diary 2009.5.

diary 2009.6.


2009.5.31 (Sun.)

本日も朝から午後にかけてサッカー部の練習である。
昨日は仕事をやってて参加できなかった分、今日はじっくりと練習に参加させてもらう。
生徒たちとほぼ同じメニューをこなして汗だくになるのであった。

それにしても歳をとるというのは切ない。
長年の運動不足でなまった筋肉はついに回復せず、キック力に悲しくなるほどの差が出てしまっている。
とにかく遠くに飛ばないのである。そんでもって、足がすぐに痛くなっちゃうのである。切ないったらありゃしない。
ミニゲームでも、とにかく俊敏さが足りない。ワントラップしてから蹴りだすまでのアクションが泣けるほど遅い。
頭では攻めるにも守るにもある程度展開を読めているのに、体がついていかないのだ。もう本当に悲しい。

次の土曜日で、こういう練習の日々も終わるかもしれないのである。
生徒たちとまったく同じように、僕にもカウントダウンは聞こえている。
今の僕には、生徒たちにとっても自分にとっても、残された時間ができるだけ有効になるように動くしかない。
若さが特権であるなら、時間を逆算できるようになることも年寄りの特権であるように、最近少し思えてきた。


2009.5.30 (Sat.)

来週の土曜日がサッカー部の夏の大会・初戦に決まった。
3年生はこれに負けたら引退となる。つまり、今週の練習がラストになる可能性が非常に高い。
そういうわけで、本日は朝から学校で練習なのである。グラウンドを全面使って部員たちがボールを蹴る。
僕は僕でやらなきゃいけない仕事があったので(プリントの作成がワンサカ)、職員室にこもって作業。
たまに隣の放送室から顔を出してグラウンドを観察するといった具合なのであった。

カウントダウンが始まったのだが、サッカー部員たちの調子はどうにもイマイチ上がりきっていない。
このまま週末までいってしまうのではないかと不安になるが、そこは生徒を信頼しておく。
プリント仕事が終わるとグラウンドに出て、練習の様子をじっくり眺める。
「声を出して広がれ」とか「個人でなくチームでプレーしろ」とか、たまに叫ぶ。

午前中に練習が終わると家に戻る。天気が良くないのでそのままおとなしく過ごす。
勢いで東京スカパラダイスオーケストラのDVD『SKA EVANGELISTS ON THE RUN』を買ったので再生。
そしたらこれがお値段以上に見事な演奏のオンパレードで、部屋でひとり悶えながら聴いたのであった。
前半のうちは、曲の途中でインタビュー映像が挟まったり曲を途中で切ったりという狼藉が繰り広げられるが、
後半に入ると比較的スムーズにライヴ音源を楽しむことができる内容になっている。
この演奏がどれもめちゃくちゃすばらしく、なんで素直にライヴDVD化してくれなかったのかと思うほど。
久々にスカパラを聴いてテンションが上がった。いやいや、やっぱりスカパラはすばらしい。


2009.5.29 (Fri.)

昨日出た結論にもとづき、本日の僕は紙でつくった付けっ鼻をつけて教室に登場したのであった。
僕は4つのクラスを担当しているが、そのうち1つのクラスだけがスケジュールの都合でALTを体験できなかったので、
じゃあ代わりに僕がALTのフリをして不公平にならないようにしようということでそんな演出をしてみたのである。
もちろん授業の内容は昨日ほかのクラスでやったことをできるだけ再現するという試みである。当然、全編英語。

ところがどっこい、変にノリのいいクラスだったので、なかなかうまくいかなかった。
全体としては授業の内容をきっちり再現できたのだが、敵はALTを相手にするつもりにはなってくれず、
「一生懸命ALTを演じている面白いマツシマ先生」を相手にする姿勢で応戦してきたわけである。
おかげで僕のやることなすことすべてが、ノリツッコミ状態になってしまったのであった。
まあそれは冗談好きな僕の「キャラ」が災いした結果でもあるので、素直に受け入れるしかないのだが。
授業が終わって「どうだったよ?」と訊いたら、「先生の努力する姿勢は買う」ときたもんだ。生意気な。

生徒たちにとって、僕はすでに「他人」ではない。そういう人間が「他人」を演じるのは、ものすごく難しい。
もっと生徒たちがALTに慣れて、ALTが「他人」ではなくなったとき、このやり方はうまくいくのかもしれない。
まあともかく、日々勉強な毎日だわ。


2009.5.28 (Thu.)

ALTとの初授業である! 朝からものすごく緊張してカッチカチになるのであった。

とりあえず最初ということで自己紹介を生徒と互いにやるという内容をお願いしたのだが、
いざやってみると、まあとにかくその要領の良さ、展開の上手さに心底感心した。
ALTは自分についてのクイズを何問か用意していて、それを使ってあれこれ盛り上げながら授業を進めていく。
日本人にあるようなムダなシャイさがない点をうまく使って司会進行するのを目の当たりにして、
おお! 英語の授業とはかくあるべきだったのか!と、今さら目からウロコがボロボロ落ちるという有様。
生徒たちと同じくらい、僕が見ていて楽しかったのである。こりゃあぜひ参考にしなくちゃ!と感動したのであった。
もともと良い評判をあちこちで聞いてはいたのだが、ううむさすがだとひとり納得。

さらに面白いもので、ふだんの生活においていきなり英会話をやれなんて言われたらしどろもどろなのだが、
ALTの英語をじーっと聞いているうちに、あっさりこっちもしゃべれるようになってるんでやんの。
これってなんなんだろう。英語漬けの状態に引っ張られて去年貯め込んだ経験が復活したってことだろうか。
生徒たちが「自分じゃ英語がしゃべれないって言ってるけどぜんぜんそんなことねーじゃん」という目でこっちを見ていて、
日本国内で外国語を教えるということの奇妙さについて、やや哲学的に考え直してみちゃったりしたのであった。

やっぱり英文法をゴリゴリやっていくことを通して社会学や言語学や比較文化論への道筋を生徒たちにつけたい、
という思いが僕には強くあるんだけど、そしてこれは僕にとって絶対に譲れない部分ではあるんだけど、
そうは言っても「楽しく英語をしゃべりましょう」的な授業も悪いもんじゃねえんだなあということを痛感して、
まあつまりは引き出しの多い柔軟な先生を目指すべきなんだよな、という結論にあらためて落ち着いた。
そんでもって、そのことを冷静になって見つめてみると、オレも昔よりは丸くなったよなーと思う。いちおう。
とにかくかなりいい経験をさせてもらったので、これをじっくりと反芻して自分なりに熟成させていきたい。


2009.5.27 (Wed.)

飲みの誘いを断って帰宅する。というのも、明日は初めてのALT(要するに英語を教えるガイジン)との授業だから。
今夜のうちにあれこれ作戦を練っておかないと、英語がしゃべれない英語教師としては大ピンチになってしまうのだ。
……なんだけど、本音としてはそれともうひとつ、サッカー日本代表の試合が見たかったというのもある。
だって今夜の相手はチリなのだ。この試合は絶対に面白くなる!という確信があった。
チリは前にも日本とは試合をしていて、そのときはスコアレスドローだったのだがけっこう見ごたえがあり(→2008.1.26)、
監督も名将・ビエルサ監督のままということで、それを考えたら今夜の試合をスルーするわけにはいかないのである。

で、テレビにかじりつく。日本は縦への意識がいつもと比べて非常に強い。
すべてのパスが縦方向を意識している。すぐに試合内容が期待以上のものになるのがわかった。
日本のスタメンは中村俊輔だの闘莉王だのといったいつものメンツがいなかったのだが、かえって動きは良かった。
見ていて今日のチームはいつものスタメンより強いんじゃないの、という印象である。

結果は4-0ということで、日本の圧勝。点差どうこうというより、縦に動く代表が見られたことが何より良かったと思う。
このクセが定着すればそれでいいと思うのだ。岡ちゃんが3トップを意識しはじめたことが大きいのだろうか。
もしこれが確実に進化の結果だとすれば、今までの停滞も必然ということで許されると僕は思う。
これからも停滞する時期はあるだろうけど、2010年までにどこまで進めるか、前向きにじっくり見守ってみたい。


2009.5.26 (Tue.)

給食の時間に放送委員会によって音楽が流されるのだが、今日流されたのは、なんと初音ミク。
僕が中学生のときには想像できなかった事態である(給食の時間に曲を流すことじたい想像できんかったし)。
あと、なぜか『パワー・ホール』が流れて、思わず「長州? 長州が来るのか?」と反応してしまった。
変な学校。そして変な先生。


2009.5.25 (Mon.)

1年生の英語のテストがあまりに恐ろしいデキだったため、さすがの僕も大いに反省をするのであった。
で、いろいろ考えた末(といってもいいとこ30分程度だが)、授業をもっと音読を意識したものへとシフトすることにした。
生徒が音読している間は教師は何もできないので、僕にはそういう時間を「サボっている」と捉えてしまうところがある。
しかしそれは生徒にとっては必要な「間」であるのだ。教えている自分を中心に考えていてはいけないのだ。
教育実習でさんざん指摘されたその点について、あらためて問い直してみたわけである。
そしてまた、板書についても反省をした。板書もまた、生徒がノートを写している間は何もできない。
でもこれもまた、必要な「間」なのだ。つまりは、いわゆる「ふつうの」英語の授業をやらなくちゃと反省したわけだ。

個人的には制限時間いっぱいすっ飛ばしまくりの猛スピードの授業をやりたいという欲望がある。
しかし受け持った相手に合わせて内容を柔軟にコントロールできなけりゃ元も子もない。
自分好みのチームを最初から指揮できる監督なんていないのだ、と思って根気よくがんばりたいものである。


2009.5.24 (Sun.)

翌朝、一発朝風呂に入ってから支度をととのえ、宿を出る。
挨拶をしてトシユキさん・まる・ホリちゃんと別れると、バヒさんの車でまずは茅野駅へと向かう。
今日は午後からサッカー部の最後の練習試合があるので、顔を出すつもりなのである。

駅へ行く途中で茅野市役所の脇を通ったので、バヒさんに無理を言って停車してもらい、撮影開始。
変に地元が近いだけに、こういう機会でもないと市役所を撮影するチャンスなんてなかなかないのである。

 
L: 茅野市役所。けっこう新しめな印象だ。  R: 角度を変えて撮影。それにしても色がなんだかいやらしい。

茅野駅に着くと、サッカー部顧問の柔道の先生に電話を入れて予定を確認する。
そしたら東京はけっこうな雨だそうで、練習試合は中止になったとのこと。今日一日の予定がすっぽり空いてしまった。
じゃあ、バヒさんの車に乗せてもらってどこまでも行っちゃうかーと方針転換。
バヒさんは今日、大学時代を過ごした春日井・名古屋へ出かける予定だそうで、それにくっついて行くことにした。

中央道に乗って一気に南下。飯田ICを素通りするのもなんだか変な気分である。
そんでもってETCで高速道路代が1000円という制度の威力を実感するのであった。
多治見で降りて春日井に入る。しばらく行くと高蔵寺ニュータウン。いかにもな風景が丘の上に広がる。
ここら辺はやたらめったら「○○台」という地名ばかりだそうで、その安直な発想になんだかねえと思う。

車を停めるとバヒさんの大学時代の友人のお宅に少しおじゃまする。
東京だとせせこましい生活しかできないが、地方だとなかなか余裕がありそうでうらやましくなる。
その後、友人の方の車に乗せていただいて昼メシを食べに移動。デパートでバヒさんの先輩とも合流するが、
目的の店はもうつぶれてしまったようだった。しょうがないので車を替えて別の店へと移動。
入った店は住宅街にあったのだが、かなりしっかりと凝った洋食を食べさせてくれたのであった。
ちなみにバヒさんはガッチガチにおたくなサークルに入っていて、みなさまその道の達人なのだが、
僕は一般人として認識されているのであった。まあ、もうあれこれ詳しくないし、しょうがないよね。ね?
でも車内で流されていたネットラジオは「ヲタな自分が名古屋のメイド焼肉店に一般人と行った話」だったのだが、
僕はみなさんとまったく同じ場所で同じように笑うのであった。しょうがないじゃん、ネタがわかるんだもん。

春日井駅でいったんバヒさんの先輩と別れる。先輩はそのまま車で名古屋に行くのだ。
バヒさんたちはワインの試飲会があり、それに参加してから先輩と再び合流して件のメイド焼肉に突撃するとのこと。
僕はそれに参加したら帰りのバスの中でどえりゃあ(名古屋風表現)ことになるのが容易に想像できたのでパス。
ほかのサークルOBの友人を待つバヒさんたちと春日井駅のホームで別れた。

春日井から名古屋まではすぐだったのだが、名古屋駅に着いたらあちこち動き回ろうという気力が急にしぼんでしまった。
本当は大須あたりで寿がきやラーメンでも食ってFREITAGでも見ようかなと思っていたのだが、
バスの発車時刻や到着時刻のことを考えるとそれほどの余裕があるわけでもないのだ。
そんなわけで、名駅周辺と本当にちょろっと歩いただけで、さっさとバスに乗って東京へと戻ることにした。
車酔いがイヤだったので、バスの中では音楽を聴くこともなくさっさと寝て過ごす。
今にしてみればもったいないなあと思うのだが、気力がなかったんだからしょうがない。

 それでもせっかく名古屋に行ったので、寿がきやラーメンのカップ麺を買った。

明日からはまた中学生相手にフルスロットルな毎日が始まる。
しっかり充電できたと思うので、がっつり乗り切っていきたいものだ。


2009.5.23 (Sat.)

トシユキさんの結婚式当日ということで、バヒさんの車に乗り込みいざ出発。モテないふたりののん気な旅である。
しかしながらなんだかんだで昨日の夜にベロベロに酔っ払った僕は、さっそく車酔い気味。
どうにも調子が上がらない微妙な感じである。細胞レベルが親友の結婚に反抗しているのだろうか。

最初のうちは曇り空だったが、式場のある長野県へと向かっていくうちに青い部分が広がりだす。
富士山の脇を快調に通り抜けていくのは爽快なはずなのだが、わずかに酔っている感覚がそれを遮る。
あー今年は富士山に登りたいよなーなんて話をしているうちに精進湖に出たので一休み。
賞味期限切れ直前のヴィダーinゼリーを半額で売ってたので食ったら(飲んだら?)多少元気が出た。
山梨県の盆地に入るとそこから中央道に乗る。八ヶ岳の雄姿に思わずデジカメのシャッターを切る。

  
L: 富士山。バヒさんと今年登る約束をしたのだが……どうなることやら。
C: 精進湖。すっかりいい天気である。  R: 中央高速道路から眺める八ヶ岳。雄大じゃのう。

さてトシユキ婚式の会場は茅野市の蓼科なのである。なんでそんなところなのかと思ったら、
日ごろあまり通らない場所のほうが非日常の思い出として残るからいい、ってな理由らしい。
僕もバヒさんも招待状を見事に忘れてきていたので、勘を頼りに建物の中に入ったら正解だったので一安心。
いかにも結婚式らしく、正装した人々がリゾートホテルのエントランスを行き交っているわけである。
どうすべえかとふたりで途方に暮れていたら、まる氏がいた。まるに連れられて更衣室へと移動。
途中、いつものようにはしゃいでパンツ一丁にネクタイ姿で廊下に出たら人がいたり、
ご祝儀袋の中の正式な書き方を忘れて「住所:あなたの心の中に 新郎との関係:深い」などと筆ペンで書いたり、
そんな間抜けなトラブルを無事に乗り越えてエントランスに戻り、どうにかご祝儀を提出したのであった。

その後はやることもないのでしばらく呆けて過ごす。しばらくしてこれまた新郎の友人であるホリちゃんと遭遇。
ホリちゃんと会うのは中学卒業以来である。僕と違って顔つきの基本的な部分が変わっていないのであった。
式場は高原のリゾートホテルということで、時間をつぶすのにはなかなか難易度の高い場所である。
4人で、というか僕があれこれバカなことを言ったりやったりしているうちに、時間になったので教会の中に呼ばれる。
トシユキさんはなんだか及川ミッチーみたいなメイクを施されて登場。新婦のミヤコさんはもちろんウェディングドレスである。
宗教にも結婚式にも興味のない僕にはよくわからないのだが、わりとかっちりキリスト教式な進行なのであった。
ドッキリで『卒業』ごっことかやればいいのに、と思ったのだが、そういうことを考えていた不届者は僕ひとりだったようです。

続いては披露宴。トシユキさんは自分も新婦も大好きだというアーティストの方を呼んでいて、
新婦にだけサプライズという形で歌を歌ってもらいつつ入場したのであった。新婦感涙、ようございました。
そして乾杯が終わって一同が着席したところで! あろうことかいきなり新郎側代表からのお祝いスピーチなのである!
つまり僕の出番なのだ。おいなんだよふつうはメシ食っていい感じになったところでスピーチだろ!と内心思うが、
すでにホテルの黒服は僕の椅子を引く準備が万端なのである。せめて段取りぐらいは教えてほしかった……。
覚悟を決めて立ち上がったら司会から追い討ち。「マツシマさんは非常に面白い方で……」ハードル上げすぎ!!
衆人環視の中、これからコイツが気の利いたこと言うぞー言うぞーという凄まじいプレッシャーがかけられる。
まあハッキリ言って、僕の今までの人生で文句なしにNo.1の高さのハードルだったね。大学院入試のときを超えたね。
スピーチの内容は、トシユキさんはギャグ方面を期待していたのかもしれないが、
僕としては何をどうふざけてもこりゃダメだと最初から感じていたので、素直な気持ちを2~3分しゃべるだけ、と決めていた。
でも何も仕掛けないのは個人的に満足できないので、僕が最も尊敬するスピーチを元ネタにすることに決めた。
で、赤塚不二夫に対するタモリの弔辞を参考にして、白紙を読み上げる演技をしたのであった。
正直、弔辞というところが引っかからないでもなかったが、敬愛する人に向ける言葉という点では一緒なので決行した。
最後に白紙を広げて「これからおふたりはこの真っ白な未来にどのような家庭をデザインするのか……」と締めた。
やっぱり事前にみっちり練習しておかなきゃダメだった!と内心猛烈に反省しつつ席に戻ったのであった。お恥ずかしい。
ちなみに僕ら(僕・バヒさん・まる・ホリちゃん・会社関係の方2名)の席は、新郎側真正面のど真ん中というポジション。
つまりそれはトシユキさんの厚い友情の証というわけなのだが、さすがにちょっと緊張したというか恐縮しまくりだった。
スピーチのタイミングの件も含め、サプライズするには相手を選ばなきゃダメだぜ、と私は言いたい。

  
L: ご結婚あそばされたおふたり。  C: ウェディングケーキを撮ろうとしたら乱入してきたホリちゃんの図。  R: ケーキ入刀。

式が進んで、料理を食べつつ思い出の写真などを見る。
ヤロー、オレがシコシコ日記ばっかり書くモテない毎日を送っている間に、やれこんな楽しそうなことを!
……などと思わないでもなかったが、というかかなり思ったが、どうにもならないことなので、
おとなしく素直にニコニコと座っておりました。いやー、人生どっから差がついちゃったんだろうねえ。最初からか。
ちなみに味にうるさい(味以外にもいろいろうるさい)まる氏は、料理にいたく感動していた。いちいちデジカメで撮影。
最後、会場から出て新郎新婦に挨拶する際、「本日は……ごちそうさまでした」というキテレツなコメントが飛び出したほど。
(もちろん、その場にいた全員から「『おめでとうございます』だろ!」と総ツッコミを食らったのは言うまでもない。)
もっとも彼の「おいしい料理が最大のおもてなしだから、それを存分に味わうのが正しい姿勢だ」という弁解も正論だと思う。
その点でも、トシユキさんのコーディネートは文句なしなのであった。

披露宴が終わると親戚縁者はバスで飯田へと戻っていった。われわれは夜に2次会があるのでそのまま残ってお泊まり。
温泉に入って呆けたり、ものすげー久しぶりにホリちゃんと話をしたり(松本在住で、松本山雅のなかなかのサポみたいだ)、
テレビでニュースを見つつ『はだしのゲン』で覚えた広島弁でキャスターのおねえさんにいやらしい言葉を投げかけたりと、
相変わらずな感じで時間をつぶすのであった。でもまあ、人生ゲームとか何かゲームがあればよかったかなあ。
それにしても最初、ホリちゃんに会うのは15年ぶりということで、何を話せばいいのよと戦々恐々としていたのだが、
いざ会ってみると別にぜんぜん気をつかうことなく話ができてよかったよかった。話しだしたら時間を超えたね。
むしろ僕の発言・行動に対するツッコミ役になってくれて、緊張していた僕にはいいバランスを保たせてくれたように思う。

で、夜になって2次会。リゾートの敷地内にある本格的なインド料理店でカレーをいただくのである。
日本でも屈指のインド人シェフがつくるということで、期待が高まる。
そして店を切り盛りしているおばちゃん(日本人)のキャラクターがまた強烈なのであった。
料理はタンドリーチキンから始まって、北インド料理のフォーマルなコースをじっくりと出してくる。
コリアンダー(いわゆるパクチー)が大好きな僕とまるは、特製のソースをたっぷりかけてニンマリ。
僕らはパクチーバカなのだ。バカパクの10なのだ。
飲み物も本場のラッシーやらマンゴージュースやらを全力でいただく。
気づけばかなりの量を食べているはずなのだが、ゆっくり出されるのとスパイスの効果とで、食欲はまったく衰えない。
最後にさまざまな色をした6種類のカレーが出て、それをナンでいただいた。
みんな味のヴァリエーションに感動して食っていたが、個人的にはむしろナンの旨さにしびれた。
もともとナンは好きなのだが、小麦の風味も焼き加減も絶妙で、ナンの比率を多めにして食ったぐらいだ。
そういうわけで、昼に続いてグウの音も出ないほどに贅沢な食事をして言葉が出ないほどに満足したのであった。
いやいや本当においしゅうございました。ここんとこ仕事で正念場が続いている真っ最中だったけど、
最高のストレス解消ができたと思う。しっかりおもてなしていただいて、言うことございません。

僕にとっては最も古くからの友人がめでたく結婚したということで、もちろん祝福する気持ちでいっぱいである。
そんでもってもちろんうらやましく思っている。いいなあ、いいなあと思っている。
でもやはり、自分と比べてどーのこーのではなく、親しい友人の幸せを末永く祈ることとしようではないか、オレ。


2009.5.22 (Fri.)

テストが終わってすばやく採点を済ませると、定時で職員室を脱出する。
明日は小学校からの友人というか僕の良き理解者であるトシユキさんの結婚式なのである。
あのヤローは僕がモテない生活を淡々と送っているのとは対照的に、しっかり嫁さんを捕まえやがったのだ。
初めてその件について聞かされたときには荒れ狂ったりしたもんだが(いやはやすまんのう)、
あれからだいぶ時間も経ち、僕としてもわりかしサバサバと受け容れることができるようになった、はずだ。
まあとにかく、そのトシユキの結婚式に参加するためにバヒサシさんの車に乗せてもらうことになっていて、
(バヒサシさん的には、僕を連れて会場入りするのは、僕が逃げないようにするための役割と受け止めていたようだ。)
それでいったん沼津へ行くことになっていたのである。支度をととのえて、新幹線に乗る。
鈍行でなく新幹線に乗ったところに、僕の友情のほどというか気合のほどというかを読み取っていただきたい。

ちなみに1年生の英語のデキは最悪で、ふつうなら最初のテストはご祝儀相場で平均80点くらいなものだが、
それを大幅に下回る結果となったのであった。確かに易しい問題の比率はそれほど多くはなかったものの、
難問ばっかりということは決してない内容なわけで(90点以上は2ケタいったし、80点以上で学年の1/3強くらい)、
できない連中が悪いんだい!と声を大にして言いたい。そうだ、私は悪くない。がんばって問題をつくった。
ただまあ冷静に考えてみれば、テスト製作者としては悪くなくても、ふだん教えている者としては問題である。
とはいえ、相手は「『room』を日本語にすると?」という問題で「ぶつだん」と答えるような生徒たちなのである。
物事には限界ってものがあるのである。

沼津に着いてしばらく時間をつぶすとバヒさんと合流。「魚食わせろ!」ってことで、バヒさんオススメの店へ。
カツオのたたき、しめ鯖、刺身の盛り合わせなどたいへんおいしくいただいたのだが、
なんといっても今回いちばん凄かったのが金目鯛の煮付けである。2人で懸命に食ったのだが、
デカいうえに食べるところがいっぱい、もちろん味も最高で、至福の時間なのであった。
本当に骨の髄までしゃぶるくらいにきれいに食べきった。いやー、これは幸せだった。

で、いつものようにバーへ行く。よく考えてみたら先月も来ているが(→2009.4.3)、まあ気にしない。
トシユキからは結婚式の披露宴でのスピーチを依頼されており(明日の日記で詳しく書くことになるなあ)、
その件についてマスターに貴重な助言をいただいたりバヒさんとダベって使えるフレーズを引き出したりと、
しっかりと酒をいただきつつも頭をフル回転させて過ごすのであった。

でもまあ、こうして振り返ってみるとけっこうきちんとオトナだよな、オレらの行動って。


2009.5.21 (Thu.)

新型インフルエンザの影響を考慮して、ついに3年生の修学旅行が延期ということになった。
去年までの自分なら、ニュースで聞いて「大変だねー」で済んだのだが、今年は違う。
目の前でそのてんやわんやが繰り広げられているわけで、こりゃあ本当に一大事だわと痛感。
ただでさえ恐ろしく面倒くさい手間をたっぷりとかけている旅行の計画がここに来て変更とは。
なんというか、本当に言葉が見つからない。この仕事は大変な仕事だにゃあー?

さて、今日と明日は中間テストなのだ。僕が中学生のときにはテスト日程を一切把握しておらず、
朝、登校したら机の並びがいつもと違ったので不思議に思ってクラスメイトに「どうして?」と訊き、
そこで初めてテストがあることを知ったというくらいのダメダメっぷりだったわけだが、
いざ教員側の立場になってみると、オラオラ勉強せえ!と言いどおしなのである。ま、人生そんなもんだ。
1年生の連中やサッカー部の連中がどれだけなものなのか、しっかりと見極めさせてもらおう。

そんでもってもうひとつ。今日の午後は研修で、別の中学校に行かなければならないのである。
今回はなんと、水着持参。というのも、プールに入ってあれこれ体験してみるからなのだ。
実際に研修を受けてみると、内容は主に小学校の先生が対象って感じなのであった。
いろんな教科を教えなくちゃいけないから、小学校の先生は大変だなあとしみじみ思う。
それにしてもプールはずいぶんと久しぶりだ。自由に泳げる時間も少しだけあったのだが、
グイグイと水中を進んでいくのは快感なのであった。運動不足だからかなり疲れたけど。

本日のラストは夕方より行われた若手飲み会である。
若手の先生だけで飲んでみようということで、喜んで参加させてもらったのであった。
マジメな話題のほかにも程よくおバカな話題が出てきて、かなり楽しませていただいた。
僕もクイズ研究会の裏話などを出してみたり。ちなみに参加者は全員男でした。残念!


2009.5.20 (Wed.)

『ピンク・パンサー2』。話としては『ピンクの豹』の続編になるのだが(原題はThe Return of the Pink Panther)、
その前にクルーゾー警部を主人公にしたスピンオフ作品が制作されているため、これは第3作目になるそうだ。
おかげで何の説明もなく新キャラが登場していたり、あろうことかリットン卿を別人が演じていたりと、
事情を知らない人間にとっては非常にややこしい事態となっている。

まずは前作よりもはるかに騒がしい、ピンクパンサーのアニメによるオープニング。
そこにチラホラとクルーゾー警部のアニメキャラも絡んでいて、セラーズ人気を想像させる。
それが終わるとピンク・パンサーが盗み出されるシーン。これまた前作に比べるとずいぶん本格的だ。
話としては、ピンク・パンサーが何者かに盗まれたことからクルーゾー警部はリットン卿を疑い、
引退していたリットン卿は真犯人探しに動き出す、といった感じ。

リットン卿はアクションシーンを、クルーゾー警部は例のごとくドタバタをそれぞれ担当。
役割がはっきりしている分、前作のようなテンポの悪さはあまり感じられない。
ただ、クルーゾー警部を演じるP.セラーズの顔色の悪さがかなり気になる。
このときすでに健康状態は良くなかったそうで、プロ根性を感じつつもいたたまれない気分になった。
あとは、今の基準なら完全にアウトな表現がそこかしこにみられる点も興味深い。
アジア系に対する遠慮のない発言やラストシーンのドレフュス主任警部の扱いなど、
当時の感覚がいろいろ垣間見えてなるほどすげえと思わされる。
まあそういう本編とは関係のない部分であれこれ気になることが多かったわけで、
話としてはそれほど…といったところ。どうも自分はこのシリーズと相性が悪いようだ。


2009.5.19 (Tue.)

ピンク・パンサーシリーズの第1作、『ピンクの豹』のDVDを見た。
ピーター=セラーズ演じるジャック=クルーゾー警部、アニメキャラクターのピンクパンサー、
そしてかの有名な『ピンク・パンサーのテーマ』を生み出した、いちばん最初の作品である。

中東の王女が持つダイヤモンド「ピンク・パンサー」を狙うチャールズ=リットン卿(怪盗ファントム)と、
ファントムを逮捕しようとするクルーゾー警部(でも奥さんがリットン卿の愛人で情報筒抜け)が、
コルティナ・ダンペッツォを舞台に駆け引きを繰り広げる、という話。

まずオープニングでアニメのピンクパンサーが登場。なるほど確かにかわいい。
スタッフロールに合わせてさまざまなアクションを見せてくれるのだが、
よくこれだけたくさんのパターンを思いつくもんだと感心。見事なものだと思う。

しかし本編に入ると、テンポの悪さにがっくり。
多くの登場人物が入り乱れるのだが、そのリズムがどうにも軽やかでないのだ。
その原因のひとつに、クルーゾー警部のボケ倒しも挙げられると思う。
確かにP.セラーズの存在感はすごい。でも彼が出てくるたびに話の本筋の流れは悪くなる。
前にも「セラーズ一人勝ち」と書いているけど(→2006.4.23)、作品のことを考えると、
あまりに俳優が活躍しすぎるのはバランスを欠いてしまい、好ましいことではないように感じる。

そんなわけで、人気シリーズの記念すべき第1作ということで期待していたほどは面白くなかった。
やっぱりP.セラーズはすごい。でも、それが悪い方に作用していると思う。難しいものだ。


2009.5.18 (Mon.)

ウチの学校では放送委員の気合が妙に入っていて、昼の給食タイムに音楽をかけるのである。
で、本日はあろうことか中島美嘉が流れてしまい、僕は悶絶、生徒は大爆笑という事態に見舞われた。
(耳を全力でふさいで脂汗を流しての大悶絶。常識的にはメシどきにありえないほどの反応なのであった。)
それにしても、生徒も先生も誰一人、あの脅威の音程を苦としないのはおかしい。
みんなそろって音感が鈍すぎるとしか思えない。平然としていられる神経がまったく理解できない。
オレは何ひとつ間違ってないもんね!


2009.5.17 (Sun.)

いつものメンツで行きたいねという話になっている島旅行計画もそろそろ詰めないといけないのだが、
その一方で個人的に企んでいる裏日本横断の計画を練るのが非常に楽しくってたまらない。

島根・鳥取には本来であれば昨年のゴールデンウィークに行っているはずだったのだが、
会社を辞める直前ということで豪快に有給を取ることができたため、山陽&九州西海岸に方針変更したのだ。
それ以来、島根・鳥取は延ばし延ばしになっているのだが、寝かせた分だけすさまじい尾ひれがついてきている。
まずスタート地点が出雲という計画は変わらないのだが、舞鶴で終わる予定が敦賀、福井と延びていき、
気がつけば「小松とかどうだろう」なんてレベルにまで到達してしまっているのである。
おまけに後輩のラビーさんから「車出せるかも」なんて話をもらっちゃったもんだから、
調子に乗って「倉吉や出石(今は豊岡の一部)とか行けるんじゃね?」なんてふうに考えている。夢は広がる。

問題は、学校の夏休みというものは教員にとってどれだけ休みが取りやすいものなのかという点と、
なんといっても新型インフルエンザによる休校措置の可能性である。夏休みが削られる事態だけはごめんだ。
僕としては日ごろの行いを善くして運を天に任せるしかない。どうにかなりますように、と心から思う。


2009.5.16 (Sat.)

けっこう久しぶりに渋谷へ行って、あれこれ買い物をする。
東急ハンズでいろいろ買いまくったのだが、やっぱり金があるとハンズは楽しいところである。
3月にお世話になったフロアにも顔を出したのだが、午前中だったためかそんなに人がおらず、
どーもどーもどーもという雰囲気にはあんまりならないのであった。うーん、さびしい。
天気が良くなかったのでじっくり日記を書く気分にもなれず、渋谷からは早めに撤退。
まあなんだかちょいとばかし消化不良な感じである。


2009.5.15 (Fri.)

生徒会がエコキャップ運動をやっている。ペットボトルのフタを集めるとワクチンを送ることができるんだそうだ。
どういう論理構造でそれが成り立っているのかはまったくわからないのだが、ともかく実際にそうなっているようだ。
で、この1週間で実に5000個ものフタを集めたとのこと。先生方はみんな「よく集めたなあ!」と感心していたが、
僕はひとりだけ「よく数えたなあ!」と感心していた。すいません、僕はそっちの方に興味がいっちゃう人間なんです。

ウチの生徒会は会長のほか6名の男女によって構成されているのだが、なぜか男子は全員サッカー部なのである。
放課後に部活動の保護者会が行われたのだが、それが終わってもまだ生徒会はフタを洗う作業をやっていた。
知らない仲ではないので、手伝ってやることに。あれこれ雑談(という名の情報収集)をしながら僕も洗う。
蛇口から水を出しっぱなしにしているので「どこがエコだよ、ああ?」などと適度に指導を入れつつ水を切って袋に詰める。

作業が終わってもまだ生徒会には仕事があるようで、連中は19時過ぎまで残っていた。
テスト勉強大丈夫かよと思うが、自分は中学時代に「コイツはどうせ勉強しねえから関係ない」というすばらしい理由で、
2学期末にクソ忙しくなる学芸委員長という役職を振られた人間なので、
特に気にせず連中よりも先に家に帰ったのであった。ま、大丈夫だよな、きっと。


2009.5.14 (Thu.)

テスト前1週間ということで、非常に穏やかな放課後なのである。
部活がないからいつもより早めに帰っちゃうこともできるのだが、じっくりと授業のプリントをつくったり、
テストの問題をあれこれ吟味したりして過ごしてみる。職員室の空気もどこか穏やかだ。
なんとも言えない束の間の平和である。ずっとこうならいいのに……ってわけにもいかないし、それはそれでつまんない。
まあ、こういう日常の変化というか抑揚というか、そういうものが大切ってことなのだ。たまにはいいですわな。


2009.5.13 (Wed.)

週に一度のサッカー部の朝練である。今回は顧問で柔道の先生の提案で、フライングディスクをやってみた。
空いているスペースに丁寧にパスを出すのと、パスを受けるべく走り込むのがいい練習になるんじゃないかという狙いだ。
いざやってみると、ディスクを投げる際に妙な回転がかかって思うようにいかないことしばしば。
ただやっぱり、マークをうまくはずしてパスを受ける能力が高いやつもいて、確かにこれはなかなか参考になる。
ウチの最大の課題である、狭いエリアでまとまってしまうことへの対策としても有効そうだ。
何度もやって慣れていけばいい感覚がつかめるかもしれない。が、それにしてもみんな(もちろん僕も)投げるの下手すぎ。
そして後半はきっちりミニゲーム。終わったときには汗びっしょりの状態である。

放課後ももちろんサッカー部の練習。ウチの学校にはテスト1週間前には部活をしないというルールがあるので、
本日がテスト前に部活ができる最終日ということで、みんなけっこう気合が入っている。
腰骨を痛めたり肉離れになっていたり膝をひどく擦りむいていたりとケガ人が多い状態なのだが、
みんな意欲的に取り組んでおり、「おいあんまり無理するなよ」とけっこうな頻度で声をかけるほどだった。

それにしてもサッカーのスパイクってのは本当によくできていると思う。
ボールを蹴るときのコントロールのしやすさが、ふつうの靴とは天と地ほどの差があるように感じられるほどだ。
まるっきりド素人の僕でもいくつかナイスパスを出せるわけで、練習をするたびに惚れ惚れする。
これは末永く使っていきたいなあと思うんだけど、サッカー部は次の大会が終わると休部状態になってしまうのだ。
まあ、使う機会をできるだけ長く延ばすように、ない知恵をあれこれ絞るとしましょう。


2009.5.12 (Tue.)

仕事が終わって蕎麦屋で飲んだのだが、なんだかんだ言って僕は蕎麦にはうるさいのかもしれんと思った。
店で出てきたのはよくある白い色をした蕎麦で、それほど風味の強くないものだった。
出されたものは文句を言わずにいただく主義なので、気にせずその蕎麦を手繰ったのだが、
やっぱり小麦の比率が高い蕎麦はあんまりうれしくない。ただの麺じゃん、と思ってしまうのだ。
そして蕎麦湯が薄いのがまたいただけなかった。蕎麦湯はある程度白く濁っていてほしいのだが、
さらさらしてほとんど透明だったうえに、うっすらと水道水の匂いが漂っていたのである。
そのことでむくれたり機嫌が悪くなったりすることはないのだけど、がっくりとしてしまう。
逆にいかにもオレは蕎麦だぜ!という雰囲気のものが出てきたら、それだけで簡単に機嫌が良くなる。
そんな自分を振り返ってみると、蕎麦にはこだわりがあるのかもしれないなーと思うわけなのだ。


2009.5.11 (Mon.)

昨日お出かけした際に、英語のBINGOのご褒美ということでシールを買っておいた。
教育実習のときにシールをもらって喜ぶ中3を見て、こんなに幼稚でいいのかよ?とびっくりしたのだが、
いざ教える立場になってみると、シールってのは実に適度なご褒美なのである。
で、まあ中1だしいいかな、と思っていくつか見繕って買ってみたのだ。

僕が中学生のときには「モリティー」と呼ばれた(自ら呼んでくれと言っていた)先生がいたのだが、
この先生がなかなか強烈な先生だった。運悪く校内暴力に巻き込まれて大変だったなんてこともあったのだけど、
頭のいい人だったので僕らの学年では嫌っている人はいなかったし、僕もけっこう慕っていた。
さて、学校ではよく集合写真を撮るが、そのとき欠席していた生徒は後で個別で写真を撮ってシールをつくり、
集合写真に貼り付けるようになっている。モリティーはそのときにお願いをして、自分のシールをつくっていたのだ。
今で言えばプリクラのようなもので、この「モリティーシール」を授業のときにご褒美として生徒にあげていた。

そんなわけで僕も偉大なる先人にあやかり、秋葉原で自分のプリクラを撮影しておいた。
そんでもってBINGOのご褒美シールの中に僕のプリクラを混ぜてみたのである。もちろん冗談半分である。
「BINGO上位3名には好きなシールをあげるんでがんばってねー」ってな具合でチャレンジさせたのだが、
男子は例外なく僕のプリクラを欲しがり、自分の生徒手帳に貼り付けて喜んでいるのであった。アホだ。
女子もキモイキモイ言いつつなんだかんだで半数以上がプリクラを選び、「親に見せるー」とほざく。やめて。
まあそんな具合に、ほかのシールよりもダントツで僕のプリクラが人気となってしまった。教育上いいのか、これって?


2009.5.10 (Sun.)

今の自転車も5年近く乗っているので、そりゃあ調子の悪い箇所も出てくる。
サドルがぐるんぐるん回るという異常事態になってしまっているので、いいかげん修理することにした。
神保町のおなじみの店に行き、修理を依頼。その間、店内の新品のクロスバイクをあれこれ眺める。
自転車ってのは本当に、美しい道具だ。便利なだけでなく、美しい。そんなことを思っていたら修理完了。

(過去ログを調べてみたのだが、今の自転車を買ったときのことがまったく書かれていない。
 なんたることだ。あんな重要な買い物について一言も触れていないとは、当時の自分が理解できない。)

その後は秋葉原に行ってポヤーンとして日記を書く。この日はちょうど神田明神のお祭りだったようで、
秋葉原の周辺はおたくの皆さんのほか、法被を着た人たちでごった返していた。江戸っ子の皆さんである。
僕としては、生粋の江戸っ子ってのがなんとなくうらやましい。どこがどううらやましいとかはないんだけど。

日記をある程度書くと家に帰る。前のようにアブソーバーはついていないので、
路面のガタツキがそのままショックとして尻に伝わってくる。意外と衝撃ってあるんだなあ、なんて思う。
まあでも、またこれで今の自転車も「健康」に戻ったわけだ。末永くかわいがってやるのである。


2009.5.9 (Sat.)

本日はちょっと遠い中学校までお出かけしてサッカー部の練習試合である。
といっても、僕の家からは自転車で10分ほどの距離なのだ。しかし顧問は大変なのである。
わざわざ生徒たちの集合場所まで行って引率するのだ。電車に乗って大移動である。
礼儀正しくおとなしいやつもいれば、目に入るものがすべて気になる落ち着きのないやつもいるわけで、
適度に教育的指導を入れつつ試合相手の学校を目指すのであった。

講師でコーチの先生と合流した後はすっかりおまかせモードになる僕。
その先生は以前にも相手の学校に行ったことがあるそうで、住宅街をみんなでついて行く。
軽く迷ったものの、どうにか到着。職員室で挨拶すると、グラウンドでウォーミングアップ開始。
今回は昨年までコーチをやっていたという方が現地で合流してくれたので、さらにおまかせモードに。
しかしこの人、なかなか強烈な人格の方で、まあなんというか、人間っていろいろだなあと思うのであった。

さて試合は、グラウンドの面積や相手チームの人数の関係もあって、8人どうしで行うことに。
しかしどうにも動きが甘い。フォーメーション的には3-2-2だが、相変わらずの狭いサッカーでいいところがない。
そのうちふと思いついて、「0トップでやってみよう」と提案してみた。
縦に狭いグラウンドなので、4バックと2ボランチ1シャドーの方が横に広がるんじゃないのかと思ったのだ。
「0トップ」といういかにも高等戦術っぽい響きにつられてか、生徒たちは気持ち悪いくらいきれいに並んでプレー。
守備面ではしっかり結果が出たものの、攻撃面は縦に飛び出していく連動性が足りずにスコアレスドロー。
試合としてはともかく、練習として考えれば悪くない選択だったと思うが、点が取れなかったのはやっぱりいただけない。
今回は全体的にルーチンワーク的で、なんとなく試合をこなしていく感じになってしまったのはもったいなかった。
ここは顧問がしっかりとしなければいけない場面でもあったので、積極性が足りなかった点は反省しないといけない。

夕方までたっぷりと試合をやったのだが、途中からユニを引っ張ったの引っ張らないので内容が荒れはじめる。
きちんとピッチに立ったことのない人間にはよくわからない領域なのだが、その辺はうまく元コーチの方が抑えてくれた。
お礼を言って解散すると、みんなで来た道を戻る。初めて歩く道は距離が長く感じられるが、
その道を戻るときにはあっという間に感じるもんだなあと思った。
で、サッカー部員と一緒に電車に乗って帰る。連中は僕がどこで降りるか興味津々。
「オレはここで乗り換えるだけだからな!」と言って大岡山駅で降りた。連中はのん気に手を振って大井町方面へ消えた。


2009.5.8 (Fri.)

朝、通勤する時間にめちゃくちゃな土砂降りで、家から駅に行くまでにビチョビチョになり、
さらに駅から学校へたどり着くまでにさらにビチョビチョという悲惨な有様となってしまった。
しょうがないのでジャージに着替えて授業をやることに。
廊下を歩いていたら、ほかの先生から「なんだか体育教師みたいですね」と言われた。

昼になっていったん雨はやんだが、午後に入って軽くまた降った。
僕としてはサッカー部にグラウンドを使わせてやりたいのでけっこう気をもんでいたのだが、
放課後になってどうにか無事に雨がやんだ。僕もそのままスパイクを履いて練習に参加する。

17時ごろになって、近くの小学校の屋上から虹が曇り空へと伸びているのが見えた。
やがて虹はどんどんくっきりとした姿を現す。よく見ると二重になっている。
七色の帯がめちゃくちゃはっきりと見える、とんでもなく見事な虹だった。
これだけ色の強い虹は初めて見た。サッカー部員と一緒になって、しばらく茫然と空を眺めて過ごす。

休憩が終わってミニゲームを始めたのだが、まだ虹は消えない。これだけ長く虹が残っていることもまた初めてだ。
いちおうボールは追いかけるのだが、イマイチみんな集中できない。それほど美しい虹だったのだ。
そのうちに虹の存在に気づいた生徒たちが、校舎の窓から一斉に顔を出して空を眺めだす。
やがて職員室の先生方も虹に気づき、放送室(職員室の隣にあって校庭に少し張り出している)から空を見上げる。
ちくしょーデジカメ持ってくりゃなあと思ったのだが、まあこればっかりはしょうがない。
きわめて平凡な一日の、かけがえのない一コマということで、これは忘れられない思い出になりそうだ。


2009.5.7 (Thu.)

この学校の伝統と言ってしまえばそれまでなのだが、学活の時間にずっと生徒の落ち着きがなかったので、
帰りの会でコメントを求められた機会に本気で怒った。こういうことで大きな声を出すのはまったく好きじゃないが、
なあなあで済ませてしまうと絶対に上級生と同じ轍を踏んでしまうとわかりきっているので怒った。

僕がどうしても理解できないのは、先生方が騒がしい子どもたちにもソフトに接していることだ。
東京ではそれが当たり前なのだろうか。先生方は僕が長野県出身と聞くと「教育県ですなあ」と必ず言うのだが、
長野県の子どもにはその辺の良識が染み付くような教育ができているってことなのだろうか。よくわからない。
今は1年目なのでおとなしくしているが、来年になったら全校朝礼のときなんかに、
騒がしい連中に対して「うるせぇー!!」と肺活量を全開にして叫んでいるような気がする。
それって昔の東中の教師じゃん、と思うのだが、現状を見るに少しは彼らの気持ちがわからないでもない。


2009.5.6 (Wed.)

サッカー部はお休み。雨だし、どこにも行かずに一日中寝てました。本当に寝っこけまくったなあ。


2009.5.5 (Tue.)

本日サッカー部は近所の都立高校で練習試合。
こないだ行われた大会では優勝したそうで、けっこうがんばっている高校なのである。
2年生と3年生は今日も試合ということで、われわれはお留守番の高校1年生と練習試合をするというわけ。

大勢の部員でしっかりやっている高校ということで、たった1年の違いがかなり大きな差となって現れた。
高校生は当たりも強いし、空いているスペースを使ってパスを出すのが上手い。その辺、ウチにはまったく欠けている。
1本目はボッコボコのサンドバック状態だったので、2本目以降は人数を減らしてバランスをとったくらいに差があった。
でもウチの部員たちはそのことに気づかず、「2本目からは高校生相手でもまずまずできたなあ」なんて調子で、
「相手が人数減らしたこと知ってた?」と訊かれて愕然とするのであった。誰ひとりそれに気づかないとは情けない……。

おとといの試合では相手が集中を切らしてこっちがノリノリだったこともあり快勝できたのだが、
今度は一転して厳しい現実を突きつけられた格好である。ぜひ相手のいい点を吸収してもらいたいものだ。

さてそのまま自宅へ帰ることなく新宿へ出ると、高速バスに乗って甲府へと向かう。
ゴールデンウィークである。いいかげん、プロのサッカーの試合が見たいのである。
そんなわけで1年ぶりの小瀬陸上競技場へ。本日のヴァンフォーレ甲府は水戸ホーリーホックが相手である。
それにしてもひどい雨で、小瀬はあちこち水たまりだらけ。ゴール裏の入口に着くまでにグチャグチャになってしまった。
喫煙スペースの一角でさっき買ったポンチョを着込んで席に着く。久しぶりなのでおとなしく観戦するのである。

甲府のパスサッカーは雨に向かない。今日はガシガシ放り込むサッカーでもしょうがないかなと思ったが、
選手たちはあまりそんなことは気にしないでパスをつないでいた。でも大木さんの頃と比べると、選手の間隔は広い。
センターバックの新外国人・ダニエルがとにかく強い。ヘッドを中心にしてやたらめったら水戸の攻撃を寸断しまくる。
2年目(でも実物を見るのは初めて)のマラニョンは左サイドからどんどんゴール前に迫るが、イマイチ最後が弱かった。
イーシャンテンまではいくものの、なかなかラストパスが出ない状況のまま、0-0で折り返した。

後半に入ってカウンターから失点。集中が切れた一瞬を突かれた感じで、甲府らしい脆さは相変わらずだ。
それでもゴール前の混戦からこぼれたボールをアンカーに入った秋本がきっちり押し込んで、すぐに甲府は追いつく。
その後は愚直にパスとサイドアタックを繰り返すが、水戸に粘り強く対応されてそのままドロー決着。
ほかの上位グループが好調を保っていることを考えると、非常に痛い勝ち点1となったのであった。

  
L: 雨の中でもゴール裏の熱気はいつもとまったく変わらず。甲府サポはすげえなあ、と思う。
C: 同点に追いついて喜ぶイレブン。ちなみにこの電光掲示板は本日をもって引退だそうです。お疲れ様でした。
R: 土砂降りの中、サポーターに挨拶する選手たち。最悪なコンディションの中、勝ちたかったけど、よくがんばったですよ。

サッカー部関係者ということで微量ながらも経験を積んだ身として、じっくりプロの試合を眺めるつもりだったのだが、
結局のところ僕自身はあまりいつもと変わらない感じで一喜一憂しながら90分を過ごしていた気がする。
ただまあやっぱり、プロはひとつひとつのプレーのクオリティが高いのは実感できた。速くて正確なのだ。
サッカーが強いとはどういうことなのか(→2006.6.15)、哲学的な問いの答えが出る日はまだまだ遠い。

甲府駅に戻ると特急券を購入。各駅停車でもギリギリ帰れないことはないのだが、疲れているのでおとなしく金を出した。
電車の中ではそのまま寝っこけて、立川で南武線に乗り換える。ずーっとボーッとしながらもどうにか帰宅。
それにしても、いやホントにサッカー漬けである。


2009.5.4 (Mon.)

本日はサッカー部がお休みということで、完全にオフなのである。
ゴールデンウィークなのにどこにも行かないというのは非常にもったいないことなので、出かけることにする。
といっても泊まりがけで旅行をするなんてことは不可能なのである。日帰りで行けるところでガマンする。
Googleの地図を眺めながら、あまり馴染みのない方角はどっちか考えてみるところからスタート。
出た結論は「北西」ということで、埼玉は秩父地方に行ってみることにした。

朝の6時に電車に乗り込み、池袋へ。売店で弁当を買い込むと、西武秩父行きの快速急行に乗る。
西武池袋線に乗るのは初めてで、快調にすっ飛ばす高架から練馬の街を見下ろして過ごす。
気がつきゃ電車は多摩地区を抜け、埼玉に入り、飯能へ。スイッチバックすると車窓は緑に包まれる。
半分寝ながら新緑の抑揚を眺めているうちに、西武秩父に到着。観光客の量がものすごい。
秩父地方はこの季節、羊山公園の芝桜が非常に有名で、それ目当ての観光客でごった返している。
ひねくれ者の僕は「そんなもん一人で見てもしょうがねえや」と、秩父市役所目指して歩き出すのであった。

秩父市役所の周辺は公共施設が集中しており、秩父宮記念市民会館と秩父市歴史文化伝承館がある。
とにかく腹が減ったのでさっき買った弁当を平らげると、さっそく市役所の撮影を始める。
秩父市役所はシンプルな昭和30年代型コンクリ庁舎で、個人的には国分寺の市役所に似た雰囲気を感じる。
隣の秩父宮記念市民会館も頑丈な印象のコンクリで、モダニズムの典型といった風情である。
そして市役所の第二庁舎でもある歴史文化伝承館は2003年竣工の新しい建物である。
3つの建物に囲まれた空間は広大な駐車場となっており、オープンスペースではない。保守的な空間である。

  
L: 西武秩父駅。奥(右手)は「西武秩父仲見世通り」となっていて、さまざまな店舗が並ぶ。観光客で異常に混み合っていた。
C: 秩父市役所。ベランダの手すりの形状など、ものすごく昭和30年代鉄筋コンクリって感じの建物である。1963年ごろ竣工か。
R: 裏側の駐車場から見た秩父市役所。この角度から眺めると、なんとなく戦艦の艦橋に似ている印象がする。

  
L: 秩父宮記念市民会館。いかにも市民会館らしいマッシヴなモダニズムのコンクリ。1967年竣工。
C: 裏側から見た市民会館。  R: 秩父市歴史文化伝承館は市役所の第二庁舎という役割も持っている。

秩父市役所の撮影を終えると、線路の西側へと移動。お次は秩父神社だ。
ゴールデンウィークということでかお祭りだかイベントだかをやっているようで、笛や太鼓の音色が響いている。
お参りを終えて出てきたら山車が動いていた。お囃子は山車の中でやっているようだ。暑い中、大変である。
(秩父は日本三大曳山祭のひとつに数えられているという秩父夜祭が非常に有名なのだ。)
日本人はリズムの民族とはあまり思わないのだが、エンドレスで聞こえてくる祭りの太鼓を聞いていると、
実際にはそんなことはなくって、日本人もちゃんとリズムを持っているということが再確認できる。

  
L: 秩父神社・拝殿。見上げると彫刻が見事な建物なのであった。  C: 大黒様と恵比寿様がおいでなさる。
R: 秩父神社なのに、「知知夫神社」という文字が。ふたつの表記が混在するところに秩父地方の歴史が感じられる。

 山車が出てきた。お囃子の太鼓はこの中から聞こえてくる。

秩父鉄道の東側を走る国道140号は、かつて武蔵国と甲斐国を結ぶ街道「秩父往還」として知られていたという。
しかし線路西側の国道299号(みやのかわ商店街)の方が旧街道の雰囲気を色濃く残しており、古い建物も多い。
時間の許す限りあちこち歩きまわって、デジカメであれこれ撮影してみる。

 
L: ちちぶ銘仙館(旧埼玉県秩父工業試験場)。市役所の近所にひっそりと建っている。道が狭く撮影しづらい!
R: みやのかわ商店街で異彩を放っている旧秩父国際劇場(映画館)。現在は資材置き場となっているそうな。

  
L: 秩父ふるさと館(ちちぶ巡礼と民話のやかた)。秩父銘仙問屋の店舗兼母屋を改修。なんだか休業中な雰囲気。
C: ほっとすぽっと秩父館。明治初期の商人宿を大改修して地域の交流・観光拠点にした例。
R: 武甲酒造店舗。これらの建物はすべてみやのかわ商店街にある。秩父の歴史を感じる。

行ったことがないからとりあえず秩父に来てみた、ぐらいの感覚だったのだが、なかなかけっこう面白い。
今回は時間の都合で市街地の中心部を歩いてみる程度にとどめたのだが、
いずれ余裕があればもう少し範囲を広げてフラフラしてみたいものだ。本音を言えば芝桜も見てみたかったし。

さて、秩父の次はどこへ行くのかというと、かの有名な長瀞渓谷である。
秩父鉄道で長瀞駅まで行ったのだが、ゴールデンウィーク恐るべし。駅周辺は人・人・人で大混雑なのであった。
家族連れに団体旅行でもう大騒ぎ。埼玉の奥地に来た気がぜんぜんしない。
長瀞渓谷最大の名物である岩畳へと向かう道は土産物屋や蕎麦屋などが軒を連ねているのだが、
とにかく人ごみがすごくて思うように前へ進めないほど。これには本当に呆れた。

人口過密地帯を抜けて荒川のほとりに出るが、ライン下りの順番を待つ列が絶望的に長くなっていた。
でもまあこちとらそんなの関係ないのだ。さっそく岩畳をのんびりと散歩してみる。
シートを広げて弁当を食べている親子連れ多数。中にはビールですっかりできあがっちゃっている人も。
とにかく視界から人の姿が消えることがないのである。日本の人口の多さをあらためて実感したことよ。

  
L: 長瀞ライン下りの様子。調べてみたら、ライン下りの「ライン」って、ライン川のことなんだそうで。日本人テキトーすぎ。
C: 岩畳の岩はこのような感じである。こんなふうに無数の層でできた岩が凸凹しながら広がっているのだ。
R: なんだか「地球大紀行」って感じ。ちなみにこの写真にもちゃんと人は写っている(右端で老夫婦が弁当を食っている)。

岩畳を上流の方へとのんびり歩いていく(といっても岩の段差はけっこうあるのでいい運動)。
高所恐怖症なんだけど、荒川に突き出た岩の端っこから流れを覗き込んでみたり。
特に目的もなく歩きながら、気の向くままにデジカメのシャッターを切って過ごす。

  
L: 川に向かって突き出た岩に座っている人たち。なんでそんなに平然としていられるのか不思議である。
C: 上長瀞から下ってきたライン下りの舟と、それを眺める人たち。平和な休日の風景。
R: 岩畳では藤が自生しているのがすごく印象的だった。低い位置で咲く藤の花はなんだか新鮮。

  
L: 岩畳の範囲はけっこう広く、のんびりゆったり散歩するにはもってこいである。
C: できるだけ水面に近いところまで下りて撮影してみた。対岸の断崖もなかなか豪快で好対照だ。
R: 川から離れたところでも、よどんだ水たまりがチラホラ。カエルの鳴き声が聞こえてきて驚いた。

飽きるまでぼんやり歩きまわって過ごした。何も考えないで自然を味わうのも、たまにはいいものである。

どんどん人が増えてあふれ出している長瀞駅を後にすると、いったん西武秩父駅まで戻る。
(秩父鉄道の御花畑駅でいったん降りて、歩いて西武秩父駅まで行く。ややこしいったらありゃしない。)
西武秩父仲見世通りで何か食おうかと思ったのだが、まっすぐ歩けないほどの混雑ぶりで、さっさと改札を抜けた。
飯能まで戻って電車を乗り換えると、所沢駅で下車。本日、最後は所沢市をブラブラしてみるのである。

実は所沢には何度か来たことがある。といっても、それは国立に住んでいたときのことだ。
国立から勢いまかせで自転車に乗って所沢まで行っていたのである。府中街道でまっすぐなので、難しくはない。
多摩地区の北部、埼玉県と接している街には、独特の匂いがある。それは端的に言えば、「西武の匂い」である。
西武の電車が縦横無尽に走っている小平から、その匂いは強く漂いはじめる。東久留米も清瀬も東村山も、
僕に言わせりゃ西武の街だ。西武の街の商店街には、独特の清潔さとスケールの小ささがある。
そして所沢では、西口のプロペ通りでそれが炸裂する。川越のクレアモール(→2008.8.19)とまったく同じ、西武の匂い。

 
L: プロペ通り入口。いかにも私鉄、いや、いかにも西武な空間の始まりである。
R: プロペ通りの様子。川越のクレアモールと完全に同じ印象がする。つまりこれが、西武の街のエッセンス。

プロペ通りを抜けると、ファルマン通りを経て、所沢の旧市街である元町・金山町へと至る。
Wikipediaによれば「かつては川越の蔵造りの街並みに引けを取らない街並みであった」というが、その面影はまったくない。
歩いている途中、奥まった位置に建っている旧所沢市役所が目に入ったので、近づいてみる。
今は社会福祉協議会や商工会議所などが入っているらしいが、すでに半分以上廃墟のような雰囲気を漂わせている。

  
L: 旧所沢市役所。1968年竣工だそうだ。恐ろしいくらいに典型的な庁舎建築らしい形をしている。
C: 角度を変えて撮影。所沢なのに建物がこの大きさではさぞかし大変だったんだろうなあと思う。
R: 反対側から見るとこんなふうになっている。それにしても古くなったコンクリってのはまったくもって目立たない色だ。

元町は店舗が散見されるものの、かつて商店街だったことを示すものはほとんどなくなってしまっている。
西側の金山町には今もアーケードが残っているが、営業している店舗は数えるほどで、あとはシャッターばかりだ。
駅に近い元町は、その立地から高層マンションが無数に建ち並んでいて、セットバックしている分だけ歩道が広い。
そしてそのマンションの1階部分には、歩道となった公開空地に面して新しくて小ぎれいな店が入居している。
つまり、かつての商店街の小売店舗は、マンションの住人向けの店舗へと姿を変えている、というわけだ。
この光景を眺めているうちに、奇妙な感覚をおぼえた。まるでニュータウンの団地にいるような気分がするのだ。
所沢では、古くからの伝統的な商店街が次々と消えていき、今さらニュータウンへと造り変えられているのである。
かつて郊外につくられていたものが、今は地方都市の真ん中、旧商店街の遺跡の上で増殖している。
この事態は、都市社会学的にきちんと検証すべきことではないかと思う。

  
L: 金山町のアーケードから元町の高層マンション群を眺める。かつてはどちらも商店街として賑わっていたという。
C: 高層マンションの1階で営業している店舗。商店街としての機能が崩壊した今、商圏は上の階へと立体的に伸びている。
R: 現在も元町では高層マンションが建設中である。この新型ニュータウンは将来どんな姿へと「老化」していくのだろう?

所沢の旧市街は、僕にとってはなかなか刺激的というか挑戦的な空間となっていた。
まとまらない思考をめぐらせながら、少し北に進んでから、また東へと戻って歩いていく。

 歩いている途中で見つけた。スズカケは成長が早いのでなんでも取り込んでしまう。怖い。

西武新宿線のガードをくぐった瞬間、左手には緑の壁が現れる。所沢航空記念公園だ。
所沢市役所は公園の敷地の北側にあるので、そちらの方へと歩いていく。それにしてもだだっ広い公園である。
航空公園駅の駅前に出て、所沢市役所を眺める。デカい。市役所に面した道路の幅が広いのはいいが、
いかんせん街路樹が視界を塞いでしまっていて、建物の全容をつかむことがまったくできない。
かつて福岡県庁を訪れたときのことを思い出す(→2008.4.25)。あのときとすごくよく似た印象がする。
福岡県庁の正面は公園に面しており、道路に面しているのは裏口だった。
しかしこの所沢市役所は、道路に面しているのが正面で、公園に面しているのが裏側なのである。お手上げ。

  
L: 航空公園駅前のスクランブル交差点から撮影した所沢市役所。市役所の全貌を眺められる場所は、たぶんない。
C: 道路を挟んで市役所の入口を撮影。手前の低層棟のてっぺんが議会で、高層棟との間には市民ロビーがある。
R: 東側から撮影。近くで見ると、意外と古いのがわかる。1986年竣工。よく今も旧庁舎を残してるなあと思うわ。

 ちなみに航空公園内から見ると市役所はこんな感じ。

市役所を撮影して落ち着いたところで、いよいよ航空公園の中に入ってみることにする。
まずは航空公園駅側の入口へとまわり込む。ドカンと大胆に置かれたYS-11がお出迎え。大迫力である。
YS-11は日本で唯一の国産旅客機。ちゃんと「ワイエスいちいち」と読まなくちゃいけないのである。
やたらめったら頑丈だというその機体はまったく古びておらず、きれいに保存されている。
そして陸橋を渡ると広大な空間。アスファルトで舗装された道がまっすぐに伸び、その両側は芝生となっている。
そこではたくさんの人たちが寝転がったりボールを蹴ったり、思い思いに過ごしていた。
この公園はもともと日本初の航空機専用飛行場だった場所なのだが、その広い敷地が贅沢に使われている。

  
L: 航空公園駅側の入口に保存されているYS-11。戦中の軍用機のノウハウでつくった旅客機。
C: 航空公園の中は人がいっぱい。空には青、地面には緑が広がっていて、なんとも優雅な空間である。
R: 起伏のある芝生の広場も。緑に囲まれたずっと先には元町のマンション群が見える。

園内をのんびり散歩しながら往復してみる。敷地はめちゃくちゃ広いのだが、それでもやっぱりどこも人だらけ。
日本の人口は多いなあ、埼玉県民はいっぱいいるなあ、と思いつつ所沢航空発祥記念館前まで戻る。
せっかくなので記念館に入ってみることにした。500円払ってあんまり期待しないで展示を眺めていく。
日本の航空史における所沢の存在意義を主張する傾向が目立っていた印象。
それはほかの場所ではできないことだから別にかまわないのだが、全体的に垢抜けない感じがしたのもまた事実。
ジェットエンジンの形を意識した建物の中では、ヘリコプターや飛行機の実物が所狭しと詰め込まれている。
実物の機械ならではの迫力が味わえるのは、なかなか楽しい。知ってる軍用機ならなお楽しかったのだが。
で、僕がいちばん興奮したのは、大画面で上映されていた軍用機のアクロバットショー映像なのであった。
かつて軍用機大好きっ子だった頃の血が久々に騒いだ。やっぱりあれはめちゃくちゃかっこいい。

 
L: 所沢航空発祥記念館。  R: 内部では実機展示しまくりで、撮影自由なのがうれしい。

夕方になるまで芝生に寝転んで音楽を聴きながら過ごした。久しぶりにゆっくりできて、非常にいい気分。
薄暗くなってきて肌寒くなったので、むっくり起き上がって航空公園駅まで戻った。

さて西武線で所沢まで来ているということで、それならもうちょっと西武線沿線でのんびりするか、と思う。
せっかくだから一橋学園に行って、藤ノ木のふぶきロースカツを食べちゃおう!と決心。
ところがどっこい多摩地区の西武線はぐちゃぐちゃに入り組んでおり(路線図でも実際の地図でも本当にひどい)、
何をどうすれば一橋学園までたどり着けるのかよくわからない。小平で乗り換え萩山で乗り換え、
どうにか一橋学園に上陸。いやー久しぶりだなーと思いつつ藤ノ木に行ったら休みでやんの。
ガックリと肩を下ろして龍園に行ったら廃業してやんの。これにはもう、本当に途方に暮れた。

 えー!?

思い出の龍園が店じまいということで、かなりの精神的ショックである。
投げやりな気分になって、そのまま国立まで歩いた。かつて自転車で15分で走った距離は、ものすごく長かった。
国立駅南口に出たときにはお空は真っ黒。ロージナでシシリアンをいただいたが、やっぱり気分は晴れなかった。
クッタクタに疲れて家に戻った。なんつーオチだよ。


2009.5.3 (Sun.)

本日は同じ区内の学校で練習試合。
非常に広いグラウンドをめいっぱい使っての試合ということで、生徒たちは静かに燃えているのであった。

1本目は3-3の同点。まだイマイチ狭い範囲で集まるクセが抜けないものの、よく粘った感じである。
そして驚いたのが2本目で、なんと7-2というスコアで勝っちゃったのであった。
グラウンダーのパスをつなぐように指示が出たとたん、急に点が入るようになって生徒たち自身も驚いていた。
なんでいきなりこんなに調子が良くなったのか、指導する側としてはしっかりと分析をせにゃならんのだが、
いかんせん実戦に関する知識・経験が足りないので、その点はこちらの反省材料である。
点が取れれば勢いの出るチームなので、連中をどう乗せるかが今後の課題となりそうだ。
まあともかくそんなわけで、顧問も部員も上機嫌で解散となるのであった。

その後はジャージ姿のまま、モフモフとベーグルを食べながら日記を書いて過ごす。

夜になってなぜか表参道に移動。ワカメが上京してきたので飲み会なのである。
僕は自転車でそのまま合流したのだが、ジャージ姿で原宿~表参道を歩くのは非常に恥ずかしい。
道行く人がみんな僕を見て笑っているような被害妄想に陥ってしまう。

今回のワカメはハセガワさんとカレーをテーマに食べ歩いているが(前回はラーメン →2005.3.72005.3.82005.3.9)、
すでに食べすぎてグロッキーに近い状態でやんの。カレーは辛いから辛いものはカレーだ、という思想のもと、
明太子をカレーと解釈して博多の水炊きの店に入るのであった。相変わらずいいかげんである。
ナカガキさん、ハシモトさんも加えた総勢5名で盛り上がる。
会話の内容はいつものアレで、僕はワカメにやじうめについて詳しく説明するのであった。

その後は渋谷に移動して、今はAKBだのPerfumeだのにハマっている通称「エロたん」とも合流。
かつて僕らが属していたコミュニティについて、「あの人は今」的なトークでまた盛り上がる。
今だからこそもう一度、ってな感じの穏やかな回顧モードに入っていったのであった。
まあこういう緩やかな連帯は嫌いじゃないんで、こんなふうにほどほどに楽しめればいいよね、と思った。


2009.5.2 (Sat.)

ゴールデンウィークはサッカー漬けだぜ!

本日は午後の3時から学校にてサッカー部の練習。テニス部と入れ替わりでグラウンドを全面使う。
自己流で準備運動をある程度すると、生徒たちが練習している横でこっちもパスの練習。
肉離れした右足はだいぶ良くなってきていて、ほぼ問題なくボールを蹴ることができるようになった。
まったく利かない左足を強化すべく意識もしてみる。やるからには上達したいのである。
そんな具合にしてゴールデンウィークの初日は終了。泊まりがけでどっかに旅行するなんて夢のまた夢である。


2009.5.1 (Fri.)

1年生の英単語をチェックするBINGOのデキが本当にひどい。
2回目のチャレンジであるにもかかわらず、前回から成長した跡がまったく見られないのである。
どれも基本的な単語ばかりだし、宿題でさんざんノートに書いているはずなのだが、まったくできない。
さすがの僕もキレて怒ったのだが、生徒たちはどうにもイマイチ反応が鈍い。
勉強ができないことがいかに困ることか、いかに恥ずかしいことか、いかにつまらないことか、
そういった事実を連中にどうリアリティを持たせて突きつけるべきか、困っているしだい。


diary 2009.4.

diary 2009

index