神保町のカレー食べ歩き、第2弾はスマトラカレー 共栄堂である。創業は大正13年とのこと。
ちなみにこちらのカレーのレシピをスマトラ島から持ち帰った人は伊那の出身なんだとさ。注文してから出てくるまでがけっこう早くて驚いたのだが、カレーって本来そんなもんだよなあと。
見ているとかなり回転がいい。並んでいたとしてもすぐに食えそうで、そういう店はありがたい。共栄堂のビーフカレー、ライスのみ大。消費税が上がって¥1490。
まずとにかく黒くて驚いた。そして非常にスパイシー。小麦粉は使っていないそうで、たいへん水はけがよい感じ。
最初から最後までスパイスのピリピリ感がしっかり続いて、それが食欲をさらにそそってくるのであった。
辛さを中和するための工夫として、ポタージュがついてくるのもまた独特。でもスパイスの感触は残るのが面白い。
今回も気づいたらライスを大にしていたのだが、ケチらずソースも大盛にしておくべきだったと反省。
でもソースとライスの比率が適正であれば、けっこう辛そうである。ライスの甘みもまた実感できる味、か。
おバカな大臣の失言をきっかけに、今ごろになって大学入試の民間英語試験が問題になっているという始末。
大学入試なんてまったく改革の必要がないのに、利権狙いの売国政権によってズタズタにされそうな現状に、
ようやく気づいたとは情けない。センター試験がどれだけ平等で洗練されているか、実際に解けばよくわかる。
入試改革を唱えている連中なんて、現行制度の価値がわからない純粋なバカか、日本の教育を崩壊させる魂胆のバカか、
どちらかしかいないわけで。この国の仕組みをおかしくしているのは本当は誰なのか、そろそろ現実を直視しようよ。日本人は本当に「改革」という言葉に弱い。何かを変えればそれでなんとなく良くなると考えるバカが多すぎる。
世の中には絶対に変えてはならないものがいっぱいあって、それを堅持して貫く姿勢こそが真の保守ではないのか。
この国の政治には本当に、真なる保守が欠けている。あるのはただの気分でしかない。国民よ、逆説を見抜け。
東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌でやろうぜという話。コンパクトなオリンピックはどこへ行った。
そもそもがオリンピックをやめちゃえばすべての問題はスッキリ解決するんですけど。恥の上塗り、もうやめようよ。
山形県の市役所と神社の旅・2日目は鶴岡から寒河江へと向かう。鶴岡は神社が多く、寒河江は寒河江八幡宮を押さえる。
また、寒河江市役所は黒川紀章で6年前に訪れているが(→2013.5.12)、なんせ本日は平日。中に入ってやるのである。
(土曜日が学習活動発表会だったので、今日はその振替でお休み。貴重な平日休みを寒河江市役所にあてるのだ。)
まずは泊まった宿からほど近い日枝神社へ。昨日参拝したのは「上山王」だが、これから行くのは「下山王」である。
「下山王」の日枝神社は街中というか駅からまっすぐ南下したところにあり、鶴岡のランドマークと言っていい存在だ。
L: 日枝神社(下山王)。真っ赤な両部鳥居が目を惹く。 C: 参道を行く。赤い屋根の拝殿が非常に強い存在感を見せる。
R: 角度を変えて眺める。幅の広さと屋根の威圧感は、昨日の上山王だけでなく、酒田も含めた庄内平野における拝殿の特徴か。授与所が開くであろう9時の少し前に参拝し、写真撮影で時間調整してから御守を頂戴する。晴天の下でいい写真が撮れ、
御守もいいタイミングで頂戴できた。6年前の雨とバス移動失敗(→2013.5.12)は僕の中でけっこうなトラウマだったが、
これでようやく鶴岡に認めてもらった気がした。ポジティヴな流れに乗ることができたら、こっちのもんである。
L: 本殿。「下山王」日枝神社は、鶴岡で最も歴史のある神社だそうだ。 R: 山王通りを行く。絶好のスタートだ。絶好のスタートを切ると、山王通りを意気揚々と歩いていく。いったん銀座通りに出てから東へと針路をとり、
県道47号を進む。城下町の町人地由来の商店街からはずれると、急にのんびりした住宅地になるのが興味深い。
鶴岡天満宮はそののんびりしたエリアの先にあるが、天神様のわりにはなんとなくこれまでと同じ修験道っぽさがある。
祭神云々というよりはこの地域でメジャーな様式を採用したのだろうか。授与品はきちんと天満宮していたが。
L: 鶴岡天満宮の境内入口。両部鳥居なのね。 C: 拝殿。幅があり威厳たっぷり。 R: 本殿も拝殿から離してある。続いては春日神社である。鶴岡天満宮からまっすぐ西に行ったところにあり、まずは裏手からアクセスする感じに。
こちらもやはり拝殿が非常に大きく、庄内地方の神社建築の傾向が見えてきた。残念ながら御守は頂戴できず。
L: 春日神社の西側入口。 C: 南側入口。こちらが表参道か。 R: 拝殿の幅が広く、カメラの視野に収めるのが大変。
L: 向拝をクローズアップ。屋根の状態がよくないが、施されている彫刻は見事。 C: 本殿。 R: 後ろから見た拝殿。春日神社のすぐ南には伊勢両宮。鶴岡天満宮・春日神社・伊勢両宮はかたまっており、一気に参拝できてありがたい。
伊勢両宮の創建は1534(天文3)年で、1656(明暦2)年に外宮を勧請。1681(天和元)年に内宮を外宮側に遷座して、
正式に伊勢両宮となった。この「両宮」という名称に、鳥海山と月山で両所宮とする山形特有の価値観の影響を感じる。
L: 伊勢両宮。境内はきわめてコンパクトだが、神明系らしい威厳を持たせる工夫をしっかり詰め込んでいる印象。
C: 拝殿は向かって左が内宮、右が外宮。石灯籠の存在感がすごい。 R: 裏にまわって本殿。やはり拝殿と離している。県道47号を西に戻って鶴岡市役所の前を通り、荘内神社に参拝する。5年ぶり3回目である(→2009.8.12/2014.8.24)。
1877(明治10)年の創建で、つまりは明治に入ってから城跡に藩祖を祀る、城下町に定番のパターンの神社だ。
標準的な「健康守」が5色あり、境内には『刀剣乱舞』のスタンドポップがあるなど、やる気あふれる神社である。
ここまで無人の神社が多かったので、こういう参拝者歓迎の姿勢を見せられると、とっても嬉しくなってくる。
L: 鶴ヶ岡城の本丸跡が鶴岡公園として整備されており、荘内神社はその中心的な存在となっている。
C: 参道を行く。 R: 荘内神社の境内入口。10年前のログにはマトモな写真がないので、あらためて撮影。
L: 拝殿。妻入で瓦葺きと、神社建築にしては非常に珍しい。 C: 鯛のおみくじ。なんだかすごいこだわりを感じる。
R: よくわからんけど『刀剣乱舞』のキャラクター・信濃藤四郎がいて、刀とかハートマークの板とかあった。ほへー。
L: 境内のすぐ隣にある藤沢周平記念館。 C: 毎回撮っている大宝館。 R: 角度を変えて撮影。よく見えない。ではあらためて鶴岡市役所の撮影だ。なんだかんだで撮影するのは4回目(→2009.8.12/2013.5.11/2014.8.24)。
そんなに撮ってどうすんだ、と自分でも思うが、来たからには撮らずにはいられないのである。敷地を一周して撮影。
L: 鶴岡市役所。まずは南から。 C: 近づいて正面の全体を撮影。 R: 角度を変えて眺める。
L: 南西から見たところ。 C: 西側の側面。こちらの出っ張っているところが議会。 R: 北西から。
L: 背面。東寄りの北から眺める。 C: 敷地内に戻って東側の側面。 R: 外に出て南東から眺める。以上。
L: 平日なので中に入っちゃう。1階の南西側は市民ホールとなっている。 C: 中央は待合スペース。 R: 右を向いて玄関。これで鶴岡でやりたいことはすべてやった。最後に市役所の斜向かいにある鶴岡市文化会館(荘銀タクト鶴岡)を撮影。
設計者はプロポーザルでSANAA(妹島和世建築設計事務所)・新穂建築設計事務所・石川設計事務所のJVが選ばれ、
入札が不調で工費が計画の倍以上になるなど苦しみつつも2017年に竣工した。4/4拍子の指揮の形のロゴマークを見るに、
それをヒントに造形したのか、逆に建物から4/4拍子を思いついたのか(後者であれば、かなり勘がいいと思うが)。
ただ、建物としては奇抜な造形だが、仕上げはイマイチ軽くて安っぽく、金沢21世紀美術館(→2010.8.22)に似た感触。鶴岡市文化会館(荘銀タクト鶴岡)。素材が安っぽく見えるんだよなあ。
撮影を終えて満足すると、エスモールへと向かう。今回は、6年前(→2013.5.12)のリヴェンジの旅でもある。
鶴岡から寒河江経由で山形へ行くバスに乗るのに失敗して予定が大幅に狂った苦い記憶、それを払拭したかったのだ。
ちなみに昨日の晩メシはあえてエスモール内の店で食べて、バス乗り場について下調べをしておいたのであった。
万全の状態でバスに乗り込み、目指すは寒河江である。月山を経由したのだが、色づいたその姿の美しさに目を奪われる。
夢中でシャッターを切りながら、これはいつか絶対に、また同じ時期に、湯殿山神社を参拝しなければ!と思う。
L: 遠くに月山が見えるがまずその手前の色づいた山に目を奪われる。 C: 月山湖。美しい光景にただ見惚れる。
R: いつか絶対、10月の下旬に月山を訪れよう、そして湯殿山神社に参拝しよう!と心に誓うのであった。寒河江SA内にある寒河江バスストップで下車。さあ、リヴェンジだ。まずは6年前にスルーした寒河江八幡宮を目指す。
スマホを頼りに完全なる住宅地をトボトボと北上すること約30分で到着。大きい一の鳥居が威厳をしっかり感じさせるが、
鳥居をくぐると少し山道っぽい感触のする石段。別表神社と考えると裏参道っぽい雰囲気だが、きちんと拝殿の前に出た。
L: 寒河江八幡宮。別表神社にふさわしい堂々たる鳥居。 C: でもくぐると不安な感じに。 R: 石段もなんとなく不安。寒河江八幡宮は源頼義・源義家の親子が石清水八幡宮から勧請して創建された。その後、大江広元が寒河江荘を与えられ、
あらためて鶴岡八幡宮から勧請して現在地に遷座させたとのこと。大江広元といえば貴族の出身だが源頼朝に仕え、
鎌倉幕府を実務面で支えた最大の人物だ。息子の親広は承久の乱で朝廷側につき、乱の後は寒河江に身を隠したという。
L: 拝殿。寒河江まで来ると標準的な形状。 C: 角度を変えて眺める。 R: 本殿。拝殿から離してあるなあ。寒河江八幡宮は本殿が1686(貞享3)年、拝殿が1775(安永4)年の築であり、どちらも寒河江市の指定有形文化財。
特に彫刻に細やかな彩色が施された本殿は見応えがある。きちんと参拝できてよかったなあと思いつつ御守を頂戴した。
L: 本殿をクローズアップ。彫刻への彩色が美しい。 C: 末社の高良神社・新山神社。お堂っぽく、屋根が庄内の拝殿っぽい。
R: 厄落としということで、絵馬から「厄」の文字を型抜きの要領で抜いて落とす。いやー、厄が溜まっておりますなあ。ではいよいよ、寒河江市役所である。当然6年前に訪れているが(→2013.5.12)、日曜だったし耐震工事中だったしで、
外観を軽く撮影して終わりだった。時間もなかったし。今回はこの建物を味わい尽くすために平日休みをあてたのだ。
天気も最高、文句なしのコンディションである。ヨダレを垂らしつつ撮影を開始する。ああ、最高に楽しい。
L: まずは定番のアングルであろう南東からの撮影。 C: 近づいてみる。 R: 東から見た側面。
L: 北東から見上げる感じで。 C: 北側。 R: 通り抜けて北西から。道が狭いので撮影はなかなか大変。
L: 西側の側面。 C: 南西から。 R: 南側手前には木が植えてあるのでこんな感じでしか撮れないのだ。
L: 駐車場を挟んで距離をとって眺める南側。 C: 県道25号・中央通りから見た東側の側面。 R: ではスロープを上がる。
L: スロープの途中から見た南側。 C: スロープを上がって東側にある2階玄関。 R: 2階デッキ、南側に出てみる。
L: さらにまわり込んで2階デッキの西側。 C: 失礼して中を覗き込む。うむ、昭和である! R: 西側の先。
L: 本来なら定礎に書いてあるようなことが、なぜか会議室内の壁の端に石板で埋め込まれていた。
C: さらにまわり込んで2階デッキの北側。 R: 反対側から見たところ。こちらのスロープは通行できず。
L: 一周して東側のエントランスに戻ってきた。 C: ベンチとパブリックアート。 R: 定礎は玄関脇、別にある。じっくり2周してみたが、やはりメタボリズムの建築は面白い。寒河江市役所のメタボリズム色はそこまで強くないが、
その影響を通過したうえでの公共建築ということで関連性は高いはず(黒川建築の中銀カプセルタワー竣工がこの5年後)。
昨年、森美術館で開催された「建築の日本展」のログで、僕はモダニズム大好き意識低いっ子の立場から、
メタボリズムについて「とんでもない可能性とエネルギーを持った建築運動」と書いている(→2018.9.13)。
(なお、菊竹建築を軸にしたメタボリズム考はこちら(→2016.7.10)。旧都城市民会館は解体が始まってしまったなあ。)
高度経済成長の時代らしいポジティヴさ全開の心意気、技術と性能の向上による万能感、明るい未来への憧憬。
モダニズムからポストモダニズムへの飛躍を「東工大がモダニズムを殺したんじゃないか」と書いたが(→2017.10.18)、
実際のところはメタボリズム(東大つまり丹下系)と東工大系の2系統があって、前者がよりモダニズムの尾を引いていた、
そういう差だったのではないかという気もする。後者のデザインセンスは壊滅的だがバブルで許された、そんな気もする。
L: では平日ということで中に入ってみるのだ。まずドアの取っ手が特徴的。見るからに岡本太郎(→2017.6.2)っぽいのだが。
C: 中に入ると大胆な吹抜でびっくり。市庁舎建築的に吹抜(アトリウム)はオープンスペースの内部化であり1980年代の要素。
R: 真ん中の明かりはもう完全に岡本太郎。「光る彫刻・生誕」というそうだ。矩形の中に岡本太郎は強烈だなあ。中に入るとまず豪快な吹抜に驚かされる。市庁舎建築を見てきた者としては、1967年竣工の庁舎に吹抜はありえない。
60年代は町役場スケールの3階建てが一般的であり、70年代になってホール建築を市庁舎に隣接させるパターンが登場する。
その際にホールと市庁舎の間をオープンスペースとして整備する、というのが定石なのだ(当時革新系の自治体に多い)。
80年代になると駐車場の重要性が増してオープンスペースを市庁舎内部に取り込み、それでアトリウムとなるわけである。
(これと並行して建築技術の向上、空調の性能向上といった複数の要因が背景にあるので、その点は注意が必要。)
これを1967年にやっていることが驚きだ。真ん中に岡本太郎の造形を持ってくることでモダニズムの陳腐化も防いでいる。
各階の配置は1階が議場、2階が窓口で3階と4階は主に執務スペースとなっており、寒河江市の公式サイトによるとこれは、
「市民の代表である議員が市民を支え、行政が市民の傘になるという黒川紀章氏のメッセージが込められています」
とのこと。3階以上は4本のコアで吊る構造になっており、本当に傘のようだ。豪快な吹抜もそれで実現できたわけだ。
L: 天井を見上げる。 C: 2017年に国登録有形文化財となり、資料が誇らしく置いてある。プライドのある市役所は大好きよ。
R: ちょいと失礼して周囲の窓口スペースをクローズアップ。なんでもないデザインひとつひとつに昭和の落ち着きを感じる。わざわざ平日休みを寒河江市役所にあてて大正解だった。やはり評価の高い建築はきちんと中を見てナンボなのだ。
基本的に休日しか動けない職業とはいえ、ふだん本当にいいかげんに市役所めぐりをやっているなあと大いに反省。山形ナンバーの「彡(さんづくり)」は相変わらず。……ってか、さくらんぼ好きだな!
撮影を終えると寒河江市役所前のバス停からバスに乗り込み北上すること15分弱、谷地所岡というバス停で下車する。
少し戻って県道25号の商店街を東に入ると、神社への参道が現れる。この旅のラストを飾るのは谷地(やち)八幡宮だ。
なぜか山形県にはやたらと別表神社が多いのだが、谷地八幡宮もそう。ここまで来たからには参拝しなくてはなるまい。
L: 谷地八幡宮が鎮座するのは河北(かほく)町。旧谷地町を中心に昭和の大合併で誕生した。紅花が有名である。
C: 商店街から参道に入っていく。 R: 少し奥まった位置にある谷地八幡宮の境内。なぜ別表神社なのかはわからない。谷地八幡宮は先ほどの寒河江八幡宮と同じく、源頼義・源義家の親子が石清水八幡宮から勧請して創建された。
御守を頂戴する際に応対してくれた神職さんは、平日午後にわざわざ来ていただいてすいませんというトーンで、
なんだかこっちが申し訳ない。別表神社ということで訪問したが、いい意味で地域に根ざした驕らない神社という印象。
L: 1914(大正3)年に建てられた時報堂。神社の境内にこのような塔があるのは非常に珍しい。
C: 市街地ということもあってか境内は開放的である。 R: 拝殿。両側に建物がくっついており少し独特。
L: 楽舎かな。谷地八幡宮は神職が一子相伝の「林家舞楽」を受け継いでおり、国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。
C: 本殿。 R: ご社殿復興百年記念で1975年に復元されたという石舞台。ということは、社殿は1875(明治8)年の築か?学生たちに混じって谷地高校前からバスに乗り込み寒河江駅前のバスターミナルへ。左沢線で山形駅まで行くと、
一休みしてから新幹線つばさで一気に東京まで戻る。6年前のリヴェンジを果たしてお釣りがくる、楽しい旅だった。
夜行バスの夕陽号から転がり出たのは余目駅前なのであった。旅の始まりにしてはかなりマニアックな場所だが、
これが最も合理的な選択なのだからしょうがない。余目駅で30分ほどおとなしく過ごすと、2駅東の狩川駅へと移動する。狩川駅。降っていた雨がやんでくれた。
狩川駅から目指すのは北舘神社である。別表神社ということでの参拝だが、狩川駅を南下した辺りは落ち着いた集落。
昔ながらの店舗が点在する感じは土地の確かな歴史を感じさせるが、あくまで「町」レヴェルの雰囲気である。
北舘神社は楯山公園の中に鎮座しているので、そちらの方へと入っていく。不安になりつつ車道を上がると公園の入口。
L: 北舘神社表参道の案内板に従い楯山公園へ。 C: 公園へ向かう道は少々不安な感じ。 R: 公園の入口に到着。
L: 楯山公園。北楯利長の居城だった狩川城址を公園として整備。 C: ビュースポットから庄内平野を眺める。
R: 立川町歴史民俗資料館。1891 (明治24)年に狩川村役場として建てられ、1979年まで立川町役場として使われた。楯山公園はもともと狩川城址で、大正天皇の即位を記念して1915(大正4)年に公園として整備された。
最上義光の家臣としてこの狩川城に入ったのが北楯利長で、当時は周辺が広大な荒地だったために疎水の開削を計画。
これを成功させて庄内平野が米どころとなる基礎をつくった。その功績を讃えて創建された神社が北舘神社となった。北楯利長の像。被っている頭巾は最上義光から贈られたものだそうだ。
ではいざ北舘神社に参拝。残念ながら授与所は閉まっていたが、御守を送っていただけるとのことで一安心。
参拝を済ませると、軽く公園内を散策して駅へと戻る。帰りに北楯利長が開削した疎水・北楯大堰の一部を見ておく。
L: 北舘神社の境内入口。 C: こちらが一の鳥居。 R: 鳥居をくぐる。境内の整備は1919(大正8)年みたい。北楯大堰は、最上川の支流である立谷沢川から取った水を、今も最上川左岸の広大な平野に送っている。
地図を見ると平野のすぐ脇を最上川が流れているのだが、川底が低くて水を引くことができなかったのだ。
それでわざわざ立谷沢川から水を引いてきたわけだ。北楯大堰は枝を広げるように平野全体に延びており、
総延長は32kmにもなるとのこと。江戸時代の鶴岡・酒田の繁栄は、この北楯大堰があってこそなのだ。
L: 拝殿。 C: 本殿。 R: 楯山公園の脇を流れる北楯大堰の一部。ここから水が庄内平野へと広がっていく。狩川から余目に戻って酒田へ。羽越本線をさらに北へ行き、吹浦で下車する。6年前と同じパターン(→2013.5.11)だ。
というわけで、目指すは鳥海山大物忌神社の吹浦口之宮。鳥海山と聞くと3年前に捻挫した右足首が疼くぜ(→2016.7.30)。
今回の目的は御守のチェックなので、さすがに山頂までは行かない。吹浦口之宮で同じ物が頂戴できるのでそれでよし。
L: 鳥海山大物忌神社・吹浦口之宮。6年前とまったく同じ構図での撮影である。まるで成長しておりませんなあ。
C: 境内に入る。両部鳥居が山岳信仰の匂いを漂わせるぜ。 R: これも6年前と同じ構図。他に撮りようがないのよ。
L: 下拝殿。6年前(以下略)。 C: 近づいて撮影してみる。 R: 下拝殿の脇にある石段。こちらを上がれば上の拝殿。
L: 上の拝殿。 C: 右手にまわると社殿が2つ。吹浦口之宮本殿(右)と摂社・月山神社の本殿(左)が並んでいるのだ。
R: 横から見る本殿群。手前が月山神社の本殿。鳥海山の大物忌大神と月山の月読命を両方とも祀る両所宮っぷりがさすが。無事に御守を頂戴すると、酒田に戻る。レンタサイクルを借りると、いざ酒田市内の神社めぐりをスタートである。
酒田の街は広いので、レンタサイクルがないと本当に大変なのだ(→2013.5.11)。今回は雨に降られなくて助かった。
まずは駅からまっすぐ行ったところにある八雲神社へ。名前からわかるとおり、素盞鳴尊を祭神としている。
L: 八雲神社。規模は大きくないが、駅からまっすぐの場所なのでたいへん目立つ。 C: 正面から。 R: 拝殿。ここからがややこしい。南へ行って住宅地で少々迷いながらも、どうにか上日枝神社に到着。
社号標には「日枝神社」とあるが、鳥居の七五三まいり祈祷受付中看板は「上日枝神社」となっている。
結論から言うと、酒田には日枝神社が2つあるので上下で区別をつけているのだ。上日枝神社の方が小規模。
L: 上日枝神社。 C: 拝殿。1885(明治18)年築で立派だが手前の松がなあ……。 R: 本殿。1841(天保12)年の築。というわけで、もうひとつの日枝神社である下日枝神社へ。こちらは日和山公園(→2009.8.11)の東に鎮座しており、
旧割烹小幡(日和山小幡楼)の道を挟んだ向かいに山王鳥居が建っている。正式な名前はやはり「日枝神社」で、
規模が大きく本間光丘が社殿を造営したこともあってか、単に日枝神社というとこっちを指すようである。
L: (下)日枝神社の山王鳥居。 C: 随神門。本間光丘造営の門が酒田大地震で倒壊し、本間光輝が1902(明治35)年に再建。
R: 拝殿。1784(天明4)年に本間光丘が造営した。本間光丘の偉大さについては過去ログを参照なのだ(→2013.5.11)。
L: 拝殿の彫刻をクローズアップ。 C: 本殿。拝殿と同じく本間光丘の造営で1784(天明4)年の築。
R: 光丘文庫。1925(大正14)年の築。当時としては珍しい鉄筋コンクリートにより耐火性を確保した図書館。
L: 東屋「山王亭」。 C: そこから眺める酒田の街並み。 R: 東側の参道にもきちんと山王鳥居。御守を頂戴すると、すぐ近くの山王くらぶへ。1895(明治28)年に建てられた料亭で、2003年に国登録有形文化財に指定。
現在は北前船や酒田商人の資料、日本三大つるし飾りのひとつだという「酒田傘福」を展示する観光施設となっている。
(日本三大つるし飾りは、「酒田傘福」「伊豆稲取つるし飾り」「福岡柳川さげもん(→2011.3.27)」とのこと。)
L: 山王くらぶ。酒田でもトップクラスの格式を誇った老舗料亭だったそうだ。
C: 入口はこちら。 R: 喫茶「宵待亭」。レトロなアイテムが置かれている。
L: 料亭文化の間。北前船の影響で、酒田には上方の文化がしっかり入ってきていたそうだ。
C: 酒田商人の間。 R: ふれあいの間。料亭らしく、さまざまな部屋があるわけだ。傘福の由来ははっきりしないようだが、お祝い事の際にそれぞれ意味合いを持つ飾り物を傘先にさげるのだという。
末広がりの「扇」や、かわいい娘に虫がつかない「唐辛子」、円満に美しく何事も丸く納まる「まり」など、
いかにも伝統を感じさせるものもあれば、庄内特産の「いちご」「メロン」「ラディッシュ」など、なんでもありだった。
まあでもその記号性とかわいさのバランスが楽しい。むしろ理由をつけて縁起物を増やす方が面白いかもしれない。
L: 傘福の解説。読んでいくとなかなか面白いが、けっこうなんでもあり。まあそれだけ縁起物が多いのはいいことかな。
C: 2階、常設展示されている傘福の間。 R: 傘福をクローズアップ。右の丸いのが「七宝」、左は「鳩」と「おくるみ人形」。では最後に満を持して酒田市役所だ。6年前には建て替え工事が始まるわりと直前だったと思うが(→2013.5.11)、
2017年に新庁舎が竣工。設計は日本設計である。高層部の外観は庄内平野の田んぼの地割を見立てとしたとのこと。
酒田は特徴的な歴史を持った街だが、市役所は組織事務所らしい手堅さがはっきり出ている仕上がりだと思う。
L: 酒田市役所。まずは北東から見たところ。 C: 北から見たところ。側面になるのかな。 R: 北東から。
L: 敷地北側はこんな感じで整備。 C: 道路を挟んで東から見たところ。 R: 南東から全体を眺める。
L: 南側は酒田市民会館「希望ホール」が隣接しているので狭い。 C: 抜けて南西。 R: 西側。
L: 中を覗き込む。 C: 1階北側は休日でも開放されており、自由に使えるようだ。 R: 奥へ進んだところ。
L: 大獅子の松と桜。旧庁舎でも並んでいたなあ(→2009.8.12)。 C: 仔獅子の海くん・小波ちゃんは裏手の南側。
R: 市役所の南に隣接する酒田市民会館「希望ホール」。建築工事の入札予定価格が安すぎて全社辞退とかいろいろあった模様。これで酒田でのタスクは終了である。本当は酒田ラーメンを食べたかったが、そんな暇もなく鶴岡へと移動する。
鶴岡には30分ちょっとで到着するが、レンタサイクルを借りてそこからが大変。酒田よりも市街地がずっと遠いのだ。
今でも雨の中、長い距離をトボトボ歩かされた印象がやたらと強く残っている(5年前は晴れだったが →2014.8.24)。まず向かったのが日枝神社。ただし先ほどの酒田と同じ現象が鶴岡でも発生しているのである。そう、日枝神社が2つ。
そもそもが日吉系は神仏習合の度合いが高い神社であるし(日吉大社が比叡山の麓 →2010.1.9/2014.12.13)、
出羽三山は修験道の聖地である(→2014.8.24)。それで庄内平野には日枝神社がいっぱいあるということなのか。
L: 日枝神社(上山王)。 C: 拝殿に圧倒される。 R: これは角度を変えて撮影せずにはいられなかった。本当に立派。2つある日枝神社のうち、市街地の南端にある「上山王」の日枝神社に向かう。鶴岡市内には神社がいっぱいあるが、
明日の方が天気がよさそうなので主だったものは明日にまわし、手間のかかる場所を今日攻めようというわけなのだ。
拝殿は幅があって千鳥破風&唐破風の向拝でたいへん立派。圧倒されるが、社務所が無人だったのが残念である。
L: 本殿。この形式は酒田の上日枝神社を思わせる。瓦葺きの屋根は同じく酒田の(下)日枝神社のようだ。
R: 脇の道路から眺める拝殿と本殿。庄内地方における修験道・日吉系の強さを実感させられる見事さだ。ではいよいよ本日のトリ・金峯(きんぼう)神社へと向かう。名前からして吉野系(→2010.3.30/2015.9.20)の修験道。
社殿によれば、671年に役行者(役小角)によって開山されたとのこと。金峯山の山頂に本殿があり、山腹に社殿が点在。
したがって本殿まで参拝すれば、まさに修験道気分を味わえるというわけである。正直、つらいです……。
L: 金峯神社の参道入口。ここから冒険がはじまるよ! C: 脇には金峯山青龍寺。想像どおりかつての金峯神社の別当寺。
R: 参道に沿ってさまざまな修験道要素がしっかり残っている。こちらは「禁酒のかめ」。大酒飲みが治ると有名らしい。
L: 社務所まではきちんとした車道もあるのだが、あえて徒歩向けの参道を行く。こんな感じでしっかり山の中って感触。
C: いかにも曰くありげな建物がチラホラ。 R: 随神門。棒を組んで囲っているのは雪囲いのためなのか、よくわからない。
L: 随神門を抜けると社務所・駐車場に出た。 C: 社務所。山頂へ行くのに手間取ったときの保険として先に御守を頂戴した。
R: 社務所の向かいにある閼伽井の清水。上にある滝からこちらに水を引いている。里の名水・やまがた百選に選ばれている。時刻は15時少し前。本殿までどれくらい時間がかかるか読めないので、授与所で先に御守を頂戴しておく。
まあだいたいの授与所が閉まる17時くらいまでに戻ってこれなければ、それはそれでしっかりピンチなのであるが。
気合いを入れて石段を上がり、先へと進む。山岳密教の境内は堂宇を散りばめたテーマパークだが(→2012.2.19)、
修験道の山はそれを高い難度でやっている場所なのだ。九十九王子(→2013.2.9/2013.2.10)も同じ感覚かもしれない。
L: 社務所から石段を上って本格的に山の中へ。 C: 蔵のような社殿。 R: いかにもな感じのチェックポイントである。石段を上がるとすぐに中の宮。神仏習合時代に如意輪観音堂として建てられたそうで、なるほどこれはお堂だ。
唐破風状に張り出した向拝が見事で、特に彫刻は豪快さと繊細さを併せ持つ優美さである。修験道独特の美に思える。
L: 中の宮。 C: 向拝をクローズアップ。近づくと迫力がすごい。 R: 横から見た中の宮。実に仏教建築である。中の宮から先はしっかりと登山。石段が整備されている箇所が多いが、杭でつくった段差を大股で上がる部分もある。
明け方まで降っていた雨のせいなのか、もともとのものなのか、湿り気を残した山道は少し油断できない感じである。
L: 中の宮から先へ。最初に「熊出没注意」の看板があって困った。 C: 切り通しを行く。 R: 途中にあった社。
L: ゴール寸前、参道の先に本殿が見えた。……と思ったら、ロープが張ってあって右の方へと誘導されるのであった。
C: 脇にある建物(社務所出張所?)。けっこう朽ちてきているが……。 R: 展望台から眺める鶴岡の街。これは見事。しっかり登山してたどり着いた本殿だったが、なんと保存修理工事の真っ最中。建物が完全に見えないわけではないが、
いちばんの特徴である屋根がしっかりシートで覆われていた。ヒーヒー言いながら登ってコレ。膝から崩れ落ちたよ。
L: 金峯神社の本殿が見えた。国指定重要文化財なのだ。 C: でも肝心の屋根が見えない……。ショックである。
R: 説明板に完全状態の写真があったので撮っておいた。リヴェンジする気力はないので、これでヨシとしてください。金峯神社の本殿は国指定重要文化財となっている。1150(久安6)年に藤原秀衡が建てたということだが、
1608(慶長13)年に最上義光が大改修を行っており、これが事実上の再建とのこと。その後も18世紀に2回、
酒井家によって改修されている。そりゃあ完全状態をこの目で見たいに決まっているが、リヴェンジは面倒くさい。
公式サイトでYouTubeによるヴァーチャル参拝ができるので(所要時間7分33秒)、そちらで勘弁させていただきたい。放心状態で山を下りると、放心状態でペダルをこいで鶴岡の街へ戻る。放心状態でレンタサイクルを返却すると、
放心状態で市街地に戻って宿にチェックイン。結局長い距離をトボトボ歩いているではないか。以上で初日は終了。
学習活動発表会でござった。生徒たちは本当によくがんばった。しっかりウケていたぞ。3年生の貫禄を見せつけたぞ。
正直、教員として誇らしいです。生徒は勝手に育つもんだと思っているけど、今回だけは「ワシが育てた」と言わせて。
明日が学習活動発表会本番ということで、ラストスパートなのである。生徒も全力、こっちも全力。
学習活動発表会でやる英語の発表準備で忙しい。そのまま区の英語学芸会でも発表する予定で、生徒はやる気十分。
希望者がいなかったらどうしようと心配しつつメンバーを募集したところ、なんと12人も集まったのでびっくりだ。
しかも英語が苦手な生徒も「やってみたい」とチャレンジ精神を発揮してくれて、そうなるとこっちも手が抜けない。
基本的には生徒のやりたいようにまずはやらせるんだけど、完成度がマズいところは彼らの意を汲んで手直し。
縁の下の準備をガッチリやっておいて、あとは彼らのパフォーマンスに任せる。期待しているぞな、もし。
面接の成績が悪すぎる件。
採用試験(→2019.10.2)の点数が確認できるということで申請したら、あまりにも面接の点数が悪すぎて唖然とした。
その理由がわからない。基準は何なのか。何をもって低い評価となったのか。どこが不十分だったのか。理解ができない。
そういえば前にログで「面接のコツはすべてを相手の事情に合わせることだ」「ウソでもなんでもいいから、
相手の要求に100%応える姿勢を見せることが大事なのだ」なんて書いたけど(→2013.8.1)、その要求が見えない。
面接ほど恣意的な選抜方法はない、面接で人間の本性が見抜けるわけがない、とつねづね思っているが(→2015.2.19)、
そういう意識をどうにかしないといけないってことか。物事の本質にしか興味のない人間は、本当、面接に向きませんね。
「即位礼正殿の儀が行われる日」ということで、国民の祝日が降って湧いてきたぜ! ナイス国事行為!
のんびりと遠出してエネルギーを充填するのであった。最高の気分転換ができて本当にありがたいことです。
せっかく神保町乗り換え生活をしているのであれば、神保町名物であるカレーの名店めぐりをやるべきではないか。
ということで、今後はちょこちょこ隙を見て神保町のカレーを食べ歩き、その記録を残していくつもりである。
ではその第1回目はどこにしようかと思って「神保町 カレー」で検索してみたら、やたらめったらボンディ。
神保町のカレーの歴史は意外と新しく、ボンディがきっかけになって名店が集まるようになったという記事もあり、
そうなったらボンディに行くしかねえわ、ということでお邪魔したのであった。地味なビルの2階にあるのだが、
そこだけ大行列になっている。ざっと20分は待ったかなあと思う。いやはや、すごい人気ぶりである。ボンディのビーフカレー、中辛の大盛。消費税が上がって¥1650。
待っている間に注文をとる店員さんにオススメされたので、ビーフカレー。辛口は一般的なものより辛めという話で、
素直に中辛にした。ダイエットのためできるだけ大盛はやめようと思っていたのだが、気がついたら大盛と言っていた。味はとにかくクリーミーでマイルド。まず果物と思われる甘味が印象的で、続いてバターの風味が広がってくる。
しかしその後できちんとカレーらしい辛さが来て、そのまま辛く終わる。このサイクルが確立されていることにより、
一口一口を新鮮な気持ちで食べられるのだ。ライスの上にあるチーズも、マイルドさを強める要素である。
なるほどこれが神保町で一番人気のカレーかと納得。次の機会ではぜひ辛口に挑戦したいものですな。
月イチ恒例のサッカー観戦をしなければならないのだ。今月は結局ここしか予定が空かなくて、千葉までお出かけ。
しかしそれはそれで楽しみでもある。というのも、前も日記に書いたが、千葉駅の駅ビルであるペリエ千葉の6Fは、
東急ハンズ・くまざわ書店・タリーズコーヒーの3連コンボで丸一日過ごせそうな空間なのだ(→2017.11.19)。
というわけで、ペリエ千葉の開店時刻である10時に合わせて千葉に行き、優雅に日記を書きつつコーヒーをいただく。
おかげでだいぶ快調に進んだ。東急ハンズも軽く見てまわって、いい気分転換ができたし。やっぱり魅力的だ。キックオフが午後3時ということで、その2時間前に千葉駅を出発。蘇我駅で降りると人の流れに混じって歩くが、
フクアリに到着する直前で僕だけ左折する。それは、フクアリの手前にある商業施設・グローボ蘇我に用があるから。
これまた前に日記に書いたが、グローボ蘇我の一角にスタ丼屋があるのだ。試合前だがスムーズに食えた。
今日は朝から好きな店のオンパレードでやる気十分。意気揚々とフクアリのゲートをくぐろうとして気がついた。
僕のスマホの画面は今も壊滅状態で、QRチケットで入場できないではないか。結局、MacBookを開いて入場という、
なかなかキテレツな事態となるのであった。いいかげん、スマホをなんとかしなくちゃいかんわ……。さて本日のカードは千葉×柏ということで、千葉ダービーである。柏がまさかのJ2降格となったために実現した。
柏がホームの第19節は、柏が2-0で勝利している。千葉としてはなんとかホームゲームで勝っておきたいところだ。
L: フクアリ。今回はリーズナブルかつのんびり観戦したかったので、バックスタンド自由席で高さのある場所にした。
R: ウォーミングアップ中の両チーム。どっちも黄色と黒なのでパッと見よく似ている。同じ千葉だからって似せることもあるまいに。試合が始まると、両チームの動きは残酷なほどに対照的。気の利いた動きでボールをつなぐ柏に対し、
千葉は何もかもがひどい。特にひどいのがパスで、インターセプトを食らいまくる。やたらと精度が低い。
昨季までJ1にいたチームとJ2に定着して泥沼に沈むチームの試合だから多少の差はあるだろうと思っていたが、
こんなにも絶望的な差がつくものなのかと呆れ果てた。本当の本当に、千葉には褒める要素が皆無なのだ。
L: CKをオルンガが頭で落として三原がゴール。オルンガが高くて強いにしても、千葉の対応はルーズだった。
R: 千葉の気のないパス回しをカットしてからボールをつないで、最後は瀬川のミドル。力の差は歴然である。案の定、前半の前半で柏が畳み掛けるように2点を奪う。これがダービーマッチと呼べるものなのか?と思う。
しかも千葉はつい先日、バンディエラである佐藤勇人が今シーズン限りでの引退を発表したばかりなのに。
それでいてこのプレーぶりとは……。監督が無策であるにしても、選手たちからやる気がまったく感じられない。
すべてが後手に回ってしまっている。柏はそれとまったく対照的に、余裕を持ってボールを回して優位に立つ。後半、CKをいったん撥ね返したものの、結局は押し込まれて3失点目。
後半も余裕を持って攻める柏は、60分にCKのチャンスを獲得。これは千葉のGKにパンチングで阻まれたものの、
そこからすぐペナルティエリアに入れて千葉守備陣が積極的にプレーできない状況をつくりだして押し込み、
最後は再び三原がゴール。まったくもって妥当な3点目が入ったのであった。実際は点差以上の差があった感じ。いちおう千葉の問題点を考えてみる。以下、後半に撮った写真をもとに見る。千葉の攻撃には連動性がまったくない。
DFがボールを保持してビルドアップを図るが、中盤の受け手が圧倒的に足りない。ではどこに味方がいるのか?
答えは前線。無駄に上がりすぎていて、ほとんどの選手がDFとFWに分断されている状態になっているのだ。
きちんと中盤にいるのは1人くらいで、そこにボールが入っても柏の選手が挟み込んで簡単につぶされてしまう。
しょうがないのでDFが逆サイドにボールを動かしても、柏は全体をきちんとスライドさせて対応。打つ手なしだ。
判断も悪く、ひとつひとつのプレーの出足が明らかに柏の選手よりもワンテンポ遅い。千葉の状況はもう、末期的だ。
L: 柏のチェックが早く、千葉はボールを前へ運べない。 C: 前にボールを入れたらつぶされるの図。中盤に人が足りない。
R: 逆サイドに振っても柏は落ち着いて対応。やはり千葉は中盤に人が足りず、前線とバックラインに分断されている状況。千葉は何もできないまま90分が経過して、試合は終了。柏の完勝には違いないが、それ以上に千葉が悪すぎる。
それなりに名前の通った選手たちが集まってこの内容とは……。日本で屈指の名門が朽ちていくのは見るに堪えない。千葉ダービーという因縁を感じさせない、当然の勝利といった雰囲気の柏ゴール裏。
こんないいスタジアムなのに、相手の活躍ばかり見せつけられて。千葉サポーターが不憫でならない。
お世話になった前校長は熱狂的な千葉サポだったが、今はいったいどんな気持ちで観戦しているんだろうなあ……。◇
家に帰って、ラグビーW杯・準々決勝の南アフリカ戦をテレビ観戦。ロースコアのじっとりとした展開から、
最後は南アフリカに一気に突き放されて26-3で敗戦。非常に残念だが、まあとにかく相手が強かった。
ここまで多彩な攻撃を見せてきた日本だが、南アフリカの守備が徹底していて選択肢を奪われていった感じ。まあ個人的には、スコットランド戦(→2019.10.14)の勝ち方が素晴らしすぎて、ちょっとはしゃぎすぎちゃったかなと。
スコットランド戦は『SLAM DUNK』の山王工業戦のような試合だったから、湘北よろしく燃え尽きてしまったような。
今回のW杯で日本は瞬間風速的な強さを見せつけたが、世界の強豪はその強度を維持し続けるから強豪でいられるのだ。
でもそういうポジティヴな課題をつかむところまで来たこと自体が凄い。南アフリカには優勝してもらわないとね!
朝起きたら頭が痛い。まだまだ腰も痛い。でも日記をしっかり書いておきたい。どこかに出かけなければ。
そういうわけで、近場で済ませようと武蔵小山にやってきた。今まで個人的な感情で激しく忌避していたのだが、
まあもうそろそろいいだろうということで、どっしり腰を落ち着けて書きまくる。思っていたよりずっといい環境で、
これは武蔵小山に来る機会も増えそうだなあと今頃になって思うのであった。日記が進むことがいちばん大事。
昨日の踏ん張りのおかげで、得失点差で決勝トーナメントに進出したので、今日も今日とて平日の試合である。
本日の相手は公立の強豪校で、毎回節目節目で負けている気がする。どうにか苦しませたいところだが。前半は完全に互角な戦いぶりで0-0に抑える。昨日からのいい流れをバッチリつかんでおり、成長ぶりに内心感動。
後半が始まると我慢できずに早々に失点するが、FKで同点に追いついてみせる。これは大したものだ、と僕も大喜び。
しかし押し込まれて自陣ゴール前の混戦となったところで頼れる生徒がハンドで一発退場。PKで勝ち越されてしまう。
その後はポロポロと失点していって結局1-5。これを1-2で抑えたとかならめちゃくちゃかっこよかったのだが……。
退場はもうしょうがないので、頼れる生徒がいなくなったところで残ったメンバーがどれだけできるかが課題で、
その点まだまだだったなあと。グッドルーザーにはなれなかったなあと。みんなで悔しがってしっかり成長しましょう。
入院時のログで書いたとおり、台風の影響で秋季大会2次リーグが平日開催となったのであった。
当方、朝に靴下を履こうとした際、ぎっくり腰になってしまって本当につらい。でも気合いで会場へ。1試合目は負けたら終わりな相手を攻めきれずに0-0。相手は気迫十分なうえにGKがよくってゴールを奪えず。
2試合目は超強豪の私立校が相手。雨の中での試合となり、きっちりゴールを決められて前半を0-3で折り返す。
しかし後半は左右に振ってくる相手の攻撃を見切って1失点に抑えた。負けはしたが、0-4という見られるスコアに。
この後半のパフォーマンスを50分ずっと続けられるようにならなくちゃいけないんだけど、それが難しいのよね……。
新しいパソコン(→2019.10.6)でWindowsを起動すると出てくるBingの日替わり絶景画像に毎回見惚れております。
Microsoftのやることはあんまり好きくないことが多いのだが、これに関しては大歓迎だ。本当に楽しませてもらっている。
オレ「羽交い締めされているヤツに激辛カレー食わせてもなんにも面白くねーだろー!
羽交い締めしている方に食わせないとギャグとして成立しねーだろー! そうだろ!? なあ!?」
生徒「先生、落ち着いてください。問題はそこじゃないです。」
ラグビーW杯、昨日のスコットランド戦について。アイルランド戦(→2019.9.28)に続いての劇的勝利で世間は大騒ぎ。
ラグビーについてはまるでわからん僕でも、プロップ稲垣のトライがとんでもないのはわかる。そこにいるってのが凄い。
これで予選プールを1位通過となり、日本代表が史上初の決勝トーナメント進出を決めたことはたいへんめでたい。
しかし喜びすぎな気がしないでもない。選手たちは絶対に浮かれるはずなどないが、われわれが浮かれすぎて裏目を呼ぶ、
調子に乗りすぎてツキを逃してしまう、謙虚さを忘れて天狗の鼻をポッキリ折られる、そんな悪い予感がなんとなくする。
杞憂だといいのだが、そんな不安感に苛まれてしまうほどに見事な勝ちっぷりだった。次もうまくいくといいんだけど。それにしても、選手たちからやたらと「犠牲」という言葉が出てくるのが非常に印象的である。
彼らがこの大会にすべてを賭けていることがうかがえる。ひとつの目標に向けて、他のすべてを犠牲にする。
本当に「すべて」を捧げているからこそ、この勝利が得られたのだろう。僕なんかにはとても想像がつかない領域である。
台風一過の青空だが、テレビを見るに、あちこちの川で堤防が決壊している模様。被害は年々深刻化している。
いちばんひどそうなのが千曲川ってのがなんとも意外だが、北陸新幹線の車両が水に浸かっている映像は衝撃的だ。
先月といい(→2019.9.8/2019.9.14)今月といい、一年で2回も甚大な被害の台風が来るとは、恐ろしい時代になった。
死者・行方不明者が100人を超えるのは40年ぶりとのこと。これからはそれも当たり前になってしまうのかなあ……。
時間の感覚がわからないままに日常へと戻っていく。非日常がゆったりと背景へ下がっていく一方で、
「ねばならない」現実がだんだんと存在感を増していく。そうしてなんともつかみどころのない感じのまま手続きが進む。会計を済ませるとそそくさと退院するが、外はかなりの勢いの雨なのであった。いよいよ台風が近づいてきている。
地下鉄新宿線は10分待たされてようやく乗ることができたが、乗り換える三田線はなんと20分も待つことになった。
しかも目黒線に直通する最後の電車とのこと。本当にギリギリのタイミングだ。これは運がよかったと思うが、
入院してからずっと自分の意思というものがなくレールに乗せられてここまで来ているので、自然なことにも思える。
唯々諾々と目の前のことを受け入れていくうちに事態が進んでいく。抗うどころか意思を介在させる理由もない。
何も考えないわけではないが、考えたところで包帯を巻いた右手人差し指に4本のピンが刺さっている現実は変わらない。
淡々と最寄駅で下車し、淡々とスーパーで食料を買いだめ、淡々と家のドアを開ける。ようやく日常に戻った気になる。NHKの災害情報を見ながらのんびり音楽を聴いて過ごすが、風で建物が揺れるのはやはり怖い。頼むぜ、わがアパート。
ギリギリまでNoto化作業を進めて、いざ手術である!
なお今回は指の手術なのに全身麻酔を選択。理由は「一度やってみたかったから」(いちおう医者にも全身を勧められた)。麻酔をかけられるとあっという間に落ちる僕。ふだんの無呼吸寝不足生活は伊達ではないのだ。本当にあっという間。
……目が覚めるとどうしてもふざけたことが言いたくなり、我慢できなくなって看護師さんに声をかける。
「すいません、本当にくだらないこと言っていいですか?」
「はい」
「ジャイアン死んじゃいやん」
満足した僕は再び眠りに落ちるのであった。麻酔って人間性が出るね。怖いね。知らないうちにカテーテルを入れられた僕は、そのまま病室に戻ることなく一晩を過ごすのであった。
昨夜のいびきがうるさくて隔離されたのではないかと疑っているが、それを確かめたところで恥ずかしいだけである。
時間の感覚がまったくない中、ただ横たわる。するとカーテンの向こうからおばあちゃんの声がする。
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
これが延々と続く。本当に、分単位で繰り返されるのである。そのたび対応する医師や看護師さんは本当に大変だ。「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」
「マサエさーん、入れ歯と眼鏡探してー」そうして僕は、麻酔ではない眠気によって意識を失うのであった。自らのピンピンコロリを心の底から願いながら……。
授業をやってから午後に入院。明日はいよいよ右手人差し指の手術である。
まずはシャワー。続いて全身麻酔をやるので歯の掃除。これがなかなか強烈なお掃除なのであった。準備が整うとフリータイムなので、これはいい機会と、ひたすら日記のフォントNoto化作業を進めていく。
Googleによるフォントプロジェクト「Noto」シリーズについては以前書いたが(→2019.2.21/2019.3.5)、
全ページをNoto Sans CJKに切り替えることにした。20年近い分量があるので、設定を変えるだけでも大変である。それにしても、病棟という空間にいると健康のありがたさを思い知らされる。病気の状態が当たり前の空間、
そこで可視化されている「病」は実に強烈だ。自分ひとりの不調だけでなく、周囲の不調に同情してつられてしまう。
精神的に割り切れればいいが、なかなかそう簡単に切り替えられない。明日は我が身、という言葉がずっと離れない。◇
ところで今週末に予定されていたサッカー部の試合は台風で中止が決まり、来週の平日へ。うーん、大迷惑!
仕事から解放されると久しぶりに渋谷ハンズで買い物したのだが、やはり頼りになる品揃えだなあと思う。
……が、なんとなく雰囲気が弱体化していないか? 店員も客も、以前と比べて活気がなくなっていると感じる。
田舎者の僕にとって都会のハンズは流行の発信源であり、やる気の動力源であり、秘密基地であり、おもちゃ箱だった。
ハンズの弱体化は、日本のものつくりの弱体化。日本の好奇心の弱体化。店も客も踏ん張りどころではないかと思う。
岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』。学級文庫にあるので読んだ。
内容に意義はあるし、プロセスも面白いと思うけど、こりゃ小説じゃなく脚本でしょ。あらすじでしかないやんけ。
高校生活にはドラマがあって、野球にもドラマがある。その微細な部分をぜんぶすっ飛ばして結果だけを求めている感じ。
だから本来なら小説として大切なはずの部分が、根こそぎ漏れている。紙芝居レヴェルのダイジェストっぷりである。
悪いけど、そんなあらすじに価値があるとは思えないなあ。意義は認めるが、まじめに小説を書いている人に失礼では。
カネやんが亡くなった。
伝説の大投手であり球界の超ご意見番で、ヤクルトファンの僕としては歴史上の偉人となる。
超絶弱小の国鉄スワローズで353勝をあげた超人ぶりから不死身なんじゃないかと勝手に思っていたが、亡くなった。
どんな人でも死ぬんだな、というのが正直な気持ちである。いや本当にそう。僕の中では不死身な人No.1だったから。大投手・金田正一については長谷川晶一『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』に詳しいので、
ぜひご一読いただきたい(→2017.6.13)。いろいろ言われるカネやんだが、僕はこのカネやんが真実の姿だと信じている。
不本意ながら新しいパソコンを購入しました。いや、不本意なんて言うと新しいパソコン君に申し訳ないんだけどね。
futsutamaのDVDドライヴが壊れてしまって、修理しようと思って問い合わせたら部品の期限がもうすぐ切れます、と。
それで日記を振り返ったら、買ってからもう5年も経っていることに気づいたので(→2014.10.14)、買い替えを決めた。
「物が壊れるときは一気に来る」(→2019.9.17)がまだまだしっかり継続中だ。オレの指まで壊れちまったしな……。新しいパソコンは5年前のモデルからほとんど変わっていないね。
Windows10は8やら8.1やらと違って古き良きWindowsの感覚で操作できるのがありがたい。着実にデータ移行を進める。
困ったのは音楽のデータが膨大で、外付けHDでないと対処できないこと。iTunesのデータが実質初期化なのもつらい。
とりあえず、新パソコンは「futsutama 2nd」と命名。先代と同じように、致命的な故障なしで駆け抜けていただきたい。
合同チームを組む学校との合同練習が終わって家に帰り、ラグビーW杯・サモア戦をテレビ観戦。
ちょうど前半終了間際から見はじめたのだが、後半に入って日本はスクラムからトライを決めるなど強さを発揮。
見事にリーグ戦3連勝を飾ったのであった。にわかファンが大騒ぎしているが、喜べるときには喜んでおくべきだと思う。
それにしても日本代表の日の丸ストライプのジャージはデザインとして本当にかっこいい。桜のエンブレムもいい。
サッカー日本代表の青も悪くはないが、ラグビーのブレないデザインの一貫性が数段上を行っているのは間違いない。いい機会なのでラグビーに関する雑感をあれこれ一気に書きつけていってみたい(前も少し書いたけど →2015.9.23)。
僕の母校・飯田高校はわりと「ラグビーの学校」で、体育の授業でもラグビーをやった。しかしみんな素人なので、
当然ながらノックオンの連続。「ノッコン!」「ノッコン!」という声ばかりがグラウンドに響いていたのであった。
僕は最初フォワードに振り分けられたのだが、スクラムの際に股の下に手を通されるのがどうしてもダメで、
それでバックスに回してもらった。キック力のまったくないフルバック。まあ野球のライパチみたいな扱いである。
もしアメフトのランニングバックやセーフティだったら、もうちょっとちゃんとできたはずだと思うんだけど。
ラグビーは最後までルールが理解できなかったので、そんなやつがきちんとプレーできるはずがない。無念である。僕が在籍していた学年のラグビー班はなんと、部員が2人だけ。ほかの体育部活から人を借りて試合に出ていたなあ。
そしたら卒業後に下農(「げのう」じゃなくて「しものう」だよ! 下伊那農業高校の略)から優秀な先生が来たらしく、
気づいたら花園に行っていた。びっくりである。部活の栄枯盛衰ってかなりスパンが短いものなのよね。たぶん実家で今頃circo氏はムズムズしていると思うのだが、僕も正直、ラグビーの試合を見てムズムズしている。
すいません、だってアメフトの方がずっと面白いんだもん! バックスはともかく、スクラムの辺りの儀式性がわからん。
アメフトだと時間を消費するランプレー、時間を使わないパスプレーという判断を軸にいろいろ駆け引きが楽しめるが、
ラグビーはパスプレーがなくて選手がつぶされたらスクラム開始で、パッと見てプレーの良し悪しがようわからんのだ。
だからスタンドにしろパブリックヴューイングにしろ、観戦している皆様が盛り上がっているのはすごいと思う反面、
いや、アメフトの方がずっと面白いんだけど……と首を傾げる感覚もある。でも水を差すのは悪いので黙っているしだい。ラグビー関連のニュースがあれこれ報じられて、インターネットでは些細な周辺情報もいっぱいあって、これが面白い。
総じて思うのは、ラグビーは選手もメディアもファンも知的なレヴェルが高いということ。さすがは紳士のスポーツ、と。
思えば熱海ロマンでお世話になった「奥長恵太郎」の皆様もラグビーサークル出身で、究極的に面白い紳士たちだった。
サッカーは労働者階級のスポーツで、ラグビーとの落差をあちこちに感じる。その落差も非常に大きい(特に海外)。
だから必然的に、国際レヴェルのほっこりニュースをたくさん目にすることになる。毎日けっこう癒されております。
ラグビーのこの点は本当にすばらしい。今回のW杯はそういうニュースが飛び交っているだけでも大成功だと思う。
検査の結果、かなり厄介な骨折であり手術をすることに。これまで特に気にしていなかったが、厄年開始なのかと思う。
25歳の厄年は大学院でだいぶ苦しんだもんなあ。西新井大師での厄払いが足りなかったか(→2019.1.27)。南無三。
しかしまあ、消費税10%といい、骨折の件といい(→2019.9.24)、採用試験の不合格の件といい(→2019.10.2)、
順調ではない世界に落ち込んでしまった感覚はなんとならんのか。震災のときにも感じたことだが(→2011.3.17)、
今回は個人的な不幸の度合いが高いので、自分独りだけがドツボに別世界に飛ばされた感覚なのがちょっとつらい。
こういうときはあの手この手で強制的に前向きになるしかない。メンタルの強さを見せつけてやろうじゃねえか!
採用試験に落ちる(→2019.7.14/2019.7.29/2019.8.8)。個人的にはそんなに悪い感触ではなかったと思ったが……。
まあそれでもそんなに凹むことなく「リヴェンジしてやる!」という気持ちを維持できているのが救いなのか。修行だ。
都民の日である。生徒はお休みだが、われわれは出勤なのだ。生徒がいないからこそできる仕事に集中して取り組む。
◇
尾瀬でやらかした右手人差し指の骨折だが、学校近くの整形外科のレントゲンではちょっとよくわからない部分があり、
紹介状を書いてもらって学校近くの大病院で診てもらうことに。どうやら複雑な欠け方をしている可能性が高いようだ。
今までそれなりにあちこち骨折してきたが、今回はいちばんの大ごとになりそうな気配。いやはや、まいった……。