diary 2008.3.

diary 2008.4.


2008.3.31 (Mon.)

うーん、もうちょっとこう、なんつーか、引き留めムードになってくれてもよくね? いや、まあ、いいんだけど。


2008.3.30 (Sun.)

昨日は髪を切った後、記録的なくらい精神的にメタメタだったので、今日はその分を取り返さなきゃ、と思う。
しかしながら朝起きると腹痛でなかなか思うように動けない。午後になってやっとのことで起き上がり、出かける支度。

大岡山で買い物を済ませた頃から雨が降り出し、新宿に着いてもそれは変わらない。
パソコンを持ってきていたのでカフェで日記でも書くかな、と思うが、どこも混んでいてとても入れない。
しょうがないのでメシを食うと英会話スクールへ直行。3時間粘って過ごす。

ふんばって英語を口ずさんでいるうちに体調がほぼ完全な状態に戻った。
雨だったけど外に出て動いた、ということが良かったのだろう。やっぱり人間、動かなきゃダメなのだ。
そのままさっき入れなかったカフェに行く。夜になっていたので空いていて、無事に座ることができた。
気合いを入れ直すとバリバリと日記を書いていく。こないだの静岡旅行の分を早く片付けないといけないのだ。

楽しい思い出の日記を書くのは非常に気分がいい。
一粒で二度おいしい、である。頭の中でそのときの思い出が完璧に再現されるので、書いていてウキウキしてくる。
逆を言えば「つらいー」「いやだー」という内容の日記は書くときにそれを繰り返しているわけだし、
読んでいる奇特な皆さんにもそういう気分をおすそ分けしていることになるのである。これはよろしくない。
そんなわけで、楽しい日記を喜んで書けるような毎日を過ごさなきゃいけないね、とあらためて反省するのであった。
もちろん日記を書くために毎日がんばるようでは本末転倒なのである。そこは勘違いしちゃいけないのだ。
これから先、いろいろあるんだろうけど、できるだけ面白おかしい記録を残していきたいものである。


2008.3.29 (Sat.)

美容院が混んでるときの待ち時間には、置いてある雑誌をチラチラと見て過ごす。
オシャレ軍の巣窟に置いてある雑誌なんてオシャレなジャンルのものばかりで、優先順位をつけると、
『Number』>>>>>『AERA』>>『Newsweek(日本版)』>>>>>>>>それ以外
という感じである。要するに、『Number』がないと困り、さらに『AERA』と『Newsweek』がないとどうしょうもないのである。
で、本日はその“どうしょうもない日”なのであった。そして弱りきった末に手に取ったのが、なぜか『LEON』。

しかしながら『LEON』を読んで爆笑したのであった。誌面に踊る「モテ」と「オヤジ」の文字、文字、文字。
いかに中年がカッコをつけるか、という記事ばかりで、やっとること『ホットドッグ・プレス』と変わらんやん、と笑えた。
紹介されているアイテムやらグッズやらもいかにもな感じで、これできめたらマニュアルオヤジとか言われるんだろーなー、
なんて思いながらページをめくっていった。中年向けだけに各アイテムの値段が高い。カモだよ、カモ。と思う。

この日は『LEON』だけでなく、『pen』も読んだ。
見たことのある建築家の名前とともに、その住宅作品が紹介されている記事に目が留まる。
なるほど写真はカッコいいし、文章も「オシャレかつ快適」という内容を必死で膨らませて書いてある。
全体を通して、これ見よがしな理想的なライフスタイルが提案されているのだけど、僕にはどうしても違和感がある。
なんというか、すごく消費的なのだ。次から次へと提案があり、消費を喚起し、それを刊行のたびに定期的に繰り返す。
人生そんなもんなのかもしれないけど、それにしたってせわしなくって息つくヒマがないじゃないか。
流行という慣性の法則に従って、自走装置が転がっていくさまが頭の中に浮かんだ。
その装置は目指す場所もなく走り続ける。

もし僕がそういう雑誌の編集部にいたら、と想像して頭をブンブン左右に振る。
こんなの絶対に耐えられない。今やってる仕事が、後に残らないから。現在を忘れないと、未来を提示できないから。
情報はつねに更新されていくけど、その更新とともに過去の僕が忘れられていく。記憶に残るのは雑誌の名前だけなのだ。
そういう流行の波の表面を優雅に泳ぐのも真理だとは思う。最後までおぼれないでいられる自信があるのなら。
だけど自分にこれはムリだ。途中で面倒くさくなっちゃって「やってらんねえや!」ってちゃぶ台をひっくり返すに決まっている。
雑誌のくれる最新情報を頼るよりは、自分が一生こだわれるスタイルをじっくり探す方がいいんじゃないの?と思うわけで、
そういう人間には向かない世界なのである。前に日記に書いたことをちょっと思い出した(→2008.1.2)。

次から次へと提案をして消費を喚起することは、すごく空虚だなあ、と僕は考える。
でも、人類は現実にそうやって生きているわけで、それを単純に否定することはできないこともわかってはいる。
行き先のランダムな猛スピードのベルトコンベアの上を必死で走っている(走らされている)オシャレな人たちは大変だ。
(※これはあくまで、僕の今いる視点からの見え方。好きで現場でがんばっている人にはもちろん違った光景でしょう。
 そして、都会で暮らすということ、都会でたくましく生きるということは、ある意味でそれとほとんど同じだと最近気づいた。)
『LEON』や『pen』がひたすら提示し続ける表面的にオシャレな世界に対する違和感と、
ベクトルがまったく別を向いているにもかかわらず感じる妙な同情(「仲間意識」的なもの)と、
背反する感情が同時にこみ上げてきて、それでもまあ「オレも自分にできることをがんばらんとな」と思えたのでヨシとする。


2008.3.28 (Fri.)

朝、フリーエージェント宣言する意思を表明した。予想外に淡々と受け止められて、ものすごく拍子抜け。

支えてくれるものが何もなくなるというのは、それはもう本当に不安である。この先、僕はどうなってしまうのか。
でもだからって今と同じ状態をこの先ずっと続けていけるなんて到底思えないのだ。だったら早めに動くほかない。
何度も何度も自問自答して、出てくる答えがいつも同じなんだから、これはもう、覚悟を決めるしかないじゃないか。
飛び出しても後悔、残っても後悔するのであれば、飛び出して後悔する方がマシ、そういうことなのだ。
こうなったらもう、自分で責任を負える喜びってやつをとことん味わいつくしてやるまでだ。ガオー!


2008.3.27 (Thu.)

夜、東京都の教員採用の説明会に出席する。
会場は中野サンプラザで、ホールにびっしりと人が埋まるという具合の盛況ぶりなのであった。
最近すっかり被害妄想にやられちゃっている僕には、周りの人がみんな英語ペラペラに見える。アホか、と自分ツッコミ。

現状の概要、選考についての説明、現役の教師によるディスカッションの3部構成。
内容はなかなか参考になるもので、質疑応答がない分だけしっかりと事前に練り込んである感じがした。
おかげで聴き手のこっちとしてもいい感じでモチベーションを高めることができた。充実した時間だった。

冷静に考えれば状況はかなりの追い風である。枠は広がり、社会人を優遇する仕組みも用意されている。
僕が日ごろ考えていることをきちんと実践できる準備をしておけば、好意的に見てくれる気がしないでもない。
そういうわけで、現実との距離感を的確につかみつつ理想を貫くという、難しいがやりがいのある毎日が始まる。
ふんばるぞ。


2008.3.26 (Wed.)

街を漂う空気はもうすっかり春のものだ。
この時期特有の躍動感が酸素原子の一粒一粒をぷるぷる震わせている、とでも表現できようか。
一年のうちで今のタイミングしか味わうことのできない、特別なエネルギーがあちこちに充満している。
ほとんどの人にとって、この春の匂いは好ましい感触を覚えるものであると思う。
どんな具体的なイメージと重ねて感じとるかは人それぞれだけど、ほとんどみんな、心地よいものと捉えているだろう。
僕だってそうだ。春を感じると反射的に、ああ気持ちいいなあ、と無条件にうれしくなってくる。
でも正直、それを辛く感じているのもまた確かだ。春の匂いは戻ってこない過去を思い出させる。
瞬間的に今と過去とを比べてしまい、途方に暮れてしまう、そういう残酷さも春は持ち合わせている。
僕の頭の中は猛烈にこんがらかっているけど、そんなのおかまいなしに春は優雅に踊り出す。
春の空気はみんなに平等に優しいんだけど、その優しさが一瞬、残酷に思えることがある。
まあ早いとこ、素直に春の到来を喜べるようにしたいものだ。


2008.3.25 (Tue.)

本ができあがったので著者の先生に届けるため、先輩と東大へ行った。
本郷三丁目でバスを降りると、うららかな春の陽気の中を行き来する人たちの表情がやけにまぶしい。
東大の敷地に近づいていくにつれ、晴れやか度合いが増していく。晴れ着の女性比率も増していく。
それで今日が東大の卒業式なのだとわかる。中にはイチョウの紋がついた博士コスチューム(マント&角帽子)の人もいた。

見ていて面白いのは、卒業生本人よりも一緒にいるお父さんお母さんの方が晴れやかな顔をしていることだ。
赤門前で記念撮影をして、子どもが無事に東京大学を卒業したことをデジタルデータの証拠に残している。
それはそれで非常におめでたいことなのでケチをつけるつもりはないけど、なんか妙な気もする。

ウチの母親は完全にこのパターンだ。
僕は一橋大学を出て東工大の院を出たけど、大学で勉強したことがほとんど直接的には関係してこない仕事をしている。
それで本人は「学歴ってあんまり意味なかったねアハハー」と言いつつ通信教育で単位を貯める生活をしているのだが、
母親は僕の学歴を非常に誇りにしているようなのだ。「いや、あんたとオレは別人だから」と言っても聞かない。理解しない。
僕には、子どもの経歴をまるで自分のもののように誇る親の気持ちがわからない。そしてわかりたくもないのである。
迷惑なのである。親しい人は知ってのとおり、僕は母親に対してあまりいい感情を持っていないわけで、
そういう人に僕が自力でがんばったことを侵食してほしくないというか、まあそういう類の気持ちがするのである。
子どもを親の一部分として見るそういう視線、見えない糸が全身に絡みついている気持ちの悪さ、それを感じてしまうのだ。
いつか僕も運よく親になる日が来たら、ごく自然と母親のような物事の考え方をしてしまうのだろうか。
あるいは、もっとイヤなのは、運よく僕の子どもを産んでくれた人が自分の子どもの功績を我が物顔で誇るのを見ることだ。
今年の正月にオヤジから「あなたは『家族をつくる』という要素を嫌っているんじゃないか」とビシッと指摘されたけど、
「そりゃしょうがねえじゃん」と思っちゃっているのである。ニンともカンとも。

晴れやかな舞台を目にしながらそういうことを反射的に考えてしまうというのも、ずいぶんとネクラな話である。
もっと前向きにならなきゃいかんなあ、と思ったある春の日の午後。


2008.3.24 (Mon.)

この4日間で思う存分リフレッシュができたおかげか、仕事も勉強も勢いよくこなすことができた。
充電したエネルギーがこの先どれくらいもつのかはわからないけど、まあともかく、非常にいい感じになってきている。
ご協力いただいた皆様&お世話になった皆様に、この場でお礼を言わせていただきます。ありがとうございました。

さーて、明日もがんばるかね。


2008.3.23 (Sun.)

沼津でうまいものを食わせろというのも僕のワガママなら、翌日は甲府でサッカーを観るというのも僕のワガママ。
でもバヒさんは親切に、「どうせ身延線に乗るなら富士宮に行ってヤキソバを食べよう」と提案してくれた。
富士宮のヤキソバというのは、B級グルメのチャンピオンを決めるB-1グランプリの初代王者に輝いたシロモノだ。
バヒさんは本当にステキなアイデアを出してくれるなあ、と心底感心しながら助手席に乗り込んだ。

今日は沼津から西へと進んでいく。富士山がぐんぐん近づいてきて、なかなか見事。
特に北に針路を変えてから、真正面に富士山が見える角度になると、その雄大さに思わずため息が漏れる。
そういえばバヒさんは富士山に二度ほど登ったことがあるそうな。僕はまだないので、うらやましい。
いつかみんなで登ろうぜ、と約束をするのであった。

 絶妙なアングルだ。

しかしながらまた一方ではボーカロイド・初音ミクに関するアホな会話が繰り広げられるのであった。
バヒさんはけっこう初音ミクにハマっていて、いろいろな音源を聴かせてくれた。
基本的には人間、特に女性の口からまず発せられることのありえない言葉を連発させるという、
まあ確かにそりゃそういう歌わせ方をするわな、という歌詞のオンパレードだった。本当にどうしょうもない。

僕は高校・大学時代をひたすらDTM(MIDI)での曲づくりに費やしていたので、初音ミクの登場にはけっこう衝撃を受けた。
経験上、MIDIで最もコントロールが難しい(ごまかしきれない)楽器は、エレキギターである。
エレキギターは音色が繊細、響かせ方が多彩で、これだけはどうやっても生音に絶対に勝てない。再現できない。
だから熱海ロマンでは必ず潤平にギターを入れてもらっていたわけだ。生音のギターが入って初めて完成、なのである。
そういう苦労をしてきたわけだから、人間の声というのは歌詞がある分、さらにアンタッチャブルな領域と思っていたのだ。
テキストデータを無機質に読み上げるソフトの存在は大学時代に知っていたが、歌わせるなんてことは想像できなかった。
しかし現実に、それが製品として発売されているのである。時代は確実に変わった、と唖然とするばかりだ。
今の僕はもうDTMへの興味をなくしてしまっているので(また音楽をやるなら絶対に生音中心でやりたいと考えている)、
初音ミクに手を出そう(変な表現にとらないように!)という気はさらさらない。が、その制御の手間には素直に呆れるのだ。

そういうわけで、初音ミクによる実例をいろいろと研究させてもらういい機会となった。
バヒさんには日ごろ僕がすっ飛ばしていることをホントしっかりとフォローさせてもらっている感じだ。感謝感謝。

さて、程なくして富士宮市に入る。当然、富士山本宮浅間大社に参拝をするのである。
やたらとでっかい鳥居の立っている駐車場に駐車し(参拝客はしばらく無料)、境内へと入る。
日本一の山である富士山のふもとにある神社ということで、古来より浅間神社は重要な存在だった。
しかしそのわりには豪華とか大規模とかそういうことはなく、思ったよりも質素なたたずまいを見せていた。
本当に、ふつうの神社と変わらない印象である。でも富士山がすぐ近くに見えるところが、ここを特別な場所にしている。
境内では結婚式を挙げている皆さんが2組。こそばゆい感じに戸惑う僕は素直な態度をとれるわけもなく過ごす。
対照的に、バヒさんはものすごく真剣に神前式のやりとりを眺めていたのであった。意外だ。
恒例のおみくじを引くと、境内のはずれに移動。そこには豊かな湧き水が流れ出ていた。さすがは富士山のふもとだ。
この湧玉池の水はものすごく透き通っていて、一点のよどみもない。池の底が近いのは気のせいなのかどうなのか。
こういうものを実際に目にすると、水が貴重な資源であることをあらためて思い知らされる。
きれいな水がすぐ近くにあるということは、人間にとっては本来、贅沢なことなのだ。

  
L: 浅間神社の拝殿。中では結婚式中。  C: 湧き水が溜まった湧玉池。思わず見とれてしまうほどに美しい。
R: 池に架かる橋とアヒル。いかにものどかな休日の朝って感じの風景なのである。

さて参拝を終えるとバヒさんと富士宮市街をあてもなくふらついてみる。門前町らしく大通りはきれいに整備されていた。
そこから一本奥にある地元のアーケード商店街も、昭和の匂いを多分に残しつつがんばっているようだ。
街のあちこちには富士宮名物であるヤキソバをアピールするオレンジの旗がなびいていて、なかなかの活気を主張する。

  
L: 浅間神社の駐車場につながる大通り。最近になってリニューアルしたと思われる、小ぎれいな店舗が目立っている。
C: 一本奥に入った地元商店街。坂道が少しきつい。どこか懐かしさを感じさせる店が並んでいる。
R: 浅間神社からすぐ近くにある横丁。ヤキソバ屋がオープンスペースを囲んでいてフードコート的。居心地がよい。

僕らも富士宮名物であるヤキソバをいただく。まだ早い時間だったので街中の店は営業していない。
でも大鳥居のすぐ近くにある店は開店したばかりだったのでさっそく注文。当然のごとく僕は大盛だ。

 
L: 富士宮ヤキソバ(大盛)。麺のコシが強く、肉かすを入れ魚の削り粉をかけるのが富士宮オリジナルなのだ。
R: 浅間神社駐車場の大鳥居と富士山。これを眺めながらいただくヤキソバはオツなもんでした。

ここで富士宮ヤキソバについての詳しい解説を、Wikipediaを参照しながらまとめてみる。
辛口のソースと、蒸した後に油でコーティングするつくり方による強いコシが特徴なんだそうだ。
身延線で持ち帰る山梨県民の要望に応える形でこのスタイルが生まれ、戦後に定着したという。
食べてみると実際に、家やお祭りで食べるヤキソバとは比べ物にならないほど麺が硬い。
この店では具としてイカも入っていて、歯ごたえのある食材がたっぷり味わえるのであった。

ヤキソバを食べ終えると富士宮駅へと向かう。この3日間、バヒさんには本当にお世話になった。
僕が今まで知らないで済ませてきたことの重要性に気づかせてもらったということも大きいし、
また純粋に、日ごろの生活でトゲトゲしていたところをたっぷりと癒してもらったということも大切なことだ。
思う存分、楽しませてもらった。毎度思うんだけど、いくら感謝しても、し足りない。
まあこのお礼はいつかどこかで、別の形でしっかりとさせていただくことにしよう。
バヒさんを満足させるような、新しい何かをきちんと提示できるようにがんばらないといけない。

近いうちの再会を期してあっさりと別れると、青春18きっぷにハンコを押してもらってホームへ。
少し待ってから身延線の列車はやってきた。乗り込むと、日記を書いて過ごす。
途中の身延駅で長めの停車があったので、のんびり駅舎から外に出て散歩してみる。いい天気だ。
身延を過ぎるとだんだんと乗客は増えていき、終点の甲府に着いたときにはけっこういっぱいになっていた。

さて、甲府に着いた。まだ時間的な余裕があったので駅近くのカフェに入ってやっぱり日記を書く。
『監獄の誕生』のレビューがまだ終わらない。内容の要約にものすごく手間がかかるのだ。
でもここできちんと自分なりの言葉で解釈を記録に残しておきたいので、ガマンしてゆっくり進めていく。
キリのいいところでいったん終わらせると、シャトルバスに乗って小瀬へ。

小瀬に着くと、クルヴァ(カーヴの意。ゴール裏を指す言葉)は相変わらず元気である。
僕は比較的落ち着いたエリアに腰を下ろすと、のんびりとマッチデープログラムに目を通す。
小瀬に来るのは3回目なのだが、妙に馴染んできた気がする。まだまだ若輩者ではあるけれど。
やがて対戦相手・福岡のサポーターへのエール、フェアプレー宣言、チーム練習とだんだんヴォルテージが上がっていく。
甲府は前節・アウェイの水戸戦で今季初黒星を喫した。今日勝たないと、完全に上位から置いてけぼりを食らう。
どうやら主力の故障もあり、若手選手の起用があるようだ。いつもより少し、緊張感が漂っているように思えた。

スターティングメンバーが読み上げられて小瀬にどよめきが起きる。
高卒新人2人(FWブルーノ、DF吉田豊)が大抜擢されたのだ。ベテランに比べれば、そりゃ確かに不安はある。
しかし停滞する今の甲府に必要な新しい風への予感が、すでにこの時点から小瀬を包んでいた。
試合は始まって1分もしないうちにジョジマールが先制ゴールをあげ、スタンドは大盛り上がりになる。
しかし立ち上がりの集中力を欠いたのはお互い様で、その2分後には同点弾を浴びた。
その後は攻める甲府と鋭いカウンターの福岡、という展開になる。しかし主審の判定が明らかに精彩を欠いていた。
後半に入ってもどことなく福岡有利の奇妙な判定が続き、さらにはPKをとられて逆転されてしまう。
そして甲府は3枚のカードを立て続けに切った。結果的にはそれが効いた。
2年目の久野が痛みをこらえて前へ前へとボールを運んでいく。それにブレイクが期待されている大西が応えて同点。
ブルーノ・吉田もそうだったが、この試合では若手がはっきりと前に向かってプレーをした。
甲府のサポーターはひとつひとつのプレーについて、ものすごく素直に反応をする。
ゴール前で横パスを出したら罵声、前へと切り込めばシュートを外しても大きな拍手。それが甲府に必要なものだからだ。
結局、試合は同点のままで終わり、今日も甲府は勝つことができなかった。
しかし、同じ引き分けという結果だったにもかかわらず、今日のゴール裏は盛大な拍手で選手を讃えた。
特に久野・吉田への声援は大きかった。この若手たちがベテランを刺激すれば絶対に勝てる、そうわかったから。

 前回までのブーイング2連発とは対照的な拍手。甲府サポはよくわかっているのだ。

今日の甲府の攻める姿勢、特に若手選手の前へ向かう姿勢には、「かっこよくて面白いサッカー」がはっきりと見えた。
そのサッカーを貫こうとしているから、僕はわざわざ甲府を応援しているのだ。自分の選択に自信を持てる試合だった。
あと細かい点では、甲府の選手が痛がるふりをして時間稼ぎをするシーンは今まで一度も見たことがない。
甲府の選手は本当に、転ばないし痛がらないのだ。男らしい潔さにあふれるサッカー、もっとじっくりと見たい。

帰りは例のごとく、ほうとうを食って各駅停車に乗る。家に着いたときには所持金が180円という有様だった。
でも、それに見合うだけの経験ができたことは間違いない。バヒさん本当にありがとう。


2008.3.22 (Sat.)

究極の夜を味わった次の朝、二日酔いになることもなく、快適に目を覚ます。
本日はバヒさんの運転する車に乗っけてもらい、バヒさんオススメの場所に連れて行ってもらうのである。
とりあえず昨日イタリア料理店でつくってもらったドーナツをかじると荷物を持って外に出る。
車の助手席に乗り込むと、バヒさんは快調に東へと針路をとった。

まず最初は、三島市にある三嶋大社。モテない同士、しっかりお参りして厄を落とそうというわけだ。
境内のはずれでは偶然、陶器市が開催されていた。凝ったものからどうでもよさそうなものまでいろいろ並んでいたが、
「おっ」と思うようなものはやっぱり高い。バヒさんはそのバランスを勘案しながら丼を買ったのであった。

 
L: 三嶋大社の本殿。三島市はこの神社の門前町で、とにかく歴史が古い神社なのだ。
R: 陶器市開催中。バヒさんは家では飲まないそうだが、ぐい飲みにけっこう興味津々だった。

お参り・おみくじを済ませると(末吉だった)、近くのおにぎりカフェ「丸平商店」に入る。
ここは江戸末期の商家をほぼそのまま利用していて、中には明治から昭和までのさまざまな道具を並べている。
奥にある蔵はイベントスペースとして積極的に使われているようだ。地方都市のやる気を感じさせる店である。
おにぎりはいくつか種類がある中から2つを選ぶ仕組みになっていたので、貝とジャコというシーフードで攻めてみた。
どっちも佃煮になっていて、おいしくいただいた。中身がわかるようにおにぎりのてっぺんに具を少しだけ乗せるのがオシャレ。
ちなみにバヒさんはアニメ声の店員さんに興味津々なのであった。三嶋大社では巫女さんに興味津々だったし。
(それにしても「アニメ声」という日本語もすっかり定着していてすげえなあ、と思う。冷静に考えるとなんだか妙な言葉だ。)
内装も含め、この建物は僕らの受け入れやすいステレオタイプな「和風の空間」として“再現”されているわけだ。
でもそういう「和風」が時代とともに更新されていくこと、それ自体がまた「和風」の精神の反映なのかもしれない、と思った。
デザートに黒蜜をかけたバニラアイスを食べたのだが、そのおいしさもまた、更新された「和風」を感じさせた。

  
L: 丸平商店の外観。右手奥がおにぎりカフェになっているのだ。
C: 奥にある蔵の外観。  R: 僕らが訪れたとき、中では風景画が展示されていた。ライヴとかよくやるみたい。

さて昼メシを食って落ち着いたところで、次の目的地へと向かう。
そこはバヒさんオススメの温泉である。伊豆半島のど真ん中、湯ヶ島温泉にゆっくり浸かるのである。
カーナビに施設を登録して、それに従って運転。土曜日ということで伊豆方面に向かう道は車でいっぱい。
しばらくはノロノロと車の列についていくが、やがてカーナビはひと気のない道へとわれわれを誘導する。
指示に従って進んでいくと、そこは完全に山道。このまま天城山まで行っちゃうんじゃないの?と思うくらいの勢いである。
まあ結局は、少々遠回りした形になってしまったが、無事に目的地に到着することができたわけで、
春ののどかな山間の雰囲気を楽しめたのは結果オーライなのであった。

湯ヶ島温泉は修善寺温泉よりも奥まった位置にある分だけ、通好みな印象を持たせる場所である。
河口に位置する沼津では想像もつかない姿をしている上流の狩野川(かのがわ)に沿って、温泉施設が点在している。
バヒさんオススメの施設もそうで、川の右岸でひっそりと営業していた。
僕らのほかに客はおらず、しばらくやりたい放題に露天風呂でくつろぐのであった。

  
L: 上流の狩野川。温泉施設の休憩所では、のんびりと川の流れる音を聴きながら過ごすことができる。
C: 日ごろの狭苦しいユニットバスから解放され、露天風呂で思いっきり手足を伸ばしてくつろぐ私。
R: バヒさんがズームで撮影したせいで丸見えに。とりあえずクラウザーさんにご登場していただきました。シャー

そのうちほかのお客さんも来たので、おとなしく日ごろの疲れを癒す。
ある程度青空の下での温泉を満喫すると、下着姿になって休憩所でジュースを飲みつつ寝転んで過ごす。
あまりの贅沢ぶり、そして癒しパワーに、気がつけば軽くいびきをかいて寝ていた。
何もしないで過ごすというのはふだんは退屈極まりないことなんだけど、ここではそれが一番の正解なのである。
日記を書くこともなく、勉強をすることもなく、ただぼーっとして時間と川が流れていくのを感じているだけ。
で、帰りにまた渋滞に巻き込まれるのはイヤなので、頃合を見計らって最後にもう一度だけ露天風呂に浸かることに。
肩まで浸かって100まで数え、そうして心ゆくまで温泉を堪能するのであった。

温泉からの帰りは、バヒさんが「ヤンデレ」のCDをかけてくれた。「ツンデレ」ではなく「ヤンデレ」である。
「ヤンデレ」というのは「病んでるデレ」ということで、いろいろ解釈はあるようなのだが、要するに「病んじゃうくらい好き」。
そんなわけで、アナタを愛して愛して愛しぬいているがゆえに独占したくって反社会的な実力行使をしてしまう、
そういうモノローグを初級・中級・上級と3段階にわたって聴いてみるのであった。
個人的には「病まれるくらいに好かれたことなんてねーよコンチクショー」なので、まあ妄想の世界としてはアリだよな、と。
なるほどなるほど、これはM心をうまい具合にくすぐりますなーなどとアホなことを言いつつヤンデレの極意を勉強した。

もうすっかり夕暮れで、そのまま沼津港に直行し、少し早いけど晩ご飯をいただく。
バヒさんは今回オトナの貫禄を見せまくってくれているわけだが、ここでそれは最高潮に達した気がする。
味にうるさい人の誰もが納得するという寿司屋に連れて行ってもらった。
引き戸を引いたら玉砂利と飛石がお出迎えでびっくり。そしてお値段を見てびっくり。
バヒさん、これホントに食うの? これホントにいっちゃうの?と内心ビクビクものだが、
顔には出さずに(出てたかもしれんが)つとめて冷静に振舞うのであった。で、出てきたのが下の写真のような品。

 ひゃー

ひとつひとつ、僕にしては異常にゆっくりと、味を脳みそにレコーディングしながら食べていく。
正直まだまだ僕は質より量の人間なのだが、きちんと「いいもの」を知っておかないと恥ずかしいのである。
こういう機会はめったにないから、本当に丁寧に食べた。でもやっぱり緊張でうまく記憶できた自信がない。

食べ終わると腹ごなしにそのまま沼津港を散歩。ノラ猫とニャーと張り合ったりしつつ、そのまま海の方に向かう。
さて沼津港には「びゅうお」という名前の展望施設がある。実はこれ、津波対策の水門なのである。
水門の上側を展望スペースにして、沼津港から市街地までが一望できるようにしているのだ。入場料100円。
中に入ってみると案の定カップルがチラホラいて、ささくれ立っている僕は非常にトゲトゲと歩き回るのであった。
そんな僕をたしなめるバヒさん。なんだか今回はバヒさんのオトナなところばかり見せてもらっている。

 
L: びゅうお外観。ライトアップはいいけど、色合いがどうもなあ…。中に入っても青い照明がまとわりつく感じ。
R: びゅうおから眺めた沼津港。よく考えたらこれだけ海に近いところにある展望施設も珍しいかもしれない。

その後はバヒさん行きつけの喫茶店におじゃまする。周りの客が恋愛話に花を咲かせていたこともあり、
モテないふたりは無意識のうちにずんずん気分が沈んでいくのであった。無言でぼーっと過ごす僕ら。
あまりの醜態を見かねたのか(バヒさんはそう分析していた)、マスターはグレゴリオ聖歌のレコードをかける。
グレゴリオ聖歌はめちゃくちゃ古い歴史を持つカトリックの宗教音楽で、ひたすら男声で単旋律なのである。
バヒさんいわく、「これを聴いてスッキリしなさい」ということなんだそうだ。一喜一憂、憂いがなかなか根深くって困る。

さてそんな感じで、なんだかんだ本日もめいっぱい楽しませてもらった。
バヒさんは「最近ようやく沼津が好きになってきた。食い物がうまいから」と言っていたけど、
そういう部分にきちんと触れて自分の落ち着ける居場所をしっかり確保できているのがうらやましい。
僕はそのオイシイところを頂戴していい気になっているわけなのだ。いや、本当にありがたいです。


2008.3.21 (Fri.)

本当なら例のごとく県庁所在地めぐりをがっつりとやりたいところだったけど、残っている街はどこも遠いので金がかかる。
そこで、前に挑戦したことがあるんだけどなんとなく消化不良な場所を、もう一度攻めることにしてみた。
ターゲットは、静岡(前回のログ →2007.9.152007.9.162007.9.17)。青春18きっぷで各駅停車の旅だ。
そして明日は中学からの親友であるバヒサシさんが暮らす街・沼津を拠点にのびのび過ごす。
最終日は身延線で甲府に出て、今度こそヴァンフォーレの初勝利を拝もうじゃないか、という魂胆である。

そんなわけで、なんとなく酒が残って重い体に気合を入れて、6時半前に家を出る。
山手線に乗り込むと、品川で東海道線に乗り換え。雨の残る東京から西へ進むにつれ、空は明るくなっていく。
小田原で乗り換え、熱海で乗り換え、どんどん西へと移動していく。その間ずっとうつらうつら、半分寝っこけて過ごす。

清水駅に着いたのが10時ちょい前。ロータリー周辺の店がちょうど開店するところである。
新しめの駅舎とレインボーカラーのアーケードのアーチを眺めながら、音楽を聴きつつバス停で突っ立って待つ。
前に来たのはちょうど半年前だ。そのときには行けなかった三保の松原が、今回の最初の目的地なのだ。
半年前の暑い盛り、日本平スタジアムを目指してだだっ広い清水の街を走った記憶が蘇る。
今回はそんなことがないように、優雅に路線バスに乗るのである。

予定よりもそこそこ遅れて、バスがようやく到着。入口で番号の打たれた紙を取って席に着く。
バスにはけっこうな数の乗客が乗り込むが、みんなわりと早めに降りていく。三保半島に入った頃には数人程度に。
そしてここからが長い。地図だと今ひとつ感覚がつかみづらいが、清水の街はものすごく広いのだ。
バスは駒越で針路を180°変え、延々と県道199号を北に走る。平らな地面はびっしりと住宅で埋め尽くされている。
やがて乗客は僕ひとりになり、終点の三保車庫前に到着。400円の運賃は高いが、実際それだけの距離を走っている。

どうせなら三保半島の先っちょまで行っちまえ、と思い、さらに北へと歩いていく。
途中に清水エスパルスの練習場があった。こんなところにあるんだ、と驚いた。けっこう質素だがよく手入れしてある印象。
で、これは本当にキリがないなあ、とウンザリしていると、西側の浜辺に出る道を発見。対岸の工業地帯を眺めつつ北上。
そうして15分ばかり歩いていったらようやく先っぽに到着した。3mないくらいの小型の灯台が浜辺に突っ立っている。
先っぽの辺りの浜辺はそんなにキレイではなく、少し残念な気分になる。それでも三保の松原はそうじゃないかもしれない。
気を取り直して、今度は半島の東側を南下してみる。すると海がだんだん鮮やかな青さを見せるようになってきて、
対岸には雄大な富士山の裾野が姿を現した。てっぺんが雨雲に隠れてしまってるのが非常に残念だが、
今日になって天気が回復しただけマシ、と考えたほうがいいだろう。歩いていて、とてもいい気分である。

さて三保半島の先っちょから三保の松原まで、これがまたとっても距離がある。本当に清水はでっかい。
東海大学の附属高校どうしで野球をやっているのを見たり、滑走路と小型機があるのを見たりしながら先へ進むと、
気づけば松の林の中にいた。松林の遊歩道を抜けて海の方へと出てみると、太陽の光を反射してまぶしい駿河湾と、
それに向かい合って静かに立っている羽衣の松を発見。観光客がそこそこいて、海と松林の間で動きまわっていた。

  
L: 青い駿河湾と富士山の裾野。雨雲が非常に粘り強く山頂を隠していたのが残念。
C: 三保の松原。弧を描きながら延々と「海・砂浜・松林」が続く。まあ正直、この光景はけっこう飽きやすいと思います。
R: 羽衣の松。天女が羽衣を掛けたという伝説のある松の木である。けっこう弱ってきているようだ。がんばれ。

「白砂青松」というけれど、実際に来てみると砂浜が思いっきりグレーだし!ということで、
予想していたほど絶景ではなかった、というのが正直なところである。もうちょっと色のコントラストが鮮やかだと思っていた。
春はなんだかんだでそんなに風景を美しく彩る季節ではないので、空気の澄んだ季節なら、また印象が違うかもしれない。
もう少し暖かい時期に来て、膝くらいまで駿河湾に浸かって、少し距離をとった地点から松原を眺めたいところである。

そんなわけでとりあえず借りは返した。三保の松原を後にすると、そのまま松の並木の参道を通って御穂神社へ。
「人生なんとかなりますよーに」と相変わらずのテキトーなお参りを済ませると、再び県道へと向かう。
バスはすぐに来て、清水駅へと戻る。途中で清水区役所(旧・清水市役所)が見えたので、シャッターを切る。

 ふつうに平成型のオフィス建築。ホントによくあるパターンだ。

清水駅に戻ると18きっぷをかざしてホームへ。列車は10分間隔なのですぐに来る。そのまま静岡へ。

さて前回の静岡は雨の早朝ということで、街をブラつくには最悪といえるコンディションなのであった(→2007.9.16)。
しかし今回はきっちり晴れている金曜日の午後である。賑やかな静岡の街をイヤというほど歩き倒すのだ!と、
鼻息荒く駅のコンコースに出る。相変わらず北口は工事中で、半年前とまったく変わらない。
いったん地下を経由して地上に出るのだが、その通路の複雑さに懐かしさを覚えた。

まずはとりあえず市役所・県庁へと行ってみる。一度行った場所は頭の中に地図ができてしまうのでまったく迷わない。
便利といえば便利な能力だが、だからといってそれ以上得することはないのがなんともである。
でもどの街も一度訪れれば「ホーム」感覚になるのは、街歩きが好きな都市社会学っ子としては好ましいことではある。
で、静岡市役所。本館も新館も、まったく変わらない姿のままだ。とりあえず、前回きちんと撮影しなかった
新館(葵区役所)の正面の写真を撮る。本館については前回のリンクを貼っておくのでそっちを参照(→2007.9.16)。
そして静岡県庁である。Wikipediaでは帝冠様式の代表例に挙げられていて、言われてみると確かにそうだ、と納得。
なんでも新しい空港(富士山静岡空港)ができるそうで、それをアピールする看板が掲げられているのであった。
歴史的に価値のある建築のファサードと広告。なるほど、この関係ってのは親和性が高いはずだ。これまた妙に納得。
前回は雨で細部には気づかなかったのだが、よく見ると窓のところはすべて富士山が描かれている。
竣工当時にはこうはなっていなかったと思うけど、なかなか悪くない工夫だなあ、と思いつつ眺める。

  
L: 静岡市役所新館/葵区役所。隣の本館とはとっても対照的。権威(本館)と機能(新館)の並立。
C: 静岡県庁本館をもう一度撮影した。言われてみれば確かに帝冠様式。色づかいのせいで若干、南国風に見えちゃう?
R: 県庁本館の窓はこんなふうになっている。遠くから見ると気づかない、ささやかなこだわりである。

そして静岡の街をブラつく。Wikipediaにも記述があるが、静岡の中心部は大型店舗の出店を拒否した歴史がある。
そのため、街を歩いているとすごく不思議な感覚になるのだ。核がない印象を、はっきりと受ける。
ほかの地方都市では大型店舗が核となっていて、それを当たり前のものとして僕らは感じているところがある。
だから不況で大型店舗が撤退すると、そこに強烈なブラックホールを見てしまうのである。
富山(→2006.11.2)も前橋(→2005.11.122007.5.3)も和歌山(→2007.2.11)もそうだった。
でも静岡には最初から核がない。伊勢丹が本当に目立たないスケールで、駅からいちばん遠い隅を固めているだけ。
そしてそれと好対照をなす、いちばん駅に近い紺屋町のPARCOには「1周年」の旗が踊っている。そう、去年できたのだ。
大型店舗に端っこを守らせて、真ん中は小さな店がびっしりと埋める。静岡の街は、そんなふうにできている。
呉服町~紺屋町と、静岡のメインストリートは人通りでいっぱい。シャッターが下りてる店が見当たらない。
僕が今までさんざん目にしてきた地方都市とは正反対の光景がここにある。この活気は、なんなんだ!?
半ば呆れながらシャッターを切る。人も車も自転車もひっきりなしに行き来しており、撮るのが大変。
そんなわけで、ホエ~と感心のため息をつきながら、静岡の街を思う存分徘徊したのであった。
どうしてこれだけ元気なんだろうか。きちんと社会学的に考えないといけないことだと思う。誰かがんばって。

 
L: 呉服町の様子。駅から少し離れた辺りでもこれだけにぎやか。
R: これまた呉服町だが、もう少し駅に近づいたところ。街行く人も、小さな店も、エネルギッシュ。

最後は歩き疲れてヘロヘロになったので、駅のコンコース内の店で一服しつつ日記を書いて過ごした。
で、夕方に間に合うように電車に乗って沼津へ戻る。なんだか調子が良くって、車内でも日記を書きまくる。
沼津に着くとバヒさんから「少し遅れる」と連絡があったので、昨日オープンしたという商業施設のカフェで日記を書く。
しばらくして、バヒさんが相変わらずな飄々とした感じで現れた。お土産に買っておいたうなぎパイを渡すのであった。

バヒさんは地下にあるオシャレなイタリア料理屋に連れて行ってくれた。前に会社の同僚に教えてもらった店とのこと。
「こんなオシャレ軍な場所にブサイクな僕らが来ていいんですか?」「そんなこと気にしない気にしない」
ということで、それぞれテキトーにパスタやらピザやらサラダやらビールやらを注文。
今回は「おいバヒさん、オレは毎日閉塞感でいっぱいだから沼津でうまいもんでも食わせてくれ!」と僕が強引に頼み、
それでモテないふたりでの小モゲ開催となったわけである。お互いに低調な日々を問わず語りで披露しあう。
飲みつつ長時間ダラダラとしゃべっていたら、けっこうな量を食っていた。腹いっぱいになって店を出る。
おみやげにバヒさんオススメのドーナツをつくってもらった。店の人はブサイクな僕らを差別しなかったのでよかったです。
とにかく、おかげでだいぶ精神的に緩やかになった気がする。酔いのせいもあってウヘヘヘ~といい気分。

するとバヒさん、「沼津に来たらぜひここに行かないと!って店があるから行こう」とおっしゃる。
「キャバクラですか? 僕はキャバクラというところに生まれてこのかた行ったことがないのでぜひ一度体験してみたいと……」
と僕がいつもの調子で言うと、「そんなんじゃなくって、もっとちゃんとした店だよ」とのこと。「おう、かかってきやがれ!」と僕。
それで連れて行ってもらったのが、アーケードの表通りからちょっと入ったところにある、とっても落ち着いたバーなのであった。
もともと飲めない僕にはまっっっっっっっっっったく縁のない場所だ。本当に、未知の領域である。ひどく緊張して中に入る。

そこはまさに、『右曲がりのダンディー』でしかお目にかかったことのない世界だった(このマンガ文庫化されないかなあ)。
還暦過ぎと思しきマスター、僕らよりちょっと年上な印象のバーテンダー、僕らより若そうなバーテンダーの3人がお出迎え。
カウンターの隅っこにバヒさんと並んで座る。バヒさんはここに来てのんびり落ち着いて過ごすのだという。お、オトナだ……。
言われるがままに、リンゴのリキュールのカクテル(もう名前とか緊張とかいろいろで覚えてないし)をいただく。
「ヨーロッパの北部ではリンゴを育てて酒にして、そうして必要な栄養を摂るわけです。単に酔うだけではなくて、
生きていくうえで必要なものとしてお酒があるんですよ」なんてありがたい話を拝聴しながらおいしくいただく。
ふだん「弱いから酒は好きじゃねえっス」なんて言ってる僕には想像できない、奥の深い世界がそこにはあった。
そして、いつも飲んでいる酒がいかに安くてテキトーなのかがわかる。自分でも信じられないが、本当に酒がおいしい。
一緒に出てきたサラダもめちゃくちゃうまい。これが“本物”ということなのか!と、目からウロコがボロボロ落ちる。

何より凄かったのは、3人の動きだ。ひとつひとつの動作が、すべて「魅せる」ようになっている。
グラスやらシェイカーやらを扱う動きだけではない。たとえば、ただ手を右から左へ動かす、その仕草からして違う。
機敏でしかも繊細。まるで演劇を観ているようだ。いや、細部まで神経が行き届き、洗練され抜かれた動作は、
演劇以上の迫力だ。たとえ客がぼーっとほかのところを眺めていても、彼らは一瞬たりとも気を抜くことなく動き続ける。
ふだんガサツに動きまわる僕は、ここまで自分の身体を油断なく動かすことができるのか、とただただ呆れるばかりだった。
ただの動作だけでも人を惹きつけてしまう、そういう領域がある。その努力を想像して、想像ができなくて、ため息が出る。
そんでもって3人の連携がこれまた本当に見事。3つのバラバラの動作が1つの目的に集約されるさま、
あるいはマスターの動きをじっと見つめるほかの2人の動と静の対比、そこにストーリーが見えてしまうくらいに整っている。

「シェーカー振るところを見よう」ということで、また別のカクテルをつくってもらった。
最大限に凝った仕草で目の前にグラスが置かれる。そうして注がれたカクテルは、飲むと中の氷の粒が心地よく融ける。
なるほど、ただ振ってるだけじゃなくて、ああやって氷を細かく砕いてこういう喉越しにするのかー!と今さら感心。
よく考えたら僕も30歳になったわけで、こういう世界の存在を知っていないとそれはけっこう恥ずかしい歳になっているのだ。
おおーこれは勉強! ものすごく勉強! もっとオレに学ばせてくれー!と、内心かなり盛り上がるのであった。
バヒさんは「これがKYの対極にあるものだから」と言う。そうだ。究極的に気が利かないといけない仕事なのだ、これは。
「ここに来てマスターやバーテンを眺めることで、自分のプロとしての意欲を高めるんだ」とバヒさん。ものすごく納得がいく。
自分はブサイク軍だからと卑屈になることなく、自然体で過ごせばそれでいいのである。日ごろの態度をちょっと反省。

バヒさんいわく、「ここのマスターに会うために東京から来る人もいるくらいなんだ」とのこと。
そんな皆様と僕はどんな話をしたかというと、いつもの県庁所在地めぐりの話なのであった。
3人とも僕みたいなチャレンジをしている人には初めて会ったそうで、いろんな人と接する仕事なのに僕だけってことは、
そんなに珍しい趣味なのかなあ、と首をひねる。で、上記の静岡の感想を正直に熱く語らせてもらうのであった。

結局、バヒさんとまったく同じペースで酒を3杯も飲んだ。自分でも驚きだが、ごく自然に飲んでしまったのだ。
スコッチのオン・ザ・ロックとか、僕には絶対に飲める種類の酒ではないはずなのに、さも当然のごとく飲み干してしまった。
自分で自分が信じられない。酒がオレに飲ませたのだ!としか言いようのない事態である。
まあとにかく、あらゆる面で僕の意識が変えられた体験で、そういう機会が持てたのがうれしい。
そろそろ帰ろうか、となって提示された金額が「こんなん絶対にサービスしすぎだ! 優しすぎにも程がある!」というもので、
「ホントすいません、また近いうちに沼津に来てここで飲ませてもらってやる気を充填させていただきます」と誓ったくらい。
帰り際、いちばん若いバーテンさんは僕らの姿が見えなくなるまで頭を下げていて、もうなんだか申し訳なくってたまらない。
究極的に気が利く、空気が読めるということの凄みをこれでもか!というほど味わわせていただいたのであった。

タクシーでバヒさんの寮まで帰ったのだが、乗っている間も降りても「すごいね……」「うん、すごいよ」という話をして過ごす。
なんつーか、ホント、オレはもっと自分の世界を広げていかなくちゃいかん!と思った。いやもう本当に素敵な体験だったよ。
酒をおいしい、酒にまつわるすべてを面白いと思ったのは生まれて初めて。視野が一気に広がった、うれしい夜だった。


2008.3.20 (Thu.)

来月から社会人になるワカメが残り少なくなったモラトリアムを満喫すべく上京してきたのでお相手。
関西在住のワカメは「東京らしい名物を食いたい」ということで、Messengerを通して2人で話し合った結果、
浅草で「どぜう」をいただくということになった。「どぜう」とはつまり、「どじょう」である。コンニチワ

浅草というのもけっこうややこしいところである。銀座線・東武線だと松屋に出るが、浅草線だと少しはずれに出る。
それで東京に慣れていないワカメを探して軽く右往左往。しかもワカメは傘を忘れたというので買ってやったのであった。
さてワカメと合流してしばらくしてから、ナカガキさんとも合流。今回はとりあえずこの3人でスタートとのこと。
せっかく久しぶりに会ったのに雨だわ寒いわでコンディションはまったくよろしくない。が、めげずに歩きだす。

 ワカメ(目線入り)。こいつはヤクルトの青木宣親や浦和の梅崎司に似てると思う。

午後2時集合だったので僕はメシを済ませて合流したのだが、2人はまだ何も食べていないとのこと。
しょうがないのでアーケードを歩きまわって目についたクジラ料理の定食屋に入る。なぜ浅草でクジラ?と思うが、まあよし。
で、流れで僕も一緒に定食を注文。そんなわけでこの日の昼は2食分食べたのであった(でも大食いだから平気)。
前に食べたクジラは煮込んであったので(→2007.2.11)、今度は生でいくことにした。「クジラのづけ丼」をいただいた。
味はやっぱり哺乳類の肉って感じで、ワカメとナカガキさんは「牛刺しっぽい」と感想を述べていた。なるほど。

その後は浅草六区の辺りを中心に軽くブラつく。六区の「とっぱずれた」雰囲気を目の当たりにしたワカメは、
「(大阪の)ミナミに雰囲気がそっくりだ!」と言っていた。大阪はそういうところ多いもんなあ、とウンウンうなずく僕。
で、浅草演芸ホールで落語を聴く。ちょうど仲入り後からで、ベテランの落語家が高座に上がるタイミング。
2階席だったせいかベテランの声が少し聞きづらかったのが残念だったが、なんだかんだで惹き込まれてしまった。
落語だけでなく色物もなかなか充実していて、実に楽しい時間なのであった。やっぱり寄席は面白いものだと再確認。

寄席を出て、どぜう鍋まではまだ時間があったので、さらに六区から花やしき、そして浅草寺までを歩いてみる。
浅草独特の怪しげな店がことごとく閉まっていたので、そんなに雰囲気を楽しめなかったのが少々残念だった。
それでもナカガキさんは途中で見かけたスマートボールに反応し、1ゲーム200円をプレー。
誰もスマートボールのルールをよくわかっていない中、ボールをバンバン勢いよく弾いていくナカガキさん。
球が穴に入ると、その穴のところに書いてある数字だけ球が出てくる。が、ただそれだけなのである。
当然のごとく、やがて球が尽きてゲームは終了。スマートボールとは、ただ球が穴に入って楽しい、という、
それだけのゲームとしか認識できないのであった。本当のところはどうなんだろう。

 
L: クジラのづけ丼。1年ぶりのクジラの風味なのであった。それにしてもなぜ浅草で……?
R: スマートボールに熱中するナカガキさんの図。スマートボールはパチンコとはかなり異なるもののようだ。

そんな具合にいかにも浅草な部分も堪能しながら浅草寺に到着。
浅草寺では3人そろっておみくじを引いてみたのだが、私生活が順調極まりないナカガキさんは大吉、
モラトリアム終了直前のワカメは吉だった。そして僕は生まれて初めて凶が出た。
すべてにおいて悪いことしか書いてなくって、これはもう笑いの神が降りてきたのではないかと思うほど。
まあスランプの底が見えたという意味で、凶を引くのはそれなりに妥当なんではないかな、と考えるのであった。
そんなわけで、へこむことなく素直に結果を受け入れて、おみくじを紐に縛りつけて本堂を出た。

 
L: これが凶のおみくじだ! いいことはひとっつも書いてなくって、なんだかもはや笑えてきてしまう。
R: 雨の浅草寺境内。ちなみに雨の仲見世は身動きがほとんどとれない混み具合なのであった。

 
L: 雷門を見上げて撮影。雷門は正式には「風雷神門」だそうで、扱いの悪い風神様がちょっとかわいそう。
R: 夕方の仲見世。こうして見る仲見世は、いつもと違った美しさが印象的だった。

さて時間もいい頃合になり、大学院の研究室の掃除に巻き込まれていたというハセガワさんも無事合流し、
いよいよ本日の本題であるところの「どぜう」にチャレンジなのである。
予約しておいた店に入るが、こないだ食べた桜鍋にちょっと雰囲気が似ていて、少しオトナ向けな感じが漂う。
店のおばちゃんたちはことあるごとに口を挟んであれこれと世話を焼いてきて、いかにも下町風だなあ、と。
実際、世話を焼いてもらえないと食べ方がわからないわけで、いろいろ訊きつつ食べては注文する感じになった。
どぜう鍋は、基本的にはどぜうをそのまま煮て食べる。臭みを消すためか、大量に刻みネギを入れるのが特徴。
しかしどぜうはそのまま食べると骨がけっこう気になる。そのため、「骨抜き」の鍋も存在する。
骨ごと丸ごと食べる場合、軽く茹でられたどぜうが鍋の中に何匹も横たわっていて、それがなかなかリアルである。
しかも煮ると柔らかくなって、割り箸でつまもうとすると胴体が簡単にちぎれてしまうのでこれまたリアル。
正直な表現をしてしまうと、小魚の遺体を肉片として食べる、という印象なのである。どぜう鍋はけっこうホラーなのだ。
そんなわけで、そういうのがダメな人は絶対にどぜう鍋は避けるべきだと思った。まあ、みんな平然と食ってたけど。

 
L: どぜうの骨抜き鍋。こちらはどぜうが生の状態のまま鍋に入っているので、煮立ったらひっくり返す必要がある。
R: 柳川鍋。骨抜きどぜうをゴボウと一緒に玉子でとじたもの。食べた後は残った汁をご飯にかけるのが定番らしい。

いかにも通好みな味なんだろうなあ、これ。なんて思いながらも酒と一緒にどぜうをいただく。
鍋が小さいこともあってけっこう早くできあがるので、食べるのは非常にスピーディ、ドタバタ気味になってしまう。
しかも量を食べて満足というものでもないので、席に着いて1時間後にはすでにまったりとした雰囲気になっていた。
みんなでうなぎをつっつきながらホンワカしていたところ(結局、食いやすいうなぎに走った)、子音さんから連絡が入る。
子音さんは二度寝をぶっこいたんだそうで、ようやく浅草に到着とのこと。じゃあ別の店に移動しましょう、となる。

で、店を出ると子音さんと合流して鶏肉自慢の店に入る。
あれやこれやと昔懐かしい人たちが今どうなっているんだろうね、なんて話をしつつ過ごした。
やっぱりダントツに面白いのは子音さんの安倍なつみ狂いの話で、伝説を聞くたび腹がよじれんばかりになる。
人間そういう“欠点”があるからいいんだよなあ、なんて偉そうなことを思うのであった。

そんなわけで浅草のディープな面を山田五郎ばりに紹介しつつ自分も楽しむという、充実した時間を過ごした。
今度からペンネームとして「山田二.五郎」を名乗ろう!なんて思ってみたりみなかったり。
ここんとこ精神的にずいぶんと追い詰められるような毎日だったんだけど、久しぶりに思いっきり息抜きができた。
ワカメとハセガワさんが就職した後は今のように気軽に集まれなくなってしまうかもしれないが、
それでもなんとかこの輪は維持したいな、と切に思う。彼らとはムリヤリにでも集まって、話をしたい。
楽しいなあ、ホントこういうのは楽しいなあ、と余韻に浸りながら帰ったのであった。いやーよかったよかった。


2008.3.19 (Wed.)

よくもまあ毎日、次から次へと仕事が降りかかってくるもんだよなあ、と思う。
頭の中で1ヶ月後のことを逆算しながら必死でこなしている。なるべく面倒くさいことが残らないように、と。
傍目にはわからないかもしれないけど、計算しつくしたアクロバットな仕事をやっていくのだ。
そうして悔いがないように、すべてに決着をつけるのだ。


2008.3.18 (Tue.)

ネタがないので昔話を。自分の記憶の中に、最も昔から残っている曲は何か、という話題。

僕の場合、おそらく『Popcorn』だと思われる。ガーション=キングスレイが1969年に発表、
1972年にはホット・バターによるカヴァーが世界的にヒットして、テクノの起源となったという説もある曲だ。
世間一般には、電気グルーヴがアルバム『VITAMIN』でカヴァーした曲、という説明の方がわかりやすいかもしれない。

で、なぜ「おそらく~思われる」という曖昧な表現をしたかというと、メロディについてはそうだと確信しているのだが、
アレンジについてなかなかこれといった決定打がないので、いまひとつ断定できないからである。
iTunes Storeで『Popcorn』を検索すると、実にさまざまなアレンジの曲が引っかかる。
しかしながら、どれも僕の記憶の中にあるアレンジと異なっているのだ。
むしろ1993年発表の電気グルーヴのヴァージョンが一番しっくりくるくらいで、
僕が幼少の頃に慣れ親しんだ『Popcorn』は、いったい誰のヴァージョンなのかがいまだにわからないでいる。
可能性が高いのはやはりホット・バター版なのだが、僕の記憶と比べるとリヴァーブが弱く、ドラムスも目立ちすぎる。
もうひとつ、イタリアのストラーナ・ソチエタ版の可能性も高い。こちらのややスローなテンポと主旋律のリヴァーブは、
僕の記憶の中にあるイメージにかなり近い。でもベースとパーカッションのリズムセクションがやや強い点に違和感がある。
もしかしたら正解は、iTunes Storeに取り上げられないくらいマニアックなヴァージョンかもしれない。
でもまあとにかくメロディという点からすれば、僕の記憶にある最古の曲は『Popcorn』で間違いないはずなのである。

小学校入学前、僕の家族は飯田市の中でも上飯田と呼ばれる地域の白山町という場所で暮らしていた。
当時、家の中で遊んでいると、遠くから宣伝カーがよく音楽を鳴らして近づいてくるのが聞こえてきた。
どんな内容の宣伝をしていたのかはさっぱり覚えていないが、BGMの方はしっかりと記憶に刻まれている。
その曲こそ、『Popcorn』だったのだ。宣伝カーはけっこうな頻度でやってきていたと思う。それで覚えてしまった。
ところでかつて我が家では、お中元だかお歳暮だかでカルピスの詰め合わせセットをもらっていたのだが、
「歯に悪い」とかそんな理由をつけられて、ほとんど、いや確か一度も飲ませてもらえなかった。
カルピス原液の茶色い瓶を包む紙には青い水玉模様があしらわれていて、それはずっと僕の憧れの的だったのだ。
で、なぜか僕の頭の中ではカルピスの象徴である青い水玉と『Popcorn』の曲調のポコポコ感が結びついてしまい、
いまだに『Popcorn』を聴くとカルピス(カルピスウォーターでなく、きちんと原液を割ったやつ)を飲みたくなるのである。
(カルピス禁止が本格化したのは小学校に入学後、大久保町に引っ越してからのことかもしれない。
 でも白山町で覚えた曲が視覚・味覚のイメージと結びついて強固に残っているのは事実なのである。)

まあそんなわけで、僕にとって『Popcorn』は、いちばん懐かしい頃の思い出がしっかりと詰まっている曲なのだ。
自分でもよくそんな記憶が残っているなあと呆れるけど、食い物の恨みは恐ろしいってことで。


2008.3.17 (Mon.)

本日も英会話のお勉強。3時間みっちりと、いつもどおりのスケジュールをこなす。
以前に比べて「聴く力」はついた(単語の聞き分け能力が高まった)とは思うのだが、肝心の「話す力」はまだまだ。
ネイティヴに雑談をふられると、話そうと思う内容が頭の中にワッと殺到してきて(文字も絵も両方とも)、
それを整理するので一拍遅れてしまい、結局そのままきちんとしたやりとりにならないで終わってしまう。
まず簡単な言葉で結論をスポーンとひねり出してしまって、詳しい内容はその後、というのが正解と知っているけど、
それを実践するのが本当に難しい。最初から100%の理解を相手に求める僕の姿勢に問題があるのだ。
いいかげん、何ごとにつけ「all or nothing」なところのある僕のクセを直さないといけないのだが、直らない。
単純に英会話のことだけでなく、万事にわたっての問題なので、とにかく根気よくやっていくしかない。
まーずホントに、困った性格であることよ。


2008.3.16 (Sun.)

今日も甲府。

片道3時間の電車の中では相変わらずのリポート三昧。
といっても単位を取るためのリポートはすでに提出済みで、本日取り組んだのは教育実習向けの課題である。
インチキ文章をこねくりまわしてわりとあっさり決着をつけると、2月の残りの分(あと1日分だけ!)に取りかかる。
しかしこれが大変なのだ。なぜなら、M.フーコーの『監獄の誕生』のレビューだから。内容の整理が本当に面倒くさい。
結局もう一度読み直しながら要点を書き出していくことに。勉強になりますこと。

 駅前の百貨店・山交のエントランス。本日は徳島戦で、両チームのフラッグが。

さて今日は先週よりも余裕たっぷりに甲府に着いたので、しばらくのん気に周辺を散歩してみることに。
2年半前よりは性能のいいデジカメを使っているので、それであらためて県庁と市役所を撮影してみた。
当時の写真(→2005.9.24)と比較してみると、性能の差がはっきりとわかる。天気の影響も大きいけど。

  
L: 山梨県庁本館。1963年竣工のわりにはカラフル。  C: 県庁別館。1930年竣工で、かつてはこれが本館だった。
R: 山梨県議会。こちらは1934年竣工で、別館と細部のデザインを合わせている。本館の彩色はこれらの延長線上にある感じだ。

2005年9月の日記では「甲府はすべてのスケールが小さくできている」なんて書いたけど、その印象は今も変わらない。
県庁の敷地は狭く、その中にあまり大きくない建物が詰め込まれている。期せずして甲府盆地を再現しているようだ。

そしてそのまま歩いて甲府市役所へ。こちらも狭い敷地に複数の小さめな建物がみっちり詰まっている。
こうしてもう一度市役所に来るまでは、「日記で甲府市役所の写真を1枚だけにしたのは、ちょっとケチケチしていたかなあ」
なんて思っていたのだが、実際に見てみると「ああやっぱ1枚だけで十分だったわ」と思うのであった。
ホントにほかの角度から撮る必要がないんだもん(→2005.9.24)。でもまあいちおう、あらためて撮影してみた。

  
L: 甲府市役所。エントランスが歩道からやたらと近い。セットバックしてオープンスペースを……という発想がゼロなのね。
C: 甲府の中心的な商店街・かすがもーる。ヴァンフォーレのショップもこの通りにある。置いてある自転車のわりに人通りは少ない。
R: かすがもーるはまだいい。アーケードに一歩入るとご覧のとおり。人はいないことはないが、沈滞ムードが漂う。

甲府の街について先週(→2008.3.9)は「少し持ち直したのかな」なんて書いたが、日曜の昼過ぎにこれでは寂しい。
一度ダメージを受けた街の活気は、回復させるのが本当に難しいんだなあ、と厳しい現実に直面するのであった。

 舞鶴城公園より眺める山梨県庁本館。2年半前とまったく変わらない光景だった。

のんびりと散歩を終えるとバスに乗って小瀬陸上競技場へ移動である。
前回の反省をもとに、キックオフ1時間半前にゴール裏へと乗り込むのであった。
日差しはまったく容赦がない。用意しておいた手ぬぐいをかぶり、スタジアムがゆっくりと興奮に包まれていくのを体感する。
熱いクルヴァの皆さんは今日も元気で、新しいチャントをガンガン歌っていた。覚えなければダメか……。
最初は十数人程度だった徳島サポも徐々に増えてくる。最終的には100人ほどに。遠くからお疲れ様です、ホントに。
やがて練習が始まり、選手へのエールが送られる。穏やかながらも確実に緊張が高まっていく時間である。

そしていざ試合開始。前節のブーイングが効いたのか、厳しいチェックで襲いかかる甲府の選手。
ここぞというときに全力で走る姿勢がとても頼もしかったのだが、どうしてもゴールが遠い。
前半は圧倒的にボールを支配したのだが、得点できず。この時点ではサポーターもまだ冷静。
しかし後半、なかなか攻める姿勢を貫くことができない。絶好の位置で何度もパスカットを食らい、怒号が飛びはじめる。
サポーターが要求しているのは、とにかくシュートなのである。なんでもいいから点を取る気を見せろや、と。
甲府の特徴のひとつに、相手のカウンターをDFが猛スピードで追いかけてつぶす点にある(池端の速さはとんでもない)。
それが機能しているうちはいいが、終盤どうしても疲れてそれが甘くなる。でもそのことはある程度折り込み済みなのだ。
したがって甲府が勝つには、とにかく早いうちから点を取って貯金をつくり、終盤の失点をカバーするというやり方になる。
失点を覚悟の上で攻めるチームだという意識が統一されているので、不甲斐ない攻撃にはみんな容赦ないのである。
終盤はカウンターを食らいながらもGK桜井がしのぐ場面がチラホラ。僕の見る限り、桜井のプレーはけなすところがない。
で、結局はスコアレスドロー。前節とは比べ物にならない迫力のブーイングが甲府盆地にこだましたのであった。

  
L: 試合前、子どもにファンサービスをする、甲府のマスコット・ヴァンくん。子どもがやたらめったら群がってすげえのなんの。
C: 試合中の光景。わかりにくいが、ピッチの右半分が完全に無人。こういう光景が見られるのは世界中で甲府の試合だけだと思う。
R: 試合終了後、挨拶する選手たちに容赦のないブーイングが浴びせられるの図。なんでもいいからシュートを打ってください、お前ら。

甲府の閉塞感満載の試合と、今の自分の閉塞感満載の生活とが重なって、なんともやりきれない気持ちで帰った。


2008.3.15 (Sat.)

それにしても最近、旅に出たいという欲求が、いよいよ強くなってきた。
実際に何件かは手続きを進めている。今月は近場をのんびりし、来月は遠出をし、再来月はもっと遠くへ行ってくる。
旅に出たいと思うのは、閉塞感を打破したいからにほかならない。今の状況から抜け出して別の自分としてふるまうこと、
そうしたいという欲求が、ストレートに旅という形になって出てきている、ということだと自分で分析している。
でも旅から戻ってくればまたいつもの毎日を生きることになる。旅に出たまま、旅のような人生を続ける、というのは、
人間社会においては不幸というか苦難というか、そういう種類のものとして扱われるのである。
終わりがあるから、旅は楽しみとなりうるのだ。つまり、旅じたいが閉塞している必要がある。難しいものである。

つまりは、人生とは閉塞していて、それをいかに味付けして楽しむかっつー話なんだろ、という気がしてきた。
楽しんだ者勝ちなのだ。できるだけたくさん、楽しんだ人がいちばん幸せ。
それならできるだけ楽しい要素を見つけて、あるいは埋め込んで、過ごしていくのがいいということだ。
それができる人生を選んでいくのが最善ということだ。とりあえずそれが結論ということで今夜は勉強をがんばる。


2008.3.14 (Fri.)

今夜は勉強をほとんどしないでテレビを見ていたので、そっちの話題をあれこれ。

寝台急行「銀河」が今日で引退、というニュースがやたらとフィーチャーされていた。
「銀河」については2月の日記で書いていて(→2008.2.1)、そのときに勉強していたので少し感慨深い。
僕は鉄道に興味がなく、寝台列車なんて値段が高いだけ損!と思ってしまう味気ない貧乏人なのだが、
しかしこうして「なくなってしまうんです!」と報道がされると、うーん、ブルートレインかあ。一度は乗ってみたいかなあ、
と思ってしまわなくもないのである。とりあえず、「北斗星」に乗って北海道に行く、というのは少しだけあこがれる。
そしてここであえて言わせてもらおう。「ちがうナリよ」

今週の『タモリ倶楽部』は先週に引き続き、空耳アワード。
空耳アワーはここ何年か、タモリの採点が異常に辛くなってしまったので以前ほどは盛り上がらない印象である。
しかし名作が連続で味わえるこの機会は非常にうれしい。ずーっと笑い転げて過ごす。
マーティ=フリードマン先生がもはやすっかり欠かせない存在になっているのも、なんだかほほえましい。
『タモリ倶楽部』のあのユルい雰囲気はそれだけですばらしい。なんだか見ているこっちも参加している気になるんだよな。

時間的に『タモリ倶楽部』とつながっている『検索ちゃん』も先週の続きの内容で、ボキャブラ芸人特集の後半戦だった。
ボキャブラ世代の芸人は、今やすっかり「勝ち組」「負け組」ができあがってしまっている状況になっている。
でも、ずいぶん久々だなあ、という芸人たちが今でも元気に動きまわっているのを見られたのは幸せなのであった。
今でも皆さん妙に息が合っていて、当時の熱かった雰囲気がちょこちょこ顔を出すのが面白い。
懐かしいやりとりを見ていると、かつての楽屋のにぎやかさが想像できて、「いいなあ」とこっちまで思うのである。
(かつて『内P』が支持された理由はまさにそれを表に出した点にあると思う。最近はそういう番組が少ないなあ。)

そんなわけで、のんびりおだやかいい気分になって寝る。テレビが楽しいのってやっぱいいね。


2008.3.13 (Thu.)

本日はもう何もしない!と決めた。会社が終わるとさっさと帰って完全休養日とする。
で、ストーリーが欲しいなあ、と思ったのでマンガ喫茶でマンガを読む。

能田達規『ORANGE』。
スペイン帰りの天才FW・若松ムサシ(16歳)が、女子高生オーナーが運営する弱小サッカークラブ・南予オレンジに入団。
アジア最強との呼び声高い東京シュバルツから移籍したMF・青島小次郎とともに1部リーグ昇格を目指す話。

最初はそのムチャな設定に違和感をおぼえた。女子高生オーナーとかスペイン帰りの天才少年とか、
いくらマンガとはいえ極端だなあ、と。1部に上がれなかったらチーム消滅とかムサシ移籍とか、
そういう妙な条件・制約をつけるのもまた違和感。一時期の日テレじゃないんだからさあ、と思いつつ読み進める。

壊滅寸前のクラブがオーナー・盆野美果の奮闘やムサシとコジローの連携、チームメイトの復活により勢いを増していく。
ひとりひとりに焦点を当てつつも要所要所で主人公の活躍を描き、非常にいいバランスで話を進めていく印象だ。
いかにも少年マンガらしい高いテンションとオプティミスティックな展開は、とても気持ちよく読める。
特にクライマックスに向かっていくさいたまレオーネ戦、アヴァランチ仙台戦、幕張イーリス戦の3試合は、
ケタはずれの迫力を見せる。少年マンガの「強さのインフレ」が、そのまま「迫力のインフレ」となっているので、
読者としては納得するしかない。描いている方も読んでいる方も夢中になってしまう求心力のかたまり、って感じだ。

このマンガ最大の特徴は、街とクラブとサポーターの関係をものすごくしっかりと描いているところである。
クラブの奮闘とともに南予市やその近隣の人々まで興奮の渦に巻き込んでいく様子が描かれているが、
その背景にはきちんと地方都市の置かれた状況が押さえられていて、クラブの意義というものがよくわかるようになっている。
南予オレンジはムサシ・コジローが加入したことで成績が上向きサポーターが一気に増加した「成功例」だが、
もうひとつの壊滅寸前のクラブとして長崎テンボスが登場し、地方クラブの厳しい現実もまた語られる。
そしてオレンジと昇格争いのデスマッチ(まさにデスマッチ)を繰り広げるアヴァランチ仙台の存在感もまた格別。
どうしても2部から抜け出せないクラブどうしが文字どおりの死闘を展開するが、どっちも街や人の期待を背負っている。
その背負っているものを徹底的に描き込むことで、ただのサッカーの試合がとんでもない重みを持ったものになっている。
でもその重みはフィクションではなく、現実に存在するのだ。そういう側面の存在をはっきりさせたことの意義は大きいと思う。

さらにこのマンガでは、層の薄いチームが昇格争いをする中、エースのムサシが五輪代表に招集されてしまうという、
日本代表招集の問題までも扱っている。お年寄りからは「お国のため」なんてセリフが出てきて、その感覚が実にリアル。
クラブのために戦うことと日本の代表として戦うことと、どっちにも価値があることで天秤にかけることは難しいわけで、
このマンガはその辺のバランス感覚についても読者に問いを投げかけてくるのだ。
特にクラブの監督が半ば「奪われる」形で代表監督に就任した現実の例(→2006.6.24)を考えれば、
このマンガが単なる少年マンガの枠を超えて、どれだけ鋭い視点を持っているかがわかるだろう。

そういうわけで、非常にいいマンガだと思う。エンタテインメントとして十分面白いうえに、
扱っているテーマは今まさに現実に進行していることで、読者として考えさせられることがとても多い。

ちなみに、『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!'04』にはこのマンガの主要キャラクターがけっこう多く登場する。
このゲームをやっていて、日本人選手なのにジョルジュ・サントスって名前で「誰だよ」と思っていたのが恥ずかしい。


2008.3.12 (Wed.)

教育実習の事前指導に向けて課題が出ているので、メシを食いつつ前回の教育実習の日誌を読んで準備。
思えばもう8年も前のことになるのである。当時の高校生たちはもう大学を出て就職しているのである。びっくりだ。

今回、通信の大学から送られてきた資料と合わせて当時の日誌を読んでいったのだが、とにかく驚いた。
大学の資料には「まずは現場の先生の授業を見学して気づいたことを書き留めましょう」みたいなことが書いてあるが、
8年前には、僕はいきなり最初から教壇に立たされているのだ。見学とか一切なしで「できるよな」「ええまあ」で即授業。
そんでもって、教育実習期間中の弥七さん(担当してくれた先生)の授業は、僕がそのまま丸ごとぜんぶやっていたのだ。
いい加減な話だったなあ、と今さら思う。手続きじたいもいい加減だったが、いきなり本番なんだもんなあ。
授業案もいちおうつくったけど、僕も弥七さんもそんなの無視してやってたもんなあ。よく単位来たよなあ、と呆れてしまった。

日誌にはその日のできごとを細かく書くのだが、読んでいて連日出てくるのが、「テンポが速すぎ、生徒が戸惑っていた」。
当時の僕の授業はやたらめったらテンポが速かったらしく、そのことについて反省、反省の言葉が連発されていた。
思えば教育実習が終わって生徒にコメントを書いてもらって集めたものがあるのだが(いまだに持っている)、
「テンポが速い」という感想が誇張抜きで7割くらいを占めていた(残りは雑学面白かったとかそんなんばっかり)。
これは気をつけなくちゃいかんなあ……と8年経った今になってあらためて反省するしだい。

いろいろと不安の多い毎日なのだが、日誌を読んだら「こりゃなんとかなっちゃうな」という気がしてきた。
前にあっさりやってのけたことが、どうして今度はできないなんてことがあろうか。
20歳前後のときには“見えなかったもの”や“見なくて済んでいたもの”を20代後半の僕は見てしまっていて、
そういうさまざまな積み重ねで、自分を見失っていたところがあるのかもしれんな、と思った。
まあ要するに、楽しみになってきた、ってことだ。かかってこんかい。


2008.3.11 (Tue.)

いつも飯田橋に置いてあるサブ自転車の鍵をなくした件については以前書いたとおり(→2008.3.8)。
このままずっと放っておくわけにもいかないので、本日は会社帰りに錠を破壊してもらうことにした。

飯田橋の近辺に自転車屋はない。そのため、神保町まで自転車を引っぱって行かざるをえない。
当然、ロックされたままなので、片方の車輪(後輪)を持ち上げて歩いていくわけである。
電車では2駅程度の距離も、重い自転車を引っぱって歩くとなるとけっこうな覚悟が必要になる。
終業30分前ぐらいからテンションを高め、17時になると勢いよく席を立って飯田橋駅へと向かうのであった。
(仕事に対してテンションを上げろよ、というツッコミはこの際、ナシでお願いします……。)

最初のうちは素直に後輪を持ち上げてトボトボ歩いていたのだが、すぐに汗が噴き出してきてイヤになる。
もっと楽に、もっと楽に、と研究していくうち、逆ウィリー状態になるまで後輪を高く上げてしまい、
前輪を支点にして一輪車のようなイメージで運んでいくのがいちばん力がかからなくて済むことがわかった。
要するに自転車の重力を前輪だけに集中させて、よけいなベクトルに分散させないようにすればいいってことだ。
以後はずっとそんな感じで歩いていく。周りの人の視線が気になるといえば気になるが、気にしない。

で、意外とあっさり神保町に着くと、行きつけの自転車屋で錠の破壊を依頼。
僕はもうちょっと他にもそういうアホがいると思っていたのだが、けっこう珍しい仕事のようで店員さんは四苦八苦していた。
錠は非常に丈夫で、結局、裏側から金属板を引っぺがして開錠。カテナチオ討ち取ったりー。でも30分ほどかかった。
その後、ゆるんだチェーンの調整もお願いしたのだが、請求されたのはその分だけ。
錠の破壊は料金の規定がない、とのことだが、それではあまりに申し訳ない。その場で新しい錠を購入したのであった。

自分のアホさ加減が他人に迷惑をかけるのはとても申し訳のないことなのである。
いつも「もっと注意深く生きていかねば!」って思うんだけど、これがぜんぜん直らないんだよなあ。


2008.3.10 (Mon.)

腰痛がけっこう悪化。仕事中、定期的に腰をストレッチするなどしてどうにか乗り切る。
今月初めに心身のリフレッシュを理由に有給を申請しようとしたのだが、「もう少し待って」と頼まれ、その結果がコレだ。
予想どおりに心身のストレスがピークに達しつつある。今は近年まれにみるピンチの時期かもしれない。
公と私の両面からフラストレーションが襲ってきているので、どこにも逃げ場がない。
このオレ様がここまで簡単に追い込まれちゃうとはね、と苦笑い。

それでも勉強はサボれないのだ。会社が終わると菓子パンを頬張りながら新宿へ移動。
まだまだヘタクソでどうしょうもないんだけど、今日だけはなんとなくマシな感じがしたのは気のせいか。
一気に伸びるようなものではないから、3ヶ月前と比べて自分がどれだけ良くなっているのかはわからない。
とにかく調子が悪いうちは、限られた時間内だけでもベストな動きができるようにやりくりするしかない。ガマンガマン。


2008.3.9 (Sun.)

今、僕は、祭りに飢えているのだ。
退屈な日常からの脱出、爆発的なエネルギーを放出する場、それが圧倒的に足りないのだ。
そんなわけで行ってきました、J2開幕戦@小瀬(こせ)陸上競技場(甲府市)。

この日記で何度も書いているとおり、僕はヴァンフォーレ甲府のファンである。
ファンではあるけどサポーターではない、と言い続けてきたけど、去年の天皇杯ではユニフォームを着て鹿島に乗り込み、
チャントは歌うわ飛び跳ねるわ声はからすわで、どっからどう見てもサポとなってしまったのであった(→2007.12.8)。
そんでもってJ2に降格してしまった今年はというと、実はすでに金を出していて、小瀬に年間いつでも入れたりする。
東京在住のくせして甲府の年間パスを持つという、まあ正直、客観的にみて、これは極度のサポなのである。
以下、言い訳。甲府に今いちばん必要なものは何か。金である。資金がなければクラブは強くならない。
甲府が今年戦うJ2は、守備を固めたガッチガチのカウンターサッカーでしのぎきるのが定石となっている。
しかし甲府はどんな強豪が相手でも真正面から攻めて攻めて攻めまくる、そういうサッカーを展開している。
もし甲府が今年J2で確たる結果を残せなければ、日本のサッカーはどんどんつまんなくなっていくだろう。
僕はそういう危機感から甲府を応援していることもあるので、具体的に金を出すというアクションをとったのだ。
J2は地方都市のクラブばかりなので、J1のときみたいに自転車でアウェイ観戦ってわけにいかないし、というのもある。
もちろん観戦するためには交通費がかかる。バスだと往復で約4000円、これはバカにならない費用である。
が、今はちょうど青春18きっぷの季節ということで、実にお安く甲府まで往復できてしまうのだ。
電車に乗っている時間は、リポート書いたり日記書いたり英語の勉強したり、ムダな時間になどならない。
そんなふうにすべての理屈がスコーンと通ってしまったので、甲府に行ったんだよ文句あるかコノヤロー!

  
L: 2年半ぶりの甲府駅。  C: 武田信玄像とヴァンフォーレ応援のぼり。こののぼりは街のあちこちに立っていた。
R: 甲府の選手がフィーチャーされてるラッピングバス。地元のヒーローってことだ。人気が定着しているんだなあ、と思う。

甲府は「都道府県庁所在地ひとり合宿」の、記念すべきスタート地点である(→2005.9.24)。
そのときは街の衰退ぶりに驚いたのだが、今は当時と比べると少し持ち直したのかな、という印象。
中高生がやたらと街中を歩きまわっていたのが印象的だった。天気が良かったこともあるかもしれない。
まあまたいずれ、時間的余裕のあるときにゆっくりと歩いてみることにしよう。

キックオフが14時で本格的に商店街を歩く暇はなかったので、すぐに駅前に戻って小瀬行きのバスに乗る。
20分ちょっと揺られたのだが、おいおいこんな細い道を行くのかよ、と驚いてしまうことも。
で、小瀬陸上競技場に到着。ホームで観戦するのは初めてなので、少し緊張する。
どこの競技場も似たようなもんだとは思うのだが、小瀬は特に、ピッチとトラックをコンクリートで囲んだ場所、
そんな印象が強い。なぜかはわからないが、建築というよりも構造物、というふうに思えたのだった。
さてキックオフまであまり余裕のない時間に入場したこともあり、「立ち見を覚悟してください」と言われる。
へいへい、とテキトーに返事して中に入ったら、これがいちばん濃ゆいサポが陣取っている場所なのであった。
「ホームでの開幕戦・ゴール裏」を甘く見ていた。どこも人でいっぱいで、身動きが取れない。
できればひとつひとつのプレーをじっくりと見られる場所がいいなあ、90分応援しまくりだと体力キツいし。
声がかれたら英会話のやりとりが大変になるから、おとなし~く観戦できる隅っこがいいなあ……。
そんな目論見は見事に崩れたのであった。覚悟を決めて、濃ゆい一角に並ぶのであった。

 
L: 小瀬陸上競技場の外観。コンクリートで四方を固めた、そんな感じ。甲府サポには聖地。
R: 濃ゆい一角に紛れ込んでしまったの図。覚悟を決めて声を張り上げるしかないのであった。

それにしてもまあ、難儀なものである。どうして山梨県のクラブを応援するようになってしまったのか。
長野県出身なら北信越社会人リーグの松本山雅FCかAC長野パルセイロを応援しろよ、そう思われるかもしれない。
しかしながら南信出身として、北信や中信のクラブを応援するわけがないのである。盆地が違えばよその国。
それならいっそ隣県のクラブを応援しちまうってもんだぜ、という、むしろやっぱり長野県人らしい発想なのである。
長野県人だからこそ、自分の属する地方ではない県内の街に対しては敵意をむき出しにするのである。まいったか。

そんなことをボンヤリ考えているうちにキックオフ。相手はJFLから昇格して今年からJ2で戦うFC岐阜。
先月行った街(→2008.2.3)のクラブだし昇格したばかりだし、なんとなく「がんばれよー」ってな気分になってしまう。
しかしそんな悠長なことを言ってられないのもまた事実。容赦なく攻めまくって3-0ぐらいで。と思うのであった。
前半、甲府が主導権をしっかりと握る。が、どうにもなんだか、緩慢なのだ。チーム全体の動きに鋭さが感じられない。
なんとなく攻めるがなんとなく時間が過ぎていき、そのままなんとなく38分になって羽地がヘディングでゴールを決めた。
濃ゆい一角だけあって、先制ゴールに大盛り上がりとなる。わーっと周りの人たちとやたらめったらハイタッチ。
後半に入っても甲府は攻めるのだが、なんとなく攻めきれない場面が続く。パスに明確さがどんどんなくなっていく感じ。
逆に66分、ミスから岐阜に同点ゴールを許してしまう。空に「あれ?」と大きなクエスチョンマークを浮かんだのが見えた。
その後の甲府はさらに「攻めきれなさ」を露呈していく。この日が暑さを感じさせる天気だったこともあってか、走れない。
クローズ(多人数が密集してパス交換しながらゴール前に殺到する戦術)をやれば岐阜は持ちこたえられないでしょ、
と思うのだが、変に散開して数的有利を自分から捨てていくプレーばかりが目立つ。結局ドローでタイムアップ。
挨拶のため観客席の前までやってくる選手たちに、サポーターは容赦なくブーイングを浴びせた。
このブーイングは「J2に上がったばっかの格下と引き分けてんじゃねーよ!」という意味ではない。
「お前ら去年から何ひとつ変わってないじゃねーかよ!」という苛立ちの現れなのだ。
こっちのシュートは11本で向こうは3本。こっちのコーナーキックは9つで向こうは2つ。なのに、勝てなかった。
僕が今まで観た甲府の試合(1分け4敗)で、拍手はあってもブーイングはなかった。このブーイングの意味は大きい。

 期待が大きかった分だけショックだったわけで。

やりきれない気分のまま、再びバスに揺られて甲府駅前まで戻る。なんだか、妙に疲れた。
そんなわけでダラダラしていてもいいことないし、さっさと帰路につくことにした。
でもその前に、甲府名物のほうとうを食べるのである。今日は満足にメシが食えなかったのだ。
晩飯にはかなり早い時間なのだが、入るものは入る。がっつりといただく。

 
L: ほうとう!  R: 麺が太いぜ! そんでもって熱いぜ!

相変わらずの山の幸満載ぶりにうれしくなる。ハフハフ言いながら夢中でいただくのであった。
が、ぶっとい麺をかじっていて、ふと「来月の小麦の値上げでほうとうも値上げになっちゃうのかな……」と考えてしまった。
浮世とはつねに世知辛いもんじゃのう、などと思いつつも、満腹になって少しだけ機嫌はなおった。

帰りの電車の中ではリポートと日記を必死に書いていく。中身の濃い休日なのであった。


2008.3.8 (Sat.)

本日はひたすら雑務に追われた。

まずは通信の大学に行って、単位のチェックを依頼する。単位取得のための勉強も佳境に入ってきている。
それだけに、ここでうっかりミスをして「しまった! 取り忘れた単位があったのに!」ってなことがないように、
漏れがないかチェックをお願いしたのである。やはりこういうことは専門家の力を頼った方がいいのだ。

次は自転車の鍵に関する問題である。実はいつも飯田橋に置いてあるサブ自転車の鍵をなくしてしまった。
完全に油断していた。今までにスペアの鍵をすべてなくしていて、ついに鍵がゼロという事態になってしまったのである。
なんというバカさ加減だと自分で自分に呆れるが、もはやどうしょうもない。
仕方がないので、自転車を買った店(上野)に行って「なんとかなりませんかねえ」とお願いしてみることにしたのだ。
で、話をして新たに錠ごと鍵を購入。それで飯田橋に戻って掛かっている錠に鍵を差し込んでみるが、開かない。
よく見てみたら鍵には番号がついていて、これが合わないといけないのだ。僕も店員も気づかなかった。
しょうがないのでまた上野まで戻って鍵と錠を返品。でも元の錠と合う鍵の番号なんてもう覚えていないので、
「錠を破壊するしかないです」という結論に。どうすりゃいいんだ。これは本当に困った。
で、結局、飯田橋-上野間を2往復して事態はまったく進展せず。がっくりである。

本日最後の雑務は新宿である。ゴールデンウィーク明けに、いっちょアメリカと戦ってやろうと画策しているのだ。
それで、その件について詳しい話を聞きに旅行代理店に行く。だいたい沖縄のときに感覚はつかんでいるのだが、
なんせ相手は海外。国内の場合とどう要領が違うのか、なんて話も織り交ぜつつあれこれ話を聞く。
で、ウダウダ悩んだってしょうがないので、話を進めさせてもらうことにした。こういうのは勢いが重要なのだ。
充実した時間となってよかった。日常を前向きに過ごす材料が増えて、非常にいい感じである。

家に帰ってくると、最後にリポートの準備。激しく動きまわった一日なのであった。

広川太一郎が亡くなったとのこと。僕はその全盛期を知るには少し遅く生まれてきたのだが、
そのやりたい放題のナレーション・演技は常識として脳みその深いところに埋め込まれている。
『空飛ぶモンティ・パイソン』(あえて日本語タイトルで書きたい)のDVD-BOXをすでに買っているので、
それをじっくり見ながら、彼にしかできなかった芸を味わうことにしようと思う。


2008.3.7 (Fri.)

英語の勉強は1回3時間、みっちりやっているのだが、だいたい1時間15分を経過したところで疲れのピークが来る。
頭をフル回転させ続けたところでのピークではどんな症状が出るのかというと、ズバリ、頭が痛くなるのである。
頭の全体をうっすらと膜が覆うように、頭が痛くなってくる。頭の回転が顕著に落ちて、短期記憶がガタ落ちするのだ。
そうなったらもうしょうがないので、とりあえずいつも甘いものを摂取して応急処置としている。
近所のスーパーで安く売っている不二家のミルキーを舐めてグリコーゲンを補給するのがいつものパターンである。

誇張なしで、頭が痛くなるほど勉強をやっているわけである。そんなのもちろん、人生で初めてのことだ。
まあ今どんなに努力をしたとしても、それが結果を伴わなければまったく意味がないのである。
自己満足することなく、甘えることなく、もっとキレイに動ける自分を目指して試行錯誤をしていくのだ。

ところで袋入りのミルキーを買うと、まれに大玉が入っていることがある。
このたび運良く遭遇することができたので、記念に撮影をしてみた。

 
L: 左がふつうのミルキー、右が大玉。  R: 包み紙のペコちゃんマークもデカいのだ。

実際に舐めてみると、大玉は確かにデカい。溶けてなくなるまで倍くらい時間がかかる。


2008.3.6 (Thu.)

腰痛に苦しむ。たぶん、ずっと座りっぱなしで集中して仕事をするせいだ。なんだかマンガ家みたいだなオレ、と思う。


2008.3.5 (Wed.)

時間が経てば変わってしまうものもあれば、時間が経っても変わらないものもある。
時間だけが変えることができるものもあれば、時間が経っても変えられないものもある。
どれが正しいということではなく、どれもが事実として厳然と存在している。
僕らはこれらの4つの位相をその都度、場合に応じてやりくりしているのだ。

ここんとこ、変わらない自分だとか変えられない自分だとかを強く意識させられることが多い。
また、変わってしまったこと、変わってしまったかもしれないことに恐怖心を抱くようにもなっている。
事実はたったひとつでも、真実はその事実を解釈する立場の数だけ存在している。
まあ、ほかの誰かが持っている真実と自分が持っている真実は等価なのだということで、
前向きに捉えていくのがいちばん得ということなのだ。自分で書いててもワケわかんないけど、そういうことなのだ。


2008.3.4 (Tue.)

この日については特に日記のネタがあったわけでもなく、ごくふつうに過ごした。
そういう日の分の日記については、後で何かのレビューを書いて埋めることもよくあるのだが、
最近はなかなか各種の作品に触れる暇もなくって、結局ネタがないままで4月に入ってしまったわけである。
平日は会社と英会話でヘロヘロになり、休日は日記に追われるというスタイルが完全にできあがっている。
そんな消化不良気味な毎日を象徴しているようで、ちょいとばかし反省。もっと作品に触れていかないとなあ。


2008.3.3 (Mon.)

品川庄司の品川には、ブログを書くときの4つのルールがあるそうな。
・誰の悪口も書かない
・愚痴を書かない
・楽しかった出来事を書く
・人の好きな部分を書く

……ひとっつもできてないよ! 最近はホントにいっぱいいっぱいで、ひとつとしてできていない。
質のいい日記を書くことよりも、とにかく毎日の分を書くことを優先しているのがいけないのである。
前向きな日記を書けるように、前向きな生活をしていきたいもんだ。


2008.3.2 (Sun.)

都立中央図書館へ行って、リポート課題のための文献を探す。
課題の内容じたいはそんなに難しいものではなく、高校英語の延長線上というか高校英語レベルなのだが、
いかんせん僕は受験英語をすべて「勘」で済ませてきた人なので、きちんと文献を参照しないと危ないのだ。
今回はパソコンを持ってきていたので、リポートの下書きを直接Wordのファイルでつくってしまう。便利である。

終わるとついでに渋谷に寄る。東急ハンズでこまごまとした日用品を買い、メシを食って帰る。

夜は昼間の成果をもとにして、どうにかリポートを仕上げる。あともうちょい、というところまで来た。
でも教育実習向けの書類がワンサカと届いて、しかもけっこう面倒くさい課題が2週間程度を期限に課せられた。
仕事はたっぷりたまっているし、英語の勉強はここんとこ停滞気味だし、リポート課題は残っているし、
そこにこの新しい課題なわけで、キリキリ舞いなんてもんじゃねーよ!って叫びたい気分である。
しかし叫んでいる余裕があったら少しでも物事を前に進めないといけない。
旅行いきたい、旅行いきたい……と、南の街の青い空を想像しつつ、課題リストを整理するのであった。


2008.3.1 (Sat.)

リポート提出期限があさってに迫っているわけで、家で勉強する体力を残しておかねばならない。
ということで、本日のサイクリングは近場で済ませるのである。久しぶりに武蔵小杉を訪れた。

メシを食った後、まずTSUTAYAに行く。ふだんほとんど目にすることのない、旅行のガイドブックコーナーに直行。
「そうか、やっぱり阿蘇山の火口東展望所と火口西展望所は高岳・中岳・砂千里経由で歩いて行けるのか……」
なんてことをニタニタしながら確認する。最近はヒマさえあればこんな調子である。

日記は当初の予定よりも熱くなってしまい(熱くなるような、手間のかかる話題が手つかずで残っていたわけで)、
2時間半ほどかけてしまった。書いている間の集中力は自分でも呆れるほどで、時間の感覚もないし、
周囲がどんなだったか、まったく覚えていない。とにかく頭をフル回転させて、
よさこい、英語の雑感、マンガの話、モーラがどーのこーのということをガシガシ書いていく。
おかげで1月の日記は残すところあと1日分となった(でもこれがまた大変なのだ……)。

書き終えるとすっかり夕方。南武線のガード下で鯛焼きを買って帰る。なんだか毎週鯛焼きを買っている気がする。
家に戻ると鯛焼きをかじりながら書いた日記の最終チェックをして、その後はしばらくダラけて過ごす。

そんなわけで、本日も強制未来日記の刑なのだ。

「今日は晩メシを食ってから、自分でも驚くほどの勢いでリポートを書く準備をして、とても充実した一日でした。」


diary 2008.2.

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