diary 2007.5.

diary 2007.6.


2007.5.31 (Thu.)

ヴォリュームがやたらとある本の原稿を担当しているのだが、なんとか印刷所送りにした。
常識的にはこんなの1ヶ月でもムチャだろ、という量だったので、本当によくがんばったと思う。

なんだかんだでだいぶ仕事に慣れてきているのは事実だと思う。
手を抜くのではなく、力を抜くこと。以前よりはよけいな力を抜くポイントがつかめてきている。
しかし、この仕事に慣れていくことを素直に喜べない自分もいる。
喜べない理由は簡単で、そのことは僕が通信教育で必死で単位をかき集めていることからわかる。
だから僕の問題意識は、「今の経験を、今後有効に活用していくことができるのだろうか?」の一点にある。
これはあくまで僕の予感なのだが、今の仕事内容が今後の僕の役に立つことは、まああんまりないと思う。
でも、仕事を通して得られるトリヴィアっぽい知識ということであれば、これはプラスになる。
そして何より、いま僕が置かれている状況を客観的に見つめてそれを言葉にすること、言語化することは、
後の自分にとってきわめて重要になってくるんじゃないか、という確信めいた考えがある。

そんなわけで、一日もムダにできない毎日が続いていく。
すべてを録画するように覚えておいて、日記のログで記録しておいて、そしてつねに考えること。
考えて、考えて、考えることでしか、僕は今の毎日を充実させることができない。
そういう生き方しかできないんだからしょうがない。われながら、本当に不器用だ。


2007.5.30 (Wed.)

エドワード=レルフ『都市景観の20世紀』。大学時代にタイトル買いしたにもかかわらず、
今まで読んでなかったというだらしなさ。ようやくケリをつけたので、そのレヴューを。

ところどころ鋭い。特に景観に影響を与えたテクノロジーとか道具とか、その点に関する言及は、
僕の勉強不足かもしれないけど、なるほどそうかーと納得させられることしばしば。
特に面白かったのが信号機とガソリンスタンドについての言及。
それらが郊外社会化の源泉になっていく点の示唆は、僕には非常に印象的だった。
また、内部で何をやっているのかわからない企業の施設、「不透明な建築」も面白い。
僕なんかは見えているものばかり扱っているわけだけど、言われてみれば確かにそうだ、という気になる。

しかし訳がイマイチ。「モダニズム」と「モダニスト」の混乱がその代表的な例である。
原著のとおりに日本語にしているのかもしれないが、訳者がその辺のことをよくわかっていない感触で、
意味を解釈しないまま直接日本語に変換しているのではないか、という箇所がいくつかありそうだ。
また「かっこいい」という曖昧な表現がやたらと目につくのも気になる。
原語を括弧に入れてその後ろにくっつけてくれたほうが、こっちの理解はスムーズになったと思う。

肝心の内容は、なかなか独特な感触のする本である。
というのも、「モダンとポストモダンのトータルウォッチング」というサブタイトルが示すとおり、
この本では20世紀を通しての景観の特徴・流行などを大まかに紹介することが目的となっているからだ。
そういうわけで、「古典復古様式」「近代都市計画」「機械」「モダニズム」「企業化」「ポストモダニズム」といった、
20世紀の都市景観を彩ったそれぞれの要素について、各章でとりあげるスタイルをとっている。
そしてそれが効いていて、各要素の複雑な絡み合いを、ときには重複も恐れずに描いてみせる。
だから読者は、どういった流れが今ある景観を生み出したか、そのダイナミクスをなかなか生々しく理解できる。
しかしその影響で、筆者の立場もやや曖昧なものとなってしまっている。
これは冒頭から宣言していることではあるが、景観の観察結果の報告にとどまっていて、
じゃあこれからの景観はどうあるべきか?という問いに踏み込むことを避けているのだ。
言ってみれば、社会学的な立場を守ることで工学的な思考には一切入り込まないでいる、ということになる。

また、景観のトータルウォッチングと割り切っているのはいいのだが、その視点、「見る側」への言及はない。
かつての時代から現在に至るまで景観を眺め続けている社会状況と個人の姿は描かれない。
たとえば、古いものを新しい文脈に(商品として)出した際の反応については言及がなく、
ただ「こういうものが登場した」と紹介するレヴェルで終わっているのである。何かしら変化があるはずなのに。
ある意味でこれは、景観のみを扱うというフェアな態度ではあるのだが、「見る側」に流れた時間を捨象しており、
やはりどこか見落としているのではないか、という疑念がぬぐえないのだ。贅沢な注文ではあるが。

そういうわけで、そこそこ勉強にはなるが、そっから先を考えるのは読者の仕事ということで、
中途半端というとキツいが、「本当にすごいという類の本ではないなあ」というのが感想である。
まあ人間のつくり出した空間について考えるヒントが埋め込まれているのは確か。読んでムダということはない本だと思う。


2007.5.29 (Tue.)

『ビバリーヒルズ高校白書』のディラン=マッケイのものまねでお馴染みの芸人・なだぎ武の名前が覚えられなかった。
「なだき」なのか「なぎだ」なのか「なぎた」なのか何なのか、もうワケがわからなくなっていたのだ。
それでついに一念発起して本名を調べてみたら、漢字で「灘儀」と書くんだそうで、これで一気に解決。
やっぱり人の名前は漢字でないと覚えられない。ひらがなより漢字のほうがわかるという人は珍しいんですかね。


2007.5.28 (Mon.)

capsuleの最新のアルバム『Sugarless Girl』を借りてきたのだが、まーこれがすばらしいのなんの。
前作『FRUITS CLiPPER』(→2006.9.6)の路線を引き継ぎつつ、さらに一歩踏み込んだところをみせている。
イントロと途中で少し勢いを殺いでしまう曲があるものの、全体的には勢いがあって良い。

超ヘヴィローテーションになっているのが、2曲目の『Starry Sky』である。
近年まれにみるツボの入り方をしてしまい、一日中こればかりエンドレスでかけている状況。
女性ヴォーカルを楽器と割り切ってエフェクタをかけまくり、矩形波(square wave)のメロディと掛け合いにする。
これがもうたまらん。スピーディに動きまわる矩形波のメロディラインが実に魅力的だ。
capsuleもついにここまできたかーと、よくわからない感心の仕方をしながら聴いている。

20歳を過ぎてから音楽というものを熱狂的に聴くことがなかなかできなくなってしまったのだが(→2003.5.19)、
久々にバカハマりしている。こういう収穫があるとうれしい。これからもじゃんじゃん音楽を聴かねば。


2007.5.27 (Sun.)

給料が出た勢いで「くすぐりエルモ」を買っちゃったよ!
別に見せびらかす相手がいるわけでもないのに、ついつい買っちゃったよ! ヤバイ!

 エルモさんの標準状態。

  
お腹のボタンを押すと暴れ出すエルモさん。

 テーブルの上をゴロゴロ豪快に転がって床にバンバン落ちる。

うーむ、かわいい。笑った後のため息とか、ホントよくできているなあコレ。
そういうわけで、見たいという女子募集。ヒヒヒ。


2007.5.26 (Sat.)

聖飢魔IIについての補足を少々(前回のログはこちら →2007.5.14)。

聖飢魔IIの各構成員たちの演奏テクニックがすげーと圧倒させられたわけであるが、
すべてはデーモン小暮閣下の歌唱力のため、という印象が僕にはするのである。
閣下の声量はとにかく凄い。聴いていて、生物学的に同じ構造をしているはずなのになんで?と悲しくなってくる。
昔はとにかく声がデカくてきれいな人間だけが歌手になることを許されていたわけで、
そういう天性のものを持つ人(悪魔か)と持たざる人の差というものを考えてしまう。
曲を聴いていると、わざと閣下のヴォーカルだけ音量を下げてミックスしているんじゃないかと思う。
そうしてほかのパートとのバランスを保っているような印象を受けるのだ。
まあとにかく、閣下の声だけでも「勝ち」なのに、そこにあのテクニックだからたまったもんじゃない。

曲もいい。作曲するときには暗黙の了解というか守ると無難な構成のパターンがあるものだが、
聖飢魔IIの曲にはそういったものをわりあい無視しているところがあり、それが新鮮に聴こえるのだ。
そしてベスト盤では新録音している曲がいくつかあって、そのクオリティが凄い。
独特な構成をめちゃくちゃいい音で演奏してくれるので、聴いていて本当に飽きない。
発想の面白さとそれを実現する実力とが見事に噛み合っていて、うっとり聴いてしまう。
『1999 SECRET OBJECT』の新録音と『蝋人形の館'99』は特にいいなあと思う。
前者は全員の圧倒的な集中力から繰り出されるパフォーマンスがとんでもなくかっこいいし、
後者は代表曲の完成形ということで文句なしの仕上がりだ。
(ベースが音を響かせるのが本当に上手いと思う。『蝋人形の館'99』のベースラインは本当に美しい。)

Wikipediaなどを見ると、さまざまな聖飢魔IIの逸話を知ることができる。
もう、読んでいるだけで面白い。こういうことを実際にやっていたという、その精神に感服である。
そういうわけで、うらやましいなあと思いつつ今日もiTunesで聖飢魔IIを再生するのであった。


2007.5.25 (Fri.)

『クレージー作戦 くたばれ!無責任』。やっぱりハナ肇とクレージーキャッツによる娯楽映画。
これは1963年の作品である。昨日レヴューを書いた『ニッポン無責任時代』は1962年の作品で、
無責任を推奨していたのにたった1年で今度は「くたばれ無責任」かよ、とその変わり身の早さに呆れつつ見る。

新製品のハッスルコーラをつくった鶴亀製菓は、社内で一番の無気力人間・田中太郎で実験をする。
コーラを飲んだ田中はまるで別人のようになる(飲む前はモノクロで、飲んだ後にカラーになるという仕掛け)。
しかしこのコーラは薬物を含んでいるため発売できず、子会社をつくってそっちで販売することに。
子会社に移ったのは大沢部長(ハナ肇)以下、クレージー演じるメンバーたち。
さっそくやる気を出して営業するが、実は鶴亀製菓は子会社ごとメンバーをリストラすることを画策していた……ってな話。

『ニッポン無責任時代』では植木等の超人的な活躍にスポットが当たっていたが、
こちらはメンバーみんなでなんとかしましょう、という雰囲気で、それが見ていて心地良い。
せっかくグループでやっているわけだから、そういう展開にしないと面白くないのだ。
そしてやっぱり1960年代の商店の様子など、細かいところが懐かしい要素でいっぱいで、
当時の「当たり前」だったもの(デザインなど)が非常に新鮮に映る。

それにしてもクレージーは、仕方がないのかもしれないが、各メンバーの登場比率に差がありすぎるのが切ない。
全体の60%を植木等が占め、20%をハナ肇が占め、15%を谷啓が占め、残り5%を4人で奪い合う感じである。
4人の中では犬塚弘が風貌のせいもあって目立っている。石橋エータローは変にオイシイところがある。
安田伸と桜井センリは全然どこにいるのかわからないくらいの扱いで、画面に出てくると応援したくなってしまう。
そう考えると今のアイドルグループはずいぶん民主的というか扱いが均等だなあと思ったのであった。


2007.5.24 (Thu.)

『ニッポン無責任時代』。ハナ肇とクレージーキャッツによる娯楽映画。

植木等演じる平均(たいら・ひとし)はその才覚で氏家社長(ハナ肇)の経営する酒造会社にもぐり込み、
調子よく振舞ってトントン拍子に出世をしていく。「無責任」というよりはあっちこっちにいい顔をして、
そうしてうまく世を渡っていくのだが、社長が会社を乗っ取られて立場は暗転。
平を追い出そうとする新社長の下、氏家を呼び戻すべく奮闘するってな話。

時代はちょうど高度経済成長の頃で、当時の会社がどんな感じだったのかわかるのがまず面白い。
オフィスの雰囲気もそうだし、経営者のワンマンぶりもそうだし、飲み屋などでの接待の描写もそう。
今ではとても許されないような金の使い方がガンガン出てきて、なかなか興味深い。
労働組合をつくるのつくらないのというあたりは、今となってはちょっと考えづらいやりとりである。
そういうかつての「現在」をきちんと記録に残している作品は、見ていてそれだけでも面白いものだ。

お気楽かつしたたかに振舞って活躍を見せる植木等の姿には、
なるほど確かにちまちまがんばるサラリーマンなら誰でもあこがれてしまう。
ほとんど詐欺師のやり口でハッピーエンドまでもっていってしまう彼のマネなどできっこないわけで、
それだけに「退屈な日常の中での大活躍」という絶妙のサイズが心地良く思えるのだ。
経済が復興して、日本人は戦時中とは別の見えない何かに縛られるようになっていく。
それを鮮やかに振りほどくという、新しいサイズのストーリーをクレージーキャッツはつくった。
なるほどこれが当時の最先端の嗅覚だったんだなあ、と感心しながら見たのであった。


2007.5.23 (Wed.)

「教育の思想」のリポートが予定より早く書きあがったので、提出してしまう。
文庫本を買ってきてその内容をあれこれ編集するという方法でどうにか終わらせた。
もう毎回毎回日記に書いていることなんだけど、モチベーションの維持がホントに大事。
早めに早めに終わらせていかないと後で信じられないほど苦しくなるわけで、
日ごろから積極的にこなしていく意欲を持つことの大切さを痛感する。
長期的な視野で考えれば、恐ろしくてサボることなんてできないって意識になるのだが、
だからって短期的に今すぐやる気になれるかというと、なかなかそうはいかない。
なんとか自分をうまくだましながらやっていくしかないのである。
近くで応援してくれる人がいればいいのになあ、とボヤいてみても始まらない。
ま、一人でもなんとか帳尻合わせてみせますよーだ。


2007.5.22 (Tue.)

ケータイを修理に出す。家に帰ったら突然、電源が入らなくなってしまったからだ。
さっそく自由が丘の店に行って相談してみたら、電池が水分でやられた、とのこと。
身に覚えがないので困った。が、しばらくして「もしかしたら、汗……?」と思い当たる。
今日は集中して校正作業をして汗をかいた。で、僕のケータイは電池のカバーがゆるんでいたので、
そこから汗の水分が侵入したとすれば? じっちゃんの名にかけて謎がすべて解けた。

そういうわけで1週間ほど代わりのケータイで過ごすことに。
「メールのやりとりができなくなりますよ?」「いいです、どうせTSUTAYAからしか来ませんから」
そんな返事をしてしまう自分が悲しい。


2007.5.21 (Mon.)

本日は会社で健康診断だった。特にこれといって問題はなかったのだが、ひとつだけ困った事態が発生。
それは、体重である。それなりに節制をしているはずなのに、体重がありえない増え方をしている。

思い当たる原因としては、まずプロテイン。毎日きちんとプロテインを飲んでいるので、その分増えたということか。
しかし休日には積極的にVAAMを飲んで自転車をこいでいるわけで、この増え方はどうにも信じがたい。
でも現実として体重は増えているのである。大学4年くらいにピークを迎えていたころとだいたい同じ数字で、
確かに当時は体が重く、合宿のバスケットボールで自分のあまりの動けなさに愕然としたことがある。
でも今は全盛期とあまり変わらない感覚で動けているし、体を重く感じることもない。どういうことだ。

そういえばプロテインを飲み出してから、明らかに足が太くなった。
休日にジーンズをはく際、筋肉でふともものところがピッチリする感覚が前より強い。
じゃあこの体重増加分は、ふとももの筋肉がついた分ということなのだろうか。

とりあえずそういうことで納得をしておく。しかし節制はしておくべきだろう。
家で貧乏メシを食っているだけなのに体重が気になるとは、ホント社会人って不健康な存在だよなあと思う。


2007.5.20 (Sun.)

totoのBIGが大盛り上がりになっているわけだが、実は僕も買っていたりする。
もともとtotoに興味はあって、でも手続きが面倒くさいので一切やらないでいたのだが、
まあここまでキャリーオーバっちゃうと、やるしかないでしょうと色気が出てしまうのである。
取らぬ狸の皮算用。6億円の使い道は決まっている。まず、秋葉原のゲームミュージックCDを買い占める。
是が非でも『がんばれゴエモン2』のCDは入手せねばなるまい。これだけは譲れない。
んでもって余った金で海外を放浪。これである。これで決まりなのである。
まあどうせ当たらないや、とわかってはいる。でもなんだか落ち着かない。
とりあえず甲府が勝って2等でも3等でも当たるといいな、と思って過ごす。

……まあ結局、日本のスポーツ振興に多大なる貢献をするだけで終わってしまいましたが何か問題でもございますか。

翌朝、いつものようにカフェに行ったら「当店から2等が出ました!」だってさ。もうイヤんなっちゃうよ。


2007.5.19 (Sat.)

日記書いてますよ。ええ書いてますよ。全然おっつかないけど書いてますよ。見捨てないでデイジー


2007.5.18 (Fri.)

昨日からのスクランブル態勢は引き続き。なんせ何がどうなるか読めない相手なので。
午前中は手元にあるゲラでできることを済ませて、待っていた郵便が着くと同時に作業をスタート。
昼休み返上で最後の赤字修正を書き込んでいく。スケジュールが固まっているので遅れは許されないのだ。
そうしてなんとか15時前には、いったんひととおり作業を完了させた格好になる。
それから上司のチェックが入って昨日ほどはひどくないイージーミスが発覚したり、
企画者のチェックが入って索引の体裁やページ配分が確定したりで、最終調整に追われる。
最終的に、これでヨシとなったのが16時頃。昼休み返上が効いた形だ。バッチリ間に合った。

修羅場を楽しむというのは今まで僕にとってひとつのポリシーというか特性というか、
立て込んでいる状況を計算で切り抜けることを快感として味わう性癖があったわけだが、
どうも今の仕事はなかなかそうできないのである。ミスの怖さがついてまわるのが原因だと思う。
それがプロっつーことかねと思ったり、得意種目であるなしってことかね、とも思ったり。

まあとにかく、これでささやかに一息つける感じだ。いやーキビシイキビシイ。


2007.5.17 (Thu.)

佳境に入っている仕事が2つあって、片方は比較的対処しやすいのだが、もう片方が大変。
で、本日はその対処しやすい方をクライマックスにもっていくという仕事をした。
それでひととおりこなして上司にチェックをお願いしたところ、ここに書くのも恥ずかしいほどのイージーミスが発覚。
ものすごく恥ずかしい。残りの時間をへこんで過ごした。

とはいってもボサッとしている暇などない。もう一方の仕事を片付ける下準備を今日のうちにする必要があるのだ。
椅子にどっかと座って構えると、出せる限りの集中力で索引の最終チェックを始める。
自分ひとりだけ時間の流れが違うように思えるほど、作業に集中する。
おかげで予想よりも早めに切り上げることができた。久々のどっぷり残業である。あー疲れた。


2007.5.16 (Wed.)

昨日の夜中、突如ワカメからメールが入った。「明日の夜ひまですか?」
自慢じゃないが、僕は夜、いつも暇である。その旨返事したら「内定祝いしようぜ!」と。
ついにワカメも内定かーと感慨に浸りつつ、OKと返事をしたのであった。

そんなわけでワカメの内定祝賀会が開催された。参加者はワカメとハセガワさんと僕。
場所は恵比寿で、軽く迷ったのだがなんとか店に入ることができた。
メニューは前回(→2007.3.13)に引き続き焼肉なのだが、今回はまともな店なのである。内定者は違うのである。
ワカメが「個室で焼肉」という行為に惹かれたかららしいのだが、当方腹が膨れりゃなんでもいい。

肉とご飯を注文すると、内定に関する詳しい話になる。
そしたらハセガワさんも内定していたことを初めて知った。知っていたら何かプレゼント(イヤガラセ)したのに……。
話題はのん気にあちこちへ。マジメなところとしては、残りの学生生活をどう満喫するか。
まあこれは当然のごとく、どう彼女をつくるかという話に。砂漠に住んでいる僕には遠い世界の話に聞こえる。
そのうちに「仙台には美人さんがいない(意訳)」という話になる。これは僕も旅行して(→2007.5.1)実際に感じたことで、
東北事情に詳しい2人の説明によると(ハセガワさんは青森県出身でワカメのご両親は東北出身)、
「伊達政宗の好みがユニークだったから(意訳)」とか。「『美人は国を滅ぼす』と追放したから」という見解もあるようだ。
そんな感じで、初任地がどこになるかわからない、仙台営業所になってしまうかもしれないワカメは、
なんとしても学生のうちにがんばらねば、と決意を新たにしていたのであった。
(ちなみにワカメは何もない田舎の象徴として鳥取県を挙げていた。関西ではそうなのだろうか。気になる。)

やはり就職活動を経て内定をもらうというところにまでくると、物事の考え方が少し違ってくるようだ。
それは僕も経験したことだし、今も働きながら自分の金で大学に籍を置いている身なので、よくわかる。
社会に出ること=一人前・偉い、という単純なことではなくって、視野の広がる経験を得たということなのだ。
話していても、言葉の節々にそれがにじみ出ていて、やっぱり感慨深かった。
僕はちょっと先輩な立場から、「社会人になると友達と会うのにエネルギーが必要になるぞー」と、
今まさに感じていることを伝えた。なんというか、2人にはいつまでもイキのいい社会人であってほしい。


2007.5.15 (Tue.)

テレビドラマの『日本沈没』(1974~75年放映)のシリーズ全26話を見終わったので、レヴューを書いてみる。

制作しているのがTBSで特撮技術の粋を凝らした撮影をしているためか、
オープニングの段階から、『ウルトラマン』の匂いがものすごくするのである。
バックに流れるテーマ曲は五木ひろしなんだけど、映像は『ウルトラマン』。その「矛盾」がかなり印象的だ。

さて話のほうはというと、小松左京原作の小説は科学→政治と大きな視野から物語を描き出したが(→2006.11.16)、
こちらは沈没に巻き込まれる日本全国の様子を描き出すことに主眼を置いている。
実際に全国各地でロケが行われ、各地方の特色・個性などを盛り込んで話が進められる。
沈没する日本それ自体を主人公と考えるなら、この選択は非常に鋭い。
そして各地で過酷な運命に翻弄される一般市民が登場する。つまり、人間ドラマであろうとしているのだ。
全部で26話というヴォリュームをフルに活用していて、じっくり楽しむことができる。

テレビドラマ版での見どころのひとつに、鳳啓介と京唄子がレギュラー出演していることで、
その掛け合いが見られることが挙げられる。今となっては非常に貴重な映像である。
表情豊かな鳳啓介のダメっぷりが悲劇へと向かうストーリーに一筋の明るい雰囲気を添えていて実によろしい。
またほかにも大村崑、牧伸二をはじめとするベテラン芸人がゲストで登場する。
当時のお笑いの状況を知ることもできるということで、作品の価値をさらに高めていると思う。

キャストについては、主人公の小野寺を演じる村野武範の若さにまずびっくり。
髪の毛ワッサワサで、僕らの持っている『くいしん坊!万才』的なイメージからはかなりかけ離れているのだ。
ヒロインの由美かおるは今とほとんど変わっていないが、それは「芸」のうちだから、もはや当然に思えてしまう。
むしろ全然変わっていないことにびっくりするのは、岡本信人である。本当に今とまったく変わらない。
黒沢俊男とか田中邦衛とか細川俊之とか「うわー若えー!」と思わず声が出るのとは、ひどく対照的。
そんなわけで、この人は若い頃こんなだったんだ、というのを知るのにも適したドラマである。

この手のSFドラマはツッコミどころ満載になるのが自然の摂理というもので、『日本沈没』も例外ではない。
小林桂樹演じる田所博士は何が起きるのかはわからないくせに、いつどこで起きるかは正確に予知してみせる。
それで避難命令を正確に出していき、人的被害を最小限に食い止め続けてくれるのだ。
小野寺こと村野武範はその助手ということで全国各地にデータを取りに行っては誰かしら救って帰ってくる。
要はそればっかなのだが、意外と飽きない。見ているうちに様式美を感じるようになってしまうからかもしれない。
そしてこのドラマでは特撮で全国各地の名所を壊して壊して壊しまくるのだが、
個人的な感覚では、ややそのことにこだわりすぎている気がしなくもなかった。
洪水やら爆発やら火災やらで被害を受けるシーンがけっこう長い。それが売りだったのだからしょうがないのだが、
僕としてはその時間を少しばかり人物のやりとりに還元して矛盾の解消に努めてほしかった。

ラストが少し謎を残す感じになっていて、そこは賛否両論ありそうだ。
しかし日本の国民が世界各地に向けて脱出をする、最後の最後までしっかりと描ききっていて、
よくここまでやりきったなーと心底感心してしまった。尻すぼみになることなくやりきったことに最大の価値がある。
バカデカいスケールの話を大きなスケールのままでドラマ化して最後までやりきった、理想的な作品。
もう今じゃたぶんこんなことはできないだろう。テレビドラマの底力を感じさせる佳作だ。


2007.5.14 (Mon.)

今さら、聖飢魔IIを一生懸命に聴いている。
きっかけはこないだの草津旅行で、マサルが言いだしたことだ。
「僕たち(マサル+びゅく仙)、みやもりくんの結婚式で、聖飢魔IIの恰好で現れて歌うよ!」
「『お前も花嫁にしてやろうか!』って叫んでブーケを投げつけるよ!」
「悪魔が来たりて嫁祝う」
……まあそんなわけで、その日がいつになるのか見当もつかないのだが、とりあえず聴いて勉強することにしたのだ。
オレたちは「やる」と言ったら本当にやるぞ!

それで金色と銀色のベスト盤を借りてきて、聴いてみる。
とにかくあまりの音の良さに圧倒された。ギターが2本あるのが効いていて、もう音の厚みが違う。
ドラムスのフィルの入れ方も面白い。うわーなんだこれめちゃくちゃレヴェル高いよ、全然キワモノじゃないよ!
気がつけばもうすっかりヘヴィローテーションになっている。

バブル崩壊前後のバンドブームに、田舎で純朴な子どもをやっていて乗り遅れてた自分としては、
こういう豊かな文化が存在したことをうらやましく思うことしかできない。なんつー祭りだったんだ、と。
まあとにかく、できるだけ情報を手に入れて、その祭りの感触を自分の中で納得するしかない。しょうがないやね。


2007.5.13 (Sun.)

「リア=ディゾン、実はCG」説。


2007.5.12 (Sat.)

僕がリポートや日記をがんばろうとすると、TSUTAYAがCD・DVDのレンタルを半額にしてくる。
根を詰めまくっていてもつらいだけだから、いろいろ借りてきてしまう。そうして苦しむ毎日である。
まあ確かにきちんとメリハリをつけて取り組めば、CDをMP3にまとめてもDVDを見ても課題はこなせるわけで、
勉強をやるリズムづくりのため、という言い訳をして借りてくるのだが、実際、やっぱりつらい。
つらいながらも、ギリギリのところでどうにかなっている。そういう毎日である。


2007.5.11 (Fri.)

サイトがようやく復旧。一時はどうなるかと思ったが、無事に元に戻った。
マサルには「吉澤の卒業とともにサイトが終わったんやね」なんて言われてしまったが、そうはいくかっての。
書けるうちは日記を書く。そうして「今」の記録を残しておく。
日記を始めた当初にはまったくなかった「書く理由」が、今はきちんと存在している。
だからまだまだ続けるのだ。がんばるナリよ。


2007.5.10 (Thu.)

往年の日本ファルコムの音楽はなぜすごいか、ということをきちんと書いておこうと思う。

そのためには、まずファミコンの音源の話から入るのがいいだろう。
ファミコンの音源はふつう、PSG音源×3声+ノイズ1声という構成になっていると考えてよろしい。
このうち音色が制御できるのがPSGのうち2声ということで、つまり、ファミコンのゲームミュージックは、
音色を変化させられる音が2つ、音色を変化させられない音が1つ、リズム用に使うノイズが1つ、となっているわけだ。
それでほとんどの場合、音色を変化させられるポートをメロディとハーモニーに割り当てることになる。
必然的に、音色を変化させられないポートはベース(低音)にまわされる。当然、ノイズはドラム(&効果音)となる。
だからファミコンの音楽を聴いていると、ベースの音色はみんなだいたい一緒である。これが常識的なやり方。

ファルコムが活躍したPC-9801やPC-8801のサウンドボードは、FM音源を搭載している。
88についてはよくわからないが、98ではFM音源×3声+SSG音源×3声という構成だった。
FM音源というのは音色が非常に多彩な音源であり、サンプリングによるPCM音源が登場するまで、
アーケードでも標準的な音源として使われていた。比較的柔らかい印象を残す音が多い。
SSG音源というのはそれよりも古い音源で、音色のバリエーションは少ない(変化が乏しい)。
ただ、硬質な音で鳴らすと透明感のある非常にきれいな音色になるので、個人的にはかなり好きだった。
音を曲げた場合には弱々しい印象の音色になる。50m先で聞こえる尺八くらいあいまいな感触にもできる。

で、ファルコムの音楽のどこがすごいのか。それは、ファルコムの音楽の大半は、貴重なFM音源の3声をなんと、
メロディ、ベース、ドラムに使っている点である。ハーモニーやコーラスのパートはSSG音源にまわしてしまうのだ。
曲によってはメインのメロディでさえSSGで鳴らす。実際、『イース』の暗い曲調では曲げたSSGでメロディを鳴らしている。
つまり、ファミコンでみたように、常識的には音色が多彩な音源をメロディやハーモニーに使う方法をとる。
しかしファルコムは、音色の変化が利く音源をベースとドラムに優先してしまうのだ。これにはかなりの度胸が必要だ。
そうして迫力のあるリズムセクションを組み立てることで、独特の雰囲気やグルーヴをつくりあげているのである。
これをやるためには、そうとう音色をこだわってつくる必要がある。ぶっちゃけ、FM音源をメロディで使う場合には、
実はそんなに音色にこだわる必要はない。メロディがしっかりしていれば、音色にこだわらなくても聴けてしまうからだ。
だけどベースとドラムで徹底的に独創性のある音色をつくって鳴らせば、それだけでゲームの世界観を決められる。
ファルコムは常識にとらわれすにそれを実行したから、高く評価されていたというわけだ。いやおそろしい。

今やゲームミュージックはふつうの音楽と同じになってしまい、「音源」という単語すら聞かれない時代になった。
それでもファルコムの職人根性は、今でも尊敬すべきものだと思うのである。


2007.5.9 (Wed.)

月刊『CIRCUS』でマサルが担当したコーナーが面白い。

以前、マサルにアンケートの名目でタダメシをご馳走になった際のこと(→2007.3.28)。
ひととおり雑誌に対して意見を言った後、「僕はこういうことがやりたいんよ!」という企画案を見せてもらった。
その中身は実にかつての「月経エンタ」を彷彿とさせるものばかりで、
バカバカしさとその向こう側にある新発見とに大笑いと感心をさせられたのである。
そしてマサルはその案を、たったひとりで実行に移したのだ。それが「2007年上半期・爆笑裏ヒットランキング!!」だ。

「一度は食べてみたいアニメの食べ物ランキング」に始まり、「『なぜ○○なのか?』本売り上げランキング」、
「全国ご当地おっぱいプリン売り上げランキング」など、マサルテイストが爆発している。
特に本人が気合十分で実現した「ウィキペディア『珍項目』ランキング」は、意外とためになる内容だ。
あと泥酔した僕がバカウケでマサルが自信を深めたのが「萌えるマスク姿人気ランキング」。
アイ検(アイドル検定)1級のマサルは現在マスク女子ブームが来ていることを敏感にキャッチしており、
今回は“マスクアイドル”をモデルにいろんなマスク姿を撮影しまくっているのである。

まあ上記のような、ニッチ産業にもならないようなマサルの観察眼が存分に堪能できる内容なので、
興味のある人はコンビニや本屋でぜひ探してみてください。いや、久々に雑誌で笑った。


2007.5.8 (Tue.)

仙台で『デトロイト・メタル・シティ』の新刊が出たのを知ったんだけど、荷物になるから買えない。
それから本屋に行く暇もなく群馬合宿に出かけたために、読みたくてずっとうずうずしていたのであった。
で、合宿から帰ってくると喜び勇んでTSUTAYAに行ってみたのだが、見事に売り切れていた。
まあそんなわけで「ク、クラウザーさぁん……」という状態になりつつ仕事をしておったわけです。

今日、会社が終わって本屋に寄って、ようやく購入。
電車を待っている間にうずうずしてきて、ガマンできなくなって電車内で読みはじめる。
なんせクラウザーさんは社会的によろしくないセリフを多数連発なさるので、
周りに中身が見えないようにちんまりと読むのがなかなか大変だった。
それにしても会社帰りにマンガを読んでいるのって、典型的なダメ社員の姿のような気がする。
まあしょうがない。ダメ社員だもの。


2007.5.7 (Mon.)

ホームページ失効問題でご迷惑をおかけしております。
関係各所(circo氏・マサル・ニシマッキー)から問い合わせの連絡をいただきました。
現在、復旧に向けて対処を進めております……って日記に書いても、更新のしようがないじゃないか。

とりあえず、こういう間抜けな事態が発生しました、って記録だけは残しておこう。


2007.5.6 (Sun.)

さすがに1週間ぶっ続けで旅行状態というのはキツい。
しかも僕の場合には、起きている間はほとんど動いているわけで、休んでいる時間というものが本当に少ない。
そういうわけで、本日はやっと、休みらしく過ごしたのである。

ところでこの休みの間にホームページの具合がおかしくなってしまった。
理由はおそらく入金し忘れだとかその辺だと思うので(連休で銀行休みだし)、まずは復旧に向けて作業を進める。
それからマンガを読んだり音楽を聴いたりして過ごす。こういうダラダラもたまにないと死んでしまうのだ。
気が向いたら日記をちらほらと書いてみる。旅行の後は写真の整理が非常に大変である。
今回の旅行では、その日に撮った写真はその日のうちに加工する、ということを徹底したので、比較的楽だった。
まあそれでも膨大な量の写真を順番に並べていくのはそれだけでも手間がかかる。そんなこんなで日が暮れた。

それにしてもこれだけ優雅に休みまくると、きちんとまともに社会復帰できるのか非常に不安である。
休んでいるだけで誰か金くれないかなあ……と、とんでもないことをちょろっと考えてみるが、
それはつまり旅行記でメシを食うというレヴェルになるので、ああこりゃムリムリ、となる。
学生時代にいろいろやっておくべきだった……と後悔しても、もう遅い。
今となっては、なるべく学生らしい感覚を保ちつつやりくりしていく方法論を探るしかないのである。
まあ、でも、それなりに悪くないバランスを保っているような気がしないでもないなあ、と思わないでもない。


2007.5.5 (Sat.)

朝起きると、せっかく草津に来たんだから湯もみショーを見よう、ということで、みんなで湯畑まで出る。
相変わらずの長い行列でウンザリしたのだが、いざ並んで建物(熱の湯)の中に入ってみると、2階にあっさり座れた。
これにはびっくりした。うーん、先入観にとらわれていたか、とちょっと反省。

湯もみショーの内容は、まず湯もみの解説、続いて実演、その後は観客参加の体験コーナー。
それから草津節の踊り実演、踊りと湯もみのコラボ、最後にまた観客参加の湯もみ体験、と掲示されている。
1回目のプロの皆さんによる実演が終わり、参加したい方はどうぞ、となって、マサルは勢いよく手を挙げる。
が、指名ではなく純粋に早い者勝ちなので、この番では体験できず。マサルは1階席に移動して次を待つ。
最初の湯もみではただリズムに合わせて板を左右に回していただけだったのだが、
2回目の湯もみではプロの皆さんが勢いよく板を上下させてバッシャバッシャとかき混ぜる。
予告もなくいきなりそれを始めるので、客席は裏をかかれてどよめく。なるほど、そういう演出かーと感心する。
そして体験コーナーになると意気揚々とマサルが登場。のっけからバッシャバッシャと勢いよくかき混ぜて、
観客席は爆笑に包まれたのであった。マサルのために拍手まで起きたくらいで、真のエンターテイナーぶりを見た。

さて、それが終わるともうひとつ、外湯に入りたいってことで、みんなで西の河原の露天風呂へ。
多摩から23区に引っ越して以来肌の調子が今ひとつなリョーシ氏を除く3人で、快晴の空の下、温泉に浸かる。
後でリョーシ氏から聞いた話によると、男湯は山道の方から丸見えだったんだそうで、
気持ちよさそうに甲羅干しをしていたマサルはなんというかまあ、がんばれってな感じである。

さて、いよいよ最終日である。「湯釜が見てえ」という僕のしつこいほどの要求が受け入れられて、目指すことに。
事前のリサーチでは、湯釜は草津温泉からさらに奥へ車で30分ほどということで、余裕ぶっこきつつ助手席に座る。
しかしいざ進んでみると、どんどん道路はいかにもな山道になっていく。しかもカーヴの数が尋常でない。
そのうちに辺りの風景が変化しだす。背の高い木は一本もなくなり、笹のような草と無骨な岩肌ばかりとなる。
したがって崖のすぐそばをカーヴしながら上っていくのがまるわかりで、高所恐怖症にはたまらなく怖い。
運転にそこまで慣れているわけでないみやもりも、かなり神経を使っているのがわかる。

 しかもけっこう交通量があるのだ。さすがはゴールデンウィーク。

何より怖いのが、途中で駐停車禁止のゾーンがあること。
というのも、この一帯は硫化水素のガスが勢いよく吹き出ていて、吸ったらとっても危険なのである。
(「殺生河原」なんて名前がついているようだ。でもそのすぐ近くにロープウェイ乗り場があるのがなんとも。)
最初のうちは窓を少し開けていたのだが、あまりの強い匂いに慌てて締め切った。しかし中で匂いは充満する。
わりと近くで岩の合間から白いガスが噴き出ているのが見えた。日本は広い、と思うのであった。

湯釜のすぐ近くにレストハウスがあり、そこの有料駐車場に車を停める。
周囲には岩肌を露出させた山がある。標高の高さを実感。実際、車から降りるとかなり寒かった。

 
L: 白根山付近の光景。荒涼としているけど、レストハウス付近は完全に観光地でほっとする。
R: 湯釜へと通じる道を行く人々。けっこう急で細い道を大勢の親子連れが登っていく。

来るのが大変だっただけに、お三方は行程について深く考えずに提案を出した僕を半ばなじりつつ進んでいく。
そして頂上に着くと、そこにはこれまでに見たことのない光景が広がっていた。

湯釜は世界で最も酸性度の強い湖とのこと。溶けている火山性の微粒子のせいでこの色に見えるらしい。
(デジカメの画像だから色調に補正が入ってしまっていると思うが、本当はもう少しだけ色が濃い感じ。)
なんというか、かつてNHKでやっていた『地球大紀行』的な景色に、思わず「おおお」などとうなってしまう。
が、草一本生えていない山の尾根から湖を見下ろすということで、あっさりと高所恐怖症がピークになってしまった。
「お前が見に来たいって言ってたんだろ!」と容赦のないツッコミが入るが、怖いもんは怖い。
しかも、立入禁止のロープが張られた向こう側で、椅子に座って白根山を監視している人がいた。
それってつまり、いつ噴火してもおかしくないってことじゃないのか。中学生のとき浜岡原発に行って以来の恐怖感だ。
そんなわけで、ロボットのようなぎこちない動きであちこち歩き、どうにかデジカメを構えて写真を撮るのであった。
僕以外の3人も周りの家族連れも平然としてワイワイ騒いでいるんだけど、なんでそんなに平気なのか理解できない。


途中の避難シェルターを見てどうしても入ってみたくなっちゃった人。Tシャツのタモリがすげーインパクト。

湯釜前のレストハウスではソフトクリームをいただく。これが実においしかった。4人とも無言で必死で食った。

そうして一休みが済んだら、ひととおり予定を終了したので帰ることに。みやもり車で高崎駅まで送ってもらう。
BGMは僕のiPodで曲をシャッフルしてかける。スキマスイッチの話題にひとりだけついてこれず沈黙していたのに、
知っている曲がかかると嬉々として歌い出すマサルがいかにもマサルらしい。
僕は、学生時代の合宿はまさにこんな感じだったなあ、とタイムスリップして過ごしていた。
この先何回、どれくらいこういうことができるのかわからないが、意地でも続けていってやるぜ!と固く心に誓った。

で、高崎駅前では駐車スペースなどないので、信じられないほどあっさりとみやもりと別れる。
それから3人で改札のすぐ脇にある喫茶店で時間をつぶし、各駅停車で帰る。池袋でみんなでメシを食うことに。
旅の疲れがフルスロットルの僕はまったく心理的な余裕がなくってご迷惑をおかけしました。
だいぶ丸くなったと自分では思っていたけど、まだまだ性格のキツいところがあることを実感したのであった。大いに反省。


2007.5.4 (Fri.)

群馬温泉旅行の2日目は、とりあえず鬼押出しへ行ってから草津に行こう、ということになった。
ルートとしては一度南下してからまた北に戻るということになるのだが、時間的にちょうどいいので問題はない。
唯一の問題といえば岩崎マサルである。というのも、マサルが1泊だけの参加を希望していたからだ。
昨日、マサルに電話して確認した際には、鬼押出し経由で軽井沢まで行き、そこでマサルを拾うつもりでいた。
軽井沢なら新幹線で東京からまっすぐ来られるので、マサルが迷うこともないだろうと思ったのだが、
「軽井沢って何県ですか?」の一言でその案は崩壊。一橋大学法学部卒とは思えない本気の疑問に一同ずっこける。
どうやってランデヴーを果たすか。それなら直接草津に来てもらうしかないだろう、軽井沢は混むだろうし。
ということで、結局、新宿駅新南口からの直通バスに乗るように指示を出したのであった。
まるで小学生におつかいを頼む感覚である。B.B.クィーンズの歌が聞こえてきそうだ。

さて嬬恋の宿を出ると、われわれは鬼押出しへと向かう。
僕は小さい頃に一度来ているので懐かしい。リョーシ氏も16年前に来たことがあるという。
対照的にみやもりは初めてである。「よーしガンガン押出していこうぜ!」と、今日も頼もしく運転するのであった。
西武グループの管理する有料道路を抜けた先に、浅間山が見える。鬼押出し園である。
600円の入園券を買うと、中へと入る。

  
L: 浅間山。てっぺんから煙というかガスというかが出ているのがわかる。斜面がなだらかなのが独特。
C: 鬼押出し園内には寛永寺の別院がある。だいたいの人がこれを目指して歩くことに。  R: お約束。

中は一面、冷えて固まった溶岩の海で、その中に一筋通っているアスファルトの道を歩いていく。
やたらと尖った巨大な岩がびっしりと地面を埋め尽くしていて、砂っ気がなく、木や草はちらほら生えている程度。
動物がいる感じはほとんどなく、なんとも奇妙な印象がする場所である。日本らしくない、というか。

  
L: 表参道入口。ここをくぐると日常にはありえない風景が広がるのだ。
C: 一面が黒い岩だらけ。「いいねーいいねーよく押出してるねぇー」「いやーとっても押出してるねぇー」
R: 「これよく押出してるねぇー。撮りなよ、びゅくさん」というわけで浅間山を背景にパチリ。

鬼押出しは1783年の浅間山噴火でできたもの。溶け出した溶岩がいくつも積み重なっていってこうなったそうな。
これで集落がひとつ消えちゃっているわけで、現実にこんな目に遭ったらたまんないなあ、とちょっと怖くなる。

  
L: 緑の合間に見えるのは、すべて溶岩。見渡すかぎりゴツゴツしている。
C: 観光客がワンサカいるからいいけど、人がいないと悪い夢に出てきそうな風景だなあ。
R: 時折設置されている避難所。これでホントに大丈夫なのか大いに不安。というかふつうに休憩所だろ、これは。

途中で親に連れられた子どもが「ぼくどうしてこんなところに来なくちゃいけないの?」と言っていたのには笑った。
おいおいそれを言っちゃあオシマイだろ!と心の中で爆笑しながら3人同時にツッコミを入れたのであった。
いやー、本当にすばらしい名言だったなあ。できることなら録音したかったよ、マジで。

せっかくなので、最も長いルートを選んでトボトボと歩いていく。歩いている間、行けども行けども岩だけの風景が続く。
人間にとってアンタッチャブルな場所が目の前に果てしなく広がっている、という経験はやっぱり貴重だと思う。

 
L: 鬼押出しの溶岩にはヒカリゴケが自生している。ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属の1科1属1種の珍しい植物。
R: 拡大した写真。ヒカリゴケは自分で光るのではなく、暗いところで光を反射することで「光る」のだ。

そんな具合に押出しっぷりを存分に堪能。「これで10年は押出さなくていいかな」とはみやもりのセリフ。
ちなみに園内の飲み物は500mlペットボトルが170円と、西武税が加算されていた。困ったもんだ。

さていよいよ草津へ移動。国道146号を走っているうちはよかったが、292号に入ると大渋滞。
上り坂をゆるゆると進んでいくという非常に厳しい状況だったのだが、みやもりが踏ん張ってくれて無事到着した。
……と文章で書くとあっさりなのだが、そのゆるゆる運転が1時間ほど続いていたわけで、本当にお疲れ様なのだった。
(余談だが、この連休中、ガソリン価格が高騰している。草津に近づいていけば近づいていくほど、
 ガソリンスタンドに張り出されている価格が上がっていく。そして草津に入ると「大特価」としか書いていなくなる。怖い。)
宿のチェックイン時刻まであと20分ほどあるのだが、混雑しているので時間厳守でお願いします、と言われてしまう。
駐車するのはOKということで、車に荷物を残してあちこち歩いて時間をつぶすことにする。

草津といったら湯畑である。湯畑は街のど真ん中、谷底に位置しているので、坂になっている路地を下りていく。
街の中はうっすらと硫化水素の匂いがしている。狭い敷地いっぱいに敷き詰められている建物の屋根とともに、
自分がいま温泉地に来ているということを強く実感させる要素が満載である。
そして人の流れをたどっていく感じで先へと進んでいくと、人でいっぱいの湯畑に出くわした。

  
L: 湯畑のお湯が出るところ。  C: 湯畑の真ん中らへん。  R: 湯畑の一番高いところから真ん中らへんを眺める。

  
L: 午後3時、なぜか湯畑では月光仮面がわるもんと一緒に募金活動を開始。謎である。
C: いかにも温泉街な路地。しかしどんなに混んでいても、車が平然と通っていくのはどうかと思う。
R: 西(さい)の河原を流れる川を上っていくとこのような光景に。さすがは温泉地だなあ。

ブラブラしていたらマサルから「草津に着いた」と連絡が入る。散策ついでに合流すべく、バスターミナルへと向かう。
バスは予定より1時間遅れ。でも、意外とスムーズに着いたなあ、というのが正直なところ。とにかく混んでいた。

バスターミナルでマサルを待つが、一向に姿が見えない。20分ほど待っていたら、荷物を引っぱってマサル登場。
なんでも近くの店で昼メシを食っていたらしい。しかもそこの蕎麦が非常にまずかったらしい。
しかしわれわれはまだメシを食っていないので、これまた近くの、別の店に入る。
そしたらマサルは、なんとそこでも蕎麦を注文したのであった。本当に食べることには金を惜しまない男だ。

その後は4人で散策を続行。マサルは行く先々で典型的な観光客的行動をとる。
とにかく目にした物すべてに反応しなくては気が済まないようなのだ。僕らがふつうにスイスイ歩いていて、
ふと気がついて振り返ると、マサルがずいぶん後ろで立ち止まって何かをやっているのである。
子どもを持つ親の気持ちが少しわかった気がする。

  
L: 湯畑を見て、ケータイで写真を撮らないと気が済まないマサル。
C: 店先のガチャガチャを見て、やってみないと気が済まないマサル。
R: 温泉まんじゅう屋で無料サービスしていたお茶とまんじゅうを見て、一服しないと気が済まないマサル。

そんな具合にたっぷり寄り道しながら、ようやく再び宿に着く。
部屋に入ってさっそく、買っておいた飲み物を冷蔵庫に入れようとしたその瞬間、われわれは目にした!

 コカーコラ。

コカコーラではない。コカーコラなのである! まさかこのようなお約束を実際に目にすることができるとは!
すげえ!すげえ!とみんなで夢中になって、デジカメやらケータイやらで証拠の写真を撮ったのであった。
「またこのコピー機の故障ぶりがひどいわー」(マサル・談)

その後はしばらくマサルが持参したDVDを僕のパソコンで再生する時間に。
今回はマサル大絶賛の『全日本コール選手権 with みうらじゅん』も『ピタゴラ装置 DVDブック2』もないという、
いわば飛車角落ちの状況である。しかし『FNS地球特捜隊 ダイバスター3』があったので問題なし。

宿は素泊まりで予約していたので、晩飯どきになってまた街へ出ることに。
しかし行く店行く店どこも行列で、まともな店が空いていない。困り果てた末に、目についた店に入ってしまうことに。
ところがまあこれが思い出すのもイヤなほどひどい要素が満載の店で、食べ終わってからも全員しばらく無言だった。

 夜の湯畑はきれいにライトアップされていて、なかなか幻想的。

憂さを晴らすべくゲーセンに入り、いろいろとゲームをやって過ごす。
CRTディスプレイが壊れかけていてやたらと画面の暗い『1941』を発見。それでも当然プレーする。
いつの日か家庭用に発売されないかなーと思いつつ2面で撃沈。画面暗すぎだってば。
みんなは懐かしの『マジカル頭脳パワー!!』を3人同時プレーで楽しんでいた。
しかし音声認識の調子が明らかにおかしく、苦戦を強いられていたのであった。

なんだかよくわからないメーカーの三味線の音ゲーがあった。マサルが異常にやりたがる。
マサルに誘われるがままに僕も一緒にプレーするが、シド=ヴィシャスかってくらいベルトが長くて弾きづらい。
シド=ヴィシャスからセックスとドラッグとイケメンを取り除いたらけっこうマサルになるなあ……と思っているうちに、
なんだかよくわからない低得点でゲームオーバーでございます。

 
L: 何をやってもこの人は絵になる人ですね。シド=ヴィシャスとは真逆の方向で。
R: 熱海ロマン(の一部)が草津で復活。でも僕もマサルも弦楽器できないんだけどね。

その後は定番のエアホッケーで盛り上がる。途中で次の番を待っている子どもが実況しはじめたりで大騒ぎ。

 
L: マサルVSリョーシ。マサルのヒジを使って守る卑怯さにも負けず、リョーシ氏が勝利。
R: みやもりVS僕。先行逃げ切りを目指すも途中で大崩れして、結局みやもりに大差で負けた。

帰り際、店先に飾られていたフィギュアに異状を発見。なんでも『セーラームーン』の実写版をもとにしたらしいのだが……

 

こわい。


2007.5.3 (Thu.)

毎回姉歯祭り(HQS同期会)は東京で開催しているわけだが、ゴールデンウィークだしみんなで温泉に行くかー!
という話になっていた。みやもりが群馬にいるので、じゃあ群馬の温泉にしようか!というところまでは決まっていたのだが、
そこからがスローペースでなかなか話が進まない。結局ゴールデンウィークの本当に直前になって宿と行き先が決まり、
なんとか無事に温泉旅行が実行されることになったのであった。参加者はとりあえず、みやもり・リョーシ氏・僕の3人。

なんせ前日まで宮城にいたので足は痛いわ体力も完全に回復していないわで朝早いのはキツいのだが、
どうにか予定の時刻に目を覚まし、支度をして家を出る。そんなわけで家に滞在していたのはたったの9時間。

赤羽駅にてリョーシ氏と合流。あれこれ気楽にダベりつつ高崎線で高崎へ。そこから両毛線で前橋へ。
前橋駅に着いたのが11時半くらい。あらためて東京と群馬の距離を実感しつつみやもりを待つ。
やがてみやもりもすぐに合流。そのまま南口にできたショッピングモールに連れて行ってもらう。
ちょっと前に前橋は全国唯一の「映画館のない県庁所在地」になってしまったというニュースが流れたが、
その“汚名”を晴らすべく、ショッピングモールには映画館が併設されていた。地元のショックの大きさがうかがえる。
ちょうどお昼どきでどの店も混雑していたが、みやもりオススメの鳥料理の店に入ってご飯をいただく。
旅先ではずっと一人でメシを食わねばならなかったので、こうして集団でメシを食えることにささやかな幸せを感じた。

で、食べ終わるといよいよ出発である。2泊3日のこの旅行、1日目は嬬恋村へと行くのだ。
すぐ隣は長野県だが、南信出身の僕にはまったく馴染みのない土地である。キャベツの産地ってことは知っているくらい。
まあとりあえずそこでウダウダしましょうか、とみやもり運転の車にお邪魔する。

 今回お世話になったみやもり車。ちなみにまだ女性を乗せたことはないそうな。

みやもりは群馬に来てから車に乗るようになったわけだが、十分に快適な運転なのであった。
こちとら地図の読める男なので、助手席で何種類か地図を広げて行き先の様子を確認して過ごした。
渋川市に入る辺りで郊外型の風景は急に田舎のものへと変わる。懐かしい気分になる。
車内ではリョーシ氏持参のCD『刑事魂(デカコン)』が快調に鳴り響く。
聞いたこともないタイトルのドラマのヴォーカル曲が大半を占める中、たまに知っている曲がかかる。
そうなるとテンションが上がる。特にみやもりは杉良太郎『君は人のために死ねるか』でノリノリになっていた。

途中で適度に休憩を挟みつつ、買い込んだお菓子を頬張りつつ、車は西へと進んでいく。
BGMはやはりリョーシ氏持参の井上陽水『GOLDEN BEST』へと変わっていた。
山里の景色は僕の地元とほとんどまったく変わらないので特になんとも思わないでいたのだが、
海に近い場所で育った2人には、山国の田舎の風景は見慣れないもののようだった。
「山国はどこもこんなもんよ」「ええー」などと会話を繰り広げるうちに嬬恋村に入る。
カーナビと手元の地図とプリントアウトされた宿の住所とを照らし合わせながら、慎重に坂を上っていく。
やがてお休み中のスキー場の脇に宿の看板を発見し、難なく到着。

 地図帳から想像できるそのままの地形が眼下に広がる。雄大。

部屋は狭いという話だったのだが、まったくそんなことはなく、非常に快適なのであった。
晩ご飯の前にスキー場まで散歩に出かける。すると5月だというのに雪が残っていて驚いた。
(宿のおばちゃんの話によると、少し前に雪が降ったそうだ。桜もまだ咲いておらず、春が十分来ていないとのこと。)
とりあえずその残雪の上に立ってみる。歩きまわって雪球をぶつけあってみる。

  
L: スキー場は日陰に雪が残っていた。そうでない部分は雪解けのせいで地面がぐちゃぐちゃ。
C: それにしても5月に雪とは。さすがに標高が高いのね。  R: ジャイロボールを投げるリョーシ氏。

スキー場に隣接しているホテルは営業中だったので(さすがゴールデンウィークでけっこう宿泊客がいた)、中に入る。
土産物コーナーを軽く冷やかして過ごしていたら、そこそこ空が暗くなってきたので宿に戻ってテレビを見る。
内線で呼び出されて食堂に行くと、僕ら以外にも客がけっこういた。さすがゴールデンウィークだ、と他人ごとのように感心。
おかずの種類が多く、それに合わせてしっかり大盛り3杯ご飯を食べた。「オレはおひつ1個でもいけるぜー」
つくづく、他人の炊いたメシは旨いなあ、と思う。

部屋に戻ると風呂に入って、いよいよ酒盛り。今回は僕が宮城は松島で見つけた酒を進呈。松島スペシャルである。
それから、仙台で買った牛タンのパックもセットなのである。大盤振る舞いなのである。

  
L,C: 松島の地ビール「松島ビール」。左からデュンケル・ヘレス・バイツェン。飲んだら私の味がしてよ(なんとなく川島なお美風に)。
R: 松島が松島でラベル買いした日本酒「雪の松島」。飲んだら私の味がしてよ(なんとなく川島なお美風に)。

今回はみやもりの生誕30周年を記念するわけで、まずはヘレスで「30歳おめでとうございます」と乾杯。
続いてデュンケルで「リョーシさん地元で就職おめでとうございます」と乾杯。
最後にバイツェンで「マツシマさん、まあよくわかんないけどおめでとうございます」と乾杯。

いい具合に酔っ払って倒れるように寝て、すぐに起きて、そこからいかにも中二病なトークをした。
というか、問わず語りで自分からいろいろしゃべった。うーん、修学旅行。


2007.5.2 (Wed.)

朝起きる。テレビをつける。天気予報を見る。雨の予報にへこむ。
それでも気合を振り絞って仙台駅へ。昨日と同じようにコインロッカーに荷物を預けると、改札を抜ける。
駅構内のコンビニでおにぎりを買うと、発車時刻を待つ東北本線の列車の中でそれを食べる。

掲示板にも書き込んだのだが、本日はまず宮城の名所である松島へ行く。で、仙台に戻ってバスで東京に帰るのだ。
松島。僕の名字は「松島」だが、直接この土地と関係はないはずだ(先祖がテキトーな人なので由来が不明なのだ)。
まあそれでも松島として生まれてしまったからには松島のひとつやふたつくらい行ってみなくちゃしょうがないのである。
なんてことを考えていると列車が動き出す。曇り空は今にも雨粒を落としてきそうで、それだけで悲しい気分になってしまう。
せっかく松島が松島に行こうとしているのにそんな仕打ちないぜ、と思うのだが、こればっかりはしょうがない。

30分くらい列車に揺られて松島駅に到着。さっそく駅のホームでシャッターを切る。
そんでもって改札を抜けると駅舎も撮っちゃう。さらにカメラを自分に向けてシャッターを切ってみる。

  
L: 「松島だァ」  C: 松島駅である。周辺は「松島」の看板だらけでオレの街!と妄想していたのだが、実際はそんなでもなかった。
R: 駅舎を背景にうまいこと自力撮影しようとしたんだけど、なかなかうまくいかない。……そういや日記に顔出ししたの久しぶりだな。

5分くらいそうやって悪戦苦闘していたら、見かねたおっさんが「撮ってやろうか?」と声をかけてきた。
素直にご好意に甘える。というか、なんつーか、こういうのってめっちゃ恥ずかしいですな!
おっさんこと佐々木さん(69歳、息子さんは日刊スポーツの記者をやっているそうです)はデジカメの操作がわからず、
カメラの前後(!)を逆にして撮影したり地面を撮影したりと絵に描いたような天然ぶりを発揮。
オレ以上に悪戦苦闘してやんの。……ともかく、ありがとうございました。おかげでいい思い出ができました。

 松島駅と松島。佐々木さん(69)ありがとうございました。

そういうわけでお礼を言うと松島駅を後にする。駅前のロータリーから離れた瞬間、雨粒が本格的に。
すぐそこの国道45号に出たときにはもうザンザン降りで、あわてて折りたたみ傘をポケットから取り出す破目に。がっくり。

さて、ふつう観光客が松島に来る際には、仙石線(せんせきせん。「せんごく」 ではない)の松島海岸駅を使う。
なぜわざわざ東北本線の松島駅に来たのかというと、駅舎とのツーショットを撮るのがその目的のひとつであり、
もうひとつは松島町役場を見に行くためである。なんというか、われながら、物好きにも程があると思う。

 
L: 高城川に架かる橋から眺めた松島町役場の側面。  R: 正面はこんな感じ。青い手すりがちょっとなー。

役場の窓口で「ぼく、松島っていうんです」と告白したところで何か記念品がもらえるわけでもなし、
来たってしょうがないのである。それでもいちおう、1階を往復してみる。さすが町役場だけあって小規模。
10秒程度で往復完了してしまう。しかも窓口が通路の片側にしかないくらいで。
もう片方の側には小さな待合スペースがあって、そこを見たら新聞が置いてあった。
各全国紙にまじってなぜか赤旗もあった。変なの、と思いつつ役場を出る。
まあ用もないのに役場を見ると入っちゃう習性のある僕の方が「変なの」ですけどね。

国道45号の交通量はけっこう多い。のんびり歩いて松島海岸方面に向かう歩行者なんて僕くらいなもの。
せっかく来たからには雨でも楽しめる範囲で松島を楽しむとするかー!と腹をくくって道を歩いていく。
でも途中で松島オルゴール博物館だとかみちのく伊達政宗歴史館などの施設の前を通ったにもかかわらず、スルー。
やはり基本的に、施設に入ってしまうよりは街をウロウロ歩いて時間を過ごしたいのである。

そんなんでしばらく歩くと松島湾が見えてくる。生憎の雨模様なのだが、それでも島が浮かんでいるのがちらほら見える。
なるほど、ポツリポツリと松の島が点在している。これは確かに「松島」だ。沈降でできた典型的な地形である。
天気が良けりゃ遊覧船で一周するのになーと思うが、さすがにこれだけの雨ではどうしょうもない。

  
L: 松島湾は雨なのであった。  C: その名のとおり、松の生えた島が点在している。
R: こちらは松島海岸駅。観光名所はこっち側に集中している。駅のホームからの眺めも抜群。……晴れていれば。

しょうがないので海とは反対側の瑞巌寺へ行ってみる。拝観料が700円。高い……。
瑞巌寺は一口に言えば、伊達家が手厚く保護した寺である。本堂などは国宝に指定されている。
中に入ってみると、往時にはずいぶんド派手であったであろう内装が目立っている。
襖絵は修復されているのに対し、欄間の方は色が褪せている。それでもかつて鮮やかだったのがわかる。
どれも派手な感触のものばかりで、なるほどこれが「伊達」って言葉につながったのか、と思う。
でもまあ個人的には穏やかな寺の方が好きなので、ふーん豪華だね、といったスタンスで見てまわった。
いわゆるお寺というよりは、伊達家の別荘という印象だった。

  
L: 瑞巌寺参道。まっすぐな道にまっすぐな杉が並ぶ光景はけっこう壮観。
C: 瑞巌寺本堂。幅があってデジカメの視野に収まりきらず。シンプルな感じ漂う外見に対し、中は実に派手。
R: 建物よりもむしろ岩肌をくりぬいて倉庫をつくっている光景が気になった。こりゃ中に入ってみたいわ。

瑞巌寺で気になったのは、参道と並行する道で周囲の岩肌をくりぬいてその前に仏像が置かれている点。
それは地理の資料集などで見る中国西域の印象に近い。シルクロードとかそっちの感触がする。
なんでこういうことをしたのか、説明がどこにも見当たらなかったのが何より残念である。

 参道の外側の道には岩をくりぬいた光景が続く。西域の匂い。少し異様。

さて、瑞巌寺を出るとしばらく松島湾を眺めて過ごす。松島グリーン広場は雨でほとんど人がいないのだが、
そこをぼんやりと散歩してみたり。マリンピア松島水族館は家族連れでいっぱい。ちょっと行きづらい。
まるで回遊魚のように、1時間近くあてもなく海岸沿いを往復しまくる。しかし雨はやまない。
もういいやーと思い、土産物を買ってしまう。明日からのみやもり生誕30周年記念のために酒を買い込む。
液体の入ったビンやら缶やらはかさばる荷物なので、つまりこれ以上の松島滞在を諦めるということである。

そうしているうちに腹が減ってきたので、小ぎれいっぽい店に入る。
注文したのは牛タン丼。麦飯に牛タン、それにテールスープもついたフルコースである。
なんで仙台で食わずに松島で食っているのか自分でも不思議なのだが、とてもおいしくいただいたのであった。

で、家族向けにお土産(松島手ぬぐい)を買って店を出ると、太陽が出てやんの。い、今ごろ……。
雨はあがり、空は青くなりはじめている。両手に酒の入ったビニール袋をぶら下げて途方に暮れる。
いや、まあ、そんじゃ、もうちょっと滞在しますか……。そういうわけで、酒を持ったまま回遊再開。
先ほどよりももっとあちこちを歩きまわって過ごす。五大堂を見てみるなどして松島らしさを味わう。

  
L: 雨があがっても空気に湿り気は残ったまま。最初から晴れてりゃ絶景を遠くまで見渡せただろうに……。もったいない。
C: 福浦島。架かっている橋は通行料200円だと。そんなん、渡るわけないじゃんよ。
R: 自分に対して向けられた言葉ではないとわかっていてもうれしいのであります。

結局午前中の雨の影響で、最後まで景色が晴れわたることはなかった。
それでもまあ滞在中に雨があがっただけでもヨシとするのである。ぜひまた次は晴れた日に来て、優雅に遊覧したい。

松島海岸駅から仙石線で仙台まで戻る。東京に帰るバスは夕方の5時発なので、まだまだたっぷり時間がある。
昨日は東北大学・青葉城址といった山の方に足を伸ばして市街地がお留守だったので、歩きまわってみることにする。
仙台の歩行者はアーケードに集中しており、とにかく活気でいっぱい。福島や山形の場合、
歩行者の多い通りは1つだけ、という印象だったので、ここでもまた仙台の都会っぷりを実感させられることに。

  
L,C,R: アーケードは東西方向に3つ、南北方向に2つそれぞれつながって続いている。どの時間帯も人通りでいっぱい。

仙台は活気があるのはいいのだが、その反面、やはり都会すぎて仙台っぽさというのがイマイチつかめなかった。
定禅寺通のケヤキだったり川内の緑だったり、仙台が杜の都であることは理解できたつもりでいる。
でもほかの土地とは取りかえのきかない何か、というものにはうまく触れられなかったように思うのである。
東北地方の代表格というよりは、東北の田舎に都会的なもの(東京的な要素)を伝える窓口というか、
そういう感じがしてしまうのだ。僕が鈍いだけかもしれないが、実際これはなかなか難しい問題であると思う。
まあとにかく、松島も含めて再度挑戦しなくちゃいかんなーと思うのである。

おやつの時間を過ぎてしばらくしたところで、西口に別れを告げる。
コインロッカーからBONANZAを取り出すと、自由通路で東口へ。バスのターミナルは東口にあるのだ。
まだまだ時間には余裕があるので、足がどえらいことになっているのだが、せっかくの仙台に来たのだからと歩きだす。
目的地は東北楽天ゴールデンイーグルス(正式名称長いな)の本拠地である、県営宮城球場である。
(僕はネーミングライツの売却に断固反対の立場なので、「フルキャストスタジアム宮城」とはあえて書かないのだ。)
日程が合えばぜひ試合を観たいところだったが、残念ながら都合がつかなかったので、このタイミングで訪れることに。
(ちなみにモンテディオ山形、ベガルタ仙台の試合ともスケジュールがうまく合わなかった。
 それにしても、東北でもプロスポーツの試合を観るチャンスが増えたことはすごくいいことだと思う。)
仙台駅から県営宮城球場までは、徒歩だと泣きたくなるほどの距離がある。
まして足がグチャグチャに痛んでいるうえに荷物をフル装備で背負っている身としては……。
それでも「行かなきゃ損!」という思いだけで足を前へと動かす。そうして距離は少しずつ縮まっていくのだ。

途中のことはもはやよく覚えていないのだが、地下にある榴ヶ岡(つつじがおか)駅の入口だとか、
楽天のヘルメットの形をした自動販売機だとかは断片的に覚えている。
とにかく幅が広くって、きれいだけど閑散としている、そんな道をいっぱいいっぱいで歩いていった先、
緑に包まれた宮城野原運動公園になんとか到着。県営宮城球場の入口はすぐ近くだった。

スタジアムに来たらまず一周、である。一塁側からまわり込むと、すぐにプレイヤーズステージがお出まし。
試合後にはここで選手のインタヴューをしたりファンとふれあったりする一角である。一昔前には考えられなかった。
さらに行くとマスコットであるクラッチによる書が展示されているのであった。「大丈夫」とは、ふーむ。深いなあ。

  
L: 県営宮城球場(フルスタ宮城)の外観。こういうおもちゃっぽいのもアリでしょう。いかにも新しいチームっぽい感じ。
C: プレイヤーズステージ。脇には試合で活躍した選手の写真レポートがあった。
R: クラッチ筆による「大丈夫」。新興球団としてがんばる楽天の現状を考えるとポジティヴな言葉である。

さらに外野席の方に進んでいくと、何やら怪しげな雰囲気の場所が。「カラスの穴」と案内板が出ている。
するってぇと当然これは、非公認マスコットであるMr.カラスコの巣ということなのだろう。
試合のある日には滝や岩がセットされてカラスコが暴れるようだ。それはぜひ見たかった。残念である。
そういえば日記で書いたことないけど、Mr.カラスコは非常によくやっているキャラクターだと思うのである。
プロ野球のファンサービスにプロレス精神を持ち込み、あれこれ手広くめちゃくちゃやってくれている。
とりあえず公式ページへのリンクを張っておくので、興味のある人は見てみると楽しいでしょう(⇒こちら)。

 カラスの穴……のできる前の状態。

もっと進んでいくと、バックスクリーンの裏側の辺りで隣接する駐車場への道を発見。
そこから球場の遠景を撮ってみる。野球場ってのは大雑把なつくりで、コンクリートの味わいがそれなりに面白いが、
さすがに県営宮城球場は大改修をしまくっているだけあって、外観は新しい。以前とはまるっきり姿が変わったはずだ。
まあそういうのもアリだよなーと思いながら歩いていく。大リーグでは球場の個性が日本よりずっと強い。
いろんなタイプの球場がある方が面白いに決まっているのだ。そういうわけで県営宮城球場にはいろいろやってほしい。

  
L: 県営宮城球場・外野席のコンクリート。重そう。  C: バックスクリーンを裏側から。空模様のせいもあり、なんだか凄い景色に。
R: 通路から球場内を覗いて見るの図。日本全国野球場行脚の旅もいいなあと思う。県庁所在地より絶対楽だよな。

一周すると、もう一度正面からの姿を眺める。試合のない日の球場は概して寂しいものだが、
この球場は特にその落差が大きいような気がする。それはまあ、悪いことではないだろう。

帰りは来た道とは逆サイドの歩道を歩いて帰る。やっぱり記憶が飛びそうになる。
どうにか仙台駅までたどり着くと、バスターミナルのベンチに座って靴を脱ぎ、足を休める。
30分ほどそんな感じで過ごして、バスに乗る。これで、この東北地方南部の旅が終わろうとしている実感が湧く。

バスの座席に腰を下ろすと、頭の中に浮かんだ言葉は「もうこれで歩かなくていいんだ……」だった。
本当にそれが正直な気持ちだ。初日の新潟で足首に捻挫の痛みを感じて以来、歯を食いしばって歩いた。
何もそこまでせんでもなあ……と思うが、自分にとって、旅で訪れた知らない街を理解する最良の方法は、
結局、足の裏を使って記憶の中にすべてを刷り込んでいくことなのだ。それ以外には何もない。
見逃してしまったところはたくさんあると思う。やりようによっては、もっといろいろな場所をまわることができただろう。
でもまあ、しょうがない。自分が感じたこと考えたことを忘れないでおいて、次に訪れるときの糧とするしかない。
バスは一路、南へと進む。その間、軽く眠ったりベーグルをかじったり落語を聴いたりして過ごす。

家にたどり着いたのが23時過ぎ。軽く風呂に入って、荷物を整理して、寝る。
旅が終わってまた旅へ。自分はなんて贅沢をしているんだろう、と幸せを噛みしめるのであった。


2007.5.1 (Tue.)

朝食つきの宿で、その朝食は同じグループの別のホテルの食堂で出るというので、あくびしながら横断歩道を渡る。
それでチケットを渡したところ、出てきたのが晩飯レヴェルの品数の多さだったので、食べるのに少し苦労する。
まあこれでしっかり栄養をとってしっかり仙台を歩けばいいやね、と完食して宿に戻ると、急いでチェックアウト。
昨日のこともあるので少々焦って山形駅まで歩いていく。駅に着いて改札をくぐろうとすると、制服姿の大群にぶつかる。
平日なので、ほっぺたの赤い女子高校生たちが怒涛の勢いで改札から流れ出てくるのだった。
さてその勢いに気おされながら仙山線のホームにたどり着くと、列車はまだ来ていなかった。
おかしいなあと思って電光掲示板の時刻を見たら、僕がダイヤを勘違いしていたことに気がついた。
時刻表が読めないことで得したことは一度もない。それでもやっぱり、勉強しようという気にはならない。困ったものだ。

しばらく待っていたら列車がやってきたので、さっさと乗り込んで発車時刻を待つ。そこそこ待って、ようやく発車。
仙山線はその名のとおり、仙台駅と山形駅を結ぶ路線だ。面白いのは、仙台市と山形市は隣接しているので、
全線が山形市内と仙台市内におさまってしまっている点だ。2つの県庁所在地間だけで完結してしまうとは珍しい。
最初は北へ走っていた列車は、徐々に東に針路を変え、奥羽山脈へと接近する。そして山寺(立石寺)の渓谷に至る。
山寺は正直ちょっと行ってみたかったのだが、先を急ぎたかったのでスルーすることに。まあいずれ、機会があれば。
そのうち「面白山」という名前の一帯に入る。そんな名前になるからにはかなり面白いのだろうと思って景色を眺めるが、
結局どこも木ばっかりで、どの辺が面白いのかよくわからないまま面白山トンネルに入ってしまうのであった。
(面白山高原スキー場はこの仙山線でしか行けない「鉄道でしか行けない全国唯一のスキー場」だそうだ。面白ーい)

トンネルを抜けても人っ子ひとりいない光景が続く。完全に山の中だ。でも駅名標には「仙台市青葉区」とある。
周囲に鉄もコンクリートも何の人工物もない山の中なのに、「区」。その響きにかなりの違和感がある。
それにしてもここまで仙台市青葉区とは。青葉区広すぎである。そしてしばらく行くと作並温泉。
この辺まで来るとそこそこ人里である。愛子と書いて「あやし」と読む愛子駅を過ぎると車内の人口密度が増える。
東北福祉大学の学生がごっそり降りると、いよいよ仙台市の中心地が近づいてくる。大きくカーブして終点に到着。

仙台駅に着くとまず西口から出て、観光案内所で地図を入手。そしてコインロッカーに荷物を預ける。
デッキから青葉通を眺める。もう、規模が違う。今まで訪れた東北の都市とはレヴェルが違う。本物の都会だ。
名古屋や大阪などと変わらない、まず都会の雰囲気。この中から仙台らしさを嗅ぎとらなければならないのである。
とりあえず、そのまま西に向かって歩きだす。さっさと県庁と市役所の撮影をしてしまうことにした。

 青葉通から見た仙台駅。駅も道も建物もデカくてヤケになったのでこんな構図に。

東二番丁通は地下道を通らないと歩いて渡れなかったので、いったん地下へもぐる。
再び地上に出ると北に針路をとり、そのまま東二番丁通を北上する。建物の高さがほかの東北の街と違う。都会だ。

  
L: 東二番丁通。オフィス街という印象。仙台の歩行者はあまりこういう大通りを歩きたがらない印象がある。
C: これは定禅寺通。ケヤキの並木道になっている。「杜の都」らしい光景ってことになるのかな。
R: 中央分離帯のケヤキ並木の中はこのように歩行者が自由に歩ける通路になっている。

そういうわけで勾当台公園までやってきた。ちょうどメーデーで何やら騒いでいるものの、そんなの気にしちゃいられない。
公園の敷地越し、右に見えるは宮城県庁。手前と奥でデザインが異なるが、これは議会とオフィスという違いだろう。
そして左手に見えるのは仙台市役所。こちらはずいぶんと地味というか質素な建物だ。かなり対照的である。
宮城県庁の少し先には青葉区役所が建っている。つまりここには県・政令市・政令市の区の3つの庁舎が集中している。

まずは宮城県庁から攻めてみることに。敷地を軽く一周すると、花時計のある正面入口から堂々と入るのである。
そしたらちょうど社会見学と思われる小学生の一団が玄関先で座り込んでいた。職員からの指示を聞いている。
オレが今やっていることは小学生の社会見学とそんなに変わらないんだよなあ、と思いつつエレベーターで18階へ。
例のごとく最上階が展望ホールになっているのだ。県の資料展示室も併設されているのである。まさに社会見学。

  
L: 宮城県庁を勾当台公園(南西側)方面から撮ったところ。手前が県議会、奥が事務棟。
C: 仙台市役所側から撮影。まあ特にこれといってどうこうということはないですな。
R: 裏手にまわって撮影。右手にちょこっと写っているのは県警本部。議会・庁舎・県警の3点セットはここでも健在。

  
L: 宮城県庁入口にある花時計。これは前の庁舎のときからある。ただ庁舎がデカくなったため、スケール的に違和感あり。
C: 県庁18階から見下ろす勾当台公園。「こうとうだいこうえん」とふつうに読む。真ん中を道路が通って3分割され今に至る。
R: 18階から見る仙台の街並みは、そんなに魅力的な印象がしない感じ。曇り空と高いビルが乱立しているのと、両方の影響か。

この日の天気は曇りだったので、どうにも街並みがそんなに魅力的に映らない。
東を向いて駅の方を見ても、西を向いて東北大学の方を見ても、なんだかイマイチぱっとしないのである。
しょうがないので県の資料展示室へ。中から小学生たちの騒ぎ声が聞こえてくるが、とりあえず気にしない。
支倉常長のローマ遠征にについての資料が一番最初に展示されていて、あとはだいたいお決まりのパターン。
江戸期以降の近代化の流れに沿って、宮城県内の変容が説明されているわけである。
現在の姿になる前、取り壊されてしまった旧宮城県庁の資料があったのはちょっと興味深かった。
模型が展示されていて、そこからあれこれ想像するのだった。

 旧宮城県庁の模型。今も残る花時計とはしっくりくるバランスだったんだろう。

そんなわけで社会見学は終了。続いて仙台市役所にチャレンジしてみるのである。
この建物、遠くから見るとわりときれいに塗装されているが、デザインを見る限りはどう考えても昭和の中ごろだ。
近づいて見ると、木目を思わせるような感じでコンクリートに丁寧に緑がかった色を塗っている。
定礎には「昭和40年」とあったので納得。政令市でこの規模の建物を使い続けるのは珍しい印象を受けてしまう。
中に入ってみると、けっこう天井が低い。右手の奥が市政資料室になっていたので入ってみる。年配の人が多かった。
かつて大学院時代には都内各地の市役所でこういった資料室に入り浸ってはあれこれチェックをしたものだ。
そういう観点からすると、仙台市の資料室はまずまず充実していた印象がある。欲を言えばもう少し広さがほしいかな。

  
L: 仙台市役所を宮城県庁側から撮影。建物の上部には電光掲示板によるデジタル時計がついている。
C: 見てのとおりシンプルモダンなオフィス建築。無彩色ではなく少しペールグリーンが混ぜてあるのが特徴。
R: 裏側はこんな具合。丁寧に使っているなあ、という印象である。

  
L: 玄関の柱を接写。木目調の塗装がわかると思う。こんな感じですべてのコンクリートに化粧を施している。
C: 仙台市役所前のポストに乗っているのは伊達政宗でした。東北人はポストに物を乗っけるのが好きだな!
R: 宮城県庁の奥にある青葉区役所。なんだか宮城県庁の子分みたいな印象。

さて建築が好きな人なら、仙台に来たら必ず「せんだいメディアテーク」を見に行くんじゃないかと思う。
今をときめく建築家・伊東豊雄の最大の出世作だ。このコンペで勝ったから今の伊東豊雄があるのではないか。
まあ、それだけのインパクトを残した建物なのだ。場所は勾当台公園からまっすぐ西、
定禅寺通を1ブロックとちょっと行ったところにある。さっそく移動してみる。

  
L: せんだいメディアテーク。ガラスを大胆に使った公共建築は大きなインパクトを与えたそうな。
C: 中央分離帯のケヤキ並木が建物の全体像をつかみづらくしている。とりあえず距離をとって真正面から撮影してみた。
R: 角度を変えて撮影。曇り空をガラスが反射し、ケヤキがジャマして、もう何がなんだかわからない。

せんだいメディアテークは、曇り空のせいもあってかガラスのファサードが完全にケヤキ並木と同化していた。
定禅寺通の道幅は広いのだが、とにかくケヤキが建物を隠してしまって全貌をうまく眺めることができない。
まあそれも当然狙ったものだろうから、気にせずテキトーにシャッターを切ると、中に入ってみることにした。

 入口は奥の方なのだが、こうして見るとどこなのか全然わからないのね。

  
L: 1階はオープンスクエアってことで、何か美術作品が展示されていた。右端ではカフェが営業している。
C: エスカレーターを上がった中2階部分からエントランスを眺める。赤いランドルト環(視力検査のアレ)みたいな受付。
R: 2階はインフォメーションスペース。施設利用申し込みのほか、雑誌や新聞、インターネットの閲覧ができるスペース。

そもそも「メディアテーク」って何よ!?という疑問が浮かぶのがふつうだと思う。パンフレットの説明によると、
「smt(せんだいメディアテークのこと)は、美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人が、
さまざまなメディアを使いこなし、メディアを通して自由に情報のやりとりができるようお手伝いする公共施設」だそうだ。
せんだいメディアテークは2001年の開館だが、コンペの開催は1995年のことなので、さすがの先見性である。
どの程度の効果をあげているかはわからないが、人はかなり多く訪れていたので評判はいいのだろう。
ちなみに3階と4階は仙台市民図書館。この日は残念ながら休館日で、このフロアだけは入れなかった。
訪れた人がどんな様子で図書館を利用するのか、ぜひ見たかったので悔しかった。

せんだいメディアテークの5階と6階はギャラリーとなっている。この日、6階はまさに伊東豊雄展の期間中。
学生証を提示して、学生料金で中に入る。おねえさんに「遠くからありがとうございます」って言われちゃったナリよ。
「伊東豊雄 建築|新しいリアル」と題されたこの企画では、このせんだいメディアテークにはじまり、
サーペンタイン・ギャラリー、MIKIMOTO Ginza 2ビル、多摩美術大学新図書館、TOD'S表参道ビル、
杉並区立杉並芸術会館(あの高円寺会館の跡地)、そして最新プロジェクトの台中メトロポリタン・オペラハウスまで、
スケッチ・現場写真・模型などを展示して、どういった発想からスタートして実際のカタチができあがったのかを示している。
周りの人々を見ると、建築を専門にしている感じの学生が多い。メモを片手にあれこれチェックしていたりなんかして。
そんな中で英文学専攻の学生ということになっている僕は、気楽にあれこれ見てまわるのであった。

この企画ではメディアテーク以降の伊東の仕事がけっこう細部まで公開されていて、発想の回路がわかって面白かった。
彼の特徴は、まず基本となるカタチ(図形などの形状)を決めて、そこからアイデアを出していくこと。
サーペンタイン・ギャラリーではランダムに引いた直線を重ねることで無数の三角形をつくりだしていたが、
TOD'S表参道ビルではケヤキの枝にヒントを得て、構造体を利用してその形状を再現し、土地の文脈に配慮を見せた。
MIKIMOTO Ginza 2ビルになると建物に有機的な穴を開けるスタイルに至る(まつもと市民芸術館もそう →2007.1.2)。
その後、台中メトロポリタン・オペラハウスを見るに、曲線のミニマルな形を反復させる手法へと興味が移っていったようだ。
建物をつくる際にどこから手をつけていくかは重要な問題である。繰り返すが伊東の場合、「カタチ」から入る。
基本になるカタチを決め、それを構造体で再現することでファサードによけいなジャマが入らないようにする。
なるほど、気持ちはよくわかる。画一的でない有機的な形態を純粋に展開することで作品をつくる。
それは一種の彫刻と言えそうだ。そういう意味で、伊東の発想は完全にアーティストの発想である。

ここに、建築をめぐる永遠のテーマが垣間見える。「建築とは誰のものか?」という問いだ。
クライアントが個人(企業)の場合は、建築家を選ぶ時点で「作品」としての建物への期待が込められる。
また建築家はクライアントの要望に答えればそれでまったく問題ない。その関係性はいたってシンプルである。
(建築はクライアントのものである。そしてあくまで建築家はクライアントの指示に従う専門職の家臣なのだ。)
しかしクライアントが見えない相手の場合、具体的には僕が主に見つめる対象である公共建築の場合、
この関係性は非常に複雑なものとなる。公共建築は市民のもの、であるはずなのだが、さて本当にそうなっている?
建築の質をまったく問わなければ、入札で設計者が決められる。地方自治法でそう定められているからだ。
しかし質を問う建築の場合には、コンペやプロポーザルを開催するなどしてアイデアを審査することになる。
僕は卒論で、その設計者を決めるプロセスがいかに公共性を保証した制度を目指しているかを見たのだが、
現状を見るに、なかなか理想どおりとはいかないものである。民主主義とは曖昧で面倒くさいものなのだ。

プロである建築家の出したアイデアが、クライアントである素人の住民たちを十分に満足させることができるかどうか。
そこに公共建築の難しさ、そして面白さがある。特に伊東のような芸術家的なアプローチをとる場合、
そのアイデアが、その地域にその建築が建つ必然性を感じさせるかどうか、という点で難しさが伴うと思うのだ。
(以前に僕が聞き取りをした東工大の巨匠は、「プロの建築家が素人に劣ることは絶対にない」と力強く言い切った。
 でもたとえば東工大百年記念館みたいな建物を見ると「どうずら」と思うわけで。僕は住民参加の研究室にいたし。)
アーティスティックにファサードの形状を決めていく伊東の建築を見ると、空間を操作する権力とその空間を利用する生活、
その両者にあるギャップというものを僕は考えずにはいられないのだ。これはもう習性としか言いようがない。
注意してほしいのは、単純に伊東の建築を批判しているわけじゃないということ。
TOD'S表参道ビルなんか、発想の経緯になるほど!と思わされるけど、まつもと市民芸術館にはそれがない。
でも実際に訪れたせんだいメディアテークは、面白くって仕方のない建物だ。
伊東の芸術的な発想が、うまく土地の文脈や公共性という曖昧な概念とどれだけうまく噛み合っているか、
そういう尺度から評価を考える必要があるということであり、つまりカタチから入る伊東の建築は、
個人や企業が相手ならともかく、公共建築としてはどうしても賛否両論になるよな、ということなのである。
そして、作品の完成度や利便性で住民を黙らせるってことが本当の建築家ってことなんだろうな、と思うのである。
それがどれだけできているのかは現地に行ってみないとわからない。また実際に使ってみないとわからない。
まあ少なくとも、せんだいメディアテークに関してはコンペ当選後にものすごく細かい点まで協議が行われたようで、
素人目なんだけど、そういう努力がしっかり実を結んだものができあがっているという印象を受けた。

そんな具合にちょっとマジメに考えさせられる内容だった。細部まで見せてくれて、非常に充実していたと思う。
最後には頭頂部のところに協賛企業のロゴマークを描いたヘルメットをずらっと壁面に並べて展示。
その見せ方がかわいらしく、かつ建築をつくっているのは現場という基本をしっかり認識していることを示していて、
ものすごく好感が持てるやり方だった。お見事でした。

せんだいメディアテークを後にすると、西公園まで出る。それから右折して国道45号を行く。次の目的地は東北大学だ。
広瀬側に架かる中の瀬橋はほとんど車のための橋という印象で、歩行者にしてみればずいぶん大雑把な鉄の橋。
東北大生と思われる学生が自転車でちらちら走っていく。確かに徒歩でここまで来るのは大変だ。

 広瀬川。

橋を渡り終えると坂道。ここからは青葉城址まで山になっている感じ。
坂道を上っていった先にあったのは、宮城県美術館。いつもならこの手の施設はスルーするところだが、今日は違う。
駅の観光案内所でチラシを見つけたのだが、ちょうど山脇(大村)百合子の原画展をやっているというのだ。
『ぐりとぐら』『いやいやえん』『かえるのエルタ』『そらいろのたね』『らいおんみどり』で知られる絵本作家(画家)である。
小さい頃からさんざんお世話になっているわけで、見ないわけにはいかないのである。これまた学生料金で中に入る。

原画展の客層は見事に30代以上の女性ばかりで、20代男性お一人様というのは非常にイレギュラーな存在。
『いやいやえん』からスタートし、年代順に原画が展示されている。懐かしい絵が並んでいて思わずうなってしまう。
動物も鳥もあるいは虫も、そこでは人間と同じようにふるまう。小学校入学前の子どもにのみ許される世界だ。
キャラクターの着ている服は縞模様か格子模様。原色の水彩で丁寧に引かれた線が独特な印象を残す。
シンプルな中に観察眼が生きていて、人間くさくてかわいい動物というバランスが絶妙だ。
それでいて過剰な商業ベースに乗っかることなく何十年も変わらずに子どもたちの面倒を見ているわけで、
そういう「変わらなさ」というか「いつまで経っても汚れず、古びず」という感触を覚えさせられるのが凄い。
最後には例のごとくグッズを売っているのだが、あまりに商業ベースに乗っていないためか、品数がきわめて少ない。
「やまのこぐ」ちゃん(小さいバケツを持っているクマの子どもね)のピンバッジを買おうか迷ったが、買わなかった。
ピンバッジはつける場所がないから困る。携帯ストラップやキーホルダーを売っていれば大人買いしたのに……。

常設展もセット価格で含まれていたので、ちらっと早足で見てみる。
宮城県美術館の常設展は、厳しい言い方をすると、イマイチ。どうにもあまりパンチがないラインナップ。
カンディンスキーの作品を3点ほど置いてあって、それで体面を保っている、というのは厳しすぎるだろうか。
なんとなく、カンディンスキーがあるからいいじゃん、みたいな雰囲気を感じてしまったのだが。

絵本にどっぷり浸かって育ったせいか、絵本のキャラにはめちゃくちゃ弱いよなあ、と思いつつ南に針路変更。
グラウンドや緑ばかりの避暑地のような一角を歩いていていくと、今度は西へ。坂をグイグイ上っていく。
途中でいかにも大学っぽい入口を発見。東北大学のキャンパスの裏口のようだが、迷わずそこから中へと潜入する。
果たしてそこはテニスコートと生協の裏手という、いかにも大学らしい雑然とした空間なのであった。
生協の正面にまわって中へ。まだまだお昼どきで少々混雑している中、食堂で昼メシをいただくことにする。
とにかく学生の数が多い。ゴールデンウィークなんだしどっか出かけりゃいいのにと思うが、彼らにそんな感覚はないのだろう。
僕も学生のふりをしてカフェテリアでおかず・ご飯・味噌汁などを注文。学生のふりして席について食べる。
周りを観察してみる。以前よりも現役の学生たちが幼く見える気がする。これは単純に僕が歳をくっただけだろう。
いま目の前にいる連中と大して変わらなかった自分と、それを距離をおいて眺めている自分とを比較しつつ食べる。
もはや歳をとることを悲観してもしょうがない年齢になっているので、ネガティヴな気分になることはない。
むしろこいつらからどう若さの一般性を抽出してやろうか、それを吸収してやろうか、という視点になっている。

食べ終わると生協から出て、キャンパスを軽く歩きまわってみる。
東北大学は、仙台市内に数ヶ所のキャンパスを持っている。農学部や医学部、あと大学院などは別の場所にあり、
ここ川内(「かわうち」と読む。仙台だからといって鹿児島の川内(せんだい)のような読みをすることはない)キャンパスは、
学部生たちが集まっている場所である。つまりイキのいい若者をぎゅっと集めて濃縮した空間なのである。
もともとは片平キャンパスに一極集中していたらしいのだが、今は若い連中はこの山の中に隔離されているのだ。
そのせいなのかどうなのか知らないが、まあとにかく、半端じゃない雑然さ。本当に落ち着かない。
今までいろんな大学の中に侵入してみたが、ここほど無秩序というかガサついているというか、
整理整頓という言葉が遠いキャンパスはないんじゃないか。散らかった部屋のようなキャンパスなのである。

  
L: 東北大学・川内キャンパス(北)正門。いきなり自転車とバイクで出入りするのに一苦労。
C: キャンパスの内部は古くなったアスファルトがやや目立つ感じ。雑然とした印象を強めている。
R: 生協の脇にある駐車場・駐輪場。山の中なのでやはりバイクが目立つ。

川内キャンパスの北側を離れ、南側の方にも行ってみる。しかしこちらも「ほったらかし」感が満載。
地面のアスファルトやコンクリートはひび割れ放題で雑草生えまくり、建物もけっこうな汚れ具合でたまげた。
これでいいのか旧帝大、と思いながら東北大学を後にする。

 川内キャンパス南側。森の中に大雑把に建物と道をつくったって感じが漂う。

さて東北大学からしばらく南へと歩いていく。仙台城隅櫓が現在も残っていて、これが目印。
ほとんど山道じゃん、と言いたくなるような坂を上っていく。道幅はさすがに広いが、木曽あたりの道と印象は変わらない。
下の写真を見てもらえばわかるが、車道はきれいに舗装されているものの、歩道はむき出しの土なのだ。
だからところどころ砂利だったり木の根が露出していたりという超デコボコな大地を踏みしめて坂を上るのである。
まあそれほど距離があるわけではないのが救いなのだが、もうちょいなんとかならんか、と思った。

  
L: 青葉城址へと向かう道。車道は快適そうだが、歩いていくととっても山道チックな感覚を味わえることうけあい。
C: まっすぐ正面、青葉城入口に停車しているバスが見える。こんなふうにうねった坂道をひたすら行くのである。
R: 青葉城址のてっぺんにあるのは宮城県護国神社。あと、青葉城資料展示館もある。有料なので入らなかった。

というわけで、登山気分でそのまま青葉城址に入る。中にあるのは伊達政宗像と神社と資料館と土産物屋で、
がんばって登ってきたわりにはそんなに大したことねーなあ、と思ってしまうのであった。天気がイマイチだったせいかも。
とりあえず、仙台の街を見下ろしてみる。宮城県庁とは比べ物にならない豪快な眺めなのだが、
市街地からけっこう離れているのとうっすら曇ってしまっているのとで感動がやや薄い。
仙台といえば観光案内のパンフレットに伊達政宗像の写真が載っているようなイメージがあるわけで、
近寄って実物を眺めてみる。うむ、なるほど、高い。まあ、正直そんな感じ。

  
L: 青葉城址より眺める仙台の街並み。天気が良ければ緑が鮮やかだったのかもしれないけど……。惜しい。
C: 青葉城址はこんな感じになっている。右にあるのは伊達政宗像。広々としている反面、やや寂しい気も。
R: おなじみの伊達政宗像。けっこうな高さなので顔つきがあまりよくわからないのが残念。

どうにもいかん、なんだか今のオレは何を見ても感動できない子になっているぞ、と急遽反省。
それで土産物屋の中に入る。奥のほうに木製の仙台四郎像が並べられていた。これはちょっと感動。
(仙台四郎……明治期に実在した人物で、商売繁盛の福の神として現在も人気がある。
 腕組みしてニコニコ笑っている写真が一枚だけ残っており、それを店に飾っておくのだ。南伸坊がコスプレしたことも。)

店の中をひととおり眺めると、隣の土産物屋で「ずんだシェイク」なるものをいただく。
これはファストフードなどで売っているシェイクに、ずんだを混ぜたものなのだ。
ずんだとは枝豆をすりつぶしたもので、餅に混ぜて「ずんだ餅」とすることが多いらしい。東北では圧倒的な人気を誇る。
(仙台に限らず、東北地方のコンビニでは「ずんだクリーム」のコッペパンを売っていた。
 小倉マーガリンやイチゴジャムと並んで黄緑色のずんだクリームのパンが普及しているのがすごく印象的だった。)
屋外のテーブルで仙台市の地図を眺めつついただく。枝豆の風味がものすごくヘルシー。
なるほどこりゃ面白いなあ、と感心しながらおいしく飲み干すのであった。

青葉城址は有名な観光名所のわりにはまったく賑やかではなかったのが意外だった。
まあなんでもかんでも人がワイワイ集まっていればいいというものでないのは確かではあるが。
この周辺は江戸期には今とはまったく違った姿だったはずだ。それを想像する手がかりがないのがちょっとさみしい。
街はずれの緑の中に埋もれながら、仙台らしさとはなんぞや、などと考えてみたりみなかったり。

山から下りてきて再度広瀬川を渡っているとき、小さな雨粒が頬に当たる感触がした。
アチャーと思いつつ、歩くスピードを少し速める。仙台高裁の脇を抜けて今度は東北大学の片平キャンパスへ。
やっぱり学生のふりをして中をうろつきまわってみる。こちらは川内とは対照的に、ものすごく落ち着いている。
広い道の脇にはきれいな芝生がつくられているが、ほとんど人がいない。たまに年齢層が高めな学生がいるくらい。
生協前で一服すると、雨がポツポツと降りだした。雨宿りを兼ねて東北大学資料館の中をちらっと見てみる。
内容は旧制二高なども含めた東北大学の歴史を振り返るもの。各時期のトピックに写真に高名な学者の紹介。
応援団の歴史ある高下駄が展示されていたのが変に印象的だった。
川内キャンパスなんかを見れば象徴的だと思うんだけど、東北大学はちょっと独特な大学って気がする。
というのは、施設などのハードよりも、学校という組織それ自体を特に誇りにしている印象を受けたからだ。
大学のイメージを喚起する時計台みたいな建物はつくらない。立地にだって特にこだわりがあるわけではない。
しかし歴史ある街の歴史ある大学として、仙台という街への誇りと融合しながら今も生きている。
つまり東北大学は、仙台の中にあればいい。そうしてこの街の中で学生を自由に育てていけばいい。
そういう気風を持った大学だと感じた。東北大学や仙台を誇るそのプライドがあればオーケー、そんな感じ。

 
L: 東北大学片平キャンパス正門。川内キャンパスとは何もかもが正反対なのであった。
R: 片平キャンパス内の様子。芝生の中にはかつて留学していた魯迅の銅像が置いてあった。

雨はいよいよ本格的になってきていて、ポケットから折りたたみ傘を取り出して再び街へ。
僕は地方都市の地下鉄には乗らずにはいられない変な性癖があるので、五橋駅から仙台駅まで1区間だけ乗る。
仙台市営地下鉄は南北線の1路線しかない。観光客は基本的に東西方向に動くので、おそろしく不便である。
さすがに東西線をつくるべく、いま必死で地下を掘っているようだ。でも完成はけっこう先のこと。

仙台駅に着くと、そこから地下通路経由で東口に出てみる。道は広いが意外と小ぢんまりしている。
ヨドバシカメラも2階建てで、東京や横浜、大阪ほどの規模ではない。ちょこちょこと歩きまわると、西口へ戻る。

コインロッカーからBONANZAを取り出すと、青葉通をまっすぐ進んで今夜の宿へ。
ネットで安い値段のところにしたのでまったく期待していなかったのだが、いざ現地に着いてみると、
あまりにきちんとしたホテルだったのでびっくり。何かが間違っているんじゃないかと不安になりつつフロントへ。
しかし何の問題もなく部屋のキーをもらう。部屋に入るとさっき駅の地下で買ったベーグルをかじりつつ一休み。

夕飯どきになったので街に出る。ここで初めて仙台のアーケード街を歩く。
仙台の歩行者の皆さんは青葉通や広瀬通を歩きたがらず、そのちょうど真ん中にあるアーケードを歩くように思う。
ほかの東北の街とは比べ物にならない人波をかき分けて、晩飯の食える店を探し歩く。
やはり仙台、牛タンの店がけっこう目立っている。しかしそういう場所にひとりで入るのはかなり気がひける。
さんざんさまよい歩いた末に、客がひとりも入っていなかったハンバーグ自慢の店に入る。
いちばんオーソドクスと思われるメニューを注文。ハンバーグはしっかり手づくりで旨かったので、
観光客は仙台だからって牛タンばっか食っとっちゃいかんがな、と思いつつ店を出るのであった。

宿に戻るとネットをつないで自分のHPの掲示板をチェック。草津旅行計画の詳細をようやく知る。
明日でこの東北南半分旅行も終わるわけだが、引き続きみやもり生誕30周年記念祭なのである。
旅はまだまだ終わらない。


diary 2007.4.

diary 2007

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