diary 2008.8.

diary 2008.9.


2008.8.31 (Sun.)

実技試験本番。見事にメタメタで、終わって帰るときに眩暈がした。


2008.8.30 (Sat.)

本番前日。まあ、ベストを尽くせるようにしよう。


2008.8.29 (Fri.)

日記を書くこともなく練習。


2008.8.28 (Thu.)

練習。教育実習のときに使った教科書の音読をしてみたり。


2008.8.27 (Wed.)

練習。といっても一日中ずーっとやっているわけでなく、適度に休憩を挟みつつやっている。


2008.8.26 (Tue.)

今日も各種の練習。以前に比べると、英語をしゃべる際に戸惑って固まってしまう、ということが減っている気がする。
メチャクチャでもなんでも、きちんと反応できるような度胸はついたかなあ、と思うことにする。


2008.8.25 (Mon.)

実技試験に向けて気合を入れる。といっても、何がどんな形で行われるのかわからないので、
とりあえずは英会話のお勉強やら口をきれいに動かして発音する練習やらをして過ごす。


2008.8.24 (Sun.)

雨が続く。空だけでなく自分の気持ちにも蓋をされているようでイヤになる。


2008.8.23 (Sat.)

たまたま偶然、ネットであれこれ見ていたら、YMOを初音ミクでカヴァーする動画に出くわした。
あーなるほど、確かに初期YMOのヴォコーダーなんかは初音ミクと相性いいよなあ、と思っていろいろチェックしてみたら、
中にめっちゃくっちゃアレンジの上手い作品があって、これにすっかりやられた。
ベースのつくり方が非常に上手くって、そこに合わせるドラムスの音色がまた絶妙なのだ。
僕がかつてMIDIで必死にやっていたときにはその辺はかなりいい加減に済ませていたので、
この期に及んであらためて「アレンジのセンス」ってのを考えさせられるのであった。

最初はYouTubeで済ませていたのだが、オリジナルのカヴァー(なんかヘンな響きだ)はニコニコ動画ということで、
初めてアカウントをとって、ニコニコ動画というものを見てみた。オリジナルの音の良さに感動する。
で、ニコニコ動画のコメント書き込みというのは、音楽の動画の場合には特に、「一緒に歌う」という要素が出てくる。
(『過激な淑女』のカヴァー動画では振り付けのAAをみんなで弾幕にするという反応まであって笑った。)
しかもYMOの場合には、いま自分が何歳かを告白するコメントが続出で、うーむなるほど、と考えさせられた。
ニコニコ動画のコメントは、従来の掲示板の書き込みとはまた違った形での同時性があるわけで、
これは考え出すとなかなか奥の深い現象である。これはけっこう、新しいメディアの分岐点かもしれないぞ、と思った。

さてそんな具合にあちこちいろいろ見てまわっていたのだが、Perfumeと初音ミクと『THE IDOLM@STER』は、
これらを貫いている何かが存在しているぞ、という気がしてきた。それが何なのかは、鈍い僕にはまだわからない。
けれども、この3つを横断する何かをグイッとつかめばコンテンポラリーな面白さが見えてくるような気がするのである。
情報空間における身体の再現? いや、そんなシンプルなレベルではない。身体の定義の再考? むしろそっちか。
まあとにかく、軽々しく見るのではなく、きちんと社会学的に注意しておいた方がよさそうだ。


2008.8.22 (Fri.)

ファルコムの『英雄伝説III 「白き魔女」』をやってみたので感想を書こうと思う。
このゲーム、最初に発売されたのは1994年。僕が高校生のときのゲームなのである。
当時のファルコムの看板商品であり、RPGのできない僕でもそこそこ気になる存在だった。
中学生にあたる年齢のジュリオ(♂)とクリス(♀)が村のしきたりで巡礼の旅に出て大陸をまわり、
行く先々でいろんなキャラクターと会っていくうちに白き魔女の伝説の核心に触れていくというストーリー。
XPやVista対応版も出ており、いまだに「泣ける」と評判なので、現実逃避でチャレンジしてみたわけだ。

僕はファンタジー系カタカナ名前がとっても苦手なので、自分がどこに行って何をしなくちゃいけないのかが
たまにあやふやになりながらも、どうにかエンディングまでたどり着くことができた。
マップが見事に一本道になっており、それでなんとかなった感じである。
(ただしその分、最後の王宮だけは猛烈な迷宮になっていて、これはもう本当に勘弁してくれと思った。)
戦闘もいつでも逃げ出せてユルユルなのだが、コンピューターに指示を出す形式だったので大いにイラついた。
まったくこっちの思いどおりに動いてくれないのである。そんでもって反応が遅い。何度キレかけたことか。
でもまあ、随所にファルコムらしい丁寧さを感じることができた。やっていてなんだか懐かしい気分になった。
どんなシーンもディフォルメキャラで押し通すところがファルコム流。プレーヤーの想像力に任せているのだ。

「泣ける」と評判のストーリーは、無限に優しい魔女のせいで確かにウルッとさせられる。
クライマックスに向けて、それまで別れてきたキャラクターがどんどん出てきて「ここは任せて先に行け!」と言うのも、
まあファルコム流だなあと。この世界が危機を迎えることになった理由も、うまいこと考えたなあ、というところ。
個人的には、このフィクションが実際の僕らの生活でも交差するような要素を持っていれば、
その分だけ印象も深まったと思うのだが、ゲームの世界はあくまでゲームの世界で、現実とは完全に別物となっていた。
そうなると盲導犬型のゲームシステムとあいまって、純粋にお話、ストーリーを提示されただけって感じである。
なんでゲームという形になっているんだろう? 小説でもなくアニメでもなく映画でもなく、なぜゲームなんだろう?
そういう疑問が湧いてくる。これなら別にプレーヤーが動かさなくたっていいじゃん、そう思えてしまうのである。
世界観が完全にパッケージングされているだけに、ゲームというメディアであることの意味がわからなくなってしまった。
まあ逆に、日常生活と完全に切り離されている世界を動きまわるからこそエンタテインメント、ストレス解消だ、
という意見が成立するのも確かだとは思うわけで、その辺は人それぞれの感覚なのかもわからない。

コンピューターにイライラさせられながらも、どうにか冒険は終わった。
白き魔女の果てしない優しさに心打たれつつ(でもこれ現実にはないフィクションの優しさなのよねと冷めつつ)、
ゲームをしていた時間を振り返ってみる。すると、ひとつの事実に気がついた。
それは、現実的にはムダとしか表現しようのない時間、ゲームにどっぷりとはまり込んだ非生産的な時間は、
その過ごした長さに比例して確かに自分の中に残る、自分の中に位置を占めるのである。
確かな自分の経験として、確かに存在したものとして、ゲームの世界が自分の中に残る。
この「異物」が何を生み出すのかはわからない(たぶん、ほとんど何も生み出さないだろう)。
しかしその「異物」は生理的な意味では決して否定されるべきものではなく、むしろ人々に求められている。
ゲームがゲームであることの意味、現代人がゲームにハマってしまう理由は、実は恐ろしく深い事象のような気がしてきた。
(極端なことを言えば、それは睡眠に似ているかもしれない。ゲームとは現代の睡眠、そして夢なのか?)

ここまで書いてきた内容はひどくまとまりに欠けているし、矛盾だらけだ。
でもそういう矛盾をムリに解決・整理してしまうよりは、そのまま出した方が正直でしかも真実に近い気がするので、
みっともないけどダラダラとテキトーに書き出したままにしておく。まあどうせ、いい加減な勘だけで書いてる日記だし。


2008.8.21 (Thu.)

今日はひたすら日記を書いて過ごした。

なでしこがメダルを逃したのは非常に残念。
ソフトボールの金メダルはすごいとしか言いようがない。上野は現代の稲尾だな。


2008.8.20 (Wed.)

朝6時には目を覚ましていたのだが、起き上がる体力がなく二度寝したので、結果的には家主の方が先に起きた。
みやもりの出社に合わせて僕も出る。両毛線のガード下で別れると(ワガママ聞いてもらってありがとうございました)、
青春18きっぷで電車に乗り込む。が、乗ったのが桐生止まりということで、本日最初の目的地である栃木まで行けない。
しょうがないので「群馬県伊勢崎市ってよく聞くなあ」と思ったので、伊勢崎駅で降りてみることに。

さて伊勢崎駅に降りたはいいが、何もない。東武伊勢崎線の終点でもあるし都会なんじゃないかと思ったが、何もない。
次の電車まで時間がなくってそんなに歩きまわれるわけじゃないので、適度に切り上げようと思いつつ駅から南へと進む。
でもいくら歩いても一向に市街地という感じにならない。これはいったいなんなんだろうと思いながら戻ることに。
後で調べてわかったのだが、伊勢崎駅から中心市街地まではもともとかなり距離があり、
しかも今はオートレース場付近の郊外の方が活発だそうで、結局、何も見どころのない辺りを往復しただけなのだった。

さらに東へ行き、栃木駅で降りる。ここは前にも来たが(→2005.11.13)、そのとき消化不良だったのでリベンジするのだ。
前回はいちおう巴波(うずま)川沿いに歩きまわったのだが、蔵は点在していて「街並み」という印象ではなかった。
そこで今度はもうちょっと時間をかけてもっと広い範囲を歩いてみようと思ったのだ。

前は住宅地の中を北上していったのだが、今回は蔵の街大通り(県道3号)を北上してみる。
最初は店が点在する閑散とした場所という印象だったが、そのうちしっかりとした街並みになってくる。
昨日の川越も似たようなところがあった(→2008.8.19)。伝統的な商店街と駅前商店街は違うということだろう。
ただ、栃木は川越以上に蔵造りの建築が点在していて密度が低い印象である。
歩いていると、ところどころで思い出したようにいくつか並んでいる、といった感じになっている。
そしてこちらもやっぱり県道ということで、交通量があるため写真撮影がしづらい。

  
L: 蔵の街大通り沿いの理想的な風景。だが、これがずっと続いているわけではないのが残念なところ。
C: もうちょっとこういった蔵造り建築の密度が高ければいいのに、というのは贅沢な願いだろうか。
R: とちぎ蔵の街美術館。蚤の市通りから歩いていくと、住宅地に突如として現れるという印象に。

途中の観光案内所でパンフレットの地図をもらい(駅に目立つように置いていないのは配慮が足りないと思う)、
そこでオススメされているルートをそのままなぞって歩くことにした。北端の岡田記念館周辺まで行ってみる。
岡田記念館ってのは、地元の名士である岡田さんの邸宅・別荘を資料館として公開しているものだ。
とりあえず別荘である「翁島」を見ることに。銘木を使って建てたという建物の中は非常に涼しくて快適。
昨日に引き続いて和風の建築はすげえなあ、木造建築はすげえなあ、と感心するのであった。
僕はお金持ちのさりげない贅沢を理解できるような高級な人間ではないので、そんなレベルどまりなのである。
しっかり堪能すると、かつて代官屋敷だった岡田記念館へ。個人の運営する資料館なので独特のクセがあるが、
さすがに歴史ある街の名士ということで、日本画やら陶磁器やら鎧やら農具やらいろんな物が置いてある。
往時の凄みは十分感じられて、なるほどねえとうなるのであった。

  
L: 翁島。ひとつひとつの素材にこだわった贅沢な建築だそうだが、「木造快適!」で済ませてしまう僕なのであった。
C: 敷地のすぐ隣を巴波川が流れる(右手が翁島)。この巴波川の存在が、栃木市の存在価値そのものだと思う。
R: 岡田記念館入口はこんな感じ。敷地はそうとう広く、奥には稲荷や大きな木もあるくらい。

地図を片手にさらに歩く。今も現役で使われている栃木医院の建物に圧倒された後は、
県立栃木高校の脇を通って栃木市役所へ。栃木市役所別館もやはり現役。見事なものだ。
こういう建物がきちんと残っているということこそ、街が昔も今も高い文化を保っているという証拠だろう。

  
L: 栃木医院。1913年築。  C: 栃木市役所別館。1921年に栃木町役場として建てられた。
R: 栃木市役所。かつてこの辺りに県庁が置かれていたが、三島通庸が宇都宮に移した。でも今でも栃木県。

帰りは巴波川沿いを散策しながら南に戻る。栃木は蔵の街というけど、その密度は意外とそんなに高くない。
栃木において重要なのは何より、この巴波川なのだ。この川をきちんと整備しているからこそ、
歴史の香りが漂う街となっているのだ。ゲシュタルトの図と地が実は逆転している、みたいなもんで、
本来この街の基礎となっている巴波川が美しいから、蔵を美しく感じることができるのだ。

 
L: 巴波川と塚田歴史伝説館の黒い塀・白壁の土蔵。3年前に来たときと反対側から撮った構図。
R: 栃木駅。蔵のイメージなのか黒い切妻屋根を前面に出したデザインになっている。

メシを食べて栃木を後にすると、小山で宇都宮線に乗り換え。小金井止まりばかりでジリジリしつつ電車を待つ。
やがて宇都宮まで行くはずの列車が来たので先頭車両に乗ったら小金井で切り離しになって降ろされる。
慣れていない列車の仕組みに翻弄されつつ宇都宮にたどり着くのであった。

 宇都宮駅。相変わらず市街地から少し距離がある。

昨日と同じように雲行きが怪しくなってきた。ちょっと急ぎながら市街地へと向かう。
なぜわざわざ宇都宮に来たのかというと、新しい栃木県庁が昨年竣工したからである。
3年前に来たときには工事の真っ最中で、きちんと情報収集しなかったことに恥ずかしい思いをした(→2005.11.13)。

とりあえず、まずは宇都宮市役所をもう一度見てみるつもりでいたが、「そういえばなんかつくってたよな」と思い出す。
市役所のすぐ東側は宇都宮城址で、3年前に来たときには大規模に公園をつくっている真っ最中だったのだ。
で、行ってみてびっくり。見事な堀と櫓ができている(昨年オープン)。石垣の代わりに土塁の斜面が芝で覆われている。
中に入ってみてさらにびっくり。土塁をくぐると広大な土と芝生のツートンカラーなのである。
この土塁の中はコンクリートで固められた資料室となっている。天守を再建するわけでもなく、
片側だけ土を盛った広場にするという発想はなかなか独創的だ。

  
L: 宇都宮城址公園・清明台。櫓の中から周囲を眺めることはできるが、そんなに高さがないのが難点。
C: 公園内はこのようになっている。左手の入口のところに資料スペースがある。
R: 清明台から公園内を眺めたところ。今後もいろいろつくっていく予定があるのかな?

宇都宮城址公園からまっすぐ宇都宮市役所へ。前回来たときとまったく変わらない姿だが、いちおう撮影。

  
L: 宇都宮城址公園から眺めた宇都宮市役所の側面。正面から見るのとまったく変わらない。
C: こちらは正面から眺めた宇都宮市役所。右隣には議会棟。  R: オープンスペースと議会棟。

撮り終わるとやっぱり早足で栃木県庁へと向かう。宇都宮市役所と栃木県庁は南北に一本の道でつながっているのだ。

 栃木SCを応援する旗が掲げられていた。栃木は関東で唯一、Jリーグのクラブがない。

大通りを越えると街路樹が目立つようになる。総合文化センターなど県関連の施設が多くなり、雰囲気が変わってくる。
道を進んだ先にあるのが栃木県庁舎。広いオープンスペースの向こうに、ガラスの比率の高いファサードで建っている。
街路樹で視界がふさがれたところに突如として開放感あふれる県庁が現れる形になっている。

  
L: 栃木県庁。入口まで遮るものが何もなく平坦なので、かなり開放感がある。建物をそんなに大きく見せない工夫か。
C: 県議会議事堂。以前のモダニズムピロティとはまったく異なる形である。芝生が広い。
R: 県庁本館。手前には栃木県の形の石が置かれ、「栃木県庁」と彫られている。

本館の南東(右手前)には先代の4代目庁舎が「昭和館」としてリニューアルのうえ保存されている。
残っているのは正面部分のみだが、内部は例のごとく栃木県の資料館となっている。
ちなみにこの先代庁舎の設計者は佐藤功一。昨日の旧群馬県庁舎(現・昭和庁舎 →2008.8.19)と同じ人である。
佐藤功一は栃木県出身ということで、その業績を紹介するコーナーも設置されている。

ところで、群馬県庁と栃木県庁は正面から向かって眺めると、空間構成がよく似ている。
街路樹の生い茂る大通りから開放感のある敷地にアプローチするスタイル、左手の議会、右手の旧庁舎、
そして真ん中に現在の庁舎という位置関係はまったく一緒と言っていいだろう。
旧庁舎を設計したのも同じ佐藤功一なら、それを「昭和」という名でリニューアル保存している点も共通している。
上野国(群馬県)も下野国(栃木県)もかつては毛野国だったってことで、今も似ている部分は多そうだ。

 旧栃木県庁舎本館、今は「昭和館」。上品にリニューアルした印象。

撮影していたら雨がいよいよ降り出した。今回の旅はツイてないなーと思いながら、急いでシャッターを切ってまわると、
本館の中に入ってみる。お約束のアトリウムには一本の木から切り出してつくったという船があった。理由はよくわからない。
最上階の15階は展望ロビーになっているので、行ってみる。眺めてみると、南は平野が続いているが、北や西は山がち。
平日だったが思ったよりも人がいた。雨宿りということで来ている人もいたようだった。

 
L: 中央通りと宇都宮市役所。こんもりしているのが途切れた辺りが大通り。
R: 西・群馬県側を眺めたところ。山が幾重にもなっていて、なかなかきれいだった。

県庁を出ると雨はだんだん本格化してこようとしていた。折りたたみ傘を取り出し、慌ててオリオン通りまで戻る。
アーケードに入ってしまえば雨なんて関係ないもんね、と思って気ままに歩くが、まったく勢いはおさまらない。

 オリオン通り。ナベサダをイメージしたジャズの旗と栃木SCの横断幕が目立つ。

しょうがないのでPARCOに入って本屋で文庫本をまた買った(荷物は駅のロッカーに預けていたのだ)。
本日は『プロ倫』こと、マックス=ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。
レビューが書けるのはいつになるやら、と思いつつスタバで雨がやむのを待ちながら読んでいく。
しかしながら雨の勢いは一向におさまることがなく、オレ帰れるんかいな、とかなり不安になってくる。
肝心の『プロ倫』は訳者である大塚久雄の解説が柔らかいうえに明快で、すげえすげえとひたすら感動。
そんな具合に夢中になっていたら、ようやく雨の弱まる気配がしはじめたので、外に出る。
宇都宮駅に着く頃にはパラパラといった程度になっていた。それにしても最近の天気の不安定さには困ったものだ。

土産物屋で冷凍餃子と佐野ラーメンを買って帰る。半分意識を失った状態で電車に揺られるのであった。
家に着いたら勢いよくそれらを食べる。どちらもたいへんおいしゅうございました。


2008.8.19 (Tue.)

面接が終わってすべてをサボって遠くへ行きたくなったので(まだ実技が残っているけど、休みを入れるのだ!)、
青春18きっぷを買っておいた。そしてみやもりに電話し、「平日だけど一泊させてくれ!」と強引にお願いして旅に出る。
最近はすっかりご無沙汰の関東近郊を気ままに歩いてやろうと思ったのだ。

最初の目的地は川越。今も古い街並みを残していることで知られる、歴史のある場所だ。
大学時代のゼミで2名ほど川越関係者がいたので個人的にはなんとなく親近感があるのだが、
行ったことがないというのも都市社会学を学んだ者として恥ずかしいので、この機会にちょっくら見てやろうと思ったのだ。

青春18きっぷを用意したのはいいが、川越というのは電車賃的にけっこう微妙な位置にあり、
JRだけで行くよりも、池袋から東武に乗った方が安くて早い。というわけで、本日は18きっぷは封印。
池袋発の急行列車に乗り込むと、ぼんやり音楽を聴きながら車窓の風景を眺めて過ごす。
埼玉に入ると家々の屋根が波のように地面を埋め尽くすのは、どの路線の電車でも同じようだ。
ふじみ野駅で「よっすぃー! よっすぃー! 聖地巡礼!」と興奮することもなく、淡々と川越駅に到着。

川越駅でパンフレットの地図を手に取ると、それを参考に北へ向かって歩きだす。
一番の商店街であるクレアモールをまっすぐ北上。いかにも私鉄の商店街といった雰囲気で心地よい。
9時少し過ぎなので店はどこも開いてないのだが、人通りはけっこう多い。
途中の本川越駅を見てみるが、なんだかロボットっぽい印象がした。テナントの表示がいかにも西武っぽい。

 
L: 川越駅。JRと東武の改札がコンコース内に並んでいる。ペデストリアンデッキの印象がすごく強い。
R: こちらは本川越駅。言われてみれば、クレアモール一帯は西武沿線って雰囲気かも。所沢もこんなんだったな。

クレアモールをさらにまっすぐ北へ行くと、大正浪漫夢通りという石畳の道になる。
小ぎれいな商店が並んでいるが、その北端には川越商工会議所。1927年に武州銀行川越支店としてつくられた。
西隣の中央通り(県道39号)に出て、さらに北へ。するといよいよ、小江戸・川越らしい街並みとなる。
おおなるほど、これは確かに見事だなあと思ってカメラを構えるが、なんせ県道沿い。交通量が半端でない。
歩道は適度な広さをとってあるけど、ひっきりなしに車が行き来するので油断しているとけっこう危ない。
のんびりと歴史ある建物をぶらぶら見て歩くという雰囲気ではないのが非常に残念だった。

  
L: 大正浪漫通り。駅から行くと、まずはジャブで様子をうかがうって感じになる。いつ行っても穏やかな場所。
C: 川越商工会議所。川越の中央通りには電線がないけど、ここでは思いっきりジャマな位置にあるのだった。
R: 川越・中央通り。車がいなくなるタイミングを待って撮影。せっかくの街並みも、これでは魅力が半減なのだ。

せっかくなので、蔵造り資料館におじゃましてみる。そしたら市内のほかの施設との共通チケットを勧められた。
それじゃあ、と学生料金で蔵造り資料館・市立博物館・川越城本丸御殿の3館セット券を150円で買う。安いな。
で、蔵造り資料館は中の蔵が資料の展示スペースになっていて、川越の街並みが生まれた経緯が説明されている。
川越は、1893(明治26)年3月の大火で市街地がほぼ全焼といっていいほどの被害を受けた。
それで復興の際に耐火建築である蔵造りの建物が盛んに建てられた。これが戦災を免れ、今も残っているのだ。
すでに外はかなりの日差しで、じっとしていても汗が吹き出るほどの気温。しかし蔵造りの建物の中は実に涼しい。
中庭の緑が温度を下げていて、その影響もあって部屋の中は非常に心地よくなっているのである。本当に快適だ。
温暖化とヒートアイランドで都会はメチャクチャな局地的豪雨に悩まされるようになっているが、
こういうクーラーいらずの建築がずらっと並んでいれば、そんなこともなくなるんじゃないの?とすら思う。
江戸時代も明治時代も夏は昔っから卒倒するほど暑かったが、緑と日陰(和風建築)でそれをやり過ごしていた。
そんなことを考えながらしばらく涼むのであった。いや、こういう住宅で暮らすってのは本当に贅沢なことだ。

  
L: 蔵造り資料館の外観。建物の中はだいたい自由に歩きまわれる。右側は観光案内所になっている。
C: 建物2階の部屋から中庭方面を眺める。クーラーいらずの快適な空間で、和風建築の威力が体感できるのであった。
R: 時の鐘。上ることはできないが、立派なランドマーク。1893年の大火の後につくられたものがそのまま現存している、見事。

昔からの街並みが残る一帯から東へ行くと、川越市役所。堂々とした外観だが、なぜか小ぢんまりとした印象が残る。
格子状のファサードはよくみるとそれぞれ凹面になるように工夫されていて、これがけっこう効いていてオシャレ。
無彩色で味気ないオフィス庁舎と思いきや、近づいてみると造形上の仕掛けが響いてくるようになっているのだ。

 
L: 川越市役所を駐車場から撮影。こうして見ると特にこれといった印象のない庁舎建築である。
R: 正面入口からファサードを見上げたところ。エントランスとともに造形上の工夫が効いている。

周囲はすっかりごくふつうの片田舎の住宅地といった風情になってきている。
そこをさらに東に行くと、かつて川越城があった一角にたどり着く。今は美術館・博物館・野球場がつくられている。
チケットを片手に博物館に入る。川越市としてはこの手の施設は街の自慢のしどころなので気合の入るところである。
展示物のヴォリュームはそれほどでもなかったが、全般的にきれいに演出されていたのが印象的だった。

炎天下の中、高校生たちは球場で必死になって野球をやっていたが、あんまりのんびりもしていられないので、
さっさと川越城本丸御殿に入ってしまう。最近は、静かな本丸御殿復元ブームが到来しているように思う。
(僕が行ったところだけでも、佐賀城(→2008.4.26)・熊本城(→2008.4.28)で新しくつくっていた。
 名古屋城(→2008.2.4)でも資金集めを必死でやっている。天守に次ぐ新たな観光資源として注目されている。)
しかし川越城の場合は、1848(嘉永元)年に建てられたものが現存しているのである。これは非常に珍しい。
残っているのは玄関・大広間部分と家老詰所だけなのだが、それにしてもすごいことだ。
中はやっぱり、風通しが良くって快適。クーラーなんてなくたって日本はやっていけるんだよなあ、と思うのであった。
本来なら歴史ある城下町・川越のことをあれこれ考えながら見てまわるべきなんだろうけど、
あまりに天気と比べて居心地の良い場所だったので、木造建築の極意は夏に日陰をつくることじゃのう、
などとよけいなことばかり考えながらのんびり一周するのであったことよ。

 
L: 川越市立博物館。隣の美術館もそうだが、蔵のイメージで統一している。むしろ真逆のアプローチの方がよかった気も。
R: 川越城本丸御殿入口。純粋に建物を展示しているという要素が強く、コレクションの展示はほとんどなかった。

帰りは川越高校前を通る。本丸御殿のすぐ隣という立地からして、地元でどれだけの誇りになっているかがわかる。
ちなみにこの高校は男子高校生のシンクロ、いわゆる「ウォーターボーイズ」発祥の地として知られている。
やっぱ賢い高校はいろいろ面白くっていいよなあ、とうらやましく思いつつ時の鐘まで戻ったのであった。
川越ではこの時の鐘周辺に飲食のできる店が集まっていて、観光の重要なポイントとなっている。
が、思ったよりは蔵造りの建物があちこちに点在する形になっていて、そんなにまとまっている印象はない。
(僕の中の「歴史ある街並み」の基準が妻籠だったり馬籠だったりするせいかもしれないが。→2005.8.16
車の交通量を分散させる工夫と、蔵造り密度を上げる工夫があれば飛躍的に魅力が増すと思う。難しいことだけど。

あとはやっぱりぶらぶらしながら駅まで戻る。なんだかんだでけっこうな距離を歩いたので、スタバで一服。
いちおうパソコンは持ってきていたけど、日記を書くこともなくポケーッとしながら電車の発車時刻を待つ。
次の目的地はみやもりのいる前橋なのだが、ふつうに大宮まで出て高崎線を使うのも芸がないと思ったので、
わざわざ高麗川まで出て八高線で行くことにした。大学時代に合宿の下見で一度乗っているのだが、
ディーゼルに揺られる方がいかにも旅行って気分がするじゃんか、という発想はだいぶ鉄分濃いめなのだろうか。

北埼玉の山がちな田舎を突っ切って、いつの間にやら群馬県に入る。
やっぱり海なし県の田舎の風景は心が落ち着くところがあるなあ、なんて思っていると急に都会になって高崎に到着。
八高線のホームはけっこう遠く、両毛線のホームにたどり着くとすぐに発車。ちょろっと揺られて前橋である。

前橋に着くと急いでメシを食べる。川越にいたときには殺人的な日差しだったのに、今はもうだいぶ空模様が怪しい。
頭の中に地図はできあがっているので、早歩きでまっすぐ群馬県庁・前橋市役所へと進んでいく。
しかし残念ながら途中で雨が降り出してしまった。折りたたみ傘を取り出してなおも歩き、県庁前に到着。

前橋市役所を撮影すると(やっぱり構図としては前回と似たような感じになってしまった →2005.11.12)、
引き続き群馬県庁を撮影。ところがもっと近くで撮ろうと敷地に入った辺りで土砂降りへと変化。
傘をさしていても地面を撥ね返る雨で足元からグチャグチャになっていく惨状なのであった。

  
L: 前橋市役所、市庁舎と議会庁舎。  C: 議会庁舎をクローズアップ。ふたつの建物は面白いくらい印象が異なる。
R: 市役所裏手の駐車場から眺めた群馬県庁。地上33階建てで、両毛線に乗っていても非常に目立つ。手前の銀色は県議会。

  
L: 県議会をクローズアップ。  C: 群馬県庁は明治9年から一貫してこの場所にあるんだそうだ。
R: 1928年竣工のかつての本庁舎はリニューアルされ、現在は「昭和庁舎」として利用されている。設計は佐藤功一。

とてもじゃないがカメラを構えてなんていられないほどのひどい降りよう。
こうなってしまってはどうしょうもないので、アーケードの商店街まで戻って一息つこうと考え、歩きだす。
しかし県庁からアーケードまでは距離があり、雨の勢いは増すばかり。ついに上半身まで濡れはじめる。
雨があまりに強すぎて、アーケードの中も撥ね返りやら何やらで傘が必要な状態という有様なのだった。
しょうがないので本屋で時間をつぶし、前々から読みたかったロラン=バルトの『表徴の帝国』の文庫本を買って出る。

 前橋のアーケード商店街は人がいなかったけど、全国的にみればまだマシかなあ。

駅前のデパートまでどうにか戻ると、そこで『表徴の帝国』を読んで過ごす。
やがてみやもりから連絡が入ったので、駅の南側にある大規模商業施設・けやきウォーク前橋に移動してフラフラする。
アピタ系列が「ららぽーと」っぽいことをした、という表現で片付けられそうなこの施設、本屋が充実していてなかなか良い。
歩きまわっても適度なスケールで、疲れず楽しめる。ららぽーとの影響力はなかなか面白そうな社会学的テーマだと思う。
ゲーセンの前に椅子とテーブルが置いてあったので、そこで読書したり日記書いたりして過ごしていると、みやもりさん到着。
平日で仕事が忙しい中、わざわざワガママを聞いてもらってホントにすいませんなのである。

みやもりに「いつも行ってるところにあたしを連れてって!」と言って、オシャレな飲み屋に連れて行ってもらった。
出てくる料理が本当にどれもおいしくって、とってもステキでございましたなあ。実によろしかったです。
で、こないだの二次面接のことだとか(よくわからない面接の結果はどっちに転ぶんずらという人生相談要素含む)、
オリンピックの話だとか(美人アスリートがオグシオしかいないとかみやもり曰くオレがフェンシング太田に似てるとか)をしたが、
まあ、僕らの世代は放っておくと自然とモ話になるわけだ。モーニング娘。のメンバー変遷は2人ともなんとか覚えていたが、
歴代シングルをリリース順に挙げるのはもうムリだった。すっかり興味が薄れ(移り)ましたなー。まいみまいみ。

そんな具合に、平日にもかかわらず日付が変わるくらいまでグダグダ話をしてから、みやもり邸へ移動。
僕は今までみやもりの部屋というものを一度たりとも見たことがなかったのだが、見事に男の独り暮らしの部屋だった。
マンガが多く、ジョジョと福本伸行・片山まさゆきが妙に目立っていた。しかしその中に『ラブひな』が混じっており、
「おい、お前、なんてものを読んでいるんだ!」と僕は憤慨。僕の中でのみやもりに対する見方がだいぶ変化した。

 『ラブひな』愛読者・みやもりさんのお部屋。

「『ラブひな』好きにはおしおきが必要だな!」ということで、僕のパソコンで℃-uteのライヴDVDを上映。
きちんと寝たのが2時過ぎということでホントすいませんでした。はしゃぎすぎました。


2008.8.18 (Mon.)

採用試験に向けてストイックに勉強をしているはずの身分でありながら……実はけっこう北京オリンピックを見ている。
小さな音量で声を流しておき、アナウンサーや観客のテンションが上がるとチラッとチェックするという感じである。
ドキュメンタリーや教養番組は見入っちゃうし、バラエティは時間のムダだし、オリンピックをホワイトノイズ感覚で流している。
まあ単純に、がんばっている人を見るのは励みになるじゃないか。そういうことなのだ。

今日は女子サッカー・なでしこジャパンがアメリカに敗れてしまった。
ニュージーランド戦での同点劇、ノルウェー戦での大爆発、中国戦での確かな強さは見ていて本当に勇気づけられた。
なでしこが見せた徹底的に前進することを意識した「縦」のサッカーは、日本の進む方向性を鮮やかに示していたはずだ。
男子についてはコメントしたくない。常識的に考えて、3連敗は仕方ないことなのだ。問題は、負け方とその受け止め方。
とりあえずGK西川はよくがんばった。MFのアイツは二度と日本に帰ってくんな。

競泳の北島康介は本当に凄い。これだけ安心して応援できる選手ってのはほかにいない。
一方で、柔道の崩壊ぶりが信じられない。みんなが世界でトップクラスの努力をしているにもかかわらず、
それが報われる人とそうでない人がいる。残酷だが、冷静に敗因を4年前から克服していた者だけが笑うのだ。恐ろしい。

バドミントンのオグシオ敗退は、世間一般の男性の一員として、僕も大いに残念なのである。

今回特筆すべきはやっぱりフェンシング。ヨーロッパの独壇場というイメージしかないスポーツで銀とはすごい。
まったく想像していなかった種目からポンとメダルが出てくるってのは、新鮮でいいなあと思う。ニートというのも笑えてよい。

野球についてはプロが出場しているので、一切無視。五輪はアマチュア選手が名を上げる場であってほしい。


2008.8.17 (Sun.)

面接。会場に少し早く着いたけど中に入れてくれなかったので、近くの図書館で基本事項の確認をして過ごす。
まずは集団討論、続いて個人面接。個人面接は順番によっては3時間近く待たされる人もいるようで、なかなかキツい。
自分は集団討論の直後に休憩ほとんどなしで個人面接なのであった。まあ、集中していた方がいいかな、と思う。
集団討論は自分も含めて全員緊張の渦に巻き込まれてしまった感じである。
個人面接は想像していたものとはまったく異なる展開で、なんだかよくわからないまま終わった感触だ。
気合を入れておいた模擬授業がなくなったということで拍子抜け。もう何がなんだか。

熊本からいらしたという方と雑談をしつつ帰る。全国あちこちに行っていると話題に困らないなあと実感した。
ぼーっとしていて電車を乗り過ごしてしまった。まあそれだけ試験にエネルギーを使ったということなのである。たぶん。


2008.8.16 (Sat.)

昨日と同じ作業を繰り返す。面接票という個人情報とやる気を見せる書類があるのだが、その記入をする。
柄にもなく右手が震えて、なかなかきれいな文字で書けないので困った。
自分で自分に呆れたが、将来だとか生活がかかっているというプレッシャーは確かにあるのだ。

今日も気分転換のお出かけをしたのだが、天気がイマイチだったので近場の学芸大学で済ませた。
ブックオフで軽くマンガを立ち読みしてから、やっぱり喫茶店でノートとにらめっこ。
これが終わったら思いっきり旅行してやるんだ!という野望を燃料にしてがんばるのであった。


2008.8.15 (Fri.)

面接試験に向けて集中モード。さまざまな質問にどう答えるかをいちいち考えるのは面倒くさいし、
何より僕のアタマはそういうことについての記憶能力が著しく弱いので、自分の中の「構造」を一本化する作業をする。
そうして本番では「構造」に基づいて、質問に対して適宜答えをひねり出す、というやり方である。
ノートにあれこれ書き出していくのだが、まあ要するにKJ法みたいなものだ。その作業をずっとやる。

一日中家の中にいると頭が痛くなってしまい、かえって勉強どころではなくなってしまうので、
午後になって自転車にまたがり、あてもなくさまよう時間をとる。南方面に針路をとっていたら川崎に行きたくなった。
というわけで、のんびり音楽を聴きながら川崎まで。着いたらメシとハンズで気分転換をして、
喫茶店に入るとさっきのノートを取り出して作業を続行。日差しが緩やかになるまで粘る。

さすがに切羽詰まってくると、自分でも意外なくらいマジメだ。


2008.8.14 (Thu.)

けっこう久しぶりに英語をしゃべりに行ったのだが、間隔が空くとホントにダメ。
先週は介護等体験で平日動けなかったとはいえ、これはイカン。


2008.8.13 (Wed.)

なんだかツッパリたい気分だったので、いい歳こいて、グレてやることに決めた。

グレたらまずタバコなのだろうが、健康に悪いのでそれはパス。となれば、酒である。
酒なら健康に良くないほど飲めるわけではないので、問題はないのである。
近所のスーパーで15分くらい悩んだ末、けっこう値段が高めの日本酒を買って帰る。

家に帰り、酒を飲むための器がないことに気がつく。しょうがないのでメシを盛るどんぶりに酒を注ぐという愚挙に出る。
黒田節気分だコンチクショー(←こういうところだけクイズ知識はあるのだ)と思いつつ酒をあおる。
でも売っている中では高い酒を選んだせいか、思ったほど酔いが回らない。
沼津モゲ(→2008.7.12)で発覚したのだが、僕は酒の高級さに比例して酔いづらくなる体質なのだ。
しょうがないので、結局いつもとさして変わらない頭の回転具合で面接のための準備を進めることに。
修士論文のときもそうだったのだが、僕は面倒くさいときには酒で頭をブヨブヨにして乗り切る、というヘキがある。
しかし今回はさほどブヨブヨでもないので、なんだか間抜けな気分が増幅されただけなのであった。

飲めない人は何をどうやってもサマにならない、というのが今回の教訓。


2008.8.12 (Tue.)

図書館にて、面接でポイントになることをいろいろと整理。
気がついたら途中で電池切れ状態になっていたので、持ってきておいたミルキーを舐めて作業続行。必死だ。


2008.8.11 (Mon.)

ハローワークへ行く。くれるお金はもらっておきたいじゃないか、ということで。
で、書類に就職活動の状況を書いて提出したのだが、そしたら次回の来所指定日がずいぶん先になった。
なんでも、「あなたはまじめに就職活動しているからこれでいいです」とのこと。そういうものなのか。
僕はこういったことに本当に向いていない脳みそをしているので、事態がどうなっているのかよくわからない。
まあとりあえず、今は面接に向けての準備に集中することにしようと思う。

大森から新宿に移動。面接で提出する「単元指導計画」ってのがよくわからないので情報を探す。
いちおう、ニシマッキー夫人で現役教師であらせられるミユミユ様から各種コピーを送っていただいたのだが、
(お二方ともお忙しいところ本当にありがとうございました。今後は武蔵境に足を向けて寝られませんです。)
敵の本丸である都庁3階の情報コーナーにも攻め込んでみることにしたのだ。
そしたら教員の研修センターがまとめている紀要を発見。もしやと思って覗いてみたら、これが当たり。
単元指導計画は自治体・学校・教科ごとにクセがあって統一した書式が決められているものではないのだが、
けっこう参考になるものがそこそこ見つかった。ウハウハ言いつつコピーする。
大学・大学院時代に情報コーナーで書類を探す作業はさんざん経験していたわけで、それが見事に生きた。
今でも「クサい」書類を探し出す嗅覚は衰えていないんだなあと、なんだか誇らしく思ったよ。

夕方、また別の場所に移動して採用試験の勉強会に出席する。教育学部の先生が自主的に開催されたもので、
ネットで情報収集をしているうちに、某掲示板で告知を発見したので参加してみることにしたのだ。
会場に着いてみるとけっこうな人数が大部屋の中にワラワラといる。あらためて志望者の多さを実感する。
しかし当の先生にとってこの人数は予想をはるかに超えるものだったらしく、開始までかなりバタバタ。
当初用意していた机を取っ払って全員床に座って講義を聴くという盛況ぶりとなったのであった。

内容はとても実戦的で有益なもので、日ごろ一人でちまちま勉強をしていてはわからない部分を理解できた。
こういう充実した催しをわざわざやってくれるなんてすばらしいわん、と感動しつつノートにメモをとる。
(参加費がわりに会場の使用料を全員で割り勘にしたのだが、一人あたり50円という大盛況だったのだ。)
本当に密度の濃い3時間で、ここで学んだ内容は試験が終わっても役に立っていくように思えた。

帰るタイミングでちょうど雨がやんだ。長い一日が無事に終わった。


2008.8.10 (Sun.)

僕やみやもりやリョーシ氏、そしてダニエルといったHQS97年入学組にとって、
クイズ的に最も大きな影響を受けた先輩といえば、まずカナタニさんだと思う(その次はたぶんナガイさんとめりこみさん)。
僕らは「カナタニチルドレン」とでも形容できるほど、クイズについて、いやそれ以外の面でも、多くのことを学んだ。
そしてカナタニさんの練った理論は僕らの意思を完璧に統一し、第9回一橋オープン(→2006.7.14)の成功へと結実した。
僕らの大学生活をカナタニさん抜きで語ることはできない。今でもカナタニさんの武勇伝は僕らの間でよく話題にのぼる。
要するに、カナタニさんのことは、みんな今でもすごく尊敬しているってことなのである。

それでこのたび、カナタニ先輩のブログをリンクに加えさせていただくことができた。
とにかく僕なんかとは比べ物にならないくらい深い知識と鋭い感性と華麗な文章力をお持ちの方なので、
この自己満足日記を読んでくれている奇特な方は、ぜひとも先輩のブログをチェックしていただきたい。
大学卒業以来直接お会いしたことがないのだが、こうして連絡が取れて先輩の文章が読めるというのは幸せなことだ。
ネット社会ってのもいいもんだな!と思った。いつか直接お会いして、ぜひバカバカしい話で盛り上がりたい。
またひとつ、このシケた毎日をがんばれる根拠ができたぜ。


2008.8.9 (Sat.)

休養。

障害者施設で学んだことを、メモ程度だがきちんと書いておくことにしよう。

利用者の方は脳卒中や交通事故などで、みんな中途で障害を負ってしまった方ばかりだった。
半身不随で体の半分がうまく動かなくなる、というのはよくみられる症状である。
記憶に新しいところでは、元巨人の長嶋茂雄氏がリハビリの末、復帰している。
(実際に施設に行ってみて感じるのは、長嶋さんはそうとう懸命にリハビリに取り組んだんだろうなあ、ということ。)
ところがやはり脳に障害を負うということは、その影響が身体だけに留まらないケースを多く生み出す。
それが「高次脳機能障害」であり、今回お世話になった施設の利用者の方はその症状と戦っていた。

実際のところはどうなのかよく知らないけど、数式を例に使ってこの障害を説明してみよう。
人の能力だとか性格だとかは、人によってそれぞれ異なる。これを、「関数の違い」として考えてみることにする。
たとえば、ここに1匹の子猫がいたとしよう。それをどの程度かわいいと感じ、どんな反応をするかは人により異なる。
大げさに反応する人は、ほかの人よりも「かわいいパラメータ」が強く設定されている、そんな関数を持っているとする。
怖がりな人は「怖がりパラメータ」が強く設定され、怒りっぽい人は「堪忍袋パラメータ」が切れやすく設定されている。
そんな感じで、さまざまな無数のパラメータが複雑に組み合わさって一人の人間の性格が形成されていると考えよう。
つまり、「かわいい+怖がり+堪忍袋+きれい好き+笑いやすい+涙もろい+……」という数式を各自が持っていて、
それぞれのパラメータにはさまざまな数値が入り、それが計算された結果として人は何かしらの反応を示す、と考えるのだ。
さて脳卒中などで脳に障害が残ってしまった場合、この性格の数式が変化してしまうことがあるのだ。
数式の中のあるパラメータが消えてしまえば、当然、出てくる計算の結果が変わってくる。つまり反応が変化する。
それで「まるで別人のように性格が変わってしまった」「感情の起伏が激しくなった」といった症状が出ることがある。

また、脳に障害を負うわけだから、それまで持っていた能力がなくなってしまうこともある。
僕らは何気なく日常を過ごしているけど、無意識のうちに脳がこなしていることは、実はものすごく多い。
目に入った情報や耳に入った情報を、脳が無意識のうちに処理して自然と行動に移させるから、スムーズにいっている。
ところが高次脳機能障害ではそれができなくなる。典型的なのは、自分が疲れていることに気づかないことだそうだ。
自分が疲れていることに気づかないので休みを入れられない。そしてミスが多くなり、うまくやろうとしてまた負担がかかる。
(障害で脳の機能が制限されてしまうと、回り道をするように他の脳の部位を使って処理するため、すごく負担になる。)
それでイライラしてくるのだが、自分でその原因に気づくことができないので、あらぬ誤解を与えることもあるのだそうだ。
「すいません、いま疲れているから後にしてください」と言ってトラブルを回避することができなくなってしまうのだ。
これはほんの一例で、各種情報を適切に受け止められなくなると、ひどい場合にはそこらを歩くことすら難しくなってしまう。

半身不随は見てわかるが、高次脳機能障害は一見しただけではまったくわからない。
施設で何日も一緒に作業をしているうちに、ああ確かにこういうところで症状が出てくるのか、とようやく気づくのである。
理想的には社会全体がリハビリの場そのものとして機能するくらいに受け入れられる態勢が整うことなんだろうけど、
そこに至るまでの道のりは本当に遠い。対症療法的に、発見された症状に対して適宜フォローを入れていくしかないから。
昔に比べれば研究は飛躍的に進んでいると思う。でも、まだまだ人間の脳みその秘密を解明するには程遠い。
まあとりあえず、このことについてもっと知る機会を増やしていかねばなるまい。誰にだってリスクがあるだけに。


2008.8.8 (Fri.)

池袋の西武で障害者美術展が開催されている。
お世話になっている施設の利用者の方も何名か入選されたので、みんなで一緒に見に行くことになった。
障害の程度が軽い方は電車で移動、そうでない方は専用のバスで移動。僕はバス組に振り分けられた。
適度な振動で揺られる乗り物の中というのは非常に眠くなるわけで、半分意識のない状態で過ごす。
道路は都心部に入るとひたすら渋滞。自転車の方が速いんじゃないの?ってくらい時間がかかってやっと到着。

着いたらまずは、レストランでお昼を食べる。いつもは施設での食事なのでうれしいだろうなと思いきや、
利用者の皆さんの反応はごくごくふつう。それだけふだんのお昼に満足しているってことなのだ。
で、僕も皆さんと一緒に中華のランチをいただく。いろいろと雑談をしながら食べたのだが、
なんだか、学校の活動の一環って印象。障害者の自立を目指す施設なので、必然的にそうなるのかもしれない。

そして食べ終わると障害者美術展を鑑賞。利用者の方の作品の前で記念撮影をしてから自由に見てまわる。
しかしまあ、これがすごい。障害とかそういうのは関係なしに、絶対的な才能がはっきりとわかる作品が多い。
要するに、勝負は天才的なモノを持っているかどうか、なのである。それが展示された作品には確実に現れていて、
見てまわっていてものすごく刺激を受ける。鑑賞する側を触発する才能が、障害とはまったく関係なくあふれていた。
本来は障害に対する治療だったり癒しだったり、そういうところからスタートしているものなんだろうけど、
それが完全に自己の世界の表現というレベルまで到達してしまっている。方法論がちょっと違うだけ、なのだ。
そんなわけで「ハァー」とため息ばかりついていた。これには本当に恐れ入った。

帰りは新宿をわざわざ経由。街を出歩くことは、利用者の方にとっては大きな負担が強いられる。
それでこういう機会に人ごみ・街並みをわざわざ体験しておくというのだ。なんだか悔しくなってくる。
思えばデパートでも歩きまわったのは2フロア、しかもそのほんの一部だけ。ユニバーサルな世界はまだまだ遠い。

施設に戻ると、いつもどおりに帰りの打ち合わせ。でも僕らは今日が最終日ということで、一言ご挨拶を述べる。
僕はまとまらないままに、思ったことを素直に言わせていただいた。そして利用者の皆さんを見送ると、
ノートに感想を書いて提出し、施設の方の話を聞いて介護等体験は終了となるのであった。
二次試験を控えた時期の体験ということで確かに大変だったが、家でジトジトしているよりははるかにいい。
充実した時間だったなあと思っているので、むしろこのタイミングで体験できたことをうれしく思っているしだい。


2008.8.7 (Thu.)

明日はイベントがあるので、利用者の皆さんと作業を一緒にするのは今日で最後である。
納期が間近に迫っている慶祝ハガキの作業を徹底的にお手伝いするのであった。

午後にはテラスに張ったテントの下でクッキー売る。勘弁してくださいと泣きたくなるほどの炎天下、
しかも施設の周辺は住宅地なのであまり人が行き来するわけではない。でも売る。
ホースでアスファルトに水を撒いたら、呼び込みをするのもずいぶん楽になった。
子連れのお母さんを中心にクッキーはけっこう売れ、最終的には過去最高の売り上げになったとのこと。
で、介護体験生である僕らもいくつか購入するのであった。勉強の合間に食べることにしようと思う。

介護等体験という制度は田中真紀子の独断によって導入されたわけだけど、
こうして実際にやってみると、施設側の慣れっぷりに驚かされる。特別支援学校もそうだし、障害者施設もそう。
完全にボランティアの一員として扱うやり方ができあがっているので、混乱がほとんどなくスムーズ。
そして施設の利用者の方々もまた、介護体験生という存在に本当によく慣れている。
教員免許を取るために5日間来て交流するという事情をわかっているので、これまたスムーズ。
施設の方のお話では、介護体験は今ではすっかり「チャンス」と受け止められているようだ。
利用者の人たちが外の世界の人と触れるチャンス、社会とのかかわりを持つチャンス。
実際、僕らが来たことで機嫌がいい利用者の方もいるとのことで、それはそれで確実にいいことだなあ、と思う。
(その方は倒れて以来言葉が不明瞭になってしまい、初日には何を言いたいのかまったく理解することができなかった。
 しかし今日は筆談を交えたコミュニケーションをとっているうちに、その方が障害を抱えながらも現役の職人さんでいて、
 僕の家の近所に取引先があるのでよく来るということがわかった。よくまあここまで通じ合えたなあと自分でも驚いた。)

一方でまた、これが東京23区だから成り立っているのだ、ということもヒシヒシと感じる。
やっぱりこの施設は、けっこういいところな住宅街で周辺住民が大いに理解をしてくれる環境にあることが大きい。
NPOだとか福祉制度だとかが充実している地域だから、これだけ理想的に運営できていると思う。
もしこれがもっと田舎で理解が乏しく、自治体も財政難で非協力的だったら、こうはいくまい。
そして日本のほとんどの施設は「こうはいくまい」側だと思うのである。この施設が特別なのだ。
東京23区という都会の住宅地だから成立している幸福な例である、ということは忘れちゃいけないだろう。


2008.8.6 (Wed.)

施設ではいろいろな仕事をやるからけっこう疲れるけど、コミュニケーションもとれてきていい感じである。
最初のうちはなんとなくおそるおそる動いていたのだが、慣れてきたので判断がスムーズにできる。
さて今日も施設の主力商品となっているクッキーづくりに参加。昨日の午前中は型抜きだったが、
本日は「こね」の作業なのである。小麦粉をふるい、バターなどを加え、それを混ぜる。
混ぜていくうちに均等になっていき、やがて細かい粒がいかにも生地っぽくなっていく。
そして生地はコシのある塊へと変化する。最後の変化は本当にあっという間で驚いた。
そんでもって意外と筋肉を使う作業であることにも驚いた。慣れれば余分な力も抜けるのだろうけど。

施設のお昼は400円ほどの費用がかかるが、これがものすごくおいしい。
利用者の皆さんも大いに楽しみにしていて、それが施設の活気に直結している。
なるほど、メシってのはやる気につながるもんだなあとあらためて感心した。
個人的にもここんとこホントにひどい食生活ばかりなので、心が洗われる思いがするのであった。

昼休みには利用者の方とオセロで勝負。しかしまあ、これが見事に毎回、遊ばれて終わる。
向こうはいつもオセロをしていて勝つパターンを知っているのだろうけど、情けないほど歯が立たない。
もう緑の盤面を見るのもイヤっス、というくらいにフルボッコ(フルパワーでボッコボコ)になるのであった。


2008.8.5 (Tue.)

今日は午後から小学校で押し花ハガキをつくるイベントがあるということで、利用者の方・スタッフさんと一緒に行く。
利用者の方がアドバイスをしつつ子どもたちの作品を仕上げる、そのお手伝いである。
行ってみると元気いっぱいの小学生に振り回されまくり。つられてフルスロットルで2時間はあっという間に過ぎ去った。
そこそこ慣れてきたせいか、利用者の皆さんそれぞれの特徴がなんとなくつかめてきて、昨日よりスムーズにこなせた。
それにしても、利用者の皆さんとのやりとりはとても面白い。こちらに気をつかってくださっていることもあるのだが、
やはりもともと施設での時間を楽しんでいるのが伝わってきて、そのペースに引っぱり込まれている。
なんというのか、利用者の皆さんの姿勢は人生の先輩の姿勢そのもので、その点からも学ぶべきところがものすごく多い。

さて今日の天気は午後になって大荒れで、小学校では雷は鳴るわバケツをひっくり返したような雨は降るわという状況。
いったんやんだと思ったら帰り際になって再度大荒れで、みんなで「こりゃ参ったねえ」なんて話をしながら施設まで戻った。
しかし同じ区内にある施設では、雨はパラパラと降った程度だったそうだ。局地的豪雨にも程がある、と呆れたのであった。
最近は、一駅先の天気が今いる場所とまるで違うなんてことがザラにある。自転車乗りには本当にいい迷惑である。

いよいよもって勉強というか準備に集中しなくちゃいけない状況になったので、しばらく日記の更新を控えます。
これは良いニュースです、念のため。


2008.8.4 (Mon.)

介護等体験で社会福祉施設へ。教員免許を取るにはいろいろやんなきゃいけないことでいっぱいなのである。

社会福祉施設といってもさまざまだが、今回僕が割り振られたのは、身体障害者の作業施設。
身体障害者といってもさまざまだが、利用者の方々は先天的でなく中途で障害を負ってしまった人ばかり。
脳卒中で障害が残ってしまった方が多いそうだ。そう考えるとああなるほどね、と思うんだけど、
やはり脳にダメージを負ったということで、短期記憶や言語能力(失語など)に障害があるなど、
表面的には気づかない部分での問題もあるとのこと。なかなか難しいものだ。

施設のスタッフさんも利用者の方々も体験生の受け入れには慣れており、非常によくしてもらった。
体験期間は今週の金曜まで。キビキビやっていきたいものである。


2008.8.3 (Sun.)

ヴァンフォーレ甲府は本日、ホームで仙台戦。
当然、観に行くことなどできないわけで、勉強をしながら合間合間で経過をチェックする。
仙台の先制にがっくりうなだれ、次にチェックしたときには2-2になっていた。おお、すげえ!と興奮する。
が、マラニョンにイエローが2枚出ており、前半で退場していた。ホームでそれは常識では考えにくい展開である。
また審判がやらかしたか。こりゃあ小瀬は荒れてるだろうなあ、なんて思いながら勉強に戻る。
試合は結局そのままドローで終わり、甲府のJ1復帰はかなり厳しい状況となった。

どうして甲府は毎回レベルの低い審判に苦しめられなくちゃいけないのか。
甲府の試合を観に行くと、審判の判定に対して怒りを覚えずにいられない展開になる確率は50%を余裕で超える。
誇張なしで、本当にそうなのだ。日本で一番、レベルの低い審判に苦しめられているのは甲府なんじゃないかと思う。
今日も去年9月に等々力で常軌を逸した判定をしたバカ(→2007.9.30)が主審で、見事に試合を壊したそうだ。
1993年のJリーグ開幕に対して見向きもしなかった僕が今これだけサッカー好きになっているのは、
Jリーグ、そして日本のサッカーのレベルが確かに上がってきたのを実感しているからだ。
テレビ中継にしろスタジアム観戦にしろ、試合を観て「面白い」と思えるようになったからだ。
でも、選手のレベルは確実に上がったのに、審判のレベルは一向に上がっていないようだ。
本当にお粗末な判定が多く、それでいてミスを隠すために権威ばかりを振りかざす姿が目立つ。
もうこの際、最高裁の裁判官に対する国民審査のように、無能な審判を罷免する制度を採り入れるべきだと思う。
そうでもしなきゃとても納得いかないよ。


2008.8.2 (Sat.)

昼間そこそこ勉強して、さあ夜も勉強するかなと思っていたらマサルから電話。
なんでも、入魂のムックが発売になったので見てくれ、とのこと。こっちから行くのは面倒くさいのだが、
マサルが大岡山に来てくれるというので急遽会うことになった。

大岡山は夏祭りの真っ最中で、商店街がかなり混み合っていた。
引っ越してからもうずいぶん経つけど、こういった地域のイベントは全然把握できていなかった。お恥ずかしい。
で、携帯ゲーム機でロックマン2(クラッシュマンステージ)をやっているマサルと合流するとテキトーに居酒屋へ。

マサルはさっそくムックを僕に手渡してくれた。
肝心の本のタイトルは『へんな趣味 オール大百科』。最近は「○○マニア」がもてはやされる時代である。
ネットの普及は一般市民を情報の送り手に変化させたわけで、それにともなって、
意外な能力・特技・趣味を持つマニアがあちこちで注目を集めている。それをマサルはムックでまとめたというわけだ。
1ページ1ページ、マサルの思い入れというか解説というかを聞きつつページをめくっていく。
全国各地のコンビニを中心に大好評発売中なので詳しい内容説明は避けるが、
思わず「く、くだらねえなあ~」という褒め言葉が口を突いて出るマニアが、約4ページに1人の頻度で登場する。
踏破・創作・蒐集などのジャンルごとにまとめられているのだが、いや本当に世の中は広いなあと感心。
ちょっとしたことも長く徹底的に続けていけば、それがひとつの道となってしまうのである。
自分の県庁所在地探訪なんてまだまだヌルいなあ、と心底実感しながら、休む暇もなく登場する各種マニアに呆れた。

マサルはこのムックをより多く売るにはどうしたらいいか、ということを聞いてきたので、
自分なりに読者層を想定しながらあれこれアドバイスを送る。最近、マサルとサシで飲むとこの構図が多い。
面白いもので、酒を飲みながら相手の顔を見てテキトーに考えているとスマートな案がポンポン出てくるのである。
机と向かい合って根を詰めてウンウンうなるよりも、こっちの方が僕には向いているようだ。

で、話題はとりとめのない方向へとどんどんズレていくのであった。
「れいなちゃんが最高に決まっとるやん」「いやいや舞美がすばらしいのよこれが」
「前はよっすぃーよっすぃー言っとったのに、コロッと乗り換えたんよね」「それがふたりともけっこう共通項があるんだよ」
「まあキミがなんて言おうとれいなちゃんが一番ええんやけどね」「いや、舞美だ。これだけは譲れない」
30歳児ふたりは10年前から何ひとつ成長していないところを見せつける会話を繰り広げるのであった。
そのうちに「どっか行きてえなあ」という話になり、マサルが「大井川鐵道に乗りたいんよね」と言い出し、
気がつけば姉歯祭りでみんな一緒に大井川鐵道に乗ろうか、ということで盛り上がる。
悪いアイデアがものすごい勢いで湧き上がる。これはぜひ実現させたいところである。

あ、そうそう。マサルへのニューヨーク土産も無事に渡すことができた。
下関旅行の際にマサルは秋芳洞で「きれいな石を買う」というビックリ行動をとってくれたわけで(→2007.11.3)、
今回はその故事にちなんで、アメリカ自然史博物館で買った「アメリカのきれいな石セット」を贈呈。
マサルは「僕が石を買ったのは下関のときが初めてだったんよ」と言いつつも、けっこう喜んでくれた。よかったよかった。

そんな感じで結局4時間ほど盛り上がったのであった。もちろんその夜の勉強はキャンセルである。
が、おかげで精神的には大きな余裕ができた感じだ。また機会を見て一緒にいろいろアイデアを練ることにしようや。


2008.8.1 (Fri.)

いろいろ忙しい非常事態宣言ということで、今月の日記もしばらく粗くなるのである。とにかくがんばるさ。


diary 2008.7.

diary 2008

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