某お手手渋谷店でのバイト最終日である。
意外なほど淡々と時間は過ぎていき、拍子抜けするほどあっさり仕事は終わった。
「終わりってのはいつもあっけないもんだ」とは『ストッパー毒島』に出てくるセリフだが、まさにそんな感じ。
きわめて“ふつう”に、区切りの日は終わってしまった。最初は足ばかり引っ張っていたのだが、中盤以降はどうにか慣れ、ある程度問題なくこなせていたと思う。
しかし最後のところがものすごいドタバタで、店の人たちにはやっぱり迷惑をかけてしまったように感じている。
実際のところは皆さん言ってくださったように「書き入れ時に助かったー」と思われているのかもしれない。
でも個人的には甘えずにきちんと反省しておきたいところである。明日からの採用が決まったことで、当初の僕の思惑どおり、これが最後のアルバイトとなった。
この歳になってこれだけの期間、さまざまなアルバイトを経験できたことは、ものすごく贅沢なことだと思っている。
確かに経済的にはキツいし、将来へのものすごい不安にさいなまれたことも数えきれない。
しかしそれをふまえても、僕としてはやっぱり「贅沢な経験」としかまとめようのない貴重な時間だった。
そのような機会を与えてくださったすべての方々には、深く深く感謝をしている。
となれば、問題はその「贅沢な経験」を今後どのように消化していくかである。
目の前にはまたもや予測のつかない人生が横たわっているのだが、今後やってくる刺激に対して、
以前の僕とは違う成長した反応ができるように、このたびの経験を通じた考えを深めていきたいものだ。アルバイト卒業記念に食った兆楽のチャーハン大盛。
おいしゅうございました。
◇
家に帰ると、明日はエイプリルフールということでネタを用意しなくちゃいけない(別に義務というわけでもないのだが)。
しかし凝ったことをやる時間もない。さてどうしようか、と思いつつ風呂に入ってウンウンうなる。
そしたらウソ結婚報告を思いついたので、風呂から上がって必死で文面を考えたのであった。
作業を始めたのが日付が変わる15分前で、そこから勢いに任せて書いたのでかなりデキは粗い。
それでもどうにか書き終えてアップする。書いている途中に何度か虚しい気分になったが、気にしない。
チェックを終えるとさっさと寝る。明日からは、今までとはまったく違う生活が待っているのだ……。
実写版の『ヤッターマン』を見に行く。お目当てはもちろん、深田恭子演じるドロンジョ様である。
僕は深田恭子のことがあまり嫌いではない。この「あまり嫌いではない」という表現は、
世間一般で言うところの「わりと好き」ぐらいの位置に属する。僕は芸能界の事情に疎いので、こんな表現になるのだ。
では深田恭子のどんなところが好きなのかというと、ズバリ、眉毛である。
あの眉毛の形が、なんとなく初恋の子の眉毛に似ているように思えて、気になるのだ。
そんなわけで僕は、深田恭子の眉毛フェチという実に異様なポジションにいる人間なのである。いくつか予告編を強制的に見させられ、「NO MORE 映画泥棒」の見事なパントマイムを見て(見るたび毎回感心する)、
『ヤッターマン』の本編が始まって、気がついた。ドロンジョ様は仮面をしているから、眉毛が見えない!
オレは深田恭子の眉毛が見たくて1800円出したんだぞコラ!と心の中で叫んでももう遅い。
非常に残念な気分になりつつも「まあいいや福田沙紀も嫌いじゃねーし」と素早く切り替えるポジティヴな僕なのであった。感想としては、期待していたほど面白くなかった。
期待といっても大いに心を躍らせてウキウキワクワクしていたというわけではなく、
「これくらいは楽しませてくれるんじゃないか」というラインを心の中で引いていたというだけのことなのだが、
残念ながらそこまでは届くことがなかった。CGもキツすぎたし、どうも最後までノリきれず。
いちばん得をしたのは生瀬勝久だなあ、と思うのみである。役柄の殻を破れなかったケンコバ残念。
終わり方というかラストシーンはあれで正解だと思う。そんなふうにところどころでチラチラ笑えるだけに、
「もっと面白くできただろうに」という感じがつねに漂っていたのがもったいない。次やるときはぜひともドロンジョ様の眉毛を見せていただきたい。
異動の季節なのである。わがフロアでもけっこう大々的な異動があり、仕事が終わってから飲み会が開催された。
バイトながら僕も出て行っちゃう側の人間ということでお呼ばれしたので、参加したのであった。ふだん忙しいからなかなかプライベートについてじっくりと話す機会がなく、いろいろと新しい発見があった。今さら。
職場を離れる本当に直前になってやっとわかっても、それは残念なことでしかないのである。
それぞれの方の趣味の話や生活の話などで盛り上がり、あーなんだよそうだったのかーと思うことばかりで、
今後そういう深く知った面をうまくやりとりする機会がなくなることに、なんだか悔しい気分になるのであった。
「サヨナラだけが人生だ」とは『幕末太陽傳』の川島雄三監督の言葉だが、それが猛烈に染みてきて、実に切ない。しかしまあ、人間がいちばん面白いなあと思う。
世の中にはいろんな面白いことがあるんだけど、生きている人間がいちばん面白い。
生きているだけにものすごく面倒くさいことも多いのだが、うまくハマればこれより面白いものはないに決まっているのだ。
そういう「うまくハマった」場面をできるだけたくさん引き出していくにはどうするべきか、
そんなことをぼんやりと考えながら自転車のペダルをこいで帰った。
レジで仕事をしていると、レジという場所におけるコミュニケーションについて非常に勉強になる。
買い物をするということが信頼関係に基づく行為であることが、容易に理解できるのである。
レジにおけるやりとりをひとつひとつ検証していくことで、それについてあらためて考えてみたい。まず、客が商品を手にしてやってくる。店員は「いらっしゃいませ」と挨拶。この時点では商品は店のもの。
レジの台に商品を置くことで、計算がスタートする。店員は買い物の点数と合計金額を客に告げる。
すると客は財布から金を出し、トレイの上に置く。トレイがない場合はしょうがないが、
トレイがある場合はそこに金を置くのが礼儀。投げ捨てるように札や硬貨をバラまくのはもってのほかである。
店員はトレイごと金を預かるのだが、ここでの日本語が非常に重要なのだ。
たとえば1980円の商品に客が2000円出した場合、店員は「2000円お預かりします」と言う。
そしてお釣りの20円を返すときに「20円のお返しです」となる。つまり、代金よりも多いお金を渡されたら、
店員はそれを“いったん預かる”のだ。その後、代金との差額分をお釣りとしてお返しするということなのだ。
もし1980円ちょうどを客が出した場合には、そのままもらうことになるので、店員は「1980円頂戴します」と言う。
この時点で商品は客のものとなる。店員は丁寧に包んで客に品物を渡す。そんなわけで、レジにいると言葉や道具などから、買い物をするということの本質を勉強させられる。
商品と代金が釣り合うようにする、その大前提を守るために、ひとつひとつの洗練された様式ができている。
金品を交換するという行動は、本質的に信頼関係に基づいてなされるコミュニケーションである、と実感させられる。
当たり前のことかもしれないけど、今まで実際にお金の重さに触れることがほとんどなかった僕には新鮮だった。
現代社会では、お金というものがどんどんリアリティを喪失していっている。ここで学んだことをしっかり覚えておきたい。
午前中は中学校に出向いて校長と面談。
校長も昨日の朝、区役所からのメールで事態を知ったらしく、なんとも奇妙な面談なのであった。校長の話を聞いているうちに、いろいろと細かいことがわかってきた。
新入生が少なく、1学年2クラスを維持するのがギリギリという状況になっていること。
その状況を打開する方策のひとつとしてサッカー部の存続を決めたこと。
そういうわけで、サッカー部の面倒を見られる男手が欲しかったこと。
話を聞けば聞くほど、自分の悪運の強さに自分で呆れるのであった。
まあとにかく必要とされて呼ばれたことは確かなので、それに応えてがんばるしかない。午後になり、バイト先に移動。急に話が決まった今回のことについて、皆さんに説明しつつ仕事。
ついこの間までは「ここでの生活もいつまで続くんだろうか……」と思いながら過ごしていたのに、
もはや「ここで働くのもあとわずかのことなんだ……」と思う生活にガラリと変わってしまった。
この変化は本当に奇妙なものだ。しかし、どうすることもできない。受け入れるしかない。
休憩室で「人生ってなんなんずら」と思いつつカスタードワッフルをかじり、不二家のネクターを飲む。
こういうことができる日も、あとわずかである。
朝イチで動きまわる。まずは病院で健康診断をして、書類を書いてもらわねばならない。
毎度おなじみ大岡山駅の上に乗っかってる病院に行ったら、即日診断・翌日発行は絶対に無理だとあっさり断られた。
そりゃそうだと思いつつも、地域住民のことをぜんぜん考えてねえなあ東急と悪態をつきたくもなった。ケチくさい。とはいえ近所の病院を紹介してもらったので、そっちに連絡をとってみる。そしたらこっちは無事にオーケー。
しかもその場で診断書を発行できますってことで、さっそく診てもらったのであった。
(区役所からの通知を見た医者は、あまりにムチャなスケジュールに呆れていた。)
しかし問題は診断書の書式である。昨日もらった通知には特に書式が指定されていなかったので、
とりあえずいちばん簡単なもので出してもらったら、僕の名前と生年月日に続いて、
以下のような文が印刷されたB5の紙が出てきた。「右者法定伝染病・結核性疾患・トラホーム・性病・てんかん・精神病者・
皮膚病・其他伝染性疾患又は覚醒剤・麻薬及大麻若しくはあへんの中毒者
でなく・目が見えない者・耳が聞こえない者・口がきけない者・心神耗弱者・
アルコール中毒者でないことを診断します」なんじゃこりゃ、と思うしかないのであった。今どきこんな書類が存在するのかよ。
さて続いては住民票である。近所の区役所出張所に行って申請。無事にもらえた。
よかったよかったと家に帰って一息ついたが、さすがにさっきの診断書の内容がどうにも不安に思える。
担当者に電話をかけて確認してみたら、レントゲンと血圧の項目がないとダメとのことで、
もう一度さっきの病院に戻って追加の診断を受けることになるのであった。なんとも間抜けである。
ところで僕は病院で血圧を測るたび、脈拍の数値が少ないのでいつも「何かスポーツしてます?」と訊かれる。
「これから毎日サッカー漬けになります」と答えるのであった。ニンともカンとも(ちなみに今回の数値は48だった)。どうにかちゃんとした診断書を出してもらうと、そのまま東工大へ。大学院の修了証明書をもらうのだ。
近所に住んでいるのに東工大の敷地に入るのは久しぶりである。そしたらちょうど、卒業式のタイミングだった。
桜の木はいっぱいにつぼみがついており、もうすぐ咲こうかというところ。春らしい陽気の中、皆さんうれしそうである。
僕は9月に誰からも祝福されることなくひっそりと大学院を修了したので、正直ちょっとうらやましかった。
おぼろげな記憶をたどって窓口へ行き、証明書を申請。月曜に直接、取りに来ることになった。最後はいよいよ、国立へ移動である。けっこう久しぶりに西への道をひた走る。
国立に入ると、まずはお馴染み谷保天満宮でお参り。菅原道真公にお礼を言うのであった。
そして大学通りをまっすぐ北上し、一橋大学へ。さっきと同じように書類を申請してどうにか任務完了。
生協西食堂が開いていたので、そこであれこれ書類を記入したり、校長に電話をかけたり。
一段落ついたところでスタ丼を食らう。かつてと比べると薄い味にすっかり慣れてしまった感じである。中央線の工事が終わったようで、国立駅の様子は以前とはまったく違ったものになっていた。
僕は以前の三角駅舎にはまったく思い入れがなかったのだが(取り壊しても構わないと思っていたくらい)、
埼京線などのように、高架のホームがそのまま駅舎として使われているような駅はまったく好きではない。
新しい国立駅は色気も何もなく、かといって洗練された美しさがあるわけでもなく、
前よりもいっそうどうでもいい駅舎になってしまった。まあ、どっちみちどうでもいいんだけど。
L: 毎度おなじみ谷保天満宮。HQSメンバーにとっては御用達の神社である。
R: 新しくなったJR国立駅。後ろのマンションといいこの駅舎といい、10年前からは劇的に変化した。なんだかいろいろ疲れてしまったので、さっさと家に帰ってじっくり休んだ。
これからは怒涛のような毎日になるわけで、ちょいと不安な気持ちになるのであった。
夜、電車に乗って某区役所へ。指定された時間よりも15分早く着いて、隅っこの部屋に待たされる。
そしたら区の担当者が現れ、「マツシマさん、採用が決まりましたら、部活動をやってもらえますよね?」と訊いてきた。
「ええまあ、それは重要な仕事だと理解しております」的な受け答えをしたのだが、妙に熱心にこの点について訊かれた。
思えばこの時点で、すでに運命の歯車はフルスピードで回転していたのであった。後になってわかったのだが、今年は正規の合格者が採用されるペースにもバラつきがあったようだ。
おかげで期限付任用も正規の人もいっしょくたの集団面接なのであった。偉い人が直々にあれこれ訊いてくる。
詳しい内容をここで書くのもどうかと思うのでぼかしておくが、僕の履歴書を見たその偉い人は、
僕に対してさんざん「お前、変人だなあ」と言ってくるのであった。否定できない事実なので、「はいそうです」と答えた。
「父も変人で、そういう家系なんです」「やっぱりお前は変人だ」
で、採用。面接終了後に内定した勤務先について区の担当者から軽く説明を受ける。
僕の場合、何よりもまず顧問をやることになる部活が決定しているという、ちょっと信じられない状況なのであった。
(でも実際に教育現場に行ってみれば、これはそんなに奇妙なことではない。それほど部活動は岐路に立たされている。)
そんなわけで、右も左もわからないのに今後しばらく、育ち盛りの連中とサッカー漬けの毎日を送ることになった。
まあ確かに、ここ2~3年でこの日記のサッカーの話題が多くなってきてはいたが、なんというか、運命とは不思議なものだ。
納得せざるをえないということをすでに納得している身分なので、「はいやります」と返事。はてさてどうなることやら。困ったのが今後の手続きで、書類を27日(金)午前中までに出してもらう必要があるとのこと。
今は25日の夜9時で、そういう要求をする方がどう考えてもおかしいのである。なんなんだこりゃ、と呆れた。
しょうがないので明日のバイトは休みをもらい、書類集めに奔走することになるのであった。帰りの電車を待つ間、ベンチで呆ける。今まででいちばん、将来に不安を感じた夜だったかもしれない。
まあそれは不安を感じられるくらい冷静になることができているってことで、成長していたからこその不安だったとも思う。
WBCで日本が優勝ということで、各メディアは大騒ぎになっている。
野球好きが異常に多い今の職場では、休み時間にワンセグで試合展開を確認している人もチラホラ。
でも肝心の優勝が決まった時間にはレジに立っていたので、家に帰るまで何がどうなっていたかまったく知らなかった。
テレビをつけてニュースを見てびっくり。なんともドラマチックな決勝戦を制したものだ。日本の連覇は素直にすばらしいことだと思う。徹底したスモールベースボールは豪快な迫力に欠けたかもしれないが、
投手陣の活躍はそういう思いを消し去るほどに強烈だった。むしろ、投手がいいからこそできる野球をやりきったってことだ。
今回は基本的に、コンスタントに活躍をできる選手を選んでいたように思う。イチローが大スランプに陥る一方で、
周りの打者は難しい相手投手からコツコツとヒットを打っており、やっぱり日本の野球はレベルが高いんだとあらためて実感。
ぜひこの調子で、今シーズンのプロ野球も魅力的な試合をたくさん見せてほしいものだ。
いいかげんいつまでもフリーな身分でいるわけにはいかない。
仕方がないので、実はそれなりに候補を絞って動かないでもなかったのである。
この日は家に帰ってポストを見たら、不採用通知が届いていたのであった。
で、やさぐれながら日記を書いて過ごし、夜になってあらためてエントリー作業をしようと思っていたら、
いきなり電話がかかってきた。某区役所からの電話で、あさって来てくれとのこと。
ここまで年度末のしかも夜になって連絡が来るとはまったく予想していなかったのだが、
呼ばれたからには行くしかないのである。いざ尋常に勝負、勝負!なのである。
HQSのいつものメンツで飲み会。先にみやもりとニシマッキーが飲んでおり、そこに合流することに。
しかしふたりのいる店は非常にわかりづらく(ランドマークで和民を挙げられても、渋谷に和民は異常に多いのだ)、
どうにか根性でたどり着くことができたってところ。いやはや、まいったまいった。
着いたら早速、僕のバイトの話になる。ふたりは僕の働いている店を上の階からしらみつぶしにチェックしたそうで、
僕の働きっぷりを遠くから観察していたそうだ。来るだろうなあとは思っていたけど、まったく気づかなかった。
こっちはそんな余裕もないほどに必死でやっているのだ。「意外とマジメにやってましたね」だと。当たり前だ!!居酒屋のメニューは油っこいものが多い。それを問題なく食えるということの喜びったらない。
病気の間はひたすら、お茶漬けもしくはうどんに納豆2パックというメニューでしかメシを食っていなかったので、
いろんな味のする料理が食えるというのはそれだけで幸せなのである。
モノクロの世界からフルカラーの世界にやってきたような気分である。いやホントに誇張なしで。で、飲み会の内容はただの報告会のような気も。学生時代にはひがむのも芸の一種で済んでいたが、
もはやわれわれ、ひがむことがみっともなく映る年齢になってしまっているのである。やりにくいが、戻れない。
そういうわけで、一本調子のリアクション芸人にとって最近は非常に困った状況になっている。飲み屋を出てニシマッキーが帰ったあと、仕事を抜け出したマサルと合流。
マサルによれば、渋谷駅ガード下の蕎麦屋は世界一うまいと三谷幸喜が言っているんだそうで、3人で入ってみる。
僕はふつうにざる蕎麦を手繰ったのだが、確かに立ち食いレベルの蕎麦にしては、コシもあってうまかった。
で、マサルは『へんな趣味 オール大百科』関連であれこれ企画を練っているようで、
4月19日の予定を空けておくように言われるのであった。この日記を読んでいる皆さんもぜひそうしてあげてください。深夜0時半も過ぎて解散。東横線に乗ろうと思ったら、なんともうすでに終電が行ってしまった後なのであった。
愕然としているヒマなんてなく、慌てて山手線に乗り込んで目黒まで行く。でも、日曜なので深夜バスもない。
しょうがないので歩きで帰る。酔っ払っているので走ると頭がぐるぐるして気持ち悪くなってしまう。とにかく歩く。
結局、家に着いたときには目黒駅を出てから1時間近く経っていた。もうどうでもいいや、と思う間もなく寝た。
計算上の売上と実際にお金として存在する売上の数値が違うことを、違算という。
きちんとやっていれば違算が発生することはないはずなのだが、ややこしい返品の手続きがあったり、
忙しくてしっちゃかめっちゃかだったりすると、これが出てくる。人間である以上、しょうがないことでもある。
しかし好ましくないことであるのは確かなのだ。それで必死に丁寧にやっているのだが、どうしても違算が出る。
根が大雑把なせいか、本人がどんなに丁寧にやっているつもりでも、まだミスがある。
そんなわけでここんとこ、大いにヘコんでいるのであった。とはいえ職場の皆さんは非常に優しいのである。忙しい中、あれこれフォローに入ってくれるし、
初心者で動きの悪い僕がなるべくやりやすいようにと意識をしてくれているのがよくわかる。
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、今の段階ではミスなく丁寧にやることがそれに対する応えなので、
日々試行錯誤しながら大雑把な自分の性格と格闘しているしだい。
ナカガキさんに突如誘われ、久しぶりのメンツで飲むことになった。
仕事が終わって渋谷の東口に移動し、指定された居酒屋へ。酒を飲めるまでに回復したことがうれしい。今回のメンツはナカガキさんのほか、ハセガワさんとハシモトさん。ハシモトさんはもう7年ぶりくらいである。
かつて僕らを結びつけていたものとはすっかり縁遠くなってしまっているのでどんな話題になるのかと思ったら、
三つ子の魂百までってホントだな!ってくらいに変わりばえのしない飲み会なのであった。ひどいひどい。
相変わらずハセガワさんは熱く語り、ナカガキさんは冷静に眺め、僕はずーっとやじうめやじうめ言っていた。
それにしてもハセガワさんが相変わらずだったのには驚いた。もうてっきり真人間になったと思っていたから。
純粋に、触れている情報量という点からすれば、僕がいちばん薄いんじゃないかとも思う。健全だー。まあ、いろんな考え方があるし、現実をどんな視点で眺めるかにより評価も変わってくるから一概には言えないが、
今の皆さんの状態は適度にユルくていいんじゃないかと思うのである。確かに、かつての無邪気で強烈な熱はない。
でも、それに代わって、時間が経った分だけ熟成された落ち着いた感じの熱はある。それくらいでいいんじゃいか。
書き方が抽象的でなんのことやらサッパリかもしれないが、それでいいのだ。そもそも、そんなもんだし。
僕としては、この仲間たちとの交流で得たものを次にどうつなげていくかが課題であるわけで、
今後も適度な刺激を受けることができそうだったという点は、純粋に喜ばしいことだと思っている。
まあ皆さん、今後ともよろしく。
北条司『キャッツアイ』。久しぶりにマンガの一気読みをしたくなって、読んでみた。
泪姉オトナ! 瞳ふつう! 愛ちゃんボクっ子! ツボを突いてきますなあ。
いちばん違和感があったのは、中盤で妙にセレブ風を吹かせるというか、常軌を逸した金持ちぶりが披露される辺り。
永石さんの存在はむしろジャマなんじゃないかと僕は思う。キャッツアイは生活感のある方が好きだ。
というのも、ほとんどすべてが現実離れした設定の中で、ふだんは喫茶店という点だけが生活感を保っている。
この生活感が、物語に対して絶妙な比率のリアリティを加えていると思うのである。
リアリティが欠ければただのおとぎ話になってしまうし、リアリティが強いと怪盗なんてやっていられるわけがない。
その間にある微妙なバランスをどうにか綱渡りしていくことになるわけだが、そこで武器になるのは作者の才能だ。
リアリティに即した現実味のある盗みの手口を考え出す力と、読者に細かな矛盾を抱くことを忘れさせる説得力。
この両方を、作者は持っていた。そして、この作品の連載中にその才能を磨きに磨きまくっているのがわかる。
だから次に来る『シティーハンター』(→2005.1.27)は約束された傑作となった。
『キャッツアイ』は作者にとって試行錯誤の連続だったかもしれないが、この難しい綱渡りをやりきったことで、
どのようにすれば読者を自分の世界にもってくることができるかという方法論を完全に身につけることができたのだ。なお、余談になるが、フィクションにおける最大の自由は、重力からの解放であると僕は思う。
人間が自分の好きなタイミングで好きなだけ飛べるということ、それが物語を都合よく展開させる最大の要因となる。
(逆を言えば、現実の世界における最大の制約は、重力の存在だと僕は考えているのだ。これだけには逆らえない。)
『キャッツアイ』においては、瞳たちが作者の想像のもと、自由に飛びまわる姿が描かれる(愛だけは高所恐怖症だが)。
この重力の自由なコントロールを、読者たちに十分なリアリティを感じさせながら納得させてしまうこと、
言ってみれば作者が想像した物理学の系に読者を引き込んでしまうことこそが、ストーリーテラーの才能ということだろう。
(そういう点で最強なのは、『キン肉マン』(→2008.9.18)かもしれない。あのマンガに重力はあってないようなものだ。)
どっか行きてえー! でも金がねえー!
というわけで、天気もいいし、必然的に自転車で遠出となるのであった。
自転車で遠くへ出かけようという気分になるのは、ずいぶんと久しぶりなのである。
それなら豪快に、華々しく、東京脱出といくのである。よし、もう一度きちんと埼玉県庁を撮ってみよう(→2006.2.12)。
でもただ埼玉県庁に行くだけじゃ芸がない。氷川神社でお参りもしておこうか。
でも大宮にも行くだけってのも芸がない。やっぱり行ったことのない街をあれこれ探検してみなくちゃ面白くないのだ。
そういうわけで、今回の目標は、岩槻! 今はさいたま市の一部となってしまったが、歴史ある城下町である。
まずここを制覇して、そのあと大宮へと回り込み、埼玉県庁の再撮影を目指すのである。とはいえ日ごろの疲れがけっこう溜まっていたのか、出発時刻は当初の予定よりも1時間ほど遅れて朝の9時。
すでにまぶしい日差しが降り注いでいてとても暖かい。もうすっかり春の気配である。
ただ、黄砂の影響なのか、なんとなく空の青さはくすんでいる。でも絶好のサイクリング日和には違いない。
東京から埼玉へ出るルートはいくつかあるが、今回は岩槻がターゲットということで、
まずは王子を目指すことに。いつもの日常との対比を強調すべく、あえて職場である渋谷を経由して明治通りに出る。
そのまままっすぐ北上して、池袋駅前をすり抜けてさらに北へ。ふだんあまり通らないルートなので新鮮だった。
王子駅前を抜けると国道122号、地下鉄南北線の真上をグイグイ進んでいく。
やがて環八の終点である赤羽岩淵駅に到着。環八を制覇したときのことを思い出す(→2006.7.15)。
しかし今回は、さらに荒川を渡って埼玉県に突入するのである。ここからが本番なのだ。埼玉県に入った国道122号は「岩槻街道」である。まっすぐ行けば岩槻に通じる歴史ある道なのだが、
実際に走ってみるととにかく交通量の多い郊外の道路なのであった。排気ガスだらけでほこりっぽいのなんの。
東京から外に出る国道はどこも混み合っているけど、埼玉方面はとりわけトラックなどの大型車が目立つ気がする。
(ちなみに国道122号をそのまま北上していくと、最終的には日光の神橋にまで至る。→2008.12.14)さて、今回のルートで埼玉県に突入して一発目の自治体は、川口市である。
川口市といえば僕らの世代ではまあだいたい吉永小百合主演『キューポラのある街』(→2005.10.30)であると思う。
僕サユリストなんなのさ。ウソだけど。川口市南部は今も旧街道の雰囲気をちょこちょこ残していて面白い。
当然のごとく川口市役所に寄り道してみる。道が狭くて交通量が多く、非常に撮影しづらい市役所だった。
旧街道沿いに敷地いっぱいに建っているタイプで、裏手はかなり激しい増築ぶりになっていた。
建物じたいはかなりモダニズムの特徴が強く、なかなか凝っていて見ごたえがある。
中に入ってみるとエントランス部分に高さ2階分のホールがつくられ、これまたしっかりモダニズムなのであった。
L: 川口市役所。敷地の中ほどにある塔やファサードてっぺんの逆三角形が非常によく目立っている。
R: 正面から撮影。この本庁舎は1959年に竣工したみたい。とてもきれいに使っている印象で好感が持てた。国道122号に戻ってしばらく北上すると、あっさりと鳩ヶ谷市に入る。鳩ヶ谷は日本で2番目に小さい市であり、
700mだけ足立区と接しているほかはすべて川口市に囲まれているという、非常に個性的な状況の自治体である。
歴史的な経緯をみると、鳩ヶ谷はかつて日光御成街道の宿場町として大いに栄えた過去を持っているのだが、
鉄道(東北本線・京浜東北線)の敷設を拒否した結果、川口に追い抜かれることとなってしまった。
1940年に一度は川口市に編入されるが、住民投票を行って1950年に分離。そのまま市制施行して今に至る。
この鳩ヶ谷の分離をめぐる住民間の対立があまりに激しかったため、周辺自治体は鳩ヶ谷を避けて川口と合併し、
その結果として現在のような川口市に呑み込まれる鳩ヶ谷市域という構図ができあがったという。Y字路で国道から分岐して旧市街地方面へ。穏やかな商店街の中を抜けていくと、右手に巨大な建物が見えた。
市の規模からすればかなり大きな印象のする、鳩ヶ谷市役所である。てっぺんに三角を乗せた塔がどうにも嫌らしい。
正面にまわり込んだら円柱のホールにエントランス。なんだか、平成ダメ庁舎といった感じである(1995年竣工)。
市役所の中に入ってみると、まず川口との合併問題について書いてあるパンフレット・展示が目を引く。
家に帰ってじっくり読もうと思い、いくつか見繕ってFREITAGの中に入れるのであった。
見ていると、鳩ヶ谷サイドでは川口と合併したくてしたくてしょうがないようだ。でも川口がまったく乗り気でないらしい。
財政的に強くて面積の小さい自治体が面積の大きな自治体との合併を拒否する話はわりと聞くが、
鳩ヶ谷と川口の関係はけっこう珍しいように思う。川口は鳩ヶ谷を嫌がるほど弱い自治体ではないだろうに、不思議だ。
L: 鳩ヶ谷市役所。なんで平成ダメ庁舎はビミョーな塔をつくりたがるのだろうか。色も変だし。
R: 角度を変えて正面側から撮影。この円柱の下半分はホール、上半分は議場になっている。鳩ヶ谷市役所の撮影を終えると、国道122号に復帰する。いかにも郊外な広い道路は、やがて高速道路とぶつかる。
川口ジャンクションである。南から来た首都高が東京外環自動車道とぶつかり、東北自動車道へと変わる場所である。
国道は高速道路の脇を並走するようになり、雑然とした印象がいよいよ強くなる。車があふれ、空気も路面も実に汚い。
東西方向に伸びる道路と交差する箇所では、歩行者・自転車は大きく迂回して地面をくぐるなどの措置を強いられる。
そこは人の気配のないコンクリートや金属に囲まれた場所で、でも確かに無数のゴミという人の痕跡が散らかっている。
いかにも「アメリカ大都市の死と生」といった感じの漂う、危険な場所という雰囲気の空間なのである。
埋立地が「増殖する植物の支配する空間(→2008.7.27/2008.7.28)」なら、こっちは「犯罪の匂いの漂う空間」だ。
L,C: 高速道路の周辺部にこびりつく、危険な場所。捨てられているさまざまなゴミが、雰囲気を悪くしている。
R: 周囲よりも一段低く掘り下げられている東北自動車道。右手に見えているのは埼玉スタジアム2002。やがて国道463号との交差点に出たので、そこから埼玉スタジアム2002(以下、埼スタ)を目指してちょっと寄り道。
陸橋を渡って浦和美園駅を上から眺めると、あとは一気にスタジアム方向へと走っていく。
埼スタの南側は緑のシートが道路の両脇に張られ、荒涼とした工事中の空き地となっている。
いつになったらこの一帯の整備が終わるのか想像もつかない。それくらいに広い範囲が土と砂利で覆われていた。
埼スタの敷地内に入ると自転車で一周してみる。南側とは対照的に、北側は公園として立派につくられている。
いつか中に入って試合観戦したいもんだなあと思うのだが、レッズサポは怖いのでその日が来るかはビミョーである。
L: 埼玉スタジアム2002を南側より撮影。広大な工事中の景色が広がる。スタジアムのふもとはこれまた広い駐車場。
C: 屋根を見上げてみたところ。 R: 反対側から見た埼スタ。こちらが正面になるのか。公園では子どもがいっぱい遊んでいた。浦和美園駅からの通路を抜けるとこの光景。いつか試合を観たいもんだ。
埼スタ見学を終えると国道122号に戻って北上。しばらく行って県道に折れて少し東に移動してからまた北上。
辺りの雰囲気は清瀬や東久留米といった西武池袋線沿線の多摩地区とまったく変わらない印象である。
そんな穏やかな風景も国道16号に出ると一気にロードサイド店の騒がしさが現れる。埼玉のコントラストはけっこう大きい。
で、国道を横断するとまた穏やかな住宅街。そして緑に包まれた岩槻城址公園が現れる。敷地の中に入ると、そこには親子連れがいっぱい。なぜか水面に向けて豪華なカメラを構えたジイサマたちもいっぱい。
自転車を降りて公園内をブラブラと歩く。坂を上っていくと野球場やテニスコートがあり、特にテニスコートは大繁盛。
岩槻城は往時の姿をほとんど留めていないが、その中で残っている貴重な存在である黒門を眺めてみたり、
菖蒲沼・鍛冶曲輪の辺りを散歩してみたり。確かに城跡には違いないのだが、それ以上に公園としての印象が強い。
案内板によれば、岩槻城は元荒川と沼という天然の地形をそのまま利用した城だったようで、
ほかの城にあるような直線性=人工物の匂いがほとんどない。それが城跡の雰囲気を薄めているのだろう。
L: 岩槻城址公園。北側はこのように芝生となっており、遊具には子どもたちが群がっていた。春ですなあ。
C: 岩槻城黒門。岩槻城の門だったことはわかっているが、どの位置にある門だったのかは不明なんだそうだ。
R: 菖蒲沼に架かる八ツ橋。まっすぐでなく、鈍角で折っているのが面白いけど、色がどぎつい……。その後は埼玉県道2号を西に進んで、さいたま市岩槻区役所へ。かつての岩槻市役所だった建物だ。
大学時代にさいたま市の合併・誕生を追いかけていた僕には、岩槻が編入されたことが今でもちょっと信じられない。
(YOU And Iプランに含まれていた上尾市と伊奈町は健在なのに、まさか岩槻が合併するとは。わかんないもんだ。)
そもそも埼玉県が「埼玉県」という名前になったのは、県庁が埼玉郡岩槻町に置かれる予定だったからである。
岩槻はそれだけの歴史を持った、由緒ある城下町だったのだ。しかし廃藩置県を経て合併が行われた結果、
県名は「埼玉県」のまま、県庁は浦和町に置かれることになってしまったのである。そして今に至る。
(これは廃藩置県の前年に、神田の武家屋敷を移築した浦和県庁舎が完成していたことが大きいと思われる。)
また、岩槻は上述の鳩ヶ谷と同様、東北本線が通るのを拒否したことで近代都市化に乗り遅れてしまっている。
そんなわけで岩槻は、本来ならもっと大きな都市になっていてもおかしくなかった土地なのである。
それが今や、政令指定都市の区のひとつという位置になってしまっているのだ。なんだか切なくなってしまうではないか。
……ああ、そうさ! オレは岩槻びいきさ! だって聖地だもん! まいみまいみ。
さて、岩槻区役所の前には太田道灌像。岩槻城は太田道灌が築城したとされており(諸説あり)、地元の誇りのようだ。
区役所の中では、情報公開コーナーの壁に大宮アルディージャの旗が貼ってあったのが印象的だった。
L: さいたま市岩槻区役所(旧岩槻市役所)。舞美さんも来たことあるんですかね。
R: 太田道灌像。ちなみに岩槻城址のある一帯は、岩槻区太田という地名なのである。さらに西へ進んで岩槻駅へ。岩槻駅前はいかにも地方の旧市街といった穏やかな風情を漂わせていた。
ロータリーに面してSATYがドデンと建っており、駅前にそれなりの活気を感じるのもこのおかげかな、と思う。
それにしてもすごいのは、人形店の密度である。さすが岩槻、雛人形などの人形で全国的に知られる街だ。
駅近くの商店街に何軒かあり、国道122号沿いにもけっこうな数が点在しているのである。
かつて日光東照宮が造営された際、職人が岩槻に残ったことで人形づくりが盛んになったというが、
今でもこれだけの数の人形店があちこちにあるのには正直驚いた。そんなに食える商売でもないだろうに。岩槻は南北に長いので、東西方向はわりと簡単に突破できる。見沼区を越えてちょっと行くと大宮公園である。
まずは大宮アルディージャの本拠地であるNACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮公園サッカー場)を見てみる。
住宅地に面した公園の敷地の端っこに、大改修したばかりの真新しいコンクリートの四角形がぴっちり建っている。
なんとなく横浜の三ツ沢球技場(→2008.7.9)に似ている印象を受ける。同じように親近感の持てる立地だと思う。
(ちなみに、どちらも1964年の東京オリンピック開催に合わせて整備された歴史を持つスタジアムである。)
さっき訪れた埼スタのようなきれいでデカいスタジアムも悪くはないが、郊外らしい殺風景ぶりはいただけないのだ。
公園内からスタジアムの中の様子を覗いてみると、アルディージャの選手らしき人たちが軽く練習していた。
スタンドはチームカラーのオレンジ一色。緑の芝生と青い空に映えて、かなり爽やかな雰囲気である。
これはぜひ、実際に試合を観戦しに来たいスタジアムだ。大宮が残留して甲府が昇格し、J1で対戦することを祈ろう。
L: NACK5スタジアム大宮の外観。質実剛健というか、よけいな飾りがない分、コンクリートのクールさが生きている印象。
R: ピッチやスタンドはこんな感じ。これはなかなか良さそうだ。ぜひいつかここで試合を観てみたいものだ。NACK5スタジアム大宮から公園の敷地沿いにちょっと進むと、氷川神社である。
氷川神社には何度か来てお参りしているので(→2006.2.12)、特に何かが物珍しいということもないなー、
なんてことを思いつつお参りを済ませておみくじを引いてみたら、「向吉」。なんだこれ!?
初めて見る運勢に驚いて中身を読んでみると、どうも全般的に良い方へと向かっていくという運勢のようだ。
病気は無事に回復するそうなんで、よかったよかった。いい気休めになったのであった。
L: 氷川神社の楼門。 C: 舞殿。 R: 拝殿。前も同じような角度で写真を撮ったっけな。変わりばえせんなあ、オレ。参拝を終えると、次は大宮区役所へ。爽やかな参道をまっすぐ南下していくと、駅から伸びる賑やかな中央通に出る。
そこからちょっと奥に入り込んだところにあるのが大宮区役所なのである。道が狭くて撮影しづらい。
かつてここがまだ「大宮市役所」だったころ、大学のゼミの関係で何度か訪れたことのある場所だ。
久しぶりに来てみると、玄関部分には大宮アルディージャを応援する旗やら垂れ幕やらがびっしりと掲げられていた。
合併の際、市名を「大宮市」とするように主張していた大宮のアイデンティティは、今は別の形でしっかり残っているようだ。
L: さいたま市大宮区役所(旧大宮市役所)。昭和30年代型コンクリ庁舎の南館(右側)と本館(左側)の複合タイプ。
R: 大宮区役所のエントランス部分は完全にオレンジ色に染められている状況なのであった。のんびりと自転車であちこちまわっているせいで、だいぶ太陽光線に夕方の気配が混じってきた。
できればここで大宮の街をブラブラしてみたかったのだが、寄り道をしまくっているからしょうがない。
大宮駅前の商店街をあっさりスルーして、どんどん南下していく。相変わらず東口界隈はごちゃごちゃしている。
途中の吉敷町を軽快にすっ飛ばしていたら、大学3年のときのゼミ合宿で泊まった宿屋が健在で安心した。
あれから10年になるが、「さいたま」の核になっている部分はあんまり当時と変わっていないように思う。
僕たちが必死になって調べていたことは、どういう意味を持っていた/持っているのか、少し考えてしまった。それからやっぱり、さいたま新都心に寄ってみる。地下道を通って敷地の西側に出ると、あちこち歩きまわる。
政府機関の合同庁舎に面した広大な空き地は今もそのままで、新都心の開発はすっかり止まっているようだ。
いずれこの日記で、10年前に調べたことや現状などについて、きちんとまとめてカタチにしてみたいと思っている。
L: さいたま新都心・けやきひろばとさいたまスーパーアリーナ。すっかり市民の日常の風景となっている模様。
R: 新都心の近くにある神明神社。僕は新都心に来ると、ここに必ずお参りをする。思い出のある場所なのだ。国道17号・中山道にスイッチしてさらに南下。次の目標は、さいたま市中央区役所である。
中央区とは、かつての与野市だ。駅名を除けば、「与野」の名前は地図から姿を消してしまった。
合併でさいたま市が誕生する際、かつての与野市長が区名を決める立場にあり、「中央区」とした過去がある。
浦和と大宮に挟まれた小さな街の意地だったのかもしれないが、果たしてそれは正解だったと言えるのか。
個人的には、時が経つにつれ浦和でも大宮でもない名もない空白地帯になっていってしまうような気がしてならない。
「与野」という名を持つサッカークラブが設立されて、浦和や大宮と三つ巴の戦いを繰り広げるようになれば話は別だが。
L: さいたま市中央区役所(旧与野市役所)。与野は車の工場があるなど税収が多く、それで長く独立していたのか。
R: 埼京線方面から撮影。合併前にはでっかく「ここは与野市」と看板が掲げられて存在をアピールしていたのだが……。どんどん南下していって、さいたま市役所に到着。ここは浦和区役所も兼ねている。
前にも来て撮影したことがあるが(→2006.2.12)、そのときとまったく何も変わっていないのであった。
というか、10年前からも変わっていない。エントランスに「さいたま」と「区」の文字が追加されただけだ。そんなもんだ。
L: さいたま市役所・浦和区役所を国道17号側より眺める。手前の低層の建物が議会棟。奥の高層の建物が本庁舎。
C: 角度を変えてオープンスペースから撮影。本庁舎と議会棟の位置関係はこんな感じ。 R: 本庁舎を南側から眺める。さいたま市役所からさらに少し南に行ったところが埼玉県庁である。国道17号に面しているのは裏手になる。
東にある浦和駅から伸びる県庁通をまっすぐ進み、坂をいったん下ってからグワッと上る反対側が正面入口である。
前回、埼玉県庁を撮影したものはあまりにテキトーな印象がしたので(→2006.2.12)、このたびあらためて撮影してみた。
やっぱり埼玉県庁の本庁舎は東西方向にやたら長い。そんでもって飾りっ気がまったくと言っていいほどない。
竣工は1955年(ただしこれは併置された旧県議会議事堂の記録なので、本庁舎はもう少し早いと思われる)と、
戦後モノではかなり早い段階につくられた庁舎である。「県庁舎復興宝くじ」が発行されたという逸話もあるそうだ。
L: 埼玉県庁本庁舎の南側。裁判所などに面しており、こっちも事実上正面という扱いになっている模様。
C: 本庁舎の東側。浦和駅から来て門をくぐった正面の玄関はこちら側である。
R: 本庁舎の北側。南側と比べると、壁面の修理具合がかなり雑なのがわかる。「外」と「内」の差が激しすぎる。
L: 埼玉県議会議事堂。県庁舎の後ろにピタリとくっついている。こっちはずいぶんと新しくて立派なものだ。
C: 県庁舎の北側にある、埼玉県庁第二庁舎。衛生会館・農林会館に挟まれた狭い入口を抜けると現れる。
R: 第二庁舎を別の角度から撮影。なお、埼玉県警本部はこの建物の中に入っている。独立していないのは珍しい。というわけで、今回の埼玉自転車紀行はこれでおしまい。帰りは国道17号でそのまま環七に出て家まで戻ったのだが、
なんだかんだで病み上がりだったせいか、体力的にはめちゃくちゃキツく、途中のことをよく覚えていない。
埼玉ってホントに遠いなあ、と心の底から思ったのであった。やっぱり東京脱出は大変なのである。
WBCについて。世間ではけっこう盛り上がっているようで、連日テレビでは大きな扱いをしている。
バイト先には野球好きがかなり多く、休憩の合間に試合をチェックしている人が何人もいたのには驚いた。
で、僕はどの程度の熱狂ぶりなのかというと、リアルタイムで試合経過を追うことはないけれども、
スポーツニュースで結果はきちんと押さえていますよ、といった感じなのである。
まあ要するに、必死になって応援することはないけど、しっかりと動向は把握しているわけである。
前回大会ではワカメに説得されて応援した記憶があるのだが(→2006.3.18/2006.3.19)、
いちおう、そのときとあまり変わっていない態度でいるつもりだ。がんばれニッポン。それにしても、日本の投手陣は本当にすごい。国際的にみれば、日本は宝の山なんだろうなあと思う。
日本の展開するスモールベースボールは地味な印象がしてテレビ的ではないだろうと考えていたけど、
これだけ徹底的にすばらしいピッチングをしてくれると、野球通のファンが順調に増えていきそうな気がする。
親に近況報告の電話を入れたら、飯田に帰ってちょろっと一息ついたらどうだと言われた。
そこでようやく、ああオレここ最近ずっと突っ走っていたんだなあと自覚した。
思えば確かに、去年の10月から食うのに必死な生活を続けており、のんびりしたことなど数えるほどしかない。
おかげで先月後半に腹痛でぶっ倒れても、それなりにどうにか経済的にはギリギリしのげていたのだが、
どこか心理的に自分をジワジワ追い込んで甘えを一切許さない毎日を送っていたって気がする。(日記では腹痛について具体的には書いていないが、冷静に振り返ってみるとアレはけっこうヤバかった……。
食欲は湧かないし、寝るのも起きるのもものすごく辛かったし、街を出歩こうという意欲もまったく湧かなかったし。
しつこい微熱が下がらず、全身を薬くさい汗が包む。腹の底に痛みがあると、集中力がなくなって何もできなくなる。
病院で文庫本を読んで順番を待っているジジイを、てめえどんだけ健康なんだよ、と睨むように見ていたことよ。)人間、無理をしていてそれに気がつかないのは、精神的に自分をどんどん追い詰めて客観性を失っているか、
あるいはそういう自分に無意識のうちに酔っているかのどっちかだ(マゾヒズムはもちろん後者に属する)。
今の状況からして(さすがの僕でも)後者はありえないので、これは前者ということで、少し反省をしたのであった。
男だったら、こういう難局にぶち当たってこそ、大らかに構えたいものである。自分の器のちっちゃさが恥ずかしい。
まあそういうわけで、現状を正確に把握しつつも、もうちょっとだけ気楽な心持ちでやっていくことを心がけるとしよう。あー、沼津でダラーッとうまい酒が飲みたいなあ。今はそういう気分。
3月の半分が過ぎようとしている。今の仕事については、ようやく慣れはじめてきたかな、という感触である。
だいぶ体力配分のコツがつかめてきた。もっとも、謎の大腸炎からやっとこさ解放されてきたってことでもあるだろう。
それなりに足元が固まってきた感じなので、ぼちぼち視野を広げて上を向いていきたいところだ。それにしても、じっくり見てみると「サラリーマン川柳」ってのはなかなかレベルが高い。
休憩室に入選した100作品を印刷したチラシが貼ってあったのだが、ううむなるほどと思う作品が意外と多いのだ。
5%ほど「ハァ?」と首を傾げたくなるものもあったが、まあそれはご愛嬌。
うなずかされた作品の中で、一番キツかったのがコレ。「天職を 求めて転職 フリーター」………ギャー!!
店にとって土日は勝負なのである。午前中はかなり余裕があるのだが、午後になり気がつくと修羅場になっている。
不思議なもので、客は均等に来ない。行列ができはじめると、それがいつのまにかダーッと長く伸びていく。
錯乱状態になりながらひたすら次から次へと対応していくと、突然ぽっかりと客が途絶える。コンビニでもそうだった。
数理的に渋滞を研究している専門家がいるけど、レジの客についても調べてもらいたいもんである。
あと、商品券などは書類の手続きをしなくちゃいけないのだが、その作業をしているときに必ずといっていいほど客が来る。
そんでもって行列ができて伸びていって、書類の手続きを再開するのが30分後になってようやくとか、よくあることなのだ。
これも不思議だ。まあ人生そんなもん、と言ってしまえばそれまでなのだが。
今日はお休みである。いいかげんどこか遠くに行ってしまいたいのだが、とてもそんな状況ではないのである。
とりあえずはテキトーな近場をフラフラして気分転換してお茶を濁すかなあということで、自転車にまたがる。
思えばここしばらくは腹痛の影響で、自転車で散歩なんてとてもとてもそんな気は起きなかったわけで、
こういう細かい部分でも意欲が戻ってきていることを実感してほっとするのであった。北東方面へはいつも仕事に行くのに通っているので飽きたし(自転車通勤とは順調な回復ぶりだ)、
大森やら川崎やらももう飽きた。そこそこ近くてあまり馴染みのない場所を探した末、武蔵中原に行ってみる。
着いたのがちょうどお昼の時間帯で、富士通のサラリーマンがあちこちにウジャウジャ。
しょうがないので本屋でサッカー雑誌なんぞを立ち読みして山形強いなあ、と思いつつ時間をつぶす。
その後はメシを食いながら日記を書く。うどん以外の外メシはずいぶんと久しぶりだ。帰ってくると、久しぶりに『エヴァンゲリオン』のDVDを見るなどして過ごす。
TVシリーズ中盤の、1話につき1体の使徒を倒す辺りをのんびり見る。やっぱり面白い。
ホントはこんなふうにのん気に過ごしている場合ではないのだが、気分転換を最優先ということにするのだ。明日からは仕事を含め、すべてにおいてギアを上げていこうと思う。勢いをそろそろつけていきたい。
正直、困っている。もちろん進路のことでだ。今ごろ。
具体的なことをここで一気に書き出していくと、本人である僕がブルーになるので書かないが、
まあとにかく、困っている。結局は僕の性格の問題、性根の部分での問題だとわかっちゃいるのだが、
それにしても自分がどうふるまっていくべきなのか、非常に不透明で困っている。
かといって結論を先延ばしにしてもいいことなんてない。しかし早まってもいけない。
自分の持っている運というものを信じて突っ切っていくのがいちばん気が楽なのだが、
今の状況についてはもうちょっと冷静に構えていたい気持ちなので、その点どうにも困ったところなのである。後悔することのないように、もうしばらく自分なりに論理をこねくりまわして考えてみることにする。
人間、働いているときには金を惜しまず積極的におやつを食べないとダメだということがわかった。食べないと頭が回らん。
今日は前半ものすごく好調だったのだが、後半になって大幅に崩れた。
あまりにも空気の読めない外国人客が来て(しかも複数)、それに振り回されて完全におかしくなったのだ。
ああいうのを見ると日本人は優しすぎると思う。それとともに外国人の厚かましさを半ば呆れつつもうらやましく思う。◇
ところで、だいぶ食欲が平常時のレベルに戻ってきた。体調が確実に良くなってきているってことだろう。
しかしその分だけ、食事にありつけるまで猛烈な空腹に襲われることになるのである。相変わらず燃費が悪い。
旅行に出るたび、あっちこっちで観光パンフレットやら何やらを持ち帰っている。
それらをきちんとまとめるべくクリアファイルのバインダーを買ってきて、整理をしてみた。
で、いざやりはじめてみて驚いた。とにかく尋常でない量のパンフレットがたまっていたのである。
その量たるや実に、売っていたバインダーのいちばん厚いやつで3冊分である。これには自分でもたまげた。
正直なところ、そんなに後生大事にとっておかなくてもいいだろうという気がしないでもないのだが、
やっぱり現地に行かないと手に入らないものばかりなので、それなりに愛着が湧いて手放せないのである。
しばらくはヒマなときにあれこれ眺めて復習して、どっか行った気分にひたることにする。
日曜日なのである。午前中はまだいいが、午後になるとあまりに忙しくて脳ミソが狂う。
脳ミソの血糖値が下がりきってしまい、自分がいま何をやっていたんだかわからなくなることもしばしば。
そういう疲れたときの崩れ具合が、経験のいちばん出る部分だと思う。
この店で働きはじめて間もない自分の崩れ具合はあまりにひどく、自分で自分が情けないのであった。
できるだけ足を引っ張ることのないように根性全開で乗り切った、つもり。まあとにかく、今のうちに体験できることをたっぷり味わい、きちんとそのことを覚えておくようにする。
面倒くさいことだけど、つねに頭を動かしている状態でいなくちゃ人生がもったいなのだ。
こうしてアルバイト生活をしながら世間を眺めていると、日本の雇用形態について大いに疑問が湧いてくる。
正確には、日本の雇用形態というよりは、仕事というものについての考え方なのだが、
まあとりあえずは現代の日本において当たり前になってしまっている仕事観に対しての疑問が消えないのだ。仕事において、効率を求めることは果たして正解なのだろうか?
どうも見ていると、会社が効率を優先していくことで、社会がものすごく非効率になっているように思える。
(おっ、「会社」がひっくり返って「社会」になると効率が反比例するなんて、なんか僕いま、うまいこと言うたよ!)
不況になるたび製造業が派遣切りを繰り返すような社会を、効率がいい社会とはとても言えないと僕は思うのだ。
身近な例では、以前いたコンビニにしろ今の店にしろ、ものすごく忙しい。とにかく人手が足りない。究極的に足りない。
多くの会社では核になる社員に加え、契約社員だのアルバイトだの、さまざまな雇用形態で人員を確保し、
それでどうにか毎日を乗り切っているという状況である。社員の求人は少なくても、アルバイトの求人はやたら多い。
つまりは人件費を抑制するための措置である。これはいわゆる経営の効率化の柱になっていると思うのである。で、人件費の抑制を進めることでどうなっているかというと、職場がなんとなくギスギスしていくわけだ。
アルバイトの持つ責任は非常に軽いものだが、社員になると責任はそれとは比べ物にならないほど重くなる。
重たい責任を持ったまま忙しい毎日が続くと、心理的な余裕はまったくなくなっていく。
きちんと働いている社会人の皆さんはみんなオトナだから、表面的には問題なく対処していくだろう。
(以前のコンビニも今の店も、皆さん非常に優しい。でも忙しすぎる状態で働いている姿を見ると、不安になってしまう。)
でも余裕がない心理状態は絶対にどこかから漏れ出していき、見えないところで無理を抱えさせるように思う。
一番悪いケースは、結局それが余裕のないギスギスした人間関係になって表に出てしまうパターン。
そういう状況で仕事をしていくことが、果たして本当に「効率的」と呼べるかどうかと考えてみた場合、
僕としての結論は「当然ノーだろ」ということになる。「人間関係の効率」も考慮すべきだと僕は思うのだ。
(まあ要するに自分が、忙しいとき余裕がなくなって人当たりがキツくなる人間だから、そういうことを考えるわけだ。)個人的な理想としては、全員が忙しいのではなく、ひとりくらいヒマな人がローテーションしていく感じがいい。
そうすればその当番が外側から職場を眺めることもできるだろうし、危機管理の面からも有効な気がする。
それくらいの余裕があるほうが、実はもっと広い視野での「全体的な効率」が上がっているかもしれないじゃないか。
ムチャな意見だとは自覚しているけど、否定しきれない部分はあるでしょう、と私は言いたい。
ほかにはたとえば、国レベルでアルバイト以外をぜんぶ正社員にしてワークシェアリングを徹底化してみたらどうだろう。
週休3~4日を標準に、ひとつの職種で働ける時間に絶対的な上限を設定する。
一時期メジャーリーグで話題になった「サラリーキャップ制」ならぬ、「労働時間キャップ制」である。
(もっとラディカルな試みとしては、正社員という雇用形態を廃止して全員アルバイトにしちゃう手もある。→2005.4.29)
仕事以外の時間が増える→趣味が深化・多様化→人間的な魅力が増す→みんなの人間関係向上、
なんて具合にも考えられないか。われながらムチャな意見だが、これをやっても日本経済は意外としぼまないだろ、と思う。
少なくとも文化のレベルは高まるだろう。ご隠居たちが元禄文化を花開かせた、みたいな事態が期待できるかもしれない。
そもそも、だ。もし日本人が「安息日は週に3回じゃ!」という宗教を信じていたら、上記のことをさほど変だとは思うまい。
僕がここまで主張してきたことは、その程度のことだ(しかし残念ながら日本はかつて「月月火水木金金」だった……)。
週休2日も今じゃ当たり前。社会をもっとユルユルにして、格差を低めの方向に解消する方が「全体的な効率」が上がる、
それこそが本当の意味での「先進国」なんじゃねえの?なんて具合に僕は夢見ているのだ。危険な思想ですかね。でも実際にやっていくのは難しい気もする。
日本人全員が言いだしっぺのお前のような人間ならできるかもな!と言われそうだ。
僕にとっての理想形が最大多数の最大幸福になるとは限らない(やってみないとわからない面もなくはないだろうけどね)。
なるほどそれが、革命がうまくいったりうまくいかなかったり結局はうまくいかなかったりする理由かーなんて思うわけで、
そう考えると(現代日本でそれが機能しているかどうかは別として)、多数決の民主主義ってよくできているなあと。
とりあえず、日本ユルユル党が政権を握る日を気長に待つとするのである。
店員の皆さんが口々におっしゃるとおり、使っているレジのシステムがめちゃくちゃだ。
支払方法がちょっと込み入ったものになると、操作がぐちゃぐちゃになる。
精算するときの一連の手順も、とにかく煩雑きわまりない。覚えきれる自信がいまだにない。
もともとお金を扱う能力がないところにデキの悪いシステムということで、相性は最悪といっていいほど。
でも慣れている店員の皆さんは、システムに悪態をつきつつもスムーズにこなしているわけで、
すげえもんだなあと呆れて見ている次第である。いやー、すごい。
午前中は病院に行って医者に腹の具合を診てもらう。今日も呆れて怒る気すら失せるほど長い時間待たされた。
血液検査の結果、炎症は完全におさまっているとのことで、飲む薬がひとつ減った。実にめでたい。
食事の制限も徐々に緩和してよしということだが、なんとなく不安なのでもうしばらくは赤貧メシを続けることにする。
(動物性の脂肪がダメということで、うどんくらいしか外食できないのである。本当に脂肪分のない食生活をしている。)
とりあえずヤマ場は越えたものの、いずれ慢性の症状でないことを確かめるための検査をするそうだ。
いつも以上に日ごろの行いを良くして過ごすことにしよう。午後は自転車で街に出る。こないだのイベントの給料をもらったり、自転車の微調整をしたり。
ここんところ毎日雨だったり雪だったりですっきりしない気分だったが、久しぶりの晴れ間にほっと一息である。
なんとか気分が落ち着いたところで、次へ向けてのいい流れに乗れるといいなあ、と思うのであった。
最近、「草食系男子」という便利な言い訳があることを知った。
生来、僕はお金の扱いが非常に苦手なのである。一橋出なのに、致命的なレベルでお金の扱いがわからない。
そして性格的にかなりいい加減なところが、それをさらに助長しているような状況なのである。
自分で言うのも変だが、芸術家肌というかなんというか、まあ正直、かなりお金には無頓着な部類に入る人間なのだ。
「要は自分の持っているお金が足りなくならないように生活すりゃいいんだろ!」という単一のポリシーだけで動いており、
それ以上のことになると完全にお手上げだ。当方、非常に単純かつ原始的な経済観念しか持ち合わせていないのだ。
(おかげで会社を辞めてから、漢字の呪文が書いてある書類がいろんな役所から届いて困っている。
ああいう複雑怪奇な熟語の足し算引き算を、きちんと内容を理解して計算できる人が存在することが信じられない。
いまだになぜ「源泉徴収」という制度があるのか、それがなぜそんな名前なのか、全然知らない。理解する気もない。)そんな人間なので、レジでお金を扱うことになり、さまざまな面倒くさい手続きを覚える必要が出てきて四苦八苦している。
サービスチケットによる支払いも複雑な領収証の書き方も、まるっきりわからない。
さらにもっとわからないのが閉店後のレジの精算作業で、世の中にはこんな儀式があるのか、なんて思ってしまうほど。
まあ僕に世の中のそういう部分についての常識が欠けているということだけはわかっているつもりなので、
ひとつひとつ覚えていくことで、どうにか今後この資本主義社会に適応していく足がかりをつかもうとは考えている。
しかしまあ、こうしてお金のやりとりをする現場に立ってみると、人間って不思議な生き物だと心底思うわ。
どうやら確定申告というものをしなくちゃ誰かに怒られるらしいので、それをやりに行く。
運良く手元に源泉徴収票というものがとっておいてあったので(奇跡的に捨てないでいた!)、それを持って区役所へ。
係のおねえさんに指示されるがままに書類に数字を書いていく。難しい漢字の書いてある欄がいっぱいあるのに、
おねえさんは少しも迷うことなく親切に書き方を教えてくれて、すごいなあとおもいました。
なんでかくていしんこくをしないといけないのかはよくわからなかったけど、なんとかなったようなのでよかったです。用事が済んだら昼メシである。が、蒲田周辺では大腸に問題を抱える僕の食えそうなメシを出す店が見つからず、
仕方がないので多摩川を渡って川崎まで行くことにした。海鮮系統の丼を食らって満足すると、日記を書いて過ごす。
ある程度の分量を書いたらいつもの道を通って帰宅。それなりの距離を自転車で走ったことで腹の回復具合を実感。
まあそんなところ。
今日からはまた新しいバイトである。
ローリングストーンな人生もそろそろなんとかしないといけない時期に来ているわけで、
それなら悔いのないように華々しくいこうじゃんか!と思ってバイト先を決めたのである。
まあ具体的に書くとアレなんで、飯田にいるときから大好きなあの店、いるだけでゴキゲンになれるあの店、
という表現でカンベンなのである。そんな店で働ける僕は幸せ者です。前半は基礎的な事項の確認というか研修、後半は実際に売り場で袋詰めのお手伝いなのであった。
客としてはあんまり忙しい印象のない売り場だったが、いざ働いてみるとあまりの忙しさに呼吸困難になりそうだった。
もっとも店員の皆さんによれば、今日は特に忙しい日だったらしい。時期も時期だし、春に向けて書き入れ時だそうで。
「人手不足なんで助かります」と皆さん口々におっしゃるので、一日でも早く慣れてがんばっていきたいものである。