diary 2022.7.

diary 2022.8.


2022.7.29 (Fri.)

知識とは発見の根拠である。知識なきところに感性ははたらかない。
知識とは判断の根拠である。知識なき者に正しい判断は下せない。

義務教育は国民として最低限の知識を身に付ける場である。
高校はそれより高等な知識を身に付ける場であるから「高等学校」なのだろう。
深遠なる知識への出会いを蔑ろにして発見や判断があると思うな。



2022.7.26 (Tue.)

今日は朝から曇り空で、「名古屋でバスに乗り遅れていたらえらいことだったぜームニャムニャ」と言いつつ眠りこける。

起きたらバスに乗って東京に戻る。お世話になりました。


2022.7.25 (Mon.)

いよいよ待望の千畳敷カールである。長野県飯田市で生まれ育ったというのに、すぐ近所の千畳敷カールは初めて。
まあそんなものといえばそんなものなのかもしれないが、地理を教えなければずっとスルーしていたと思うと恥ずかしい。
朝4時に起こされて支度を整えると5時には家を出発。そうして駒ヶ根の菅の台バスセンターに着いたらすでに行列。
行列は2つあって、バス乗り場に並ぶ列と、そのチケット売り場に並ぶ列。どちらもしっかりと延びている。
夏休みシーズンとはいえ平日の朝だぞ……?と呆れるが、これが当たり前らしい。駐車してある車のナンバーも多彩で、
全国各地から集まっている。ざっと見た限り、最も遠いのは下関ナンバーだった。いやはや、すごいものである。

ボケッと待つこと1時間、それからバスに30分揺られて駒ヶ岳ロープウェイ・しらび平駅に到着。
ロープウェイはフル回転で登山客を山へと送っていく。思ったよりもテンポよく動くのでさすがだと感心。

  
L: チケット売り場に並ぶ列。皆さんいつからここにいるんだか。登山ブーム、キャンプブームの勢いに驚かされるのであった。
C: ロープウェイから見た滝。駒ヶ岳ロープウェイは日本で最も標高の高い索道なのだ。  R: 帰りのロープウェイとすれ違う。

千畳敷駅に到着すると、すぐそこが千畳敷カール。いかにも氷河がえぐりましたと言わんばかりの曲線に、
さすがに目を奪われるのであった。天気も最高のコンディションで、青空と緑の対比が本当に美しい。
デジカメを構えてしばらく激写するが、撮影の角度が限られて同じ構図になるのでわりとすぐに飽きる。

 
L: 千畳敷カール。これだけコンディションのいい日に来られるとは。日頃の行いを良くしておいて(当社比)よかった。
R: circo氏に記念撮影してもらった一枚。レイバンにマスクだと誰だかわからんね。黒装束のせいで怪しさも抜群。

せっかく千畳敷カールまで来たので、circo氏とともに中央アルプス(木曽山脈)最高峰である木曽駒ヶ岳を目指す。
ちなみに木曽駒ヶ岳は伊那谷では「西駒」と呼ばれることが多い。僕の中学校では2年生で登る習わしだったが、
なぜか僕の年は乗鞍岳になったっけ。そういう経緯もあって、西駒くらいきちんと登っておこうと思ったわけだ。
なお、circo氏は50年近く前の若き日に登ったことがあるそうで、息子の僕と登るのをけっこう楽しみにしていたらしい。
「そのときはサンダル履きだった」などと若気の至りを申告するのであった。登山経験がそこそこの僕でも信じられない。

 
L: 登山口から少し行ったところにある信州駒ヶ岳神社。登山の無事を祈って二礼二拍手一礼。  R: 社殿をクローズアップ。

まずは千畳敷カールのてっぺんにそびえる宝剣岳を左手に見ながら等高線どおりに北へと進んでいく。
デジカメで景色を撮影しつつ歩く僕に対し、circo氏はスイスイと先へ。元気があるのはいいことだ。

  
L: 宝剣岳を見上げる。木曽駒ヶ岳とセットで登る人も多いが、最後が猛烈な岩場になるので僕らはパス。
C: 千畳敷カールの谷の方はこんな感じ。氷河が削った歴史の厚みを想う。  R: 序盤の登山道。ハイキング気分。

10分足らずで傾斜が始まる。つづら折りとなっている岩の階段を黙々と登っていく感じになるのだが、
ロープウェイからだとかなり急に標高が上がるので、途中で適宜休憩を入れつつ上を目指す。

  
L: 宝剣岳にだいぶ近づいたこの辺りから登山らしい登山になる。いちばん低くなっているところまでつづら折りが続く。
C: 富士山が見えたので撮影。コンデジのズームだとこれが限界だが、きちんと剣ヶ峰(→2019.8.21)まで見えたのでヨシ。
R: つづら折りを黙々と登る。落ち着きなくシャッターを切る僕にcirco氏が「休もう」と声をかけて休憩する感じ。

  
L: ある程度登ったところから見下ろす千畳敷カール。向こうには天竜川の河岸段丘が見える。
C: 河岸段丘をクローズアップ。これは駒ヶ根の中心市街地。巨大な一段の段丘上に街が広がっているのだ。
R: 千畳敷カールの出口付近で側面を撮影。左は駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅。日本一標高の高いホテル千畳敷を併設。

45分ほどの格闘の末、乗越(のっこし)浄土に到着。実際に登ってみるとその名前に納得がいく。
circo氏はだいぶ元気で、千畳敷カールを越えたという感慨に特に浸ることもなくスイスイと先へ行く。

  
L: 乗越浄土に到着。立山(→2015.8.2)における一ノ越のようなもんかねと思いつつcirco氏の後を追う。
C: 乗越浄土から見上げる宝剣岳。  R: 天狗荘と中岳。こちらもカールですかな。それにしてはなだらかな気もするが。

この夏休みはあまりにも旅行が激しくて、せっかく日本百名山のガイド本を持っているのにちゃんと予習をしなかった。
おかげで中岳を「あれが西駒……? あんまり高くないなあ」なんて勘違いをcirco氏と2人でやらかしているのであった。
まあとにかく、そこに山があるからには登るしかないわけで、目の前の頂上に向かって黙々と歩を進めていく。

  
L: 乗越浄土の際から眺める木曽谷。こうして見ると伊那谷との規模の差が歴然としている。
C: とりあえず目の前の山頂を目指す。まあ中岳なんだけど。  R: 中岳の中腹から振り返る宝剣岳。

最後は岩が集まっている山頂に着いてみると、そこには「中岳山頂 2925m」という案内板が立っていた。
さすがに中央アルプス最高峰がそんなに甘いわけないよなあと思うが、circo氏はわりと心理的ダメージを受けていた。
祠は壊滅していたが真新しい賽銭箱が健在だったので、軽く二礼二拍手一礼して休憩すると、ラスボスを目指す。

  
L: 中岳山頂。さすがは木曽駒ヶ岳、そんな簡単には攻略させてくれないのであった。  C: 祠の跡。再建しようよ。
R: 中岳から眺める木曽駒ヶ岳山頂。こいつが本物のラストボスだ。下ってから登るのはつらいんだよなあ(→2019.9.22)。

中岳を下るのはわりとつらく、後でこれを登ると思うとゲンナリである。circo氏はだいぶ意気消沈モード。
そして「前に登ったときはたぶん中岳までだった」と発言。そりゃあサンダル履きならそうでしょうよ。
まあここまで来たからには毒を食えば皿までということで、覚悟を決めてやりきってもらいましょうか。
中岳を登って下りて、さらにここからもう一丁登るのは確かになかなか残酷な現実だが、登りさえすれば勝ちなのだ。

  
L: 中岳を下りきるといよいよ木曽駒ヶ岳の攻略である。まあルート的には取り立てて難しいわけではないけど。
C: いま下りてきた中岳を振り返る。この後、またアレに登るんかぁ……などと考えてはいけない。
R: 木曽駒ヶ岳頂上付近から見た木曽方面。右手で雲を戴いているのは御嶽山か。いつか登りたいものだ。

  
L: 角度を変えて中央やや左のとんがりが宝剣岳、その左が中岳。なるほど、木曽駒ヶ岳はほかよりしっかり高いわけだ。
C: 木曽駒ヶ岳の頂上に到着。賑わっていますなあ。  R: 頂上に立っている柱。近づけないのが残念である。

10時ちょい過ぎに木曽駒ヶ岳の頂上に到着。まあ頂上に着いたからといってやることがあるわけではないのだが、
とりあえず祠に参拝しておく。面白いのは東西2つの祠があることで、まずは目立っている木曽駒ヶ岳神社から。

  
L,C: 木曽駒ヶ岳神社。こちらの方が鳥居があってしっかりしている感じ。  R: まあ祠には違いないのだが。

木曽駒ヶ岳神社と比べると、東側の伊那駒ヶ岳神社はイマイチ存在感が薄い感じになってしまっている。
わざわざそれぞれの駒ヶ岳神社をつくるあたり、木曽谷と伊那谷の近くて遠い関係が透けて見える。まあ長野県だし、
盆地が違えば別の国だからしょうがあるまい。そもそも木曽が信濃国に入った時期は平安から室町まで諸説あるもんな。
もしかしたらさっき千畳敷カールに鎮座していた「信州」駒ヶ岳神社は、その辺りの歴史を背負っているのかもしれん。

  
L: 静かに佇む伊那駒ヶ岳神社。  C: 西駒初登頂を果たしたcirco氏。お疲れさん。  R: いちおう記念に僕も撮ってもらった。

休むcirco氏とは対照的に、僕は山頂のあちこちを落ち着きなく動きまわってデジカメのシャッターを切りまくる。
山頂はなだらかな傾斜となっていて、広々としている。登山客が多くてものんびりメシが食えそうだ。こりゃいいや。
登山はとにかく天気さえ良ければ万々歳なのだ。特に今日は風もなくって最高である。しばらくいい気分で徘徊する。

  
L: 山頂の北側。いくらでもメシを食うスペースがある。  C: 山頂から見た中岳。こうして見ると大したことなさそうだが。
R: 山頂から少し下りて見る河岸段丘。これは東の高遠方面で、中心の川は三峰川かな。天竜川との合流地点までは見えず。

なんだかんだで頂上には30分近くいたようだ。しっかり休んで覚悟を固めると下山を開始。まあすぐに中岳に登るけど。
もうあとは無事にロープウェイまで戻ればいいだけなので、時間を気にせず着実に歩を進めることだけを考える。
circo氏が「休もう」と言ったらヘイヘイヘイと。多少曇ってはきたものの、不安になるような天気ではないので大丈夫。
人間、歩いて休んでを繰り返すうちに大きな距離を移動しているわけで、無理せず一歩一歩進んでいく。

 
L: 中岳を登って下りて宝剣岳の近くまで戻ってきた。せっかくなので天狗岩を撮影しておく。
R: 宝剣岳の頂上付近をクローズアップ。最後はひたすら鎖場となるようだ。おー怖い怖い。

乗越浄土から千畳敷カールに入るとひたすら岩の石段を下っていくことになる。標高が下がって呼吸は楽になるが、
circo氏は少しつらそうで、つづら折りのヘアピンカーヴ部で多めに休憩を入れながら着実にゴールを目指す。
そうしてもうあとちょっとで下りが終わる、というところで異常事態が発生。circo氏の靴の底がはがれたのだ。
「これ、デザートブーツだよな?」「そうだ」「登山靴ではないよな?」「そうだ」まさかと思っていたらやっぱりで、
山を舐めているのは50年前から変わっていないのであった。しばらくは我慢してそのままゆっくり下ったのだが、
半分以上めくれてしまってどうにもならなくなり、circo氏は思いきって靴底をはがしての下山を試みる。
しかし次の瞬間には派手に転んで進退窮まってしまった。しょうがねえので僕が自慢の登山靴を脱いでcirco氏に履かせ、
靴下(サッカー用)で慎重に下ることにした。すぐに岩場が終わって平坦な土混じりの道になったのでよかったが。
ロープウェイ乗り場に到着したところで靴を戻し、どうにか無事に下界に戻ることができたのであった。
なお、後日母親がこの話を周囲に吹聴し、僕は「飯田市出身でいちばんの孝行息子」という扱いになったらしい。
まあなんというか、僕としてはドジな子どもを持った親の気持ちがよくわかった、といったところですな。

山には登らずいったん飯田に戻っていた母親に迎えに来てもらうと、せっかくなので光前寺に寄ってもらう。
30年以上前に来たことはあるが、日記を書くようになってからは行ってないし、御守を頂戴したいし。

  
L: 光前寺の仁王門。  C: 参道を行く。見事な雰囲気で、境内全域が「光前寺庭園」として名勝になっているのも頷ける。
R: 光前寺といえば石垣の間に自生するヒカリゴケ。自分で発光はせず、暗所で光を反射するので光って見える仕組み。

  
L: 苔の生す道。これは美しい。  C: 1848(嘉永元)年再建の三門。  R: 進んでいくと本堂。

光前寺はもうひとつ、霊犬早太郎伝説でも知られる。磐田の矢奈比賣神社(見付天神)には悉平太郎が祀られていたが、
早太郎はそれと同じ犬である。光前寺から見附村に連れていかれ、怪物と一晩わたり戦って勝った(→2017.10.8)。
しかし早太郎は深手を負い、光前寺にたどり着いて亡くなってしまったという。墓があるのでお参りしておく。

  
L: あらためて本堂を撮影。 1851(嘉永4)年の再建。妻入と向拝に神社っぽさも感じる。  C: 霊犬早太郎の墓。
R: 三重塔。1808(文化5)年の再建で、長野県宝である。なお、右手前には霊犬早太郎の石像が建っている。

参拝していたら母親から、僕の自慢の登山靴も靴底がはがれている、とツッコミが入った。なんと!
「こりゃ誰かがオレの靴を履いたせいだな」と冗談を飛ばしつつ飯田に帰る。西駒制覇したしいい写真も撮れたし、満足。



2022.7.22 (Fri.)

夏休みがスタートするも、夏休み明けに備えてただじっとプリントをつくるのであった。


2022.7.21 (Thu.)

新型コロナ感染が広がる混乱の中、終業式なのであった。夏休みの始まりは教育現場を救うゴングとなるか?


2022.7.20 (Wed.)

もちろん僕もその中に含まれているが、生涯独身男性の増加が社会問題となっているわけです。
資本主義の加速を背景にした、サラリーマン階級に属する能力を持たない遺伝子の緩やかな自殺的淘汰、でないといいね。



2022.7.14 (Thu.)

クラスマッチの日々なのだが、「意外と熱い」と評判なのがボッチャである。

もともとは雨天時にサッカーの代わりにやる競技として組み込まれたのだが、ずーっと天気が悪くて仕方なくボッチャ。
ところがやってみるとカーリングに似た繊細さと戦略性で大盛り上がりとなっている。見ていても十分に面白いのだ。
パラリンピック種目で近年知名度が上がっているが、なるほど健常者も同じ土俵で戦える興味深い競技だと再認識。

なおウチの高校では、クラスマッチで上位に入ったクラスは隣の高校との対抗戦に出場することになっているのだが、
ボッチャで上位に入ったクラスにはもれなくサッカー代表としての出場権がついてくる。この状況がいちばん面白い。


2022.7.13 (Wed.)

新しいノイズキャンセリングイヤホンにしたんですが、技術の進歩はすごいものがあるなあと思うわけです。
どんどん小型化が進み、耳の穴に嵌めても落ちない重さまで来てしまった。そしてもちろん肝心の音も安定のBOSE品質。

こうやって「当たり前」のクオリティがハイペースで塗り替えられていくことに、正直少し怖さも感じている。
世の中、確実に便利になっていって、その便利が当たり前になっていって、その先の僕たちは幸せでいられるのか。
幸せを感じられるほどに敏感でいられるのか。当たり前を感謝できるほどに謙虚でいられるのか。ちょっと考えてしまう。


2022.7.12 (Tue.)

満を持して「史上最悪のクソ邦画」と名高い(?)『デビルマン』の実写映画を見てみたよ!
わざわざ原作マンガ(→2022.6.18)を読んでからのチャレンジである。いざ尋常に勝負勝負!

……正直、頭がおかしくなりそうなくらい脈絡がない。いや、もう、すべてにおいて脈絡を感じない。
軽く拷問に使えるくらいに脈絡がない。また変にテンポがいいのが、よけい脳の混乱に拍車をかけるのである。
この映画をつらく感じるポイントは人によりいろいろあると思うが、自分にとっていちばんキツかったのは脈絡のなさ。
「自分がわかっていること」を「他人にわかってもらう」ためには、それ相応の努力が必要になるのである。
原作マンガは設定がぶっ飛んでいる分、ここの手続きをかなり慎重にやっていた。論理的な説明を着実に重ね、
誰が読んでも納得できるだけの説得力を持たせている。しかしこの映画はその努力を一切拒否して強行突破し、
ぶつ切りになった各シーンをハイテンポで観客にぶつけてくる。原作を変になぞっているだけにタチが悪い。
結果、論理的につながらない展開を、原作と照らし合わせる暇もないまま次から次へと供給されて大混乱。
原作を知っていなければ究極的な置いてけぼりだし、知っていれば発狂寸前まで追い込まれる。サバトみたいな映画だ。
いちおう新たな展開について外からの説明が入ることは入るのだが、これがボブ=サップの英語ニュースのみなのだ。
ストーリーの語り部という重要なポジションに、なぜこの手法を選んだのか。理解不能すぎてこれまた発狂しそう。

画面に映し出されるものを見ているうちに、ふと気づいた。これ、映画の予告編のノリだけで全編やっているのだ。
そう、この映画は最初から最後まで、予告編をリレーしたものとしてできているのだ。それに気づいて少し楽になった。
一見さんの目を惹くための印象的なシーンをつくることしか考えていないから、脈絡がなくなるのは当然のことなのだ。
那須博之監督はアイドル映画の人なので、今までそれで許されてきたのかもしれない(『ピンチランナー』 →2001.4.11)。
でも重厚なストーリーで売っている原作のことを考えれば、彼はいちばん起用しちゃいけないタイプの監督じゃないか。
最後まで棒読み全開の演技を許し、こちらが脱力してしまうバトル中の掛け声を平然と入れ、エキストラ集団を多用する。
なるほど、これは昭和のアイドル映画なのだ。その予告編だと思って見るのが、おそらく最も正しい鑑賞法なのだ。
原作者・永井豪のカメオ出演も、なぜか1シーンだけでなく2シーンあるのは、監督なりの昭和のサーヴィス精神だろう。
出演者にはそれぞれアップのシーンを用意してあげる、という意図を明確に感じる。意味不明なKONISHIKIをはじめ、
誰にねじこまれたのかわからないキャスト多数。でもそれぞれ1シーンあげちゃう人なのだ。それで重宝されたのか。

しかしまあ、見ているとなんだか、一生懸命やっている人を批判するのは気が引けるなあと同情してしまう。
いきなり演技をやれと言われても棒読みになるよなあと。自分だったら絶対できねえよなあ、と思うのであった。
いや、芸能人なんだから自然に演技できるべきなんだろうけど。渋谷飛鳥と染谷将太(子役)がまともなせいで、
比較する基準ができてしまっている。どうせならグダグダでぜんぶ固めた方がまだマシだったんじゃないかなあ。
とりあえずこの映画を褒めるポイントは、ひねり出せば人によりいろいろあると思うが、自分にとっては鳥肌実ですね。


2022.7.11 (Mon.)

『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。作画崩壊で知られる第15話がまさかの映画化である。

まあやっぱり、子ども多すぎメシ豪華すぎなのはどうしても気になる。
子どもどうやって集まったの、島の貧相な畑でどうやってそんだけのメシ確保したの、とツッコまずにはいられない。
ガンダムが初放映された1979年と比べ、われわれは何事にも論理的な根拠を求める習慣が付きすぎてしまっているのか。
昔なら「物語とはそういうものだ」で済ませていたことが通用しなくなっているのか。そんなことを考えさせられる。

その点を除けば、素直に楽しむことができる作品だった。質より量でごまかすことなくじっくりとMSの格闘を描き、
素材を尊重しつつも今のアニメでできることをしっかりやっている。こういう再解釈ができるのは豊かなことだと思う。
『機動戦士ガンダム』という超人気作の世界観を補強していくことは、正当な続編である『Ζガンダム』以降、
繰り返されてきた。しかし、その本体のエピソードの一部を取り出してつくり直して単独の作品を成立させたことは、
これは新たな段階であると思う。この作品で公的な二次創作(→2007.11.9)が新たな段階に入ったことによって、
一次の位置付けがより「古典」として客観的な存在へと移行したというか。振り返るとその意義が大きい作品と考える。
戦争への悲劇的なリアリティを重視する層からは「こんなのガンダムじゃない」という意見もチラホラ見かける。
しかしながら、そりゃもう元ネタが元ネタなんだから、富野的な殺伐さを求めるのは無茶でしょう、と僕は思う。
この作品は、原作中で最も「らしくない」エピソードを取り出しての壮大な実験なのだ。単品で評価したいところ。

それにしても、アムロとククルス=ドアンの中の人の実年齢がすごいよなと呆れる。アニメと声優の凄みですなー。


2022.7.10 (Sun.)

近所のアパートが取り壊され、更地になってしまった。僕としてはいきなりの急展開で、びっくりである。
なんというか、明日は我が身か。いつまでも今の住処でのんびりできると思っちゃいけないんだろうな……。


2022.7.9 (Sat.)

2019年5月分の日記をようやく書き終える。ついに3年オーヴァーが恒常化してしまった……。

これまではreferenceへの登録は一月分を書き終えたタイミングでやっていたが、それだと未登録のログが多すぎて、
「あれっていつの話だっけ?」と過去ログを参照するときにとっても不便なのである。3年分というのは大した量なのだ。
referenceにもないし更新履歴からもはずれてしまった2020年あたりを掘り返すのは、けっこう大変なんですよ。
それでこのたび、書き終えた箇所からさっさとreferenceに登録していくことにした。これだと更新がややこしくなるが、
アップロード作業を従来どおり一月分を書き終えたタイミングとすることで混乱は防げるのではないかと。
完全に内輪というか僕個人の中の話なので何がなんだかよくわからんと思いますが、これは僕の備忘録にすぎませんので。
とりあえず、referenceがいったんぐわっと増えると思いますんで、気ままにアクセスしてみてください。


2022.7.8 (Fri.)

銃撃の件については一切ノーコメント。


2022.7.7 (Thu.)

今年異動してきた人の会をやりましょう!ということなので参加。職場単位での飲み会は本当に久々である。
ちなみに今回音頭を取った先生は、僕が今まで出会った人の中でも群を抜いてコミュニケーション能力のある方で、
同じ人間のはずなのになぜこうも自分と違うのか、とつねづね思っているしだい。うらやましいが目指すのは無理。
で、他愛ない話に情報交換に、非常に楽しい時間なのであった。いろんな話題を通して新たな価値観に触れて、
ふだんとはまた違う角度から皆さんの姿を知ることができるのは、それだけで面白くってたまらないのである。
おかげさまで、夏休み前にいい形で現状を整理できたように思う。今後ともよろしくお願いします。


2022.7.6 (Wed.)

どうやら僕のスマホにもauの大規模障害の影響があった模様。しかし僕はまったく気づかないのであった。
確かに旅行中を直撃されたらもうどうにもならないが、ふだんの生活ではぜんぜん困らないのでなあ。極端だよなあ。


2022.7.5 (Tue.)

今日も今日とて採点作業。なんというか、苦手な生徒ってマジメな顔してぜんぜん話を聴いていないんだなあと。
集中力全開で一発で覚えようという意識がないんだなあと。曖昧な記憶で勝手なファンタジーを生み出すんだなあと。
まあ自分の高校時代を振り返れば偉そうなことはまったく言えないんだけどね。悲しくなってしまいますね。


2022.7.4 (Mon.)

最近は職場パソコンと延々とにらめっこしていることが多く、かなり目がつらい。ブルーライトってやつですか。
しょうがないのでレイバンで対抗している。職場の端っこに大門マニアのティアドロップがいるシュールな状況だぜ。
でもみんな「こいつヤベエ」と思っているのか、誰もツッコんでくれないの。少々さびしい。


2022.7.3 (Sun.)

teacup.掲示板が来月1日をもってサーヴィス終了ということで、過去ログを保存する作業に集中したのであった。
慣れないHTMLファイルを加工するのは本当に大変で、思ったよりもかなり時間がかかってしまった。
まあ単純に、2004年からのログの積み重ねがそれなりに大量だったというのもある。昔はよう書き込んでおったね。
他愛ないやりとりが実に楽しかったなあ。僕としては、それも含めての「logistics 443013」なのである。
また当時みたいに気軽にやりとりして、気軽に集まれればいいなあと思う。みんな、たまには読み返してみてくれい。

logistics 443013/BBS過去ログのページ



2022.7.1 (Fri.)

本日からテストである。さっそく歴史総合で240人分を必死の採点。でも記述部分だけで一日が終わってしまった。
マークシートの正誤判定と論述はまた後日。いや本当、めちゃくちゃ真面目にやってますよ。報われたい!


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