diary 2007.12.

diary 2008.1.


2007.12.31 (Mon.)

年越し家族麻雀大会を実施したのだ。

四暗刻テンパったり中の暗刻が実は裏ドラでドラ3だったりで大勝したのだ。
今年(麻雀に夢中になっているうちに新年になっていた……)はきっといいことがあるのだ。


2007.12.30 (Sun.)

15時間寝て、昼メシ食って、すぐ眠って、6時間してからまた起きて、晩メシ食って、テレビ見てまた寝る。寝る子は育つ!


2007.12.29 (Sat.)

16時発のバスで飯田へ帰る。やたらと眠くって、車内では徹底的に寝っこけるのであった。

飯田インターから降りて飯田市街へと向かう間、窓の外をぼんやり眺めながら思う。
ああ、飯田は東京よりも「氷が近くにあるんだ」と。
たとえば夕方から晩にかけて地面が濡れているのを目にする。東京だと「ああ濡れてるね」と思うだけで済むのだが、
これが飯田になると、無意識のうちにアスファルトが小さく凍結している様子が連想されるわけだ。
そんなことから、標高の分だけ確実に東京より寒いんだ、とあらためて思い出す(緯度は飯田のほうが低い)。
まあ実際に、夜中や明け方に外に出てみると、東京よりも寒さがずっと肌に染み込んでくる印象がするんだけど。

東京暮らしを10年続けているうえに、実家に帰るのは1年ぶりということで、忘れていることがいろいろと多い。
僕がいない間にも飯田は飯田で時間が経過しているわけで、それはたとえるなら対角線的な距離感、
10年×√2な、よけいな隔たりをなんとなく感じる。


2007.12.28 (Fri.)

本日は今年の仕事納め。午前中になんとか新規原稿を印刷所に渡すと、午後からなんとなく机のまわりの掃除。
15時からは会社入口の階段を使って記念撮影。一年の早さを実感させられる。特にこの一年は早かったように思う。
そして会議室に全員集合して納会。寿司やらビールやらを徹底的にいただく。これまた一年の早さを実感させられる。
ビールをついでくる社長に「キミはまだ結婚しないのか」などと言われ、内心「うるせーコノヤロー」と思いつつ、
表面上は「ぜんぜんそんな気配ないっすねーエヘヘ」と返す。まあそんな感じで時間は過ぎていき、解散。

家に帰ると英語のMP3をつくりながら部屋の片付けを開始。日ごろだらけていたせいで非常に手間がかかるのであった。
自業自得じゃのう、としみじみしながら明日のゴミ出しの準備を進めるのであった。


2007.12.27 (Thu.)

仕事はフル回転、勉強はいっぱいいっぱい。本当に疲れた。
ところで昼休み、仕事場からお寺が火事になっているのが見えた。師走はどこもてんやわんやだ。


2007.12.26 (Wed.)

それにしても今年は見事に「年末」という感覚のない年末を過ごしている。
例年、ある程度は「ああもう今年も終わっちゃうんだなあ」という雰囲気が漂っているのを感じ取るものだが、
今年は本当にそれがない。世間が12月特有のイベントやできごとをこなしているにもかかわらず、
僕ひとりだけ別世界で暮らしている感じである。ここまで年末意識が希薄なのは、まったく初めてのことだ。
その辺の理由についてはちょっと前に日記で書いているが(→2007.12.15)、
ここまで強烈に感覚がマヒしていると、さすがに自分で自分が不安に思えてくる。それくらい年末って感じがない。
年末だからって何かが終わるわけではないのだ。僕の頭の中で設定している基準のラインのひとつにすぎず、
もっと重要なラインが別のところに引かれているから年末が気にならなくなっているだけなのだ。
まあそういう意味では、いい具合に気合が保てているな、という気もしている。
とりあえず、年末年始はたっぷり休めるいい機会なので、ここでしっかり充電しておいて次に備えることにする。


2007.12.25 (Tue.)

昼休みに大学の事務で、介護等実習について問い合わせ。
担当者が教育実習についての質問の電話、それもかなり頭の悪い相手からの電話に長時間付き合わされていて、
そのあおりを食って昼飯を食うヒマがなくなる。肝心のこちらの問い合わせについては有益なアドバイスがもらえた。
どうにか午後の仕事にも耐え、おやつにうどんを一杯だけ食べると英語の勉強。
こちらは本日より新しい内容に移った。でもまだまだ初歩。こんなんで来年の本番に間に合うのか、と不安になるが、
だからといってドタバタしてもしょうがない。腹をくくって今できることを全力でやるのみである。
毎日毎日、日記で大変だーって書いてるけど、覚悟が固まっちゃっているから当の本人はわりかし平気でいるのだ。
むしろ「生きてるぜ!」って感じがしているくらいで。このまま会社でハートの温度が冷えていくのに比べりゃなんてことない。


2007.12.24 (Mon.)

イヴとか関係ねーよ。自転車で新宿行って日記書いてさらに英語の勉強。
家帰ってからはMP3の英語音声データをつくりながら、こないだの介護等実習事前指導のレポートを書く。
マサルからクリスマス記念でしょーもない内容のメールが来たから、こっちもしょーもない内容で返信した。そんだけ。


2007.12.23 (Sun.)

科目修得試験である。雨だったので電車で早めに会場入り。ルーズリーフにまとめた内容を頭の中に徹底的に叩き込む。

1時限目。ルーズリーフの内容を極限までシンプルにまとめていたせいで、やや各論に近い内容の課題が出て困る。
もうこれは運を天に任せてインチキ文章をこねくりまわすしかない。採点する先生の機嫌が良いことを祈る。

2時限目。英文の課題。いちばん最近読んだところからの出題だが、暖簾に腕押しな感じの問題が並ぶ。
イマイチ手ごたえが感じられない。それでも減点される要素はできる限り減らしたので、まあなんとかなるんじゃないか。

3時限目。こんなところからは出題せんだろ、と思っていたところからスポーンと出題。
といっても出題されて困る内容ではないので、テキストの中身を思い出しながらインチキ文章を組み上げていく。

そういうわけで、1限が最大のネックという感じに。これは落とせない必須の単位なのだが、はてさて。
教育学っていう学問領域は、個人的にはものすごくバカバカしいものだと思っているので、どうも相性が悪くて困る。
まあとにかく、全通ししたと仮定したうえで、次回(そして最後)の課題に向けてさっさとスタートを切ろう。

テストが終わったら天気がすっかり良くなっていた。飯田橋まで歩いて戻って自転車を引っぱり出すと、ふらっとサイクリング。
こういうとき、自転車2台持っていて良かったと心から思う。音楽を聴き風を感じながら気ままに流す。
行ってもやることがないことでお馴染みの秋葉原へ。飯田橋からは適度な距離の都会なのでどうしても引き寄せられる。
休日の秋葉原は人が黒い波をつくっていて、しかもその人たちはみんないかにもアキバ系なので、圧倒されてしまう。
こないだのリョーシさん送別会でゲームボーイのドラクエの話になったので、中古のソフトを軽くチェックしてみる。
一般常識としてドラクエを体験しておくべきかな、という気になっているのだ。遊ぶヒマが本当にないけど。
で、本屋で『Number』買って帰る。オシム特集に弱い僕。

夜はM-1グランプリである。序盤はどの組のネタもつまんねーなーと思いながら見るが、トータルテンボス以降は楽しめた。
ただ「林家ペーチャンネル→画面がピンク色」のネタで沈黙する客のレヴェルの低さに呆れた。審査員もコメントおかしい。
決勝ラウンドに残った3組は、ネタの面白さでもパフォーマンスの充実ぶりでも納得がいく感じだった。
サンドウィッチマンの優勝に文句はないけど、トータルテンボスのネタはきちんと評価しないといかんと思うのであった。
キングコングも思ったよりも良かった。でも年々、全体的に小粒感が増しているように思えてしまう。
そして「オレ○○やるからお前××やってよ」という漫才のパターン自体に飽きた。みんなそういう系統ばかりで。
M-1に勝てる型がなんとなく決まってきているとしたら、それはつまらんなあと。1回戦敗退の僕が偉そうに書いてみました。


2007.12.22 (Sat.)

明日の通信教育のテストに備えて猛勉強をしなくちゃいけないはずなのだが、体が動かない。
頭はいつもどおりなのだが、とにかく体が動かない。そしてとにかく眠い。
今日は起きたのが午後になってからだというのに、やたらと眠い。何もできないまま、ただ時間が過ぎていく。
テスト勉強しなきゃいけないのに、なぜかできない。ヤバい、ヤバい、と思いながらもどうすることもできない。
どうにか起き上がって風呂に入る。いつもならなんでもない体を洗うという行為が、なぜかキツい。体が重いのだ。
それでようやく、自分が頭を除く全身にだるさを感じていたことに気がついた。

風呂から上がるとアスピリンを飲んで、ムリヤリ勉強を始める。
「教職に関する科目」については、実は今月の前半、すでにテスト対策の土台をつくっておいてある。
要点だけをまとめたルーズリーフのメモを直前に復習すればいいだけになっている。
「教科に関する科目」、つまり英語の科目についても、すでにテキストを二度読み込んでいる。
あとは本番に備えて単語の再確認が必要で、それを黙々とこなしていく。

今月から英会話での勉強をスタートさせたことで、正直言って通信の方がおそろかになっている。
それは十分わかっていたことだが、単位を落とすことは許されないわけで、明日のテストは厳しい戦いになるだろう。
しかし、今回のテストで単位を取ることができれば、通信教育での現状の勉強はほぼケリがつくことになる。
(残すは教職実践演習・教育実習と「外国語コミュニケーション(英語)」「情報機器の操作」だけになる。)
何がなんでも、絶対に、結果を残さないといけない。そのためには、今までどおりにベストを尽くしていくしかない。
なあに、本番に強いところを見せてやればそれでいいのだ。自信を持って、自分のペースでいこう。


2007.12.21 (Fri.)

今日は工場見学をした。取引先である印刷会社を訪問し、いろいろ見せてもらったのである。
朝9時半に現地集合で、その現地が代官山ということで、まあ当然チャリンコで行きますわな。
午後にはいつもどおり会社に行かなきゃならないけど、まあ当然チャリンコでそのまま行きますわな。

朝早いから道もそんなに混んでなくって、代官山なんて15分程度で着いてしまうのである。
そんなものは想定内なので、どっか朝飯が食えて日記の書けそうなカフェはないかと駅周辺をウロつく。
そうなのだ。パソコンを背負って現地へ行ったのである。半分休日気分でウホホホホーイってなもんである。
しかし代官山駅の辺りにはドトール的な便利なカフェがまったくなく、愕然とする。
気取った洋服屋(←この表現がブサイク軍。ああ今「アパレル」って言葉を思い出したけど、まあいいや)ばかりで、
朝っぱらに腰を落ち着けてのんびりできるところが本当にないのである。困った。
それで結局、恵比寿まで行ってベーグルをもぐもぐ食べながら日記を書いた。焼きたてワッショイ。

9時半ちょい前に印刷会社の事務室へ。後輩2名と上司がそろって、見学開始である。
ひとつの建物の中にコンパクトにおさまっているが、各階それぞれにあらゆる機械がフルパワーで動いていた。
まずは電算写植の様子を見学し、グラフィックの加工の様子を見学。編集部の仕事がより専門的になっている印象。
次に各種のプリンターなどで出力する様子を見る。当然のことだけど、色の表現へのこだわりが半端でない。
ドデカい機械がフロアいっぱいに所狭しと並んでいて、どんだけ設備投資がかかったのかを想像して怖くなる。
そして最後に印刷機が回っている現場を見る。インクの匂いが漂い、紙が曲がらないようにスチームが噴射されている。
リノリウム張りの床にはあちこちに刷り上った紙が積まれていて、まさに工場。各階での表情の違いが面白い。
すべての工程はそれぞれに専門的なソフトを載せた各パソコンで制御されていたのが非常に印象に残った。
僕なんかいまだに8ビットでBASICのマイコンの感覚を引きずっているので(→2006.7.8)、そこに妙に感心してしまった。
印刷業界はコンピューターの発達に伴い大きくその姿を変化させてきている。
グーテンベルクの銀河系は電気の力でけっこう遠いところまで来ているのだ。それをあらためて実感。

あとは眠気をこらえて営業トークをやり過ごし、見学終了。
駅へと向かう後輩2名と別れ、ひとり自転車にまたがって飯田橋を目指す。天気も良く、サイクリング日和である。
頭の中で描いた地図に沿って気ままにペダルをこいでいく。日ごろ決して味わえない幸せな感覚を楽しむ。
で、神楽坂を一気にのぼってテキトーに昼飯をいただく。もちろん日記もバリバリと書いていく。

いつもの昼休み終わりよりもちょっと遅い時間に会社に到着。優雅なひとときなのであった。
仕事の方は年末に向けて少々ややこしい事態になってきつつあるので、気分を切り替えて集中して取り組む。
んで、がんばってあれこれ作業していると17時になった。駐輪場に行って自転車にまたがる。
思えば会社に自転車で来るのは2回目である。
1回目のときは書店研修で、取引先の取次が経営する書店のお手伝いをしたのであった(→2005.4.8)。
自分の会社よりも取引先の方で「すげえヤツがいる」と先に名前が知れ渡ってしまったのも、今ではいい思い出である。

で、帰りは神保町・秋葉原界隈をフラフラする。というか、いまフラフラしながらこうやって日記を書いている。
平日なのに、朝・昼・晩と日記を書きまくりってのもまあ、変な一日である。
それにしてもやはり、自転車で通勤というのは非常に気分がいい。なんというか、身体がすごく自由になった感覚になる。
すっかり慣れきってしまった退屈なリズムに変化をつけることは、本当に大切なことだと実感している。


2007.12.20 (Thu.)

昨日と対照的に本日は非常に調子が良いのであった。十分な睡眠のおかげだろうか。
仕事と勉強をうまく両立できるペース配分というか体力の消費の仕方をマスターせんとなあ、と思った。


2007.12.19 (Wed.)

今日は本当に集中力が欠けた。英語の勉強で、未曾有のスランプに陥った。
初めて聞く単語が多かったということもあるのだが、何をどうやっても単語が頭に入らない、末期的な症状に苦しむ。
ネイティヴは「キミに必要なのはリラックスすることだ。リラックスすればできるようになるよ」という意味の英語でのたまうが、
これはもう自分の脳の欠陥だとしか思えないくらいにヒドいデキで、最終的にはお情けでOKをもらった感じ。
しょうがないので家に帰ってから自力でスペルを調べて復習。どうにか納得のいったところで早めに寝る。
まあ人間なんだし調子の悪い日だってあるさ、と思うんだけど、時間との戦いなので余裕ぶっこいてられないし。
……こういうところ、やっぱり焦っているのかな。


2007.12.18 (Tue.)


2007.12.17 (Mon.)

今日も勉強。7時間の仕事の後に3時間みっちり勉強というのは、本当に厳しい。
その日はどうにか切り抜けても、完全に回復しないまま次の日に突入って感じになってしまう。
自分で決めたことだから精神的には平然としていられるが、体力的には正直つらい。

フラフラになって家に帰ってネットのニュースをチェックしていたら、
ヴァンフォーレ甲府の監督だった大木さんが日本代表のコーチになるという記事を見つけた。
これはうれしい。たぶんJリーグで最もオシムっぽいサッカーをやっていたってことで、オシム路線継続のための人事だと思う。
甲府のスタイルをオシムっぽいと見るのはかなりムチャな解釈という気がしないでもないが、
何はともあれ自分が支持していたものが認められるというのはうれしいことだ。正義は勝つ。
この調子で来年はぐっといい年になるといいなあ、と思うのであった。


2007.12.16 (Sun.)

洗濯を終えると自転車にまたがって新宿へ。いいかげん英語の勉強をしないといけない。
通っているスクールは休日も平日もやっていて、好きな時間に行けばいいというシステムなのだ。
中に入ってから3時間、ネイティヴや日本人講師にアドバイスをもらいながら自習を進める、そんな感じである。
だいたい3時間でこれだけ進められる、というペース配分がわかってきて、それを守るようにがんばる。
疲れてくると緊張する体力がなくなって口も半開きになり、それでかえって発音が良くなってくるのが面白い。
まあそんな感じでひたすら修行に励むのであった。

勉強を終えて外に出ると、すっかり暗くなっていた。でもカフェに入って日記を書く。
1時間ちょっと粘っていい具合の時間になったので、晩飯食って帰る。
家に着いたらまた日記。自分でも呆れるほどストイックな毎日である。欲をかいてるヒマがないんだよ。


2007.12.15 (Sat.)

床屋に行った。今回はかなり短めにしてもらった。
おねーさんは僕の頭の仕上がりっぷりに非常に満足そうなのであった。
帰り際に「来年もよろしくお願いします」と言われ、ああもう年末なのかと。全然そんな自覚がなかった。
いま取り組んでいることは来年につながっていくものばかりなので、僕の脳みその中では、
“今年度”でひとかたまりになっていたのだ。2008年1月が2007年13月、2008年2月が2007年14月になっている感じ。
まあともかく、さっぱりしていい気分転換になった。この調子を保ってエネルギッシュにいくとしよう。

さて、ウェンディーズで昼飯を食いつつ日記を書く。
そう、いま流行しているメガブームの中でも屈指のヴォリュームを誇る「スーパーメガウェンディーズ」を食べるのだ。
銀紙に包まれたスーパーメガウェンディーズは、すでにこんもりとしている。ふつうのハンバーガーは平べったいが、
こいつは直径よりも高さの方がある。そんでもって銀紙は2枚重ねになっていた。気合入っているなあ、と圧倒される。
いざ食おうと思っても、ハンバーガーの高さが開けた口とほぼ同じサイズなので食べるのが大変である。
崩してしまうのもイヤなので、ハンバーガーを横倒しにし、上からかぶりつくという妙な食べ方に。
感想としては、肉がインフレ。ありがたみが薄れてしまうのがもったいなく思えた。坂内のチャーシューメンと同じ感覚。
さすがに量があって、セットで注文したサラダにはしばらく手をつける気が起きなかったのであった。

家に帰ると10月分の日記を仕上げるために『ギャラリーフェイク』を読んでいく。
休みなのに追い立てられている感じがするのは気のせいか。


2007.12.14 (Fri.)

疲れたので今日は勉強お休み。一日が24時間じゃ足りない生活って、人生で初めてかもしれない。


2007.12.13 (Thu.)

前置詞が難しいという話。

英語の勉強だが、今は本当に「基礎の基礎」の段階である。ひたすら聞き取ってマネをするだけ。
別にそのことについて不満はない。何も鍛えてなかった人がいきなりできるわけないのだから、当然と受け止めている。
それで必死にテープやiPodで耳の鍛錬をしているわけだが、どうにも前置詞で引っかかるのである。

たとえば受験英語では動詞+前置詞というお決まりのパターンがある。
いかにそれを長文の中で発見して要領よく訳せるか。そういう世界なのであった。
しかし英会話では、文字ではなく音で過ぎ去ってしまうので、それを発見することじたいがまず大変だ。
しかも、前置詞はテキトーに使われる側面も持っているのである。walk upでもwalk downでも意味いっしょだし。
さらに本来は動詞の方が重要なので、前置詞は軽く速く発音される。だから区別がつかないのだ。
そういうわけで、状況に応じた前置詞の使い分けの感覚を、なかなかつかめないでいる。

じゃあそれはどうやって解決すべきなのかというと、「慣れるしかないですね」という回答なのである。
理屈で云々考えているとスムーズな会話ができない、というのが僕の通っているスクールの見解。
聞きまくって量をこなしていくことで、「これが英語っぽい言い回しなんだ」と感覚的に覚えこむしかないという。
確かにネイティヴの頭の中では僕らが抱くような疑問はすっ飛ばしているはずだ。
「なんで?」って訊かれても「そう決まっているから」「そうしないと変な感じだから」って答えしか返ってこないだろう。
僕らが日本語に対して持っている“自然な感じ”を、英語でも持てるようにならないといけないってわけだ。
受験英語ならある程度の理屈が存在しているわけで、時間をかけてそのルールを守って答えればいい。
でも会話となると、とてもそんな時間的余裕はない。簡単な言葉でいいからすぐに返事をしないといけない。
だから条件反射的なレベルまで徹底的に慣れさせていくしかないのだ。厳しいけど、それが現実である。

結論としては、学問に王道なしってところですかね。


2007.12.12 (Wed.)

今月に入って時間の感覚が大きく変化した。
多様なカウントダウンが僕のまわりにはあって、それぞれの期限が毎晩眠りにつくたび近づいてくる。
一方ではそれと対照的に、回数を積み上げていくようにして勉強を続けている。
カウントダウンというマイナス/引き算の時間と、勉強のプラス/足し算の時間が行ったり来たりって感じになっている。
(映画『打撃王』のレヴューで書いたのと同じ時間のカテゴライズだ。この作品ではゲーリッグ(G.クーパー)の時間が
 連続試合出場という足し算から不治の病という引き算に一気に切り替わる様子が描かれた。→2006.9.26

今の僕には両方の時間が完全に同時進行で襲いかかっている。
時間が1次元の直線的な流れ方をしているのでなく、平面的あるいは立体的に多次元で進行している感覚だ。
そこに「今日の仕事のデキは良かった」「今日の勉強のデキはイマイチだった」みたいな身体感覚も絡んでくるわけで、
時間が濃淡によって記憶されていくような状態である。冷静に振り返っているヒマなんてろくすっぽないのだけど。

おそらくあともう4ヶ月ほど今の状態が続くことになる。
そのうち、この立体的な時間の流れの中で、どうすればそれをうまく泳ぐことができるようになるか、つかめてくるだろう。
それまではとにかくガマンだ。おぼれることがないように、ムリせず十分気をつけるとするのだ。


2007.12.11 (Tue.)

17時以降がヒマになったということで、社内の有志で集まってボウリングをした。
僕は英語の勉強で忙しいのだが、シモーヌが「マツシマさんは当然参加しますよね」というトーンで誘ってきたんで、
「やらいでか!」と買い言葉を返す。そんなわけで5人ほど集まって後楽園まで行く。

サラリーマンが会社帰りにボウリング、というのはけっこう定番のパターンとは思うのだが、
17時半にはもう第一投がなされていて、こんなに早い時間からというのは少し気恥ずかしい。
考えてみれば、いちばん最近にボウリングをやったのがいつだったかまったく思い出せない。
自分がこれまでにたたき出した最高スコアすら思い出せない。ひどい有様である。

1ゲーム目はシモーヌと最年長のタカハシさんがデッドヒート。
しかし途中でタカハシさんが抜け出し、そのままぶっちぎって優勝したのであった。
僕はボウリングの感覚をすっかり忘れていて、選挙ニュースで言うところの「独自の戦い」。情けないにもほどがある。

ところが2ゲーム目になると様相が一気に変わる。
さっき絶好調だったタカハシさんが大崩れして、なんと1ゲーム目の半分以下のスコアにとどまったのだ。
シモーヌも見事に失速、対照的に僕は感覚を取り戻して2位に入った。「おいシモーヌ、オレの靴を舐めろ!」
優勝したのは、まるで機械のように1投目で9ピン倒し、2投目でスペアをとり続けたナカガワさん。
ストライクの回数はいちばん少なかったのに、2ゲーム合わせたスコアでも圧勝という活躍なのであった。
僕は1ゲーム目があまりにひどかったので、最年少のタカハシくんを2点差で振り切って最下位脱出という結果に。
まあ久しぶりなので、最下位にならなかっただけ上出来なのである。

それにしても、タカハシさんの崩れ方にはたまげた。これが30代半ばの体力ということなのか。戦慄を覚えた。

その後はシモーヌ・最年少のタカハシくんとラーメン屋に入ってあれこれ雑談。
話題は主に編集部での仕事のことで、いかにももっともらしく後輩にアドバイスしている自分に驚いた。
やはり3年も仕事をやっていると、それなりにキャリアというものが身につくのだなあ、と他人ごとのように思うのであった。


2007.12.10 (Mon.)

先週からの疲れをとるヒマがなかったせいか、今日は本当に仕事ができなかった。最悪だ。


2007.12.9 (Sun.)

司法試験に合格あらせられたリョーシさんが今月地元に帰って弁護士業にいそしむ、ということで、
リョーシさんの送別会をやることにしたのであった。同じ地方出身者として非常にさみしいが、しょうがない。
で、リョーシさんは学生時代に全国あちこちを旅しており、けっこう「鉄」の素養を持っているということで、
今回の同期会は大宮で開催することになった。大宮にはそう、鉄道博物館があるからだ。

鉄道博物館は今年の10月にオープンしたまだ新しい施設で、最近の鉄道ブームにも乗って、
マスコミで大々的に扱われている。もとは秋葉原・万世橋にあった交通博物館を、鉄道方面に強化したものだ。
大宮駅の西口にある「ニューシャトル」という新交通システムで一駅のところにある。
僕は大学3年のときにさいたま新都心・3市(浦和・与野・大宮)合併をゼミで扱ったこともあり、
実は大宮周辺は馴染みのある土地なのだ。だから大宮は、なんとなく親近感のある街なのである。
しかし「ニューシャトル」の存在はまるで知らなかった。いつのまにそんなものができていたのか。
まあともかく、鉄道博物館は人気のある施設なので早めに入るのがいいやと思い、集合時刻を早めに設定。
9時30分にニューシャトル改札前集合ということで、いざ当日である。

埼京線で埼玉まで出るのは意外と時間がかかり、僕が着いたのは9時40分で10分の遅刻。
すでにリョーシ氏とニシマッキーがいた。しばらくするとみやもりも合流。
あらかじめえんだうさんからは「寝坊したので少し遅れます」と連絡をもらっており、残るは1名。
その1名は朝に死ぬほど弱いマサルである。確認のために電話をかけると案の定思いっきり寝起き。
「そんな、鉄道博物館とか9時半集合とか、いま初めて知ったわ」とほざくので、「早く来い」と言って電話を切った。
リョーシ氏だけでなくマサルも最近鉄道が好きになってきているので鉄道博物館をチョイスしたというのに、まったく。

で、ニューシャトルに乗って鉄道博物館へ。一駅だから歩いてもいいのだが、やはりここは鉄っぽい行動をとり、
乗れる列車にはすべからく乗っておくということで、素直に初乗り180円の料金をSuicaで払うのであった。
ちなみに僕は前日の鹿島×甲府を観に行った関係で声がかれていて、みんなから「サポじゃん」と言われた。
確かにユニ着てすべてのチャントを歌いこなしてピョンピョン跳ねていたわけで、もはや否定できん。

ニューシャトルの車内も親子連れでいっぱいだったのだが、いざ鉄道博物館の入口に来て本気でたまげた。
開館時刻の10分ほど前なのだが、がっつりと行列ができていたのだ。まさしく長蛇の列である。
そのほとんどは親子連れなのだが、中にはちょっと困った大きなお友達もいたりなんかして。
まあとにかく、オープンして2ヶ月足らず、まだまだ圧倒的な人気があるわけで、まいったなーなんて言いながら並ぶ。

建物の中に入ると、まずチケットの購入。Suica(PASMO)で買えるというのがひとつの売りなので、
その列に並んでみるのだが、なんだか認証が必要らしくて列ができており、ちょっと待たされる。
対照的にSuicaを持っていなくてふつうに1000円を払ったみやもりの方が早く手続きが済んじゃって、
なんのためのSuicaなんずら、と一同心の中でツッコミを入れるのであった。
でもやっぱりさすがに入口は自動改札のようなゲートになっていて、1秒タッチして入館。
フロアガイドのパンフレットを見ながらどういうルートをとるかしばし悩んだ後、素直に1階から見ていくことになった。

1階にはとにかくたくさんの貴重な車両が展示されている。まずはかつての一等車両がお出迎え。
それから各種の古い車両を順番に見ていく。こげ茶色の地味なカラーリングが非常に多い。
印象に残ったのは戦前の中央線の通勤車両である。僕らは中央線にはさんざんお世話になったので、
へーこんなんだったんか、と妙に感心するのであった。まあそんな具合にゆっくり見ていく。
しかし困ったことに、展示物の説明はどれも偏った感じなのである。専門用語が満載で、まったく理解ができない。
QRコードでケータイに説明が出るという試みもなされているものの、光量不足でうまく読み取れない。
全員その点に大いに不満を感じながら、それぞれの車両をじっくり見てまわるのであった。

 
L: かつての中央線の車両。一橋生には中央線は馴染み深いのだ。基本は今と全然変わらない感じ。
R: 新幹線を下から見るとこんな感じになっている。まあ確かにふつうは見られないもんだわな。

いちばん詳しいリョーシさんでさえ「ちょっと鉄分多め」というレベルなので、特別に詳しいわけではないのだ。
だから車両が出てきて「ここがすごいのよ」という話をされてもあんまりピンとこない。
むしろ鉄道と社会の関係という側面からなるほどねと納得がいくわけで、そういう要素が足りないように思えた。
それでもかつての貨物列車で、佐世保や下関から鮮魚を専門に運ぶ特急があったとの説明を見て面白がる。
今は高速道路も充実しているし、飛行機だってある。だからついこの間まで鉄道が大活躍していた現実を示されると、
気がつかないでいたことを見事に教わった気分になり、すごく納得がいくのである。
まあそういうわけで、全体的にもっと展示方法に工夫がほしいと思うのであった。

 
L: 特急列車の展示で松島行きの車両があったので、記念撮影させられることに。鉄じゃないので表情ビミョーです。
R: 決まった時刻になると、SLを乗せた転車台が回る。来場者が集まって写真を撮りまくるけど、そんな大したイベントか、これ?

1階をひととおり見てまわると、もうすっかりいい時間になっていたので昼メシを食べることに。
食堂には異常なくらいの行列ができていたので、駅弁を買って食べることにした。
売っている駅弁の種類はぜんぶ合わせて10種類ほど。全国各地の名物がもっとたくさんあるといいのに、と思いつつ、
高崎名物のだるま弁当を買う。いかめしにも惹かれたけど、2個買ったらマサルみたいじゃん、と思って買わなかった。
鉄道博物館の面白いところは、展示されている列車で客車の内部が開放されているものは、
その座席に座って自由に飲み食いしてもいいところである。駅弁を買っておけば、旅の気分が楽しめる。
これは非常にすばらしい工夫であると思う。列車が動かないのは残念だが、それは贅沢に過ぎるというもの。
しかしわれわれ、混みあっているスペースでメシを食うよりは開放感のある場所で食べようと、
最上階のパノラマデッキに移動し、ベンチに座って駅弁をいただくことにしたのである。
鉄道博物館は高崎線と東北新幹線の線路に挟まれた位置にあるので、ひっきりなしに行き交う列車がよく見えるのだ。
風が強くて寒い日だったが天気は良く、ひなたぼっこをしながらダベりつつ食べるのであった。結局、列車見てなかったな。

食べ終えると2階の展示室を見てまわる。秋葉原・交通博物館時代からのコレクションがずらりと並んでいる。
特定のポリシーのもとに集めたというよりは、「これは貴重!」というマニアックな判断から集められたものが多い感じで、
列車の部品やら駅の看板やらありとあらゆる鉄道関係のガラクタ……いや懐かしさを漂わせるアイテムが、
棚いっぱいに詰め込まれていた。個人的にガラクタは大好きだが、どう使われたか示されていなかったので反応に困った。
ちなみに、どういう法則にのっとった順番で並べられていたのかは最後までわからなかった。

さらに日本の鉄道に関する年表を見ていく。これが懇切丁寧に書かれていて、かなり長い。
世界史や日本史をマジメに勉強したみんなは根気よく眺めていくのだったが、僕は途中でギブアップ。
気がついたら手すりにもたれかかって寝ていて、みんなに起こされたのであった。弱し。
あと本当は、非常に大きな鉄道のジオラマがあるということでそれも見たかったんだけど、
あまりにも長い行列ができていたのであきらめたのであった。残念である。

すべて見終わって、売店に行ってみる。ごった返している客に比べてスペースがあまりに小さく、思うように歩けない。
売っているものも正直それほど魅力的でなかったので、さっさと出てきてしまった。
子ども向けのおみやげと大人向けのおみやげと両方のバランスをとった結果、微妙なラインナップになったって印象だ。
さて駅弁1個だけでは、燃費の悪い僕はすぐに腹が減る。それでいかめしを買おうと様子を探ったら見事に売り切れ。
さっきだるま弁当と一緒に買っておくべきだった、と本気で後悔したのであった。日記を書いている今でも悔しい。

鉄道博物館からやっぱりニューシャトルで大宮駅に戻る。いいかげん立ちっぱなし歩きどおしで疲れたので喫茶店を探す。
しかし5人全員で入れるところがなかなか見つからない。結局ソニックシティまで歩いてようやく一息つくことができた。
群馬在住のみやもりが、本日はこのまま大宮で、という意向を示したので、次に何をするか考える。
で、リョーシさんがケータイを買いたがっていたので近くの量販店に行くことにしたのであった。

ケータイに関しては僕はまったくのド素人なので何がなんだかわからない。とりあえず3つ会社があることだけは知っている。
で、その中のひとつにお勤めのみやもりさんが、リョーシさんにあれこれアドバイス。
最近、ケータイの料金体系が異様に複雑化したわけだけど、お得なプランを実にわかりやすく説明していくのであった。
リョーシさんは新型の905iシリーズに興味津々。みやもりはネットの閲覧がとにかく速い、と絶賛。
ふたりが熱心にやりとりをしている間、僕はその905iシリーズを手にとってあれこれいじってみる。
その中にどうしてもパカッと開けるやり方がわからない機種があって、ムリにこじ開けようとしたら、
「おじいちゃん、そんなふうにしちゃダメでしょ!」とみやもりに怒られた。スライドさせるなんて、わかんねえよそんなの。
それで「おじいちゃんにはこれがオススメ。」と大竹しのぶがCMをやっている「かんたんケータイ」を示される。
なるほど、機能も充実しているしオレにはこれで十分だわ、と思う。ケータイでネットやらなきゃどれでも一緒だもんね。

その後は近くのDoCoMoショップまで歩いていって、やっぱりあれこれ眺めるのであった。
905iシリーズはたいへんな人気で、30分とか1時間とか待ち時間がかかるので、とりあえず見るだけで済ます。
17時近くになってマサルが大宮に来るめどがついたこともあり、店を出る。
「905iにして運命を信じられるんなら、オレ喜んでケータイ替えちゃうけどな!」――本音である。

風はいよいよ激しく吹きすさび、寒くて寒くてたまらない。しばらくしてマサルが登場し、そのまま居酒屋へ入る。
例のごとく食べまくり飲みまくりダベりまくりでノンストップな時間を過ごすのであった。
小林製薬は何でもつくるよな!って話とか、マサルがイタコを通して今年亡くなった有名人にインタヴューした話とか、
際限のないバカ話が展開されるのであった。フルスロットルでどーでもいいことをダベったなあ。
さらにチョコレートのアイスがあまりにうまかったので、メニューにないのに追加でそれだけ注文したりなんかもして。
まあホント、しっかりしゃべって飲み食いしたわ。

大宮駅の構内で一本締めをして解散。湘南新宿ライナーを使って帰るのは僕ひとりだけで、
言葉にならないあんな思いやこんな思いを胸の内でふつふつと沸かしながら窓の外を眺めて過ごした。


2007.12.8 (Sat.)

「英語の勉強したいから今日については予定ナシで。」って掲示板には書いたわけだけど、
気がついたら東京駅にいました。そんでもって鹿島神宮行きのバスに乗っていました。すいません。

今までけっこうな頻度でヴァンフォーレ甲府について書いてきた(→2007.8.182007.9.152007.9.302007.11.24)。
最初は「評判いいし、ちょっと観に行ってみるべか」程度の興味にすぎなかったのだが、
気づけばアウェイゲーム専門で首都圏のスタジアムに行きまくっている状態である。
しかも柏では無念のJ2降格まで体験してしまった(自転車で行って目撃した甲府ファンはおそらく僕だけだろう)。
今シーズンのリーグ戦は終了したものの、甲府はまだ重要な大会に勝ち残っている。そう、天皇杯である。
本日は天皇杯5回戦(ベスト16→ベスト8)が開催される。それで会場のカシマサッカースタジアムへ行ったのだ。
最初は素直にスルーするつもりだったのだが、今期限りで退任する大木監督の最後の試合になる可能性があるので、
大木さん素敵なエンタテインメントをありがとう的な思いを込めて観戦することにしたのであった。

東京駅を出発するバスは、鹿島神宮行きとカシマサッカースタジアム行きの2つがある。
早めに現地入りして神宮に参拝でもするかね、と当然の発想にもとづき、鹿島神宮行きに乗る。
バスはすでにユニを着ているサポとスタジアムで上着を脱ぐサポの主に2種類の人間を乗せて出発。僕は後者。
順調に首都高に乗るが、葛西の辺りで大渋滞に巻き込まれる。休日のディズニーランド渋滞である。
「ディズニー渋滞なのでご了承ください」と運転手が茨城訛りでアナウンス。定着している用語のようだ。
音楽を聴いて過ごしていたら、どうにか葛西を抜けた。そうなるとあとはスイスイ。

気づいたら寝ていて、起きたら高速を下りて潮来に着いていた。ここで少し、客が減る。
潮来ってのも馴染みのまったくない土地である。平野と水辺でできた街。少々気にならないでもないが、バスは行く。
バスは道の広い平野を走っていく。郊外の風景がずっと続いていく。そしたら知らないうちに鹿嶋市に入っていた。
(鹿嶋市は元は「鹿島町」だったが、市になる際、佐賀県鹿島市との混同を避けるために「島」を「嶋」にした。変なの。)
停車場のひとつにホテルがあり、そこにはヴァンフォーレ甲府のバスが停まっていた。選手が宿泊していたということか。
クラブ経営ってのは遠征ばっかで金がかかるもんなんだなあ、と思う。J2は地方都市が多いからまた大変だ。
道幅が広くやや閑散としている住友金属やアントラーズのクラブハウス周辺を抜けると、市街地に入る。
しかし鹿嶋市の中心部はほぼさびれかけている田舎の街、という印象だった。この街のクラブが10冠とは信じられない。
プロ野球の本拠地は必ず大都市にあるわけで、これもまた日本のサッカーなのだ、と実感。
(結局、住友金属の工業施設にたまたまサッカーがくっついていて、アントラーズはいわば副産物にすぎないのだ。
 プロ野球とはまた違った形で、プロスポーツは企業が引っぱっているものという現実を見たというわけ。)

終点の鹿島神宮駅に到着するが、周囲はひっそりとした住宅地でにぎやかなものは何もない。
駅も自動改札ではなく、広めの待合室があるのみ。観光案内所で地図をもらうと、鹿島神宮に向けて歩きだす。
途中に塚原卜伝の像があった。ここ鹿島の出身なのだという。ちなみに鍋のフタは持っていなかった。つまんねー

 
L: 鹿島神宮への参道につながる通り。脇には水が流れていて、そこをモミジの葉が流れていたりして風流。
R: 鹿島神宮への参道。両サイドは蕎麦屋・土産物屋が軒を連ね、おばちゃんが必死の呼び込みをしている。

鹿島神宮は完全に森の中にある。鳥居をくぐるとすぐに楼門がお出迎え。抜けると右手に拝殿。
その向かい側には仮殿。どれも1600年代の建築物で、今でもきれい。見事なものだ。
特に仮殿は脇に植えられて紅く色づいたモミジとの対比がすばらしく美しい。夢中でシャッターを切った。

 
L: 鹿島神宮の拝殿と楼門。拝殿は1619年、楼門は1634年築だとか。すごいもんです。
R: こちらは仮殿(1618年築)。紅葉と杉の緑、空の青の対比が美しい。12月で紅葉に感動ってのも変かもしれないが。

奥にはフェンスの中に鹿が飼われているというので、行ってみる。
大きな杉の木が空を覆う森の中を行く。足元の土はものすごくきれいに掃いてある。
神社という空間は独特の静謐さを持っているものだが、鹿島神宮のそれは非常に印象深いものだった。
で、まるで動物園のように、鹿はフェンスの中にいっぱいいた。すぐそばの売店で鹿のエサを売っている。
甲府サポが男ふたりでエサをあげていた。そのうち片方はプリンセス・テンコーが支援していた時期のユニを着ている。
かなり気合の入ったサポーターである(テンコーはかなりきちんと甲府を支援していたようで今も評判がいいそうな)。

 
L: 鹿島神宮の奥参道。いい場所ですよ。  R: 甲府サポのあげるエサに群がる鹿。

のんびりじっくり鹿島神宮を歩いてまわって満足したので、鹿島神宮駅に戻ることにする。
着いてからスタジアム行きのバスと電車のダイヤを確認して、愕然とする。
なんと、バスは30分に1本、電車は1時間に1本しかないのだ。試合があるにもかかわらず、である。
腕時計の時刻を見て茫然とする。次のバスまで20分以上ある。電車はキックオフより後に出る。どうしよう。
それで結局、スタジアムまで歩くことに。なんか前もこんなことあったなーと思いつつ(→2007.9.15)歩く。
しかし歩けど歩けどスタジアムは見えてこない。道は郊外のだだっ広いそれで、車ばかりが行き交う。
それでもたまに東京駅からカシマサッカースタジアムに直行するバスが走り去って、正しい道を実感する、そんな感じ。
(つまり、鹿島神宮駅からスタジアムに向かう交通手段よりも、東京駅からスタジアムに直接向かう手段のほうが、
 はるかに充実しているということなのだ。これには本当に呆れた。ありえなくねーか、マジで。)
スタジアムに近づくにつれて駐車場があちこちに見えてくる。スタジアムのすぐそばだと1000円もの料金をとるようだ。
なるほど、カシマサッカースタジアムは自家用車で行くところなのかと、納得はいかないけど実感。
鹿島の街が思いのほかさびれていたのも、そういうところに原因があるに違いない。

さてスタジアムに入る。せっかくなので、ゴール裏のけっこう熱いところで一緒に声援を送ってみることにする。
チャント(応援歌)もネットで入手できるので、それをiPodに入れて覚えておいたのだ。観戦5試合目にして完全にサポ。

 
L: カシマサッカースタジアムはこんな感じ。この日の入場者数は6000人程度だったが、満員だとすごそうだ。
R: 甲府のゴール裏にずらっと並ぶカメラマン。つまりみんな鹿島のゴールシーンを期待しているってこと。めっちゃ気ぃ悪いわ。

甲府はベンチ入りに至るまで純国産のラインナップ。対する鹿島はふつうにベストメンバーをそろえている感じ。
常識的に考えれば奇跡の逆転優勝を果たしたクラブとブービー賞でJ2降格が決まっているクラブの戦いということで、
まあどうみても甲府のほうが負けそうである。しかし甲府は大木監督のシーズンを少しでも長く延ばしたいわけで、
そう簡単に鹿島を勝たせるわけにはいかないのだ。甲府はいつもどおりに、攻撃の姿勢を前面に押し出している。
こないだ僕が観た柏戦(→2007.11.24)よりは、ショートパスへのこだわりは薄い(あの試合ではパスへの狂気すら感じた)。
ときにはサイドチェンジも織り交ぜながら、柔軟に鹿島のゴールへと向かう場面が目立った。これも来期への布石だろう。
対する鹿島は厚みを持たせてのカウンターという印象。甲府の攻撃を警戒しつつ小笠原を軸に個の力を生かして攻める。
がっぷり四つに組んだ緊張感のある試合展開だったが、均衡が破れたのは前半28分。
ぽっかりと守備に穴の空いたところを突かれ、拍子抜けするほどきれいにシュートを決められる。まるで練習かと思うくらい。
「また先制されたよ……」という雰囲気が、言葉には出なくてもピッチとスタンドの両方に漂って、そのまま前半終了。

それにしても寒い。鹿島名物という、もつ煮の大盛(\500)をいただく。あったかいし、うまい。量も多い。
そんな具合に満足感に浸りながら食っていたら後半が始まってしまった。あわててトイレを済ませてスタンドに戻る。
甲府のスタンドは「タケシ甲府」コールで包まれている(「タケシ」は大木監督の下の名前)。
クラブをJ2に降格させてしまったのに、こんなにも愛される監督ってほかにいるだろうか。
自らの意志を貫き、どんなクラブを相手にしても攻める姿勢をまったく変えなかった甲府は、本当に誇り高いクラブだと思う。
王者・鹿島は次々と攻撃的な選手を投入し追加点を狙ってくる。しかし甲府の交代策は、徹底した若手の起用だった。
どっちのクラブも守備のカードを切らず、いわばノーガードで攻めあう。最後まで甲府はすばらしい試合を引き出してくれる。
そして89分、最後の最後というところで、甲府のルーキー・久野がこぼれ球を押し込んで同点に追いついた。
スタンドはそりゃもう大騒ぎ。また大木監督のサッカーを味わう時間が延びたってことで大いに盛り上がる。

延長戦に入る前から、甲府のスタンドは「タケシ甲府」コールを延々と繰り返していた。
そして延長戦に入ってからも、ただその応援だけをずっと続ける。まったく休むことなく、それは続く。
延長後半4分、最初の失点と同じくらいきれいに、ぽっかりと守備の穴を突かれて鹿島の柳沢にヘディングを決められる。
しかし「タケシ甲府」コールは止まない。試合終了の笛が吹かれて、それはようやく途切れた。すべてが終わった。

試合後、甲府の選手に混じり、大木監督も挨拶。やっぱりスタンドは「タケシ甲府」コール。
監督は二度、スタンドに礼をするとロッカールームへと引き上げた。途中で何かを蹴飛ばすアクションが見えた気がした。
悔しかったろうなあ、と思う。来年の甲府はどうなってしまうのか。リヴェンジの機会をぜひ与えてあげてほしかったんだけど。

 
L: 今シーズンの試合がすべて終わり、挨拶をする甲府のみなさん。そしてまた次のシーズンが始まるのだ。
R: 夕暮れに染まるカシマサッカースタジアム。周りには何もなく、ただ駐車場が広がるのみなのであった。

急いで東京に戻って英語の勉強をするつもりだったのだが、延長戦になったことと交通の便があまりにも悪すぎることで、
すべてが当初の予定よりもずっと遅くなってしまった。結局、素直にそのまま家に帰って休むことにした。なんだかガックシ。

それにしても、ヴァンフォーレ甲府というクラブには、この一年、本当に面白いものを見せてもらった。
だってテレビでやってるサッカーと比べて、圧倒的に、目の離せない展開が多いのだ。一瞬たりとも気を抜かせないサッカー。
まあそれは、攻撃しまくってピンチになりまくるサッカーとも言い換えられるわけだけど(だから疲れて終盤に失点する)、
金使って補強して勝てばいいじゃんという次元とは明らかに違う美学を体験させてもらって、とても楽しかった。
来シーズン、さらなる進化とその結果としてのJ1復帰を期待することにしよう。

▼後日ネットでチェックしてうんうんうなずいたスポーツナビのコラム(⇒こちら)。甲府にいい印象のある人はぜひ読むれ。


2007.12.7 (Fri.)

NODA・MAP『キル』を観に行く。今回はみやもり・リョーシ氏と一緒である。
『キル』は劇団・夢の遊眠社を解散した野田秀樹がNODA・MAPを立ち上げて初めての作品である。今回はその再演。
ファッション業界で世界制服を目指す蒼き狼・テムジンの話ということで、もうその発想じたいが凄い。
ちなみに僕は演じられたものは観たことがないが、戯曲は読んでいる(→2003.5.28)。

みやもりは本格的な演劇鑑賞が初めて、リョーシ氏も劇場に来たことはあんまりないようで、
そこは慣れている僕がリーダーシップをとるのである。開場時間ちょっと過ぎに会場に入ると荷物を預ける。
会社帰りに演劇鑑賞という姿がよっぽど板について見えたのか、「おぬし、慣れとるのう」とみやもりに言われる。
で、指定された席へ。今回は運がいいのか悪いのか、「バルコニー席」という端っこの席である。
でも高さが手頃で特別観づらいということはない。音響の直撃を受けるのにはちょっと困ったが、思ったよりはマシだった。
甲府のJ2降格と広島の降格危機の話、あとはリョーシさん地元の岡山でファジアーノ岡山が大人気などと、
サッカートークを繰り広げているうちに照明が落ち、ブザーも鳴らずに舞台上のミシンが回りだす。物語は突然始まった。

主人公・テムジンを演じる妻夫木聡は『ウォーターボーイズ』(→2005.5.22)以来のコミカルさを持つ好青年のイメージで、
エネルギッシュに物語を進めていく。ただ発声の仕方に不安ありという印象。僕らは公演初日でむしろ良かったのかも。
あと印象に残っているのは舞台衣装か。布と服の中間というか、両方の要素をうまく見せる衣装になっていた感じ。
舞台そのものはカマボコを前後に並べた形になっていて、その真ん中の窪みに穴が開いており、そこから出入りができる。
また今回もうまいことつくっているなあ、と感心させられる舞台空間になっていたのであった。
さて肝心の(?)ヒロスエについては、鼻高えー、声甲高えーという印象に尽きる。
もともと顔がスマートに整いすぎていて、そこに舞台向けのメイクをしているので、広末涼子というイメージがあまりしない。
ふつうに美人がいますね、といった感じなのであった。まあ、飯田時代の切ない記憶がちょっと蘇ったりもしましたが。
あとは勝村政信が自分の見せ場でやりたい放題を繰り広げていた。まあこの辺は生の演劇の醍醐味かな、と。

途中で休憩が入ったのだが、みやもりはその間、「わからん、わからん」と首をしきりにひねっていた。
まあそうだろう。正直、僕もわからん。この話は野田秀樹の言葉遊びから生まれていて物語の展開は後づけだから、
セリフの細部はめちゃくちゃ鋭い切れ味を持っているけど、全体でつながらない部分がどうしても出てきてしまう。
その部分を観客に「投げっぱなしジャーマン(みやもりの表現)」してしまうのは当然、賛否両論あるところだ。
ストーリー全体の完成度だけを評価軸とするのは、この作品の魅力を味わい損ねることになる。
でもだからといって、完成度の低い話はやはり観客にフラストレーションを残すことになるのだ。
『キル』はその点、本当にギリギリのところにあると思う。人によって許せるかどうか、かなり個人差が出そうだ。
僕の感覚からすれば、遊眠社時代の作品ほどの「投げっぱなしジャーマン」にはなっていないと思うのだが、
しかしあらためてこうやって演じられているのを観ると、やっぱりだいぶ遊眠社くさい。特にテンションの上げ方が。
まあ確かに、もうちょっと改善したほうがみんなに優しい作品になるよなあ、と思う。つまり完成度には不満がある。

物語は込み入ったままラストまで突っ走り、カーテンコール。ヒロスエが感動のあまりボロボロ泣いていた。
僕の興味は、戯曲の最後の一文がものすごく感動的で、それが舞台上でどう表現されるのか、
ほぼその一点に集中して観ていたのだが、「ううむ、こうやるのか」と。
やはり話じたいがもうちょっと観客に優しくできていたらもっと感動も増すだろうになあ、とやや冷めた目で見たのであった。

で、終わってもやっぱりみやもりは首をひねっているのであった。まあその気持ちはよくわかる。
演劇という独特な体験を初めてしてみて、それを自分の中でどう消化すればいいのかよくわからない感じが、
「まあそうだよなあ」なのである。「まあそういうワケのわからん経験をしておくってのもたまにはいいもんだ」と言っておいた。

その後は飲み屋で飲んだり食ったり。時間いっぱいいろんなことをあれこれと、思う存分にダベるのであった。
30歳の話から自分の記憶でいちばん古い各国の大統領(首相)の話、そこからソ連~ロシアの歴代指導者の話になる。
が、どうしても「キューバ危機のときのソ連の書記長で、レーニンの後でブレジネフの前の人」が出てこない。有名なのに。
けっこう長い時間、3人寄ってうんうんうなった挙句、「フルシチョフ!!」と渋谷の真ん中で絶叫するという奇行を演じた。
まあこれで一生、フルシチョフのことを忘れないだろう。よかったよかった。

リョーシさんはきちんと毎回、同期会に顔を出してくれてありとあらゆるイベントに積極的に参加してくれるので、
地元に帰っちゃったら本当にさみしくなるなあ、と思って内心すげー切なかったんだけど、もちろん顔には出さない。
なんとかして、どうにかして、また会ってダベる機会をつくるようにこまめに努力すれば問題ないんだし。
そういうわけで、今後ともよろしくなのだ。なのだなのだ。


2007.12.6 (Thu.)

仕事が詰まってきつつある。バランスよく配分されていればいいのだが、一気に集中するからたまらない。
印刷所に行っていたゲラがあれもこれもと勢いよく出てきているわけで、机の上にうず高く積まれている状況である。
先月から残業できない決まりになっているので、とにかくコツコツとこなしていくしかない。
1冊でも多く完成まで面倒を見られるようにがんばる。と、なんとなく意味深発言をしてみる。


2007.12.5 (Wed.)

本日は英語の2回目のレッスン。自分の気が向いたときに受講してOKというシステムなので、
復習の時間を1日おいて今日またチャレンジしたのだ。慣れたらペースを上げたいところである。

前回同様に3時間ほぼフルに勉強をしたわけだが、少しは慣れてきたのか、
だいぶスンナリと取り組めるようになっていて自分で驚いた。
集中力をどういう方向にコントロールすればいいのかがなんとなくわかって、
それで思っていたよりもスムーズに進めることができた。よかったよかった。

とにかく自分には時間がないので、誰よりも早いペースで先へと進まないといけないのだ。
まだ通信教育で必要な単位が残っていて、いろんなタイプの勉強をやらなきゃならない混乱はあるけど、
そこは要領よく乗り切ってみせるのがびゅく仙ってもんなのである。今までもそうだったし、これからもそうなのだ。


2007.12.4 (Tue.)

本日は半額ということで借りているCDを一掃。まずはじっくり聴いて曲を選び、
次にそれをいちいち手を入れながらMP3にしていく。ガッツリ借りているので非常に手間がかかる。
仕事も勉強もあって、今月は本当に時間が足りない。自分の責任だから別にしょうがないけど。


2007.12.3 (Mon.)

英語の勉強を本格的に開始する。先週見学に行ったスクールに入り、バリバリとスキルを上げていくのである。
面白いのが、かなり特殊な方法論を持っているスクールなので、納得の上ご入学ください、と念を押されるところ。
こちとらそんなもん百も承知で入るので平気である。もう覚悟は固まっている。どんと来い、だ。

それでさっそくレッスンを開始。テープ(テープ。CDでもMDでもなくテープ)を聞きながら、ひたすら発音をマネる。
文字は一切提示されず、絵を見ながら取り組む。視聴覚の直観から鍛えていくというわけである。
僕はスクーリングなんかで苦労したように、言いたい文が頭に浮かぶけどそれが訳せなくてウーウーうなる、
という症状を持っているので、それを直すにはいい方法だろう、と信じて最初はとにかく自習。
自習には15分の制限時間があり、その成果をネイティヴに確認してもらうルールになっている。
基本的にはこの自習→確認というサイクルを延々と繰り返す。英会話学校のはずなのに自分との戦いなのだ。
それはつまり、自分の意識しだいで時間のムダをゼロにできるということである。望むところなのだ。

で、初日なんだけど3時間フルに勉強。テンポがとにかく速くて本当に疲れた。
慣れてきたらそのうちペース配分なんかもうまくできるようになるだろう。悪くない感じだ。


2007.12.2 (Sun.)

田中真紀子のせいで、現在、中学校の教員免許を取るためには介護等の体験をすることになっている。
養護関係の学校(現在は「特別支援学校」と呼ばれる)の免許を取るわけじゃないのにどうしてよ、と、
誰もがツッコミを入れたくなる制度なのだが、指定された本を買って読んでみると、
まあ確かに、やっておいて損はしない体験だなあとは思う。現実を知っておくという意味で。
そんなわけで、本日はその体験の事前指導が開催されたので行ってきた。自転車で。

早めに千代田区界隈に到着すると、メシでも食おうかと秋葉原方面に行ってみる。
そしたら夏場にもいたAKB48のチケットを待っていると思われる行列(→2007.8.15)が今日もいた。
またか!と呆れる一方で、そんなに必死になるほど面白いものなのかね、とも思う。
そんなに夢中になれるもんなら、一度は拝んでみたくなるのが人情というもの。
まあどうせ列に並ぶ「ずく(長野県方言)」なんてないけど、正直ちょっと気になるのであった。

テキトーに立ち食い蕎麦をすすると会場の教室へ。通信ではいちばん広いという教室に人がいっぱい。
事前指導を受けないと体験ができないということで、地方から来た人も多いようだ。
自転車で気軽に来られる自分の立場に感謝をしないといけないのかもしれないな、と思う。

事前指導の内容は、9時から16時まで講演と説明がみっちり続く。
介護等の体験は特別支援学校に2日間、社会福祉施設に5日間行くことになるのだが、
その学校の方や福祉の専門家、今年体験をしてきた通信の学生といった面々がいろいろ話すのである。
話を聞けば聞くほど、「オレ、ちゃんとできるんかいな」という不安が増していく。
実際には先方も慣れていて事情をわかってくれているとは思うが、それでもやはり不安。
まあ、目をつぶって思いきってエイヤーと飛び込んでいくしかないのである。

予定の時間よりも少々早く事前指導は終了。暇を見て感想を書かないといけない。忙しいわー。


2007.12.1 (Sat.)

2007年もあと1ヶ月で終わるそうな。時が経つのは早い。

そろそろ、勉強のギアを入れ替える時期である。今までは通信教育の単位取得をメインにがんばってきたけど、
今月からは英語の勉強をメインに据えて、日々容赦なくスキルアップに励んでいくつもりである。
安閑としている暇などない。やらなくちゃいけないことは、いくらでもある。
たぶん会社帰りや休日などもみっちり勉強をやることになるので、これまでとは比較にならないほど忙しくなるだろう。
それでも時間を見つけては日記を書き、今までどおりにこなしていきたい。何事も、後悔のないように。


diary 2007.11.

diary 2007

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