diary 2007.9.

diary 2007.10.


2007.9.30 (Sun.)

川崎×甲府戦を観に行く。等々力陸上競技場は我が家からけっこう近いので、自転車で行ける。
こりゃいいやと思ってチケットを購入したら、本日は雨なのであった。仕方なく電車で行く。
まだ風邪は完治していないどころか喉が痛くなってきているし勉強せにゃならんしで、
本来であればそんな余裕をかましている場合ではない。でも行く。
雨の中、部屋でじっとしていても気分が落ち込むだけだし、景気づけに観戦するのである。
本当は優雅に自転車で乗りつけたかったのだが。まあ、代わりに四国旅行が晴れればいいかな。

新丸子駅から住宅街を歩いて等々力陸上競技場へ。まずは一周して様子をみてみる。
けっこう穏やかな印象がする。首都圏での試合ということもあってか、意外と甲府サポも多い。よかったよかった。
最近の川崎フロンターレは選手がセレクトしたガンプラを売ったり選手がヲタ芸を披露したりと、
なんだかよくわからんが元気な印象である。しかし甲府もJ1残留のため、負けるわけにはいかない。

 
L: 川崎のホーム・等々力陸上競技場。川崎なのに「等々力」なのは、かつて多摩川が蛇行していた名残。
R: 試合前の練習の様子。がっつりと雨である。参った参った。

川崎は前節の柏戦でスタメンを大幅に入れ替えて問題になっていた(ACLとの兼ね合いのため)。
で、この試合はこれでもか!というくらいのベストメンバー。甲府は前節成功した4-4-2で迎え撃つ。

試合開始。案の定ブラジル人選手を中心にサイドから勢いよく攻め込んでくる川崎。
甲府のサイドバックはきっちり対応する。が、なぜかカードが出る。甲府のスタンドからは疑問の声があがる。
それでも気を取り直してプレー再開。甲府は鋭い川崎の攻撃をしのぐと、
一瞬の隙を突いて宇留野が左サイドに切り込みクロスを上げる。それを藤田がボレーして先制。
ところが、この試合の審判は完全に狂っていた。甲府の選手に対してイエローを切りまくる。やたらとファウルをとる。
その一方で川崎の選手が甲府の選手を倒しても平然と流す。ここまであからさまにおかしいジャッジは初めて見た。
前半40分を過ぎたところでこの日イエロー2枚の右SB杉山が退場。大混乱の中、どうにか前半を無失点で切り抜ける。

 
L: ハーフタイムのアウェイスタンド。ほっと一息。
R: 後半、雨の中ただひたすら耐える甲府。なんとしてもこのまましのぎきりたいところ。

後半の甲府はFWをDFに代えて守備を固める。数的不利である以上、やむをえない選択である。
甲府は川崎の猛攻をしのいでは攻め上がるものの、相手GKやDFに鮮やかに止められるシーンがチラホラ。
GK阿部を中心に一丸となって守備をして、このまま守りきれるんじゃないかという雰囲気を漂わせる。

が、試合を壊したのはまたしても審判だった。後半20分辺りから再び不可解なイエローを乱発しはじめ、
ついに甲府は2人目の退場者を出す。FWアルベルトを引っ込めてDFを入れたため、ピッチ上にFWがいない状況になる。
11対9という圧倒的に不利な状態。ただひたすら、相手のボールをかき出して耐え続ける姿は痛々しいほどだった。
それでも抜群の集中力で踏ん張り続ける。オレは今、とんでもない奇跡を目にしているのかもしれない、と思う。
だが最後の最後、電光掲示板に表示された文字にアウェイスタンドの全員が言葉を失った。――「ロスタイム4分」
それを目にした瞬間に脱力してしまったのかもしれない。ゴール前の混戦から失点、甲府は逃げ切りに失敗した。

試合終了後、甲府の選手には実に暖かい声援と拍手が贈られた。
悔しくてしょうがないのだが、あれだけの異常なジャッジの中で、それでも負けなかったというのは本当に誇らしいことだ。
そういうわけで、頭の中空っぽのまま武蔵小杉駅まで歩いてメシを食うと、電車に乗って帰る。
いろいろ気持ちを切り替えて勉強しよう。


2007.9.29 (Sat.)

熱はおさまったが、まだなんとなく調子が悪い。すべてにおいてやる気がしない。
……と書くと「いつものことじゃないのか?」とツッコミが入りそうだが、いつも以上にやる気が出ない。
本当に最低限の課題・英語史の用語まとめをつくった段階で本日の勉強は打ち止めである。
各種チケットを確保するためにコンビニに行った以外は特に外出することもなく、不健康に過ごす。

そういえば、先月かなり苦しんだ夏期スクーリングの単位が無事に取得できた。
あともう少しだ。もう少しといってもあと3回のテストがあるが、単位数の上ではあともう少しなのだ。
自分のためにやっていることだから、言い訳なんて存在しない。とにかく、やるのだ。やるのだあああ。


2007.9.28 (Fri.)

午前6時の段階でまだ38℃。アスピリンを飲んだら、9時くらいには見かけは平熱まで戻った。
このまま休みを一日取って有給をつぶすのも癪なので、午後から出社。
といっても、今はちょうど特にやる仕事がないので、上司のお手伝いをして過ごす。
それでも退社時刻までにはかなりヘトヘトになっていた。
今回の発熱は原因がわからないのでなんとも困る。いったいどうすりゃいいんだか。


2007.9.27 (Thu.)

会社にいるときから、誰かにずっと全身を触られているみたいなゾワゾワした感触がして、
それは時間が経つとともにどんどんひどくなって、夕方5時にはもうフラフラ。
家になんとか帰って熱を計ったら38℃オーバー。とにかく熱くて、寒くて、頭が痛くて、汗が止まらない。
結局、勉強も何もできないままギブアップ。きつい。

 それでもこういう写真を撮ってみるだけの余力はあった。


2007.9.26 (Wed.)

ネタもないし、左打者になるための素振りばかりで僕の貴重な10代を浪費した件について書いておこうか。

ある日、僕は思い立った。スイッチヒッターになろう!と。
もともと父親であるところのcirco氏はPTAのソフトボール大会なんかで左打席に立ってみせるような物好きで、
そういう物好きの血を色濃く引いている僕としては、みんなと同じ右打席に立つことに飽きてしまったのである。
僕はバッティングのときに左手と比べて圧倒的に右手の方が強いし(押すのではなく払うバッティングが良いとされる)、
しかも右目が利き目だから左打席の方がボールをしっかりと見ることができる。左打席の方が有利になるはずなのだ。
それで突如として、左打席でも打てるようになるべく猛烈な素振りを始める。中学3年の2学期のことである。
常識のある人間なら、「中3の2学期」が何を意味するかはすぐにわかるだろう。
しかし僕はそんなもんそっちのけで、毎日3時間は素振りをしていたのである。もちろん勉強なんてしている暇などない。

最初のうちは女投げならぬ「女打ち」とも呼べないほどひどいスイング、いやスイングと呼べるシロモノですらなかった。
しかし僕はアホなので、そんなことにめげず毎日素振りを続けた。野球部でもないのに。もちろん勉強などしなかった。
なんでかわからないけど、この左打席転向のための素振りは本当にマジメに続けた。とり憑かれたように振っていた。
実際に肩に触ってみるとわかるが、肩甲骨のいちばん上のところは出っぱっている。
そしてスイングがヘボいと、ここにバットがゴリッと当たってこすれる。「お前はどんだけ非力だったんだ」と言われそうだが、
何百回とこの骨にバットが当たるのでもう痛いのなんの。でもやめなかった。
そのうち、左手でコントロールができるようになってきて、骨に当てることなくスイングができるようになった。

次の段階は、体の軸をブレさせないで最後まで振り切ること、である。
初歩の初歩すぎて、もうアホかと自分でもツッコミを入れたくなるのだが、利かない方の打席でやるのは大変だった。
当時の僕の部屋は南北方向に狭い長方形で、それでもちょうどバットを振ることができるだけの広さはあった。
軸をぶらさずにコンパクトに振ると大丈夫だが、少しでも甘いスイングをするとドアや本棚をぶっ叩くことになった。
中3の3学期、僕の部屋からはノートに字を書く音が聞こえるかわりにドアや本棚を壊す音が聞こえてきたわけで、
そのときの親の心境は察して余りある。いったいどんな受験生だ、と自分でも思うのだが、本当にそうだったのだ。

で、高校に入るとクラスマッチである。当然のごとくソフトボールに出場。左打席に立つ。でも打てない。
チームの仲間に「右利きに左打席はムリだ」と諭されて右打席に立つ悔しさったらない。
それで高校生になっても素振り。毎日素振り。自分の納得のいくスイングの型ができるようになるまで素振り。
なんの気なしに棒を両手で持ったとき、右手が下になる持ち方のほうがしっくりくるようになるまで素振り。
掃除の時間はホウキを左手に持つ。チリトリは右手。雑巾を絞るときも右手を下にして絞る。もうアホか、オレは。

まあその甲斐あってか、高校2年になる頃には左打席の方が打てるようになっていた。
右手で払うバッティングを目指したこともあってか、右で打つよりも長打が出るようになったし。
そして今では完全に、左打席でないと違和感を覚えるようになった。人間努力すればなんとかなるものなのである。

ところで、今年までロッテにいたジョニー黒木は、右肩痛で投げられない間も黙々と2軍のグラウンドでランニングを続け、
そこだけ草の生えない「黒木ロード」と呼ばれる道ができあがったという。
そしてかつての僕の部屋では、まったくそれと同じような感じで、スイングする足の形にじゅうたんがハゲていた。
浪人中に寮から実家に帰ってきたとき、部屋にできていたそれを見て、「そりゃ大学落ちるわ」と呆れたことよ。

でもいまだに、実家に帰ると置いてあるバットを取り出してスイングしてしまう。染み付いてしまっているのだ。


2007.9.25 (Tue.)

というわけで、菊池直恵『鉄子の旅』のレヴューを書くのである。

まず、読むのに時間のかかるマンガである。僕はほとんど飛ばし読みのようなスピードでマンガを読むことが多いが、
このマンガに限っては非常に時間がかかった。情報量が多く、それを読み飛ばすことができない。
それで時間がかかるのだと思う。逆を言えば、それだけ「読ませる」マンガということなのである。

僕は自分のことをかなり鉄分少なめだと思っていたのだが、県庁所在地ひとり合宿をやっているせいか、
読んでいてけっこう「あーそうそう、そうなんだよね」と思う場面があって、愕然とした。困った。
「飯田線・秘境駅巡り」の回は地元の話題なのでしょうがないにしても、
「鶴見線オススメ駅巡り」は自転車で僕もやっているし(→2006.8.62006.12.2)、只見線は会津若松でニアミスした。
「南東北・横見スペシャル」の回では僕も面白山高原駅を通過しているのでわかる(→2007.5.1)。
大井川鉄道に至っては、実際に今月乗ってきたばっかりだし(→2007.9.16)。
ほかにも「あー確かに行ってみたいなあ」と思う場所がたくさん出てきて、
なるほどそうなのかと感心させられる反面、「オレって鉄の素養があるのか……?」と少々へこんだ。

あちこちへ行ってみることが好きな人なら、それだけでまず楽しめる内容だと思う。
そのうえで鉄っちゃんの無茶な行動を笑って見守ることのできる人なら、十分買うだけの価値があるマンガだろう。
世間では今、静かなる鉄道ブームが訪れている。この『鉄子の旅』は、一般人と鉄っちゃんの接点を提供した点において、
計り知れない影響を与えた作品である。実に幅広い層に対応する作品に仕上がっているのである。
ライトな旅行好きは「極端だなー」と笑って楽しめるし、濃い人には「そうだそうだ」とうなずいてもらえる。
決してマニアックな方向へと収斂しないで、パンピー(一般ピープル)の適切な距離感を保ったことで成功している。
鉄を外側から眺める視線が徹底されているのが効いているのだ。これは企画の勝利だなあ、と思う。
そしてもうひとつ、これはマンガというメディアだから面白いんだ、とも思う。
文章で同じことをやっても、これは面白くならないだろう。実写だと単なる内輪ネタの匂いが強いだろうし直接的すぎる。
マンガというフィルターを通したディフォルメだから、読者側が主体的に解釈できるチャンスが生まれる。
あらゆる意味で絶妙のバランスを持ったマンガだなあ、と感心させられた。


2007.9.24 (Mon.)

起きたら雨だしどっか行くつもりもないし、ということで、引き続きニシマッキー邸にてWiiを遊んでみる。
持っているソフトが『マリオパーティ8』と『Wii Sports』しかないということで、とりあえず『Wii Sports』に混ぜてもらう。

ニシマッキー・みやもり・えんだう・びゅく仙の4名でボウリング。
コントローラーを握ってそれっぽくアクションをすればいいのだが、ボールが異常に曲がる。
本人にはわからないのだが、右に曲がったり左に曲がったり、個人差があるようで、そのクセを見抜くことが重要なのだ。
とりあえず僕は2回ほど投げて右曲がりと判明したので、立ち位置を調整して投げるスタイルを確立。
対照的にえんだうさんは超左曲がり。レーンの端っこいっぱいから信じられないカーブでピンを倒していく。
クセがないというかイマイチはっきりしないみやもりは最後まで調子がつかめなかった感じ。そういうのが一番困るのかも。
そして家主のニシマッキーは、ボウリングゲームにもかかわらず上から投げて、猛スピードでストライクを取りまくる。
その姿はまるで釣りをしているかのよう。ゲームの本質ぶち壊しではないか、まったく。

続いてテニス。ボールを打つタイミングがまったくわからん。しっくりこないまま負けた。

ゴルフ。コースの無茶っぷりはファミコンの初代ゴルフを思い出す。『プロゴルファー猿』の影響って、
こんなところにも出ているんだな、とも。フェアウェイではみんな快調に飛ばすのだが、予想どおりにパットで見事に泥仕合。
Wiiのコントローラーでそんな微妙なアクションを求められても困るのである。
それでもコツをつかんだニシマッキー・えんだう両名は、ハイレヴェルな戦いを繰り広げるのであった。
みやもりは最後まで感覚がつかめず。合う/合わないで極端に差が出るなあ。

ベースボールもやってみたけど、やっぱりどうすればいいのか全然つかめなかった。
結論としては、Wiiは慣れるまでが大変ってことですかね。

その後もまったりとゲームで過ごすわれわれ。途中からミユミユさんも参加して『マリオパーティ8』が始まる。
僕は置いてあった『鉄子の旅』をむさぼるように読む。このマンガ、読むのに非常に時間がかかる。
ちなみにマサルは隣の部屋でずーっとぐっすり。空が暗くなってから起きてくると、いつものように騒ぎだす。
僕が『鉄子の旅』を全巻読み終えると、「おめでとう!」「僕は鉄でいいんだ!」とエヴァの最終回ネタで祝福してきやがる。

さて夕方になってリョーシ氏(チュートリアル福田に激似と評判)から、これから行くぞと連絡が入る。
しかし入れ替わるようにして、仕事のマサルと群馬に戻るみやもりが撤退。
ミユミユさんが晩メシの準備をしてくれる中、とりあえず総裁選のニュースをニシマッキーと並んで見る。

そうこうしているうちにリョーシ氏が無事に到着。岡山の実家から直接来たみたい。で、さっそくご飯なのである。
『東京フレンドパーク II』の金八番宣スペシャルを見ながらミユミユさんの手料理をいただく。
小さな食卓を4人で囲んで食べるメシというのは強烈に懐かしくって新鮮で、「ええ感じやの~」と思いつつ、
おいしくいただいた。あんまりにも家庭的で穏やかな雰囲気だったので、「パパ、ぼく弟がほしいよう」なんて言ってみる。
ニシマッキーに鼻で笑われた。

 家族の食卓。

金八スペシャルが終わると僕とリョーシ氏は帰路につく。ニシマッキーも銀行で金を下ろすべく一緒に駅まで来る。
県庁所在地めぐりの話になったので、こないだ思いついたことを口にしてみる。
「47都道府県のおねえちゃんと仲良くなるっていうチャレンジはどうだろう。リョーシさん、やってみない?」
「ムリ!」
「えー? いつも『瀬戸内の島の数だけ女を泣かせた』って豪語しているリョーシさんがぁ?」
「豪語してないよ!」
というやりとりをしながら駅に向かう。やっぱりニシマッキーに鼻で笑われた。


2007.9.23 (Sun.)

本日は久々の姉歯祭りである。が、真昼間から集まれない人が続出したので、晩メシ時に集合ということに。
しょうがないので僕はちょっと早めに吉祥寺入りして、懸案のエヴァの映画を見ることにした。

というわけで、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のレヴューである。
事前に潤平・マサルから仕入れていた情報としては、1. アスカが出ない(でもカヲルは出る)、
2. ラミエル(正八面体のアイツ→)がすごいことになっている、の2点のみである。
なんじゃそりゃと思いつつ、まあでもどんなアレンジが施されたんだろ、と大いに期待。

で、意外なほどあっさりと映画がスタート。冒頭、赤い海のシーンから始まる。
そんでもって見たことのないNERVのマークが出てくる。そこから、なんとなくこの映画版の位置づけがわかった。
一言で表現するなら、「『火の鳥』みたい」。あれとだいたい同じ世界観というかコンセプトにもとづいている印象。
もっとハッキリ書くとつまり、今度のエヴァは前のシンジとアスカの子孫の話ってことなのかね?

テレビシリーズを見た人じゃないとついてこれないんじゃないの、というくらいハイペースに話は進む。
新たに描かれた部分があまりにキレイなので元からあった部分とそこそこ差があるが、僕にはあまり気にならない。
これだけ大画面でアニメを見るってのも変な感じだなあ、と思いながら見ていくのであった。

サキエルとシャムシエルを比較的あっさり倒した分だけ、対ラミエルのヤシマ作戦がめっちゃくっちゃ面白い!
ほぼ全編描き直していて、見ているこっちも気合が入る。とにかくものすごいテンションなのだ。
事前の情報どおり、ラミエルはとんでもないことになっている。想像力の限界に挑まんばかりの変形ぶりがすごい。
前作でラミエルの中からドリルが出てくるという不自然さが、完全に払拭されている。
ラミエルの一端がなめらかに伸びてそのまま錐のように穴を開けていく様子には、美しさすら感じる。
「4次元の立体が3次元空間に現れたイメージ」が見事に再現されていて、僕にはこれだけでもう満足だ。
このヤシマ作戦のためだけに、もう一度映画館に足を運んでもいいくらいだ。いや、油断していたらまた行っちゃいそうだ。

そういうわけで、僕としては大いに満足。前作で描き残した部分をきちんと本気でつくり直す気概を十分に感じた。
この段階でアスカを出さない判断もまったく正しい。アスカが出るとポップなトーンにどうしてもなってしまうので、
重苦しいというか、じっとりとした足取りの(それでも常人には超ハイペースだが)『序』には、アスカは逆効果になる。
で、さらに次回予告を見てかなり驚いた。エヴァが何号機もやたらめったら出てくるし、見たことのない人も出てくる。
『序』を見ておかないと、次の『破』はついていけなくなるんじゃないか。そういうわけで、興味のある人は見ておくべきと思う。

ヤシマ作戦の余韻に浸りつつ吉祥寺駅まで戻る。苦心の末にニシマッキーと合流してみやもりを待つ。
しばらくしてみやもりともどうにか合流。確かによく考えれば、吉祥寺駅には待ち合わせの目印になるものがない。参った。

ニシマッキーが連れて行ってくれたのは焼肉屋で、30分ほど並ぶ。外付け階段に並んだので、M-1のことを思い出す。
踊り場のところにはテレビが置いてあって『サザエさん』のアニメをやっていた。実家では原作のマンガが大人気なので、
アニメのサザエさんは“邪道”という扱いを受けている。実際、原作と比べてあれのどこが面白いのかさっぱり理解できない。
で、焼肉をいただく。肉の種類によって焼ける速度にかなり差があり、なかなか管理が大変なのであった。
3人でなんでもないよしなしごとをあーでもないこーでもないとのんびり語り合うのであった。

食べ終わると、このままニシマッキー家に直行するのもちとつまんないということで、ゲーセンに寄る。
前に掲示板でラビーがオススメしていたクイズゲーム『Answer×Answer』をやってみる。
カードを購入すると名前が登録できるので、会議の結果、「松鶴家コロ助」という名前にする。でも女性キャラ。
実際にやってみると、『クイズマジックアカデミー』と比べてはるかにクイズクイズしている。
解答を入力する部分で多少はゲーム性が顔を出してくるものの、確かにクイズらしい駆け引きが重要になる。
なぜか同じ人と何度もネットワーク対戦する破目になり、連敗。本気で悔しがるニシマッキーとみやもり。
結局その「駆け引き」の部分で差がついた格好で、シルヴァーコレクターのままギブアップしたのであった。

武蔵境駅からはけっこうな距離を歩いてニシマッキー家にお邪魔する。
和室で僕が持ってきたDVD、『1992年日本シリーズ・西武×ヤクルト』(→2004.9.26)を鑑賞していると、
マサルが登場。なんと、EZナビウォークだけで初めてのニシマッキー邸に無事に来ることができたのである。
「僕、地図も読めないし話も聞かないもん」というマサルからは考えられない快挙である。
そしてえんだうさんも合流。なんだかんだで人数がけっこう揃った。引き続きDVDは『ピタゴラ装置』の第2巻を見る。
ニシマッキー夫人のミユミユさんが買っておいてくれたお菓子と酒をいただきつつ、えんだうさん持参の酒もいただきつつ、
僕が浜松で買ってきたお土産のうなぎパイも頬張りつつ、夜は更けていったとさ。


2007.9.22 (Sat.)

秋葉原から新宿にかけて、自転車を堪能して過ごす。ぐるっと東京を一周する、もはや定番のコースだ。

両方の街で共通してチェックしたのが、新しいiPodである。
このたび全面的にリニューアルされた新しい世代が発売されたので、それを見てみたわけだ。
で、感想としては、「これはないな」である。今度のデザインには、正直かなり失望した。
というのも、今までの白いボディを捨てて、いぶし銀なシルバーになってしまったからだ。
容量が足りなくなっているし、もしかしたらもしかするかも……なんて考えていなくもなかったのだが、
実物を見て「なし!」とスッパリ決断。とにかくあのデザインにはまったく惹かれない。
全世界的に不評であってほしいなあ、と思う。一刻も早く、従来の白いボディに戻ってほしい。

さて、家に戻ってNODA・MAP『キル』の先行予約を申し込もうとしたのだが、ぜんぜんつながらない。
間を空けながら何度も電話をかけてみるのだが、いつまで経ってもダメである。
結局、どうにかつながったのが午前3時過ぎという有様。なんじゃこりゃー!と叫びたくなる状況だ。
いったい、なんでこのような事態になっているのか。想像がつかない。
まあとにかく、いい舞台が見られれば報われるわけで、本番を楽しみに待ちたいと思う。


2007.9.21 (Fri.)

今日は小学校からの友人であるトシユキさんの誕生日ということで、おめでたいのである。
こうやってまわりがみんな30歳になっていくわけで、次はいよいよ僕の番。カウントダウンが聞こえだした。

しかしだからといってどうこうということはない。世間的には30という厳然とした壁があるのを感じるが、
当事者としては別に30を境にしてムキムキ脱皮をするわけでもなし、まったく変わることはない。
むしろ変化はすでにやってきていて(徹夜がすっかりできなくなったとかいろいろ)、
そういう細かい積み重ねをすでに経験していることで、もっと漠然とした形で時間の経過を知るのである。

とはいえ社会的な雰囲気としては、そういう細かいニュアンスは無視されてしまう。
「さあ、十の位がひとつ繰り上がりましたよ!」とズイと迫ってくるわけで、その点はどうにもイヤなものだ。
まあ他人がどう言ってこようと流されることなく、自分を見失わないでいられればそれでいいのか、と思う。

そういうわけで、あとだいたい1ヶ月。泰然自若でいきたいものだ。


2007.9.20 (Thu.)

落語のせいでiPodの容量が足りない状況になってきている。
きちんと聴くには集中力が必要なので、あまり頻繁に聴いているわけではないくせに、数だけは増えていく。
おかげでiPodが飽和状態だ。落語だけでなくふつうの音楽も含めて、ラインナップの再考が迫られている。
いま、僕のiPodにはぜんぶひっくるめて7300曲ほどが詰め込まれている。
この数字は落語やゲームミュージックも含めてのものである。ふつうの音楽は5500曲くらいになる。
それだけの量をコンスタントに聴いているはずなどない。お気に入りばっかり再生していて、
年単位で聴いていない曲もかなりある。そういったものについて整理をしないといけないのだ。
しかし量が量だけに、そう簡単に取りかかれないのもまた事実。
放っておくとどんどん汚れて掃除しづらくなる点は、実際の部屋と同じような感じだ。
なるほど面白いなあ。……なんて笑っちゃいられない。


2007.9.19 (Wed.)

ヤクルトの古田が引退を発表した。ううむ、ついに来たか、という感じである。
わかってはいたけど、現実のものとなると、非常に悲しい。喪失感でいっぱいになる。

僕がヤクルトファンになったのは1992年。チームの雰囲気が良さそうだ、という印象で決めた。
野村監督3年目のシーズンで、「1年目には種を蒔き、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせる」の3年目。
古田は前年に落合をかわして首位打者になっており、大いに注目を集める中心選手になっていた。
当時メガネを常用していた僕は、単純にメガネつながりで古田を応援するようになったのだが、
この3番・キャッチャーが活躍するのなんの。気づけばけっこう濃いめのヤクルトファンに成長していたのであった。

90年代のヤクルトは実にドラマに満ちていた。個人的にはピッチャーの活躍が深く記憶に刻まれている。
投げまくる岡林、奇跡の復活を遂げた荒木、短い期間に抜群の輝きをみせた伊藤智仁、その他もろもろ。
(1992年、2年目の高津は当時何度か先発してそのたびに打たれ、阪神ファンの友人から「アホの高津」と呼ばれた。
 そしてそれをヤクルトファンの僕は否定できなかった。後年、あれだけのストッパーになろうとは……。想像できなかった。)
そういった面々を支えていたのが古田なのである。ケガしたシーズンもあったが、常に古田が座っていた。

世代交代に失敗したという表現になるのか、ここんところヤクルトは負けぐせのついたチームに戻っている。
そういう状況で古田が引退するということは、もう完全に、あの90年代の興奮が過去のものになるということなのだ。
どんなものにも終わりはあるというので、しょうがないことである。来るべきものが来たというだけのことだ。
前を向いて次の黄金時代の到来を待つしかない。誇るべき過去があることは幸せなことなのだから納得するのだ。


2007.9.18 (Tue.)

2年目の履修登録が完了したので、新しいテキストが届いた。
教員免許のことだけを考えるのであれば、もうほとんど新たに科目を登録する必要はないのだが、
勉強になるし、いざというときに備えるということもあるしで、単位数の上限いっぱいに登録をした。
そのため、なかなかな量のテキストが本棚に積まれることになってしまった。

小学生の頃から思っていることだが、やはり新しいテキストというのはいいものだ。
なんというか、読む気を起こさせるというか、やる気を起こさせるというか。
待ってろよ今かわいがってやるからなウヒヒヒヒという気にさせるのである。
毎日朝と昼のメシどきに出しているやる気は「やらないと後で困る」という種類のものなので、
こういうポジティヴなやる気をできる限り保ってがんばりたいなあ、と気持ちを新たにするのであった。


2007.9.17 (Mon.)

朝起きてしばしベッドでうにゃうにゃすると、のんびりと支度をして余裕たっぷりに宿を出る。
今日はもう帰りのバスまでまったく予定は入っていない。気ままに思いつくがまま、浜松を歩きまわるのだ。

浜松は県庁所在地ではない。ではなぜわざわざ1泊してまで歩きまわるのかというと、
やっぱり有名な街なのできちんと雰囲気を知っておきたいからである。
それに、浜松市は今年の4月に政令指定都市になったのだ。政令市ぐらいはきちんと歩いてみたい。
ちなみに、合併して政令市になった浜松市は、現在日本で2番目に面積の広い市となっている。
こちらも静岡市同様、わが故郷である長野県飯田市と隣接してしまっている。どうにも信じられない。
まあとにかく、いちおうはお隣の街なんだし、しっかり体験することにしたわけだ。

9時ちょい過ぎに駅に到着。昨日の夜とは対照的に、ブラジルの人がひとりもいなかった。
ラテン系の皆さんは朝弱いんだろうか。とにかく、浜松はごくふつうの地方都市の姿になっていた。
北口に出るとやたらでっかいアクトシティがそびえ立っている。工業都市・浜松の経済的な勢いを象徴している。
その脇を沿うようにして歩いて、遠州病院駅の周辺部まで歩いてみる。
浜松もけっこう道の幅が広い。浜松城下の旧市街を四角く切り取って、道路が走っている。

  
L: アクトシティ浜松。市と民間の複合施設で、ホールと楽器博物館、そしてホテルが入っている。
C: こちらは東西に走る東海道。東京の国道1号線は、ここにつながっていると思うとちょっと感慨深い。
R: 県の合同庁舎。周辺は、近年になって大規模な再開発が進められているようで、少し埋立地的な雰囲気。

合同庁舎を目印にして西へと曲がる。するとかつての遠州病院がちょうど取り壊し中だった。
クレーン車が大胆にコンクリートをかじり取る様子を撮影してみる。破壊の美学である。
それから静かな並木道を行く。浜松は旧遠江国で最大の都市である。
県庁所在地でなくても確かな存在感を全国的に知らしめている都市らしく、
古いものと新しいものが混じり合った街並みは、堂々と構えている印象がするのだった。

 
L: 取り壊されている旧遠州病院。新しい病院はさっきの合同庁舎の辺りにつくられている。
R: 地下道で発見したポスター。そうだった、そういえばウナギイヌが浜松のイメージキャラクターになったんだ。

しばらく行くと、浜松市役所が見えてくる。見事にグレー一色、そして四角い。
楽器で有名な街だから曲線主体で変にアーティスティックだったりするのかと思ったら、
どっしりとした庁舎建築。それでも色ツヤや窓の開け方は、確かにちょっと凝っている気配がする。
すぐ横には浜松城公園。どれどれいっちょ歩いてみるか、と敷地を一周してみることにした。

 
L: 浜松市役所。何者にも媚びることなく四角である。恐れ入りました。
R: 浜松城公園から見下ろす市役所(左の写真の反対側になる)。四角い。

公園の敷地内には特にこれといって名物があるわけでなくて、再建された天守がちんまり建っているくらい。
緑がいっぱいの小高い丘と思えば、浜松の街には適度なアクセントになっているって印象だ。
公園の脇には体育館や美術館、学校などの施設が貼り付いている。静かな文教地区といった風情。

  
L: 面白かったのが、コレ。浜松市体育館なのだが、このデザインはかなり大胆だ。よくつくったもんだ。
C: 展望広場から見た浜松城の天守。でも「展望」と名乗るわりには高さがなく、木に囲まれてよく見えなかった。
R: 天守の石垣をクローズアップ。野面(のづら)積みという荒っぽい積み方がかなり独特である。

市役所と城を見終えると、再び街の中心部へと戻る。駅から市役所・城までの間は商店街がじんわり広がる感じ。
こちらは道の幅が狭く、その分だけ活気が凝縮されているみたいだ。夜にはまずまずの賑わいを見せそうだ。
そのまま駅の方へと進んでいくと、ザザシティという商業施設にぶつかる。その隣には松菱新館……の跡地。
2001年に倒産したのだが、まだまだファサードはきれい。でも来年取り壊して大丸が新たにビルをつくるらしい。
なんだかもったいない気もするが、しょうがないのか。

 スクランブル交差点に面してそびえる松菱跡地(新館)。

店もぼちぼち開きだして、街はだいぶ賑わってきている。しかしここにはバスに乗るため再び戻ってくるわけで、
とりあえずいったん浜松の中心部を離れてみることにした。せっかくなので、浜名湖を見てみることに決めた。
浜松駅からJR東海道線に乗り込む。頻繁に行ったり来たりする新幹線とは対照的に、ローカル線は20分に1本。
それでも実に運がよく、ちょっと待ったらすぐにホームに列車がすべり込んできた。一番前に座って、いざ出発。

電車に乗って浜名湖を見に行くというのは、実はそれほどメジャーな行為ではないようだ。
東名高速であれば浜名湖SAからの眺望がバッチリだし、車であればいろんなアクセスの仕方が存在する。
しかしJRでは海に沿ってただ浜名湖を通過する、といった感じで、「この駅で降りましょう!」みたいな案内がない。
それでも地図などを見るに、弁天島駅というのがちょうど浜名湖のど真ん中に位置しているわけで、
じゃあそこで降りて歩きまわってみるか、と考える。まあ確かに、ただ湖を見に来るだけの客なんて珍しいか。

弁天島駅のホームに降り立ったときには、曇りの予報はどこへやら、残酷なくらいの快晴ぶりである。夏の匂い満載。
駅の規模じたいはけっこう小規模。小さな改札を抜けるとマンションが建ち並んでいてあとはキオスクと道路があるだけ。
いちおう小さな弁天島観光案内所があったけど、誰もいない(後でおばちゃんがヒマそうにしていた)。
地図によると、この弁天島駅の北も南も浜名湖となっている。じゃあとりあえず南側から見てみるか、と歩きだす。

道路に沿って東に行く。すぐに南へカーブする道と分岐する。そちらへ誘われるように歩いていくと、すぐに湖が見えた。
まるで湾のようだが、立派な湖。南端には長い橋が架かり水平線に乗っかる格好になっている。いかにも、浜名湖である。
中ほどのところに赤い鳥居があるのが見える。周辺は潮干狩りができる浅瀬になっていて、シーズンには船も出る。
釣りをしている人がやたらと多い。それに対し、カンカン照りの中、水遊びをする子どもは数えるほどしかいない。
海とまったく同じように波が寄せたり退いたりしている。水面は鮮やかな青で染まっている。
水をすくってちょっと舐めてみる。ほんのわずかだけ、しょっぱい。さすがは汽水湖。
自販機でペットボトルの麦茶を買うと、それをちょびちょび飲みながら、ただ湖と空のコラボレーションを眺める。
残暑の最後の抵抗が、しかし実に激しい抵抗が、目の前で繰り広げられている。ああ、これは確かに夏だ。

  
L: 浜名湖の弁天赤鳥居。  C: まるで海のような浜名湖と、その海への出口に架かる橋と鳥居。浜名湖らしい光景だ。
R: こちらは線路よりも北側の浜名湖の様子。湖面のあちこちでいろいろ養殖している様子がうかがえる。

20分くらいか、ぼーっと湖を眺めて過ごす。今年最後の夏の記憶をしっかりと刻みつけると、今度は線路の北側に出る。
弁天島駅の北側は、湖の中に浮かぶ島のようなものなのだが、歩いてみるとあんまりそういう雰囲気ではない。
ごくごくふつうの住宅街を堀が区切っている、そんな印象なのである。
炎天下の中、住宅街を何の目的もなくただ歩く。背中の方からは新幹線が勢いよく通過する音が聞こえてくる。
道路を一周して駅まで戻るのだが、途中、湖の上空をカーブして陸に戻る形になっているところがあって、
高所恐怖症にはそれがけっこう怖かった。カーブのところはバンクになっていて、斜めにつくられている。ホント、怖かった。
歩いていると正午の合図がどっかからか聞こえた。実に穏やかな休日の日常風景である。
途中のコンビニでアイスを1個買い、それを食いながら駅まで戻る。特に何をしたというわけではないのだが、
僕の中では確実に、過ごした時間が形となって残っていて、それがなんとも愉快に思えた。

浜松駅まで戻るとむやみに腹が減ってきた。この感覚は何だ?と自問自答した結果、「蕎麦を手繰りたい」という結論に。
肴町に行けば蕎麦屋がありそうだと考えて、行ってみる。それにしても「肴町」とは。城下町の町名は本当に洒落ている。
歩いてみたら案の定蕎麦屋があったので入る。焼酎や日本酒の瓶が並ぶ店内は、柱がなく開放感たっぷりになっていて、
ジャズなんかが流れている。うーんオシャレ、と思う。いつかこういうのが似合うオトナになりたい。
シンプルにもりそばを注文。出てきた蕎麦はものすごく細くて、ある程度は太くないと風味が楽しめないかな、と思った。
でもコシがあってみずみずしくっておいしかったので文句はない。日本酒を一杯いただきたくもなったが、そこはガマン。
蕎麦湯を飲みつつ考える。僕は昔、蕎麦湯がダメだった。濁ってて粘り気があって味も妙で、ちっともおいしくなかった。
ところがどっこい、二十歳を過ぎた辺りから、最後に蕎麦湯が出てこないと締まらない感じが急にしだして、
今となっては蕎麦湯大好きっ子なのである。人間、何がどういうふうになるかわからない。変なもんである。

まあそういった感じで蕎麦を堪能すると、再び街をあてもなく歩きだす。
デパートを歩きまわり、人の多い通りを選んでなぞり、飽きたらカフェで一息つく。
BONANZAからパソコンを取り出して日記をバリバリと書いていく。昨日はまったくできなかった、ごくふつうの過ごし方。
そうして存分に浜松の時間を楽しむと、ぼちぼちバスの時刻が迫ってきていたので、帰り支度を始める。
駅のコンコースではベーグルを売っていたのでそれをいくつか買って、飲み物も買って、お土産も買って、バスターミナルへ。
浜松のバスターミナルは駅の北口からいったん地下をくぐって地上へと出る構造になっている。
円のど真ん中に窓口の建物があり、バス停は円周上に360°配置されている。
JRハイウェイバスのバス停でしばらく待っていたら、バスが来た。いよいよ浜松ともお別れだ。

 帰り際、バスターミナルから浜松駅を撮影してみた。

本来ならこんな感じでゆったりのん気に静岡市内も歩けるとよかったのだ。が、それはまあ、過ぎたことだ。
またいつか機会を見つけて、ふらっと歩きまわってみることにしよう。
ここんとこ慌しい旅行ばかりしていたので、こうやって余裕のある街歩きの感触を確かめられたのはうれしい。
なんにせよ、いい旅だった。


2007.9.16 (Sun.)

話は1週間前に遡る。

M-1予選に向けてカラオケ屋で深夜のネタ合わせを終えると、僕とマサルと潤平はコンビニで買い物をした。
それで3人並んで帰る途中、来週(つまり今まさにその真っ只中)僕が静岡に行く話になったのである。
僕としては清水×甲府戦を見た後はのんびり静岡市内と歩きまわり、余裕をもって浜松に入り、
そこでまたのんびりと過ごすつもりでいたのである。ゆっくりふらふら、街を歩こうと考えていたのだ。
しかし潤平は言う。「静岡へ行くんだったら大井川鉄道に乗らなきゃ!」と。
最近鉄分が多めのマサルも同調する。「そうなんよ! 大井川鉄道には乗っておくべきなんよ!」と。
大井川鉄道という名前に聞き覚えはある。確か、ずっと前に伊集院のラジオでちょこっとだけ出てきた名前だ。
潤平が強くオススメするものでハズレってのはあんまりないので(というか、ハズレた記憶がない)、
じゃあ乗らなきゃダメかあ、と思い、その後あれこれとリサーチを進めた。
インターネットとは実に便利なメディアである。検索をして調べた結果、「乗るしかないなー」となったのである。
そしてここであえて言わせてもらおう。「ちがうナリよ」と。

本来であれば午前中いっぱい、いやおやつの時間くらいまで静岡市街を堪能したかったが、
そういう事情があって、朝6時に宿を出て静岡市役所と静岡県庁の撮影をするのであった。
天気は雨が降ったりやんだりという状況。傘をさしたら止み、しばらくしてまた降るといった具合である。

静岡市といえば、2003年に隣の清水市と合併して日本一面積の広い市となった(当時。今は5番目だと)。
2005年には政令指定都市となる。葵区・駿河区・清水区の3区のみという構成になっているのだが、
人口ほぼ20万人ずつということで分けた結果、葵区の面積が異常に大きい奇妙なバランスになっている。
なお、平成の大合併の影響により、僕の地元・長野県飯田市と静岡市は隣接してしまった。
つまり、飯田市は山の中にあるにも関わらず、なんと、海に面した自治体と隣接してしまったのである。
正直、呆れて物が言えねえ。つーか、飯田と静岡が接しているぅ!? ありえない!!

という心の叫びはさておき、とりあえず、青葉通りの南端にある常磐公園から撮影開始。
この常磐公園から静岡市役所までまっすぐ伸びている青葉通りは、
静岡市街の最も賑やかな一帯を見事なまでにしっかりと貫く構造になっている。
朝早いので人影はほとんどないが、昼に近づけばけっこうな人がやってくる場所なのかもしれない。

  
L: 常磐公園。  C: 青葉通りからうっすら雨に煙る静岡市役所を眺める。  R: さすがはサッカーどころ。花壇までこんなんだ。

青葉通りから一本西の七間町商店街に出てみると、驚かされるのが映画館の数。5軒、集中して建っている。
シネコンでなく、きちんと独立した映画館がこんなにある理由がわからない。街おこしにしては大胆だ。
街角には映画に関係する器材が展示されているんだけど、こんなんでやっていけるんだろうか。妙に心配してしまう。
まあそれでも、街の個性としては大いに「あり」な選択である。ここまでやるなんて、なかなかカッコいいじゃないか。

  
L: 有楽座/オリオン座。点描で知られるスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』をタイルで大胆に再現。
  道の反対側にはピカデリーとミラノの2軒もある。この映画館の集中ぶりは本当にすごい。
C: 交差点を挟んで向かいの静岡東映。上の階がマンションの映画館ってのは初めて見た。映画ファンには理想の家か?
R: その隣の東宝。いかにも東宝っぽい(?)メカゴジラ的ファサードでありますな。

七間町もそうだし、呉服町もそうなんだけど、静岡市の商店街は元気いっぱいだ。
結局時間の都合で夜と朝っぱらしか歩くことができなかったんだけど、それでも昼の活気の余韻は十分漂っていて、
地方都市の衰退とはほとんど無縁なエネルギーをあちこちから感じることができた。
(それだけに昼に歩けなかったことが本当に悔しい。絶対にいつかまた来てやる。そしてのんびり歩いてやる。)
とてもうがった見方をすれば、JRが新幹線を優遇して東海道線の各駅停車に非常に冷たい対応をしているわけで、
それで東京まで出るのが面倒くさくて静岡が繁栄するってな図式があるのかもしれない。
とにかく、首都圏から比較的近くにあるのにこれだけ元気ってのは、予想をはるかに超える事態だった。

 朝の七間町商店街。さわやかだ。

さて、七間町商店街と青葉通りを行ったり来たりしながらだんだん市役所へと近づいていく。
近づくにつれて、天気はどんどん悪くなっていく。市役所の敷地に入った頃にはもう言い逃れのできない「雨」となった。
県庁所在地ひとり合宿で、庁舎の撮影中に雨に降られたのはこれが初めてである。初黒星、非常に悔しい。

  
L: 静岡市役所(葵区役所)新館の裏手(青葉通り側)。この土日に「静岡おだっくい祭り」開催していたので、テントが出ている。
C: 市役所本館の裏側にはこのようなオープンスペースが。広角キツくって申し訳ない。
R: 昨日の夜、ライトアップされていた静岡市役所本館。中は主に議会と市民ギャラリーになっている。

静岡市役所は、バリバリと音が聞こえてきそうなほどにリニューアルされた本館と、
四角で背の高い新館からなっている。新館は葵区役所にもなっている。
リニューアルぶりがあまりに激しくて威厳はないけど、それをあくまで「本館」としているところに矜持を感じる。

 本館と新館が並んでいる様子。道の反対側は駿府城の堀を挟んで県庁。

さてお次は静岡県庁である。こちらは完全に駿府城の堀の内側に建っている。
城内には中学校があり、そこにやってくる生徒たちくらいしか通行人がいない雨の中、撮影。
画像では全然そんなふうに見えないかもしれないけど、けっこうひどく降ってます。

  
L: 静岡県庁西館。なんかタワー型のパソコンみたいだ。
C: 静岡県庁本館。やっぱりこっちもリニューアルをバリバリにやっている。静岡人の性格なのかな。
R: 静岡県庁東館。大胆なトラス構造が目を引くけど、やっぱりなんだかパソコンみたい。

そのまま奥に行って駿府公園の中に入ってみる。雨は一向にやまない。今までこんなことなかったのに。
駿府城は家康が亡くなった場所なわけで、真田好きで徳川嫌いの僕に対する呪いかね、なんて思った。
靴のぐっちょりとした感触に耐えながらあちこち歩きまわると、静岡駅方面へと向かう。
途中でテキトーに朝食をとると、すっかり雨に辟易して新静岡のバスターミナルへ。日記を書いて過ごす。

  
L: 駿府公園内の様子。意外と洋風である。  C: 家康ちゃん像。(←こういうふうに書くから雨に祟られるのだ)
R: 雨に煙る静岡駅前・御幸通りの様子。道幅の広い方が狭い商店街よりも活気が薄れる、絶好の実例だと思う。

雨に降られたことと、人通りの多い時間帯に歩けなかったことで、非常に消化不良な気分になる。
この静岡という街について、その上っ面すら感じることができず、よくわからないままで終わってしまった。
1週間前になってムリなスケジュールをねじ込んだバチが当たったのかもしれない。
でもまあ、近いし、いずれまた来る機会があるさーなんてポジティブにとらえるのであった。

そんなこんなでさあいよいよ、大井川鉄道へのチャレンジなのである。
大井川鉄道の名物は2つある。ひとつは日本で唯一のアプト式鉄道、もうひとつがSLつまり蒸気機関車である。
鉄分少なめな僕でも、さすがにこれは体験してみたくなった。静岡市街の消化不良をここで取り返すのだ。
常識的にはJR東海道線と接続している金谷(かなや)駅から大井川鉄道に乗るんだろうけど、
それは金がかかるし、同じルートを往復することになるので退屈である。
そこで、新静岡から一日1本だけ出ているバスに乗り、大井川鉄道の終点である井川駅に直接乗り込むことにした。
そこからアプトを下り、SLに乗って東海道線まで出る、という算段である。これってけっこう名案だと思うんだけど。

新静岡発・井川駅経由畑薙ロッジ行きのバスは、8時15分発である。
客は僕以外、みんな大きめの荷物を持っているおっさんばかり。僕とおっさん4名に車掌のおばさん、運転手で出発。
iPod越しにおっさんたちの会話を聞いていると、目的地は畑薙ロッジ方面の模様。
そこで温泉に浸かりながら酒飲んでゆったり過ごす、というのが静岡在住のおっさんの休日の過ごし方のようだ。
バスはぐんぐん山の中へと入っていく。長野県出身の僕には見慣れた光景、と言いたいところなのだが、
唯一違っているのが茶畑の存在。どんなに山の中だろうと、きちんと茶畑がつくられているのである。
人間(じんかん)到るところ茶畑あり。これが静岡県なのかーと妙に感心したのであった。

 
L: 途中のトイレ休憩の際に撮った道路。こんな感じの道を行く。でも静岡市葵区。「区」なのである。
R: どんなに木々の生い茂った山の中であろうと、必ず茶畑がつくられているのが静岡。

バスは細く曲がりくねった道を行く。対向車がバックして道を譲ってくれて、お礼にクラクションを鳴らす。その繰り返し。
途中で眠るがカーブがキツくて窓ガラスにゴツゴツと側頭部をぶつけて起きる。その繰り返し。
そんなふうにして2時間半ほど過ごすと、緑の中に大きな水が溜まっているのが見えた。井川ダム(井川湖)である。
ちなみに井川は「いかわ」と読む。大井川が大きくなる前なので「井川」なのかもしれんが、濁らないで読む。

バスは井川駅前でトイレ休憩なのだが、僕はここで下車である。
天気はすっかり回復してきていて、太陽がキラキラ輝いている。静岡中心部での雨はなんだったんだろう。
せっかくなので列車がやってくる時間まで、ダムの周辺を散策する。うーん、高い。ちょいと怖い。

  
L: 井川ダム。けっこうな高さがある。  C: 井川湖。渡し船が出ているとか。乗る時間なんてなかったけど。
R: 井川駅前の様子。左手が土産物屋、右手をのぼっていくと駅になっている。もちろんここも静岡市葵区。

ダムに飽きたので、井川駅へ。しばらくボーッと突っ立っていたら、列車が到着してわらわらと乗客が降りてきた。
さすがに家族連れが多い。こういうときの一人旅のバツの悪さは非常にイヤなものである。

千頭(せんず)駅までの切符を買う。厚紙でできていてハサミを入れる、昔ながらの由緒正しいスタイル。
改札をくぐると、ふだん見慣れた列車よりもぐっと小さい車両がお出迎えである。いかにも特殊な車両っぽい。
中に入ってみると、すごくノスタルジックな印象を受ける。都会のアルミボディでは味わえない風情でいっぱいだ。

  
L: 井川駅。山の中のちょっとした小屋という感じの駅舎。3連休の中日ということで、けっこうな賑わいである。
C: 井川線の車両。いかにも登山鉄道らしさ満載(よく知らんけど)。この小ささが迫力満点の旅を提供してくれるのだ。
R: 車両の内部はこんなん。いざ乗ってみると、電車というよりも路線バスに近い感覚がする。

いざ出発。ホームで手を振る係員のおばちゃんたちに別れを告げると、列車は次から次へとトンネルを抜けていく。
見える景色は一面の緑、そしてその足元で刻み込まれたように流れる大井川、それくらいなもの。
井川線はもともとダムを造るための路線だったそうで、確かに「the 山の中」といった景色を堪能するしかない。
でも、小さな車体がギリギリにすり抜けていくトンネルは、まるでディズニーランドのアトラクションのようだ。
軽快に緑と闇を切り裂いて走る様は、ビッグサンダーマウンテンのそれを思わせる。
幸い、天気が回復していたので、風もかなり心地よい。視界いっぱいに広がる緑も鮮やかで、
ただ山の中を走っているだけのはずなのに、これが本当に楽しいのだ。不思議だけど、楽しい。

  
L: 井川線の切符。厚紙にハサミを入れる昔懐かしいスタイルなのだ。
C: ちょっとだけ身を乗り出して、トンネル内を撮影。よい子はまねしないでね!
R: 日差しをいっぱいに浴びながら山の中を走る井川線。カーブが多く、景色をいろんな角度から楽しめる。

井川線では見どころに差し掛かるとアナウンスによる解説が入り、列車はスピードを落としてくれる。これはありがたい。
特に川底からの高さが100mある関ノ沢鉄橋では、スリル満点の徐行運転をしてくれるのだ。
下を眺めて「うっへー」とうなり(車両に乗っているので高所恐怖症は発症しない)、列車は再びトンネルへ。
井川線の北半分は、なんというか、お前ら面白がってつくっただろと言いたくなるような変な駅ばっかり。
周りに民家どころか道路一本すらない尾盛駅は、この井川線のみが唯一のアクセス手段というから恐れ入る。
これはダム建設作業員の飯場跡地なんだそうだ。実際、山の中の空き地でしかない。こういう駅を目の当たりにすると、
日本の全駅を降車したなんて話がいかに常軌を逸した行動なのかが納得できる。鉄っちゃんってホント怖いわ。
奥大井湖上駅なんてのも完全に趣味の世界。レインボーブリッジという派手な鉄橋に挟まれた陸の孤島である。
この駅には展望台みたいな建物があり、レインボーブリッジが徒歩で渡れることもあって、意外に賑わっている。
「日本はテーマパークであり、鉄道はそのアトラクションである。」大学時代の先輩の名言を思い出す。

  
L: 関ノ沢鉄橋。ゆっくりゆっくり、徐行運転。右を見ても左を見ても、確かに絶景である。
C: それでは下はどうなっているかな、と見てみると……ギャー!
R: 後ろを振り返って眺めるレインボーブリッジ。この奥には奥大井湖上駅がある。

さて長島ダム駅に着くと、行く先の線路が山の岩肌に貼り付くように急勾配になっているのが目に入る。
そう、これがアプト式の区間なのだ。ここでアプト式機関車を先頭車両に接続。ちなみに、その作業は下りて見学可能。
とりあえず、アプト式とはなんぞやという説明を軽くしておこう。アプトはドイツの人名からついている。
「Abt」なのに「アプト」なのはそれが理由。で、アプト式はラック式鉄道の一種。ラック式鉄道とは歯車を使う鉄道のこと。
山だとか傾斜がきついところでは、当然ふつうのレールでは登れなくなる限界がある。それで歯車を使うのだ。
よく見ると、アプト式区間のレールの真ん中には歯車を受け止めるためのもう一本のレールがある。
井川線は日本で唯一のアプト式を謳っているが、アプト式の区間はこの長島ダム駅と次のアプトいちしろ駅の間のみ。
やっぱり、アプト式を売りにしたくってつくったんじゃねーかなーと思っているうちに接続完了、いざ出発である。

  
L: 長島ダム駅から見えるアプト区間。90/1000の勾配(高低差90m/距離1000m)をこれから下るのである。
C: これがアプト式の機関車。この区間だけ電化されていて、この機関車がディーゼルの車両を引っぱる。
R: 心なしか慎重に勾配を下っていく列車。正直、下りよりは登るほうが雰囲気はあると思う。ちと残念。

  
L: アプト式区間からはバッチリ、長島ダムの雄姿を見ることができる。両側から放水するのは珍しいんだってさ。
  ちなみに、キャットウォーク(画面真ん中やや下の吊橋的なモノ)は歩くことが可能だそうだが、そんなん、拷問じゃ!
C: アプト式のレールはこんなふうになっているのである。  R: 千頭駅のSL資料館で見られるアプト式のラック。

井川線は秘境駅あり、温泉あり、ダムにキャットウォークありと、意外と周辺散策も楽しそうだ。
1日かけてたっぷりと楽しむというのも、実際にやってみれば大いに有意義かもしれない。
なんて思っている間に、列車は奥泉駅に到着。実は現在、奥泉駅~千頭駅間は工事中なのである。
代わりのバスが走っているので、そちらに乗り換えて千頭駅へ。これまたちょっと残念である。

千頭駅は井川線と大井川本線の結節点。大井川本線は近鉄・南海などの車両をかつての塗装のまま走らせている。
そのためか、駅に停車している電車たちは、みんなどこか懐かしい雰囲気を漂わせている。鉄っちゃんにはまさに聖地だ。
しかしこの大井川本線の最大の目玉は、なんといってもSLってことになるだろう。
この路線、なんと、ほぼ毎日最低1本SLが往復するのだ。今どき、毎日SLが走る。これって凄いことじゃないか。
休日には2本走ることも多い。そういうわけで、SLに乗って東海道線まで出るのである。
鉄分の少ない僕でも、さすがにちょっとこれには興奮する。

しかしSLの時刻までまだ2時間半ほどある。しばらくヒマなのだ。とりあえずはメシである。
駅の立ち食い蕎麦を食べるが……うーむ、コメントは控えるか、という味だった。まあしょうがない。
で、それからSL資料館など周辺をふらふらと探索。そうしているうちに雨が降ってくる。でも日差しは健在のまま。
とんでもない天気雨に見舞われつつ、周辺を歩きまわって過ごす。それでもまだまだ時間はたっぷり。
仕方がないので、待合室でパソコンを取り出して日記を書く。するとSLが駅に到着して大勢の客が降りてくる。
井川線もそうだったけど、この大井川鉄道は東海方面の人たちには完全に観光地として定着しているようで、
家族連れを中心に休日を過ごすけっこう魅力的な選択肢になっている気配である。まあ、わかる。

  
L: 天気雨の千頭駅。  C: SLが駅に到着。ホームは観光客でごった返しまくりなのであった。
R: なんだか懐かしさを感じさせるデザインの車両(元は南海の車両)。こりゃあ、鉄っちゃんには聖地なんだろうなあ。

じっと日記を書いてばかりなのもつらいので、ネットで予約しておいた切符を確保してホームに行ってみる。
千頭駅の改札の向こう側はとても広大である。そこにSLや懐かしの列車が停車していて、けっこう壮観。
端っこまで行ってみたら、手動の転車台があるのを見つけた。これは列車の向きを180°変える装置。
いまだにこういうものが残っているとはねえ、と感心。ホントにここは聖地なんだなあ、と思った。

  
L: 千頭駅。無数のレールが並ぶ。画面右端はSL、左端の赤いのが井川線の車両。
C: 転車台。円周上にレールがあり、それで上のレールを動かす。レールでレールを動かすのがやや哲学的か。
R: 前後を付け替えた後のSL。SLはこのままバック状態で金谷まで戻ることになる。

あれこれ写真を撮っていたら、SLの運転士さんに「せっかくだから機関室で記念撮影します?」と声をかけられる。
「え、いいんですか?」「ええ、どうぞどうぞ」ということで、撮ってもらっちゃいました。すいませんねえ、鉄でもないのに。
さらに「いろいろ撮っていいですよ」と言われ、窯の中まで見せてもらう。まさに“業火”といった印象。
21世紀の今でもホントにこれで客を乗せて動かしてるのはすごいなあ、と感心しきり。
考えてみれば、SLも造られた当時は最新技術の粋を凝らしていたのだ。きちんと整備していれば動いて不思議はない。
でも、そのかつての最新技術のデザインと、今の最新技術のデザインとの違いに驚かされる。
同じ金属でも人間くさい曲線があちこちに出っぱっていて、ゴツゴツしていて、そういうムダの多さというか隙の多さというか、
それがどことなく愛嬌って言葉に通じていくように思える。だからレトロなものが愛されるって、なんとなくわかる。
運転士さんに礼を言うと、客車の中にも入ってみる。これまた抜群に懐かしい雰囲気を漂わせている。
シートの枠も、壁面も、床も、木造なのである。天井には扇風機が並んでいる。風情たっぷりである。
こんな車両に1時間半ほど揺られるのだ。なんという贅沢な体験だろう。

  
L: びゅく仙@機関室。照れる三十路手前の男の図である。  C: SLの窯の中身はこんなんなのだ。
R: 客車内部の様子。SLは鉄の塊なのに、中には木が目立つ。プラスチック以前の時代の産物である。

15時ちょい前、SLは千頭駅を出発する。初めて耳にする本物の汽笛の音は、迫力満点。響きがちがう。
そして鈍く擦れあう金属が奏でるリズムは、ロックだったり、阿波踊りだったり、16ビートだったり。
つねに軽快なリズムを刻みながら、SLは力強く進んでいく。
窓を開けっぱなしにしていると、うっすらと煙が入ってくる。黒い炭のカスが腕にくっついている。
そしたら「たまには本場の煙の匂いを味わってみてください」とアナウンス。まあ、そういうもんだわなと苦笑。
窓の外、SLが走っているのを目にした人たちは手を振ってくる。こちらも、子どもたちが手を振り返す。
ふつうの電車では考えられないことで、SLということで成立する一瞬の確かなつながりが微笑ましい。

  
L: ひなびた風景を走っていくSL。  C: 後ろを振り返って撮影してみた。大井川の川沿いをひたすら行く。
R: 厚い雲の隙間から差し込む光。だだっ広い大井川の川面も輝く。

あっという間に1時間半は過ぎ、金谷駅に到着。名残惜しさを感じつつ、SLから降りる。
総括。大井川鉄道は、鉄じゃないのに鉄になる、鉄じゃないヤツを鉄にする、そんな感じ。
鉄道の持っている面白さをぎゅーっと凝縮して体感させてくれる、そんな貴重な存在なのであった。

金谷からはJR東海道線で西へと移動。疲れて寝っこけて、気がつけば浜松に無事に到着。
改札を抜けて、宿のある南口へと向かう。ロータリーを出てしばらく歩くが、なんだか違和感を覚える。
道行く人が、なんとなくみんな、ラテン系の顔つきをしているのだ。日本人って感じじゃない。
街並みを見てみると、店先に小さくブラジルの国旗が描かれている店舗が非常に多い。
そういうことかと思って辺りを見回せば、そこらじゅうにポルトガル語が書かれているのに気がついた。
宿に着いて荷物を置くと、少し休んで再び街へと繰り出す。駅に向かう間、すれ違う人は全員ブラジル人。
おいおいオレのいる浜松はホントに日本の浜松なのか?と思って遠州鉄道の百貨店の方にまわり込んだら、
ブラジルとの友好をアピールするようなイベントの真っ最中なのであった。
この影響もあって、浜松駅付近が完全にジャックされていたようだ。それにしてもすごい勢いである。

  
L: 浜松の第二外国語はポルトガル語のようです。  C: 遠鉄百貨店前に集結するブラジルの皆様。
R: ブラジル祭りを遠くから眺める。工業都市だから当然なのかもしれないけど、このパワーには圧倒された。

さて、浜松名物といえば? ……もちろん、浜名湖のうなぎである。
せっかく浜松に来たからにはうなぎを食べたいなあ、でも相変わらずの金欠だしなあ、と躊躇していたのだが、
今日は朝メシも昼メシも泣きたくなるほどの粗食だったことを思い出し、ここで一丁、贅沢することにした。
店に入ってうな重(並)を注文し、おしぼりで顔を拭いたら真っ黒になったのでたまげる。SLおそるべしである。

 皮までバッチリうまかった。

旅をして、いろんなものを見て、体験して、街を歩いて、うまいもんを食う。たまらない幸せである。


2007.9.15 (Sat.)

朝起きていろいろ片付けて出発。考えてみれば最近の県庁所在地ひとり合宿は深夜バスを使ってばかりだったので、
余裕をもって出発するのはずいぶん珍しい感覚である。変に新鮮である。

電車に乗って東京駅へ。ちょっと早めに着いて辺りを歩きまわるが、八重洲口の地下にある店はどこもまだ開店前で、
しょうがないのでエクセルシオールに入って軽くメシを食いつつ時間をつぶす。で、バスの時刻が近づき地上へ出る。
バスの目的地は清水である。かつての清水市、今は静岡市清水区。
先月、新清水までのバスと静岡鉄道の新静岡までの切符がセットになった「するが路連絡乗車券」ってのを買った。
そのときには予約がまだ0件だったのだが、案の定、清水エスパルスのサポーターがちらほらと席を埋めていく。
清水サポばっかりなのかなと思ったら、意外と甲府のタオルマフラーをしている人も乗り込んでくる。
どっちにも属さない普段着の人も、かなりの割合で今日、日本平に行くんだろうなあ、と思っているうちにバスは出発。

……なんて書いている僕も、やっぱり日本平スタジアムへ行くのである。清水×甲府の試合を観戦するのだ。
みやもりやリョーシ氏からは「アウェーゲームに行ったらもう立派なサポーターでしょ」なんて言われているけど、
僕の感覚としてはまだまだそんなにハマっているわけではなくて、単純に甲府のサッカーをもっと見てみたいだけで、
そういう気持ちと3連休と県庁所在地めぐりがピタリと一致したから、こうして清水行きのバスに乗っているのである。
まあ、白いTシャツの下には甲府のシャツを着込んではいるけどさ。

予定では12時半に清水駅前に到着することになっている。キックオフは15時なので、多少の余裕がある。
三保の松原にでも行って羽衣の松でも見ましょうかねえ、なんて思いつつiPodで落語を聴いて過ごす。
が、よく考えてみたらお約束の東名大渋滞に巻き込まれる。自然渋滞と事故渋滞が重なって、大幅に遅れる破目に。
多摩川を渡った辺りから速度は落ち、横浜に入ったら歩いた方が速いくらいな状況になってしまう。
本来であれば到着予定時刻であるはずの12時半に、足柄SAで休憩しているとは、まさか想像できるはずもない。
いつ着くのかもはや全然読めないわけで、こりゃ三保の松原は諦めるしかないかーとがっくり。
それでもまあ、この3連休は天気の具合が非常に心配されていたんだけど、
バスが西へ行くのにちょっと先行する感じで空は晴れていく。地面は濡れているけど、日差しは確か。それが続く。
最悪の事態にはなっていないのさ、などと思って気を紛らわすのであった。

バスは最大で1時間半の遅れだったが、少しだけ挽回して14時ちょい前に清水駅前に到着することができた。
さっそく駅前をフラフラ歩きながら、日本平スタジアムを目指して南へと針路をとる。

  
L: JRの清水駅。建物じたいはけっこう新しい。エスパルスの旗があちこちではためいているのであった。
C: 清水銀座入口。中はさびれるのを必死で食い止めている感じの漂う、いかにも地元の商店街だった。
R: 清水銀座内の様子。試合のある日だったためか、エスパルスの旗が誇らしげに掲げられていた。

清水銀座を南下していってそのまま日本平スタジアムまで行こうとしたが、これがまあ遠いのなんの。
しかも駅前の観光案内所で入手した地図が、清水から静岡まで載ってる広域のものだったためか、まったく使えない。
スケールが大きすぎて、現在位置をまったくつかむことができないのだ。これも合併の弊害なのだろうか。
キツい日差しにかなりの湿気で、汗が止まらない。歩いていてもまったくスタジアムに近づいている感触がない。
しょうがないので途中のコンビニで現在地を確認して、たまげる。30分以上歩いて、まだ半分も来ていないのだ。
泣きたい気分になりながら、走ってさらに南下。どうにかしてもう30分の間に到着しなくちゃ、と必死になる。
それで結局、なんとかキックオフには間に合った。三保の松原はこれよりさらに遠いわけで、これは歩きじゃムリだと痛感。

  
L: ペヤングソースやきそばみたいに四角い顔の日本平スタジアムが見えてきたのだ。
C: 日本平スタジアムはサッカー専門。青い空、オレンジのスタンド、緑の芝生。きれいだった。
R: こちらはアウェーのサイド、甲府のサポーター。正直、まだまだ数が少ない。がんばれー。

アウェーの応援席へはテニスコートの方から迂回させられて入場。ちと扱いが悪いんでないの?と思う。
で、今回は奮発してちょっといい席を取ったので、そこからのんびりとピッチを眺める。
コーナー付近は甲府サポも清水サポも入り混じる、平和な一角なのであった。

さて、静岡県の清水と山梨県の甲府の対戦ということで、このカードは「FUJIYAMAダービー」と銘打たれている。
そう書くといい勝負をしてそうなのだが、実際のところ、甲府は今まで清水に一度も勝ったことがないのである。
しかも清水はここまで5連勝、対する甲府はこないだの浦和戦(→2007.8.18)以来4連敗中である。
データの上では超圧倒的に清水有利。それだからこそ、勝つところを見たいじゃないの。

すっかり炎天下の中、キックオフ。あまりに天気が良すぎるせいか、どの選手も少し集中力に欠けている気配がする。
浦和戦で感じた甲府の特徴は、調子のいいときには1人多くプレーしている感じ、12人でプレーしている感じがして、
調子の悪いときには1人少なくプレーしている感じ、10人でプレーしている感じがするのである。単純明快である。
それで本日の甲府はというと、ズバリ、10人でプレーしている感じが漂っているのである。なんだか、人が足りない。
ひいふうみい、と数えてみると11人いる!のに、プレーを見ていると1人欠けている印象がしてしまう。良くない兆候だ。
中盤の構成のせいかもしれない。いつものアンカー、井上も林も出ていない。藤田を中盤の底に入れているようだ。
そのせいか攻撃に人の足りない場面が目立ち、なかなかゴール前の危険な領域にまで迫れない。
では清水はどうかというと、選手を均等に配置し、なんだかんだでよく攻めている甲府のパスを切ることに腐心している。
そしてチョ=ジェジンとフェルナンジーニョという突破力のある2人を中心にカウンターを仕掛けていく、という展開。
前半は清水のカウンターをうまく抑えていたことで無失点で切り抜けた。でも得点できる気配があまりない。
後半、やはり甲府は積極的に攻めるものの、清水のカウンターに脅かされる場面が増えてくる。
疲れて守備のチェックが甘くなったところを両外国人に突かれる、そうしてピンチが目に見えて広がっていく。
結局、DFの反応が鈍くなったところをあっさりやられて1失点。さらに完全に足が止まったところを決められて2失点。負け。

  
L: 前半。パスを切られてなかなか甲府のペースにもっていけない。FWへのパスをことごとくカットされている。
C: 日本平はピッチが近いのでアップ中の選手をすぐ近くで見られる。おー、なんとかしてくれー。
R: 試合終了後、サポーターに挨拶する甲府イレブン。次勝たないといよいよJ2降格が現実味を帯びてくる……。

 試合後、エスパルスのチームカラーであるオレンジの花火が上がる。悔しい。

わりあいさっさとスタジアムから出てきたのでそんなに混まないだろうと思っていたシャトルバス乗り場も、けっこうな行列。
どうにか乗り込むと静岡鉄道の新清水駅まで行くことに。が、これまた渋滞やなんやらで予想以上に時間がかかる。
来場者の車がスタジアムの周辺に集中して大混雑。落ち着いた場所に出るまでゆうに30分はかかった。参った。
甲府が負けたこともあって、クタクタに疲れて新清水駅に到着。すぐ近くには清水区庁舎(旧・清水市役所)があるが、
すっかり暗くなっているし寄り道する気力もないしで、さっさと電車に乗ってしまうことにした。途中の記憶がない。

で、新静岡駅に到着。迷路のような地下通路を抜けてJR静岡駅まで行ってみる。
今ちょうど工事をしているようで、もう何がなんやらよくわからない。とりあえず人の流れに乗って広い方へと歩いてみる。
そしたら駅のコンコースに出た。でも構内の観光案内所は18時で閉まっていて、地図が入手できない。本格的に困る。
困ったときには、まずメシである。御幸町周辺をふらふら歩いていたら、「無国籍料理」を名乗る店があったので入る。
たいていそういう店はメニューにとんでもない量のラインナップが書かれているわけで、ここもそう。
あれこれ迷うのが面倒くさかったので、店名を冠したハンバーグのセットを選ぶ。
出てきたものは確かにちょっと豪華っぽい盛り付け方で、クリームチーズ風味の斬新なソースでうまかったのであった。
こうなると、ほかのメニューもけっこう気になってくる。が、それはまたの機会ということにする。

予約しておいた宿がかなり遠いので、道に迷わないように工夫する。
静岡は城下町で道が碁盤目状に走っている。そこで、まっすぐ進めば目的地という状態になるように、
現在位置を細かくチェックしながら曲がるポイントを探していく。そして、それはちょうど市役所の脇だった。

  
L: 夜の静岡市役所(本館)。てっぺんだけライトアップってのも、なんだかちょっとアンバランスである。
C: 七間(しちげん)町の商店街。適度な狭さと小ぎれいな街並みはとても魅力的に見える。
R: こちらは七間町と直角に交わる呉服町の商店街。駅からまっすぐ、非常に活気のある商店街だ。

遠いとわかっちゃいるのだが、それにしても宿は本当に遠い。
七間町商店街をまっすぐ抜けて、その先の商店街もまっすぐまっすぐ、ぐんぐん突き進んで行って、
このまま安倍川まで出ちゃうんじゃないかと思ったころにようやく看板が見える、といった塩梅。
あてがわれた部屋に入ってベッドに寝転がっていたら、気がついたら寝ていた。
なんとかしようとするんだけどマトモに立つことすらできず、床に寝転がってしばらくウダウダ格闘する状態。
それでも根性で風呂まで行って広い湯船に浸かっているうちにどうにか回復。
しかし、さすがに持ってきた勉強道具を引っ張り出す気力もなく、天気を気にしつつそのまま眠りこけるのであった。


2007.9.14 (Fri.)

仕事でTeXでつくっている本が佳境を迎えているのだが、ひとつ困ったことが起きた。
TeXってのは数式を扱うのに非常に有利な組版プログラムなのだが、万能というわけでもない。
プログラムの判断によってレイアウトが自動的に組まれるのだが、これが思いどおりにいかないのである。
大きい図表が連続する箇所で、それらが本文の内容と連動しない位置に配置されてしまい、
いくら指示してもきちんと直らない。企画担当の先輩と打ち合わせの末、最終手段を講じることに。

それで取り出したのが、糊とハサミである。
ゲラをコピーしたものを切り貼りして、「こういうレイアウトにしてください」と見本をつくるのだ。
結局、TeXは少しでも余裕があるとそこに本文を詰め込もうとする仕組みになっていて、
そのせいで大きい図表が余って勝手に並んでしまうのである。それを防ぐべく、
実際にこうつくれという見本を用意して「ここは空けたままに!」と指示を書き込むことにしたわけだ。

TeXのはずなのに僕が糊とハサミで作業をしているのを見て、隣の机の先輩が「何やってんですか」と訊いてきたので、
「いえ、今コンパイル中です」と返事してお互い大爆笑(本来ならコンパイルはプログラム上でやり、10秒ほどで済む)。
そういうわけで、今日は初めて、文字どおり手作業のコンパイルをしたのであった。なんだかねえ。


2007.9.13 (Thu.)

個人的にM-1予選(→2007.9.9)の反省会をここでするのである。
マサルの見解は僕とはいろいろと違うだろうけど、とりあえず、自分が感じたことを書き出してみる。

ネタの面白さについては、正直かなりの自信があった。
基本的なラインを考えたのは当然マサルなんだけど、僕自身として、完璧に近いブリッジづくりができたと思っている。
潤平との話し合いの中でいろいろと削られた箇所もあっていまだに100%納得できているわけではないのだが、
それでもやはり、ネタだけ見ればかなりのレヴェルでつくることができたと僕自身は考えている。

ネタじたいについてさらに書いておくと、それまで客席が内容をきちんと把握できていたのに、
急に僕らの会話を見失ってしまった部分があったことが気になる。
確かに「これは難しいよね」と僕らも思っていた箇所なのだが、予想以上に客席の上に「?」マークが浮いていた。
それに臆することなくネタを続けていった点は不幸中の幸いとは思っているのだが、
あの一瞬をいかにつくらないようにするかが本当に重要であることを実感させられた。
あと、ネタは2分ということで、僕らは詰め込めるだけ詰め込む方向で挑戦していったのだが、
ほかの皆さんはむしろ1分+αという感覚でネタをつくっていた点も印象的だった。まあ、詳しくは後でまた書く。

しかし実際にステージに立ってみて思ったことは、お笑いには絶対的にキャリアが必要だということだ。
なんというか、お笑いらしい声質、お笑いらしい間、お笑いらしい姿勢、そういった細かいことの積み重ねが、
実は観客のセンサーには感知されていて、それである程度の判断がなされているように思うのである。
そしてそれは、よほどの天才でない限りは、身につけるのにキャリアが必要なのである。
少なくとも初めてステージに立ちました、というレヴェルでは絶対にムリ。
何度も何度も客の前に立つことで、余裕が生まれる。その余裕に客は安心しているのだ。
思い返してみると、僕のパフォーマンスにはずいぶんと余裕がなかった。
うまくやらなきゃと必死になっていて、その必死さがそのままじかに客席に伝わってしまっていたのだ。
どこか冷めている「演じている」というオーラがないと、客席は困惑してしまうのである。
そりゃあ、事務所に所属してある程度定期的にステージに立っている人は、それだけで強くなるわけだ。

さて、ネタの時間を短めにしてどうのこうの、とさっき書いたわけだけど、
それもそういう余裕の話と関係してくるのはまちがいないと思う。
あらかじめ用意しておくネタは短めにして、それをゆっくり、たっぷりと余裕をもって実演する。これが重要そうだ。
そういえば僕らは熱海ロマンのライヴで客席のノリをもっと良くするためにどうしたらいいのか考えたことがあった。
そのときの最大の問題は、熱海ロマンの曲はある程度「考えて楽しむ」ところがあるわけで、
客席は解釈する「待ち」の時間を必要とするという点である。つまりそれだけ、ノリの悪さを必然的に伴っているのだ。
人間は2つのことを同時にできない。ネタを笑うことと、音楽に一体化することは、同時にできないということである。
音楽の場合は本来、純粋にリズムに乗って楽しめればいいわけで、考える必要などない。むしろジャマである。
お笑いの場合も音楽と共通点を持っているものの、そのネタを解釈する時間性の問題がより顕著になる。
うまい人なら客席の「間」をコントロールすることで、それを両立してしまう。しかし僕らにそれだけのキャリアはない。

というわけで、僕の結論としては、熱海ロマンのときとまったく同じ問題に直面している、ということに落ち着く。
解決は、できる。ただし、それには努力と時間が必要になるという条件はまったく変わらないのである。
以上のことはわかってはいるものの、それをガマンできるだけの能力がこっち側にない。実に困ったものである。


2007.9.12 (Wed.)

キテレツぅー、サンマが旬ナリよー!

というわけで(?)、毎年恒例、サンマを買ってきて中華鍋で焼いたのである。
20代も後半になり、だいぶ味覚が魚好きになってきている。
スーパーでサンマを安く売っているのを見かけると、思わずゴクリと唾を飲み込むくらいになってきている。
今日は仕事をしているうちから「サンマ食いてえ、サンマ食いてえ」と頭の中でぐるぐるぐるぐる。
そうなったらもう、買って帰って焼くしかないのだ。明日は燃えるゴミの日だし、好都合である。

中華鍋でサンマを焼く方法については過去ログを参照するのである(→2005.10.17)。
この方法の唯一の欠点は、見栄えがよくないこと。でも味は変わらない。さっそく大盛ご飯とともにいただく。

  
L: 買ってみた。  C: 切ってみた。  R: 焼いてみた。

いや、もう、本当においしい。U-22のサッカーを眺めつつ、安倍首相辞任のニュースを眺めつつ、
一切れ食べるごとに「うめえなあ」と漏らす、そんな感じで味わっていく。
こうしてサンマを食べるたび、秋を感じるのである。実りの秋っていいもんですなあ。


2007.9.11 (Tue.)

よしなしごとを書きつけてみるなり。

朝、いつもより1時間遅く起きる。夜中に下関についての打ち合わせをしていたせいなのか。よくわからない。
でもまあ遅刻することはない。朝読書の時間を削れば間に合うのである。
そういうわけでちょっとだけ急いで支度を済ませると電車に乗って飯田橋へ。何ごともなかったかのように会社へ。

今週は仕事が完全に空いている状況なので、周りの皆さんの仕事をひたすら手伝う。
特にこれといったこともなく、索引のリスト修正をこなして午前が終わる。

昼休みに大学に行ってリポートを提出。きっちり期限に間に合わせた。これで無事に試験を受けることができる。
いい機会なので、学生証の更新と2年目の履修登録も済ませてしまう。
事務的なことを一気に片付けて、気持ちよく昼メシをいただくのであった。

午後になって、著者の先生に献本を渡すために外出。企画担当の方と別行動で市ヶ谷へ。
市ヶ谷といったら隣の駅なので自転車で行こうと思ったら、いきなりとんでもねー大雨が降りだす。
しょうがないので飯田橋の駅前で自転車を乗り捨て、定期の使える南北線で市ヶ谷駅まで行く。
しかし折りたたみ傘を持ってこなかったため、状況はさほど変わらない。雨の勢いはまったく弱まらない。
しょうがないので覚悟を決めて、本を濡れないようにがっちり抱え込むと、アメフトのRBよろしく走り出す。
先生のいるビルのエントランスで企画者の方と合流。いきなりの大雨にどっちもビショビショなのであった。

さて先生は東大で理学の博士号を取った後、シンクタンクに就職して京大で経済学の博士号を取ったという、
上には上がおりますなーと感嘆してしまう経歴の持ち主である。それで金融工学の本を書いてもらったというわけ。
今まで共著で本を出したことはあるけど単独では初めてということで、ものすごく感慨深げだった。
その姿を見て、決して手を抜いているわけではないのだけど、どっかで気を抜いとりゃせんか、と
あらためて気合を入れ直すのであった。仕事をするということは、誰かの何かを背負うということなのだなあ、と。

ビルを出ても雨の勢いはおさまらない。なんとか飯田橋まで戻って地上に出たところでようやく弱まってきた。
ビニールをかぶせた紙袋を頭上にかざし、傘がわりにして会社まで戻る。着いたころにはほとんどやんでいた。
わざわざ雨の激しい時間帯だけ選んで外出していた感じである。本当にツイていない。
しかし明らかに天気がおかしい。カンカン照りの後にあの大雨ならわかるんだけど、
曇り空から突然豪雨というのは理解しがたい。これも環境問題の一環なのか。かなりキてるぞ、地球。

半濡れで席に戻ると、上司に頼まれている仕事の続き。直接入力した原稿のつきあわせ作業だ。
内容はアイメイク(目の周辺の化粧ね)のやり方についてで、ずいぶんウチの会社らしくない。
そしてこれがまあ、今までに見たことがないくらい壊滅的、まさにカタストロフなブロークン・ジャパニーズで、
読んでいて自分の中の言語能力(competence, 生成文法の用語)がぶっ壊れそうなくらい。眩暈がしてきた。
でも内容は本当に面白い。今までの自分にはまったく縁のない話だけに、ひとつひとつに目からウロコが落ちる。
メイクをするには人間の身体構造について理解をしていないといけない。この部分はこうなっているから、
こういう道具でこの方向にこうして、みたいな話が展開されているわけだ。
しかもメイクの原料によってこれこれこういう違いがあるからこう使い分ける、なんて話も出てくる。
さらに、ブラウン管を通したら再現できない色もあるし、全体的に色が青味に寄るのでそれを考慮すべきだ、
そういう具合で、奥が深いったらありゃしない。どんだけ~なんて思いながら雑学を増やす。
で、定時になったら帰宅である。

家に帰ると、リポート地獄の反動で見事にだれる。日記の処理を始めないとまた大変なことになるのだが、
のんべんだらりと過ごすのであった。とりあえず、今週末が晴れるようにてるてる坊主をつくったよ。


2007.9.10 (Mon.)

会社で「マツシマさんって稲本(潤一、サッカー選手)に似ていない?」と言われた。
「いえ、似てません」と答えるのも妙なので、「そう言われたのは初めてですが」と返事。
確かに髪型は近いところがあるかもしれないが、顔の構造はかなり違う。

僕自身としては、メガネよりもコンタクトの時間の方が長い生活をするようになって、
自分の面構えを見るたびに「特徴がねえなあ、つまんねえなあ」と思っているのである。
そもそも生まれてこの方、誰か有名人に似ていると言われた記憶がない。

というわけで、今さっそく「顔ちぇき」で判定してみたのである。返ってきた結果は、
「濱口優に65%、蕨野友也に63%、藤井隆に63%似ています。」
よゐこ濱口! これは違うだろー! つーか真ん中の人は誰ですか?と思って調べてみた。
で、これも違うだろー、こんなイケメン似ても似つかんわーと呆れたのであった。

結論としては、特にないです。


2007.9.9 (Sun.)

というわけで、M-1の予選当日。

朝起きてなんやかんやで家を出たのが10時前。昨日というか今朝というかと同じように、
カラオケ屋で練習でもしようかと大岡山周辺を徘徊するがどこもまだ開いていなかった。
しょうがないのでさっさと渋谷に出ることにしてしまう。

渋谷では当然のごとくカラオケ屋が営業をしているわけで、さっそく練習を開始。
しかし「あんまり練習をしすぎて初心を忘れて油断するのもよくない」というマサルの意見もあり、
何曲か歌った後に抜き打ちでやってみるとか、曲に負けない大声を出してやってみたりとか、
あれこれ工夫をして過ごす。とりあえず、画面にやたらと関根麻里が出てきたので顔を覚えてしまった。

集合時間まで残り1時間を切ったあたりで会場へ。シアターDという小さな劇場である。
入口付近になんとなく若者がたまっている。雰囲気が周囲と比べて、ちょっと妙だ。
外付けの階段をのぼっていくと、そこには番号札をつけた人たちが列をつくっていた。
その先、4階に受付があり、そこで1000円ずつ払って手続きを済ませる(吉本大もうけだなあ)。
出演予想時刻は午後3時で、その1時間前には並ぶようにと告げられる。

近くのファストフード店で昼メシをとる。その間も、声には出さないものの、
僕もマサルも頭の中でネタの展開をあれこれ想像して過ごす。
差し向かいでほとんど会話もせず考えごとをしている男2人というのも、なかなかおかしな構図である。
そのうちに近くにやってきた女性陣が、会話の内容から出演者とわかる。
なんだかどうにも気恥ずかしい雰囲気である。

渋谷区役所の地下入口付近で最終チェックをしてから(この期に及んで軽くセリフが飛んだ)、列に並ぶ。
天気は快晴、街は炎天下に炙られているが、階段のところはちょうど日陰になっていて助かる。
ただ目を閉じ、あるいは周囲をぼんやりと眺めながら、頭の中ではセリフを反芻して過ごす。
マサルは2つ前の出演者のねーちゃん(さっき昼メシで近くだった)のセクシー衣装と背中のホクロに
視線が釘づけだったとさ。まあ確かに、暑いとはいえあれは目のやり場に困った。

階段を下りてくる人の中には「お疲れ様です」とか「おはようございます」なんて声をかけてくる人がいて、
それがなんともショウビジネスっぽいふるまいに見える。親しげにこれ見よがしな会話を繰り広げたり。
僕もマサルもそういうふるまいの部分には興味がないわけで、
そういう皆さんの形から入ってる感がなんとも、空虚に思えたり思えなかったり。

さて、ホントに1時間きっちりと退屈極まりない待ち時間の末、楽屋に入る。
さっき階段で並んでいた列がそのまま、6畳程度の楽屋に押し込まれる。
奥にある暗幕の向こうはすぐに客席のようで、出演者と客の声が聞こえる。
とりあえず、壁に出演者の一覧が貼ってあったので見てみる。当然、僕たちの名前もある。
ちゃんとした事務所に所属している人もいれば、アマチュアもいる。
ただ、アマチュア登録の組もそれなりに慣れた印象を漂わせていて、いわばセミプロの若手、という感じ。
僕らはホントに場違いだなーなんて思いつつ、出番がまわってくるのを待つ。

で、順番がきたので暗幕を抜けてステージ上へ。まず思ったのは客席狭過ぎ。
まずは挨拶、そして順調にマサルが話を進めていく。こっちはセリフが飛びそうになるのをなんとか防ぐ。
いちおう、あらかじめ決めておいたことはひととおりこなしてあっという間の2分が過ぎ、
そそくさと舞台を去る。そして番号札を返すと、そのまま外づけ階段を下りて、以上でおしまい。
さんざん待たされたわけだけど、出番は本当にほんの一瞬だけ。

実は家でネタの調整をしているときから、「本日のメイン・エベントはエヴァの映画にしよう」という話になっていた。
まだ上演時間まで余裕があるので、デパートでマサルの用事を済ませてから、
近くのドトールで一服することにした。僕は本当に喉が渇いてたまらなかった。
席に着いても僕らは言葉少なで、お互いそれぞれいろんなことを思い出しながら過ごしていた。
「アマチュアっていってもみんなセミプロっぽかったね。純粋なアマチュアは僕らだけみたいな感じやったね」とか、
「ちゃんと客席の最前列には笑い屋がおって客席をあっためてくれるんやね」とか、
「お笑い業界の舞台裏、垣間見たねえ」「そうやね、ホント、垣間見たね。僕には絶対ムリだと思うわ」
という会話をしながら、ふつうでは考えられないレヴェルの疲れに圧倒されていた。

そろそろいいんじゃない、という時刻になって映画館に行ったら「立ち見になります」とのこと。
そうだった、映画ってのはあらかじめチケットを買っておくべきものだったのだ。
ふだん映画なんてほとんど見に行かないから、そんな発想、ぜんぜんなかった。
しょうがないのでここで解散。エヴァを見たいマサルは池袋に行くことにし、
僕はいよいよ通信教育のリポートがヤバいので、家に帰って勉強することにした。
あまりに疲れていたので電車の中で立っていられる気がせず、バスで洗足まで戻った。

今日考えたこと、感じたことは、ちょっとまとめるのに時間がかかりそうだ。
とりあえず今日の日記はM-1予選当日の報告ということにして、感想戦はまた後日。


2007.9.8 (Sat.)

床屋に行く。担当のおねえさんは僕が来店する間隔が短いと「いいことです」と妙に機嫌がいい。
こちとらおねえさんにきちんと切ってもらわないことにはブサイク街道まっしぐらなので、
すっかり頼りきりなのである。毎回、すげえなあ、と感心させられる。

午後3時、マサルが家にやってくる。そうなのだ、僕とマサルはコンビを組んでM-1の予選に出場するのだ。
それでネタを考えるのである。ちなみに予選の本番は明日である。
といっても、すでにネタはいくつかできあがりつつある。ただ、途中の枝葉末節を考えることにハマってしまい、
なかなかオチまで考えられないという大問題を抱えている。本日はそれらを解決して練習をするのである。

とりあえずブレーンストーミング的雑談をしていくうちに、本命だったネタのほかにもうひとつネタが浮かぶ。
あれこれつくり込んでいくうちに、こっちもいけそうな気配が漂い出す。それでどっちでいくか大いに悩む。
しょうがないので両方のネタを、ノートパソコンでWordを起動して脚本の形に起こしていく。
その一方でマサルはみやもりやリョーシ氏に電話をかけ、どっちでいくか判断を仰ぐ。
片方はド前衛(今まで本命だった方)、もう片方はふつうのしゃべくり漫才(今さっきできた方)なのだが、
見事に票が割れた。実際にメールでネタを送信したりしてあれこれ動いた結果、今さっきできた方でいくことに決まる。
ちなみに本番まで24時間を切っている。こんなんでええんか、と思いつつ練習を開始する。

僕らとしてはきちんとやっているつもりでも、客観的に見ればどうだかわからない。
それで誰かに見てもらわないといかん!となって、白羽の矢が立ったのが、潤平。
日付が変わる頃であれば少しは時間が取れる、ということで、それまで練習をしつつ待つ。

仕事で疲れているだろうに、潤平は僕の部屋まで来てくれた。
とりあえず2月の大阪土産と5月の松島土産を渡す。今ごろ。っていうか最初どこのマーティ=フリードマン先生かと思った。
さてその後は大岡山駅付近のカラオケ屋に移動して練習再開である。なんだかいかにも駆け出し芸人っぽい。
潤平監督の見守る中、さっそく実演してみせようとしたら、なんと、僕が2番目のセリフをすっかり忘れて立ち往生。
その後も壊滅的なセリフの飛び具合で、「おいおいこれじゃ話にならねー」という状況になってしまう。
それ以外にも基本的なところとして声が小さいと指摘される。さっき部屋では大声を出していたというのに。
そういうわけで、じゃあ思い切って大声出してやってみようか、となる。そしたらセリフがきれいに出てきた。
結局、度胸を出して堂々とパフォーマンスすることが一番効果的なのである。
ドラムスをたたくときもこれは同じで、思い切ってできるだけ大きい音を出すと、不思議とリズムが崩れない。
基本的なことは共通しているんだなあ、と妙に感心しながら練習を続けるのであった。

さて、潤平の指導は非常に的確だった。やってみて、気づいた点を拾い出し、それを3人で話し合ってフィードバック。
熱海ロマンのレコーディングのときもそうだったが、この関係のリズムが非常にいいときには実にいいものができる。
おかげでずいぶんネタはシェイプされ、また僕とマサルのパフォーマンスも向上したように思う。
そんなこんなで深夜の2時頃まで猛練習は続けられたのであった。
イヤな顔ひとつせず付き合ってくれた潤平さんには感謝の言葉もございません。本当にありがとうございました。


2007.9.7 (Fri.)

ボケー! ハンカチ王子気持ち悪いんじゃー(バリヤー!)


2007.9.6 (Thu.)

今日はケータイを使ってリポートを書いた。
もうだいたいおおまかに書きあがっている状態で、少し間を空けてから読んで確認したいと思ったので、
メールにリポートの文面を放り込んでケータイに送信。それを推敲したのである。
なんというか、われながら必死だなあと苦笑。まあ実際、必死にならないといけない状況だからしょうがない。
やれることはぜんぶやって、しがみついて、結果を残していくしかないのだ。ヒー


2007.9.5 (Wed.)

最近、日記を書いていて思うのは、文章がヘタになっているということ。
表現や語彙がマンネリ化していて、どうも単調なのだ。
具体的なことで例を挙げれば、一文の締め方のヴァリエーションが非常に少なくなってきている、とか。
考えてみれば、ここ何ヶ月か勉強に追われていて、朝も昼も小説というものを読んでいないのである。
たぶんそれが、文体のトレーニング不足、文章を書く筋肉の萎縮化の原因になっているのだと思う。

面白いもので、僕は他人の文章を読んだからといって、そこに出てきた表現をマネしようとは思わないのだが、
気づかないところで刺激を受けているようで、その対抗意識が自分の文章ににじみ出てきているような気がする。
だからそういう発想をくすぐられないでいると、すぐに文体が縮こまってマンネリに陥ってしまうのだ。

じゃあ解決策はというと、当然、他人の書いたちゃんとした文章を読むことが一番である。
幸い、今後は試験対策を夜に進めていけば、読書の時間を再び確保できそうな気配なので、
どうにかそれまでに文庫本の1冊や2冊くらいは読んでいきたいところである。
どうせ本屋をブラつけば、読んでみたい本なんてすぐに目につくに決まっているのだから、
さっさと歩きまわってみればいいのだ。あるいは、図書館に行って物色してみるか。

そういうわけで、人間はいつでもサボれないのである。
あっちをがんばればこっちをサボることになるなんて、なんというか、油断のならない世の中である。


2007.9.4 (Tue.)

ネタがない日の日記は後からテキトーなどうでもいいことを書けるわけで、それはそれでありがたい存在ではある。
そういうわけで、今日の分についてはテキトーに、コロ助について書くナリよ。

潤平のイメージキャラクターがロックマンなら僕はコロ助といった感じで、手持ち無沙汰な余白が空いてしまったとき、
よくコロ助を描いてスペースを埋める。手軽に描けるせいでよくそうしてしまうんだと思う。
数え切れないくらい描いてきたせいで、だいぶF先生ともアニメ版ともちがう独自のタッチになってきているほどである。

しかしまあコロ助ってのはよくできたキャラクターだ。
ドラえもんにしてもパーマンにしても、従来のF先生のキャラはトラブルを便利に解決してくれる役割なんだけど、
コロ助は完全にトラブルメーカー専門である。それをキテレツが解決するという逆転現象になっている。
キテレツやみよちゃんやブタゴリラ(ひどいあだ名)やトンガリ(本名)にとってのちょうどいい弟的存在で、
絶妙なかわいがりたい感を漂わせている。その辺、やっぱり僕が大好きなエルモと共通していなくもない。
(エルモへの僕の溺愛ぶりについてはこの辺を参照してください(→2005.1.112006.9.12007.5.27)。)
コロ助の非力ぶりは、『キテレツ大百科』全体に妙なリアルさというか、日常性というかをもたらしている。
つまるところ、この作品については、別にキテレツが発明を再現して問題を解決する必要ってのは全然ないのだ。
コロ助がトラブルを発見・拡大して、「さあどうしよう」と考える。実はその部分ですでに話が成立しているのである。
F先生のほかの作品であれば、ヒーローが特殊能力で問題を解決してオチをつけてチャンチャン、という形式が存在する。
しかし『キテレツ大百科』において重要なのは、「いかにコロ助を問題に関わらせるか」である。
コロ助さえ絡んで話が膨らんでいけば、それでよし。そんな重心の位置の違いが、コロ助によって埋め込まれているのだ。
マンガでの連載はそんなにボリュームがなかったのに対し(全2巻)、アニメ化された期間は非常に長かった(8年)。
アニメの成功した理由は、そういうコロ助の特性を原作者以上にうまく活用してみせたことにあると思う。

ところで、僕はたまに、コロ助の中に「成長することのない存在の哀しみ」を感じてしまうことがある。
コロ助はキテレツによってつくられたロボットというかからくり人形である。
子ども扱いすると「無礼ナリ!」と暴れるが、上記のように、基本的にはみんなから弟のようにかわいがられている。
でもふと、川の土手かどっかに座って夕日を眺めつつ、隣にいるベン(勉三さんの犬)の背中をなでながら
「キテレツたちはみんな大きくなるのに、ワガハイだけは大きくならないナリよ。まあ、しょうがないナリけどね……」
そんなシーンを想像してしまった瞬間、そこには異次元の『キテレツ大百科』が派生してしまう。
もしコロ助がそういう悩みを胸のうちにしまってキテレツのママに「コロッケほしいナリー」と甘えているとしたら。
もしコロ助がコロッケを食べて「でもワガハイは大きくならないナリ……」と思いながらも笑顔を振りまいているとしたら。
実はこれほど哀しい話ってないじゃないか、と思ってしまうのである。うう、コロ助、なんてお前は健気なんだ、と。
もしその事実をブタゴリラが知ったら大騒ぎだ。まずコロ助のために号泣し、次に「キテレツなんとかしろ!」と怒鳴り込む。
まあそんな具合にあれこれ妄想が膨らむわけである。そして僕は、これは『キテレツ大百科』に特有の妄想だと思う。
ほかのヒーローたちが「すこしふしぎ」に活躍するタイプの話であれば、その活躍の陰にこういう疑問は覆い隠されてしまう。
非力なコロ助だからこそ生まれうる疑問、生まれうる哀しさだと思うのである。

永遠に閉じられた時間を生きるタイプのマンガにとって、上記のような疑問は一番やっちゃいけないことである。
(稲中では前野が「なんで新一年生が入ってくるのにオレ達は二年のままなんだよー おかしーじゃねーか!?」
と叫んで井沢から「あんま気にすんな 忘れろよ なっ」と説得されている。第4巻・99ページ参照。)
しかし非力なコロ助には、そういう時間を切り開いてしまう可能性、説得力がある。
もしコロ助が成長しない自分を自覚して、苦しみながらもそれを肯定していくことが描かれていたとすれば。
そんなの、F先生が絶対に描くわけがないし、面白い話になる保証もない。少なくとも子どもは楽しめるはずがない。
でもそういう完全なる逸脱がもし許されたとすれば、それはそれでとんでもない名作が新たに生まれた気もするのだ。

「――じゃあ、歳をとってみるかい?」
そう作者がキャラクターの呼びかけに応えてしまうマンガが、そろそろ現れてもいいかもしれない。
マンガが最先端のメディアであるなら、閉じた時間と流れる時間の差異をテーマに扱う作品が出てきてもいいと思う。


2007.9.3 (Mon.)

ぼちぼち準備を始めないと格安料金での旅行ができなくなる。
というわけで、まだ静岡にも行っていないうちに四国旅行の交通関係の手配を開始する。
突貫スケジュールでの四国一周をするつもりでいるのだが、天気も不安だし有給申請もまだ先の話だしで、
イマイチ心の準備ができていないのに、移動手段を確保する。それがなんとも、妙な感じである。
井上陽水は何も準備しないで空港に行ってから「さあどこへ行こうかな」と目的地を決める旅行をしたんだそうで、
そういう奔放さはうらやましい(沢木耕太郎『深夜特急』第6巻、巻末の対談に書いてある)。
旅行は非日常のはずなのに、前もって決めた予定に縛られていたら、それは日常と変わりなく思えるから。

まあしかし落ち着いて考えてみると、僕の旅行はどうも両極端なようだ。
2月の紀伊半島旅行(→2007.2.10)なんか、2日前に突然思い立って一気に計画を詰めている。これは突発型だ。
今月計画している静岡旅行も、十分突発型と言えるだろう。行けるかも、って思っているうちにその気になった。
それとは対照的に、四国旅行はスケジュールをあらかじめガチガチに固めておいてからそれをなぞる予定でいる。
やはり経済的な問題を深刻に考えるようになってから、旅行のスタイルが変化している。
本当は気ままにいろんな街をふらついてみたいのだが、なかなかそうもいかないのが正直なところなのだ。
そういえば、僕のふだんの自転車での行動パターンも、けっこう両極端だ。
とりあえず皇居まで行ってみてから行き先を考えるときもあれば、目的地を決めてから家を出ることもある。
そういういろんな要素を組み合わせながらストレスを発散しているってことなんだろう。

手続きを済ませると、旅行は一気に現実味を帯びてくる。
と同時に、それは未来の予定として書き込まれ、どこか硬直化した感触になる。
想像が現実のものになるというのはとてもうれしいことなのだが、どこか淋しいのも確か。
頭の中では100%だったものが現実に変化する際に摩擦でいくらか目減りする、言葉で表現するとそんな感じ。
でも想像だけで終わらせることほど虚しいことはない。やはり、考えたことは実現をさせていかないと。
どうせ実際にやってみれば、それまでとても思いつかなかったできごとが起きるに決まっているのだから。

さて旅行の計画を着実に進める一方で、勉強はテキストをいちおう読破した。これでリポートへの準備に移行できる。
設定している最低限のラインを毎回ギリギリでこないしているなあ、と苦笑い。まあそれでもいいのだ。
とにかく、なんとかして食らいついていかなくちゃいかん。なりふりかまっちゃいられないのだ。


2007.9.2 (Sun.)

朝起きて、ご飯を食べる。ご存知のとおり僕は大飯食らいなのでおひつの近くに陣取る。
「おひつラブ」なんてバカなことを言いつつメシを掻き込んでいく。

食後はしばしの間、だらける。
日曜日の朝ということで、長野朝日放送をつけると『仮面ライダー電王』をやっている。見る。
もともと僕は仮面ライダーには詳しくない人なのだが、最近の方向性は輪をかけてサッパリ。
まあ、マジメに追っかければそれなりに見どころはあるのかもしれないなーとは思える程度には楽しめた。
そんでもってそのまま『プリキュア5』になだれ込む。こっちも全然わからないけど、まあ、見る。
敷いたまんまの布団に3人(まる夫妻は隣の部屋)並んで「なあなあ、こん中の誰が好き?」と、
恒例の修学旅行トークを繰り広げ……ようとするのだが、ふたりとも乗ってこないのであった。チェッ。

バヒさんが事故った車の手続きをする関係で飯田に帰るということで、それに合わせて動く。
とりあえず岡谷に出て、川岸駅から飯田線に乗って帰ることに決定。みんなで移動。
まる車に僕とバヒさんが乗り込み、後からトシユキさんがバイクで追いかける。
車内ではバヒさんのことを「浜井場の(狂犬ならぬ)狂チワワ」と呼んでみたり。イメージぴったりだ。

川岸駅に着いた。日本中に川岸はあると思うのだが、ここが「the 川岸」なのである。
でも意外と天竜川から距離がある。川の隣にすぐ駅、というわけではないのだ(岡谷市川岸地区の駅、ということ)。
いかにも飯田線らしいひなびた無人駅である。なんとなく、撮影をしてみる。
どっかから「マツシマさんは鉄だなー」という声が聞こえてきそうな気がするが、あえて言わせてもらおう。「ちがうナリよ」

  
L: 飯田線・川岸駅。川沿いの街道沿いにある、とってもひなびた駅である。  C: 駅舎を線路側から撮影。
R: バヒさんを乗せて南へと下っていく飯田線。バヒさんはもういいかげん、車を運転するのをやめるべきだ。この狂チワワめ。

ポツポツと小雨が降りだす中、バヒさんは電車に揺られて行ってしまった。トシユキさんともここで解散。
トシユキさんは雨にも負けず、国道20号をひたすら安全運転で帰るのであったことよ。
僕らはそのまま諏訪ICから中央道に乗り、関東へと戻る。
あれこれと話をしつつ、僕は嫁さんの相手をするまる氏のことを心底偉いなあと感心していたのであった。
いや、ぜったい、僕にはできんと思う。まるさんオトナだねえ、と。

相模湖で高速を下りると、そのまま橋本駅まで連れて行ってもらう。んでもって解散。
僕はそのまま京王線に乗って新宿へ向かうのであった。

新宿ではマサルと打ち合わせである。談合坂SAでお土産の長いコロン(グリコのアレ)を買っておいたのだが、
午後3時集合の約束だったのに二度寝で遅刻ということで、渡さずにそのままお持ち帰りの刑に。
そんなハプニングも乗り越えつつ、ひたすらあれこれアイデアを練りまくるのであった。いやー疲れた疲れた。

で、家に帰って新聞を広げて、そこで初めて広島・前田智徳の通算2000本安打達成を知る。
あれだけケガに苦しんだのに、見事に復活して、今でも活躍を続けている。それだけでもシビレる。
高校時代に僕はクラスのソフトボールチームで右投左打の外野手だったわけで、前田は究極の目標なのであった。
僕は県庁所在地めぐりをしているわけだけど、広島市民球場が健在なうちに、前田を観に行きたい、と思った。
いいなあそれ。来年あたりの目標にしようっと。


2007.9.1 (Sat.)

毎年恒例の諏訪湖新作花火大会である。あれやこれやでクソ忙しいのだが、もちろん、行くのである。
思えば今年のお盆はスクーリングを受講していたせいで、実家に帰れなかった。
いつもだったらトシユキさん・バヒサシさん・まる氏と4人で集まって騒ぐわけだけど、それができなかった。
しょうがないことなんだけど、それがいまだに悔しいわけで、その思いを晴らす絶好の機会なのだ。

上野毛駅から環八に出ると、ガソリンスタンドでまる氏の車に乗せてもらう。
今回はトシユキさんがバイクなので、車内はまる氏・まる嫁さん・僕の3人編成である。なんだか息子気分。
途中、まる氏に「せんたは努力してるのは認めるけど、その必死さが前面に出ちゃってるからなー」と言われる。
その通りだよコンチクショーと思いつつ、でもその解決法は自力で探すしかねーんだよなあ、とも思う。
渋滞の甲州街道ではカーナビのワンセグで世界陸上・競歩の誘導ミス中継を見つつ(実況が実に恥ずかしい)、
中央道に入るが、渋滞はなおも続く。相模湖周辺の混み具合が異常で、すっかりヘロヘロ。

ヘロヘロに追い討ちをかけたのが、バヒサシさんからの連絡。
その内容は朝霧高原で事故ったというとんでもないもので、車内の一同が言葉を失う。
幸いケガなどは一切ないとのことだが、事態が事態なのでシャレにならない。アイツまたかよ、と。
それでこっちも精神的に参ったせいか、双葉SAを気づかず通過してしまい、昼メシの時刻が遅くなる。
結局、八ヶ岳PAでようやくメシにありつくが、その間も僕とまる氏はため息つきっぱなし。
「もうこの際、あいつには車の運転をやめるか、去勢するか、どっちか選ばせようぜ!」とは僕のセリフ。

それで諏訪の旅館に着いたはいいが、予約ができてるんだかできてないんだかよくわからない状況。
予約をしたのはバヒさんということで、電話をかけるがつながらない。たまったもんじゃない。
なんとか隅っこの部屋に入ることができたのだが、なんか今年はツイてないなーとガックリ。
しばらくしてトシユキさんが無事に合流。バヒさんの事故を伝えるが、彼らしくいたって冷静な反応だった。

さて、晩メシまでの時間つぶしということで、トシユキさんが持参したボードゲームをやってみることに。
(僕が「『ピタゴラ装置』のDVDでも見る?」と訊いたら、「持っとる」だって。さすがはトシユキさん。)
『ハイパー・ロボット(Rasende Roboter)』というドイツ製のゲームである。
ルール説明がなかなか面倒くさい。まず、ボード上には碁盤目状にマス目がある。4色のロボット4体をテキトーに配置。
次に、よく混ぜて伏せておいたチップをひっくり返す。チップの表には4色に分けられた各種のイラストが描かれている。
ボードのマス目のところどころにも、そのイラストが描かれている。引いたチップと対応するマス目がゴールになるのだ。
たとえば「黄色の星」のチップを引いたら、黄色のロボットを「黄色の星」のマス目までもっていくことになる。
そしてプレーヤーは、そのマス目までもっていく最小の手数を考える、というのがこのゲームのルールである。
ポイントは、ロボットは壁もしくは別のロボットに当たるまで突き進むという点。当たって止まるまでを「1手」とカウントする。
まあ要するに、アイスホッケーのパックが滑っていくような感じ。カキンカキンとはね返りながらゴールを目指すわけだ。
ロボットを思いどおりの位置に止めるためには、ほかの色のロボットを動かす必要性も出てくる。
そうやって先を読んでいって、ゴールに着く最も少ない手数はいくつになるのかを早い者勝ちで考えるゲームなのだ。

 こんな感じなのだ。

トシユキさんは慣れているということを差っ引いても、早い。ちょっと考えただけで、何手でゴールできるかわかってしまう。
対照的に僕はいっくら考えてもわからない。「慣れの問題。ある程度の得意不得意はあるけど」とのことだが、
いつまで経っても慣れる気配が出てこない。そうこうしているうちに、まる氏はほかの色のロボットを動かしまくる
非常にエレガントな解答を出したりなんかして、なんだかとんでもなく差が開いていってる感じ。
結局、晩メシまでには「壁抜け男にはならない」「急に摩擦がかかったりしない」という最低限のマナーが身についた程度。
トホホである。これも理系から文系に移った影響なんだろうか。

晩メシ。僕らのバヒさん到着予想時刻は花火が終わったくらいということで、バヒさんの分も食べてしまうことに。
そしたら途中でケータイが鳴り、もう少しで来られる、との連絡が入る。タイミングの悪すぎる奇跡である。
それで僕らもほかの客も食べ終わってるのにバヒさん待ちという状況に。ツイてないときは本当にツイてない。
さらにツイてないことに、雨が降り出した。中止になるレベルの降り具合ではないものの、十分迷惑なレベル。
まあ、雨に祟られるのは毎年のことなのでそんなに気にしてはいないが、バヒさんには踏んだり蹴ったりだっただろう。
そういうわけで、けっこうな濡れ鼠になってバヒさんが到着。衆人環視の中、落ち着かない食事をする破目に。
食べ終わったら部屋でしばらく休む。そのうち花火の音が聞こえだしたので、傘を持って外に出た。

宿から諏訪湖まではすぐなので、湖に沿って打ち上げ現場の方向へと歩いて近づいていく。
相変わらずの人だかりである。そしてカップルばっかである。やさぐれつつも歩いていく。
有料席(\3000)とフェンスで隔てられた辺りでストップ。まずまずの見え具合である。
デジカメが新しくなっているわけで、いっちょやってみるかと、あれこれバシバシ撮ってみた。

  
L: 今回優勝した「ドラネコロック」。ここまで見事に形をつくれるってのはすごい。
C: 平面を立体的に配置していて面白いです。  R: 小さな花火の輪が流れ落ちる。右下のフェンスがジャマである。

  
L: 形はアレだが、色がむちゃくちゃキレイなのであった。  C: 色のコントラストがお見事。
R: これは、花火の球を時間差で光るようにしているのだ。光が下から上へ移動する感じ。動画だとわかりやすいのだが。

 
L: あらゆる色を混ぜている例。  R: テーマは「男と女」だそうです。

「諏訪湖の花火」というと毎年8月15日に行われるものが非常に有名なのだが、あまりに混むので回避している。
それで9月の第1土曜日に開催される「新作花火大会」を見ることになっているのである。
で、「新作」というだけあって、あの手この手の粋を凝らした前衛的な作品をたくさん見られるのがこの大会の特徴。
ただキレイなだけではなく、何かしらひとひねり入れてくるわけで、そこが実に楽しいのである。
……とか言いながら、ホントは僕の一番のお気に入りは、合間に入るスターマインだったりする。
まあそういう前衛と定番の組み合わせが絶妙なので、この花火大会はとても大好きなのである。
なお今回、デジカメでそのスターマインの動画を撮影してみた。
そしたら「(見せる相手もいないのに)なんでそんなに必死に撮ってるんだ」とまる氏に言われた。ムキー。

最後の締めは当然、諏訪湖ならではの水上花火である。
両端からスターマインがだんだん近づいていって、最後にはひとつになるという演出。
湖面に広がる美しい半円とともに、頭上にはボンボンと花火が広がる。あっちも花火でこっちも花火という状態。
ただ圧倒されながらシャッターを切るのであった。

  
L: 湖面に広がる半円。幻想的である。  C: 近づいていくスターマインと、頭上の花火。
R: クライマックスが近づき、花火の競演が実に見事。やっぱり締めはこうでないとね。

毎年見に来ているんだけど、一向に飽きない。「いやー見事見事」と言いつつ宿の方向へと戻る。
しかしまる嫁さんを残し、僕らはそのまましばらく歩いていく。西友があるので、そこで酒などを買い込むのだ。
各種ビールやらカクテルやらを見繕い、お菓子もたっぷりと買い込んでから、ようやく宿へと帰る。
途中でマサルから電話がかかってきて、「いいからお前はオチを考えろ、オチを!」と言ったら、
周りのみんなから「まだオチができてないのかよ!」と笑われた(この件の詳細については9月9日の日記を見るのだ!)。

部屋に戻ると、まず乾杯。いろんな種類のビールを買ったので、その味比べをしてみる。
そして先ほどやった『ハイパー・ロボット』に引き続き挑戦してみる。
トシユキさん曰く、「酒を飲んでやるとものすごいミラクルが起きることがある」とのこと。
実際やってみると、それまでエレガントな解決を見せてきていたまる氏がすっかり鈍くなってしまった。
一方で僕は、5手以内ならすぐにわかるかな、といった程度に成長。
トシユキさんは相変わらずの強さだったが、思わずうなり声をあげるようなミラクルは起きず。残念。

続いて、これまたトシユキさん持参のゲーム、「カルカソンヌ」をやってみる。
これはドイツでゲーム賞を総なめにしたボードゲームなんだそうだ。なるほど、木製の人型のコマはドイツの匂い。
このコマは、実家に置いてあって子どもの頃に遊んだやつとほとんど一緒だ(たぶん今もどっかにあるはず)。
「カルカソンヌ」はバヒさんもやったことがあるとのことで、ふたりからいろいろ教わりつつ進めていく。

まず、ひとりが正方形の地形タイルを引き、それを机の上に配置するところから始まる。
各辺には草原・道路・都市が描かれている。草原は草原の辺と、道路は道路の辺と、都市は都市の辺と接する。
(中央に修道院が描かれているタイルもある。なお、どの辺に何が描かれているかはそれぞれのタイルごとに異なる。)
プレーヤーは順番にタイルを引いていき、置いてあるタイルにそれを並べてフィールドをどんどん広げていく。
で、自分のタイルを置く際に、上記の草原・道路・都市・修道院のどこかにコマを1個置くことができる。
  道路: 両端が確定したときに、タイルの数だけ点が入る。
  都市: 城郭が完結したときに、タイルの数×2だけ点が入る(ボーナスで2点入るタイルもある)。
  修道院: 周りの8つのタイルがすべて埋まると、9点入る。
  草原: ゲーム終了時に完成している都市の数×3だけ点が入る。
持ちゴマはぜんぶで7個。どこを占領してどれだけコマを手元に残しておくかも重要になるのだ。
(ちなみに、道路・都市・修道院は完成した時点でコマを引き上げられる。草原は最後まで引き上げられない。)
なお、フィールドを広げていく過程で所有者が重複した場合には、多数決の原理で多くコマを置いていた者が点を総取り。
同数の場合には両者に点数がそのまま入る(都市と草原、特に草原でそういう事態が発生しやすいのも駆け引き)。
長期的な観点からは草原を確保したいが、上記のように競争になりやすいのと持ちゴマを削ることになるので、
なかなかそればっかりというわけにもいかない。実際、短期で稼げる道路はけっこうな財産になる。
引きの強さという運の要素を実にうまく取り入れながら駆け引きを楽しめるということで、
なるほどこれは確かに面白いもんだわ、と感心しながらプレーしたのであった。

  
L: 序盤はこんな感じ。  C: 都市ができあがったり、道ができあがったり。だいぶそれらしいフィールドになってきた。
R: 下半分では大都市・修道院・草原をめぐって緑のバヒさんが奮闘中。一方で着実に上半分で勢力を広げる黄色のトシユキ氏。

 
L: だいぶフィールドが広がってきたのである。  R: 終盤の様子である。

ベテラン2人の話によると、最終的には草原をめぐる駆け引きになるんだそうだ。
確かに、都市は案外効率が悪いような気がする。修道院もつくるのが大変だ。
一方で短期的な道路もつなげていけば着実に財産になるわけで、なかなか適度な奥の深さである。
みんなで集まってゲームでワイワイ、というのはずいぶん久しぶりだ。非常に楽しかった。
しかも僕にとっては、まったく知らなかったものをあれこれ教えてもらえたわけで、あらゆる面で有意義な時間なのであった。


diary 2007.8.

diary 2007

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