会社の新人歓迎会その2が開催される。前のは編集部での歓迎会だが、今回は労働組合というか会社の若手中心。
まあ要するに、U-40くらいで気ままにあれこれ気軽にダベりましょうって会なのである。僕は全身これ真っ黒になっているわけで、当然、沖縄旅行についてあれこれ訊かれる。
すでに「友人をそそのかして沖縄県庁見てきました」と公言していたわけで、
皆さんは「ああなるほどね、彼女さんと二人っきりでイチャイチャしてきたわけね」と解釈していたようだが、
何をどうやったって、今の自分には女の子と沖縄に出かけるようなマネはできっこない。なんせ砂漠で暮らしておりますので。
「ちがいますよ! そんなもん、男二人の質実剛健な旅行に決まっているじゃないですか!」と泣きそうな顔して言ったら、
全員そろって「ありえねえ!」という反応が返ってきた。まあそうだと思うけどさあ。でもみんなそういう職場で働いてんじゃん。この日は上記のほか、「僕はどっちかっていうとわずかにドMですね」というブロークンジャパニーズな発言もしたわけで、
明日から職場で変な目で見られないように祈るばかりである。正直、多少は色がつかないとつまらないのも事実だけど。
勉強をサボってきたしわ寄せがきているのだ。朝・昼のメシついでだけではとても足りず、夜にもやらなくちゃ間に合わない。
早いところ日記を書いてしまいたいのに、なかなかそっちまで手がまわらない状況なのである。
こうなると、ホント自分ってバカだなーと思う。少しずつでいいから毎日きちんとこなす方が絶対に楽なのに、
「気が乗らないナリよー」という言い訳でサボって、より厳しい今の状態に自分を追い込んでしまっている。
いいんじゃー頭カラッポの方が夢詰め込めるんじゃーとわめいて、寝床でテキストを広げる。進歩がなくって困る。
昼間は勉強、夜は参議院選挙の特番にかぶりつく。
夜の8時になると同時に各テレビ局の予想獲得議席数が発表になるわけで、それをザッピング。
「うわあー」と思わず声が出る。自民党の議席数が軒並み40未満なのである。
そしてすぐに当確が出だす。やっぱりザッピングしながら情報収集。うーむ、楽しい。
民主・野党系は1人区で次から次へと当確を出していく。保守が強い県でも議席を獲得していて、信じられない。
いくらなんでもここまでの大差がつくなんて思っていなかったので、呆れながら日付が変わるまでザッピング。前回の総選挙では自民が圧勝したわけだけど、今度の参院選は民主の圧勝。
今まで楽チンだった法案の可決が非常に面倒くさいプロセスになるわけで、
不要論さえ出ていた参院の存在感が一気に増すことになる。二院制にとっては意義のある展開だ。
にしても、どうも世論が極端になっている気がする。単純な善悪二元論で世の中が動いているように思えてならない。
「人、遠き慮(おもんぱか)りなければ、必ず近き憂いあり」(論語・衛霊公第十五)というけど、大丈夫なのかねえ。
自民党は嫌いだけど、けっこう不安。
ザ・プレミアムカルピスのうめーことうめーこと。
沖縄の日記を書き始めるのである。デジカメの写真を編集したものを時系列に沿って並べて、文章を書いていく。
それにしても今月の日記は、よく学んでよく遊んでそれなりに考えているなあ、と自分で思う。
バランスがとれているという意味では、今月はけっこう理想的な過ごし方をしていたのかもしれない。
だとしたら、この調子でがんばんなきゃな、と決意を新たにする。学而不思則罔。思而不学則殆。
See how the world goes round
You've got to help yourself
See how the world goes round
Then you'll help someone else――YMO 『以心電信』より
◇
沖縄旅行の余韻にひたる間もなく、今日も今日とて仕事とリポート対策な日々である。
仕事のほうは、なんだか変にバランスよくこなせているのが気になる。
以前はあれだけ苦しんでいたのに、ここにきて自分の思うペースでできすぎているからだ。
本来ならこれは喜ぶべき事態なんだろうけど、どうにも疑心暗鬼になってしまう。
何か見落としていることがあるんじゃないか、どこか調子に乗っているんじゃないか、なんて具合に。
まあ確かに、今まで自信をまったく持てずに仕事をしてきた、その度合いがひどすぎたという側面はある。
僕は今までさんざん「謙虚と卑屈は違うんだ」とマサルに言ってきて、それは同時に自分に向けた言葉でもあって、
その謙虚と卑屈を分けるポイントこそ自信の有無である、ということも理解しているつもりである。
だから、仕事における今の状態をうまく自信へとつなげていくことができれば、少しは成長できるかなと思っている。
そういうわけで、今は実はチャンスなんだと自分に言い聞かせて過ごしている、つもり。リポートのほうは相変わらずで、朝と昼はメシを食いつつそれなりにがんばってはいるものの、
家に帰ると「気が乗らねー」と言ってはサボっている。やりはじめれば続くのに、その一歩がどうしても踏み出せない。
冷静に来年、再来年の自分の置かれる状況を考えれば、とても気を抜くことなど許されないはずなのだが。
しかしそうは言っても、自分は現在を生きている存在なのである。今を生きるモチベーションで精一杯で、
なかなか長期的なヴィジョンまで頭が回らないのが正直なところなのだ。僕は頭がよくないなーと実感する。
今のところは本当にギリギリのところで理性がはたらいていて、それでどうにかなってきた感じである。
もっと余裕をもって毎日を過ごしていきたいところだけど、それには正直、日常生活がさびしすぎる。
元気が出ない中でだましだましやっている日々なのである。たまの旅行が楽しいのなんの。まあとにかくだ、そんな毎日をそれなりにきちんと言語化して記録しておいて、
いつか誰かのお役に立つような素材になるといいな、と思って日記を書いているのである。そんだけ。
会社に行ったら、あまりにも僕が真っ黒になっていたためか、かえって反応がゼロだった。
往年の「ナオミよ」のCMを思い出した人もいたかもしれない。まあそれくらいの衝撃だったのではないか。
3時のおやつにお土産を配った段階でようやくコメントがチラホラ。
まあ正直、自分でもここまで黒くなるとは思わなかったので、戸惑われてもしょうがないと思う。
とりあえず、しばらく「チョコボール松島」とでも名乗っておくことにしようかね。
あっという間に沖縄最終日である。つい今さっき来たと思ったらもう最後ということで、内心しんみり。
しかしだからといってモタモタしてはいられないのだ。沖縄の名所という名所を力の限りめぐる予定なのである。
「リゾート気分でのんびりゆったりもいいなあ」なんて思っているみやもりには悪いのだが、
せっかく来たわけだから、あっちこっち見て見て見まくりたいじゃないの。そういうわけでいざチェックアウト。車に乗り込むと「よし、あそこにやってくれ」と僕。「あそこ?」「そう、『あそこ』だ。あるじゃないか、沖縄には」
というわけで那覇の中心部からちょいと南に行ったところに由緒正しいラムサール条約にも登録されている干潟がある。
まあ中二病患者としては、沖縄に来たら行かないわけがない場所、それが漫湖なのである。
付近は漫湖公園という公園になっていて、テニスやジョギングなど運動する人が多い。
平日の午前中からなぜか駐車場は車でいっぱいだったのだが、端っこの空いているところに停めると干潟を眺める。
「みやもりさん、憧れの漫湖ですよ」「はい、よかったね」「県庁所在地の真ん中にこれだけの干潟、貴重ですよ」
「じゃあせっかくだから記念写真撮ろうか」「おう、たのむぜ」
L: 漫湖。鳥もいるしマングローブもある。貴重な存在なのである。 C: 漫湖と私。ご覧のとおり日焼けしまくってます。
R: 漫湖公園はこんな感じ。ギラギラと猛烈な日差しの中、平然とジョギングしているおっさんがいた。信じられない。「じゃあ次! 沖縄の世界遺産だ!」ということで、車に乗り込むと国道329号を北へ。
沖縄の世界遺産といえば「琉球王国のグスク及び関連遺産群」なのだが、これはつまり、
沖縄に点在する史跡群をまとめてひとつの世界遺産ということにしているのである。
で、グスク跡もいろいろあるのだが、その中で事前にリサーチをした結果、「中城(なかぐすく)城跡」がすごそうだ、
ということで行ってみることにしたのである。ちなみに決め手になったのは、入場料を取る城跡はここだけ、という事実。
「金を取るからにはすごいんだろ」という単純明快な理屈で行ってみることにしたのだ。相変わらずの支離滅裂なラインナップのiPodをシャッフルで流しつつ、1時間弱で到着。
それまでの比較的海に近い道から一気に坂を上がる。そうして看板の出ているままに駐車場に車を停める。
ドアを開けると沖縄特有の熱気が体を包み込む。4日目だが、やっぱり慣れない。
入口のチェリオの自販機で飲み物を買って、入場料300円を払うと丘の上を目指して歩いていく。
まずは一面の芝生がお出迎えである。端のほうにはベンチと世界遺産を示す記念碑が置いてある。
なんとなく、幼稚園児や小学校低学年が遠足でお昼を食べそうな場所だな、なんて思った。
まあ正午近くで殺人的な日差しなので、実際にそういうことはないのかもしれないけど。
みやもりはみやもりで、記念碑を眺めつつかつてこの城が栄えていたころを想像している模様。
しばらく青い空と緑の大地に呆けて過ごすと、先のほうへと進んでみる。駐車場側は裏門になっていて、まず北の郭(くるわ)という半ば通路のような出丸に入る。
城壁の向こうには東シナ海が見える。この中城城跡のセールスポイントは、太平洋と東シナ海の両方が見渡せることだ。
ここは沖縄本島でも屈指のくびれっぷりを誇る場所で、城跡のある丘は右を見ても左を見ても海が見えてしまうのである。
米軍基地の向こうに、澄んだ青が広がっている。城跡、基地、海。沖縄のすべてを見ているような気分になる。
そのまま二の郭に入ってみる。全然場所が違うのに、なぜかふとモンゴルの草原を思い浮かべてしまった。
もしかしたら一瞬だけ、城跡に漂っている大陸からの匂いを感じたのかもしれない。
L: 芝生の広場から三の郭を眺める。この石垣の中も同じように芝生である。兵どもの夢の跡、って感じですか。
C: 北の郭より東シナ海を眺める。城跡、基地、海。世界中で沖縄だけの光景なのだろう。
R: 二の郭内部。画面左端では石垣の復元作業中。ちなみに石垣の上にのぼることは可能。そして二の郭からいわゆる本丸にあたる一の郭に入る。見た感じ、芝生の合間に石の遺構が転がっているだけなのだが、
けっこう大きな木も残っていたりして、なんとなく落ち着いた外国の邸宅のような印象が漂っている。
とにかく内地の城とはまったく違った空間で、その独特さにしばし茫然として過ごす。
そのうちに東側に「観月台」という場所があるのに気がついた。名前からして、景色が良さそうだ。
そこは周囲よりも一段高くなっていて、みやもりと一緒に上ってみる。
L: 中城城一の郭。往時の繁栄をしのぶというよりは、ただ悠久の時間の流れを体感する、という感じである。
C: 東端にある観月台。ここに上ると…… R: 観月台より眺める中城湾。海の美しさに思わず呼吸するのを忘れそうになる。大の男がふたり並んで無言で景色をずーっと眺めているというのも冷静に考えればキモチワルイことこの上ないのだが、
実際どっちも言葉を失っちゃって、ただひたすら、いま目にしているものを記憶に焼きつけることしかできなかったのだ。
誇張とか一切なしで、ホントに黙ってしばらくそのまま突っ立っていた。新しいデジカメについてきたソフトを使ってパノラマ画像をつくってみた。色調は本物の青さに近づけるべく調整してある。
これは文字どおり、まさに心を奪われる光景だった。
どんだけ景色を眺めていたのかさだかではないのだが、観月台から下りると、さらに奥へと行ってみる。
南の郭は亜熱帯の植生が全開で、やたら大きなクモが巣を張っていたり。
それからさらに奥は芝生のオープンスペースになっているのだが、そのすぐ隣が建設を中断したホテルの跡地で、
せっかくの雰囲気をぶち壊しなのであった。同じ廃墟でもえらい違いだと変に感心するのであった。亜熱帯の植生の影響か、南の郭はアンコールワット風味。
帰りもやはり高い場所を選んで歩いて、ちらちらと景色を眺めながらゆっくりと戻る。
僕は日ごろ考えたことやら感じたことやら目にしたことやら耳にしたことやらをひたすら文章に書き起こしているけど、
今この瞬間を文章にして他人に伝えることは絶対に無理だわ、と思った。
言葉は経験を共有するためのツールとして使われているけど(メタレヴェルではそれ以上に大きな存在だが)、
その限界というものを痛感させられた。どんなに努力してもこりゃ無理だ、と。百聞は一見に如かず、なのだ。
実際に行って、現実に時間と空間を体験してもらうしかない。そのための推薦文を書くことしか僕にはできない。
まあ結局は、景色を直接伝えようとするのではなく、景色の持つ説得力を理解させられるかどうかってことで、
自分が言葉に操られないためには、そういう方向で努力を考えるべきなんだろな、と思った。以上個人的な覚え書き。
景色を見て僕はそんなことを考えていたわけだけど、同時にみやもりが何を考えていたのか、僕は知らない。
ただ、みやもりもみやもりなりにノックアウトされていたことは確かで、十人十色にパンチをくれる、
そういう空間に来ることができたってのは、やっぱり旅をすることの幸せなのだと思う。さて絶景を目にして恍惚としたのはいいのだが、その先の予定をどうするかで事態が軽く紛糾。
運転するみやもりとしては余裕をもって行動したいのだが、駄々っ子の僕は動きまわりたくって仕方がない。
つまりみやもり的には直接、糸満市方面に行ってさっさとのんびりしたいわけである。
一方の僕としては、知念半島をまわって斎場御嶽を見てみたいわけである。
結局は押しの強いほうの意見が通るわけで、みやもりは不満を胸の内にしまって運転。
そんな心情を反映するかのように、大粒の雨が降り出す。中城で南の空に見えた雨雲がやって来たのだ。
言葉少ななままで国道331号に入ると、晴れたり降ったりというめちゃくちゃな天気に。
「沖縄って本当に天気がコロコロ変わるなあ」「ああ」程度のさびしい会話が繰り広げられるのであった。知念半島に入ると天気は晴れで確定といった感触に。斎場御嶽の入口はありえないほどわかりづらく、
大きくアウトに膨らみつつもどうにか右折、坂をのぼって到着となったのであった。
車を降りると雨雲は消え去っていた。「超絶晴れ男健在ナリー」「いいから行こうぜ」「はい」というわけでさっさと入る。斎場御嶽。これは「せーふぁうたき」と読む。「斎/場/御/嶽」と書いて「せー/ふぁ/う/たき」である。
醤油とか薔薇とか憂鬱とか躊躇とか、読めるけど書けない漢字は世にたくさんある。
しかし沖縄に来ると見事に立場が逆転、書けるけど読めない漢字が続出なのである。これはけっこう困る。
特にこの斎場御嶽は難易度が高い。来なかったら一生読めないまんまだったろうな、などと思う。
で、世界遺産にも含まれているこの場所はいったいどんな場所なのかというと、琉球で最高の「聖地」なのである。
沖縄には墓石がなくって廟になっていることからもわかるように(→2007.7.22)、琉球には独自の自然信仰がある。
そしてこの斎場御嶽は、琉球でもっとも格式の高い聖地なのだ。さっそく中に入ってみる。まず冷房の効いた建物の中でガイダンス的な展示。
それから外に出る。ちょっと進むと、すぐに風越山にでも登っているかのような錯覚をおぼえる道のお出ましである。
もらったパンフレットを広げて、みどころの位置をチェックしてみる。「ウジョウグチ」「サングーイ」「ウフグーイ」「ユインチ」。
もう何が何やらである。しかもこれらのみどころは、本当にバラバラに点在しているのだ。
道のあまりの自然の豊かさにどれくらい歩かされるんだ、とみやもりの機嫌を気にしながら戦々恐々としていると、
拍子抜けするほどすぐにウジョウグチ(御門口)に到着。実際には非常に良心的な距離なのであった。
L: どうなることやらと思わず心配になってしまうような道だが、実はまったく大した距離ではない。
R: 岩壁に貼り付くガジュマルの根。斎場御嶽の中は亜熱帯のジャングル気分なのであった。まずは斎場御嶽で最大のみどころと思われるサングーイ(三庫理)へ。鍾乳石が垂れ下がっていて圧倒される。
奥には三角形の通路ができている。そこを進むと、拝所になっているのだ。
L: サングーイの鍾乳石とみやもり。人間を圧倒するスケールの世界である。
R: 自然がつくった見事な三角形。そりゃあ聖地にもなるわな、って感じ。拝所からは海が見える。その海の先にあるのは久高(くだか)島である。この久高島は「神の島」とされる島で、
三角形を抜けると見えるというその空間構成が、斎場御嶽を聖地たらしめているのだろう。
僕らは勉強不足の観光客なのでふむふむなるほど、という程度の納得ぶりなのだが、
きちんと琉球文化を理解している人にしてみれば、奇跡のような空間体験になるのだろう。
どうってことない岩場に見えるか、琉球精神を体現した場所に見えるか、試されているような気がする。
L: 三角形を抜けるとこのような拝所がある。 C: そこからまっすぐ正面に、「神の島」久高島を望む。
R: 海からけっこう高さのある場所なのだが、なぜかでっかいヤドカリが何匹もいた。フナムシもいっぱいいた……。それから来た道を戻って、今度はウフグーイ(大庫理)とユインチ(寄満)へ。
どちらもサングーイ同様、岩に面した拝所である。こっちも水がしみ出していて、やっぱりヤドカリとフナムシがいた。
そうしてひととおり歩きまわると建物の中に戻り、久高島を紹介したビデオを眺めつつ涼んで休む。
しばらくそうして体力を回復させると、今度はみやもりの希望ですぐ近くにあるビーチに行くことに。メシを食いたくって仕方がなかったのだが、すでに売り切れ。しょうがないのでガマンするしかない。
みやもりはデッキチェアを借りるとテキトーなところに陣取り、日焼け止めを塗ってお昼寝モード。
僕はやることがないのでデジカメで海を撮影してみたり、ぼんやりふとももまで海に浸かってみたり。
そのうち地元の女子高生3人組が現れてシャツを着たまま海に入る。「うわー青春」と思わず声が漏れた。
長野県人の僕にはまったく想像のできない青春群像なのである。正直うらやましい。
L: 沖縄本島のビーチは必ず青いロープ的なモノで区切られているのな! それだけ観光客が多いのか。
C: 夏、沖縄、海。しばらく僕のVAIOのデスクトップはコレなのである。 R: たとえようもなく美しい2種類の青。みやもりとしては、目標にしていた「4日連続ビーチでまったり」を無事に達成できて大満足だった模様。
僕としても、まあ、海に圧倒されつつなんだかんだで時間をつぶしきったわけだから、それはそれで良かったんだと思う。
なんてったって次にこういう時間を味わえるのはいつになるのか見当もつかないわけだから、
ここで存分に美しい海を目に焼きつけることができたのは、きっと大きな収穫になるだろう。みやもりの体力も十分に回復したところで、車は再び糸満市に向けて走り出す。
道は完全に田舎のそれ。やたらと曲がりくねっている。交通量は那覇と比べると別世界に思えるほど少ない。
さて次の目的地は沖縄平和祈念公園である。最初はひめゆりの塔を見に行くつもりで、
それがてっきり祈念公園内にあるもんだと勘違いしていた。で、その後に別の場所だとわかったのだが、
せっかくだから行こうか、ってことになったのだ。つまりは、ほんの偶然。駐車場に車を停めると、まずどこへ行けばいいのか皆目見当がつかない。
とりあえず目立っていた沖縄平和祈念堂のほうへ行ってみる。閉館時刻間際だったので、中には入らなかった。
そのまま平和祈念資料館のほうへとフラフラ歩いていく。こちらはすでに閉館時間になっていた。
中庭には出られるようになっていたので、みやもりも僕もなんとなく奥のほうへと進んでいく。
錆びきった戦車のキャタピラが芝生の上に転がっている。夕日を浴びながらすべてが原色でたたずんでいた。
石の敷かれた歩道があり、それに誘われるようにして海のほうへと歩いていく。右手の木立の間に、黒い石碑が見えた。
L: 沖縄平和祈念公園・式典広場。 C: 沖縄県平和祈念資料館。都合がつけばぜひ中に入りたかった。
R: 資料館の中庭。左手には錆びたキャタピラ、右手の木立の奥には黒い石碑(平和の礎)が並ぶ。黒い石碑は「平和の礎」という。名前が彫られている。一瞥した印象では、女性の名前のほうがやや多い。
それは各市町村の地区別に五十音順で並んでいる。彫られた明朝体は白く浮き上がっているように見える。
平和の礎はジグザクに緩やかな弧を描きながら、静かに立っていた。弧は何重にもなってただ立っていた。
ここには無数の名前が刻まれている。数えることなんて、恐ろしくてとてもできない。
しかし現実に無数の名前がここには残されている。名前だけが、存在した証として残されている。
女性の名前が半分以上を占めるということ、それはここが一般市民を巻き込んだ戦場だったということだ。
62年前にここで何があったか、僕には想像することができない。想像するだけの拠り所・経験がないからだ。
僕らはそういうことが想像できない世界を生きている。それは62年前に誰もが夢見ていた世界なのかもしれない。
「過去の犠牲があるから今がある」という言葉を吐くことは実に簡単だ。
しかし、僕は絶対にそういう種類の言葉を口にしたくない。彼らが犠牲になったのは、決して未来のためではない。
彼らはただ、命を落としただけだ。望まない形で失われた命に対し、他者が勝手に意味を上乗せすることなど許されない。
彼らの存在について、そんな簡単な言葉で完結させてしまっていいのか。彼らを過去に追いやっていいのか。
生命がつねに等価であるはずなら、それが失われたという事実を現在の僕らの生命と平行(パラレル)に感じるべきだろう。
つまり、僕らにできることは、ただ悼むことだけだ。これ以上命を削り取る行為を繰り返しません、と語ることだけだ。
L: いくつもの弧を描く平和の礎。この石碑のひとつひとつの面に、名前が刻まれている。
C: 平和の礎から少し奥に行くと、海が見える。僕が今まで見た中で、いちばん静かで悲しい海だった。
R: 式典広場から沖縄平和祈念堂を眺める。この一帯は宗教とは関係のない、ただ祈る場所である。僕もみやもりも、この空間が投げかけてきたものがあまりに大きすぎて、うまく受け止められないでいた。
僕の場合には、「後で日記を書きながらじっくり考えるよ」なんて言って思考を保留してごまかしてしまうのだが、
みやもりはマジメなので、言葉にならない感情を(そもそも言葉に落とし込むことなんて不可能だ、これは)
うまく自分の中で消化することができなくって途方に暮れているようだった。
中城では絶景の圧倒的な説得力に魅了されて「言葉とは!?」みたいな方向に思考が駆け出したわけだが、
この平和祈念公園ではもうそういうレヴェルではなくなって、ただ「悼む」という気持ちになることしかできない。
提示された圧倒的な事実に対して、それに見合うだけのものを言葉は決して用意できないのだ。
突きつけられた事実を自分なりに現在進行形で解釈して、その結果無言で悼む。それだけなのだ。ふたり揃って重い足取りで駐車場に戻る。沖縄平和祈念公園は来ておいてよかったとかそういう場所ではなくて、
とにかく、行って実際に考えなければわからないことがある、ということを教えてくれる場所だった。
「なんつーか、修学旅行としては完璧な旅をしているよな、オレたち」と茶化して言うのがやっと。そのまま国道331号を進んでいくと、ひめゆりの塔がある。寄付された私有地がそのまま公園になっている。
付近は中規模の無料の駐車場がいっぱいある。どこもスカスカで、定休日のスーパーの駐車場に車を停める。
公園の中はきれいに整備されていて、奥へ行くとすぐに慰霊碑とご対面である(「塔」というが実際は慰霊碑)。
慰霊碑の足元には大きな穴が開いている。ここが彼女らの多くが犠牲になった第三外科壕の跡だ。
全国各地に慰霊碑は数あれど、現場の状況がそのまま残されている生々しさは他と比べ物にならない。
とりあえず手を合わせ、みやもりと当時のことをあれこれ想像してみる。
現実は想像をはるかに超えているに決まっているが、それでもそうせずにはいられない。ひめゆりの塔。慰霊碑の手前に第三外科壕だった穴があるのだ。
突っ立ってあれこれ話していて、ふと自分の足を見たら蚊がびっちりとたかっていて(ホントにびっちり)、
思わず動揺して「うわあ!」と叫んで振り落とす。みやもりは急に僕が暴れ出したので本気でびっくりしていた。
62年前には蚊とかそんなレベルの騒ぎではなかったわけで、こんなことで動揺している自分が恥ずかしい。
(それにしても、Wikipediaなどを参照しながらこの日記を書いているが、調べれば調べるほど気持ちが沈んでいく。
もう本当に「ひでえなぁ……」という言葉しか出ない。なんでこんなことになってしまったのか。)ひめゆりの塔から駐車場に戻ってくると、なぜか地元の女子高生5人組が僕らのレンタカーの前でダベっていた。
「こ、これは僕らがわざわざ東京から来たことに対するひめゆりの神様の思し召しかっ!?」
ついさっきまでの神妙な心持ちはどこへやら、不謹慎なことを考える僕。そんなスキゾな僕に心底呆れるみやもり。
そんなこと言ったってしょうがないじゃないか(えなりかずきのマネをするホリ調で)。
僕らが車に乗り込んでも、女子高生たちはなかなかその場を動かない。フロントガラス越しにご対面状態。
「ここにいらっしゃる『ひめゆり戦隊ジョシレンジャー』の皆さんは沖縄から僕らへの最後のプレゼントですか?」
「じゃあ声かけなよ」「いや、ほら、レンタカーの返却時刻が迫ってるし……」「なんだよ、言い訳かよ」
「いやー残念だなー、沖縄の初日なら仲良くなっちゃうところだったのになー最終日の夕方だしなー」
「はいはい、じゃあ車出すよ」「……やってくれ」
まあそういう非常に頭の悪い会話を繰り広げてその場を去ったのであった。
「泣いてねえよ、太陽がまぶしかっただけさ」車を返却するのはやっぱり豊見城ということで、そのままぐるっと国道を北上すればすぐである。
途中のガソリンスタンドで、ガソリンをいっぱいにする。「びゅくさん、虹が出てるよ」「お、マジで?」肉眼には劣るけど、どうにか撮ったぜ。
レンタカー屋で車の返却手続きが終わると、すぐにバスで空港まで移動する。
バスの中からは沈んでいく夕日がばっちり見えた。「きれいだなあ」「フォトジェニックだよな」さらば沖縄の日々。
みやもりが言う。「沖縄ってのは、どこに行っても景色がきれいっていうか、絵になるっていうか、そんな感じだよね」
なるほど、確かにそうだ。沖縄では、すべてのものが鮮やかに目に飛び込んできた気がする。
「そうだよな。やっぱり『太陽が近い』からなんじゃないのかなあ。光が違うんだよ、沖縄は。
街を撮っても海を撮っても、もちろん人を撮っても、なんていうか輝き方が違う気がするね」
「沖縄の人って、やっぱ顔つき違うよね」「違うねえ。女の人はみんな顔ちっちゃい」
「ちっちゃいっていうか、顔がこう、クシャッとしてる。くしゃおじさん」「それは違うだろ」
思わずツッコミを入れつつ、「でもアゴの辺りが確かになんとなく独特だよなあ」と僕も同意。
「沖縄の女の人って、沖縄の日差しに似合ってるよな。オレ初日は別にどうでもよく思ってたけど、
日に日に気になっていく感じで、もう今日は沖縄の女の人と仲良くなりたくってたまんないもん」本音である。
そしたら、「だったらさっき声かけとかなきゃー」「うるせー」「びゅくさんダメだなー」
まあそんなバカ話をしている間にバスは那覇空港に到着なのだ。空港でチケットの手続きを済ませると、まずは腹ごしらえ。レストランに入ってメシをいただく。
ウェイトレスのおねえさんたちがみんな揃って沖縄美人で、僕もみやもりもたまりませんなぁ~とデレデレ。
ここで4日とも食事をしていれば、少しはおねえさんたちとの距離が縮まっていたのかもしれん、と考えてみる。
でもよく考えると、僕みたいに落ち着きのない子は仲良くなるだけの時間をゆったりとるよりもどこかへ行ってしまうので、
所詮はまあ無理な話なのである。さすがにまったり志向のみやもりのほうがモテ度が高いのである。
沈みゆく真っ赤な夕日を眺めながら、「いやーモテたかったなあ」なんて話をする。今ごろ。食べ終わると会社への土産を買い込み、トイレを済ませて搭乗手続きをする。
今度は引っかかんないぜ、と思ったらBONANZAの中のノートパソコンがピーと反応。
「ちゃんとパソコン入ってるって自己申告しろよ!」とやっぱりみやもりに怒られちゃったとさ。
そして今度の飛行機は2階席。席に着いてシートベルトを締めると、やっぱり安全のしおりを熟読。
すでに日は落ちて、滑走路は闇に包まれている。点灯している緑のランプが飛行機に進む方向を告げる。
やっぱり10分ほどぐるぐると滑走路をまわった後、いったん停止して離陸態勢に入る。
轟音がするのと同時に猛烈な加速度がついて、そのまま飛行機は斜めに傾いて浮き上がる。
来たときよりは随分落ち着いて過ごすことができたが、やはり手のひら足のひらには汗がじっとり。機内では照明が抑えめになっていたこともあり、当然めいっぱい動きまわって疲れていたこともあり、
ぐっすりと眠って過ごした。とても日記なんて書く体力は残っちゃいない。周りの乗客もみんな寝ていた。
着陸するのでシートベルトを締めてください、というアナウンスで本格的に目が覚めた。あっという間に感じた。
いったん千葉のほうまで行って羽田に向かうということで、何かしら軽いアクシデントがあったのかもしれない。
まあでもすんなり着地して、僕らは無事に再び東京の土を踏むことができたのである。乗客たちでごった返す中、意外とあっさりみやもりは荷物を回収し、そのまま京急に乗り込む。
飛行機が遅れて到着して、思っていたよりも余裕のない帰路になった感じである。
「千葉まで回ったこととか、遅れたってこととか、やっぱりなんかあったんだよー」
飛行機を降りてしまったらこっちのもの。あれこれ言いながら品川まで戻る。
みやもりはそのまま実家に戻るので、山手線の方向は一緒だ。
「マツシマさん、この沖縄旅行で印象に残ったことベスト3をお願いします」
「えー…?」
まあ、そんなもんはマトモに答えるはずなどない。
「3位! 知念半島のビーチでシャツのまま海に入って水をかけ合う女子高生!」
「ただじーっと指をくわえて見てただけなのにー? どんだけ~?」
「2位! 那覇空港で笑顔の接客をしてくれたウェイトレス!」
「ちょっとCoccoに似てたよね」「うっさい! 萎えること言うな!」
そして栄光の第1位は……
「1位! ひめゆり戦隊ジョシレンジャー!」
「やっぱそれかー」
ふだんから色白バンザイと主張している僕でも、やはり沖縄美人の魅力にノックアウトされたわけである。まあ上記のやりとりはだいぶ冗談めかしての対応なんだけど、
マジメなことを言えば、沖縄は何から何まで楽しくて、とてもランキングとかつけられないというのが本音。
もちろん、沖縄の悲しい歴史に触れて、それまでとは比べ物にならないほど深い位置で物事を考えさせられた、
そういう経験ができたことも本当に有意義だった。これは実際に行ってみなくちゃ、絶対にわからなかったことだ。
あちこち動きまわりまくった分だけ、みっちりと密度の濃い時間を過ごすことができた。
なんだかんだで僕もみやもりもやりたいことをやりきって、とても満足している。
その一方で、はしゃぐ親子連れを見ながら「オレたちは今、将来に向けて何かの予行演習をしている……?」
そう思うことも多々あった。日ごろは全然そういう気配なんてないにもかかわらず、である。
まあとにかく、最高の4日間を楽しむことができて本当に幸せである。
車を運転してくれていろいろバカ話にも付き合ってくれたみやもりには全力で感謝なのである。
また次も、今度はできればもうちょっと大人数で、楽しい旅ができたらいいな、と思いつつ筆を置くとしましょう。
沖縄3日目の予定は最初から決まっていた。無人島へ行くのである。
旅行を計画する段階から「せっかくだから無人島にでも行きたいよなあ」なんて話をしていて、
それで現地の旅行会社にインターネットで無人島ツアーの申込みをしておいたのである。
しかしながら不安要素はいっぱいである。みやもりは「参加者オレたちだけなんじゃないの……?」なんて想像をし、
僕は僕で「こういうのは家族連れとカップルばっかりだろうから、肩身狭いだろうなあ……」なんて思っている。
とにかく、申込みをした僕としては、今回の沖縄旅行でいちばんの正念場なのである。8時半、指定された港へと車で向かう。現地に着いたはいいものの、どこでどう手続きをすればいいのかわからない。
「なんだよ、いったいどうなってんだよ」「いやーすまんすまん、現地に来ればどうにかなると思い込んでた」
「マツシマさん、けっこうぬけてるよね」「何を今さら。いつものことじゃんよ」なんて会話を繰り広げながら歩きまわる。
そのうちにそれっぽい集団を発見したので近寄ってみると、ビンゴ。クルーザーが停泊していた。これに乗るのだ。
手続きを済ませるとみやもりが飲み物を買い込みに行く。その間にも家族連れがちらほら集まってくる。
みやもりが戻ってくると乗船。1階が混んでいたので、直射日光の当たる2階へ。
汗を流しながら待っている間にもどんどん客がやってくる。かなりの盛況であるが、やはりほとんどが家族連れだ。大幅に遅刻してきた最後の家族を乗せると、クルーザーは大急ぎで出航する。
港を離れると一面の青い海。上空をときたま、自衛隊のF-4ファントムが轟音をともなって飛んでいく。
(中学時代に軍用機マニアだったので、いまだに音とフォルムで機体の種類がわかるのだ。)
クルーザーは快調に海をかき分けていく。そして真っ白なしぶきの中から、ピュッと飛び出していく影。
まるで水切り(石切り)のように弾んで飛んでいくのは、トビウオだ。船に驚いて小さいトビウオが飛び出し、波間に消える。
中にはイキのいいやつがいて、海面すれすれを本当にグライダーのように滑空していく。
あんなにきれいに飛ぶもんなんだ、とちょっと感動。魚のくせして面白く進化しやがって、まあ。
風がとっても心地よく、2階でのクルージングは非常に快適なのであった。
後でほかの家族連れの様子を探ると、1階は暑くて船酔いしそうな状況だったようだ。運が良かった。やがて前方にいくつかの島が見えてきた。慶良間諸島である。思っていたよりは大きい。
今回はここの「中島」という島に上陸するのである。クルーザーは浅瀬に入れないということで、
順番にバナナボートに乗り込む。それにしても客が多い。みやもりの心配は杞憂だった。
目の前に広がる海は、やっぱりため息が出るほど美しい。透き通った青と緑が融合している。
下のほうには巨大な岩が沈んでいるのが見える。水が透明で光を屈折して、すぐ近くにそれが見える。
どうやらここはダイビングのスポットになっているようだ。なるほど、こういうところでやるんだ、と納得。さて僕らも上陸である。バナナボートに揺られて砂浜へと近づき、膝くらいの水深のところで降ろされる。
足元は珊瑚と岩でゴツゴツしていて、サンダルがいかに必需品なのかがよくわかる。
砂浜に上がると、ゴザとパラソルを借りてきて(有料)テキトーな場所にみやもりが陣を構える。
みやもり的には浜辺でのんべんだらりと過ごすのがいいらしい。日焼け止めを塗って即、寝転がる。
一方の僕はエネルギーのある限り動きまわっていないとすぐに退屈になってしまう子なので、
「んじゃあ行ってくるぜ!」と力強く宣言すると海へザブリ。対照的なふたりなのだ。
L: 無人島。思ったよりは大きい島だった。 C: 奥のほうから砂浜と海を眺めるとこんな感じ。
R: 浜辺は珊瑚でゴツゴツしていた。確かにサンダルを履いていないと大変なことになりそうだ。沖縄本島のビーチはどこも遊泳可能区域がロープで区切られていて不満があったのだが、
さすがに無人島ではそういう制約はない。沖のほうで停泊しているクルーザーより手前にいれば自由なのだ。
こうなりゃ気の済むまでとことん行ってやるぜ!と思って、あらかじめ東京で買っておいた水中メガネを着用。
コンタクトをする関係で、僕には水中メガネが必需品なのだ。それでグイグイ進んでいくと、魚が泳いでいるのが見えた。
へえ、いるんだ。なんて思いつつより深いほうへと泳いでいく。水の色は濃さを増し、たとえようのない美しい青に染まる。
足のつかない深さになって、さらにそこから沖へと進んでいくと、さっきクルーザーから見た岩を眼下に発見。
ライフジャケットの着用を義務づけられているので下に潜っていくことはできないが、それでも十分な絶景である。
そして何より、けっこうな数の魚たちがスイスイスイと泳いでいるのが目に入る。おおー竜宮城、なんて思う。
せっかくなので魚のほうへと寄ってみる。魚たちは珊瑚についているエサをぱくぱくと夢中で食べている。
ほーこれはすごい、と見とれていると、そのうち度胸のあるやつがこっちに寄ってくる。
大きいのが泳いでいると安心するのか、後ろをついてきたりなんかして。
僕は今までシュノーケリングというものをナメていたのだが、実際にこうして南の海で体験してみると(シュノーケルないけど)、
これがいかに楽しいことなのかがわかって大いに反省である。すいません、これホントに楽しいです。
そんなわけでしばらく遊んで浜辺に戻ると、みやもりに報告。「おい、後で水中メガネ貸すから泳いでこい! これ命令!」熱帯魚とたわむれることのあまりの楽しさに、これはもうデジカメで撮るしかない!と決意。
まさかのときのために東急ハンズで買っておいたデジカメ用の防水パックを装着すると、再び沖へと泳ぎだす。
防水パックはお世辞にも高級品とは言えない代物なので、水漏れがしないか大いに不安だったのだが、
しっかりと説明書どおりに準備をしたおかげか、まったく問題なく撮影ができる。
レンズのところの構造上視界が狭まることがあるのだが、そんなものは帰ってから画像をトリミングすればいいのだ。
というわけで、さっきのポイントに戻ると泳いでいる魚をバッシャバッシャと撮影していく。
スピードが速かったりうまくこっちを向いてくれなかったりで最初はうまくいかなかったが、
徐々にコツがつかめてきて面白い写真が撮れるようになってくる。そうなるとしめたものだ。
時間が経つのも忘れてひたすらシャッターを切りまくる。いや、まさかこんな記録も残せるとは。技術の進歩バンザイ。
た、楽しいです!
デジカメでの撮影を終えても「やっぱもう一回いってくるぜ!」ってな具合で、ただひたすらに魚と一緒に泳いで過ごす。
魚よりも女の子にモテたいなあ……なんてことを思わないでもなかったが、とりあえず楽しいからヨシとするのだ。
(しかし魚類にモテモテからスタートしてホモサピエンスにモテるまで、いったいどれくらいの時間がかかるのだろう……。)
そして海の底の光景がまた見事で、透明な青を通して見る世界はとても神秘的に映る。
泳ぐ魚と珊瑚と岩肌をずーっと眺めていると、まるで自分が空を飛んで街を見下ろしているかのようだ。
こういう体験は本当に初めてで、沖縄に来てよかったと心の底から思ったのであった。正午くらいになって、とりあえず昼食。当初は半日・午前のツアーで申し込んだのだが、
旅行会社の都合で終日コースに変更となったのだ。でもそのおかげで無人島をめいっぱい満喫できている。
「半日だったらドタバタだったな」なんて言いつつみやもりとおにぎりを頬張る。ホント、こういう運は抜群にいいのだ。
それにしても、日差しが文字どおり全身に突き刺さってくる。みやもりは「太陽が近い……」とつぶやく。
理論上は確かに北回帰線に近づく分だけ太陽との距離は縮まる。でもそれは地球規模では些細な差に思える。
しかしこうして実際に南の島で太陽の光を浴びていると、みやもりの言葉に黙ってうなずくしかできなくなる。
そのわずかな太陽の近さが、これだけ違った世界をつくりだしている。僕らはただその恩恵を受けるのみだ。食後はしばらくのんびりして過ごす。無人島の奥のほうを覗きに行ってみたり。
裏側は岩場になっているので注意してください、と聞いていて、実際そうだったのだが、
こっち側から眺める海もまた見事なのであった。こんな夏らしい夏を味わうのって、いったいいつ以来だろう。
L: 隣の無人島を眺める。間にある浅瀬はかなり流れが速いそうで遊泳禁止。よってそこまでは行けない。
C: 中島の岩場はこんなんだった。 R: みんなのいる浜辺と反対側はこんな様子。世界の広さを感じるぜ。今度はみやもりが水中メガネを着用して海へと入っていく。その間、僕は砂浜でお留守番である。
直射日光を避けて、パラソルの下に寝転がって昼寝したりしなかったりという贅沢な時間を過ごす。
それでも沖縄ではありとあらゆるものが太陽の光を眩しく反射してくる。
緑も、海も、砂浜も、ばっちり僕の体に太陽光線のお釣りを紫外線ごとくれるのだ。
じっとしていたおかげで脱水症状とかそういうことはなかったけど、予想外に日に焼けてしまった。
途中でみやもりの日焼け止めを借りたのだが、時すでに遅し。全身真っ赤のウェルダン状態である。
傍から見れば実に理想的な焼け具合をしているかもしれないが、本人は肩を中心にあちこち痛い。
東京ではどんなにキツい日差しでも、ここまで簡単に日焼けをすることはない。
おとといは夕方にちょっとビーチに出ただけだし、昨日だって半分くらいは車の中で過ごしていた。
それでもノースリーブのシャツのおかげで、肩から腕にかけてしっかりと二色に分かれてしまった。
そして今日ここで半日焼かれただけで、全身真っ黒確定なのである。沖縄の日差しとは、別格なのだ。
まあここんとこモヤシっ子だったし、たまにはこれくらい日焼けせんとな、と開き直る。
「おう、じゃんじゃん来い! じゃんじゃん!」と半ばヤケになって歩きまわってみたり。
その後、たっぷり1時間くらいしてからみやもりは戻ってきた。「魚ウジャウジャいるね。もう、どんだけ~」
まあそんなわけで、僕もみやもりもすっかりおさかな天国にハマってしまったのであった。14時半くらいをめどに撤退準備開始。無人島のビーチでのんびり過ごすつもりだったはずのみやもりは、
気づけばプカプカ浮きつつ魚とじゃれ合う時間に夢中。「早く支度しねえとタコ部屋(クルーザーの1階)だぞ!」
と荒れる僕に気おされて帰り支度を始めるのであった。まあ、名残惜しい気持ちは僕だって同じだ。
だらしのない親子連れがものすごく手際の悪い撤退ぶりを見せてくれたおかげで、
(僕が子どもの頃に比べると、「他のお客に迷惑がかかる」という発想ができない親が増えたように思う)
けっこうな時間を2階の炎天下の中で過ごす破目に。日焼けがさらに進行するのであった。そしてようやく出発。
僕は周囲の子どもたちと一緒にぐっすり。みやもりは隣で寝ている子どもが海に落ちちゃわないか心配で、
ずっと起きていたらしい。さすがに立派ですな。結局、ホテルに戻ったのが16時半過ぎという有様。まあそんなもんといえばそんなもんだ。
しかしまだまだ太陽光線は容赦がない。一日は長いのである。さっそく、本日の次のラウンドである。2003年、それまで鉄道がなかった沖縄に、モノレール(沖縄都市モノレール、通称「ゆいレール」)ができた。
(戦前には鉄道があったが、沖縄戦で壊滅したとのこと。沖縄戦の苛烈さは明日、実感することになる。)
で、まあせっかくだし乗ってみようよ、と。みやもりも疲れていて車を運転するのはキツいだろうし、
モノレールに揺られて首里城まで行ってみようぜ、ということになっていたのである。
さっそくホテルを出ると、最寄り駅である牧志駅へ。一日乗車券を買って、いざ乗り込む。
(一日乗車券を買うと、首里城などの入場券が少し安くなるのだ。お得!)
L: 沖縄都市モノレール・牧志駅。多摩都市モノレールなんかとあんまり印象は変わらないのであった。
R: 高架が国際通りをまたいでいるのである。ゆいレールはすべて2両編成なのであった。おーこれが沖縄のモノレールかーと写真を撮っていると、横から「マツシマさんは鉄だなー」。「ちがうナリよ」
モノレールは高架の上を走っていくわけで、沖縄のなにげない風景をばっちり目にすることができる。
車で走っていても沖縄の細かな起伏は印象的だったのだが、上から見てもそれはよくわかる。
特に終点の首里駅へ向けては上り坂になっているので、那覇の街をしっかり見渡せるのだ。
ところで沖縄の住宅を見ていると、ひとつ特徴的なことがある。屋根の上に、四角いでっぱりのある家が多いのだ。
実はこれ、貯水タンク。よく見ると銀色のタンクがむき出しになっている家もある。
沖縄はかつて水不足になることが多く(島だねえ)、それで屋上に貯水タンクというスタイルが一般化したらしい。
なるほど確かに、そういう家が集まっていると独特な景観がつくり出されているのがわかるのである。
L: 首里駅へ向けてだんだん標高は上がっていく。これらの緑をよーく見ると、亜熱帯な植生なのだ。
R: 沖縄の住宅をゆいレールから撮影。貯水タンクがあちこちの屋根にあるのがわかるかな?首里駅に到着すると、首里城目指して歩いていく。具体的にどこから行けばいいかはよくわからないのだが、
まあ近くになれば案内板が出るんじゃないの、というアバウトさ。だいたいの方角を保って歩く。
首里城公園には入口が複数あるのだが、せっかくだから守礼門から見ていこう、ということで遠回りする。
途中で池(堀?)を挟んで首里城が見える。なんだか派手に赤い。池の落ち着いた緑とずいぶん対照的だ。
そのすぐ角を曲がって坂道を上ると首里城公園に入る。まっすぐ行ったところが守礼門なのである。
守礼門はかつて首里城の復元がなされていなかった頃、「日本三大がっかり名所」の一つに数えられていた。
実際に訪れてみると、けっこう新しい印象がする(1958年復元)。僕もみやもりも、なんだか拍子抜け。
「これが守礼門だ」と言われなくちゃ気がつかないくらい、さりげなくふつうに立っているのである。
そしてもしこの先に首里城がなく、この守礼門だけがポツンとあったら、それは確かにものすごくがっかりだなあ、と思う。
で、先へ進むと城壁が見えて、いかにもグスク跡という感じになってくる。
首里城は、もともと城址として残っていたものと復元したものとの差が激しい。どうにも極端なのである。
L: 遠くから眺める首里城。緑と赤の対比がすごい。 C: 守礼門。最近色を塗ったのか、あんまり風格を感じられず……。
R: 歓会門。城壁が歴史を感じさせる。首里城は、城壁はさすがに立派だった。戦争での焼失が実に惜しい。
L: 城壁より那覇の街を眺める。かつての琉球国王もそうしたのだろうか。 C: 瑞泉門。やっぱり中国風。
R: 首里城正殿。個人的には、復元されて間もない建物本体よりも、その広い御庭のとり方が印象的だった。どっからどう見ても首里高校野球部のバイト学生からチケットを買うと、首里城の中へ。
まず南殿から入る。南殿は琉球王朝・文化の資料展示室になっていて、さまざまな資料が並べられている。
基本的に重要な資料は戦災で失われてしまったものが多い。その中で展示できるものをなんとか拾い出した、
あるいは復元した、そういう印象が残るものが多かった。いたしかたないとはいえ、切ない。
次は正殿である。首里城は過去4回の焼失・再建を繰り返している。
現在の建物は、1712年に再建されて沖縄戦で焼失したものを1992年に復元したものである。
内装を中心に琉球王国の栄華を思わせる飾りが徹底的に施されている。
しかし悲しいかな、古びていないので説得力が感じられないのである。いたしかたないとはいえ、切ない。
観光客の皆さんが王座である「御差床(うさすか)」をデジカメで記念撮影する中、一人腕組みしてしかめっ面の僕。
「復元と再現ばっかりでどうにも……」「しょうがないでしょう、ガマンしなさい」みやもりにたしなめられる。
なんというか、つくることに比べて壊すことがいかに簡単か、とことん思い知らされた。こっちまで悲しくなってくる。
最後は北殿。北殿は琉球の歴史を学ぶ構成。ただ、展示の方法は窮屈で、あまりうまくない。
みやもりは世界史の知識が深い人なので、世界史の一環として琉球の歴史を順調に理解していったようだ。
対照的に僕は地理育ちなので、世界史方面からのアプローチをされると今ひとつピンとこないところがある。
「世界史と地理、どっちがエライか」なんて何の役にも立たない論争を軽くしつつ、パネルを眺めていく。北殿のトイレは洗面台の蛇口がシーサー。
北殿の最後は土産物を売るスペースになっていた。いかにも定番なものばかりで購買意欲はそそられない。
琉球紅型(びんがた)の製品には少し惹かれたが、用途が思いつかなかったのでパス。いま考えるともったいなかった。
せっかく沖縄に来ておいてろくすっぽ土産も買わない、われながらケチな人間である。首里城のまとめ。上記のように、復元の嵐なのでがっかりしてしまう人もいると思う(僕もそうだし)。
(中にいる職員の人たちまで、みんな琉球の伝統的な衣服に身を包んでいたくらいだ。)
しかし、なぜ復元しなければならないのか、復元にどのような意味があるのかを考えることは大切である。
復元するということは、失ってはいけないものを失ってしまって、それを取り戻そうとするということだ。
建物はそのヨリシロでしかない。何が復元されるべきなのか。簡単にはいかない問題である。
あと首里城は異常と言っていいほどバリアフリーに気をつかっていた(専用の順路が用意されていた)。
これも復元だからこそ可能だった措置のように思う。いろいろと考えるきっかけが転がっている。首里城を出るとすぐ近くの玉陵(たまうどぅん)に行ってみることにする。
玉陵とは琉球王国の歴代国王が葬られているお墓である。
しかし、首里城の開館時間が20時半までと島時間全開だったので、それにつられて油断してしまった。
玉陵は常識的に17時半で入場を締め切ってしまうので、結局入れず。
悔しかったので金網越しに入口のところを撮影。残念無念。
と、デジカメのディスプレイを見てびっくり。バッテリーの残量がない、という表示が出ているではないか。
沖縄旅行はあと1日あるというのに、なんということだと愕然とする。
今まで使っていたデジカメは電池で動いていたので現地調達で問題なかったのだが、
新しいデジカメはバッテリーで動くのだ。そしてその予備バッテリーも充電器も、東京に置いてきてしまっていたのだ。
まさかの事態に直面してすっかり気が動転してしまう。地図とにらめっこして対策を練る。
対策を練るといっても、できることはただひとつ。どうにかして電器屋で充電器を買うことだ。
それができなければ使い捨てレンズ付きフィルムでガマンするしかなくなる。
しかしその肝心の電器屋がどこにあるのかわからない。ある程度の規模の店じゃないと売っていないのも問題だ。とりあえず首里駅まで戻る。その間に、ようやくひとつの可能性を思いつく。
それは那覇新都心・おもろまちで電器店を探すというものだ。ここはもともと米軍基地だった新しい街だから、
大規模な商業施設をつくる中で家電量販店が出店している可能性がある、と考えたのだ。
みやもりはサンダルの金具で足を痛めていたのでムリに歩かせるわけにはいかない。単独行動になる。
「じゃあそういうことで、すまんがよろしくたのむ」
モノレールがおもろまち駅に停まると、僕ひとりだけ降りる。みやもりはそのまま牧志へ。
時刻は19時。あと1時間でだいたいの店は閉まる。この1時間で、おもろまちで、充電器を探さなくてはならない。正直なことを言うと、僕はこの「那覇新都心」に来てみたかった。
ただ、来たところで都市社会学を勉強した人か買い物をする人しか面白くない場所なので、
今回の沖縄旅行の予定に組み込むつもりはなかった。でもまあ結局、来る破目になってしまった。
通路を降りるとまるで埋立地のような道を行く。両側には新しい店、巨大な中央分離帯は公園っぽくなっている。
まず地図にも載っていたホームセンターをあたってみるが、安物のデジカメしか置いてなくってすぐ断念。
こりゃあいよいよ「写るんです」かな、と思いつつふらふら歩いてみる。
「新都心」とは言うものの、結局は郊外型のショッピングセンターや大型店を集めた場所だった。
特にこれといって特徴があるわけではなく、非常に残念な気持ちになる。
そんなわけで半ばヤケになりつつ歩いていると、「メインプレイス」という名前の商業施設を見つけた。
映画館も併設されているようで、かなり規模が大きい。せっかくだからトライしてみよう、と中に入る。
そしたらあっさりと1階にDEODEOがあって、それがかなりのスペースを占めていて、
無事に充電器をゲットすることができたのであった。自分の強運に感謝なのである。
(新しいデジカメの扱いに慣れてないとはいえ、充電器も予備バッテリーも忘れてきた不運は棚に上げるのだ。)無事買ったよ、とメールを入れて外に出ると夕立。実は首里城にいたときも降っていたのだが、
そのときには建物の中にいたおかげで濡れることはまったくなかった。
しかしまたしても大粒の雨が降ってきた。こりゃかなわん、と走ってモノレールの駅へ。
2駅なので牧志にはすぐに着く。着いて即、みやもりに「傘借りて出て来い」と電話。
でもそこそこ待ってみやもりが到着した頃には雨はやんでしまった。沖縄の天気はとても変わりやすいようだ。さて沖縄旅行最後の夜となる今夜は、僕の提案で「ぜひステーキを食べよう」ということになっていた。
というのも、国際通りを歩いていると、やたらめったらステーキ屋が目につくからだ。
こんなにたくさんあるからには、きっと沖縄名物なのに違いない、まあそんな単純な理由からである。
いつものようにあれこれ迷いながら国際通りをふたりで並んで練り歩く。
そのうちにシェフがパフォーマンスをしながら焼くという店が気になって、入ってみる。
予約していなかったのでちょっと待ったが、そのうち無事に店内へ通される。アルコールを注文し、スープとサラダをいただくと、いよいよパフォーマンスが始まる。
(サラダはドレッシングが選べて、ブルーチーズを選んだらホントにブルーチーズが出てきて、うまかった。)
まずはピーマンを削るように鮮やかに切り、タマネギと一緒に炒める。
缶に入ったゴマを振り掛けるのだが、ここで手品やお手玉のように両手で缶を操ってみせる。
器用なもんだなーと凝視しつつ感心。醤油をかけて焼きあがったら皿に載せてくれる。
そしていよいよ肉である。バターを敷いておいて肉を置き、細かく刻んでいく。
今度はジャグリングをするかのように、ペッパーミルをぶんぶん回して味付け。これまた仕上げは醤油。
最後はモヤシとチンゲンサイを炒めてパフォーマンスは終了。間近で見るとすごく面白い。
「びゅくさん、これできるようになるとモテるよ」とみやもりが言う。
「プロの仕事だよなあ。見ていて3つ、プロになる条件がありそうだ。1. 料理ができる。2. パフォーマンスができる。
3. 客を相手に小粋なトークができる。1.と2.は努力してできるようになるとしても、3.はムリだな」
「ありゃー、じゃあモテないね」そんなおバカなトークを繰り広げつつおいしくステーキをいただいたのであった。
あれだけパフォーマンスをしっかりやって、味もちゃんとしてるってのはさすがだなーと感心しきり。
値段は少々高かったが、飲み屋に行ったと思えば十分に妥当なんじゃない、といった感じ。いや、楽しかった。ステーキ。
部屋に戻ると、コンビニで買ったオリオンの缶ビールとポーク卵のおにぎりで乾杯。
無人島が予想外の大ヒットで本当に良かったよ、などといった話をしたのであった。
それにしてもあっという間に沖縄旅行最後の夜である。信じられない。
確かにいろんなことがいっぱいあって、それが猛スピードで過ぎていって、気づけばあと1日しかないのだ。
明日もしっかり楽しもうぜ、という結論が出たところで就寝。ビール。……太るなぁ、コレ。
朝7時に起きるとさっさと支度を済ませて部屋を出る。みやもりはまだぐっすりと眠っている。
それにしても、もう今の時間からすでに暑い。ちょっと歩いただけで汗が吹き出てくる。
沖縄の暑さには圧迫感があると思う。体に押しつけられるような暑さとでも形容できようか。
朝の太陽の光は新鮮で心地よいのだが、その一方で確かに、すでに容赦なく地面を照りつけている。
恒例の県庁めぐりであるが、庁舎建築にまったく関心のないみやもりを付き合わせるのも悪いので、
こうやって早朝に片づけてしまうことにしたのだ。それでまだ目の覚めきっていない国際通りを歩いている。
沖縄の夜は遅いので、それにつられて朝も遅いのかなと思ったのだが、実際にはそれほどでもなかった。
店先を掃除する人やゴミ収集車が動きまわっていて、それなりにきちんと活動が行われている。
まあそれは観光客向けの土産物屋がほとんどで、飲食店が目覚めるのはまだ先のことかもしれない。
とにかく、人の動いている気配は途切れることなく漂っている。気持ちのいい朝である。久茂地の交差点が国際通りの入口となっているのだが、そこにそびえているのが沖縄県庁である(設計は黒川紀章)。
横に幅のある直方体を2つ並べ、それをわずかにずらして配置する。てっぺんは刃物を研ぐように切妻型にする。
ざっと見てそんな表現ができる建物である。正面に相対して圧倒される。けっこうデカい。
キチキチと角度を強調するような県庁に対し、県議会はロボコップのように丸っこい。好対照である。
まずは正面から撮影。そして県議会へと近づいてみる。
L: 沖縄県庁舎。周囲にジャマになる建物がないので、その姿がハッキリと見える。けっこう大きい建物。
R: 「パレットくもじ」から見た県庁舎と県議会。色も形も対照的である。
L: 県議会を交差点の対角点から眺めたところ。 C: こちらは真正面から見たところ。ロボコップ風。
R: 県議会のエントランス。右端にあるのはシーサー。沖縄の建物にはあちこちにシーサーがくっついている。県庁舎の敷地を一周してみる。まずは後ろにまわり込んでみる。ファサードは正面とほとんど変わらない。
県庁舎の裏手には沖縄県警の本庁舎がある。あまり特徴のないオフィス建築で、特にコメントはない。
面白かったのが、県庁裏にシックでオシャレな外見なのに「NEWTYPE」のいう名前のガンダムバーがあったこと。
「ガンプラコンペ開催!」なんて貼り紙がしてあって、沖縄にもガンダムファンっているんだなあ、と思った。
しかし今は朝だし僕はファーストガンダムにまるっきり興味がないので素通り。小粋なガンダムトークなんてできっこない。
L: 裏から見た沖縄県庁舎。ファサードのデザインは正面とまったくといっていいほど変わらず。
C: 交差点の車止めがシーサーだったり。 R: 沖縄県警本部。全体的に似た色合いでまとまっているのね。昨日の日記でも書いているが、沖縄には小さな起伏がけっこうある。県庁の周囲もそうで、東側のほうが少し高い。
ゆったり坂を上って、下りると県庁前のオープンスペースが目の前に配置されている、そんな構成になっている。
朝日を浴びたオープンスペースは緑が多くてなかなかよろしい。横断歩道を渡ってうろついてみる。
L: これまた裏手から見た沖縄県庁舎。この角度からだと2つの棟が段違いに並んでいるのがよくわかる。
C: 沖縄県庁舎の側面。 R: 県庁前のオープンスペース。沖縄ならではの植物がいっぱい植えられている。オープンスペースでまず最初に目につくのは、ガジュマルの木である。等間隔で何本も植えられているのだが、
その足元の部分がさすがにガジュマル。四角く開けられた地面を埋め尽くすように根を広げている。
ほかにもブーゲンビリアなど沖縄ならではの植物たちがあちこちにあって、ううむなるほど、と思わされる。
石の素材を直線的に並べているのもなんとなく沖縄名物のグスク(城)跡を思わせる。細かいところがしっかり沖縄だ。
L: 沖縄県庁前のオープンスペース。ハトが何羽もいて、近づいても全然逃げようとしないんでやんの。
C: 等間隔で植えられているガジュマルの木。いかにも亜熱帯の植生を感じさせる。
R: ガジュマルの木の足元部分。こんなふうにうねうねと根がからんでいるのが亜熱帯である。
L: 沖縄県庁舎正面入口。上のほうにシーサーが並んでいるのがわかるかな。
R: おまけショット。こないだの台風4号で倒れたと思われる消火栓の標識。あちこちに台風の傷跡が残っていた。色づかいといいファサードといい純粋なオフィス建築なのだが、てっぺんを尖がらせたりシーサーを並べたり、
オープンスペースの植物を適度に配置したりで、沖縄県庁はなかなか面白い空間になっていた。
やはり植生に特徴があってそれを活用できるというのは大きいのだ、とあらためて気づかされた。さて、お次は那覇市役所である。といっても場所は沖縄県庁の西隣。
いかにも新しくてきれいな沖縄県庁とは対照的に、那覇市役所はモダニズムなコンクリート建築である。
そして何がすごいって、正面向かって左側(東側)にびっしりと生えているツタである。まあ見事なものだ。
コンクリートのくすんだ灰色を中心に、左手を緑、右手を沖縄風の茶色いブロックが彩る。色の対比が美しい。
L: 那覇市役所。色の対比に注目をすると、けっこうかっこいいと思うのだがいかがでしょう。
C: コンクリートに埋め込まれた茶色のブロック。古い沖縄の住宅によく見られる2つの色がここでも使われている。
R: そのまま側面を撮影。ヤシの木が並べて植えられている。この先には小学校がある。
L: 東側の側面は、一面ツタに覆われている。面白い。 C: ファサードを正面から見るとこんな感じ。
R: 市役所の裏側はこんなん。ツタが生えているところは階段部分になっているようだ。那覇市役所のオープンスペースはそんなに広くないのだが、やっぱり巨大なシーサーが置いてあったり、
ガジュマルが植えてあったりと、沖縄らしさはよく演出されていた。狭いわりに緑が多い印象である。
つくられた当初からほとんど姿を変えることなく今に至っているのだろうと思う。いい意味で、うまく古びている。ツタは遠目にはきれいだが、無数の虫が飛び交っており職員には困るかも……。
というわけで、日本でいちばん西・南にある県庁と市役所をクリアしてしまった。
今年の頭にはまさか沖縄に来ることになるとはまったく想像していなかったので、うれしい誤算である。
県庁所在地というのは日本全国を旅するための言い訳でしかないのだけど、
こうやって実際に目標があって旅をするというのはとても楽しいことだ。実際、建物も面白かったしね。県庁と市役所の撮影を終えると、国際通りを東に戻る。
まだ8時になっていないが、ノースリーブのシャツ1枚に短パン、サンダルという服装がしっくりくる。
途中、自動販売機で500ml缶のミルクティーを買い、それを飲みつつブラブラゆったりと歩く。
そうしていると、南の島特有のゆったりとしたリズムに自分が溶け込んでいるのがわかる。
沖縄はすべてが、良くも悪くもルーズである。昨日のビーチが19時までふつうに泳げるという事実もそうだが、
遅い時間まであちこちでのんびりと過ごせることからすべてが逆算されているように思う。いわゆる「島時間」ってやつだな。
夜になってもいつまでもあったかいから、仲間と道端に座ってだらだら過ごすことに違和感がない。
沖縄ほど「ストリート」という言葉(哲学)が名実ともに実践されている場所もないんじゃないかと思う。
僕なんかは基本がだらしないくせに細かいところはキチキチしていないと落ち着かないタチなので、
そういう人間には沖縄という世界がまるで鏡の国のように感じられる。
そして、ちょっと勇気を出してその沖縄のリズムに合わせてみると、ああなるほどねと納得がいく。面白いものだ。
L: 沖縄三越の石敢當(いしがんどう/いしがんとう)。これは魔よけの一種なのだが、本当にそこらじゅうにある。
R: 朝の国際通り、入口にあるシーサー。すでに日差しは眩しい。部屋に戻るとみやもりがベッドでうだうだしていた。一緒にメシを食いに出る。
ホテルに併設されているレストランでバイキング形式の朝メシをいただく。
いちばん感動したのが牛乳がおいしかったこと。高原の牧場でしか飲めないはずの濃い風味の牛乳が飲めたのだ。
沖縄ではコンビニでも低温殺菌の牛乳を売っていて、わりとそれがポピュラーになっているようだ。意外である。
昨日も感動したのだが、沖縄の食べ物の些細な部分は僕にとってうれしい要素がいっぱいある。
それは僕がよそ者だから気づくことなのかもしれない。そして東京のいい部分を見逃しているのかもしれない。さて、沖縄に行ったことがある人にどこかオススメの観光スポットはないかと尋ねると、十中八九、
「沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館」という答えが返ってくる。それでいろいろ調べてみると、確かに面白そうなのである。
ところがこの水族館、沖縄本島のだいぶ北西にあるのだ。行くのにけっこう手間がかかる。これは困った。
庁舎建築マニアの僕としては「せっかく沖縄に来たんだから、がんばって行こうぜ!……名護市庁舎に寄ってさ」
ってな感じでみやもりを説得にかかるのだが、運転する手間を考えるとみやもりはどうにも二つ返事といかない。
みやもりとしてももちろん水族館に行きたいのだが、運転がどれだけ大変か読めないので返答に困るというわけである。
それで昨晩、残りの3日間の予定をあれこれ練った結果、「思いきって2日目(本日)は美ら海水族館に専念しちゃう、
そんでもって沖縄を運転する感覚をつかんでおいて、4日目に残りの観光地をぐるぐる思う存分まわっちゃう」という
コペルニクス的転回なアイデアをみやもりがたたき出してくれたおかげで、完璧なスケジュールができあがったのだった。
「しょうがない、名護市庁舎にも寄ってやるよ」と言うみやもりに対し、「やったねパパ! 今日はホームランだ!」と返す僕。
ホント、みやもりにしてみれば、手のかかる子どものいる家族旅行みたいなものなのかもしれない。というわけで、車に乗り込むとiPodをAUXでシャッフルに再生しつつ、まずは名護を目指す。
(ちなみに、僕のiPodのラインナップについて、みやもりから「玉石混交というより、支離滅裂」との言葉を頂戴した。)
国道58号を北上、途中からは海沿いのバイパスを行く。新しくてデカい施設が点在している。
しばらく行くとまた合流、北谷は美浜のアメリカンビレッジの脇を通る。しかし素通り。
わざわざ沖縄に来て大規模な商業地域に行くというのもよくわからない感覚である。
行けばそれはそれで面白いのかもしれないけど。まあ、今の我々にそんなヒマなどないのだ。
宜野湾から北谷、そして嘉手納にかけて、国道58号の東側はずっと米軍施設が続いている。
フェンスの向こうはなんだか模型のような建物が並んでいたり、サバンナのような緑が広がっていたり。
あらためて、沖縄におけるアメリカ軍基地の存在の大きさを実感するのであった。
(嘉手納町にいたっては、町の総面積の83%を基地が占めているというのだからびっくりである。)読谷村に入ると、道は一気に変化する。海沿いから、山の中を切り開いた道へ。両脇をこんもりとした緑が囲む。
しかしその緑をよく見てみると、それは本州とはまったく異なる、亜熱帯の植生なのだ。ハイビスカスも咲いている。
やっぱりここは全然違う場所なんだね、なんて話をみやもりとする。交通量は少なくなり、快適なドライブである。
そして恩納村に入って恩納海岸に出た瞬間、僕もみやもりも思わず息が止まった。
視界には海が広がっていた。それは本当に、写真やポスターで目にしたままの、あの美しい色をしていたのだ。
これが南の海か……。言葉を失ってただ茫然と眺める……わけにはいかない。だってみやもりは運転しているから。
見とれるわけにはいかないけれども、でも思わず見とれそうになってしまうエメラルドグリーン。
それが混じりっけのない青色とストライプをつくりながら、ずっと先の水平線まで続いているのである。
車はどんどん北へと進んでいく。しかし建物や木立の間から見える海はどこまでも変わらず美しいままである。
そしてあることに気がついた。「ぜんぜん人がいないね」ビーチは点在しているものの、まったく人影が見えないのだ。
時刻はちょうどお昼どきで、日差しがとんでもなく眩しい。そのせいなのか、海に人がいない。
なんでだろねえもったいない、なんて話をしながら先へと進んでいく。沖縄自動車道の北端・許田ICを越えると、道はいよいよ海のすぐ脇を通るようになる。
左手の海はめいっぱい光を浴びてパステルカラーと言えるほどに輝いている。もう言葉もないほどの感動だ。
すげえなあ。ああ。来てよかったなあ。なんてイージーなセリフだけが、深い胸の底からポコポコ出てくる。
そうこうしている間に、道は大きく左にカーブして名護市庁舎近くとなった。右手にピンクの骨組みみたいなものが見えた。
「え? これ?」……そうなんですよ。このヘンテコなのが市役所なんですよ。
とりあえず駐車場に入ると車を停める。車から降りるとあの圧迫感が襲ってくる。暑いったらありゃしない。名護市庁舎は、建築業界ではかなり有名な存在である(1981年の日本建築学会賞を受賞)。
象設計集団による作品で、冷房を一切使わずに自然の空気の流れだけで快適に過ごせる、というのが最大の特徴。
(ただし、現在は来庁者の要望もあって冷房を使用しているとのこと。まあ確かに沖縄はホントに暑いのだ。)
余談だが僕は以前、卒論を書く過程でこの名護市庁舎の設計図を目にする機会があったのだが、
余白の部分に最近のラーメン屋のようなタッチで、自然がどーの風がどーのみたいな毛筆でのコメントが入っていて、
「うわあ……」と思ったことが記憶に残っている。もう、(桂枝雀っぽい口調で)「うわあ……」としか言いようがない。それはさておき、実際に建物を目にしてみると、まずそのスケスケな柱の構造が印象に残る。
そして色づかいである。多少くすんだピンクが縞模様とつくっていて、すごく異様なのだ。珊瑚のイメージですかね。
みやもりはこれが市役所?とけっこう驚いていたようだが、たくさんある自治体の中にはこういう役所もあるのだ。
国道に面しているのは裏側なので、そちら側の撮影を済ませると正面のほうへとまわり込む。
L: 名護市庁舎の裏側。スケスケなのである。 C: 左手にあるのは車椅子用のスロープ。かなり大きくて目立っている。
R: 名護市庁舎の入口。真ん中の写真に写っているスロープの奥にある。ここだけはモダンスタイルに似ている。名護市庁舎は2つの棟を通路でつなげて1つに見えるようにしている。
その2つの棟の間には見事な芝生の中庭があり、そこから眺める建物はちょっと別世界のものに感じられる。
横縞で彩られた柱がいくつも並び、それが屋根を支えている。外からはとても複雑な構造をしているように見える。
宮崎駿の描く物体のような、無機的な生命感と有機的な鈍い金属感の混ざった感じというか、そういう印象がする。
良く言えば珊瑚礁のような建物、悪く言えば皮膚がトロトロと溶け出して骨の残った巨神兵みたいな建物である。
それでも芝生や樹木の緑が効いていて、実際にその場に立ってみた感触としては、そう悪いものではない。
中に入ってみると休日ということで、職員のおじさんがヒマそうに当番をしていた。
スルスルと奥へ進んでいき、いちおう内部の様子を撮影してしまう。なるほど確かに開放感がある内部だ。
L: 名護市庁舎の正面側。一面の芝生が付近の温度上昇をさまたげるため、建物内が快適になるのだろう。
C: 芝生と市庁舎。緑の中にちょこちょこと姿を現すピンクの柱が、なんだか珊瑚礁的である。
R: 名護市庁舎内部の様子。中に壁はなくってぶっ通し。職員はどんな気分で働いているのかちょっと気になる。「というわけで市庁舎建築の世界というものを堪能していただけましたでしょうかね、みやもりさん」「いや……?」
まあパンピー(一般ピープル)の反応はそんなものであろう。どうせ特殊な趣味だ。
みやもりは、せっかくだから海まで行ってみようと提案。車を市役所に置いたまま、海を目指して歩きだす。名護市民会館の敷地を抜けて海とご対面。南の海は、形容する言葉もないほど本当に美しい。
しかし浜辺には無数のゴミが打ち上げられていて、どうにも興ざめ。右手にビーチが見えたので、そこまで歩く。
太陽に照らされて真っ白に輝く砂浜をしばらく歩いてビーチに到着。
しかしここも、昨日と同じように青いロープで遊泳可能区域が区切られている。沖縄ではどこもそうなっているのか。
しばらく無言で海を眺める。まるでガラスのようだ。緑がかったガラスの断面、あの色が液体になって溶け出している。
エメラルドグリーンと群青色をぐっと明るくしたブルーとが、くっきりとその領域を隔てながら揺れている。
今まで僕らが知っていたのとはまったく別種の海だ。本当は同じ液体のはずなのだ。でも、違う海だ。
南の海ってのは、こうも特別なものなのかね、なんて思わずつぶやいてしまう。
そしてザブリザブリと海の中に歩を進めていく。足元では砂の上に珊瑚のかけらが層をつくっている。
拾い上げてみるととても軽い。爪の先で弾くとチン、と瀬戸物がぶつかるような高い音が聞こえた気がした。
わずかな濁りもない海の向こうに対岸が見える。距離感がつかめない。今いる場所のことすらも忘れそうだ。特別な液体と特別な光と特別な時間がこういう景色をつくる。
どれくらい呆けていたのかわからないが、僕もみやもりもただ無言で時間を過ごしていた。
それで、いいかげん日差しがきつくって海から国道のほうへと戻る。途中の公園で水のみ場があったので、足を洗う。
水はいったん上に発射され、放物線を描いて落ちてくる。そのタイミングで足を出して砂を落とす。
そのまわりくどさがなんだかおかしかった。いや別にどうってことのないことなのだが。
車に戻ると中に置いておいたさんぴん茶はすっかりホットになっていた。
あまりの暑さにみやもりは「どんだけ~」を連発。そういえばみやもりはこの旅行中、ずっと「どんだけ~」と言っていたな。気を取り直して再び国道を進んでいく。名護市役所からちょっと行ったところで道は国道58号でなくなって、
国道449号へと切り替わる。幅が細くなり、なるほどこれが沖縄南部と北部の差か、と思う。
なんだか田舎の街道のような雰囲気も漂わせながら、道は続く。まあ、もうここまで来れば、すぐそこである。往年のドライビングゲーム『OUT RUN』のようだ。男ふたりだけど。
海、空、太陽。沖縄の底力を十分に堪能しつつ走っていくと、海洋博公園への分岐点が見えてきた。
すぐ脇にコンビニがあったので、そこで軽く休憩。美ら海水族館の割引券(1割引)を売っているということで、
「びゅくさん、買ってよ。オレ運転してんだし」「あい」
男ふたりで店内に入って、買うのが水族館の割引券である。恥ずかしいのである。
それでもそこはきちんと買いましたよ、ええ。それがナヴィゲーターの役割ってもんさね、ええ。なんにもない道をずっと行くと駐車場が現れる。あんまり先に行くと混むだろうと予想し、テキトーな位置で駐車。
まずは海洋博公園の入口へ。ずいぶんと立派な入口だったが、そのせいかわざわざ「入場無料」と貼り紙がしてあった。
中に入ると海に向かって階段をゆっくり下りていく構成になっている。真ん中の広場には噴水がある。
さえぎるものが何もないので足元は異常な温度になっているのだが、まさに焼け石に水でそこだけはいちおう涼しげ。
総合案内所(ハイサイプラザ)でトイレ休憩を挟むと、いざ、美ら海水族館へと向かう。
途中でテントの下に「冷風機」なるものがあり、来場者に対して個人的に冷風を吹きかけていた。
言ってみればコンパクトなクーラーなのだが、何の意図があって設置された機械なのか僕にはさっぱり。
L: 海洋博公園・中央ゲートより。地面が尋常じゃなく熱い! C: 階段を下から撮影してみた。
R: 冷風機。帰りがけ、みやもりは「環境に優しくない」と言って勝手に電源を切ってしまった。確かにいらないよね、コレ。坂を下っていくと、美ら海水族館の建物が見えてきた。正面にはジンベエザメのブロンズ像が置かれている。
ここからエスカレーターで下っていき、振り向くとエントランスである。なかなか複雑な構造をしている。
エントランスと反対側を眺めると、眼下に広がる海はまさに美ら海である。
L: 沖縄美ら海水族館。正面にあるのがジンベエザメのブロンズ像。ここから日陰のほうへと入っていくのだ。
C: 美ら海水族館のエントランス。右手にあるエスカレーターを降りてまわり込む。ちょっとわかりづらいかも。
R: エントランスと反対側を向くとこのような景色が広がる。沖縄の海はホントにきれいですわ。中は案の定クーラー効きまくりで、ノースリーブ一丁の僕はさっそく寒くなる。
が、気にしてもしょうがないのでさっさと改札を抜けてしまう。まず最初にあったのが、海辺の生物に触れるコーナー。
夏休みの小学生たちがわらわらと群がる中、僕も一緒になって水槽に近づいていく。
「YOU、触っちゃいなよ」となぜかジャニー喜多川口調でみやもりが言ってくる。ジャニさんが言うならしょうがない。
「じゃあ、ナマコいきます」と答えると、内心びびりつつも「イリコ(ナマコを乾燥させたもの)は高級食材ー!」と
自分に言い聞かせて、思いきってその真っ黒なお姿を拾い上げる。んでもって撮影。
生ナマコは正直、ぬいぐるみのような感触で、触り心地はけっこう良かった。
なんだか華奢な感じがして、力を入れて握ったりとかできない。実際に触ると意外とかわいく思えてくる。クッションなどにありそうな感触で、なかなかよろしい。
さてそんな先制パンチがあった美ら海水族館だが、お次は珊瑚の海と熱帯魚の展示である。
ガラス越しの魚たちは泳いでいるというよりも飛んでいるように見える。
目の前を魚がフワフワスイスイと飛んでいくのはなんだかおかしな感覚である。
そうかと思うと底のほうでは大きな魚がうだーっと寝ていたり。ホントに海の中にいる気分になってくる。
それから海の危険生物コーナー。イモガイとか本気で怖い。幼少期に『BE-PAL』の特集で見てどれだけ怖くなったか。
そして個別の水槽で海の各種生物が展示されていく。この辺はふつうの水族館って感じである。
L: 水槽の中を4機編成で飛んでいく魚たち。アメリカ海軍のアクロバット飛行隊・ブルーエンジェルスとか思い出した。
C: のんびり寝転がっている魚もいるのだ。 R: アナゴたちが穴からこっちを見てるニョロ。順路をぐるっとまわっていくと、いよいよ美ら海水族館最大の名物である巨大水槽が見えてくる。
しばらくジンベエザメやマンタの泳ぐ様子を観察。それから22.5m×8.2mという巨大なアクリルガラスを正面から眺める。
本当に劇場の客席のようになっていて、そこから魚たちの泳ぐ様子を見ることができるようになっている。
僕もみやもりも奥のほうで腰を下ろしてまたしばらく眺める。彼らは泳いでみせるのが仕事なのだ。
うん、がんばっているなあ、なんてワケのわからんことを勝手に思いつつしばし見とれるのであった。客席のところからさらに奥へ行くと、「サメ博士の部屋」なるものがある。
これはサメに関するありとあらゆる情報が水槽とともに展示されている場所なのである。
僕の勤めている会社では、海外の本の翻訳なのだが海の生物についての写真の入った本も出しており、
社員にはすべての出版物が回覧でまわってくるので、サメについては予備知識がそこそこあるのだ。
サメってのはエイとともに軟骨魚類に分類され、これは一般的な魚・硬骨魚類よりも原始的なのであって……
みたいなウンチクを披露できてしまうのである。で、なぜかみやもり相手にあれこれ説明してみたり。
とはいえこれだけサメについて体系的に解説をしているのは珍しい。確かにサメ博士の部屋なのであった。
展示にひととおり目を通し、あらためて奥の深いサメの世界を体験するのであった。
L: 巨大な水槽とそれを眺める客席。劇場である。ちなみにアクリルガラスの厚さは60cmあるんだそうだ。
C: サメ肌を応用した水着ってことで感触を確かめていただけであって、決してムラムラしていたわけではございませんってば。
R: サメの交尾についての説明・英語ヴァージョン。こういうポップなイラストって好きだな。サメ博士の部屋を見終わると、階段を下って巨大な水槽の真正面に立つ。
ジンベエザメが3匹、優雅に泳ぐ。マンタは4匹、交互に現れる。ときおりカツオが異常なスピードで飛んでいく。
それにしてもジンベエザメが本当にデカい。そしてマンタがかっこいい。
僕もみやもりもただ突っ立って眺めているだけだったのだが、なかなか飽きない。
エイ類もいっぱいいて、ひらひらと全身をくねらせて泳ぐ姿はユーモラスである。
でも、なんというか、マンタがヒレを使って泳ぐのはとても人間くさくって、特別な親近感をおぼえるのである。
そんなわけでマンタ来いーマンタ来いーと念じながら水槽をじーっと眺めていたとさ。
L: ジンベエザメ。やたらめったらデカい。そしてこれが3匹も泳いでるんだからすごい。
R: マンタ。なんだか泳ぎ方が人間くさい印象がする。そのせいなのか、不思議と惹かれるんだよね。巨大な水槽の端っこは、泳いでいる魚たちを下から見上げることができるようになっている。
そこで口をぽけーっと開けながらしばし飛んでいくジンベエザメやマンタを眺めると、次の展示へ。
最後は深海魚コーナーである。水族館でわざわざ深海魚を大々的に扱うのは珍しいと思う。
全体がかなり暗くなっている中、ひっそりと息を潜める深海の生物たちを眺めていく。
「ふつうじゃん」と思える魚もいれば、明らかに異形の生物もいて、その生態の不思議さには驚かされる。
彼らの生きる生命という概念は、僕らの知っている生命という概念とはまったく違っているのだろうと思う。
そういう多様性ってのが地球を覆っているのだなあ、なんて哲学的なことを考えてみたりみなかったり。さて出口のところはショップである。「YOU、買っちゃいなよ」ジャニーみやもりが言う。
特にこれといって魅力的なアイテムはないなあ、なんて思ったら、各種オリジナル柄の手ぬぐいを売っていた。
ジンベエザメのほか、マンタの柄もある。なかなか色鮮やかで、見ているだけでも楽しい。
僕は手ぬぐいが好きだ。マンタも好きだ。ゆえにマンタ柄の手ぬぐいを買うことにした。三段論法である。
みやもりはさんざん迷った末に、職場向けのお土産を買ったようだ。水族館を出たところで驚いた。いきなりの夕立(というよりはスコールと言ったほうがいいかもしれない)である。
確かに昼間は尋常じゃない暑さだったわけで、納得がいくといえばいくのだが、15時半より前ってのは早い。
僕らは昼メシをまだ食っていなかったので、空腹のまま雨がやむのをじっと待つ。
家族連れを中心に、出口のところには人だかりができていく。みんなでぼーっと雨を眺めている。
さすがに疲れのせいもあってか、僕もみやもりも無言でただ時間をつぶして過ごす。
そうして30分近く経ってから、ようやく雨がおさまりはじめた。民族大移動の開始である。
とにかく入口のところに戻ることに。エスカレーターまでもうすぐ、というところで突然みやもりが、
「マツシマさんはエスカレーターなんて乗らないよね」と売り言葉をかけてくるのでこっちも「おうよ」と買い言葉。
そのまま一段抜かしダッシュで階段を駆け上がっていく。こちとら元気だけが取り柄なのである。エスカレーターでのんびりと上がってきたみやもりと合流すると、カフェに入る。
が、軽食が提供されるのは16時からということで、仕方なくケーキセットを食べることにする。
海の見える窓際の席でのんびり一息つきながらエネルギーを蓄えていると、イルカショーをやっているのが見えた。
水族館から海側へ降りていったプールでは、「オキちゃん劇場」というイルカショーを無料で公開しているのである。
最初はジャンプするイルカを遠目から眺めるだけだったが、そのうちウズウズしてきて、見に行こうぜ、と提案。ジャンプするイルカ。こりゃもう見に行くしかないぜ!
運よくなんとか端っこのところから立ち見ができた。人間を乗せてぐるぐると勢いよく泳ぎまわるイルカたち。
トレーナーの命令に見事に従って芸を見せる。あげたエサを「気に入らない」と吐き出す演技までコミカルにしてみせる。
イルカって頭いいなあ~と感心しきり。オレもあれくらい賢い人気者になりたい、と思ったことよ。イルカショーが終わると、海洋博公園の東端にある「エメラルドビーチ」へ行ってみる。
しかし先ほどの夕立スコールの影響もあり、それほどエメラルドな感じがしなかったのが非常に残念である。
それでもまあせっかくのビーチだしな、ということで、さっそくみやもりはくつろぐ態勢に入る。
「じゃあオレは……泳ぐよ」ということで、昨日と同じくくつろぐみやもり、動きまわるびゅく仙。
ビーチはやっぱりブルーのロープで区切られている。そしてやっぱり一番深いところでも足がつく。
なんだかなあ、と思いつつ、なんとなく泳げる範囲を往復。そんな感じに過ごす。
そしてやっぱり、このビーチも夜7時まで泳げるとのこと。これが島時間ってやつなのかーとあらためて実感するのであった。天気もそれほど回復しなかったので、そんなに長居することなく帰ることに。
途中のコンビニで例のポーク卵おにぎりを買い込み、それを頬張りながら同じ道を戻っていく。
予想よりはわりとスムーズに美ら海水族館まで来ることができ、みやもりも運転の感覚がつかめたようだ。
「いやあ、よかったよかった」なんて言いながら国道58号を南下していく。ところで、僕が本州と沖縄の生活の違いで最も深く印象に残ったのは、お墓である。
本州ではお墓といえば、お寺の裏や霊園に墓石が立っていて……という風景がすぐに思い浮かぶ。
しかし沖縄には墓石はない。あるのは、廟である。たいていは海を眺めるようにして、廟が並んでいるのだ。
廟は本当にあちこちにある。こういう死の近さが、むしろ島独特の安定した世界観をつくっているように感じる。
美しい海の近くで生まれ、亡くなってもやはり美しい海を眺め続ける。そうしてただ時が流れる。そんな感じか。
本当は廟の写真をここで貼りつけたいところなのだが、見事に撮るのを忘れてしまっていた。
まあ人様のお墓を無断撮影するのもアレかな、と思わないでもないので、今回は写真なしということにしておく。
夕日を浴びる廟を見ながら、うーんこれぞまさに社会学だぜ、と僕は思った。帰りもスムーズにいくかな、と思ったのだが、恩納村で祭りがあって、それで大渋滞。ぐったり。
(途中に「おんな売店」という看板があって心底驚いた。恩納村の売店だからだろうけど、インパクトすごすぎ!)
そこからはしばらく快適に進んだのだが、那覇の直前・浦添市でも夏祭り。もうホントにありえない大渋滞。
車線の数は派手に増減するしタクシーが入り乱れるしバイクが無神経に割り込んでくるしで、
助手席にいるだけの僕でさえヘトヘトになるほど。いわんやみやもりをや、である。本当にお疲れ様。どうにかこうにかホテルに戻ると、風呂に入る。
ところで風呂は大浴場だが、夜の12時まで営業している。で、昨日は11時半になっても人がワンサカという状態。
沖縄ならではのルーズさを実感したのであった。本当に、ここは何から何までゆったりとしている。
あと階段の踊り場の窓ガラスにはヤモリが2匹貼りついていた。そこでも沖縄を実感した。さて晩ご飯である。今日は飲み屋で沖縄料理を堪能しようと決めていたので、国際通りをぶらついて、
テキトーに遅くまでいられる店に入ることにした。とにかくオリオンビールとゴーヤチャンプルーを摂取したいのである。
端っこの席に陣取ると、さっそくオリオンビールの中ジョッキで乾杯。本当にお疲れ様でした、と。
オリオンビールは大学時代にゼミで大宮に行った際、沖縄料理店で飲んだことがある。
ずいぶんと薄いなあ、ドライ風味だなあ、と弱いけど黒ビール党の僕は少々残念に思ったのをよく覚えている。
で、沖縄で飲むオリオンビールもやっぱりあっさり風味。でもまあ、疲れているからおいしい。文句などない。
むしろ暑い中でこってりした酒を飲むよりは、ドライ風味であっさりいく方がいいんだろうなあ、と思うのであった。やがて海ぶどうのサラダ、ゴーヤチャンプルー、ジーマミ豆腐と料理が並ぶ。
まずは海ぶどう。生ぐさい風味を予想して口に入れてみると、まったくの無臭。僕もみやもりもびっくり。
噛むとプチッとした感触とともにオクラを思わせる粘り気が広がる。いたってごくふつうの食材である。
そしてジーマミ豆腐。ジーマミとは落花生のことで、つまり落花生からつくった豆腐なのである。
食べると濃厚な風味とともに甘味がする。これに生姜を付けて食べたらめちゃくちゃうまい。
ジーマミ豆腐の甘味と生姜の刺激がとてもマッチしていてたまらない。酒と豆腐の組み合わせに弱い僕は大満足。
最後に、僕にとってはメイン・エベントにほかならないゴーヤチャンプルーがやってきた。がっつりと小皿によそうと、
「苦い、うまい」とニタニタ笑いながら頬張る。みやもりは「コイツは口に入れればなんでもおいしいのか」なんて表情。
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」と、えなりかずきのマネをするホリのマネで返す僕。
「実際、沖縄料理うまいんだもん」ウハウハ言いながらゴーヤチャンプルーのおかわりをよそう。
そんなわけで、沖縄料理が口に合いまくって幸せいっぱい胸いっぱい。そりゃあ口もなめらかになるさ。
午前2時まであれこれ突っ込んだ話、お互いの価値観の再確認をして過ごしたのであった。
L: オリオンビール中ジョッキである。 C: 海ぶどうサラダ。海ぶどうは何の違和感もなく食えるふつうの食べ物でした。
R: ゴーヤチャンプルー。撮るのを忘れてオレが勢いよく食ったので、こんなみっともない姿になってしまった。うまかったー支払いを済ませて表に出ると、なんと午前2時だというのに、例のむわーっとした空気が体を包み込む。
ふたりで唖然としてお互いの顔を見る。「おい、こんな時間だってのにこれだけ暑いぜ……」「信じられんねえな……」
自分たちの常識と沖縄の常識の違いにあらためて驚かされる。いやはや、まいったまいった。
朝起きて部屋の片付けをして荷物の整理をする。
流しで食器を洗いつつ、沖縄というものをあれこれ想像してみるが、どうもしっくりこない。
あと何時間か後に自分が飛行機に乗って、その先には快晴の空があるというのが思い浮かばないのだ。
とりあえず準備を済ませて家を出る。電車を乗り継いでみやもりとの待ち合わせ場所である品川駅へ。出発時の東京・環七の様子。完全な梅雨空。
品川駅に着いたら約束の9時半の5分前。ぼーっと待っているのも退屈なので暇つぶしを考える。
大学時代、HQSの夏合宿の下見に行ったときのこと。前日までに打ち合わせを完璧に済ませ、いざ当日。
下見に参加するみやもり・マサル・佐賀(1コ下の後輩)は約束の9時半に東京駅・銀の鈴に集合。
しかし10時近くになっても僕だけが来ない。まさかと思って佐賀が僕の家に電話してみると……
「……ハイ、マツシマですけど」
というわけで、集合日時も場所も新幹線のチケットもぜんぶ自分が段取りしたくせに、
当日になってまさかの寝坊で大遅刻という荒業をやらかした過去があるのだ。
んでもって9時35分、品川駅に着いたみやもりから着信。たっぷり間をとってから電話に出る。
「んぁ……はい……」めいっぱい寝ぼけた演技をしながらスルスルと後ろからみやもりに近づいていく。
そしてみやもりの脳裏に当時の記憶が蘇ったところで肩をたたく。「オレは10分も前に着いてるぜ!」さて無事に合流したら京浜急行に乗って羽田空港へと向かう。
僕はわりと京急文化圏に近い地域に住んでいるのだが、それゆえに今まで乗る機会が一度もなかった。
赤い電車に乗っかるのは初めてなのである。少々ドキドキしながら羽田へ。「マツシマさんは鉄だなー」「ちがうナリよ」羽田に着くとチケットの手続きを済ませる。FREITAGのBONANZAは機内に持ち込めるサイズだが、
みやもりの荷物は預ける必要があった。で、その作業の一部始終を眺める。飛行機って面倒ですな。
預け終えるとふたりで空港のターミナルのあちこちを見てまわる。それから屋上に出て飛行機を眺めて過ごす。
「びゅくさん、記念写真を撮ろうか」「むへー」
そんなわけで、飛行機初体験前に記念撮影をしたのであった。
僕が鴻上尚史みたいなビミョーな表情をしているのは、搭乗時刻が迫ってきているからなのだ。
L: 羽田空港。飛行機いっぱいー C: 試練の直前、弱りきった人。 R: 飛行機通算3回目のみやもりさんは余裕の表情。夏休みが始まったのだが、あんまり混んでいなかった。
よしじゃあ覚悟を決めて乗るぜ!とゲートをくぐったはいいが、ピーピーピーと音が鳴る。
ハイすいませんちょっと失礼します、と制服姿の人が金属探知機を持って近づいてくる。
みやもりが「時間ないのに何やってんだよー」という表情でこっちを見ている。
短パン左前のポケットでピー。家の鍵。右前のポケットでピー。財布。
左後ろのポケットでピー。携帯電話。右後ろのポケットでピー。PASMO。
そんな具合にフルコースで金属を探知されちゃっている間にも搭乗時刻はぐんぐん迫ってくる。
JALのおねえさんに案内されながら小走りで機内に入る。みやもりにはさんざん「アホかー」となじられる。
しょうがないじゃん、飛行機乗るの初めてなんだし。あたふたしながら席に着くのであった。ドキドキ。
席に着くと足元にパソコンを置き、シートベルトを締める。注意の書いてあるパンフレットを熟読。
フライトアテンダントのおねえさんが毛布を掲げて微笑みながらぐるぐる機内をまわっている。
うーむこうなったらもう腹を括るしかあるまい、と足を開いてどっしり構え、正面を見据えて深呼吸。
ふと後ろを振り返ってみると、みやもりがニヤニヤしながらこっちを見ている。いい観察対象になってしまっている。乗客が全員搭乗すると、フライトアテンダントのおねえさんたちも着席。飛行機はゆっくりと動きだす。
ヒイッ、ついに来たかーとゴクリと唾を飲み込む。気合を入れて離陸の時を待つが、いっこうにその気配はない。
10分ぐらい滑走路を動きまわって、一度静止。あれ?と思った次の瞬間にジェットエンジンの音が聞こえ、
飛行機はめちゃくちゃな加速度で走りだす。は、速え!本気になったジェットって速え!と驚いていると、
浅い眠りのときによく下に落ちていくような気がしてガクッとなる、その最後の「ガクッ」が全然来ない感じの、
斜め下に慣性がかかる感触が続いていく。そんでもって飛行機は傾いている。これが離陸というものなのだ。
シートベルトをはずしてOKとなっても、なんだか落ち着かない。手のひらと足のひらに汗がしっかりにじんでいる。
そして飛行機は、まるでバスのように揺れる。それでいて逃げるところがないというのは、どうもうれしくないものだ。しかしそんな弱気も、いざパソコンを引っ張り出して日記を書きはじめると吹っ飛んでしまうのであった。
機内のサービスでジュースをいただきつつ、たまっている日記をちゃっちゃと書いていく。
集中していたら雑音も聞こえないし揺れも気にならない。あっという間に着陸するぞ、とアナウンス。
正面のスクリーンに那覇空港の滑走路が映し出される。近づいて近づいて近づいて……バクン!と衝撃が走る。
そうして飛行機は急激にスピードダウンして、ゆっくりと滑走路を進んでいくのであった。
窓の外は東京とはまったく異なる光にあふれている。航空自衛隊の施設があるのも見えた。
「ゆっくり出ようぜ」というみやもりの言葉にうなずき、無数の家族連れがいなくなるのをのんびりと待つ。
待っている間、みやもりとのんびりフライトアテンダントについて意見交換。
「フライトアテンダントっていいね。あの制服が、こう、お世話されたい!って気にさせるね」などとバカなことを言う僕。
でもまあそれは本音で、女性が持っている凛とした雰囲気をうまく引き出す要素にあふれていると思うのである。
そしてなるほど確かに相武紗季のフライトアテンダント姿ってのはめちゃくちゃ似合ってるんだなあ、と感心した。今頃。通路を抜けて飛行機から出ると、アロハシャツを着たおねえさんたちがお出迎えである。
「沖縄もクーラーが効いているところは涼しいな」などと喉元過ぎればなんとやらなことを言いつつ構内を歩く。
なんだか、どうも現実感がないのだ。「ここは本当に沖縄なのか? 実は外見だけ沖縄にそっくりなスタジオじゃないか?」
なんてことを言いながらさんざん歩いてようやく空港の出入口へ。そして自動ドアから外に踏み出した瞬間、
――むわあっ!
もうホントに擬音が聞こえるくらいの熱気がこっちにぶつかってきた。熱だ。熱でできたクッションに包まれた感じだ。
ふたりとも、「うおおおおおお」なんて笑い声が思わず出てしまう。空気の質感が、まったく違うのである。
沖縄はすでに梅雨明けしているはずなのだが、湿度が高めな感じがしたのが少々意外だった。
ところで今回の旅行では航空券・レンタカー・宿がセットになっているので、レンタカーの手続きをする必要がある。
空港からはバスでレンタカーの店まで行くことになるのだが、その客を案内しているバイトのお兄ちゃんたちを見て思わず、
「我那覇(川崎フロンターレのFW)がいっぱいいる……」。沖縄の人は、骨格からして違う。
そんなわけでさっき「おいオレたちは『トゥルーマン・ショー』的に沖縄じゃない別のどこかに連れて来られたんじゃないか?」
なんて言っていたその口は、空港から出て5秒もしないうちにシャットアウトされましたとさ。バスの車内ではレンタカーの契約について説明を受ける。保険の話が中心で、まあ無理もないなあと納得。
窓の外を眺める。ヤシの並木に広い道。絵に描いたような南国風の郊外社会である。
連れて行かれたのは「那覇空港店」とは言うものの、那覇の隣の豊見城(とみぐすく)市。
ここの埋立地のアウトレットの隣にちょっと立派な仮設のテントがあり、そこで受付である。
車の手配を待っている間、日陰から外を見る。日差しのコントラストが半端でない。地面が眩しい。
今頃東京は梅雨空だというのに、こちらはそれと無縁の世界なのである。「ザマミロ、トーキョー!」なんて叫んでみる。
やがて名前を呼ばれ、4日間お世話になる車とご対面である。真っ赤なRV車で、車高がけっこう高い。
もっと小さい車になるかな、と思っていたので、これはちょっと意外だった。車に乗り込むと、さっそく隣のアウトレットモールに移動。いいかげん腹が減っていたので昼飯にするのだ。
沖縄料理店があったので、中に入って注文。僕はソーキそばでみやもりが「フー(麩)チャンプルー丼」。
待っている間にカラオケ屋にあるようなメッセージ帳があったので、パラパラとめくってみる。
「沖縄最高です! P.S.埼玉には何もないから来ない方が良いです」みたいな笑えるメッセージの中、
意外と目立っていたのが漢字オンリーでのメッセージ。台湾からの観光客がかなり多いようだ。
なるほど、これはなかなか社会学的な現場での発見だぜ、と思いつつソーキそばをいただく。
ソーキそばは、麺が違う。噛んだときテンピュールみたいに低反発なのが最大の特徴(テンピュール噛んだことないけど)。
東京で食ったら「よその地域のエキゾチックな麺」かもしれないが、本場で食うとかなりおいしく感じられる。
汁のシンプルな味付けと豚肉の脂と、いいバランスをとってるなあと思いつつペロリ。ところで、この段階で僕の財布の中は完全に何も入っていない状態になってしまった。
遠い沖縄に来て、1円玉すら1枚もない文字どおりの素寒貧である。落ち着いて考えてみると、実に大変な状況だ。
が、ここで僕が立て替えていた旅行代金をみやもりが払ってくれたので、それを無事に活動資金とすることができた。
ほんの一瞬だけとはいえ、すってんてんになるのはけっこうドキドキなのであった。
L: 那覇空港にて。日差しのコントラストが東京とは別モノである。 C: アウトレットモール。地面が熱いうえに眩しい。
R: ソーキそば。ソーキとは煮込んだ豚の骨付きあばら肉。角煮に似ているが、こちらのほうが脂っぽい。食い終わってから駐車場に戻るまで、なぜかHQSの先輩であるコマガタさんとノリトシさんの話になった。
沖縄に来ていきなりそれかよ、と自分たちでツッコミを入れずにはいられない話題なのであった。それはさておき、時刻はもう15時過ぎである。ホテルにチェックインしよう、ということになり、那覇市の中心を目指す。
カーナビの指示に従って進んでいくが、途中で軽く道に迷う。沖縄には小さな起伏が意外と多くあり、
幹線道路から一歩奥に入ると道は一気に細くなる。見通しがなかなか利かなくって大変。
なんとか国道に戻ったら、これがけっこうな渋滞。のたのたと明治橋を渡ると県庁前を抜けて国際通りへ。
そして国際通りがまた混んでいる。しかも頻繁にバイクが車の間を縫うように走り抜けていく。
このバイクが本当にクセモノで、周囲を気にせず自分のペースで曲線を描いて走り去る。
やっとのことで宿の方向に曲がるが、やっぱり道は急激に狭くなる。おまけに曲がるポイントを間違えて、
どうにか一周して宿にたどり着くことができた。この移動だけで1時間もかかってしまったのであった。
L: 国際通り。元気な部分と空き地の部分とけっこう差があった。昼より夕方、夜のほうが活気がある印象。
C: 国際通り、むつみ橋の交差点。このように車がひっきりなしに通っているわけです。
R: 夕方の国際通り、わりと県庁に近い箇所。土産物屋と飲み屋のエネルギーは特筆モノ。部屋で一休みすると、みやもりがビーチに行きたいという意思を表明したので、じゃあ行ってみよう、となる。
那覇市内で泳げるビーチは「波の上ビーチ」の1ヶ所だけらしい、ということで、そこを目指して歩きだす。
途中、あまりに暑いので自動販売機で飲み物を買うことに。それでいろいろ物色してみたら、驚くべき事実に遭遇。
なんと沖縄の自販機は、すべて缶ジュースが110円なのだ! しかも、500ml缶が必ず置いてあるのだ!
素直にこれはうれしい。やはり暑くて飲み物が消費される分だけ安くサービスされているということなのだろうか。
で、なぜかUCCの自販機があちこちに置いてある。他社にまったく劣らぬ勢いでそこらじゅうに設置されているのだ。
このUCCの「霧の紅茶」シリーズは、レモン・ミルク・アップル・グレープフルーツ・ストレート・無糖と実に種類が豊富。
沖縄滞在中にはかなりお世話になったのであった。東京でもこうならいいのにと本気で思う。
そして何より沖縄自販機事情で一番びっくりしたのが、「さんぴん茶」だ。これは各社すべての自販機に必ず入っている。
あまりのプッシュぶりに「なんだこれ!?」と僕もみやもりも興味津々。迷わず500ml缶を買ってみる。
飲んでみたら「あー、ジャスミン茶のことかー」。中国語の香片茶(シャンピェンツァー)がなまって、「さんぴん茶」になった。
東京では「トイレの芳香剤みたいな匂いがする」ということでちょっと敬遠しがちなのだが、沖縄で飲むと不思議とおいしい。
特にみやもりはけっこうハマっていたようで、飲み物を自販機で買う際には必ずさんぴん茶を買っていた。さんぴん茶。予備知識がなかったので「なんじゃこりゃ!?」とかなり驚いた。
もう夕方といっていい時間で、日差しの鋭さはだいぶ緩まってきていたものの、光量の多さは相変わらず。
おかげで東京よりも世界がハッキリと見える。景色が目に飛び込んでくる速度が違う感じ。
夜には不夜城の様相を呈するという松山を抜けて、若狭海浜公園に出た。
もうちょっと西へと軌道修正すると、波上宮のふもとに小さな小さなビーチを発見。「え、これ……?」
道路が目の前を区切って、これは湯船かと思うような一角が、波の上ビーチなのである。波の上ビーチ。人工海浜。
とりあえず海パン一丁になると、ザブザブと海につかっていく。ぬるい。ホントに湯船みたい。
遊泳可能区域が青いロープ状のもので区切られているが、奥まで行っても十分足が底に届いてしまう。
家族連れや男子中学生ばかりの中、なんとなく平泳ぎでウロウロ。それから仰向けになってプカプカ。
気持ち悪いくらい浮くのだが、頭の中に「もはや体脂肪が増えたのでは……」という疑問が出てきてブルーに。
しばらくそんな具合に過ごしていたのだが、いつまで経っても空は暗くならない。
時計を見ると18時。人も全然減る様子がなく、なんだか時間の感覚がおかしくなってくる。
すると「遊泳時間は夜7時までです……」とアナウンスが。なんだそれは!?とみやもりと顔を見合わせる。
これが沖縄ということなのか。日は長く、時間はとてもゆっくり流れている。明らかに本州とは感覚が違う。
でも僕らはアジアカップの日本×オーストラリア戦を見たかったのでこの辺でおひらき。早足で宿に戻ると、テレビをつける。試合開始から5分経過くらいのところ。
今日の試合はいよいよ正念場ということで、見ているこっちの力の入り具合も違うのである。
後半、ビドゥガが下がってキューエルが入り、コーナーキックから失点。うわあああと叫ぶ。
しかし高原が「ドイツで何があったんだ?」と思えるほどの見事なゴールで同点に持ち込む。
その後は攻めまくる日本と時間を稼ぐしかないオーストラリアという展開になるが、
相手キーパーが必死でどうしてもゴールが入らない。「遠藤下げて羽生入れろー!」と念を送るがオシムは動かず。
最後はPK戦で川口が神がかって勝利。なんとか気持ちよく再び街に出ることができたのであった。さて晩飯を食おうとするが、時間が遅すぎて飲み屋以外は空いていない状況。
疲れているので純粋にメシを食いたかった我々、国際通りをウロついて食事のできる店を探す。
牧志方向へちょっと出たところでいい感じの店を発見。壁に貼られたメニューを見ていたら、何かが張りついていた。
よく見てみたら、なんとヤモリ。沖縄ではけっこう頻繁に見かけることができるようだ。
ヤモリがいるんなら縁起いいやな、と思い、あれこれ迷うのをやめてその店の中に入る。
(ちなみに、ヤモリは漢字では「家守」と書く。よく間違われるイモリは漢字で「井守」と書く。
井戸を守るからには水辺にいるわけで、イモリは両生類。ヤモリは人家にいるわけで、爬虫類。
なお、僕と一緒に沖縄に来ているみやもりは漢字で「宮守」と書く。もちろん哺乳類。)
さて店内はアメリカンなものを徹底的に集めて並べてあって、やはりそれがすごく沖縄ぽくって楽しい。
ふたり揃ってスパムチャーハンを注文。出てきたのはピラフな味付けだったのだが、
スパムの塩味をうまく活かしていて、これが非常においしいのであった。
お互い一人暮らしなので「これはつくれるようになりたいねえ」なんて話をしつつたいらげる。
L: ヤモリ(ホオグロヤモリ?)。サイズもそんなに大きくなく、けっこうかわいかった。
C: みやもりとアメリカンなグッズが所狭しと並べられた店内。ライトアップの仕方がまたアメリカ風なんだな。
R: スパムチャーハン。沖縄といったらスパム(ランチョンミート)なイメージがあるのだが、非常に僕好みな味でした。帰る途中でコンビニに寄る。旅先のコンビニを決してあなどってはいけない。
現代社会においてコンビニとは日常生活を象徴する場所で、その地方の特性を探る機会が隠されているのだ。
(東北旅行のときに見かけた「ずんだクリーム」のコッペパンなんか、その最も良い例だ。→2007.5.1)
そんなわけで何があるだろうとワクワクしながら店内を一周してみる。そして見つけた。ポーク卵の200円おにぎりと、ヨーゴ。
沖縄でポーク卵(スパムなどのランチョンミート+卵焼き)は定番中の定番なのだが、それをおにぎりにして売っているのだ。
すごいのが、ポーク卵は前提でしかないという点。ポーク卵に何を足すのかが問題になっている点である。
写真のおにぎりではポーク卵に加えてシーチキンが入っている。このほか、「油みそ」(ねぎみそのみそ)というものもあった。
さらに「タコライス味」のおにぎりもあったのだが、やはりこれもポーク卵にタコライス風味のソースを足したものである。
そしてこれがまたうまいのだ。しかも明らかにふつうサイズのおにぎりよりも大きく、具だくさんで満足できる。
「これ内地でも売ったら中高生を中心にバカ売れじゃね?」なんて言いつつかぶりつく。
500mlで110円の缶ジュースといいこのポーク卵おにぎりといい、沖縄のさりげない食料品は実にすばらしい。
写真右側の「ヨーゴ」は各種サイズの紙パックで売られている乳酸菌飲料。けっこう人気があるようだ。
味は乳酸菌飲料にそのままラムネを混ぜた感じだった。基本的に沖縄でしか飲めないようだ。そんなわけで初日から、みやもりと互いに「いいねえ沖縄。沖縄いいねえ」って言いどおし。
その土地に独特な食べ物が充実しているってのは、旅する身にはとてもうれしいことなのである。
会社帰りに新宿に寄って、東急ハンズで買い物をする。
いよいよ明日から沖縄である。今からもう全然落ち着かない。
しかしその一方で、今ひとつ現実感がないのも確かだ。まあいつも旅行の前日はそんな感じではあるんだけど。
家に戻ると支度をととのえて持ち物の確認をして、寝る……つもりだったのだが、どうもやっぱり落ち着かない。
なんとなく手持ち無沙汰で、パソコンの電源を入れるとWikipediaで沖縄関連の項目を読んで過ごす。
ひととおり目を通したところで眠くなってきたので、寝る。起きたらいよいよ沖縄旅行の当日だ。
一生懸命仕事して、会社帰りに買い物をして、帰ってきて沖縄向けの準備をちょっとして、勉強はしませんでした。
……こんなことじゃいかん! とりあえず、明日からメシどきもテキスト読んだる!◇
以前ダニエルに教えてもらった定食屋で晩メシを食ったのだが、
具がセロリでバターを浮かせた越後味噌の味噌汁にとっても感動したのであった。本当にうまかった。
とりあえず忘れないようにそのことを書き残しておくのだ。いつか作れるようになろうっと。◇
あ、そうだ。ついに今月、1ヶ月間残業ゼロの記録を達成してしまった。
自分でもなんでそんな状況になっているのか不思議。しっぺ返しが来ませんよーに。
諸事情により(詳しいことはほとぼりが冷めてから書くかもしれん)、今日は英語をがんばったのであった。
今やっているのは「英語史」という、もうどうしょうもないくらい今後の人生においてムダになる知識と思われる科目。
しかし「文学系統よりはマシなんじゃないか、言語学方面の知識を応用できるかもしれないし」というスケベな計算で、
チャレンジすることに決めたというわけである。今は必死で訳しまくっている段階。
慣れていないこともあって、進度はそんなに良くない。今のところ単語がわからないまくり、ということはないが、
訳したところで何を言いたいのかわからないまくり、そんなマニアックな知識知らねーよ状態である。
まあWikipediaでも参照しながらコツコツいきますか、と腹をくくっている。
それにしても、今のペースだとけっこうリポート提出までギリギリになってしまいそうだ。
本当なら沖縄なんか行かずにマジメに勉強すべきなんだろうけど、まあそれはそれということで。
メリハリが大事さ、メリハリが。なんて言い訳をしてみる。
RPGなるものにチャレンジしてみよう!(→2007.7.6)ということで始めた『MOTHER』を、本日クリアした。
10日足らずでクリアというのは、自分ではけっこう早かったという感触である。それだけプレーしていたってことだ。まず、『MOTHER』という作品に対する感想。
各地に熱狂的なファンが存在するというこの作品だが、僕としては可もなく不可もないなあ、といったところである。
つまんなくはない。しかし、特別こりゃ面白いなーというエピソードもなかった。ふつうにRPGの時間を体験した感じ。
ドラクエが面白くってしょうがなかった糸井重里がそれに対抗してつくったというこの作品だが、
ドラクエ(あとFF)というものを知識で知っているだけの僕としては、ああこのゲームはふつうにRPGだな、と思った。
RPGにはRPGというコードというかルールがあって(それを平然と破ったのが『たけしの挑戦状』なのね)、
その線の上にきちんと乗っている。RPGという文法に沿って物語が描かれているな、という感じ。
ここで別のRPGをやったことがあれば、それと比較して少しはマトモな感想が書けるのかもしれないが、
残念ながら僕にはそういう経験がないのだ。とにかく、「ふーん、なるほど」に終始した感じである。
ちなみに、僕はあれこれ細かいことをするのが面倒くさい性格なので(どう敵を倒そうと結果が一緒なので)、
回復系以外のPSIをほぼまったく使わずクリアしてしまった。あまり正しく楽しんでいない、という気がしないでもない。次に、RPGというものに対する感想。
RPGにはコード(ルール)がある。フィールドを移動し、敵と戦い、レベルアップして課題を順番にクリアする。
ゲームによってはさまざまな工夫があるが、おおむねそのような暗黙の了解のもとで物語が提示される。
そこから逸脱すると、それはRPGではなくなる(だから『同級生』シリーズはジャンル分けできないのだ)。
僕の感触としては、まずゲームのシステムありき、なのである。
RPGは、RPGのコードで再現できる物語でなくてはいけない。SVOの語順を変えたら英語でなくなるのと同じように、
RPGはRPGの文法を守っていないと、「なんだかよくわからない間違っているもの」という扱いを受けてしまう。
いわばRPGは、すでに様式化されたものなのだ。その様式をふまえて展開されない物語は、RPGにならない。
そういう意味では、ジャンルが明確に区切られた小説と似たような構造を持っていると言えるかもしれない。
人が何者かに殺されてそれを解決しようとしなければミステリにならないのと同様に、
RPGのストーリーはフィールドを移動し、敵と戦い、レベルアップして課題を順番にクリアすることでのみ語られるのだ。
僕はそこに、どうしても硬直化してしまっているものを感じてしまう。どうしても違和感がぬぐえない。上で例に挙げた『たけしの挑戦状』と『同級生』シリーズは、どちらもジャンル不明のゲームである。
でも僕にとっては、そのジャンルが不明な分だけ、独特の世界観の構築に成功しているように思えるのである。
様式にのっとれば、物語を提示するのは非常に容易になる。
しかしその分だけ、世界観にはある種の限定がなされることになる。
その限定がどの程度気になるかによって、どれだけRPGを好きになれるかが決まるのだろう。
とりあえず『MOTHER 2』をやってみて、またあれこれ考えてみることにしたい。
海の日バンザイ。社会人になるとそのありがたみがわかるねえ。
◇
朝起きたら頭痛がひどい。今日はのんびり新宿にでも行こうと思っていたが、動けず。
薬を飲んで地震のニュースを見ながら過ごす。その後、メシを食いたくなったので大森まで出る。
パソコンを持って出たのだが、結局日記を書く気力が出ず、『ギャラリーフェイク』を買って帰る。◇
さて、夜になったらアジアカップだ。僕はオシムと今の代表が好きなので、きちんとチェックしている。
グループリーグ突破をかけた最終戦なのだが、対戦相手のベトナムがけっこう気になる。
下馬評ではグループBのお荷物扱いだったのに、ここまで1勝1分けでベトナム国内は大盛り上がりのようだ。
ベトナム視点からすれば、奇跡を起こして王者・日本にぶつかるわけで、こんなに燃えるシチュエーションはあるまい。
そういうことを考えると、なんだかちょっとベトナムに肩入れしたい気もしてしまうのである。
実際、オウンゴールで先制されたときにはちょっと震えがきた。このまま呑まれてしまうのか?と。まあ結局、日本が4-1できっちり勝ったわけだけど、この試合を見ていて、ふと思い出したものがあった。
それは、去年のW杯・ブラジル戦である。それまで1敗1分けだったジーコジャパンは、ブラジルとの大一番に挑む。
そして玉田がドリブルからシュートを決めて日本が先制。僕も深夜にテンションが上がった記憶がある(→2006.6.22)。
でもその後は完全にブラジルペースで、1-4で日本は負けてしまった。このことを思い出したのである。
つまり、「ブラジル:日本=日本:ベトナム」という相似な関係が見えたというわけ。
まあ日本はキーパーを替えるようなナメたマネはしなかったし、ベトナムもグループリーグを突破したしで、
細部はもちろん異なっている。でもこの試合がベトナムにとって記念碑的なものとして記憶されるのであれば、
それはそれですごく「いい試合」だよなあ、なんて思ったのである。カタール戦ではバックパスばっかりでウンザリしたが、UAE戦ではまあちっとは良くなったかなという感じで、
それで今回は「おお」と声が出てしまうような得点シーンがあるなど、調子が上向きになっている印象である。
なんとかこの勢いで、準々決勝のオーストラリアを倒してほしい。というか、絶対に勝ってくれ。
そんでもって優勝をしてくれ。ぜひとも3連覇をしてくれ。そうすればコンフェデ杯に出られる。
そこで前回のような(→2005.6.20/2005.6.23)、とんでもなくかっこいい日本代表を見たい。
お願いだからがんばってくれ。オレも勉強がんばるから。たのんます。
今日も台風そっちのけで日記を書いていたのであった。
おかげでついに!「東京23区一筆書き」(→2007.6.20)を書き終えた。いやー大仕事だった。
そんでもって4月分も一気に仕上げてしまう。日ごろのサボりっぷりが身にしみる。
しかし一方で、本日も通信教育の勉強は進まず。こんなことじゃいかんのだが。
一度火がつけばズドーンといくんだけどなー……なんて言ってるうちはダメだわな。
台風が近づいていて雨降りである。でもいろいろ用事があるので出かける。
本日のお出かけ先は自由が丘である。雨なので電車に乗る。なんだかもったいない気分。まずは先週半額で借りたCDを返す。それからファストフード店で昼メシを食いがてら日記の執筆。
iPod shuffleで周りの話し声を一切シャットアウトして、集中して書く。
それでも東京23区めぐりは非常に長い行程である。江戸川区の新小岩駅を通過したあたりでいったんストップ。予約の時間になったので床屋へ。いつものペースからすれば1週早いのだが、
なんせ来週の土日には沖縄にいますんでね! 沖縄! まあそんなわけで髪を切るのである。
切ってもらっている間に雨脚はガンガン強くなっていく。横浜の花火、中止になったんですってねーなんて話が出る。
明日は台風が一番近づく日だから全然予約入ってないですよ、とか。土日にも仕事をする人は大変だ。
おねーさんはブサイク軍の僕を一瞬でもイケメン側に引っぱることに充実感を覚えているようで、
今回のできばえにウンウンとうなずいていたのであった。いやー頼もしい。スッキリすると、今度はスタバで日記を書く。またしても23区のログに挑戦である。
集中して過去の記録を書いていると、目に見えているのはディスプレイの文字と頭の中の映像だけになって、
そこで鮮明に当時の光景が再生される。それをそのまま文章に書き写していく、といった感じになる。
以前、浅草へ落語を聴きにいったとき、「二重に光景が見える」と書いたが(→2005.9.17)、まさにその状態である。
H.G.ウェルズ的に言えば、これも一種のタイムトラベルということになるのだろう(→2004.10.15)。
で、根性で最後まで行ってしまう。この23区の日記は、区役所へ向かう経路の部分は家の外で書き、
家に戻ってきてからネットを使いながら区役所本体についての説明をする、という二本立てで書いている。
とりあえずその経路部分を終わらせたということで、なんとか一息つける状態になったのである。まだ自由が丘に用事はある。沖縄向けに、あとこの夏の普段着に、ぜひ服を買っておきたい。
いっつもスポーツ向けのゴテゴテしたシャツばっかり着ているわけで、いいかげんそれには飽きたな、と。
しかし根っからのブサイク軍である僕にはオシャレな店なんてまったくわからないわけで、
まあ結局は無印良品のお世話になるわけである。さっそく行って、あれこれ眺めてみる。
いい感じにテキトーな服が見つかったのでテキトーに買って、電車で帰る。さて家に帰っても引き続き日記の執筆である。そういえばテレビをすっかり見なくなったな、と思いつつ書く。
ネットであれこれ調べながら書くのは時間がかかる。しかしいいかげんな情報を流すわけにもいかないので、
しょうがないと割り切ってガマンして書く。庁舎建築はネット上にそんなに有効な情報があるわけではないので、
なんだか不十分な記述になってしまうことがよくある。そういう場合には自分の感じたことを引き伸ばしたり、
強引な場合には区の歴史なんぞを引っぱり出して、ムリヤリなんとかボリュームを確保する。
とにかく読み物として面白ければいいのだ、という意識である。
自分の主張を押し付けるよりは、読んでみての感触の楽しさを優先すること。
どこまでできているかはわからないけど、それを心がけるつもりでやっていく。もうダメだーと寝床でひっくり返ったのが、江東区をクリアしてあと3つとなった辺り。
この3連休はみっちりと英語史の勉強をしようと考えていたのだが、初日からあっさり頓挫。
まあいいさー、後でやったるやったる!と思いつつ寝るのであった。
梅雨の時期にもかかわらず、ずいぶん強い勢力を持っているという台風4号が近づいている。
なんでも日本列島をまっすぐに抜けていくおそれがあるとかで、ニュースはその話題でもちきり。
それでなんとなく画面を眺めていると、沖縄からの中継画面で大雨の様子が映し出されるのだ。
昨日の飲み会でもそうだったけど、沖縄行きが近づいてくると、ニュースが急に現実味を帯びて迫ってくる。
さすがに僕らが行くのは来週末なので台風の心配はなくなっているはずである。
でも台風で足止めされた観光客のコメントなんかが他人事には聞こえない。
今までだったら「ケッ、リゾートでバカンスなんかしてやがるからそういうことになるんだい!」なんて具合に
ザマーミロ感覚でいたわけだけど、もはやそんな気持ちにはなれないのである。
そういう意味でも、この旅行の計画は視野を広げる経験になっているんだな、と思う。
現地に行ってもあちこち見てまわって、いろいろなことにリアリティを感じられるようになりたいもんだ。
会社で飲み会(新人歓迎会)があった。
定時に会社を出て喫茶店で通信教育の勉強をし、時間になったので店に行く。1次会ではマルチな上司の話をあれこれ聞いて盛り上がる。
上司は明治期の擬洋風建築が鉄筋化以前の学校建築に影響を及ぼしたという仮説を立てていて、
あれこれ貴重な話を聞けた。鉄筋校舎以降が専門(?)の僕には目からウロコなのであった。
あとは沖縄やその周辺の離島の話なんかも出てきて、あと10日もしないうちに沖縄に行く僕としては、
いつも以上にそういう話がリアリティをもって聞こえたのだった。
新人さんからは一人暮らしについてあれこれ訊かれる。よく考えたら、僕も一人暮らしを始めてもう10年。
すっかりベテランの域に到達しているのだ。ぜんぜん自覚がないけど。2次会ではなんだかよくわからない盛り上がり方をして、場はしっちゃかめっちゃかに。
そんな中で2年目の後輩がするすると近づいてきて、『時をかける少女』のアニメの話で盛り上がった。
なんでもその後輩くんは4回も映画館に行ってしまい、DVDも限定版を買っちゃったとか。
僕はそこまでのハマり方はしなかったが、その気持ちは痛いほどわかるのである(→2006.8.7)。
「マツシマさんは映画とかよく見に行くんですか?」と訊かれたので、「演劇を少々」と答える。
最近は勉強に押されて全然見ていないけど、一時期にはDVDを見まくった経験もある。
「こないだ発表された映画ベスト100のうち、1/3くらい見ていた。ぜんぶ入社してからだなあ」
なんて答えたら感心されてしまった。正直、女の子とこういうトークがはずむならいいのだが、
男からそんなふうに尊敬のまなざしで見つめられてもなあ。いいかげん、女子にモテたい。解散するぞーとなったはいいが、靴箱の鍵が見つからない人が出現するわ、
同期のO田氏は完全に酔っ払って裸足でメタル(音楽ね)のすばらしさを叫びながらのた打ち回るわで大騒ぎ。
鍵は30分後にこぼしたビールを拭いたタオルの山の中から発見され、
O田氏は警官に護送される犯人のごとく両脇をがっちりとつかまれて駅まで歩いた。
いつもの静かすぎる職場からは考えられないようなはじけっぷりで、みんなこの元気を昼にも出していこうよ、と思った。翌日、O田氏は欠勤。その事実を知った人はことごとく、うんうんと深くうなずいて納得するのであった。
『ロックマン3』の思い出を、BGMを中心にしてあれこれ書いてみるのだ。
僕にとって『ロックマン3』というのは、まさしく『ロックマン』の完成形なのである。
BGM、グラフィック、ステージ構成、どれをとっても最高峰に位置する。本当に完成度の高いゲームだと思う。
(参考までに、以前に書いたロックマンシリーズのBGMについてのログはこちら。→2002.10.30)『ロックマン3』のBGMについて語ってみたいと思うのだが、その前にまず『ロックマン2』のBGMをおさらいしよう。
『ロックマン2』のBGMはユニゾンが特徴である。2つのパートで同じ音を出すのだが、その際に、
片方のパートだけをほんのわずかに遅らせるなどして音を響かせる。このテクニックを多用することで深い印象を刻み込む。
典型的なのがワイリーステージBGM1(おっくせんまんで話題になったやつ)で、Bメロの透明感はこれが原因。
あとエアーマンのBメロとサビの一部(ラーソーファ♯ーミ)、バブルマンのAメロまるごと、フラッシュマンのリフなど。『ロックマン3』ではユニゾンの使い方がさらに上手くなる。厚みがありよく響く音色をつくったことで、より効果が増した。
だからメロディラインでのハーモニーや掛け合いが非常に魅力的になっている。
ニードルマンやハードマンのサビにおける伸びやかな印象は、音色が良くなったうえでのユニゾンの威力の賜物である。
そして何より、『ロックマン3』最大の特徴はドラムの音色である。これが『ロックマン2』から飛躍的に良くなっている。
バスの方にも高めの響きを持たせてタップのような軽快さを実現している。ニードルマンとか聴いていて気持ちいいくらいだ。
それぞれの音色が非常に高いレベルでつくられているので、パートの割当にムリがない。だから自然に聴ける。親戚、ばあちゃんの妹が異常にファミコン好きで、この『ロックマン3』は発売日に買ってきてもらったのだ。
僕も潤平もとにかくBGMが聴きたくて、電源を入れてからコントローラーにまったく触らないで二人並んで正座して、
オープニングをずっと眺めていたのが懐かしい。「今度のオープニングもかっけえなあ」とか言いながら。
実際、クリアするよりもまずBGMが聴きたくて、初日は先に進まずに、各面のBGMをひたすらチェックした。ジェミニマンのハモリの掛け合い、ニードルマンのメロディラインとドラムの掛け合い、ハードマンの透明感。
いちばん驚いたのはシャドーマンのBGM。最初僕はまったく理解ができず、ただ驚くばかりだった。
対照的に潤平はいち早くこのBGMを評価。で、聴いているうちにその斬新さに僕も惹かれていったのである。
このシャドーマンのBGMなど特にそうだが、『ロックマン3』ではベースの使い方も進化しているのだ。
音色に融通の利くほかのパートと組み合わせながら、印象的なイントロやリフを生み出している。
『ロックマン』シリーズには独特の世界観があるわけで、音色を向上させながらその世界観を維持して広げている。
当時小学生だった僕にも一定のルールを守りながらさらにその上をいくことのすごさは十分に伝わって、
いまだに『ロックマン3』のBGMを聴くときには、どこか尊敬の気持ちを抱かずにはいられないのである。大げさだけどホント。メロディの好みという点では『ロックマン2』も『ロックマン3』も本当に甲乙つけがたい。どっちも大好きでたまらないのだ。
しかし音色を向上させた分、『ロックマン3』には、頂点を極めたがゆえのある種の達成感と淋しさを同時に感じてしまう。
これは『ロックマン2』に比べてバラード系の曲調が多いという理由だけでは片付けられないと思う。
まあそれほどまでに、僕は『ロックマン3』のBGMに魅せられているのだということだ。
演劇集団キャラメルボックス『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』。
キャラメルボックスのひとつやふたつくらい観とかにゃいかんだろ、と思ったので。夏休みの家族旅行で交通事故に遭い、ひとりだけ生き残ってしまった女の子が主人公。
その主人公の叔父で警察に追われる男のエピソードとともに、話が進んでいく。まず最初に面食らったのは、会場に入ったときの妙にフレンドリーな雰囲気。
チケットを提示して中に入ると、そこはグッズの売り子さんを中心に笑顔の広がる独特の空間なのである。
演劇の始まる前に観客席に流しておくBGMは、それぞれの劇団の個性の見せ所であるのだが、
(世界一団は英語の会話を抑えめのボリュームで延々と流していた。野田秀樹は80年代アイドルソング。
鴻上尚史は開演直前になると必ず同じ曲を流す。Opusの『Live Is Life』というらしい。)
キャラメルボックスはラジオのリクエスト番組風に、以前の公演で使われたBGMを紹介していた。
こんな内輪ネタについていけるヤツばっかりなのか?と周りを見回すが、意外と皆さん冷めていた。
そういうわけで、劇が始まる前にしてすでに、キャラメルボックスの「自分たちの世界」づくりに驚かされる。
ファンにはたまらなく楽しい空間なのかもしれないが、僕にはその世界をがっちりつくりこんでいる、
たとえていうなら卵の殻が異常に硬い感じ、そうして必死で自分たちの世界を守っている感じに違和感を覚えた。さて、肝心の話のほうは、やっぱり女子供向けって印象である。
前に学芸大学近くの図書館でキャラメルボックス(成井豊)の戯曲を読んだとき(→2002.8.30)、
「これは女子供向けだなー」と思ったのだが、それとまったく一緒なのであった。
ここでもやっぱり、完全パッケージした「自分たちの世界」の提示という印象が強かったのだ。
僕なんか社会学をやってた影響もあって、現実の問題を作品の中に抽象化して提示して、
それを物語というコードを用いて解決のヒントを考える、というのが理想的な演劇と思うのである。
生きている人間が直面することを考えるなら、舞台は過去だろうが現在だろうが未来だろうが関係ない。
演劇を観終わって家に帰るまでの間に、物語を反芻して今後のヒントを考えさせる、
そういう作品こそが名作なんじゃないの、と思っているわけである。
しかしキャラメルボックスは、まったくないというわけではないものの、そういう要素が実に薄い。
劇場で気持ちよくなったとしても、それを明日の昼間にフィードバックすることがない感じ、
つまりは現実と物語が断絶した感じがするのだ。それを僕は「女子供向け」とやや強引に表現している。
言い換えれば、おとぎ話で夢を見させてあげますよ、ということを徹底している感じがするってことなのだ。
正直言って、僕はこの作品を見て確かにある程度の感動はおぼえたんだけど、
それは俳優の力でムリヤリやられたからって気がする。負け惜しみとかではなくて。
物語じたいで動かされた感触がしないのである。まあ、それも演劇の面白さのひとつではあるんだけど。このストーリーについて僕が素直に同意できない点は、たぶん以下のことが理由である。
それは、「生きている人間のために死者が存在する」という発想にもとづいていることだ。
家族のうちで生き残ったのはヒロインのみ。家族愛でもって死者たちはヒロインを勇気づける。
それはそれで感動的なんだけど、よく考えてみると、じゃあ死者たちは本当にそれでいいの?となるのだ。
最後に死者たちは自分たちの居場所を見つけてめでたしめでたし、となるのだが、
その死は何から何まで明るいギャグテイストで覆い隠されて、すごく使い捨ての感覚がする。
ヒロインとはあまりに扱いが違いすぎる。家族たちの扱いは、すべてが軽すぎるのだ。
辻褄合わせもよくできているし、破綻なくまとめているのも見事なのだが、
現実を作者の都合のいいように曲げたうえで話を成り立たせているようで、そこにズルさを感じる。
そういう作品を褒めることを、僕は絶対にしたくない。上記のことをまとめて、キャラメルボックスというグループは、
自分たちのことを認めてくれる人々に対しては、かなり行き届いたサービスを提供できる集団なのだろう。
しかしそのスタイルに違和感を覚える人には、永遠にわかりあえない壁が見えてしまう。
つまり、一定のファンは確保できても、それ以上の支持を得ることができないように思えるのだ。
(極端なことを言えば、これは決して悪口を言っているわけではないが、新興宗教に近いものがある。)
もっと幅広く、時代に対して投げかけるためには。言葉は悪いが、僕には反面教師的な存在だ。
以下に掲載するのは、僕が同年代のある友人に対して放った言葉を編集したものである。
これらの発言は、その友人に対する言葉であると同時に、自分に対する言葉でもある。
ものすごく恥ずかしいのだが、これを日記のログの形に残すことで、
そういう発言をした自分の責任というものを明確にしておきたい。それが自分なりの正義だと思うので。◇
「マツシマさんの説教部屋」抜粋記録:
「目標」に向けて主観的に走らなくちゃいけないし、なおかつその「目標」を客観的に見つめないといけない。
それが逆なんじゃないのか?あんたの問題なんだ、あんた自身で他人関係なくケリをつけろ。
親がいつ死んでもいいように準備を完了しておく、それが30歳の男ってもんだろ。
自分に酔う人は、言い訳をつくるのが上手い。
この件については、理由は必要ない。くどいけど、結果がすべてなんだ。
同じ言葉でも、敗者の言葉は言い訳にしか響かない。「変わる」というのが難しい。他人には見えているのに、えてして本人はどう「変われ」ばいいのかわからないものだ。
そして本人に見えていないものを、言葉でわかりやすく説明して伝えてあげることなど不可能なんだ。
つまり、他人は何もしてくれないっていうことなんだ。残酷なんだけど、そうなんだ。
とにかく夢中で目標・結果に向けてやるべきことをやってくれ。
それで何かが達成できたとき、振り返ってみると変わっていた、ってことになるんだ。他人の視線を気にしてるようじゃダメなんだよね。
自分が満足できる人生を歩んでください。それができているかどうかを他人は見ているわけでね。30歳になったら他人を喜ばせることができないとカッコ悪い。
自分を満足させられないのに他人を喜ばせることなんてできるはずがない。
大人と子どもの線引きはその辺にあるのかもしれない。◇
よくこんな偉そうなこと言えたもんだ、と自分でも本気で呆れる。でも言っちまった。
言っちまったからにはしょうがない。自分でその発言の責任が取れるようにふるまうしかない。
だから死ぬほど恥ずかしいけど、日記のログにして自分が逃げられないようにしておく。
「東京国際ブックフェア」というイベントが東京ビッグサイトで行われていて、売り子を命じられたので行ってきた。
ふだん自転車で動いてるし埋立地の方になんて来ないしで、ビッグサイトへの効率のいい行き方がイマイチわからない。
とりあえず新橋まで出て、ゆりかもめで到着。コンビニでおにぎり買って食おうと思ったらシモーヌがいた。
ふたりで「なんで本のイベントを梅雨どきにやるんだろね……」などとダベりつつ過ごして時間をつぶす。
そんでもって中に入ってブースへ。売り子の準備を始める。突っ立って客の対応をするだけなんで、まあ、かなり退屈な仕事である。
一番のハイライトといったら、講演に来ていた椎名誠が会場を見てまわっていたことか。
ムダな肉がなく、そのまま世界中のどこでも歩きまわっているような、身軽そうな雰囲気を持っていた。
んでもってなんとなくケンカが強そうな空気を内に秘めていたのであった。やっぱり、歳のわりに若い。ずーっと突っ立って周囲に気を配っていると、途中で意識がモーローとしてくる。
元気なうちには時間の感覚があやふやという程度で済むのだが、30分経ったと思ったらまだ5分とか、
周囲の動きが2倍速ぐらいに見えるとか、そんなふうに完全にヨタヨタになりつつどうにかこうにか乗り切った。
本日が最終日ということで、終了時刻を過ぎると片づけ。時間が一気に加速して、あっというまに撤収完了。
ずーっと突っ立っているのに比べると、一気にできる力仕事は随分と精神的に楽である。で、帰りはりんかい線で大井町まで出て帰る。本当に疲れた。
リョーシ氏が新聞屋からプロ野球のチケットをもらって、それが神宮のヤクルト×巨人戦ということで、
「ヤクルトっつったらアイツだろ」ということでお誘いを受けたのである。二つ返事で「行く!」とメールを出す僕。そんなわけで本日はリョーシ氏と野球観戦なのである。試合開始1時間前に飯田橋で待ち合わせて、
一緒に電車で千駄ヶ谷へ。トボトボと歩いていくとだんだん人込みができてきた。
けっこう大勢の人が神宮球場に集結していた。真正面の外野の自由席入口から迷わずライトスタンド側へ。
すでに観客席はけっこう人で埋まっており、しょうがないのでバックスクリーンにかなり寄った位置に陣取る。
わが東京ヤクルトスワローズの本拠地である明治神宮球場は、僕の大好きな球場だ。
何がいいって、デーゲームのときの雰囲気がいい。開放感のある席にどこかのんびりとした時間が流れ、
東京のど真ん中にあるくせに気どってなくって居心地がいい。天気は晴れとは言えなかったが、
直射日光を受けて観戦するのも大変なので、まあちょうどいいじゃん、というくらい。
頭の中ではユニコーンの『デーゲーム』がBGMで流れている。理想的なベースボール・ウィークエンドじゃないか。僕が15年モノのヤクルトファンであるのに対し、リョーシ氏は特に支持球団を持たない。
どちらかというとパ・リーグのほうに惹かれ、たまに所沢まで西武の試合を観に行っているとか。
でもアンチ巨人ということで、本日はヤクルトを応援してくれた。僕が家から持参したメガホンを渡すと、
周りの皆さんと一緒にパカパカ鳴らし、東京音頭に合わせてエアー傘をフリフリしてくれたのであった。さて試合開始。ヤクルトの先発は館山。「イマイチ迫力がねーんだよなー」とボヤく我々。
先頭の高橋由伸にレフト前ヒットを打たれる。そしてそのときに気がついた。
バックスクリーンがジャマになってレフトで何が起こっているか、様子がまったくわからないのである。
とりあえずレフトスタンドの騒ぎ方でヒットと判明。うーむ盲点、とリョーシ氏と顔を見合わせる。
ところがこの日の館山はとんでもなくいいピッチングを披露。すべてのボールが低めに決まる。
変化球のキレもいいようで、三振をポンポンとっていく。「おお」と感嘆の声を漏らす我々。
巨人打線は1番から高橋由伸・谷・小笠原・阿部・二岡と、実際に球場で見ると嫌気がさしてしまうラインナップ。
打率3割は当たり前、ホームランも平然と2ケタ打っているような打者が並ぶ。とてもマトモに勝負できる気がしない。
しかし館山はそんな打線に真正面からぶつかっていって、凡打の山を築いていく。
途中から明らかに球審が低めの判定を辛くしてきたのだが、動じることなく投げ続ける。
一方のヤクルト打線は実に好調。先頭打者の青木がレフトにホームランを打って口火を切り(見えなかった……)、
続く打線がもう1点をしぼり取る。長打としぶとい当たりでコツコツとリードを広げていくという展開。
L: デーゲーム。もうすぐドラマの始まりだ。 C: この日は暴力団追放キャンペーンのようでピーポくんが登場。
R: 青木の先頭打者ホームランに盛り上がるライトスタンド。我々もエアー傘で東京音頭にのりまくるのであった。応援しつつマウンドの様子を凝視していたのだが、館山のピッチングが本当にすばらしい。
「やっぱり野球はピッチャーだねえ」などと、ビールを片手にリョーシ氏とうなずき合う(ごちそうさまでした)。
ちなみに野球場でのビールはかわいいおねえさんの売り子さんから買うに限るのである。
ふたりでニタニタしつつ、理想的な試合展開のデーゲームを肴にビールを味わう。
スタジアムを抜けていく風でほてった体が冷まされるのがまた気持ちいい。そしてヤクルト打線は、巨人の投手が代わった5回裏に見事に爆発。
プロ初出場初スタメンのキャッチャー・川本がレフトに3ランを放つなどして(見えなかった……)、スコアは8対0に。
巨人打線のことを考えると安心など決してできない、と言いたいところなのだが、
館山が小笠原にセンター前ヒットを打たれた以外は万全のピッチングだったので、ライトスタンドは楽観ムードに。
結局、完封ペースの館山を8回いっぱいで降板させて、若手投手に出場機会を与える余裕すら見せてヤクルトが勝った。
先制・中押し・ダメ押しで完封リレーという、これ以上ないナイスゲームに笑いが止まらなかったのであった。
(二塁打を打ち、三盗を決め、抜群の守備位置の取り方で勝利に貢献した田中浩康の活躍もここに記しておくのだ。
もっともこの日のヤクルト打線は先発野手全員の12安打という爆発ぶりで、みんなサイコー!と言いたくなるほどだが。)
L: 勝利の記念撮影その1。盛り上がる外野自由席をバックにリョーシ氏。
R: 勝利の記念撮影その2。ふつーにヤクルトファンな僕なのであった。バンザーイ。なんだかんだ僕は数えるほどしか野球を観戦したことがないのだが、これだけ観ていて気持ちいい試合は初めて。
チケットを用意してくれたリョーシ氏には全力で感謝なのである。うおー日記がんばらなければ。
駅に戻る途中もずっとわれわれは余韻に浸っていたのであった。本当に楽しい試合だった。試合が終わって午後6時ちょっと前。メシでも食いましょうか、となって、リョーシ氏発案でお茶の水へ。
駿河台を下って行って、神保町に出る手前でちょいと左折。そのまましばらく行ったところに、
ご飯として食べるハンバーガーの店があるということで連れられていく。
こういうふうにメシの開拓ができるということは、非常にうれしいことなのである。
で、ハワイの雰囲気全開の店でハンバーガーにかぶりつく。
肉が豪華で、「こんなきちんとした肉を食ったの久々だ」と思う。独り者は粗食なのである。
沖縄旅行計画のことやら下関合宿計画のことやらをダベり(リョーシ氏が参加できないのはわかっているけど残念)、
今後もいろいろアクティブに動けるといいなー、いや動かないといかんな!と思っていたら、
突然マサルから電話がかかってきた。「今、ヒマですか」……僕もリョーシ氏も遅くならないのなら大丈夫である。
そんなこんなでなんと、渋谷にいるというマサルと合流することに突如決定。もうなんでもアリだよー神保町から渋谷は半蔵門線で一本なので、わりと早めに着いてしまう。
しょうがないのでQFRONTのTSUTAYAでゲーム売り場を眺めて過ごす。
ニンテンドーDSのラインナップ(山川出版社の世界史B&日本史Bとか)やレトロゲームの復刻版に感心する我々。
そうしているうちにマサルが到着、「カラオケ行きませんか」の一言でカラオケ屋に突撃。
大学時代には当たり前だったカラオケも、今やすっかり久しぶりなのである。カラオケに向け、気合を腹に注入するマサルと曲目チェックに入るリョーシ氏。
以前、「知らず演歌」と称して知らない演歌をメロディを想像して歌う遊びをした我々だが(→2007.1.8)、
今回はふつうにそれぞれ歌いたい歌を自由に歌う。特筆すべきはマサルの歌った『LOVEドッきゅん』(club Prince)。
ホストによる5人組ユニットの歌なんだそうで、一気コールをベースにしている。マサル曰く「もう本当に最低の歌」。
まあでも我々のような面々にはちょうどいい感じのバカ歌で、マサルは汗びっしょりで熱唱。僕もリョーシ氏も大爆笑。
この日もマサルの熱唱・絶叫っぷりは健在で、思う存分に日ごろのストレスを解消したのであった。
L: テンション15%のマサル。 C: テンション75%のマサル。 R: テンション90%のマサル。
テンション250%のマサル。
リョーシ氏の歌う鈴木雅之『違う、そうじゃない』を「違う、宗じゃない」と解釈し、マラソンをする宗兄弟のモノマネを始める。そういうわけでめちゃくちゃに充実した一日だった。
最初から最後まで思いっきりリフレッシュできて、ホントに幸せだったワー。
以前から日記で書いているように、僕はRPGが大の苦手である(→2003.3.29)。
マトモにチャレンジしてみたのは1回だけ、FCの「ファイナルファンタジーIII」で、
潤平のアドヴァイスを参考に始めたものの、結局ジン(最初のボス)にたどり着く前にあきらめるという有様だった。しかしそんな僕にも、前々からやってみたいなと思っていたRPGがある。
それは『MOTHER』である。糸井重里がつくったゲームで、一世を風靡したのを覚えている。
ゲームに詳しい人からの評価が高く、感動できるという話を何度も耳にしている。
それでいつまでも食わず嫌いなのはよくないし、時間がない生活なのを承知でやってみることにした。会社帰り、自転車で秋葉原に寄る。中古のゲームショップをあれこれまわってみて、
安く売っていたGAMEBOY ADVANCEを買う。僕はゲーム機を持ち歩いて遊ぶヒマがあるくらいなら、
ノートパソコンを持ち歩いてたまっている日記をなんとかしなけりゃならない身分なので、
「せっかくだからDSを……」なんて発想にはならないのだ。あくまで、『MOTHER』をやるためだけに買う。
ソフトは『MOTEHR 1+2』だけを購入。完全に『MOTHER』専門マシンなのである。さて家に帰ってきて、さっそく始めてみる。
最初のうちは実家周辺で必死のレベル上げ。実家に帰っては好物のチャーハンを食べて過ごす。
やがて街まで冒険に出る気になる。あちこちで街の人と会話をするが、何をどうすればいいかイマイチぴんとこない。
あちこちウロウロしながらレベルを上げているうちに行動範囲が広がっていき、
本人はよくわかっていないままにイベントをクリアする、そんな感じで進んでいくのであった。
敵キャラを安易に殺さない点、街のマップがふつうのフィールドと同じスケールなど、
このゲームならではのこだわりがそこかしこに見えて、なるほどこうつくってあるのか、と感心する。
そんな感じでしばらく遊んで本日は終了である。戦闘も戦略がないと今ひとつ物足りないのだが、ザコと戦ってレベルを上げる必要があるわけで、
とにかく数をこなす必要がある。そうなると、面倒くさい戦略などいちいち立てていられない。
その点がどうにも単調である。RPGならではの宿命ではあるんだけど。
あと2次元の平面のマップがどうしてもうまく空間を覚えられなくて困る。
ランドマークがないとすぐに迷う。ランドマークが見えてくる位置まで移動するのが大変なのだ。
結果として、この移動でフラフラ迷った分だけ、ふつうにプレーするよりレベルが高い状態になっていたと思う。
とりあえず、RPGという文化を勉強するつもりでしばらく地道に遊んでみるのである。
毎夜、蚊との戦いを繰り広げている。
どこからやって来るのがわからないが、寝ようとすると必ず耳元で羽音を立てるのだ。
そして夜が明けると、腕のあちこちに赤い斑点が残されているという具合である。
えいやーとやっつけたとしても、次の夜にはまた耳元で羽音がする。キリがないのである。蚊に刺されたときだとかしゃっくりのときだとか、僕の対処法は「忘れること」である。
蚊に刺されたことを忘れてしまう。あるいは、しゃっくりしていることを忘れてしまう。
そうしてはたと思い出したときには、もうおさまっている。そうしていつも過ごしている。
しかし蚊の羽音はいただけない。さあ寝るぞというタイミングであの音を聞くと、ものすごく腹が立つ。そんなわけで戦いは毎晩きっちり続いている。蚊取り線香を買ったほうがいいんだろうか。
プラスチックが知らないうちに可燃ゴミになっていて驚いた。
通信教育で、「教育の社会学」のテキストがあまりに凄いので、思わず画像を貼り付けちゃうのである。
旧字体のオンパレードだし、促音・拗音は小さい文字になっていないしで、今はホントに21世紀なのか?と疑いたくなる。
慣れてくるとそんなに読みづらいこともなくって、ふつうとあまり変わらないスピードで読めるようになるのだが、
それは僕が小さい頃から漢字に慣れているせいなのかも(実家にあった初期の『サザエさん』は旧字体がガンガン出てくる)。
とはいえ、中には文脈から読みを想像するケースもあった。「昼」の旧字体とか難易度高すぎである。内容じたいは確かにきちんとしているんだけど、なんせ古いテキストなので完全に進歩主義史観にのっとっていて、
それは社会学的には大いに問題がある。そしてその点のフォローがまったくなされていないのはどうかと思う。
面白がることができるということでは非常に興味深いものだけど、これで勉強して単位を取るというのは、
やっぱりなんだか腑に落ちないところがある。まあ、ガマンしてやっていく。
会社では新規登録の原稿を一気に割付する作業に入る。
今回新たに担当することになったのは、4色カラーの生態学の本。和訳ものである。
料理は下ごしらえが肝心ってことで、すでに表記ゆれのチェックや体裁の統一など、準備は済ませてある。
後はそれに従って、プリントアウトにグイグイと指示を書き込んでいくだけにしてあるのだ。
椅子の上であぐらをかきつつ、できる限りの集中力で取り組んでいく。
残業しないとお金がもらえないけど、残業していたら勉強するヒマと気力がなくなっちゃうのだ。
上司の出張土産、同僚の石垣島土産を頬張りつつ、鬼の形相で作業をしたのであった。会社帰りに渋谷に寄って、沖縄旅行の申し込みをする。
一度ネットで申し込もうとしたのだが、飛行機が取れないとかなんとかでうまくいかず、
てやんでぇ、それなら直接窓口に行ったるわーということで突撃。
旅行会社で申し込みってのは学生時代にHQSの会長兼合宿係をしていたとき以来である。
僕は旅に出るときには自分で何から何まで手配してしまうのが常なので(おかげで高くつくこともよくあるが)、
どうもこういうのは慣れない。対応してくれた人も「リズムの変な人だなあ」と思っているだろうなあ、などと感じつつ、
無事に契約完了。これでいよいよ、夢の沖縄旅行が確定してしまったのである。
それにしても、「男性2名です」と言って申し込むのはなかなか恥ずかしい。
実際にはそんなに珍しいケースでもないんだろうけど(と信じたい)、なんというか、こっちが引け目を感じてしまう。
まあ、モテないんだからしょうがない。モテない数だけ強くなれるよ、アスファルトに咲く花のように、ってか。
昼まで家でみやもりとダラダラして、そんじゃ解散しますかーとなる。
自転車を引っぱって洗足駅までみやもりを見送ると、そのままあてもなくサイクリング。
天気が良かったのでのんびり上野まで行ってみたのだが、そのうち雲が厚くなりだしたので早めに撤退。
家に戻ってからは必死で「東京23区一筆書き」の日記を書いていくのだが、まったく書き終えられる気がしない。
いつも県庁所在地ひとり合宿の日記でヒーヒー言っているわけだけど、その庁舎の数が23個もあるのだ。
しかもひとつひとつにそれなりにきちんと説明を入れないといけない。ネットで裏を取るのも一苦労だ。
区切りのいいところで中断する。今週はリポートもあるのでアップできるのがいつになるかわからない。
がっつりと日記を書くヒマが欲しいのだが、ヒマができたらどっかへフラッと旅に出てしまいそうだ。
怠惰な日ごろの生活を反省しましたとさ。