diary 2006.6.

diary 2006.7.


2006.6.30 (Fri.)

ドイツ×アルゼンチン。開催国ってことで乗りに乗っているドイツと、才能溢れる選手が活躍を続けるアルゼンチン。
この両国がぶつかるわけだから、つまらない試合になるはずがない。準々決勝では最も期待していた試合だ。

ひとつもミスが許されないレヴェルの試合で、なかなかどちらもシュートまでいけない。
しかし後半に入ってすぐ、アルゼンチンがCKからアジャラが決めて先制。蹴ったリケルメも演技したクレスポもすげえ。
このまま膠着するのかな、と思っていたら、アルゼンチンのGKが負傷退場。これでアルゼンチンが浮き足立ってしまった。
そしてペケルマン監督は72分にリケルメを下げてしまう。メッセでワカメと「ありえねえ! ペケルマン狂った!」と唖然となる。
さらに79分にはクレスポを下げた。采配が完全におかしい。ワカメと「こりゃー追いつかれたら負けるなー」などと話す。
案の定すぐにドイツが追いついて、以降は完全にドイツペース。アルゼンチンは攻め手を完全に欠いて、手も足も出ない。
リケルメがいないことで前線にボールがつながらないし、FWもテベスが精彩を欠いている。まるで別のチームのようだ。

最終的にPK戦までもつれ込んだのだが、どう見てもアルゼンチンの自滅。結局ドイツがベスト4入りとなった。
なんというか、現代のサッカーにおいてトップ下における選手の役割がよくわかる試合になってしまったように思う。
リケルメの存在の大きさが、その不在によって浮き彫りになったわけで、すごく象徴的な試合だった。


2006.6.29 (Thu.)

まあこうやって毎日の日記を書いている最大の理由は、親しい人への近況報告になっているから、である。
しかしもうひとつ目的があって、それは、どうにかして文章を書くコツをつかんでやろう、と思っているから。
もともと僕は自分の文章力のなさに強烈なコンプレックスがあるのだ。生まれてこの方、文章を褒められたことがない。
それを少しでも改善していこうということで、日記を書いているわけである(サボりがちではあるが)。

文章を鍛える意識を持ったきっかけは、やはり大学に入学してHQS(一橋大学クイズ研究会)に入ったことだろう。
HQSでは主に毎週水曜日に活動をしていたのだが、そのたびに「会報」が配られていたのだ。
会報の記事はクイズ大会のレポートだったり行事の報告だったり趣味の話だったり、多岐にわたっていた。
そして先輩方の文章が見事なもので、「ううむ、これはがんばらないと」と、文章をうまく書けるようになりたいと思ったのだ。

特に影響を受けたのがカナタニさんとめりこみさん。カナタニさんはとにかくすべてがベラボーにうまかった。
崩した表現やギャグなどを織り交ぜてくるのだが、考えていることを的確に文章に落とすこと、それが抜群にうまくって、
ワープロの小さなゴチック体で書かれたカナタニさんの文章を読むたび、これは一生かかっても追いつけない領域だと感じた。
めりこみさんは飄々とした姿勢が文章にもにじみ出ていて、その足腰がしっかりしているから緩いカーブが投げられる感じ、
きちんと書ける人だからこその軽やかさというか、そういう独特の味があって、毎度うらやましく思っていたものだ。

1998年に僕らが幹部になると、ダニエルが会報編集長の要職に就いた。その結果、〆切を破らない僕の出番が増えた。
書くからにはちゃんとしていないと先輩方に対して恥ずかしいので、面白いものをわかりやすく書こうと努力するようになった。
具体的には「読みやすい文章を書くこと」「読むことで相手に少しでもプラスになる知識を提供すること」の2点を心がけた。
振り返ってみると、この時期にそうやって会報の記事を書きまくったことが大きい。書く機会を与えられることで、慣れていく。
読まれることで、鍛えられる。そうして質を意識して量をこなしたことで最低限のレヴェルには達した、という感触があるのだ。
今こうして日記を書いていくうえで、このときの経験が決定的なものになっているのである。

もうひとつ決定的だった経験は、塾で作文を教えたことだろう(過去ログではこの辺か? →2003.10.182004.9.18)。
自分が教えていいのかよ、と思いつつ始まった作文講座だが、いざやってみるとこれがめちゃくちゃ(こちらの)勉強になる。
生徒が書いた文章を読むと、どういうことを書けば面白くなるのかが、成功例と失敗例からはっきりと見えてくるのだ。
試験で書く小論文・作文では「自分は何をしてきたか」「自分はこれから何をしたいのか」この2点を書くことに尽きる。
さまざまなテーマを与えられるものの、この2点さえクリアして書いてしまえば、確実に読めるレヴェルのものができあがる。
というよりむしろ、この2点について書かれていない文章は、読まれるだけの価値を持たない。その要領をつかめばいい。
おかげで僕の作文能力が飛躍的に伸びたように思う。試験の場で評価される文章を書くコツがわかってしまったのだ。

とはいえ、相手にわかりやすく伝えるということを考えた場合、まだまだ努力が足りないことも自覚している。
特に僕の場合は伝えるべきことの優先順位をつけるのが下手で、その混乱がそのまま文章に出てしまうことが非常に多い。
相手に自分の考えていることを100%伝えようとすることはあきらめ、少しずつ着実に理解してもらうスタイルが正しいのだ。
その辺の割り切り方がイマイチできず、それで本人は必死なのに何が言いたいのかよくわからないものに仕上がっている、
そういうことが多いように思うのである。あと言葉の定義についても、面倒くさがって曖昧なままにしていることが多い。
たとえば今書いているこの文章でも、そもそも「うまい文章とはどんなだ」という議論をすっ飛ばしているし。
いやーまいったまいった。

文章を書くことについて、才能によるアドバンテージは、確かに存在する。
生まれついてうまい文章を書ける人と、そうでない人がいるのだ。そして後者はきちんと努力をしないと、
ちゃんと読んでもらえるようなものを書くことができないのである。才能とは残酷なものなのである。
(もっとも、小さい頃からきちんとした文章に触れる習慣のついていた人は、自然とうまく書けるようになるとは思う。)
やる気があれば自分の理想とする人の文章をマネしていくことで、ある程度、よりうまい文章を書けるようにはなるだろう。
しかし僕の場合にはそういう明確な目標がない。それがいまだに日記で迷走を続けている一因になっていると感じている。
いちおう毎朝読書をしたりiPodで落語を聴いてみたりして、それなりに研究はしているつもりではある。
そんなわけで皆様、長い目で見てやってください。


2006.6.28 (Wed.)

自分の抱えている仕事がとりあえず一段落ついている状況で、他の人のお手伝いをあれこれしている。
実は、僕にとって、こういう時間がいちばん幸せというか充実感があるのだ。
困ったことに、自分の仕事よりも他人の手伝いのほうが得意なのである。

他人の仕事を手伝う場合、「ここまでやってください」とゴールが明確に示される。だからそこに至る最短距離がわかる。
自分の仕事の場合、ある程度の自由さがある。実はこれがネックで、その力加減がいまだにサッパリつかめない。
規律より自由を強調したジーコ監督率いる日本代表が1勝もできずに予選敗退、ではないが、それに近いかもしれない。
あともうひとつ、他人の手伝いはわりとどれも新鮮で、新しいことにチャレンジする面白さがあるのも大きい。
自分の知らないことをあれこれ試行錯誤しながら、相手を満足させるレヴェルで提出する。わかりやすくって助かる。

今回のお手伝いでびっくりしたのは、OCRソフトを使って活字をテキストファイルにする、という作業。
スキャナで読み込んだ文字をプログラムがテキストファイルにする。それで間違っている部分を修正して完了、となる。
正直、どうせめちゃくちゃな文字で読み取っちゃうんだろう、と思っていたら、意外や意外、かなり正確に読む。
今回は索引の項目をまとめ直す、という作業だったのだが、修正を加えるのは30項目に1回程度。すごくミスが少ない。
漢字のミスより圧倒的にカタカナのミスが多い。漢字は極めて正確に読む。「相似」が「木目イ以」になっていたのはご愛嬌。
あとは 「ー(音引き)」が「一(いち)」になるのが特に目立つ。慣れてくるとパターンが見えてきて作業も速くなる。

雑務をいろいろやるのは楽しい。本音としては、こういう仕事を普段からぜひちょこちょこやっていきたいところ。
会社としてもそれは困るんだろうけど、でもやっぱり、自分の経験を広げる意味でもチャレンジさせてほしいなあ、と思う。


2006.6.27 (Tue.)

社内報が配られて、そこにようやく僕の書いた原稿が載った。緊急事態が何度か続いて、出番が後回しになっていたのだ。
割付を担当してくれた方が文章を褒めてくれてうれしかった。文章が褒められるということは、あまり経験がないから。
例のごとくベッドに寝転がってえいやーと一日ポッキリでこねくりまわした文章なのだが、ふたつほど、思うことがある。
「以前に比べてわりと思いどおりにこねくりまわせるようになってきたこと」
「それに対してきちんと反応がもらえるようになってきたこと」
特に前者は自分で手ごたえがあるのでうれしい。きちんと努力を続けて、さらに精度を上げていきたいものだ。
(そのためにはもっときちんと日記を書くことから始めないといけないのは重々自覚しております。)

せっかく書いた文章なんだから、調子に乗ってとりあえずここでも載せてみることにする。恥ずかしいけどやっちゃうよ!

【私の郷土】

「じゃあスキー得意だったりする?」
長野県生まれだと自己紹介するたびに、そう訊かれる。
「実家には長野新幹線で帰るんでしょ?」
年末年始やお盆になるたびに、そう訊かれる。

  *  *  *

ここ東京から長野県はそんなに遠くない距離にある。
休日をのんびり過ごすには手頃な田舎――そういうイメージを持っている人は少なくないはずだ。
そしてある意味でそれは正しい。しかし、「長野」や「信州」を頭の中でイメージしたとき、
その地図に描かれている地域は、実はきわめて狭いケースがほとんどである。
そして僕はその地図からは漏れてしまいがちな長野県の南部、いわゆる「南信」で生まれ育った。

ご存知のとおり長野県は南北に広い。広いうえに山がちである。
だから長野県では盆地ごとに独立した都市圏・文化圏が点在している。
北信なら長野、中信なら上田・松本、南信なら伊那・飯田。でもお互いの仲はあまりよくない。
だから長野県人としての一体感を持たせるために『信濃の国』という歌がつくられた。
長野県が日本で最も県歌が歌われる県であるのにはそういう背景がある。

  *  *  *

さて冒頭の問いに対する答えだが、これはどちらも、僕のような南信出身者であれば「ノー」だ。
南信は気候が少し暖かく、スキー場なんてほとんどない。また、帰省する際には高速バスを利用するのが一般的だ。
鉄道ならば飯田線だが、これは時間がかかるのでふつうは乗らない。
高速道路も鉄道も南アルプスを避け、いったん諏訪湖に出てから盆地を南下するようにつくられている。
その最南端にある都市が、飯田市なのだ。

飯田市の名物というと、まず水引である。熨斗袋などでおなじみの水引だが、その全国シェアの7割を占めている。
あとは特にこれといった産業のない、ごくふつうの田舎の小都市である。

飯田の街はいわゆる城下町である。
昔からの市街地「丘の上」は小京都とよばれるように、旧飯田城から飯田駅まで碁盤目のように道路が引かれている。
なお、この旧飯田城は現在、神社・美術博物館・小学校になっている。この小学校は僕の母校である。

1947年には大規模な火災によって、街の大半が焼けてしまった。
復興する際、市街地の真ん中に幅25mの防火道路がつくられ、その後1953年に中学生の手によってりんごが植樹され、
現在は「りんご並木」として全国的に知られるようになった。この中学校も僕の母校である。

飯田を離れて9年が経つが、飯田という街は意外に本や研究報告の中で見かけることが多い。
つねに目立っている都市ではないが、扇状地と河岸段丘と田切地形の代表例だったり、
都市計画でのモデルケースだったりと、「知る人ぞ知る存在」として登場することがある。
そんな偶然に出くわすたびに、あらためて自分の知らない故郷の一面を見せられ、
少しだけ誇らしくもまた恥ずかしい気持ちになる。

 (撮影:circo氏)

この前、地元に住む父と会う機会があり、久しぶりに飯田の近況について聞くことができた。
最近の飯田は、桜の名所として観光客が多く訪れるようになってきているのだそうだ。
市内には桜並木もあるし、清秀桜、安富桜など、わざわざ名前がつけられた桜もある。
飯田には一本立ちの桜の古木があちこちに点在しているが、それをバスで回るのがブームになっているという。
小さいころ当たり前だった風景が街の大切な資産として再認識されているのは、うれしい話である。

皆さんも、機会があれば、ぜひ。

こんなんでした。おそまつさま。


2006.6.26 (Mon.)

イタリア×オーストラリア。古豪に新興勢力が挑む、典型的な構図である。

正直、僕はイタリアのサッカーが好きではない。理由は単純で、守備が堅すぎて見ていてつまんないから、である。
こんなことを書くと素人丸出しでかっこ悪いのだが、ゴール前でスペースを完全に埋めて相手の攻撃意欲を殺いでしまう、
そういう時間が90分続くのは、やはりちょっと「あーあ、またかよー」って気分になってしまうのだ。
通な人なら一瞬の隙を見逃さないで、少ない人数でゴールを奪ってしまう攻撃のセンスに惹かれるんだろうけど、
相手の良さをあまり感じさせず、自分たちだけいいとこ取りをするのがアリジゴク的に思えてしまって、僕にはイマイチなのだ。
どうせなら、両チームのいいところをがっつり見せてもらったうえで劇的なゴールを見せてほしい、そう思うのだ。

この日もイタリアは相変わらずの堅守っぷりで、10人になってもあまりそんなふうに見えなかった。
スコアレスの重苦しい展開がじりじりと続く中で、監督の采配が対照的。カードを切りまくるイタリアのリッピと、
延長を見越して動かないオーストラリア・ヒディンク。結果は試合終了直前にイタリアがファウルからPKを決めて、
その瞬間に笛が鳴るというドラマティックなものになった。これがサッカーだ、ってなところなんだろう。
よく考えてみれば、ギリギリまでどっちも0点って展開は完全にイタリアのペースなわけで、この勝ち方も必然に思えてくる。
どっかイタリア倒してくんねーかなーと思う。でもこのチームはあんまり失点が想像できない(アメリカ戦を見ていないし)。
そこをなんとかしてほしいのである。すべからくがんばれ、イタリアの相手。


2006.6.25 (Sun.)

天気が悪かったので、おとなしく借りてきたCDからMP3をつくって過ごした。

まずはビル=エヴァンスのリヴァーサイド四部作(『Portrait in Jazz』、『Explorations』、『Waltz for Debby』、
『Sunday at the Village Vanguard』。ピアノとベースとドラムスが均等にからむトリオという革命的な作品群として有名)。
僕は残念なことに、どの評を見ても「天才」と形容されるベースのスコット=ラファロがどれだけ凄いかイマイチわからないが、
それでもやっぱり、部屋にそこそこの音量で流してボーッと聴いていると、「ああ、いいわあ」と実感できる。
ただ流しているだけでもいいし、じっくりと聴いてもいい。ミニマルな楽器構成なのに内容は本当に多彩な色で聞こえる。

それから4月に関西へ行った際、ふぐさんがタワレコで買ったparis matchの1stと2ndアルバム(『volume one』『PM2』)。
はっきりとオトナ向けな印象。でも正直、アレンジに集中力がいっちゃってるのか、メロディ自体にはそんなに惹かれない。
僕にとっては75点くらいの曲がだーっと続いているって感じで、アルバムとしてはそういうのがいちばん扱いに困る。
とはいえ完成度が非常に高いのは事実。もうちょっと聴いていってみよう、と思うのであった。

一日じゅう部屋の中にいて頭が痛くなりかけたんで、夕涼みにサイクリングに出かけてみた。
暗い陰を含んだ雲が分厚く空を包んでいたけど、テレビで「これ以上天気が悪くならない」と言っていたので、飛び出した。

自転車でふらっと外に出るときは、まず東西南北、どの方角を目指すかを決める。
東は武蔵小山、大井町など品川の街が点在する。最近は全然そっち方面に行ってない。いずれ行ける日が来るといい。
西は近いところで自由が丘、ちょっと先には雪が谷大塚、さらに行けば武蔵小杉。わりと地味なラインナップ、かも。
南は大森。やる気を出せば蒲田。途中の池上でカンベンしてやる、という手もある。こちらは当然ながら、大田区どっぷり。
北は246まで出て駒沢大学が標準的なところ。環七じたいは真空地帯なので、そこからちょっと奥に入らないと街はない。
なんせ夕方なので、遠出するつもりはない。大田区内でプラプラしようと思い、南へのルートを選択。

サンダル、手ぶらでのん気に環七を南に行く。大森への分岐点を越えてもまだ頭が鈍い感じがする。
そのまま何も考えないで進んでいったら池上へ向かう道にぶつかった。それもアリかな、と思って右折する。
途中でかつて大田区役所があった場所、今は大田区文化の森という公共施設になっているところを通過。
大田区は大森+蒲田ってことで「大田」という名前になった歴史がある。だから区役所は中間に置かれた(→2002.8.15)。
それでこの周辺の地名は「大田区中央」となっているのだが、区役所が移転して最寄り駅もないため、あまり活気はない。
言い換えればもともときちんとした住宅街だったので、変に商業施設なんかがつくられていない。だから穏やか。
夕方という時間帯のせいもあって、なんだかノスタルジックな気分になりつつペダルをこいでいく。

そんな中でふと思い出す。僕が小学生から中学生にかけてのころ、夏にはよく家族で夕涼みに散歩に出た。
晩飯を食ってしばらくしてから、飯田の街をただ何の目的もなく歩く。ただ歩くだけ。たまに本屋や雑貨屋に入ってみたり。
家族4人並んでぶらぶらする。考えてみればこの体験は、ただ街を歩くという僕の習性に大きな影響を与えているようだ。
そうしてそろそろ帰りますか、となると、通り町のセブンイレブンに入って、アイスクリームを買って食べつつ帰る。
(当時そのセブンイレブンではディッシャーですくってコーンの上に乗っける、そういうアイスを売っていたのだ。
 今はもうコンビニではなくなってしまって、市内のブラジル人御用達の店になっている。うーん、時代は変わる。)
潤平は毎回必ずチョコチップのミントを食っていた。一度、親の前で初恋の相手と出くわしてドギマギもした。
うーん、懐かしい記憶だ。

気がつけば池上駅前に出ていた。塾講師時代には何度か研修で来ていて、これまた懐かしい。
あの頃はあの頃で充実していたなあ、なんて思いつつ、家に帰るのがつまんなく思えて第二京浜を川崎方面へ左折する。
幅の広い道を快調に飛ばしていき、橋を渡る。川崎市内に入ってしまった。とんだ夕涼みだ。
こりゃもう川崎駅まで行っちゃおう、と決めて、さらに南へと針路をとる。

てなわけで、川崎駅に着いた。なんとなくDICEに入って、さくらやでノートパソコンを眺める。
というか、今朝、ついに新しいパソコンを注文してしまったのだ。今のデスクトップVAIOは限界、ボーナス入って決断。
おもしろおかしく使っていきたいなあ、ってか、これをきっかけに万事にやる気を出していかねば、と思うのであった。
さて、まだ頭がボンヤリするし、一息ついてのんびりしたいなあと思ったので、そのまま4階の本屋へと向かう。
最近は気晴らしになるようなストーリーが足りない。頭の痛いときは文字よりも絵のほうが頭に負担が少なくて済む。
そういうわけで何か面白いマンガないかな、と探す。手ぶらなので文庫本サイズのものを買わないとポケットに入らない。
あれこれ思案した結果、今さらながら『あしたのジョー』の1巻と2巻を購入する。
そっから近くのミスドで好物のチョコファジシェイクをちゅーちゅー吸いつつ読んでいく。さすがにこのマンガは奥が深い。

家に戻って飯を炊くのも面倒くさいので、このまま晩飯を食べてしまうことにした。
こないだリョーシ氏と一緒に行った定食屋に入り、野菜炒めを食べる。もちろん3杯飯である。
腹いっぱいになって帰り道をのんびり行くころには、頭痛など吹っ飛んでいるのであった。
第一京浜から環七で帰る。たまにはこんないいかげんな休日があってもいいだろう、とほくそ笑むのであった。


2006.6.24 (Sat.)

W杯、ついに決勝トーナメントがスタートした。が、時差の関係で0時台の試合しか見られない。
わかっちゃいるけど、残念である。よく考えたら4年後は南アフリカだから時差は今の状況と変わらない。
いかに4年前が恵まれていたのか、今さらながらようやく実感。もうちょっと丁寧に見ればよかったなーと思っても、もう遅い。
いやー、もったいなかった。

で、ドイツ×スウェーデン。いきなりクローゼとのコンビネーションでポドルスキが2点取る。
ドイツは本当に強いなーと思わず唸ってしまった。スウェーデンはまるっきりいいところがない印象。退場者まで出してしまう。
ラーションはPKをはずすし、イブラヒモビッチもどこにいるのかわからない。これがホームとアウェイの差ということなのか。
ドイツはバラックにゴールを決めさせるべく余裕たっぷりに攻めている。結局このまま試合は終わってしまった。
スウェーデンはなんとなく、初戦のトリニダード・トバゴ戦での攻め切れなさ(→2006.6.10)が尾を引いた印象がなくもない。

また同じことを繰り返し書くけど、日テレの実況がひどすぎる。
グループリーグの累積イエローがリセットされるのを知らなかったり、ひたすらバラックと連呼するだけだったり、
補足説明を入れるけどそれがチャンピオンズリーグのことに偏っていたりだとか、本当にきちんと勉強してんのかよ、
って感じである。日本代表の検証も必要だろうけど、実況についても検証が必要だと思うのである。

さて、日本サッカー協会会長であるところの川淵三郎が失言したオシムの件。これは本当に失礼なことだ。
よりによって日本のサッカー界で一番偉い人が、自分たちの足元を支えているJリーグの現役監督に対し、
引き抜き工作していることを公式に認めたのだから。今後、これが既成事実になってオシムが代表監督に就任する、
って流れになっていくんだろう。そしてたぶんこれは動かせない流れになるだろう(オシムが乗り気である以上)。
マスコミはきちんと、川淵のことを批判すべきだ。Jリーグきっての名将が代表を立て直すだろうという希望的観測から、
今後オシムに対して肯定的な報道がなされるのは予想できる。でもそれとこれとは別の問題なのだ。
川淵の自分の立場をわきまえない非常識な行動と、実績のある人物の代表監督就任を、決して一緒にしてはいけない。
日本という国は、組織体である。そしてジェフ千葉も、クラブチームという組織体である。
民主主義において、組織体の自主性は尊重されねばならない。今回の件で、ジェフの立場は何ひとつ尊重されていない。
「お国のために人材を差し出せ」では、戦前の徴兵制と何も変わらないではないか。
代表選手は「招集」されるが、僕には「召集」に思えるときがある。「招集」と「召集」は、まったく別種の言葉だ。

念のために書いておくが、僕はオシムが日本代表監督になることは理想的なことだと思っている。オシムがベスト、と思う。
しかしこの失言はありえない。ジェフというクラブに対する礼儀も敬意もない。監督にはオシムしかいない、
という言い訳で許されることではない。あれだけ擁護してきたジーコの采配によって、日本はW杯で完敗した。
それだけでも十分、川淵には会長を辞任すべき責任があるのは間違いない。そのうえ、今回のこの事態である。
これで川淵が会長職にとどまり続けるのを認めるのは、もはや「寛容」を通り越して、形容する言葉がない。
こういう無責任で無礼な人間をトップに据える限り、根本的な解決は永遠にできないだろう。
仮にオシムが代表監督に就任したとしても、そのことだけで十分絶望的だ。国際的に恥ずかしいことだ。


2006.6.23 (Fri.)

おかげでなんだか低調な一日だった。夜更かしのダメージというより、日本の試合のつまんなさによるダメージ。そんな感じ。
日本の代表であるからには日本の中でも特にサッカーの上手い選手を集めているわけで、
そんな人たちに対して僕はド素人であるにもかかわらず、あれこれ言いたい放題な毎日で、
それがなんだか申し訳ない。そう思うんだけど、やっぱり、うーんと思ってしまうのだ。
観客ってのは本質的に、いつでも勝手なもんだからしょうがないんだけどね。


2006.6.22 (Thu.)

イタリア×チェコ。初戦のアメリカ戦ですっかりチェコファンになってしまった僕としては(→2006.6.12)、
是が非でもチェコに勝ってほしい試合だ。ガーナに負けるという“ありえない”展開で(→2006.6.17)、
チェコは決勝トーナメント進出が厳しい状況に追い込まれてしまっているのである。

チェコはコラーが出場することができず、なんとかバロシュが間に合った、という有様。しかもベストの状態には程遠い。
ユーロ2004では活躍したバロシュだが、この日はボールが全然足元に収まらない。開始1分で正直負ける予感がした。
対するイタリアは相変わらず相手の良さを殺すのが上手くって、見ているこっちはイライラしっぱなし。
そしてあろうことかチェコはガーナ戦に続いて退場者を出してしまう。イタリアはチェコに球を持たせて余裕綽々。

まるっきり消えてしまったロシツキーとは対照的に、おそらく負けたら代表引退になるであろうネドヴェドがひとり気を吐く。
その運動量はとても30代のベテランとは思えない。休むことなく動き続けて再三イタリアゴールに襲いかかる。
まるで大坂夏の陣で徳川軍に突撃を繰り返す真田幸村を見ているかのよう。涙で霞んで見えたのは気のせいか。
でもGKブッフォンが好セーブを連発。イタリアの検察がブッフォンを捕まえてくれりゃよかったのに、と罰当たりなことを思う。

結局チェコは0-2で負けてグループリーグ敗退決定。アルゼンチンとオランダのグループCよりこっちの方がよほど地獄だった。
しかしネドヴェドは本当に凄かった。男の中の男って感じだ。これからは勝手に「師匠」と呼ばせてもらうことにするのである。

ブラジル×日本。
チェコの敗退に枕を濡らしつつ仮眠すること3時間、むっくり起きてMessengerを再起動。ワカメとダベって観戦。
明日は上司が出張ということで、無理が利くのでがんばって中継を見ることにした。どうせ後悔すんだろうな、と思いつつ。
まあ当然、なんだかんだ言いながら日本代表を応援するのだが、正直、ジュニーニョ・ペルナンブカーノのFKは見たい。
なんとか3-1くらいで勝ってください、お願いしますと内心思いつつ、いざキックオフである。

やっぱブラジルのスピードは違うなーなんて話をしていたら、玉田がきれいに先制点を取った。
日本にしてみれば理想的な展開。でも前半終了間際に同点に追いつかれ、ハーフタイムは非常に暗いムードに。
ブラジルが本気になりつつある予感がしてきた。

で、後半に入りジュニーニョ・ペルナンブカーノの無回転シュートで逆転されると、あとはブラジルのやりたい放題に。
投入されて秒単位でピッチを出た高原、ブラジルのGK交代など、非常にギャグテイストの強い試合になってしまった。
最終的にスコアは1-4となったのだが、これがグループリーグの最終戦じゃなかったらもっとひどいことになっていただろう。
「完膚なきまで」ってこういうことを言うのかーと、最後はなんだか他人事のように思ってしまった。

何から何までレヴェルが違ったんだけど、個人的にはやはり、足元の技術に大きな差があったように思う。
強い国の選手は、トラップが次のプレーに直結している印象がある。日本はとりあえずボールを止めて、
そこから考える遅さが際立っている。次の監督は誰になるのか知らないけど、問題は代表だけに限らないってことで、
しばらく日本の苦難は続きそうな気がする。やっぱり世界のレヴェルって半端じゃないんだなーとあらためて実感した。


2006.6.21 (Wed.)

 松島 栓太郎 様 日頃は、NHKの放送事業にご理解とご協力を……

これじゃあ受信料を払うわけにはいかねーな。


2006.6.20 (Tue.)

昼休み、ちょっと出かけてみる。水道橋周辺で用事を済ませて、神保町まで行って自転車のタイヤに空気を入れる。
もう残り時間が少なくなって、テキトーに丼物をかっ食らって、戻ったときには汗でびしょびしょ。
梅雨の合間の晴れはとても貴重でうれしいのだが、蒸すうえに日差しは強い。それでもやっぱり、雨よりはいい。
で、そっからは集中して仕事。勢いにまかせて、他の人から頼まれた仕事を残業で進めていく。

仕事はわりと単調な時期で、TSUTAYAがなくなってDVDを見ることもなく、見たいサッカーの試合は地上波じゃやらない。
これでは、ちゃんとした日記を書けるはずなどないのである。困ったもんである。


2006.6.19 (Mon.)

サッカーの時間、アメフトの時間。

同じ「スポーツ」でくくられるものでも、時間に対する認識は種目によって大きく異なってくる。
たとえば野球。時間はゲーム内容に関係しない。時間短縮が心がけられているが、それはファンサーヴィスの観点からだ。
ルールとしては、客観的な「何時間何分」という時間よりも、1回表から9回裏に至るまでのアウトカウント、
つまり「○回表/裏の△アウト」という主観的な時間の単位、そちらのほうが重要になっている。
そういう独自の基準で区切られた「時間」の中でひとつひとつのプレーが遂行される。バレーや卓球もこれに近い。
それに対して、客観的な時間、現実的な時間を基本とするスポーツも多く存在する。ホッケーやバスケなどが該当する。

そしてサッカー、アメリカンフットボールも客観的な時間を使う側に当たる。
しかし、この両者の時間に対する態度は、同じ「フットボール」を名乗るスポーツでありながら、正反対なのである。

知ってのとおりサッカーの場合、公式な試合では45分ハーフ、それに加えてアディショナルタイム(ロスタイム)がある。
サッカーではよほどのことがない限り、試合中に時計が止まることはない。
それで試合中にトラブルがあって時間がムダになった分を、アディショナルタイムで補うのである。
このアディショナルタイムの存在が白熱した駆け引きを生む非常に優れたルールとなっているのだが、
それはひとまずおいておこう。重要なのは、試合中に時計が止まらない、という点である。

対するアメフトでは、時計は簡単に止まってしまう。
アメフトの試合は60分、これを前半と後半に分け、さらにそれをまた半分ずつとする。
つまり、第1クォーターから第4クォーターまでそれぞれ15分ごとに区切られているのである。
アメフトの攻撃は主に2種類ある。ランプレイとパスプレイである。ややこしいが、場合分けでまとめてみる。
まず、ランプレイ。 i) ボールを持った選手がフィールド内で相手に止められた場合→時計は止まらない。
ii) ボールを持った選手がサイドラインを割ってフィールドの外に出た場合→時計は止まる。
続いて、パスプレイ。 iii) パスが成功した場合。→ランプレイと一緒。パスキャッチした選手の動きしだい。
iv) パスが失敗した場合(パスインコンプリート)。→時計は止まる。
ただし反則があった場合(審判がイエローフラッグを投げる)、その時点で時計は止まる。
また、第2クォーターと第4クォーターの残り時間が2分になると、自動的に時計が止められる。

アメフトの場合、いかに点を取るか、いかに相手の攻撃を抑えるか、という要素だけでなく、
「いかに時間を操るか」という駆け引きも、勝負のとても重要なポイントとなってくる。
特に試合の終盤では、勝っている側は時間を消費するランをよく使うし、負けている場合はパスで逆転を狙うことが多い。
(ランならフィールド内でつぶされて時間を消費できる。パスなら距離が稼げるし、失敗しても時間が止まってくれる。)
負けている側はいちいちタイムアウトで時計を止め、ひとつひとつのプレーの精度を上げる、なんて工夫も必要になってくる。
逆に勝っている側のQBがニーダウン(膝をついて攻撃をしない)して時間を消費し、勝利を確定させる光景もよく見かける。
実際にスーパーボウルなどを見ると、残り時間がまだ5秒くらいあるのに紙ふぶきが舞って、MVPが発表されることもある。
だからアメフトの場合は、試合展開によって時間の価値が大きく異なってくる。
軽い時間と重い時間、その差はまさに天地ほどの違いがあるのだ。

サッカーにおいては、けっこうな割合でアディショナルタイムには白熱した展開になる。
つまり、試合終盤の時間は、気の抜けない緊張感でいっぱいに満たされることが多い。
それでいて、その時間は1秒1秒が均等に流れていく。大きな時間の流れがまずあり、プレーはその上に乗って行われる。
対照的にアメフトでは、試合終盤の時間は軽く扱われる場合と重く流れていく場合とがあり、両極端である。
しかも、タイムアウトや反則、パスインコンプリートで時計が止められるので、1秒は無限に濃い密度を持ちうる。
「1秒でできること」という視点で見た場合、アメフト、それも本当に最後の1秒になると、それがすさまじい重みを持ってくる。
そういう意味ではむしろ、アメフトの時間は上記の主観的な「時間」に近いと言える。
客観的な時間、現実的な時間をベースにしながらも、それを無限に切り刻み、その疎密を駆け引きに使ってしまう。
いかにもアメリカ発祥らしいというか、ゲーム性を追求することに長けた国が生んだスポーツだと感心してしまう。

まとめると、サッカーにおける時間とは、砂時計のように均等に流れていくものである(ドラえもんなら「タイムライト」?)。
それに対してアメフトにおける時間とは、水道の蛇口のように自分で調節することができる(ドラえもんなら「時門」?)。
僕はここに、AM(振幅変調:Amplitude Modulation)とFM(周波数変調:Frequency Modulation)の違いを見てしまう。
サッカーは波長が変わらないまま振幅だけが変化するAMで、アメフトは波に疎密があるFM。そんなふうに思える。
もしかしたら、時間ってのも実は波で、それをAMで切り取るスポーツとFMで切り取るスポーツがある、ってことかもしれない。
そう考えると、同じ時間でも長く感じる場合と短く感じる場合があることを、うまく説明できるかもしれない。

以上、スポーツから日常への哲学的フィードバックでした。


2006.6.18 (Sun.)

ほとんど徹夜の状態で、朝7時半に家を出ると、電車に乗り込んだ。毎年恒例のバレーボール大会なのである。
ウチの会社ではこれがもう大好きなベテランの方が何人かいて、僕ら若手は問答無用で駆り出されるのだ。

雨の中トボトボと30分ほど歩いて会場に到着。去年は日にちを間違えるバカをやったが(→2005.6.11)、今年は大丈夫。
着いたはいいが、知っている顔がいない。途方に暮れていたら一番乗りしたらしい同期がいたので一安心。着替える。

半徹夜の疲れが残っていて、しかもカラオケとサッカー談義でノドがつぶれている。コンディションは最悪である。
あー、うー、やってらんねーとうなっていたら、いつのまにかけっこうな人数が集まっていた。去年とは大違いだ。

どっからどう見ても完全にやっつけ仕事な準備運動をやらされ、しばらくボールを使った練習をした後、第1試合開始。
ベテランの方が所狭しと動きまわる。毎回ボールが来るたびにコートの両端で反復横とびをやるくらいの運動量で動く。
おかげでこっちは動きがとれない。そうすると「ボーッと突っ立ってんな!」と声がかかる。誰のせいやと思っとんねん。
まあそんな具合なのでレヴェルの高いゲームになるはずもなく、泥仕合の末に競り負けた。

それから第2試合まで暇な時間が続く。1時間以上ベンチに座ってぼーっとしていると、
いきなり「試合!試合!」とせきたてられるのであった。

第2試合の相手は最初の相手より明らかに強かった。素人のバレーはサーブで上手さがわかる。
練習の段階でサーブの上手いやつがそろっていれば、そのチームは強いのである。
で、ベテランの方がほとんどギブアップしてしまったので、この試合は若手中心で戦うことに。
おかげでポジションが明確になって落ち着いてプレーができたのだが、結局負けてしまった。ちょっと悔しかった。

去年も入った中華料理屋はなぜか異常に混んでいて、席に全員が座れるまでそうとう時間がかかってしまった。
めちゃくちゃなハイペースで周囲はビールを消費していく。その勢いに心底呆れた。
溜まりに溜まった疲れのせいで途中でうつらうつらしてしまう。ウチに帰って寝たかった。でも必死で耐えた。よけい疲れた。

まとめとしては、なんだかんだ大勢集まってスポーツをするのは楽しい。これは何もバランスをとった発言ではない。本音だ。
昨日もそうだったが、やはりたくさん集まって何かをする、ということがないといかんなあ、と痛感。
最近はそういう機会が本当にない。非常にいい気分転換になったのは確かで、無理して来てよかったかな、と思った。

夜には日本×クロアチア。見ていて、もう、イライラしてしょうがなかった。
クロアチアが日本を圧倒するんならまだあきらめられるが、どっちもヘタクソにしか見えない。
川口がPKを止める、あれだけのプレーが出たにもかかわらず、それに応える点が取れないってのはもうどうしょうもない。
稲本を後半から入れるなど改善点はあったのだが、まだまだ物足りない。
何より、チャンスをフイにしたのに「今のはいい動きでした」などとのん気に言ってる実況と解説に腹が立ってしょうがない。
日本以外の試合を見てんのかよ、と思う。ほかの国がどれだけ凄い動きをして、どれだけ凄い点の入れ方をしているのか、
きちんと見たうえで日本の試合を見てんのかよ、と思う。ほかの国の試合を見ていれば、そんな間の抜けたこと、
言えるはずがない。お前らはただ単純にお祭り騒ぎに乗じて盛り上がりたいだけとちがうか、と。
まあそんなわけで、試合が終わってさっさと寝る。おかげで無呼吸のマウスピースをつけ忘れて寝起きが最悪だった。


2006.6.17 (Sat.)

昼過ぎ、髪の毛を切りに行く。いつもより来る間隔が短いですね、とおねーさんに言われる。
もう梅雨で湿っぽくって暑くって、ガマンの限界だったのだ。寝るときに襟足が気持ち悪くってしょうがなかったのだ。
いつもより短くしてもらうが、おねーさんは長くするのが好きなようなので、少し不満げ。暑さが落ち着いたら長くしよう。

切っているあいだ、いつものように必死でNumberを読む。チェコの監督、ブリュックナーの記事があったので読み込む。
おねーさんはオーストラリア戦の日に、自由が丘のバーでスタッフの皆さんと一緒に観戦したんだそうだ。
その辺に、オシャレ軍とブサイク軍の埋めがたい差を大いに感じたのであった。

夕方になり、「めりこみさんを囲む会」が開催されるので、新宿へ向かう。
めりこみさんは大学時代の先輩(2学年上)で、マサル・僕とともに「HQSの変態3M」と呼ばれていた偉大な人だ。
(ちなみに、めりこみさんの卒業後、「変態3M」はマサル・僕・みやもりの3人を指す名称になる。)
僕の中での「こんなに頭のいい人が、なんで巨人なんか応援してるんだろう?リスト」の筆頭である。
とにかく頭の切れる人で、かついい意味でダメ人間な側面をお持ちなので、おバカな僕らの学年から非常に慕われている。

集合場所を軽く間違えて、いざ正しい場所に行ってみると、おお!と思わずうなってしまった。
お世話になった先輩たちが勢ぞろいなのだ。2学年上の皆様方は人数が多かったこともあり個性豊かで、
一緒にいるだけで楽しかったのだが、そのほぼフルメンバーが集まっている。しかも皆さん全然お変わりがない。
一気に頭の中身がタイムスリップした気分になる。いや、もう、それだけでうれしい。

ニシマッキーが予約した店へ移動するが、6階まで上がるエレベーターが小さくて満員。
「このエレベーターはシンドラー製だ!」と言い捨てて階段をのぼるのであった。

店内ではだいたい、先輩方とそれ以外(僕・みやもり・リョーシ・ニシマッキー・えんだう+ディズニー女王のアイダ夫人)
という布陣。いざってときにスパッと集まれる2学年上をうらやましく思いつつ、バカ話に花が咲く。
……が、久々にお会いするアイダ夫人があれこれつっこんでくるので、しゃべらざるをえないことがチラホラ。
そのうちみやもりの過去の話になり、それが初耳だった僕は「裏切られたー!」と思いっきりむくれる。ホントにショック。
「だって訊かれてないもん」とのことだが、そんなもん、問わず語りなのが友情ってもんだろー!と思うのである。無念である。

んでもって明日朝7時集合で部活の面倒をみるというツカダさん以外全員が2次会に移動。カラオケ屋に入る。
最初のうちは車座であれこれダベっていたのだが、ここでもアイダ夫人が女王ぶりを発揮あそばされて、いろいろ歌うことに。
8~9年ぶりに『月下の夜想曲』とか『すみれSeptember Love』とか『ハンバーガーショップ』とか歌わされ、
大学時代のイタい過去を直視させられる破目に。たいへん恥ずかしゅうございます。

そこからさらに3次会へ。居酒屋に入っていろいろしゃべる。途中でめりこみさんが体調不良でギブアップ。
今回は「倖田來未の首から下だけ好き」などの名ゼリフが飛び出したけど、さらにもっといろいろ聞けただろうから残念。
まあまたお会いする機会はあるだろうから、その際にはまたいろいろとあれこれ話をしたいものです。

で、そのうちサッカーの話ができる男子は日本代表&Jリーグトークに突入。
えんだうとヤマモトさんが非常に詳しく、僕やみやもりもある程度興味があるもんだから、これが異常に熱くなる。
トークは夜明けまで完全ノンストップ。えんだう(ジェフサポ)は日本には東欧系のサッカーがマッチする、と熱弁。
確かにオシムは恵まれないチーム状況の中ですばらしい実績を残している。一理あるなあ、と思う。
そして次の代表監督はぜひともブリュックナーを招聘すべきだ、と熱くなる僕(にわかチェコファン)。なんだか変に意気投合。
そのうち、日本にマッチしたシステムとは何か、との話題になる。これがけっこう面白かった。
えんだうは現在いる日本人選手で世界に通用するレヴェルのサイドバックは存在しない、との持論を展開。
結果として3バックをとらざるをえない。そこに、DMFを専守防衛にすることで、リベロを採用することが可能となる。
そのDMFに加えて両サイドのMFも守備的にし、攻撃するタイミングのみサイドハーフとして機能させる、という。
FWは1トップ2シャドーとする。それで、1トップに当てて2人が飛び出す。以上のようなスタイルが理想だ、との見解。
チェコのサッカー(コラーに当てて飛び出す中盤)に発想が近いので、いいねえいいねえ、などとうなずく僕。
みやもりは転勤族の家に育ったので、大分・広島を応援していて、今年からは自分の暮らす街の川崎も応援している。
「我那覇と佐藤寿人と高松を使いたいんですけど」「このシステムなら高松の1トップでバッチリです」「いいねえ~」
「シャドーの候補はいくらでもいるなあ。田中達也もいいぞ」「1トップが人材不足ですけどね」「平山に期待、か」
「OMFは羽生とかどうでしょう」「羽生!いいねえ~さすがジェフサポだねえ。夢があるねえ」などと会話が弾む。
そんなわけで、次の代表監督は東欧系(できればブリュックナー)で、システムは3-4-3(DMFをDFに見立てれば4-3-3)、
それが理想という結論になった。というか、えんだうがそう断言した。まあ悪くないと僕も思う。

途中でみやもりがi-modeでW杯の試合経過を報告。チェコがガーナに0-2で負けた、とのこと。信じられない。
しばし茫然としてしまう。チェコの最終戦の相手はイタリアだ。これは非常にまずいことになった。やっぱり、信じられない。

そんなこんなで夜明け。フラフラになる面々と、それでも麻雀を打ちにいく面々。いや、お強い。
帰りの電車ではアイダ夫人と一緒で、軽くあれこれ話をする。
「けっきょく、モテない生活が楽しいんですよねー」なんて言ったら「そんなんじゃダメ」っておこられちゃった。テヘヘ。


2006.6.16 (Fri.)

有給をとって国立へ。久々に乗った南武線は、矢野口から稲城長沼までが高架化されていて驚いた。
府中本町では武蔵野線の車両が新しくなっていたっぽいのを見て驚いた。
さらに西府駅が平成20年に開業ってな看板が立っていたのを見て驚いた。時代は進んでおるのう。

国立で何をしていたのかというと、まあ要するに、教員免許に関するあれこれを調べたのである。
具体的には書かないけど、ちょっと考えていたことが頓挫して、がっくりした。けど、ありがたいヒントももらった。
ちょぼちょぼと、あれこれ動いてみたいところである。

その後は渋谷に出てダラダラしていてマンガ喫茶で『デスノート』なるものを途中まで読むなどして、
家に戻ってテレビをつけたらアルゼンチンのメッシが6点目を入れた。スコアを見て開いた口が塞がらない。
セルビア・モンテネグロは守備でヨーロッパ予選を勝ち抜いたはずで、第1戦でもオランダがロッベンの1点に抑えられていた。
それがあろうことか6失点とは。それだけアルゼンチンの破壊力がとんでもない、ということなのだろう。きちんと見なくて後悔。

オランダ×コートジボワール。前半はオランダが地力を生かして2点もぎ取る。
そうかと思えばコートジボワールもとんでもないゴールで1点を返す。見ごたえのある展開だ。
攻守の切り替わりが異常に速い試合で、とにかくあっちへこっちへと動く動く。見ているこっちも一瞬も気が抜けない。
後半に入ってからのコートジボワールの攻撃はすさまじく、オランダの選手は自陣にずっと張りつけられている。
泥臭く必死で守るオランダと、セカンドボールを拾いまくって息もつかせないコートジボワールと、100%本気のやりとりが続く。
最後の最後までコートジボワールは攻めに攻め続けるが、残念ながらオランダのゴールを割ることはできず、
前半のスコアがそのまま試合のスコアになった。コートジボワールのプレーは、見ていた人には確実に感動を与えたと思う。
なんというか、毎晩毎晩タダですばらしいものを見させてもらって本当に贅沢だ。


2006.6.15 (Thu.)

イングランド×トリニダード・トバゴ。
高い能力を持っているのに相変わらず冴えないイングランドに対して、やはりトリニダード・トバゴは必死に守りまくる。
ひどかったのがクラウチで、重要な局面でシュートをはずしまくり。イングランドはそれ以外の選手も不思議とピリッとしない。
トリニダード・トバゴも何度か貴重なチャンスをつくって相手陣内に入り込むものの、いかんせんスピード不足。
中盤以降の選手がまったくフォローにいかないので、あっさりとイングランドのDFに抑え込まれてしまっていた。
そして終盤にはさすがにトリニダード・トバゴの選手たちも疲れてしまい、集中力が欠けたのが残念だった。
まあでも個人的にはそういう明らかに弱いんだけどがんばるチームは好きなので、よくやった、えらいえらいと褒めてあげたい。

毎日毎日ハイレヴェルな試合を見ていると、「強いサッカー」ってなんだろう、という疑問がわりとわかりやすくほぐれてくる。
サッカーに詳しい/詳しくないを問わず、家族や知り合いに「強いサッカーの特徴を一言で言ったら?」
という質問をぶつけたことがあった。これに対する答えは完全に十人十色、かつなるほどと思えるものばかりで、
統計をとってみると意外と有意義なデータになるかもしれない。ちなみに僕の答えは、「バックパスをしないこと」である。
この日記を読んでいる人も、同じように周りに訊いてみると面白いかもしれない。

もうちょっとしっかり試合内容を見てみると、守る場合には相手へチェックに行く速さ、
攻めではここぞというときに相手を置いて抜け出す速さが鍵を握っているように思える。
日本はダラダラとプレッシャーをかけつつ相手に合わせて後退する守備が目立つが、世界の強豪はそんなことしない。
また、攻める際にはボールを持っている選手だけでなく、全体が上がること、いわば二の矢を放つ準備を全員がすること、
が重要そうだ。そうして攻撃に厚みをつくり、敵にボールを奪われた際には素早くチェックを入れる、
それを徹底することが「強いサッカー」のように思える。「強いサッカー」をしているチームは11人全員が活躍している。
細かい部分ではトラップが重要だ。ボールをきちんと足元に収めることでムダな動きがなくなるし、また展開も速くできる。
強いチームではシステムとか戦術云々よりも、まずそういった部分が共通して基礎になっている気がする。
正直、どれも日本に欠けている。

Jリーグでは浦和なんか特にそうなんだけど、「強いチームはどうして強いのか?」という目で見た場合、
上記のことが言えると思う。とりあえず今の段階では、こんな辺りが結論である。


2006.6.14 (Wed.)

スペイン×ウクライナ。まあしょうがないよな、という試合。
スペインが強いというよりは、いや確かに強いんだけど、それよりもウクライナの単調さが目立った。
ゴール前へのパスはことごとくオフサイド、どうしてもシェフチェンコにボールがいかない。
そういう状況で10番のヴォローニンが気を吐いたプレーをするが、いかんせん人数が足りない。
スペインは個人の強さが前面に出ていて、ボールを持ったプレーヤーが優れた技術でチャンスをつくる、そういう感じ。
いいんだけど、なんとなく、そんなに好きになれないのはなんでだろう。理由がわからないのでずいぶんと乱暴なのだが、
僕はなぜか不思議と惹かれない。すごく強引な言い訳だけど、スペインのサッカーって、スペインって国と同じで、
それぞれの優秀な選手がまずいて、彼らは偶然スペインという国に集まっていて、それで出場しているって印象がある。
(スペインは王国だが、17の自治州で構成されている。それぞれの地域でそれぞれにアイデンティティをもっている国なのだ。
 有名なところではバスクの存在があるし、バルセロナのあるカタルーニャ州も自治を求めて活発に動いている。
 だから最近まで、代表よりもリーガのクラブのほうが圧倒的な人気を誇っていたという。代表は軽視されていたという話。)
それでか、確かにオールスターなんだけど、強けりゃいいのだ、というイメージがあって、
(あくまで主観的なイメージ。あんまりこういうこと書くと「コイツは全然わかってない」って思われちゃいそうだ)
国としてのクセというか方向性がいまひとつ見えづらくって、評価の仕方がよくわからないのだ。
(言い換えると、キャラが弱い? 選手のキャラではなく、国のキャラが弱い?)
まあともかく、個々の実力を存分に出して勝ったわけで、底力をたっぷりと見せつけてくれたのだった。

しかしこうして、にわかエセサッカーファンになって毎日試合の感想というかただの説明文というかを書いていると、
オレはこんなこと書いてる資格あるんかなあ、などとよけいなことを考えてしまう。
もともとこの日記は限られた知り合いだけをお客さんとして割り切っているけど、それにしてもなんだかひどい内容だよなあ、
と思ってしまうのだ。たぶんこの日記を読んでる人でそんなにサッカー好きいないし。
そんな人たちを相手にNHKのハイライトの二番煎じをやってたってしょうがないじゃないか、と考えるわけだ。
でもほかに書くことなんてないし、書かないことには日記はたまっていく一方なので、無理して文章をこねくりまわしている。
結局、一日一日が退屈ってことなのかねえ。


2006.6.13 (Tue.)

フランス×スイス。
ジダンの最後の大会ということで世論はフランスを応援する向きが目立っている。しかし僕はベテランぞろいのチームよりは、
若手がいっぱいでEURO自国開催(オーストリアと共催)に向けてがんばっているスイスを応援するのである。

ところが、試合内容は非常に退屈。まず、両チームとも守備はすばらしかった。特にフランスの個の強さが目立っていた。
それに対して攻撃陣があまりにふがいない。ジダンはさすがに良質なパスを必死で供給していたのだけど、
とにかくフランスはゴール前でまともなシュートが打てない。勢いがなかったり、意味不明のパスを出したり。話にならない。
スイスもスイスで動きが硬く、明らかに本調子でない印象。おかげで昨日とは対照的に、起きていて損した感じである。

なぜかトルシエがスタジオで解説してて、キツいことをポンポン言ってた。でもまあ正論だと思う。
フランスはとても元チャンピオンとは思えなかった。かといってスイスも思いきりのよさがなかった。残念である。


2006.6.12 (Mon.)

当然のごとく、日本×オーストラリアについて。

テレビの前にほとんど正座状態でかじりついていたのだが、もうがっくり。
序盤からフィジカルの差に手を焼いているのが見え見えで、それでも前半はよく粘ったとは思う。
しかしまったくプレスをかけないでゴール前にどんどんパスを通されていて、非常に危なかった。

川口はよく守っていたと思う。むしろ、追加点を取れなかった前線に責任があるように感じる。
特に気に入らないのは駒野。右サイドでのスピード感がなく、攻めるのもパスやクロスばかりでシュートがない。
駒野が右サイドから相手DFを引っぱることができなかったせいで、中央の守りが堅くなってFWが決めきれないように思えた。
(もっとも、純粋にFWの責任としか思えないようなまずいシュートも多かった。福西のミドル失敗も痛すぎた。)
ペナルティエリア内でのショートパスもことごとくカットされていて、シュートまで持ち込めないシーンが目立った。
局面を打開するミドルやドリブルで切り込むプレーヤーがいなかったのが痛い。カードを早めに切るべきだったのでは。
そんなわけで、点を取られたことよりも、取りきれなかったことのほうが敗因として大きいと考えるのである。

結局はジーコの采配がいちばんひどかった、ってなところだろう。選手起用は試合中どういう攻撃の型を目指しているのか、
というヴィジョンにもとづいたものとはとても思えない。調子のいい選手と好みの選手で固めているようにしか感じられない。
交代もいつも遅い。日本のFWの選択肢は非常に多彩なのだが、それを状況に応じて使い分けることができない。
今日の試合ではそういう悪い面がぜんぶ出た印象がある。負けるべくして負けた、という感触がする。

次の代表監督は、ベテラン(おじいちゃん)の外国人監督、それもできるだけ戦術に詳しい人がいいと思う。
そうしてめちゃくちゃ速くて攻撃的なサッカーをやってほしい。オランダあたりに誰かそういう人はいないんだろうか。

で、引き続きいつもの3人でMessengerで雑談をしつつ、チェコ×アメリカを見る。
個人的にチェコは大いに気になるチームだ。EURO2004でもかっこよかったし、中盤の充実ぶりは今回限りって感じなので、
応援したくなるのだ。水滸伝的なチームに思える。監督のブリュックナーもダンディなおじいちゃんって感じでいい。

日本代表の結果でフラストレーションがたまっているところに、チェコがとてつもなくきれいなサッカーを見せてくれた。
アメリカだって十分強豪なのだが、それを相手にさらにその上をいくプレーの数々。3人ですげーすげーと言いどおし。
コラーのヘディングやロシツキーのシュートに注目がいきがちだろうが、それ以外でもチェコは随所にその強さを見せていた。
とにかく、パスがつながる。それでいて相手に思うような攻撃をさせない。つまり、スペースを埋めるのが上手いってことだ。
攻めるときには全員がしっかり上がってパスコースを無数につくり、守るときには相手のパスコースを消して判断を遅らせる。
フィールドに11人以上いるように見える。動きに緩慢さは少しもないし、ひとつひとつのプレーが明確にゴールを向いている。
運動量に個人技に組織力に、すべてにおいてパフォーマンスが高度。
夜中なのにちっとも眠気を感じさせない、見事なサッカーだった。

もう絶対に明日は寝不足なんだけど、それをちっとも後悔しないであろう、そういう試合だった。
すっかりチェコのサッカーに魅了されてしまった。今大会はにわかチェコファンになることに決めた。いやー、よかった。しびれた。


2006.6.11 (Sun.)

オランダ×セルビア・モンテネグロ。オランダはあまりにオレンジが鮮やかなので、それにつられて応援している。
あと、ロッベンのドリブルするときの手つきがオカマくさいのが気になる。
試合はパスを主体にするオランダに対してセルビア・モンテネグロががっちり守って、
決定機に持ち込ませないことを徹底していた。スペースを埋めてきちんとパスをカットしていた中、
ドリブルを武器にするロッベンだけが一瞬の隙を突いて活躍できた、そういう印象がある。

メキシコ×イラン。最初っからどっちもフルスピードでの試合。全員が走りまわって目まぐるしく攻守が入れ替わる。
こんなんで90分もつんか、と思うが、見ている分には楽しいので、どっちもがんばれーなんて思いつつワクワクする。
攻撃サッカーどうしの試合は見ていて楽しい。さすがに後半にはどちらもペースが落ちたが、
メキシコが実力どおりの攻撃を見せて勝った。3点目なんか思わず「美しい……」とつぶやいてしまった。
しかしやはりメキシコは強い。EURO2004のギリシャ(→2004.7.5)みたいな活躍が期待できそうだ。


2006.6.10 (Sat.)

自転車で渋谷に出かける。なんだか最近はまったく渋谷に行ってなくって、ずいぶん久しぶりだ。
どれくらい久しぶりかというと、いつも自転車を置いていた場所が有料の駐輪場になっていて驚いたくらいだ。
ちなみにこの駐輪場、三軒茶屋のキャロットタワーと同じで、最初の2時間が無料、あとは1日100円。良心的である。
こうなっていると喜んで駐輪したくなる。でも時間が気になってしまう。自分のみみっちさを自覚してなんとも恥ずかしくなる。

博多天神で替え玉してハンズをブラついてブックファーストに行って、というまあお決まりのパターン。
ハンズではこれまた久しぶりに模型売り場なんぞに行ってみた。そういえば、ここ10年近く模型をつくっていない。
かつては狂ったように(冗談抜きで本当に狂っていた)つくりまくっていたのだが、大学入学と同時にぱったりとやめてしまった。
腕は衰えていないと思うのだが、不思議とつくる気が起きない。きっと置き場がないという事実が潜在意識にあるんだろう。
デ・ハヴィランドのモスキート(第二次大戦で活躍した木製爆撃機)でもつくりたいなーと思って10年。実現していない。
特に買うものもなくブックファーストへ。ここでは、使い勝手の良さそうな英単語集と熟語集を買った。
なんで今さら、と思われるんだろうけど、まあお兄さんもいろいろあるのよ、といったところ。
そんなこんなで渋谷に滞在していたのは1時間ちょっと。貧乏性である。

帰り道、のんびり走っていたのだが、とても懐かしい感覚がよみがえってきた。
というのも、大学院時代~塾講師専業時代、渋谷へは本当によく行っていたからだ。週に一度近いペースで行っていた。
特にこれといって顔なじみの店があるわけでもなく、用もなく、ただふらふらと徘徊する。それだけ。
今、その時間たちがとんでもなく贅沢な時間だったことに気がついている。ムダと言えばムダだが、なんかこう、
悪くないムダなのだ。行き場がないのと自由とは紙一重で、ポジティヴに楽しめれば「自由」という表現が当てはまる。
太陽が真上から射す青空と焼けついて湯気がたってるアスファルトの間を、ただただ無為にペダルをこいで過ごしていた。
そんな光に包まれていた時間、今はなくしてしまったけどたまに取り戻せる時間の味、自由の味を、ふと思い出した。

イングランド×パラグアイ。ベッカムのFKはさすがってことなんだろうけど、なんだか冴えない試合に思えた。
個人的にはクラウチのロボットダンスをどうしても見たかったんだけど(あの長身でその踊りを選ぶところがカッコいい)、
あんまりそれが期待できる試合内容じゃなかったので、がっくり。パラグアイはあまりに攻め手がなかったなあ。

スウェーデン×トリニダード・トバゴ。正直、スウェーデンはなんか知的なイメージがして好きなチームだ。
でも判官びいきな自分としては、トリニダード・トバゴを応援しないわけにはいかない。
いざ試合が始まると、攻めまくるスウェーデンに必死で守るトリニダード・トバゴで、こっちまで力が入ってしまう。
不思議とスウェーデンは攻撃が決まらない。決して動きが悪いわけではないのだが、なぜか運が味方していない印象。
トリニダード・トバゴは一瞬の隙を突いて、貴重なチャンスがごくたまに訪れる。でもそれをモノにするには、
あまりに攻撃の厚みが少ない。ドリブルで打開するしかないけど、スウェーデンのDFが的確に止めてしまう。
結局最後までトリニダード・トバゴは根性で守りきってスコアレスドローだったのだが、
途中で退場で1人減ってから、FWをもう1枚増やしてそれで守りきった姿勢がいい。次の試合でも根性見せてほしい。


2006.6.9 (Fri.)

ついにワールドカップが開幕である。
僕は熱狂的なサッカーファンではない。でも世界のトップレヴェルがぶつかり合うわけで、注目しないわけにいかない。
そんなわけで、今月の日記では、ちょぼちょぼとTV観戦した試合の感想でも恥を書かない程度に書いていきたい。

まずは開幕戦、ドイツ×コスタリカ。ワカメ・ふぐさんとMessengerで話しながら見ていたのだが、まあ凄いこと。
いきなりドイツのラームがドリブルからシュートをがっつり決める。ポストに当たってはね返る、絵に描いたような美しいゴール。
あの位置から蹴るという意識も、それを絶妙のコースへ決める技術も世界レヴェルならではで、思わず声が漏れてしまう。
対するコスタリカのワンチョペもオフサイドギリギリのところからスッと抜け出してゴールを決める。
かと思えばシュバインシュタイガーのパスをクローゼが滑り込んでゴールと、次から次へとゴールが決まる面白い展開。
後半になっても同じで、最後にはフリンクスがとんでもないシュートを突き刺して締めた。観客にはたまらないゲームだった。

ドイツは強くない、なんて言われているようだけど、やはりミドルが武器になるチームは有利だと思う。
派手なだけでなく、がっちりゴール前を固めてくる相手に対して揺さぶりをかける意味でも、絶対に必要な技術だと感じた。

それにしても贅沢な時間だなあ、としみじみ思う。だって毎日、テレビをつければ世界のトップレヴェルの試合、
しかも本気の中の本気の試合をやっているわけだから。できる限り見て、少しでもサッカーを見る目を養っていきたいものだ。


2006.6.8 (Thu.)

ネタがないので、昔話をひとつ。

僕が小学校1年か2年のときの話だ。学校で怖い話・奇妙な事件の話の本を専門的に読んでいる奴がいて、
それをちらっと見せてもらった。そのページは「世界のおばけ」の特集みたいな感じで、絵のタッチがやたらリアルだった。
僕はうわーやだなーと思いつつも、怖いもの見たさで読んでいた。

その中の、トイレの便器のところに男が立っている絵でかなりゾッときた。
これはペルーにいる「ダブル」という、トイレに行くともう一人の自分がいる、という類のおばけなんだそうだ。
説明のところに「これを見た人は、まもなく死ぬ」って書いてあって、その有無を言わせない感じがすごくイヤだった。
そもそもよくわからないのが、「まもなく」という言葉だ。漢字で書くと「間もなく」となり、間髪入れずに死んじゃう印象だ。
でもふだん使っている「まもなく」だと、死んじゃうまでに少しは猶予がありそうだ。同じ結果になるにしても、この差は大きい。
いったいどっちなんだろう、という疑問が頭の中をぐるぐると回ったままで、その日は過ごしていた。

さて家に帰って夜になって晩ご飯も食べて、トイレに行きたいのだが怖くて行けない。
昼間見た「ダブル」の件が怖くって、行けないのだ。だってトイレに行って、僕がそこに立っていたらもうオシマイなのだ。
もじもじしている僕に対して父は「早く行ってこいよ」と言う。でも怖いから行けない。それでまたもじもじ。
「おばけがおるかもしれん」と僕が言うと、父はこう言った。「そんなもんいないから、早く行けよ」

その言葉を聞いた瞬間、僕は完全に怖くなってしまった。理由はわからなかったが、とにかく決定的に怖くなってしまった。
明らかにそれまでとは比べ物にならないくらい怖くなってしまって、結局、父にトイレについて行ってもらったような気がする。
このやりとりがあってそれから3ヶ月くらい、その後もたまに、トイレに行くのがとても恐ろしかった。

で、大人になった今、このことについてこう分析することができる。
父親が、「そんなもん」という指示語を使ったことが、僕にとって決定的だったのだ。
おばけってのはこの世の存在ではないわけで、本当にいるのかいないのかはよくわからない。
どんなに怖がっていても、頭の片隅ではその存在が確かでないことを知っていて、予防線を張りながら怖がっているものだ。
ところが、「あれ」「これ」「それ」といった指示語は、現実に存在するものを指す言葉である。
つまり、対象がすでに存在しているからこそ使われることになる言葉なのだ。
だから父親が指示語を使った瞬間、「ダブル」の存在が現実のものとなってしまい、
それで僕は決定的に恐ろしくなったというわけだ。小さい頃にはそんなことが説明できるわけない。
とにかく、ただ、恐ろしかった。でも頭の中には上記のような理屈があったのだ。

子どもには子どもなりの論理があって、それが大人のものとは微妙に噛み合ってないから、いろいろトラブルが起きる。
僕が子どもだった頃を想像するに、子どもはきちんと考えているけど、それを説明できるだけの言葉を持っていない。
だから非合理な行動に見えてしまうというわけだ。自分の考えを説明できなければ、考えがないのと一緒にされてしまう。
(子どもの論理が大人の論理とズレる原因としては、上記の語彙力が足りないことのほかに、
 身長差(目の位置が低い)、体を思いどおりに動かせない、などがあると思う。これについては、まあ、追々。)

話が大幅にズレてしまったが、小さい頃にそんなことがありましたって話。


2006.6.7 (Wed.)

突然、ちょっと英語を勉強してみようか、という気になる。それで適当に安いTOEICの本を買ってきて読んでみる。
僕の英語の最盛期はなんたって二度目の受験の直前で、特に体系だって英語のコツがわかった、というわけではないが、
「こういう考え方が英語の考え方だ」というのがぼんやりつかめたので、それでなんとかいろいろ切り抜けてきたのだ。
塾ではこのときの経験を呼び起こしてマニュアルにはない教え方をしていたのだが(僕が教えてほしかったやり方で教えた)、
それなりに成果は出ていたはずなので、そこそこきちんと理解はできていたという自信はある。

実際に問題をちらほらやってみると、その10年前の6割くらいに錆びついてるが、過去の財産が残っているのはよくわかる。
かつて達した領域があるから、その分、ゼロよりは確実にいい勝負ができている、という感触だ。
そんなわけで、しばらくは勘を取り戻す努力を心がけてみようかな、と思う。ただ、目標がないとサボるので、それが問題だ。


2006.6.6 (Tue.)

仕事で先輩と一緒に農工大へ行く。担当している本の初校をお渡しするので。
思えば国立に住んでいたとき農工大ってのは近所にあったのに、今まで一度も行ったことがない。
それもなんだかもったいない話だったなあ、なんて思いつつ、日差しがきつい中を歩いていく。
でも府中の大きな通りにはたいてい木が植えてあって並木道になっているので、そんなに苦ではない。
その辺がお金のある自治体の貫禄なのかなあ、なんてよけいなことを考えてしまう。

農工大の農学部はなんとなく狭い感じ。敷地が狭いわけではないが、木の生え方が土地が広い印象をあまり与えない。
アジサイがとてもきれいに咲いていた。鮮やかなブルーが輝いて見える。
その脇にはツツジが咲いていた。こちらは濃いピンクで、アジサイとの対比が実に見事。
梅雨どきの落ち着いた緑の中で、このふたつの色がとてもよく目立っていて、ちょっとぼーっと見とれてしまった。

先生とお話ししたが、なんというか、ええと、その、歳のうまいとり方とはどういうものなのか、と考えさせられた。
歳をとることと視野の広さについて、思うところがあった。まあ、察してください。申し訳ないけどこの辺で勘弁。

先輩はその後も農工大の先生方にご挨拶をしていくってことで、帰りはひとり。
ふだん身近に、距離的にも近く感じている場所は、電車を乗り継いで行くと本当に遠いもんなんだなあ、とあらためて思う。


2006.6.5 (Mon.)

机運びその2。本日は、試験会場から机を元のビルに戻す仕事。
先日とはまったく逆の手順で仕事をこなしていく。外に出られるのはいいが、なんとも間の抜けた仕事って印象。

村上ファンドの件についてほんのちょこーっとだけ書いておくことにする。

金儲けが悪いことだとは思わないが、何もつくらないで金を動かすことで利潤を得る、というのは気に入らない。
『エンデの遺言』を読んだことのある人なら、その辺のところが絶対に引っかかってくるはずだ(→2004.2.17)。
あの本ではつまり、物・商品と貨幣が正当な価値で交換されるのはいいけど、
利子によってそのバランスが崩されることについて批判をしていた。
有形の物は必ず時間の経過とともに古くなって機能が落ちることで価値が下がっていくので(減価償却はその一例)、
経済において老化というか風化というか、とにかくそういう時間の経過という概念をもっと大きく扱わないといかん、と。
つまり、物・商品の側が時間によって劣化するのに合わせて、貨幣の側も歳をとらないといけない。
したがって、時間の経過によって利子をプラスではなくマイナスにしないといけない、という主張だ。
そうすれば、お金を早く使おうと思うから、経済が活性化するというメリットもある。地域通貨はその可能性を秘めている。
まあ確かに、利子をプラスにすることで、現存する物・商品の量に対して貨幣が増えていく仕組みになっている。
つまり、貨幣の総量に対して物・商品が足りなくなる。その結果、貨幣に合わせて物・商品が濫造されることになる。
だから環境破壊やゴミの問題は、利子をプラスにしている経済の悪影響、と考えることができる。

さて、そういう考え方に立った場合、今回問題になった会社がやっているようなことは、どうにも気に入らないわけだ。
彼らはさまざまな企業に出資しているわけで、そうすることで経済を活性化させているのだ、という理屈はわかる。
しかし見方を変えれば、さまざまな企業に寄生してプラスの利子を得て食っている、ということになる。
彼らは得た利潤をきちんと地球に還元しているのだろうか? 環境対策に寄付金を出しているのなら、文句は言わない。
無から得た金を無のままにしているわけで、それを有形の資源に戻さなければ、物・商品の側が破綻することになる。
彼らは物・商品と貨幣のバランスにもっと気を遣うべきなのだ。それをしないで自分の権利を主張するのは、みっともない。

まあそうしてみると、無に近い状態から生産をしていくという点で、農業とは究極にかっこいい産業だなあ、なんて思う。
そういう意味では教育ってのも、遠回りなのだが、成功した場合には非常に大きな価値を持っている産業だと思う。
つまり、物・商品と貨幣のバランスを守る究極の秘訣は、「育てること」なのかもしれない。


2006.6.4 (Sun.)

三島由紀夫『金閣寺』。けっこう前に読んだのだが、なぜか今まで日記で書く機会を逸していたので、ここで書く。

昭和25年、金閣寺が放火に遭って全焼するという事件が起きる。
この事件をもとにして、6年後に書かれた作品。時に三島由紀夫、31歳。

まあとにかく、文章のレヴェルが違いすぎる。隅々まで三島の美意識が染みとおっていながら、リズムが心地よい。
そして、「いまこの文に書かれていること」もわかりやすければ、文を紡いだ先の「この文章で言いたいこと」もわかりやすい。
野球で例えるならスイングの音からしてもう違うわけで、そんなのを目の当たりにすれば何もできなくなってしまう。
まあ確かに文体には好みというものがあるから、誰もがまいりました、となるわけではないだろう。
でも、書いた本人の満足感と読み手を惹きつける両方のバランスを考えてみた場合、
ここまで高いレヴェルで両者を実現している例はそうはないはず。

テーマもまた奥が深い。三島のような生まれついての天才でも、コンプレックスを抱いていることが露わになる。
まあ人間誰しもコンプレックスを抱かないことはないわけだけど、傍目には「そんなの全然コンプレックス持つことないでしょ」、
そう言いたくなるけど本人は必死、ということはよくあることだ。この『金閣寺』では、その他者と本人の視差を、
実に明確に描いているのだ。客観的に見て「そりゃコンプレックスあるだろうな」という主人公が起こした犯罪を、
一見恵まれているように見える三島が自らのコンプレックスと合わせて消化して、恐ろしく緻密に文章化してみせる。
なんでここまで書けるんだ、なんでここまで語彙が出てくるんだ、という驚きでいっぱい。

正直、僕はそこまで美とは何かときちんと考えることのない人間だし、言葉について深く考えることを面倒くさがるしで、
三島を読むには最も適性のない性格をしているかもしれない。だから、話の内容については特にあれこれ書かないでおく。
というよりむしろ、「書けない」というほうが正確だろう。この話にツッコミを入れられるほど僕は注意深くないので、
ただただ圧倒されるばかりなのだ。話がどうこう以前に、何を食ったらここまでできるんだ、と茫然とするしかない。
そんなわけで、いずれまともな感想が書けるような人間になれたらいいなあ、と思うのであった。
中途半端で申し訳ないけど、ホントにそうなのだ。


2006.6.3 (Sat.)

CASIOPEAについてきちんと書いてみようか。

CASIOPEA(以下・カシオペア)は日本のフュージョン界において、
T-SQUARE(THE SQUARE、以下・スクェア)とともに人気を二分したグループ。
スクェアがメインに管楽器を取り入れた構成でメロディアスな楽曲を多く用意して人気を集めたのに対し、
カシオペアはギターをメインに据えて、各パートがめちゃくちゃハイレヴェルなテクニックを駆使して活躍した。
同じようにフュージョン好きでも、スクェアが好きかカシオペアが好きかに大きく分かれる。
僕は中学~高校とスクェア派だったのだが、ライヴに限ってはカシオペアのほうが好き、という態度をとっていた。
で、最近あらためてカシオペアを聴き直しているのである。

カシオペアは1989年に分裂(4名中2名の脱退によるメンバーチェンジ)していて、分裂前と分裂後に分けることができる。
分裂前のカシオペアは技巧的にはすごいんだけど楽曲的にはイマイチ、というのが僕の印象。
各アルバムに3曲くらいはいいのが入っているのだが、あとはどうもなあ、というのがパターンだった。
しかし1988年の『EUPHONY』は群を抜いたデキで、これとライヴ盤の『WORLD LIVE '88』で頂点を極めている。
あまりにこれらのアルバムがすごすぎるので、あとは坂を下るしかなくって分裂に至ったのかな、と思うと悲しくなる。

分裂後のカシオペアは対照的に、アルバム収録曲の水準が全般的に上がってくる。
音質も良くなっているのだが、それ以上に曲の構成が聴きやすいものになってくるのだ。
しかし反面、これだ!というようなキラーチューンが減る。平均点は上がっているが、印象に残る曲が少なくなる。
分裂後2作目の『FULLCOLORS』は前述の『EUPHONY』に勝るとも劣らない超名盤なのだが、
これ以降はどうにもパッとしないというか個性的でないというかシングル向きでないというか、そうなるのである。

カシオペアはスタジオ録音のバンドではなく、ライヴ録音のバンドである、という考えは今も変わらない。
分裂前、観客の声を一切抜いたライヴ録音をスタジオ録音同様に聴かせる『MINT JAMS』というアルバムがつくられたが、
この判断は正しかったなあ、とあらためて思った。スタジオだと構成が単調だったり不自然だったりするのだが、
ライヴになると不思議とそれがない。言い方を変えれば、それは最強に本番に強いバンドってことにもなるわけだ。
2003年には『CASIOPEA vs THE SQUARE』ってことで、スクェアと組んでライヴをやっていて、これがまたよかった。
今やフュージョンはおっさんの娯楽となってしまった印象しかないのだが、ちょこちょこと機会を見て、
ライヴの音源を探していきたいなあ、とあらためて思ったのであった。


2006.6.2 (Fri.)

会社の採用試験で会場を設営する仕事をする。まずは、そのための机運びをする。
去年もやった仕事なのだが、ふだんはずっと会社の中にいることが多いので、いい気分転換になる。
歩いて駅まで行って、1駅だけ電車に乗って、御茶ノ水にあるビルから机を運び出す。
それを会社の持ち物であるトラックに載せると、歩いて神保町へ移動。そこが試験会場なのだ。
で、先に来ているトラックから机を下ろし、会場へと持っていく。そんでもって並べる。
作業が終わると近くの喫茶店に行って一休み。その後、会社に戻る。

なんとなく「当たり前」のこととして受け止めているのだが、効率としてはどんなもんだろうか。
僕にとっては勤務時間内に外に出られるというメリットがあるくらいで、ほかはなんとも、である。
もっとも、その外出できるということについては、僕はほかの皆さんに比べると非常に大きなメリットととらえているのだけど。
まあ、とても微妙な仕事である。


2006.6.1 (Thu.)

KOKAMI@network『恋愛戯曲』を観に行く。場所は池袋サンシャイン劇場。
サンシャインの辺りも、池袋に詳しくない僕にはやたらとわかりづらい場所である。
地上を歩くぶんには、かつてマサルが住んでいたこともあってなんとかなるんだけど、地下になるとサッパリ。
今どこを歩いているのか、どうやって別の階に行けばいいのか、本当にわかりづらい。
おかげでけっこう余裕をもって池袋に着いたつもりが、劇場にたどり着いたときには開演15分前。
いっぺん隅々まで歩いてみて、この迷路をきちんと脳内地図に落とそうか、と思った。
それにしても池袋は、西口の東武にしろ東口の西武・PARCOにしろサンシャインにしろ、
大規模な商業施設は複雑に建て増していった印象があるものが多い。土地柄とかあるのだろうか。

さて、『恋愛戯曲』。僕はこの話が上演されたのを観たことがなかったんだけど、戯曲じたいは以前、
府中の図書館で読んでいる(→2003.2.28)。だからどう演じられるのか、非常に楽しみだったのだ。

鴻上尚史は毎回、ルーズリーフに手書き(超まる字)で「ごあいさつ」という文章を書いており、それが名物になっている。
(前回の『トランス』(→2005.11.10)のときにはそれが間に合わなくって、郵送サーヴィスをしていた記憶がある。)
今回、そこに書かれていて、「あー」と思ったのが、以下のフレーズ。
「昔、僕は、世の中には、恋愛に関して、2種類の人間がいると書きました。『愛にルールがあるとすれば、
愛のルールを守ろうと思っても守れない人と、愛のルールを破ろうと思っても破れない人』の2種類です。」
僕は後者に属するというよりはむしろ、そもそも恋愛にルールがあることが見えるレヴェルまで到達していない人なので、
うーむと現状を省みて動けなくなってしまった。まあどーでもいーや。

後ろのおばさん2人がマシンガントークを炸裂させていたせいで、集中力がまったく欠けたままスタート。
演劇を観にきて上演する本当に直前までまったく関係ない話題で盛り上がれるおばさんの脳みそを、僕は理解できない。
演じる側の集中力を受け止めるだけの準備を、こっちもしっかり整えないといけないと思うのだ。エンゲキをナメるな、と。
なんか身近にスポーツ系の部活でいそうな感じの主人公(テレビ局のプロデューサー・向井)に続き、
ヒロインの脚本家・谷山が登場。牧瀬里穂に似ているなあと思ったら、牧瀬里穂だった。
あらかじめ誰が出演するのかきちんとチェックしないで演劇を観に来る僕も、エンゲキをナメてるのかもしれない。

谷山は有名な脚本家だが、スランプで作品が書けない。そこに向井が催促にやってくる。
歴史に残る名作を書きたいと思う谷山は、向井に対して、「私と恋に落ちてちょうだい」と言う。そこから始まる。
谷山に尽くしまくるマネージャー・寺田にそそのかされて、向井はその要求に応えようとするが、なかなかうまくいかない。
そこに郵便局強盗の犯人である仁と京子が乱入してきて、それぞれの思惑のもと、谷山は作品を書き続ける。
1. 現実の状況(谷山:売れっ子脚本家、向井:プロデューサー、寺田:マネージャー)、
2. 脚本の中の世界(谷山:脚本を書いてみた専業主婦、向井:プロデューサー、寺田:谷山の夫)、
3. 脚本の中の谷山が書いた脚本の世界(谷山:売れっ子脚本家、向井:プロデューサー、寺田:マネージャー)、
以上の3つのシチュエーションが入れ替わって現れる。非常にわかりづらいが、それも狙いのうちなのだろう。

序盤は、みんなマジメすぎてつまらなかった。お互いにセリフを読みあっているという印象で、対話という感じではなかった。
みんながみんな優等生な演技で、誰も舞台をいい意味で壊す方向にもっていかない。
そんな中で、京子役の大和田美帆ががんばっていた。動き・表情をオーヴァーにしていくうちに、物語が馴染んだ感じ。
対する仁役の斉藤慶太は、いかにも演じてます、という印象だったのだが、それは実はラストでひっくり返すための伏線で、
それが最後のところで迫力をもって切り替える効果を生んでいたので、これは評価ができる。
牧瀬里穂は美人が思いっきり崩す、というのを気持ちがいいほどストレートにやっていて、面白かったんだけど、
やっぱり顔がきれいすぎるから、演技もきれいなままで、その良さと物足りなさが両方あった気がする。難しいものだ。
対する向井役のアンジャッシュ渡部は今一歩。お笑い出身を生かした演技はひとつもなく、ふつうに演じるイケメン。
寺田役の安原義人がひとりトリックスターだったのだが、渡部がここに絡めないで独自の味を出せなかったのは痛い。

初演とラストを変えている点は、なるほどと納得ができた。初演ではひっくり返してすべてをフィクションの中に収めたが、
今回はリアルであることを示して終わる。それも、劇中3つの設定のどれにも共通する「恋愛」を突きつけて終わる形で、
それだけに谷山と向井の関係(新しく生まれた恋愛関係)を強調する効果をつくり出している。これは巧妙。

まとめると、全体的にもう一歩足りない。3つのレヴェルの物語はもう少しわかりやすく区切るほうがラストが効くと思うし、
出演者もマジメすぎて迫力に欠ける。なんというか、こう、圧倒的な求心力がほしかった。中心になる何かがほしかった。


diary 2006.5.

diary 2006

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