diary 2022.8.

diary 2022.9.


2022.8.31 (Wed.)

ゴルバチョフ元書記長が亡くなったそうで(当方、「大統領」というより「書記長」の方がしっくりくる世代)。

西側のわれわれから見たら冷戦を軟着陸させた偉大なリーダーだが、ロシア国内で嫌われているのはまあわかる。
どうしても「ソ連を崩壊させて経済的な混乱を引き起こした張本人」と映ってしまうだろう。しょうがないと思う反面、
突如目の前に現れた「自由」に目が眩み、節度のない行動の連鎖からゴルバチョフの予想できなかった事態に至った、
そういった反省を冷静に行える人がいるのかどうか、とも思ってしまう。彼一人に責任を押し付けているだけだろと。
まあ、プーチンが絶対的な権力を握っている現状からすれば、いいスケープゴートとなっているんだろうな、とは思う。

冷戦末期、誰がリーダーでも遅かれ早かれソ連は崩壊しただろうし、場合によってはもっと壊滅的な未来だってありえた。
ロシア国民がゴルバチョフの努力の意義を理解する日が来るのかどうか。現状のプーチンを見る限り、無理そうだ。


2022.8.30 (Tue.)

新たなメガネを購入した。当方、「円くて一山でチタン!」という希望があり、その条件を満たすものを買った。
ふだんはコンタクトであるものの、その分だけ品質のいいメガネをこの先も長く使っていこうというわけである。
軽いし掛けていて気楽だし言うことなし。問題は、起き抜けに鏡を見るとそこにいるのが菊池寛で困惑する、くらい。


2022.8.29 (Mon.)

すっかり「異世界おじさん」ならぬ「世界史おじさん」であります。

高校時代に真面目に世界史を勉強しなかったツケを今になって払わされております。
知識がないから感覚がつかめず、断言ができないので、他人に教えるという行為に自信が持てない。
それでもどうにかしないと!と、がんばって読書を中心に知識を仕入れて感覚に落とし込もうとしているところ。

われわれは近代国民国家が当たり前になっているので、それ以前の絶対王政のヨーロッパが感覚的にわからない。
とりあえず、絶対王政のヨーロッパは「絶対に下克上が起きない戦国時代のようなもん」という認識でよろしいか?
ここがすっきりしないと、フランス革命&ナポレオン、反動のウィーン体制とさらにその反動のナショナリズムを、
どうしても当事者の感覚で理解できないのである。勉強すればするほど、勉強しなくちゃいけないことが増えていく。


2022.8.28 (Sun.)

久しぶりの日記の更新で申し訳ございません。数えてみたら49日ぶり。別に喪に服していたわけでもないのに。
みやもりは僕が新型コロナでぶっ倒れていたのではないかと心配してくれていたみたいだが(本当に申し訳ない)、
なんのことはない、週末を中心にあまりにも旅行をしすぎてまったく日記に手をつけられなかっただけである。
昨晩はきちんと自宅で寝たのだが、土曜日に自宅(実家は含まず)で寝たのは7月9日以来のことになる。
ゆえに日曜日の朝を自宅で迎えたのが7週間ぶりのことなのであった。アホさ加減にも程がある。
まあその分、中身の濃い旅行をしてきましたので、日記が書き上がる日を楽しみに待っていてください。
なお現在の負債状況から計算すると、3年2ヶ月後に書き上がることになります。お 楽 し み に !


2022.8.27 (Sat.)

Bunkamura ザ・ミュージアム『かこさとし展 子どもたちに伝えたかったこと』に行ってきた。
夕方なら空いているんじゃないかと淡い期待を抱いて行ったらふつうに混雑。まあさすがのかこさとし先生ってことで。

『かわ』『海』『宇宙』といったあたりの絵本を見て育った僕としては、「理系に行けなくてスイマセン」である。
ガチガチの理系精神による絵本というジャンルにおいて、開拓者にして他の追随を許さない究極の存在と言えよう。
しかしながら科学を絶対的なベースにしつつも「だるまちゃん」や「からすのパンやさん」などのキャラクターも創出。
ペンによるシンプルな線で描かれた顔なども魅力的で、実はいろんなタッチを持っている絵本作家であると再確認した。
個人的には、かみなりの国のあらゆるものにツノがついている(→2022.7.24)、あのセンスがたまらないのである。
やはり、クリエイターとして非凡なのだ。エンジニアにしてデザイナー、そしてクリエイター。それがかこさとしだ。

展覧会では絵本作家となる前に描かれた絵も展示されており、それを見るに工場の現場にいた経験も大きいと思われる。
高度経済成長期の工業都市・川崎における活動は、科学のポジティヴな使命感と共鳴して優れた絵本の下地をつくった。
またそこでかこさとしは徹底して現場の側におり、そのことが目的に関係するすべての要素を見落とさない精神、
作品においてはすべての人物や部品に平等な優しい視線を送る細部へのこだわりにつながっている気がするのである。

構図では俯瞰を得意とするところに特徴があると思う。少年時代には飛行機に憧れ航空士官を目指しており、
自らを「ヒコー少年」と表現していたそうだ。それゆえか、あらゆる対象を俯瞰で捉える能力を強く感じるのだ。
マクロとミクロの視野を自在に操り、要素として並べる。自動車の部品やからすのパンやさんの無数のパンが紙面を覆い、
人体や地球は断面図となってその機能が提示される。一枚の絵に込められた情報量の多さに、この能力への矜持が見える。
勘のいい子どもはおそらく、そこの部分に強く反応するはずだ。その能力に憧れることで、理系精神の種が発芽する。
だからかこさとしの絵本とは何よりもまず、マクロとミクロ、原因と結果を行き来する論理的思考の誘発剤なのである。
まあでもやっぱり、ガタガタ言わずに彼の絵本を読むのがいちばんだわな。

グッズでは『どろぼうがっこう』のTシャツがあって、欲しかったけどSSサイズしか残っていなかった。
残念に思いつつ絵本の売り場に行ったら、『どろぼうがっこう ぜんいんだつごく』という表紙を見かけてずっこけた。
2013年に40年ぶりの続編を出していたのであった。いや、さすがかこさとし先生。やっぱりとんでもねえお方だよ。


2022.8.26 (Fri.)

H.モーゲンソー『国際政治』。岩波文庫で上中下巻の計3冊、がんばって読みましたぞ。

非常にヴォリュームがあるのだが、それはつまり、国際政治に関係するありとあらゆる要素を拾っているから。
扱っている内容は本当に幅広い。ざっと挙げると、国力の定義づけ、外交の歴史、国際法の限界、国際組織の課題、など。
さまざまな角度から国際政治の本質とその目的としての平和の実現を論じるが、全体を貫いているのはリアリズムである。
確かにマキァヴェリやホッブズの延長線上にあるその思想は、つねに最悪の条件を想定する姿勢を徹底している。
「万人の万人に対する闘争」、このヴァーリトゥードな権力論を国際舞台にも敷衍し、安易な理想をとことん否定する。
それは楽観論を極限まで削ぎ落とすことで国際政治の本質を見抜こうとする真摯さで、ヴォリュームの厚さもその結果だ。
ゆえに日記のログで内容を要約していくことはしたくない。とりあえず印象的な部分だけ、感じたことを書き付けていく。

個人を演繹したものとしての国家観が基礎にあるため、「万人の万人に対する闘争」を国際政治に持ち込める。
面白いのは、個人のプライヴァシーと相似形をなす、国家のプライヴァシーともいえる概念が示されていることだ。
外交において秘密裏に恩を売ることが平和の維持には必要になるが、民主主義の情報公開はそれを許すことがなく、
社会心理学的ナショナリズムによる反感を焚き付けてしまう。つまりは旧来の近世ヨーロッパ外交は「talk」だが、
公開される今の外交は「speak」であるということか。外交の現実や歴史を知らない自分には新鮮な視点だった。
モーゲンソーは国力を正確に把握する謙虚さ、また国力に応じた外交の質を求める。創造的な構想力が必要とのこと。
(人口減らしといて国防が強みと自認し、経済が落ち込んでいるのに先進国を気取るどこかの政権与党はアホの極致だ。)

結論としては、モーゲンソーは国際平和の実現には、かつてあった近世ヨーロッパ外交の復権が必要であるとする。
近代主権国家由来の国民国家を過渡期の現象と捉えている感触だ。より大きな枠組みの超国家内での道州制を期待する。
しかし現状は国家が人々の帰属する最大の単位となっており、ナショナリズムをそれに支えられた幻想、と見ている感じ。
近世にはキリスト教で補強された「われらヨーロッパ」という枠が存在していたが、その夢をEC(現EU)に見ているのか、
そこに楽天的な可能性を見出だしているようだ。アジア人の僕としては、それはヨーロッパの驕りに見えてしまうのだが。
確かに、西洋文明は外交を通して権力闘争を洗練した実績を持つ。冊封/朝貢体制しか知らなかったアジアとは対照的だ。
意地の悪い言い方をすれば、国際政治学は西洋中心のモダニズムから逃れられないものなのか。それがリアリズムなのか。

読んでいて思ったのは、それって宇宙人が出てこない限りは世界政府、あるいはそれに近い枠組みは成立しないだろうと。
そうでもしないと、平和への危機に対し、人類が同一性を持った存在として客観化される機会がないからである。
で、今度は宇宙人との外交が始まると。なんだか『ムダヅモ無き改革』(→2012.6.16)みたいな話になってくる。
もしそうでない形で国家がより大きな単位に代わるとすれば、それは多国籍企業が国家の上位に君臨する時代なのか?
なかなかにディストピアであるが、すでにその時代が到来しつつあるようにも思う(→2020.4.182022.7.20)。
興味深いのは、世界世論と技術の限界論から逆説的に、インターネットの可能性を示唆するものとして読める点だ。
われわれの生活がボトムアップで世界情勢の改善とつながっているという実感が、国際協調の成功の鍵となる。
とことんリアルな力(パワー)の概念に対し、インターネットは教養を結集して国際協調を実現できるのか。

やはり現状、社会の分断やウクライナ情勢を無視してこの本を読むことはできないだろう。
モーゲンソーは帝国主義とは現状維持に反対する政策である、とする。現在のウクライナ情勢を冷静に見つめるのに、
あらためて有効な視点であるだろう。戦争が選択肢からはずれる以上、帝国主義への対抗策は粘り強い長期戦となる。
それでいて、「今日はこれくらいにしておいてやるわ」という節度と教養、腹八分目という考え方が求められる。
帝国主義が現状維持に反対する政策であるからには、それは撲滅すべき存在ではなく、転換させるべき方針なのだ。
何よりも重要なのはとにかく戦いを避けることであり、相手を自分の意思に屈させることではない(→2021.5.16)。
そのためには、国力に応じたコミュニケーションとしての外交で、不断の調整を図ることが理想となるわけだ。
これは何も国家レヴェルの話だけではない。国家の関係が個人の関係を演繹したものとして成り立っている以上、
その基礎にあたる個人間での齟齬や社会の分断についても同じ姿勢が求められそうだ。この点は、実に示唆に富んでいる。
徹底したリアリズムにもとづいて論を展開していった先、パンドラの箱の中に残されたのは冷静な理性であるようだ。
人間は自分たちが思っているほど賢くない、という謙虚さから始めなければならない。難しいが、やるしかない。

さてこの本は、世界史を勉強するうえで、現代と異なる往時の感覚をつかむのにたいへん参考になる箇所も多い。
歴史を教えるようになる前に読んでおけばよかったと思うが、教えることができるほど勉強して初めてわかったのも確か。
ざっと挙げると、中世ヨーロッパの戦争と傭兵の実例、ヨーロッパにおける神聖ローマ帝国の質感、
国民国家形成以前には常識だった貴族の移籍、パワーバランスの「保持者」としてのイギリスの外交、
モンロー主義のアメリカがヨーロッパを遠巻きに眺めていたという指摘、多言語国家であるスイス統一の歴史、
ヨーロッパが植民地支配を強める間にアメリカとロシアはフロンティアに進出して後の超大国化を準備したこと、
不凍港に留まらずコンスタンティノープルを目指すロシアの南下、ヨーロッパにおけるドイツの優位とフランスの苦しさ、
19世紀のナショナリズムと20世紀以降のナショナリズムの違い、工業化の進行にともなう総力戦への移行、
ユダヤ人虐殺をドイツ国内の食糧問題として捉える視点、神聖同盟・国際連盟・国際連合それぞれの狙い、など。
モーゲンソーは論を展開するとき必ず2,3の具体例を提示するが、このおかげでこちらの知識と理解が深まる仕組みだ。
それだけでも読む価値のある本だと思う。難解な文章を読むには具体例を思いつくことが必須となるので、
知識量がないとついていけなくなるものだ。この本は知識を与えると同時に、知識をもとにした理解を深めてくれる。
(蛇足ながら、知識偏重とか困ったら調べればいいなどと愚かな主張をする連中に、この領域は決してわかるまい。)


2022.8.25 (Thu.)

本日より2学期スタートでさっそく授業、そしてさっそく喉をやられる。声の出し方がヘタクソなんだよなあ。
浅田飴を舐めながら反省。そういえば片野坂監督(→2022.7.30)、解任されちゃったなあ。大阪日記も早く書かなければ。


2022.8.24 (Wed.)

無印良品で箸とボウルを買い揃え、お昼にサラダボウル生活を堪能しております。
丼メシがそのままボウルとカットサラダになった感じね。当方、生野菜はいくらでも食えるので、それで満腹を目指す。
これで健康状態が改善するのかどうかはわからないが、前向きに継続できそうなのはこれくらいなのでがんばる。


2022.8.23 (Tue.)

本日が実質的な夏休み最終日である。今日もひたすら授業準備なのだ。世界史をわかりやすく教えるって難しい。

それにしても今年の夏休みはとことんまで旅行に明け暮れた狂気の1ヶ月だった。
数えてみたら、週末に東京で寝たのが2回だけである。それも日曜夜遅くなって帰ってきて寝たというパターン。
おかげでじっくり旅行を反省する暇がなかったが、それはこれからしばらくの楽しみとさせてもらおう。


2022.8.22 (Mon.)

健康診断の結果が返ってきて驚愕。ほかの数値はほぼ正常なのに肝臓だけが超極悪ということで、
さすがに対策を考えなくてはいけない事態であります。まずは昼メシの改善から取りかかろうと思う。

そんな状況でおやつに桜井甘精堂の栗羊羹を食っている場合じゃないんだけど、昨日買っちゃったからしょうがない。
香料を使わない自然な甘みが立派ですなあと感心するのであった。脳へのブドウ糖の補給方法もいろいろ模索しなければ。



2022.8.18 (Thu.)

『はたらく細胞』のアニメを見てみた。前の学校で生物の先生が絶賛していて、それならぜひ、と思っていたのだ。
しかし結論から言うと、冗長。眠くてたまらない。作品の意義は十分にわかるけど、僕には面白くなかった。

各細胞を擬人化して人体内部のメカニズムを描くのはいいが、人間本体はあくまで「この世界」という扱いに終始し、
病状などを具体的に描くことがないので正直様子がよくわからない。ミクロの戦いがマクロの結果とつながらないのだ。
各キャラクターが戦って細菌や細胞を倒して終わり。それって実際の姿とはかけ離れたままで、本当に勉強になるのか?
物語的にも病気というネガティヴな状態から正常な状態に戻って終わるわけで、そこに成長はないのである。
それまで職務に励むことしか考えずにいがみ合っていた各細胞たちが互いの理解を深めました、がいいところ。
このパターンを繰り返すしかないのである。せめて僕ら人間本体が何をすれば健康にいいかまで示されればいいのだが。

思えば当方、幼い頃からこの方面は学研マンガや『まんがサイエンス』で鍛えられているので、物珍しさはまったくない。
だからこの作品は過大評価を受けているように思えてならない。今ごろこんなんで喜んでんじゃねえよ、って感じ。


2022.8.17 (Wed.)

オリンピック汚職の件、よくまあ逮捕までもっていったものだと思う。やはり圧力をかけるクズがいなくなったからか。
それにしても、オリンピックに賛成していたバカどもはいいかげんここから何かを学んでください。反省しやがれ。


2022.8.16 (Tue.)

東京に戻るにあたり伊那バスターミナル便を予約したので、駒ヶ根まで行って明治亭のソースカツ丼をいただく。
駐車場には全国各地のナンバープレートがひしめいており、あらためてその人気ぶりに呆れるのであった。
思えば先月の千畳敷カール&木曽駒ヶ岳も平日なのに大盛況で(→2022.7.25)、駒ヶ根の観光資源の凄みを実感する。
人口の規模でいえば駒ヶ根市は飯田市の1/3ほどであるにもかかわらず(伊那市+駒ヶ根市=飯田市って感じ)、
完全に負けている気分である。養命酒と青年海外協力隊もあるし、駒ヶ根は明らかに飯田よりも個性が豊かなのだ。

伊那市街へ向かう途中にある「monterina」に寄る。「かんてんぱぱ」こと伊那食品工業による複合型商業施設である。
1階では伊那谷と全国各地の名産品を分け隔てなく豊富に扱い、さらに傘下にある酒蔵の今錦を大々的にアピール。
特設コーナーでは羊羹コレクションということで、これまた全国各地の有名な羊羹を売っている。好評で第2弾だと。
こないだ僕が買った標津羊羹(→2022.8.4)もあり、お主やるなと。小城羊羹がなかったのは第1弾でやったからだろう。
2階ではLEDのスクリーンで千畳敷カールの絶景を映し出し、オサレなショップでさまざまな生活用品を売っている。
東急ハンズで見かけるようなデザイン性の高いものばかりである。かんてんぱぱのやる気にひたすら圧倒された。
飯田は東京からも名古屋からも奥まっていてどうにもなりませんなあ、と思うのであった。

伊那に着くとアピタで時間調整するが、隣にバッティングセンターがあったので2ゲームほど挑戦。
しかしちょうどセカンドの守備位置手前あたりに巨大な柱があり、左打者としてはクリーンヒットが毎回撥ね返される、
なんとも厳しい仕打ちを受けるのであった。賽の河原で石を積んだら鬼が崩す、あの気分ね。やってらんねえ。

バスは山梨県の中盤までは順調だったが、談合坂から小仏まで大渋滞に巻き込まれる。さすがはお盆である。
さらに八王子ICからまた詰まり気味となり、最終的に1時間45分の遅れで新宿に到着したのであった。疲れた。


2022.8.15 (Mon.)

実家で膨大な量の夏休み旅行写真の整理をしつつ気がついたら寝ている状態その2。


2022.8.14 (Sun.)

実家で膨大な量の夏休み旅行写真の整理をしつつ気がついたら寝ている状態。



2022.8.10 (Wed.)

健康診断。もう二度とバリウム飲まねえ。宗教上の理由でバリウムを飲むことが許されない、ってことにする。
結局、そこからずっと調子を崩したままになってしまった感じ。ヨタヨタしながら夜行バスに乗り込むのであった。


2022.8.9 (Tue.)

36年も経ってから続編かよと思っていたら爆発的な大ヒットでビックリな『トップガン マーヴェリック』。
そんなに評判がいいんならふつうの上映じゃなくてわざわざIMAXで観ちゃうぜ、ということで行ってきました。

この映画、批判するのは簡単である。おっさんのとめどない欲望てんこ盛りだし、荒唐無稽な不死身ぶりも凄まじい。
ついでに困ったらアメフトで解決できるというアメリカ人にしか理解できない価値観(→2020.4.21)も丸出しだ。
しかしそれらを踏まえた上でも、「よくつくったなあ偉いなあ」という気分にさせられてしまう映画である。
ストーリー云々ではなく、つくったこと自体に最大の価値がある映画で、そこをみんなわかって歓迎している感じ。
もっとも、ストーリーもそんなにひどいわけではない。今作の試練は前作をかなり上手く消化して味付けされているし、
任務の設定も論理的に納得できる範囲である。なお、無知な僕は「F-14みたいな金食い虫持ってるならず者国家ぁ?」
なんて思っていたのだが、革命前にイランが買っていて今もスタンバイしているんですね。や、まいりました。
その事実をきちんと使って「やっぱりマーヴェリックはF-14でなくちゃね!」という締め方に持っていくのはさすがだ。
僕は見ていてハングマン早く来いよとどんだけ思ったか。彼の成長も前作ラストに重ねてあって言うことなしなのだ。
だからやっぱり、よくできている。前作を受けてのお約束を極限まで盛り込んでおり、それだけで満足度は高い。

何より映像に関しては本当にとんでもないものがある。CGを使うポイントを極力絞っているからか、説得力がすごい。
ものすごい金と手間がかかっているけど、そこを惜しまないことで生まれる価値がある、という真理がわかる映像だ。
こういう映像を残すこと自体に価値がある、というレヴェル。本当に丁寧につくっているのが直感的に理解できて、
観客はその質の高さに魅了されてしまうのである。映画館ならではの「体験」という付加価値がたいへん大きい。
リピーターがめちゃくちゃ多いそうだが、大画面に爆音で鑑賞してこそ、と繰り返し観たくなるのもわかる話だ。

ふと思ったのだが、今のしょぼくれた日本では昭和という時代が憧れをもって語られているのを目にすることがある。
また、バブルに対する羨望もよく聞く。もしかしたら、アメリカでもこれと似た現象が起きているのかもしれない。
アメリカでも80年代は憧れの対象で、『トップガン』がその一翼を担ったからこそ可能な続編だったのかもしれない。
36年という時間にそういう意味があるのだとすれば、それもまた今作の存在価値を高めている要素となるわけだ。
なるほど、80年代アメリカはハリウッド娯楽映画の全盛期であった。そしてそれは実際のことろ商業主義である以上に、
最高のプロたちによる職人芸、今となっては「古き良き」となってしまった映画の良心の賜物であった(→2020.4.12)。
金と手間を存分にかけている今作の映像からは、その職人芸の延長線上にあるプライドを確かに感じ取ることができる。
われわれ観客はスクリーンを通して「古き良き」80年代アメリカの「理想のその後」を目にしているのだから、
魅了されてしまうのも無理はない。これはおそらく、社会学的にも意味のある爆発的な大ヒットであるだろう。

しかしまあ、あらためて『エリア88』を読みたくなりますね。ピート=“マーヴェリック”=ミッチェル大佐に敬礼!



2022.8.4 (Thu.)

職場でおやつの時間になり、おととい野付半島ネイチャーセンター(→2022.8.2)で買った標津羊羹をいただいてみる。

 標津羊羹。標準サイズとスティックタイプ(→2016.4.26)を両方購入。

標津羊羹のこだわりは、北海道ということで金時豆(赤インゲン)と甜菜糖を使っていること。
おかげでふつうの羊羹よりも色が薄く、味はちょっと蜜っぽいというか、あんこほど甘みの圧力がない感じ。
食感も饅頭の餡のような繊維質を感じさせるほぐれ方で、この独特さがいいなあと思う。しばらく楽しませてもらおう。

仕事を終えると家に帰らずそのまま羽田空港へ移動する。北九州に前乗りしてしまうのだ。
スターフライヤーなので久々の第1ターミナル。メシをいただいてからいざ搭乗手続きをしようとしたら、
予定の便を受け付けてくれない。どうも天候不順でスケジュールが大幅に乱れている影響のようだ。
もしかしたらこれはチャンスかもと思い、もっと早い便に予約変更してみたら、あっさりOK。
むしろ航空会社側が遅い便から早い便に集約させたかったわけか、と納得。こっちとしてはありがたいが。

保安検査を済ませて本を読みながら搭乗を待つが、待合スペースはかなりの混乱ぶり。
東京の雷がひどくて地上での作業ができなかったことで、すべてのスケジュールが大幅に遅れたという説明が入る。
そして福岡便がキャンセルになるというアナウンス。僕は北九州便なので大丈夫だったが、他人事とは思えない。
結局、スケジュール的には3時間近く遅れたようだが、予約変更によって僕はほぼ当初の予定どおりに出発できた。
むしろ予定より少し早く着いたくらい。でも北九州空港でバスがないから、結局は予定どおりの行動に収まった。
なお、スターフライヤーは機内安全ヴィデオ映像が毎回凝っていて、今回はスターフライヤーマンが登場。
調べてみたら5年前からそうなのか。個人的には忍者のとき(→2013.12.23)がいちばん衝撃的だったなあ。

北九州空港からは毎度おなじみ朽網駅へ、そして本日は行橋駅へ移動。眠気に耐えつつネットカフェに直行し、
個室でさっさと横になるのであった。しかしエアコンがあまりに寒く、「ここは標津か」とツッコミを入れつつ眠る。


2022.8.3 (Wed.)

釧路で迎える2日目の朝も雨。またしても天気に裏切られるのであった……。いやあ、意気消沈しますなあ!
昨日の野付半島は来年度以降の地理の授業のためという大義名分で訪れたわけだが、それは今日も同じである。
青春18きっぷを購入して釧網本線を北上し、川湯温泉へ。そこでなんと、50ccバイクを借りてしまうのだ。
そんでもって西の屈斜路湖と東の摩周湖を両方とも押さえちゃおうというアイデアなのだ。これ、名案でしょう!
ただ、それは天気が良ければの話。交通安全的な配慮もあって平日にしたのに、雨だと意味がなくなってしまう。
とりあえず昨日と同じように、「現地は天気が違うかもしれん」という希望的観測でもってやる気を奮い起こす。

 釧路駅。いざ出発である!

釧網本線ということで釧路湿原を抜けていく路線である。景色を楽しみつつも、当然狙いはタンチョウヅルである。
カメラを片手に窓から見える景色をしっかり眺めてチャンスを狙う。野付半島では雨に降られてしまっただけに、
せめてタンチョウヅルである程度取り返したいと思うのであった。で、結論から言うと、タンチョウヅルはいた。
いたけど、木々が邪魔で撮れなかった。3羽いたので昨日と合わせて合計5羽。それでいて1羽も撮れなかった……。
不幸中の幸いならぬ、「幸い中の不幸」とでも言えばいいのか。チャンスをモノにできなかったショックは大きい。

  
L: 釧路湿原にて。  C: このような林を抜ける箇所もある。  R: 釧路湿原だけどナラワラ的な光景。あるんだなあ。

川湯温泉駅に到着すると、雨こそ降っていないもののしっかりと曇り空である。バイクを受け取るまで時間があるので、
駅舎の隣にある足湯に浸かって過ごす。おかげで少しはポジティヴな気分に切り替えることができたのであった。

  
L: 川湯温泉駅。10年前には硫黄の匂いに驚いたが(→2012.8.19)、天気のせいか今日はおとなしめ。下車する日が来るとは。
C: 川湯温泉駅に隣接する足湯。川湯温泉の硫黄泉とは異なり、「川湯駅前温泉」という別の温泉だがなかなか効きましたよ。
R: お借りしたバイク。対馬(→2018.11.5)以来の冒険だが、慣れると本当に快適な乗り物である。油断はできないが。

ほどなくしてやってきた業者さんからバイクをお借りすると、まずは東の摩周湖へ。屈斜路湖の方は国道があるし、
交通量が多いことが予想されるので、まずは静かであろう摩周湖の方から訪れつつバイクに慣れよう、という算段。
平日の朝ということもあって車は少なく、「狙いどおり!」と喜んでいたのも束の間、視界が霧で霞みはじめる。
そう、摩周湖といえば布施明の『霧の摩周湖』である。カルデラに透明度の高い青い湖面を期待していた僕には、
まったくありがたくない展開である。ただただ意地だけで展望台を目指すが、5m先すら怪しいほどの濃霧である。

  
L: 摩周湖の第3展望台を目指すが、コンディションはどんどん悪くなる一方なのであった。泣きたい気分で爆走。
C: 途中でエゾシカと接近遭遇(霧がかかっている分を画質調整している)。  R: 第3展望台の入口付近。

バイクを駐めて展望台へ。わかっちゃいたけど、わかっちゃいたけど、摩周湖は確かに「霧の摩周湖」なのであった。
それにしても「霧」すぎるだろー!と思わず叫んでしまった。昨日っからずーっとツイていないなあとがっくり。
まあ『日本百名山』の深田久弥先生も摩周湖に来たときには霧しか見ていないので、それと同じ景色だと思っておこう。

  
L: 摩周湖第3展望台。  C: 摩周湖を覗き込むが、こんな調子で何も見えず。  R: いちおう、証拠の案内板。

本当は第1展望台まで行ってみるつもりだったが、結果は火を見るよりも明らかなのでさっさと来た道を戻る。
ある程度下っていくと、下界に日が差しているのが見えた。屈斜路湖の方はきちんと景色が楽しめるかもしれない。
一縷の望みを胸に安全運転で戻っていく。すると途中で道路に鳥と思われる物体を発見。なんとも変な書き方だが、
実際にそういう姿だったのだからしょうがない。実は往路でも道路の上でのん気にたたずんでいる鳥がいたのだが、
カメラを準備している間に逃げられてしまっていた。そして今、目の前にいるのはどうもそいつっぽい。
しかし鳥的物体は胴体だけで、首から上が見えない。まさか死体じゃないよなあと近づいてみるが、反応がない。
死体を撮影するのはイヤだなあと思ってカメラのストラップでチョンチョンとつっついたら、首が出てきて飛んで逃げた。
しまった、寝ていただけだったのか、と思ったがもう遅い。貴重な一瞬を撮り損ねた。やっぱりずーっとツイていない。
それでも逃げた先の木の幹で鳴き声をあげている姿は撮ることができた。キツツキの一種、ヤマゲラなのであった。

 
L: 左に屈斜路湖。手前に日が差しており、この雲の隙間が拡大していくことを祈るしかない。
R: ヤマゲラ。地上にいるときの姿もぜひ撮りたかったが、この写真で満足しておくとしよう。

線路を渡って国道391号に出る。いよいよ国道ということで緊張するが、平日の朝で交通量は良心的。
さて屈斜路湖へは北から攻めるか南から攻めるか。どうせなら展望台が充実している方がいいだろう、と南を選択。
快調に南下していくと美留和駅の手前で右に入り、西の国道243号を目指す。屈斜路湖に出たとき、どうなるか。

 途中で道東らしい光景に出くわす。

国道243号に出て、今度は北上。まずは津別峠から見てみようかと思うが、山裾からすぐ上は完全に真っ白。
これはダメだ、と美幌峠に方針転換。しかし標高が上がっていくにつれ霧へと突っ込んでいく感覚になるだけでなく、
確実に雨粒を感じる。交通量が少ないのはこの天気だからかと思いつつも、もはや意地で峠のてっぺんを目指す。

  
L: 美幌峠へ向かう国道243号。泣きたい。  C: 美幌峠に到着。わかっちゃいたけど……  R: 屈斜路湖も霧なのであった。

「霧の摩周湖」は有名だが、まさか屈斜路湖まで100%の霧になってしまうとは思わなかった。全力でがっくり。
今回の北海道旅行は地理への理解を深める目的だったが、昨日の野付半島が雨、今日の摩周湖と屈斜路湖も霧で全滅。
オレはいったい何のために北海道まで来たのだろう、と心の底から虚しくなる。夏の道東が曇るのは覚悟していたが、
それにしてもこの仕打ちは……。バイクで東西の湖を押さえる発想は、文句なしに素晴らしいアイデアのはずなのに……。

美幌峠には新しくてきれいなレストハウスがあるのだが、あまりにも霧が深くて建物の姿が外からきちんと見えない。
すべてに見放された気分で美幌峠を後にする。せめてきちんと湖面は見ておこう、と和琴半島に寄ってみる。

 
L: 和琴半島。湖の中の陸繋島というけっこう面白い場所である。  R: 湖面を眺める。カルデラ湖らしい面影はない。

こうなったらせめて川湯温泉の硫黄泉に浸かりたい。帰りの列車の時刻を考えるとあまり余裕がないので、
急いで屈斜路湖の東岸へと向かう。この頃にはもうだいぶバイクに慣れてきて、なかなかの特攻(ぶっこみ)具合。
ここでさっきのヤマゲラが出てきたら「!?」という文字が思い浮かぶところだが、そんなサプライズもなく砂湯に到着。
屈斜路湖岸のなんでもない砂浜に見えるが、掘ると温泉が湧き出すのだ。砂に触ってみると確かにあったかい。
露天風呂をつくることも可能だそうだが、はしゃぐ親子連ればかりでとてもそんな雰囲気ではないのであった。

  
L: 砂湯。見てのとおり、砂遊びに熱中するお子様でいっぱいなのであった。さすがにここで裸になるわけにはいかねえ。
C: 屈斜路湖に浮かぶ中島。まあ、これで屈斜路湖らしさを味わったことにしておこう。  R: 砂浜の小さな温泉群。

一気にまわり込んで川湯温泉の中心部にたどり着く。どこか日帰り入浴が可能なところはないかと探ってみるが、
ことごとく午後からの営業なのであった。帰りの列車が川湯温泉を出るのは12時ちょうどである。うーん、無理。
ツイてないときはとことんツイてないものだなあ、と笑うしかなかった。昨日から「貸し」がたまりまくりである。

ガソリンスタンドでガソリンを満タンにすると、さっさと川湯温泉駅に行ってバイクの返却手続きを済ませる。
あとは朝と同様、駅舎の隣にある足湯に浸かって過ごすのであった。机に突っ伏して両手足を湯に浸けたのだが、
急にあたためられて手がしびれた。正座をやめたときと同じ種類の痛みで、急に血流が良くなったので出たわけだ。
つまりはそれだけ寒い中でバイクを運転していたということ。8月だってのにやっぱり道東は半端ねえなあ、と呆れる。
でもこの足湯でだいぶリラックスできた。本当にありがたい。なお、帰りの釧網本線快速は暖房入りなのであった。

釧路に戻っても曇天は変わらないが、なんとか雨粒を落とさないように踏ん張っている感じだった。
中心市街地を南下し、釧路市民活動センター「わっと」へと向かう。こちらでレンタサイクルを借りるのだ。
10年前にはすべてを徒歩で済ませたが(→2012.8.172012.8.18)、釧路は広いので自転車はかなり便利である。

 釧路市中央図書館。2017年竣工の新釧路道銀ビルの中に入っている。

無事に自転車を借りると、とにかく腹が減ったので釧路フィッシャーマンズワーフMOOへ。
海鮮丼をいただいて道東気分をしっかり味わい、自分の中のネガティヴな気分を振り払うのであった。
中の土産物売り場はかなり充実しており、見て歩くだけで十分楽しい。釧路の底力を感じさせますなあ。

  
L: 海鮮丼。食わなきゃやってらんねえ。  C: しれっと置いてあるUFOキャッチャー。その中身は……
R: 生きている毛ガニなのであった。実はかなり有名みたいだが、本当にしれっと置いてあるので驚いた。

エネルギーを充填すると、幣舞橋で釧路川の左岸へ。まず高台の幣舞公園が目に入るが、よく見たらその手前、
六叉路のロータリーになっていて、これはラウンドアバウトじゃないか?と思う。でも実際は周回する車が優先ではなく、
南北に抜ける方が優先になっているので、ラウンドアバウトではないただのロータリー交差点とのこと。ややこしい。

 
L: 幣舞橋から眺める釧路川の河口。港町の釧路はやたらとカモメが多く、鳴き声が途切れることなく街中に響いている。
R: 幣舞ロータリー交差点と幣舞公園。南北方向の交通量が多くてバランスが悪いので、ラウンドアバウトにならないのか。

さて、本日の午後は釧路市内の徘徊にあてたわけだが、最終目的地は厳島神社である。御守である。
10年前にも市内のあちこちをまわっているが、釧路川左岸のこのエリアはまったくのノーマークだったのだ。
いざこのエリアに踏み込んでみると、レンタサイクル便利だぜーと調子に乗っていたのも束の間、高低差に四苦八苦。
右岸のどこまでも真っ平らな矩形の市街地とは実に対照的。冷静に考えれば、もともとの中心部はこの左岸側なのだ。
高台に厳島神社が鎮座しているということは、こちらの左岸側から都市化がスタートしているということである。

10年前に書いたログ「北海道の都市と歴史についての考察」を参照してみる(→2012.8.27)。
釧路の歴史は、1604年に「クスリ場所」として松前藩のアイヌ交易独占権が認められたことに始まる。
現在の釧路駅周辺が開拓されたのは1884年以降のことで、鳥取県士族が移住した(それで「鳥取」の地名が残る)。
つまり、もともと釧路川左岸が交易の「場所」として開発され、その後に右岸があらためて開拓されたという順番なのだ。
なお後述するが、厳島神社周辺の街並みの感触は、函館山麓の山の手エリア(→2008.9.152014.3.23)に酷似している。
左岸と右岸の街並みの違いは、都市の歴史をそのまま反映したものなのだ。それを味わってこそ正しい釧路旅行であろう。

こうなりゃとことんだ、と先に釧路埼灯台を目指す。スマホのGoogleマップを頼りに行ってみると、異様な姿に驚いた。
ビルの海側が紅白に塗られて灯台ということになっているのである。風情も何もないなあ、と思うのであった。

 
L: 釧路埼灯台。こんなパターンは初めてだ。  R: 近くの突端から釧路川河口方面を眺める。

ぐるっとまわり込んで、いよいよ厳島神社へ。厳島系とはいかにも港町らしい選択である。創建は1805(文化2)年で、
アイヌの人々がイナウ(→2013.7.22)を立てていた高台につくられたが、1891(明治24)年に現在地に遷座している。
そういう経緯もあってか、市杵島姫命を主祭神とするが、アカンカモイというアイヌの神も「阿寒大神」として祀る。

  
L: 厳島神社の境内入口。  C: 坂を利用して参道をつくっているが、砂利道と植生が明らかに北海道である。
R: 参道を進んでいくと何やらキラキラした飾り付けが。月遅れの七夕ということで「七夕水まつり」仕様みたい。

  
L: 手水舎にはタンチョウヅルの銅像。実物の写真が撮れなかった悔しさがこみ上げる。  C: 境内。  R: 端っこの境内社。

  
L: 拝殿向かって右手に釧路護国神社。  C: こちらが拝殿。  R: 奥の本殿。しっかり木造で、コンクリートではない。

御守を頂戴すると、あらためて釧路川左岸の丘の上を歩きまわる。先ほども書いたが、函館の山の手に似た雰囲気だ。
厳島神社からだと南東の弁天ヶ浜に向かって坂が下っていき、海の水平線が見える様子はまさにそんな感じである。
函館と大きく異なっているのは、各種キリスト教の教会の代わりにやたらと規模の大きい寺が多いことだ。
バス停の名前も「寺町通」である。明治の前半に各宗派がこぞって釧路にやってきたことで形成されたそうだ。

  
L: 釧路川左岸エリアはこのように坂の街となっている。  C: 釧路埼灯台の丘から北東を眺める。ちなみに左右はともに寺。
R: 厳島神社の手前は寺町通。南に行ったらこの光景で、さすがに規模は違うが、まるで函館の山の手を思わせる。

  
L: こちらは定光寺(曹洞宗)。  C: 西端寺(真言宗)。どの寺も規模が大きく、門の奥にはコンクリ仏殿がそびえる。
R: 高低差がわかりやすいと思って撮った写真。釧路川に近い南大通りから南の丘側を眺めるが、これだけの高さがある。

最後にもうひとがんばりして、米町展望台から釧路の街を眺めてみる。展望台は明らかに灯台を模しており、
おそらく釧路埼灯台がさっきの姿になってしまったため、過去の記憶を取り戻すべくこのデザインになったのだろう。

 米町展望台。

釧路港を見下ろす位置にある展望台からの眺めは壮観で、北を見れば釧路川を挟んで広がる平坦な市街地が一望できる。
歩いてみるとスカスカした印象の釧路だが、こうして眺めるとカラフルでさまざまな意匠の建物がひしめいており、
さすがの都会っぷりを再認識させられる。そこから右に視線を移して東を眺めれば、高低差の波にもまれながら、
異様にがっちりした寺町通の寺が立体的に並んでいるのが目に入る。釧路という街の特性を実感できる場所だった。

  
L: 釧路川の河口。しっかりと規模の大きい港である。  C: 釧路川を挟んで茫洋と広がる釧路の市街地。カラフルだ。
R: 東は釧路川左岸の丘のエリア。住宅の背後でどっしりとそびえている大きな建物は寺町通の寺たちである。

米町公園内には妙に凝った建物があり、なんだと思って近づいてみたら公衆トイレなのであった。
かつてあった劇場「共楽座」をモチーフにしているそうだが、かなり気合いを感じさせてその正体との落差によろけた。

 休憩スペースか何かと思ったらトイレ。いや、まあ、いいんだけど。

釧路川右岸の市街地に戻ると、釧路市役所を撮影。相変わらずの撮りづらい市役所(→2012.8.17)で、
高さがなくて幅が広く、しかも正面が木々で隠れ気味なので、なかなかこれといったアングルが定まらない。

  
L: 釧路市役所。  C: 近づいてみたところ。  R: 玄関向かって左側がこれだけ長い。

  
L: 西から見た側面。釧路の道幅は広いのだが、収まらない。  C: 北西から見たところ。  R: 北から見た背面。

  
L: 北東から見たところ。  C: 東から見た側面。  R: 南東から見たところ。撮りづらいことだけはわかっていただけたかと。

 
L: 平日なので中に入ってみる。1960年代庁舎の雰囲気がしっかり残っている。  R: ガラス張りの中庭がある。

さて釧路市役所は2015年に防災庁舎が本庁舎のすぐ北に竣工しており、せっかくなのでそちらも撮影してみる。
ちなみにインターネットでさっと検索してみた限りでは設計者はわからず。本庁舎以外の情報が薄いのはよろしくない。

  
L: 本庁舎(右)と防災庁舎(左)の間はこのような通路となっている。  C: 防災庁舎。まずは西から。  R: 南西から。

  
L: がんばって南から撮影したところ。  C: 南東から見たところ。  R: 東から見たところ。

  
L: 中に入ってみるが、本庁舎ではないからか非常に殺風景。  C: 1階南西は基本設計ではカフェを入れる計画だったようだが。
R: 奥にあるラウンジ。誰もくつろがないだろう。本庁舎との間の通路とも連携できていないし、ニンともカンともである。

これでとりあえず釧路市内でやりたいことはすべて完了。自転車を返却すると、そのまま隣のタリーズで日記を書く。

夕方になり、釧路駅からバスで空港へ向かう。途中で雨が降り出して、最後の最後まで天気に苦しめられたなあと思う。
道東の曇りってのは霧雨含みが当たり前なものなのだろう。コンディションに恵まれない中、意地で楽しんだつもり。


2022.8.2 (Tue.)

雨である! 景色を見るための旅行でこれは本当につらい。朝食の白米をとことんまで盛りながらしょんぼりする。
意気消沈しているからといって食欲まで弱らせては後々困ることになるのだ。食えるときに食っておかないといかん。
せめてメシをがっつり食べるというポジティヴ行為を通して、少しでも意識を前向きにしなければもったいない。
もしかしたら、釧路は雨でも、目的地である野付半島は晴れ間が見えるかもしれないじゃないか。そう思っておく。

準備を整えるといざ出発。釧路駅の東にはバスターミナルがあり、ホテルの1階に案内所が入っている。
まずはそちらでトドワラ号のチケットを購入するのだ。公式サイトの情報が貧弱で少し自信が持てなかったが、
昨年トドワラ号を利用した方のブログがたいへん参考になったので(検索ですぐに出ます)、それに準拠していくのだ。

  
L: 釧路駅前バスターミナル。まずはこちらでトドワラ号のチケットを購入。天気が悪くても行くしかないのだ!
C: チケットと渡されたパンフレット類。案内はバスの乗り継ぎについての情報がメイン。乗り遅れたら一大事だもんな。
R: 車窓の風景。牛が草を食むまことに道東感あふれる光景なのだが、天気の悪さでこちらのテンションは正直かなり低い。

まず乗り込むのが、羅臼営業所行きのバス。これで2時間半ほど揺られて標津バスターミナルへと向かうのである。
実はこの釧路羅臼線、日本で2番目に長い距離を走る路線バスとのこと。一番長いのは……そう、八木新宮バス。
十津川へ行ったときに乗ったやつだ(→2017.7.212017.7.22)。八木新宮バスが約167kmであるのに対し、
釧路羅臼線は約165km。かなりの僅差なのである。なお、釧路から標津までの距離は約110kmとのこと。
高速バスでも使う4列シートの大きい車両で、そう考えるとふつうの車両の八木新宮バスってすごいなと思う。

平日なので7時25分に出発。土日より30分早いのだが、これがそのまま野付半島での滞在時間に直結するのである。
今回の旅行を平日としたのにはいくつか理由があるが、最も大きいのはこれ。慌ただしい移動を強いられるのは切ない。
さて羅臼線のバスはまず日赤病院に停車し、続いて労災病院、そして癌検診センター前と、バス停が医療機関ばかり。
4つめがイオンでようやく解放されたと思ったら、なんとここで運転手が交代するのであった。イオンの駐車場の車から、
別の運転手がやってきてスイッチ。さすが日本で2番目に長い路線だなあとびっくり(帰りの便もイオンで運転手が交代)。
その後はひたすら国道272号を北上するが、北海道の大自然とそれに柔能く剛を制す感じで対応する牧場という景色が続く。
おかげで完全に油断していて、ふと一段低い土のところに「フラミンゴがいる?」と思ったときには遅かった。
低木のようなフォルムでピンクというより肌色の柔らかな塊が佇んでいて、通り過ぎる瞬間にタンチョウヅルと気づいた。
しかも2羽。頭の赤よりも顔の黒の方が目立っていて、それでコウノトリではないとわかる(あとコウノトリの目は怖い)。
以降は目を皿のようにして景色を眺めるが、結局最後までタンチョウヅルの写真を撮ることはできなかった。うう……。

国道243号と交差する共春バス停での小休憩を挟むとわりとすぐに中標津町の街中に入る。ゆったりした間隔で店舗が並び、
なかなかの都会っぷりである。しかしそれを味わう余裕もないままに国道に復帰すると、バスはまた緑の中を突き進む。
そして海に出たところで左折。いよいよ標津町の中心部へと入る。が、こちらは中標津と比べるとだいぶ慎ましい。
人口で4倍以上の差があるからしょうがないんだろうけど、標津羊羹の店舗だけが元気な印象なのであった。

標津バスターミナルで下車するとトイレに駆け込む。僕もただのバカではないので長袖のパーカーを用意していたのだが、
それでも涼しいというより寒いのである。バスでじっとしていたら、なんだか腹が冷えてしまったようだ。困ったものだ。
さすが道東、半端ねえなあ……と思いつつ待合室で窓口のおねえさんにトドワラ号のチケットを提示し、次のバスへ。
今度はごくごく普通の路線バスで、「トドワラ号」という文字が貼り付いている。おそらく磁石で脱着可能なのだろう。
平日だからか乗客は僕だけ。気分は最高と言いたいところだが、雨はしっかり降っている。無念である。

バスの行き先は「白鳥台」となっており、野付半島は行き止まりなのに?と不思議に思っているうちに出発。
海沿いの国道をさっきとは逆に南東へと進んでいくと、野付分岐からするっと左の道へ。これで野付半島に入ったが、
雨なので視界が悪くて事態がよくわからない。スマホの地図でついにあの野付半島に来たことが確認できたものの、
なかなか実感が湧かない。もっとも、それは野付半島のスケールの大きさのせいでもある。なんせ日本一の砂嘴なので。
左手は漁港というほどではないが漁船の拠点となっているようで、砂浜の上に小屋と船が点々としている光景が続く。
それに対して右手は砂嘴の内側ということで船もないことはないが、広大な湿地がひたすらに延びている。
やがて林が現れた。かつて圧倒された「植物たちの王国」(→2012.7.22013.7.23)、その極限がここにあるのだ。
後で地図を見たところ、ナラワラの奥に広がっている林をオンニクル(「年老いた林・大きい林」の意)、
それより東側にある林をポンニクル(「若い林・小さい林」の意)と呼ぶみたい。どちらも侵食されつつあるとか。

  
L: 野付半島の外海側はこのように漁船が目立っている。  C,R: 砂嘴の内側。これがオンニクルなんですかね。

そうしてオンニクルの林を眺めていると、手前に立ち枯れした木々が並んでいる光景に出くわした。これがナラワラ。
ミズナラが枯れているのを元祖のトドワラに合わせて「ナラワラ」と呼んでいる。雨で細かいところが見えない……。

  
L: 走るバスから撮影したナラワラ。コロナ対策で開けた窓から撮っているが、細部がよくわからないのが残念。
C: ナラワラの全体はこんな感じ。  R: 湾を挟んだ先にも林が広がっている。ほかの砂嘴も昔はこんなんだったのか。

ナラワラを通り過ぎるとポンニクルの林か。こちらの方が道路に近いからか、勢いがあるように感じる。
そうしているうちにバスは野付半島ネイチャーセンターに到着。この手前が「トドワラ」バス停となっており、
僕を降ろすとバスはそのまま津波避難施設の前で停車。時刻は11時前だが、12時30分までここで待機するようだ。

  
L: ポンニクルですかね、勢いのある林。  C: トドワラバス停で降りて、来た道を振り返る。道道950号、野付半島の一本道だ。
R: 少し西に戻ってから半島の先っちょ、ネイチャーセンター方面を見たところ。こんな感じの道路が延々と続いていたのだ。

まずはとりあえずネイチャーセンターで情報収集。1階は場所のわりにはかなり品揃えの豊富な土産物売り場と、
奥にはレストランがある。後で道東っぽい土産物をチェックしつつ、道東っぽいランチをいただくとしよう。
2階に上がるとすぐに展示スペース。野付半島の自然と歴史についてしっかり学べる内容となっている。
驚いたのは、江戸時代には半島の先端に「キラク」という集落があったこと。遊郭まであるほど栄えていたそうだ。
当時は海上交通の方がはるかに発達していたから、冷静に考えれば納得はいく。けど、やはり驚かざるをえない。

  
L: 野付半島ネイチャーセンター。あらゆる点においてここが拠点となる。レストランがあるのはありがたい。
C: 1階に入る。左に土産物、奥がレストラン。  R: 階段で2階から振り返る。なかなか壮観である。

  
L: 2階の展示スペース。  C: 展望スペース脇のエゾシカのツノ。実は売り物で「¥4000」「¥5000」などの値札が付いていた。
R: ネイチャーセンターの展望スペースから眺める野付半島の先っぽ。大きく弧を描いており、その先は雨で煙っている。

 反対側の展望スペースからは国後島が……見えない。もう本当に残念無念。

ではいよいよ探索開始である。野付半島の全長は約26km。ネイチャーセンターはざっくりとその中間くらいの位置。
ゆえに先っぽまで往復するのは難しい(行けなくはないが、当方バスなので)。野付埼灯台までは行ってみたかったが、
天気が悪すぎてやる気が出ない。おまけに今年度は改修工事で尾岱沼行きの遊覧船が出ない(おかげで少し安い)。
遊覧船からは野生のアザラシを見られるかも、という話だったが、船が出ないんじゃどうしょうもないのである。
しょうがないのでトドワラを往復してレストランでメシ食ってバスで標津に戻るというスケジュールでいくことにした。
で、雨の中を寒さに耐えながらトドワラまで遊歩道を往復するのはあまりに切ないので、トラクターバスのお世話になる。

  
L: ネイチャーセンターの脇にあるトラクターバスの受付。往復1000円は時間のことを考えるとお得な気がするが。
C: こちらがトラクターバス。  R: 客車の中はこんな感じ。客は僕だけだったので優雅にガクガク揺られるのであった。

遊歩道だと片道30分ほどかかるが、トラクターバスだと5分ちょっと。音がうるさく派手に揺れるが気にならない。
出発してすぐにエゾシカの群れにぶつかるが、その近さにびっくりである。というか、よく野付半島に来るなあ。
泳いでここまで来ているのだろうか。いくらエゾシカでも26kmをただただ走るのはイヤだろうもんなあ。

  
L: 野付半島の碑。「野付」は下顎を意味するアイヌ語「ノッケウ」に由来し、その形をクジラの下顎に見立てての名前だと。
C: 夢中で草を食べているエゾシカの群れ。そこ遊歩道なんだけど。  R: トラクターバスをよけるエゾシカの皆さん。

  
L: ちなみに遊歩道はこんな感じ。雨の中、ここを1時間も往復するのはさすがに勘弁。  C: トラクターバスから見た遊歩道。
R: トラクターバスの後ろから見た景色。帰りなのでトドワラ方面ね。こちらはトラクターバスの専用道路で歩行は禁止なのだ。

 
L: トラクターバスの終点に着いて、遊歩道側に出てみた。遠くからトドワラを眺められるようにはなっている。
R: 最果ての公衆トイレ。トラクターバスはこの手前まで来る。20分ほど散策の時間をとって、ネイチャーセンターに帰る。

公衆トイレから先には木道が整備されており、こちらを5分ほど歩いてトドワラの手前まで行くという仕組みである。
木道というと尾瀬で指の骨を折った記憶(→2019.9.23)がどうしてもよぎるが、高低差がないので滑る心配はなさそう。
しかしそれは遮るものがないということでもあり、海風が容赦なく吹き抜けていく。傘をさすのが面倒である。

  
L: トドワラへと向かう木道。晴れていればいい景色なんだろうけど……。  C: 南(海)側の景色。  R: 北側の景色。

  
L: 来た道を振り返る。さっきのトイレだけが地平線の上に顔を出している。  C: 途中で分岐する遊覧船乗り場方面。
R: いちばん先っぽまで来て振り返る。しかしまあ見事に地の果てである。よくここまで来たもんだなあと自分で思う。

木道の先端に到着する。この先に広がっているのがトドワラ……なのだが、正直、ただの湿地でしかない。
トドワラとは立ち枯れたトドマツの原っぱのことで、白骨化したようなトドマツの残骸が広がる荒涼とした光景が、
たいへん現実離れしているという話だったが。トドマツの残骸は年々風化が進んで減少しているとのことで、
その勢いはかなり加速しているのではないかと思う。むしろ(いちおう)真夏の草たちが元気に茂っているのが目立つ。
どちらかというと「最果ての地で生命感をほとばしらせている空間」という受け止め方になってしまったのであった。

  
L: 木道の先端から眺めるトドワラ。うーん。  C: 左端は少し高くなっている。  R: そこから右へ視線を移す。トドワラ。

それでも天気の悪さが「この世の果て」といった印象を強めているのも確かで、しばし茫然と立ち尽くすしかなかった。
8月とは思えない寒さの中、曇天の下、雨と風をそのまま受け止めて目の前に広がっている虚無をただ眺める。
なるほどこれは純粋に虚無を味わっている時間だ。負け惜しみではなく、これは実際に体験してみなければわかるまい。
意味のあるものが何もない空間で、ただ時間が流れていくのを実感している。そういえば鎌倉の瑞泉寺の庭園で、
空(くう)を目の当たりにしたことがあった(→2010.11.27)。でも今の僕が目の当たりにしているのは、虚無だ。
まさに「この世の果て」である。死すらも風化し尽くした光景に、言葉もなく向き合って過ごすのであった。

  
L: 電柱のように並ぶ枯れ木。自然の営為ではあるのだが、この規則性が妙に「人為の最期」を思わせるのである。
C: あらためて眺めるトドワラ。いちおう、あちこちにトドマツの残骸が散らばっているが、小さくてよく見えない。
R: トドワラから眺める野付半島の先端方面。あまりにも巨大な弧、何もない弧を目にして、言葉が見つからない。

時間いっぱい虚無を味わうと、トラクターバスに戻る。聴覚すべてを埋めるけたたましいエンジン音と、
全身の感覚をイヤでも取り戻させる激しい揺れっぷりに、すぐに意識は現実へと還る。貴重な体験だったと思う。
そうしてネイチャーセンターに戻ってくると腹が減った。レストランでメニューを眺め、道東っぽいランチをチェック。
少し迷ったが、野付半島カレーを注文。期待どおりの盛り付けに、濃厚極まりない魚介の風味でおいしゅうございました。
あとは道東っぽい土産物をということで、さっきバスから見た標津羊羹をピックアップ。職場で食べるとしよう。

 野付半島カレーは魚介の風味が凄まじい。ほかのメニューもおいしそうね。

是が非でも晴れてほしかった野付半島だが、コンディションとしてはかなり悪い部類となってしまった。
夏の道東が曇るのは覚悟してはいたが、それにしてもなかなかに厳しい。でもその分、「この世の果て」は味わえた。
また尾岱沼行きの遊覧船が出ないせいで、期せずして余裕を持って過ごすことができたことはプラスに捉えておこう。
やがてバス停の前にバスがやってきたので乗り込む。いつかリヴェンジできる日が来るといいが。トドワラもつかな……。

バスは野付分岐に戻ると標津と反対方向へ。尾岱沼の集落も抜けてさらに南へ行くので少し焦るが、手元の案内どおり。
やがてバスは「道の駅 おだいとう」の駐車場に入るが、ここが終点の「白鳥台」なのであった。しばらくした後、
何事もなかったようにバスは国道244号を戻って標津の中心部へと入る。そうして標津バスターミナルに到着。

釧路行きのバスが来るまでかなり余裕があったので、せっかくだからバスターミナル周辺を探索することにした。
まず広場を挟んで南に標津町役場があるので行ってみる。ずいぶんとオサレなカラーリングだと思ったら、
建物じたいは1978年の竣工で、耐震改修工事を経て現在の姿になった模様。黒い庁舎とは珍しいと思う。

  
L: 標津町役場。  C: 近づいて正面から見たところ。なるほど1970年代モダンといえばそうだ。  R: 北東から眺める。

  
L: さらに側面に寄ったところ。  C: 北西から背面。  R: 西から見た背面。

  
L: 南西から見たところ。  C,R: 平日なので中にお邪魔してみる。だいぶ雰囲気が違いますな。

標津町役場の西には旧根室標津駅の転車台が残っていた。ここはかつて標茶から延びていた標津線の終点だったのだ。
ちなみにさっき通った中標津は厚岸までを結ぶ支線の分岐点だった。北海道は廃線が多くて悔しい気分になるなあ。
すぐ脇にはSLの模型を御神体とした祠があって驚いた。なんともオサレなものだなあと感心するのであった。

  
L: 旧根室標津駅の転車台。クラウドファンディングで整備したそうで。  C: SLな祠。  R: 転車台。本物のSLもある。

 標津バスターミナル。「標津バスセンター」とあるが、どっちが正しいのか。

14時少し前に釧路行きのバスがやってきて標津を後にする。車内では往路と同じく目を皿のようにして、
タンチョウヅルがいないかと全力でチェック。しかしツルは見つからないまま空はだんだん暗くなっていった。

17時ごろ釧路駅前に到着。土産物屋を探索していたらカニの駅弁を発見し、せっかくなのでいただくことにした。
これにセイコーマートで買った食料を足すことで北海道らしさを存分に味わおうという魂胆である。

 おいしゅうございました。

テレビを見ていたら今日も関東は生命の危険があるほどの猛暑だったとのこと。甲府と越谷で39.5℃を記録したそうだ。
しかし標津町の最高気温は14.6℃で、本日全国で最も低かったんだと。そりゃあ寒いはずである。世界の果ては別世界。
心の底から熱望していた野付半島だったが、いざ来てみたら期待をとことんまで裏切られる展開なのであった。
まあこれは「貸し」ということで。いつの日か、たっぷりと利子のついた再訪問を楽しめることを祈るとしよう。


2022.8.1 (Mon.)

午前中で素早く職場を出て羽田空港へ移動。目指すは釧路空港である。久々の道東への旅行なのだ。
なぜ釧路かというと、これがけっこう発作的で、地理の授業をやっていて見たい景色があることに気づいたから。
自分でも贅沢なものだと思うけど、来年度以降の授業のためという大義名分で決行したのである。いざ行かん!

  
L: 羽田空港を離陸して飛行機はまず房総方面へと向かっていく。東京湾アクアラインと木更津市街が見える。
C: 昨年末に訪れた姉崎の辺り(→2021.12.27)。海と陸で別世界ね。  R: こちらは同じ市原市の五井の辺り。

  
L: 北へと針路を変えて幕張上空。千葉マリンスタジアム(→2005.11.3)がわかりやすくていいですね。野球観戦せねば。
C: 船橋市上空。競馬場と谷津干潟(→2021.4.11)が見える。  R: さらに北上して鎌ヶ谷市の辺りか(→2022.2.23)。

  
L: ちょっと行って千葉ニュータウンの辺り(→2022.2.23)。いかにも千葉らしい丘陵が開発されている。
C: 手賀沼上空。昨年末の千葉シリーズ(→2021.12.29)のおかげで、位置関係が感覚的によくわかる。
R: 真ん中少し上が牛久沼。手前が取手市でその先が龍ケ崎市となる。茨城は本当にだだっ広い(→2018.11.21)。

 かなとこ雲になる前ですかな。雲の塊が浮いているのは迫力がある。

  
L: さらに北へ行って須賀川市上空。  C: 阿武隈山地の地形輪廻における老年期っぷり(→2018.9.17)が味わえる。
R: 福島市。信夫山が非常に特徴的なのですぐにわかった。飯坂温泉(→2018.9.16)に浸かりてえなあと思いつつ飛ぶ。

 阿武隈川の河口。左が岩沼市(→2019.4.7)、右が亘理町となる。

というわけで、ひたすらにデジカメのシャッターを切って過ごすのであった。もう楽しくて楽しくて。
訪れたことのある街は上空から見てもなんとなく感覚がつかめるのが面白い。リアリティが段違いなのだ。
しかし飛行機が北東北に入るあたりから眼下の景色は雲に覆われていき、切ない現実を突き付けられる。
夏の道東がやたら曇るのは知っているが(太平洋高気圧の湿った空気を寒流である親潮が冷やすため)、さっそくだ。

 
L: 釧路空港に到着。北海道は広いなあ。  R: 空港にいるヒグマの親子像。いや怖いってば。

釧路空港に到着し、バスで駅に着く頃にはもうすっかり暗くなっていたのであった。さすが東の果てだぜと思う。
あれこれ考えるのも面倒くさいので前回(→2012.8.17)同様、釧路ラーメンをいただく。もう10年前なのか……。

 「河むら」の釧路ラーメン。

宿では明日の天気予報を見て絶望的な気分になりつつも気合いを入れて寝る。人事を尽くして天命を待つ。


diary 2022.7.

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