diary 2007.10.

diary 2007.11.


2007.10.31 (Wed.)

建築関係の本を担当することになった。といっても、かなり実務的な内容のもの。
ゲラの見本が組みあがったので、編者グループに見せてチェックしてもらう会議に参加する。

企画担当の方から「建築の先生はとにかくデザインにうるさい」という話を聞いていた。
それで、僕がゼロからつくったページデザインが全面ボツになる覚悟を固めて、会議に臨む。
しかし先生方の興味・関心は非常に細かい点にばかりいってしまい、今回考えるべき大枠のことには踏み込まない。
言葉は悪いが、優先順位をつけるセンスが決定的に欠けていて、ものをつくる順序が理解できていないように見えた。
取り組むべき根本的な問題を素通りして、後で調整すれば済むことや言葉の定義ばかりを指摘する。正直呆れた。
この先生方は、ものをつくってきたつもりかもしれないが、それはできていくのをただ眺めていただけじゃないのか、と。
確かに本をつくるのと建築をつくるのはまったく別のプロセスを経るわけで、本づくりに慣れていないという面はあるだろう。
しかし、そういうジャンルの壁を飛び越えて理解してしまうようなセンス・カンの良さが先生方からはまったく感じられず、
なんともいえない気分になる(ここをなんとも言っちゃったら問題になりそうなので、あえて書かないでおくってことだ)。

人のふり見てわがふり直せ。考えているつもりでも実際には何も考えていない、そうならないように気をつけるのみである。


2007.10.30 (Tue.)

ついこないだテストが終わったばかりなのだが、もうリポートの提出期限が迫っている。
下関合宿の件もあり、早め早めに対応する必要があって、それで一気にリポートを書きあげる。
しかしまだもう一丁仕上げなくちゃいけないので、正念場は明日も続くのである。

なんでかわからないのだが、通信教育のテストは4月、6月、10月、12月と、偏っている。
均等に3ヶ月ごとならけっこう楽になるのだが、準備期間が2ヶ月しかないときと4ヶ月あるときがあって、
今シーズンはその短い方なので、正直言っててんやわんやである。
受験予定の3科目のうち教職2科目については、すでに10日間でテキストを両方とも読み終えている。
ホントにもうハイペース。前回のテストが終わって半月後に次のリポート2つ書くって、どんだけハードなんだ。
そして残りの教科1科目がかなり手のかかりそうな内容なのである。早いとこ、こいつもリポートにとりかかりたい。
もちろん今は毎日朝昼、メシを食いつつ英文チェックの日々なのである。いつまで続くことになるやら。
ただ、これが終われば教員免許に関係する正規の単位はほぼクリアという状態になるので、
それだけを心の支えにしてがんばっておるのである。

週末の下関がご褒美になるまであと一息。気合入れて男らしいとこ見せたらんとな!


2007.10.29 (Mon.)

うーん、漠然とした形でしか書けないのだが、仕事において非常にモチベーションの下がる事態が発生した。
それで職場の雰囲気がいつもとちょっと違っていて、ニンともカンともな気分である。
僕としては今やっていることに対して確信を持ったというか、これでブレようがなくなったな、というところ。
それ以上でも以下でもない。与えられた仕事を着実にこなし、勉強を進めて、日記を書いて。それだけ。
なんと言えばいいものか、これからは今まで以上に自分を信じてやっていく、ということが要求されそうだ。
この状況を、おもしれーじゃねーか、やってやろーじゃん、と思うことにする。


2007.10.28 (Sun.)

台風一過で天気がとんでもなく良かったので、フラフラと自転車をこぎに出る。
いいかげん、都心方面には飽きていたので、適度な距離ということで川崎に行ってみることにした。
そういえば県庁所在地ひとり合宿のついでに政令指定都市の市役所も撮影しているわけで、
じゃあ川崎の市役所も撮るかなーなんて思ってデジカメを持って出発。雲ひとつない快晴。
iPod shuffleで音楽を聴きつつプラプラと第一京浜に出る。
いつもなら第一京浜はあんまり好きじゃない道なのだが、天気がいいと走りたくなる。
惚れ惚れするほどの秋晴れの中、多摩川を渡って川崎市内に入る。

川崎市役所に到着。いつ来てもこの辺は落ち着かない。
自転車でちょうどいい距離なので川崎にはちょこちょこ来るのだが、きちんと市役所を見るのはこれが初めて。
いちばん古い真っ白な本庁舎をしっかり残して、すぐ近くに分庁舎をつくっている。
3つの建物を眺めているうちに、なんだかゲッターロボみたいだなあ、なんて思えてきた。

  
L: 1号!  C: 2号!  R: 3号!

本庁舎は1938年の竣工。装飾を排除した矩形でありつつ威厳を出そうとしている建物だ。
小道を挟んだ本庁舎の隣には第二庁舎。議会はこちらに入っていて、実に質素である。
そして市役所通りの向かい側には高層の第三庁舎。それぞれに個性的で、それもまた面白いものだ。

さて昼メシをテキトーに済ませると、DICEのハンズにでも行こうかと思い、アーケード商店街の銀柳街へ。
ところがとんでもない人ごみで、とても自転車を押して突っ切れる状態じゃない。
なんじゃこりゃと思って頭をフル回転させて考えていると、コンビニの店先にカボチャのイラストが貼ってあった。
ああ、ハロウィンだ、と思い当たる。川崎はハロウィンのイベントを毎年開催していて、仮装行列が人気だ。
僕はそんなことちっとも知らないで来て、偶然それに出くわしたわけだ。運がいい。
とりあえず迂回してDICEへ。ハンズをブラついて本屋で本を買った。
学研の新・歴史群像シリーズ「真田三代」。完全に衝動買いである。

その後、カフェで日記でも書くかと思って移動。いいかげん四国日記を仕上げないといけない。
そしたらハロウィンの仮装行列に遭遇。デジカメ持ってきてよかったなーと思って撮影。

 
L: 非常に楽しげな百鬼夜行。  R: ドラムンベースの効いた音楽に合わせてゾロゾロ歩く(踊らない)。

ライトな恰好の人からとんでもなくクオリティの高いメイクを施した人までさまざま。
(夜にNHKのニュースを見たら、『ロックマン2』のエアーマンまでいた。実物見たかったなあ。)
参加者の行列は複数の連ができていて、しかもそれが予想していたよりもずっと長い。
基本的にはヴィジュアル系バンドのコスプレをするファン層と雰囲気が似ているかなあと思うのだが、
仮装するテーマはなんでもありなので面白いものも混じっていて、確かに見ているだけでも楽しい。
チネチッタが音頭をとっているようで、今年で11年目だとか。盛り上がるのにうまい素材を見つけたなあ、と感心しきり。
祭りってのは本当に多様なものだなあ、と思いつつ帰宅。日記はあんまり進まず。


2007.10.27 (Sat.)

台風で一日中雨なのだ。やっぱり、借りてきていたDVDを見る。
ヴィットリオ=デ=シーカ監督『自転車泥棒』。イタリア映画のネオレアリズモの代表作。

結論。さすがにリアリティのある展開。終戦直後に混乱するイタリアの様子がものすごく克明に描かれる。
本当にドキュメンタリー映画のように、できごとが淡々と展開していく。まるでその場にいるみたいだ。
だけどその分、フラストレーションはたまる一方。安易な娯楽に慣れきってしまっているせいかもしれないが、
リアルなだけに伏線も特にないし劇的な場面も特にないので、そういう社会的な背景しか楽しめなくなってくる。
結局どうなのよ、自転車はどうなるのよ、みたいに結論を急ぐ僕には向かない内容なのであった。

映画史に詳しい人なら、ネオレアリズモが生まれなければならなかった理由を知っていて、
そのうえでこの作品の意義を理解することができるんだろう。まあ、その方がフェアな態度だと思う。
でも僕としては、「この作品で描きたかったもの」<「この作品をつくる手法」という印象を勝手に受けてしまって、
リアルさを守るがゆえに、描かれた対象を遠く見つめるその視線に違和感をおぼえてしまうのだった。
世の中にはさまざまな価値観があるわけで、それをきちんと客観的に受け止められる方が偉いと思うので、
きちんとこの映画を理解できるように勉強するのがいちばん賢いだろうな、と反省はしました、ハイ。


2007.10.26 (Fri.)

有名なので見るのだ。『スタンド・バイ・ミー』。

つまんねえ。これはつまんねえ。
スティーヴン=キング原作なので『ショーシャンクの空に』(→2007.4.25)と無意識に比べてしまうが、これはえらい違いだ。
言いたいことはわかるし、そのこと自体には同意できると言えばできる。でもそのテーマに対してこのストーリーはヘボい。

どこが受け入れられなかったかといえば、主人公の視点のみで勝手に話を終わらせている点だ。
映画は主人公が弁護士・クリス=チェンバースがレストランで刺殺されたという新聞記事を目にするところから始まる。
そして回想場面に入り、12歳のとき、クリスを含む4人のグループで死体探しの冒険に出た過去を振り返る。
そこには家族、社会階層、親の愛情が受けられない子どもといったさまざまな問題が織り込まれているが、どれも安易。
こんな環境で育っています、こういうことがありました。そして冒険に出て、僕らは成長しました。それでおしまい。
本当に大切なのは、成長した子どもがどう問題を克服したか(あるいはそれに呑まれてしまったか)である。
そこを描かずにクリスは勉強して弁護士になった、そして死んだ、って、そんな乱暴なまとめ方はありえない。
文学的な才能を生かして暮らす主人公が、過去にこんなことがありました、それはこういう体験でした、
そしてその過去にありがとうと言いたいです、と勝手に総括しておしまい。その姿勢に友情を感じられるはずがない。
本当に描かれるべきものを一人称で無視している。一人称の悪い面をさんざん見せつけられて、正直腹が立った。

そんな中での見どころは、賢いけれど家庭環境が悪くて認めてもらえず悩むクリス役のリヴァー=フェニックス、
あと悪役で迫力ある演技を見せるキーファー=サザーランド。『24』のジャック=バウアーがこんな役をやっていたとは。

世間が許してもオレが許さん!ってくらいつまんなかった。子役は上手いのになあ。


2007.10.25 (Thu.)

押井守が原作・脚本『人狼 JIN-ROH』。アニメは気楽に見られるので借りた。

舞台は高度経済成長期に入った東京、なのだが、パラレルワールドになっている。
その描写はどことなく、革命により民主化した直後の東欧を思わせる。強調される路面電車のせいかもしれない。
話は反政府勢力のゲリラが暗躍する状況を打開すべく設立された首都圏治安警察機構の隊員・伏(ふせ)が、
ゲリラ逮捕の際に発砲を躊躇したことで再訓練を受ける、というところから始まる。
その中で組織の一員として冷徹に生きることと人間らしいあたたかみのある日常との対比が提示され、
伏がどのように動くのかを描くことで、押井の考えていることが見えてくる、という感じ。

正直な感想としては、運動神経のよくない軍事おたくによる頭脳戦の描写がいっぱい、な作品。
『パトレイバー』(→2007.6.22)や『攻殻機動隊』(→2005.8.19)などで描かれる押井お得意の諜報戦が展開される。
そういう精神面・肉体面ともに優れた能力が最も厳しく要求される環境を舞台として設定し、
そこで人間性がいかに判断力を鈍らせるか、言い換えれば動物のように研ぎ澄まされた存在とは、というのを提示する。
でもそれはもう大方の人にはわかっていることだと思うわけで、それをマニアックに示されてもなあ、という気分。

そして相変わらず、セリフのクオリティが低い(僕にとってはこういう表現になる)。
今回は赤ずきんの童話を引用して効果を狙っているが、もう本当にうざったい。
キャラクターに自分自身の言葉をしゃべらせてこその人物造形だろ、と思っているわけで、
いいかげんこの押井の手法にはウンザリさせられる。登場人物がみんな押井の分身に見えてくる。他者がいない。
しかもテンポが悪い。シンプルな言葉でまとめられるものをムダに引っぱって、勢いを殺いでいる。
都市の描写でなんとか多少は中和しているけど、全体を通して退屈だった。

厳しい表現で申し訳ないんだけど、もう押井守に面白いものはつくれないだろうな、という感触がした。
テーマに対する嗅覚の鋭さは認めるにしても、その提示の仕方が本当にひどくて、損をしている。
『パトレイバー』や『攻殻機動隊』など、すでにキャラクターが別の人間の手で確立されている場合にはいいけど、
そうでない場合、あるいはキャラクターの扱いに自分の方法論で慣れてしまった場合に、急激につまらなくなってしまう。
現時点で最新作の『イノセンス』(→2005.9.27)でその点がまったく改善されていなかったので、もうこりゃダメかなあと。
たとえばキレているマンガではキャラクターが作者の想像しない方向に勝手に歩き出しちゃうことがままあるわけで、
そういう要素を取り入れていかない限りは、今後押井作品はハズレを量産することになるんじゃないかなって思うのである。


2007.10.24 (Wed.)

久しぶりにDVDを借りてきたので見るのだ。『パプリカ』。
この作品、『時をかける少女』(→2006.8.7)を映画館で見たときに予告かなんかがあって、その内容に驚愕した。
というのも、僕がここ3年ばかちまちまと考えていたことの8割くらいをやられちゃったんじゃないか、と思ったから。
そういうわけで、これは是が非でも見なくちゃいかん、と思ったわけである。アニメ映画。

原作は筒井康隆。他人と夢を共有できる機器を悪用されてさあ大変、という話。
で、えらく前に見た『パーフェクトブルー』に雰囲気似てるなあと思ったら監督いっしょ。知らずに借りていた。

夢をきちんと映像化している点にまずなるほど、と思わされた。まあ人それぞれだと思うので細かい点はいいとして、
脈絡のある夢も急に脈絡のなくなる一瞬があるわけで、その辺のリアリティが「なるほど」だった。
とはいえ夢の完全な再現にこだわったら話が進まなくなる。そこの調整のバランスが適度、という印象。
この手の作品では現実に夢が入り込んだり、現実だか夢だかわかんなくって混乱したり、というのが定石。
ラストでの解決が僕には根拠がよくわからなかったんだけど、まあいいんじゃないすかね、って程度に整理してあった。
それぞれのキャラクターの抱えているものをしっかり描いておいたことで、ややこしい点をうまく排除している。
欲を言えばキリがないけど、十分一定の「うん、だいたいわかりました」が得られる内容だったと思う。
なんだか抽象的な記述になってしまっているが、要するに、制作サイドのがんばりが伝わったってことだ。

この作品が「や、面白かったよ」と思えるのは、粉川刑事という外部の人間をうまく入れたことにあると思う。
研究所の人間だけで話を進めると、ものすごく閉鎖された舞台にものすごく閉鎖された世界(夢)の話となるわけだが、
それとはまったく別の要素を織り込むことで、多角的な方面から解決へのヒントが提示されることになり、
ああこの物語の舞台はなかなか魅力的だった、と感じることができるのである。
そういうわけで、なかなかいい勉強させてもらいました、という作品。欲を言えばキリがないんだけどね。


2007.10.23 (Tue.)

えー、30歳になったということで、現時点で考えていることや物の見方なんてのを、テキトーに書いてみる。

【回想その1】
小さい頃には自分が30歳になるとは思っていなかった。想像できたのはせいぜい大学生になるまで、
つまり僕は20歳以後の自分というものを一切考えないままでいたのである。将来の夢というものもなかった。
そして20歳になったとき、当然ながらこれからどうするのかということを考えることができず、
欲望のおもむくがままに大学院に進学し、コケて、キレて、就職活動して、今に至る。
したがってこの30歳になった自分に対して「こんなはずじゃなかった」と思うことがあんまりない。
「なるようになっとるなー悪運つえーアハハ」ぐらいの感覚というのが正直なところである。
でもさすがに、ここまで華のない生活を送っているというのは予想外といえば予想外だった。ムリもないんだけど。

【回想その2】
振り返ってみて、僕にはひとつの決定的なターニングポイントがあった。大学院の研究室をドロップアウトしたことだ。
大学から大学院に進学する際には、まあ先方が好意的に僕のことを見てくれたおかげで苦労は少なかったのだが、
その大学院の研究室で過ごして、論文が書けなくって、修了を半年延ばすことになった。
半年延ばして書いた論文は、正直なことをぶっちゃけてしまうとまったく納得のいくものではなく、
どうにかしてリヴェンジしてやろう、と最初のうちは考えていた。つまり、博士課程を視野に入れていた。
でも同じ研究室に在籍する意思はまったくなかった。別のところに拾ってもらうつもりでいた。で、どこも拾ってくれなかった。
それでも、僕のいた研究室では正規の学生でも研究員でもない僕に机を与えてくれていた。大変ありがたいことだった。
だからゼミには必ず参加した。当時は先生をはじめ、研究室のメンバーのうち半分くらいが留学でいなかったこともあり、
修士・マツシマとしてできる限りのアドバイスを後輩たちにしよう、とかなり意欲的に過ごしていた(はずである)。
しかし先生が帰国するその直前、僕は突如として研究室からドロップアウトをかましたのである。
理由はただひとつ、「オレはこのまま研究室の中で過ごして30歳になるわけにはいかない」、そう思っちゃったからである。
誰がそうだ、というわけではないが、やはり社会人にならないで研究室の中だけで過ごしていると、
どうしても悪い意味での子どもっぽさが抜けなくなる。塾講師をやって、いろんな人に触れて、そのことを客観的に悟った。
「もしオレがこのまま研究室しか知らないで過ごしたら、オレはどんな人格の30歳になっちまうんだ?」
その疑問が頭に浮かんだ瞬間、背筋が凍った。これは本当にヤバい! そう思って、次の日から就職活動を始める。
でも、就職活動中もゼミには参加している。もちろん塾講師もやっている(実は塾講師が一番気合が入ってた)。
言ってみれば僕は突然、現実を見てしまったのだ。それは今にしてみれば、まだまだヌルい視野だったけど、
とにかく現実と、現状の自分の行き先が見えたことで、われながら呆れるほど簡単に価値観を変えてしまったのだ。
その後、今の会社から内定をもらう。その次の瞬間に考えたことは、塾で教えている生徒たちを合格させることだった。
だから「今すぐにでも会社で働きませんか」と誘われたけど、「今の僕には生徒を合格させることが先です」と断っている。
内定が出て以後、研究室には顔を出さなくなった。僕がやらなくちゃいけないことが、ただひとつだとわかったからだ。
それからは塾での仕事に全力を尽くした。どれくらい力を入れていたかは皆さんご存知だろうから、省略。
一度だけ、物を片付けに研究室に行かなくちゃいけないことがあって、10分ほど研究室で過ごした。
偶然、先生・先輩と顔を合わせて、皆さんの会話が耳に入ってきたんだけど、不思議とそれに惹かれはしなかった。
実際の人生に「たら」も「れば」もないから、研究室にい続けた場合と比較して今がどうなのかは知らないし、興味もない。
ただ、あのとき電気に弾かれたようにその一瞬のひらめきだけで進路を変えたことを、まったく後悔していない。
そして、あのときにうっすらと頭の中に浮かんだ「なっちゃいけない30歳の自分」と今の自分を比べてみて、
今の自分がわりと悪くない感じで動けているように思えている。まだまだ足りないが、それなりにそこそこは成長している。

【不安】
今いちばん不安なことといったら、思うような仕事を本当にこの先できるのか、ということである。
オブラートに包んで書くのが面倒臭いんだけど、僕は今の状況のままでこの先ずっと過ごせるなんてまったく考えていない。
必ずどこかで臨界点が来る。これはもう、自分のことだから、わかりきっている。どっかで、それも近いうちに、はじける。
このまま、ハートが腐っていくのを放っておくわけにはいかない。いつか僕は決断を下すはずだ。
それなら早いうちに次の一手を打っておく方がいいに決まっている。そういうわけで、今もその準備に明け暮れている。
しかしながら、それが果たして思いどおりに行くかというと、その保証はない。こういうとき、30歳というのが重くのしかかる。
でも塾講師のとき、さんざん生徒に対して言った言葉がある。
「やりてえことがあるんならやれよ。今すぐやれよ。グジグジ言ってるってことは、やりたくねえんだよ。ちがうか。
本当にやりてえんならできるだろ、やれよ。本当にやりてえんなら最初から失敗することなんて考えねえだろ。
失敗が怖いってことは、やりたくねえんだよ。やりたくねえのにグジグジ言ってんじゃねえよ。気持ちわりい。
やれよ。お前のことだからオレは無責任だよ。当たり前だろ。責任取れるわけねえからお前と代わることなんかできねえよ。
やりたいのはお前なんだろ? だったらやれよ。お前しかやるヤツいねえんだ、お前がやれよ、今すぐやれよ。」
こういう言葉を中学生に対して平然と吐いていた人間が、ダブルスコアの歳になって「できない」とは口が裂けても言えない。
まあアレだ、不安のない人生が、実はいちばん怖い。

【友人】
社会人になっても、勉強で毎日忙しくしていても、忘れずに相手をしてくれる人がいるというのはうれしいことだ。
少年ジャンプの「友情」「努力」「勝利」のうち、僕から「友情」「努力」を取ったら何も残らんもんね(「勝利」はまだない)。
これからも「オレにはお前らが必要なんだあああ」的なアピールを忘れず、友達づきあいを続けていくのである。

【仕事】
やっとりますよ。上でいろいろ書いてはいるけど、だからといってこれをおろそかにするほど僕はバカではない。
お金をもらうために仕事をがんばるのではなく、自分の性根を少しでも叩き直すために社会人としてがんばって、
その対価として経済的な報酬をもらうと考えたい。この考え方は、少しひねくれてるかな?

【勉強】
「受験勉強というのは軽やかに乗り越えてしまわなければならない」と浪人時代に教わった。それは永遠に変わらない。

【日記】
2001年4月1日、この日記をなんの気なしに書きはじめたわけだけど、まさかこんなに続くとは思わなかった。
今では「自分という人間の脳ミソを情報空間にバックアップする」という役割が与えられているけど、
最初の日記なんかもうひどいひどい。モーニング娘。の話ばっかりだし。今もう誰が誰だかぜんぜんわかんないし。
30歳になっても、相変わらずの脱力ぶりを保って、日常のあれこれを書いていくスタンスは変わらない。
思うのは、以前はいろいろと哲学っぽい抽象的なことを書いていたけど、近頃はまるっきりだということ。
これはつまり、毎日勉強と食べていくことに必死でカッコつけてるヒマがないということだし、
抽象的なことを考えるよりも、今自分が立っている場所から具体的に考えることが優先されているということだ。
次の【旅行】の項目でも書くけど、とにかく今は、まず経験してみること、そこからじゃないと始まらない感じだ。
以前よりもずっと、自分が経験したことを通して物事を考えるという要素が強くなっている。
しかも、自分が納得するレヴェルではなく、他人と納得を共有するレヴェルで考えたいという欲求が強くなっている。
だから自分の考えていることをいかに的確な言葉で表現するかということは今はあんまり追求してなくって、
読みやすいリズムで「こんなんどうでしょう」と提案することを心がける方向にシフトしていると思う。
まあそれは、研究室の中だけで過ごしていた時間から、塾講師など人と接する時間を経験したせいかもしれない。
(そして、今の職場が非常に研究室っぽいところが、なんやかんやの原因になっているのかもしれない。閑話休題。)
今後の希望としては、勉強をさっさと終わらせて、面白い小説や名作映画のDVD、あとキレてるマンガをたくさん摂取して、
感じたことをソフトに言語化する作業を積極的にやっていきたい。できれば一昨年くらいのペースで。
そうして、徹底的に想像力を磨き上げていきたい。その痕跡を、ぜひとも日記に落としたい。

【旅行】
気づけばこれが最大の趣味と言える状態になっている。もう本当に、楽しくってしょうがない。
最大の醍醐味は、地図帳や新聞・テレビでは知っている場所が、自分の身体の記憶に刻み込まれるところ。
訪れた場所が、僕の一部になる感じ。他人事じゃなくなる感じ、それがとにかく面白い。
いろんな空間が存在することを体感して、価値観や想像力が広がるのを容易に自覚できるのがうれしいのだ。
もちろん、日本だけじゃなくって外国にも行ってみたい。行ってみたい国はいくらでもある。ぜんぶだよ、ぜんぶ。
だけど経済的な事情もあるし、何より、今の僕には日本っていうものが面白くって仕方がないのだ。
考えてみれば、僕は20代前半~半ばには、ほとんど旅行というものをしていない。
理由は単純で、モーニング娘。の出ているテレビを見たかったからだ。今考えると本当にどうしょうもないアホである。
でも、旅行はテレビなんかよりもずっとすごい体験ができることに今さらながらようやく気がついた。
実際にその場所に行ってみればわかることがある。百聞は一見に如かず。本当に、行ってみるだけで、わかる。
来年はどうなるかわからない。広島市民球場のラストイヤーだから、ぜひ中国地方に挑戦したい。
もしかしたらすべてがうまくいった結果、秋ごろに世界を放浪しているかもしれない。とにかく、わからない。
でも確実にこれだけは言える。こんな楽しいこと、そう簡単にやめられるはずがない。

【現時点での世界観】
30歳になった今、下記の抽象的なテーマについてどう考えているのか、いちおう書いておく。

A. 空間
20代前半~半ばの僕にとって、空間というのは、まず権力の容器だった。
気温が暖かくなるには、まず太陽光線が地面に当たって地熱があったまって、それが気温を上げる。
まあそれと同じような感じで、権力が直接人間に作用するわけではなくて、まず空間をつくりあげる。
で、そのできた空間を介してはじめて権力が身体に及ぶ。この基本的な考え方は、実は今でも変わっていない。
かつてはそれを、ものすごく一般化した形で考えていた。それを演繹して対処しようと考えていたのだ。
でもまあ実際にあちこち旅してみると、それぞれの空間の特殊性ってのは無視できない大きさを持っているのがわかる。
沖縄なんてかなり強烈な体験だった。空間の質感が本州のそれとまったく異なっていて、ひどく驚いた。
最近の例でいえば、香川の人と愛媛の人では「山」という言葉でまったく違う姿を想像するだろう。
もちろん、長野県人はさらに異なる。そういうふうに、空間は最初の部分ですでに特殊性を帯びている。
そういうわけで今は、空間についての語彙や経験を必死で貯め込んでいる状況にある。
だから、以前のようにあれこれ論じるのがちょっと難しい。いずれはまた抽象的な議論に戻りたいとは思っている。
今の段階で感じていることは、生きている空間、現実にあるナマの空間について考えようとするときには、
絶対に時間のことも合わせて考えないといけない、ということ。時間を考えないと運動が発生しないので、
そうなると空間の本質を見失っちゃうんじゃないかなあ、なんて思っている。自分でもワケわかんないけど。

▼権力と空間のあいだに挟まれている身体(→2001.7.11
▼修士論文執筆時における空間についての考察(→2005.12.16
▼自転車をこいでいるときの状況から考える(→2006.12.26
▼庁舎建築における各時代の流行:山形県庁舎をきっかけに考える(→2007.4.30
▼沖縄旅行記録:彼女が将来入るお墓は、僕のお墓と違う形だ(→2007.7.212007.7.222007.7.232007.7.24
▼四国旅行記録:香川の山と愛媛の山の違い(→2007.10.52007.10.6

B. 時間
20代前半~半ばの僕にとって、時間というのは敵だった。とにかく、絶対的に立ちはだかる敵。
少しずつ、しかし確実に足場を削っていく、そういうイメージで時間のことを眺めていた。
でも、今の会社に慣れてきた辺りで、僕の時間観はちょっと変化の兆しを見せる。抗うことを諦めはじめた。
そして通信教育の勉強をスタートして、確実に時間に対する見方が変わった。
「とにかく逆らう」から「ジタバタしてもしょうがない。やることやって機を待つ」への変化である。
そういう実生活での立場の変化に伴って、時間という抽象的な対象の捉え方も変わった。
上の空間のところでも書いているけど、以前は時間だけを独立して考えていたのだが、
空間とセットで考えるといろいろ幅が広がるなあ、ということを思うようになってきた。
時間軸と空間軸を引いたとき、そこに図形として描かれるのは運動である。人間関係なども運動の一種と思う。
想像力を駆使して運動を計画的にデザインしたものが「作品」である、という立場に最近は立っている。
以前は「ものをつくる」という語彙にこだわっていたのが、もうちょい広く、「『作品』を織りあげる」となっている。
自分の空間観や時間観が変化をしている影響で、「作品」に含まれる範囲が広がっている。
教育を芸術的にやっていくには、ということを考えたとき、上記の視点はけっこう有効じゃないのかという予感がある。
話がズレかけたが、まあそういう具合に、時間というものを大幅に肯定できているのはかなりの変化だ。

▼時間の記憶をウソゆず棒に塗りこんでいく男(→2001.5.8
▼時間への恐怖・その1(→2002.3.10
▼時間の浪費なのか?共有なのか?(→2004.2.10
▼三十三間堂で静止する時間(→2004.8.6
▼時間の流れ方について(→2004.9.29
▼時間への恐怖・その2(→2004.10.1
▼第4の空間軸としての時間/老化とは何か(→2004.10.31
▼時間が過ぎるスピード(→2005.9.2
▼ボクはキミと一緒に時間を過ごしたいんだ。(→2005.10.24
▼サッカーの時間、アメフトの時間/AMの時間、FMの時間(→2006.6.19
▼『ハチミツとクローバー』に描かれている時間(→2006.9.18

C. 身体
身体論を深くやっていくとキリがない。まずその定義からして大小さまざまだ。
簡単なところでは皮膚の内側、難しいところでは自分が関係したものすべて、といろいろあるけど、
まあとりあえずは時間と空間の中を泳ぐ意思を持った主体ってくらいにしておこうか、ここでは。
やっぱりここでも、具体例を通してじゃないと考えられなくなっている。
よさこいだとか高校生ダンス甲子園だとか、踊り/ダンスってのが、今かなり興味のあるところだ。
体を動かすのは気持ちいいなあ、というレヴェルではダメで、そこには世界の表現がないといけない。
身体を運動させることで表現される物語があり、その物語を通して自らの世界観を受け手に伝える。
踊り/ダンスが高度に洗練されたレヴェルにいくと、そういう領域がはっきりと見えてくる。
そのことをしっかりと自覚して、日常においても身体というものを理解できれば、
たぶん物の見え方が違ってくるんじゃないかと思う。その辺、上記の時間軸と空間軸と運動の話に通じる。
20代前半~半ばには、「自己の身体への理解」という言葉が頭の中をぐるぐる回っていたけど、
なんとなくだが、その言葉の置かれるべき位置が見えてきつつあるような気がしないでもない。

▼格闘技における身体:理想の身体とショウビジネス(→2003.12.312005.12.31
▼ドラムスと身体(→2004.3.17
▼引きこもりと服を着る行為は似ているのではないか?(→2004.9.21
▼『橋爪大三郎コレクションⅠ 身体論』における身体(→2004.11.2
▼『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』における身体(→2005.3.6
▼『ウェストサイド・ストーリー』における身体(→2005.4.26
▼YOSAKOIソーラン祭りとダンス甲子園(→2005.7.92005.10.2

D. 情報
世の中は情報だらけである。それは電波がどうのネットがどうのということではなく、
人間が五感を駆使して対象を把握するとき、それは情報として脳に入力されるという意味で、である。
じゃあ情報とはなんなんだ。人間の脳が情報を知覚するものならば、人は情報だけの世界にいるってことなのか。
いま目の前にいる人も視覚を通じているから情報、話している言葉ももちろん情報、
手が触れ合ってもそれは触覚だから情報、ってな具合に、なんでもかんでも情報扱いする視点が当然、生まれる。
さてそうなると次の段階は、情報と生命の関係性を考えることだ。
生きている人間を情報とみなすということは倫理的に違和感がある。だから考え方は逆になる。
すべての情報は、生命を持っている。正確に言えば、生命を持っている可能性を持っている。
情報のどこまでが生命じゃなくて、どこからが生命か、これを判断するものこそ、想像力であると僕は考える。
つまり、入力された情報を整理し、想像力を使って判断した結果、人間はそこに生命を見出す。
そうして「またマサルがバカなこと言ってるよ」とか「この犬かわいいなあ」とか「ヒガンバナがきれいでした」となる。
生命がない情報でも「足摺の夕焼けは特別だった」みたいに、そこに価値を見出すことはもちろんできる。
子どもがお化けにおびえるのは、想像力の関数が大人と異なっているからだ、ということになるだろう。
だから情報というものの定義をきちんとしたうえで、あらためて想像力というものについて深く考える必要がある。
そこで興味があるというと語弊がありそうだが、気になってしょうがないのが、自閉症スペクトラムの問題だ。
僕も含めて、社会全体が自閉症的な症例を見せるようになってきている、そのことがものすごく気にかかる。
入力された情報を編集する回路の変化、もっと言えば、社会と個人を襲っている、想像力の欠如という現象。
そういう視点からも、現代社会の自閉症的症例が分析できると思う。
これについては、ほかのことより少し急いで考えないといけないかもしれない。

▼2002年に考えていた身体と情報の関係(→2002.5.14
▼情報空間におけるコミュニケーションをゼミで考えた(→2003.11.13
▼電気信号と身体(→2004.11.28
▼『ニューロマンサー』における身体(→2005.1.8
▼“世界の痛み”という想像力(→2005.4.29
▼iPodにおけるパラダイム・シフト(→2005.4.29
▼ネットと引きこもり的自己中心性(→2005.4.29
▼自閉症と「心の理論」(→2005.7.8
▼『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』における情報と生命の関係性(→2005.8.19

まとめ:久しぶりにフルテンションで抽象的なことを一気に書いていくのは本当に疲れる。

【びゅく仙さんはもう何年もネガな物の見方をしてますけど、いつになったらポジに戻るんですか?】
今がんばっていることが実現すれば少しはポジになるんじゃないかなあ、という希望的観測をしてみる。
あとはまあアレだ、もし彼女ができたら、意外とあっさりポジになったりするんじゃね?


2007.10.22 (Mon.)

地名事典のお手伝いはまだ続いている。今やっているのはトルコである。

トルコは親日家が多い国ということもあって、けっこういいイメージがある。
潮岬に行きエルトゥールル号の話を覚えたし(→2007.2.11)、ケマル=アタテュルク(ケマル=パシャ)もなんだかすごいし。
で、やっている仕事の内容は、トルコの各県が東西南北どの位置にあるかチェックをしながら赤を入れるというもの。
おかげでどんな県がどこにあるのかだけでなく、どの地方にはどんな特徴があるのかまで覚えてしまう。
やっていて面白いのは確かなのだが、紙の上で覚えるだけでおしまい、というのはややフラストレーションが溜まる。

行ってみたいなトルコ、と思いながら作業を進める。キリスト教とイスラムがガチンコ勝負を繰り広げ、
結局はイスラムが押さえるんだけど重要な建物をけっこう残しているおかげで、今も貴重な遺跡がいっぱいある。
紀元前のものから700~800年ほど前のもの、それ以降のものまで各地に名所がゴロゴロ。ぜひ一度見てみたい。
もうひとつ、「ビュク」のつく地名がちょこちょこあるのも、「びゅく仙」としては気になるところだ(カラビュク県など)。
名前の響き、ただそれだけではあるんだけど、まあそれも縁ということで、実際に行ってみたいものである。

そういうわけで、この仕事はあれこれ想像が広がっていい。
でもその反面、「行きたいなあ」という思いだけが募っていって、ジタバタしたくもなってくる。
あれこれ気にすることなく、世界のあちこちを旅することができたらいいんだけどなあ。


2007.10.21 (Sun.)

テストが終わって1週間。しかし、もうすでに次に向けて動き出している。
平日の朝と昼にはテキストを読み、リポートに向けての準備を着実に進めているのだ。
でも休日にまでテキストを読むのは、ちょっとつらい。気分転換をしたいもの。
じゃあ何をするかというと、日記を書くのである。気合を入れて書くのが苦しい場合には、
書ける部分だけをちょこちょこと書き足していき、いつでもフィニッシュできるように下ごしらえをする。
非常にのんびりとした足取りで、こんなペースで追いつくのかよ、と正直なところ不安になるのだが、
少しだけでもやっておいた方がマシ、ということで作業を進めている。

日によって調子の波というものは、確かにある。自分でも驚くほどあっさりと長文を書きあげてしまう日もあれば、
何を書いても文のつながりがズタズタで「日本語になってねーよコレ」と呆れてしまう日もある。
まあ、調子の悪い日も悪い日なりにまとめておいて、着実に書いていくことが大切なので、あまり気にしない。
日記を書いていると、ホント、「継続は力なり」という言葉を実感する。まだまだ力不足だが、ガマン。


2007.10.20 (Sat.)

天気がよくって、ある程度遠いところまで行きたいな、と思ったので、横浜へ自転車散策に出ることにした。

思えば横浜はけっこう久しぶりになる。まあそんなに頻繁に行っているわけではないので、妥当なところとも思うが。
いつものように国道1号に出て、それをそのまま直進。この道は本当に走りやすいなあと思いながら、
ダーッと勢いよく突き進んでいく。風が実に気持ちいいのであった。

自転車で横浜に来たら、なんといってもみなとみらいだ。ここは本当に、自転車だと気持ちのいいスケールだ。
極端な話、みなとみらいを自転車で駆け抜けたいがために横浜まで来てしまってもおかしくないくらい。
で、久しぶりに来てみたら、なんだか新しい建物ができていた。よく見ると横浜・F・マリノスのエンブレムがついている。
そういえばマリノスがみなとみらいに施設をつくって、それで金欠になって監督が早野だ、という話を聞いたことがある。
隣のピッチの上ではサッカーのイベントが行われているようで、やたらと人で賑わっていた。

それからプラプラとあちこちをさまよい、そのまま山下公園の方まで。
休日の山下公園は人でいっぱい。天気もいいし、いかにも理想的なデートコースという雰囲気を漂わせている。
「うーむ」と思わず声を漏らしてしまったではないか。独りもんなのは自業自得なのでしょうがないけど。

 みなとみらい。手前にあるのがマリノスタウン。10年前の無限の荒野はすっかり都会。

それから関内を抜けて伊勢佐木町、野毛を経由して横浜駅西口界隈へ。
ハンズを堪能してヨドバシカメラにも寄って、帰路へとつく。お決まりのパターンである。

横浜ってのは本当に、あちこちにそれぞれの見どころのある魅力的な街だと思う。
自転車だとそういったところをスイスイと行き来することができて、実に楽しい。
ホントにこの街はオシャレタウンじゃのう、と実感するのであった。


2007.10.19 (Fri.)

日記のまとめとリンク張り作業をしたんだけど、今年はいくらなんでも旅行しすぎだと思った。
退屈な日常に飽き飽きしている身としては、旅行は気分転換の絶好の機会であり、待ち遠しくてたまらないものだ。
しかし、こうして日記という形でまとめてみると、「これは行きすぎだよなあ」と反省させられる。
何より、経済的なことを考えてみたとき、旅行にかけた金額がバカにならないことに驚かされる。
酒もタバコもやらないのでストレス解消の手段が旅行に集中している。結果、けっこう大ごとになっている。

個人的な言い訳としては、あちこちに旅行に行ってその分あれこれいろいろ考えて、言葉の形にして残して、
それを絶対に忘れることのない記憶として保持できればいいじゃないか、と思っている。
確固たる経験として消化すれば、それは決してムダになることなどないのだ。
まあ確かに旅行しすぎではあるんだけど、その分、きちんと元をとっているというか、
きちんとそれを自分のものとできているという自信はあるわけで、とりあえずヨシ、ということにしておく。これでいいのだ。


2007.10.18 (Thu.)

細野不二彦『ギャラリーフェイク』。文庫本を全巻そろえたので、思ったことを書いてみるのである。

何のマンガだったか忘れてしまったが、別のマンガの作者あとがきか何かでこの作品についてふれていて、
「美術界における『ブラックジャック』」という表現がなされていた。なるほど、確かにそのとおりだ。
特にフジタが「おまえさん」という二人称を使う点、さらに「~ですぜ」という語尾を多用する点は、
おそらく作者の細野不二彦も意識してやっているのだと思う。細かいところで手塚リスペクトが垣間見える。

それにしても膨大な知識が詰め込まれたマンガだ。絵画や彫刻などの美術ネタはもちろんのこと、
骨董・工芸・さらには最近注目を集めるマニアックなアイテムまで徹底的に扱ってみせる。その幅の広さったらない。
主人公のフジタだけでなく、表や裏でさまざまな専門技術を持つキャラクターが登場して縦横無尽に活躍し、
物語の舞台をどんどん広げていく。世界規模・地球規模での「お宝」がワンサカ出てきてそれだけでも飽きない。
世界情勢や経済・政治などを巧みにストーリーに取り入れていくテクニックは、『ゴルゴ13』のそれに近い。
古い「お宝」と現在の社会状況という時間軸での広がりも見事なもので、作品の世界観は本当に無限に広がっている。

そしてこのマンガのタイトルであり、フジタの経営するギャラリーの名前が「FAKE」ってのも絶妙なのだ。
このマンガではリアルとフィクションが絶妙に混ぜられていて、どこまでがホントかわかんなくなっている。
いわば読者にも、世の中にある芸術作品と同様にその真贋を判断する余地が残されているわけで、
そのバランス感覚が、本来ならば現実離れしたストーリーを納得させてしまう根拠にもなっている。

過去の日記でも書いているが(→2007.3.31)、何よりも卓越しているのはその構成力だ。
丁寧に伏線を張りながら展開していく物語の求心力は、とんでもなく高いレヴェルにある。
まず最初の1ページを「つかみ」に使い、次の2ページから本格的に話を始める、というパターンが多い。
そして話をやや意外な方向へと転がしていき、最終的に1ページ目の伏線をしっかりと拾う構成になっている。
特に、困っている人がフジタの影響によって助かるというパターンが多いことで安心して読めるのがうれしい。
たまにバッドエンドも含まれているが、その比率も読者を飽きさせないちょうどいいサジ加減になっていると思う。

名画やお宝にまつわるエピソードがふんだんに盛り込まれているが、これにはミステリの要素がみられる。
読者に対して謎をふっかけておいて、フジタが動きまわってそれを解いていき、ラストで辻褄が合うという仕組みだ。
世間によくあるミステリでは、まず殺人事件でトリックで過去の恨みで真犯人見つかる、というコースが多い。
しかし『ギャラリーフェイク』はそれを実に多様なやり口で、きわめて上品に換骨奪胎しているのである。
そこにあるのは、ミステリにありがちなこれ見よがしなトリックの展覧会ではない。
あくまで「美」とそれに魅せられた人間の物語が根底にあり、フジタはその、人間ならではの「業」と向き合いながら、
ひとつひとつのドラマを掘り返してみせる。結局、トリックや知識じゃなくて人間を描いているから面白いのだ。

で、読んでいてひとつ思ったのは、作者は登場人物のひとり、ジャン・ポール・香本が大好きなんだなあということ。
クセ者ぞろいのこのマンガの中でも圧倒的な才能と変態ぶりを見せるこのキャラは、やりたい放題を繰り広げる。
もうひとつのモナ・リザをめぐるラストの話は作者のお気に入りを総出演させている感じに仕上がっているのだが、
その中でも香本の扱いは別格といっていい。実際、出てくると面白いし、そうとう気に入られてたんだろうな、と思う。
名作マンガ(まあマンガに限らないが)では必ずといっていいほど、作者の頭の中で勝手に育って暴れ出す、
“キレている”キャラクターがいるものだ。そしてこの香本は、マジメな知識とくだけた雰囲気を見事に両立させる、
優れたトリックスターとなっている。もちろんほかにも魅力的な登場人物がいっぱいいるわけで、
彼らが「美」というキーワードを共通項にあちこちで交錯するさまが、この『ギャラリーフェイク』を盛り上げているのである。

そういうわけで、先行する作品への敬意にあふれ、実のある知識がたっぷり詰め込まれ、
魅力あるキャラクターが存分に活躍し、そのうえストーリーの構成も申し分なしということで、
楽しいだけでなくあらゆる面において勉強になるマンガなのである。日本のマンガってホントすげえ、と思わされる傑作だよ。


2007.10.17 (Wed.)

マサルが雑誌で「輝け!第1回 おもしろDVDバカデミー大賞」というのを企画していて、
「マツシマくん、審査してくれませんか」と頼まれたので、二つ返事で参加。
会社帰りに大塚に寄り、マサルの会社へ行くのであった。

もともとマサルのおもしろDVD好きには定評がある。街で気になったDVDは即、衝動買い。
おかげで前にいたアパートも、その前にいたアパートも、DVDのケースで足の踏み場のない状態なのであった。
そんなDVD将軍があらかじめセレクトしておいた43作品をダイジェストで見る、という趣向である。
前日までマサルはライターの方と一緒にどこをダイジェストで見せるかチェックをしていたようで、
けっこうお疲れ気味。DVDを再生するテレビを壁にぶつけてしまったとかで、そこだけ画面の色がおかしくなっていた。
通された部屋には飲み物とお菓子・コンビニおにぎりが置かれ、「リラックスして見てください」と言われる。
(ちなみにこの日、マサルはロックマン20周年Tシャツを着ていた。通販で買えるそうだが、さすがマサル。目ざとい。)

部屋にはホームページで応募した方が1名すでにいて、その後さらに3名が到着。僕を入れて5名での審査である。
僕はトイレでコンタクトレンズをはずしてメガネに替え、気合十分。そしてついに開会が宣言される。
DVDはそれぞれ「人気番組部門」「カルト番組部門」「CG/アニメ部門」「レディース部門」「カルチャー部門」
「マニア部門」「男性キャラクター部門」と、計7部門に分けられている。
すでに消耗しきっているマサルとライターさんの配慮で、“疲れる”部門から行っちゃいましょう、ということに。

まず「カルト番組部門」。深夜やローカルのひとひねりある番組のDVDである。
伊吹五郎や麻丘めぐみ、小野寺昭といった渋い面々が環境問題に挑む『環境野郎Dチーム』がふつうに面白かった。
『ピエール靖子』は元猿岩石の有吉が神懸った行動をとって爆笑。内Pでもそうだけど、有吉はもっと評価されていいはず。

続いて「男性キャラクター部門」。個性の強い男性にスポットを当てた作品を集めた部門である。
個人的には『高田純次 適当伝説』の圧勝である。やっぱりこの人はすごい。還暦とか関係ないもの。
あとはどれも自分には制作費のムダにしか思えなかったが、僕と真逆の評価をしている人もいて「ほー」と思った。
ちなみに、マサルもライターさんも再生を終えると「こんなんです。すみません……」と言っているのが印象的だった。

「CG/アニメ部門」は僕の趣味とまったく合わず。『スキージャンプペア』とか、もともと全然面白くないのにまだ続いてるのね。

「マニア部門」は、素人のマニアの姿を追ったもの。最近は鉄道ブームにみられるように、各種マニアが注目を集めている。
そういった人たちの生態を紹介する内容。僕は「すげーすげー」と興奮していたけど、ほかの人はほとんど食いつかず。
デコトラならぬ『デコチャリ野郎』が人気。でも『団地マニア』も『山田五郎アワー 新マニア解体新書』も捨てがたかった。

「レディース部門」はいわゆる“お色気”未満のものがエントリー。あまりの頭の悪さに見ている全員の腰が砕けた、
『水着LADYを見ているだけでゴルフが上手くなる不思議なビデオ』(でもビデオじゃなくてDVD)が圧勝したのであった。
個人的には『全力坂』が気になった。東京の坂の名前も覚えられるし、かわいいおねーちゃんが走るし、一石二鳥じゃん。
『絶叫!!ネバーダイ』はアイドル32人が次から次へとジェットコースターで絶叫するだけなのだが、
最後に日本音響研究所の鈴木松美先生が絶叫を分析するというおまけがついていて、松美ファンにはたまらない内容。
この部門はレヴェルが高かったなあ(つまりマサルのチョイスが良かったなあ)と思う。

「カルチャー部門」は“文化度の高いもの”とのことだが、まあ要するにその他もろもろ、である。
ここでは『全日本コール選手権2』が圧勝。みうらじゅん解説の1作目はさらに評価が高いらしいので、いずれ見たいね!

疲れもピークの状況で、最後に出てきたのが「人気番組部門」。テレビ番組のDVD化されたものを集めた部門である。
ここはさすがにレヴェルが高く、どれをとっても面白かった。スタッフであるはずのマサルまで見入ってしまい、
ライターの方に「岩崎さん、仕事なんですから」と諭されていたのが印象的。もっとも、それくらい面白いのがそろっていた。
劇団ひとりとみひろの熱演が光った『ゴッドタン ~キス我慢選手権~』は実にすごかった。しょうがねえよ、これはもう。

そんなわけで審査終了。僕のつけた評価はたぶん一般的にみて無難なところなんだろうなあ、と思ったが、
5人それぞれうまい具合に好みがバラけていたようで、それは客観的には良かったなあ、と勝手に考えるのであった。
マサルは長時間拘束したことで申し訳なさそうにしていたけど、僕としては次から次へと面白いものを見せてもらって、
本当に楽しい時間だった。いやー贅沢贅沢。第2回をやるんなら、また呼んでほしいなあと思っている。ぜひよろしく。

さて、せっかくなので総括。テレビ番組とオリジナルDVDの関係について考えてみたい。
なお、僕は最近めっきり夜に弱くなって、深夜番組をまったく見ることができていない。あんまり興味もない状態である。
(ただし以前トシユキさんがオススメしていた『たけしのコマネチ大学数学科』は大いに気になる。すごいらしいじゃないの。)
それからCS放送というものにも興味がない。そういうわけで、もはやテレビ番組を必死で追いかけることができていない。

さて、今回DVDをたっぷり見せてもらってまず思ったのは、テレビ番組ってのはレヴェルが高い!ということである。
テレビ番組をDVD化したものは、基本的にハズレがない。確実に一定の「見られる」レヴェルに達しているのだ。
対照的に、DVDオリジナルの作品は玉石混交というか、当たりハズレの差が異常に激しい「賭け」の世界だ。

DVDオリジナル作品には一種の開き直りが感じられる。それは、制作サイドが面白ければそれでいいじゃん、という空気だ。
なんだかんだで、テレビではまず視聴者のことを気にするんだと思った。たとえそれが視聴率という数値であっても。
ゴールデンタイムを一軍とするなら深夜・ローカル番組は二軍(わりと早い時間帯の深夜番組は事実上一軍になりうる)。
その図式は今も昔も変わりがないと思う。二軍での前衛的な試行錯誤が一軍へとつながる、そういうルートが見える。
(深夜番組の現状をよく知らないので的外れな指摘なのかもしれないが、最低限のルールを守っている印象を受ける。)
しかし、DVDオリジナルには完全な断絶を感じる。はじめからそのルートに乗る可能性を捨てた作品づくりをしている。
「オレたちは自分のやりたいものをつくるから、賛同してくれる人だけお金を払ってください」という開き直りを感じるのだ。
キツい表現をすれば、それは自己満足でしかない。「テレビじゃできないことをDVDでやっている」と言うと聞こえはいいが、
それが「自分たちのことをわかってくれる人探し」、ただの自己主張だけになっていて、見ていてつらくなってくる。
マサルがオリジナルDVDは千枚単位でしか売れないと言っていたけど、そりゃ当然だろうなと思う。
そういうわけで、モノをつくるときはまず広く共感を得るように努力して、自己主張はほどほどにすべきだ、と逆説的に思った。

それとあともうひとつ、テレビに出ているお笑い芸人の実力ってのをあらためて実感した。
というのも、オリジナルDVDは基本的に予算がないから、あまりテレビに出ない人を起用することになり、
そこでのパフォーマンスに大きな差が出ているからだ。ひどい場合には素人をいじってハイ完成ってものもある。
ここでもやっぱり、カメラの向こうにいる客を意識して行動をとることができるプロと、
スタッフに要求された動きをするだけで精一杯の素人(あるいは経験不足なプロ)との差が歴然としていて、
テレビってすげーなーと思わされた。妥協しているようでいながら、実はまったく妥協がないのだ。恐れ入った。


2007.10.16 (Tue.)

個人で担当している仕事が一段落ついたので、皆さんのお手伝いをしている。
地名事典のけっこう大きなプロジェクトで、これがなかなか面白い。もともと地理は大好きなので、楽しんでやっている。

今回ゲラをチェックしたのは、レバノンについての分。レバノンというと内戦でぐちゃぐちゃで大変というイメージだ。
現在ではけっこう落ち着いた状況らしいのだが、なんせ場所が場所なのでいつ何がどうなるかわかりゃしない。
事典の説明を読んでみると、宗教の対立がいかに救いのない内戦に至ったかということが書かれている。
でも、読んでいてもなかなかすんなりと状況を理解することができない。それだけ込み入った混乱があったのだ。

レバノンというと、レバノンスギだ。浪人中、地理論述の授業で先生もレバノンスギについて言っていた。
レバノンスギはレバノンの国旗の中央にも描かれている巨大な木で、かつてはガレー船の材料にもなったとか。
伐採と内戦とで壊滅的な状態になっており、世界遺産に登録されて保護活動が行われているという。

いつかレバノンスギを見に行ってみたいなあ、なんて思いながら赤字を入れていく。
頭では知っていても、実際に体験してみることとの間には、実に大きな差があることはよく理解しているつもりだ。
容赦なく日差しが照りつける乾燥した中東の大地で、わずかな生き残りがどっしりと構えている、
そういう光景を勝手に想像しつつ、今日も仕事に励むのであった。


2007.10.15 (Mon.)

会社帰りに、修理をお願いしていた自転車を受け取りに行く。
パンク修理だけでなくタイヤも交換したのだが、さらに細かいところのメンテナンスもしておいてくれたようだ。
おかげで乗ってみたところ、とんでもなく調子がいい。まったく力のロスがない印象。すごくスムーズ。

そのまま、いつも休日に新宿に行き来するルートで自転車に乗って帰る。
スーツ姿でこの自転車に乗るのは塾講師時代以来で、懐かしさも覚えつつ。
それにしても自転車の調子が本当にいい。乗っていてよけいな力を入れる必要がなく、少しも疲れない。
自転車通勤というのもアリだなあ、と思いつつ走る。これだけ快適だと、ただペダルをこいでいるだけでも楽しい。
今は会社に行く前に疲れてしまうのがイヤで素直に電車通勤をしているんだけど、
これはけっこういいかもしれんなあ、と思っているうちに家に到着。


2007.10.14 (Sun.)

3ヶ月に一度のインチキ文章こねくりまわし大会こと科目修得試験、つまりテストなのである。

今回は桜上水が会場ということで、自転車にまたがってゴー。
しかし、家からそんなに離れていないところで後輪がまさかのパンク。
鉄道のアクセスの悪さを考えると、躊躇してなんかいられない。「ごめんよ」と自転車に声をかけると、
そのままムリをしてこぐ。日ごろかわいがっている自転車にこんな仕打ちはしたくない。でもしょうがない。
代田橋まで必死でたどり着くと、自転車を置いて電車に乗る。
会場には試験開始10分前にどうにか到着。なりふりかまっていられない状況を体で表現した感じ。

登録した科目は目一杯の4科目。今回が免許取得の最大のヤマ場であると言っても過言ではない。
しかし正直、勉強はサボりがちだった。もっと気を引き締めて取り組むべきだったと自覚している。
それでもまったく勉強していなかったわけではない。最低限のことは絶対にこなしているという自負もある。
気合を入れていざ問題にぶつかる。昨日先輩に教えてもらった情報が当たったこともあり、
なんだかんだで勉強していた成果も出て、4科目とも単位は確実に来るだろう、という感触で取り組めた。

ここんところのスランプが、慣れてきていること、それで確実に保険をかけながら油断をしていること、
それが原因であることがなんとなくわかった。僕は、今のスタイルに“飽き”を感じてしまっているのだ。
自分が単位を落とすはずなどないことが無意識にわかっている。それでどこか油断をしている。
しかし油断しても結果は残せるように意識して日ごろ動いている。だからテストでは優位にふるまえる。
言わば僕は無意識にピンチを演じて、そのうえで意識的にそれを危機感に仕立てて過ごしているのだ。自作自演。
日記の内容は正直に書いているつもりだけど、そう考えると、それも怪しいものである。
僕は、わかっていて、乗り切れる確信があるからこそ、不安を吐き出して悦に入ってるんじゃないのかとさえ思う。
日々ヨタヨタしているのは事実だけど、乗り切る未来を僕は知っている。完全に観客無視の一人SMショーだ。

iPodで好きな音楽を聴きながら、新宿の行きつけの店まで自転車を引っぱって行く。
いい機会なので足まわりをリニューアルしてもらうことにした。今回は無理をさせたから、それくらいしてあげなきゃ。
こんなことになるなんて出かけるときには想像していなかったので、金なんて持っていない。
明日会社帰りに引き取ることにした。それで自転車を預けると、ふらふらと南口界隈を歩く。

どんなに苦しい状況でも、それを楽しんでしまうことが大切だ、と僕は常々考えている。
しかし落ち着いて考えてみれば、今の僕はずいぶんと歪んだ「楽しみ方」をしているようにも思えてくる。
人生はゲームではないから、ゲームのような曲芸じみた攻略などありえない。
そこんとこをもう一度肝に銘じて、謙虚に物事に当たる必要があるだろうと思うのであった。
どうも最近の僕は以前よりも性格が悪くなっている感触がする。やだなあ。


2007.10.13 (Sat.)

通信教育でお世話になっている大学で、教員志望者向けの研修会をやるというので参加した。
少しでもそういう現実に触れて、根性を叩き直さないといけないのである。

午前中はいつものように髪を切ってもらって心機一転、定期で飯田橋まで行って自転車で現地へ。
すでに会場は参加者で埋め尽くされている感じ。参加費を払う列に並んだら、なんだか見覚えのある人が。
しかもその人は聞き覚えのある名字を係の人に告げる。自分の番になってこっそりリストを覗いたら、
そこにあるのは間違いなく大学時代の先輩の名前なのであった。たまげた。

開会時刻が押し迫っていたのでさっさと席につく。講演と質問コーナーという構成である。
講演は現役の校長先生や通信卒業の先生によるもので、これがさすがに面白い。
自己のエピソードを多分に交えながら参考になる話を聞かせていただき、心が洗われるような気がした。
なんというのか、僕は今、社会人として働いていて学生時分よりはしっかりとしていると思うけど、
先生方はそれ以上のしっかりぶりを見せていて、そういう面でも気合を入れ直さなくちゃいけないな、と。
まだまだ勉強面でも精神面でも、課題は山積みなのである。それが具体的に見えて本当によかった。

で、解散になってするすると先輩のもとに行き、声をかける。お会いするのは卒業以来になる。
先輩はまったくお変わりないのだが、こっちの外見は激しく変化をしているので、「マツシマです」と自己紹介。
互いに大いにたまげ合うのであった。「まさかこんなところで」って、そりゃそうですよなあ。
先輩は日ごろ近くの専門学校で講師をなさっているそうで、僕と同じように免許取得を目指して勉強中とのこと。
僕以上に単位を揃えまくっていて、科目についての細かい情報、果ては採用試験についてまで、
実に親切にあれこれ教えてくださった。ズボラな僕には初耳の話ばかりで、大いに助かったのであった。
「単位のことで困ったことがあったらぜひ相談してください!」というとてつもなく力強いお言葉をいただいて別れる。

なんというか、僕は日ごろあれこれ、これでいいのかと悩みながら過ごしているわけだけど、
今日の研修会を通して、悩む材料と同じ数だけ事実を肯定するチャンスも転がっているのか、と思うことができた。
そんでもって、世界は確かにつながっているんだなあ、とも思うのであった。
現実の生活にだって、どんなところにリンクが張ってあるんだかわかりゃしないのだ。
気づけばどっかにワープしていることだってあるのだ。そうなりゃポジティヴに物事を捉えておいた方が得だ。
数学の本なんかをつくっていると、虚数という存在のデカさに驚かされることがある。
自分の目の前の実数だけにとらわれていないで、虚数の方で進んでいることを信じるってやり方もあるのだ。
今日のできごとのおかげで、ずいぶんと精神衛生上助けられたような気がする。まだまだやれるわ、オレ。


2007.10.12 (Fri.)

担当していた本がここにきて一気にできあがって、それで著者献本に行ってきたのだ。
今回の献本したのは、このたび本書で10年にわたるシリーズが完結しました、という先生の本である。
まだまだヒヨッコの僕にはそれが凄いことだとはわかるけど、その凄さを具体的に実感できないわけで、
その辺の乗り遅れている感覚が正直けっこう悔しいというか、歯がゆいというか。

企画担当の先輩に連れられて先生の研究室にお邪魔する。直接お会いするのは初めてなのである。
先生は僕が予想していた外見とはまったくちがい、江守徹チックな迫力をお持ちだった。
先輩は「とにかく腰の低い方」と表現していたが、僕が見るに、とんでもなくマジメな方なのだ。
部屋は整頓されきっていて、服装も驚くほどピシッとしていて、話しぶりも懇切丁寧。
本当に世の中にはいろんなタイプの人がいて、それぞれに動いているんだなーなどと思うのであった。
やっぱり10年モノのシリーズが完結ということで、先生は心の底から感慨深げに本に目を通す。
決して手を抜いた仕事ではないのだが、しかしもっとベストを尽くせたんじゃないかなという気が急にしてくる。
自分なりに根性入れたつもりでも、それが「つもり」止まりになっている可能性ってのは常にある。
その辺ちゃんとできてるかな自分、と思わず反省してしまう、先生の感激ぶりはそれほどのものだった。

帰りがけ、先輩は次のアポまで時間的に余裕があったようで、「お茶でもしましょう」と誘われる。
僕はてっきり「最近のお前はなっとらん!」とシメられると思っていたので(被害妄想)、緊張気味。
しかし会話の内容は会社の皆さんのいろんな側面についての話に終始。
本当に純粋に、あれこれ話してコミュニケーションをとるだけのことで、いらん緊張もほぐれるのであった。
まあ逆を言えば、ふだんの仕事場がコミュニケーションに欠けていることの証左であったようにも思う。
人と接するとそれだけで勉強になるなあ、部屋の中で縮こまっとっちゃいかんなあ、と思った一日だった。


2007.10.11 (Thu.)

この期に及んですべてにおいてモチベーションの上がらない自分はダメ人間なのである。
ダメ人間はダメ人間らしく天罰を受けるしかないのである。しかしそれはイヤなのである。
イヤならマジメに取り組むしかないのであるが、わかっていながらそれができないのがダメ人間たる所以なのである。
頭ではわかっちゃいるけど体が動かないのである。いや、そもそも頭も本当にわかっているのかは怪しいのである。
やる気が出る方法は実に簡単で、誰かがおだててくれればそれでいいのである。
若い女の子がおだててくれればなおのことよろしいのである。そうすればアホな男はホイホイと動き出せるのである。
モチベーションをコントロールするのも才能のうちなのであるが、今はそういう妄想を広げる機会すらないのである。
20代前半のように自分をだますネタが枯渇しておるわけで、非常に困った事態に陥っているのである。

……とまあ、少々アレな感じでわざと書いてみたんだけど、上記の状況は事実。
燃料ナシでロケットを飛ばすような毎日で、切り札の旅行を乱発して金欠になっているというわけ。
もはや「この状況を乗り切ったら精神的に成長しているはずだから、自分」と言い聞かせて走っている状態。
若いうちの苦労は買ってでもしろって言うけど、これってどうなんだ? ホントにプラスになるんか?と日々自問している。
まあ、かつて苦しんだ就職活動を今は経験してよかったと思っているから、
きっとこの状況を将来的には肯定できるんだろうな、という予感はしているけど。
不器用な人生だと腹をくくるしかないか。もうすでにくくってるんだけど、あらためてくくり直すしかないか。


2007.10.10 (Wed.)

会社で「四国一周してきました」って言ったら、みんなこぞって「自転車で!?」という反応をする。
僕は皆さんからそういう人間なんだと思われているんだなあ、とあらためて思いましたとさ。


2007.10.9 (Tue.)

朝起きたら、雨。最も憂うべき状況なのであるが、天気予報的には「よくぞここまで粘った」ってなところだろう。
台風15号は結局日本に向かってくることはなく、中国や台湾で大きな被害を出したという。
中国や台湾の皆さんすいません、おかげで楽しい岬めぐりになりました、ってな具合で、なんとなく申し訳ない気もする。
まあとにかく降っちまったもんはしょうがないので、折りたたみ傘を差して徳島の街へと繰り出す。

まずは徳島駅へと向かう。観光案内所で地図をもらうと、それをもとに徳島県庁を目指すことにする。
が、線路をくぐったところで気が変わって、県庁よりも先に徳島城址に行ってみることにした。
この四国旅行では高松・松山・高知と、必ず城跡に行っている。それなら徳島城址にも行っておかないと不公平だ。
逆を言えば四国の県庁所在地はどこも城下町なのだ。地方都市でこれは珍しいことでもなんでもないが、
その点からもやはり、城跡めぐりはしておかないといけない。そういうわけで、線路のすぐ北の公園に入る。

徳島城といったら蜂須賀家である。木下藤吉郎(豊臣秀吉)の家臣として活躍した蜂須賀正勝(小六)の家系である。
城跡の公園内には正勝の息子で初代徳島藩主・蜂須賀家政の像があった。
徳島は江戸時代には藍染めをはじめとする産業が非常に盛んで、日本で十指に入るほどに栄えた城下町だったという。

雨の中、ちょっと滑りそうな石段を上って本丸を目指す。が、途中で妙なものを目にする。
草で覆われた二の丸跡に「天守跡」と彫られた杭が打ってあったのだ。なんじゃそりゃ、と思いつつ石段をさらに上る。
そうしてすぐに本丸跡に到着した。そこは僕の地元の城址公園とさほど変わらない、ただの空き地だった。
木々の間からは徳島の街がチラチラと顔を覗かせている。そしてその奥には眉山(びざん)がどっしりと構えている。

  
L: 徳島城の堀と石垣。  C: 徳島城二の丸跡。草っ原の中に「天守跡」とある。これには一瞬、目を疑った。
R: 徳島城本丸跡。現在は何もない空き地。木が茂っていて見晴らしはあんまり良くない。

 本丸跡より眺める徳島市街と眉山。

本丸跡のところにあった説明書きを見て、ようやく納得がいった。徳島城の天守は、確かに二の丸にあったという。
非常に変則的である。そして本丸は武器庫などになっていたらしい。無知な僕は、そんな城もあるんだ、と目からウロコ。
そういうわけで、二の丸に戻るとさっきとは違う気分で辺りを眺める。そしたら雨がやんだ。驚いた。

傘をたたんで道路を南下。地図を見るとけっこう遠そうに思えたのだが、実際に歩いてみたらそこまででもなかった。
新町川のほとりに来ると、でっかいベージュの建物が現れる。徳島県庁である。
川の上流の方を見ると眉山がその巨大な姿を見せている。徳島にいると、どこからでも眉山が視界に入る。
とりあえず川を挟んで徳島県庁を撮影すると、敷地の中に入る。今日は平日なので職員が出入りしている。
怪しまれないように気をつけつつ、さまざまな角度から撮影をしていく。

  
L: 新町川を挟んで眺める徳島県庁。周囲に背の高い建物がないこともあり、かなり目立っている。
C: オープンスペースを抜けて正面入口側に出たところ。けっこう殺風景なタイプである。
R: 後ろを振り返るとオープンスペース。申し訳程度の散策路ってレベルにとどまっている。

ふつうに1980年代保守巨大型オフィスって印象の建物である。
道路に面した敷地は大々的な駐車場となっており、オープンスペースは端っこに追いやられている。
見た目にはきれいだけど長居のできないつくりで、ステレオタイプ的な県庁舎像そのままって感じだ。

  
L: こちらは隣にそびえる徳島県警本部。ファサードの色彩を統一しているので県庁舎との一体感が強い。
C: 県議会棟。上の写真でも確認できるように、県庁舎の後ろにくっついている。こちらもベージュ。
R: 再び新町川を挟んで県庁舎の側面を眺める。川には船が停泊していて、海に出るのを待っている模様。

特にこれといって目を引くもののない純粋な庁舎なので、あまり興奮しなかった。
早々に次の目標である徳島市役所へと移動する。川沿いの商店街に妙な活気があった。

徳島市役所は県庁からそれほど離れていないのだが、やや奥まった位置にあり少々わかりづらい。
周囲は住宅地で道幅が狭く、そこに背の高い市役所があるのでけっこう撮影がしづらかった。
僕がアプローチしたのは南側からだったのだが、入口がたくさんあって少し混乱した。
本館と議会の入っている南館の間にあるオープンスペースまで来て、ようやく全貌がつかめた。

  
L: 徳島市役所の南館。上から見ると三角形で、入口が複数あるので最初ワケがわからなかった。
C: オープンスペースより本館エントランスを眺める。オープンスペースは周囲より一段高い。噴水はお休み中。
R: 徳島市役所の本館。平日だったせいか、駐車の順番待ちの車であふれかえっていた。

 市役所脇には線路があり、そこにまたがる鉄製の階段から本館裏側(北側)を撮影。

徳島市役所の隣は公園で、そっちに木や土があるせいか、市役所のオープンスペースは非常に無機的。
建物は多角形の南館と、すっきりしている本館の差異がなかなか興味深い。
なぜこの場所につくられたのか、立地の理由がいまいちよくわからない。学校跡地だったりするんだろうか。

さて、そうやって運よく雨があがった状態で四国の県庁舎と県庁所在地の市役所を完全制覇した。
あとは思う存分に徳島市街を歩いて歩いて歩きまくるだけなのである。
いったん徳島駅に戻って荷物をロッカーに預けると、意気揚々と南下。

旅行する前にあらかじめ、ネットで四国の各都市についてリサーチをしてみた。
ほかの街では行きたいところがすぐに見つかったが、どうも徳島だけはハッキリしなかった。眉山、おわり。みたいな。
それで学生時代にあちこち旅行をしているリョーシ氏に「徳島名物といえば?」と訊いてみたところ、
「とりあえず徳島ラーメンを押さえておけば?」という答えが返ってきた。なるほどと納得。
そういうわけで、昼メシは徳島ラーメンを食べることにした。調べてみたら、全国的に有名な店があるらしい。
それで歩いてその店まで行ってみることにした。店に近づくとそこらじゅうに専用の駐車場があるのが目につく。
つまりあちこちからそれだけいっぱい客が来るってことかー、と期待がどんどん膨らんでいく。
ところが肝心の店は祝日の翌日ということで、なんと休み。大いに凹みつつ来た道を戻る。

しょうがないので空腹のまま、阿波おどり会館の中に入った。
徳島といえば阿波踊りである。これは初代藩主の蜂須賀家政が「好きに踊っていいよ」と言って始まったとか。
阿波踊りは毎年夏に開催されているけど、この施設ではそれを一年中鑑賞できるということだ。
そういう「無形」の財産を観光施設化している点は非常に面白いのだが、時間がもったいないので鑑賞はパス。
でもこの阿波おどり会館から出ているロープウェイに乗って、眉山に登ってみることにした。
1階は徳島の名産品がフロアいっぱいに置かれている。藍染の色がとても鮮やか。
思わず藍染の手ぬぐいが欲しくなってしまったが、値段を見て大いに迷う。
で、結局「どうせもったいなくて使えないんだよなあ……」ということでパスした。すいません、小心者なんです。
それ以外に目立っていたのは、すだちの調味料。これも使いどころがないのでパス。われながらつまらん人間だ。

  
L: 阿波おどり会館の外観。外国人観光客(中国から?)もいて、徳島観光の中心地となっているようだ。
C: 阿波おどり会館前のベンチ。阿波踊りの笠をイメージした大胆なデザインで、ううむやるなあ、と感心してしまった。
R: ロープウェイ乗り場から見た徳島駅周辺と徳島城址。眉山は松山城と違って自力で登るのが非常に大変そうだ。

ロープウェイは15分に一回のペースで往復している。眉山頂上に到着すると、展望台へと行ってみる。
例のごとく高所恐怖症が出たけど、街のスケールを適度に楽しめる高さで、最終的にはどうにか慣れた。

まだまだ空には雲が残っていて「なかなかの絶景」というレベルだったのだが、天気が良ければかなり爽快なはずだ。
徳島の海は南国の気配を漂わせていて、晴れていればきっと鮮やかな青を目にすることができるだろう。
駅前には大規模な建物が集中しており、その奥に緑に包まれた徳島城址がある。
四国の街は特に松山で典型的だったけど、平地の中にポコンと山が現れる、そういう特徴があると思う(→2007.10.6)。
そしてその高さが手頃な場合、城がつくられる。宇和島も高知もそうだった。
眉山はちょっとそれには大きすぎるが、徳島城は手頃。こうして景色を眺めて、その四国の法則に気がついた。
視界の真ん中には新町川が流れ、さっき行ってきた徳島県庁もよく見える。かわいらしいスケールで建っている。
そして左端、方角でいうと北には吉野川が見える。さらにその北の松茂町~鳴門市まで、街は続いている。
とにかく、眉山は海までの平地いっぱいに広がる街を、細部まで確認できるスケールで一望可能なのがいい。
これはなかなか飽きない。飲み物を片手にただぼーっと景色を眺めて過ごす。

いいかげん腹が減ったので、地上に下りてメシを探索しつつ徳島市街を歩きまわることにする。
が、その前に駅に戻って高松行きの切符を買う。バースデイきっぷが4日間使えたらいいのに、と思う。
そして荷物を回収。ギリギリまで歩きたいので、時間のロスをなくすべく今のうちに荷物を準備してしまうのだ。
どうしょうもなく腹が減っていて、駅からそんなに離れていないところに徳島ラーメンの店を見つけたので入る。
事前のリサーチによれば徳島ラーメンはご飯のおかずらしいので、ライスも一緒に注文して食べる。
スープはマイルドな豚骨醤油で、ふんふんふむふむと納得しつつも、和歌山ラーメンとの違いに首をひねってみたり。

食べ終わると元気が出てきたので、勢いよく徳島市街を闊歩する。
徳島の街は、駅前(内町地区)と新町川の右岸(新町地区)と2つの核があるが、正直どちらもだいぶ弱まっている。
最近は郊外の大型店舗に押されているといい、特に新町川右岸の衰退ぶりは目に余る惨状だった。
阿波おどりカラクリ時計のある紺屋町シンボルロード以南は夜のお店が多いのだが、そっちの方が元気な印象。
Wikipediaには「休日ともなれば大阪の心斎橋筋商店街にも引けを取らない程の人出で賑わっていた。」とあるが、
その面影はまったくない。平日とはいえ、とにかく人がいない。最近になってきれいにリニューアルしたように見受けられるが、
ダウンサイジングしたスケールに合わせてのことと思う。まさに街を縮小した、という雰囲気が漂っているのだ。

  
L: 徳島ラーメン。ライスと一緒に食べた。おかずという視点は自分にとってはなるほど確かに新鮮。
C: 徳島市の商店街。四国の県庁所在地の中では最も活気に欠ける。シャッターは下りていなかったけど……。
R: 最も賑やかと思われる界隈でこのとおり。人は駅前と郊外に流れているという。

これは仮説なのだが、ある程度は的を射ているところがあると思うので、書いてみることにする。
四国の県庁所在地は、活気のある組=高松・松山と、活気イマイチ組=高知・徳島に分けられる。
そしてこの活気のあるなしは、訪れた人が楽しく過ごせる場所の有無に直結していると思うのである。
高松は最近整備が進められた高松駅から栗林公園まで、都市部がずーっと続いている。
関西から見て四国の玄関口という立地と、うどんというB級グルメを武器にして賑わっていた。
松山は市内に観光資源を多く抱えている。人口も四国で最も多い。常にどこにも人がいた。
対照的に高知は他県とのつながりが地理的に弱いことが、そのままダメージとなっている印象を受けた。
そして徳島は、高知よりも閑散としている。もちろん、休日・祝日と平日の違いも勘案しないと不公平である。
しかし実際に、街の持っている雰囲気として、高知と徳島にはさびれた部分を隠しきれない弱さがあるのだ。

「(四国の中で)最も候補となる宿の数が少なかったのが徳島」と昨日の日記で書いたが、
それが半分答えになっていると思う。常に観光客を受け入れる姿勢ができていない、ということなのだ。
そして、もう半分の答えが、祭りである。高知にはよさこいが、徳島には阿波踊りがある。
どちらも非常に有名な祭りであり、全国各地でその要素を取り入れた祭りが開催されている。
つまり、高知と徳島が盛り上がるのは祭りのときだけであり、それ以外の時期はおとなしく力を蓄えている。
高松と松山が、エネルギーを常に同じペースであちこちの空間をもとに発散しているとするなら、
高知と徳島は一年のうちの限られた数日に、それを爆発的な破壊力で発散するのである。
だから高知と徳島は、観光客が一年じゅう楽しめるような空間を用意する必要などないのだ。
そういう、空間を優先するか時間を優先するかという差が両者からは垣間見えて、とても興味深い。

同じ県庁所在地という都市であっても、エネルギーの発散方式に違いがある(価値観が違っている)わけで、
そこに暮らしている人たちの気質も含めて、地理学や社会学では収まらない現象が確かに存在する。
(和辻哲郎の『風土』がいいヒントになるかもしれない。そして高知と徳島は明らかに南国・ストリート型の文化に属し、
 それが「踊り」を主体とした大きな祭りを生み出した点を考察することは、非常に面白いことだと思う。)
そういう意味では、高知と徳島という街の魅力は、祭りのときに訪れないと正しく味わうことができないのだろう。
都市と祝祭の問題は、僕らが日ごろ考えてる以上に根源的で重大な問題なのかもしれない。

●14:27 徳島 → 15:33 高松 特急うずしお18号(高徳線)

徳島駅に戻ってくると、すでに特急がホームに停車していた。自由席を確保しておやつを買い込むと、発車を待つ。
ふとホームの「徳島」という看板を見上げると、今度は四国アイランドリーグのインディゴソックスのマークが目に入った。
そういえば、J2の徳島ヴォルティスを応援するポスターもフラッグも、徳島市街ではまったく目にすることがなかった。
本当はどこかにあったのかもしれない。でも僕にはわからなかった。市役所にはあった気がしないでもないけど。
徳島ヴォルティスは、徳島よりもむしろ鳴門市で盛り上がっているのかもしれない。スタジアムも大塚製薬も鳴門だから。
ただ、徳島の元気のなさを目の当たりすると、こういう盛り上がる材料をみすみす見逃していることが惜しく思える。
プロスポーツを通すことで、都市は確実に活気を生み出すことができるのだ。そういう事例を僕はいくつも目にしている。
(この四国旅行では、高松が四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズの優勝でちょっと盛り上がっていた。)
せっかくプロのクラブがあるわけだから、それを活用しないと、街とクラブのどっちにとっても非常にもったいない。

 四国一周計画 4/4 徳島→香川

さて、特急は高松に向けて走り出す。だだっ広い吉野川を渡ると、景色はすぐに田舎のそれになる。
角度の鋭い棘のような山がいくつも現れるようになる。山裾と比べて標高がずいぶん高く感じられる山が多い。
巨大な山脈が帯のように目の前に広がる光景に慣れきっている長野県人には、珍しくてたまらない光景である。
そのうち列車は香川県に入る。狭い香川も愛媛県に近い西部と徳島県に近い東部ではけっこう雰囲気が異なる。
線路の走っている位置のせいかもしれないが、西部はなだらかで海の近さを感じさせ、東部はとりあえず山が目につく。
そして列車は栗林公園駅あたりから住宅が広がる高松市の中心部へと入っていく。
新しい方の香川県庁が無数の屋根の中にそびえ立っていて、見ていて非常に違和感があった。
やがて列車は高松駅のホームへとすべり込む。これにて四国一周の完了である。
5日間での弾丸ツアー、すべてが計画どおりで無事に成功。よかったよかった。余は満足じゃ。

  
L: 徳島駅。そごうのところのペデストリアンデッキから撮影。ちなみに真ん中より右側の黄色はすべてタクシー。
C: 吉野川。川幅広い。猛スピードで走る中、橋の鉄骨の間をすり抜けて奇跡的にうまく撮れた一枚である。
R: 高松市の住宅街の中で異彩を放つ香川県庁。まあ確かにランドマークにはなっているが。

改札を抜けると、再度めりこみさんに連絡を取ってみるが通じず。
常識的に考えてお仕事中の時間なので、気まぐれに行動している僕が悪いのである。念のため。

さて残り時間は少ないが、高松市内をちょっとだけウロウロしてみるだけの余裕はある。
「それじゃあもう一回見てみるかね、香川県庁」と思い、荷物を背負って歩きだす。もちろん、もう地図なんて必要ない。
高松市役所の近くで、ついに雨が降り出した。折りたたみ傘を取り出して歩いていく。
平日17時前ということで、香川県庁東館の中に入ることができた。しかし省エネのためか、照明がついていない。暗い。
ガラスの内側、アトリウムというほどには広くないホールの中を、天井を眺めながらウロつく(写真はこちら →2007.10.6)。
奥の自動販売機で紙パックの飲み物を安く売っていたので、牛乳を買って飲みつつ、やっぱり眺める。
ホールのベンチでは県庁職員か市民団体の人たちが肩を寄せ合って何やら話し合っている。
下校時刻を過ぎて、すぐ近くの小学校から子どもたちが県庁のオープンスペースに流れ込んでくる。
しかし、ここは人がたむろするには狭い。ベンチも少ない。暗いし。あくまで行政が困らない程度に開かれた空間だと思う。
もし仮にこの東館の向かいに図書館でもあれば、高松高校の生徒を中心に大きな賑わいが生まれるだろう。
それは活気のある空間という一点においては理想的なものとなると思うが、
しかしそれを県が望むかというと、建前としてはともかく、本音としては望まないだろう。
大学院時代に多摩地区の市役所の聞き取りで、狛江に行ったときに聞いた話を思い出す(→2002.9.2)。
公用財産と公共用財産の差である。ヨーロッパなんかの観光地化した市役所とは大きな差がある。
あらためて、政治と空間、公共性と市民社会の関係性について思いを馳せる。そして時間は過ぎていく。

旅行も最終日の夕方ということで体力的には本当に限界に近い。
フラフラな足取りで商店街へと戻ると、カフェで一服。ただ深呼吸をして過ごした感じ。
で、高松空港行きのバスに乗るべく駅前へ。17時15分に出るバスが最終なので、それに乗る。客は僕ひとり。
それでも途中の百十四銀行の前でビジネスマンの集団が3~4人乗った。そのまま南下していく。
寝っこけていたら、めりこみさんから電話。結局めりこみさんにお会いすることはできなかった。
せっかく四国まで来たのに、なんつーか僕がいいかげんな性格をしているせいで、迷惑ばかりをかけてしまった。
ぜひ下関で借りを返させてください、と言って電話を切る。いろんな思いで頭の中がぐちゃぐちゃになる。

空港に着くと、何をどうすればいいのかわからない。
間の抜けた表情で立ち尽くしていたら、係の女の人に声をかけられる。それで手続きの手順の説明を受ける。
今回、僕はANAの飛行機を予約しておいたのだが、実は本日から、ANAのEdyカード1枚を持っているだけで、
駅の自動改札を抜けるのとまったく同じ要領で飛行機に乗れてしまうサービスが始まったのである。
僕はそっちの手続きを完了していたので、面倒くさいことは一切ないのであった。世の中どんどん便利になりますね。

土産物屋で会社向けのお菓子を買ったり、飲み物を買ってのんびり休んだりして過ごす。
それにしても、一人旅で飛行機に乗ることになるとは思わなかった。少なくとも沖縄に行くまでは考えたことがなかった。
沖縄に行って飛行機の便利さを実感して、ようやく飛行機を選択肢のひとつとして認識したわけである。
できれば夜行バスで安く抑えたいところで、実際に往路は夜行バスに乗って高松入りしたんだけど、
明日には仕事が待っているわけで、さすがにそこまでの無茶はできないのである。そういうわけで飛行機にした。
今年の2月には関西国際空港で「いつかお前に乗ってやる」なんて言ってたのだが(→2007.2.12)、
それから半年過ぎて、こうもあっさり飛行機という手段を選べる自分になっているとは。自分で自分が意外だ。

ぼちぼち時間ということで、カードをかざして出発ロビーの中に入り、金属チェック。今回は引っかからず。
信じられないほどスムーズに機内へと乗り込む。ざっと見て、席は3割前後くらいの埋まりよう。
そんでもってお約束の手順があって離陸。やっぱり怖い。機体があからさまに斜めになっていて、どうにも落ち着かない。
しかも今回はかなり揺れる。天気が悪かったためか、ガタガタという揺れがおさまらない。
「ダメだったらダメで運が悪かったってコトで。」なんて苦笑いで目を閉じて耐える。小心者である。
離陸態勢が終わってもかなりの時間、シートベルト着用のランプは消えず、思い出したように揺れは続く。参った。
それでも窓際の席に座ったおかげで夜景を楽しむことができた。どの夜景がどの街かまではわからなかったけど、
雲の合間で姿を見せるその力強い光に、「でもやっぱり飛行機って面白いなあ」と思うのであった。忘れっぽいのだ。

  
L: どこだかわからなかったけどきれいだった夜景その1。  C: どこだかわからなかったけどきれいだった夜景その2。
R: 夜、無人の羽田空港第2ターミナル。なんだか「未来!」って感じの光景である。

着陸についてはまったく問題がなく、拍子抜けするほどすんなり東京の土を踏むことができた。
速い。ついさっきまで四国にいたはずなのに、今はもうホームグラウンドの東京都大田区なのである。
四国旅行の記憶が夢か幻かと思えてしまうほどで、思わずほっぺたをつねってみたりなんかして。

とにかく腹が減ったので、ターミナル内の蕎麦屋で天ぷらそばを手繰る。
天ぷらそばなんて今まで一度も食べようと思ったことがなかったのだが、高松での釜天の影響か、無性に食べたかった。
それでようやく、旅の経験を自分の中できちんと消化できたような気分になる。

食べ終わって一息つくと、電車に乗って家に帰る。しんどい。明日が仕事というのが信じられない。
飛行機にしておいてホントに正解だったと心の底から思う。とにかく家に帰ったら風呂に浸かってたっぷり寝たい。
これはスポーツだと思う。四国一周というのは、旅行ではない。スポーツだ。お遍路さんもそうだ。これはスポーツだ。
なんだかひとつの絶対的な真理に触れたような気分になる。一個人の勝手な見解なんだけど、本当にそう思ったの!

最後に、四国でいちばん印象に残ったどうでもいいこと。
それは、四国の人はほぼ全員、横断歩道のルールをきちんと守るということである。
僕なんかは信号が青になるタイミングを見計らって第一歩を踏み出す。少し早めにスタートを切る。
しかし四国の人たちは、青になったのを目で確認して、そこでようやく脳ミソが「動け」と命令を出す感じなのだ。
信号無視はまずしない。とにかく皆さん、見事なまでに、青になったのをよく確認してから歩きだすのだ。
ただ、高知と徳島では、若い人で早めのスタートを切る人がいた。でもかなりの少数派である。
僕はここに、南国特有のだらしなさというか、はみ出す感じを覚えた。ホントにどうでもいいけど、まあそう思った。


2007.10.8 (Mon.)

今回の四国一周については、仕事の都合もあるわけで、旅行できるのは5日間が限界なのだ。
5日間で4県をまわるという超・強行スケジュールを敢行しているのである。せわしないったらありゃしない。
で、当然ながらどうしても、本来の希望どおりにいかない部分というものが出てくる。
それは、昼から午後にかけて余裕をもって街をあてもなく歩く、ということである。
「県庁所在地ひとり合宿」を始めた当初は、到着したその日のうちに県庁・市役所・街の中心部を歩く、
というルールが守られていた。ルールというのも変だが、その街を理解するためにはどうしても、
人出が多くて賑わっている時間帯にあちこち歩きまわることが不可欠なのである。
でも最近は余裕のないスケジュールを組むせいで、午前中の早いうちに街歩きを済ませなければならない、
そういうパターンが非常に多い。そして今回の四国旅行では、愛媛以外ぜんぶ早朝訪問(の予定)である。
これではいかんのである。いかんのであるが、ほかにも見たいものがいっぱいあるのでしょうがない。
そういうわけで、本末が転倒しかけている状況なのである。反省をしつつ、朝の7時に撮影に出る。

インターネットを駆使して時刻表などをチェックしていった結果、高知市については11時までいられることが判明した。
たいていの店は朝10時に開店することを考えると、まあギリギリOKってなところである。
とりあえず、まずは高知城に行き、県庁と市役所を撮影し、10時に近いところで商店街をブラつくプランを立てる。
人が多かろうが少なかろうがかまわない場所は早めに行ってしまう、というわけである。

宿を出てみると、雨があがった直後といったふうに地面が濡れている。しかし空は明るい。
ホントこういう運はいいなあと自分で自分に呆れながら、高知城目指して歩いていく。
木々の葉っぱから落ちる雫が朝日に輝く、まさにそんな具合。高知城公園の緑も鮮やかに映る。
機嫌よく追手門の前で写真を撮っていたら、タクシーの運ちゃんに声をかけられる。
いかにも年季の入った酒飲みといった印象。今日の予定を聞かれて「室戸岬まで」と言ったら目を輝かせる。
「四国は鉄道だと高くなるからタクシーでも大差ない」なんて言ってくるけど、こっちにはバースデイきっぷがあるのだ。
「お得な切符がありますんで大丈夫っす」と言ったら、おっちゃんは途端にあっさり撤退。まあそりゃそうだわな。

  
L: 県立図書館前にある山内一豊像。『信長の野望』ではあまり目立たない存在だが、ここでは主役。
C: 高知城追手門。この角度からの撮影がいちばん美しいらしく、後で同じアングルのパンフの写真をやたら見かけた。
R: 門をくぐると板垣退助像。ポーズが非常にかっこいい。そんでもって高知城の天守はやたらと背景に入ってくる。

追手門から高知城の中へ。まだ朝早いので観光客がほとんどいない。快適である。
砂利の敷かれた城内を駆け上がっていく。アイスクリーム屋がテントを張って開店準備をしている。
二の丸の方から天守に入るのがオーソドクスなルートに思えたのでまわり込むと、まだ建物が開いておらず入れない。
しょうがないので天守のふもとから直接向かおうとするが、こちらも結局、最後の門が閉じていた。
まあどのみち天守の中に入ることはしないので、素直に景色を楽しんで過ごすことにする。やはりなかなかの絶景だ。
東を見ても西を見ても、高知という街がかなり遠くまで広がっていて、静かに寝覚めを迎えようとしている。
対照的に南北には山が並んでいる。南をこのまままっすぐ行けば桂浜。でもかなり遠い。
高知の中心部と桂浜は、ほとんど隣の市に行くのと変わらないくらい距離があるのだ。
交通機関が充実していればいいのだが、路面電車もそこまで行かない。だから今回は断腸の思いであきらめる。
いつかまた、今度は余裕を持って高知に来たいな。そんでもって桂浜に行きたいな、そう思いつつ再び景色を眺める。
もうちょっとはっきり晴れていたらよかったのだが、雨が降っていないから十分これでヨシとしよう。
なんせ、天気予報では台風15号の影響により、高い確率で雨になるっていう話だったんだから。

 
L: 高知城天守。これまた江戸期のものがそのまま残っている。華美でもなく貧相でもない適度な美しさだ。
R: 天守のふもとから見た高知の街。東西に広がる平野を建物が埋め尽くす。四国の街はそれぞれに表情が違う。

高知城を見終わると、そのまま公園を一周してみる。そして現れるのが高知県庁(と高知市役所の裏手)。
高知県庁は城のふもとにくっつくようにして建っているのだ。堀の内側に細長くたたずんでいる。

  
L: 高知県庁。非常に幅のある建物で、正面から撮ろうとするとカメラの視野におさまらない。
C: 交差点を挟んだ地点から撮影。シュロの右側の道路は、堀をまたぐ橋になっている。
R: 敷地内から撮影。こうすると、ファサードの細かい部分が多少はわかりやすくなったかも。

 こちらは県議会棟。本体とデザイン的に近い特徴を持っている。

細長い敷地に細長い建物をデンと配置し、その延長線上に県議会をちょこっと足す、そんな感じ。
いちおう裏手に建物がいくつか増築されているが、正面からは本体しか見えないようにしている。
十分な高さをとって、その分だけ面積を抑える庁舎は多いが、高知県庁は高さを抑えめに幅を伸ばしている。
これはおそらく後ろに控えている高知城を邪魔しない配慮だろう。でも県庁のファサードはモダンに凝っている。
デザインとしては突飛な要素はないんだけど、十分に個性派の県庁舎と言えそうだ。

さてそんな高知県庁の道を挟んだ向かいにあるのは高知市役所。といっても90°そっぽを向いてる感じ。
高知県庁は城を背にして南向きだが、市役所は商店街を見つめるように東向きである。
そしてこれがまたなんというか、とらえどころのない建物である。本体は入口の奥でどっしり構えているのだが、
外からは建物の位置関係がかなりつかみづらい。上空から見ないと全貌がつかめない、そんな感じなのだ。
とりあえずオープンスペースのある正面入口から撮影するが、なんだかきちんと撮れた実感がなかった。

  
L: 高知県庁の敷地から眺めた高知市役所。  C: 南東側より撮影した市役所。後ろの建物が見えなくなる。
R: 正面からオープンスペースをはさんで撮影。入口はこんなん。真ん中で野良猫がこっちを見ているのであった。

 北西側から撮影。なんとなく香川県庁(→2007.10.6)の影響を感じさせる?

そういうわけで、高知は県庁も市役所も保守系コンクリートオフィスなのであった。
県庁は肩幅広すぎ、市役所は明確なファサードを見せずにパッとしないということで、なんとなく釈然としなかった。

お役所の撮影を終えると、いよいよ高知の街を闊歩するのである。
といっても10時前なのでそんなに活気のある姿は見られないのだが、地図がいらなくなるまで歩きまわる。

  
L: 日曜市が開催される追手筋。高知城追手門からまっすぐ伸びる。ぜひその様子は見てみたいものだ。
C: 高知市内を走る路面電車。さまざまなデザインのものがあるが、このタイプが最も標準的。東西と南北の2路線のみ。
R: 高知駅。ホントに地方都市の駅って印象である。バスが多く止まっていたのはさすが。

高知の街を歩いていると、山内一豊をフィーチャーしているのをけっこうチラホラ見かける。
『信長の野望』的には土佐といったら長宗我部元親なのだが、高知市内ではまったく存在感がない。
まあ確かに、長宗我部氏の本拠地は岡豊(おこう、南国市)であり、高知は山内一豊がつくった街なのでしょうがない。
しかし、もうちょっとでっかく扱おうぜ、と思えてならない。長宗我部の方がジモティーなんだし。

高知駅から路面電車に乗る。乗客は見事に僕ひとりだけである。料金190円。
途中のはりまや橋で乗り換えるのだが、乗り換える際には運転手に自己申告して金を払い、切符をもらう。
松山の路面電車は乗り換えの切符だけもらって料金後払いだった。所変われば品変わる。
ローカルな生活感あふれる体験である。いろいろ戸惑うことも多いけど、やっぱりそれも含めて面白い。

いったん宿に戻って一休みすると、重い荷物を背負ってチェックアウト。時刻はちょうど10時ということで、
ちょうど店が開く時間なのである。時間の許す限り、アーケードをうろつきまわって過ごすのであった。
高知市の商店街は、松山や高松ほどではないにせよ、けっこう活気があった。
主に東西方向に何層にも商店街が走っているのが特徴になっている。
そしてアーケードのデザインに差をつけることで、うまくそれぞれの個性を演出しているのが印象的だった。

  
L: 帯屋町アーケードの端っこにある「ひろめ市場」。土産もメシも充実していて、オススメな場所。夜はかなり賑わいそうだ。
C: 高知市内で最も中心的と思われる帯屋町アーケードの様子。高松・松山に比べるとややパワーダウンか。
R: こちらは商店街地帯のど真ん中にある新京橋プラザ。クジラをイメージしたらしい。観光案内が非常に充実している。

さて、高知の名所といったらなんといっても、「日本三大がっかり名所」にも数えられている、はりまや橋である。
(ちなみに、あとの2つは北海道・札幌の時計台と沖縄の守礼門(→2007.7.23)。一年で2ヶ所も行くとは……。)
上記のように路面電車の乗り換え地点になっており、高知における交通の最も重要な交差点なのである。
そう書くとすごい大都会を想像しがちだが、実際には道幅が広すぎることもあって交通量はあるが閑散とした印象。
肝心の橋も、最近になってきれいにつくった街中の水路にちょびっと架かっているだけ。なるほど! 確かにがっかりだ!
しかも困ったことに、「はりまや橋」はもはや地名になっていて、そういう名前の橋は実際には複数あるのだ。
いちおう目についたはりまや橋はぜんぶ撮影してきたけど、公式にどれが名所の橋なのかはイマイチよくわからず。
(ちなみに、「はりまや橋」は漢字で書くと「播磨屋橋」。なんでひらがなで書くケースが多いのかもようわからん。)

  
L: たぶん最もポピュラーなはりまや橋。1998年に下を流れる水路と合わせて竣工。
C: こんな具合に、飯田橋の暗渠跡とほとんど大差のない感じでちんまり架かっているのであった。
R: 川の地下は通路になっており、その東端には先代のはりまや橋が展示されている。

 
L: 道路を挟んで反対側にもはりまや橋がある。こちらは洋風(明治時代のものの復元)。
R: 国道32号が通るはりまや橋。そういうわけでこの界隈には、はりまや橋がたくさんあるのだ。

元気の出てきた街を歩きまわりつつ、だんだんと高知駅へ近づいていく。
駅に着いたときにはもうとにかく腹が減ってガマンならん状態になっていたので、カフェを併設したパン屋に飛び込む。
そしたらそこでアンパンマンの顔をしたあんぱんを売っていたので買ってみた。
というのも、やなせたかしは高知県出身だからなのだ。由緒正しいのだ。たぶん。

 
L: 元気百倍!  R: アンパンマンさっそくピンチ! 激ヤセだ!

……とまあ、頭の悪い写真を撮ったりなんかして過ごす。歩き疲れているときに甘い物は効くのだ。
そうやって時間いっぱい、英気を養う。おかげでずいぶん体力が回復した。ありがとう、アンパンマン!

●11:09 高知 → 12:13 安芸 (土讃線/土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線)

本日はバースデイきっぷ貴族の最終日なのである。けっこうさびしい。
まず高知から奈半利駅まで行き、そこからはバス。室戸岬を堪能した後はやっぱりバスでそのまま東へ。
甲浦駅からは阿佐海岸鉄道という第三セクターの鉄道に乗り(バースデイきっぷ対象外)、海部駅からJR。
そして夜になって徳島駅に到着、という予定である。今日も移動で一日つぶれる感じだ。

 四国一周計画 3/4 高知→徳島

高知駅から安芸行きの列車に乗る。途中の後免駅まではJR四国、そこから先は土佐くろしお鉄道だ。
土佐くろしお鉄道は昨日の中村線も経営している。高知の西と東、かなり性格の違う路線をセットで扱っている。
そういえば、かつてcirco氏も四国一周をしたことがあるという。しかしそれは土讃線で徳島に入るルートで、
まあ言わせてもらえば四国一周というよりは、四国3/4周といった印象のルートなのである。
でもcirco氏が挑戦した当時は当然、土佐くろしお鉄道ではなく土佐電気鉄道安芸線だっただろうから、
室戸岬まで行くのは今よりもずっといろいろと面倒くさいことだったのだろうと思う。それはしょうがない。
土佐くろしお鉄道+バスという交通手段が成立したのは、2002年になってからなのである。

さて安芸駅に着いて、乗り換えの車両を見て驚いた。完全にトラキチなのである。
安芸市は阪神タイガースのキャンプ地なので納得はいくのだが、それにしてもここまでとは。

 
L: 全身タイガースカラー。  R: 中にも伝統の縦縞が。選手の写真・色紙なども飾られていた。

さすがにシートまではタイガース仕様にできなかったようだが、それ以外は冗談抜きでタイガース一色。
本家の阪神電鉄の車両でもここまで徹底しているものは存在しないだろう。これは貴重だ。
ごめん・なはり線はカラフルな車両をいろいろと用意しているようで、そのサービス精神には頭が下がる。

●12:22 安芸 → 12:42 奈半利 (土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線)

ごめん・なはり線は田舎の第三セクターなのだが、そのわりにはずいぶんと垢抜けている。
高知県出身のやなせたかしに各駅を象徴するキャラクターをデザインさせているなど、かなり力が入っている。
安芸山地を背景に海へとなだらかに続く平野が続く風景は、非常に開放感があってよい。
ごめん・なはり線はほとんどが高架になっていることもあり、景色を存分に楽しむことができるのである。
しかも列車に乗っている間はかなり天気が良かったので、原色のランドスケープが鮮やかに印象に残った。

  
L: 安芸山地を背景に田んぼが続く。これが高知県東部の典型的な風景である。
C: なめらかな海岸線といかにも南国らしい青い海。太平洋は本当に広くて雄大だ。
R: ごめん・なはり線の終点である奈半利駅。いちおう、線路をさらに延伸できるように高架になっている。

13時前に終点の奈半利駅に到着。2階にあるホームから地上に降りる。
駅舎の1階では奈半利町の名物を大々的に売っていた。地元特産の柚子を使った調味料などが目を引く。
そして、これでもか!というほど全力で売っているのが、やなせたかしデザインのごめん・なはり線グッズ。
キーホルダーにはじまり、ぬいぐるみ、Tシャツ、お菓子、さらには酒まで、その品数の充実ぶりには本気で驚かされた。
こんなにつくってどうすんの? 採算取れるの?なんて思っちゃうわけだけど、活気があるのは良きこと哉。
ここまで元気な第三セクター鉄道ってのはそうそうないだろう。かっこいいのである。

奈半利駅の周囲にはとんかつ屋が一軒。次の予定があるのでそんなにのんびりしてらんないしなーと思い、
とんかつは断念して(店の外に値段が出ていなかったのも要因として大きい)、駐車場を挟んで隣のスーパーへ。
田舎の駅の終点にしてはずいぶん新しくて立派で、国道沿いの大型店舗に近い規模。
そこでテキトーに買い物をすると、休憩コーナーで余裕をもってパクつく。ややさみしい気もするが、しょうがない。

食べ終わったら再び外に出て、奈半利駅の周囲を探索して過ごす。
13時半を過ぎるとバスを待つため駅舎の脇のバス停に待機。そこそこ待って、水色のバスが登場。
バスの行き先は「甲浦(かんのうら)」だが、途中で通る室戸岬で降りるというわけだ。
で、発車。ここで乗った客は僕ひとりだけである。なんだか不安になりつつも、さらに東へ向けて動き出す。

●13:32 奈半利 → 14:31 室戸岬 (高知東部交通バス)

バスはずいぶんと新しくてきれいだった。僕はヨレヨレでガタガタ震えるようなバスを想像していたのだが、正反対。
iPodで音楽を聴きながら、快適に東へ進んでいく。途中でいかにも地元のおじいちゃんやおばあちゃんが乗り込む。
その一方で、降りていく人もチラホラ。完全に地元密着型の路線バスなのだ。でも、乗客は本当に少ない。
バスは田舎の幹線道路を快調に走る。まあ確かにこうやって便利な道路があれば、鉄道なんて必要ないのかもしれない。
昨日の足摺岬行きのバスは土佐清水市の中心部に行くまでは平坦だったのだが、その後は高低差狭い道ウネウネ。
つまりはそれだけ複雑な地形で、本来であればアクセスしづらい場所なのである。
しかし対照的に本日の室戸岬行きは、等高線どおりにずーっと海岸沿いを走っていく。かなりの違いである。
そしてしばらく住宅地を進んでいってから、「次は室戸岬」とアナウンスが入る。降車ボタンを押す。
運転手に料金を支払い、お礼を言って降りる。降りたのは僕ひとりだけなのであった。
やっぱりこのバスでも車酔いすることはなかった。わざわざバスを使って名所に来たからか、運転手さんも親切。
路線バスの旅ってまったく華がないんだけど、その土地の日常にがっちりと触れることができて、
そういう面白さは満載だなあ、とあらためて目からウロコが落ちるのであった。

さていよいよ高知名物のもうひとつの岬である、室戸岬にやって来た。……のはいいが、ぜんぜん観光地らしくない。
店は喫茶店のようなのと怪しげな土産物屋が2軒点在しているだけ、その向こうで観光案内所がちんまり商売をしている。
あれだけ行くのが大変だった足摺岬が観光地らしく人であふれ返っていたのに、室戸岬はぱらぱら人がいるだけ。
どうしてこの差が生まれるのかがわからない。不公平だ!と憤ってみたりなんかして。

 
L: 室戸岬周辺の道路はこんな感じ。標高がないので、足摺岬と比べるとずいぶん開けている。
R: 太平洋を見つめる中岡慎太郎像。後ろにはかつて展望台があったみたいだけど、今は閉鎖されていた。

朝、高知城でタクシーのおっちゃんも言っていたけど、室戸岬の醍醐味は「下りていけること」である。
太平洋の荒波が押し寄せるすぐ近くまで、その気になればその波をかぶることだってできる(当然、自己責任)。
断崖絶壁の足摺岬とはまったく違う楽しみがあるのだ。というわけで、海へと近づいてみる。

  
L: 中岡慎太郎像のふもとから眺めた室戸岬の様子。足摺岬以上に岩がゴツゴツと波間から顔を出している。
C: せっかくなので、海へと近づいてみることにした。自己責任で好きなだけ先端に行くことができるわけで。
R: 岩場は自然状態そのままなので、動きづらい恰好だと大変。帰り道の位置を覚えておかないと確実に迷う。

周りはすべて岩ばかりで、目印になるものが何もない。とりあえず足場の良いところを選んで進んでいく。
背中の荷物を気にしつつ岩のでっぱりをピョンピョン跳んでいくと、波しぶきがかかりそうなくらいのところまで来た。
のんびりゆったりと釣りをしているおっさんがチラホラ。しかし波は「釣り」という言葉からは想像できない激しさだ。
足摺岬でははるか足元で展開されていた波と岩との衝突が、室戸岬では1~2m先くらいの距離になる。
その迫力にただ圧倒される。ヘタに観光地化されていないこともあり、目の前にあるのは自然そのままの光景。
太陽の光に青く透き通った波は、黒い岩にぶつかり白く砕ける。それと空の4色だけが織り成す景色は、
非常にシンプルなだけにその雄大さが際立つ。茫洋とした太平洋を眺めていると、陸地にいることが奇跡に思える。

  
L: 室戸岬はこんな具合に岩だらけ。地図だとすっきりしているのに、実際に行ってみるとけっこう荒っぽい。
C: 複雑に岩が並ぶ海岸では、力強い波が渦を巻いている。透き通った海の水がきれいなこと。
R: たぶん室戸岬の先っぽ。この一帯は自然のままの状態なので、自己責任で好きなところまで行けるけど、さすがに無理。

しばらく岩の上で呆けて過ごす。波は人間の存在を無視してひたすら岩にぶつかり続けている。
轟音と波の運動を眺めていると、本当に人間の無力さというものを痛感してしまうのである。
なんだか自分探しの旅みたいだなこれ、と恥ずかしくなって後ろを振り返ると、そこには巨大な山がそびえている。
安芸山地の突端である。室戸岬は急峻な安芸山地が沈降して、あの鋭利な形をつくっているのだ。
地図で見るたび刃物を思わせる、まさにそのエッジの先端に、いま僕はいるのである。

  
L: 安芸山地の終端。この刃のような山がそのまま海へとすべり込んでいるのが室戸岬なのである。
C: 室戸岬のトンガリから東側は、対照的に浜辺になっている。しかし砂浜ではなく、黒く大粒の石が堆積している。
R: 黒い石の浜辺に押し寄せる波。そのたびに石がガラガラと大きな音を鳴らす。

どうしてそうなっているのかは知らないが、実に面白いもので、室戸岬の突端をほぼ境にして西側は完全な岩場、
東側は黒い大きな石が敷き詰められた浜辺になっているのだ。西と東で陸地の表情がまったく異なっている。
岩場に飽きた僕は浜辺の中に顔を出している大きな岩の上に立つと、恒例のパノラマ写真を撮影してみる。

室戸岬はかなり鋭角の岬である。おかげでこの写真は180°以上をおさめたものになっている。
海と岩石と空だけの景色は、「確かに高知ってのはでっけえな!」と思わせてくれるものだった。

バスが来るまでは2時間ということで、余裕はたっぷりある。
最初のうちは観光案内所を覗いてみるなどして過ごしていたが(展望台がある)、すぐにやることがなくなる。
しょうがないのでペットボトルのコカコーラを買って浜辺に戻ると、岩の上であぐらをかき、コーラを飲みつつ海を眺める。
これが日本酒の一升瓶であればそれなりに絵になるのかもしれないが、そんなもんないし酒弱いしでコーラなのだ。
その辺がどうも僕の締まらないところなのである。うーむ、オレって甘ちゃんじゃのう、と思いつつ波と語りあう。
「おんしゃー、こんまいことにクヨクヨしちゃいかんぜよ」「わかっちゅう。ほがなことわかっちゅうよ」
「男じゃったらでっかく生きていきーや。落ち込んじゅうヒマらぁてないじゃろう」「おう、やっちゃるき見ていやー」
そんな具合に脳内で太平洋と土佐弁で会話を交わす。ちょっとだけ、いごっそうのなんたるかを理解できた気がした。

●16:31 室戸岬 → 17:21 甲浦 (高知東部交通バス)

もうお腹いっぱいだーというくらい室戸岬を眺めたわけで、少し早めに準備してバスを待つ。
やっぱりバスを待つ客は僕ひとり。やがてバスが来て、乗り込む。乗っていた客はおっさんひとりだけだった。

空はどんどん暮れていく。バスは海岸沿いの穏やかな道を行く。右手に太平洋、左手に山。
道は多少は曲がったりはするものの、見える景色の印象はほとんど変化しないままである。
延々と同じような風景が続くので起きているのが正直しんどかった。ちょっとうつらうつらした時間もある。
それでもまあ根性で高知県東端の景色を目に焼きつけて過ごす。

僕とおっさんと運転手の3人だけでバスは甲浦駅へと近づいていく。
そして駅に着くと、運転手に挨拶して降りる。おっさんも降りたので、終点の甲浦岸壁までは客なしということになる。
ここまで乗客がいないものだとは思っていなかったので、なんだかものすごく切ない気分になってしまった。

さて甲浦駅は高知県東洋町にある。東洋町は今年4月の統一地方選で、
放射性廃棄物の処理場候補地としての調査受け入れを争点に町長選挙を行ったことでちょっと有名になった。
しかしまあ実際に来てみると、その過疎っぷりというか田舎の集落っぷりに「なるほどなあ」と思わされてしまう。
甲浦駅は町で唯一の鉄道の駅なのに、周りに何もないのだ。山のふもと、森に囲まれた神社があるだけなのだ。
駅の窓口はすでに閉まっていて、待合スペースが開放されているだけ。人もいない。
どうすりゃいいんだろうと途方に暮れて正面入口から出ると、脇に階段が据えつけられているのに気がついた。
上ってみたらそこがホームで、エンジンのかかっていない車両が置いてあり、その先には山をくり抜いたトンネルがある。
ホームから周辺をぐるりと見回してみたら、民家がかたまって並んでいるのが目に入った。少し安心する。

線路の南端は高架のまま行き止まりになっている。思えば奈半利駅も高架のまま終点になっていたわけで、
この甲浦駅と奈半利駅を室戸岬経由でつなげようという意志はあるのだ。いわゆる国鉄阿佐線ってやつだ。
でもバスに乗って実際にそのルートをたどった身としては、つなげたい気持ちは痛いほどわかるのだが、
何がどうなっても絶対に採算が取れないどころか利用客が一日100人いないんじゃないのって状況を実体験しているので、
「んー……がんばれ」としか言いようがないのである。日本に鉄っちゃんの独裁者が君臨しない限り無理だろうなあ。

  
L: 甲浦駅。デジカメの写真だと明るく見えるけど、本当はもうちょっと空が暗い。周囲はホントに「日本の田舎」って感じ。
C: 鉄道の終点って、どうしてこうも最果て感覚を増幅するんだろうか。奈半利駅とは比べ物にならないくらい悲しい風景。
R: 線路の先にはトンネル。まあ実際、よくここまで根性でブチ抜いてきたなあ、と思うくらい甲浦駅には人がいない。

発車時刻の10分前になって運転士がディーゼルエンジンを入れる。中に入ってその変則的なシートの形に驚いた。

 なんかのホールや談話スペースみたいだ。

この甲浦駅は、阿佐海岸鉄道という第三セクターの駅である。いつなくなってもおかしくないくらい経営がピンチだという。
阿佐海岸鉄道ではバースデイきっぷが使えない。運転士が行き先を聞いてきたので「海部まで」と答えて270円払う。
そうこうしている間に子どもや高校生を中心に客がそこそこ乗り込んでくる。さっきのバスのおっさんもいた。
車内には小学生が描いた電車の絵が飾られていて、阿佐海岸鉄道の必死のアピールが感じられる。
僕は鉄っちゃんじゃないから今まで廃線とか別に気にしたことがなかったけど、こうしてあちこちを旅していると、
鉄道がなくなることがいかに決定的なことなのかが、なんとなく実感できるようになってくる。
いろんなところに簡単に気軽に行けることが大切にされる世の中であってほしいなあ、と思いつつ発車。

●17:44 甲浦 → 17:56 海部 (阿佐海岸鉄道阿佐東線)

空がかなり暗くなってきていたので、風景はうっすらとしか見えない。
甲浦から宍喰(ししくい)まではやたらと長く、徳島県に入っても風景にそんなに変化は感じない。やっぱり海と山だ。
宍喰の次が海部で、阿佐海岸鉄道は実にわずか3つの駅だけで構成されているのである。
海部の近くの山の中では、「祝 上田利治氏野球殿堂入り」という垂れ幕を見かけた。
ウエさんってこんな山の中の出身だったのか、と思った。まあそんぐらい。

●18:00 海部 → 18:17 牟岐 (牟岐線)

海部に着くと、向かいのホームのJR四国・牟岐線に乗り換えである。
いま乗っていた阿佐海岸鉄道は折り返しで甲浦まで戻るのだが、やっぱり高校生がそこそこ乗り込んでいく。
なんだかちょっと安心した。そして牟岐線にも高校生たちが勢いよく乗り込んでくる。
阿南市より南側の四国東岸は、人口が少なく寂れているという話は聞いていた。
街の規模や駅の規模という点からは確かにそうだと思う。でもきちんと若い人がいる。
それにしても安芸山地などの影響で、徳島と高知の間には思っていた以上の断絶があった。ここまでとは予想外だった。
旅をして実際に体験すると、現地で当たり前のことがなるほどねと納得できる。それがうれしい。

●18:21 牟岐 → 20:46 徳島 (牟岐線)

バースデイきっぷをかざして隣の線路へ。すっかりディーゼルでワンマンの仕組みにも慣れた。
それにしても、本当に疲れた。もう辺りは真っ暗である。限界だったので、徳島まで軽く眠る。

徳島駅に到着すると、ホームの「徳島」という看板の隅っこに徳島ヴォルティスのマークがあるのが見えた。
いよいよ四国旅行の最後の街に着いたのだ。着いてしまったのだ。
もう使うことのないバースデイきっぷをかざして改札を抜けると、まずさっそくメシ屋を探索。
しかしあまりに腹が減っていたので思考がうまくまとまらない。えーい!と即決して駅ビルのレストラン街へ。
ほとんどの店が21時オーダーストップだったので、急いで迷う。「チャーハンだ!」と頭の中で声がして中華の店に入る。
そこでラーメンとチャーハンのセットを食べて、ようやく落ち着いたのであった。

疲れていたし行くところもないので、さっさと予約しておいた宿へと向かう。
今回の宿はすべて4000円未満で押さえたのだが(四国すげー)、最も候補となる宿の数が少なかったのが徳島だった。
予約した徳島の宿はビジネスホテルというよりも合宿所といった風情で、まあそれもまたよし、と思う。
画像の整理を済ませるとさっさと寝る。それにしても、ただ乗り物に揺られるだけってのも疲れるもんだなあと心底実感。


2007.10.7 (Sun.)

まだ真っ暗な中、宿を出る。平和通りという大通りを西に歩いているうちに、空は明るくなっていく。
西堀端通りを南下しているうちに、つい15分前とはまるで別世界というほどの朝の空になった。
松山駅に着いた頃には宿を出たときの空の暗さが想像できないほどになっていた。
夜明けってこんなにスピーディなもんだったっけか?と首をひねる。

バースデイきっぷ貴族の2日目は、かなりのハードスケジュールである。
ここ松山から最終的には高知へ向かうのだが、そこは僕のムチャな旅、途中で足摺岬に寄るのだ。
2月の潮岬(→2007.2.11)以来、行ける岬には行ってみたいと思うようになり、四国に来たからにはぜひ!というわけだ。
足摺岬と聞いてピンとこない人は、とりあえず四国の地図を見るのである。今は愛媛のだいたい真ん中にいるわけだ。
ここから高知県の西端、南にピョンと飛び出しているその先っぽである足摺岬に行って、
太平洋に向かって弧を描いているその真ん中からやや東寄りの高知市まで行くというわけである。
そしてこの足摺岬に行くのは、かーなーりー大変である。土佐くろしお鉄道の中村駅か宿毛駅まで行き、
そこから路線バスに乗ることになる。しかもこのバス、中村駅から2時間弱、宿毛駅からは中村駅経由で3時間弱かかる。
常識で考えればそれを松山から高知に行く途中にやることなどありえないが、残念ながら当方、常識のない人間なのだ。

 四国一周計画 2/4 愛媛→高知

やっぱり意気揚々と切符をかざし、しばらくホームで待って、鼻息荒く特急列車に乗り込む。3両編成。
特急宇和海(うわかい)はその名のわりにはあんまり海が見えないとのことだが、とりあえず海側の席に陣取る。

●06:49 松山 → 08:12 宇和島 特急宇和海1号(予讃線/内子線)

車窓から見える愛媛の風景は、やはり雄大な印象だ。山が幅広く連なって、それが幾重にも奥行きをもって重なる。
海までの間に残された平地で農業が繰り広げられる。向こう側が想像できないくらい、山脈には厚みがある。

 愛媛の朝。奥にある山々は、遠くのものほどどんどん高さを増していく感じだ。

電化されている区間は伊予市駅でおしまいである。以降、四国の旅はひたすらディーゼルの音を聞きながら、となる。
海側を走る予讃線とスピードの出せる内子線との分岐はなかなか壮観で、大胆なカーヴがけっこうな迫力である。
内子線は山をぶち抜いているので快適なスピードで走るのはいいが、トンネルに出入りするのがあまりに頻繁で、
耳の中の気圧がおかしくなりっぱなし。景色もそんなに楽しめなかったので、なんだか少し不満が残った感じ。
内子町を抜けて大洲市に入ると、再び予讃線に合流して山間の中を行く。
玉津港で海が一瞬見えた。おお、これはなかなか、と思ってカメラを構えたときにはもう見えなくなってしまった。切ない。
うーむ山ばっかりだ、と思っているうちにややさびれ気味の住宅街に景色は変わり、やがて宇和島駅に到着。

次に乗る予定の列車の発車時刻まで、1時間強の余裕がある。となれば当然、街をあちこち見てまわるのである。
これもバースデイきっぷだから気にせずできることなのだ。フリーきっぷとは実にすばらしいものである。
そういえばcirco氏に四国一周すると言った際、「宇和島には行かないのか」と言われた。
そのときは「あんまり寄る時間はないと思う」と返事したのだが、1時間、できる限りいろいろ見てやるのだ。

まずは市役所である。宇和島市役所は、港に向かう途中のところにある。
ヤシの木が植えてある大通りを中心に、街の様子を探りながら歩いていったのだが、正直あまり活気が感じられなかった。
これだけ奥まった場所にあるのだ、しょうがないだろう。そう思いつつ歩いていく。
宇和島市役所は、四角い建物に四角い窓という絵に描いたようなオフィス建築なのであった。
「祝 タンパベイ・デビルレイズ入団 岩村明憲選手」なんて垂れ幕が下がっていた。
そうなのだ。宇和島市はプロ野球選手をよく輩出する街なのだ。わがヤクルトスワローズもお世話になっている。
表面的には見えない部分の活気ってのもあるんだろうなあ、なんて思いつつ、そのまま宇和島港へ。
宇和島港は工業施設というかガスタンクやらプラントやらが目立っている場所だった。

  
L: 宇和島駅。予讃線と予土線の終着駅で、さすがになかなか最果て感の強い場所である。
C: 宇和島市役所。いかにもでございますね。  R: 宇和島市の商店街。開店準備が済めば、けっこう活気があるのかも。

それから、残り時間が半分になっていたので、少し急いで宇和島城を目指すことにする。
宇和島城は遠くからでもよく見える、市街地の真ん中の山の上にある。が、どこから山に登ればいいかわからない。
それでけっこう遠回りして、駅とは反対側、児島惟謙の銅像の脇から登っていく。
城跡というよりは自然公園といった印象なのだが、ところどころで石垣が見えてああそうだったと思い出す感じ。

 緑一色の中、石段を駆け上がる。ヒー

やがて頂上にたどり着いた。1671年建造の天守がお出迎えである。ちんまりとかわいらしい印象がしてしまう。
宇和島城は藤堂高虎が大改修したのが今の姿のきっかけになっているという。
その後、伊達政宗の長男・伊達長宗が宇和島藩の藩祖となった。でも仙台と特に友好関係にあるわけではないみたい。
本丸一帯は、やや小規模だが穏やかな空間である。木々の間から宇和島の街が眺められるが、これが見事。
北東を向けば愛媛らしい急峻な山に囲まれながらも平地部分を埋め尽くしている街並みが見え、
西を向けば山が直接海に沈みこんでいる宇和島港の様子がしっかりと手に取るようにわかる。
交通の便が良くなることや宅地化が進むことで、都市の輪郭はどんどんわかりづらくなっている。
しかしこの宇和島の街は、良くも悪くも街の輪郭を明確に残していて、城下町らしさを存分に感じさせるのであった。

  
L: 宇和島城。江戸時代初期の城で山間地にあるためか、規模は大きくない。でもそれが逆にリアルに映る。
C: 宇和島城本丸から眺められる景色。山に囲まれながらも、力強くたたずむ街の姿が感動的。
R: こちらは宇和島港。急峻な山地がそのまま宇和海に沈み込むリアス式海岸なのがよくわかる。

景色を存分に楽しむと、行きとは違ったルートを駆け下りる。そしたら、商店街の中心部に出た。
しかし僕は宇和島市の地図を持っていないし、方角の感覚も山から下りてなくなってしまっているしで、軽く迷う。
どっちに行けば駅なのか、適切なサイズの地図がどこにも掲示されていないので非常に困った。
南予文化会館の先を行ったら、アーケードに出た。さあ、左へ行くか、右へ行くか。どっちかを行けば、駅に近づく。
うーむどうしよう、と迷っているうちに時間は過ぎていく。店がそれぞれ、開店準備に取りかかろうとしている。
落ち着いて考えてみたら、坂を下る方が駅に近づくことになるわけで(坂を上ったらそのまま山に入っちゃうじゃん)、
左だ!と確信を持ってアーケードを抜ける。そしたらさっき通ったヤシの木の大通りに出た。
いやー、よかったよかった。……ってか、店の人に道を訊けよ、オレ。

宇和島は周りを見事に山と海に囲まれていて、非常に奥まったところにある街だった。
商店街はほかの地方都市と同様にあまり活気のない印象がしたのだが、それでもわりと平然と構えていたように思えた。
というのも、有名な闘牛をはじめとして、宇和島では定期的にさまざまなイベントが開催されているようだからだ。
街のあちこちには大相撲宇和島場所のポスターが貼られていた。盛り上がる機会があるから問題なし、そんな感じ。
まあ確かに日常的に盛り上がるのが非常に難しい場所にある街なので、ふだんはじっとエネルギーを蓄えているのだろう。

飲み物を買い込むと、停車していた予土線の車両に乗り込む。ここまでは特急のお世話にばかりなってきたが、
今度は1両のワンマンカーである。もちろんディーゼル。乗り込む際に「乗車券をお取りください」と音声が鳴った。
これってバスとまるっきり一緒じゃん、と思う。そうなのである。ローカル線のワンマン列車は、路線バスと同じ仕組みなのだ。
後ろのドアから入って乗車券を取り、降りる際には前のドアのところで乗車券と運賃を箱の中に入れる。
運転席の後ろ側には路線バスと同じようにデジタルの料金表が貼り付けられている。
所変われば品変わる、とはこのことだなあ、と思いつつロングシートに腰を下ろす。

●09:35 宇和島 → 11:45 窪川 (予土線)

より完璧な四国一周を目指すのであれば、宇和島から宿毛までバスが出ているので、それに乗る方がよい。
しかし予土線は四国山地の中を抜けていくだけあって、四万十川の清流を楽しめるという特徴を持っている。
どうせ足摺岬へはバスで行くんだし、四万十川ぐらいきちんと見ておかないといかんよな、と思い、
この非常にローカル色の豊かな予土線に乗ることにしたのだ(もちろん、バースデイきっぷという経済的事情も大きい)。

予土線は、最初は完全に山の中、続いてひたすら田んぼの広がる標高が高めの田園風景の中を行く。
のんびりとした景色が延々と続くのだが、行っても行っても駅名標には「愛媛県」。愛媛県の広さをまたしても実感する。
やがて知らないうちに列車は高知県へと入る。少し開けた江川崎駅で、列車はしばし休憩(10分くらい停まっていた)。
乗客たちは列車を降りて、駅のホームや駅舎の辺りを散策。このいいかげんさがすごい。もちろん僕も歩きまわる。
山に囲まれて周囲には何もない。暖かな風を感じつつ、あれこれ撮影してみる。

  
L: 予土線の車両。JR四国のローカル線はみんなこのパターン。JR四国の車両は徹底してライトブルーの色を使っていた。
C: 江川崎駅のホームから高知方面を眺める。うーん、いかにも旅の途中って感じ。  R: のどかだ。

JR四国のほとんどの線路は単線なので、対向車両が来るとしばらく駅で待つことになる。
特急列車に乗っていても、こっちに向かってくる特急を待つために停まることがあるわけで、おおらかなものである。
で、対向車両がホームに来ると、こっちの列車はやっとこさ発車。いよいよ四万十川とのご対面となるのであった。

江川崎駅を出てトンネルをくぐると、眼下に四万十川が広がる。山に囲まれる中、ゴツゴツした岩を露出させつつ流れる。
列車は右に左に、まるで四万十川と踊るように進んでいく。とにかく四万十川の蛇行が激しいので、列車に乗っている間、
川のさまざまな表情を目にすることができる。窓ガラスがわりとしっかり汚れた状態だったので少し曇った感触になったが、
いろいろあれこれ撮ってみた。本当は窓を開けて撮影したかったけど、運転手が冷房しているからダメって言うのが残念。

 
L: 岩の多い四万十川。山の色を映したような緑の流れが印象的。
R: こちらはだいぶ窪川寄りになってきたところで撮った画像。清流ぶりがよくわかる。

本当は高いところから眺めているだけじゃなくて、実際に四万十川の川岸まで行って川の水でもすくってみたいところだが、
時間がないのでしょうがない。まあいずれ、また来る機会を待つとしましょう。

そうこうしている間に列車は窪川駅に到着。若井-窪川間はJR四国ではなく土佐くろしお鉄道なのだが、
そんなもんバースデイきっぷには関係ないのである。こちとら王侯貴族なのである。
で、窪川駅から外に出ると、見事に天気雨。予土線の後半にはパラパラと柔らかい雨が降ったりやんだりしていたのだが、
足摺岬に行く身としては、天気はとても気になって気になって仕方がないのである。
「晴れろー!」と念じたらホントに雨がやんだので一安心。西の空は明るい。ま、大丈夫さ、と思うことにする。

 
L: こちらはJRの窪川駅。売店があったり、まあそこそこの規模。
R: こちらは土佐くろしお鉄道の窪川駅。歩いて15秒くらいの位置にある。中はただの待合室で、ホームはJRとつながっている。

次の列車までは30分くらいの時間がある。が、周囲には何もないので何もできない。
JRの売店を覗いたり周辺の地図を眺めたりして、飽きたので、ホームに停車していた列車にさっさと乗り込むのであった。

●12:16 窪川 → 13:17 中村 (土佐くろしお鉄道中村線)

土佐くろしお鉄道と名前は変わっても、車両数の少ないディーゼルの列車がローカルな風景を走ることには変わりはない。
それでも山の中を抜けると太平洋の海沿いを走る。昨日は瀬戸内海で無数の島を見たけれど、
太平洋には浮かんでいる島などひとつもない。ただただ茫洋と、青い水平線を見せているだけである。
海と近づいたり離れたりを繰り返して、列車は西へと進んでいく。乗客は地元の人を中心に、意外と多かった。
山が海のすぐそこまで迫っているという点は、三重~和歌山の牟婁/熊野地方を思い起こさせる(→2007.2.11)。
しかしあちらは入り組んだ典型的なリアス式海岸線なのに対し、こちらはそれに比べるとずっとなめらかである。
古津賀駅に来ると道幅が急に広くなり、風景は郊外のそれに大きく変化する。
線路は大きくカーヴを描き、中村駅へと入る。ここで降りる。

 中村駅。「小京都」と呼ばれる市街地からは少し離れている。

さて、僕は「四万十市」の存在をまったく知らなかった。地理の教員免許を持っているのにお恥ずかしい。
僕の頭の中ではここは中村市であり、長宗我部元親とやりあったことでお馴染みの土佐一条氏の街と認識していた。
その中村市は2005年4月に対等合併で「四万十市」となっていたのである。いやー、知らなかった。
中村駅周辺は市街地から遠いこともあり、特にこれといって惹かれるようなメシ屋もなかったので、駅周辺でただ過ごす。
柳家花緑の落語をテレビでやっていたから見ちゃったよ。で、国道まで出たところにコンビニがあったので、おにぎりを買った。

●13:45 中村 → 15:30 足摺岬 (高知西南交通バス)

コンビニから駅前に戻ってきたら、バスが停留所に停まっていた。急いで乗り込むが、発車時刻までは余裕があった。
とりあえずおにぎりを頬張り、カロリーメイトをかじり、車酔い止めを飲む。これで準備は万端である。

時間になったのでバスは発車。優雅に流れる四万十川を左手に眺めながら(さすがに雰囲気がよかった)、
バスは国道321号線をひた走っていく。四万十川を離れると、道はいかにも田舎の国道といった風情に。
何もない中、交通量はまあそこそこで、幅の広い道を快適に進んでいく。
路線バスなのでところどころで乗客を乗せたり降ろしたりしながら、バスは行く。ひたすら行く。
やがて太平洋がまた見えてくる(と文章で書くと早いが、けっこうかかった)。バスは土佐清水市の中心部へと向かう。
なんでもWikipediaによれば、土佐清水市は日本の市の中で東京からの移動時間を最も要する場所であるらしい。
こうして長時間バスに揺られていると、なるほどと思えてくる。それほど、奥まったところに来ているのである。
清水バスセンターでほとんどの客が降りる。土佐清水市民は大変だ。バスに揺られて中村駅まで行き、
そこから土佐くろしお鉄道でやっとこさ窪川まで出ることができる。これは本当に大変な手間だ。
自動車なら多少はマシなんだろうけど、それでもやっぱり移動するのは大変に決まっている。
それでも日本全国、地方で人々は今日も元気に暮らしているのだ。やっぱ東京中心に物事考えちゃいかんな、と思う。

清水バスセンターまで来たからって油断してはいけない。足摺岬までの道のりは、まだまだまだまだあるのだ。
なんせ路線バスである。地元住民のための交通手段なのだ。足摺スカイラインなどに乗ることはないのだ。
県道27号線から途中で細い道へと分岐し、集落をひとつひとつ懇切丁寧にまわっていく。
途中でジョン万次郎の故郷である中浜の集落も通過する。山道、そしてまた集落。それが繰り返される。
そして複雑に刻まれた岩肌が緑を頭に乗せ、そのまま太平洋へともぐり込んでいく見事な風景が目の前に現れる。
しかしそれも束の間、バスは再び山の中へと戻り、停車する対向車に感謝のクラクションを鳴らしながら、
曲がりくねった道を突き進んでいくのであった。途中で「足摺岬小学校」と書かれているのが目に入った。
こんな最南端にも小学校があるんだなあ、と思っているうちに、バスは金剛福寺の手前で停まった。到着である。
運転手さんにお金を払い、お礼を言ってバスを降りる。さすがに地元の運転に慣れているだけあるようで、
かなりの高低差をぐねぐねと走っていたのに、少しも酔う気配がなかった。薬を飲まなくてもたぶん大丈夫だったろう。

 
L: 足摺岬のバス停にて。いやーホントにどうもお疲れ様でした。  R: 足摺岬展望台入口の様子。右手前にはジョン万次郎像あり。

足摺岬は来るのがこれだけ大変な場所であるにもかかわらず、思った以上に観光地化されていた。
駐車場には大型の観光バスが何台も停まり、道路の脇には入りきれなかった車が列をなして無断駐車してある。
足摺スカイラインを使えばけっこう楽になるのかもしれないが、それにしても土佐清水市じたいが遠いというのによくまあ。
すぐ近くには四国八十八箇所の第三十八番札所である金剛福寺がある。これも観光客の多さに寄与しているのだろう。
広島ナンバーのバスで「お遍路さんバスツアー」と書いてあって、そういう商売もあるんだなあ、と変に納得。
土産物屋も何軒かあって、四万十うなぎと絶景を売りにしている店もあった。土佐清水市の中心部より活気ありそうだ。

さていよいよ足摺岬の展望台へと行ってみるのである。天気はそれほど良くないが、降ってないからヨシとしよう。
それに、少しくらい天気が悪く感じられる方が足摺岬っぽいではないか。……強がりか。
とにかく、ドキドキしながら展望台へと上る。で、てっぺんに出て、思い出した。そうだ、オレは高所恐怖症だったのだ。
遮る物が何もないので、当然風が強い。人間が風に飛ばされるはずなどないのだが、それを想像してしまい怖くなる。
まるでロボットダンスを踊るかのように、おそるおそる展望台の一番端っこへと近づいていく。
怖くて首が回らず、腰をひねって左から右へと景色を眺める。断崖絶壁である。これは本当に怖い。参った。

根性のパノラマ撮影である。デジカメを構えている間だけは無敵なのだが、撮り終わるとまたロボットダンスに戻ってしまう。
パノラマだけでは十分に迫力を伝えることができないと思うので、さらに足元を中心に、あれこれ景色を撮影してみる。

  
L: 足摺岬に来たら、その断崖絶壁ぶりを楽しまないといけない(ふつうの人ならね)。左手を見下ろせば、こんな感じ。
C: 続いて灯台のある右手を見下ろしたところ。ちなみに足摺岬はこの灯台のある側が南になるのだ。
R: 展望台で後ろを見るとこんなん。緑が生い茂っているけど、その雄大さに鬼押出しの浅間山を思い出した(→2007.5.4)。

しばらく歯を食いしばってガマンして過ごす。そしたらどうにか、ある程度は平静を保って歩きまわれるようになった。
人を寄せつけない、まさに絶景。そう言いたいところだが、僕以外の観光客はみんな平然と騒いでいる。おかしいって!
いちばん凄かったのはツアーで来た観光客の一団とカメラマンのおっさんで、おっさん脚立の上に立ってカメラ構えてんだぜ。
こんな断崖絶壁の上でそんな不安定な足場に立つなんて、ありえないよ! 見てるこっちが怖いよ!

 
L: 足摺岬の展望台で記念撮影をする人々。脚立の上でカメラを構えるなんて、そんなの絶対ムリだ。
R: こちらは白山洞門へと向かう道。亜熱帯の植生で今にもヘビなんかが出てきそう……。

展望台を後にすると、金剛福寺を参拝。帰りのバスまでは2時間あるわけで、早くも時間のつぶし方が問題になる。
せっかく来たんだからあちこち歩きまわってみるかな、と思い、まずは西へ、バスで来た道を戻ってみる。
周囲は完全に亜熱帯の植物が生い茂っていて薄暗い。そういえば空気もかなり湿っぽい。
5分ほど歩いたところで「白山洞門入口」とあるのを発見。そういえばさっき、展望台の入口、ジョン万次郎の像の解説で、
「白山洞門などの名所がある」みたいなことが書いてあったっけな、と思い出す。それじゃ行ってみるか、と坂を下りる。
小学生のころ、近所の愛宕神社で遊んでいて、崖の下にボールを落として取りに行ったときのことを思い出す。
道の両脇どころか頭上までも緑一色、湿っぽい空気のせいもあってなんだか虫やら爬虫類やらが出てきそうな雰囲気。
だからって引き返すわけがない。せっかく足摺岬まで来ているわけだから、気になるものはすべてこの目で確認するのだ。

  
L: 白山洞門。  C: 自然がくりぬいた岩の中を、波が激しく出入りする。その迫力には、ただただ無言で見入るばかり。
R: アロウド浜。ついさっき展望台で眺めていた勢いのよい波が、すぐ目の前に打ち寄せてくる。これまた迫力満点。

緑を抜け、絶壁に据えつけられた石段を降りていった先にあったのが、上のような光景である。
画像だとあまり迫力が伝わらないと思うが、目の前に巨大な岩がそびえ、そのど真ん中に大穴が開いている。
そしてそこからは青みを残した白い波が絶え間なく押し寄せ、盛大に水しぶきを上げては去っていく。
僕は日ごろボーッとしていることが多いけど、この風景には目の覚める思いがした。現実に、今、目の前でことが起きている。
映像などでは決して味わうことのできない、再現することのできない本物の迫力が、すぐそこにある。
「これは……リアルだ……」思わずつぶやく。この場所を訪れたことで、「現実」というものの感触を再認識したのだ。
僕はしばらくその場に立ち尽くして、目の前に広がるドラマを無言で眺めて過ごした。
どんなに眺めていても、これは飽きない。太平洋のやることはでっけえなあ、と感心して見入る。
そうして僕がアホ面こいて白山洞門を眺めている間、ここに来たほかの観光客は親子3人の1組だけだった。
せっかく足摺岬に来ても、ほとんどの人がこれを見ないまま帰るのだ。本当にもったいない。
むしろ岬の展望台よりもこっちだよ、こっち、と思う。

どれくらいの時間、白山洞門に魅せられていたのかはわからないが、とにかくけっこうな時間をそこで過ごした。
名残惜しさを感じつつ来た道を戻って展望台の付近に戻ると、もう一度岬を眺めてみる。
さすがに今度はさっきとは比べ物にならないほどの余裕を持つことができた。
で、展望台にも飽きたので、灯台の方へと行ってみる。実は、足摺岬の灯台の中には入れないが、
その周囲をぐるぐると歩きまわることができるのだ。実際にはこっちの方が展望台より南にあるし、行かない手はないのだ。

白山洞門への道に比べるとずいぶんとソフトな緑一色の道を抜けると、すぐに灯台のふもとに至る。
展望台から見たときにはけっこう距離がありそうに感じられたのだが、実際に歩いてみるとそれほどのものではない。
灯台のふもとからさらに奥に進んだところが、小規模なこれまた展望台になっている。
こっちは絶壁の迫力はそんなに味わえないものの、南端らしい虚無感があって、それもまたよろしい。
空はすでに夕暮れの気配が漂っていて、独特の風情を振りまいているのであった。

 
L: 灯台のところの展望台から見た岬。これが四国のほぼ最南端である。
R: 後ろには足摺岬灯台が建っている。毎日最果ての海を眺め、何を思う。

そうやって時間いっぱいあちこちを行き来しているうちに、けっこう足摺岬の絶壁に慣れることができた。
まあ、次に来るときまでにはすっかり元どおりに高所恐怖症が戻っているとは思うけど。
足摺岬といえば、僕の記憶で印象に残っているのは高校時代の担任のことで、この先生はけっこう天然で、
「頼んでくれればどこでも入れる大学を探してあげます! 北海道の足摺岬の先にある大学でもなんでも探してあげます!」
という非常にピントのズレたことを言っていた。地理教師の弥七さんとその話をして笑いあったものだ。
まあそんな、10年前には想像もしていなかった本物の足摺岬を目にして、感慨深いものがあったわけだな。

それにしても白山洞門には本当に感動した。太平洋のスケールのデカさを存分に感じた。
これまた昔話になるが、就職活動をして某新聞社の2次面接を受けた際、四国出身の人と同じグループになり、
「飲んだくればっかりだけど、たまにとんでもなくスケールのデカい人間を出すのが高知という土地」という話を聞いた。
香川は岡山ばかり見て、愛媛は広島ばかり見て、徳島は大阪ばかり見ているが、高知は大きな太平洋を眺めている。
そういう大きなものを日常的に見ていることで、スケールの大きさ・視野の広さが養われることがあるとかなんとか。
ちなみにもちろん、そのときの僕の答えは、「じゃあ海のない長野県人はどうなるんすか」だったわけで。面接落ちたし。

最後にもう一度、展望台から足摺岬の光景を記憶に焼きつける。そうしてバスに乗り込む。
来たときには2時間も時間をつぶすのが大変、なんて思っていたけど、まったくそんなことはなかった。

●17:21 足摺岬 → 18:56 中村 (高知西南交通バス)

バスの中から、夕焼け空が見えた。夕焼けなんて数え切れないほど見ているはずなのに、足摺の夕焼けは特別だった。
時間と季節と天気によっては、もう本当に涙が出るほど美しい光景となるのだろう。

 足摺の夕焼け。

帰りのバスも、行きと同じように懇切丁寧に集落をまわっていく。
日が沈み、暗くなっていく中、人々は今日も変わらず明かりをつけて自分の家で暮らしている。
当たり前のことが当たり前であることの幸せってのを、なんとなく感じた。

バスの中で、お遍路さんというものについて考えてみる。
お遍路さんとは言うまでもなく、四国にある空海ゆかりの八十八箇所の札所をめぐる人のことである。
予土線に乗っているときには、列車利用のお遍路さんと向かいの席に座った。
バスに乗っているときには、歩いて足摺岬から次へ行く途中の人を何人か見かけた。
そして足摺岬では、バスツアーの存在を知った。ありとあらゆる交通手段で、多くの人が旅をしている。本当に多い。
四国は4県がそれぞれ拮抗していて絶対的な核となる都市がないこともあり、経済的にはやや苦しい地域である。
平地は少なく山ばかりだし、面積がそこそこあってつながりが悪くなっているしで、不便さが目立つ場所だ。
でもこうやって、四国でなければできない旅をするために、全国から人がやってくる。これは大きな財産である。
空海って人は、1200年以上前に伏線を埋め込んで、四国の人たちを食べさせ続けているのだ、と見ることもできる。
そう考えると、これはとんでもなく凄いことに思えてくる。

来たときとほぼ同じ時間かかって、バスは中村駅に着いた。やっぱりしっかりお礼を言って、バスを降りる。
駅の店はすべて閉まっていて、やることがない。しばらく改札口の前で突っ立っていたら、
「これから特急しまんと10号の改札を始めます」とアナウンス。自由席指定席喫煙席禁煙席の説明もあったが、
疲れていたので何がなんだかぜんぜん理解することができない。もうワケがわかんなくなったので、
窓口でバースデイきっぷを提示し、座席の指定を受ける。どうせ夜で真っ暗だから車窓の風景を気にすることもないし。

●19:10 中村 → 20:54 高知 特急しまんと10号(土佐くろしお鉄道中村線/土讃線)

宿毛からやって来た列車が、ホームに停車する。生まれて初めてのグリーン車である。
1号車の後ろ半分だけがグリーン車ということで、車両の真ん中に仕切りがしてある。ずいぶんせわしないグリーン車だ。
どうせそんなもん今後は乗るつもりになるわけないだろうから、貴重な機会をしっかりと味わうことにする。
まあ確かに余裕のある席はよろしかったけど、これだけのために追加料金を払うってのはナシだわ、と思って過ごす。

さて半分寝っこけていると、ケータイ電話が鳴りだす。大学の先輩で今は地元の高松に戻っているめりこみさんからだ。
四国旅行に出る前日、めりこみさんの掲示板に「明日高松行きます!」と書き込んだのだが、見てなかったよオイとのこと。
というか、どう考えても前日にいきなり報告を書き込む僕が悪いのである。電話連絡を入れてもいいわけだし。
最終日に高松に戻るので、そんときお会いできればいいなあ、と思うが、なんせこっちのスケジュールが異常なので、
それが叶うがどうかはわからない。計画は前もってちゃんとしておかなくちゃ他人に迷惑がかかるということを、
イヤというほど実感したのでありました。いや本当にすいませんでした。

寝過ごすと土讃線で高松まで行ってしまうので、そうならないようにケータイの目覚ましを操作しておく。
でもそんなことは杞憂で、以降は眠くなることもなく、今日一日あったことをじっくり思い返しながら過ごす。
さすがに日記を書く体力はなく、ただ穏やかな気持ちであれこれ記憶を整理していく。

20時54分、高知駅に到着。地方都市にはもうすっかり遅い時間である。
しかし、空気がずいぶん暖かい。沖縄の夜を思わせるように、暖かいのだ。さすがは南国土佐だ、と思う。
なんでもいいからメシを食って、さっさと宿に入ろうと思い、大通りをまっすぐ南下していく。
すると途中でアーケードの商店街があったので、吸い寄せられるようにフラフラ入っていく。
商店街ではシャッターの前で座り込んでいる若者が目立っていた。やっぱり沖縄同様、南国はストリート系なのだ。
暖かいから遅い時間までブラブラしていることに抵抗が少ない。そういう気風ができあがるものと思われる。
入口からちょっと行ったところに交差点というか辻があり、その4つの角のうちの3つが魚料理の店だった。
メニューを見てみると、あるじゃないですか鰹丼に鰹定食。さすがは高知名物である。ちなみにクジラ料理も目立っている。
せっかく高知にたどり着いたわけだから、まあ鰹を食べるしかないだろう。丼で一気に食いたいな、と思ったので、
値段などを勘案して3軒のうちの1軒に入り、鰹のたたき丼を注文する。正直、日本酒を一杯あおりたかったが、
やっぱり翌朝が早いので、影響が出るとまずいからガマン。飲んべえ的発想になるのはここが高知だからに違いない。

 鰹のたたき丼。おいしゅうございましたよ。

はりまや橋交差点をさらに南下。途中のコンビニで夜食を買う。四国のコンビニでは特に四国らしさを発見できなかったが、
「四万十のり」のおにぎりが置いてあったので買った。川のりの風味が豊かで、おいしくいただいた。
あと、「かつお」のおにぎりも買ってみた。中身はおかかだったんだけど、気のせいか味が濃かったように思えた。
さて、あらかじめ会社でプリントアウトしておいた地図を見ながら宿を目指して進んでいくが、
明らかに風俗店の建ち並ぶ一角へと入る。おいおい、なんじゃいこりゃと思うが、地図ではそうなっているからしょうがない。
で、結局地図は正しく、風俗街のはずれに予約しておいた宿はあるのであった。なるほど、それで安かったのか。
泊まってみたらその宿は質実剛健としか表現しようがないくらいに清貧。疲れていたのでしっかり眠れれば問題ない。
デジカメのデータを整理して風呂に入った後は、さっさと気持ちよく寝させてもらった。

足摺岬に行くのは本当に大変だったけど、日記をまとめる方がもっと大変だったりしてな! あー疲れた。


2007.10.6 (Sat.)

昨日はあちこちに動きまわっていたせいで、肝心の県庁・市役所を撮影することができなかった。
しょうがないので朝6時に起きて支度をすると、街に出る。宿は高松市のほぼ中心にあったので、行くのは簡単。
まずは中央公園の向こうにそびえる高松市役所から撮影をしていく。

  
L: 中央公園の向こうにそびえる高松市役所。  C: 同じデザインの直方体が2つ並ぶスタイル。
R: 入口付近を撮影。オープンスペースと呼べる場所はここだけ。まあ、中央公園がある意味オープンスペースか。

敷地いっぱいに建物を建て、高さをもたせることで分散を防いでいるごくふつうのスタイルである。
特にほかの公共施設を周囲に配置しているわけでもなく、独立して堂々とそびえている。
媚びることなく純粋に庁舎専門、生粋のお役所という印象である。

 建物の背面も正面とまったく同じ形をしているのであった。

市役所の敷地を一周すると、今度は南へと針路をとる。めりこみさんの母校である香川県立高松高校の脇を通る。
4階建てで、ずいぶんとがっちりとした建物だ。施設の充実した私立の学校っぽさを感じる。
うーん、さすがは香川で最も賢い学校だ、と妙に感心しながらさらに南へと進む。

さて、高松高校の南側、病院を挟んだところに、コンクリートでできた巨大なピロティが見えてくる。
少し奥まったところには、かの有名な香川県庁舎(丹下健三設計)がその姿を見せている。
今はさらに奥にずいぶんと背の高い建物が本館として建ったので、「東館」ということになっているが、
おそらくつくられた当時とさほど変わらないきれいな状態で元気な姿を見せているのである。
ぐるぐると歩きまわって、さまざまな角度から建物を眺めてみる。

  
L: 県道173号から見た香川県庁舎東館。これでもか!というほどのピロティぶりだ。
C: 県議会方面からピロティを撮影。ちなみに下の部分は広大な駐輪場となっている。便利そう。
R: 入口を撮影。あまりにもコンクリートの印象が強いので、なんだか地下駐車場にいるみたいな気分。

  
L: ピロティを抜けたオープンスペースはこんな感じになっている。後でまた来たら、学校帰りの小学生の憩いの場になっていた。
C: 東館1階内部の様子。ものすごくアトリウム的な空間である。ちなみにこの写真は10月9日に再度訪れた際に撮影したもの。
R: 県庁舎の外観はこんな感じなのである。コンクリートのモダニズムに和風を持ち込んだ傑作、なのである。

 
L: ファサードの細部はこのようになっている。徹底してコンクリートを前面に押出している。ガラスがまったく目立っていない。
R: 軒を強調する角度で撮影。木造の寺社建築なんかがやっていることをコンクリートで再現しているのがよくわかる。

東館の竣工は1958年。初期の丹下健三作品の傑作として非常に名高い。
ブルーノ=タウトなんかの議論がコンクリートというモダンの素材で実現された、みたいに捉えられた作品と理解している。
実際に見てみると、何から何まで徹底してコンクリートでやっていて、なるほど確かに面白い。
今にしてみれば、高度経済成長期に工業化を象徴する素材で和を再現してなるほどなるほど、と思えるのだけど、
そういうことを一番最初にやってしまうということがどれだけ凄いか。その発想はとんでもないことだったのだ。
で、旅行の最終日になって実際に建物の中に入ってみたのだが、そのときに感じたことは、
1階部分はピロティだ、しかもこれはまさにアトリウムの萌芽でもあるんだ、ということである。
すぐ横に実際のピロティがあるのが非常に対照的でとても面白いのだが、
東館の1階は、これはピロティである。周囲にガラスを張っているので少々わかりづらいが、
(この建物でガラスが目立っているのはこの1階部分だけだ。逆説的にガラスの存在を生かすのもまた上手いなあと思う)
このガラス板を取っ払ってしまえば、すぐ手前にあるオープンスペースと接続して、もう完全にピロティになってしまうのである。
しかし現実にはガラスが建物の周囲を取り囲むようになっている。そして1階部分は天井が非常に高い。
ガラスで仕切られた高い天井の空間、それはまさにアトリウムの典型的なパターンなのである。
さすがにこの東館はアトリウムと呼べるほどの規模にはなっていないが、その源流を明らかに感じとることができる。
モダニズムの特徴であるピロティがガラスというツールを得てオープンスペースを巻き込みながらアトリウムへと変化する、
その20世紀後半の公共建築の流れが、すでに香川県庁舎東館には現れていると言っても過言ではないだろう。
見方によっては、これはいろんな要素が詰まりに詰まったとんでもねー建物、ということになる。

対照的に、同じ丹下健三設計でも2000年竣工の本館にはあんまり面白みを感じない。ふつうに高層オフィス。
隣の県議会もこれといった特徴がなく、東館のキレ具合との落差がずいぶんと目につく。
ああそうだ、参考までに潤平が香川県庁を訪れた際の日記にリンクを張っておこう(⇒こちら)。
読み比べてもらうと、建築学生(当時)と単なる庁舎マニアとの差が見えて面白いかもしれない。直島についても同様。

  
L: 県議会の議事堂。ごくふつうの田舎の庁舎建築とまったく変わらない印象。東館ピロティとの接続がもったいない。
C: やたらと背の高い本館。言われてみれば確かにフジテレビ(丹下の設計)的な匂いは漂っていなくもないな、という程度。
R: 本館(左)・東館(真ん中やや左)・議事堂(右)の高さの差がよくわかる一枚。

そういうわけで、うーんやっぱり若い丹下がつくった東館は抜群に面白いなあ、と思いつつ香川県庁を後にする。
撮影中から腹が減って仕方がなかった。県庁近くには潤平の日記にオススメうどん店として挙がっていた「さか枝」がある。
この店は朝早くから開店しているので、これはぜひ食わなければ、と店内に入る。朝7時前後なのに客でいっぱい。
ここは香川らしくいこう、と「ぶっかけ大」を注文。値段はなんと、230円。安(やし)いー! バッバッ
食ってみると、なんと表現すればいいのか、やっぱり手作りらしく麺が繊細なのだ。
現地の人にしてみりゃ当たり前の味、なんでもない味なのかもしれないが、そのなんでもない味のレヴェルの高さが凄い。
変に高級ぶるわけでなく、気軽に食えるもの。それが絶妙に食いやすいコシと穏やかな風味を持っていて、
こういうささやかな幸せを230円で簡単に食える環境にあるということが非常にうらやましくなる。
うまいものが名物になるというよりも、日常的に食えるものがうまいから名物になりうる、そういう逆説があるわけなのだ。

高松発の電車は9時半過ぎに出る。9時くらいまであちこちブラつくか、と高松市内の商店街を中心に徘徊する。
中央公園に戻ると、「114th BANK」という文字が貼りつけられた建物が目立っていることに気がつく。
近づいてみると、モダニズムな要素をあれこれ取り入れた多彩な表情を持つ建物であることに驚かされる。
これは香川県最大の銀行である百十四銀行の本店である。公園の木がジャマでうまく全景が撮影できなかったが、
高松に行ってみたら一周して見てみることをオススメしたい。地方銀行の迫力を感じさせる魅力ある建物だ。
そしてデパートの天満屋と駅ビルになっている、琴平電鉄の瓦町駅の近くでは、FREITAGを取り扱っている店を発見。
開店時刻までいられなかったのでとても残念な思いをしたのだが、なかなかの量を置いてあったのでファンはチェックすべし。
アーケードの商店街は少しずつ目を覚ましはじめているところで、歩いていて実にすがすがしい。
地図がいらなくなるほどにあちこち歩きまわって街の感触を確かめる。
本当は店が開く10時を過ぎてからがいいのだが、しょうがない。

アーケードを目いっぱい南に行ったところで、そろそろ宿に戻ろうかと思うが、栗林公園がすぐそこなので行ってみる。
栗林(りつりん)公園は高松藩主の松平家によって代々つくられていった庭園で、かなりの面積を誇る。
さすがに歩きまわる時間もないし入場料とられるしで、入口まで行ったところで引き返す。
今回の旅はいつも以上に時間的な余裕がないのである。われながら困ったものである。

  
L: 百十四銀行本店。角度によって表情が異なる、面白い建物。  C: まさか高松にFREITAGがこんなにあるとは。
R: 栗林公園の入口の様子。時間に余裕があればふらふらするのも楽しいんだろうけどねえ。

宿に戻るまでにはだいぶ気温が上がってきて、軽く汗ばむくらいに。
チェックアウトを済ませるとまっすぐに高松駅へと向かう。いよいよ四国一周の本格的なスタートなのである。

さて今回の旅では、強力な武器を用意した。それは、JR四国が発行する「バースデイきっぷ」である。
これは自分の誕生日を証明するものを用意すれば買えるフリー切符なのだ。本人のほか3名までも買うことができる。
僕は10月生まれなので、このチャンスを逃すまいということで今月、四国旅行を実行したのである。
それじゃそのきっぷはどれだけすごいんだ、ということになるわけだが、本当にとんでもない。
1万円出せば、3日間、JR四国全線と土佐くろしお鉄道全線を乗り放題なのである。しかも、グリーン車にも乗り放題。
四国の各都市間は意外と距離があり、特急に乗らないと時間的につらいことが多い。これがかなりの出費になる。
しかしこのバースデイきっぷがあれば一切の心配がいらなくなるのである。まさに夢のような切符である。

みどりの窓口で意気揚々と購入すると、さっそく改札でそれをかざす。なんだか王侯貴族になった気分である。
(ちなみにJR四国に現在、自動改札機は存在しない。来年に高松駅に導入される予定らしい。)
座席の指定を受けてもよかったが、窓際の席で海を眺めて過ごせりゃ別にいいや、と思っていたので自由席の車両へ。
松山行きの特急だけど、3両編成。禁煙車で北向きの座席に座ると、デジカメの準備をする。
しばらくして、列車は軽快に動き出す。四国一周計画、2日目の始まりである。

 四国一周計画 1/4 香川→愛媛

●09:38 高松 → 12:05 松山 特急いしづち9号(予讃線)

特急列車はいかにも香川らしい田園風景の中を走っていく。丸くて小さめの山が、平地にポコポコと顔を出す。
香川は川が非常に少ないため、かわりにあちこちに溜池をつくっているというが、電車からはなかなかそれが見えない。
やがて目の前に大規模なコンクリートで固められた線路のジャンクションが見えてくる。
少し後ろを振り返るようにして見ると、瀬戸大橋である。角度がよくなかったせいで、写真に撮ることができなかった。
なかなかな迫力のカーブを描いて列車は宇多津駅へ。いかにも港湾地区といった印象に風景は変化していた。
列車はさらに進んで丸亀に入る。丸亀城が実に見事に見える。しかし寄っている暇がない。
北側は白と朱色に塗られたクレーンが並び、南側は城下町。対照的な風景、できればもう少し味わってみたかった。
多度津を抜けると瀬戸内海の脇に出る。海の色が美しい青に染まっている。見事なものである。
でもすぐに列車は田園地帯へと戻る。そうして再度瀬戸内の海に出会ったときには、愛媛県に入る。

愛媛県というのは、意外に広くて大きい。特に東西方向に長く、西へ向かうと南にカーヴして弧を描く。
それを列車は海岸線に沿って懇切丁寧に走っていくわけだから、けっこう距離を行くことになるのである。
目的地である松山はいわゆる中予地方になるので愛媛のだいたい真ん中に位置しているのだが、これが遠いのである。
かつての川之江、今は四国中央市となったところから、山の様子が変化する。
それまでのかわいらしい香川の山はどこへやら、愛媛になると山は急峻な印象へと変わるのだ。
そして山は連なって山脈となり、海岸線と平行に走る。北を海に、南を山に挟まれて、東予の街は並んでいるのだ。
特急は新居浜で停まる。港を中心に、ずいぶんとゴチャゴチャしているように見える。
そのまま西条市に入り、瀬戸内の港町の風景を目にしながら列車は今治まで走っていく。
今治を抜けると、景色は再びおとなしいものへと変わる。穏やかで美しい瀬戸内海の姿が戻ってくる。
海岸沿いの海の青さを堪能していると、やがて郊外の景色に変わってそのまま松山に到着する。

ところで列車に乗って田園風景を眺めている間、ずっと気にかかるものがあった。
それは、ヒガンバナだ。昨日、直島の「南寺」でレンタサイクルを停めようとして、一輪のヒガンバナが目に留まった。
きれいに咲くものだなあ、と感心したのだが、それが群れをなして咲いているのが、車窓からはよく見える。
ヒガンバナは三倍体で、球根でしか増えることができないんだよな。「曼珠沙華」とか、別名が最も多い植物なんだよな。
毒があるのを利用して、動物が避けるように田んぼの畦や墓地に植えられることが多いんだよな。
などと、仕事で覚えてしまったヒガンバナ豆知識を思い出しながらぼんやりと眺める。
この四国旅行中には、ヒガンバナが群生しているのを見かけることが本当に多かった。
その鮮やかな色は実に美しく、この旅行を象徴する色として深く記憶に刻まれたのだった。
(まあ正直、JR四国のイメージカラーであるライトブルーも深く印象に残っちゃったけどな!)

  
L: 香川の山。丸っこい姿をしているのと、単体で現れるのが特徴。  C: 瀬戸内海の青と、浮かんでいる島々。
R: 田んぼの畦に群生しているヒガンバナ。日本にあるヒガンバナは遺伝的にすべて同一。生命とは不思議なものだ。

松山駅に到着である。時刻は昼過ぎ。これなら余裕をもって、松山市内をあれこれ歩きまわることができそうだ。
まずはとりあえず、BONANZAを背負ったまま、愛媛県庁と松山市役所を撮影してしまうことにした。
駅からまっすぐ、路面電車の走る大通りを東へと進んでいく。松山城の堀にぶつかっても、東へと針路を保つ。
そうして進んでいったところにあるのが松山市役所なのである。歩いている間、気になるものをいろいろ撮影。

 
L: 松山駅。道後温泉を中心に観光地として定着しているようで、かなりの賑わいを見せていた。
R: 愛媛で見つけた最大の変なもの。今はふつうに「愛媛」という文字になったが、ちょっと昔のナンバープレートはこんなん。読めん!

 
L: 松山市内を走る路面電車。新しい車両もあったけど、最もポピュラーなのはこのタイプ。走るとけっこううるさい。
R: 中の様子はこんな感じ。床が木造だ。風情があっていいんだけど、けっこううるさいんだよなあ、これ。

そんなこんなで松山市役所に到着である。建物じたいはまったくもってごくフツーの庁舎建築。真っ白。

  
L: 正面から見た松山市役所本館。先日の世界柔道で活躍した棟田康幸を祝福する垂れ幕がかかっているのであった。
C: こちらは本館の向かって左側にある別館。これまた、白いオフィスである。本館と別館の間はいちおうオープンスペース。
R: 松山市役所本館の裏手はこんな感じ。やっぱり正面から見たときと印象は変わらない。

松山市役所はけっこう分散が激しい。ただ、同じ敷地の中にほとんどかたまっているので目立たない。
第2別館はちょっとモダンな印象の建物で、こんなふうに別館ごとの異なった性格がもっと見えてくると面白いんだけど。

松山市役所からまっすぐ北に行くと、今度は愛媛県庁である。ちなみにさらにその北の山のてっぺんには松山城が見える。
3つの施設がほぼ一直線に並んでいる事実は、行政の歴史を考えてみるとなかなか興味深いかもしれない。

で、愛媛県庁である。頭のてっぺんが聖徳記念絵画館を思わせる。古い建物をどんどん新しくしている県が多い中、
きれいに昭和初期の建物を残しているのはそれだけで偉いと思ってしまうのである。
隣のでっかい第一別館は、足元の部分だけ古典的な様式にしていて、それがアンバランスでなんだか気持ちが悪い。
ふつうにしていた方がまだいいのに、本館に合わせてやらかしたんだろうか。意図がわからない。

  
L: 愛媛県庁本館を遠景で。手前には路面電車の線路が敷かれているのだ。
C: 敷地に入って撮影。温暖な気候を思わせる植物が植えられている。白い壁面との対比もきれい。
R: 第一別館。足元が変だ。しかも本館に面している側だけこんなふうで、奥はごくふつうのファサード。

 こちらは本館の西側にくっついている県議会。

すぐ後ろが松山城の山なので、特別目立っている感じはないのだが、きれいにしてあるのが好印象だった。

さて、撮影を終えると市街地を歩きまわるのである。まずは松山城を見てみることにする。
松山城は、松山市の中心部にいきなり現れた山の上にある。ほかは平地なのに、ここだけ独立して山になっている。
この、市街地の真ん中にいきなり山があるというのは、四国の特徴なのだろうか(後で徳島でも触れることになる)。
ともかく、けっこうなサイズの山が街中にドデンと鎮座しているのだ。山国出身には妙に思える光景だ。
で、この山がどれくらいのサイズなのかというと、松山城に行くためのロープウェイ(市営)があるくらいなのだ。
もちろん歩いて城まで行くこともできるが、せっかくなので機械の力を借りてみることにする。
それで入場券を買って施設の中に入ったはいいが、チケットには、「リフトかロープウェイのどちらか」と印刷されている。
リフト? スキー場にあるアレのこと? 疑問に思いつつエスカレーターに乗ってロープウェイ乗り場へと行くと、
本当にリフトがあるんでやんの。ロープウェイと並んでいる。リフトは待たずにそのまま乗れるけど、いやしかし……。
高所恐怖症の僕は躊躇する。が、日記を書いている身としては、どっちがオイシイかは考えるまでもない。
荷物をコインロッカーに預けるとデジカメを取り出し、リフトに乗る(スキー場とまったく同じように係員がいる)。
のたのたと坂を上がっていくリフト。まさか秋の松山でこれに乗ることになるとは。実際に来ないと想像できるはずがない。
でも上りは斜面と向き合うことになるのでそんなに怖くはなかった。振り向いてみたら、なかなかの絶景だったぞなもし。

 
L: ロープウェイ乗り場の前にある、夏目漱石『坊っちゃん』の登場人物勢ぞろいな記念撮影用パネル。7人で来ないと埋まらない。
R: 松山城へと向かうリフト。左手には歩いて上る道が通っている。高校生が部活で走っていた。大変ですなあ。

それだけの高さがあるわけで、松山城からの眺めは非常に良い。特に途中の展望スポットからの眺めはすばらしい。
270°にわたって、眼下を埋め尽くす松山の街並みを味わうことができるのである。当然、パノラマ写真に挑戦してみる。
松山市は四国で最大の人口を誇る都市だけあって(意外と知られていないけど)、こうして見ると本当に都会である。
山と街とそして遠くにちょっとだけ海という絶景に、しばらく見とれて過ごすのであった。

松山城にたどり着く。この天守は、江戸末期のものがそのまま現存している貴重なものなのだ。
とてもそうは思えないほどきれいである。県庁もそうだし、後述する道後温泉本館もそうだけど、松山(愛媛)の人は、
古いものを観光資源として活用することに長けているという印象を持った。ロープウェイも道後温泉本館も市営だし。
実際、松山駅では観光客が非常に多かったのも目にしている。街の活気づくりの巧みさが、とても印象に残った。

 
L: 松山城。今の天守は黒船来航の翌年にできたとか。とてもそうは思えないくらいきれい。
R: 帰りのロープウェイ。リフトは意外と怖くなく、街並みをゆっくりと角度を変えて眺められるのが面白かった。

予約しておいた宿が松山城を挟んで市街地と反対側だったので、荷物を預けてから再び街へと繰り出す。
今度は路面電車に乗って、終点の道後温泉まで行くのだ。市の中心からそれほど距離があるわけではなく、
これだけの都会から近いところに歴史ある温泉が存在するというのが、すごくうらやましい。
しばらく電車に揺られて道後温泉駅に着くと、すぐにアーケードの商店街が見えてくる。
そんなに規模は大きくないが、活気は十分。あれこれ店先の品物を眺めながら角を曲がった先に、
いよいよ道後温泉本館がお出ましなのである。実物を目にすると、さすがに迫力満点。

  
L: 道後温泉の商店街。小規模なんだけどけっこう活気があった。小ぎれいな店多し。
C: 道後温泉本館。商店街のアーケードを抜けた先にある。確かに老朽化が進んでいるが、かっこいいのだ。
R: 角度を変えて撮影。観光客がひっきりなしに記念撮影をしている状態。人気あるなあ。

  
L: 建物の左側(北)にまわったところ。2階・3階は湯上り客の休憩する座敷になっているのだ。
C: 建物の裏側(東)。逆光がきつい。何層にも積み重なった庇の構造が複雑に見えて面白い。
R: 正面向かって右側(南)。こっちもすだれの奥はお座敷である。風情あるなあ。

道後温泉は日本で最も古い温泉のひとつとされる。本館の建物は改築しまくっているので正確にはよくわからないけど、
1894年には今の3階建になったようだ。改築が必要な状況が続いているが、重要な観光資源ゆえに、
そのタイミングをつかめずにいる。料金システムは4段階。霊の湯(たまのゆ)が1500円(3階個室)と1200円(2階席)。
神の湯(かみのゆ)が800円(2階席)と400円(休憩せずそのまま帰る)。料金に応じてお茶菓子のグレードが異なる。
せっかく来たのに座敷に上がらないなんてバカな話はないわけだけど、経済的に余裕があるわけでもないので、
神の湯800円コースにする。中で持ち帰りタオル200円を購入して、出費はしめて1000円なのである。

道後温泉本館の仕組みは初心者には非常にややこしい。まず座敷に並ぶつづらのうちひとつが割り当てられるので、
その中にある浴衣を取り出し、服を脱いでつづらの中に入れておく。座敷は男女混合なのでぜんぶ脱ぐわけにいかない。
下着程度になったところで浴衣を着て、階下の温泉へと行くのである。なんだかよくわからない二度手間なのである。
風呂から上がると同じように浴衣を着て座敷に戻る。女性は浴衣から普段着になる際に再度の着替えが強いられるうえ、
座敷から離れた位置に女湯があるので、非常に面倒くさいことになる。こういうシステムになっている理由がわからない。
建物が改築を繰り返して要塞のようにややこしい構造になっている影響なのだろうか。

しかしながら、抜群に快適なのである。まず、お湯の温度が絶妙。神の湯は東西2つの浴場があるが、
どちらも適温極まりない。完璧に42℃を保っているようで、ずっと浸かっていたくなるんだけどほどほどにしないとのぼせる、
その温度が楽しめる。石造りの浴槽に魅了されつつ、これは本当に気持ちがいいわァ~ととろけてしまいそうになる。
そうして限界ギリギリまで温泉を堪能すると、後ろ髪を引かれる思いで風呂から上がる。松山市民がうらやましい。
で、上がって浴衣に着替えて座敷に戻ると、これがまた快適なのである。穏やかに空気が流れていて、
ゆったりと汗が退いていく。迫力のある木造建築の細部をひとつひとつ味わいながら、ぼーっと外の様子を眺めて過ごす。
おばちゃんが持ってきてくれるお茶の温度も完璧なのである。飲んでも汗になって出ない絶妙な温度なのだ。
お湯の温度といいお茶の温度といい、ぐうの音も出ないほどに配慮が行き届いていて、ただただ感心するのみであった。

 
L: 道後温泉本館、2階座敷(神の湯側)の様子。ここで過ごす時間は本当に贅沢だった。
C: お茶とお茶菓子。こうなると、上のランクのサービスも気になってきますな。次の機会にはぜひ霊の湯に入ってみよう。

道後温泉をこれでもか!というほど満喫すると、いよいよ松山市の商店街を歩きまわるのである。
路面電車を下りて、大街道(おおかいどう)のアーケードへ。道幅が広い。
仙台みたいな120%の活気とはいかないが、それでも道幅の割には人通りの比率は高く、しっかり賑わっている。
比較的大きめの店舗が多く並んでいる。チェーン店などがよく目立っていたのも特徴だろう。
大街道を進んでいくと、L字に右に曲がって、今度は銀天街。こっちは少々下町チックな香りが漂っている気がする。
銀天街の終点は地下街への入口。脇には松山市駅(伊予鉄道)の駅ビル・高島屋が大規模に営業中である。

  
L: 大街道の入口。この一帯は松山市内でも最も活気のある場所である。
C: 大街道の内部の様子。比較的年齢層が低めというか、若年層の姿が目立っている。
R: こちらは銀天街の様子。やや年齢層が上がる。演歌が大音量で流れていりゃあムリもないわな。

 ゲームセンターの入口で頭上にエルモを発見。思わず撮ってしまった。

高島屋は以前はそごうだったらしいのだが、グループの破綻によって現在のように変わったみたい。
屋上には「くるりん」という愛称の観覧車があって、これが松山市の新しいランドマークにもなっている。

 
L: 夕方、屋上から眺めた観覧車。  R: 夜はこのように光る。とてもよく目立つ。

夕方から夜にかけて大街道~銀天街を中心に、徹底的に市街地を歩きまくった。
感触としては、地方都市ゆえの綻びがあちこちになくはないんだけど、やはり四国最大の人口を誇るだけあり、
エネルギッシュにそれをカバーする活気にあふれている。なかなか魅力的な街である。

最後に書いておくと、J2ということもあってか、愛媛FCの存在感はそれほどのものではなかった。
やはりJ1との間には壁があるのだなあ、と思った。道のりは険しいだろうけど、昇格目指してがんばってほしいものだ。


2007.10.5 (Fri.)

平日、いつも僕は6時半に起きる。そのせいか、バスの中でも6時半に目が覚めた。
カーテンをちょっとずらして窓の外を見ると、そこには見たことのない景色が広がっていた。
田畑は緩やかな平地につくられ、あちこちに小さな丘のように緑の山が腰を下ろしている。
地形がかなり複雑だ。細かい高低差があちこちにあって、地図の等高線が想像できないくらいだ。
これが四国は香川の大地なんだ、と思った。同じ日本でも、土地の表情が異なっている。

 車窓より眺める香川の景色。

バスが高松駅に着いたのは7時ちょっと過ぎ。予定よりも30分ほど早いように思う。
まだ寝ぼけているので、眠気覚ましも兼ねて駅前のサンポート高松をあちこち右往左往してみる。
地図を見て、現在地を確かめ、市街地の位置を頭に叩き込む。そうしている間に、街もゆっくり目覚めていく。

  
L: 高松駅。アトリウムの後ろにホームがある。向かって左手の建物に店が入っている。見た目よりもけっこう小規模。
C: 高松駅ターミナル周辺部・サンポート高松。この辺りはいかにも新しく開発された感じ。港からもよく目立つ。
R: 高松城址・玉藻公園。有料。「玉藻」とは讃岐国の枕詞に由来する名で、玉藻前つまり九尾の狐とは関係がない模様。

潤平の日記の過去ログをチェックしてみると、潤平は過去に大学の仲間と一緒に香川県に来ている。
その際、直島(なおしま)という島へ行っている。ここはベネッセグループが出資して現代美術の最前線となっている島だ。
じゃあせっかくだし行ってみようと思い、直島行きのフェリーに乗り込む。やっぱり今回の旅行もドタバタなのである。

  
L: 玉藻公園と高松港に挟まれた位置にある県営桟橋の建物。なかなか見事だったので撮影してみた。
C: 直島と高松を往復するフェリー。これに1時間ほど揺られると直島である。
R: フェリーは高松港を離れていく。サンポート高松が非常によく目立っている。

直島は瀬戸内海に浮かぶ島で、もうほとんど岡山県玉野市(リョーシ氏の地元)スレスレの場所にある。でも香川県。
ここは三菱による銅の精錬で栄えた島だが、環境破壊で苦しんだ過去を持つ。
しかし1980年代後半からベネッセが積極的に直島のリゾート化に取り組むようになり、
現在は現代美術を売りにした島として、日本よりはむしろ海外に知られる存在となっている、そんな島である。
フェリーに乗り込むのは日本人ばかりだったが(海外からの客は島の宿泊施設に滞在するのだろう)、
見事に労働者・地中美術館目当てのお年寄り観光客・美術好きそうな若者の3タイプに分類されていた。

直島・宮浦(みやのうら)港に到着すると、カフェでレンタサイクルの手続きをする。
フェリーのターミナル「海の駅なおしま」は開放感のあるガラスを多用した建築でなかなか居心地がいい。
まるで鏡のように反射する柱があったので、そこで自分の姿を撮影してみたりなんかして。

 撮ってみた。

さて、宮浦港から目指すはベネッセハウスである。本当は地中美術館の方が近いのだが、開館時間前なので、
先にベネッセハウスのミュージアムに行って、ちょっと戻って地中美術館に行き、ぐるっとまわって本村へと向かう予定である。
最初のうちは快調に自転車を飛ばしていた。海沿いの道は景色もよく、風が心地よい。
こりゃあいい感じだなあ、バスみたいに時間に縛られることもないし快適快適、と思っていたのも束の間、
すぐに猛烈な上り坂に出くわす。さっきまで住宅街という雰囲気だったのが一変、完全に山道になる。
とてものん気にペダルをこげたもんじゃない傾斜で、ヒイヒイ言いながら自転車を押して上る。いきなりの波乱である。

  
L: 宮浦港を眺める。瀬戸内の穏やかな港なのである。  C: 坂を上れば当然景色はいいわけだが、本当に疲れる。
R: 直島のあちこちに、このようなお地蔵様が配置されている。それぞれに「第n 番」と番号がふられているのだ。

それでも最初の坂道を上りきったところに地中美術館はあるわけで、距離的にはそんなに遠くはない。
しかしこの上りはキツい。汗をダラダラと流しながら素通りし、ベネッセハウスを目指す。
そして上って、下りたところにベネッセハウス入口を発見。あんまり目立たない。さっそく奥へと進んでいくと、
まず大規模な下り。その後やっぱり上り。日差しもけっこうなせいで、汗びっしょりになってようやく到着。

ベネッセと直島の美術館・美術作品群の関係は非常にややこしいのでここでは割愛。ホントにややこしい。
とりあえず、このベネッセハウスのミュージアムはベネッセが運営している現代美術の美術館である。
入口で荷物を預かってもらうとさっそく中をあちこち見てまわる。

  
L: ベネッセハウス(ミュージアム)の入口。  C: 『天秘』という作品の上に寝転がって空を眺めるの図。
R: ベネッセハウス・ミュージアムはこんな感じ。カフェを中心にして撮影してみた。

現代美術に力を入れている美術館であるわけだが、僕の感想としてはイマイチ。いや、もっと落ちる。
作者は満足しているのかもしれないが、それがちょっと独善的になっている作品が多いような印象がした。
いちばん面白かったのは安藤忠雄設計のコンクリートの隙間にかわいらしく雑草を生やした作品。
全体を通して、気取っているわりには空回りという美術館であると思う。入場料1000円というのはなかなか難しいところ。

予想よりもずいぶんとあっさりベネッセハウスを後にする。引き返して、今度は地中美術館へ。
地中美術館に入るには、まずちょっと離れた位置にあるチケットセンターに行ってチケットを買う必要がある。
なんでそんなややこしいことになっているのか理解に苦しむ。わざわざチケット売り場だけを遠ざけんでもいいだろうに。

 
L: ベネッセハウスから見た地中美術館。この中に作品が安藤忠雄のコンクリートと一緒に埋まっているわけだ。
R: 地中美術館入口。ここに来るまでの間、左手にはモネをイメージした庭があり、右手では土木なおっさんたちが工事中。

地中美術館は、クロード=モネ、ウォルター=デ=マリア、ジェームズ=タレルの3名の作品のみを収蔵。
安藤忠雄設計による空間に適切にそれらを展示している、というのが売りである。
実際に行ってみると、徹底的にコンクリートの打ちっぱなしで、その切れ目から光を取り入れる安藤の手法が炸裂。
まずちょっとした上り坂から中に入ると、光の量が一気に減る。地中に入る構成になっていることもあり、
なんとなく、人は死んだらこういうふうに冥土に行くのかな、なんて思った。いや、これは決して悪い意味ではなく。

建物の中は本当に薄暗い。その中は一種のピラミッドに似た(そういう意味でも、やっぱ墓場だ)迷路のようだ。
まず、モネの空間から。ここは地中にありながら自然光でモネの作品4点を鑑賞できるという。
なんでもモネの作品を鑑賞するのに最も適したサイズ・デザイン・素材の部屋なんだとか。スリッパに履き替えて鑑賞。
中に入ると、なんだかふわっと浮き上がったような気がする。部屋は真っ白、スリッパも白いのでそう錯覚するのだ。
まるで鳥居をくぐるような雰囲気で、モネの展示スペースへと入る。その瞬間、やっぱりこれは臨死体験だと思った。
美術館の人は白衣を着てたり、白いに近い色のシャツを着てたりと、白装束といっていいほど白で身を固めている。
そんな係員が2名たたずんでいる中、おそるおそる作品を鑑賞しに来る客の姿は、慣れない天国に来たばかりの人のよう。
係員が天使に見えた。ああ、これが死後の世界なんだな、と本当にそう思った。作品よりもそっちの方が印象的だ。
モネの睡蓮は別にほかの美術館で見ても大して変わりはない感じで、僕には臨死体験の方が興味深くて面白かった。

ジェームズ=タレルのスペース3『オープン・スカイ』も、そういう意味で天国だった。天国の待合室、そういう印象がした。
どうやっているのかはまったくわからないが、天井にはキレイに青空がそのまま広がっている。
部屋の四方は大理石の椅子になっていて、そこから天井を見上げて時間を過ごすようになっている。
暗い美術館内と光あふれる場所との対比が印象的で、面白かった。が、ほかはどれもイマイチ。
あとの作品はどれもそんなに興奮させられず、そんなに気取るというか気合を入れて展示する必要性を感じない。
カフェで一服して道順を確認するなどして過ごし、もう一度モネのところで臨死体験をやってから、さっさと出てきてしまった。

ひんやりとした場所にいたのですっきりしていた体も、ちょっと自転車をこげばすぐに汗まみれになってしまう。
つつじ荘に出るまでの道がまたひどい上り坂で、自転車を押してヒイヒイ。まあ確かに景色はいいのだが。
で、冷静に考えてみたら、ベネッセや福武家が金を出して土地を買ったところに美術館施設はできるのである。
もともと住民のいる土地をまとめて買うなんてできっこないから、人の住んでいないところの土地を買うのである。
つまり、人の住まない山の中に土地を買って施設をつくるわけだから、アクセスがキツくなるのは当然のことなのだ。
よく考えてみればそれは論理的に当然な帰結なのだが、それに前もって気づけるほど僕は賢くないのだ。
そういうわけで、レンタサイクルはあんまりオススメできない手段なのであった。原チャリなら絶対快適なんだけどなあ。

で、息も絶え絶えになりながら、どうにか本村(ほんむら)エリアに到着した。
直島の中心部は、この本村である。香川県だが玉野市に圧倒的に近いので、玉野に面する本村のほうが中心になる。
だから僕が上陸した宮浦港は中心の裏側になるのだ。直島の中心がどんな感じか、ちょっとドキドキしながら行ってみる。

まず、「家プロジェクト」の「南寺」が近かったので、そこに寄ってみる。
この「家プロジェクト」とは、古民家の保存・修復にあたって現代美術を組み合わせたものである。
本村のあちこちに点在していて、それをオリエンテーリング感覚でまわるのだ。1000円のチケットで入りたい放題。
で、「南寺」。ここは安藤忠雄が設計してジェームズ=タレルがつくったもの。
客は完全な闇の中に放り込まれる。そうして5~10分じっとしていると、本当に極めて微量の光が見えてくる。
それに手をかざしてみよう、という作品である。実際にやってみると、んーまあ、なるほどね、という感じ。
真っ暗な中で自分の手を動かすと、黒い炎のようにゆらめいて見える。その感覚を味わえ、ということだろう。
だからどうなんだ、と言われると言葉に詰まってしまう。まあ、そういう体験なのであった。

本村の中心部へと入ると、そこには本当に見事な古民家が並んでいた。

  

僕は建築用語に詳しくないので何という技法なのかは知らないが、板を焦がして張っているのだ。
その黒さが落ち着いた表情を見せていて、狭い路地にずらっとその姿を見せていると、その見事な説得力に圧倒される。
直島にあるどんな現代美術よりも「来てよかったなー」と僕に思わせたのは、この家並みなのであった。

ほかにも「家プロジェクト」はいろいろある。面白かったのは、宮島達男の「角屋」。
宮島作品は東京都現代美術館にもあるお馴染みのデジタルのカウンター芸なのだが、
これを古民家の座敷をぶち抜いてプールにして、その水の中でやっているのである。バカバカしくて(褒め言葉)よかった。
基本的に「家プロジェクト」は、古民家の魅力の方が作品を上回っている印象である。
作品はどれも作家のエゴというか価値観を前面に押し出しているんだけど、
古民家はそれを受け止めてしまう度量の広さを見せていて、結局そっちの迫力の方が強い、そんな感じだ。

  
L: 「家プロジェクト」の「護国神社」。奥にある階段がアクリルガラス製ってだけの作品。
C: 高原城址付近より眺める本村港。左手は精錬所施設になっているせいか、かなりの禿山。
R: 直島町役場。和洋を良くない方向に折衷しちゃった建物。うわあ……。

本村から宮浦へと戻ると、しばらく時間をつぶす。そうしてフェリーに乗り込んで高松まで戻る。
もう疲れ果てて、フェリー内ではずっと寝ていた。気がつけば高松港で、慌てて下船の準備をする。

ダッシュで琴平電鉄の高松築港駅に行くと、コインロッカーに荷物を預けて電車に乗り込む。
終点まで行けば、そこは金刀比羅宮なのである。そういうわけで、お参りしました金刀比羅宮。

琴電琴平駅に着いたら、表参道へ。もう夕方に近い時間になっているので、活気はそんなでもない。
金刀比羅宮から帰ってくる人がほとんどの中、ずいずいずいと早足で歩いていく。
さて、幼少期に『がんばれゴエモン2』にハマった身としては、金刀比羅宮といえば石段なのである。
延々と続く石段をひょいひょいと上っていった先でお賽銭を入れると、おにぎりと鎧と三度笠とお守りが手に入るのだ。
それで本物の金刀比羅宮はというと、最初は単なる石畳に土産物屋が並んでいるだけだったのだが、
ゆっくりと石段がスタート。最初のうちは適度に踊り場が設けられていて、まったく大したことはない。
しかしそのうち、両側に土産物屋が貼りついた状態はそのままに、石段は休みなく続くようになっていく。

  
L: 金刀比羅宮・表参道。最初のうちはこのように平ら。  C: やがて石段が始まる。
R: 金刀比羅宮の大門の手前から振り返るとこう。本当によく上ってきたなあ、と思う。でもまだ序の口。

大門をくぐってもまだまだ石段は続く。若さに任せて1段抜かしでひょいひょいと上っていくが、
それでも石段は延々と続く。日ごろ運動不足だし、ちょうどいいや、と思いながら進んでいく。
途中、「金刀比羅宮 書院の美」と題する特別展覧会で、圓山應挙やら伊藤若冲やらを公開していると知る。
しかしもう観覧できる時刻を過ぎてしまっていたため、見ることができず。めちゃくちゃ悔しい。
直島なんか行ってる場合じゃなかったよ、と大いにへこむ。悔やんでも悔やみきれない失敗なのである。

あまりの豪華さに森の石松も勘違いして帰ってしまったという旭社からさらに進んで本宮へ。
一段一段も積み上げていくとかなりの高さになるわけで、眺めがとにかく絶景。
丸亀市から讃岐富士こと飯野山を経て坂出市へと広がる視界は実に見事なのであった。
そして本宮で参拝し(台風がどっかに行って旅の間ずっと晴れますように、などとお願い)、
幸せを呼ぶという黄色い御守を頂戴すると(ゴエモン的には、これで駕籠に乗せられないで済む)、
やっぱり一段抜かしで石段を下りていく。ずいぶんとせわしない金刀比羅宮参拝だが、まあそんなもんである。

  
L: 金刀比羅宮本宮より眺める香川の景色。平地と小さな山との対比が、かなり独特な景観をつくっている。
C: 金刀比羅宮本宮。石段を含めて、こんなところによくつくったよなあ、なんて感心をしてしまう。ありがたやありがたや。
R: こちらは金刀比羅宮の旭社。威風堂々とした姿はさすが重要文化財。こりゃ森の石松も勘違いするわな。

琴電琴平駅まで戻ると一休み。電車が来たので乗り込んで高松に戻る。途中は完全に寝っこけていた。
高松に戻ると予約しておいた宿を目指す。高松駅・高松築港駅から高松の中心部まではけっこうな距離がある。
いかにも県庁所在地らしい全国規模の会社の支店などが並ぶ一帯を抜けると、今度はアーケードが見えてきた。

 
L: 兵庫町アーケード。  R: 兵庫町・片原町・丸亀町の交差する辺り。自転車多い。

高松も大都市から離れた地方都市ということで、けっこう活気のある印象を受けた。自転車人口がやたら多い。
あーあ、直島行くんじゃなくて、金刀比羅宮で應挙と若冲を見て、高松市内をブラつくんだったなーと思いつつ歩く。
時刻は19時をちょっとだけ過ぎたところなのだが、商店街はけっこう早めに店じまいをしてしまっている。
そんな中、セルフではなく伝統のありそうなうどん屋を見つけたので入ってみる。
皆さんこぞって釜揚げ天ぷらうどんを注文していたので、僕もそれにする。

 いわゆる「釜天」ってやつですか。

うどんはきちんとおいしくいただいた。明日はぜひ、高松市内をぐるぐる歩いてうどんをセルフで食ってみなければ。
「ごちそうさまでした」と高らかに言って気合を入れ直すのであったことよ。

そういうわけで、今回は旅行記を即日更新してみた。いやー、やっぱこれけっこうキツいわ。


2007.10.4 (Thu.)

仕事を終えると急いで帰宅して旅行の準備を完了させる。
高松行きの夜行バスは20時50分発と、けっこう早い。だから油断ができない。
荷物を詰め込み、忘れ物がないかチェックすると家を出る。

東京駅までは意外と時間がかかる。十分すぎるほどの余裕をもって行動したつもりだったのだが、
着いたころにはそんなでもない感じに。おやつを買い込んでから少し慌てて地下街でメシを済ませると、
八重洲中央口へ。バスの受付はもう始まっていた。

いつも夜行バスに乗るたび、首が痛くてうなされていたわけで、今回は秘密兵器を用意した。
それは、東急ハンズで買ったビニールの折りたたみ枕である。浮き輪なんかと同じで空気を入れるのだ。
これを首に巻きつけてシートに座る。感触としては、悪くない。これなら首から上の重さに苦しむこともないだろう。
そう思っていたら、高速道路に乗るまでの運転がけっこう荒くって、そこそこ車酔いしてしまう。
そこに折りたたみ枕のビニールの匂いが襲いかかってくるわけで、かなり気分が悪くなってしまった。本気で参った。

高速に乗ってしまえばだいたい快適。気がつきゃぐっすり寝ていた。
寝ている最中も首が痛くて目が覚めるということはなかった。
が、首に問題がなくなった分だけ、今度は尻に痛みが集中するようになる。それで何度か夜中に座り直すことに。
どのみち、夜行バスの旅には苦痛が伴うものなのだ、とあらためて思い知るのであった。
とにかく5日間天気に恵まれますように、と祈り続けながら寝た。


2007.10.3 (Wed.)

ヤクルトの古田が引退する。もうプレーする古田を見ることができなくなってしまうのだ。
前にも書いたように、僕のプロ野球好きは古田とともに始まったようなものなので、
その雄姿をしっかりと目に焼き付けておこうと思い、会社帰りに神宮球場へ行った。
引退試合が開催される7日には四国にいるわけで、今日が古田を見る最後のチャンスなのである。

今シーズン最後の阪神戦ということで、三塁側・レフトスタンドは黄色一色に染まっている。
対するこちら、ライトスタンドはそれほどでもないし、一塁側の内野席はチラホラ黄色いしで、
阪神ファンの勢いばかりを感じる。昨日巨人が優勝して消化試合となっていることも大きな要因だろう。

ヤクルトの先発はグライシンガー。よくわからんが勝ちまくっている投手である。
グライシンガーは1回こそきちんと抑えたものの、なんだかあまりピリッとしないピッチング。
2回に今岡のホームランで1点、3回に2点を取られてしまう。
対する阪神の先発はルーキーの上園。こちらはヤクルト打線の不甲斐なさにも助けられて快調なピッチング。
ラミレスはこの日が誕生日だったらしく、第1打席に入ると♪ハッピーバースデーと歌われるが、
結果は一生懸命に走っての内野安打1本に終わった。それも得点にはつながらずに終わる。
7回表の攻撃前には『六甲颪』の後にジェット風船が飛ばされる。完全に神宮はジャックされた感じに。

それでも7回裏、「代打オレ」で古田が打席に立つ。スタンドは内野も外野もライトもレフトも関係なく大歓声に。
この日いちばん盛り上がったのはこの場面で、古田はしっかりとライト前にヒットを飛ばして拍手喝采を浴びた。
古田の独特のバッティングフォームを見ているうちに、泣きそうといったら変だけど、なんとも悲しい気持ちになった。
この選手がいなけりゃ僕は一生プロ野球に興味を持つことはなかっただろう。
そういうきっかけをつくった選手を、もう見ることができなくなってしまうという感覚。
もう古田はDVDや各種の映像でしか打席に立たないのだ。彼が、過去になってしまう。
いずれそうなるとわかってはいたが、残念でならない。でもヒットを打ったところが見られたので、納得するしかない。

  
L: 試合前の神宮球場。野球ってほとんど毎日やっているわけで、すぐ近くに娯楽があるんだよなあ、と再認識。
C: 7回表に入る前、ジェット風船が舞い踊る神宮。どっちがホームでどっちがビジターだかわかりゃしない。
R: 打席に立つ古田監督。僕が肉眼で目にした最後の雄姿である。お疲れ様でした。

試合は0-3のまま進み、阪神は久保田を挟んで最終回には藤川を登板させる。
藤川がブルペンにいるときからレフトスタンドの反応は大きくて、マウンドに上がると阪神ファンのボルテージは最高潮に。
実際、球が速い。150km/h台を次々に投げ込み、ヤクルト打線はかするのがやっと、という感じ。
結局そのまま藤川に抑えられ、セーブのシーズン日本タイ記録をマークされてしまった。

試合終了後、球場から外に出たところで運よくクラブハウスに入っていく古田の姿を見ることができた。
帽子を取り僕らに手を振ると、建物の中へと消えた。さらば古田。ありがとう古田。
僕は今後も変わらずヤクルトファンであり続けるが、いつかまた監督として黄金時代を築いてくれると信じている。
そのときには再び、ユニフォーム姿の彼を目にすることができるだろう。待っているぜ。


2007.10.2 (Tue.)

こないだの静岡がちょうど20ヶ所目ということで、いいかげんまとめページをつくってみるか、と思い立った。
そういうわけで、「県庁所在地ひとり合宿」に関する特設ページを開設してみたのだ(⇒こちら)。
白地図に色を塗ってみると、けっこう行ってるように見えなくもない。でも西日本がスッカスカなので、
やはり実際にはまだまだなのである。半分を超えたら、かなり行っている印象になるだろう。
来年はどうなるのかまったくわからないけど、できるだけ早く達成できるようにがんばるナリよ。

今週末には四国旅行がスタート。何度も書いているけどスケジュールがシビアなので、その再確認をしてみる。
天気をチェックしてみたら、最初は晴れだったはずの予報がどんどん悪くなっていく。
おまけに一番イヤな台風まで発生して、どうにもよろしくない。こないだの静岡のよくない記憶が蘇る。
しょうがないので慌てて勉強をおっぱじめ、少しでも善行を積んでおこうとあがいてみる。トホホ。


2007.10.1 (Mon.)

10月、である。値上げとか衣替えとか会社の近くの道路が開通とかいろいろある。
僕にとっては、いよいよ三十路を迎える誕生月に入ったということが最大の焦点である。
が、実際のところはあんまりそういうことで気合の入れ直しをすることはない。
とりあえず今月にあるテストをいかに切り抜けて単位を取るか、それが目下の問題であり、
そうやってバタバタとテストと次のリポートに追われて、気がつきゃ30ということになるのが目に見えているのだ。
特別にこう、「やるぞー!」とか言って自分に酔ってるヒマなんてないのよ、ホントに。
いつものようにメリハリつけて、「ふつう」のレベルを上げていって、明日を今日より充実した日にできればそれでよし。


diary 2007.9.

diary 2007

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