりに光栄(当時)の『水滸伝・天命の誓い』を起動。生まれて初めて買ったPC-9801のゲームなのだ。
これのシナリオ4・李応がまだプレーの途中だったので、最後までやることにした。僕は『水滸伝』ではどの好漢を選んでも、必ず中国(宋)を統一するようにプレーしている。
ホントは1127年までに高キュウ(ニンベンに「求」)を倒せばクリアなのだが、そこは中国統一を目指すのが男の子。
シナリオ3の李逵が最も難しいと思われがちなのだが(もちろんこちらはすでに中国統一済みである)、
むしろシナリオ4の李応の方が、周囲が強豪ばかりなので序盤がキツい、と僕は思っているのである。
義兄弟に前線を担当させつつ、好漢はひたすらロジスティクスに徹して財政のバランスをとるというのがこのゲームである。
広大な領土から吸い上げた財力で武装度を充実させ、さらに領土を広げていく。それを繰り返していくとクリアになる。
序盤の地味すぎる共鳴度上げと後半の派手な戦争三昧との差がすごい。でもこのゲームは面白い。音楽もいいし。李応で無事にクリアすると、武松で序盤をちょこっと進める(これをクリアすると全好漢で中国統一したことになるのだ!)。
阮三兄弟が逃亡中から仲間になって、それを山東半島周辺に散らばらせたら面白いように府州が強くなっていく。
かなり早いペースで梁山泊を掌握したところで本日はストップ。続きができるのはいつになるかな……。
僕は厳しい環境に身を置かないとサボる人間だと自分で思っているので、都立中央図書館に行って勉強することにした。
今やっている課題は参考文献を必要としないので、蔵書の充実した図書館に行く必要はないのである。
でも、ああいう勉強や調べ物以外何もない環境でないとオレは勉強しないだろう、と思ったので行ったのだ。4時間ほど黙々と辞書と格闘し、なんとか課題の範囲を読み終えた。あとは家で内容をまとめればよい。
目黒の二郎でラーメン食って帰る。家ではリポートのプロットをどうにかつくり終える。勉強をみっちりとやる休日は、仕事に追われる平日と同じくらいに疲れる。休みという感じがまったくしない。
ガス抜きしたいけど、先月旅行に行っちゃったしな……と金の計算をして途方に暮れる。いやあ、困ったもんだ。
中島らも『ガダラの豚』。
浪人中に読んでおり、日記にレヴューを書かなきゃなあと思いつつここまできてしまった。いいかげん書くことにする。全3巻。民族学者の大生部(おおうべ)が奇術師のミスター・ミラクルと組んで新興宗教から妻を取り戻すのが1巻。
大生部一家がテレビ局の取材でアフリカに上陸し、かつて事故で亡くしたと思っていた娘を取り戻すのが2巻。
そして、その娘を奪い返すべく日本にやって来た呪術師と戦うことになるのが3巻。個人的にいちばん面白かったのは2巻。アフリカという異世界とその真っ只中での冒険は、
リアリティと想像力とが絶妙に混じり合って、ヘタなファンタジーなどとは比べ物にならないほど充実している。
他者である日本人一行の目からアフリカの自然と都市と農村とそこで暮らす人々とを丁寧に描いているのだが、
小さい者が眺める外側の大きな世界を、大きい側の論理で再確認させる視角がとても新鮮で読み応えがあるのだ。
カルトのやり口を徹底的に暴き出す1巻も面白い。特に1993年発表のタイミングを考えるとその鋭さに脱帽である。
3巻ではそれまでの冒険をまとめる最後の対決が展開されるわけだが、
せっかく集まった仲間があーなったりこーなったりで、個人的にはけっこう不満が多い。
それだけ強大な敵ということなのだが、もうちょいなんとかならんかったですかね、というのが正直な気持ちだ。とはいえ、膨大な資料を徹底的に活用してリアリティたっぷりの呪術大陸アフリカを演出する、
その手腕だけでも中島らもの才能の恐ろしさがわかる。読んでいて圧倒されっぱなしだった。
そこにテレビ業界に関する知識を交差させて話を膨らませていくわけで、
強力なバックグラウンドを活かした世界をつくりあげて読者をその中に押し込めてしまう力はさすがの一言。
こういう壮大なウソをつける大人ってすごいなーと思う。これはフィクションをつくる人に向けての最大級の賛辞である。
中島らもの絶対的な想像力の中で、はへーはへーとため息をつくしかないのである。まいったまいった。
昨年末くらいには仕事でヒイヒイ言ってたと思うのだが、2月のラッシュが過ぎて、最近は仕事に余裕がある。
手元の仕事がないので上司のお手伝いをしちゃうくらいに、エアポケットなのだ。一時期のダンゴがウソのようだ。
今くらいのペースがいちばんいい。必死になることなく、じっくり考える余裕がある、今がいちばんいい。通信教育のほうではリポートがかなりキツい状況になっているので、仕事で心に余裕がある状態は本当にありがたい。
こういう運のよさって昔っからなんだよなあ、としみじみ思う。辞書を片手に。