diary 2020.1.

diary 2020.2.


2020.1.29 (Wed.)


(「経県値」だと画像の形で貼り付けられないので「制県レベル」でやってみた)

そらそうよ。2周目とか3周目とかのボーナスポイントってないの?



2020.1.26 (Sun.)

午前中は御守の写真撮影。いいかげん整理して御守ページの拡充をしなければならないのだが、撮影で気力が尽きる。
撮影の終わった御守は紐を縛って保管手続きしなくちゃいけないのだが、これまた気力が。そりゃ罰も当たるわなあ。


2020.1.25 (Sat.)

イライラするけど、まあ、あと2ヶ月のガマンですので。飄々とバランスをとりながら粛々と過ごすのみです。



2020.1.23 (Thu.)

かゆ うま


2020.1.22 (Wed.)

謎の下痢でぶっ倒れる。医者に行ったらB型インフルやノロなどの感染症ではないようで、そこは安心だが……。
腹部をやられると栄養の摂取が上手くいかないせいで、体調が完全に回復するまでに時間がかかるのが困る。
また、単純に体力が目減りしてしまっている状況も困る。なんかこの時期、3年ごとくらいに腹を壊している気がする。



2020.1.20 (Mon.)

神保町カレーライフの第18弾は、J's curry。神保町だけでなく、北千住にも店舗があるようだ。

 ジェイズ丼 富士、ライス大で1050円。

この店の名物は、カレー・ローストビーフ・ポテトクリームソースが一体となった「ジェイズ丼」とのこと。
カレーをベースにしつつ、雪化粧した富士山を表現したそうだ。だからといって外国人向けというわけでもない。
なんせ、箸とレンゲで食うスタイルですので。がっちり巻かれたローストビーフを崩しつつ、カレーとともにいただく。
第一印象は、ポテトクリームソースとローストビーフの相性の良さ。純粋に、これだけで飽きずに食えると思う。
カレーはデミグラス的で自然な甘みが目立っており、正統派の洋食屋の味である。それがポテクリビーフとぶつかる。
これ、ふつうにカレーだけで食う方が絶対に旨いと思う(カレーのみのメニューもある)。両方いいのにもったいない。
目立つ戦術としてはアリかもしれないけど、正統派のカレーとして勝負できるのに、なぜ変なことをするのかと。
カレーの聖地としての神保町ブランドで考えると、ジェイズ丼メインで押すのはかえって損なのではないかなあ。


2020.1.19 (Sun.)

話題になっている松屋のシュクメルリ鍋(ジョージア料理)を食ってみたのだが……感想は、典型的な松屋の味だなあと。
具材が松屋にもともとあるものばかりなので当たり前といえば当たり前だが、松屋らしい味ですねとしか言いようがない。


2020.1.18 (Sat.)

午前は土曜授業で、午後はソフトバレーボール大会。去年はもうちょっとマシだったと記憶しているが、今年はサッパリ。
サーヴがぜんぜん入らんのですよ! ふつうのバレーボールの感覚でやっちゃダメなのをわかっていたはずなのに!
まあ真剣にやろうとしなかった自分が悪いんですけどね。決勝とかふつうに試合として成立しているもんな。すげえなあ。


2020.1.17 (Fri.)

毎度おなじみ三校合同新年会。忘年会スルーとか言ってんじゃねーと書いた以上、参加しましたよ。はい。



2020.1.15 (Wed.)

神保町カレーライフの第17弾は、日乃屋カレー。本店は湯島にあるそうだが、神田カレーグランプリ2013で優勝。

 手仕込み名物カツカレー、大盛無料で860円。もちろん大盛。

まず第一印象が、甘い、である。バターの風味もあって、マイルドな感じが前面に出ているカレーである。
カレーソースをよく見ると、スパイスの粒が混じっている。これでベースの甘さに引きずられないバランスを保つのか。
先日のログで書いた分類(→2020.1.12)からすると、カツカレーらしい要素とスパイス主義の中庸であると思う。
よく言えばいいとこ取りであるし、悪く言えば中途半端と感じる人もいるだろう。食べやすい味には仕上がっている。
個人的には甘さベースなのはやや苦手だが(これは大学時代に相模湖合宿所で経験したトラウマによるところが大きい)、
複数の店舗を展開するのに適した安心感はある。カレー屋が幅広く展開していくためには「甘さ」が鍵になっているのか?


2020.1.14 (Tue.)

2学年でインフルエンザA型の大パンデミックが発生する。これが本当にすごくて、まず電話がまったく鳴り止まない。
ホワイトボードの欠席者名の欄からは赤い文字があふれ出し(ふつうは黒字だが感染症は赤字で書くルールなのだ)、
さらには担当教員にも感染者が出て、まずはとりあえず落ち着いて1時間目を始めたところで対応を考えるという状況。
まあ当然、教室はスカスカのガラガラなのだが。さすがにここまで一気に来ると戦慄が走るものですな。衝撃だった。

なんせこちらは受験学年なので、飛び火しないように必死。うがい・手洗いをきちんとしていれば大丈夫なんだけどね。
感染すると、生徒に迷惑がかかることをやらかした扱いな罪悪感をおっかぶることになるので、そうならないように必死。


2020.1.13 (Mon.)

昨年11月の日記でお隣の家が消えたことを書いたが(→2019.11.24)、現状は見事に更地となっております。

 ♪あぁん、見えすぎちゃって困ァるのォ~

カメラを構えつつ、思わずマスプロアンテナのCMソングを口ずさんでしまうくらいに丸見えである。ワァオ!



2020.1.11 (Sat.)

神保町カレーライフの第16弾は、まんぷくカリー24。ランチのみの営業なので、土曜日に行くしかなかったのだ。
ランチのみの営業なのは、店舗を間借りしているから。夜はメキシコなバルになるようで、知らないと戸惑うこと必至。
昨年8月に池袋から移ってきたようだが、その池袋時代から間借りで営業している人気店として有名だったみたい。
前金制なのも独特だし、中央のテーブルにあるサラダや飲み物などを自分で取って食べ放題なのもまた独特である。

 豚の角煮カリー(大)、1000円。ライスのサイズは自由に選べる。

中央にライスを盛って、左右にカレーソースが分かれている。メニューにはキーマカリーもあって、
左右でそれぞれ味わえるハーフ&ハーフも人気な模様。それでこのような盛り方がデフォルトなのかと思う。
全体的に辛さは抑えめで、無難な味である。チェーン店っぽさがあるというか、正直目新しさには欠けるが、
安定感は強い。誰が食べても一定の満足感は得られるであろう味だ。盛りつけが独特だからか、量はそれほどでも。
角煮がマッチしてとっても旨いが、1000円という値段の妥当性はこの角煮によって保たれている印象である。
最後はヨーグルトが出てきてさっぱり。晩ご飯にはややパンチが弱く、もともとランチ向きなのかなと思う。



2020.1.9 (Thu.)

中学3年生は国語の時間に漢文をやっている模様。思えば僕は、あの世界観に完全にやられた中学生だった。
もともと僕は幼少期から異様に漢字が大好きだった。幼稚園の頃から漢字の本をむさぼり読んでいたものだ。
象形文字から始まる記号としてのデザイン性を含んだ漢字たちに魅了されていたのである。しかも書体で違いもある。
だから単なる文字としての認識ではなく、一文字一文字を完結したキャラクター的存在として認識していたフシがある。
そんな個の漢字がコンビを組むと熟語として幅が広がるのがまた面白い。組む相手で微妙な意味の差異があるのもいい。
こうして冷静に振り返ると、なかなか異常な幼少期を過ごしていたものだ。でも実際、漢字の世界で生きていた。

そんな大好きな漢字だけで構成されていて、非常にためになる内容のものもあれば(論語やら何やら)、
感性鋭い叙情的な世界(漢詩)まで揃っている、そんな漢文にハマるのも、また当然の流れなのであった。
おかげでいまだに、当時の国語の教科書に載っていた漢詩はすべて諳んじることができる。音読すると本当にいいのよ。
特に、訓読したときに生まれる格調がたまらない。古代中国の知性を日本語で受け止めるときの、その誇りが好きだ。

個人的には、漢詩は離別をテーマにしたときに最も響いてくると思う。そして中学校の教科書では、なんといっても、
李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が抜群にいい。これを習ったときの衝撃は忘れられないなあ。

故人西の方黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
惟だ見る長江の天際に流るるを

第四句で、返り点を一切打たずに倒置法で訓読するセンスが凄い。もう本当に、ガンガン心に響いてくる。
一度、「惟(た)だ見る」を「惟(よ)く見る」と訓読している本を見かけて、そりゃないだろうと憤慨したことがある。
「ただ見る」でないと絶対にダメだ。そう考えると、漢文のセンスというのはやはり、半分は日本語のセンスなのだ。
漢文を学ぶということは、格調高い美しい日本語と向き合うということなのである。あらためてそう思う。

そういえば、黄鶴楼って武漢にあるのだ。新型肺炎がニュースになっているけど、いつか行ってみたいものだなあ。


2020.1.8 (Wed.)

いよいよ本日よりラストスパートの時期がスタートである。大部分の生徒たちは意識をきちんと移行させている感じで、
一部の粗忽者と僕は相変わらずといった感じ。きちんとモードを切り替えないといけませんな。フンドシ締め直さんとな。


2020.1.7 (Tue.)

卒業アルバムの写真を確認しているうちに一日が終わった感じですなあ。


2020.1.6 (Mon.)

入試関連のハンコを押しているうちに一日が終わった感じですなあ。



2020.1.1 (Wed.)

谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』のレヴュー。わざわざ正月から書く価値あり、と。

モテない女性、いわゆる「喪女」の黒木智子(通称もこっち)が主人公。序盤はひたすら、もこっちの苦闘が続く。
しかし高校2年の修学旅行が転機となり、現16巻の時点ではいろんな女子たちから引っ張りだこになっとるやんけ。
このマンガを課題図書として僕に与えてくれた潤平くんは、そこから二次創作の百合に目覚めてしまった模様。……え?
それって実は、オレが10年以上前に格闘していた世界なのよね。その界隈とは今は完全に切れてしまっているのだが、
ワカメとかナカガキさんとかハセガワさんとかふぐさんとか、今も大切にしているつながりをもたらしてくれたわけで。
界隈を離れて久しいとはいえ、牧野と羽賀が転入してきたときは衝撃だったなあ。みんなで卒アル鑑賞会をやったもんよ。

閑話休題、序盤のもこっちの苦闘ぶりは、どう受け止めればよいのか、なかなか難しいのが正直なところだった。
自分の価値観と世間とのズレという問題は、誰しもが少なからず抱えていることだ。自虐として笑っていいのかどうか。
まあ結局はもこっちの卑屈さが元凶なので、それがよくないということで素直に笑えばいいのだろう。切ないねえ。
2年生に上がる5巻まで、登場する主要キャラは弟と従姉妹と優ちゃんくらいなもの。それでよくもたせたなあと感心する。

もこっちは修学旅行でクラスのあぶれ者を集めた班の班長となり、物語は動き出す(この8巻の表紙を潤平は激賞している)。
実は1巻の喪5「モテないし宿る」からすでに萌芽は見えるのだが、もこっちを取り巻く周囲の人々は基本的に優しい。
序盤ではその厚意を素直に受け取れなかったり間が悪かったりで発生してしまうズレ、そこへの共感がポイントだったが、
不器用ながらも他者への認識を深めていくことで、それまでもこっちと読者に見えていた景色が徐々に変わっていく。
侮蔑の対象だったモブキャラクターが、名前を持ったキャラクターへと変化していくことで、その事実が表現されるのだ。
これはかなり斬新な手法であるし、世界の広がり方として極めてリアリティのある表現だ。モブ一人として雑にしない、
そんな作者のキャラへの愛の深さがなせるわざなのかもしれないが、1年次の雌伏から狙ってやっていたらとんでもない。

そうやってもこっちの成長を描く一方で、実は周囲の面々も成長している。むしろ、周囲の成長の方を強く感じるほどだ。
最初はだいたい、もこっちを「得体の知れないやつ」と否定的に認識するが、それぞれの速度で彼女を受け入れていく。
未知を既知にしていく過程で、それぞれのキャラクターたちの成長が感じられるのだ。ここにこのマンガの快感がある。
そもそも人間、どこか平均値からズレた面があるから個性が生まれる。そのズレを面白がり肯定することで友情となる。
そうしてお互いのズレを個性(=character)として受け入れることで集団としての幅が広がり、魅力が増していく。
この物語は黒木智子が世界を受容する物語である以上に、世界が黒木智子を受容することで輝いていく、そういう話だ。
修学旅行はそのきっかけであり、物語は構造をゆっくりと裏返しにしていきながら、各キャラクターの成長を描いていく。
面白いのは、序盤とは正反対で、もこっち抜きで話が成立するようになった点だ。もこっち、ついにここまで来たか、と。
そして謹慎中のもこっちを案ずる面々は、もはやもこっちと同等、あるいはそれ以上に世間とのズレを抱える面々なのだ。
モブが黒木智子という鏡を通して困った個性を与えられ、キャラクターとなる。そうして世界は居心地の良さを増す。

みんながもこっちに不思議と惹かれてしまうのは、無理もないことなのかもしれない。なぜなら黒木智子その人こそ、
最も厳しく自己と向き合い、最も厳しく世間と向き合い、最も孤独に耐え、それでも逃げなかった強さを持つ人だから。
もちろん単純に、「もこっちは中二病男子の視点を持つ女子だから、それがほかにない魅力として女子高生を蠱惑する」
という見方もできる。しかし、誰もが持つ自己と世間とのズレの問題に最も真摯に立ち向かってきた彼女だからこそ、
キャラクターや読者みんなが魅了されてしまうのだ。「得体の知れないやつ」としての黒木智子は、パンドラの箱なのだ。
開けることなく無難に過ごすもよし、興味本位で開けてしまうもよし、意図せず事故で開いてしまうかもしれない。
そしてパンドラの箱から出てきたもこっちは、意識するのを避けてきた「世間とズレている自分の価値観」そのものだ。
1年次には読者にひたすら突きつけてきたものを、修学旅行以降は各キャラクターたちに突きつけていくというわけだ。
もこっちを肯定することは、恥ずかしいありのままの自分を肯定することそのものである。それが成長へとつながるのだ。

各キャラクターはそのままでも魅力的だが、もこっちに接する態度によって、さらに魅力が加速している。
さっきも書いたが、黒木智子とは自分の弱さを写す鏡そのもの。彼女にさらけ出したその弱さをどのように肯定するか、
それぞれのキャラクターによってさまざまな化学反応が生まれる仕組みなのだ。いちばん困るのが田村ゆりで、
正統派美少女なのにどんどん発達障害的な要素が追加される。信頼感が増すほどにヤンデレへと近づく。でもかわいい。
「鏡」としてのもこっちに最も意識的なのが根元陽菜。敬意と対抗心が入り混じった感情は、誰もが共感できるものだ。
このマンガに独特な空気をもたらしているのは内笑美莉。絶対的にモブな外見を修正することなく貫きとおしつつ、
それでいてもこっちにどんどん引き込まれて後戻りができなくなってしまったキャラクター。異形であり異様だが、
彼女にもたっぷり感情移入できてしまうのがまた面白い。個人的にはもこっちの「蠱惑」を言語化してほしいところだが。
そして圧倒的な包容力を持つ加藤明日香。今後彼女がどのような弱みをもこっちに披露するのか、非常に楽しみである。
以上、この4名ともこっちが形成するカップリングが爆裂している模様。触媒となるもこっちの設定はやはり絶妙で、
精神的には中二病男子の特性を持ち、身体的には貧相な女性ということで、性的な要素が欠如した存在となっている。
だからこそわれわれは、相手の肯定という純粋な愛情を軸にした成長物語を、緩やかに楽しむことができるのだろう。
このマンガは、関係性の質よりも量を広げていくだけで楽しめる、稀有なマンガだ。もこっちよ、広く浅くモテてゆけ。

ちなみに爆笑したのは、オーミーソーシールーと大乱闘ガチンコブラザーズとオススメの卓球マンガが稲中であるところ。


diary 2019.12.

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