diary 2019.8.

diary 2019.9.


2019.8.21 (Wed.)

ご来光目的の皆様は午前2時前には起きて、各々出発したようである。しかしわれわれは6年前に済ませているので、
日の出の時刻である4時57分ギリギリまであたたかいお布団の中で過ごすのである。で、宿のすぐ外で見ようと。
登山客が出発すれば出発するほど寝床は広くなっていく。気圧のせいで頭と眼球が少し痛いのは気になるが、
時間とともに快適になっていく寝床を満喫するのであった。おかげで最後の1時間をぐっすり眠れて、これが効いた。
ちなみに宿での会話は中国語が非常に目立っていた。寝床の隣の客も中国人だったし。あとロシア語も聞こえたな。

4時ぐらいに起きると、昨日のうちにもらった弁当を取り出して朝食である。宿はすでにわりと閑散としつつある。
荷物を整理してトイレに行って落ち着くと、鏡がないけど使い捨てのレンズを根性で入れる。雨対策ということで、
メガネは避けておこうというわけだ。日の出5分前に準備が完了し、いざ登山靴を履いて宿の方に礼を言って外へ出る。
……案の定、見事な霧である。太陽が出たのかどうかもわからない。とにかく午前5時、頂上に向かって歩きだす。

  
L: 朝食。八合五勺で他人のつくったメシが食えるだけありがたい。  C: 印象・日の出って感じにもなりませんよ。
R: でもまあ午前5時になったし、出発なのである。雨こそ降っていないが、まったく先の見えない霧の中を行く。

出発してわりとすぐに鳥居が現れた。九合目……にしてはずいぶんと近いなあと思う。が、どうも実際にそうみたいで、
壊れかけている木造の祠の脇には「九合目 迎久須志神社」という立て札があった。しかしそこに中身はない。
吉田ルートの九合目にはかつて山小屋があったようだが、今は完全に崩壊してしまっている。なんとも切ない光景だ。

 
L: われわれがとりたててパワフルなわけでもないのだが、かなりあっさりと九合目らしき鳥居に到着。
R: 少し登っていったら迎久須志神社だという木造の祠があった。なんだか非常にもったいないなあと思う。

九合目の遺物群を後にして30分弱、行列にぶつかる。よく見るとその先にはうっすらと鳥居があるような気がする。
感覚的にそこが久須志神社つまり吉田ルートの頂上だとわかるが、この状況では素直には喜ぶことはできないのだ。
そう、思い出すのは須走ルートでのラスト200mだ(→2012.7.15)。最後の最後、何が起きるかはわからない。

それでも行列の後について5分ほどで、ついにその鳥居をくぐることができた。見覚えのある光景、久須志神社だ。
参拝客でごった返す中、「御守! 御守!」とはしゃぎつつ僕も突入。バヒさんはあたたかく見守ってくれたとさ。
前回の富士登山で富士山本宮浅間神社奥宮の御守は1体だけ頂戴したのだが、久須志神社では頂戴しなかった。
前も書いたが「久須志」とは「薬師」なので、もしかしたら神仏習合系の要素が御守にあるかも、とチェック開始。
しかし、置いてある御守はすべて富士山本宮浅間神社の富士山頂版なのであった。確認できたのはよかった。
バヒさんは神社でおみくじを引く習慣があるようで、大吉を引き当てて大喜びしていたよ。強運ですなあ。

  
L: 吉田ルートの頂上である久須志神社の鳥居をくぐる。八合五勺までのヨタヨタぶりを思うとずいぶん快調なラストだ。
C: 久須志神社(後で撮影したので人がいない)。吉田ルートのゴールということで、奥宮と差をつけていないのだろう。
R: 社殿の中ではこんな感じで御守が置いてあるのだ。種類は非常に多いが、どれも富士山本宮浅間神社の富士山頂版。

久須志神社周辺は富士山頂で最も都会なだけあって、登山客でごった返している。僕は金剛杖のてっぺんに「2019」、
そしてもう場所がないので、あろうことかいちばん下に「頂上之印」の焼印を押してもらった。ま、しょうがない。
頂上に着いたので一休みして、バヒさんにプレゼントの贈呈式。艦これの艦娘では夕雲が気に入ったようなので、
夕雲の薄くて高い本を贈呈したのであった。なかなか珍しいんですよ、夕雲の薄い本って。本気で喜んでたなあ。
なお、薄い本を包んでいるビニールは富士山頂でも膨らんでいなかったとさ。密封されてないから当たり前か。
ちなみに前回調査から6年経った今回も、頂上にくまモンはいなかったモン。ブームも少し落ち着いたモンね。

 
L: 久須志神社周辺は富士山頂で最も都会な場所である。山小屋の中に入るのに行列ができていたもんなあ。
R: 日本で最も高いところにある自動販売機。ペットボトル飲料が500円で缶入り飲料が400円となっている。

われわれが久須志神社だけで満足できるはずがない。富士宮ルートにある富士山本宮浅間神社奥宮の御守も、
きちんとチェックしなければいけないのだ。というわけで、濃霧と強風にけっこうビビりながらも移動を開始する。
前回を思い出すと、お鉢巡りでいちばん怖かったのはここの箇所だ(→2013.8.7)。とにかく高くて狭くて怖かった。
でもここまで来ておいて、行かないなんてことはありえない。覚悟を決めて一歩一歩進んでいくしかないのである。
……ところが、だ。15分ほど起伏を進んでいったら、うっすらと見覚えのある景色が見えてきた。富士宮ルートだ。
どうやら濃霧と強風に耐えながら歩いているうちに、高くて狭くて怖い場所は通り過ぎていたようなのだ。
前回は下の方が見えていたから怖かったけど、今回は霧でほとんど視界がないから怖さを感じる要素がなかった、
という結論に至ったのであった。恐怖心ってのは面白いものだ。気づかないってことは幸せでもあるんだなあと。

 前回のお鉢巡りで最も怖かったと思われる箇所。見えないと怖くない、という結論に。

思いのほか(といってもかなり厳しめの想定をしていただけで、実際は濃霧も強風もそれなりに手強い)すんなりと、
富士宮ルートの頂上にたどり着いてしまった。何が驚いたって、登山客の少なさである。吉田ルートの賑わいに対し、
こちらは人が数えるほどしかいない。なんでこんなに差があるのかなあ?とバヒさんと一緒に首を傾げつつも、
富士山本宮浅間神社の奥宮に参拝する。やはり久須志神社での読みどおり、御守のラインナップは両者とも同じ。
こちらでも富士山頂版の御守をいくつか押さえ、久須志神社と並べて2つめの刻印を金剛杖に打ってもらう。

  
L: 富士山本宮浅間神社の奥宮。こちらが存在するので富士宮ルートは「表口」を名乗っているのである。
C: 鳥居をくぐって社殿。  R: 中で御守が置かれている様子。ラインナップは久須志神社と同じとなっている。

御守マニアとしてはこれで目的を達成したのである。バヒさんはここでもおみくじを引いて、またも大吉。
富士山頂で大吉を連発するとは豪運である。その後は前回お世話になった頂上富士館の中に入って一休みする。
そしたら外に出ている人が少数派なだけで、中は登山客でほぼいっぱいだった。なんか月面基地みたいだったね。

 
L: 頂上富士館と登山客。霧で視界が限られているせいもあって、なんだか月面旅行をしているような感覚に。
R: 中で一休みするわれわれ。バヒサシさんは富士山頂にあるポケモンジムでなんだかいろいろやっていたのであった。

さて、奥宮まで来たらやっぱり剣ヶ峰まで制覇したくなるのが人情というもの。濃霧と強風で怖いけど、
もう勢いで行っちゃうしかないのである。とはいえ本当に霧が深くて、剣ヶ峰のある方向がぜんぜんわからない。
とりあえず足跡をたどっていこう、と名探偵ぶりを発揮しながら進んでいくと登山客とすれ違ったので正解だなと。
やがて見覚えのある坂道がうっすらと見えてきた。剣ヶ峰はそのちょっとの高さで、確実に酸素が薄れている。
苦しいー!と悲鳴をあげつつどうにか到達。6年前には行列ができていたけど、今回は僕とバヒさんふたりだけだ。
せっかくの剣ヶ峰、濃霧と強風に負けることなくそこにたどり着く勇気を持っていることを誇りつつ写真を撮る。

 
L: うっすらと見える剣ヶ峰。文字どおり頂点を極めるまで、あと少しだ。  R: 剣ヶ峰である。二等三角点があるよ。

勇気があればなんとかなるもんだなあ、としみじみ実感するわれわれなのであった。写真じゃわからないけど、
風はもう本当に強くて、ほかの登山客の皆さんが怖気付くのもしょうがないと思う。諦める方がふつうなのだろう。
でも、少しの勇気と好奇心で、そこのちょっとハードルを乗り越えることができるかどうかが決定的な差なのだ。
僕らにはそれがあった、という事実が大きな自信につながった。今回の登頂は、前回よりもずっと誇らしいのだ。

 
L: サムズアップなバヒさん。  R: そうは言っても高いところで強風は怖い僕。自分でもよく耐えたと思うわ。

さて、剣ヶ峰まで来たらやっぱりお鉢巡りをして帰るしかないではないか。もう半分ほど回っているのだ。
前回の記憶だと北西側の方は大して怖いところはなかったはずなので、剣ヶ峰を制覇した勢いもあって、
気合い十分で歩きだす。しかし剣ヶ峰からしばらく行ったところが、今回の最大の難所なのであった。
特に名前がついているわけではないようだが、まったく遮るものがない尾根になっている箇所があり、
そこで風速何mだか想像もつかない強風が外から火口側へと横殴りで吹きつけてくる。凄まじかった。
濃霧で下が見えないのと剣ヶ峰をクリアしたテンションでどうにか乗り切ることができたが、
かかんで進まずにはいられないくらいの横風だった。風を遮る岩があるところまで着いたときには、
思わず「助かったぁー」と声が漏れてしまったよ。久須志神社が見えると、本当に誇らしい気持ちになった。

 
L: 吹きっさらしの尾根で横殴りの凄まじい強風の中を行くのは本当に怖かった。かがんで進まずにはいられなかった。
R: 久須志神社に戻ってきたときは本当に充実感があったなあ。だいぶ精神的に鍛えられたお鉢巡りとなったのであった。

本当に激しい強風の中でお鉢巡りで、やろうと思えばやりきれるもんだなあと思うのであった。
途中で何組かの登山客とすれ違ったが、極限とまでは言わないが「日常生活では体験できない厳しい状況」を、
みんなくぐり抜けてお鉢巡りをやりきっているわけである。そういう誇りをもとにした連帯感を持てること、
さっきも書いたけど悪条件に負けることのない十分な勇気と好奇心を証明できたことが、何よりうれしい。
金剛杖に刻まれた焼印は、この勇気と好奇心の証明となることで、かけがえのない意味を持つのである。

せっかくなので一周記念に久須志神社で奥宮のお札をもらい、下山を開始する。名残惜しいがもういいや、と。
下りは酸素の心配をしなくていいのがありがたい。登りと使う筋肉が違うし、体力的に苦しい場面もあるが、
息苦しさで動きが悪くなるという要素がないのでストレスの要因がひとつ減ることになる。それが大きいのだ。
九合目を抜けた辺りで天気は急に落ち着いた感じになり、風にも霧にも悩まされることはなくなった。
そうなれば適宜休みを挟みながら淡々と下っていくのみである。吉田ルートは登山道と下山道が別になっていて、
下山道は狭苦しい登山道とは正反対の広々とした砂の道だ。ただ、振り返ってみると勾配はかなり急である。
つまり帰りは楽になるように設定されているということで、それもまた吉田ルートの売りなのだろう。

  
L: ある程度下りてくると天気はかなり落ち着いた感じに。結局、富士山ってだいたいの日は頂上付近が悪天候ってことね。
C: 吉田ルートの下山道は、登山道とはまったく正反対で広くて余裕のある砂の道。ただ、勾配はかなり急である。
R: 下山道はブルドーザーの道にもなっているようで、物資を運ぶキャラピラー車とすれ違った。いやはや、大変だ。

八合目の辺りに吉田ルートと須走ルートの分岐点がある。間違えないように注意しながら左に曲がって山小屋で休憩。
下山道では珍しい山小屋で焼印をお願いしたのだが、押せるところがないですねと言われた。僕もそこまで来たか。

  
L: 吉田ルート(左)と須走ルート(右)の分岐点。これを間違うと大変なことになるのでかなりの勢いで注意を呼びかけている。
C: 雲の間で市街地が見えたので撮影。右が富士吉田市で左が富士河口湖町。山梨らしい密度の高い街という感じだ。
R: 下山中に横から見えた、登山道の山小屋2つ。やっぱり山小屋どうしの距離が近いなあ、とあらためて実感する。

下れば下るほど植生がだいぶ元気になってくるので、それでゴールの近さを実感しつつ進んでいく。
が、やはりなかなか遠い。七合目のトイレでつづら折りは終わり、あとはひたすらまっすぐな下り坂となる。
でもこれがけっこう急勾配だし延々と続くしで、ラストシーンを猛烈に引き伸ばされているような感覚になる。
実際、下山道は登山道からだいぶ離れているのである。適度に休みを挟みつつ、我慢強く下っていく。

 いちばん勾配が急だった箇所を下りきって振り返る。

やがて六合目の安全指導センターに着いた。ここからも長いのは昨日の経験でわかってはいるが、
それでも明確に終わりが見えたことで心の底から安心した。これでようやく心理的な余裕が出てきた。
しかしそうなると、どうしても気になって仕方がないことがある。実は昨日、大股で岩を登った際に、
ズボンの股が破れてしまったのだ。7年前の須走以来、今まですべての登山で穿いてきたズボンだが、
ついに寿命が来てしまった。とはいえ山の中ではどうにもならないので、僕はパンツを露出させながら、
富士山頂を極めたというわけだ。ここまでは必死だったのでそんなのどうでもよかったのだが、
いざホッとすると、後ろにいる人の視線がすごく気になる。早く着替えたくってたまらなかったなあ。

富士スバルライン五合目の入口に戻ると、喜ぶ間もなくすぐに建物の裏で登山靴を脱いで着替える。
これでようやく落ち着いたのであった。時刻は10時半を過ぎたところで、メシを食ってお土産を見ることに。
バヒさんが「カレーを食いたい」と言ったので僕も無性にカレーを食いたくなり、レストハウスに飛び込む。
ちょうどこれからランチタイムの混雑に突入する直前、といういいタイミングでカレーにありつけた。

 富士山噴火カツカレー。平常の世界で食べるメシの味は沁みたねえ。

余裕を持って帰りのバスは15時発を予約していたのだが、13時半発に変更ができた。バヒさんとお土産を見て、
外国人に大人気という日本酒味のキットカットをふたりでかじりつつ、しばらくダベると現地解散する。
本当にお疲れ様でした。素敵な富士登山をありがとう。バスで去るバヒさんを見送ると、しばらく呆けて過ごす。
13時半、新宿行きのバスが出発するが、往路と違って僕はあまり眠れなかった。静かに興奮が続いていた感じ。
バスの中でも電車の中でも、倒れないように僕は金剛杖をずっと握っていたのだが、その凹凸が誇らしかった。
ちょうど手に馴染む凹凸を指先で感じるたび、お鉢巡りでの誇りが蘇る。それはどこまでも心地よい感触だった。


2019.8.20 (Tue.)

富士登山である! やると決めたからにはやってやるのだ! 朝起きると着々と荷物を整え、8時過ぎに家を出る。
……と、駅へ向かう途中で気がついた。今日は平日、そしてこの時間。絶対に出勤ラッシュとぶつかるのである。
これから富士山に登るんですと言わんばかりの金剛杖に、登山靴の入った袋をぶら下げて。もちろん背中にはバッグ。
まあ結局は足元にバッグと袋を収めて金剛杖に巻きつくように立ってやり過ごしたのだが、これだけで疲れた。
電車内には弓を持っている弓道部員もいて、これを毎日やるのは大変だなあ……と心底感心したのであった。

バスタ新宿からスバルライン経由で富士山五合目まで直行するバスがあるので、そいつのお世話になる。
乗客の半分かちょっと多いくらいが外国人。みんな登る気満々の恰好である。僕の隣はラフなネオナチ風だった。
新宿を出発した次の瞬間には気を失い、起きたときにはスバルラインのつづら折りをウニウニ進んでいた。
到着すると、夜行バスと大して変わらないボンヤリ具合で外に出る。気圧のせいもあってか、あくびが止まらない。

  
L: 富士スバルラインの富士山五合目。平日とは思えない賑わいぶりで、やたらめったら外国人観光客が多い。
C: 下段のバス駐車場を見下ろす。さすがに五合目なので、重々しい雲より高い位置にいるのがわかる。
R: 休憩スペースから見上げる富士山。山頂には雲がかかっている。これからあそこに行くんだけど大丈夫かよ。

しばらくそんな具合のまま呆けていたのだが、バヒさんから電話が入り、無事に合流できたのでひと安心。
まずは昼メシを食おう!ということでレストハウスに入る。前回の静岡県・富士宮口(→2013.8.6)に比べると、
こちらの山梨側はずいぶん観光色が強い。平日で外国人観光客の比率が高いせいで、その印象がよけいに強い。
考えてみれば、ここは新宿から容易にアクセスできるし、五合目なので天気も平地とは明らかに雰囲気が違う。
つまり本格的に富士山に登る余裕はないが、富士山的なるものを経験したい人々にとってちょうどいい場所なのだ。
なるほどねと納得しつつ観光地的な「富士山ラーメン」をいただく。ふつうに旨い醤油ラーメンでございました。

  
L: バヒサシさんは「富士山そば」。  C: 僕は「富士山ラーメン」。  R: 海苔にはこのようなプリントが。

さて今回の富士登山、御守マニアの僕としては当然、できるだけ多くの御守を収集するチャンスなのである。
というわけで、昼メシを食べ終わるとレストハウスの間に鎮座する冨士山小御嶽神社にいざ参拝。そして御守頂戴。

  
L: レストハウスの間にある冨士山小御嶽神社の参道。こりゃ鳥居がなかったらわからん。ジャパネスクで外国人には人気。
C: 進んでいくと確かに立派な神社の雰囲気に。  R: 冨士山小御嶽神社。後ろには建物がなかったのでこれが本殿か。

面白いのはこの神社、磐長姫命(イワナガヒメ)を祀っているのだ。富士山の祭神といえば、コノハナサクヤヒメ。
これは駿河の富士山本宮浅間神社でも甲斐のさまざまな浅間神社でも共通している(→2014.10.122015.12.19)。
そんなコノハナサクヤヒメの姉がイワナガヒメ。しかし醜かったイワナガヒメはニニギに選ばれることはなく、
そのせいで人間の寿命は神々ほど長いものではなくなったというバナナ型神話でおなじみである(→2016.7.24)。
わざわざ姉の方を祀るとは珍しいなあ、と思いつつ参拝(コノハナサクヤヒメのその後はこちらを参照 →2016.2.26)。

 
L: 御守はかなり充実している。外国人観光客にはいい土産になるよなあ。  R: 脇にある日本武尊社。

さっそく御守ゲットでいい気分になっていると、富士山をきれいにする運動をしている人から声をかけられた。
よくわからんけど富士山を汚す気もないので言われるがままに撮影され、グッズとビニール袋をもらったのであった。
まあとにかく、ひととおりの準備ができた感じでいざスタート。われわれの「富士スバルライン五合目」とは、
厳密にはいわゆる「吉田口」とは違うのだが、六合目辺りから吉田ルートと合流することになるようだ。
……しかし、それまでが長い! 富士宮ルートが最短距離で一気に上がる感じなのに対し、こっちは助走が長い。
途中で下りになっている箇所まであって、「位置エネルギーがもったいない!」と文句を言う始末である。

  
L: 出発記念によくわからんけど一発。  C: それではいざ、富士登山開始である。  R: こんな感じの道を延々と行く。

林の中を抜ける箇所もあるのだが、基本的には広くて砂の一本道を延々と歩く。そういえば金を払ってないなあ、
なんて話をしていたら、六合目にあるという安全指導センターに到着。ここで協力金を支払うというわけだ。
なるほど、ラフな恰好の外国人観光客は富士登山が本格化する前にここで引き返すという仕組みでもあるのか、
なんて納得するのであった。さて本格的に登りはじめると、やはり思っていた以上に酸素不足がデカい。
われわれは体重の増加による肉体的ダメージを危惧していたが、そんなものは酸素の薄さに比べりゃ大したことない。
六合目の時点ですでに、息苦しさを感じながら歩を進める。ときどき立ち止まって深呼吸して慣れていくしかない。

  
L: 六合目、安全指導センター。1000円(以上)をここで支払って、いよいよ本格的に富士登山モードとなる仕組みだ。
C: 抜けるといよいよ登山開始なのだ。それにしても、上の方の天気が非常に気になる。雨だけは勘弁してほしい。
R: 吉田ルートの最大の特徴は、山小屋ラッシュだろう。見るからに連発して建っているのがよくわかる。

6年前もやたらと息苦しかった記憶はあるのだが、実際にその状況に置かれる現実はやはり厳しいものがある。
やっぱり酸素が薄いなー!と言いつつ登るが、もう少し早く五合目に来て体を慣らしておくべきだったかとも思う。
今回はカロリーメイトだのヴィダーインゼリーだのアミノバイタルなど元気になれるアイテムを満載しての挑戦だが、
いちばん肝心なところがウッカリだったということか。喉元過ぎればなんとやらである。まあしょうがないけど。

なんとかがんばって1時間ほど登り、最初の山小屋がある七合目の地点に到着。お楽しみの焼印タイムである。
失敗した須走ルート、前回の富士宮ルートの焼印がすでにあって、その反対側に吉田ルートのものを押してもらう。
……が、どうも気になるのが山小屋の近さだ。須走でも富士宮でも山小屋は「n合目」「本n合目」ごとにあって、
焼印を入れてもらうのがいい目印になっていた。しかし吉田ルートは山小屋がn合目とまったく対応しておらず、
七合目から本八合目までになんと13もの山小屋がひしめいているのである。小銭がものすごい勢いで飛んでいく。

 山小屋ラッシュすなわち焼印ラッシュに戸惑うわれわれ。小銭が飛んでいく。

おかげで早々にバヒさんの金剛杖は「これ以上焼印を入れられません」とお断りされる状態となってしまった。
そして僕の方も須走と富士宮の反対側だけでは足りなくなり、登れば登るほど下へ下へと焼印が下がっていく。
われわれの金剛杖を見た登山客が「うわっ、南米のサッカー選手のタトゥーみたい」と呟いたのが聞こえた。

  
L: 今回は登っていく際のコンディションは非常によかった。最後に雨に降られた前回よりも好調(→2013.8.6)。
C: 吉田ルートは登山道が狭くて山小屋どうしが近いので、山小屋手前で混雑が発生するのが気になるところである。
R: 八合目にて焼印を押してもらうわれわれ。バヒさんの金剛杖はついに限界を迎え、僕の方もだいぶ厳しい状況に。

さて今回の富士登山、事前の天気予報では雨の中を登る可能性があったのだが、いざ登ってみたら非常に快調。
まるで僕たちのところだけスポットライトが当たっているがごとく、落ち着いた状況の中で登ることができた。
ただ、登れば登るほど薄くなる酸素にはさんざん苦しめられた。そしてもうひとつのストレスといえるのが、
吉田ルートの登山道が狭めであること。山小屋どうしの間隔が短くて登山道が狭いため、渋滞気味になりやすい。
自分たちのペースをキープできない時間が続くのは、ちょっとつらい。ペースは落ちても上げられないのだ。

  
L,C: 八合目から先は登山道の様子がガラリと変わる。植生は一気に減り、道は赤い砂利となって幅が広くなるのだ。
R: 眼下の景色。われわれはいいコンディションで登れているけど、下は雨かもなあ、なんて話しながら一休み。

七合目の山小屋エリアを抜けて八合目に入ると登山道の様子が変わり、ストレスはだいぶ解消される。
しかし酸素はさらに薄くなり、何歩か一気に登ると必ず簡単に息が切れる。詰まり気味から解放されたはいいが、
やはりそこでのストレスもボディブローのようにじわじわ効いている感じ。明らかにヨタヨタしながら登っていく。

  
L: 八合目エリアにある山小屋・元祖室に到着。そしたら大きな鳥居に御朱印集めの女性参拝者が列をつくっていた。
C: 手前にあるのが冨士山天拝宮。調べてみたら教派神道・扶桑教の施設とのこと。いちおう参拝はしたけどよくわからん。
R: 御守もあった。種類によって色違いというタイプである。ふつうの神社と変わらない感じでやっておりましたが。

われわれが本日泊まる予定の宿は、八合五勺ということで吉田ルートでは最も高い位置にある山小屋である。
酸素が薄くてあまりにヨタヨタだったので、途中で気合いのドーピング。ヴィダーインゼリーがもう超旨いの。
貧すれば鈍するということか、ペースがガクンと落ちているときは、自分からはなかなか気づかないものだ。
ある程度先に場所を決めておいて、強制的に栄養を摂る方がいいのかもしれない。いやあ、キツかった。

 八合五勺にある本日の宿(左上)まであともう一息! でもこれが大変なのよ。

どうにか本当に18時のギリギリ直前に宿にすべり込んだ。暗くなる前にゴールできたが、けっこう危なかった。
金剛杖を預けた際、宿の若いお兄さんが焼印だらけなのを見てさんざん「シブい」と言っていたのだが、
そういう言語感覚で受け止めるものなのかーと思った。いや、わかるんだけど、「シブい」って表現になるのかと。

  
L: 今回の寝床。当たり前だが、ウナギになった気分であります。  C: 晩ご飯はハンバーグとサラダだぜイエイ。
R: バヒさんに言われて夜景を撮ってみたのだが、雲が広がっているしデジカメではこれぐらいが限界。

バヒさんは途中で買ったビールを呷り、さっさと工事現場的な音を出しながらご就寝。僕は酸素の薄さもあって、
寝たり起きたりを繰り返しながらどうにか最低限の睡眠時間を確保した感じ。横になって寝られただけマシかな。



2019.8.14 (Wed.)

実家に帰ってきたのでさっそくバヒサシさんと打ち合わせである。車に乗っけてもらってオススメの喫茶店へゴー。
6年前にバヒサシさんと富士山に登ったときから、「次は山梨側だなあ」という話はしていた(→2013.8.62013.8.7)。
その約束がいつ実現するかは気まぐれな僕らの気分しだいだったのだが、ついに今年、決行ということになったのである。
お互いに肉体的・精神的なコンディションが万全というわけでもないけど、勢いがついちゃったんだからしょうがない。
「富士山に登らない馬鹿、二度登る馬鹿」というが(バヒさんは数回目になるはずだが)、同じ馬鹿なら登らにゃ損損。



2019.8.11 (Sun.)

富山県をテーマにした帰省旅行の2日目は、高岡と射水を自転車で走ってさらに富山市内も動きまわるのである。
まずはさっそく高岡の市街地からである。レンタサイクルの受付が10時からということで、郊外は後回しにして、
中心市街地を歩いて徘徊。本日のスタートは、有礒正八幡宮である。「ありそしょうはちまんぐう」と読む。
かつて高岡から氷見にかけての富山湾を「有礒海」といい、その守護神を祀った有礒宮が高岡城の辺りに鎮座していた。
その後、前田利長が高岡城を築く際に横田正八幡宮と合祀されて遷座し、1947年から有礒正八幡宮という名になった。

  
L: 有礒正八幡宮。金屋町(→2010.8.24)のはずれに位置している、という感じか。  C: 拝殿。  R: 失礼して中を覗き込む。

  
L: 角度を変えて拝殿を眺める。1935年築で国指定登録有形文化財。  C: 玉垣で囲まれた境内は昔ながらの区画って感じ。
R: 裏から眺めた本殿。こちらも国指定登録有形文化財だが、1883(明治16)年の築でさらに古い。金屋町の誇りですかな。

 デザインの凝った御守もある。水引は縁結び、亀とハンドルは交通安全か。

トボトボと歩いて戻って高岡關野神社へ。江戸時代までは加久彌神社・関野神社・高岡神社がそれぞれあったが、
1806(文化3)年に現在地に遷座され、後に合祀されてひとつの神社となった。高岡神社には前田利長が祀られている。
西を通る道と高低差があり、境内の形状はちょっと独特。東側は大胆に駐車場となっていて、少し不思議な雰囲気。

  
L: 高岡關野神社。高低差を利用したアプローチ。  C: 参道を行く。  R: 拝殿。旧県社らしい風格がある。

  
L: 本殿を覗こうと思ったがダメだった。  C: 奥の方は鬱蒼としている。  R: 東側の駐車場。まとまらない雰囲気。

快調に御守を頂戴してウイングウイング高岡の裏に出る。レンタサイクルの受付は10時からなので様子を探りつつ、
表の方へ抜けようとしたら『ドラえもん』メンバーの像を発見。この辺りは「ドラえもんの散歩道」というらしい。
そうなると気になるのはもちろん、スネ夫の髪型の造形ぶりである。シンプルな三つ叉タイプだったが、ポーズが謎。

  
L: ドラえもんの散歩道。  C: いつもの面々がお出迎え。  R: 問題のスネ夫。変にアクロバットなポーズが気になる。

非常にいいペースで動けていて、どうやら10時までに射水神社のある高岡古城公園まで往復できそう。
早足で移動しつつ、公園手前の高岡大仏に寄る。前にも参拝したが(→2010.8.24)、御守はまだなので頂戴する。

  
L: 高岡大仏のある大佛寺の境内。  C: お堂と並ぶ高岡大仏。妙にバランスいいなあ。  R: 高岡大仏。

そのまままっすぐ行って射水神社に参拝。北陸一宮御守頂戴ツアー(→2014.12.27)以来、5年ぶりである。
高岡古城公園に遷座したのが1875(明治8)年、高岡大火の後に社殿が再建されたのが1902(明治35)年で、
やはり雰囲気は一宮というよりも明治になってから藩祖を祀った神社という感じで、新しさと威厳の両方がある。
御守をチェックすると大和経由で戻るが、入口のガラスに貼られていた「閉店セール」の文字にショックを受ける。
2週間後の25日に閉店するそうで、地方都市の中心市街地の弱体化が止まらない。世の中、どんどん寂しくなる。

  
L: 射水神社拝殿。神明造でいかにも明治の威厳である。  C: 本殿を覗き込む。  R: 76年の歴史を閉じる大和高岡店。

ウイングウイング高岡に戻ってレンタサイクルの申し込み。今日の午前中はこれで大いに走りまわるのである。
まず目指すのは、射水神社がもともと鎮座していた地にある二上射水神社。位置としては高岡古城公園からまっすぐ北、
小矢部川の対岸にある山麓だ。なお、二上射水神社は厳密には、射水神社から独立した別の神社となっている。
方角は北だが、小矢部川を渡るのが少々面倒くさく、レンタサイクルを20分ほどかっ飛ばして到着する。

  
L: 二上射水神社。社号標には「越中總社射水神社」とある。越中国の総社がどこにあったかは厳密にはよくわからないみたい。
C: 境内の様子。山に向かって細長く入り込んでいく形状。  R: 参道を行く。往時の繁栄ぶりはあまり感じられない静けさだ。

  
L: 参道東側の養老寺慈尊院。養老寺はもともと射水神社の別当寺で、神仏習合の名残を感じさせる。
C: 境内西にある二上資料館(左)と築山の入る建物(右)。築山は神事で使われる祭壇で、県の文化財。

  
L: 二上射水神社の拝殿。  C: 角度を変えて眺める。軒下の組物が美しい。  R: 本殿は覆屋の中。

射水神社が高岡古城公園に遷座する際、二上村民は猛烈に反対したというが、今の二上射水神社は無人で静か。
御朱印は古城公園の射水神社で頂戴できる、という貼り紙があるだけなのであった。わざわざ来てそれは少々淋しい。
まあでもせっかくの一宮、前から旧鎮座地を訪れたいと思っていたので、これで願いが叶ったのはうれしい。

 富山大学高岡キャンパス。芸術文化学部(旧高岡短期大学)なのでそれっぽい。

そのまま小矢部川の左岸を富山湾方向へと進んでいく。そこは5年前にも訪れた伏木(→2014.12.27)なのだ。
5年前には雪と時間帯のせいで伏木観光が消化不良に終わったので、そのリヴェンジをしてやるのである。
まずは伏木の中心的存在である勝興寺を再訪問。国指定重要文化財がゴロゴロしており、鼻息荒く境内に入るが、
大規模な復元保存修理工事の真っ最中。1998年からやっているそうで、来年にすべての工事が完了するとのこと。

  
L: 勝興寺は20年にわたる修理工事が終わろうというところ。これは最後に残った総門。1840(天保11)年建立だと。
C: 1769(明和6)年建立の唐門。修復工事で檜皮葺きに復元された。  R: 1795(寛政7)年建立の本堂。見事である。

勝興寺は1471(文明3)年に蓮如が創建した土山御坊を起源とする。移転を繰り返しつつも戦国時代には、
昨日訪れた井波の瑞泉寺(→2019.8.10)とともに越中一向一揆の中心として暴れまくった。現在地に移ったのは、
佐々成政の寄進による。江戸時代に入ると前田家の庇護を受け、後に重要文化財となる建物が整備されていった。
おそらく後述の北前船による繁栄もあってのことだろうが、近世の寺院建築がまとまって残っているのは圧巻だ。

  
L: 本堂の彫刻。これも井波彫刻なんだろうなあと思う。  C: 本堂の内部もすごい迫力。  R: 1805(文化2)年建立の経堂。

勝興寺の北東、伏木小学校のすぐ脇にあるのが伏木神社。伊勢神宮からの勧請で、732(天平4)年の創建とのこと。
越中国司・大伴家持も崇敬したという。1813(文化10)年、現在地に遷座した際に八幡社と合祀され、曳山祭が始まった。

  
L: 伏木神社。街から高台に入ったところに鎮座。  C: 境内はこんな感じで穏やか。  R: 拝殿。

 本殿を覗き込む。

参拝を終えると5年前には入れなかった伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)へ。1887(明治20)年に大火で焼失したが、
現在の建物はその後に元どおりに建て直したものだという。土蔵については江戸時代後期にまで遡るそうだ。

  
L: 伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)。  C: 内部はこんな感じ。  R: 中庭。周囲が回廊になっている。

調度蔵と衣装蔵の屋根の上には望楼が設けられ、港への船の出入りを見張るのに使われたという。
今はすっかり背の高い建物が増えて水平線はぎりぎり見える程度ではあるが、雰囲気はよくわかる。

  
L: 望楼へと続く階段。  C: 出口から見たところ。  R: 望楼の中はこんな感じ。

  
L: まずは主屋を眺める。  C: 北を眺める。  R: 北東方面。伏木の街並みの向こうにうっすら水平線。

見学を終えると、今度は小矢部川を渡って新湊方面へと向かう。海王丸(→2015.8.1)までは行かないが、
放生津八幡宮に参拝したい。で、射水市役所を撮影して高岡に戻ってくるという作戦である。レンタサイクル様々だ。
伏木万葉大橋を渡ると、六渡寺駅のすぐ近くに見事な建物を発見。国登録有形文化財のレリーフが貼り付いている。
牧田組本社(旧南島商行本店)で、1915(大正4)年の築。もともとは廻船業を営んだ南島商行のオフィスビルである。
これを土木系建設業の牧田組が買い取って大切に使っている。なるほど、それで建物が生きている感触なのだ。

  
L: 牧田組本社(旧南島商行本店)。伏木港の近代化の証人とのこと。  C: 正面から見る。  R: 南側から。

富山湾に注ぐ庄川を渡るとひたすら東へ。道がまっすぐになっておらず微妙に曲がっているところに歴史を感じる。
そうして放生津内川を渡ると放生津八幡宮。周囲はだいぶ埋め立てが進んでいるが、境内の土と松は昔ながらだろう。

  
L: 放生津八幡宮。横参道で、西から入る。  C: 参道は途中で左に曲がり、北へと向かう。  R: 進んで拝殿。

周辺の地名はもともとは放生津(ほうじょうづ)だが、現在は「ほうしょうづ」と濁らないで読むみたい。
放生津八幡宮は古来の濁る読み方で、こちらで行われる放生会にちなんで地名が付いた。放生会の元祖は宇佐神宮で、
大伴家持が勧請して746(天平18)年に創建されている。越中における大伴家持の存在感は絶大だとあらためて感じる。

  
L: 角度を変えて拝殿を眺める。  C: 本殿。  R: 本殿から右へと視線を移すと石碑がいっぱい。

御守を頂戴すると国道415号、そして472号とひたすら南下して国道8号よりさらに南へ。北陸新幹線にぶつかる直前、
西へと右折したところにあるのが射水市役所。2016年の竣工で、プロポーザルによって佐藤総合計画が設計者に選ばれた。
なお、射水市は新湊市・小杉町・大門町・大島町・下村の合併により2005年に誕生し、郡名が新たな市の名となった。

  
L: 射水市役所。まずは北東から見た遠景。周囲は田んぼしかないので国道472号から見てもけっこう目立っている。
C: 近づいてみる。  R: 駐車場の脇から見上げる。同じ佐藤総合計画の岩国市役所タイプ(→2013.2.25)ですな。

  
L: 北寄りの東から見たところ。  C: 南寄りの東から見たところ。  R: 南東の交差点越しに眺める。

  
L: 南西にまわり込む。大島中央公園が隣接している。  C: 西から眺める。  R: 北西から。いちおう一周完了だ。

撮影を終えて庄川の左岸に戻ると高岡の市街地へ。しかしせっかくなので、御守頂戴ということで瑞龍寺へ。
訪れるのは9年ぶりとなるのか(→2010.8.24)。相変わらずの見事な禅寺伽藍ぶりで、ただただ圧倒された。

  
L: 9年前とあまり変わらない写真だが貼る。1820(文政3)年築の山門。  C: 仏殿。  R: クローズアップなのだ。

  
L: 仏殿を振り返って眺める。  C: 奥の法堂。  R: 禅堂の入口。「坐禅」の文字が只管打坐な曹洞宗らしい。

素早くレンタサイクルを返却すると、高岡を後にして富山へ。富山市内もレンタサイクルで走りまわるのだが、
街中にいっぱいある貸し出しステーションに自転車が置いてあり、借りた時間に応じて課金されていくタイプ。
1回の利用が30分以内なら1日パスで何度でも利用できるのだが、30分ごとに自転車を乗り換えるとかアホか。
かえって圧倒的に高くつくパターンで、僕にとっては以前と比べて改悪でしかない。ゲンナリしつつも渋々借りる。

 富山駅前でスカイバス(→2012.11.3)を見かけた。富山でも走っているんだねえ。

駅の北側へと抜けると、まずは環水公園へ。こちらのスタバは「世界一美しいスタバ」だと聞いたので見てみるのだ。
神通川方面からまわり込んだので振り返る形になるが、なるほど環水公園じたいがとってもオサレな空間である。
で、その水辺にたたずむスタバは……うーん、ミニマルなホットサンドみたいな感じ。まあいいと思いますけどね。
(個人的には横山隆一おしゃれスタバ(→2010.11.192010.12.112018.9.142018.11.10)が大好きだから推したい。)

  
L: 環水公園。富山駅方面を振り返った構図。  C: 環水公園の「世界一美しいスタバ」。  R: 少し角度を変えてみる。

 
L: さらに進んで側面。  R: アイスコーヒーでも買おうかと思ったが激混みなのでやめた。

ではいざ富山市内の気になる神社めぐりを開始なのだ。まずは線路の南側に戻って越中稲荷神社から。
701(大宝元)年に佐伯有頼(→2015.8.1)が立山権現の神勅を受けて創建したという。いかにも越中らしい話だ。
その後、1659(万治2)年に前田利次が現在地に遷座。それにより周辺に「稲荷町」の地名が付いたとのこと。
個人的には境内が道路でぶった切られているのが非常に興味深い。まるで流鏑馬の馬場を思わせる豪快さなのだが。

  
L: 越中稲荷神社。ここから参道が南に向かって延びる。  C: 進んでいくと拝殿だが……  R: 手前を道が横切っているのだ。

 越中稲荷神社の本殿。

県道316号で一気に東へ。地鉄を越えたところにある丁字路を右へ曲がると、新川(にいかわ)神社である。
「新川」とはかつて越中国の東半分を指す郡名だったそうで、新川神社の祭神・大新川命に由来するとのこと。
神紋は「違い鷹の羽」で、立山・雄山神社(→2015.8.12015.8.2)と同じである。やはり、越中らしいと思う。
常願寺川の洪水によって1616(元和2)年に現在地に遷座。道路から分岐する参道が確かな歴史を思わせる。

  
L: 新川神社。もともとは高台だったが、1858(安政5)年の大地震の後、洪水の影響で周囲が埋まり平地になったそうだ。
C: 参道。たいへんまっすぐである。  R: そのまま進んで拝殿。御守の種類がけっこう豊富で、やる気のある神社だ。

 新川神社の本殿。

西へ戻ると於保多(おおた)神社に参拝する。こちらは前田家が自らの祖先としている菅原道真を祀る神社で、
富山藩の初代藩主・前田利次、2代藩主・正甫、10代藩主・利保も祀っている。「柳町天満宮」という名称もあるようだ。

  
L: 於保多神社の境内入口。  C: 進んでいって拝殿。社務所は拝殿内の向かって左側。  R: 本殿。

テンポよく御守を頂戴して中心市街地である総曲輪の周辺に入ると、なんだか異様に目立つ建物が現れた。
「TOYAMAキラリ」というそうで、富山市立図書館、富山市ガラス美術館、富山第一銀行本店などが入る複合施設だ。
僕の記憶ではここにはモダンな富山大和があったはずだが(→2006.11.2)、えらく大胆な姿に変わってしまった。
アール・アイ・エーと隈研吾建築都市設計事務所と三四五建築研究所のJVの設計で、オープンしたのは2015年のこと。
ファサードにパネルを複雑に貼り付けているので斬新な印象だが、表面を一皮むけばフツーの建物って感じである。
疲れていて面倒くさくって中には入っていないのだが、外から見る限り、富山大和からはダウングレードした印象だ。

 
L: 北東から交差点越しに見たTOYAMAキラリ。  R: 北西から。裏側はすっぴんなのね。

変貌ぶりに少々戸惑いながらも本日最後の目的地へ。富山市を代表する神社である富山山王こと日枝神社だ。
歴史は古いが戦火に巻き込まれて転々としたそうで、信長の命により富山に入った佐々成政が篤く崇敬し、
前田利長が現在地に遷座したことで富山の総産土神という位置付けとなった。現在は別表神社となっている。
御守を頂戴したが、神紋が桜であまり日吉っぽさを感じないと言ったら失礼か。しかし祭神はきちんとしていて、
日吉大社(→2010.1.92014.12.13)の東本宮に祀られる大山咋神と西本宮の大己貴神が主祭神となっている。

  
L: 日枝神社の入口。社号標にはわざわざ「神社本廳 別表神社」とある。  C: 参道は長い。まっすぐ進んで右に曲がる。
R: 境内社の麄香(あらか)神社。工匠の神様である手置帆負神(たおきほういのかみ)と彦狭知神(ひこさしりのかみ)を祀る。

  
L: 拝殿。でも「夏まつり」の提灯が邪魔。  C: 角度を変えてあらためて眺める。  R: 本殿はよく見えない。

これにて本日のタスクは終了である。今日もよく動いた一日だった。晩メシは大喜の富山ブラック(→2006.11.2)だ。
肉体労働者の塩分補給で生まれた歴史があり、白飯とセットいただくのが本来のスタイル。なので今回は白飯も注文し、
ちゃんと「おかず」として富山ブラックをいただいた。そうやって食べると、スープの味の濃さが絶妙なバランスとなる。

 ラーメン単体で食べるのではなく、おかずとして食べるのが正しいと実感。

全力で富山県を堪能しているが、明日も富山県内で暴れる予定である。ひとつの県をじっくり満喫する旅は楽しい。


2019.8.10 (Sat.)

郊外のネットカフェで一夜を過ごし、そのまま郊外の牛丼屋で朝メシを食らう。いやこれはなんとも便利なものである。
変に中心市街地に宿泊するよりも利便性は高いかもしれない。少し歩いて、南富山駅前電停から路面電車で富山駅へ。

 朝の国道41号線。富山駅からまっすぐ南下した位置だが、見事な郊外社会っぷり。

というわけで、今年の夏の帰省は富山経由である。13年前、初めて富山を訪れたときにはログに「もしかしたら、
もう二度と来る機会がないかもしれない街」なんて書いている(→2006.11.2)。しょっちゅう来ているっつーのよ。
まあ結局は越中国に一宮が4つあるという事情が大きかったのだが。で、今回は富山県内の市役所めぐりが主目的だ。
高岡に移動してから城端線で福野へ。まずは南砺市役所を目指すのだ。5年前には福光庁舎(→2014.12.28)を訪れたが、
福野庁舎はまだなのできちんと撮影しておくのだ。駅から近いのは助かるが、分庁舎制は本当に面倒くさくてたまらん。

 福野駅。5年前にはここから片道40分かけて雪の中を高瀬神社まで歩いたなあ……。

福野駅から西へ歩くと、すぐに南砺市役所福野庁舎。1965年の竣工ということで、これは東側の3階建てだろう。
西側には議会と思われる建物がくっついている。合併で市制施行して15年になるが、昔からこんな感じなのだろう。

  
L: 交差点越しに眺める南砺市役所福野庁舎。福野の中心部からは少しはずれた位置にあるのでのんびりしている。
C: 西から見たところ。  R: 敷地内に入って眺める。典型的な3階建ての昭和40年代町役場という感じ。

  
L: 西側の建物。議会でしょうなあ。  C: 県道20号を挟んで眺める。  R: 西から見たところ。

  
L: 南西から。  C: 南の駐車場から見た側面。  R: 南東へとまわり込む。

  
L: 東から見た背面。  C: 北東から見たところ。  R: 北から見た側面。これにて一周完了。

 駐車場の石柱にはなぜかリスの像が。かわいいけど。

のんびりと撮影を終えると駅前に戻り、バスに乗り込む。目指すは井波である。10分足らずで到着するが、
5年前に散居村の雪景色の中を延々と歩いたことを考えると夢のような便利さだ。というか、われながらよう歩いたな。
かつては石動駅から福野駅を通って加越能鉄道加越線が庄川町まで走っていたが、1972年に廃止されている。
1934年竣工の旧井波駅舎が今もバスの待合室として残っており、まずはその見事な姿に圧倒されてのスタートである。

  
L: 旧井波駅舎。地元の宮大工・松井角平の設計・施工で、国登録有形文化財となっている。
C: 正面から見たところ。厳密には駅がもともとあった位置から東に移っており、その際に改修されている。
R: 東から眺める。建物は現在、井波物産展示館という名称が正式な模様。でも中は本当に待合室。

  
L: 北東から見た背面。  C: 線路の跡は歩道というかサイクリングロードというか。  R: あらためて背面。

  
L: 北西から眺める。  C: 中はこんな感じ。折上格天井にしているのがわかる。  R: 電話ボックスの井波彫刻。

では本格的に井波の街を歩きまわるのだ。旧井波駅舎は庄川扇状地の散居村地帯と市街地のだいたい境界にあり、
山に向かって南にじっくりと坂道を上っていく。そうして市街地の南端、最も高いところにあるのが井波別院瑞泉寺だ。
一向一揆というと加賀国が有名だが、越中国もなかなかのもので、その中心となっていたのが瑞泉寺なのである。
最終的には上杉謙信に平定されるが、門前町としての雰囲気は今も非常に強く残っている。特に象徴的なのが彫刻で、
メインストリートに沿って彫刻師の工房が何軒も点在し、実際に作業しているところを見学できるようになっている。

  
L: 井波の街並み。3日後のログでも書くと思うが、越中における浄土真宗の門前町は、坂を利用した市街地が特徴的だ。
C: 橋の欄干に井波彫刻。  R: 井波別院瑞泉寺に近くなると、勾配が少し強くなり門前町としての雰囲気が濃くなる。

  
L,C,R: こんな感じで井波彫刻の職人の工房が多数点在している。あまりに多くて食えるのか心配になるくらいだ。

  
L: 井波美術館。1924年に中越銀行井波支店として竣工、後に北陸銀行井波支店となる。  C,R: 古い建物がしっかり健在。

  
L,C,R: 正式名称がわからんが、なんかパタパタして文字が替わるやつ。

いざ井波に来てみると、しっかり観光地なのであった。市役所と一宮を中心に動いて、今までここをスルーしていたとは。
無知とは恥ずかしいものである。平成の大合併で特色ある町がリセットされたのは、やはり困った面が大きいと思う。

 池波正太郎ふれあい館。父方の先祖が井波出身の宮大工だったそうだ。

最後の八日町通りを上りきると井波別院瑞泉寺である。「高岡門」というそうだが、石垣でしっかり守られており、
かつての一向一揆の影響を思わせる。石段と大門がわずかに食い違いの位置関係となっており、武家屋敷みたいだ。

  
L: 井波別院瑞泉寺。八日町通りに面する高岡門は、ご覧のとおり石垣で囲まれている。  C: 石段を上って大門を見たところ。
R: あらためて大門を正面から眺める。
京都の大工の仕事を井波の職人が引き継ぎ、1809(文化6)年ごろに完成したそうだ。

井波別院瑞泉寺の創建は1390(明徳元)年。しかし何度も焼失を繰り返し、そのたび再建されてきた歴史がある。
1774(安永3)年に再建された際には京都の本願寺から前川三四郎が派遣され、井波の大工に彫刻の技法を教えた。
これが井波彫刻の起源というわけ。明治になって住宅の欄間の彫刻を手がけるようになり、拡大していったという。

  
L: 太子堂から見た大門。赤い瓦が独特である。富山県指定の有形文化財だそうだが、確かに見事である。
C: 東側の太子堂。大工134人が7年がかりで1918(大正7)年に再建。  R: 太子堂から見た本堂の側面。

現在の本堂は1885(明治18)年の再建。北陸地方の真宗木造建築の寺院としては最も大きいとのこと。
確かに自慢の井波彫刻がしっかり施されているものの、あくまでポイントを絞ってやっている印象である。
やろうと思えばもっととんでもない密度で彫刻だらけの建物にできるんだろうけど、あえてそれをしていない感じだ。
名より実をとる浄土真宗らしく、シンプルでデカい堂宇を基調にして、彫刻はあくまで部分的なものに抑えている。

  
L: 本堂にて。  C: 彫刻をクローズアップ。  R: 正面から見た本堂。非常に浄土真宗らしい建物であると思う。

井波別院瑞泉寺を出て東へ行くと、井波城址に鎮座する井波八幡宮である。無人だったが御守があり、頂戴しておく。
その境内北側は松島古城公園となっており、脇には松島八幡宮が鎮座する。いちおうお参りするが、こちらは御守なし。

  
L: 井波八幡宮へ向かう参道。  C: 木々に包まれた中を行く。  R: 井波八幡宮の拝殿。彫刻は特にすごくはなかった。

  
L: 井波八幡宮の本殿を覗き込む。  C: こちらは松島八幡宮の入口。  R: 松島八幡宮。なぜ松島って地名なのか。

参拝を終えると井波交通広場まで戻ってくる。レンタサイクルを借りて、ちょっと遠めのエリアに足を延ばすのだ。
と、その前に「日本一美味しい」かき氷の看板を見かけたので、そりゃいただかなくちゃ、ということで頂戴する。
暑くて一瞬で食っちゃったのもあるけど、日本一美味しいかを判別できるほど当方の味覚は鋭敏ではございませんで。

 日本一美味しいというかき氷(天然山ぶどう)。うまかったけどね。

ではいざ後半戦なのだ。坂を北西方向へと下っていって、散居村エリアへと入る。田んぼが続いて実にのどかだ。
航空写真だと非常に独特な散居村も、自転車で走っているとよくある穏やかな田園風景にしか見えない。
それでもやはり、山に守られて広大な平野がまったく変化を感じさせず続いているのは、よく考えれば特殊である。

 砺波平野の散居村。家の周囲は木々で守っている。

そんなこんなで高瀬神社に到着。5年前に徒歩で来て以来なのだ(→2014.12.28)。井波からチャリだと本当に快適。
周囲の散居村の影響もあってか、木々に包まれてはいるものの、高瀬神社の境内はどこか開放的な感触がある。

  
L: 高瀬神社前の大門川に架かる一宮橋。散居村のど真ん中に鎮座する、よく考えると個性派の神社である。
C: 境内入口。  R: 鳥居をくぐって境内。平野の中の神社なので高低差がぜんぜんなく、木々のない参道は開放的。

  
L: 参道を進んでいく。  C: 拝殿。  R: 唐破風の彫刻をクローズアップ。まあ井波彫刻なんでしょうなあ。

  
L: 本殿を覗き込む。こちらに特に彫刻は施されてはいない。  C: 防災用ホイッスル型お守とな。この発想はなかった。
R: いちおう、境内北側の裏参道も撮影しておく。前回参拝時は本当に寒くて大変だったなあ。しみじみ思い出す。

あらためてしっかり御守を頂戴すると、来た道を戻ってそのまま井波の中心部を東へ抜けてしまう。
少し坂を上ったところにあるのは、いなみ木彫りの里創遊館である。奥には井波彫刻総合会館があるのだ。
現役の彫刻師たちの作品が展示・販売されている施設で、現在進行形の井波彫刻を見学できるというわけだ。
彫刻ということで、置かれている作品はどれも芸術性にこだわっているのが印象的。「工芸」というと、
道具としての用途がまずあってデザインが付随するわけだが、井波彫刻はその点、デザインに留まろうとしない。
僕は詳しい事情はわからないが、芸術性を伝統として継承していけるんなら、すばらしいんじゃないでしょうか。

  
L: 井波彫刻総合会館。  C: 壁面には世界最大だという井波彫刻の欄間が貼り付けてある。  R: 中庭にカラフルな獅子。

  
L: 実演コーナーにて。後ろの壁には欄間を彫る段階が示されている。  C: 工房が並ぶ一角。  R: こんな顔ハメが。

さて、いなみ木彫りの里創遊館の一角には「オリンピックおじさん展示場」がある。おじさんは井波の出身だったのだ。
残念ながら今年3月に92歳で亡くなってしまったが、実業家として成功したヴァイタリティをそのまま情熱として傾け、
オリンピックにすべてを捧げていたのがわかる展示にはさすがに圧倒された。狂える対象があるって素敵なことですよ。

  
L: オリンピックおじさん展示場。  C: これも一芸を極めるってことですからね、すごい。  R: 記念メダルもたくさん。

レンタサイクルを返却すると、旧井波駅舎方面へ。途中でちょろっと南砺市井波市民センターに寄ってみる。
かつて井波町役場だった建物だ。1970年代くらいの典型的な町役場建築だが、なかなか端正な印象でよろしい。

  
L,C,R: 南砺市井波市民センター(旧井波町役場)。昭和の町役場感がたまりませんなあ。

井波を後にすると、バスでそのまま砺波市役所前まで行ってしまう。城端線の砺波駅からは少し距離があるので、
バスで直に砺波市役所まで行けるのはたいへんありがたい。なんだかんだでさすがに井波は他の街とつながっているのだ。

国道156号線を北上すること30分ほどで砺波市役所前のバス停に到着。砺波市役所を訪問するのは7年ぶり2回目だが、
その7年前にはデジカメのバッテリー残量不足と雪に苦しみながらどうにかこうにかの撮影だった(→2012.3.26)。
今回はそのリヴェンジということで、複雑な砺波市役所をできるだけきっちりと撮ってまわるのだ。いざ勝負!

  
L: 国道156号を挟んで西から眺める砺波市役所。右が平屋棟で左が本館。どちらも1964年に竣工している。
C: まずはそのまま本館に近づいたところ。  R: 南の方に移動してほぼ同じ角度から平屋棟メインで。

  
L: そのままいったん敷地の外に出て南から眺める。  C: 敷地内、平屋棟のエントランス。  R: 南東から。

砺波市役所は砺波駅から北東1.5km弱、国道と城端線に囲まれたところに位置している。敷地には余裕があり、
1964年の竣工当時から郊外型の庁舎を志向していた先進的な事例だ。ただ、現在は敷地内に6棟という分散ぶりであり、
いちばん新しい増築棟でも1994年の竣工なので、近いうちにまとめて建て替えとなりそうな感じがする。

  
L: そのまま南東へ行くと1994年竣工の増築棟。  C: 裏には本館。  R: 本館の東側側面。右は1976年竣工の2号別館。

  
L: 北東から見た本館。  C: 北から見た本館。  R: 本館の中を覗き込んだところ。しっかり改修してあるなあ。

これで7年前の借りをしっかりと返すことができた。すっきりした気分で砺波市役所を後にすると、
城端線沿いに1kmほど歩いて油田駅へ。なかなか夢のある地名だが(かつては油田村)、「あぶらでん」と読む。
そうして高岡まで戻り、氷見線に乗り換える。本日の後半戦は氷見市が舞台なのだ。気づけば9年ぶり(→2010.8.24)。

  
L: 氷見駅。駅舎じたいは変わっていないが、瓦屋根が周囲に架かって印象がだいぶ変わった。  C: 9年ぶりの最果て。
R: 氷見の市街地を行く。こちらはぜんぜん変わっておりませんな。左の方ではやっぱりハットリくんたちが健在である。

駅の観光協会でレンタサイクルを借りて、いざ行動開始。まずは駅から近い伊勢玉神社の参拝である。
大伴家持が社殿を造営して氷見の総鎮守ということになっているそうだ。緑の勢いが激しい神社なのであった。

  
L: 伊勢玉神社。周囲は住宅が多いが、ここだけ緑がすごい勢い。  C: 拝殿。  R: 本殿は覆われている。

無事に御守を頂戴すると、本格的に氷見の市街地を動きまわる。印象は9年前と変わらないが、氷見の街もなかなか特徴的。
基本は海岸線に沿った漁師町だが、湊川に囲まれた右岸はきれいに碁盤目に都市化しており、それが1kmほど続いている。
調べてみたら1938年に氷見町大火が発生しており、その影響でどこか平板な住宅地が続く市街地となっているわけだ。
湊川より北側まで来るとようやく前近代的な曲がり方が現れて、火災のダメージの大きさが今でもうかがえる。

  
L: 祇園宮日吉神社。境内が市街地の駐車場となっている。御守はナシ。  C: 前回なぜか撮り忘れていた獅子丸だワン。
R: ポケットパークのブリ蛇口周辺は『プロゴルファー猿』仕様で大きく変化していたのであった。こりゃすごいな。

湊川左岸の中心部に鎮座するのは日宮(ひのみや)神社。氷見はもともと富山湾の日の出を見られる場所ということで、
「日見」という地名になったという(狼煙の火を見るので「火見」、雪の立山連峰を見るので「氷見」など諸説あり)。
日宮神社がそれなりに規模の大きい神社として今も鎮座しているのを考えると、「日見」説もなかなか説得力がありそう。

  
L: 湊川を越えて日宮神社。  C: 拝殿。  R: 本殿。独立していて面白い。

神社を押さえたので次は市役所である。氷見市役所は9年前にも訪れたが、老朽化によって2014年に移転した。
この移転先が、閉校した富山県立有磯高等学校なのである。つまり、高校の体育館と校舎を改修して市役所にしたのだ。
高校の校舎を市役所に転用する事例は山梨県の北杜市役所で見ているが(→2015.12.26)、こちらは体育館が主体。
市街地からは西へ1kmちょっとだが、駅からだと直角二等辺三角形な位置となるので、それなりに遠い感じがする。
海から離れて郊外社会を突っ走ると、なるほど学校の匂いが残る建物が現れた。周囲はゆっくり開発が進んでいる。

  
L: 氷見市役所(旧富山県立有磯高等学校)。2つの体育館を改修してつなげている。左手は旧校舎のC棟。
C: 木々が植えられて整備されている一角。  R: 北から少し距離をとって全体を眺めたところ。役所感は薄め。

  
L: 敷地内に入り旧校舎のC棟を眺める。  C: 旧第二体育館のB棟。  R: 旧第一体育館のA棟。

  
L: エントランス。  C: 中を覗き込む。土曜日に来たのはちょっと失敗だったなあ。  R: 旧記念会館のG棟。

  
L: 北西から見たA棟・B棟。  C: A棟の側面。左奥がC棟。  R: 裏にまわり込んで背面を眺める。左がA棟、右がB棟。

  
L: グラウンドはそのままになっている。自由に遊べるのかな? 脇には有磯高校のテントが置いてあった。
C: 屋内健康広場。いやこれ野球部の屋内練習場そのまんま。  R: 南から見たB棟の背面。

  
L: B棟の脇から見たC棟の背面。校舎ですな。  C: C棟の脇からB棟を振り返ったところ。  R: 北東から見たC棟の背面。

外から見た限りではなんともわからない、というのが正直なところ。きちんと平日に来て内部空間を体験しないと。
グラウンドにテニスコート、屋内練習場はそのままなので、新たな市役所像としてのポテンシャルは大いに感じる。
しかしこうして冷静に学校建築の特徴ということを考えてみると、体育施設という機能の重要性をあらためて実感する。

これでいちおう氷見市の徘徊は終了である。港の方に戻るとさらに北上して、上庄川の左岸エリアへと入る。
この辺りは比美乃江公園として整備されているほか、道の駅氷見「ひみ番屋街」として人気の観光地となっている。
9年前にはなかったので、かなり新鮮。「きときとしてんなあ」なんて思いつつのんびり過ごすのであった。

  
L: 比美乃江公園の展望台から北の方を眺める。この先に七尾、そして能登半島があるんだなあ。
C: 沖に浮かんでいる唐島。実はこちら、藤子不二雄Ⓐ先生の生家である光禅寺(→2010.8.24)の飛地境内。
R: 南を見れば、比美乃江大橋。2000年にできたそうだが、わざわざつくったんだなあ。今はいいランドマークに。

  
L: 道の駅氷見「ひみ番屋街」。  C: 中はこんな感じ。やはり海産物が充実。  R: 氷見うどんがおいしゅうございました。

道の駅の敷地北端には総湯という日帰り入浴施設があるのでもちろん突撃。思っていたよりもずっといいお湯で、
人工だが高濃度炭酸泉もよろしゅうございました。運よく混雑する直前のタイミングで出ることができたが、
かなり人気なのも頷ける。幸せな気分で駅まで戻り、本日の宿がある高岡へ。初日から富山のポテンシャルにメロメロ。


2019.8.9 (Fri.)

部活が終わったら健康診断、そのまま昼の便で富山へ移動する。終点の駅まで行かずに郊外で下車し、ネットカフェへ。
こうして帰省の旅行が始まったわけだが、実に効率的なスタートだと自分でも感心しております。動きまわるぞー!

甲子園、今年の長野県は飯山高校が初出場。いったい何があったんだ!? いや、夢のある話でたいへん面白いけど。
しかしながら初戦の相手が仙台育英というのがもうなんというか長野県。そして20-1というスコアで散ったのであった。
ちゃんと1点取ったんだからええやんけ。学生の本分は勉学じゃ。地元を大いに盛り上げて言うことなしだろう。
もちろん強豪校の鎬の削りあいも見ていて面白いのだが、飯山高校のがんばりのような要素もあるからいいのである。
飯山高校は本当にお疲れ様でした。長野県の県立高校たちよ、後に続け。


2019.8.8 (Thu.)

二次試験なのであった。みなさんの模擬授業をいろいろ楽しめたのはよかった。他人の授業ほど楽しいものはない。
面接もにこやかな感じでできたのではないかと。こういう場面で自分を客観視して反応できる人はすごいと思う。
僕の場合は相手との感覚をすり合わせるだけで終わってしまうので、本当に面接が苦手なのだ。どうにかなるといいが。


2019.8.7 (Wed.)

前日ということで指導案の最終調整。きちんと全力が出せるといいなと思う。


2019.8.6 (Tue.)

二次試験に向けて各種の準備を仕上げにかかる。あらためて模擬授業用の画像集めをやるが、これが意外と大変なのだ。
インターネットがこれだけ発達しても、思いどおりの画像が転がっているとは限らない。凝りだすとキリがない。


2019.8.5 (Mon.)

これはあくまで僕の好みの問題で、別に人様の価値観について噛み付くつもりはないのだが、モヤモヤすることがある。

漢字の読みの一文字だけ使う名前にモヤモヤしております。具体的な例をあげると怒られそうなのでとりあえず、
「山」という字を使うとすると、「やま」ではなく「や」とだけ読むとか、「さん」ではなく「さ」とだけ読むとか、
そういう恣意的な読みの荒技にモヤモヤしております。お前、読まれない方の音を軽んじているんか、と。
付けたい名前の音があって、当て字をする。それが自然なら気にならないが、本来の漢字の読みを無理やりに曲げて、
読みたい音だけ読んで済ませるというのは、これは僕には漢字に対する冒涜に思えてしまうのだ。教養を感じない。
いや、僕が勝手に教養を感じていないだけなので、該当する方は気にしないでいただきたい。でもモヤモヤはする。


2019.8.4 (Sun.)

今日も今日とて青春18きっぷで日帰りの旅である。本日は甲斐国一宮から四宮と総社までをサイクリングで訪れる。
9時前に甲府に到着すると、北口のホテルでレンタサイクルの手続き。甲府盆地を走りたおしてやるのだ。
まずはそのまま扇状地を北上して武田神社へ。もう何度も来ているなあ(→2005.9.242012.5.62015.12.26)。

  
L: 武田神社。相変わらず観光客で賑わっているなあ。  C: 拝殿。  R: 奥の本殿を覗き込むがやはり中門までしか見えない。

坂を下りきらずに東へ行って甲斐善光寺。こちらも以前参拝しているが、無視することはできないのだ。
本家同様、お戒壇廻りできるのが偉い。時間の都合でしなかったが、いずれこちらでも挑戦してみたいものだ。

 
L: やっぱり立派な山門。  R: 本堂。きちんと善光寺スタイル(→2014.10.19)で規模が大きいのが偉い。

南へ抜けて酒折の辺りは山梨学院大学関連の施設が集まっており、その規模の大きさに驚きつつ玉諸神社へ。
玉諸神社は甲斐国三宮なのだ。境内はきれいに整備されているものの無人で、御守はないようだった。
これだけ立派な神社なのに無人となっているのは珍しい。不思議に思いつつ軽く散策する。

  
L: 玉諸神社の境内入口。  C: 参道脇の神楽殿。立派である。  R: 神社の関連資料が展示されている。

 
L: 拝殿。2004年の造営。  R: 本殿。こちらは1609(慶長14)年の築で歴史がある。

そのまま東へ進んで石和温泉駅前に出る。ちょっと見ない間に駅舎が新しくなっていて驚いた。
2015年に供用開始したそうなので、前回浅間神社を参拝して半年後にはこの姿になっていたわけだ。

 石和温泉駅。オサレである。

次の目的地は甲斐奈神社だが、これが少々ややこしい。甲斐奈神社は山梨県内に3箇所もあるのだ。
このうち2社が笛吹市に鎮座し、どちらも甲斐国総社の論社となっている。駅に近い方の春日居町の甲斐奈神社は、
甲斐国四宮でもある。まずはそちらから攻めてみる。駅からほぼまっすぐ東に1.5kmで神社に到着。たいへん静かだ。
四宮ともなればさすがにそこまで権威があるわけではないのかもしれないが、それにしてもふつうの無人の神社である。
御朱印は斜向かいのあこがれ食堂で頂戴できるそうなので行ってみるが、残念ながら御守はないとのこと。

  
L: 甲斐国四宮の甲斐奈神社。  C: 拝殿。  R: 本殿は木で遮られて見えない。でもさすがに雰囲気は立派である。

参拝を終えると南へ行って甲斐国二宮・美和神社へ。中央高速道路の南側に入って坂を上っていくと到着である。
なお美和神社は大和国一宮・大神神社(→2012.2.182019.7.15)からの勧請で、それで「みわ」という名前なのだろう。
祭神も同じ大物主命である。運よく神職さんと遭遇でき、色違いの御守をしっかり頂戴することができた。

  
L: 美和神社の境内入口。昔ながらの林といった感じの参道を抜ける。  C: 参道はけっこう長く、歴史を感じさせる。
R: 林を抜けるとこんな感じ。境内というよりは公園といった空間で、端には遊具がある。地域の広場という印象。

  
L: 進んでいってあらためて境内。真ん中にあるのは百度石なのか何なのか。  C: 拝殿。  R: 向かって左は神饌殿だろうか。

  
L: 神楽殿。渡り廊下でアプローチするのが面白い。太々神楽は山梨県無形文化財に指定されている。
C: 本殿。穴の形状は凝っているがブロック塀が残念。  R: 境内を裏の駐車場から見たところ。

お次はもうひとつの甲斐奈神社である。中央道の北側に戻って金川を渡り、国道20号まで戻る。
そうしてコンビニの駐車場を突き抜けて進むとそれがそのまま参道となる。扇状地らしい果樹園と畑の中、
背の高い木々が集まっているところが甲斐奈神社。土の匂いが非常に強い神社で、古来の信仰を感じさせる。

  
L: コンビニの駐車場を抜けて、ここから先が境内とのこと。  C: 進んでいくと古めかしい鳥居。  R: 独特な神門。

  
L: 拝殿。土と木々の境内は、ずっと昔からこんな感じの神社だったんだろうなあと思わせる。
C: 神楽殿。  R: なかなか立派な本殿。詳しいことがわからないのがとっても残念である。

こちらの甲斐奈神社も甲斐国総社の論社だが、東に一宮・浅間神社、南に甲斐国分寺・国分尼寺跡があるので、
あっちは四宮でこっちが総社でいいじゃないか、なんて思う。授与品も多く、自転車御守が特に異様な充実ぶり。

 さまざまな自転車関連の御守がある。なぜここまで自転車推しなのかは不明。

甲斐奈神社からまっすぐ東へ2km弱、一宮の浅間神社に到着である。もう3回目なのだ(→2012.8.162014.10.12)。
あらためて境内をくまなく歩きまわるが、そんなに広くないくせにいろんな要素が詰まっていて密度が濃い。

  
L: 国道20号から入って浅間神社の境内入口。  C: 鳥居をくぐって随神門。  R: あらためて境内。テントにおみくじ。

  
L: 大きなテントはお休み処となっている。ぶら下がっている桃が山梨県のアイデンティティを感じさせるなあ。
C: 横参道で左手に拝殿。1672(寛文12)年の築。  R: 参道をまっすぐ進むと神楽殿というのも珍しい。

  
L: 境内の奥には十二支の石像。  C: 富士石。くり抜いたか。  R: 本殿を横から見たところ。

5年ぶりの浅間神社だが、いつの間にか授与品が充実していて驚いた。御守はご利益別に5色になっており、
オリジナルのデザインがたいへんよろしい。ほかにも日本初だというワインの入った葡萄酒守、
トンボをデザインした勝虫守などがある。お財布的にはつらいが、こだわりがあるのはすばらしい。

 
L: 浅間神社のオリジナル御守。こだわるのはよいことです。  R: 奉献されたワイン。やはりラベルが面白い。

これで甲斐国の一宮から四宮までと総社を完全制覇なのだ。のんびり西へと戻るが、途中の石和八幡宮に参拝。
景行天皇の弟・稚城瓊入彦命(わかきにいりひこのみこと)の行宮跡につくった祠に、武田信光が鶴岡八幡宮を勧請。
織田信長の甲斐侵攻で壊滅したが、天正壬午の乱の後に徳川家康が再建。しかし2006年に火災に遭っており、
隋身門を残して焼失してしまった。現在の社殿は2009年の再建で、御守はあるみたいだが神職さん不在で頂戴できず。

  
L: 石和八幡宮。こちらも参道の真ん中に石が置いてある。  C: 唯一焼け残った隋身門。  R: 拝殿。

 本殿。

時間的な余裕があるので、汗もかいたし、せっかくなので石和温泉に浸かることにした。脇の公衆浴場は開いておらず、
駅通りの旅館で日帰り入浴させてもらうのであった。たいへんいいお湯で、もうこれだけで最高の休日である。

甲府まで戻ってレンタサイクルを返却すると、のんびりと各駅停車で下諏訪駅へ。諏訪大社の御守を頂戴するのだ。
諏訪大社はどこも同じ御守だとわかっているので(→2014.8.17)、最もアクセスが楽な下社秋宮にささっと参拝。

  
L: 諏訪大社・下社秋宮。前も書いたが、諏訪大社で最もフォトジェニック。  C: 銅鳥居。  R: 根入の杉。

  
L: 神楽殿。  C: 角度を変えて眺める。  R: さらにもう一丁。あらためて見事なものだなあと思う。

  
L: 幣拝殿。  C: 神楽殿を背に正面から見たところ。  R: もう一丁。やはり秋宮はフォトジェニックだなあ。

しっかり各種御守を頂戴し、これで本日のタスクはすべて終了。実に楽しい一日なのであった。

 境内整備事業の奉賛授与品。やべえ、ちょっと欲しい……。

各駅停車でのんびり帰る。いろんな個性ある御守を頂戴できて幸せなのだ。


2019.8.3 (Sat.)

サッカー部の人数不足は深刻であり、今日は他校と合同チームに向けて初の合同練習なのであった。
いつものメンバーだとどんなプレーが得意かわかりきっているので、対応する方もプレーが固定化されていく。
その点、相手が何をしてくるかわからないのは純粋にいい刺激になったようで。親睦も深められてよかったよかった。


2019.8.2 (Fri.)

今日は日直で一日ずっと職員室にいたのであった。予定していた仕事をこなしつつ、個人的な作業も進める。
集中して過ごすことができたおかげで、まあ着実に足元は固められたかなと思う。こういう時間を増やしていきたい。

その関連で帰りに地理の資料集を買って読んでみたのだが、やっぱり面白くってたまらない。
教科書を読み込むだけじゃダメだなあと反省。地理は情報・データの海に溺れてナンボな科目だもんなあ。


2019.8.1 (Thu.)

夏休みということで平日休みが取れる。今日は群馬へ市役所と御守の日帰り旅なのだ。平日だからグリーン車が高いぜ。

まずやってきたのは富岡市役所。昨年の冬に訪れたときには、冬の日差しにかなり苦しめられた(→2018.12.2)。
今回は中に入れる平日をわざわざ狙ってのリヴェンジなのだ。かなり気合いを入れて、あちこち撮影してまわる。

  
L: まずは上州富岡駅からアプローチする富岡市役所。相変わらず角っこの電柱が邪魔だなあ!
C: 電柱より内側から見た富岡市役所。  R: 西へと進んで車向けのロータリーからこんにちは。

  
L: 行政棟を正面から見たところ。  C: 少し角度を変えて北に寄る。  R: さらに北、敷地を出て側面を見る。

  
L: ぶら下がっている行政棟の看板。  C: エントランスには富岡市イメージキャラクターのお富ちゃん。  R: 中に入る。

  
L: エントランスを入ってすぐ左を向くとこんな感じになる。窓口はこちら。  C: 奥の方から見たエントランス。  
R: サインのデザインはこんな感じである。こういうところにこだわるのも建築の守備範囲になって久しいなあ。

  
L: 外に出て、あらためて南東側から見た行政棟。  C: 行政棟の手前から見た議会棟。  R: その議会棟の2階から見た景色。

  
L: 議会棟の2階から見た行政棟の端っこ、中庭。  C: 中庭をグラウンドレヴェルで見たところ。
R: 中庭の脇、行政棟の端っこには駐輪場。サインの付け方がずいぶんと凝っているなあと思う。

  
L: 中庭、右が行政棟で左が議会棟。そのつなぎ部分。  C: 反対側から見た中庭。左が行政棟、右が議会棟。
R: あらためて議会棟を正面から見たところ。建物はこの右へと延びていて、中庭へと続いていくのだ。

  
L: 角度を変えて北東から見た議会棟。  C: ぶら下がっている議会棟の看板。  R: 議会棟の外側は自由に歩きまわれる。

  
L: 前回も撮影したけど議会棟の2階ベランダ部。  C: その内側に入るとこんな感じ。  R: 議会棟1階に入ったところの吹抜。

  
L: 議会棟1階、中から東を向いたところ。  C: 反対に奥の方から北西を見たところ。  R: 外に出て南西から見た全体。

  
L: 行政棟の背面となる西側を行く。  C: 北西から見た行政棟。  R: 北にある駐車場から見た行政棟の側面。

  
L: 市役所の敷地南東端にある休憩スペース的なやつ。  C: クローズアップ。  R: 前回も撮ったけど中はこうなっている。

撮影した写真をじっくり見比べて整理していくうちに、そんなに大した建物じゃねえなあ、という気分になってきた。
木材を多く使っているけどその処理のせいか、なんとなく安っぽいのである。木材を使っている箇所が目を惹くのに対し、
そうでない部分は無彩色でデザイン的にも味気ない。敷地東側のオープンスペースはイヴェントを意図したのだろうが、
日常無意味ではもったいない。昨年竣工したばかりで今は高評価かもしれないが、今後どうなるか気になるところだ。

高崎に戻って両毛線に乗り換え、新前橋駅で下車する。目的地は上野国総社神社で、正式な名前は「總社神社」である。
なお、上越線には群馬総社駅があるが、新前橋駅の方が近い。なかなかの炎天下をのんびり歩いて15分、境内に到着。
参道をまっすぐいくと拝殿で、この彫刻が見事。さらに本殿は色鮮やかで、それでいて自然な色合いなのがすばらしい。
群馬というか上野国の由緒ある神社は古い社殿をそのままの美しさで残している印象がある。さすがの総社だと感心する。
(一之宮貫前神社 →2014.9.132018.12.2、榛名神社 →2016.3.30、妙義神社 →2017.9.9、上野國一社八幡宮 →2018.8.1

  
L: 上野国総社神社の境内入口。道路が境内をよけて軽くカーヴする。  C: 境内の様子。  R: 拝殿。1843(天保14)年の築。

  
L: 角度を変えて拝殿を眺める。彫刻がたいへんすごい。  C: 拝殿の彫刻を見上げる。  R: 本殿もまた見事である。

  
L: 本殿の背面。慶長年間の造営とのこと。  C: 神楽殿も面白い。  R: 九十九社。二十二社と全国一宮の祭神を祀る。

参拝を終えると戻って両毛線をさらに東へ行き、伊勢崎駅で下車。市役所は8年前に訪れているが(→2011.1.5)、
今日はそれ以外の場所にも行ってみるのだ。駅からまっすぐ南下していき、まずはいせさき明治館に寄ってみる。
もともとは黒羽根内科医院旧館だった建物で、さらに歴史をたどると今村医院として1912(明治45)年に建てられた。
現在は伊勢崎市内から収集した調度品を展示するほか、さまざまなイヴェントが開催される場所となっている。

  
L: いせさき明治館(旧黒羽根内科医院旧館・旧今村医院)。  C: 角度を変えて眺める。  R: さらに側面。

 中はこんな感じ。伊勢崎銘仙ですな。

さらに南へ行って伊勢崎神社。コンパクトな境内に木々や社殿などが集まっており、だいぶ密度が濃い印象の神社だ。
後述するが、伊勢崎の地名じたいは伊勢神宮に由来するものの、こちらの神社の旧称は飯福神社といい、関係はない。
主祭神は保食神だが、後に近くの神社を合併して祭神を合祀したのでほかにも27柱を祀る大所帯となっている。

  
L: 境内はなんだか密度が濃い。  C: 手水舎・神楽殿・撮影スタジオと建物の密度も濃い。  R: 拝殿。

まず拝殿にプロペラがあるのが面白い。さすがは群馬、中島飛行機(富士重工業→SUBARU)の社員が奉納したそうだ。
拝殿じたいは1930年の竣工で、1848(嘉永元)年築の本殿を一体化させる形で建てられている。その本殿は彫刻が見事。
特に文化財などにはなっていないようだが、ここまで密度が濃くてなおかつ均整の取れている本殿はそうそうあるまい。

  
L: 角度を変えて拝殿をもう一丁。  C: 奉納されたプロペラ。九〇式三号水上偵察機のものとのこと。  R: 本殿。美しい。

伊勢崎神社は御守も凝っている。一般的な御守も5色あるが、なんといっても特徴的なのは伊勢崎銘仙御守だ。
いかにも伊勢崎銘仙らしい派手な柄の袋に、7ジャンルの願いごとに対応した御内符を入れるスタイルである。
同じ生地でも裁断する場所で仕上がりが異なるし、毎年新しい柄も用意されるそうで、これはきりがないではないか。
ウヒウヒ言いながら僕も選んで、2つほど頂戴した。こういう地域性を生かした御守は本当にすばらしいのである。

  
L: 角度を変えて本殿を見上げる。  C: 後ろから見た本殿。彫刻に見惚れる。  R: 伊勢崎銘仙御守。

さらにずっと南へ行って、ようやく伊勢崎市役所である。8年前にその遠さは味わっているが、今回もやっぱり遠かった。
さて先ほど書いたように、「伊勢崎」の地名じたいは伊勢神宮に由来する。戦国大名・由良成繁が城を攻め落とした際、
領地の一部を伊勢神宮に寄進したことによる。その後、由良成繁は上杉についたり北条についたりを繰り返して生き残る。
むしろ妻の妙印尼の方が戦国最強の婆さんということで有名みたい(北条氏を撃退したり小田原合戦に参加したり)。
で、伊勢崎市役所である。本館の竣工は1968年で、2011年に大規模改修工事を実施(8年前のログを参照 →2011.1.5)。
西の議事堂は1979年の竣工で、こちらも同時に大規模改修工事を行っている。次に建ったのは北館で、1987年竣工。
そして本館と北館をつなぐ形で2008年に東館が建てられた。さすがにしばらく改修はなさそうな雰囲気である。

  
L: 伊勢崎市役所。冬の朝だった8年前と比べると安定した光量での撮影。  C: 少し北東から見た本館。  R: 議事堂。

  
L: 本館と議事堂を眺める。  C: 本館の背面。  R: 少し距離をとって眺める本館の背面。しかし幅があるなあ。

  
L: 南東から見たところ。手前が東館、奥が本館。  C: 北東から見たところ。左が東館で右が北館。  R: 北西から見た北館。

  
L: 中に入ってみる。ローソンが元気に営業中。  C: 奥へ行くと窓口。照明の色が違いすぎる。  R: 待合スペース。

撮影を終えると伊勢崎駅までがんばって戻る。手前のベイシアにぎょうざの満洲が入っているので迷わずランチ。
まさか群馬県で満洲の餃子を食えると思っていなかったのでたいへんありがたい。おかげでやる気を充填できた。

 伊勢崎駅。すっかりオシャレですなあ。

両毛線をさらに東へ行き、岩宿駅で下車。2006年に笠懸町・大間々町・東村が合併してみどり市が誕生しており、
分庁舎方式ではあるものの旧笠懸町役場が本庁舎となっているので行ってみるのだ。しかし「みどり市」とは。
何も考えていないか、もともと無理がある合併か、いずれかであることを身をもって示している名前である。
(笠懸町・大間々町・東村はそれぞれ別の郡に属していたうえ、桐生市が東西を挟むおかしな状況になっている。)
昔ながらの風情を残す岩宿駅から国道50号経由で15分ほど歩くと到着。1971年竣工の庁舎は味のあるモダンさだ。

  
L: みどり市役所(旧笠懸町役場)。  C: 南東から見たところ。  R: 少し角度を変える。個人的には好きなタイプの庁舎。

  
L: 東から見たところ。  C: エントランス付近。  R: 反対の北側から見たところ。

  
L: 少し距離をとり北東から眺める。  C: 北西から見た背面。  R: 南西。琉球アサガオで壁面緑化。「みどり」市だからか。

  
L: 平日なので中に入ってみる。  C: 中はすっきり見通せていい感じ。  R: 滞留スペースは階段の下。やや窮屈かな。

撮影を終えるとそのまま北東へと歩いていく。岩宿といえばなんといっても岩宿遺跡だ。実際に行ってみなければ。
途中にみどり市岩宿博物館があるが、まだこの後に桐生市に行きたいので断腸の思いで今回はスルーするのであった。

 みどり市岩宿博物館。いずれ再訪問したいものである。

そんなこんなで岩宿遺跡に到着。稲荷山の麓に位置しているが、遺跡という雰囲気はぜんぜんしない。
発見されたのは1946年なので、掘り尽くしてむしろ公園としてしっかり整備されている感触である。
いちおう道路北側のA地点に踏み込んでみるが、ただの林だった。こんなところからよく石器を発見したと思う。

  
L: 岩宿遺跡を発見した相沢忠洋の像。行商しながら個人で発掘を進め、日本に旧石器時代が存在したことを示したすごい人。
C: 岩宿遺跡A地点。しっかり整備されてどの辺からどんな具合に掘り出したのかぜんぜんわからん。  R: 奥へ入るが林。

旧石器時代とはつまり土器ができる前の話で、人々は基本的に狩猟により食料を調達していた時代である。
岩宿遺跡発見以前は「日本はいきなり縄文時代!」というのが定説だったそうだが、それを相沢忠洋がひっくり返した。
しかしながら彼は専門的な教育を受けていなかったため、無視や誹謗中傷など当初はかなりひどい扱いを受けたという。
それにもめげることなく研究を続けて正当な評価を得たことは、われわれも学ぶところが多いと思う。

  
L: 南側の岩宿遺跡B地点。こちらは史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設(岩宿ドーム)となっている。
C: 中に入るとアニメで解説。  R: 関東ローム層の赤土。こんな地層から黒曜石の石器を掘り出したのだ。

駅に戻ると両毛線で隣の桐生市へ。さっきも書いたが現在の桐生市は合併により旧市域とほぼ同面積の飛び地ができて、
東西からみどり市を挟み込む形状となっている。まあそれだけ「桐生」という街がブランド化しているということか。
6年前にも訪れているが(→2013.11.30)、あらためて市役所を撮影しておく。モダニズムのこだわりが随所にみられる。
1965年の竣工で設計は久米建築設計事務所(現・久米設計)。富士紡績桐生工場跡地に建てられたので市街地から遠い。

  
L: 北東から見た桐生市役所。右手前が議事堂。  C: 東から見たところ。モダン!  R: 少し角度を変えて南東から。

  
L: 本館。北東から見たところ。  C: 手前にある桐生市役所の碑。裏に建設に関わった会社名が彫られておりすばらしい。
R: 本館を東から眺める。桐生市役所は敷地にあまり余裕がなく、撮影する角度がけっこう限られてしまうのが惜しい。

  
L: 本館のファサード。  C: 南から見たところ。  R: 距離をとって1982年竣工の新館とともに眺める。

  
L: 本館の中に入ったところ。  C: 玄関脇にある滞留スペース。なぜ囲うのか。  R: 奥には窓口。

撮影を終えると本日最後の目的地である桐生天満宮を目指す。レンタサイクルを借りないとやってられない距離である。
駅の北口に出て県道66号を突撃。そしたら何やらお祭りの雰囲気なのであった。調べてみたら桐生祇園祭とのこと。
素戔鳴命を祀る美和神社のお祭りだが、ふだんは無人で桐生天満宮の方が規模が大きいようだ。そのまま北上。

 
L: お祭りモードの市街地。  R: 八坂神社は美和神社に合祀されたが、その八坂神社の出張所らしきものがつくられていた。

市街地の北端にあるのが桐生天満宮。参道が長く、その分だけ崇敬されてきた歴史を感じさせる境内である。
こちらは特にお祭りと関係がないようで、実に穏やか。16時前に参拝できて、無事に御守が頂戴できた。

  
L: 桐生天満宮の境内入口。  C: 参道が長い。  R: 神門(桐生門)が見えてきた。

  
L: 拝殿。1802(享和2)年の築とのこと。  C: 角度を変えて眺める。  R: 本殿。1793(寛政5)年の築。

  
L: 背面側も見事な彫刻である。さすがは群馬県指定重要文化財の風格だ。  C: 神楽殿もかなり凝っている。
R: 末社の春日社。戦国末期の天正年間から江戸初期の慶長年間に建てられたとみられ、桐生市内最古の建築とのこと。

両毛線で終点の小山まで行って、宇都宮線で帰る。平日だからグリーン車が高かったけど、大いに満足な一日である。


diary 2019.7.

diary 2019

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