びゅく仙・この1ヶ月間の軌跡
・1年生の担当になるが、この学年の先生方が見事にベテラン揃いで、自分の次に若い先生が52歳
・休み時間にネクタイを引っ張られたり腕を引っ張られたり、さっそく女子生徒のおもちゃになる
・態度の悪い上級生に対し「おいクソガキ、ナメた口きいてんじゃねーぞ!」と怒鳴りまくり
・おかげで1週間も経たないうちに「ウチの学校で一番口の悪い先生」とあちこちで認定される
・奥襟をつかむ(軽くだよ、軽~く)のは体罰じゃないよね?
・「髪にワックスをつけている1年がいる」と職員室で話題になるが、その正体がオレと判明して職員室爆笑
・ネクタイの匂いを嗅いだ生徒から「独り暮らしの匂いがする……」と言われる
・中3女子から「せんとくん」とあだ名をつけられ憤慨
・授業中寝ているやんちゃ坊主の耳に息を吹きかけて起こす
・「次寝たら耳を舐めるぞ」と言ったら寝なくなったよ
・給食のときになぜか中1とドリフの話題で大盛り上がり
・「(嵐の)大野になら勝てる」と発言して女子から大ブーイング
・男子に悪口を言われた女子が泣き止まないので逆にこっちから人生相談をしたら泣き止んだ
・サッカー部(部員は3年が9名のみ)顧問就任1年目で新入部員ゼロ、いきなり存続の危機に
・サッカー部員と一緒に練習中、転んで地面に後頭部を強打し、その轟音に校庭にいた生徒全員がドン引き
・サッカー部員と一緒になってボールを蹴ってたら準備運動不足であっという間に肉離れ
・翌朝にはその噂が全校を駆けめぐり、生徒から「先生、肉ちぎったってホント?」と訊かれる
・女子から「どっちの足を肉離れしたの?」と訊かれて堂々と「真ん中の足」と答える
・気がつけばほとんど副顧問かってほどの頻度でテニス部の引率をしている
・英語の授業の挨拶で「グッモーニン、マスターまつしま!」に対して「Yes, I am.」(修士号を持っているので)
・PTAの飲み会で『あの鐘を鳴らすのはあなた』を熱唱しながら父兄と握手をして回る
・こないだまでランドセル背負ってた連中に「先生、ちゃんと婚活してんの?」と言われる悔しさったらない
・校長から呼び出されて恐る恐る校長室に入ったら豚インフルエンザ対策委員に任命される
・その理由は「家が近くて自転車通勤で簡単に学校に来られるから」
・各学年の女子生徒からまんべんなくキモイキモイの大合唱
・なんだかんだで結局、週に2回は飲んでる
こないだ、なぜか僕が引率したテニス部男子が区大会の団体戦で優勝したわけだが(→2009.4.19)、
本日はブロック大会ということでまたしても引率なのである。塾講師やってた頃の近所の中学校が会場。
正直、ちょっとブルー。学校で朝練をしていたというテニス部員たちは予定よりも遅れて会場入り。
それまでアホ面ぶっこいて会場をウロウロしていた僕としては、なんだよぉ~って気分である。
テニスコートの数が足りないので、もうひとつの会場ということで近所の別の中学校も押さえてある。
Bチームの面倒を見るように頼まれた僕は、1,2年生の部員たちと一緒に歩いてそっちへ移動。
わがサッカー部は結局ひとりも新入生が入らなかったのに対し、テニス部男子は5名とまずまずの人数。
そんな連中とあれこれバカ話をしながらもう一方の会場入りすると、さっそく試合となるのであった。「経験を積ませるのだ!」ということでルールもろくすっぽ知らない1年生が出たわけで、予想どおりに敗退。
ちなみに相手はダニエルさんの母校でした。倒せエリート!ってハッパかけたんだけど、
やっぱフォルトって言葉も知らない子どもに勝ち目はなかったようです。はっはっは。みんなで昼メシを食ってからAチームのいる会場に戻ると、準決勝が始まった。
僕もコーチの方の隣にちょこんと座って観戦させてもらったのだが、やっぱり指示が運命論的。
中学時代にテニス部の補欠の補欠をやっていたとはいえ、何を言ってるのかサッパリわからない。
でも生徒たちはその指示に納得してうなずいていて、なんとなく疎外感を覚えるのであった。試合はコーチの的確な指示を受けながらも、それを実現するまでに時間がかかってポイントを取られていく展開に。
一度不利な状況になるとその流れをひっくり返すことがなかなかできず、メンタルの弱さを露呈してばかり。
結局、1-2というスコアでこの準決勝で敗れてしまった。見ているこっちもガックリ。負けたチームが次の試合の審判をやる決まりになっているので、その後はしばらく会場に残る。
上級生が負けたにもかかわらず1年坊主どもは土の中から幼虫を掘り返しては遊んでいたので、
僕としては大いに不安な気持ちになるのであった。さすがのオレでも中1んときここまでバカじゃなかった。
そもそも考えてみれば、ウチのテニス部は試合中に声をそろえて応援するということがないのだ。
緊張しちゃうからあえてやってないとエースで部長の生徒は言うのだが、僕としては違和感でいっぱいだ。
で、審判が終わった後もなんとなく残ってて、夕方になってだらだらと解散。
どうにも学校全体がピリッとしない校風である(オレが言うんだからよっぽどだ)。
負けたのは悔しいんだけど、それ以上になんだか釈然としない気分になるのであった。
学校の先生方は各学年で「出発式」なる行事をやるようだ。
まあなんのことはない、学年ごとに集まって飲み会をやるわけである。僕が属する1学年は、見事にベテラン揃いなのである。僕がいちばん若くって、次に若いのが52歳。
それより年上の先生がほかに2名ということで、もうなんというか、気分はライオンの檻に入ったウサギ。
そういうメンツで飲むわけだから緊張しないはずがない(特に厳しい先生というわけではないのだけど)。
もう本当に、飲む前から胃が痛い。でもまあ、この状況をうまく歓迎していくしかない。ベテランの先生どうし、わりとツーカーな感じで話が進んでいくので、必死で頭を回転させて追っかける。
話題は移動教室のプランや宿の情報、また生徒の成績をどう上げていくかといったことが中心。
そして何より、上級生たちが学校生活の随所でだらしない面を見せているのが気に食わないわけで、
そういう校風をいかにして改善していくかということが最大の焦点となった。
ひとりだけ若手の僕としては(若いですよ僕は)、できるだけ生徒の中に入り込むことが使命となっている。
生徒の内側から学校全体を変えていく、そのきっかけづくりが求められているのだ。これは大役なのだ。
でもまあ、やるしかない。頼りないだろうけど、どうにかして賢いところを見せていかないといけないのである。
そんな具合に立ち位置を再確認。やたらめったら緊張したけど、いい機会を持つことができたと思う。
ふつうに単語テストをやるのも(僕が)つまらないので、BINGOの形で生徒に単語を書かせている。
5×5のマス目をつくり、下に日本語のリストをつけておく。生徒はその日本語を英単語に変えてマス目を埋める。
時間が来たらランダムで英単語を黒板に書いていき、縦・横・斜めのどれかで正解が5つそろったらBINGO。生徒たちはこの4月から英語を勉強しはじめたのだが、とにかくできない。
そもそも英単語が書けなすぎて、一人としてBINGOが成立しないのだ。これには参った。
(真ん中を「FREE」としているので、数学的には単語が4つ書けたらBINGOの可能性が出る。でも4つ書けない……。)
こんなもん、幼稚園ぐらいのときから見たことあるだろ!と思うのだが、やっぱり書けない。
しょうがないので地道にノートに書いて覚えるように指導。本当にこいつら大丈夫かよ、と心配は深まる一方。
久しぶりに秋葉原に行ってみた。
自転車だと気晴らしにちょうどいい距離だし(今回は肉離れのリハビリを兼ねたのだ)、
懐かしのゲームミュージックCDをあれこれ物色できるしで、わりと身近に感じる街である。
でも実際に来てみると、CDを物色した後は何もやることがなくって愕然とする、そういう街でもある。
せいぜいマンガの新刊をチェックして日記書いてハイそれでおしまいってことが圧倒的に多い。会社勤めをしていた頃は、セカンド自転車で秋葉原まで来て晩メシ食って帰る、ということがよくあった。
そんな当時のことを思い出してみると、広がりはないけど、それなりになかなか優雅な生活だったと思う。
今日はその頃によく晩メシを食っていた店でランチをいただき、あてもなく街をふらふらしてみた。
何の目的もなく本当に歩きまわるだけということで、実に贅沢な時間の過ごし方だった。飯田にいたときから何度か秋葉原に来たことはあったが、
初めてはっきりと秋葉原を目的地としたのは、確か高校3年のときのことだった。
高校の物理班の連中と高速バスに乗って秋葉原を目指したのである。
細かいことはもう覚えてないんだけど、まず真っ先に目黒寄生虫館に行って(当時の僕は寄生虫マニア)、
その後に秋葉原駅でうどんを注文して平らげた、というおバカな行動をとったことは記憶に残っている。
それからみんなで秋葉原の電気街を歩きまわり、オヤジから頼まれていた外付けハードディスクを安く買って、
満足して家まで戻ったのであった。田舎の高校生の純粋な思い出である。その後、大学に入学して国立に引越し、秋葉原はかなり近くになった。
トシユキに連れられて徹夜で新聞にくるまってパソコンを買ったのを皮切りに、
マサルと一緒に行って『蛍』をめぐって取っ組み合いのケンカをしたり、ファミリーベーシックを買ってみたり、
ちょびっとの役立つものとほとんどのろくでもないものをやたらめったら買った街である。
やっぱりどこか、秋葉原は魅力的だ。マサルはもし金がいっぱいあったら、ぜひ秋葉原に住みたいと言った。
「僕はアニメとかパソコンとか全然興味ないけど、なぜかここに来ると落ち着くんよね」(→2007.1.14)
そのことは僕も無意識に感じている。だからなんとなく、自転車で秋葉原に来てしまうのだろう。
喫茶店でボーッとしながらココアを飲んでいて、ふとそう思った。
お昼の番組に渡瀬マキが出ていた。LINDBERGが再結成したとかで、最近よく見かける。
渡瀬マキについてはいつかこの日記で書こうと思っていたのだが、すっかり忘れていた。
ちょうどいい機会なので、思っていることをテキトーに書いてみる。LINDBERGの全盛期はちょうど僕が中学から高校生のときで、クラスにもけっこう支持層がいた。
で、潤平が2枚ほどCDを買っていたので僕も借りてちょぼちょぼ聴いていたのである。
当時の僕のLINDBERGに対する評価はけっこう好意的だったが、渡瀬マキについては酷評していた。
「メンバーの書く曲には魅力的なものが多いが、渡瀬マキの歌が下手でもったいない結果になっている」と。
とはいえLINDBERGについてはわりと早い段階でMP3化してiPodに入れていた。
なんだかんだでやっぱり、『LITTLE WING』とか『BELIEVE IN LOVE』とか、
いい曲あるよなあと思っているのである。アルバム『LINDBERG VI』は渋い名曲が満載だし。さて、何年か前のことになるが、朝早く起きなければならないことがあり、テレビをつけたら偶然、
LINDBERGのライヴ映像が流されていたことがあった。懐かしいなあと思いつつ見ていたのだが、
そこでの渡瀬マキのパフォーマンスを耳にして、鳥肌が立ったのである。
ふつうライヴではスタジオ録音に比べてヴォーカルの音はズレるものである。生歌なんだから。
しかし、渡瀬マキのヴォーカルはまったくスタジオでのパフォーマンスと変わらなかったのだ。
上記のように僕は彼女の歌を評価していなかったのだが、圧倒的な声量でスタジオと同レベルを維持する姿に、
いや、これはすごい!と思わずにはいられなかった。むしろ本当はライヴ向きの歌手だったんだ、と思い直した。で、再結成されたLINDBERG。恐ろしいくらいに全盛期とまったく変わらない歌を歌っている渡瀬マキがいる。
彼女の歌はどんな状況でも、どんなに時間が経っても、絶対に劣化することがない。
それって実はとんでもないことじゃないかと思う。だから僕はLINDBERGと渡瀬マキを、けっこう尊敬している。
夜、PTAの会合があり、その後飲み会が開催される。
PTAというものがどういうものなのかまったくわからないので緊張しつつ参加したのだが、
結論から言えば会社の飲み会に礼儀を足しつつも非常にフランクな内容にした、妙な雰囲気なのであった。酒の席では適度に暴れられなければいけないのはどの職場も同じこと。
若手の先生方は少年隊の『仮面舞踏会』を歌えないといけない伝統があるようなので、覚えなきゃと思う。
で、僕もハジけないといけなかったので『GOLDFINGER '99』で応戦。頭が悪くてすみません。
それからこないだの歓送迎会で歌った『あの鐘を鳴らすのはあなた』も入れられてしまったので、
ディナーショー気分で校長や周りの父兄と握手をしながら歌うのであった。すっかり変人の仲間入り。うはー!と思ったのが、若手でなかなかイケメン(あっさりした岡田准一似と評判)の先生が歌いだすと、
PTAのお母様方がみんなケータイを手にして写真を撮りまくるのである。こりゃすげえなあ、と。
僕はマダムキラーな素質がまったくもって欠けているので特にどうってことはなかったのだが、
これはこれでなかなか大変である。うーん、面白いものだ。
本日は昨日と別の学校で研修。自転車を飛ばして会場へ。
今回の内容は社会人としての心構えというたいへん大きな迷惑である内容と、
区で独自にやっている教育メニューについての紹介。睡魔との闘いである。で、前半はどうにか体力がもってセーフ。後半は意外と面白く、眠気を感じることなく聞けた。
紹介された教育メニューについて、僕が体験できるのは来年以降になるのだが、
どれだけバカバカしくどれだけ効果的でどれだけ有意義なのか、正直けっこう楽しみだ。それにしても、研修ってのは上の人が自己満足のためにやるもんだから本当に面倒くさくて困る。
午前中はお休みをもらって病院に行き、肉離れの具合を診てもらった。
しかしあまりに軽症だったためか、医者の機嫌は終始悪かった。
昨日の時点ではしっかり痛かったわけで、それだけ僕の回復力が強いってことなのかなんなのか。◇
午後は区の教育会の総会が行われるので先生方みんなで別の学校へ。
僕が勤めている区は教育にかなり力を入れており、やたらめったら設備投資をがんばっている。
おかげで会場となった学校はずいぶんとゴージャスなのであった。呆れつつ会場の体育館へ。
地下の広い体育館いっぱいにパイプ椅子が並べられている光景はなかなか壮観。
やがて会が始まるが、その内容にまったく興味のない僕はすっかりグーグー。
それでも周りに合わせて拍手ができてしまうのが、自分でも呆れるところである。その後は教科ごとに分科会。研究授業を各学年ごとにやるんだそうで、
若手がやるようにとやんわり圧力をかけてくる。そのやんわりを必死に受け流して過ごす。
だいたい僕には研究授業ってものがわからない。これは教育実習のときから思っていることだ。
きっちりと台本を書いてそれを寸分狂わずになぞっていく研究授業というものは、
僕には生徒をモノ扱いして教師たちが自己満足している非常に気持ちの悪い行為に思えてならない。
授業はライヴなんだから、観客と一緒になってその場の機転で完成させるもんだろと、
演劇びいきの僕は考えているのである。とにかく、こういう類の教員の常識はいただけない。
結局時間切れということで、研究授業の担当者決めは次回に持ち越し。予断を許さない状況が続く。本当に、教師ってのは中途半端な知恵を持っているからタチの悪い生態をしている。
僕はバカと天才の両極端のどっちかを適宜使い分けるような人間でいたい。
能力的にほとんどバカにならざるをえないのだが、そっちの方がずっといいと確信している。
放課後、いつものようにサッカー部の練習に合流したのだが、
ウォーミングアップをろくすっぽやらないで参加したためか、ボールを蹴った瞬間に右足に激痛がした。
とにかく右足太ももの前の部分が痛くてマトモに走れない。きちんとボールを蹴ることもできない。
それでもどうにか練習を続け、利かない左足を使ってプレーするなどして必死に耐えて練習を終えた。
僕は今まで肉離れになったことがなかったのだが、いざ実際になってみると、これは非常につらいものである。家に帰ろうとしたとき、僕があまりに痛そうにしているのを見て、先生方が肉離れの応急処置をしてくれた。
非常に手際がよく、しかもていねいなテーピングをしていただいたおかげでずいぶんと楽になった。
部活動の世話をするということのすごさをあらためて実感。自分も同じことができるようにならないといけないのだ。
なんというか、いろいろと勉強させられた一日なのであった。
月曜日は授業が4時間連続である。これが非常に疲れる。
ほかの先生方はもっと忙しく、僕はハッキリ言ってかなり余裕のあるスケジュールとなっているのだが、
この地獄の4連発は本当にキツい。午後は抜け殻のようになって茫然と職員室に座っているくらいなのだ。
そしたら隣の席のベテランの先生から「大声でしゃべったら疲れるから、なるべくしゃべらないのがコツ」と言われる。
なるほど確かに、しゃべるという行為は思いのほかエネルギーを消費するのである。
特に僕の教科は英語なので、自分でしゃべらず生徒にしゃべらせればずいぶんと楽になるはずなのだ。
そうだなあ、バランスのいい授業をやるって点からしても、その辺はしっかり意識していかないとなあと思うのであった。
本日は頼まれてテニス部の引率をするのであった。
男子と女子で試合の会場が別になるので、男子の方を面倒を見るのである。
現地集合ということで自転車をかっ飛ばすが、途中で徒歩の生徒たちと合流。
のんびりあれこれ話をしつつ、会場となっている学校を目指す。
で、会場に着くと、慣れている生徒たちに各種の手続きを任せるのであった。
しかも生徒の親がコーチ(ほかの自治体で教師をなさっている)なので、僕の役目は応援くらいなものなのだ。まず先に個人戦が行われる。ウチのエースはこないだの試合で転んでなんと左腕を骨折しており、
ギブスをしてトスを上げるという有様。それでも優勝しちゃうんだからすごいもんである。
セカンドサーブは絶対にミスしないし、とにかく打ったボールがアウトにならない。
かつてテニス部で補欠にすらなれなかった自分には、似て非なるスポーツに思えるくらいなのであった。お次は団体戦。AチームとBチームの2チームを出しているので、僕はBチームの方の応援に。
あんまりひと気のない裏手のコートで試合が行われたのだが、どうにも動きが鈍い。
さっきの個人戦を比べると、みんなずいぶんヘナチョコな試合ぶりなのである。
しょうがないので顧問の座るベンチからゲキを飛ばし、お前ら雑にやるなと指示を出す。
そしたらどうにかいつもの調子に戻って本当にギリギリのところから逆転勝ちしたのであった。対照的にAチームは余裕の試合ぶりであっさり優勝。
僕もベンチに座って隣のコーチの指示を聞いていたのだが、まったくもって別次元。
このコースを狙ってドライブをかけて打てばあの相手はどうしてもアウトになっちゃうんだよとか、
まるで運命で試合展開が決まっているからそのとおりにやればいいんだ、って口ぶりなのである。
そんでもってそれがまたそのとおりになってしまうのだからすごい。
スポーツって、レベルが上がるとそういう領域になってしまうんだろうか。最後に記念撮影をしたのだが、なぜかなんにもしていない僕が周りのみなさんから押されてど真ん中に。
しかもなぜか優勝カップを持たされてハイチーズ。僕はサッカー部の顧問のはずなんですけど……。◇
さて、18時より新宿のロフトプラスワンで『へんな趣味 オール大百科』(→2008.8.2)のイベントがあるので、
自転車をかっ飛ばして五反田駅へ。そこから山手線で新宿まで行き、どうにか開演時間に間に合った。
地下2階の会場に行くと、すでにみやもり・ニシマッキー・えんだうがテーブル席に陣取っていた。
しかもみやもりさんは女連れである。これがまたふつーに美人である。そんでもってメガネっ子である。
「お前の人生は何から何までふつうでつまんねえなあ!」と言うしかない僕なのであった。イベントは「サザエさんじゃんけん研究」の人から始まった。
くだらないことも全力を出して続けていけば立派な芸になるわけで、その事実が堪能できる内容。
時間になって実際に当日のサザエさんをスクリーンに映してみんなで一緒にじゃんけんをやったのだが、
それまでの統計的なデータがまるっきり当てにならない結果となったのであった。僕は勝ったけどね!その後も「みかんの皮アート」「バカ馬券」「一人イントロクイズ」と続いたのだが、
(悪い意味で)最も強烈だったのが「笑っていいとも映り込み」。映り込み業界にはライバル関係があるらしく、
しかもそのライバル関係はよくわからないけどプロ野球の応援業界にもつながっているらしい。
確かに野球場ではけっこうな頻度でユニークさんを見かけるわけで、そういう人たちの領域なのか、と気づいた。
やはり『へんな人 オール大百科』になってはいけないのである。マサルもなかなか大変である。最後は珍地名探訪。リストを見てみると僕が行ったことのある場所がそれなりにチラホラ。
今回はテレビでは出せない地名を中心に、イベントならではの内容となっていて存分に楽しめた。
僕も県庁&市役所マニアの端くれとして、いつかイベントに出られるくらいになりたいなあと思ったことよ。イベント中にしっかり飲んだので、本日は特に二次会に行くこともなく解散。
新宿駅の構内で別れると、五反田まで戻って自転車で帰宅。有意義な日曜日だった。
僕はBAGEL&BAGELのベーグルを食いつつ日記を書くことがわりとあるのだが、
小麦の値段が高騰してからずっと、ベーグルの味が落ちたことをひどく残念に思っていた。
いつもプレーンを焼かずにそのまま食べるので、味の違いには敏感なのである。確かにおいしくなくなっていた。しかしながら今日久しぶりにベーグルを食ったら、元のおいしい味に戻っていたのである。
小麦の高騰も一段落したおかげだろうか。とにかく歓迎すべき事態である。よかったよかった。
先生方の歓送迎会が開催されるのであった。
雰囲気としては会社時代の忘年会にかなり近かったのだが、ホテルの小さめな宴会場だったので少し緊張。
昨年まで学校にいらした先生方からはあれこれ近況が語られて、なるほどよそはそんなもんなのかと思う。
この業界を知っていくうえで大いに勉強になる機会となった。それにしてもやっぱり特殊な業界だと思うわ。二次会ではみんなでカラオケになだれ込む。各先生方の圧倒的なパフォーマンスに笑いっぱなし。
歌って踊れる教師って、やっぱすげえな!と心から思ったのであった。
サッカー部の練習のおかげで筋肉痛なのである。足がかなり痛くて重い。
それでも若い連中に無条件降伏するのは悔しいので、意地で練習に参加しているのである。で、今日はこないだの試合の反省を踏まえて浮き球に競り合う練習をしたのだが、
その際に筋肉痛で足が知らないうちにもつれてしまい、転んで地面に後頭部を激しくぶつけてしまった。
グラウンドには轟音が響いたようで、当の本人は何がなんだかわからず起き上がったのだが、
サッカー部の連中はもちろん、隣で練習していたテニス部の連中も、みんな目を丸くして固まってしまっていた。
生徒たちは「コブとかできてない?」と心配してくれるのだが、表面的になんともないのが逆に怖い。
そんなわけで特別に困った症状が出ないことに不安になりつつ最後まで練習に参加。
「まあ、オレってもともと頭がおかしい人だしぃー」とか言ってられないんだけどなあ。怖いなあ。
いよいよもって1年生のおもちゃである。教育実習のときもそうだったけど(→2008.6.9)、
休み時間になると、特に女子が腕を引っ張ったりネクタイを引っ張ったりでからかってくる。
うちの学年は特に人数が少なくて総勢40名ちょっとしかいないのだが、
そのうちほぼ半数が休み時間に一気に攻め寄せてくるわけで、これはなかなか大変である。
遠くから見るとまるでハーメルンの笛吹き男に見えるんじゃないか、ってくらいにひっついてくるのだ。
一人の人間が一生のうちにモテる量には限りがあると思うのだが(モテ量保存の法則)、
もはや残り少ないそれをこんなところで消費していると思うと、なんだかとてつもなくブルーな気分になる。この歳で、将来娘を誰かに取られちゃう父親の気持ちをちょびっと味わうことになるとは思いませんでした。
切ないものであります。
本日のサッカー部はグラウンドが使えない日なので、学校内で筋トレやらランニングやらをして過ごす。
顧問としてはボールを使わない練習もきちんと把握しておかなくちゃいけないので、一緒になってやってみた。
ラダー(ハシゴ状のヒモを使って細かいステップをする練習)なんかはまるでダメで、やっていて恥ずかしかった。
でもその後のランニング(校舎内を平然と全力で走るのだ。イマイチ信じられないけど、この学校ではそれがふつう)では、
あまり長距離が得意でない生徒の後ろをぴったりマークしてコバンザメのごとく走るのであった。
それでもやっぱり、全盛期に比べると体がぐっと重く感じられて、体が衰えてしまったことに悲しくなる。
試合も終わり、サッカー部は通常の練習メニューに戻った。
僕もスパイクを無事に買うことができたので、初めてミニゲームに参加してみた。
最初は「オレが入っていいんかな? 下手だし」と思ったのだが、連中は遊んでくれる大人に飢えていたようで、
まったくもってスムーズにみんなでボールを追いかけるのであった。なんだか青春である。
僕にはボールを扱う技術がない。そのことが制約となって、攻めるときになってうまくアイデアが出ない。
サッカーの攻撃には、敵の守備を破ることができる技術に基づいた豊富なアイデアが必要なのだ。
でも守備は面白いくらい読めるので、相手のパスの出しどころを消し、いやらしくマークをしてプレー。
生意気にも僕の股を抜こうとしてくるヤツがいたので、「100年早いわ!」とカットしたりなんかして。
中学生と同レベルというのは、虚しいことでもあるし、楽しいことでもある。
生徒の中に混じって給食を食っていると「オレは大丈夫なんだろうか」と思わないこともないのだが、
まあとりあえずはポジティヴにとらえてやっていくことにするのである。
毎度おなじみ、オヤジが上京してきたのでそのお相手。
スーツの整理やら何やらを済ませると、新宿へ出て買い物をする。
僕はサッカー部の活動でスパイクが必要なので、それをまず買うことに。
なんせ特殊な形の足をしているため(超幅広で超甲高)、きちんと合うスパイク探しで四苦八苦。
おまけに1万円以上の買い物には異常に緊張する小心者なので、汗びっしょりで選ぶのであった。
結局、アンブロの遠藤(G大阪)モデルを購入。せっかく買ったからにはガシガシ使っていこうと思う。
その後は新宿ハンズでオヤジの自転車のパーツ探し。しかしハンズの品揃えは半端ではなく、
どれを買えばいいのかわからずにギブアップとなるのであった。働いてみるとハンズの凄さがあらためてわかる。
で、西新宿のドトールであれこれダベって解散。別れ際、「きちんと日記書けよ」と言われる。
この仕事になってから、日記をアップするのに必要な慎重さが飛躍的に増えたので、
更新頻度が落ちるのはしょうがないことなのである。日記どころじゃない日だってあるわけだし。
でもまあ、メモはちゃんと残しているので後で困るようなことはない。適度にやっていきます。
サッカー部は本日、春の区大会1回戦である。顧問の柔道の先生に連れられ、自転車で会場の学校へ。
受付でほかの学校のサッカー部顧問の先生方と挨拶。みなさんいかにも体育会系のいかつい人ばかり。
正直、間違えて警察のサッカー大会運営本部に来ちゃったんじゃないかと思ったくらい。
まあ、体育教師なんて学校における警察のようなものだから、そんなもんなんだろうけど。さて、はっきり言って、うちのサッカー部は激弱である。
まず部員が9人(しかも全員3年生)しかいない。残りの2人は柔道部から借りている。
そして0-8、0-10、0-12など、毎回そんなスコアで負けているとのこと。
「でも最後まであきらめずに走るのがうちのいいところ」だそうだ。それならまあ、悪くないなあと思う。体育科の講師の先生も合流し、11人の生徒に3人の先生がつくという豪華な体制で打ち合わせ。
GKにキック力がないのでDFがゴールキックを蹴り、そのままスイーパーとして残る作戦が採用される。
中学生のサッカーなので、そんなプロのようにキレイにはいかないものなのだ。ま、しょうがあるまい。そしていざ試合が始まると、とにかく選手どうしの間隔が狭い。狭いエリアに集まってゴチャゴチャやっている。
これはうちの学校のグラウンドが狭いことに起因するとのこと。広く使うやり方がわからないんだそうだ。
ひどいときにはフィールドの1/4にフィールドプレーヤーが全員収まってしまうことも。
狭いエリアを細かくつないで前に進めるのならいいが、ミスが多くてなかなか思うように動けない。
まるで悪いときの甲府のサッカーを見るようだ。で、ポロポロとあっけなく失点して前半終わって0-4。ハーフタイムに僕も指示を出すように言われたので、DFがひとつのプレーが終わると集中を切らす点を指摘。
いったんクリアしたからといってホッとしてないで、すぐに次のプレーに入るようにと、ごく当たり前のことを言った。
そのおかげかどうかは知らないが、後半に入ると簡単に裏をとられる場面は激減した。
そしてFKを直接決めて1点を返した。ベンチでは大の大人が3人並んでガッツポーズの大騒ぎ。
なんでも、このチームで得点したのは初めてのことなんだとか。もうどれだけ弱いんだか。
結局、最後まで気を緩めることはなく、スコアは1-4で終了。後半だけ見れば無失点で勝っていたわけで、
これまでのことを考えると、これは奇跡的な大健闘なのである。生徒もそれなりに自信をつけたようだ。学校近くの店まで戻って昼飯を食おうとしたら、別の部活の顧問の先生と偶然合流。
その先生もサッカー部の奇跡の健闘に驚くと同時に喜んでくれたのであった。
いやー、負けたとはいえ希望の光が見えたのはよかったよかった。
サッカー部の練習に参加した。ここの顧問になるおかげで採用されたようなもんなので、やる気である。
といっても、スパイクをまだ買っていないので、ほんのお遊び程度で体を動かしただけなのであった。
うちのサッカー部は柔道を専門にしている体育の先生がもともとの顧問で(つまり今年から顧問2人体制)、
その先生にあれこれ基本的なことを教えてもらうのであった。
軽くボールも蹴ってみたのだが、予想していた以上に左足がまったく利かない。
インサイドキックをしてみても、あまりに利かなさすぎてキックの面がフラットにならず、
ボールはあさっての方向に飛んでいくばかり。もう本当に申し訳ないのであった。
とりあえず、毎晩左足のキックを素振りしようと心に決めるのであった。いやお恥ずかしい。
早くも上級生(特に女子)にからかわれはじめる。
恥ずかしながら、パワフルに押されまくってこちとらタジタジなのである。
この日は新入生向けの部活説明会があったのだが、そこで待機室の監督をやっていたら、
いろんな部活のいろんな生徒からワーッと質問攻めに遭うのであった。
そんでもって向こうのペースに乗せられて四苦八苦。すっかりいいおもちゃになってしまった。
まあ、遊ばれるのも嫌いじゃないんですけどね!
新入生たちの顔つきを眺めた後でふと鏡を覗き込むと、そこにおっさんがいることに落胆する。
自分では若いんだと思っていても、冷静になってみればもはやそんなことはなくなりつつある。
なんとかうまい歳のとり方をしていかないとなあ、と思うのだが、それすらも何か悲しく思えてきてしまう。
比べる相手を間違っているのは事実なのだ。あれこれ苦しみながらいろいろ考えて、何かを見つけていきたいものだ。
入学式である。
1年生の担当(担任ではない)になる僕は式が終わるまで新入生がどんな顔つきをしているのか見ることができない。
好むと好まざると、(おそらく)今後3年間運命をともにする仲間である。けっこう気になる。
時刻になり体育館に入ると案の定、上級生がふざけている。新入生の親たちがいるのに平然とふざけている。
この神経がまったくわからない。どうやってこいつらの根性を叩き直してやろうかと思っているうちに、新入生の入場。
制服を着ているというよりも制服に着られちゃっているようなちっこいのがゾロゾロ現れる。
うーむ、中学校かー。中学校なんだよなー。あー。などと思うが、就職できただけ御の字なので文句はありません。
担任であるベテランの先生が名前を読み上げたりありがたいお話を聞いたり歌を歌ったりして、式は無事に終了。
その後は教室で軽く今後の説明があり、体育館に戻って記念写真を撮影して生徒は午前中で帰る。
午後は職員室で教科書を眺めつついろんなことを考える。いやー、人生流されるままに生きてるねー。
本日は始業式ということで、いよいよ学校の生徒と初対面。
ドキドキしつつ体育館に入ったのだが、まあなんというか、初っ端から大いに呆れた。
厳粛にすべき場だということをまったく理解しておらず、式が始まっても一向にしゃべるのをやめようとしない。
初対面の人がいてもお構いなしにふざけられるその神経がまったくわからない。
オレがいた当時の東中だったらぶっ殺されてるぞこいつら、と思いつつ怒鳴るのをガマンしたのであった。
礼儀にうるさい教師だなんてまったくガラではないのだが、どうもそうならざるをえない環境のようだ。
よりによってこのオレが礼儀を子どもたちに口うるさく教え込むとは。なんの笑い話だこれは。
なんせ休みはこの土日だけなので、一晩寝たら家を出て東京に戻るというあわただしさである。
今回の実家の記憶は、「居間で見た『オールスター大感謝祭』の竹若」ぐらいしかない。
あとは「『オールスター大感謝祭』のローション相撲で小川直也に勝った次長課長・河本をcirco氏が妙に絶賛」。
ホントにそんなレベル。時間があれば飯田市内の桜めぐりをやってみたかった。写真は桜並木。
さてウチの実家ではどうも伊那・駒ヶ根のソースカツ丼めぐりが趣味になってきているようで、
昼飯に駒ヶ根でソースカツ丼を食うのであった。店は繁盛しており、地元B級グルメの強さをあらためて確認。電車賃をできるだけ安く抑えるためか、茅野から電車に乗るのであった。
発車時刻まで余裕があったので、茅野駅に隣接した商業施設を覗いてみる。
地方都市はデパートがガンガン撤退していて猛烈な空洞化が進んでいるが(特に岡谷の惨状は目に余る)、
茅野の場合はそれが底を打って安定状態になっている印象である。こぢんまりと店が並び、雰囲気は悪くない。
ただやっぱり、ウチの家族の感覚からすれば、本屋がないというのは非常につらいところである。特急あずさで新宿に着いたら、ひたすら買い物。学校で使うジャージを買い、文具を買う。
休日夕方の新宿は、とにかく混んでいて困る。ホントに人が多すぎる!◇
夜に潤平が訪ねてきて、就職祝いってことで、『鈴木先生』をプレゼントしてくれようとしたけど断った。
ごめんなさい、オレ本当にあのマンガが大っ嫌いなんです。ものすごく嫌いなんですよ。生理的にダメ。
受け取れないっていうことに悪気はないんですホントにすんません。あのマンガだけはカンベンしてください。
毎度毎度、バヒさんにはお世話になりっぱなしである。
いつもいろんなところに連れて行ってもらい、そのたびに楽しい思いをさせてもらっている。
今回は「今の季節、この場所でしか食べられないものを食べよう!」ということで、
政令指定都市化した静岡の一部となった由比の港でサクラエビを食べることになったのであった。さて由比に行くにあたってバヒさんの車に乗るわけだが、実物を見てびっくり。
左ハンドルで座席が2つしかなくってオープンカーなのである。この男いったいなんなんだ、と茫然。
詳しくは書かないけどバヒさんには数々の「前科」があるわけで、大いに不安な気持ちになる。
しかしバヒさんはそれなりに相当な覚悟を持って乗っているようなので、まあしょうがない。
穏やかな春の日差しの中、風を感じて快調に西を目指すのであった。うーん、確かにいい気分。空飛ぶ湯船に漬かっているような気分でした。
由比港に着いたときにはすでになかなかの長さの行列ができていたのであった。
やっぱり今の季節の日本のこの場所でしか食えないシロモノなので、観光客が群がらないはずがないのだ。
みんなの目的は、漁業組合か何かが運営している店のかき揚げ丼である。
丼は使い捨ての器で出てくるので、屋台にちょっと毛が生えたようなものなのかと思ったのだが、
みなさんの食べている様子をみると、さすがに本場の素材を使っているためおいしそうなのである。
バヒさんと一緒に30分以上呆けて待っているうちに、どうにか注文できる番がやってきた。
L: 由比港。たぶんサクラエビ漁をする船がずらっと並び、観光客は道路を行った先でかき揚げ丼目指してずらっと並ぶ。
C: サクラエビのかき揚げ丼(ご飯大盛)。さすがにやっぱり本場だけあって、味が濃い。
R: こちらはバヒさんが食べた由比丼。ゆでたシラスと生のサクラエビという由比の二大名物を同時に味わえる逸品。ふたりとも無我夢中でおいしくいただいたのだが、食べてみて共通で思ったことは、
「由比丼+かき揚げ1枚というのがいちばん通な食べ方だねえ」ということなのであった。
サクラエビを生でもかき揚げでも味わえるということで、ぜひまた来たときにはそうしようと固く誓ったのであった。その後は由比港周辺をしばらく散策。東海道線の線路の下を通るちょっとした地下通路があり、ふたりで探検。
地下通路は軽いダンジョン気分で、そこを抜けて北側に出ると実にのどかな田舎の風景。
かつて幼稚園時代に暮らしていた上飯田での生活をちょっと思い出した。
春が来て道端の草が花を咲かせており、「いいもんですなー」などと言いつつのん気に過ごすのであった。春でございます。
その後は沼津に戻る。桜の季節ということで、富士通が桜でいっぱいの構内を一般公開していたので軽く立ち寄る。
沼津駅で降ろしてもらってバヒさんに礼を言って別れる。おかげで沼津には楽しい思い出しかないでございますよ。
で、電車の時刻まで少し余裕があったので、駅周辺のデパートをちょこちょこ歩きまわってみる。
沼津の西武は泣けてくるほどに客がおらずスカスカ。向かいの新しい静鉄もテナントがまったく充実していなかった。時間になり、改札を抜けて東海道線に乗り込む。富士駅周辺の工場地帯を撮影してみようとデジカメを構えるが、
電車のスピードは思ったよりも速くてなかなかうまくいかないのであった。難しいものである。富士駅到着直前。工場というのも奥の深いものだ。
富士駅からは身延線。特急に乗らないと時間的に苦しいので、泣く泣く特急券を買う。今回の移動は散財である。
身延線に乗っている途中から天気が悪くなり、雨がポツポツと降り出した。そうなると車窓の風景も楽しくなくなってしまう。
甲府に着いたときにはしっかりとした雨になっていた。電車の時刻に余裕があったので、街をフラフラ歩くことにした。さて甲府に来るのも久しぶりのことである。
去年の今ごろは青春18きっぷを使って小瀬に入りびたっていたが(→2008.3.9/2008.3.16/2008.3.23/2008.4.6)、
今年は経済的な余裕がまったくないのでまだ一度も来ることができなかった。そんでもって急遽採用が決まったので、
おそらくこれからは時間的な余裕の面から来ることができなくなるだろう。うれしいような、悔しいような。
そんな気持ちを抱えつつ、ヴァンフォーレ甲府のオフィシャルショップへ。のんびりとグッズを見てまわる。
今年の甲府はなんと堅守を武器にしてそこそこの位置につけている。攻撃の魅力からファンになった人間としては、
正直なところちょっと複雑である。でもクラブの皆さんも理想的な攻撃への意欲はしっかり持っているようなので、
そこんところに期待を込めて、2つ3つほどグッズを購入するのであった。甲府駅に戻ると中央本線に乗り込んで小淵沢へ。そこからさらに乗り換えて長野県に入る。
岡谷駅で降りて改札を抜けると車で迎えに来たウチの親がいた。なんだか久しぶりに見る気がする。
今回、わざわざ岡谷に迎えに来てもらったのは、飯田に戻る途中の伊那でピザを食う、そのためなのである。
伊那へと向かう途中では、僕が採用された中学校についての質疑応答。
まあなんにせよ、決まってよかったよかった、といった感じでのやりとりとなった。
で、久しぶりの伊那のピザは、やはりおいしいのであった。今回は本当によく食べたと思う。そこからさらに飯田に帰る道は、信じられないほど濃い霧に包まれていた。
車のライトが空気中の水滴で拡散して何も見えない中、circo氏は慎重に運転をするのであった。
助手席にのんびり座っているだけの僕でもどっと疲れてしまうほどで、いやまあ本当にお疲れ様でした。
やっぱり今日も、朝は区役所で研修。
午後はぼんやりと授業の方向性を考えてみたりして過ごす。◇
さて夕方になって学校をあとにすると、急いで家に帰って支度をする。
この土日を利用して実家に帰り、あれこれ報告しておこうというわけである。
しかしここんところ旅に出られなかったフラストレーションもあるので、軽く寄り道をすることにした。
沼津のバヒさんのところで一泊してから飯田に戻ることにしたのである。最初はすべて鈍行で済ませる予定だったが、沼津に着くのが遅いとメシが楽しめない。
それでは沼津に行く意味がないということで、泣く泣く新幹線に乗ることにした。
熱海まで新幹線のつもりだったが、乗っている間に電車の接続を勘違いしていたことがわかり、
結局終点の三島まで新幹線に乗った。乗り越し料金を払おうとしたのだが、
熱海までと三島までの新幹線料金は同額だったのでそのまま改札を抜けることができた。ラッキーである。沼津に着くとバヒさんがお出迎え。一緒に市街地を徘徊し、小洒落た店に入る。
外国のビールを飲みつつ一品料理をつまみながらあれこれ雑談。
バヒさんは今年の僕のエイプリルフールにしっかりと引っかかり、本気でヘコんだそうな。
(今年のエイプリルフールではトップページにウソの結婚報告を載せた。「看病してくれた」とか、ウソに決まっとるやん。)
入った店はどの料理もまあまずまずだけどちょっと味付け薄くてお上品すぎるね、といった印象だったが、
ブイヤベースのスープを使って煮込んだリゾットが群を抜いてうまかった。
魚介のダシがうまく出ていた格好で、この料理だけ味の繊細な奥行きがものすごく、
バヒさんとふたりで「こいつはすげー! あとはふつー」と言いつつおいしくいただいたのであった。さて、第2ラウンドはいよいよお楽しみのバーである。沼津に来るたび、ここに行かずにはいられない。
ずらりと見事に並べられた酒瓶を眺めていると、歴史ある図書館にいるような気分になる。
そしてカクテルをつくる様子は、現代によみがえった錬金術のように思えてくる。
今回もただただ、すげーなーと圧倒されるのであったことよ。
つまみもまたすごい。スナック菓子のように揚げられたパスタは、噛むと小麦の風味がする。
「これはクセになりますなー」と言ってたら、「クセになるようにつくってますから」とのお返事。
そういうセリフをさらっと言えるってことがすごいよなーとまた感心。だいたいバヒさんと同じペースで飲んでいったのだが、さすがに4杯目はキツかった。
足元がだいぶフワフワするほど酔ったのだが、気持ち悪くなることはまったくなく、
やっぱりいいですなーとホンワカしているうちに寝たのであった。極楽極楽。
朝は区役所で研修、午後は学校で雑務。
まだまだ仕事のやり方がわからない。春休み中ということもあり、すべてにリアリティがない。
かといってリアリティを感じたときにはすでに僕は「先生」と呼ばれているわけで、
教員としての責任が情容赦なく発揮されている状態となっているはずなのである。
まあ、グダグダ言わんと一生懸命やっていくしかないのであります。
朝に区役所で任用の式典があった。7時半過ぎに集合で、式次第の説明と軽い練習の後に本番。
声をそろえて宣誓書を読んだのだが、まあなんというか、小学校みたいだな、と。
終わったらそのまま学校へ。同じ学年をもつ先生方と初顔合わせである。教員という立場になってみると、とにかく書類での確認事項の多さにびっくりした。
学校ごとの伝統というか様式があるので、何をどうすればいいのかまったくわからん。
地道に慣れていくしかないのだろうが、急いで慣れるというのもできないことだし、難しい。夜は歓迎されて飲み会へ。先生方行きつけの近くの寿司屋へ行って飲む。
あれこれ雑談をしつつ情報収集。学校のクセを自分なりにつかもうと必死になる。
またその一方で、早めに飲めないっぷりを披露しておくべきだろうと考え、わりと積極的に飲む。
おかげで2次会ではグデングデンになって、倒れかけのコマのようにぐるぐるしていたのであった。
ヨタヨタになりつつもどうにか帰り、わりと近い職場でよかった……と思いつつ寝た。