diary 2020.1.

diary 2020.2.


2020.1.31 (Fri.)

都立高校推薦入試の勝率が良すぎるのだが。合格率が5割を超えるなんて、いったいぜんたいどうしたというのか。
いや、別に合格した生徒を腐すつもりはまったくない。しかし、いったいこれはどういう事態なのか、理解できない。
ここ最近、それなりに力を入れていた各種の対策が効いたのかといえば、そこまでとも思えないのである。
とにかく、理由が思いつかない。面接試験の恣意性がそのまま出たとしか考えられない。ワケがわからない。


2020.1.30 (Thu.)

コロナウイルスの防御は完全に失敗でございますな。これ、どう考えても現政権の失策ですが。行政の責任だもん。
頭のおかしい人たちは国会がどうとか現実を見ないで妄言を吐いて、なんとなく乗せられちゃう人ばっかりなんだろうな。
日本って、きちんと物を考えている人がどれくらいいるんだろう。三権分立だとか理解できている人、少なすぎないか。


2020.1.29 (Wed.)


(「経県値」だと画像の形で貼り付けられないので「制県レベル」でやってみた)

そらそうよ。2周目とか3周目とかのボーナスポイントってないの?


2020.1.28 (Tue.)

コービー=ブライアントがこんなに早く、こんなにつらい亡くなり方をするとは……。
僕はバスケにはまったく詳しくないが、神戸牛が名前の由来のスーパースターということぐらいはわかる。
それだけの人が、こんなことになるなんて。人生何がどうなるかわからん。諸行無常。でも痛ましいのはつらい。


2020.1.27 (Mon.)

本日をもって、指の骨折についての通院が終わった。この2ヶ月くらいは間を置いての状態の確認程度であり、
実質的には12月最初の診察でケリはついたが( →2019.12.2)、万全を期して様子を見て、やっと正式に通院が完了した。
先生はひたすら、思っている以上にタチの悪い骨折で、予想していたよりもずっと良好な状態になった、とおっしゃる。
それはもう第一に先生の手術のおかげなので、こちらとしては丁重にお礼を言うしかない。個人的な感触としては、
もうちょっと欲張りたい回復具合であり、今後もしっかりと指の関節を慣らしていく必要があると思っている。
まだまだ伸び方に不満があるし、柔軟性も欲しいところだ。地道に使って、地道にリハビリしていくとしよう。
今はまだ、通院が終わっただけなのだ。どうにか復活してくれた指との付き合いは、まだまだ始まったばかりなのだよ。


2020.1.26 (Sun.)

午前中は御守の写真撮影。いいかげん整理して御守ページの拡充をしなければならないのだが、撮影で気力が尽きる。
撮影の終わった御守は紐を縛って保管手続きしなくちゃいけないのだが、これまた気力が。そりゃ罰も当たるわなあ。


2020.1.25 (Sat.)

イライラするけど、まあ、あと2ヶ月のガマンですので。飄々とバランスをとりながら粛々と過ごすのみです。


2020.1.24 (Fri.)

テリー=ジョーンズが亡くなったということで、がっくりきております。モンティ・パイソンでいちばん好きだったから。

『Monty Python Live (mostly): One Down, Five To Go』のDVDはちゃんと買ったんだけど、これで終わりだと思うと、
なかなか見る気になれないのが正直なところで。でもテリー=ジョーンズの勇姿をきちんと目にしておかねばなるまい。
全裸でオルガン弾いてペッパー・ポットでやられ役の上流階級で映画監督で歴史学者。ただただ、うらやましい。


2020.1.23 (Thu.)

かゆ うま


2020.1.22 (Wed.)

謎の下痢でぶっ倒れる。医者に行ったらB型インフルやノロなどの感染症ではないようで、そこは安心だが……。
腹部をやられると栄養の摂取が上手くいかないせいで、体調が完全に回復するまでに時間がかかるのが困る。
また、単純に体力が目減りしてしまっている状況も困る。なんかこの時期、3年ごとくらいに腹を壊している気がする。


2020.1.21 (Tue.)

宍戸錠が亡くなった。邦画をきちんと見ていない僕の中では「えんぴつのジョー」(→2003.11.52004.6.26)なので、
オレは今後どうやって正しい鉛筆の持ち方・削り方を教わればいいんだと途方に暮れているしだい。まあそれは冗談だが、
スターの偉大さを学ばないままでその死を知ったわけで、恥ずかしい。「エースのジョー」をきちんと味わわなければ。


2020.1.20 (Mon.)

神保町カレーライフの第18弾は、J's curry。神保町だけでなく、北千住にも店舗があるようだ。

 ジェイズ丼 富士、ライス大で1050円。

この店の名物は、カレー・ローストビーフ・ポテトクリームソースが一体となった「ジェイズ丼」とのこと。
カレーをベースにしつつ、雪化粧した富士山を表現したそうだ。だからといって外国人向けというわけでもない。
なんせ、箸とレンゲで食うスタイルですので。がっちり巻かれたローストビーフを崩しつつ、カレーとともにいただく。
第一印象は、ポテトクリームソースとローストビーフの相性の良さ。純粋に、これだけで飽きずに食えると思う。
カレーはデミグラス的で自然な甘みが目立っており、正統派の洋食屋の味である。それがポテクリビーフとぶつかる。
これ、ふつうにカレーだけで食う方が絶対に旨いと思う(カレーのみのメニューもある)。両方いいのにもったいない。
目立つ戦術としてはアリかもしれないけど、正統派のカレーとして勝負できるのに、なぜ変なことをするのかと。
カレーの聖地としての神保町ブランドで考えると、ジェイズ丼メインで押すのはかえって損なのではないかなあ。


2020.1.19 (Sun.)

話題になっている松屋のシュクメルリ鍋(ジョージア料理)を食ってみたのだが……感想は、典型的な松屋の味だなあと。
具材が松屋にもともとあるものばかりなので当たり前といえば当たり前だが、松屋らしい味ですねとしか言いようがない。


2020.1.18 (Sat.)

午前は土曜授業で、午後はソフトバレーボール大会。去年はもうちょっとマシだったと記憶しているが、今年はサッパリ。
サーヴがぜんぜん入らんのですよ! ふつうのバレーボールの感覚でやっちゃダメなのをわかっていたはずなのに!
まあ真剣にやろうとしなかった自分が悪いんですけどね。決勝とかふつうに試合として成立しているもんな。すげえなあ。


2020.1.17 (Fri.)

毎度おなじみ三校合同新年会。忘年会スルーとか言ってんじゃねーと書いた以上、参加しましたよ。はい。


2020.1.16 (Thu.)

神保町カレーライフの第15弾その2、パンチマハル(→2019.12.14)のチキンカレーを食したのでレヴューをば。

 チキンカレー、950円。大盛サービスである。

印象としては、よりスープカレーに近い。前回のインドカレーとは別もので、同じ店だけど面白いヴァリエーションだ。
最初はわりとマイルドだなと思ったら、後から妥当な辛さが響いてくる。辛さが旨味となっているのはさすがである。
特徴的なのは、キャベツが入っている点だ。カレーにキャベツとは不思議だが、料理のオリジナリティってすごいと思う。
インドカレーと比べると薄味というか、クセがない感じ。気がつけばあっさり食べきってしまった。慣れたってことか。
次回はぜひキーマカレーに挑戦したい。前回のランチ時には一番人気っぽかったので、どうしても気になるのだ。


2020.1.15 (Wed.)

神保町カレーライフの第17弾は、日乃屋カレー。本店は湯島にあるそうだが、神田カレーグランプリ2013で優勝。

 手仕込み名物カツカレー、大盛無料で860円。もちろん大盛。

まず第一印象が、甘い、である。バターの風味もあって、マイルドな感じが前面に出ているカレーである。
カレーソースをよく見ると、スパイスの粒が混じっている。これでベースの甘さに引きずられないバランスを保つのか。
先日のログで書いた分類(→2020.1.12)からすると、カツカレーらしい要素とスパイス主義の中庸であると思う。
よく言えばいいとこ取りであるし、悪く言えば中途半端と感じる人もいるだろう。食べやすい味には仕上がっている。
個人的には甘さベースなのはやや苦手だが(これは大学時代に相模湖合宿所で経験したトラウマによるところが大きい)、
複数の店舗を展開するのに適した安心感はある。カレー屋が幅広く展開していくためには「甘さ」が鍵になっているのか?


2020.1.14 (Tue.)

2学年でインフルエンザA型の大パンデミックが発生する。これが本当にすごくて、まず電話がまったく鳴り止まない。
ホワイトボードの欠席者名の欄からは赤い文字があふれ出し(ふつうは黒字だが感染症は赤字で書くルールなのだ)、
さらには担当教員にも感染者が出て、まずはとりあえず落ち着いて1時間目を始めたところで対応を考えるという状況。
まあ当然、教室はスカスカのガラガラなのだが。さすがにここまで一気に来ると戦慄が走るものですな。衝撃だった。

なんせこちらは受験学年なので、飛び火しないように必死。うがい・手洗いをきちんとしていれば大丈夫なんだけどね。
感染すると、生徒に迷惑がかかることをやらかした扱いな罪悪感をおっかぶることになるので、そうならないように必死。


2020.1.13 (Mon.)

昨年11月の日記でお隣の家が消えたことを書いたが(→2019.11.24)、現状は見事に更地となっております。

 ♪あぁん、見えすぎちゃって困ァるのォ~

カメラを構えつつ、思わずマスプロアンテナのCMソングを口ずさんでしまうくらいに丸見えである。ワァオ!


2020.1.12 (Sun.)

東京に戻る際、岡谷駅まで親に車で送ってもらったのだが、そのときに神保町カレーライフの話題になった。
神保町には多種多様なカレーが集まっているが、それらを分析するとどんなことが結論として言えるのか、と。
助手席でしゃべりながら考える。するとどうも、3つの系統が存在するのではないか、という構図が見えてきた。
ボンディに代表される欧風カレー系、カツカレーを至高とする学生系、店主のこだわりスパイス系、である。

欧風カレーの定義についてはとりあえず、「ボンディ(→2019.10.21)みたいなやつ」ということになる。
だってこの名称、ボンディが最初に使いはじめたからそうなのだ。ただ、個人的には「シチューの方法論によるもの」、
ではないかと考えている(→2019.11.22)。極端な話、ビーフシチューをカレーに変化させたら欧風カレー、ではないか。
単純に西洋料理店が出すカレーではなくて、カレー専門店が先祖返りした結果として西洋料理のエッセンスを再確認し、
カレー専門店としての矜持をもって提供されるカレーである。まあ結果的に西洋料理店のものに近くなっているわけだが。

次に、カツカレーを至高とする学生系。神保町は特に学生街ということもあり、ただのカレーでは物足りない、
そういう客層が目立つ。そしてその欲求にマッチするのが、カレーにカツを載せるという手法なのである。
ただ、これはちょっと経緯が複雑で、カレーとカツを分けて考える必要がある。悪く言うと、原始的なカレーなのだ。
思うに、イギリス海軍由来で大日本帝国海軍経由のカレーとしてのDNAがいちばん濃く出ているタイプであろう。
明治以来の日本化された洋食屋(上述の西洋料理店は日本化されていないので別)としてのカレーの流れを汲んでいる。
それゆえに、カレーにカツを載せることについて罪悪感がない。どっちも洋食、お得!という学生らしい感覚である。

最後に、店主のこだわりスパイス系。これはつまり、小麦粉を使わないインドカレーを日本化したものである。
上述のように、日本のカレーはイギリス海軍経由だが、そのルーツたるインドカレーから直接インスパイアされたものだ。
そのアイデンティティが、各種のスパイス。本場のインドで使われるスパイスを店主のこだわりでブレンドして、
日本人の口に合うカレーソースを組み立てる。「手前味噌」ならぬ「手前カレー」とも言うべき多様性がある。
多様な出汁をブレンドするのが腕の見せ所という和食やラーメンと共通する精神があり、それがまた日本的とも言える。
また、ここには漢方発祥の薬膳という発想も大きく影響している(スープカレーは札幌で、薬膳の発想で生まれたもの)。
インド食文化の西洋化に対するアンチテーゼとして、大きな括りとして東洋由来の発想が根底にあるのかもしれない。

以上、つらつらと思いつくままに現代のカレーについて書きつけてみた。当否のほどは……食べて考えてみてください。
最後に、現時点での各店のカレーを座標軸上にざっくりとマッピングしてみる。縦軸は僕が食べたときの値段である。
僕が注文した大盛が基準であり、実際には大盛になっていないものもあるので、あくまで参考程度にとらえてほしい。
横軸は「インド⇔洋食(ヨーロッパ)」である。これもいいかげんで、いちばん右に欧風カレーを自認する店を置き、
その次に洋食屋っぽいものを配置。真ん中には家庭用カレールーの雰囲気に近いものやチェーン店らしいものを置いた。
いちばん左はインド・アジア色の強いものを置いて、その度合いがやや弱いものを真ん中寄りにした感じである。
これだと欧風カレー・学生系・スパイス系の対比がわかりやすいんじゃないかと思ってやってみたら……はっきり出たね。

 2020.3.27 更新

この図は上記の3類型を正当化するためのものなので、文句を言われても困るぜ! まあこれもひとつの見方ってことで。
好みのカレー屋を見つける参考になればいいかと思います。この多様性こそカレーの魅力なんだなあと再認識したよ。


2020.1.11 (Sat.)

神保町カレーライフの第16弾は、まんぷくカリー24。ランチのみの営業なので、土曜日に行くしかなかったのだ。
ランチのみの営業なのは、店舗を間借りしているから。夜はメキシコなバルになるようで、知らないと戸惑うこと必至。
昨年8月に池袋から移ってきたようだが、その池袋時代から間借りで営業している人気店として有名だったみたい。
前金制なのも独特だし、中央のテーブルにあるサラダや飲み物などを自分で取って食べ放題なのもまた独特である。

 豚の角煮カリー(大)、1000円。ライスのサイズは自由に選べる。

中央にライスを盛って、左右にカレーソースが分かれている。メニューにはキーマカリーもあって、
左右でそれぞれ味わえるハーフ&ハーフも人気な模様。それでこのような盛り方がデフォルトなのかと思う。
全体的に辛さは抑えめで、無難な味である。チェーン店っぽさがあるというか、正直目新しさには欠けるが、
安定感は強い。誰が食べても一定の満足感は得られるであろう味だ。盛りつけが独特だからか、量はそれほどでも。
角煮がマッチしてとっても旨いが、1000円という値段の妥当性はこの角煮によって保たれている印象である。
最後はヨーグルトが出てきてさっぱり。晩ご飯にはややパンチが弱く、もともとランチ向きなのかなと思う。


2020.1.10 (Fri.)

本日も集団討論の練習。通算で3回目だと思うが、テーマに隠された評価基準が見えていない生徒が相変わらず多い。
こっちとしては慣れてきたこともあって、討論後に、テーマから取るべき作戦をビシビシと鋭い調子で指摘していく。
生徒たちは感心したように聞いていたけど、いまそんな段階で果たして大丈夫なのか、不安になる一方である。

さて、では自分はどうだったのかと考える。僕は採用試験で集団討論のテーマに隠された評価基準が見えていたのか。
いやいや、ぜんぜん見えていなかったではないか。生徒に対して偉そうに言っているけど、まるでダメだったじゃないか。
ああ、あのときこうしていれば少しはマシだったはずなのに……。そういうモノが、生徒を通して見えてくる。
だからこそ、討論が終わった後に厳しいことを言ったんだけどね。生徒の向こうにいた、過去の自分に対して。
ここで学んだことを来年度に全力で生かすことを考えよう。いちばん学んでいるのは自分自身でなければならない。


2020.1.9 (Thu.)

中学3年生は国語の時間に漢文をやっている模様。思えば僕は、あの世界観に完全にやられた中学生だった。
もともと僕は幼少期から異様に漢字が大好きだった。幼稚園の頃から漢字の本をむさぼり読んでいたものだ。
象形文字から始まる記号としてのデザイン性を含んだ漢字たちに魅了されていたのである。しかも書体で違いもある。
だから単なる文字としての認識ではなく、一文字一文字を完結したキャラクター的存在として認識していたフシがある。
そんな個の漢字がコンビを組むと熟語として幅が広がるのがまた面白い。組む相手で微妙な意味の差異があるのもいい。
こうして冷静に振り返ると、なかなか異常な幼少期を過ごしていたものだ。でも実際、漢字の世界で生きていた。

そんな大好きな漢字だけで構成されていて、非常にためになる内容のものもあれば(論語やら何やら)、
感性鋭い叙情的な世界(漢詩)まで揃っている、そんな漢文にハマるのも、また当然の流れなのであった。
おかげでいまだに、当時の国語の教科書に載っていた漢詩はすべて諳んじることができる。音読すると本当にいいのよ。
特に、訓読したときに生まれる格調がたまらない。古代中国の知性を日本語で受け止めるときの、その誇りが好きだ。

個人的には、漢詩は離別をテーマにしたときに最も響いてくると思う。そして中学校の教科書では、なんといっても、
李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が抜群にいい。これを習ったときの衝撃は忘れられないなあ。

故人西の方黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
惟だ見る長江の天際に流るるを

第四句で、返り点を一切打たずに倒置法で訓読するセンスが凄い。もう本当に、ガンガン心に響いてくる。
一度、「惟(た)だ見る」を「惟(よ)く見る」と訓読している本を見かけて、そりゃないだろうと憤慨したことがある。
「ただ見る」でないと絶対にダメだ。そう考えると、漢文のセンスというのはやはり、半分は日本語のセンスなのだ。
漢文を学ぶということは、格調高い美しい日本語と向き合うということなのである。あらためてそう思う。

そういえば、黄鶴楼って武漢にあるのだ。新型肺炎がニュースになっているけど、いつか行ってみたいものだなあ。


2020.1.8 (Wed.)

いよいよ本日よりラストスパートの時期がスタートである。大部分の生徒たちは意識をきちんと移行させている感じで、
一部の粗忽者と僕は相変わらずといった感じ。きちんとモードを切り替えないといけませんな。フンドシ締め直さんとな。


2020.1.7 (Tue.)

卒業アルバムの写真を確認しているうちに一日が終わった感じですなあ。


2020.1.6 (Mon.)

入試関連のハンコを押しているうちに一日が終わった感じですなあ。


2020.1.5 (Sun.)

午後に部活の新年初蹴りがあるのだが、天気もいいし、ちょっと埼玉までお出かけ。
北本市役所と桶川市役所の写真を撮ろうというわけである。昨年末の日記で書いたとおり、埼玉県の市の数は全国最多。
冬は太陽が低いので建物の撮影には向かないが、これだけすっきり晴れてくれれば2箇所くらいは消化できるってわけ。

大宮の先、高崎線でまずは北本へ。実に40もの市がひしめく埼玉県で、北本市の知名度は正直そんなに高くはない。
しかし歴史はきちんとしている。中山道の鴻巣宿はもともと北本市の市域に存在していたのだ。しかし1602(慶長7)年、
江戸幕府が街道を整備する中で鴻巣宿が北に移転することになり、こちらは元の宿場なので名前が「本宿村」となる。
明治になると北足立郡が発足するが、郡内に本宿村がもうひとつあったため、こちらはさらに「北本宿村」に変化する。
そして1959年、町制施行の際に自治体名を「北本町」とした。ああややこしい。1971年に市制施行して今に至る。

北本市役所は北本駅の西口から少し歩いたところにある。旧庁舎は北本町時代の1963年に建てられており、
1984年に庁舎建設基金を設置して建て替えの準備を進めてきた。その後、財政難で計画は二転三転するものの、
公募型のプロポーザルで安井建築設計事務所東京事務所を設計者に選定し、2015年に新庁舎を竣工させた。
最大の特徴は、市役所に児童館を併設していること。隣に中央公民館と中央図書館の入る文化センターがあり、
もともと行政と文化の拠点だった場所をさらに強化している。確かに、外に向けてアピールするには上手い手段だ。

  
L: 北本市役所。向かって右側が児童館部分となる。  C: 文化センターを背に北から眺める。  R: さらに西に寄る。

  
L: 児童館部分をメインに眺めたところ。  C: 北西にまわり込む。  R: 南西から見たところ。わりと純然とオフィス。

  
L: 南面。周辺は住宅地であまり余裕がない。  C: 南東から。  R: 東から駐車場越しに全体を眺める。

  
L: 敷地内から眺める児童館部分。  C: エントランスはこんな感じで屋根が架かっている。  R: 児童館側から振り返る。

  
L: 南側の敷地入口。旧庁舎時代の北本市役所の碑と市民憲章をオシャレにリニューアルしている。
C,R: 市役所部分を覗き込む。土日も開いている児童館側と違って、こちらは完全にお休みモード。

  
L,C: 敷地の北端にある防災備蓄倉庫。かなりオシャレでびっくり。  R: 文化センター。こちらは1982年竣工。

北本駅から1駅戻って桶川駅へ。西口を出てすぐの市役所前通りを北上していくと、べにばな陸橋のたもとが市役所。
しかしまあ、これが呆れるほど窮屈。どこからどうがんばっても全体を撮影することができないし、近くの住宅が入る。
市の公式サイトにまとめられている建設の経緯によると、下日出谷東の土地区画整理で用地を確保するつもりだった。
駅から西に1kmほどの、今はベニバナウォーク桶川がある辺りである。しかし時間がかかりすぎてこの計画を断念。
それで位置を変えずに建て替えることにして基本設計も行うが、敷地を広げられずにいったん頓挫。これが2007年。
市議会では「新庁舎建設を急ぐあまり、将来に禍根を残さぬよう慎重な取り組みを求める決議」なんてのも出ている。
結局、できる範囲で敷地を広げて位置を変えずに建て替えることになり、公募型プロポーザルで日本設計を設計者に選定。
そうして2018年に竣工したのがこちらの庁舎というわけだ。できるまでの苦労がしっかりにじみ出ている庁舎だと思う。
それにしても、この紆余曲折をきちんと公式サイトに記載している桶川市は偉いと思う。検索すればすぐに出るもんな。

  
L: 南東から眺める桶川市役所。もうこの写真だけで建てるのに苦労したのがわかる。  C: まるで余裕のないエントランス。
R: 道路を挟んで駐車場から眺める桶川市役所。これが建物の全体をどうにか眺められる唯一のアングルではないかと思う。

  
L: しょうがないので桶川市役所の南半分。  C: 真ん中部分。  R: 北東から。いや、苦肉の策って感じの市役所だ。

  
L: べにばな陸橋を背に北東から眺める。敷地の狭苦しさが半端ない。  C: 北側のエントランス。  R: 北から眺める。

  
L: 北西から側面と背面。  C: 西側には通路がある。  R: べにばな陸橋の上から見た桶川市役所。うおー電線がー

  
L: 中を覗き込む。1階は市民ギャラリーとカフェスペース。  C: 1階の廊下。開き直ってオシャレにまとめている。
R: 1階の西側というか大部分は駐車場。窓口はすべて2階に上げているのだ。狭い敷地だが5階建てでいろいろ詰め込んでいる。

べにばな陸橋に上がったついでに、帰りは線路東側の旧中山道をのんびりと歩いて戻る。桶川宿の雰囲気は今も健在で、
数は少ないものの点在する古い建物が紅花で栄えた歴史をしっかり伝えてくれる。埼玉の底力を感じるのであった。

  
L: ポケットパーク。辻村みちよ顕彰碑がある。茶カテキンを分離するなど、緑茶の研究に功績を残したすごい人。
C: 旧中山道の埼玉県道164号。建物は更新されても、今もしっかり旧街道の雰囲気を残している。  R: 桶川宿本陣跡。

 
L: 矢部家住宅。1905(明治38)年築。  R: 小林家住宅。こちらは江戸時代の築で国登録有形文化財。トラックがクソ邪魔。

市役所探訪を終えると新年初蹴り。今年もわりとサッカー漬けの一年になるのかな。楽しめるうちに楽しまなきゃね。


2020.1.4 (Sat.)

東京に戻る。僕としては青春18きっぷで片倉館の千人風呂にでも浸かってのんびり帰ろうかと思っていたが、
親があずさの切符を用意してくれたので、素直に特急に揺られる。新宿に着いてあらためて考えたけど、
まあそりゃ、青春18きっぷで各駅停車で帰るのはやっぱりつらいわなあ。翌日から仕事だからね、これでいいやね。


2020.1.3 (Fri.)

バヒさんとダベる。アップルロード沿いで昼メシをいただき、コメダでコーヒーをすすりつつダベる。
屋久島行きたいっすね。お金がしっかりかかるので無理は言いませんが、宮之浦岳に登れれば最高だろうね。


2020.1.2 (Thu.)

バヒさんと飲む。りんご並木沿いの小洒落た店で、互いに現況を報告して、気ままに料理をいただきつつ飲む。
例のごとく調子に乗って、人吉の米焼酎を飲んだりもした。おいしゅうございました。楽しゅうございました。


2020.1.1 (Wed.)

谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』のレヴュー。わざわざ正月から書く価値あり、と。

モテない女性、いわゆる「喪女」の黒木智子(通称もこっち)が主人公。序盤はひたすら、もこっちの苦闘が続く。
しかし高校2年の修学旅行が転機となり、現16巻の時点ではいろんな女子たちから引っ張りだこになっとるやんけ。
このマンガを課題図書として僕に与えてくれた潤平くんは、そこから二次創作の百合に目覚めてしまった模様。……え?
それって実は、オレが10年以上前に格闘していた世界なのよね。その界隈とは今は完全に切れてしまっているのだが、
ワカメとかナカガキさんとかハセガワさんとかふぐさんとか、今も大切にしているつながりをもたらしてくれたわけで。
界隈を離れて久しいとはいえ、牧野と羽賀が転入してきたときは衝撃だったなあ。みんなで卒アル鑑賞会をやったもんよ。

閑話休題、序盤のもこっちの苦闘ぶりは、どう受け止めればよいのか、なかなか難しいのが正直なところだった。
自分の価値観と世間とのズレという問題は、誰しもが少なからず抱えていることだ。自虐として笑っていいのかどうか。
まあ結局はもこっちの卑屈さが元凶なので、それがよくないということで素直に笑えばいいのだろう。切ないねえ。
2年生に上がる5巻まで、登場する主要キャラは弟と従姉妹と優ちゃんくらいなもの。それでよくもたせたなあと感心する。

もこっちは修学旅行でクラスのあぶれ者を集めた班の班長となり、物語は動き出す(この8巻の表紙を潤平は激賞している)。
実は1巻の喪5「モテないし宿る」からすでに萌芽は見えるのだが、もこっちを取り巻く周囲の人々は基本的に優しい。
序盤ではその厚意を素直に受け取れなかったり間が悪かったりで発生してしまうズレ、そこへの共感がポイントだったが、
不器用ながらも他者への認識を深めていくことで、それまでもこっちと読者に見えていた景色が徐々に変わっていく。
侮蔑の対象だったモブキャラクターが、名前を持ったキャラクターへと変化していくことで、その事実が表現されるのだ。
これはかなり斬新な手法であるし、世界の広がり方として極めてリアリティのある表現だ。モブ一人として雑にしない、
そんな作者のキャラへの愛の深さがなせるわざなのかもしれないが、1年次の雌伏から狙ってやっていたらとんでもない。

そうやってもこっちの成長を描く一方で、実は周囲の面々も成長している。むしろ、周囲の成長の方を強く感じるほどだ。
最初はだいたい、もこっちを「得体の知れないやつ」と否定的に認識するが、それぞれの速度で彼女を受け入れていく。
未知を既知にしていく過程で、それぞれのキャラクターたちの成長が感じられるのだ。ここにこのマンガの快感がある。
そもそも人間、どこか平均値からズレた面があるから個性が生まれる。そのズレを面白がり肯定することで友情となる。
そうしてお互いのズレを個性(=character)として受け入れることで集団としての幅が広がり、魅力が増していく。
この物語は黒木智子が世界を受容する物語である以上に、世界が黒木智子を受容することで輝いていく、そういう話だ。
修学旅行はそのきっかけであり、物語は構造をゆっくりと裏返しにしていきながら、各キャラクターの成長を描いていく。
面白いのは、序盤とは正反対で、もこっち抜きで話が成立するようになった点だ。もこっち、ついにここまで来たか、と。
そして謹慎中のもこっちを案ずる面々は、もはやもこっちと同等、あるいはそれ以上に世間とのズレを抱える面々なのだ。
モブが黒木智子という鏡を通して困った個性を与えられ、キャラクターとなる。そうして世界は居心地の良さを増す。

みんながもこっちに不思議と惹かれてしまうのは、無理もないことなのかもしれない。なぜなら黒木智子その人こそ、
最も厳しく自己と向き合い、最も厳しく世間と向き合い、最も孤独に耐え、それでも逃げなかった強さを持つ人だから。
もちろん単純に、「もこっちは中二病男子の視点を持つ女子だから、それがほかにない魅力として女子高生を蠱惑する」
という見方もできる。しかし、誰もが持つ自己と世間とのズレの問題に最も真摯に立ち向かってきた彼女だからこそ、
キャラクターや読者みんなが魅了されてしまうのだ。「得体の知れないやつ」としての黒木智子は、パンドラの箱なのだ。
開けることなく無難に過ごすもよし、興味本位で開けてしまうもよし、意図せず事故で開いてしまうかもしれない。
そしてパンドラの箱から出てきたもこっちは、意識するのを避けてきた「世間とズレている自分の価値観」そのものだ。
1年次には読者にひたすら突きつけてきたものを、修学旅行以降は各キャラクターたちに突きつけていくというわけだ。
もこっちを肯定することは、恥ずかしいありのままの自分を肯定することそのものである。それが成長へとつながるのだ。

各キャラクターはそのままでも魅力的だが、もこっちに接する態度によって、さらに魅力が加速している。
さっきも書いたが、黒木智子とは自分の弱さを写す鏡そのもの。彼女にさらけ出したその弱さをどのように肯定するか、
それぞれのキャラクターによってさまざまな化学反応が生まれる仕組みなのだ。いちばん困るのが田村ゆりで、
正統派美少女なのにどんどん発達障害的な要素が追加される。信頼感が増すほどにヤンデレへと近づく。でもかわいい。
「鏡」としてのもこっちに最も意識的なのが根元陽菜。敬意と対抗心が入り混じった感情は、誰もが共感できるものだ。
このマンガに独特な空気をもたらしているのは内笑美莉。絶対的にモブな外見を修正することなく貫きとおしつつ、
それでいてもこっちにどんどん引き込まれて後戻りができなくなってしまったキャラクター。異形であり異様だが、
彼女にもたっぷり感情移入できてしまうのがまた面白い。個人的にはもこっちの「蠱惑」を言語化してほしいところだが。
そして圧倒的な包容力を持つ加藤明日香。今後彼女がどのような弱みをもこっちに披露するのか、非常に楽しみである。
以上、この4名ともこっちが形成するカップリングが爆裂している模様。触媒となるもこっちの設定はやはり絶妙で、
精神的には中二病男子の特性を持ち、身体的には貧相な女性ということで、性的な要素が欠如した存在となっている。
だからこそわれわれは、相手の肯定という純粋な愛情を軸にした成長物語を、緩やかに楽しむことができるのだろう。
このマンガは、関係性の質よりも量を広げていくだけで楽しめる、稀有なマンガだ。もこっちよ、広く浅くモテてゆけ。

ちなみに爆笑したのは、オーミーソーシールーと大乱闘ガチンコブラザーズとオススメの卓球マンガが稲中であるところ。


diary 2019.12.

diary 2020

index