diary 2007.4.

diary 2007.5.


2007.4.30 (Mon.)

朝イチでやんなきゃいけないこと、それは福島県庁と福島市役所の撮影なのであった。
起きるとさっさと支度を整えて、手ぶらで宿を出る。散歩がてらの探索は非常に気持ちがいい。

福島県庁は宿のすぐ近く。歩いていくと福島第一小学校が見えてきて、その向かい側が県庁。
(かつて福島市が市制施行した当時には、この小学校の場所に福島市役所があったとか。)
まずは比較的新しい西庁舎が見えてくるが、本庁舎はその奥、杉か何かの木々にちょっと囲まれていた。
小学校はきちんと門に鍵をかけているのだが、そのすぐ横、グラウンドと歩道の境目には何もない。
これは何のギャグだ、と思いながらグラウンドに入って県庁舎をゆっくりと眺める。

福島県庁舎の周辺は、いかにも行政区域っぽい雰囲気となっている。
すぐ北側を平和通りというやたらと広い道路が通っていて、それで繁華街から隔離されている。
本庁舎から見てまっすぐ道路がつくられていて、見事に花ざかりである。

  
L: 県庁へと至る道路はこんな感じ。  C: 福島県庁。「福島城址」の石碑が見える。典型的な土地利用の変遷である。
R: 本庁舎正面の超ピロティ部分を接写。取って付けたようだが、とても印象的。

福島県庁は、建物じたいは非常にシンプルなオフィス建築。
が、ところどころにモダニズム要素がくっついていて、これがなかなか面白いのである。
正面で一番目立っているピロティもそうだし、向かって左側には時計のくっついた塔がある。
つまり直方体のありがちなオフィスに直接、モダニズムが部分的に接着されている感じになっている。

 
L: 庁舎東端にある時計塔。どうしてど真ん中に配置されていないのか、ちょっと疑問。でも面白い。
R: 庁舎を裏側から撮影したところ。格子状のファサードは表とは対照的。南向きだから窓も大きい。

庁舎をぐるっと一周してみようとしたら、時計塔の脇から敷地の外に抜けられる小さな路地があった。
行ってみると、もう存分に5月の緑色をまとっている木々の中から阿武隈川が現れた。
その脇にひっそりとたたずんでいるのは、板倉神社。福島城の主だった板倉氏を祀った神社だ。

  
L: 板倉神社。小ぎれいで、晴れた日にはけっこういい場所。  C: 阿武隈川。神社から東を眺めたところ。悠々と流れる。
R: こちらは福島県庁西庁舎。意外と大きく、小学校のグラウンドを挟んでようやく全容が撮れた。

気持ちのいい晴天に、人のいない休日だったせいか、時間がとても穏やかに流れている。
水面に日の光が反射してまぶしい。不健康な日常とはまったく対照的な、「正しい朝」である。
深呼吸すると本庁舎に戻ってしばらく探検を続ける。

敷地を一周すると、今度は福島市役所へと向かうことにする。
福島県庁と福島市役所とは、そこそこ距離がある。市役所は国道4号沿い、市街地の端っこに位置しているのだ。
平和通りから左折して国道4号を行く。近くに高校が複数あるためか、自転車に乗っている高校生の姿が目立つ。
さえぎるものが何もなく、直射日光が刺すように降り注ぐ。だだっ広い道を車が走り去っていくが、
国道の両脇には特に店があるわけでもないので、みんな速いスピードで消えていくばかり。
夜になったらきっとこの道は、本当に何もない道になるんだろうなあ、と思いつつ北へ歩き続ける。

もうちょっとで福島競馬場、というところで左折。ちょうど目の前が更地になっていたおかげで、
福島市役所の敷地がよく見える。更地になっていなかったら気づかなかったかもしれないくらい地味な一角だ。
少し国道から内側に入って市役所(南庁舎)の正面に向き合う。なかなか古い。でもよくきれいに使っている。
建物じたいはシンプルながらも正面玄関に車止めがつくられている姿が、なんとなく大学のようである。
今、市役所という規模の庁舎でこのような車止めのある建物は、めっきり少なくなってしまっているのだ。
「これは古いなー」とつぶやきながら、撮影したり近づいてみたり(後日調べてみたら、1952年竣工)。

  
L: 福島市役所南庁舎を東南側より撮影。シンプルな建物に対し、風格を醸し出そうとしている玄関が特徴的。
C: 別の角度から。建物の奥に物見櫓があるのがわかる。県庁といい、福島の人はこういう塔が大好きなのかな。
R: というわけでそこだけ撮ってみた。ガラスで覆われたつなぎ部分がけっこう格好いい。

正面を堪能すると、敷地を一周してみる。奥には北庁舎がひっそりと建っていた。
市役所の敷地の中は、正面の駐車場を除けば建物が密集している感じ。だいぶ狭隘ぶりが大変そうだ。
道を挟んだ北側には福島地裁・家裁があった。混み合っている市役所を後ろから余裕をもって眺めているみたい。
福島市は従来の城下町の影響が残っているようで、基本的に道幅は狭い。
そんな中で窮屈そうに昔からの姿を保っているのは、なんとなく微笑ましい光景なのであった。

  
L: 福島市役所の周囲はこのような形のブロック塀が取り囲んでいる。なんだか、懐かしい感覚。
C: 裏側にある北庁舎。休日だけど、出勤してくる職員がけっこう多かった。
R: 裁判所の敷地から北庁舎の裏側を撮影。まあとにかく敷地に余裕がない。近いうち壊されちゃいそうな予感がするなあ。

その後は市民会館の脇を抜け、国道13号である信夫(しのぶ)通りから駅前に出る。
まだ時間が早すぎてこれといって行くところもなかったので、あっさり宿に戻って態勢を整えるのであった。
で、しばらく足を休めてから福島駅へと出発。駅前通りの商店街を行く。ここは元気がいいのだが、あとは厳しい。
駅から半径300m以内は活気があるが、そこから先は急激に衰退した光景になるのが福島市の印象なのだった。

 駅前通り。県庁所在地で元気なのはここだけってのもなあ……。

福島駅の西口には行ってなかったので、地下通路を抜けてそっちに出てみる。
こちらは絵に描いたような開発途上の風景で、とりあえず「コラッセふくしま」1階の特産品売り場を一周。
それからオープンして間もないらしいイトーヨーカドーをするっと見てまわると、中のミスドで一服。これが本日の朝メシだ。
これはぜひ、郡山と比べていろいろ考えてみたかったなーと思いつつ、食べ終えると駅の構内へ。

さて、福島市は福島県の北端にあり、実は仙台市にも山形市にも比較的近い位置にある(見事に三角形が描ける)。
実際、福島市・仙台市・山形市は観光の連携に力を入れていて、互いに協定を結んでいるのだ。
僕はすでに今回の旅の最後を松島にしようと決めていたので、これから福島から山形へと移動するのである。が。
山形線の時刻表を見て唖然とした。本数が少なすぎる。次の普通列車は1時間半後。しかも米沢止まり。ありえない。
これはつまり、山形新幹線を利用させようというJR東日本の策略なのだ。ハンカチを噛んでキィーと歯軋りである。
しょうがないので新幹線自由席の切符を購入し、内心大ブーイングを駅員に浴びせつつホームで新幹線を待つ。
アホ面こいて蹲踞すること10分、山形新幹線がやってきた。3月から全車両を禁煙化したのが唯一の救いか。

実際、新幹線は速い。ローカル線にあるべき風景を豪快にすっ飛ばして走っていく。
おお、これは!と思うような風景をデジカメで撮ろうとしても、アングルを決める前に景色が消えていく。
奥羽山脈を背にした平野の姿を記録に残しておくことができない。がっくりである。
なんとか意地で撮ったのが、下の写真。山形名物の果物を山腹のビニールハウスで栽培しているものと思われる。
こういうビニールハウスがあちこちの山にベッタリと貼りついているのがひどく印象的だった。
これはけっこう、山形県民の原風景となっているかもしれないな、と思う。

 ビニールは空の光を映して白く輝く。それが山を覆っている。

というわけで、1時間ほどで山形に到着なのであった。まあ確かに時間に余裕ができるのはありがたい。
しかしそれはそれで磐越西線のときみたいな別の余裕を犠牲にしているわけで、歓迎はしたくない感じだ。
まあともあれ、午前中に山形市入りしてしまったので、のんびり歩いてみるかな、と決意を固める。

山形駅でコインロッカーを見つけると、背中の荷物を預けてしまう。
新潟での謎の捻挫の原因は背中のBONANZAだったわけで、それをなくせばずいぶん楽になるのだ。
足の具合についても、「歩いているうちになんとなく治る」という法則がわかってきたので、まああまり問題ない。
日差しが照りつける中、シャツを腕まくりして山形県庁目指して歩いていく。

駅構内で入手した地図によると、山形県庁はかーなーりー遠い。思わず音引き(ー)を挟んじゃうほど遠い。
地図を見れば、駅前からまっすぐ東へと歩いていけば県庁に着くことになっている。でもそのまっすぐが3km以上続く。
そして地形は扇状地である。駅から県庁まで、見事なまでに緩やかな上り坂が延々と続くのである。
しかもこの日は全国各地で真夏日になっちゃうような晴天で、もうめちゃくちゃ暑いのなんの。
日本で最高気温・40.8℃が記録されたのは1933年のここ山形なのである。それが納得できるほどの灼熱ぶり。
まあそんなんでも2日前の雨に比べればすばらしい天国と言えよう。だからわりに平然と歩いていった。

  
L: 山形駅。コンクリート製の駅舎の前にはバス停があり、女子高生たちに完全に占拠されていたとさ。
C: 道を歩いていて面白かったので撮影。山形ナンバーの「形」って、こんな形をしているのね。
R: 県庁のすぐ近くにある千歳山。駅前ではうっすらと見えていた山が、もうホントすぐそこなのである。遠すぎ。

最初、道はいかにも山形の中心という印象で、いくつかデパートもあったのだが、それはすぐに住宅地の風景へと変わる。
たまにお寺があったり学校があったりでアクセントをつけるものの、基本的には家や店っぽい事務所ばかり。
県庁所在地であろうとそうでなかろうと、中心市街地からはずれればどこも似たような風景だなあ、と思いつつ歩いていく。
歩いて歩いて歩いていった先、山形大学附属中・小学校を抜けると国道286号線にぶつかる。
これを左折すると、どでかい白い建物がぽっかりと姿を現す。言わずもがな、山形県庁である。
右手には千歳山がもうすぐそこの位置にある。山形駅前からはうっすらとしか見えなかった山が、目の前にある。
そのあまりのくっきりはっきりぶりに、こんなところまで歩いてきたのかよーとわれながら呆れるのであった。

とりあえず国道を挟んだ遠景で写真を撮ってから、県庁の敷地の中へと入っていく。
県庁のふもとはレンガのブロックが敷かれたオープンスペースだが、日差しのせいでかなり熱くなっている。
当然のごとく人影は僕一人なのであった。後になって母親と子どもが現れたけど、子どもは照り返しがキツいと思う。

山形県庁舎は、もう感心してしまうほどに典型的な保守系オフィス建築だ。定礎には「昭和50年竣工」とあった。納得。
裏側にまわってみてもデザインが表とほとんど同じだったのには思わず笑ってしまった。
この山形県庁舎は、現在つくられている庁舎建築の原型とみなすことができると僕は思う。
具体的には、このタイプの庁舎にアトリウムと展望台がくっついたものが、今の典型的な庁舎建築であると考える。
アトリウムと展望台の両者に共通するのは、「市民にとっての親しみやすさ」という大義名分である。
山形県庁はそれが盛り込まれる直前の姿をしているという点で、なかなか有意義な例だと思う。
白(無彩色)はオフィスという目的を強く主張しており、役所という「機能」をアピールしているのだ。
建物の前にあるオープンスペースは「市民に開かれた空間」という意味づけで、革新自治体の産物だ。
(このオープンスペースを建物内部に取り込んで(管理しやすい)アトリウム化するのが1990年代の特徴である。)
実用性がゼロに等しいオープンスペースを建築語彙化したのが1980年代(保守への回帰)と指摘できるだろう。
ではそのオープンスペースが生まれる前、建物の前には何があったかというと、駐車場である。
その駐車場を建物の背後に移動させてオープンスペースを確保するところに、保守の巧妙さがあるわけだ。
つまり、革新勢力が民主主義の意味を問い直したとき、空間デザイン的にはオープンスペースが発明された。
その後に勢いを盛り返した保守勢力は、機能のみの空間である駐車場をオープンスペースに変更することで、
かつて革新を支持していた住民たちに対し、開かれた行政をアピールした、ということなのだ。
しかしそのオープンスペースからハプニングの要素(演劇的要素)を徹底して取り除いた結果、実用性はなくなった。
オープンスペースはさらに管理しやすい(パノプティコン的)アトリウムへと進化し、現在に至る。そう僕は考えている。

  
L: 山形県庁。超・庁舎建築。ここまで面白味のない建物に面白味が見出せるようになると、もう立派な庁舎建築マニアですな。
C: 建物の前にあるオープンスペースはこんな感じ。実用性のなさは日陰がまったくないところからもわかると思う。
R: 山形県庁の裏側。ほとんど表と一緒。道路の両側にはオープンスペースに追い出された駐車場が広がっております。

そういうわけで、山形県庁は僕にとってはとても意義深い建物なのであった。

山形県庁からの帰りは、来たときとは別の道をのんびりと下っていくことにした。
辺りはまさに田舎の住宅地。昨日は会津若松でふるさとの風景を思ったわけだが、今日もそんな感じ。
この山形県庁から山形大学の辺りに広がる風景は、上飯田の風景にものすごくよく似ていた。
日本の地方都市の風景はどこもそんなに変わらない。これがオレの原風景か、と一人ウンウンうなずくのであった。

  
L: かつて水道関係のインフラがあったらしく、今もここだけ雑草生え放題。昔はこういうところで遊んだもんよ。
  左側にある側溝、手前のコンクリートのフタと穴なんか、だいぶ原風景である。
C: 地方都市の住宅地の家並み。ブロック塀とそこから飛び出る緑、あるいは玄関先の花とか原風景。
R: 高架の道路と下のトンネル、その脇にある雑草とコンクリが原風景。さっきから雑草とコンクリばっかだな!

うーむ懐かしい、と歩いていたら、左手の道路の先に柵と建物が見えた。近づいてみると、山形大学だった。
中に入ってみるが、さすがに連休中なので閑散としている。生協前でテニスサークルの皆さんがダベっているくらい。
山形大学はキャンパスが分散しているためか、周囲の柵が目立たないためか、少し迫力に欠ける感じ。
いつもはそんなことないんだろうな、と思いつつ軽く中をブラつくと、駅へと坂を下っていく。

 山形大学小白川キャンパス正面。周囲の住宅地に溶け込んでいる感じである。

住宅ばかりの道をのんびり歩いていくと、再び商店街の風景に。
いったん駅まで戻って、遅い昼メシをいただくことにした。あれこれ迷う気力がなかったので、駅ビル内の蕎麦屋に入る。

蕎麦屋でふと目の前を見てみると、ガラス板一枚を挟んだ向こうではアイスクリームを売っていて、
ひっきりなしに女子高生の皆さんがやってくる。ぼーっと眺めているうちに、あることに気がついた。
それは、18歳未満と思われる女子はだいたい90%の確率で、ほっぺたが赤いという事実である。
これは誇張なしで本当にそう。みんながみんな、白いお肌に赤いほっぺたなのである。
大学生以上の女性でほっぺたの赤い人はまったくいなかったので、18歳くらいを境目に変化が生じるようだ。
理由はまったくわからないのだが、とにかく山形市ではそうだった。見ているとなんだか心が和むのであった。

で、蕎麦は大盛を頼んだらせいろが三段重ね。存分に堪能したのであった。
ちなみに店のおっさんが配達に来た人と話をしていたのだが、早口の山形弁はまったく理解できず。まるでわからん。
それで今度は若い人たちのしゃべりを聞いてみると、やたらと濁音になるようなことはないものの、
イントネーションは完全に僕らの想像する東北弁そのものといった印象だった。まさに『スウィングガールズ』の世界。
ほっぺたを赤くしてバリバリ方言をしゃべる平成生まれの姿は、なんだか頼もしかった。

さて、満腹になった後は当然、食後の運動ということで、歩く。
山形市役所を目指してとりあえず北へ向かう。山形市中心部の区画はけっこうきちんと碁盤目状である。
テキトーなところで右折して、案内板のとおりに歩いていく。すると巨大な建物がチラチラと見えるようになる。
そうなりゃそれに向かって突進あるのみ。近づくと建物はさらにデカく迫ってくるのであった。

  
L: 山形市役所を南側から撮ったところ。とにかくデカくてカメラの視界におさめるのが大変。
C: 国道112号に面した東側を撮影。東京都では八王子や小平の市役所と似ている印象。右手にはバス停がある。
R: 入口はこんなん。奥には段差のあるオープンスペースと議会。

 
L: 入口を逆の角度からクローズアップ。建物が大きいこともあって、ピロティはちょっと圧迫感があるかな。
R: 山形市役所前のポストには花笠が乗っているのでありました(山形花笠まつりは東北四大祭りのひとつ)。

まあこんな感じで「デカい」ぐらいしか特に書くことのない山形市役所なのであったが、
その北側には裁判所がある。そしてそのさらに先にあるのが、「文翔館」である。
「文翔館」はかつての山形県庁舎と県議会庁舎。初代の県庁舎が火災で焼失したため、煉瓦でつくられた。
1916年に竣工し、その後1975年に今の県庁舎(さっき炎天下を歩いて行ったアレ)ができるまで使用された。
その後修理が施されて、1995年より「文翔館」という名の郷土資料館となったのである。入館無料。

まずは敷地を一周。きれいに整備されて一般公開されている敷地内は、けっこう居心地がいい。
特にこの近辺には公園がないので、中心市街地北端の憩いの場となっている。
建物を正面から眺めると威圧感がありそうな感じなのだが、近づくと2階分の高さしかないのでさほど怖くない。
敷地いっぱいにそびえる山形市役所とはけっこう対照的なたたずまいとなっている。

  
L: 文翔館(旧山形県庁舎)を正面より撮影。オープンスペースも建物もきれいにしてあるのが好印象。
C: 左側から庭園を挟んで撮影してみた。  R: 今度は右側から。幅のある建物なので撮影は少し大変だった。

  
L: 旧山形県庁舎の裏側はこんな感じ。正面と比べるとかなりの落差がある。
C: 西隣には旧県議会庁舎も残っている。手前の噴水は山形県の県章をかたどっているようだ。
R: 角度を変えて旧県議会庁舎を撮影。こっちはたっぷりと花を植えてあるのだ。

さっそく文翔館の中に入ってみる。見るからに県職員OBと思われるおじいちゃんからパンフレットをもらうと、3階へ。
(正面から見ると2階建てに見えるが、実際は3階建て。裏側の写真参照。つまり表側の地面が半フロア分高いのだ。)
階段・廊下はかなり狭い。竣工した大正時代なら確かに問題なかったかもしれないが、
戦後もこれを実際の庁舎として使うというのは、かなり大変だっただろうなと想像する。

まずは正庁から。正庁とは要するに大広間のこと。ここで重要な会議が行われるなどしたのだ。
威厳たっぷりの空間は、もはや現代じゃ通用しない豪華さにあふれている。
そして正庁からは自由にテラスに出ることができる。このテラスは玄関の真上にあって、国道112号を見下ろせる。
右には山形市役所、左には県民会館。そんなに高さがあるわけではないので、街が展望できるということはない。
それでも5月の風を味わいながらぼーっとするのはとても気持ちがいいのである。

  
L: 正庁の様子。今のご時世で県職員がこんな場所で会議していたら絶対叩かれるわな。
C: テラスより眺める国道112号線。山形市のメインストリートで特に面白い建物があるわけではないが、心地よい。
R: 振り返って時計塔を撮影してみた。そしたら高いところでムリな体勢をとったので高所恐怖症が発動。情けない。

建物の内部に戻ると、ほかの部屋もまわってみる。半分ほどは往時の内装がそのまま再現されていて、
もう半分は質素な展示スペースやギャラリーになっている。その落差がけっこうはっきりしているのが興味深い。
展示物は県の歴史と地理という、きわめてフツーなものばかりである。
でも山形県に縁もゆかりもない僕としては、素直に勉強になる内容なのであった。
山形県は置賜(おきたま/おいたま)・村山・最上・庄内の4地域に分けられ、それに応じて展示がなされている。
旧県庁舎を資料館にしている点も、県内の地域別に紹介をする点も、兵庫県と共通している(→2007.2.13)。
まあつまり、これは旧庁舎を保存活用するための手段のひとつというわけである。

中をひととおり見終わると、1階に下りて中庭に出る。
が、中庭は見事に何もなく、申し訳程度にテーブルと椅子があるのみ。なんだかまるで刑務所のような印象だ。
2階にはカフェがあるのに、それとまったく連動していないのがなんとも悲しい。

 
L: 知事室。今のご時世で県知事がこんな場所で仕事していたら絶対叩かれるわな。
R: 中庭の様子はこんな感じ。壁に囲まれて非常に淋しい空間。かといって壁をぶち抜くわけにもいかないしなあ。

さて、だいぶ足は疲れているのだが、まだ行ってみたい場所があるわけで、根性を振り絞る。
山形市の中心部では、国道112号と平行に線路が引かれている。主な施設はみんな東側にあったわけだが、
かつての山形城である霞城(かじょう)公園は、線路のすぐ西側にある。ここに行ってみるのだ。
わざわざ駅の近くの陸橋を渡って線路を越える。旧山形県庁のテラスよりもこちらの方が街を見渡せる。
駅の周辺と国道112号の辺りは都会というか、ビルが多い。でもそれ以外は住宅ということで、はっきりしている。

そういうわけで南門から霞城公園に入る。公園内はふつうに車道が引かれていて、車がけっこう多く駐車してあった。
中には県立博物館や県体育館、野球場など公共施設がけっこうあって、城としての雰囲気はそれほど残っていない。
現在は史跡としての復元が進められている真っ最中なので、何年後かにはまったく別の姿になっているかもしれない。
復元が完了しているのは東大手門周辺。ここにはかつての山形城主・最上義光の像が置いてある。
ちなみにこの最上義光をきちんと「もがみよしあき」と読めるかどうかは、戦国時代に関する知識のバロメーターになる。

  
L: 復元中の山形城。工事の様子を見るための簡易展望台がつくられていたので、そこから撮影。
C: 東大手門に至る二の丸跡と最上義光像。今のところ、霞城公園でお城っぽいのはこの一角ぐらい。
R: 東大手門から出てしばらく行くとある、最上義光歴史館。地元では英雄だが、『独眼竜政宗』では悪役だったので損をしている。

公園を出ると国道112号に戻る。山形銀行から東北電力までの区間は「七日町商店街」となっているのでそこを歩く。
信号や住所の表示を見ると「なぬかまち」と読むようだが、商店街は「なのかまち」らしい。よくわからない。
(会津若松市にも「七日町」があったが、これはJR七日町駅のみ「なぬかまち」で、あとは「なのかまち」と読むようだ。)
七日町商店街には若者向けの店が並んでいて、実際に歩いている人も若年層が多い。
デパートと小さな店といろんな種類の店舗が集まったビルが共存していて、多彩な街並みがつくられている。
国道なんだけど歩道はしっかり広くとって、そこに街路樹・花壇・商店をびっちり配置しているので雰囲気がいいのだ。
しかしこの商店街の周辺は、急にずいぶんと地味な印象の街並みになってしまうわけで、
この商店街の区間だけが今のところどうにかがんばっている、そういう感触がするのである。

 七日町商店街。交通量が多いが、歩行者は快適。奥には文翔館が見える。

夜になってもう一度、山形駅周辺と七日町を歩いてみる。
山形駅近くのデパートにも入ってみる。数が複数あるのはそれだけでいいことである。ただ、中はちょっと元気がない。
七日町は夜になると店が閉まって、かなり寂しくなる。例のごとく飲み屋は点在するが、食事のできる店が本当に少ない。
どうにか七日町で食いたいなと思い、しらみつぶしに見てまわる。すると中華からイタリアンまで雑居しているビルを発見。
中に入ると、フロアのうち半分の店舗しか営業しておらず、その衰退ぶりにとっても悲しくなってしまう。
で、落ち着いた雰囲気のイタリアンの店で、ピラフをいただいた。おいしかった。
オレは意地でも、晩飯で地元経済に貢献する旅をするのだ!と心に誓った。


2007.4.29 (Sun.)

朝起きると、やっぱりまだ足が痛い。バンテリンの湿布を貼ったのだが、効果は少しあったかな、という程度。
まあそれだけとんでもない距離を重い荷物で歩きまわったわけだから、しょうがない。
覚悟を決めて荷物を整理すると、チェックアウト。新潟駅から列車に乗り込む。

次の目的地は福島県である。今回は南の東北を制覇するのが目標で、それならいきなり福島入りするのが順当だ。
しかしあえて新潟県から福島県へ向かうというのがポイントなのである。それは、どうしても行ってみたいところがあったから。
まず、喜多方市。ここで喜多方ラーメンを食うのである。そして、会津若松市。城を見てみようと思ったのだ。
この2つの寄り道をクリアするのが、磐越西線(ばんえつさいせん)。新潟(新津)から郡山へ抜けるこの路線に乗るのだ。
とはいっても僕は鉄分が低い人間なので、詳しいことはまったくわからないままで乗り込む。

最初のうちは穏やかな平原を走っていた磐越西線は、五泉を越えた辺りから山がちになる。
列車は阿賀野川沿いに走っていく。ずいぶんと標高が上がってきたのがわかるが、川の流量は変わらない。
今日は昨日とうってかわって抜群に天気がいい。水面に反射する太陽の光がまぶしく、さわやかである。
のんびりと緑の水をたたえる川は、福島県に入っても優雅に流れる。山の中なのにボートの練習場があるのに驚いた。
やがて地元の高校生たちが乗り込んできたので、イヤフォンをはずして方言に耳を傾ける。
予想していたほどはキツくないものの、明らかにイントネーションの根幹が標準語とは違っている。
同じ日本語のはずなのに、山を越えるということだけでどうしてこうも差が生まれてしまうのか、不思議だ。

そんな高校生たちと一緒に喜多方駅で下りる。次の列車まではだいたい70分ほど。
メシを食って辺りをブラつくには十分な時間だ。駅の観光案内所で地図をもらうと、意気揚々と歩きだす。足が痛いけど。

喜多方はもともと「蔵のまち」として有名である。その蔵の写真を撮りに来た観光客がラーメンを評価したことで、
「喜多方ラーメン」という絶大なブランドが生まれたという。とにかく街の中には呆れるほどラーメン屋がたくさんある。
今回チャレンジしてみたのは、喜多方ラーメンの元祖と言われる源来軒である。
店に入ってみると、10時半くらいなのにもう1階はいっぱいで、2階に通された。一人で座る座敷というのもちょっと切ない。
当然のごとく大盛を注文して、しばらく待つとラーメンがやって来た。デカい。並が550円で大盛が850円。
価格差は正しかった。必死で食っていくが、なかなか減らない。しかしそこは自他ともに認める大食い、根性で乗り切る。
個人的な好みでいえば、もうちょっと麺は硬めであってほしかったが、正しい支那蕎麦を久々に食った。

  
L: 喜多方駅。蔵をイメージしてつくったと思われる。入口の向かって左側が観光案内所。ここで地図をゲットするのだ。
C: 源来軒の外観。元祖。  R: ラーメン大盛、850円。レンゲだけじゃなく器のサイズもハンパなくデカかった……。

かなりの満腹になって店を出る。まだ時間に少し余裕があるので、とりあえず市役所まで行ってみることにする。
足を引きずりながら厳しい日差しの中を行く。車社会のサイズに引き裂かれ気味な印象の街並みを進んでいくと、
若喜商店のレンガ蔵を目印に右折する。いかにも旧市街といった枯れ気味の落ち着きを持った道を行くと市役所に出た。

 
L: 喜多方市役所。昭和30年代型シンプル庁舎と見た。東の方にはラーメン館があって賑わっていた。さすがゴールデンウィーク。
R: 市役所前のポスト。蔵のまちということで、ポストの上には蔵が乗っていた。

ちょうど時刻はお昼に差しかかろうというところ。(僕を含めて)明らかに観光客の皆さんが辺りをウロウロしていた。
道をちょっと戻って北に入ってみると、とんでもない行列ができていた! これはみんな、坂内食堂にできた列。
こんなに並んでちゃ、昼メシが晩メシになっちまわあ、と呆れる。いやはや、これには驚いた。

  
L: これみんな坂内食堂のためにできた列。ゴールデンウィークとは恐ろしいものだ。  C: 坂内食堂入口。大混乱ですな。
R: 坂内食堂を過ぎると道はこんな感じに。ふだんはこういうふうに落ち着いた旧市街なんだろうけどねえ。

本当に心底びっくりするとともに、食べ物の名物がある街の底力をあらためて痛感させられた。
こうやって全国あちこちに行ってみると、衰退して痛々しい市街地を頻繁に見かける。
しかしそれでも、このように活力を持っている街、求心力を失っていない街は確実に存在しているのだ。
昨日の新潟のことと合わせて考えてみると、答えはけっこう簡単に見えてくる。

そういうわけで歩きながらぼんやりと、現代における活力のある街・魅力のある街の3条件を考えてみる。

まず、食べ物の名物があること。その土地でないと食べられない、という名物があることで、観光客は必ずやってくる。
そうして有名店が市内に点在するようになり、街全体がテーマパーク化してしまえば言うことなしだ。
宇都宮の餃子のケースもそうだ(→2005.11.13)。安価なB級グルメが狙い目、ということになるのかもしれない。

そして2つめ。サッカーのクラブがあること。これは地元が一体化して力を注ぐ対象であればサッカーでなくともかまわない。
しかしサッカーのクラブというのは、最もそれが実現しやすい要素を持っている。
全国的に地域の名前を広めることができるし、地元に身近なところで娯楽が提供できるメリットも住民には大きい。
アウェイチームのサポーターが訪れることで、ある程度の経済的な効果も期待できるようになる。
実際にクラブのある都市を訪れて、小さなところにまでクラブを応援する意識が徹底されているのを見るとほほえましい。
住民の側にも観光客の側にも、その街の「顔」を見えやすくするというメリットが指摘できそうだ。
(2004年の新潟県中越地震の際、アルビレックス新潟があちこちでエールを贈られていたのは記憶に新しい。)

3つめはまだわからない。でも何かありそうな気がするので、とりあえず「3条件」としておくのである。

  
L: 若喜商店(味噌や醤油の醸造所)の外観。モダン。重要文化財である。
C: 若喜商店レンガ蔵。写真じゃわかりづらいが、レンガで蔵をつくっている。こちらも重要文化財。
R: 駅前に戻ったら、ちょうど蔵型の馬車が観光客を乗せて歩いていた。後ろの車が大渋滞でもお構いなしで笑った。

小走りでなんとか列車の発車時刻には間に合った。もうちょっとじっくり街を見たかったなあ、と未練を残しつつさらに東へ。
山並みの中にひときわ尖った磐梯山を見ながら音楽を聴いているうちに、会津若松に到着。

会津若松駅に着いたはいいが、どこをどうやって城まで行けばいいのかがイマイチよくわからない。
僕らは「会津若松城」という言い方に慣れているが、現地では「鶴ヶ城」以外の言い方はしないみたいだ。
で、その鶴ヶ城へ行くルートを地図でチェックしようとするが、掲示されている地図は上になっている方角がまちまちで、
何がどうやらさっぱり。地図を舐めまわすようにジロジロ見てみたら、なんと、2駅南にある西若松駅が最寄り駅のようだ。
しょうがないのでバスで行くことにするものの、今度はどのバスに乗ればいいのかがサッパリ。
会津若松も滞在時間に余裕があるわけではないから、フリーパスを買うつもりはない。
とりあえず周遊バス「ハイカラさん」は1回乗るのに200円ということで、100円玉を2つ握り締めてバスを待つ。

 
L: 会津若松駅。白虎隊士の墓と鶴ヶ城と駅と、それぞれけっこう離れている。要注意である。
R: 周遊バス「ハイカラさん」。なるほどこりゃハイカラさんだと思いつつ撮ったら、同じタイプのバスが後日、草津でも走っていた……。

観光シーズン真っ只中ということで、周遊バスは2台来た。1台はその名のとおりハイカラなタイプ、
そして僕が乗ったもう1台はふつうの乗合バスだった。ただしカラーリングはハイカラと統一してあったのでヨシ。
いざバスに乗ってみると、運転手さんが非常に説明上手。特に説明が義務づけられているわけではないようだが、
気軽に観光客にあれこれ説明してくれて、それが絶妙に聞きやすい方言混じりなのがいい。
時間が許せばこのままずっと乗って説明を聞いているのもアリかもしれん、と思った。
で、車窓から見える風景がまたすごい。バスは中心市街地を走っていくのだが、見事にモダンな建物が残っている。
なんでもないふつうの商店が、明らかにレトロなモダンの香りを漂わせているのである。
特に圧倒されたのが会津若松市役所で、それを見て、僕は大いに迷ってしまった。
このまま鶴ヶ城を見て駅に帰るか、それとも無理をしてこの街をもうちょっとあちこちまわってみるか……。

バスが鶴ヶ城入口に着いたので降りた。和歌山城(→2007.2.12)のときもそうだったけど、
城の中に入る気は全然なくって、周囲をふらふら歩いてなんとなく戊辰戦争に思いをはせるのである。
ちなみに山口県出身のマサルの話によると、いまだに会津地方では薩長出身者との結婚に待ったがかかるそうだ。
そんなに遺恨が残ってるわけ!?と驚いてしまうのだが、明治以降の会津地方は本当に冷遇されてきたようだ。
そういう悲しい記憶が一見さんの観光客には表向き見えないようになっている。まだまだ勉強せにゃならぬ。
(1986年、会津若松市は山口県萩市からの友好都市提携の申し入れを「まだ120年しか経っていない」と拒否した。)

  
L: 鶴ヶ城天守閣への入口。しょうがないけど、桜のシーズンが過ぎてしまったのが惜しいところ。
C: 現在の天守閣は1965年に再建されたもの。もともとは芦名氏の城で、蒲生氏郷が伊達政宗を監視すべく入城した。
R: 廊下橋。写真の反対側ではインターハイ予選か何かで高校生が必死になってテニスをしていたよ。

鶴ヶ城を歩いてまわっている間に決心がついた。せっかくここまで来たわけだし、もうバシバシ写真を撮りまくってやるぞ、と。
福島市に入るのはけっこう遅い時間になってしまうかもしれないが、後悔のないように動きまわることにした。
そうと決まれば行動に移るのは早い。さっそく城の管理事務所に行って、レンタサイクルの手続きをする。
足が限界だし距離もあるので、ここは一発、レンタサイクルで市内を走りまわることにしたのだ。
受付のおねえさんいわく、「この時期は予約でいっぱいなんですけど、運よく1台空いたところです」。いやー、ツイてる。

いざ自転車にまたがると、観光客の間をぬってゆっくりと走りだす。街並みはさっきバスに乗ったので、だいたい覚えた。
どこをどう行けばいいか、なんとなくわかる。バスのルートを基準にして、頭の中に地図を引いていく。

  
L: 城内には巨大な赤べこが。これはデカい。ちなみに赤べこの「あかべぇ」は会津地方のマスコット。
C: 北出丸大通を鶴ヶ城方面から撮影したところ。非常に雰囲気のいい場所である。
R: 会津酒造歴史館。バスの運転手いわく、「(酒に)弱い人はここで引っかかって鶴ヶ城までたどり着けない」。

知らない土地をさも知っているように自転車で走り抜けるのは実に気持ちがいい。
レンタサイクルはサドルがやたらと低いし重心は安定しないしでなかなか扱いづらいが、それでも十分快適だ。
会津若松市役所を目指して勢いよく北へと走っていく。そのうち走ること自体が楽しくなっちゃって、
多少オーバーランしたものの、なんとか無事に市役所に到着。実に1937年竣工というその姿は威風堂々としている。

  
L: 会津若松市役所を正面から。周りが建物でびっしりなので圧迫感があるが、よく残したなあ、という感じである。
C: 角度を変えて撮影。  R: 裏側から見た会津若松市役所。正面に比べるとかなりボロボロで、今後がちょっと不安……。

市役所を離れると、西へと走る。やがて「野口英世青春通り」に突入(HPはこちら)。
この近辺は野口英世が青春時代を過ごした場所ということで、いろんなものが残されている。
中には「野口英世の初恋の人・山内ヨネの生家」なんてのもあり、偉人ってプライバシーが超筒抜けか……、と呆れた。

  
L: 野口英世青春通りにはの街灯には、このように野口英世をデザインした看板がくっついている。
C: 旧会陽医院。野口英世が医学者としてスタートした場所だそうで。
R: すぐ隣は会津の名産品を扱う福西本店(福西伊兵衛商店)。これまた風情がありますな。

さきほどバスから見かけた建物を、自転車に乗ったままであれこれチェックしていく。
ファサードを凝りに凝った住宅兼商店が、現役でがんばっている姿が頻繁に見かけられる。

   

そのまま勢いにまかせて七日町周辺も走りまわる。
会津若松市は観光ルートからちょっとはずれると、ふつうの田舎ののんびりとした住宅地になっていた。
その辺りを走っていたら、かつて幼稚園時代に住んでいた上飯田のことを思い出した。
雑草の小さな花とコンクリートと家々の広がる光景を見て、もっと地面に近い視点から世界を眺めていた頃を思い出す。
すべてのものがクローズアップされていて、ひとつひとつの生き物と対等な関係を結んでいたっけ。
初めて来た遠い会津の地でふるさとの下伊那を思うのも変な話だが、忘れていたものをしっかりと想起したのだった。

さて列車の発車時刻が近づいていたので、来た道を引き返す。それから余裕をみながら街の中心部も走ってみる。

  
L: 白木屋漆器店。大正2年竣工だそうだ。そんなのよく残っているなあと感心するしかない。
C: 国道118号線。会津若松市の中心といえる通りなのだが、だいぶ衰退が進んでいたのが切ない。
R: お世話になったレンタサイクルを記念に撮影。おかげで非常に楽しかった。感謝。

自転車を商店街で返却すると、歩いて駅に戻る(レンタサイクルを駅で返却できないのは大いに不満)。
やってきた郡山行きの列車に乗る。列車はゆっくりと磐梯山に近づいていき、やがて遠ざかる。
猪苗代盆地はとても穏やかな場所だった。

 野ざらしのプラットホームだけな翁島駅から撮った磐梯山。美しい。

磐越西線は郡山が終点。福島県最大の都市圏の中心であり、ぜひ下車してみたかったが、残念ながら時間がない。
東北本線に乗り換えて福島まで。福島県の県庁所在地が福島市である(というか、福島市を中心に福島県となった)
ことについては、「明治政府に抵抗した会津地方に対するイヤガラセ」という説がある。
会津を県として独立させず、県庁を郡山でなく北寄りの福島市に置くことで、会津の勢いを殺いだ、というわけだ。
会津若松にあれだけ古い建物が残っているということはつまり、“取り残されている”とも解釈できる。
こうして会津側から東北本線に抜けて、そこからちょっと北に行く、というルートをとってみると、それが実感できる。
日本の近代化って何だったのかねえ、なんて大層なことを考えつつ、福島駅に着いたらもうすっかり夕暮れ時。
宿が県庁に近いので撮れるかな、と考えたのだが、やはり写真を撮影するにはちょっと暗い。
あきらめて、チェックインして一休みすると、手ぶらで街に出る。撮影は明日の朝一番にしよう。

福島市の中心市街地は、駅の付近を歩いた限りではコンパクトにまとまっていて、そこそこの活気があった。
しかしちょっと離れたアーケードを歩いてみると、かなりの壊滅具合に悲しくなってしまう。
どんどんと暗くなっていく中、駅の近辺を中心にうろつきまわっていたら、面白い建物を見つけた。
年季の入ったアパートの1階部分に商店がびっしりと入っている。まるでかつての同潤会青山アパートみたい。
周囲からは完全に浮いていて、どうしてこれがこのまま残っているのか、すごく不思議だ。
近くにはキャバクラか何かがあるようで、出勤してくるおねーさん方の怪訝そうな視線を一身に受け止めつつ、
「おおー」と歓声をあげながら夢中でデジカメのシャッターを切るのであった。

 
L: 福島市パセオ通り。車は南側の平和通り(やたらと広い)を走り、市街地は歩車分離状態になっている。
R: 東北電力の向かい側にある、謎のアパート商店群。これからもずっと残してほしい。

会津地方が面白くって、それで予定どおりに動けなかった。うれしい誤算である。
僕はいつもは県庁所在地に限って旅しているわけで、きっといろいろ見落としてきたんだろうなあ、と思う。
でもまあ、またいつかいつでも次の機会があるだろう、と前向きな気持ちになっておくのであった。


2007.4.28 (Sat.)

まあとにかく寝起きがひどかった。深夜バスの朝の寝起きが良くないことなんて十分覚悟できているのだが、
それにしても本当にイヤな寝起きだった。思い出すのもおぞましい。
「大丈夫ですか?」と運転手に起こされたとき、僕はとんでもなくイヤな夢(蟲系の夢だった……)の中にいた。
あ、大丈夫です、はい。なんて曖昧な返事をして、慌ててバスから降りる。早朝の駅前である。

やってきたのは新潟。千曲川が信濃川と名を変えて流れる、長野県の北に接する県。
しかし、来るのは初めてなのだ。前もって新潟県(三条市)出身のニシマッキーに新潟名物を聞いてみたのだが、
「とりあえず笹だんご食っとけばいいんじゃないですか」という回答だったわけで、イマイチ県の特性がつかめない。
米どころでありアルビレックスであり、新潟市は今月1日には政令指定都市になった。
まあそういう活気のある印象があるのは確かだ。それを、この目でしっかりと見なくてはならないのだ。

しばらく駅の周辺を徘徊し、トイレに入って落ち着くと、駅近くの松屋で朝メシを食らう。
なんで地方都市にまで来て松屋なのだ、と思うが、ほかにはロイヤルホストがあるのみ。
そのロイヤルホストは徹夜明けと思われる人々で大いに賑わっていた。意外と年齢層が幅広かった。

で、朝メシを食らうとコンビニで地図を確認し、新潟市の市街地の概況を頭に叩き込む。
新潟市の中心部は、新潟島と呼ばれる区域である。もともとは、信濃川の河口にできた大きな中州だ。
駅はそこから少し離れた位置にあり、北側の万代口からまっすぐに道路が延びている。
困ったことに、新潟では市役所と県庁がだいぶ離れている。市役所は新潟島にあるが、
県庁は信濃川の右岸、島を眺める位置にある。まあ時間は十分すぎるほどあるので、のんびり歩いてまわればいい。
いや、いっそのこと、この新潟島を一周しちゃおうかな、と考えてみる。
そんなわけで意気揚々と北に向かって歩きだす。分厚い雲が空を覆っているが、今はまだ明るい。

 
L: 新潟駅。午後になってから撮影したので車が並んでいるが、朝に降り立ったときには超閑散としていた。
R: バスシェルター。新潟は雪国なので、バス停にこのような屋根とベンチがついているのかな。これは最もオシャレな例。

広々とした道をまっすぐ歩いていくと、萬代橋を渡ることになる。信濃川に架かるこの橋を渡れば新潟島。
新潟の街にとってはきわめて重要な橋であり、初代の橋についての説明がたもとの案内板に書かれていた。
なお、このときには新潟市が政令指定都市になったのを記念して、橋に沿ってチューリップの花が並べられていた。

  
L: 萬代橋、北から南に向かって撮影。この花は市役所の職員や小学生などが育てたものらしく、名前が貼られていた。
C: 信濃川。ご存知のとおり日本一長い川なのであるが、幅はそこまで広くない感じ。
R: こちらは午後になって南詰から撮った写真。橋の向こうに新潟の市街地が広がっている。

橋を渡り、新潟の中心市街地を歩いていく。しかし時間が早すぎるので、店はコンビニ以外開いていない。
とりあえずそのまままっすぐ歩いていって、日本海を見てやろう、と思う。
それにしても新潟島は、意外と高さがある。河口の中州ということで地図からは平らな土地を想像したのだが、
実際に歩いてみると、海に向かってけっこうな上り坂が延々と続くのである。
途中で何度か「オレ方角間違えてるんじゃないのか?」と思うが、新潟大附属小・中や日本海タワーなど、
事前にチェックしておいたポイントを正確に通るので、疑問を抱えつつも歩いていくしかない。

やがてちょうど護国神社の入口に来たところで、いきなり雨が降りだした。
「ああー晴れ男伝説がー」と思いつつ、BONANZAから折りたたみ傘を引っぱり出す。
雨の勢いはあっという間に強くなっていく。やがて見えた日本海は、それはもう、究極的にわびしかった。

それまでの上り坂を一気に解決するように、新潟島の北側は海に向かってちょっとした崖が続く。
崖というよりは小高い丘と表現した方がいいかもしれない。その斜面は道路で区切られ、砂浜へと急に姿を変える。
砂浜の整備は現在も進行中で、テトラポッドが列をつくるように並べられているのがすごく印象的だ。
崖(丘)に沿って東へと歩く。新潟島を一周できるサイクリングコースがつくられているので、そこをトボトボ歩いていく。

  
L: テトラポッドで区切られている日本海。雨が降っていて、もう、たとえようがないほど寂しい光景だった。
C: サイクリングロードはこんな感じ。晴れた日に自転車なら最高に快適なんだろうけど、雨で歩きじゃキツいの一言。
R: 途中の日和山展望台から眺めた日和山浜海水浴場。こんな感じの景色が延々と続くのであった。

そのうちに雨で靴が濡れる。背中の荷物が重い。景色は少しも変化しない。時間の感覚がおかしくなってくる。
なんでオレ、旅にまで来てこんな目に遭っているのかなーと思うのだが、だからといって事態が解決するわけでもない。
歩くしかないのだ。そういうわけで、無言で一歩一歩東へと進んでいく。

気がついたら新潟みなとトンネルの入口まで来ていた。これを通ると、また信濃川の右岸に戻ることになる。
僕としては新潟島の突端まで行ってみたかったのだが、人の進入を阻むような埋立地的雰囲気が充満していたので、
あきらめて信濃川方向に歩いていくことにした。雨の勢いはさっきに比べると、だいぶ弱まってきている。

 新潟みなとトンネル。人間(自転車)も通れるのは便利だと思う。

この新潟島は広いだけあって、さまざまな空間が凝縮されている、そんな気がする。
たとえばさっきの海岸~新潟みなとトンネルに至る周辺は、ものすごく人工的な匂いの強い空間だ。
機械のスケール感というか、郊外型のスケール感というか、ちょっと人間の身体には大きい感じがする。
しかし信濃川方向へと歩きだすと、街路の印象は180°反対のものに変わる。生活感が漂いだすのだ。
いかにも住宅街らしい小さな駄菓子屋的な店があって、そこにあった昔のスプライトの看板にはクラッときた。
昭和な商店のアイテムがあちこちで現役で使われていて、タイムスリップした感覚になってしまった。
そういう極端な要素が比較的狭い間隔に存在しているのは、いかにも地方都市、ということになるのだろうか。

歩いているうちに小腹が空いてくる。途中のコンビニであんぱんと牛乳を買う。この組み合わせが最高なのだ。
そうしてエネルギーを充填したら、また歩きだす。みなとぴあの脇を抜けて信濃川沿いを行く。
右岸の朱鷺(とき)メッセとは対照的に、こっちの左岸は現在工事中。

  
L: 信濃川左岸は整備中。  C: 何隻もの船が停泊していた。  R: 船が積んでいるテトラポッドを撮影。番号がついているのね。

信濃川周辺もまた郊外っぽいというか、最近になって小ぎれいに改装された印象の場所だ。
雨がとりあえずやんだようなので、傘をたたんで歩いていく。萬代橋はさっき渡ったので、
今度はその東の柳都大橋を渡る。ちなみにこの「柳都」は「りゅうと」と読み、新潟のことを指している。
1950年代まで市内には堀に沿って柳が植えられていて、それが由来になっているのだとか。
さて、右岸に戻ると今度はまっすぐ西へと歩いていく。目指すは新潟県庁である。

途中でバスセンターの周辺を通る。この辺りもちょっとした都会になっている。
そこからさらにまっすぐ歩いていくうちに、空が明るくなってきた。傘をしまって歩く。
道の様子はどこの田舎にもある雑然とした感じである。新潟南高校の脇を通ったら、野球部が練習しているのが見えた。
運動系の部活にはゴールデンウィークもないのか、大変だよなあ……と思いつつ進んでいく。
JR越後線のガードを抜けてさらに進むと、やたら大きな建物が前方に見えた。新潟県庁である。
見たところ、いかにも巨大オフィス型らしい無機質無彩色の建物である。高さからいって、展望台がついていそうだ。
面白みがなさそうだなあ、県庁めぐりなんてわれながら変な趣味持っちゃったなあ、と思っているうちに到着。

  
L: 遠くから眺めた新潟県庁。周辺の建物と比べてひとまわり巨大な印象を受ける。
C: 正面から撮影したところ。なんか、横から見たときと全然変わらないんですけど。
R: こちらは東に隣接している県議会。西には新潟県警本部があるわけで、この三つ並びは最も典型的な配置。

中に入れるのかな、とおそるおそるドアを開けてみる。開いた。それで中に入る。
すると明かりがなくってとても暗い。でも入ってもいいみたい。休日なので照明をケチっているのだろう。
案の定、新潟県庁は18階が展望台になっていて、自由に出入りすることができる。
エレベーターでいったん17階まで行って、そこから階段でもう1フロア分を上がるようになっていた。

  
L: 休日の県庁1階。暗い!  C: 18階・展望台のラウンジ。自販機でジュースを買って一服。それにしても人がいない。
R: 18階の中の様子はこんなん。超無機質。いかにも庁舎の一部をやる気なく開放している感じって言えそう。

さて、重い荷物を背負ってえっちらおっちら歩いていたため、すでにこの時点で足が壊れていた。
足首、特に右足首がひどく痛い。捻挫に近い感覚で関節の部分が痛む。ふつうに歩いていただけなのに捻挫ってどうよ。
しょうがないので、しばらくラウンジで靴を脱いでじっと休む。そしたら10分か15分くらい記憶が飛んだ。寝てた。

  
L: 県庁より眺める信濃川と新潟島。  C: アルビレックス新潟の本拠地、ビッグスワン。市の中心からはけっこう遠い。
R: 県庁前の広場はこんな感じになっている。全般的に大雑把で、小ぎれいな感じがしないオープンスペースだった。

僕はこのフロアにいる間、やって来た人間は警備の人と父親&息子の計3人だけ。
後述するが新潟には展望台のある建物がいくつかあるので、県庁のこの空間の存在意義は正直非常に微妙である。

 信濃川を挟んで眺める新潟県庁。やっぱファサードのデザインは一緒なのな!

来た道をそのまま戻るのは退屈なので、新潟島に戻って白山浦の住宅街を東へ戻ることにする。
何の変哲もない田舎の住宅街をトボトボ歩いていると、行く先に大きなピンク~ベージュ系の建物が見える。
これまたいかにも庁舎建築、新潟市役所である。こういう平成オフィス建築を見るたび、色彩の重要性を考えさせられる。

白山浦から来ると新潟市役所の裏手に出るのだが、どうも雰囲気に落ち着きがなく騒がしい。
なんだろうと思って近づいてみると、何やらお祭りを開催している模様。
よく見てみたら、道路を封鎖してよさこいをやっているではないか。景気よくソーランソーランと歌声が響く。
新潟ってよさこいソーランが盛んな街だったっけか?と首をひねっていたら、パンフレットを手渡された。
それによるといま開催されているのは、「春、祝祭」というイベントなのだそうだ。
これは新潟市が政令指定都市になったことを記念するものらしい。期せずして絶好のタイミングだった、ということだ。
じゃあいろいろ見てまわるか、と再び歩きだす。

  
L: よさこいソーラン中。初日の午前中だからか、観客はあんまりいなかった。
C: 新潟市役所の裏手。こういう庁舎建築の色づかい、そろそろなんとかなりませんかねえ。
R: こちらは新潟市役所の正面。大きなアトリウムの存在が外からでもよくわかる。

ちなみに、かつてはこの新潟市役所のあったところに新潟県庁舎があったらしい。
もし今もそうだったら長距離を歩かずに済んだのになあ、と思ってもしょうがないのであった。

 
L: おそらくかつては本庁舎であっただろう、市役所第一分館。駐車場はイベントステージと屋台になっていた。
R: 別の角度から第一分館を撮ってみた。こちらは典型的な昭和庁舎建築。

新潟市役所の周辺は、さまざまな文化施設が集中している地域になっている。
主によさこいソーランの出場チームの皆さんが行き来していたのだが、せっかくなのでそれらも撮影してみる。

  
L: 市役所から文化施設地帯には歩道橋で直接入れる。文化施設はこのように桜の通路でつながっている。
C: 陸上競技場はメーデー中。周囲とは対照的。どうせなら経営者チームと労働組合チームでサッカーでもやりゃいいのに。
R: 県民会館。格子状のファサードが印象的な建物だ。なかなかやりますなあ、と言いたくなる感じ。

 
L: りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)。本日はよさこい勢の控え室になっているらしかった。
R: 県政記念館。かつての新潟県議会を保存活用しているらしい。新しい建物が多い中では珍しい感じ。

そこから市役所に戻る途中には神社がある。屋台がいくつか出ていて、新潟名物という「ポッポ焼き」も売っていたのだが、
いかんせん1セットあたりの数が多かったので買わなかった。今となっては食っときゃよかったという後悔でいっぱいである。

そろそろ時刻はお昼どき。親子丼をテキトーに食べると再び東へと歩きだす。
目的地は、午前中に脇を通過している「みなとぴあ(新潟市歴史博物館)」である。
ここの建物をもう一度じっくりと見てみよう、という算段なのだ。
ユニコーンなんぞを聴きながらのんびりぶらぶら歩いていく。県庁も市役所も撮ってしまうと、ずいぶん気が楽になる。

到着すると、歴史博物館の建物がまず立ちはだかる。これは二代目の新潟市庁舎をモデルに建てられている。
しかし近くで見ればいかにも新しい素材でつくられています、という感触なので、ちょっと興ざめ。
むしろ中庭を挟んで向かい側にある旧第四銀行住吉町支店に目を奪われる。これはいい。
中はレストランになっていて、とても落ち着いた雰囲気。一人だけなのは虚しいので入らなかったが、
機会があればぜひコーヒーの1杯でもじっくりと飲んでみたいものだ。
そして面白いのが旧新潟税関庁舎。これは明治2年に建てられたものを昭和46年に復元したもの。
擬洋風のつもりが中国風になっちゃった雰囲気の建築である。なんとなく、ジャズを聴いたカリブ海のミュージシャンが、
それを再現しようとしたらスカが生まれちゃった、というエピソードを思い出す。そんな明治の物件を味わえるのは貴重だ。

というわけで、この一帯は新潟の古い建築が3点セットで味わえるようになっているのだ。
北を旧税関庁舎、東を旧第四銀行、西を歴史博物館、そして南を信濃川に囲まれた芝生の庭はかなり気持ちがいい。
が、またしてもここで雨が降りだした。晴れていればかなりいい場所なのになあ、と思いつつ、
再び信濃川の脇を歩いて今度は右岸の朱鷺メッセに行ってみる。
歩いているうちに雨はあっさりやんで、それからはもう降らなかった。

  
L: 新潟市歴史博物館。庭との間にはわざと堀がつくられている。これは当時の立地を再現したものと思われる。
C: 旧新潟税関庁舎。心意気は洋風なのだが、できあがったものはちょっと中国風。明治初期にはありがちな事例だ。
R: 旧第四銀行住吉町支店。川のほとりにひっそりと佇んでいるが、雰囲気抜群。見事に蘇ったって感じ。

朱鷺メッセは、槇文彦設計によるコンベンション施設。傾斜のついた前庭をゆっくりとのぼっていって中に入る。
中は最近よくありがちな、半ば公共的なスペースに民間の店が入っている、そういう雰囲気。
上の階はホテルになっている。つまりはそうやって官民双方から金を出し合ってつくった施設ということだろう。
さっそく地上31階の展望室に上ってみる。高いところは苦手だが、行ってみなきゃ損なのだ。

 
L: 朱鷺メッセ。信濃川左岸(みなとぴあの中庭付近)から撮影。船をイメージしたデザインなのかな。
R: 朱鷺メッセ内。ガラス窓のおかげで開放感は抜群なのだが、今ひとつ何のための施設なのかわかんないんだよな……。

  
L: 朱鷺メッセ展望台より眺める佐渡島方面。この日は天気が悪くてまったく見える気配なし。
C: 信濃川河口を眺めてみた。  R: 新潟島はこんな感じ。真ん中の塔は「NEXT21」(後述)。

さすがにさっきの新潟県庁とは比べ物にならないほど賑わっている。日航ホテルが入っている関係か、
キャビンアテンダントっぽい制服のおねえさんがいる。これで天気が良ければ非常によかったのだが。
ちなみにさっきも書いたが、新潟には街を見下ろす施設が複数ある。県庁、朱鷺メッセのほかにも、
日本海タワーというちょっと怪しげな施設もあるし、NEXT21にも展望台がついている。
新潟市民はそんなに高いところが好きなのか。ともかく、朱鷺メッセは最も高い建物なので、一見の価値はあるかも。

いいかげん足が痛くてしょうがないのだが、時刻もいい頃合なので、新潟駅前に戻って宿にチェックインする。
それから少しじっとして足を休める。30分ほどそうしてから、ガマンできなくなって手ぶらで部屋を飛び出す。
そしたらエレベーターで横浜・F・マリノスのユニフォームを着た女性2人組に出くわした。
「そうか、今日はビッグスワンで新潟×横浜Mの試合があるのかー」と納得。Jリーグの試合を観ても面白いかもしれない。
でも鳥屋野(とやの)潟まで歩く気はしないし、何より新潟の試合は客がたくさん入ることで有名(4万人も入るのだ)。
どうせ当日券なんてないだろなと、さっさとあきらめて萬代橋を渡る。今度は商店街をぶらついてみるのである。

新潟の街を歩いていると、細かいところで東京と違うのが目につく。
いちばん印象的だったのは、店の入口が自動ドアになっていないことである。引き戸になっている店がすごく多い。
コンビニすら引き戸である。これはやはり、冬の寒さ対策ということなのだろう。
地下街への入口にもドアがついている。なるほどよく考えれば当然の帰結なんだろうけど、新鮮である。

  
L: コンビニの入口が引き戸になっている例。  C: 地下街への出入口も防寒対策がばっちり。
R: NEXT21。柾谷小路と西堀通が交差する街の中心。ここにはかつて新潟市役所(歴史博物館のもとの建物)があったのだ。

新潟はかつて堀と柳の街だったと上で書いたが、NEXT21のある西堀通は今も少しだけその風情を残している。
パッと見た限りではふつうのどこにでもある街並みなのだが、歩いてみるとやたらと寺が多い。
植えられている柳と、道から奥まった位置にある寺、そしてわずかに残った料亭だけが、かつての雰囲気を伝える。
教えてもらわないと気がつかないレベルにまで、その痕跡は薄くなってしまっている。もったいない話だ。

ところで新潟は、なぜか有名なマンガ家を多く輩出している街でもある。
そのせいか、新潟市内をまわる循環バスのバス停には、マンガのキャラクターが描かれているのである。

 
L: ドカベン。水島新司が新潟明訓高校をモデルに「明訓高校」としたのは有名な話。
R: こっちは犬夜叉。高橋留美子のほかに少年マンガを描ける女性ってのを思いつかない。

さて今度はニシマッキーさん向けに。ニシマッキーさんの大好きな「オギノ式」だが、
その荻野久作博士は新潟市に住んでいた。その家の跡は現在、「オギノ公園」という小さな公園となっており、
公園の面する通りは「オギノ通」と名前がついている。特別に写真を撮ってきたので、ニシマッキーさんは拝んでください。

  
L: オギノ公園。  C: 園内にある荻野久作像。夢野久作じゃないよ。  R: オギノ通。堪能していただけましたか、ニシマッキーさん?

新潟市内で最も賑わう商店街といえば、古町(ふるまち)ということになるのだろう。
(新潟市出身・小林まことのマンガ『柔道部物語』にも「古町ぶらついて帰るか」というセリフが出てくるのだ。)
この日は「春、祝祭」による各種イベントが開催されていたようで、かなりの人出だった。
古町は白山神社から東へ向けて、1丁目、2丁目となっていく。アーケードになっているのが5丁目から8丁目まで。
1~4丁目は上古町といい、古くからの店と若手の服屋が共存している。9丁目には夜の店が多い。
実際に歩いてみると、いかにも県で最も大きな都市の昔ながらの商店街という印象で、
そういう意地のようなもの、誇りのようなものがしっかりと漂っているように思う。

  
L: 古町7丁目のアーケード。イベントスペースが設置されていたせいか、大いに賑わっていた。
C: 古町にあるローソン(2店とも)は、アルビレックス仕様になっていた。こういう努力が観客4万人につながるのか。
R: 古町と並行しているアーケード、本町(ほんちょう)。古町とともに、以前に比べて衰退がみられるんだろうな、という感じ。

古町5丁目は「マンガストリート」となっていて、水島新司のマンガのキャラクターの銅像がいくつも立っている。
まあ正直、デキはイマイチ。イベントで通りの両脇に出店が並んでいたため、実に銅像がジャマったそうなのであった。

  
L: 「あぶさん」こと景浦安武。ソフトバンクは彼のために背番号90を欠番扱いにしているんだそうな。
C: こちらはもっとベテランの岩田鉄五郎。まさか銅像になっているとは。シブいなー。
R: 上古町はアーケード地帯と比べるとかなり地味め。白山神社の鳥居が見える。

旅の初日にもかかわらず、すでに足が痛くてまともに歩けない状況。それでも歩かないことにはどうにもならないので、
歯を食いしばって足を引きずってなんとか前に進んでいく、そんなふうにして宿まで戻った。

新潟の車はみんな、交通規則をものすごく丁寧に守っているのが非常に印象に残った。
すべての車が100%、歩行者が渡り終えるのを待ってからゆっくりと左折する。
歩行者が交差点に近づいているのに気がついた段階で、必ず停車するのだ。それで気長に渡るのを待っている。
待たせるのも悪いので、痛い足で必死に早歩きして道を渡る。その繰り返しでけっこう辛かった。

あと、新潟は色白な女の人がやたらと多かった。色白に弱い自分としては、感動を覚えずにはいられなかったのであった。

ちなみにこの日、アルビレックス新潟はあろうことか0-6の大差で横浜・F・マリノスに負けた。オレのせいですか?


2007.4.27 (Fri.)

ギャーと叫んじゃうような毎日ではあるものの、そうはいっても旅をせずにはいられないのだ。
仕事を終えると家に戻って支度を整える。だいたい前日までに準備はしておくが、忘れ物がないか最終チェック。
そして風呂に入る。風呂に入って、今のうちに今の疲れをとっておく。そうしないと、とてももたないのだ。
バスの時間から逆算して、22時半くらいにBONANZAを背負って家を出る。

池袋に着くと、カフェでのんびりしようかと東口をうろつくが、もうどこも閉店時間。入れてくれない。
そのうちトイレに行きたくなる。ゲームセンターに入って借りる。お礼がわりにマジックアカデミーを1ゲーム。
決勝戦までは順調な戦いぶりだったのだが、ネットで通信していくこのゲームは意外と時間がかかる。
バスが気になりだして、ゲームに集中できなくなる。そんなわけで突如失速してあっさり負ける。小心者である。

小走りで乗り場に行ったら、各路線の出発時刻が均等に遅れていって、まだまだ余裕十分なのであった。ちくしょー。
結局30分くらいその場にぼーっと立って、バスを待つ破目になる。日付が変わる直前くらいに出発進行。
いつものようにすんなりと眠って、首が痛くなって目が覚めて、体勢を変えてまた眠って。その繰り返し。


2007.4.26 (Thu.)

仕事がギャー


2007.4.25 (Wed.)

ワカメが絶賛していたので、DVDを借りてきて見てみる。『ショーシャンクの空に』。

め、め、めちゃくちゃ面白い。1990年代のアメリカ映画は見る価値なし!と確信していたのだが、
すいません、僕が悪かったです。と素直に非を認めてしまうくらいにすばらしかった。文句なしだ。

銀行の副頭取であるアンディが妻と浮気相手を殺害した容疑で法廷に立つシーンで始まる。
犯行を否定する証拠はなく、アンディは終身刑を言い渡されてショーシャンク刑務所に送られる。
アンディはそこで塀の外から何でも調達する受刑者・レッドと親しくなる。
やがて刑務官の遺産相続をアドバイスしたことがきっかけとなり、アンディはその能力を認められ図書係になる。
図書室は充実していく一方、刑務所の所長はアンディに賄賂の資金洗浄を命じる。
そして新しくショーシャンクにやって来たトミーが、アンディが無罪である可能性を口にする。
アンディは所長にかけあうが認められず、悲劇が起きてしまう。で、うんたらかんたらで話は急展開。

空間と時間の関係性の描き方が秀逸。
舐めるようなカメラワークで刑務所という閉ざされた空間を描くのと(それが後に開放感へと変化する凄み)、
反復する時間を描くことでこれまた閉ざされた時間と開放された時間とを対比させている。
閉ざされている感覚と開かれた感覚を、空間と時間の両方で観客に体験させるのだ。
刑務所という完全に閉ざされている場所を舞台にするのが効いていて、これが本当に鮮やか。

そしてとにかく役者がいい。いいもんもわるもんも、実に魅力的だ。
特にレッドを演じるモーガン=フリーマンの「オヤジ力」がすごい。おっさんならではの魅力が全開である。

何より特筆すべきは、がんじがらめに張られまくっている伏線と、その回収ぶりだろう。
本当に細かいところにまで、無数の伏線がとんでもない密度で埋め込まれている。
おそらくスティーヴン=キングの原作『刑務所のリタ・ヘイワース』が凄いということなのだろうが、
それにしてもその鮮やかな回収ぶりには恐れ入る。思わず「ウホーッ!」なんて叫んでしまった。しかも何度も。
でもただテクニカルに話を進めるわけではなく、アンディの執念を軸にすることは忘れない。
時間の経過がわかりづらいという難点もないことはないけど、伏線回収の迫力があまりにすごくて気にならない。
よくまあここまでつくり込めるものだ、とお手上げ状態。圧倒されっぱなしである。
欲を言えば、レッドがシワタネホ行きのチケットを手にしたあたりで再びハーモニカを吹いてほしかった。
そうすれば感動がよりさらに高まった気がしてならない。でもまあ、十分満足。

そんなわけで、この作品には本当にまいりました、である。映画おそるべし、と久々に思わされた。すごい。


2007.4.24 (Tue.)

★覚え書き その6: 日本人はいかにして近代を日本化したか

・日本の軍隊(徴兵制、軍人としての国民)
・戦前の自前の「近代」と、戦後から脱却する中での「近代」(憲法改正後の日本は?)
・学校の怪談(「近代」を生きる幽霊の存在)
・江川達也『BE FREE!』における学校と庁舎の関係性
・企業経営と自治体経営、学校経営

ダメだ、まとまらない。誰かなんとかしてくれと言いたいが、どうにもならん。困った。


2007.4.23 (Mon.)

★覚え書き その5: 現代に染み込む「近代」

・革新失敗後の1980年代保守(サッチャー、レーガン、中曽根、「民活」)
・オープンスペースから公開空地へ(総合設計制度)
・パブリックアートという「言い訳」
・空調設備の発達とアトリウムの流行、常識化
・庁舎の高層化と展望台の設置
・無彩色ファサードへの回帰、あるいは平成半パステルカラー
・ポストモダンの商品化、資本主義の世界制覇
・インターネット上でのホームページ開設(新しいファサードの出現)
・窓口の多層化と時間延長、利便性の重視
・ガラス張りの知事室の意義?
・テロへの対処、環境への配慮
・学校と地域の連携、不審者対策による閉鎖性
・NPOへの注目(行政の限界、地域との連携)
・道州制、生活圏重視、地方分権
・PFIなど民間との関係性の変化
・携帯電話、メール、絵文字と言語、身体感覚の変容
・裁判員制度?


2007.4.22 (Sun.)

circo氏が上京してきたので、一緒に東京ミッドタウンなるものに行ってみる。
六本木の旧防衛庁跡地にある東京ミッドタウンは、ご多分に漏れず、最近流行の都市再開発でできた街である。
六本木ヒルズだとか表参道ヒルズだとか、結局は土地の特性を取り入れながらどう「キャラ」をつくりあげるか、
それも好ましいイメージ、ハイソでセレブな雰囲気をどう認めさせていくか、という戦略しだい、という気がする。
そういう状況でこの東京ミッドタウンは何をどうしているのか、見にいってみることにしたわけだ。

南北線で六本木一丁目に出て、そこからちょっと歩いて六本木通を渡る。
すると「東京ミッドタウン」と書かれた看板を持っている人がいて、その矢印に従って歩いていくと、
すぐにビルの谷間の奥まった位置にあるエントランスが見えてくる。
コナミスポーツクラブのでっかい文字の横を抜けて中に入った。
僕にしてもcirco氏にしても特に行きたい店があるわけではないので、テキトーにあちこち見てまわる。
どの店も敷居が高そうな雰囲気を振りまいていて、なんだかどうにも疎外感を覚える。
circo氏は「(自分も含めて)田舎から出てきた客がほとんどなんじゃないの」という反応。
なるほど、上京してきた人向けに「最新の東京」を見せている空間というわけか。
ってことは、この手の都市再開発は、すでに減価償却の始まっている使い捨て物件ということなのか。
まったく資本主義ってやつはとんでもなく貪欲だ、なんて思う貧乏な僕。

六本木ヒルズや表参道ヒルズに比べれば、まだ店内を見てまわる楽しみが存在するだけいい。
超セレブハンズという感じの文具店だとか、かつてのモダニズム精神をうまく受け継いでいるような食器の店とか、
「へえ」と興味をそそられる場所があったのは素直にうれしい。ただ、買う気は起こらないのだけれど。
内部空間を全体的に「和」のイメージで統一しているのが印象的だ。前面に押し出すのではなく、
「和」という要素をあちこちに散りばめる。だからよく見ると日本風な形態、という箇所がけっこう多い。
circo氏はこの点について、「こういう和風な要素を建築の文脈として埋め込む手法が流行しているのは、
隈研吾の功績なんじゃないの」ってなことを言っていた。僕は不勉強なのでよくわからないが、
そう言われてみればそんな気もする。そういう事実を込みでの「最新の東京」ということか。

基本的にウチの家族は本屋のない商業空間には長居ができないタチなので、
ひととおり見終わるともう飽きてしまって、地下で何か食おうということになった。
軽く迷った末にフードコートを発見し、列に並んでメシをいただく。特に値段に不満ということもなかった。
で、circo氏は大江戸線で新宿へ。僕は六本木に用などないので周辺を散歩で一周してからさっさと帰る。

circo氏が上京するたびに、新しくできた街に行くことがお決まりのコースになっている。
それが毎回できているということに、日本の景気の回復を感じてみる。
でも、そうしてできあがるものの価値観(つくっている側の価値観)は、たった1種類しか存在していない。
いわば「東京の言説」というものがまことしやかに一方向にまとめられており、
それが「最新の東京」として更新されている。都市の情報化とは、こういうことなのか。
経済的な強弱によって価値観の多様性がひとつ、またひとつと間引かれているのは気のせいではないと思う。
都市を楽しむ、街を楽しむ、空間を楽しむということについて、一度根っこから考え直す必要がありそうだ。
(話題が飛ぶように思われるかもしれないが、安易な「神楽坂ブーム」についても同じ文脈で再考すべきだろう。)


2007.4.21 (Sat.)

統一地方選挙の後半戦投票日の前日(ややこしい)ってことで、感じたことをつらつらと。

今日は自転車で新宿あたりまでフラフラしていたのだが、案の定いろんな選挙運動を見かけた。
最後のお願いに必死な候補、ガッチリとした男に前後を挟まれながら自転車で走る候補、
青空好児まで出てきてゲロゲーロとびっくりしたら、実は現職の世田谷区議だったとは知らなかった。
渋谷区長選に出ている宅八郎は、ポスターの写真うつりが妙に真人間っぽかった。
テレビに出ている宅八郎と、宅八郎がふつうに写っているポスターと、本当にキモチワルイのはどっちなのだろう。
僕は選挙に当選することで得られるメリットがよくわからないので不思議に思ってしまうのだが、
皆さんこれだけ必死にがんばっているところを見ると、当選すればそうとういい思いができるということだろう。
それだけ熱くなれることがあるってうらやましいですね、なんて思いながら帰宅。

わが大田区では区長選の候補が乱立しているうえに区議選もあるので、ネットで選挙情報サイトを見て情報収集。
そしたら「政治ポジションテスト」なるものを発見。さっそくやってみることにする。
質問に答えてみたところ、僕はやや「リベラルかつ大きな政府を目指すタイプ」らしい。
アメリカの民主党とかイギリスの労働党とか、そっちの支持層っぽい考え方をしているようだ。
まあ単純な区分をすればそうなるわな、と思う。確かに「今は現実より理想」とか書いているし(→2007.2.22)。
実際には既得権益にこだわるおっさんたちが汚らしくって嫌いだから自民党がイヤなだけ、という面もあるのだが。

まあとりあえず、選挙特番は見ているだけで楽しくなるので、素直に楽しませてもらうことにする。


2007.4.20 (Fri.)

ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』。通信教育の勉強などに巻き込まれ、読み終えるまでえらく時間がかかってしまった。

この小説は、ブーヴィルという街でド・ロルボン侯爵について研究しているアントワーヌ=ロカンタンの日記、という形をとる。

まず、タイトルがダメだ。原題は正しくは「吐き気」と訳されるべきで、それを『嘔吐』とした訳者のセンスには脱力してしまう。
この話において吐き気は非常に重要な意味を持つ。自分が生きる現実との不協和音の象徴として吐き気が出てくるが、
それを「嘔吐」とは。吐いちゃっているじゃないか。あとがきで自慢げにその理由を説明する訳者の愚かさには言葉もない。
そんなわけでタイトルの時点でもう訳者が信用できなくなってしまったので、たぶんここから書く僕の感想は、
作者(訳者じゃないよ!)の意図をほとんど読み取れていないものになるだろう。勝手にあれこれ書いてしまうことにする。

まずこの話を読みはじめて感じたことは、これは自閉症っぽい話だなあ、ということ。誤解を恐れずに書くと、
21世紀に入っている現代社会に蔓延している、後天的な自閉症のような感じ、それがこの小説のテーマに思えた。
主人公はルーチン化した日常を生きている。彼の見つめる対象はどこか物質的というか、そういう印象だ。
生命を持たない「もの」に注目し、自分に親しげに接してくる人間(独学者)とは明らかに距離を置こうとする。
鏡に映った自分を見つめることで長い時間思考が飛んで現実に戻って来られなくなったり、
人間らしいやりとりを排除して簡単に性欲を満たすルートを確立していたり。
この小説は本来なら実存主義の記念碑的な作品ということで読まれるべきなのだろうけど、
実存主義に興味のない21世紀初頭の僕には、これは後天的に襲ってくる現実に対する、
自閉症的な違和感を描いた話に思える。現実のすべてを生命のない物質として扱おうとする姿勢がひどく印象的だ。
主人公は自分の頭の中だけでグリグリグリグリと現実との距離感を考え、そしてその距離感から吐き気に襲われる。
……なんて書くと、まあこの日記や僕の日常も似たようなもんだなあ、なんて思う。
自分の周囲にある現実との距離感のあやふやさ、コミュニケーション不全、不在の恋人への憧れ、「意味」の追求。
主人公のように屁理屈をこねくりまわして必死になっている自分の姿が透けて見えて、なんとも悲しくなるのである。

話としてはまったく面白くない。話の書かれる理由だけで存在が許されている。ブンガクにはよくあることだ。
だから人によっては最初から最後までがすべて言い訳で、それがとても生産性のあるものではないので、
金返せコノヤローってことになると思う。そして、おそらくそれがふつうの反応だと思う。
僕としてはロカンタン側にいる自分ってのを自覚して切なく生きているので、この話は身につまされる。
しかしそれ以上にはなりえない。あくまで各論、ロカンタンの事例紹介でしかない。
完成度の高い物語であればそういう感情を一般化して広めていけるのだろうけど、それには成功していない。

まあとにかく、この作品は訳者のせいでずいぶんレヴェルを下げてしまっている。本当に、悲しむべき事態だ。
マトモな訳だとどうなるんだろう。


2007.4.19 (Thu.)

★覚え書き その4: 保守と革新(試行錯誤する「近代」)

・革新行政の誕生と空間デザイン(福祉と開発、予算配分の問題)
・色のついた庁舎建築(コンクリートの無彩色からの脱却)
・オープンスペースの整備(公会堂、ホールの建設)
・キャラの立った首長(名物市長)による行政の実行
・情報公開コーナーの設置、市民のための空間
・自治体内の各地域の重視(コミュニティ施設、公民館)
・トップダウンによる革命の画策、その失敗(連立の弱み、禅譲の困難、オイルショック?)
・ゆっくりと日本向けに変質を進行させている「近代」
・郊外社会化、ポストモダン


2007.4.18 (Wed.)

★覚え書き その3: 戦後の「近代」

・天皇制の変容と民主主義のリスタート
・GHQによる占領、日本国憲法の施行
・自治体警察の廃止と住民投票の実施(GHQの影響力と限界)
・昭和の大合併(中学校を運営できる財政規模という基準)
・庁舎の地位の低下(限られた人のためのcity hallからcity officeへ)
・55年体制の成立(革新の統一に対抗する保守勢力の統一、権力構造の整理)
・財政難から高度経済成長への転換
・学校の新設と庁舎建て替えの優先順位
・モータリゼーションと駐車場


2007.4.17 (Tue.)

★覚え書き その2: 戦前の「近代」

・天皇制における演劇性(地方への行幸、見る/見られる)
・明治の大合併(組合村の誕生、小学校を運営できる財政規模という基準)
・庁舎建築の誕生(アジア型公共性の変質?)
・大学など高等教育機関の設置
・都市化する日本、地方分権と中央集権の関係性
・普通選挙法の導入(市民でなく臣民の存在を認識)
・震災復興小学校と鉄筋校舎の浸透(近代建築の浸透)
・軍隊と国家(軍隊と法律、鎌倉幕府以来の軍事政権の復活)
・法言語とそれにより訓練される身体(『フルメタルジャケット』?)

時間(歴史)と空間(建築)がぐちゃぐちゃに絡み合っていてほどけない。これは困った。


2007.4.16 (Mon.)

エアポケット下請けと余裕ぶっこいていたのも束の間、案の定、仕事がダンゴになって詰まりだしたのであった。
すべてが一気に来る。先生からのゲラ返却、印刷所からのゲラ出校、新規原稿の回付準備、
冗談のようなタイミングですべてが一気に僕のもとにやってくる。もう笑うしかない。

そんなわけで、なんとか優先順位をつけながらひとつひとつつぶしていく。
とにかくミスをしないように注意しながら、焦らずチェックを入れていく。つらいのである。


2007.4.15 (Sun.)

テストである!(江田島平八風)

前回は4時限分すべてテストを受けたのだが、今回は3時限分。でも4単位科目が2つあるので単位数は多い。
この4単位科目は、なんとしても通しておかねばならない基礎科目である。がんばるのである。

1時限目は「英語学概論」。日記でもちょくちょく書いた、言語学の内容である。
これは図書館での勉強やもともとの知識が効いて、会心のデキ。
「俺の答案を末永く模範解答として語り継ぐがよいわー」とクラウザーさん口調で言いたくなるくらいの手応えであった。

2時限目はお休み。天気も良かったので、いちおう最寄り駅である(でもすげー遠い)祖師ヶ谷大蔵をぶらつく。
祖師ヶ谷大蔵の商店街は、「ウルトラマン商店街」として売り出している。駅前にはウルトラマンの人形が立っているのだ。
これは近く(といっても実際にはそこそこ距離がある)に円谷プロがあるため。
商店街じたいは、旗にウルトラマンが描かれているくらいであとは特にシュワッチ的要素はなかったが、
私鉄特有の道幅の狭さがもたらすアットホームな雰囲気が非常に濃密な空間なのであった。
そして店に活気があるうえ、商店街が長い。休日をのんびり過ごすにはとても理想的な街、という印象である。
ところでこの日は統一地方選挙が近いということもあり、商店街の中に2つか3つほど、選挙事務所を見かけた。
どこもダルマにハチマキにパーカーに車に「必勝」の貼り紙に、絵に描いたような選挙ムード満載。
ご苦労様なこって、と思いつつ、かなりの人出の波をかきわけて自転車で往復する。
丼物でメシを済ませると、駅前の喫茶店でテキストを引っ張り出し、熟読。
とはいっても、ヤマを張るのは大の苦手なので(中学・高校時代はヤマを張ることすらしなかったのでやり方がわからん)、
なんとなく漠然と英文を眺めて過ごす感じになってしまう。ま、気分を盛り上げることはできたからいいのだ。

で、3時限目に間に合うように、大学に戻る。
試験会場は今回、砧の商学部のキャンパスだった(年4回、各学部を持ち回りになっているのだ)。
商学部は現在、キャンパス内の大規模な改装をやっているのだが、試験会場の1号館がなかなか面白い。
この建物、南向きに廊下があるのだが、これがテラスを兼ねているのだ。これがすごく心地よい。
ふつう学校の教室は南側に窓をとり、北を廊下とする。そうして採光を確保するのが常套手段だ。
だが、商学部1号館は南北両側に廊下がある。この廊下はどちらもテラス状になっていて、外に露出している。
だから教室への採光も十分確保できるし、何より廊下が絶好の休憩所になるのだ。
東西方向に並ぶ教室の中央には階段があり、これも外に向かって露出している。
だから天気のいい日の休み時間には、建物の南側一面がすべて、学生がリラックスできる空間になるのだ。
この光景は、見ていて非常に微笑ましい。実際に体験してみると、けっこう新鮮なのである。
雨の日には悲惨なことになる、という欠点はあるものの、そんなことが気にならないくらい面白い建物である。

さて、肝心の3時限目。「英米文学概論」なのだが、この科目、辞書もテキストも持ち込み自由というか、
いやむしろ持ち込むように、忘れずちゃんと持ってきなさいという指定があるのだ。
それだけに出題が予想される範囲が非常に広く、実際、かなり手を焼いた。
設問は2つあったが、もう時間がなくってヨタヨタ。1時限目とは正反対のデキである。もう本当にまいった。

4時限目は教職科目の「教育カウンセリング論」。
まあこの手の問題はインチキ文章をこねくりまわせばいいので、勝ち確定。

そういうわけで、帰りは自転車に乗りつつ、「英米文学」のデキの悪さが本当に悔しかった。
今後、文学系の科目は極力とらないでいこう、と固く心に誓うのであった。


2007.4.14 (Sat.)

通信教育のテスト前日。
午前中はテキストを開いてヤマを張ってみたり、以前図書館でまとめた要点を眺めたり、いろいろして過ごす。
午後にはメシを食いがてら、ブックオフに本を売却に行く。そしたらそのまま立ち読みをしてしまい、
気がついたらすっかり夕方になってしまっていた。なにげにピンチ。これもぜんぶ久米田康治のせいだ。
しょうがないので、夜には少しハイペースでテキストのおさらいを進めていく。焦らないように気をつける。

まあそんな具合に、若干の不安を抱えつつ夜は更けていくのであった。


2007.4.13 (Fri.)

さて、今度の日曜日は通信教育の科目修得試験、つまりはテストである。
万全の態勢で単位を取得するため、本日は有給休暇をとった。

休みをもらってバリバリ勉強、と言いたいところだが、のんびりぷらぷら自転車で走りまわって過ごした。
まあ、根を詰めて勉強ばかりするよりも、こうしてリラックスして過ごすことが大事なんですよ、と言い訳してみる。
実際、会社にいると仕事に集中して余裕がなくなり、その余裕がない状態を家でもどこか引きずっているところがある。
そういう要素を解消することが、自分のペースで試験問題に取り組むことにつながるように思ったわけである。

春の穏やかな日差しの中で、いろいろ考えたり何も考えなかったりしながらペダルをこいでいく。
すれ違う人はみんな仕事で忙しそうだ。やっぱり有給の休みはいつもの休みよりも「効く」。
ここで休養をとったからには、しっかり成果を残さないとなあ、とあらためて自分に言い聞かせるのであった。


2007.4.12 (Thu.)

スランプで日記を後になって書いている状況である。
どうせネタもないし、将来万が一、博士論文を書く機会ができたらチャレンジしてみたいことの覚え書きを残してみる。
テーマは壮大になるが、ズバリ言って、「役所と学校の建築から、日本における『近代』を検証する」ということである。
日本人はいかにしてヨーロッパからやってきた近代を消化してオリジナルの「近代」をつくったのか。
その「近代」を生み出す過程を追うことで、日本化する過程を追うことで、「日本」という動的な存在を定義できないか。
国家とか民族というカビの生えた静的なカテゴライズではなく、思想とか生活とか運動として「日本」を捉える。
そのために、役所と学校という2つの「近代」を対象とし、運動の結果である建築という空間を眺め、
それを逆算していくことで、「日本」という思考回路というか方法論というかを帰納する、ということである。
(なお、飛鳥~奈良時代に日本が仏教を取り込んだ過程が、このことについての比較対象になりうる、
 という示唆を前にcirco氏から与えてもらったことをここに書き記しておく。)

★覚え書き その1: わりと理論的な話

・議会制民主主義と劇場(ギリシャとかそっち、起源)
・アジア的な意味での公共性の概念(アーレントとかハーバーマスとかとは違う公共性、王制からの派生)
・結果としての議会制民主主義のアジア(日本)的解釈(二大政党制VS多神教?)
・行政の主体とは誰なのかという認識(税金に対する感覚?)
・三権分立の空間的実現(行政の庁舎、議会の建物、裁判所)
・対話型言語と独白型言語(演劇性を媒介変数とする言語の差異)
・法言語(数学、書き言葉、行政)と生活言語(演劇、話し言葉、NPO)、あるいはそれに対応する空間
・「近代」の発生とそのアジア的解釈(汗をかきながらそれでもネクタイを締めるアジア人)
・教育によって再生産された「近代」の検証(フーコー的にアジアや日本を見られないものか)
・身体と言語と教育

ざっと挙げてみて、こんなの一生かかっても解きほぐせるわけねーや、と思った。
でもまあ、問題意識ということで書いておく。つづく。


2007.4.11 (Wed.)

こんな感じでマジメに勉強してるよー


2007.4.10 (Tue.)

仕事がちょうどエアポケットになっている。超ルーズな先生に送ったゲラはまったく戻ってくる気配がなく、
手元にあるゲラはすべて印刷所に戻してしまった。担当している数はそこそこなのだが、仕事が空いている。

そういうわけで、最近は同僚の皆さんの仕事を下請けしまくりの日々である。
そしてこれがけっこう面白い。自分の担当している文章は、もう何度も読んで飽きてしまっているのだが、
下請けで読む文章は初めてのものばかりなので、新鮮で面白い。
しかもジャンルがけっこう多岐にわたっているので、ムダ知識がポンポン増えていく。

正直、ずっとこうならいいなあ、と思う。プロとしては非常によろしくない態度なのだが、
いろんな文章を読めるのは純粋に楽しいし、何より他人のために仕事をしているという意識を明確に持てるのがいい。
ふだんの仕事をこういうふうに自分向きにアレンジしてやっていくにはどうしたらいいのか、
なんて考えつつ、お手伝いを進めていく。


2007.4.9 (Mon.)

氏家ト全『女子大生家庭教師濱中アイ』。
以前ワカメになぜか『涼風』(→2006.11.26)とともに「感想が聞きたい」と言われた作品。ようやく読めたのでレヴューを。

主人公・小久保マサヒコのもとにやってきた女子大生の家庭教師・濱中アイとのやりとりを描いた話、
というよりは、なんだかんだで彼らと仲良く過ごしている連中が繰り広げるくだらないおバカなギャグを展開するマンガ。
当初は濱中アイの天然エロスに焦点が当てられていたのだが、気づけば黒一点の主人公を囲み、
天然やツンデレや下ネタおねーさんがやりたい放題に暴れまわるというスタイルができあがっていた。
それにともない最初不自然だった絵が、どんどん描き慣れていって変化したのも大きなポイントと言えよう。

結論から言ってしまえば、まあいいんじゃないですかね、と肯定的な感触。
古くは、とりいかずよし『トイレット博士』、僕らの青春時代には久米田康治『行け!南国アイスホッケー部』など、
少年マンガには「おバカな下ネタ」というある種の王道が連綿と存在し続けているわけであるが、
この『濱中アイ』はその系譜に連なりつつ、ギャルゲー感覚を織り込んでライトエロを展開する方針を見せた。
しかも1話あたりのページ数が少ない中で、それにふさわしいサイズで話をまとめる作風ができあがっていて、
作者が安定した実力を発揮できるスタイルが確立されたのが大きい。

キャラクターの面から言えば、中村リョーコと的山リンコが強烈すぎて濱中アイの天然ぶりが食われたのに加え、
正統派ヒロインという点からすれば天野ミサキの一人勝ちという印象である。あくまで個人的な観点からだが。
単行本は全6巻というボリュームだが、少なすぎず多すぎず、実にうまいタイミングで終了したなあ、と思う。
そういう終わり方の見事さもふまえたうえで、内容のおバカさのわりに非常によくまとまった作品と評価したい。


2007.4.8 (Sun.)

来週は通信教育のテストである。というわけで、都立中央図書館で勉強である。
今シーズンはいよいよ英語の4単位科目を受験するわけで、真剣に取り組まないといけない。落としたら大ダメージだ。
だから知識に漏れがないように補強するべく、図書館にわざわざ勉強するためだけに来たのである。
いつも朝メシ・昼メシどきにテキストの要点をルーズリーフに書き留めているので、
それに沿って調べるポイントをメモしていけばいいようにしている。
辞書や事典を引っぱり出して、わからない部分がないようにしていく。夕方になる前に、なんとか作業は終了。

思った以上に成果が得られた感触がする。機嫌よく図書館を後にする。
このまま帰るのももったいない時間なので、渋谷に行く。東急ハンズをブラつく。充実した休みであった。


2007.4.7 (Sat.)

吉住渉『ママレード・ボーイ』。あらためて読んでみた。

以前ワカメと日曜の朝の過ごし方の話になり、『ママレード・ボーイ』のアニメについて語ったことがある。
僕にとって『ジャンパーソン』『美味しんぼ(再放送)』『ママレード・ボーイ(その前はGS美神)』という3連コンボは、
高校生活のだらしない日曜日を象徴する存在なのである。思い出すなあ、物理班の合宿で徹夜明けに見たのを。
……という話をしたら、ワカメは「オレはそのとき小学生だった」と返されてへこんだ。ジェネレーションギャップである。
話が逸れたが、とにかく『ママレード・ボーイ』は思い出深い存在なのである。
そんでもって作者が一橋の先輩ということがわかったときには、「うええええ!」と思ったもんだ。

このマンガ、設定がもう脳髄腐ってんじゃないのかってくらいぶっ飛んでいる。
ある日、ヒロイン・光希の両親が離婚したいと言いだす。しかも、もう一方の夫婦と相手を変えて再度結婚するというのだ。
そんなとんでもない話をいきなり持ちかけて動揺する光希の前に、やたらかっこいい男子(遊)が登場。
そいつは相手夫婦の子どもなのだが、光希はどんどんそいつに惹かれていってどーのこーのという話。
この設定には高校時代にも腰を抜かしたが、いまだにやっぱとんでもねーと思う。

なんだかんだで惹かれあうヒロインとイケメン男子の前にさまざまな障害がやってくるのはお約束。
でもこのマンガ、じっくり読んでみると初期設定のぶっ飛び方とは対照的に、皆さん純愛を貫いていらっしゃる。
そこが妙に正々堂々としているというか、各キャラがブレない姿勢を見せてくれるので話の展開にイラつくことが少ない。
最も難しいシチュエーションとなっている茗子と名村先生の関係も結局は初志貫徹であり、そのことが、
後にもっと難しいシチュエーションとなってしまう光希と遊のふたりを支える効果となっているともとれる。
まあそのラストの葛藤も含めて、家族社会学的にはわりに有意義な作品と言えるかもしれない。

で。気になったというかツッコミどころはイケメン男子である遊が建築家を目指しているという点で、
憧れの建築家が磯崎新ってところだ。これはもう、すげー賢い子って印象を狙っているなあ、狙いすぎているなあ、と。
磯崎の作品が多い九州北部への旅行がラストへの鍵にもなっていて、けっこう重要な要素になってしまっているのだが、
読者の女子に磯崎新はわからんだろー、九州北部は地味すぎるだろー、それでいいのか作者と編集部と思うのであった。


2007.4.6 (Fri.)

circo氏のブログの桜特集が実に見事だ、という話。
以前に社内報の記事でも書いたが(→2006.6.27)、飯田市は桜の名所として認知されつつある。
で、circo氏は毎日市内のあちこちに行っては、それぞれの桜の写真を1枚、ブログに貼りつけている。
高校卒業まで通算18年近く住んだ街なのに(途中で東京都江東区で育った時期あり)、
こんなにいっぱい見事な桜があったのか、とあらためて驚いているしだいである。

それにしても便利な世の中になったもんだ。


2007.4.5 (Thu.)

旅行の計画を練り始める。恒例の「県庁所在地ひとり合宿」だ。

前回の三重~兵庫・紀伊半島めぐり(→2007.2.10)は、自分の中ではかなりのヒットなのであった。
寄り道したいところを確実にまわることができ、存分に街も楽しむことができた。友人にも会えたし。
考えてみると、僕はけっこう大阪が好きみたいだ。都会でいろいろ見るべきところがある。
まあ正直、ちょっと怖い部分もあるんだけど、それも込みで飽きない場所だと思う。

で、そんなふうに前回は西に行ったので、今回は東というか北に行ってみようかな、と考える。
関東圏はすでに制覇しているので、目標は必然的に東北地方となる。季節的にも良さそうだ。
問題は、日程が何日になるかである。東北6県を一気にまわるのが理想なのだが、それは無理なのだ。
今年は「みやもり生誕30周年記念祭」が開催されるので、ゴールデンウィークの前半しか使えない。
まあそれは十分納得していることなので、6県をどう分割するかが問題となるのだ。
奥羽山脈で東西に分けるか、山形&宮城と秋田&岩手を境にして南北に分けるか。
さらに、どこに寄り道をしていくか。いろいろあれこれ計画を考える。
実はそういう時間が一番楽しい。僕は鉄分が少ないので計画は比較的アバウトだと思うけど、
それでもやっぱり無茶なコースを考えてそれを無理やり実行する、これが一番楽しいのである。

今回はゴールデンウィークということで、バスと宿の予約を早いうちに決めないといけない。
そういうわけで勢いに任せて、ネットを使っていろいろ予約してしまった。
予定が決まると旅は一気に現実味を帯びてくる。硬直化してしまう。けど、ドキドキ感は変わらない。

それにしても便利な世の中になったもんだ。


2007.4.4 (Wed.)

よく考えたら、日記が7年目に突入しているのである。
大学院に入学した2001年の4月1日からいちおう継続しているので、7年目なのである。
あの頃僕は若かったなあと思うどころか、もう過去の日記は恥ずかしくてとても読めない。
それにしてもまさかこんなふうにわりときちんとした内容の日記になるとは思わなかった。
継続という点では、テキトーな内容であれば続けることは容易なのでそんなに驚いてはいないが、
読書やDVD鑑賞や旅行記など、それなりの分量をそれなりのルーズさでこなしているのは自分でも驚嘆である。
もともと僕は文章が不得意中の不得意で、猛烈に強いコンプレックスを持っていた。
そういう人間がヒイヒイ言いながらも書き続けている、ということに客観的な驚きを感じるのである。
とりあえず当面の目標は、日記が実際の日付まで追いつくことである(これ書いてるの5月の中旬だし)。
8年目に突入する頃までにはなんとかしておきたい、とぼんやり願うのであった。


2007.4.3 (Tue.)

今日は雨なのだが、空気は完全に春だった。
それまでの、雨が降るとひたすらその寒さや冷たさに閉口してしまう感覚とはまったく違う、春の感覚。
したがってルンルン気分で仕事に臨めるかというと全然そうではなくって、
むしろ真逆、朝っぱらから重苦しい感覚に全身を包まれて、体がものすごく重かった。
今と過去を比べて憂鬱になってしまう、そういう思考回路にとらわれて苦しい気分。
それでも、えーいくそと集中して仕事していたら少し気分が晴れたので、まあヨシとするか。


2007.4.2 (Mon.)

会社で席替えである。
長らくお世話になった(ホントお世話になった……)上司から、よりベテランの上司のおそばに移動である。
これはつまり、今までの手とり足とりいろいろご指導たまわっていた態勢から、自己責任の態勢に移行したということ。
チェックも必要最小限となり、「責任」の2文字が肩に重くのしかかってくるのを感じる。
が、まあとりあえず、そう気負わずに自分のペースの確立を目指すべくがんばる。


2007.4.1 (Sun.)

エイプリル・フールということで、今年も小ネタをかましたのであった。
気を悪くされた女性がいたらごめんなさい。笑って許してやってください。

本当は、もっと手の込んだことをやる時間と技術がほしいのだが、なかなかそうもいかない。
というか、来年は小ネタをかましているような心理的な余裕があるのだろうか。ちょいと不安だ。


diary 2007.3.

diary 2007

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