diary 2009.6.

diary 2009.7.


2009.6.30 (Tue.)

テスト期間中の学校は平和でよい。生徒たちは13時には帰ることになっているので、
残った時間は自分の好きなように使える。時間に余裕のある生活とはすばらしいものである。
おかげでいつもよりもニコニコしていたようで、生徒から「ニヤニヤ笑って変!」と言われてしまった。失礼な。

家に帰ってネットで預金残高を確認してホッとする。思えば経済的に厳しい生活が長らく続いた。
まだまだそのダメージから脱却しきれたとは言えないものの、よけいな不安感がないのはいいことである。
ひどいときには残高34円なんてこともあったわけで(メインではない別の口座にはもうちょっとあった、念のため)、
それを考えると今の状況が信じられないくらいだ。資本主義とは怖いもんだなあと思う。

時間的にも経済的にも心理的にも余裕のある生活がしたいものです。


2009.6.29 (Mon.)

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』。ガマンできずに学校からそのまま映画館に直行。
ちなみに前作のレビューはこちら(→2007.9.23)。長く待たされた2年弱であった。

新キャラである真希波・マリ・イラストリアスのシーンからスタート。だが僕はメガネっ子が大っ嫌いなので、
特にテンションが上がることもなく見る。加持さん英語うまいなあ、なんて思う程度である。
(どうでもいいが、最近、街を歩いているとメガネっ子がやたらと多いのが気に食わない。
 素顔で勝負してくれよ!と思う。いやな世の中になったもんだなあと本気で考えているくらいだ。)
テレビ版と使徒の数が違うのをどうするんだろうと思ったら、新型が襲来していた。この手があったか!と思う。
続いてアスカが登場。アスカ派としては相変わらずの元気な姿でうれしい限りである。
その後はしばらく学園ドラマ調となり、物語がずいぶんとポジティヴに変わった印象がする。
「ぽかぽかする」レイと、エヴァ3号機のパイロット選びがその真骨頂。観客の安堵のため息が聞こえた気がした。

相変わらず初心者向けではないハイペースで話は進むものの、その分だけ、
テレビ版を見ている人には「安心できる要素」がぎっちり散りばめられていて、よりたっぷり楽しむことができる。
また、各キャラクターの人間くさい側面が思いっきり描かれているので、その点からもしっかり感情移入できる。
特にレイの描写は破壊力抜群で、アスカ派の僕でも「こりゃかわいいわ……」と素直に脱帽せざるをえなかった。
そしてレイがぐっと魅力的になったことで、クライマックスの「綾波を、返せ!」が響いてくる仕掛けにもなっている。
とにかく中身の濃い108分で、3時間ぐらい見ている気分になった。お腹いっぱい、大満足である。

徹底的にネガティヴな方向へネガティヴな方向へともっていき、その底で「僕はここにいてもいいんだ」とやったテレビ版。
それと対照的に、10年以上経ってから、ほぼ同じところからスタートしてポジティヴにポジティヴに動かす新劇場版。
世間の期待が(ポジティヴなものが好まれるだけになおさら)どんどん強まっている中で、しっかりとそれに応えている。
非常に高度なエンタテインメントとして成立しているなあ、とお手上げ状態である。
今から次回作の『Q(急)』が待ち遠しくってたまらない。もうホントに参りました。どうにでもしてくだせえまし、お代官様。


2009.6.28 (Sun.)

山田玲司『Bバージン』。高校時代に所属していた物理班の部室にあったのがきっかけ。
そのときにも読破はしているのだが、久しぶりにマンガ喫茶で読んだのでレビューを書いてみる。

生物オタクの住田秋は姉妹から徹底的に鍛え上げられてイケメンに変身し、大学デビューを果たす。
すべてはヒロイン・桂木ユイのため。ユイへの想いは非常に強く、あらゆる誘惑に打ち勝って純潔を守るのであった。
序盤はユイ狙いでナンパサークル生活を謳歌するが、そのうちに表面だけでなく内面的にも魅力のある男になるべく、
大学をやめて水族館でバイトを始め、大学サッカー部のエースとPK対決をし、大きく成長していくという話。

少女マンガと少年マンガが融合している、珍しいタイプのマンガだと思う。
正確に言うと、少女マンガ的な要素からスタートして気がつけば少年マンガになっている、そういう感じである。
やたらめったら絵が汚いので高校時代には呆れながら読んだ記憶があるのだが、
中盤以降は少年マンガ的な勢いがフルスロットルになるのでそんなに気にならなくなるのが不思議である。
ホモのヒデさんが詳しく解説をしてくれるのだが、秋もユイも現代社会では考えられないほどストイックであり、
リアリティがあるんだかないんだかよくわからない(まあ、ヒデさんじたいがリアリティのまったくないキャラだが)。
いや、リアリティはまったくないのである。でもありそうと思わせるところが、バブルの幻影であり作者の勢い。
作者の圧倒的な勢いが読者に有無を言わせずに自分の世界に引き込む好例、と言えそうなマンガだ。

読んでいると「こりゃもーミルさんとくっつくしかないっしょー」と思うのだが、そうはならないのがこのマンガ。
そこはもう理屈を超えた世界なのである。僕なんかはわりと秋に共感できる要素が多いこともあって、
(メガネでオタクファッションで平然としていた高校時代には、そんなことは想像できなかったんだが……)
クライマックスの迫力にはやっぱり有無を言わさず引き込まれてカタルシスを得るのだった。
そこで気がつく。たぶん秋は、すべての読者(たいていオタク、物理班にあったのもそういうこと)の依り代で、
彼の成長とともに読者は感情移入を深めていく仕組みになっていたのだな、と。
それはつまり、作者は最初のうちは秋に対して距離をとっていた、秋を客観的に描いていたのだが、
連載が続くにつれて作者は秋と同化していき、結果として少年マンガの要素を強めていったということだと思う。
そして、オタクの理想的な将来を示して物語は終わる。終わってみれば、良くも悪くもふつうのマンガになっていた。


2009.6.27 (Sat.)

マイケル=ジャクソンが死んじゃった。
昨日の朝起きたらヤバそうだというニュースをやってて、まさかなあと思うんだけどやっぱりヤバそうで、
そのうちに死亡というニュースが流れ出して、まさかなあと思うんだけどやっぱり信憑性が高そうで、
家に帰ってテレビを見たら追悼特番をやっていた。それでもなんとなく信じられないけど、世の中はそう動いている。
だからやっぱりそうなのかと思うんだけど、どこかで狐につままれたままでいるような気がして、でもやはり事実は事実。
そういう行ったり来たりを繰り返しているうちに世間も落ち着いてきて、みんなが納得していく。

僕にとってマイケル=ジャクソンってのはそんなに特別な存在というわけではない。その世代よりは下だからだ。
とはいえムーンウォークができるもんならやってみたいと思っているし、「King of Pop」という称号にも大いに納得している。
基本的にはゴシップまみれの姿に「しょーがねーなー」と苦笑いする感じのスタンスであるが、
やっぱり幼い頃から徹底的にショウビジネスの世界で鍛えられてきたそのパフォーマンスには素直にシビレるのだ。
テレビで次から次へと彼の足跡をたどっていくが、それを追いかけるたび、その凄さを再認識させられる。

マイケル=ジャクソンの死というのは、哲学的にはけっこう大きな問題じゃないかって思う。
それは、あそこまで衝撃的に身体を改造した人間はほかにおらず、そういう人間が身体を失ったという問題だ。
スリラーのダンスやムーンウォークのパフォーマンス、それらは永久に残るレヴェルのものだ。
そして、それと並行して自分の身体も改造している。自分の身体をコントロールしようという意識が誰よりも強い、
そういう人間があっさりとこの世を去った。でもその身体にまつわる衝撃は、この先も僕らの記憶に深く残っていく。
マイケルというアイコンはつねにメディアを通して僕らの前にその姿を現していたのだが、
今後はそのアイコンが本人の意思(遺志)を離れて動き出すことになる。上で「そういう人間が身体を失った」と書いたが、
正確に言えばむしろ逆で、「マイケルの身体が一個人の所有物ではなくなった」という見方をとるべきだろう。
つまり、「マイケルは身体を失い、僕ら(メディア)がマイケルの身体を手にした」と考えられる、ということだ。
今後マイケルは、これまでに亡くなったどの人間よりも強く、身体と結びつけられて語られるだろう。
しかしその身体を動かす意識は細分化・共有化され、これまで以上にアイコンとしての機能を強調されることになる。
われわれはマイケルの身体(限界を乗り越える身体)をどのように扱うのか。この点には深く注目しておく必要がある。
(マイケルの身体は二重の意味で限界を乗り越える。ひとつは動的なダンスの方向、もうひとつは静的な整形の方向。)
その扱い方が、これからの僕たちの身体を見つめる方向、いわば未来の身体像を示唆するように思う。


2009.6.26 (Fri.)

Googleマップのマイマップがおもしろくってたまらない。
インターネットの地図上に自分の好きなように目印を置ける、ただそれだけと言えばそれだけの機能なのだが、
今までに自分が訪れた場所をトレースしてみると、これがはっきりとヴィジュアライズされて新鮮なのである。
シンプルなことが、ネットの利便性を介して新しい可能性を持ってくる。その威力にやられちゃっているのだ。

僕は県庁所在地めぐりをやっているので、そのときに訪れた場所を色分けしてチェックしてみる。
日記で使っている画像を貼り付け、ログへのリンクも張ってみる。そうすると、記憶と時間と空間がつながるのだ。
自分がやってきたことが目で見える形に仕上がるというのは、それだけで楽しい。
残念なことに同時に目印を配置できるのは100個までということで、各都道府県別にまとめる作業を進めている。

今まで訪れた場所だけでなく、これから訪れるつもりの場所についてもマイマップは威力を発揮する。
試しに来月敢行予定の「裏日本弾丸ツアー」で行ってみたい場所をトレースしてみたら、かなりわかりやすくなった。
Wikipediaにリンクを張ってルートの取捨選択の参考にしてみれば、これはかなり有効だと思う。

地図に情報を書き込むというのはそんなに珍しい行動ではなかっただろうが、
インターネットを介してほかの情報と容易につながっていくことで、新しい断面を持つようになったと思う。
こういう情報空間と実際の(身体)空間が二重三重に積み重なって現実を更新していくというのは、
なかなかスリリングな事態である。


2009.6.25 (Thu.)

本日は午後、研修があった。今回のテーマは生活指導上課題ある生徒の指導。
要するに、困ったガキンチョに対してどのような態度で接するべきかということなのである。

ウチの学校の問題点はとにかく、場に応じた振る舞いができない、特に人の話を聞くことができない、ということだ。
他校の先生方の話を聞いていると、やっぱりこの問題は程度の差があれ、どこでも共通しているようだ。
まあむしろ、警察のお世話になる生徒がいないということは恵まれているのかもしれないなあ、なんて思う。
それにしても、他校の具体的な話を聞いていると、あれこれ考えさせられることが多い。
問題を抱えていない中学校なんてこの世に存在しないわけだが、あらためて現実を知らされた。
そんでもって、なんだかんだで僕って、けっこうまっとうに研修をこなしているなあとも思う。
かったるいなあとも思うのだが、結局勉強になっちゃうんだよな、どんな機会でも。


2009.6.24 (Wed.)

旅行に行きたい病である! なんだかかなりの頻度で同じようなことを書いているが、それだけ溜まっているのである。

いま僕の意識にのぼってきているのは、9月の大型連休である。
今年は奇跡の5連休となったのだが(国民の休日が発生したんだぜ!)、僕にとってはまったくめでたくないことに、
この連休に結婚式を挙げる計画を立てている不届者がいるのである。だから丸ごと旅行というわけにはいかない。
おまけにご祝儀を捻出しなきゃいけない。ふつう結婚税は結婚する側が払うもんだろと思うが、世の中うまくいかない。
それでもやっぱりせっかくの連休だから、行けるもんなら旅行に行きたい。それであれこれ案を練っているのだ。

今のところいちばん有力なのが、九州へ飛んじゃうというアイデアである。
前に職員室で東京国立博物館でやってた『阿修羅展』の話題が出て、美術と社会の先生がよかったと言うもんだから、
じゃあ太宰府天満宮へのお礼参りと合わせて九州国立博物館に行っちゃえばいいじゃん、と思い立ったのだ。
(東京国立博物館での『阿修羅展』はもう終わってしまったが、7月中旬から今度は九州国立博物館で開催される。)
福岡県に行くのであれば、前回ノータッチだった久留米にも行ってみたい。柳川だってあるじゃないか。
いやいや九州の北半分なら日田だってあるぞ、中津だってあるぜと、大分方面まで意識が広がっている状況なのだ。

最初は県庁所在地狙いだったはずが、気がつけばものの見事にエスカレートしてしまっている。
でもやっぱり、旅行して中身のある知識が増えていくのはとっても快感なのである。やめらんないのである。
そういうわけで、今日もパソコンの画面を眺めてはあれこれ想像してニタニタするのであった。


2009.6.23 (Tue.)

7月になったら研究授業をやらなきゃいけないのだが、その指導案をチェックする会があった。
小学校と中学校の連携に力を入れているので、小学校の先生方も見に来るというのである。
会場がウチの学校だと勘違いしていたのだが、近所の小学校だと事実がわかると慌てて移動。
汗びっしょりになって指導案の検討に入るのであった。なんとも間抜けで申し訳ない事態である。

先生方は指導案の細かい部分をあれこれつっついてくる。よくまあ思いつくもんだ、と内心呆れるが、
僕があまりにもテキトーというか雑につくっているのは紛れもない事実なので、逐一直していく。
研究授業なんて自己満足に子どもを付き合わせるのはやめようよーと思うのだが、
それを口に出したらその他大勢の教師の皆さんはアイデンティティがなくなってしまうので黙って従う。
やっているうちに指導案づくりも一種の技術で、慣れでマスターできるもんだというのがつかめてきたので、
それ以降はそれなりに前向きな態度で一緒に指導案の検討をやっていくようになったとさ。

おかげさまで指導案じたいはマトモなものに仕上がった。あとは本番がどんな授業になるか、である。
どうなることやら。


2009.6.22 (Mon.)

土曜日が学校公開日だった関係で、本日はお休み。
のんびりゆったり、何も気にすることなく過ごすのであった。いいですなあ、気ままな休日。


2009.6.21 (Sun.)

本日は柔道部の応援なのである。サッカー部の顧問なのになぜ柔道部の応援に行くのかというと、
サッカー部の活動は助っ人として参加してくれた柔道部によって成り立っていた部分が大きいからである。
ウチのサッカー部は全員で9人ということで、そのままでは試合に出ることが厳しい。
しかし柔道部の2人が参加してくれたことで、どうにかイレブンとして大会に出ることができたのだ。
で、今度はお返しにサッカー部が柔道の練習に参加して大会に出るというわけなのである。
柔道部2人にサッカー部から4人出して団体戦に出場するということで、サッカー部が過半数を占めている。
そしてみんなで個人戦にも出場するのである。もう何が何部なんだかワケのわかんない状態である。

生徒たちの最寄り駅で集合して、大会に出ない組のサッカー部員を引率する。
なんだかよくわからないながらもどうにか無事に電車を乗り換えて会場の最寄り駅へ。
世田谷区特有の複雑な道を「たぶんこっちだ!」とフラフラ歩いていき、やっとこさ会場へたどり着く。
そしたら今まさに最初の試合が始まるというところなのであった。遅刻しないでよかった。
で、ウチの学校の出番までは多少時間があったので、目の前で行われている試合を見る。
女子の試合だったのだが、やっぱり真剣勝負は見ているこっちも熱くなる。
サッカー部員の連中もその真剣さに思わず引きつけられ、技が決まるたびに声があがるのであった。
(見ていてなんとなく、小林まこと『柔道部物語』(→2003.7.5)を思い出した。思い出させる試合だった。)

さて団体戦。先鋒は柔道部の主将(170cm近いが50kgない、なぜ柔道やっているのかわからないヤサ男)である。
さすがに貫禄を見せて優勢勝ちをしたのだが、その後は全員が一本負けという有様であっさり敗退。
お次は個人戦で、階級別に試合をポンポンこなしていく。これがなんというか笑える展開で、
ウチの学校の生徒が出るたび不戦勝。相手がことごとく重量オーバーで失格してしまっていたのである。
通算7試合が終わった時点で全勝、うち6試合が不戦勝という状況なのであった。なんだこりゃ。
「勝因は……減量がうまくいったことです」とはシャレにならないコメントである。
とはいえいつまでも不戦勝が続くわけもなく、ベスト8が決まるころにはコロコロ敗退。
それでもサッカー部部長が一本勝ちをしてみせ、柔道部部長は3位に入るなど、見せ場はけっこう多かった。
一方で応援している僕はなんとなく気持ちが悪くなってきた。
柔道場の畳の下にはバネが仕込んであるのだが、これがつねに微妙に揺れているので酔ってしまったのだ。
生まれて初めての「畳酔い」である。なんとも間抜けな状態なのであった。

会場にはサッカー部のコーチだった方もいらしてくれて、部員たちに相変わらずなコメントをくださるのであった。
交通の便が良くなかったので、帰る時間はけっこう遅くなってしまった。まあでも、みんなに有意義な時間だった。


2009.6.20 (Sat.)

本日は学校公開日なのであった。まあ要するに、かつての「お父さん参観日」のようなものだ。
1年生はこないだの移動教室についての発表がメインということで、特に僕にはやるべきことがなかったので、
近所の小学校に授業を見学しに行ってきた。その近所の小学校も学校公開日だったのである。
で、ALTが来て英語の授業をやるクラスがあるということで、「小学校の英語の授業」を見学してみたのだ。
そのALTはいつもお世話になっている人で、彼が小学生向けにどんなことをするのか、
そして小学生たちはどのようにして授業を受けているのか、興味津々である。

若けりゃ僕らと大差ない小学生の父兄の皆さん(なんて恐ろしい事実なんだ……)をかき分け、
汗びっしょりになりながら目的の教室にたどり着く。子ども連れも多くてなんとも騒がしい。
中には子どもをほったらかしにしたり廊下で熱心にしゃべる親がいたりで、困ったもんだなあと思う。
ウチの学校の先生方は「子どもが人の話をきちんと聞けないのは、親が人の話をきちんと聞けないから」と言う。
まったくそのとおり、場に応じた行動のとれない親を見ていりゃ子どももそうなるわな、と痛感した。

さて肝心の授業だが、ALTの先生がグイグイと進めていく。
小学校の英語の授業はゲームが中心になる。英語に触れてゲームを楽しむことでコミュニケーション能力を磨く、
という発想なのである。そんなの欺瞞のカタマリじゃんか、と中学校の先生にはわかっているが、
小学校の先生方はそうは思っていないわけで、そこにわが国の今後の英語教育がボロボロになる種がまかれている。
(ウチの中学校の英語科は、小学生に英語をやらせるより正しい日本語をマスターさせろ!と見解が一致している。)
とはいえALTの先生の授業はやっぱり、見ているだけでも十分面白い。
序盤の練習がゲームのクライマックスへの伏線になっていたり、ゲームじたいも目的意識が非常に高かったり、
うわーやっぱすげー!と衝撃を受けたのであった。中学校の英語の授業は絶対にお遊びをベースにしちゃいけないが、
そこはやっぱり「楽しむ」という要素もそれなりにミックスしていきたいとは思っているわけで、ホントに考えさせられた。
今の僕が感じているあらゆる齟齬をうまくまとめていって、それを他人に示すことができるようにならないといかんのだ。
逆を言えばそれができるようになったときに、もっと高度な知的エンタテインメント授業が展開されるようになるのだ。
どれくらい時間がかかるのかわからないが、あきらめずに取り組んでいきたいもんだなあと思う。


2009.6.19 (Fri.)

本日をもって教育実習生の先生の実習期間が終わるということで、お別れ会が開かれた。
昼間のお別れ会(クラスでやった方)はわりとあっさりめで、もうちょっと凝ってもいいんじゃないのと思ったが、
先生方も生徒たちも移動教室でヘロヘロになってしまっていたので、まあやむをえないところもある。
で、夜のお別れ会(先生たちで街へ繰り出した方)はそれに比べるとさすがにこってり。
教育実習の感想から始まってあれこれいろんな話題になって(どれもマジメ、念のため)、
これはなかなか勉強になる機会となったのであった。

それにしても教育実習生の先生にはたいへんお世話になってしまった。
放課後の補習が移動教室の係会や部活と重なってしっちゃかめっちゃかだったのだが、
もう本当によく手伝っていただいた。というか、僕よりも教員としての適性のある方で、
勉強が苦手な生徒に対して粘り強く接する姿は振り返って大いに反省させられたのであった。
ある意味、僕のほうががっちりと勉強させられたと思っているのである。もっとガマン強くやらなきゃいかんぞ、と。

そんなわけで、この短い期間でお別れとなるのは非常にさびしい。
生徒たちは「これで自分の人気が戻ってくるとか思ってるんでしょー」なんてからかってくるが、
そんな気なんぞ毛頭ないのである。まあ結論としては、教員の人数が足んねえぞ!ってことなのだ。
実習生の先生、本当にどうもありがとうございました。


2009.6.18 (Thu.)

学校での仕事が終わって飲みに連れて行かれる。で、そこで出てきたのが部活の話。
サッカー部が休部状態となるわけで、夏休み以降の僕には「余裕」ができることになる。
しかしながら僕としては英語の授業の質をもっと上げていかなくちゃいけないわけで、
ガシガシ勉強をしなくちゃいかんと思っていたのだが、なかなか思うようにはいかないようだ。
部活に一生懸命な先生方にとっては僕の「余裕」は非常に魅力的なものに映るようで、
ニンともカンともやれやれ……な気分である。これは本当に困った。


2009.6.17 (Wed.)

下見2日目である。朝に散歩がてら徒歩で運動公園へ行くルートを確認すると、ご飯。
そして専務さんの車でやっぱりあちこち見てまわる。今日は茅野だけでなく諏訪もまわった。

あらためて実感したのは、茅野や諏訪って文化施設が多い!ということである。
やはり東京からのアクセスがよく、学校行事で訪れる客が多いということでか、美術館やら博物館やらがやたらとある。
効率よく観光地図やパンフレットを入手するため駅前の観光案内所を訪れてみたのだが、
ヘタな地方の都会よりもたっぷりと各種施設の資料がいっぱいあるのだ。地図を見ても一目瞭然である。
なるほど世の中そんなふうになってたんだなあ、なんてこの歳になって驚いているしだい。

茅野では尖石遺跡の博物館や渓谷を訪れた。博物館では小学生が一生懸命に粘土をこねていて、
体験学習のメニューもいろいろあるし、都会人には本当にいい手ごろさだよなあと思う。

 横谷渓谷・乙女滝。

諏訪では北澤美術館の別館でトンボ玉づくりのメニューについて説明を受けた。
今まで気にしなかった角度から眺めてみると、なんだか諏訪も違って見えるもんだ。

お昼は専務さんに台湾系の中華料理店に連れて行ってもらったのだが、これがなかなか強烈だった。
台湾風ラーメンをいただいたのだが、なるほどこりゃ日本ではなくチャイナタウン風だなあと思いつつ味わう。
そんな具合に新鮮な角度から諏訪と茅野を見つめさせてもらって非常に勉強になった。

で、帰りの「あずさ」の中でも両者爆睡。なんでこんなに寝まくったんですかね、と、
お互いに首を傾げるほど睡眠時間の多い2日間なのであった。
ちなみにやっぱり本日も雨が降ったり日が差したりと天気はコロコロ変わったわけで、やたら眠かったのは、
嵐を呼ぶ雨男と超絶晴れ男がシックス・センスの領域で激しい戦いを繰り広げたせいかもしれない。


2009.6.16 (Tue.)

こないだ学校行事で遠出したにもかかわらず、今日もまた学校の用事で遠出である。
今回は、夏休みに行われる林間学校の下見。部活担当であるサッカー部顧問の柔道の先生と一緒に行くのだ。
9時ごろ新宿発の「あずさ」で直接待ち合わせ、いざ出発。目的地は茅野なのである。
しかし長野県出身といっても茅野は盆地が違うので、正直そんなによくわかっていない場所である。われながら頼りない。
さて、いちおうは「林間学校」といっても、実質的には部活の合宿という要素が強いイベントなのである。
そういう意味では、下見は大学時代のサークル活動でさんざん経験しているわけで、ちょっと懐かしい感じもした。
(僕は会長兼合宿係だったのである。当時は本当に右も左もわからないままでテキトーに合宿係をやっていたと思う。)

茅野駅に着くと宿舎の方(通称・専務)がお出迎え。スキンヘッドで妙な迫力があるが、話してみると面白い方だ。
まずは荷物を置いて車山へと行ってみる。途中でいっぱいに盛られた蕎麦をいただき非常にいい気分になる。
白樺湖の脇を抜けると車山。ウチの家族のことだから小さい頃に来たことがあるんだろうなあとは思うのだが、
残念ながら記憶はあやふやである。日記を書くようになるまでの僕の記憶力はシオシオのパーなのである。

  
L: 見事に高原!って感じの車山。僕と潤平で言うところの「『ロックマン』のワイリー1面な景色」そのまんま。
C: 車山に登るには、ぐるっと迂回していく必要がある。その登山路をちょっと行ったところから撮影。
R: 反対側には蓼科山と白樺湖。ちなみに今回のデジカメは学校の備品なので、画像の感じがいつもとちょっと違うかも。

リフトに登って車山をスイスイ行くこともできるのだが、冷静に考えるとけっこう割高。
それでも時間の節約にもなるし、とチケット売り場に行ってみたら、「雷雲が近づいているので運転中止」とのこと。
えーまだ晴れてるじゃんよーと思いつつも、せっかくなので迂回して頂上目指して行けるだけ行ってみることにした。
周囲には木がなく一面の緑が地を覆っていて、見晴らしがすごくいい。これは気持ちいいなあと思っていたら、
ゴロッと遠くで雷の音がした。「聞こえたよね?」「聞こえました」ということで、2人してさっさと引き返す。
ふもとの駐車場に着く前に雨が降り出した。やはり山の天気は変わりやすく、そして日本の天気予報は優秀なのだ。

宿の専務さんが絶妙のタイミングで戻ってくれたので、すぐに車に乗って車山の先へと行ってみる。
そしたら雲の合間からすぐに太陽が顔を出す。変わりやすいにしても、変わりやすすぎる山の天気である。
聞けば、柔道の先生は嵐を呼ぶくらいの雨男なんだそうだ。僕は70%までならひっくり返せる晴れ男だ。
そんなわけで、この道中は雨男と晴れ男の人知を超えたせめぎ合い、つばぜり合いとなるのであった。

途中で天気がいいと八ヶ岳どころか富士山も見えるというスポットがあったので立ち寄る。
濃いオレンジ色のレンゲツツジが絶好のシーズンで、これが林間学校本番には黄色のニッコウキスゲに変わるという。
あちこちで咲きまくるレンゲツツジの鮮やかな色は実に美しく、バッシャバッシャとシャッターを切りまくる僕なのであった。

  
L,C: : レンゲツツジが咲く展望スペース。梅雨のシーズンに富士山を期待するのは酷だろう。
R: 霧が峰の奥にある八島湿原。今のシーズンは単なる荒野でしかないのであった。

山から市街地に戻ると今度は部活合宿の舞台となる運動公園方面をあちこちまわる。
野球場に体育館などをざっと見るが、茅野は東京から特急で来やすいこともあってか、
こういう用途にしっかり対応している印象である。同じ長野県でも特質が違うなあとあらためて思う。

宿に戻って地図で今日訪れた場所を確認すると17時。仕事が終わった。
外はすっかりゲリラ的な豪雨で、昼間に動きまわったのが信じられないくらいの降り方だ。
晩飯を食べてテレビを見るなどして過ごしてさっさと寝る。もっと飲むもんかと思ったのだが、
驚くほど(僕だけでなく柔道の先生も自分で驚いているほど)健全な下見なのであった。


2009.6.15 (Mon.)

宮脇俊三『最長片道切符の旅』。最近はまったく旅に出ていない。そんな余裕がない。
だからせめて日本全国を舞台にした旅行記を読んで憂さを晴らそうと思ったわけである。
実はもうだいぶ前に買ったのだが、なかなか読み進める暇がなくって思いのほか時間がかかった。
ちなみに僕はいつも、面白かった演劇や美術展のチケットをしおり代わりに使っているのだが、
今回はついに臨時列車化してしまったムーンライトながら(→2008.2.1)の切符を挟んで読んだ。

宮脇俊三は簡潔で格調高く、それでいて軽妙な文章を書くことで知られているそうだ。
読んでみるとなるほど確かに上手いなあと唸らされる。知識がにじみ出ているけど嫌味がない。
しかも読みやすい。見事なもんだなあと感心するのだが、一方でまた、ちょっと待てよ、とも思う。
それは、「残らない」のだ。読んだ後にあんまり余韻が残らない。
そう思えるのはお前の個人的な問題だろ、というツッコミが入るだろうけど、なぜか僕には「残らない」。
つい3行前に書かれていた内容が、すっと抜けていってしまっている、そういう感じがあるのだ。
旅の記録、記憶の積み重ねであるはずなのに、さらさらとこぼれてしまって消えていく感触がする。

文章の余韻以上に違和感があったのは、旅に対する態度である。
僕は県庁所在地めぐりと称してあちこちの街をむやみやたらに歩きまわっているが、
その根底にはいちおう、都市社会学を勉強した者としての街への興味関心があるつもりだ。
しかし宮脇俊三の旅の根底にあるのは、あくまで鉄道。だから街に対する関心が薄く思える。
実際にはそんなことはないとは思うのだが、鉄道の方が重要視されているために、街は背景に追いやられている。
だから正直、読んでいて非常に退屈だった。それこそ本筋から「脱線」している話のほうが面白いのに、
レールの上に乗っているときの描写が圧倒的に多い。鉄道じたいに興味がないので感情移入できなかった。
あともう少し身勝手な不満を言わせてもらうと、あまり晴れ男ではないことも魅力を減殺しているように思う。
致命的だと思うのは、切符の有効期限の関係で中盤からやたらとペースアップすることを余儀なくされている点。
おかげで読者も窮屈な旅をすることになってしまい、それは会社を辞めてプロの作家になった人としてはどうなのと思う。
単純に宮脇俊三という一個人としての旅の記録であるなら何をどうやろうと何がどうなろうと自由だろうけど、
作品として人からお金を取ることを想定していたのであれば、もっと気合を入れて旅をすべきだったんじゃないのと言いたい。
本を読んでいる間、読者だって作者と一緒に旅をするのだ。そのことに対する意識があまりに希薄であるように思える。
つまりは、鉄道に乗るだけで楽しい人と同じレベルにいない読者には、ただもったいない旅をしているだけに見える。
あなたが切符の代金よりもプラスアルファで得た利益、そして読者が本を買った代金よりもプラスアルファで得るだろう利益、
そこを意識して旅をしてほしかったと思うのである。あなたは自分の満足のためだけに旅をしたわけじゃないんでしょ?と。
それでももし宮脇俊三が「いや、自己満足のためだけだ」と真顔で答えるのならば、僕はお手上げだ。つきあいきれない。

厳しいことを書いてきたけど、これらはすべて、いま僕が書いている自分の日記へと返ってくる。
僕はお金をもらうことなく好き勝手にやっているのでこういうバカ文章を自由に垂れ流すことができるわけである。
だから僕の県庁所在地めぐりは読者を想定してきちんとやっているわけではないし、その記録もいいかげんに済ませている。
でも、翻って反省すべき点はいくらでもある。
「タダだから」というエクスキューズを盾にしてだらしなくふるまっていないか、と考えてみると、図星なのである。
偉そうに「読んでみても残らない」なんて書いているが、それでは自分はどうよと問われれば、これも図星なのである。
ちょっと似たようなことをやっている偉大なる先人の残したものを読んでみて、今の自分の足りないことを考える。

なお、僕の出身地である飯田も「最長片道切符の旅」の舞台となっている。
クソマジメな駅員の姿を見て、長野県は教育県だなんてことを書かれちゃうんだけど、うーんどうなんずら、と思った。


2009.6.14 (Sun.)

移動教室での疲れは半端ではなかったようで、休みが一日あっただけでは到底回復しない。
今日ものんびりゆっくり再インストール作業を続けながら、午後には大森までふらっと出てみる。
本屋で旅行ガイドを眺めながらヨダレを垂らし、ベーグルをかじりつつ日記を書き進める。
最近の休みの日は行動パターンが決まってきているなあと思うんだけど、
体力が回復途中なので凝ったことができるわけもなくおとなしくしている。
夏休みにいろいろと暴れられるといいなあ、と心底思う。


2009.6.13 (Sat.)

パソコンの調子が悪くってどうしょうもない話は前に書いたが(→2009.6.7)、
このままでは何もできないのでリカバリをしてみることにした。リカバリじたいはすぐにできるのだが、
いつも使っている環境をゼロに戻すので、アプリケーションなどを復帰させる作業に時間がかかる。
結局、丸一日かかってだいたい元の態勢に戻した。ずっと画面を見つめていたので目が痛い。
でも、おかげでどうにか快適な状態になった。これならあともう3年くらい行けそうな気がする。
今のパソコンでどこまで粘れるか……。勝負である。


2009.6.12 (Fri.)

本日は移動教室の最終日である。今までのふつうの旅行なら最終日が惜しく思えるが、
生徒たちを連れての旅は比べ物にならないほど過酷なので、ようやく終わってくれる…という気持ちでしかない。

 バスの中から裏磐梯に別れを告げるの図。

さて今日の最初の目的地は、あぶくま洞である。あぶくま洞は1969年に採石場で発見された鍾乳洞だ。
採石場はあぶくま洞発見の年にさっさと操業を停止し、4年後に観光地として一般公開されるにいたった。
今でも駐車場の目の前には岩を削った跡が豪快に広がっていて壮観である。

 採石場だった過去を生々しく物語る壁。

ひんやりとしたあぶくま洞の中に入るが、しばらくは狭く細いところを歩いていくだけで、まったくもって面白くない。
生徒たちは時折飛んでいくコウモリに驚いて声をあげる。コウモリのわりには妙に白っぽい影をしていると思う。
下関旅行で秋芳洞を体験している(→2007.11.3)僕としては「なんだかつまんねーなー」という気分でいたのだが、
洞内で最も広い「滝根御殿」と呼ばれる区域に入るとその印象は一変する。思わず「おお!」と声が出る。

  
L: 滝根御殿内の様子。狭く細い道から開けたところに出ると、いかにもそれらしい鍾乳洞となっている。
C: 緑色のライトアップがなんだかいやらしいが、それにしてもなかなか見事なものである。
R: こうして見ると、なんだかガウディっぽい気もする。いや、ガウディが鍾乳洞っぽいのか。

それまでの鬱屈とした気分をスカッと晴らすように、きちんとした鍾乳洞の姿となってやっとこさ満足。
原色でのライトアップやそれぞれの岩に名札を平然とつけている点が田舎っぽいセンス丸出しと思えなくもないが、
やはり何千万年レベルでの自然の造形には圧倒される。でも出口付近でワインセラーが置かれているのを見て、
それはそれとしてなるほどうまく利用しているなあとも思うんだけど、あらためて俗っぽさを感じずにはいられなかった。

さてこの移動教室で最後の目的地は、いわき市の小名浜港にある「アクアマリンふくしま」である。
正式名称を「ふくしま海洋科学館」というこの水族館は、環境水族館宣言をしているとかで、わりとマジメな施設なのだ。
開館したのは2000年と、わりと新しい。設計者はプロポーザルで日本設計に決まったとHPには書いてある。
中に入るとまずテラスで食事。昨日ほどは塩気が強くないが、それでもちょっとしょっぱい宿の弁当をいただく。
その後は生徒たちにやや遅れてわれわれも水族館内を見学に出る。ストロマトライトによる酸素の生成、
カンブリア紀の生物の大発生(いわゆるカンブリア爆発)といったことからスタートする展示内容はきわめて丁寧。
その後はヌタウナギ(旧メクラウナギ)や軟骨魚類の展示があり、進化の歴史をここまでしっかり押さえた水族館は初めて。
(展示を見ながら、自分が出版社で本をつくりながら覚えた知識は質が高いものだったんだなあとあらためて実感した。)

  
L: アクアマリンふくしまのエントランス。芝とガラスってのが、なんとなくいかにも現代建築風だなあと思う。
C: 金魚の水槽がいくつもあった。金魚ってのも実に贅沢で奥の深い世界だ。江戸期からの遺伝子芸術なのである。
R: オオサンショウウオ。暗くてデジカメで撮るのが大変なんだけど、画質を操作したらわりとしっかり出た。

今回の移動教室を仕切ってくださった先生はものすごく意欲的で、水族館で展示されている生物について、
実に丁寧なクイズを印刷して用意してくださった。生徒たちはあちこちまわってそれを必死で解くのであった。
教師陣にもそのクイズを渡してくれたのだが、僕は途中で生物の観察よりもクイズを優先することが本末転倒に思え、
結局そのクイズをほったらかして気ままにデジカメのシャッターを切るのであった。こういうところは子どもの頃から変わらない。

  
L: 福島県の自然を再現した4階。暗い1階からエスカレーターで上がると光に包まれて来場者が驚く仕掛けになっている。
C: ヤマメ。サクラマスのうち川に残るものをヤマメと呼ぶんだそうだ。  R: グランブルー。

 
L: ゴマフアザラシが気持ちよさそうに目を細める。か、か、かわいい!
R: 牙が見事なセイウチ。セイウチの下半身はいかにも哺乳類らしい形になっていて妙に感心。

3階は熱帯の植生が再現されていた。水族館なのだが、水槽部分だけでなくフロア全体を熱帯の環境に近づけていて、
その凝りようには感心させられた。職員の方が詳しく解説してくれて、聞いているだけでも面白い。
施設全体が、マジメに勉強しようとすればどこまでもマジメに対応してくれる印象である。これはうれしい。

  
L: 熱帯な3階。湿度も高く保たれていて雰囲気満点。  C: 固まって眠っているコウモリたち。水族館なのに。
R: 熱帯の花も咲いている。施設を維持するのにさぞかし金がかかっているんだろうなあと思う。がんばってほしい。

そして2階に下りると、暗い中にいくつも水槽が並んで展示されている。
ここからはふつうの水族館らしくなるが、全般的に珍しい生物を展示することにこだわっている印象を受ける。

  
L: 小さな水槽の中で泳ぐクラゲたち。彼らの生命観は僕らのものとは大きく異なっている。
C: クリオネ(和名はハダカカメガイ)もいたので、がんばって撮影してみる。
R: 僕のデジカメではこれが限界。貝の仲間のくせしてひらひら自由に泳ぐ姿は本当に妖精のようだ。

  
L: サンマの稚魚が銀色に輝いて泳ぐ。サンマを何世代にもわたって水族館で育てるのは難しく、非常に珍しいという。
C: ミズダコ。うにょりうにょりと怪しく動きまわり、欧米人が嫌がる気持ちがよくわかる。
R: のんびりと眠る魚たち。微動だにしない。睡眠不足な僕にはものすごくうらやましい姿である。

時間いっぱいあちこち歩きまわって、まあハッキリ言って生徒たちよりも水族館を堪能した感じである。
建物内の展示をしっかりと味わった後は、裏手のなかなか大規模なビオトープに出てしばらく散策してみる。
浅瀬では無数の貝類が異常に速いスピードで動きまわっていて、なんじゃこりゃ!?と驚いたが、
よく見るとそれはぜんぶ小さなヤドカリたちだった。そのうち1匹を手に取って遊んでみる。

  
L: アクアマリンふくしまのビオトープ。奥には港湾工業地帯の施設が見えて、その落差が妙に面白かった。
C: でっけえウミウシ。  R: ヤドカリと遊ぶの図。ヤドカリは警戒心が強いけど、しばらく待ったら気にせず動き出す。

 ビオトープ側(エントランスと逆側)からアクアマリンふくしまを撮影。

そんなこんなで時間が来たのでバスに戻る。正直、もっとゆったり遊んでいたかったのだが、しょうがない。
とりあえずこの日記を読んでいる人にはオススメしておきたい施設である。その気になれば、かなり勉強になる。

帰りのバスでは生徒たちのリクエストにより『ドラえもん・のび太と竜の騎士』が上映された。
年甲斐もなく「のぶ代! のぶ代!」と生徒たちよりもワクワクドキドキしながら見ていたのだが、
バイオリンを練習できないしずかちゃんをのび太が地下洞窟に連れて行くシーンよりも前でぐっすりおねむ。
お前どれだけあっさり寝てんだよ、ってな話である。いやいや本当に疲れた。生徒の誰よりも楽しんだけどね。


2009.6.11 (Thu.)

2日目は山に登る予定が組まれていたのだが、雨が降ったため雨天モードに変更となった。
桧原湖に面した宿舎の裏手には桟橋があり、そこからモーターボートに乗り込む。ぜ、贅沢だ!と思う。
ボートはまっすぐに対岸へと向かうことはなく、スピードを出してあっちこっちをぐるぐる回っていく。
さすがにサービス精神満点である。生徒たちもキャーキャー言っている。700円分の価値は確かにあるなあと思う。

 
L: モーターボートに乗り込む。このボート、定番コースに組み込まれているようだ。
R: 雨雲がかかっちゃっている裏磐梯を背景に走っていくモーターボート。

お次は五色沼の散策である。五色沼っていってもそんなにカラフルなわけないだろうと思っていたら、
実際には気持ちが悪いくらい派手な色の沼が多くて驚いた。生徒と一緒にびっくり。
1888年7月15日、磐梯山の北側にあった小磐梯山が爆発し、山が崩れて川がせき止められた。
そうして生まれたのが秋元湖、小野川湖、桧原湖などである。もちろん五色沼もそうだ。

  
L: 青沼。五色沼はいくつかの湖沼の総称である。  C: 鮮やかな水色をした弁天沼。  R: 赤沼。

 五色沼で最大の毘沙門沼。ここがゴールで記念撮影。

雨天モードなので自然の中を歩くのはここで終わり。続いては諸橋近代美術館を見学。
この美術館、裏磐梯の山の中にあるくせに、サルバドール=ダリの作品を収集していることで非常に有名なのだ。
ちなみに諸橋さんとはスポーツ用品のゼビオの創業者。郡山の企業で、地元の観光を考えた立地ってことだ。
いざ入ってみると、これがめちゃくちゃ面白い。ダリといえばシュールレアリズムの妙な絵が思い浮かぶのだが、
どちらかというとダリの絵画よりも彫刻の作品の収集に力を入れているようで、これが実によかった。
ダリが単なる変態オヤジではなく、現代的なモチーフと格闘して造形をしていた立派な芸術家だったことがよくわかる。
むしろダリの本領は絵画よりも彫刻じゃねえかこりゃ、と目からウロコがボロボロ落ちるのであった。
常設展はほかに印象派なんかの有名どころのいかにもな作品がひととおり並んでいてまずまず。
企画展ではルオーで、僕はそんなにルオーが好きではないのではあはあなるほど、という程度。
まあとにかく圧倒的にダリの実力が味わえる内容でウハウハ大喜び。もちろん生徒はそっちのけである。

美術館を出るとメシを食いに移動。食堂の一角を借りてみんなで宿が用意してくれたおにぎりを食ったのだが、
これがしょっぱくって全員まいったのであった。登山で塩分を補給するという意図があったのだろうが、
ほとんど汗をかかない状況で来たので裏目に出てしまった形である。せっかくの配慮だったのに残念。

気づけば裏磐梯は嵐のような大雨になってしまっていた。ちょこっと移動するだけでもバスが出てきてくれて、
生徒が濡れないようにと動いてくれる。あんまり甘やかすもんじゃねえだろうと思うのだが、時代は変わったようだ。
そんなわけですぐ近所の磐梯山3Dワールドという施設に入る。偏光レンズのメガネをかけて飛び出す映像を見るのだ。
ところがこれがまったくもって子どもだましなチャチな仕掛けで、僕は立ったまま爆睡するのであった。
しかしながら生徒はけっこう満足していたようで、おいおいお前らみみっちいなあ、と思わずにはいられなかった。
その次は道を挟んで対面の磐梯山噴火記念館。これまたチャチで泣けてきた。
展望スペースから見る裏磐梯も雨雲に完全に隠れてしまっていて台無し。がっくりである。

雨天モードの本日の予定はこれで終了。宿舎に帰って生徒を風呂に入らせると買い物タイムである。
土産物コーナーで生徒たちが買い物をする様子を眺めるが、意外な個性が出て興味深い。
ふだんしっかりしているヤツが豪気なムダづかいを堂々としてみせたり、
中学生にはどう考えても使いどころがないだろうと思われる扇子を「これしかないでしょ!」と買っちゃったり、
そうかと思えばちゃらんぽらんな小学生気分の生徒が家族+1人分の起き上がりこぼしを買ってムダづかいゼロだったり、
いつもの生活では見ることのできない一面に気づかされたのであった。ちなみに僕は何も買わなかったよ。

晩ご飯を食べた後は、いよいよ全体レクである。
正直、それまでの準備不足を必死のリハーサルでちょこっとだけ取り返してのぶっつけ本番。
司会者の生徒がやっているうちに慣れてきたこともあり、中盤以降はなかなかの盛り上がりをみせた。
終わってみればけっこう評判の良い結果となって、ほっと一安心というか、悪運の強さを実感したというか。
用意したクイズの問題は、おかげさまで好評だった。僕としてもいろいろとあらためて勉強になった感じがする。

昼間のヒマな時間に仮眠をとっておいたこともあり、今夜はそれなりに見張りとして働けた。
想像していた以上に、これは24時間油断のならない商売である。


2009.6.10 (Wed.)

さあ、今日はいよいよ1年生には初めてのイベントである移動教室だ。
目的地は福島県なのだ。なぜ福島なのかはよくわからないのだが、旅は大好きなので僕も楽しみなのだ。

まずはバスで東北自動車道を北上し、喜多方を目指す。
しかしながら首都高に入ったところでさっそく酔った。寝不足のせいで、どの生徒よりも早く車酔いなのである。
酔い止めを飲んでいたから大したことはなかったのが幸いである。

 こんな小ネタも挟みつつ。

最初の休憩の後はバスレク。レク係は準備していた怪談やら心理テストやらを披露する。
でもやっぱり事前に段取りをあまり詰めていなかったこともあり、少々グダグダ気味に。僕も反省。
でもバスガイドさんが漢字の読みやら何やらいろいろ用意してくれていたおかげで楽しく過ごせたのであった。
いやー、勉強になったなあ。来年以降に使えそうだ。

喜多方に着くと、まずは昼食ということで喜多方ラーメンをみんなで一斉にいただいた。
ラーメンのほかにも地方の料理がちょこっとついてきて僕はおいしくいただいたのだが、
生徒は量があまり食えないこともあって残しまくっていた。正直、無理してでも食えと言いたかった。

その後は市内で班行動ということで、僕は指定された時間に指定された場所に行けばいいので、
早足で市街地の建物を見てまわる。前に喜多方に来たときはホントにラーメンを食べただけなので(→2007.4.29)、
そのとき見られなかった分をここで取り戻そうと、それなりに必死で歩くのであった。

  
L: 喜多方市役所にリベンジ。前回来たときはきちんと建物を撮ってなかったので、これでようやく気が済んだ。
C,R: 市内には蔵造りの建物がまずまず残っている。栃木よりは多く、川越と同じくらいかな、という印象。

 
L,R: レンガで建てられた蔵造りの建物もチラホラ。面白いものである。

もちろん、若喜商店にもリベンジである。やっぱり時間的な余裕のない旅行はよくないなあと反省。
今回もそれほど余裕があったわけではないんだけど、できるだけいろんな角度から撮影してみた。

  
L: 若喜商店。前も同じような角度から撮影しているが気にしない。  C: レンガ蔵の側面を撮影。
R: レンガ蔵の正面。前はこの角度から眺める余裕がなかったわけで、そういう旅行もどうかなあと反省したのであった。

 レンガ蔵の中はこのような座敷になっている。

腕時計とにらめっこしながら、早足で指定されたチェックポイントへ。
僕の担当は大和川酒造だったのだが、着いた瞬間に生徒たちが登場ということで、結局ギリギリのタイミングだった。
いやー、喜多方みたいに古い建物がいっぱいある街は自分には魅力がいっぱいで大変だ。

  
L: 大和川酒造。右手の建物は休憩所になっている。  C: 休憩所の2階にはいろんな民具が並んでいる。
R: 奥に入ると見学コース。中学生だってあちこち飲み放題である(水が)。この日は暑かったので水がよけいにうまかった。

次は桐の博物館で生徒のチェック。地図では大したことがないように見えて、実際にはけっこうな距離があった。
生徒たちは班行動のくせに一気に固まってやってきたのでチェックが大変。作業を終えるとゴール地点の蔵の里へ向かう。

  
L: 蔵の里の向かいにあるのが喜多方市美術館。さすがに気合の入った建物なのであった。
C: 蔵の里の敷地内にある旧外島家住宅。  R: こちらは旧手代木家住宅。ビニールシートはなんとかならんか。

 
L: 生徒がデジカメで激写したオレ。  R: もう一丁。

初日っから生徒も教師も歩きまわってクタクタ。晩ご飯の後は体験学習ということで赤べこの絵つけをする。
なんでか知らないが中学生は文字を書かずにはいられないようで、名前やら何やらを書いて作品ぶち壊し。
あーあもったいねえなあ、と思いながら作業する姿を眺めるのであった。

夜10時消灯。暴れるやつはいなかったが、見張りをするのも教師の仕事なのである。
とにかく夜には眠ってしまう僕には非常につらい仕事で、寝不足のせいもあって早々にギブアップ。
いやー、これは本当につらい。


2009.6.9 (Tue.)

レク係が提出してきた問題はどれも基本ができていない!
やはりシロートの中学生にきちんとしたクイズをつくることを要求するのは無茶なようだ。
というわけで、家に持ち帰って必死で全体レク用の問題をつくるのであった。

クイズの問題というものをバカにしてはいけない。
きちんとしたゲームとしてクイズを成立させるためには、正しい日本語で問題文を書くことが不可欠なのだ。
まずこの点が中学生にはできていない。もっと国語、いや作文の勉強をみっちりさせろよーと悲しくなる。
最大の問題点は後限定ができていない点。クイズでは答えを1つに絞り込むことが当然必要となるのだが、
中学生には「自分が答えにしたいもの」と「相手に答えさせるもの」がうまく一致していないのである。
自分ではAが答えになるつもりで問題をつくっても、BやCという答えが出てくる可能性のある文を書いてくるのだ。
しょうがないので、それらをひとつひとつつぶしながら問題をつくっていく。
勉強が苦手な生徒が多いので難易度を最低レベルにせざるをえないのだが、そうなると逆に後限定がキツくなる。
たとえば、「フランス」が答えになる問題は、「パリが首都」以外に後限定がつくれないのである。
「漢字で『仏』」でもいいけど、やっぱりそれはパリの名前を出すよりは難易度が上がってしまう。
そうやっていると後限定のパターンが限られてきて難しいという逆説に苦しめられるのである。

寝たのが2時くらい。起きても問題のまとめ作業を学校でやらなきゃならないので、ろくすっぽ眠れない。まいった。


2009.6.8 (Mon.)

今週の後半は移動教室になる。しばらく英語の時間がとれないわけで、それなら新しい単元に入らずに、
今までやってきたところをじっくり暗記してみようか、と暗記をテーマにして本文の読みに取り組んでみることにした。

ふだん僕は宿題で教科書丸写しを指示しているのだが、書いて覚えるのに比べると読みの暗記はまるで弱く、
実際にチャレンジしてみたら生徒たちはなかなか思うようにできなかったようだ。
その分、いい勉強の機会になった感触がするので、やっぱりバランスよくやらせていかないといけないと反省。
自分のできることと生徒のできることは違うわけで、自分の好みというフィルターを通すことなく、
冷静に事実と向き合っていかないとダメだなあと思うのであった。ホントに日々反省である。


2009.6.7 (Sun.)

どうもヴァージョンアップしたウイルス対策ソフトがパソコンと相性最悪なようで、異常事態連発である。
つねにCPUが半分使われている感じで、何をやるにも時間がかかるし、熱がとんでもなく出てめちゃくちゃ熱い。
もうガマンならん、この際新しいパソコンを買おうか……と思って過去ログを調べてみたら(→2006.7.1)、
今のパソコンを買ってからまだたった3年弱なのである。さすがにそれじゃあ買い換える気など起こらない。
しょうがないので、ヒマをみて早いところリカバリをしてみることにする。うーん、面倒くさい。


2009.6.6 (Sat.)

いよいよ中学のサッカーも夏の大会が始まっていて、本日はわが中学の出番なのである。
トーナメント方式で負ければおしまいなのである。相手はシードではないが、決して弱くはない学校。
全力でがんばろう、と送り出す(ちなみに、奇跡を信じてPK戦の練習もいちおうやった)。

前半はよく粘ったものの、相手にミドルを決められてまず1失点。
その後もぽっかりと空いた隙を個人の突破で決められて0-3となった。
朝のうちに降っていた雨が昼近くになっていったんやんだ天気で、パス回しに支障はない。
もっと迫力を出していけ、自分たちのいいときのパフォーマンスを思い出せとアドバイスして後半に入る。
が、あれよあれよと突破されまくって気づけば0-10での完敗となってしまった。
結局、1勝もさせられないままに生徒たちのサッカー部生活は終わりとなってしまったのであった。
今後はしばらく、手伝ってくれた柔道部の活動に参加することになる。まあそれもありかと思うが、やはり悔しい。

ところでこの日、いちおう部活の担当者ということで、本部で第4の審判的なことを初めてやった。
以前ウチのサッカー部の面倒を見ていたコーチの方にあれこれアドバイスをいただいてやってみたのだが、
やっぱり公式戦というものはひどく緊張するものだ。しっかり手順を覚えて慣れなきゃなあと思う。

夜は家で日本代表のウズベキスタン戦を見る。完全アウェイで見ていて非常につらい。
とにかく日本がボール持ってちょっと動いたら笛が鳴る感じで、完全に狂ったジャッジが憎たらしくってたまらない。
甲府の試合を見ているおかげで不可解なジャッジにはある程度慣れているものの、これはひどいと呆れた。
それでも岡崎の必死のゴールを守りきってW杯出場が決定。よかったよかった。
あと1年でチームがどこまで成長するのか楽しみにしたい。


2009.6.5 (Fri.)

前々から職場の皆さんで「神宮でビール飲みながら野球を見ましょう」という計画があった。
僕も当然二つ返事でその話に乗ったわけだが、その計画を実行する本日は、あいにくの雨なのであった。
そんなに強い降り具合ではないので神宮ではヤクルト×楽天戦が行われているのだが、
観戦するほうとしてはそんなのたまったもんじゃないので、結局みんなで東京ドームに繰り出した。

東京ドームの巨人×日本ハム戦は満員で、1000円払って立見席へ。
800円もするビールを片手に、みんなで人ごみの合間に見える試合に目を凝らす。
もともとは神宮に行く予定で、ネタということで僕はヤクルトのユニフォームを持っていたので着替えて観戦。
「あれ? 屋根がある! ここ神宮じゃないんですか?」「さすが仕込んでますねー」
といった具合にみなさんの笑いを無事に取ることができたのであった。
周りの観客は「神宮で楽天相手に大勝してんのに、なんでヤクルトファンがここにいるの?」と呆れていたとさ。
まあ冷静に考えれば、巨人はラミレスとグライシンガーをヤクルトから引き抜いているし、
日ハムにも藤井や稲葉がいるわけで、ヤクルト関係者の多い試合なのである。

試合のほうは、巨人が早い段階で日ハム先発の藤井を崩していてリード。
それでも稲葉がホームランを放つなど、日ハムが必死で食い下がる展開に。
僕らは三塁側から見たのだが、マスコットのBBが来たり、小笠原にブーイングが浴びせられたり、
中田が代打で出て歓声があがったりで、飽きることはまったくなかった。
坂本・亀井など巨人の若手も元気でよろしかった。
最大の見せ場は最終回、ここんとこ救援に失敗続きのクルーン登板である。
なんだかんだで結局抑えて巨人が勝っちゃったのだが、コストパフォーマンスのいい野球観戦で、
一同大満足でそのまま飲み会へとなだれ込んだのであった。よかったよかった。


2009.6.4 (Thu.)

今週の放課後は本気で凄まじい忙しさなのである。
まず移動教室の係会ということで、全体レクの内容をさらに詰める必要がある。
そして毎日やっている英単語テストの補習があり、デキの悪い生徒の面倒を見ないといけない。
しかもサッカー部は試合に向けて練習のテンションが上がってきているということで、これはもう、無理なのである。

しかしながら今週からは教育実習生が来ており、社会科なのに英語の補習のお手伝いをしてくれた。
僕の去年の状況と比べたらずいぶんと余裕があるようだ。やはり学校による差は激しいなあと実感。
それにしても、教育実習生がいないと成り立たない現場ってのもどうかと思う。
先生に余裕がないといざってときに困るだろうにと思うのである。このままじゃどれも中途半端になってしまう。
本当に、どうにかなりませんかねえ。


2009.6.3 (Wed.)

本日は理科の講師が急遽お休みということで、各クラスともビデオ鑑賞の時間となるのであった。
(どうでもいいけど、僕らの頃には考えられなかったこの「講師」という雇用形態はどうにかならないのか。)
で、ベテランの理科の先生が用意してくださったビデオをお目付け役ということで生徒と一緒に見る。
内容は地球の歴史を追いつつ、その証拠となったさまざまな土地を俳優やタレントが訪れるというもので、
CGに力が入っていてかなり見ごたえがあった。生徒以上に僕が必死で見ていたわけで、ニンともカンとも。
ちなみに生徒たちはアフリカの「ンゴロンゴロ」で大爆笑。はあ、まだまだそういうお年頃なのね。


2009.6.2 (Tue.)

東京都の中学生には「移動教室」と呼ばれるイベントがある。
最初聞いたときにはなんじゃいそれと思ったのだが、要するに泊りがけの社会見学的なものなのだ。
当然、下見をしたりしおりをつくったり生徒に予習させたりと、かなりの手間がかかるイベントである。
しかし今回、それらを意欲的な先生がすべて一気にやってくださったというかなんというか、
ルーキーの僕がモタモタとするような余地はまったくない勢いで計画が進んでいるのだ。
本当はそんなことじゃいけないのだが、こっちはこっちで部活に授業にでいちおう精一杯なのである。
効率よく動くふるまい方がぜんぜんわからないからとてもとても…という状況なのね。ホントにすいません。

で、今回の移動教室で僕に割り振られたのは「レク係」という役職である。
要するに、行きのバスの中でやるレクリエーション(バスレク)と夜にみんなでやる全体レクの担当である。
本当ならもっと早いうちからあれこれ話し合っておくべきだったのだが、なんだかんだで後手後手にまわって、
気がついたら出発まであと1週間のこのタイミングで初の本格的な係会となったのであった。
とはいえ教員1年目には何がなんだかサッパリ。生徒の方がある程度慣れている面もあるので、
まずはバスレクの内容から入ってやりたいことをゆっくりとまとめていくことに。

小学生のときの経験もあるのでバスレクの内容はわりとすんなり決まるかなと思ったのだが、
意外とあれこれもめた。ただ内容を決めるだけでなく担当者もセットで決めさせたが、けっこう難航。
そしてさらに懸案の全体レクだが、ブレーンストーミング式にアイデアを募ったところ、
団扇に風船を乗せて競争するゲームと歴史クイズと国名当てクイズが拮抗。
ひ弱な想像力を駆使してこんなんできるかな、とアイデアをシェイプし、
妥協案としてクイズを社会科の問題にし、解答権を得るのに風船ゲームを使うことを提案したらすんなり決まった。
その後もバスレクの内容についてクラスごとにケンケンガクガクのやりとりがあり、
どうにか大筋が決まったときには部活の時間が終わろうとしていたのであった。
週末には最後になるかもしれない試合があるというのに、これには参った。
いやはや、1人で同時に何役もこなさなくちゃいけないから、この仕事は大変だ。


2009.6.1 (Mon.)

リョーシさんから電話があって、そのおかげで夏休みの旅行計画が大いに進んだ。
タイミングとしてはいいかげんおおまかなアウトラインを決めないと危ない時期に来ていたわけで、
きっかけがなければこのままズルズルいっていたかもしれない。
いつもリョーシさんには絶妙のタイミングで助けられている気がする。

島計画に関しては旅行代理店を通したほうがスムーズになる可能性が高いので、
西新宿のど真ん中にお勤めのニシマッキーにお任せしてしまうことにした。
これは単純に自分の責任逃れというよりも、もっときちんとできる人にお願いをしたということである。
連絡をとってみたらニシマッキーは二つ返事で了承してくれた。実に頼りになる後輩が多くてうれしい。

裏日本についてはリョーシさんがラビーと接触してこちらも大まかなコンセプトが固まった。
あとは僕の方で宿などを詰めていくことになる。これからは現地で困らないように情報収集が必要になる。
欲張るだけ欲張った、常識を逸脱した計画を立てているので、ぜんぶが実現できる保証はまったくない。
しっかり情報を集めてムダなく動けるようにしておこうと思う。

日ごろ気ままにあちこちへ行けない分、夏休みに動きまわりたいという欲求は強い。
来年だってどうなるかまったくわからないのだ。行けるうちに行っておくしかないのである。
これから梅雨でフラストレーションのたまる毎日になるが、なんとか旅行計画を希望にがんばりたいもんだ。


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