上野の国立博物館でやっている「大琳派展」に行ってきた。
琳派とは江戸期の芸術家・俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一らをひとつのグループとしてまとめた名称だ。
彼らは直接的な師弟関係にはなかったが、光琳が宗達をリスペクトし、抱一が光琳をリスペクトし、
ひとつの系譜にまとめられるような傾向の活動をしたので、「琳派」とひっくるめられているわけだ。
今回の「大琳派展」では、コラボレーションしまくっていた本阿弥光悦と俵屋宗達、
兄弟で活躍した尾形光琳と尾形乾山、師弟関係にあった酒井抱一と鈴木其一の、主に三部構成としている。まず最初は光悦/宗達。江戸時代に突入した直後の最先端の芸術ということになるわけだが、
見ていてどうもイマイチ興奮してこない。「宗達ってあんまり上手くねえなあ」という罰当たりなことを思う。
光悦にしても宗達の作品の上に書をしたためていくパターンが多く、調子のいいもんだなあ、と。
蒔絵の作品も洗練されていない印象が強い。そうなのだ、先駆者である光悦と宗達の作品は、
まだ洗練される前の段階にあるということなのだ。実際に作品に触れるとなるほどなあと思う。そして次に来るのが光琳/乾山。京都の裕福な呉服屋の次男・三男ということで、
小さい頃から光悦や宗達の作品に触れる機会があったんだとか。セレブのボンボンということだ。
そういうバックボーンの上にあふれるセンスが発揮されており、育ちが実力を決めるという現実に少し切なくなる。
思うに、光琳の偉大さは、光悦・宗達を継承し、その方向性を確定させた点にあるのだろう。
個人的な感触としては、光琳においてもまだ洗練されきっていない部分がチラホラあるように思える。
しかしながらどの作品も、来るべき完成形に向けて「こうやればいいのだ」と力強く示してみせている迫力がある。
それゆえに、光琳を中心に据えた「琳派」という呼び方がなされているのだろう。
では弟の乾山はというと、これが凄かった。乾山といえば焼き物が有名だが、本物はやっぱりいい。
構図は文句のつけようがなく、発色も鮮やか。器や皿の形状とそこに描いた図案が本当に見事に噛み合っている。
焼き物じたいは立体で、そこに描く図案は平面だ。でも時にセンスいっぱいの遊び心でその境界を揺さぶってくる。
芸術的な感覚ってのは恐ろしい世界だわ、とため息をつくことしかできなかった。光琳の存命中からその作品はデザインとしても高く評価されていたそうだ(着物の柄など)。
そのような琳派の側面を紹介する内容が紹介された後に来るのが、抱一/其一。
酒井抱一(姫路藩主の次男坊)は光琳を非常に尊敬しており、光琳の百回忌記念展覧会を企画したほど。
そして弟子の其一は抱一没後に独自の世界を切り開いたそうだ(その辺の細かいニュアンスがわからない僕)。
この辺りになると、作品の完成度は最高レベルに到達してしまった印象だ。とにかく、圧倒的に上手いのだ。
光悦・宗達を源流とした世界観が、光琳による整理の段階を経て、抱一の時代になって完全に仕上がったって感じ。
抱一も其一も実に多彩なタッチを持っているが、特に繊細な表現での宗達・光琳の再現が意識されているように思う。
凡人としては、絶対的な才能の痕跡を次から次へと見せられて、フラフラになるのみなのであった。この「大琳派展」最大の見ものは、宗達・光琳・抱一・其一による4つの風神雷神図が並べられているところだろう。
四者四様の表現を一気に味わうことができるというのは、とんでもなく贅沢な趣向だ。
この4つの中では宗達の作品が国宝として最も高い評価を受けている。そのことについて、自分なりに考えてみる。
上で僕は宗達について、ひどいことを書いている。でも、ここでは先駆者ゆえの荒削りさが魅力となっていると思う。
ほかの3人が自分なりの解釈でかっちりと風神雷神を描いているのに対し、宗達の作品はなんとなく粗っぽい。
それが逆に、モチーフである風神と雷神が本来持っているスピード感としてうまくハマっているような気がするのだ。
宗達が描ききる前に、風神と雷神が空白部分にせり出そうとしている感じがするのである。というわけで、ずいぶんと偉そうなことを勝手に書いてきた。でもこれが、正直な僕の感想なのである。
午前中にハローワークで手続きをする。ついでに今後のお金の稼ぎ方についても相談をする。
こちらの想定していた動き方ができるようなのでちょっと安堵。といっても、経済的な苦しさはなかなか変わらない。その後はカフェに入ってバリバリと函館日記を書いていく。なぜか異常に調子が良く、一日分を書き終えた。
あともう少しでこの旅の記録も完全にできあがるわけで、ほっと一安心である。
それにしても、こうして旅行記が終わりに近づくと、決まって次の旅行への欲がムクムクと湧いてくる。
どこかへ行く余裕なんてまったくないのに。でも京都に行きたい! お金がない! でも奈良にも行きたい!
ここんところデジカメの調子がイマイチ思わしくなかったので、修理に出した。
この日記を書きはじめた当初は「デジカメ? ハァ?」というレベルの興味関心で、
むしろいかに画像を使わないで見たものを表現するかに力を入れているくらいなのであった。
(その最たるものが2004年8月の関西旅行だったっけ(→2004.8.5)。ひたすら文章、文章。)
その後、偶然デジカメをもらって(→2005.3.11)日記に画像を貼りつけるようになり、
さらに給料で新しいデジカメを自力で購入して(→2007.6.17)撮影しまくるようになり、今に至る。もはやデジカメがないという状態に、不安を覚えるようになってしまっている自分がいる。
何かネタになることがあって、それを逃しちゃったらどうしよう、という不安感である。
いろんなことがある毎日、平凡なものから特別なものまで簡単に記録できる道具がないということが、
こんなにも頼りない感じのするものだとは思わなかった。僕もすっかり現代っ子である。
まあとにかく、早くデジカメが元気な姿で戻ってくることを祈るばかりだ。
新宿は都庁の第二庁舎へ。いよいよ悲願達成の日が来たのである。
エレベーターで27階に上がると、持参した教員免許状の引換証を提出。
そしたらすぐに、2枚の白い紙を渡された。片方は中学英語の免許状、もう片方は高校英語の免許状だ。
免許は単位を揃えれば取得できるわけだから、それほど困難なことではない(教育実習をせにゃならんが)。
とはいえやはり、これを目標に今までがんばってきたわけだから、感慨も一入である。思えば2006年の5月24日、ふとしたことがきっかけで、このままでいいのかと真剣に考えた(→2006.5.24)。
それから国立に行って一橋の教務課に直談判し、通信教育で単位を取るという方法を教えてもらった(→2006.6.16)。
その夜、まるで深海の底のように暗い渋谷のマンガ喫茶のブースで半ば絶望しながらネットをつないだら、
わずかな光が差し込んできたのを見たっけ。感傷的な表現で申し訳ないけど、でも本当に、そのときにはそう思った。
そしてその日以来、脇目を振ることもあんまりなく、自分の中に出てきた結論に向かって突っ走ってきたわけだ。正直、最初のうちには迷いもあった。しばらくはとりあえず単位取得をコツコツ続けることだけを考えて過ごした。
でも同じ毎日を繰り返しているうちに、決意が完全に固まった。自分で決めたスケジュールを寸分の狂いもなく実行した。
そうして2年半前に考えたことを、僕はほぼすべて実現した。2年半前の自分が正しかったことを、この手で証明したのだ。
トラブルになるから具体的なことは書けないけど、あのときに自分が感じたことを不安になって疑ったことなど、一度もない。
唯一の誤算は現在の経済的な苦境だが、まあこれは今月の過ごし方から、ポジティヴに解決できると確信している。
とにかくこれで、2年半前の分岐点について「~たら」「~れば」で考えることは二度となくなった。
誰が何と言ってこようと今の自分が正しい、そうとしか言いようがない現実を、あらためて味わっている。今後の具体的なことがわかるのはまだまだ先の話であり、今はまだスタートラインにも立っていないことは自覚している。
そんでもって、ここからさらに、なんとかしてもうひとつ、事態を転がしていく意欲は十分持っている。
といっても、運が良ければ転がるかな、という程度の話だ。僕だっていちおうはオトナのはしくれ、その辺は冷静だ。
自分としては、まだまだ努力を続けていくだけだ。それが今度は、結果の見えない未来に向かっていくだけのことだ。
横浜へ昨日までの仕事に関する書類を提出しに行く。
本当は郵送でも構わないんだけど、とにかく記入項目が多くてややこしいので、直接行って確認することにしたのだ。
気分転換に、久しぶりに第一京浜(国道15号)を行く。こっちの方が第二京浜(国道1号)よりも走りやすいのだが、
遠回りなのであんまり使わないのだ。気楽にのんびりと走り、そのままみなとみらいを突っ切って桜木町へ。横浜の事務所に着くと、社員の皆さんが妙にお出迎えモード。お菓子やらなんやらを次から次へとくれるのであった。
今回の仕事は客観的に見てトップレベルのハードさだったようで、ひたすらねぎらいの言葉をかけられた。
さんざん「今後もよろしくお願いしますー」と言われつつ事務所を後にする。久しぶりの休みだし、のんびりするかなあと東急ハンズを歩きまわってみる。
本当にゆっくりと各フロアを見てまわる。じっくりひとつひとつの品物を見ていくと、ハンズは実に楽しい。
こんなことやってみたいなあ、という意欲を掻き立てられるのである。金さえあれば最高なんだが。
メッセンジャーバッグの売り場では、FREITAGで好みの柄のものを発見してしまう。
鮮やかな青にオレンジの線が入っており、ニューヨーク・メッツのファンにはたまらない色合いである。
サイズの小さいバッグなので使う機会はないだろうし、そもそも金がないのであるが、これにはヨダレが出た。
半年前だったら絶対に衝動買いしてたなあ……と思いつつ、断腸の思いでその場を去るのであった。
オレの代わりにウチのオカンが買ってくんないかな。しっかり働けば休みの日は格別に楽しいものだ。
陸上競技のイベントも今日で最終日ということで、いつもと同じように気合を入れて臨む。
しかし、予想をはるかに超える事態の連続で、しっちゃかめっちゃかになるのだった。午前中は何ごともなく終わったのだが、午後になってチラホラと問題が発生しだす。
最初は救急車の出動要請。選手が転んでスパイクでケガしたとかで、スタッフ控室は一気に緊迫した空気に。
そして忘れ物の拾得報告、遺失物の届出と問い合わせ電話など、これまでなかったものがいきなり急増。
極めつけがパトカーの出動要請である。タダで入れろと無茶を言う人が現れて、スタッフ総出で対応する。
しかしその間も控室に詰めて、正常なイベント運営に努めるのがわれわれの仕事なのだ。
交錯する情報を無線で聞きながら、じっと座って耐えるのであった。「動かずその場にいること」が大切なのである。
そんな中でもパンフレットの在庫を補充してくれというお願いや大会限定商品の扱いについての問い合わせなど、
雑務が舞い込んできたのでそれをこなす。時間の感覚が完全になくなるほどの忙しさだった。それにしてもディレクターの方の仕事のできるっぷりはものすごい。
トランシーバー2つにケータイ2つをフルに使って情報をまとめ、指示を出しつつ自分も動く。
ゲートを管理するADのお二方も、与えられた仕事を少しのミスもなく完全にこなしている。
こりゃあ同じ空気を吸っているだけでも勉強になるわ、と脱帽。いや、もう、本当にすごかった。
仕事ができることについて「経験だよ」とADの方は言うのだが、経験をここまで存分に発揮できるものなのか、と感心。
どんな状況でも焦らず冷静に判断できる点が、ディレクター氏・AD両氏と僕の大きな違いである。
経験を積んでいるからそういう落ち着きを失わないでいられるというところもあるんだろうけど、
生まれついての才能だとか能力だとか、そういうものを考えてしまうくらいに差を感じた。
ディレクター氏は僕について「一生懸命でいいやつなんだけど、簡単にテンパって焦っちゃう」と評していたそうだ。
短い期間だけどしっかり見抜かれているなあ、と舌を巻くしかなかった。そんでもって欠点を直さないとなあ、と反省。イベントが終わると、信じられないほどの量の忘れ物が届いたので、ひたすらその整理をして過ごす。
傘やタオルならまだわかるのだが、中にはスパイクなどの商売道具もあり、呆れるよりほかにないのであった。
夜9時までみんなで片付けをしたのだが、あまりに忘れ物がたくさんあったため、それまでずっとその仕事につきっきり。
今後イベント会場では忘れ物・落し物を絶対にしないようにしよう、と固く心に誓うのであった。今回の仕事は本当にハードだった。しかしそれ以上に、多くのことを学んだ。
それは仕事のできる人の姿をしっかり見ることができて自分に何が足りないのかを知ることができたということもあるし、
自分より立場が下の人に対しても優しく接することの大切さを身をもって感じることができたということもある。
ガッツリ稼げるということで応募した仕事だったのだが、お金以外にもたくさんの収穫を得ることができて非常によかった。
本日も一日中、緊張感を持って待機し、指示を受けて動く。
で、今日は大会プログラムに誤植が発覚し、シールでの訂正と正誤表の挟み込みという雑務が加わった。
そのため、待機している間はひたすらその仕事。様子を見に来た運営会社のお偉いさんもこの雑務をやる始末。
運営スタッフの控室では、席に着いているほぼ全員が黙々と修正作業に取り組むのであった。昼になり、昨日から僕が観客席に出るたびにポカをやらかしていた事実が発覚した。
それまで準備日と同様に気軽にフェンスを飛び越えて観客席に出入りしていたのだが、
昨日も今日も大観衆の前でそれをやっていたということで、厳重注意を言い渡されるのであった。情けない話である。
それで午後は大いにへこんで過ごすのであった。でも仕事じたいはごくごく平和で、特に問題もなく一日が終わった。帰りの電車の中でも、もっと周りをよく見る人間にならんとなあ、と反省。今さら。
ところでこの仕事では、昼に崎陽軒の弁当が出るのである。
この日は弁当がなぜか大量に余ってしまい、ぜひ持って帰ってくださいと言われる。
捨てるのは絶対にもったいないよねと、僕は3個も家に持って帰るという行動に出たのであった。
いやー、贅沢な晩ご飯なのであった。
4時に起きて支度をし、松屋で豚めしを食べると始発の電車に乗る。それで約束の6時ほぼギリギリに会場入りができる。
日給1万円は甘くねえなあ、なんて思いつつ日産スタジアムの正面玄関へ歩いていくと、入口にシャッターが下りていた。
まだ辺りが薄暗くて顔もよくわからない中、とりあえずスタッフの皆さんと挨拶して開錠を待つのであった。しばらくしてシャッターが上がると、スタッフ控室へと入る。今日から陸上競技のイベントがスタートするということで、
皆さん表情がややこわばっている感じがする。現場特有の緊張感が早くも漂っている。
本日から3日間の僕の役割は、「運営補佐・遊軍」というやつである。なんでもありの雑務であり、最もハードな仕事だ。
イベントの運営に直接当たっているのは別の会社の方々なのだが、その皆さんからの指示を受けて動くのである。
今回この仕事をやるのは僕のほかにももう1名いて、6時から20時まで、ふたりであれこれ動くというわけである。
昨日のディレクターの方がそのまま僕らの上の立場となる。僕らはいわば、ディレクターの奴隷ってなもんだ。
そして東西のゲートで入場者整理を指揮するのがAD2名。ディレクターの方が直接この仕事を依頼した凄腕とのこと。
この1トップ2シャドーのとんでもない辣腕ぶりを、3日間通して見せつけられることになるのであった。開場時間が近づき、ゲート担当のスタッフがスタンバイし、電話応対係の女性がやってきて、準備はOK。
僕らは運営本部で待機するのがメインの仕事となるわけで、席に着いてじっと声がかかるのを待つのであった。
こういうイベントスタッフ系の仕事では、トランシーバーでの連絡が非常に重要になる。
ふつうはAD以上の立場にある人がつけるものなのだが、今回なぜか、僕らもトランシーバーをつけることになった。
ついこないだイベントの現場に入るようになった人間なのに、これはなんなのだ?と思うがしょうがない。
というか、この事務所と正式に契約したのはおとといの話なんだけどなあ……。
まあともかく、無線で入る情報に耳を傾けつつ、言われるがままに雑務をやる。この日はあいにくながら、かなりの勢いの雨なのであった。でも陸上競技は、ちっとやそっとでは中止にならない。
「雷が鳴らない限りそのままいくから」なんて具合に平然としていて、たくましいもんだなあと思う。
しかしそんな中で昨日つくったコーチ席の区割り変更をするように言われ、しょうがないのでタオルを頭に巻いて外に突撃。
任務を終え、まるで泳いできたかのようにずぶ濡れになって帰ってきた僕の姿にスタッフ全員驚愕なのであった。
あんたらが行けって言ったんじゃないかーと思うが、だからといってまあ別にどうということはない。
言われたから仕事をやった、それだけのことである。でもまあさすがに、その後はしばらく待機するように言われた。体力自慢とはいえ、さすがに夜8時まで緊張感を持って動くというのは本当にハードだった。
大岡山に戻るとメシを勢いよくかっ込んで、風呂に入って寝る。
横浜・F・マリノスの本拠地でおなじみの日産スタジアムにてお仕事。
明日から陸上競技のイベントが行われるということで、その設営などをやるのである。最寄りの小机駅に集合ということで待っていたら、時代劇に出てくる素浪人のような雰囲気のスーツの男性が現れた。
その方が今回のリーダー(ディレクター)で、昨日事務所に来てたよね、ってことですみやかに合流。
このときにはまだ、今回の仕事がどうなるか、どれだけこの方が辣腕かということを知る由もなかった……。日産スタジアムは非常に大きく、見えてもたどり着くまでけっこう歩かされることになる。
中に入ると運営会社の皆さんにご挨拶して、さっそく雑務がスタート。
誰か一人は本部に待機しているように言われ、運がいいのか悪いのかその役に当たってしまった僕は、
こんがらかったLANケーブルをほどく仕事を与えられるのであった。そんでもってかなり悪戦苦闘。
最終的には翌日ADとして大活躍をみせる方に手伝ってもらってどうにか終わったのであった。情けない。その後は観客席にテープを張ってコーチ席をつくる、スチロールボードを使ってパネルをつくる、
会場のあちこちにポスターを貼る、などの仕事をした。うっすらと雨が降る中、黙々と作業をするのは切ない。◇
あ、気がついたら31歳になってました。
今日は仕事の予定を入れていないので、いちおう休みなんだけど、横浜にてまた別の事務所と面接。
少し早めに事務所に着いて、そこで履歴書を書かせてもらう。毎回思うが、われながら変な学歴である。
その後、係の方から今回の仕事についてガイダンスがあり、続いて事務手続きの説明があった。
書面を通す手続きのスタイルのややこしさが、なんとなく昭和の香りのする会社なのであった。それにしても、この3週間で休みが2日(うち1日は事務所で面接)だからなあ。われながら、よくやるよなあ。
今日も来場者の車を案内するのであった。昨日で要領がつかめていたこともあって、まったく問題なく終了。
誘導の仕事が終わってから、しばらくは片付け作業。しかし人数が多いところに適切な指示がないため、
なんともグダグダムードが漂うのであった。ちょこちょこと物を運んでお役ご免、バスとTXで秋葉原へ。メシ食って帰宅。イベントスタッフ現場にはディレクター(D)、アシスタントディレクター(AD)と、まるでテレビ業界みたいな序列があるが、
僕のようなぺーぺーの下っ端は、直接的にはADの指示を受けて動きまわることになるのである。
そしてAD以上は給料がぐっと違ってくるそうだ。まあその分、責任だとかいろいろ背負い込むものもぐっと増えていく。
で、今回はこのADの人が非常に面白いというか独特なリズムを持っている人なのであった。
これはマネしようと思ってもマネのできるものではない。生まれもっての素質だなあとしみじみ思った。
かつて小学校や中学校にいた、天然ボケではない「天然芸人」のクラスメイトの姿を思い浮かべた。
大人になって、なぜかそういう人間に出会う機会が激減してしまった(みんなマトモになっちゃってるってことだろう)。
久々に天然芸人に出会って、あーオレこういう方面の友達をもっと積極的につくっておくべきだったわーと痛感したよ。
ぜひまたどこかでお会いしましょう、タニグチさん。
編集の仕事をしているときには、頼まれてつくばの某研究所にゲラやら何やらを送る雑務をしたもんだ。
そして今日やる仕事が、その研究所での交通整理だとは。未来とはなんとも予測のつかないものだ。
研究所のオープンラボ(大学のオープンキャンパスみたいなもん)で来場者の誘導をするという仕事である。
慣れない来場者の車を立体駐車場へと誘導するわけだ。基本的には1時間立って20分休むという感じ。例のごとく下請け派遣で朝の6時20分にTX秋葉原駅に集合。そこからつくばに行って、さらにバスに揺られるのだ。
給料じたいは決して悪くないので文句はないが、朝早い集合でつくばまでの移動はなかなか切ない。
場所が広くて仕事の種類も多いためか、つくば駅に着くとかなりの人が集まっていて驚いた。
僕を含めてスーツ姿の馬の骨がワッとバスに乗り込む。なんとも壮観なものである。広い部屋に全員集められてミーティング。その後、役割ごとに分かれてさらにミーティング。
終わるとさっそく業務開始。天気のいい中、持ち場でボーッと突っ立っているのであった。
来場者はパスをプリントアウトして持参してくるとのことだが、車内で外から見えづらい位置にパスを置く人が多くて困った。
でもまあそのうち慣れてきて、要領がつかめてくる。あとは太陽光線をうまく避けつつ淡々と仕事をこなすのみ。
昼飯は弁当が支給されたのだが、突っ立っているのにもエネルギーは消費されるわけで、うーん少ない、となる。
燃費の悪い子はこういうときに困る。ポケットにしのばせたハイチュウを舐めつつ足りない栄養を補給するのであった。辺りがすっかり暗くなったところで仕事が終わる。バスに揺られ、つくばエクスプレスに揺られ、秋葉原に到着。
さすがに自宅でメシを炊く気がしなかったので、外食して帰る。マジメに働くとメシ代の節約なんてできないよ。
本日も足立区の住宅展示場の駐車場でデモンストレーションである。
昨日よりは客が来るんじゃないか、という話だったが、まあ確かにちょぼちょぼとは来たって程度。
住宅展示場ってのは小さい子どもを連れた夫婦が来るもんだと思っていたのだが、
キャンペーンか何かをやっていた影響か、近所の主婦が一人で自転車で来る、というパターンが目立った。
まあそういう人も説明を聞きに来てくれるわけだから、こっちの商売としては特にそれでどうこうというわけではない。それにしても日本は平和だなァーなんてのん気に思いつつ、本日も日が暮れるのであった。
さて、暗くなったらお片付けの時間である。デモンストレーションを行うのはこの土日の2日間だけなので、
今日はすべてを片付けてデモンストレーションのセットを運送会社に持って帰ってもらうのである。
そしてここで、梱包の凄みを見た。運送会社のおじさんたちは、ものすごく手際よくセットをバラしていき、
用意してあった素材で素早く梱包すると、トラックの中にムダなくそれらを詰めていくのである。
それはまさに「収納美」と言えるようなものだ。もちろん重さのバランスも考えて安全に積んでいる。
同じように僕も片付け・梱包の作業をやっているのだが、ゆうに2倍は時間がかかってしまう。
取り出す/とっておく、組み立てる/バラす、そういった洗練された技術を垣間見て、これはすごいもんだと感心。
ロジスティクスおそるべし、とあらためて思うのであった。
今日の現場は北綾瀬駅から少し歩いたところにある住宅展示場である。
何をするのかというと、某調理用家電のデモンストレーションをやるので、その下働きである。北綾瀬というのは東京メトロ千代田線の盲腸線である。足立区である。
当然のごとく自転車で行ったのだが、南の果てである大田区から北の果てである足立区までは、やっぱり遠い!
場所が自宅と同じく環七沿いとはいえ、ゆっくり弧を描いて行くなんてバカな話はないわけで、上野経由で突っ切る。
感覚的には秋葉原の辺りが中間地点になるわけだから、その遠さたるやタダモノではないのである。で、指示された集合時刻の15分前には現場に到着。担当ディレクターの方と挨拶を済ませると、
運送会社が直接持ってきた器材を下ろして組み立てていく。駐車場の一角にテントを張って、そこでデモをやるのだ。
こういう野外のテントでのデモンストレーションは何度か見たことがあるけど、その一部始終を目にするのは初めてだ。
デモンストレーションの規模によって、何種類かのセットがあるんだそうだ。今回用意したのはフルバージョンとのこと。
複雑な工具は一切使うことなく(レンチを1回だけ使う程度)、梱包されている台や器材を取り出していく。
なるほど、こうなっていたのかーという発見に目からウロコをボロボロ落としつつ、指示されるままに作業をしていく。2時間弱で準備は完了し、実際に調理をしてみせる説明員の女性2名もやってきた。
そして11時少し前に朝礼をして、いざデモンストレーション開始である。が。客が来ない……。
午前中に家族連れ一組が来たが、あとはまったく客が来ない。住宅展示場じたいに客が来ないので、どうしょうもない。
お昼を近くのファミレス(話題のサイゼリヤで初めて食ったぜ)で食べて戻っても、客は来ないままである。
しょうがないので用意した麻婆豆腐セットをその場でつくってみんなで食べたり。「試食も仕事のうちだよ」「はい」夕方になって空が暗くなりはじめ、本日のデモンストレーションは終了。
説明を聞きに来たのは、展示場に来た純粋なお客さんよりも、ここで働く住宅メーカー社員の方が多いんでやんの。説明員の女性たちが帰ると、テントの中に各種の道具をまとめて片付けをする。
朝と同じく、なるほどよくできてんなーコレ、と感心しながら作業をしていくのであった。
最終日ということで、来場者数はピークに。もうぐちゃぐちゃのめちゃめちゃなのである。
とはいえだいぶ仕事に慣れてきたこともあり、動ける限りはどうにかかっちりと動くことはできた。
昨日の反省もあり、自分の手に負える範囲を超えた部分での不備を背負い込んでキレることもなく、
とにかく自分に与えられた部分でのクオリティの維持にベストを尽くしたのであった。おかげで評価も上々だったようだ。僕は小さい頃から委員長だの会長だのを任されることの多い人生を歩んできているが、
その仕事をしていくうえで、効率の悪い部分に対して大いにキレる短気さを常に発揮してきた。
しかしこうして、人の下で要求されることだけを逸脱せずにこなす立場をあらためて経験してみると、
どんな事態にも動じることなく、冷静に対処を重ねていくことが、人の上に立つのに必要な資質だと痛感させられる。
HQS時代などは、てっぺんでキレる僕をみやもりやリョーシさんが冷静にフォローするという図式ができていたのだが、
今後もそういう運に恵まれるとは限らないのだ。頼れる冷静な相方がいない状況でもひとりでこなせなきゃならんのだ。
人間、成長しようという意欲を失ったらオシマイなのである。しっかり反省して、注意深く生きていこう。
今日もアンケート用紙の補充と回収と整理と集計に追われるのであった。
同じ内容の仕事を2人一組でやっているのだが、その相棒がこれがまあすっとぼけたヤツで、よく姿を消すのである。
(サボっているということではなく、きちんと効いているのかどうかわからない動きをしているということ。)
対照的に僕は、いつでもどこにでもいる非常につかまえやすい人間なので、ほとんどの緊急の用事がこっちに回ってくる。
ちゃんと休憩をとっているのか疑われるほど、あっちへ行っては動き、こっちへ行っては動き、と働くのであった。
で、そのすっとぼけた相棒があまりにヘボい動きをするので、僕はかなりのピリピリムードになっていたようだ。
仕事が終わってそのことに気づき、いつもすぐにテンパって態度がキツくなるクセがいまだに抜けていないことを大いに反省。
これはガキの頃からまったく直らない。30過ぎたんだから、いいかげん泰然自若とした面を身につけたいものだと思う。
今日から本番スタートなのであるが、い、い、忙しい!
そのまま某有名ソフトウェア会社のブースで仕事をやったのだが、巨大企業だけに来場者数がとんでもない量なのだ。主な仕事は、キャンギャルが配布するアンケート用紙の補充。用紙をバインダーに差してカゴに並べて持っていく。
面白いのは「キャンギャルをかがませてはならない」という暗黙の了解があること(契約条項に入ることもあるとか)。
スカートが短いので、かがんだらパンツ丸見えになってしまう。それでひっくり返したカゴの上に物を置くようにする。
そうすることで高さを持たせ、かがまなくても物を取れるようにするというわけである。いやはや、勉強になる。ブースではパフォーマンスが30分ごとに行われるのだが、それが終わるごとに来場者のアンケート提出が集中するので、
アンケートを回収してノベルティグッズを渡すという作業も頃合を見て手伝いに入ることになるのであった。
さらにアンケートの整理と集計、来場者数のカウントまで手伝うことになり、目の回るような忙しさ。
いい歳こいて下働きは嫌いではないので、忙しくてもそれなりに楽しませてもらっている。
明確に自分の経験になっていることがわかる下働きは、大歓迎なのである。
IT PRO EXPOというイベントがあって、そのブース運営の仕事をするのである。
本日はその前日準備ということで、指示されるままに某有名ソフトウェアメーカーの各種の雑務をやることに。イベントスタッフの業務は、すでに完成された世界である。すべての人員は上意下達の指揮系統に組み込まれる。
下にいる人間は、自分の判断で行動してはいけない。判断をする場合には、必ず上の人間の許可が必要となる。
慣れないうちはここの加減がなかなか難しい。気を利かせなくてはいけないが、逸脱することは許されないのだ。
でもまあとりあえずは、言われたことをやり、やり終えたら待機して指示を待てばいい。今日はまず、配布するチラシの整理をした。何の予備知識もない状況で放り込まれるのでしばらく面食らうが、
センスや経験がそこから馴染んでいく時間を決めるわけだ。いろいろ動いていくうちに、状況がつかめてくるようになる。
そんな具合に夢中になって動きまわっていたら、あっという間に規定の時間となって本日の仕事が終了。
今日は完全オフ。休みとはいいものだ、と心の底から思う。
事務所から「この仕事やってみませんかー」というメールが届き、『マネー・ハンター フータくん』な僕としては、
二つ返事で了承なのである。そんなわけで本日の現場は横浜なのであった。スーツ姿で自転車でゴー。あらかじめ仕事の内容は聞いていたが、実際にその現場に来てみると、「うわぁー」と思ってしまう。
予想はしていたけど、それにしても、「うわぁー」となる。なんせ、天下の○ルメスのファッションショーですので。
末端とはいえ、オレみたいなブサイク軍を雇っていいの?と思わなくもないのだが、尻込みしている余裕などない。
スタッフ控室に集まると、まずネクタイを用意されたものと交換するように言われる。そりゃそうだわな、と思う。
それにしても、自分の本日の給料よりも高いネクタイを借りて締めるというのも、なんだか虚しい話である。経験が非常に浅いということで、僕は負担の少ない役に回してもらえることになった。
相方の人がしっかりしている人だったので、ずいぶんと楽をさせてもらいつつ、あれこれ参考になる話を聞けた。
パスを受け取りに行く途中で、衣装に「亀梨和也様」なんて書かれた紙が貼られているのが見えた。
アレだろ、カメナシっつったらカトゥーンで野球やってたやつだろ、なんて程度の知識の僕でもさすがに緊張してくる。そのうち、スタッフ出入口に迷い込む一般客を止める役も担当することに。
スタッフ出入口の奥には本来一般客も使える女子トイレがあるが、そこも封鎖してとにかく部外者を入れるな、とのこと。
しかしながら事情を知らない一般客は、ショーのせいで今日だけ入れないとわかると文句を言ってくる。
すぐ近くの女子トイレ(個室が1つだけ)は行列になっているんだそうで、腹が立つその気持ちは十分理解できるのである。
そこで、「こちらには女性スタッフも多くおりますので、何とぞご理解ください……」と言って頭を下げるようにしたら、
来る人全員とりあえず納得してくれた。オレの頭の回転すげーと一人悦に入ったことよ。それにしても、こういう「華やかな世界」ってのは大変なもんだなあ、とあらためて思った。
スタッフ出入口にやってくる関係者は、やっぱり雰囲気がちょっと違うのである。挨拶もつねに「おはようございます」だし。
なるほど潤平も“こっち側”にいるわけか、と妙に納得。僕にしてみれば、隙を見せられない、気を抜けない世界だ。
オレにゃームリムリ、と思うわけだけど、今日一日は精一杯食らいついていかねばならない。まあこれもいい経験だ。時刻が来て、相方の人と一緒にエントランスへ。さまざまな色の照明の中、シャボン玉が幻想的に飛んでいる。
きれいに積まれたグラスにはシャンパンが注がれている。セレブ風がビュービューに吹き荒れている光景である。
ふと見れば、みなとみらいの夜景が輝いている。久しく忘れていたというか、知る機会も意欲もなかった、
「気取る」ということの持つ意味を考えさせられる光景だった。単純に否定することはないし、積極的に肯定する気もない。
でも、色気のない今の僕の生活を少しずつ気取ったものにしていって、それを繰り返していった先は、こうなっているのだ。
価値観の多様さってものにもっと敏感にならなきゃなーと反省したのは確かである。いやー、勉強になる毎日だ。
本日はラベルはがしの最終日である。
作業じたいにはもうすっかり慣れたのだが、熱でがっちりとくっついた「へ」の字ラベルをテンポよくはがすのは大変だ。
しかもはがした後の紙切れがコンベアに挟まると企業さんに迷惑がかかってしまうので、丁寧さも要求される。
究極的な単純作業も、続けていくと奥が深くなっていくものなんだなあ、なんて妙に感心するのであった。とりあえず第1ラウンドは終了。明日は第2ラウンドである。
R.ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』。ラベルはがしの休憩時間に読むのが日課となっているのだ。
物語の舞台は、地球の植民地となっている月。月はかつてのオーストラリアのように、犯罪者の流刑地となっていた。
主人公はコンピューターのエンジニア・マニー。月の全市民の生活を維持するコンピューターの修理を請け負っているが、
実はこのコンピューターはハードウェアを増設されるうちに人間と同様の知性を獲得していた。
マニーは孤独な彼を「マイク」と呼び友人として接する(マイクからマニーへの愛称「マン」には「人間」という意味が重なる)。
そしてマイクの計算によって現状の植民地状態が続けば月の資源が7年で枯渇することが判明し、
マニーはマイク、反政府活動家の女性・ワイオ、師である教授とともに独立を目指すという話。とにかく、想像力が凄い。月の世界は20世紀~21世紀初頭の地球とはまったく異なる価値観を持っている。
重力が1/6しかないことによる身体観の違いや極端な男女比の偏り(女性が非常に少ない)による婚姻システムなど、
ぶっ飛んだスタート地点に立脚した論理的に正しい設定を用意してくるのだ。こりゃもう、納得するよりない。
この作品ではマニーの一人称を徹底しており、彼にとって自明のことはほとんど説明をしないのだが、
きちんと読み進めばそのうちに慣れてきて、独特の世界観を理解できるようになる。その豪腕ぶりには恐れ入る。
しかも、3人を単位とする細胞による革命分子の構成など、ゾッとするほど現実的な戦略も登場する。
フィクションとリアルが高いレベルが噛み合っているので、読者としては素直に受け入れて先へ進むしかないのである。
また、コンピューターが増設されていくうちに突然知性を持つというのも、けっこう現実味があるように思えてしまう。
(浅田彰『構造と力』(→2004.3.21)では人間が知を獲得してしまった瞬間が述べられており、共通項が興味深い。)
グリッドコンピューティングをガンガンやっていくうちに、「幽霊」が現れる日が来るかもしれない、なんて考えてしまうのだ。
そしてマイクは電話回線を支配する立場にあることで、情報を完全に掌握。各種端末からの監視活動もこなしてみせる。
それどころか、CGを使ってアダム・セレーネという人格までつくりだし、革命の中心として利用する。
現代風に言えばインターネットを利用したゲリラ的な戦術を、意思を持ったコンピューターがこなすのだ。
いたずら好きだがミスを犯すことのないマイクが革命に参加するのは、マニーの友人であるから、その一点。
つねに緊張感を漂わせながらも、ちょっと奇妙で痛快な友情物語としてストーリーは展開していく。で、感想。僕としては、とにかく設定が想像力に富みすぎていて、そこでつっかかってしまったのは否めない。
僕の側での想像力が足りないせいで、描写されているものがうまく映像として出てこなくって、
それで仕方なく「飛ばした」点がそこそこあったのだ。これはもったいないなあと思う。
とはいえ、『夏への扉』(→2005.12.5)のときほど大はしゃぎして読んだわけではないのは確かで、
ハインラインのとんでもない想像力だけで押し切られて終わった気がするのである。
最初の設定の段階で圧倒されてそのまま、という感触。なるほど確かにあんたはすげーよ、と。
でもハインラインの凄みはわかったけど、その描いた月世界が魅力的だったかというと、僕には「否」なのだ。
マニーは自分や家族、月世界市民を守るための活躍をしたわけだけど、その守るべき月世界じたいの魅力がわからない。
だから作品を読んでいる間ずっと、描かれているその世界の中にどっぷり浸かるというよりも、
つねにハインライン本人の才能それじたいと向き合っていた感じがしたのだ。エンタテインメント、ではなかった。ところでこの作品のタイトルを正確に訳すと、「月は厳格な女教師」となる。
うまい邦題をつけて売ったもんだなあと思う。内容を考えるとアウトかセーフかギリギリアウトの訳しっぷりなんだけど、
このタイトルだからこそ多くの人に読まれた、という側面は絶対にあるだろう。いやはや、難しいものだ。
天気が悪いとビッグサイトまで行くのに、りんかい線を使うことになる。これが高い!
ふざけんじゃねーよ、買い取れJR!と思うのだが、オトナの事情は複雑なようで、どうにもならない。天気が良くてもビッグサイトまで行くのには、自転車だとレインボーブリッジを渡ることができないため、
築地・豊洲経由でまわりこまないといけないのだ。正直、このロスは走っていて虚しくなってくる。
唯一の救いは、晴海大橋から眺める景色がすばらしいこと(→2006.10.7/2007.2.3)。
行きは青空の下、帰りは夕暮れの中、いかにも新しい東京の姿を眺めて一息つく。そしてまた走り出すのである。
今日もひたすらラベルはがし。
昼メシは節約のため、コンビニでコッペパン2個を買ってそれで済ませている。
飲み物は、コンベアで回すペットボトルのお茶のうち、熱で外周のフィルムに穴の開いたものをくれるので、それを飲む。
今のところは貧乏もまた楽しい。今のところは。
今日より東京ビッグサイトで本格的に仕事がスタートなのである。
さて今回もらった仕事は、「2008東京国際包装展(東京パック2008)」で出品されている機械のフォローである。
コンビニでペットボトルの飲み物を買うと、ボトルの首のところにキャンペーン告知のラベルがついていることがある。
このラベルは今まで人の手でくっつけていたのだが、それを自動的にコンベアの上でやるという機械なのである。
コンベアは回転寿司状態で展示ブース内をぐるぐる回っており、そのラベルをどこかではがしてやらないと、
機械が二重三重でまたラベルをつけてしまうことになる。これは見栄えがよろしいものではない。
そこでラベルはがし要員をバイトで募集したというわけだ。今日から4日間、はがしまくりである。ラベルは2種類。ラベルに開いている穴をそのままボトルの首にかけるシンプルなタイプ(エプロン型)と、
真ん中に開いた穴を首に通し、そこに熱を加えて「へ」の字に曲げるという凝ったタイプ(ケープ型)である。
3人のうち2人がはがして残りの1人が休憩というローテーション。40分はがして20分休み。特別にこれといったトラブルもなく初日は終了。クライアントの企業さんは感じのいい人ばかりで非常によい。
なんつーか、世の中面白いなあと思いつつ自転車をこいで帰宅。
僕は根が暗い人間だからか、人と会って話をすることにけっこう「照れ」が入る。
学校行ってたり会社に行ってたりしているときにはそんなこと言ってられないので意識することがないのだが、
こうして一人で黙々と何かをする時間を長く過ごしていると、あらためてその事実に気づいて妙におどおどしてしまう。
(半年前までいた会社はこの点、出勤しても一人で黙々とする時間が多かったので、それでまあゴニョゴニョ……)
使わないでいると筋肉がしぼんでいくのと同じような感じで、鍛えておかないと人と接する積極性がしぼむのだ。
なんとも情けない話なのだが、それが事実なのでしょうがない。今回、事態はけっこう切迫していて、あれこれウジウジジメジメしているヒマがない。
それでここんところの自分からは考えられないほど勢いよく飛び出して動いている。
まあ、それもまた本当の自分なのだということで、前向きに捉えてふんばっていくことにしよう。とりあえず、明日より本格的に仕事生活。
ネットで仕事の情報を収集して過ごす。あとは日記を書く。
ニュースでたまにやってるネットカフェ難民やワーキングプアの特集、本当に背筋がゾッとする。
というわけで、さっそくバイトの面接に行ってきたのだ。
詳しい理由はわからないけど、とにかく「この日まではどれだけ働いても構いません」というラインを提示してもらったので、
そこまでは働いて働いて働きまくるしかないのである。漠然とした書き方で申し訳ないが、今月は馬車馬になるってことだ。バイトといってもいろいろあるが、決まった期限までを自分の都合に合わせて仕事できるジャンルはあんまりないと思う。
ネットで調べた結果、イベントのスタッフなら自分でスケジュールを管理できることがわかったので、さっそく応募。
で、本日面接というか事務所で登録。これで僕も日雇い派遣労働者の仲間入りである。今年の経歴は、会社員(4ヶ月)→通信教育の大学生(5ヶ月)→ニート(3日)→日雇い派遣労働者となったわけで、
そんなオモシロ状態(と、いつまでふざけていられるやら……)になった記念として、久しぶりのバーガーキングでメシを食う。
しかしこれが高い。泣きそうになりながら大きめのハンバーガーにかぶりつくのであった。そんでもって日記も書く。
人間、ケツに火がついたらパワフルになるものです。
昨日ハローワークに問い合わせてみた結果、今後の財政状況がとんでもなくピンチになることが判明した。
僕の理解が不足していたといえばそれまでなのだが、制度が複雑すぎる点にも問題があるはずである。
お金の事情は人それぞれで違うわけだけど、そういう個々の事情を丁寧にフォローすることができないのはまずいでしょ、と。
窓口の職員を責めたいわけではないのだ。総論をひたすらオウム返しで、各論については訊かれた部分だけ答える、
職員がそういうことしかできないくらいに複雑な仕組みをつくったやつらに対して中指をおっ立てたいのだ(年金だってそうだ)。
とりあえず、官僚と一緒になってあっちこっちで複雑怪奇な福祉政策を進めてきた自民党は絶対に許さねえからな。まあとにかく、今月は徹底的に稼がねばならない事態となった。そうと決まれば動くのは早いよ。
上野瞭『ひげよ、さらば』。ヒゲを剃った記念に図書館から借りてきて読んでみた。わざわざ大田図書館まで行ったよ。
で、これは児童文学に分類される作品で、かつてNHK教育で人形劇化もされている(タイトルは『ひげよさらば』)。ナナツカマツカと呼ばれる土地にたどり着いた記憶喪失のネコ・ヨゴロウザが主人公。
彼を縄張りに連れて帰った「片目」は、野良犬や野ネズミとの抗争にあたって野良ネコたちが団結する必要性を説く。
しかしネコとは元来気まぐれな動物で、なかなか片目やヨゴロウザの思いは通じない。
そんな中、野良ネコたちのリーダーに推されたヨゴロウザは野良犬の縄張りへ踏み込むことになる。といったあらすじ。物語というものは、作者の想像力が繰り広げる格闘の痕跡である、と僕は思う。
人間というのは面白い動物で、自分の考え出したものとつねに戦うことが運命づけられた唯一の存在なのである。
本質的にシビアにできている世界をなるべくスムーズに生きるため、人間は想像力を使い自らを取り巻く環境を整理する。
その整理の方法のひとつが物語である、と僕は考えている(最大サイズの物語が宗教やら神話やらであるわけだ)。
まあこれは大げさなレベルの話で、もうちょっと小規模な集団・個人レベルで展開されるのが小説とか文学ってことになる。
(だからそういうスムーズに生きるための「発見」を他人に伝えたい!という意欲から作品が生まれる、と考えているのだ。)
クリエイターは自分の生み出す物語と格闘することになる。理性でもって、物語をコントロールすることが必要になる。
そうしないと、作品はただのキメラになってしまうからだ。美しく完結させることができなければ、物語は価値を持たない。
膨らませた風船はきちんと口を縛らないとどこかへ飛んでいってしぼんでゴミになってしまう。それと同じことなのだ。さて、そういう視点からすると、この作品に対する評価は非常に辛いものとならざるをえない。
明らかに、作者は自分の生み出した物語に負けた。物語の世界を制御することができずに終わってしまった。
ネコならではの表現など、ところどころ目を引く部分はあるのだ。しかし、そういう細部に気を取られているうちに、
全体の流れを完全に見失ってしまって、慌てて最後のところで尻すぼみな結末をつける破目に陥っている。
野良犬たちの最期、ヨゴロウザの記憶についての浮き足立った種明かしなど、本当にもったいない仕掛けが多すぎる。
この作品では戦闘など緊張感のあるシーンについての情景描写に力が置かれているのだが、そこにこだわりすぎている。
心情の説明につながらない情景描写など、文字数のムダでしかない。おかげでネコたちが本質的に抱えている問題、
つまり自分たちの本能(気まぐれさ)を乗り越えることへの挑戦を、読者に訴えかけるという要素が弱くなってしまっている。
その挑戦が最終的に失敗するのは、それは物語の流れとして正しいというか、肯定できる展開なのである。
でも本来その難しさを描くべきはずの労力を戦闘シーンの方へとムダに割いてしまっているので、
作品として持っているテーマ、読者に伝えたいことが、ものすごい言葉足らずとなっているのである。
作者が物語に負けたとは、つまりそういうことだ。NHKは完成度の非常に低いこの作品を、よく人形劇化したなあ、と思った。
設定を利用あるいは改変しながら、上記の「失敗」をどのように取り返そうとしたのか、とても興味のあるところだ。
1ヶ月にわたって伸ばしていたヒゲを一気に剃った。今月からはシャンとしていかないと。