diary 2011.9.

diary 2011.10.


2011.9.30 (Fri.)

土曜参観に向けての準備で倒れそうである。おまけにそこに生徒会選挙の指導も入ってきてしっちゃかめっちゃか。
なんだかんだでここんところ、けっこう疲れのたまっている毎日となってしまっている。
今月はサッカー部の試合が連続した影響できちんと休むことができなかったのだが、その影響が出ている感じ。
忙しさ自体は去年の10月や11月に比べればまだ全然なので、そこは客観的に落ち着いていられる状況ではある。
とはいえ疲れが余裕のなさ、視野の狭さを生むことはよく知っているつもりだ。きちんとストレスは解消しないといかん。
最近は明確にストレスを解消できることがなかなか見つからない。昔はマンガ買ったりゲームしたりいろいろしていたけど。
旅行も先月に大きなものをやっているので、特にそういうことでの意欲は出てこない。なんだか、手詰まりな感じだ。
なんとかもうちょい、うまい何かが見つかるといいのだが。


2011.9.29 (Thu.)

最近のお前らは気合が足りねえ!ということで、今日の校舎内ランニングではマツシマ監督も一緒に走った。
僕に抜かれると+3周が加算されるので、部員たちは死にもの狂いで走る。そうしなきゃ真剣にならないのが悲しい。
さすがに入学当初に比べると体力がついてきているようで、僕に抜かれることなく走りきる部員が増えてきた。
まあ単純に、僕が衰えている面があるのかもしれないが、部員が力をつけてきたのは事実だと思う。
で、手を抜くわけにはいかないから、結局部活が終わるとこっちもヘロヘロさ。なんなんですかね、これ。
健康的? ……うーん。


2011.9.28 (Wed.)

東日本大震災は本当に迷惑だった。というのも、震災の影響でJリーグの日程が狂ってしまい、
本来なら土日に開催される予定だった試合が平日の夜に組まれることになってしまったからである。
今日は4月3日の予定だった千葉×京都と湘南×富山が19時キックオフ。せっかく首都圏での試合だったのに、
部活がある関係でどっちも見逃さざるをえないのであった。もう本当に、がっくりだ。


2011.9.27 (Tue.)

ACLでC大阪が全北現代に1-6で負けて敗退してしまったわけだが、考えるべきことの多い試合だったようで、
ネットのニュースやサッカーブログを見ていると、なんともやりきれない気持ちにさせられる。

この試合では「日本の大地震をお祝います」という日本語の横断幕が掲げられた。
これにC大阪が抗議し、途中で撤去された。日本人としてこの行為はまあなんというか、
最大級に許せない行為であるのは言うまでもない。怒るのも呆れるのも通り越して、かえって冷静になってしまった。
これに対して「横断幕を出したサポーターの顔まで写すのはプライバシー侵害」や「お前らも旭日旗出しとるだろ」など、
韓国側からそういう意見が出ていることに、なんというか、切なくなってくる。お前らそれでいいの?と隣人として悲しくなる。
今回のこの件については、外交レヴェルも辞さないくらいの姿勢で断固たる対応を行っていくべきだろう。
これはもう、人間性の問題だ。国が云々ではなく、人間として恥ずかしい連中をお前らちゃんと咎めなさいよ、と言うべき。

しかし本当の問題は、この横断幕の件ではない。だってこういうバカがいるのは何も韓国に限ったことではないから。
ベルギーで川島に対して「フクシマ」コールをやらかした連中がいたように、こういうバカはどこにでもいる。
日本にだって清水のゴトビ監督に無礼をはたらいたバカがいたし。仙台にも山形に無礼をはたらいたバカがいたな。
そんなわけで、これは確率論の問題だと僕は考える。

じゃあ本当の問題とは何か? それは、C大阪のキム=ボギョンが壊されたことだ。
キム=ボギョンは韓国代表にも選出されている優れた選手だが、彼が同じ韓国の選手からラフプレー(頭突き)を受け、
顔面骨折の重傷を負わされたこと、これが最大の問題だったと僕は思う。これは、明らかに人間としておかしい。
彼らは日本のクラブでプレーする自国の選手がそんなに憎いのか? それをなぜ、ラフプレーという形で表現する?
スポーツに政治を持ち込んではいけないし、暴力に訴えかけるなどもってのほか。それを、なぜ平気でやれるのか。
自分たちと同じ国の選手をそこまで徹底的に傷つけることができるその神経が理解できない。まあ理解したくもない。
横断幕の件はバカの暴発ということでいちおう片付けることができるが、キム=ボギョンの件は決してそうはいかない。
僕はこれまで韓国という国に対してはわりと穏健的な態度をとってきたと自分では思っている。
でもこの件をニュースで知って、正直この先、韓国という国に対してプレーンな態度で接していく自信がなくなった。
韓国人個人に対してはまだプレーンに接していけると思うが、国に対してはもうダメだ。ホントにそんな気分。


2011.9.26 (Mon.)

昨日、新人戦の試合があったおかげで富山へサッカー観戦に行けなかったことはもうすでに書いた。
そしたらこの富山×京都の試合がめっちゃくっちゃ面白かったらしいのね。もうホトホトがっくり。
(後日サッカーダイジェストを立ち読みしたら、試合の面白さの項目が最高点の★5つになっていた……。)
もう今後は変に下手に出ることなく、堂々とワガママを通すことに決めた! 通しきれなかったら素直にあきらめるが、
自分の欲望についてはある程度忠実にやっていくことに決めた! それでフラストレーションを溜めてもいいことない。
これからは他人に迷惑をかけない程度に、社会的な意味でのズルさ・賢さというものを身につけていくのだ!


2011.9.25 (Sun.)

いよいよ今日が新人戦の本番。今までのシード権決めリーグでは3連敗ということで、区では上位の学校と対戦。
マツシマ監督は今回もひるむことなく3-3-1-3システムを採用し、まさかの番狂わせを本気で狙いにいくのであった。
この日はわれわれの試合だけしか組まれていなかったので(だからホントに運が悪かった……)、
しっかりと準備をしてからキックオフとなった。生徒にピッチの広さをしっかり確認させてから送り出す。

前回の試合(→2011.9.18)でいい感触を得たのか、広いピッチも苦にすることなくまずまず対応できている。
しかし相手はとにかくフィジカルが強く、ボールを思うように奪えない展開が続く。しかも右のウィング(こっちの左)が速い。
対照的にこっちの生徒は体調不良のやつばかり。裏をとられるピンチが何度も続くのであった。
勇気を出してラインを高く保ったのはいいが、俊足ウィングに左サイドを破られてGKが対応できずにまず1失点。
さらに「ゴール前に入ってくるやつに注意しろ!」と指示を出したにもかかわらず、お決まりのCKからの失点で0-2となる。

ハーフタイムに生徒の体調をあらためて確認すると、相手のフィジカルの強さに圧倒される展開だったこともあり、
あちこちでポジションの入れ替えを強いられることとなってしまった。もう、この試合は本当に頭を使ったわ。
後半に入って攻撃陣は慣れてきたのか、ある程度スペースを衝いて攻める場面も出てきたものの、
相手の守備陣にうまく対応されてしまってなかなかチャンスがつかめない。その間も監督は知恵を絞りに絞って、
1年生も総動員しての選手交代の指示に追われる。交代枠の5人を使い切っての総力戦となってしまった。
それでも後半を1失点に抑え込めたのは、冷静に考えれば十分な収穫だったと言えるだろう。
が、負けは負け。0-3というスコアで今回も初戦敗退となったのであった。

今回は万全からは程遠い状態で試合に臨むことになってしまったのが痛かった。
全員が全員、やるべきことをちゃんとやれる状態で試合をすることができないと、勝つことはできない立場なのだ。
毎週試合が入ったことで疲れが溜まっていたという側面はあるにせよ、いろいろと反省点が出たので、
素直にそれを受け止めて今後に生かしていくしかない。マネジメントの能力をもっと高めていかないとダメだわ。


2011.9.24 (Sat.)

部活が終わって、自転車を走らせて川崎へ。等々力競技場でJ1・川崎×清水の試合を観るのだ。
本来であれば明日、富山で行われる富山×京都の師弟対決(→2011.5.15)を観るつもりだったのだが、
もう本当に運が悪くてその日に新人戦の試合が入ってしまったのである。全力でがっくりだ。
しょうがないので泣く泣く富山行きはあきらめた。しかし毎月サッカーの試合を観ることはきちんとしたい。
じゃあ何か近場でいい試合はないものか、と調べてみたら、川崎で川崎×清水の試合がある。
川崎はこないだまで泥沼の公式戦8連敗を喫していたが、ようやく勝ち星をあげて脱出したところ。
対する清水はJリーグでは久々のビッグネームである元デンマーク代表のユングベリが加入したばかり。
よっしゃ、ホモにバカウケだった(らしい)ユングベリの姿でも拝んでやるかい、とペダルをこぐ。

毎度おなじみバックスタンドの最前列に陣取って試合開始を待つ。さすがに清水は老舗だけあり、
いつもより広くとられているアウェイ側のゴール裏がしっかりと埋まっている。バックスタンドにもサポがチラホラ。
バックスタンドの1階席ではこないだ藤子・F・不二雄ミュージアムがオープンしたからか、
巨大なドラえもんの横断幕がお目見え。どっちもしっかり盛り上がっており、J1の底力を感じさせられた。

 
L: 満員の清水サポ。在京サポはどれくらいなのかなあ……。「ロコ、ロコ(スペイン語で「狂人」の意)」うるさかったです。
R: ドラえもんの巨大な横断幕。いやー、これはメインスタンドからしっかりと見たかったわ。

試合開始。前回観戦時には、川崎は積極的にショートカウンターを仕掛けてグイグイ押すチームだった(→2011.6.18)。
しかし悪夢の8連敗を喫した結果、チーム戦術はガラリと変化していた。FWが全然プレスをかけにいかない。
ある程度相手にボールを持たせるが、中盤以降でしっかりと守って前線にボールを送る、そんな戦術になっていた。
清水は清水で、これまたパッとしない。早めに展開してクロスを入れようとするのだが、逆にそのせいか、
4-3-3を謳っているわりには攻撃の枚数が揃っていないので迫力がない。FW大前が元気よく走るのみ、という感じ。
前半はどっちもリスクを負わない散発的な攻撃に終始して0-0。1部リーグの試合のくせして退屈である。
あくび半分でハーフタイムを過ごすことになるのであった。まあ、ユングベリ効果を期待するにはいい状況だが。

 ふろん太くんはわかるけど、あとはわからん……。日本はゆるキャラばっかりだ!

後半に入り、試合は静かながらも確かに動く。56分、高木豊の長男・高木俊幸がシュートを放ち、
GKが弾いたところをアレックスが決めて清水が先制。しかし川崎はジュニーニョがうまく攻撃に絡みだし、
チャンスをつくるようになる。僕の中のイメージでは、ジュニーニョといったらそれはもう、
えげつないスピードで相手DFをブチ抜くという印象しかなかったのだが、そういうシーンはほとんどなく、
どちらかというとMFのような感じで自分を追い越していく味方にいい具合のボールを送るプレーが目立った。
そこにブラジル人ストライカーらしいスペシャルな迫力はなく、正直、僕はちょっとさみしさを覚えた。
(ちなみにこの試合でジュニーニョはJ1通算200試合出場を達成。試合前にセレモニーが行われた。)
そして65分、楠神のシュートをGKが弾いたところにジュニーニョが詰めて川崎が同点に追いついた。

 
L: 高木のシュートを弾く川崎のGK杉山。しかしこの直後、いちばん前にいるアレックスがゴールを決める。
R: 清水のGK山本が横っ飛びでシュートを弾く。この直後、ジュニーニョが素早く反応してシュート。どうもオレはシャッターを切るのが早い。

連敗を脱出した勢いでホームで勝ちたい川崎と、アウェイだから引き分けでも悪くない清水。
なりふり構わず攻めきりたい川崎はジュニーニョを下げて矢島を投入。MFっぽいジュニーニョよりは攻撃的な采配だ。
が、中盤の前めでジュニーニョがうまく攻撃をつないでいたのは事実で、そこが欠けた分だけ清水の攻撃が増える。
(ちなみにこの交代にキレてしまい、ジュニーニョは無断帰宅ぶっこいた。何をやっとるのかねえ。)
そして74分、ついにユングベリがピッチに入る。スタジアムはそれだけで大盛り上がりだ。
この日のユングベリはつま先を痛めており、プレー時間は15分間のみと決められていたらしいのだが、
これでアウェイの清水に勢いがついた格好となった。小野も高原もいないが、流れは清水へと傾く。

 
L: ユングベリ登場。さあ、どんなプレーをするのやら。  R: 「これがユングベリかー」 って感じなんだろうな。

スタジアム中がユングベリの一挙手一投足に注目するが、なかなかボールがまわってこない。
そうしてようやくユングベリにボールが渡ると、それだけでもう大歓声。うーん、すごいもんだ。
で、肝心のプレーぶりは、まあ可もなく不可もないままに終始した感じ。個人的にはちょっと物足りない。
自ら積極的にシュートを狙うことはせず、あくまでチームのほかの選手のチャンスをつくることに徹していた。
多少強引に狙っていった方がサポーターも盛り上がるし、アウェイという状況を無にできるんじゃないかと思ったが、
足の具合もあってか、そうはしなかった。それでも決定的なパスを1本通してみせ、スタジアムは大いに沸いた。

 
L: ユングベリからアレックスに決定的なパスが出る。が、川崎は3人で囲んでシュートを阻止。
R: ホームで勝ちたい川崎も猛攻を見せる。しかし清水のGK山本はさすがの安定感で対応。

そんなわけで、そのままタイムアップ。1-1のドローとなったのであった。
J2と比べるとJ1は隙がないということなのか、膠着した時間が長い傾向があると思う。
そこで「つまんねーなー」と油断していると、急に動きが出て点が入る、そういうゲームが多い気がする。
まあとりあえず、ユングベリと小野と高原には早く復調してもらって、隙なく構えている相手に対し、
技術とアイデアでこじ開けていくサッカーをやっていってもらいたい。1部リーグはもっと面白い方がいい。


2011.9.23 (Fri.)

ヤクルトが超ピンチである。しばらく快進撃を続けていたわがスワローズだが(→2011.7.8)、
8月についに大失速(→2011.8.31)。しかし9月に入って再び快進撃をみせた(→2011.9.14)。が。
最大のヤマ場である中日との4連戦に突入し、あっという間に2連敗。ここで踏ん張れるかどうかが勝負なのだが、
館山と石川でズルズルと負けてしまった。いくら打線の調子が悪いとはいえ、さすがは落合中日。
ヤクルトと中日の戦力の地力を考えると、もうどうしてもポジティヴにとらえることができない。
このまま首位をかっさらわれてしまうのではないか、という恐怖心しかないのである。
すべてはこの4連戦で決まる。どうにかなんとか、五分で切り抜けられないもんですかねえ。


2011.9.22 (Thu.)

今日は木曜日なのでサッカー部は廊下でランニングである。廊下であぐらをかいて宿題チェックをしながら、
部員たちのたるんだ走りっぷりに活を入れて過ごす。そしたら部活が終わって、なんだか弱ってしまったような気分。
なんだかんだで寒いところにずっといたので一時的に風邪っぽくなってしまったようなのである。
ヘロヘロのまま教育実習生の送別会に参加。酒は一滴も口にできず。おとなしくしていたらどうにか無事に帰れた。


2011.9.21 (Wed.)

台風15号が日本を直撃。おかげでこっちは全身スブ濡れになって生徒を集団下校で帰してそのまま早退さ。
集団下校で学校を出たときには傘がいらないくらいのかすかな降りだったのだが、3分もしないうちに豪雨に。
しかも運の悪いことに、折りたたみ傘が強風にあおられて完全にぶっ壊れた。マンガのような壊れっぷりに生徒は爆笑。
こっちとしては、もう、たまったもんじゃない。笑いが取れたからまあまだ確かにマシではあるのだが……。

東京でこれだけ風が強いのは、こっちに10年いて初めてな気がする。本当に風の強い夜だった。
ふだんは台風が来たといっても特に気にせず過ごすのだが、今回ばかりは風が気になってたまらなかった。


2011.9.20 (Tue.)

おとといの試合結果はチームにとって自信になると同時に、非常に悔しいものなのであった。
ここまでの3連戦はシード決めの半ば練習試合だったわけだが、今週末はその新人戦の本番になる。
相手は上位グループに定期的に食い込んでくるぐらいの私立で、前に0-5で敗れたことがある。
今度こそ絶対に勝ちたい!ということで、マツシマ監督は自ら考案した相手の裏を取る練習を徹底。
しかし途中で猛烈な勢いの雨が降りだし、結局部活を中止せざるをえなくなってしまった。がっくりだ。
もう本当に、台風には勘弁してほしい。まるっきりイヤガラセじゃないのさ、これ。


2011.9.19 (Mon.)

連日サッカー漬けでさすがに参った。今日という今日は休ませてもらうぜ! 好きにさせてもらうぜ!
ということで、JRのホリデー・パスを片手に千葉県をテキトーにさまようことにしたのだ。
なぜ千葉かと問われれば、日帰りでちょっと遠くに行こうと思ったら、千葉を真っ先に候補として思いついたからだ。

夏休みの最後ら辺で久留里線の終点まで出かけたことがあったが(→2011.8.28)、
今日はさらにすすんで、房総半島を横断してしまうのだ。五井から出ている小湊鉄道と大原から出ているいすみ鉄道は、
上総中野駅で接続している。つまり、小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継げば、房総半島を横断できてしまうのである。
さすがにそのことを鉄道会社はわかっていて、「房総半島横断乗車券」という切符を売っている。これでいくのだ。

朝の5時台に家を出て、6時には品川駅で総武線の快速に乗る。千葉で乗り換え、内房線で五井駅へ。
駅舎をのんびり撮影し終えて、いざ小湊鉄道への乗り口はどこじゃらホイと探してみるが、これが見当たらない。
さんざん首をひねった末にJRの改札を戻ってみたら、ホームへ出る通路の先に小湊鉄道への入口があった。
階段を下りてホームに立つと、女性の車掌さんがやってきたので「房総半島横断乗車券」を購入。
なんともローカル色が強いもんだなあ、と思っているうちに列車は動き出す。窓の外は千葉の風景そのものだ。

  
L: 五井駅西口。複合ホール施設のサンプラザ市原も建っており、こちらはJRの勢いを象徴する空間となっている。
C: 対照的に、小湊鉄道を象徴するようなのんびりとした五井駅東口。JRの改札を抜けないと小湊鉄道に乗れないとは。
R: 小湊鉄道の車両。鉄道ファンにはこのカラーリングがおなじみなんですかね。よくわからん。

小湊鉄道の駅舎は、木造の雰囲気あるものが多い。しかし本数が少ないので、それをのんびりと撮影する余裕はない。
走れば走ったでいかにも千葉県らしい、田んぼの向こうに穏やかな山並みが味わえるし、
止まったら止まったでローカル線らしい駅舎が味わえる。休日としてはまあなかなかな過ごし方だと思う。
窓を全開にして風を顔で受けながら外を眺めていると、日頃の疲れもきれいに洗い流される気がするわ。

 いかにも千葉っぽい農村風景である。

終点の手前が養老渓谷。そこから終点の上総中野までは、さすがに山の中を突っ切る感じになる。
そうして上総中野駅に到着すると、山の中にローカル線の車両が2つ並ぶ不思議な光景を記念に撮影。
でも4分ほどでいすみ鉄道が出てしまうので、それほどのんびりすることなく向かいの車両に乗り込む。
それにしてもさすがに、上総中野のホームは最果て感のない光景だったなあ。

  
L: 小湊鉄道はここまで。でもすぐ右にいすみ鉄道の線路が走っている。  C: 上総中野駅。単なる休憩所みたい。
R: 2つのローカル線が並ぶ光景。鉄っちゃんならハアハア言いながらシャッターを切るんでしょうかねえ。

 いすみ鉄道から見ると最果て。でもこっちからいま来たばっかりなんだけどな。

いすみ鉄道はローカル色満載の小湊鉄道と比べると少しだけ新しい感じの車両をしている。
そして『ムーミン』のキャラクターがそこかしこに貼り付いている。自分の頭の上にはニョロニョロがいた。
実は、いすみ鉄道は『ムーミン』とタイアップしてイメージ戦略を展開しているようなのだ。
なぜ『ムーミン』なのかはよくわからないのだが、グッズに特別乗車券に、かなり徹底している。やる気だわ。

大原駅に着くと、駅からすぐ近くにある観光案内所でパンフレットの地図をもらって歩きだす。
そう、いすみ市役所に行くのだ。いすみ市は2005年に夷隅町・大原町・岬町が合併して誕生した。
市役所の本庁舎は旧大原町役場で、大原駅から少し離れた場所にある。まずは旧街道に出て北上するが、
観光案内所の雰囲気も穏やかな旧街道の雰囲気も、かつて訪れた佐原駅(→2008.9.1)に少し似ていた。
夷隅郡は旧上総国で佐原は旧下総国だが、そういう「千葉っぽさ」は共通しているということか。

  
L: いすみ鉄道を応援する自動販売機。これが市内のあちこちにあった。いすみ鉄道はいすみ市民に愛されてますな。
C: いすみ市役所。旧街道から少し離れた高台に位置している。  R: 手前の保健センターとともに角度を変えて撮影。

時刻はまだ10時台の前半。日差しがとにかくキツく、駅から市役所までの往復だけだがけっこう汗をかいた。
駅に戻ると、いすみ鉄道の方の駅舎内にある売店を見てまわる。いすみ鉄道はグッズ販売に力を入れていて、
さまざまなグッズが所狭しと並べられてた。中には『ムーミン』のグッズもあった。そこまでムーミン好きなのか。

  
L: 大原駅。大部分はJRなのだが、左端の黄色い部分がいすみ鉄道の駅舎。中はグッズでいっぱい。
C: いすみ鉄道の方の大原駅。赤いほうの自販機のデザインは、かつて大糸線で走っていた列車を引き受けた記念か。
R: いすみ鉄道グッズがいっぱいの図。千葉には銚子電鉄という成功例があるからなあ(→2008.9.1)。グッズで攻めるか。

さて大原駅はホリデー・パスの範囲からははずれているのだが、そこはまあ気にしないでいく。
外房線で茂原まで行くと、駅からは遠いんだけど、茂原市役所まで歩いてみるのだ。
茂原には大学時代に合宿で来たことがあるのだが(バスで白子に行ったのだ)、それ以外で来たことはない。
「新がつくクセに新茂原の方が茂原よりもぐっと田舎じゃねえかコノヤロウ」と思った記憶があるだけ。
あとは小倉優子は茂原出身とか、そんなしょーもない知識しかないのだ。ニンともカンとも。

あらかじめ地図でチェックして茂原市役所が駅から遠いことはわかっていたのだが、歩くとやっぱり遠い。
いかにも地方の落ち着いた住宅が続くので、事情を知らないままで歩くのはちょっと不安になる街並みだ。
とりあえず広い道を行けばいいや、ということでトボトボ歩くこと15分、やたらとデカい建物が見えた。
もうあれが市役所に違いあるまい、と決めつけて近づいていく。運良く正解でよかったよかった。

  
L: 周囲と比べて不自然に大きい建物が出現。まあ市役所だわな、ということで接近を試みる。
C: 果たしてその建物は茂原市役所なのであった。石本建築事務所の設計で1996年に竣工。
R: 道を挟んだ向かいにある茂原市中央公民館から撮影。しかしまあ、デカい建物だなあ。

  
L: 市役所の向かいの茂原市中央公民館。近くに花壇があったので、おそらくこれがかつての茂原市役所だったのではないか?
C: 公民館の隣の茂原市民会館。なかなか端整なモダニズムだ。近寄ってみたらなかなか劣化具合がひどかった。
R: 茂原駅に戻ってきたぜ。前に来たときはそごうがあって元気だったんだけどな。まあ、そごう破綻しちゃったもんな。

時間があったので、茂原駅前のイオンで弁当と飲み物を買っておいた。
というのも、ローカル線の駅ではメシを買えるところとそうではないところがあるわけで、
買えるところで買っちゃう方が安全だ、と考えたからである。さあ、次の目的地・東金は都会なんでしょうか?

外房線で大網へ。しかし茂原駅のホームで電車を待っているときからどんどん雲行きが怪しくなっており、
ついに大網まで行かないうちに雨が降り出してしまった。空はかなり暗く、天候の回復は望めそうにない。
大いにションボリして大網駅のホームに降りるが、乗り換え先の東金線のホームは離れた位置にある。
慌てて通路を走って階段を上って列車に滑り込む。大網駅の両者のホームは「く」の字を形成しており、
駅舎の入口はその「く」の字の真ん中にある。面白い構造だなあ、と思っているうちに発車。

東金駅のホームに降りると、空はだいぶ暗くなっているが、雨粒はまだ落ちてきていない模様。
とりあえずさっさと茂原で買った弁当を食べると、駅舎を出る。東金駅も妙な構造になっていて、
駅の出入り口は西側だけ。東側に出るには跨線橋で線路を渡らないといけないのだ。
で、東側の線路の脇には駐輪場とロータリーがちゃんとある。駅舎だけがない。よくわからない。
さらにわからないのは、改札から2番線のホームに行くのにも跨線橋があり、つまり跨線橋が二重になっているのだ。
改善しようと思えばすぐになんとかなりそうなものだと思うが、なんとも奇妙な光景である。

東金駅の東側の街は標高というものをまったく感じさせない平野っぷりで、九十九里感を漂わせている。
平野っぷりとはつまり、建物の密度の低さと車道の広さをまた意味する(佐賀の印象が強いからかなあ)。
東金はそれほど都会じゃないだろうと予測して茂原で弁当を買ったわけだが、
駅からすぐのところに大きな商業施設があり、中は家族連れを中心とする地元住民でいっぱいだった。
これならこっちでのんびり食った方がよかったなあ、と思うのであった。まあ、賑わっていて何よりだ。
肝心の東金市役所は、これまた駅からすぐのところにある。でもそれほど目立たない色合いなので、
気がつかないまま遠回りして裏手から訪問してしまった。昭和30年代風のちょっと凝ったモダニズム庁舎の裏に、
いかにもな新館オフィス建築がくっついている。天気が良ければもうちょっと印象も違ったんだろうけど……。

  
L: 東金駅。改札はこちらの西側のみである。  C: 市役所があるのは駅の東側。これは2つの棟を一気に撮影したところ。
R: 東金市役所を正面より撮影。なかなか凝っているモダニズム庁舎建築だ。できるだけ長く残してほしいなあ。

市役所の撮影を終えたところでわりとしっかり雨が降ってきてしまった。
朝のうちはしっかりと晴れていたのに、台風の影響なのか、一気に崩れてきてしまった。こりゃかなわん。
この後は成東(山武市)、八街と市役所めぐりをするつもりだったのだが、これじゃあどうにもならない。
しょうがないので成東から佐倉へ向かい、佐倉から成田空港を目指す。腹いせに空港行ったれ、と開き直る。

ところがどっこい、佐倉駅に着いた時点でとりあえず雨はやんだ。なんじゃこりゃ、と思いつつ総武線快速に乗る。
すると成田に近づくにつれ、空が少し明るくなってくる。これは困った。成田市役所も見たいじゃないか。
僕の頭の中には2つの選択肢が思い浮かぶ。成田空港でムダにあちこち歩きまわるコースと、
成田市役所と成田山新勝寺を参拝しちゃうコース。さんざん迷った末、成田駅のホームに降りたのであった。
というわけで、当初は予定していなかった成田市訪問をスタート。でもまだ天気がちょっと心配。

 
L: JRの成田駅。  R: こちらは京成成田駅。どっちも似たようなデザインになっている。

まずは市役所からだ。成田駅からまっすぐ坂を下っていくが、これがなかなか急なので驚いた。
特に都市の地図だと地形の起伏を読み取るのは難しい。成田駅周辺は高低差があり、かなり複雑なのである。
坂を曲がりつつ京成の高架を頭上に眺めながら下っていくと、わりとすぐに成田市役所だ。
国際空港がある市ということで財政的に豊かなのか、かなり頑丈そうな雰囲気である。
でも新勝寺があることで変に和風を意識してか、正直なところデザイン的には失敗しちゃっている感じ。
市役所というよりもむしろ、「新興宗教団体の施設」になってしまっている。もったいないなあ。

  
L: 成田市役所。佐藤総合計画の設計で1988年に竣工。  C: こちらは成田市議会。右手手前にくっついているのだ。
R: 角度を変えてあらためて市役所を撮影。見るからにアトリウムを内蔵している感じ。1980年代だなあ。

さあ、成田に来たからには成田山新勝寺に参拝しなければなるまい。新勝寺は不動明王を祀る真言宗の寺だ。
その起源は平将門の乱を平定するための祈願をしたことに始まる。その後、成田に移って新勝寺となった。
(そのため平将門を祀る神田明神とは相容れない関係にある、というのは以前のログ(→2011.7.10)でふれたとおり。)
戦国時代に荒廃したが、江戸時代になって市川團十郎が「成田屋」の屋号を名乗ったこともあって人気が出て、
以来幅広く信仰を集めるようになったそうな。そういやオレも一時期、成田山の御守を持たされていたっけな。

新勝寺は駅からちょっと離れているのだが、そこに至るまでの道は参拝者で賑わう参道となっている。
ふつう参道というとまっすぐな道が多いように思うのだが、新勝寺の場合はかなり派手に曲がっている。
ぐにゃりぐにゃりと曲がる道を進んでいくと、次から次へとさまざまな店が現れる。これは視覚的にも面白い。
成田空港からすぐ近くの観光名所ということもあってか、外国人の姿もそこそこある。
何より不思議なのは、和風の店が並んでいる中に堂々と外国風の店が混じっている光景だ。
イギリスのパブやインドのカレー屋などが平然と軒を連ねているのである。なかなかにカオスな街である。

  
L: 成田山新勝寺への参道。大胆にカーヴしているのが独特だ。明らかに外国の雰囲気をした店も点在している。
C: 薬師堂を境にして参道は急な下りになる。歴史を感じさせる旅館が多く軒を連ねている。
R: 旅館の中でも一際強烈な存在感を放っているのが大野屋旅館。1935年築、望楼のほか能舞台まで備える。

参道は曲がっているだけでなく、起伏もある。駅からはほとんど平坦、若干ゆったりとした上りとなっているのだが、
工事中の薬師堂の辺りを境に急激な下りになる。やはり参道を下っていくというのは珍しい。
そうして下っていった先にあるのがケヤキ造りの総門。2007年の竣工なので、まだまだ木材本来の色合いが生々しい。
総門をくぐると仁王門。こちらは1830(天保元)年の建立で見事に黒光りしている重要文化財である。
仁王門をくぐって石段を上ると広大な伽藍に出る。目の前には大本堂がそびえるが、鉄筋コンクリートで味気ない。
しかし向かって右のすぐ手前にある三重塔は豪華絢爛な姿をみせている。軒には鮮やかな雲文の彫刻が施されている。
まずはとりあえずお参りだ。おみくじを引いたのだが、成田山新勝寺ではあらかじめすでに結ばれた形になっている。
いったん持ち帰って次来たときにおみくじ入れに入れてくれ、というスタイルをとっているようだ。

  
L: 成田山新勝寺の総門。この新しい門が文化財に指定されるのはいつの日か……。
C: 仁王門。周囲が狭くなっている分だけ迫力を感じさせる。  R: 大本堂。不動明王はこちら。

あとはテキトーに伽藍の中を散策してみる。本堂の裏にまわったら、成田山公園の入口になっていた。
天気が不安だったので公園内に入ろうか迷ったが、まあせっかくだし、ということで中へ。
そしたらまあこれが完全に迷路のようになっていて、方向感覚が究極的につかめない空間になっていた。
案内板や地図はあるんだけど、それに従っているつもりでもまったく違う場所に出てしまうなど、
かなり惑わされた。参道もそうだったが、成田山新勝寺の空間というのはかなり独特なようである。

  
L: 三重塔。 1712(正徳2)年建立。とにかく装飾が満載。軒の雲文はなんとなく鳶の刺青を想像させる。
C: 成田山公園内は迷路としか形容しようのない空間。石碑があちこちに建てられていて、雰囲気がちょっと違う。
R: 迷路のような林を抜けたら平和の大塔に出た。デカくて新しい多宝塔だ。それにしてもやっぱり高低差が激しい。

平和の大塔から石段を上っていくと、光明堂と額堂のある一角にどうにか出ることができた。
光明堂は1701(元禄14)年の建立で、釈迦堂が本堂になる前の本堂だった建物だ。
つまり、新勝寺では本堂が3代にわたって残っているわけだ。これはなかなか面白い。
その先には額堂。絵馬を掲げるための建物で、1861(文久元)年築。柵があったのはちょっと残念だ。
大本堂の高さに降りると、右手に釈迦堂が現れる。これが先代の本堂。1858(安政5)年築である。
しかし新勝寺は広い境内の中にさまざまな建物がよく残っており、ある種テーマパークのような要素を感じさせる。
まあそれが庶民の信仰を集める秘訣にもなっていたのだろう。来てよかったなあ、と思うのであった。

  
L: 光明堂。  C: 額堂。  R: 釈迦堂。伽藍の規模から考えると小さい本堂だったように思える。

 釈迦堂の先、土産物屋が連なる場所。これまた独特すぎる空間だ。

成田山新勝寺をきちんと訪れたのはこれが初めてなのだが、とにかく空間が何から何まで独特で、
ずっとそのことに圧倒されっぱなしだった。立体的にうねる参道、広大で起伏のある伽藍、迷路のような公園、
一日かけてじっくりと味わえば、その空間を体験することだけでかなりの物語性を感じることができるだろう。
奥が深いというか、何度も訪れる甲斐があるというか、ほかにはない厚みのある街だと思った。

ここまで来たら終点まで行ってしまおう、ということで、成田空港まで行ってしまう。
成田空港に来るのはニューヨーク旅行以来なのだが(→2008.5.7)、そのときの記憶がうっすら蘇る。
とりあえず改札を抜けると、いきなり荷物チェック。ただ気まぐれで来ただけなので、これがすごく恥ずかしい。
免許証を見せて空港の中へ。うーん、なんだか成田空港にただ来ただけ、というのがもったいなく思えてきた。
歩きまわっているうちに、どこでもいいから海外に行ってみたいなあ、という気分になってしまったわ。

  
L: 成田空港の最果て。ここから先は空路になっちゃうもんな。  C: 改札を抜けると空港への入館チェック。恥ずかしいわー。
R: 空港側から見た成田空港駅への入口。いいなあみんな海外からの帰りか。オレもどっかに行きてえなあ。

特にこれといって目的地があるわけでもないので、とりあえず北ウィングへ。ずーっと奥にタリーズがあって、
ニューヨークへの出発前にそこへ寄ったことを思い出す。思えばあれもかなり慌ただしい旅だった。
それから4階と5階の店を眺めて過ごす。無印にユニクロ、TSUTAYAといった見慣れた店が空港仕様で面白い。
展望デッキに出てボケーッと飛行機が離陸しに出かけるのを眺めたりもした。いってらっしゃい、なのである。

 
L: 成田空港北ウィング。これから出発ですか、いいなあ。  R: 飛行機のおしりを見学。

そんな具合に1時間ほどフラフラしてから帰る。途中で天気がめちゃくちゃになったのは非常に残念だったが、
まあいい気分転換ができた休みだったとは思う。また明日からがんばりますかー!


2011.9.18 (Sun.)

新人戦のシード権決めリーグもいよいよ最終戦。初戦では全員出場を目標に勝負を度外視し(→2011.9.4)、
先週の2戦目では監督不在というめちゃくちゃな戦いを強いられてしまった(→2011.9.11)。
そして今日は最後の3戦目。すべてが充実した状態で迎えられる初めての試合である。
3-3-1-3という半ば趣味に走ったシステムでどこまでやりあえるのか、自分にとってはかなりの大勝負なのだ。
ちなみに相手は中堅よりやや強い、といったところ。前回0-4で僕らが敗れたチームに3-1で勝っている。
でも、だからといって下手に出るつもりはないのだ。3-3-1-3は強気にならないと機能しようがないシステムだ。

試合が始まると、3バックの右サイドが集中に欠けたミスを連発。怒ったマツシマ監督、10分で選手交代。
相変わらずのCKからの失点を皮切りに、前半できっちり3点を奪われる。が、右サイドを崩された以外は安定している。
前半終了間際にはこちらがCKを取り、CFがきれいにヘッドで得点。1-3で前半を終える。
3失点はしているものの、感触としては悪くない。3バックでもやれる、と全員が手応えを感じたハーフタイムだった。

後半に入ると自信を持ったのか、こちらの縦の動きが活性化して中央突破でさらに1点を返す。
ここから10分間は完全にこっちの時間帯で、3バックは堂々とハーフウェーラインを越えてチーム全体が攻め続ける。
決して弱くないはずの相手が、こっちの攻撃に腰が引けている。こちらを怖がっているのが、はっきりとわかる。
今まで指揮してきた試合で、こういう展開になったのは初めてだ。この時間は、本当に見ていて痛快だったなあ。

しかしながら後半15分ぐらいになるとこっちのスタミナが切れだして、ボールを思うようにつなげなくなる。
こうなると試合巧者の相手が息を吹き返してしまう。相手がビビっている時間帯で得点できなかったのが痛かった。
集中の切れた左サイド(後半に入って3バックの左右を入れ替えた)を徹底的に衝かれ、そこから2失点。
結局は2-5で敗れてしまった。でも、スコアほどの実力差を感じることのない試合内容だった。
(ただ、だらしない失点を相変わらず続けているという点ではスコアどおりの差なのもまた事実だ。)
まあとりあえず、生徒たちが「オレたちやれるじゃん」と自信を持てたことは非常に大きい。来週の本番もがんばるのだ。


2011.9.17 (Sat.)

昨日のサッカー部のミーティングで、監督であるところの私はついに決断をしたのであります。
次の試合は3バックでいく!と。ザッケローニや大分の田坂監督式の中盤が横に並ぶ3-4-3ではなく、
それこそ京都・大木監督や富山・安間監督式の中盤が縦に厚みをつくる3-4-3でいこう、と提案したのだ。
正確に言うと、3-3-1-3となる。中盤のアンカーがファーストディフェンダーになり、
その両側のDMFが状況に応じてディフェンスラインに入る。だから実はいつもの4-2-3-1の派生型とも言える。
広いグラウンドを3バックで守るのは度胸がいるが、どうせ中学生に効果的なサイドチェンジなんてない、と割り切る。
(注:本当に強いチームはきちんとサイドチェンジしてワイドな攻撃ができます。でも区レヴェルなら、ほぼない。)
むしろ4バックだと、攻撃されているのと逆側のサイドで人が余っている場面ばっかりだろ、ということで、
全体がコンパクトさを保ちながら連動すれば3バックでも対応できる、と判断したのだ。
横がない分だけ縦に厚みのある攻撃をして、とにかく点を取ろうじゃないか!と檄を飛ばす。
そしたら意外なほど生徒たちは素直に賛成した。やはり何かを変えたい、という気持ちは一緒だったわけだ。

今日の練習では3バックの動きをまず確認。一列前のDMFと一緒に、相手のチェックにいく手順を確認する。
ボールホルダーをアンカーが抑えると同時に、後ろから入ってくる敵をマークして手詰まりの状況をつくる。
攻撃時には縦と斜めで味方を追い越す動きを生み出し、相手が守りきれない数的優位を目指す、という考え方だ。
まあ要するに、完全に中学生たちに大木サッカーを再現させようというわけだ。もちろんあそこまで足下の技術はないが、
考え方としてはまったく一緒。僕のエゴを押し付けている気がして今まで遠慮してきたが、もうやると決めた。
この戦術は、難度が非常に高い。しかし味方をケアして空いているスペースを埋めることがつねに要求されるため、
間違いなくほかのどのフォーメーションよりもサッカーのセンスが上達するはずだ。それも決断の理由のひとつだ。

動きの確認は、正直なかなかうまくいかなかった。やはり狭いグラウンドではリアリティがないのだ。
でもこうなりゃ開き直って、相手をとことん狭いサッカーに引き込んでやろうと思う。今回の試合は本当にドキドキする。


2011.9.16 (Fri.)

今日は学校にスタントマンのチームが来て、実際に事故を再現するという交通安全教室が行われた。
テーマは自転車の正しい乗り方ってことなんだけど、自転車通勤の僕にしてみれば、
自転車の事故をスタントで再現するというのはもう、純粋にイヤでたまらないわけであります。
で、校庭でまずまずのスピードを出しながら車が自転車にぶつかるわけだ。もう見るのもつらくてつらくて。
しかも1回や2回じゃなくて、あの手この手でさまざまなパターンを再現するので、もう本当にたまらない。
生々しい衝撃的なシーンを実際に見せるのは、そりゃまあ子どもたちには間違いなく効果的だと思うのだが、
僕には実に厳しい時間なのであった。しかしプロのスタントマンってのはすごいな!
たぶん、見た目は派手でも安全なやり方で再現していると思うんだけど、それをきちんとできることがすごい。


2011.9.15 (Thu.)

日記がスランプなのである。ここんところ修学旅行を中心に部活もあってしっちゃかめっちゃかで、
どっしりと腰を落ち着けて日記を書く余裕がなく、それが定着してしまった感じがする。
おかげで夏休みの九州日記もかなり野放しに近い。旅行ネタはしっかり調べて書く必要があるので、
こういうテキトーな日記とは比べ物にならないほどエネルギーを消費するのだ。それで重い腰が上がらない。
かといって長期にわたって放置したらどれだけ大変かは、もうさすがに身にしみて理解しているわけで、
結果、ヨチヨチ歩きでウンウンうなっている状況なのである。3行くらい書いて電池切れで寝ちゃう感じ。
まあMacBookAirというすばらしい武器があることだし、とりあえず今は調子が上がるのを待つことにする。
いつかきっと、グワッと解決できる日が来るだろう。そう信じよう。


2011.9.14 (Wed.)

ぎゃおーヤクルト強いー! ベテラン宮本の2ランで追いつき、その勢いのまま逆転して広島に勝った。
これで2位とのゲーム差は6。中日と阪神と巨人のいるセ・リーグではどれだけゲーム差があっても安心できないが、
9月に入って8月の不調がウソのような快進撃が続いており(これで8連勝だぜ!)、最高に気分がいい。
なんとかヒマを見つけて神宮球場に行きたいものだ。この目で実際に勝ち試合を見届けたいわー。


2011.9.13 (Tue.)

修学旅行中の11日にはサッカー部の試合があって僕が指揮を執れないという話は前に書いたが(→2011.9.8)、
その試合は結局、0-4で敗れたのであった。前半終了間際までは踏ん張って失点しなかったのだが、
毎度お馴染みCKからの失点をしたところでハーフタイム。後半はズルズルと3失点。
成長著しいと評判の学校とはいえ僕はそこまで差があるとは思っていなかったので、これは内心ショックだった。
何かひとつ、大きく変えていかないと、いつまで経っても同じような試合の繰り返しだなあ、と考え込んでしまった。

顧問がようやく戻ってきて、今日のサッカー部の練習は、なんとなく「再始動」な感じだった。
練習中も僕はずっと、思いついたアイデアが実現可能かどうか、生徒の様子を見極めるのに徹していた。
たぶん生徒は僕が「やれ」と言えばやるだろうけど、それが成功するかどうかは別の話だ。
できるだけ多くの生徒が納得して取り組めるだけの理論を練り上げるのが、僕の今の課題なのだ。うーん、難しい。


2011.9.12 (Mon.)

修学旅行の3日目、最終日である。本日はタクシーでの班行動ということで、子守りはプロの運転手さん任せ。
そんなわけで教員も基本的には自由行動ということになったのであった。そういうもんなのか、と思う。
しかし僕が今、京都でいちばん行きたいところといえば試合をやっている西京極(→2011.5.15)、
京都でいちばん見たいものといえば大木さんのサッカーということになるわけで、それが無理である以上、
じゃあしょうがねえからレンタサイクルでテキトーに生徒を追っかけて写真を撮るかーとなるのであった。

 旅館の近くにあった看板。京都にはあちこちに仙太郎さんがいますな。

一発目に清水寺に行く予定を立てた班が半数以上を占めていたので、レンタサイクルを借りると僕も行ってみる。
わかってはいたのだが、五条坂はやっぱりキツかった。汗びっしょりになって坂を上って駐車場に駐輪すると、
参道の土産物屋を見ながら清水寺方面へと歩く。すると案の定、土産物につられてフラフラしている生徒たちを発見。
連中は狂ったように生八ツ橋を試食しては、この世にこんな旨いものがあったのか、とひたすら感動するのであった。
まあ確かに清水寺参道の土産物屋は非常に充実しているわけだが、それにしても後先考えない朝イチの買い物っぷりで、
坂道を何度も往復するそのヴァイタリティにタクシーの運転手さんも悲鳴をあげていたのであった。

 
L: 生徒の相手をしていたので、清水寺の中には入っていません。地主神社とかナンデスカソレ?
R: 生徒がタクシーの車内から撮影したマツシマ先生。REXを背負ってレンタサイクルで爆走するのであった。

次は金閣寺に行ってみることにした。JRの線路以北で考えると南東の清水寺から北西の金閣寺までは、
まあ完全に対角線の位置関係である。自転車だから平気じゃんと思っていたのだが、ほかの先生は呆れてましたな。
今出川通で左折したので、途中で北野天満宮に出くわした。受験学年だし、当然お参りなのである。
前にも訪れているのだが(→2010.3.27)、やっぱりこればっかりは無視できないのだ。というわけで再度撮影。

  
L: なかなか立派な絵馬殿(絵馬所)じゃないか。  C: 中門(三光門)。重要文化財。  R: 本殿。こちらは国宝でございますよ。

京都は北へ向かってじっとりと標高が上がっていく地形になっているので、地味ながらも坂道がつらい。
それでも途中であきらめたくなるような勾配ではまったくないので、グイグイとペダルをこいで金閣寺に到着。

 これまた、中には入らず。

金閣寺のタクシー駐車場に面した休憩所でのんびり過ごしていたら、いくつかの班と遭遇。
運転手さんのアドヴァイスを聞いてけっこう予定を変更した班が多いようだ。まあその方がいいだろう。
やっぱりこの日も日差しが非常に鋭く、ソフトクリームがあっという間に溶け出してしまった。
それで手をベトベトにして苦しんでいるところを生徒に見られてバカにされたり、まあそんな感じでしたな。

京都駅での到着チェックをやる関係で、午後は素直に駅に向かって南下。それでもせっかく京都に来ているから、
ということで、和菓子店「仙太郎」の本店に行ってみた。もともと京都に「仙太郎」という店があるのは知っていた。
どなたか忘れてしまったが、京都土産ということで「二代目仙太郎」と書かれた最中をいただいたことがあったのだ。
で、その「仙太郎」は渋谷をはじめ東京のあちこちに店を出していることがすでにわかっていたのだが、
まあやっぱ本家本元で買わなきゃダメだよな、ということで行ってみることにしたのである。

「仙太郎」の本店は寺町にある。四条の高島屋の裏側で、周辺にはなぜかパソコンの店が点在していた。
秋葉原や日本橋ほどの規模ではないが、そっち系の匂いがする通りとなっているのである。なんだかなあ。
店内に入ると、さんざん迷った末に、どら焼き「仙太」6個と最中1個を購入。
店のおばちゃんに自分の名前が仙太郎だと伝えるが、「そうですか」と反応はすこぶる悪かった。ちょっとがっかり。

 「仙太郎」本店。国産の素材にこだわっているそうな。

というわけで、ここで「仙太郎」の最中と、どら焼き仙太の画像を載せるのだ。

  
L,C,R: 「ご存知最中」。いちばん右の画像を見てのとおり、かなりの厚みがあるのだ。

  
L: 仙太郎のお土産用の箱に描かれている絵。これが仙太郎くんですかね。僕こんなんですかね。
C, R: どら焼き仙太。中身には堂々と「仙太」の焼き印が。ぜひドラえもんに食していただきたい。

買い物を済ませると京都駅に直行してレンタサイクルを返却。自分用の八ツ橋とお土産数点を購入し、
タクシー降車チェックの準備に入る。都内のほかの中学校も同じようにタクシーで班行動をしていたのだが、
その数たるや凄まじいもので、延々とタクシーがやってきては中学生を降ろしてはを繰り返す。本当に延々と。
いったい京都にはどれだけのタクシーが走っているのだ、と本気で呆れてしまった。
(そしてそれはつまり、京都駅前の通行人はかなりの確率で教員である、ということでもあるのだが。)
京都の観光は不滅なのだと実感させられる。これだけ客を呼べれば、街が衰退するなんて絶対にない。
同じ日本でも、大震災で被害に遭っている東北とはおそろしく異なる光景である。ちょっと考えてしまった。
あとはウチの学校ではないが、すっかり運転手さんと仲良くなって「せーじ、せーじ」と名前を呼び捨てにするやつがいた。
まあ現代っ子ってのは、そういう失礼を言えることを距離感の近さとして表現しているのかな、不器用だなあ、と思う。

無事に全班集合して帰りの新幹線に乗り込む。やっぱりグリーン車で、中はゆったりとした空間である。
生徒たちは少しの疲れもみせず、車内では一睡もしないでひたすらデジカメで撮影。まあ、元気なのはいいことだ。

 
L: 帰りの新幹線車内にて。  R: 無事に修学旅行を終えられそうでご満悦な私。

行きは雲に包まれてしまっていた富士山も、帰りは鮮やかな姿を見せてくれた。よかったよかった。

 意外と電線がジャマで景色に入り込んでくる。垂らすなよJR東海。

駅に到着すると解散。本当に嵐のような3日間なのであった。いやー、無事に済んで何よりだわ。


2011.9.11 (Sun.)

朝6時に起床してメシ食って支度を済ませると、旅館の目の前にある神社へ記念撮影のためにみんなで移動する。
談山(たんざん)神社である。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿暗殺をここで企てた、という逸話のある場所だ。
もともとは寺だったのだが明治の廃仏毀釈の影響で神社となった。おかげで独特な雰囲気が残っている。
境内には重要文化財の建築物がゴロゴロ残っており、非常に有名な場所なので、中に入れたのは本当にラッキーだった。
なんせ談山神社は公共交通機関でのアクセスがかなり難しいのだ。こんなチャンスはめったにない。
軽やかな足取りであちこちデジカメのシャッターを切ってまわる僕を、生徒たちは呆れて見つめるのであった。

  
L: 総社本殿(左)と総社拝殿(右)。  C: 蹴鞠の庭にて。右は神廟拝所、奥は権殿。両者の間には十三重塔が見える。
R: 拝殿。時間がなくってじっくり見ることができなかったのが悔しい。ぜひいつか、紅葉の季節にもう一度来たい。

  
L: 楼門。ちなみに奥にある本殿は現在工事中で、来年ぐらいまでかかるとのこと。
C: かの有名な十三重塔。談山神社の象徴である。現在の塔は1185(文治元)年に再建されたものだ。
R: 総社拝殿を正面より撮影。談山神社は建物がよく残っていることもあり、境内全体が独特の雰囲気に包まれている。

談山神社での記念撮影を終えると、バスで法隆寺まで移動する。旅館の見送りぶりが半端でなく、
あらためてその至れり尽くせりぶりには驚かされた。子どもをそこまで甘やかしちゃいけませんぜ。

法隆寺というと駅からひたすらトボトボ歩いた記憶があるのだが(→2010.3.29)、バスだとすぐに南大門の前に到着。
僕なんかはちょっと興奮気味に「この門からしてすでに国宝なんだぜ、さらっと建っているけど」なんて生徒に話すが、
まあ15年ほどしか生きていない中学生ってのは国宝よりもジュースの自動販売機のほうに興味がいっちゃう生き物なので、
「ふーんそうなの」程度の反応なのであった。まあ自分だってかつてはそうだったんだからしょうがない。

  
L: 法隆寺南大門を去年のログとは別の角度から。  C: 去年は工事中だった大講堂を見ることができた。よかったよかった。
R: 五重塔の鬼の像。生徒に比較的そっくりなやつがいて、みんなで「おい、早く塔を支える仕事に戻れよ!」とからかうのであった。

まだ朝の9時だというのに天候に恵まれすぎちゃってめちゃくちゃ暑い。特に法隆寺は伽藍から出ると日陰が少ないので、
まな板の鯉どころか蒲焼き気分なのであった。大宝蔵院から南大門までは本当に干からびるかと思ったわ。

お次は修学旅行の定番中の定番・東大寺大仏殿。生徒たちは初めて見る生の鹿にかなり興奮しているのであった。
大仏殿では出発チェックを担当したので、かなり早足で大仏を拝んで外に出た。何度も来ているとはいえ、ちょっと残念。
恰幅のいい生徒たちが柱の穴を通り抜ける姿も見たかった(でも後で怖じ気づいて通らなかったと聞いてがっくり)。

 炎天下の東大寺大仏殿。

大仏殿の出口で出発チェックを終えると、のんびりと次のチェック地点である近鉄奈良駅へと向かう。
余裕があれば新薬師寺に行ってみたかったのだが、さすがにそれだけのヒマはなかった。
奈良についてはまだ訪れたい場所がいくつかあるので、またいつか機会をうかがうことにしよう。

  
L: 奈良国立博物館・東新館。以前訪れたとき(→2010.3.28)はピロティが絵だったのだが、工事が終わって今は本物。
C: 奈良県庁。ぜひ屋上から奈良公園一帯を一望したかったのだが、9月は一般公開せず。ケチくさい。
R: 奈良国立博物館・仏教美術資料研究センター(旧奈良県物産陳列所)。関野貞設計で1902(明治35)年竣工。

 9月ということでか、鹿はみんないかにも鹿っぽい斑点ができていた。

各自、大仏殿を出てからは班行動で京都まで行くことになっていたのだが、昼食を予定していた店が見つからなかったり、
営業をやめてしまっていたりで、マックのハンバーガーをモソモソ食っている連中がいたのは非常に残念だった。
一方、僕は東向商店街でうどんを食っていたらそれを生徒に見られて激写されまくるという目に遭った。勘弁してくれ。
そうして近鉄奈良駅前に戻ると地元の社会人吹奏楽グループが演奏会をやっていた。アレンジが非常に上手く、
かなり聴き応えのある演奏だった。『マル・マル・モリ・モリ!』はバンド形態でやるとサビのリズムがグルーヴを殺ぐので、
どう解決するんだろうと思っていたら、テンポを早くしたりリズムのパターン自体を変えてしまったりで、感心した。
アンコールは『ルパン三世』だったのだが、もはやこれは古典だなあと思ったり。かなり盛り上がってよかったですな。
で、道に迷って1時間近く遅刻した班が出たおかげで、演奏の2周目も聴く破目になってしまったのであった。

 おまけの京都市役所。

京都へ移動するとそのままチェックポイントである本能寺へと向かう。この日は震災から半年ということで、
京都市役所周辺では原発反対のデモが展開されていた。しかしこれが本当にジャマで、まともに歩けなくて困った。
参加していたのも自己満足に浸りたいだけの美大出身者という雰囲気の連中ばかりで、見ていて不快極まりなかった。

結局、ほとんどの班が予定を削って旅館への到着を優先させることにしたため、
本能寺には4つの班が来る予定だったのが、実際に来たのは1班だけという有様に。
しょうがないのでみんなでそのまま旅館まで帰る。途中の地下鉄で京都サンガのポスターを見かけて、
サッカー部顧問はひとり妙に興奮していたよ。まあとにかく、全員無事に京都までたどり着けてよかったよかった。

旅館は非常に狭かったのだが、その分だけコミュニケーションが密になった感じもした。
玄関からすぐの階段を上がったところがテレビのある畳の共有空間となっており、みんなでテレビを見た。
ヤクルトファンのマツシマ先生はいい歳こいて野球中継に大興奮なのであった。

すき焼きの後は体験学習ということで、京念珠づくり。最初はそんなもん体験してどうすんだ、と思っていたのだが、
実際にやってみると生徒がものすごい集中力を発揮。社長による数珠の解説から入ったのだが、これが面白かった。
数珠とは仏教の世界観を再現したものであるのだが、経を読む回数をカウントするのに使う実用的な道具でもあり、
さらにはアクセサリーとしての側面も持っている。その辺が一気につながって「なるほど!」と思え、実に興味深かった。
上手いのは、生徒たちがつくるのはアクセサリーとしての側面を強調したもので、かなり自由度を高めている点。
さまざまな色の玉を選び、それを順番に並べる。ただそれだけなのだが、表現の可能性は無限に広がるのだ。
意外な生徒は意外な才能を発揮するし、個性も出る。関わった全員が面白がった、すばらしい時間となったのであった。

夜はレッドブルに翼を授けてもらってがんばろうと思ったのだが、いいところ1時間しかもたなかったのであった。
やはり豪華なすき焼きが生徒たちの体力を急速に回復させてしまったらしい。まったく困ったものである。


2011.9.10 (Sat.)

修学旅行なのだ! 詳しいことは当然書けないのだが、書ける範囲で訪れた場所を中心に紹介していくのだ。

修学旅行の新幹線は貸切なのである。みんなで固まって素早く乗り込むのだが、専用の団体列車ということで、
これはレアだなーと思いつつ乗車。今回はグリーン車だったのだが、これは非常に運がいいんだそうだ。
実際、隣のふつうの車両を覗き込んだら、内装にだいぶ差がある。グリーン車はシックで落ち着いているのだ。
生徒たちは立ち歩いてキャイキャイ言いながらひたすらデジカメでお互いを撮りまくっていたのだが(特に女子)、
僕は基本的に座席に寄りかかってグリーン車らしさを存分に味わうのであった。こんな機会、そうそうないよなあ。

 新幹線のグリーン車内で意欲満々な私(生徒が撮影)。

京都駅に着くと近鉄の特急に乗り換え。一気に終点の橿原神宮前駅まで行く。
そこからバスで明日香村へと移動する。初日は明日香をレンタサイクルでサイクリングする予定なのだ。

スタート地点は石舞台古墳ということで、まずはみんなで見学。石舞台古墳は蘇我馬子の墓とされる古墳で、
もともと土で覆われていたのだが、その土が取り払われて石室が露出した状態となっている。
城の石垣をさんざん見慣れた自分には、遠くから眺めると正直「ふーん」どまりなのだが、中に入るとリアリティは段違い。
1400年ほど前に権力者のために造られた空間としての歴史を振り返り、その意義をしっかり味わう。

  
L: 石舞台古墳。巨大な石を大胆に組み上げてつくられた空間は、大雑把さと緻密さの絶妙なバランスに満ちている。
C: 入口。  R: 石室内部の様子。地上に出ている部分と比べると、地下部分はかなりきっちりしている印象である。

 石舞台古墳を裏側から眺めたところ。

石舞台古墳の見学を終えると、いよいよサイクリングがスタート。教員もレンタサイクルでチェックポイントへと向かう。
僕はチェックまで少し時間的な余裕があったので、あちこち見学しながら持ち場まで行ってみることにした。
まず最初は岡寺だ。地図を参考に石舞台古墳から移動したのだが、これがもう強烈な上り坂。
いくらパワフルな電動自転車でも炎天下での坂道はつらいのである。汗でビショビショになって到着。

岡寺には龍蓋寺という名前もあるのだが、強烈な坂道の上にあるので岡寺と呼ばれ、それが一般化している。
1612(慶長17)年に再建された仁王門が重要文化財だが、きれいに色を塗られているので、
近づかないとそれっぽさは味わえない。むしろ、1805(文化2)年に建立された本堂の方がわかりやすい。
山の中なので、敷地は狭い。そこに覆いかぶさるように軒を広げる本堂はかなりの存在感がある。
見上げていると、まるでこちらに襲いかかってくるような迫力があるのだ。とっても見事なのであった。

 
L: 岡寺の仁王門。正直、ここにたどり着くまでが本当に大変だった。炎天下で全身ずぶ濡れ状態。
R: 岡寺の本堂。境内も高低差があり、ヘロヘロになったところにコレ。疲れも吹っ飛びますわ。

岡寺を堪能した後は坂を一気に下って明日香村の中心部へ。中心部といっても村なので、住宅が集まっているだけ。
しかし見事な木造の古い住宅がいくつも残っており、ゆっくり歩けば楽しそうだ。ま、自転車で走り抜けたんだけどね。

 1964年竣工の明日香村役場。

道に迷って右往左往している生徒たちを尻目に、快調に飛ばして明日香の名所を撮っていく。
そのうちに生徒たちは僕を後についていくことで次の目的地にたどり着こうと、必死で追ってくるようになる。
まるっきり芥川龍之介の『蜘蛛の糸』気分で、のどかな田園地帯を爆走するのであった。

 板蓋宮(いたぶきのみや)跡とされる場所。蘇我入鹿はここで暗殺されたという。

明日香の名所旧跡を訪れるには何よりも想像力が必要である。592年から694年までの約100年間、
天皇でいえば推古天皇から持統天皇までの期間、日本の首都だった場所だ(天智天皇と天武天皇の期間除く)。
聖徳太子の活躍に大化の改新、そして壬申の乱といった半ば伝説となっている歴史的な時間が、
ここを舞台にして演じられていたのだ。その記憶を、想像力を頼りにほじくり返していくわけだ。
これはなかなかハードだが、しかし確かに刺激的な経験でもある。実に高度な冒険なのだ。

  
L: 山の中にいきなり出現する酒船石。本居宣長は醸造器具、手塚治虫は『三つ目がとおる』で薬の精製器具であるとした。
C: 誰だ、この貴重な石を切ったバカは!!  R: 飛鳥の里は辺り一面田んぼだらけ。これが日本の原風景なのかもしれない。

飛鳥寺で生徒の到着チェックをする。あまりに暑くて倒れそうで、自販機のメローイエローで水分と糖分を補給した。
メローイエローは今年に入って7年ぶりに復刻されたが、そんなに飲んだことはなかったので、味は覚えていなかった。
缶のデザインがとにかくノスタルジックなので(フォントが1980年代、昭和の丸っこいアルファベットなんだなあ)、
味に懐かしさを感じることはないんだけど、妙に穏やかな気分にさせられたのであった。面白いものだ。

さて飛鳥寺は、蘇我馬子が建てた日本最古の仏教寺院「法興寺」の流れを汲む寺である。
仏教賛成派の蘇我馬子が反対派の物部守屋を倒したことで、堂々と寺を建てられるようになったわけだが、
飛鳥寺はそうして建てられた日本の仏教の原点といえる場所なのだ。とんでもなく深い歴史が息づいている。
当時の仏教は外国からもたらされた最先端の文化であると同時に、国内文化にとっては脅威そのものだった。
仏教は多くの豊かなものをもたらしたが、中央集権体制と結びついた政治の道具という側面もあった。
1400年前、日本人はこの場所でひとつの大きな決断を下し、その結果として今の僕たちがいる。
そこまで考えると、明日香が本当にスリリングな場所であることがよくわかる。

  
L: 飛鳥寺。かつては壮大な伽藍の寺院だったそうだが、現在は田んぼの中にあるごくふつうのお寺といった印象。
C: 本堂。蘇我馬子が建てたときからこの場所が寺の中心のまま、現代に続いている。それってけっこうすごいことだ。
R: 撮影OKな飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像)。かなり補修されているようだが、独特な顔つきなど特徴はしっかり残っている。

飛鳥寺の境内を通り抜けると、そこにあるのは蘇我入鹿の首塚。さっきの伝板蓋宮跡からここまで首が飛んだとか。
田舎の路地の真ん中に石塔が建っているだけなのだが、ベテランの先生曰く、「昔はこんなにきれいじゃなかった」。

 
L: ポツンと田園風景の中にたたずんでいる蘇我入鹿の首塚。  R: クローズアップしてみた。諸行無常だなあ……。

飛鳥寺でのチェックが早めに交代となったので、その分ちょっと寄り道しながら次のチェックポイントに向かう。
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は岡寺ほどではないものの、山の中につくられてやはり敷地が狭い。
しかしその複雑な境内は、いかにもパワースポットらしい厳かな雰囲気が満載なのであった。

  
L: 飛鳥坐神社の入口。古い木造住宅が並ぶ街道っぽい雰囲気の道の奥、山の麓にある。
C: 拝殿。飛鳥坐神社は境内に高低差があり、うまく空間を演出している。  R: 境内の奥のほう。パワースポット感満載。

チェックポイントである甘樫丘(あまかしのおか)の展望台は、標高148mを一気に上っていった先にある。
マムシに注意という看板が出ている階段をグイグイ上るのだが、部活を引退した3年生どもはヘロヘロなのであった。
そうして悲鳴をあげながら展望台に到着すると、今度は歓声があがる。西から北にかけての絶景が飛び込んでくるのだ。


甘樫丘展望台からは大和三山が一望できる。左(西)から、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)・天香久山(あまのかぐやま)。

偶然、掃除に来た職員の方と話したのだが、展望台からの眺めを維持するために定期的に木を切っているそうだ。
正直なところ、僕は「丘の上なんてやることねーもんなー。MacBookAir持って来りゃよかったかなあ」と思っていたが、
いざ実際に甘樫丘に上ってみたら、あまりに景色が見事なので眺めていてまったく飽きることはなかった。
生徒たちも素直にその眺めに感動していた。日差しは厳しいが、丘の上には涼しい風が吹き抜けて本当に心地よい。
また、東から南には飛鳥時代に首都だった里が広がる。これもまた、穏やかで美しい眺めだった。
途中で喉が渇いて麓まで飲み物を買いに下りたが、甘樫丘の2往復は苦にならなかった。それだけの絶景だった。

  
L: 甘樫丘展望台の様子。とにかくいい風が吹いていた。  C: 東から南にかけての飛鳥の里を眺める。
R: 生徒に「ポーズをとって」とせがまれてそれに応える私。こういうバカ写真ばっかり撮っていましたスイマセン。

サイクリングを終えると多武峰(とうのみね)にある旅館へ。多武峰は近年道路事情が飛躍的に向上したそうで、
山の中をぐねぐね曲がりながら快調に進んですんなり到着。着いたらさっそく係会と風呂。そして晩ご飯。
旅館は何から何まで至れり尽くせりすぎるすさまじいサービスぶりで、名物の料理も究極的にゴージャス。
思わず自分の中学での修学旅行を思い出し、生徒の誰よりも多くおかわりしてしまった。おひつラブ。

 レクリエーションにて。札幌土産の「テレビ父さんTシャツ」大人気(旅館の従業員さんにも)。

しかしあまりにも晩ご飯が豪華だったせいか、サイクリングで疲れ果てた生徒たちの体力が急激に回復してしまい、
一晩中というわけではないのだけど、「寝ろ!」と指導を繰り返す夜となったのであった。ホント、これさえなけりゃね……。


2011.9.9 (Fri.)

修学旅行前日だってのに、しっちゃかめっちゃかで結局遅くまで学校に残ってしまった。
といっても、ウチの職場にしては遅い、という話なのでそれほど遅い時間までいたわけではないのだが、
前日にドタバタするというのはあまり気持ちのいいものではない。まあ自分のせいだからしょうがないんだけど。
しかしまあ、自分でも呆れてしまうほど見事に緊張感がない。いつもと変わらない時間がゆるゆると過ぎていく。
こんなんでいいのかなあ、といちおう思ってはみるのだが、気合が入らないものは入らないのだからしょうがない。
そんなわけで、まったくいつもと同じようにテキトーに過ごして寝るのであった。大丈夫だよな、オレ。


2011.9.8 (Thu.)

週末にはシード権決めリーグの2試合目があるのだが、僕は修学旅行に行くので指揮を執れないのである。
しょうがないので若手の数学の先生に監督代行をお願いしたのだが、対戦相手の先生が同期ということで、
いい意味でやる気を出してくれている。まあ僕としては、先生も生徒も試合を楽しんでくれればいいな、と思う。

かといってすべてを丸投げするわけにもいかない。その数学の先生はサッカーに関わった経験がまったくないので、
メンバー表の出し方や選手交代の手順、さらには今回の試合の作戦などをまとめておかないといけないのだ。
システムは4-2-3-1で前回と一緒、スタメンと代わりに入れるメンツについてコメントをして、
基本方針を示しつつも、先生がある程度自分の判断で試合をコントロールできるように準備をしておく。
そんな感じであれこれやっていたら、見学するつもりだったALTの授業を見逃してしまった。まいったまいった。

なでしこジャパンの五輪出場が決定したそうで。非常にめでたいニュースである。
疲労もあってか、なかなか評判どおりのパスサッカーはできなかったようだが、目標を達成したのはすばらしい。
来年の夏の大きな楽しみがひとつ増えた。本番に向けてしっかり準備してほしいもんだ。


2011.9.7 (Wed.)

修学旅行に向けて渋谷であれこれ買い物なのだ。といってもまったく大したものではなく、
下着やら靴下やらこまごまとしたものをそろえるだけ。で、チャーハン食って帰る。

修学旅行というのはそれまでの学校生活の集大成としての意味合いを持っているわけだが、
僕としてはふだんの授業の質を上げるのが今のところの課題なので、それほどテンションは高まっていない。
じゃあ生徒たちはどうなのかというと、本来ならテンションが上がってしかるべきだとは思うのだが、
正直それほど興奮しているようには感じていない。わりと、いつもどおりな感じなのである。
まあとりあえず、当日ヘンなことが起きなければいいので、まあいっか、と思っているのだが、はてさて。


2011.9.6 (Tue.)

注文していたFREITAGを受け取る。ついにREXを買ってしまった……。
最初はCLARK用にショルダーパッドを買ったり、臼杵で財布をなくしたからMIRANADAを買ったり、
その程度のつもりだったのである。でも、前々から興味のあったREXで好みの柄が出品されてしまったので、
一点モノは決断しないと後悔する!ということで買ってしまったのであった。REXは値段が高い分、
ほかのバッグと比べてネットでの回転が遅いのだ。だから好みの柄が出現する確率がほかよりずっと低いのだ。
今はドル安ユーロ安で相対的に猛烈な円高になっているわけだが、なぜかスイスフランだけは円安状態。
これはもうFREITAGファンへの嫌がらせなんじゃないかってくらいのスイスフラン高だったのだが、
バッグの柄は待ってくれないのである。だからもうしょうがないんですよ。許してくださいまし、お代官様。

 
L: というわけでREX。この柄はもう、行くしかないでしょう。ねえ?  R: 裏側はこんなん。

正直なところ、本当はもっと白い部分の多い柄にしたかった。炎天下の中で自転車をこぐことを考えると、
白い部分が多いほうが熱を吸収しなくていい、というわけだ。でも、この柄ならしょうがないのだ。

今回はREX以外にも上記のショルダーパッドやMIRANDAに加え、CHEYENNEも購入した。
CHEYENNEは旅行のときに便利そうなので。いつもビニール袋にこまごまとしたものを入れているのだが、
こっちのほうがオシャレでいいじゃん、と判断。調子がよければ将来的にもう1個買っちゃうかもしれんが、はてさて。

 
L: MIRANDA。今回、MIRANDAを2つ買って1個は実家に送った。この柄は実家セレクトである。
R: CHEYENNE。歯ブラシセットやレンズケアグッズを入れるのに使うつもりである。ちょっとデカい。

さっそくMIRANDAを持ち歩いてみたのだが……、思っていたよりも大きくて厚い。慣れるまで時間がかかりそうだ。

さて、今夜はサッカーW杯・アジア3次予選のウズベキスタン戦。
ウズベキスタンはアジアカップで攻撃的なサッカーを展開して4位に入っている、手強いチームである。
そことアウェイで戦うということで、厳しい戦いになることが予想されている。

先制したのはウズベキスタン。ゴール前の混戦からきれいに決められた。これは相手を褒めるべきゴールだろう。
アウェイで相手にリードされるという不利な状況となった日本だが、やはり今日もどこか落ち着きが感じられる。
しかしウズベキスタンはきっちり強い。ピッチ状態は悪いらしいが、確実なテクニックでボールを扱っている。
ザッケローニは長谷部を本田に代わるトップ下として起用したが見事に不発で、後半から清武を投入。
すごいすごいとは聞いていたが、清武の実力は本物だ。ボールをしっかりキープできるし、切り込むタイミングがいい。
リズムをつくった日本は内田のクロスをファーの岡崎がヘッドで滑り込んで合わせて同点に追いつく。
やはり今の日本代表には、そう簡単に負けることのないしぶとさというか貫禄が感じられる。さすがだ、と思う。
そしてそのまま1-1で引き分け。客観的にみれば、後半は見応えのあるいいゲームだったと思う。
アウェイで勝ち点を得ることができたのだから、十分及第点だ。ホームではぜひ勝ちきってほしいものだ。


2011.9.5 (Mon.)

昨日の試合ではダメダメな場面が多かったが、今日の練習ではその経験が生きていたのか、
わりと動きのいいミニゲームができたのであった。これを毎回継続できるようにならないといけない。
中学生くらいの部活だと、とにかくひたすらテクニックを磨く練習をすることが多いと思うが、
もちろんそれはめちゃくちゃ重要なことなんだけど、実際の試合ではそれだけでは太刀打ちできないと考えている。
僕が重視しているのはパスコースをつくる判断の速さで、つまり頭を使ってプレーする部分にこだわっている。

近所の小学校での練習を見ると、どうもテクニック方面に偏っているように思える。
おかげでうちの学校に来る連中は、つまらないドリブルをしてはボールを失うクセがついた状態で入ってくる。
しかも右足でしかボールをマトモに蹴れない。日本の小学生のサッカーは、あまりにも頭を使わなすぎると思う。
考えてみれば僕がサッカー部顧問になったときの3年生連中は、体も強いしテクニックもあったのだが、
なぜか試合になると弱かった。肝心なはずの、チームの基本的な戦術・方向性というものが完全に欠如していたのだ。
だからその反省を生かし、チーム全体をどう動かすかを考えながら個人がプレーすることを植え付けようとしている。
でもそれをやりきるだけの指導の実力はまだないし、生徒の止める・蹴るといった基本スキルを上げるノウハウもないしで、
なかなか効率よくやれていないのが現状なのである。まずは自分が賢くならないといけないのだ。がんばるのだ。


2011.9.4 (Sun.)

9月の週末は新人戦のシード権決めをするのでサッカー漬けなのである。で、本日はそのリーグ戦の1試合目。
相手は私立の強豪ということで、マツシマ監督はあえて部員全員に中学生の試合というものを経験させることを選択。
前半はある程度マジで勝負をしつつ、後半からはひたすら経験を積ませるという割り切った采配をすることにした。
強い相手に1年生をぶつけることで、どれくらいできないといけないかを知ってもらおう、というわけだ。

さて僕は、部員がウチ以上に多い相手もわりとユルくやってくるだろうと勝手に想像していたのだが、
スタメン見たらほぼベストメンバーでやんの。しかもこっちは試合勘不足でくだらない失点を連発するし。
終わってみたら0-11(前半4失点の後半7失点)という、見事に1年前に逆戻りしたスコアとなってしまった。

ただ、収穫がまったくなかったわけではない。2回ほどショートパスをきれいにつないで崩すシーンがあったのだが、
特にそのうち1回は、まるで全盛期の甲府のようなパスワークでまったく相手にボールを触らせないまま崩しきり、
相手GKと1対1の直前まで持ち込むことができた。これにはもう、監督なんだけど思わず見とれてしまった。
あとはこれをどれだけ数多くできるか、相手が強くてもやりきることができるか、だ。少し光明が見えてきた感じ。
大木サッカーへの道のりは果てしなく遠いが、間違っていないことがわかってうれしかった。


2011.9.3 (Sat.)

マサルが『すごい文房具』(→2010.12.2)の続編をつくるんだそうだ。そしてその中の企画のひとつとして、
筆箱のセンターを決める「OKB(お気に入りボールペン)48総選挙」を開催すると掲示板に書き込みがあった。
実際にメンバー(つまりボールペン)との握手(試し書き)会および投票を会社でやるのだそうだ。
ちょうど岡山在住のリョーシさんが上京するタイミングと合ったので、姉歯のみんなで参加することにした。

まずは大塚駅に僕とみやもり、リョーシさんが集合。そんでもってなでしこジャパンの話をしながらマサルの会社へ移動。
ちょうど僕らが着くころにマサルは迎えに出てくれて、さっそく会議室で握手会および投票に参加する。
机の上にはメーカー別(チーム別)にボールペンが並べられており、試し書きしながら上位5本を決めるのだ。
スピーカーにつながれたマサルのiPhoneからは、BGMとしてAKB48のシングル曲が延々と流されているのであった。

しかしまあ、いざいきなり48本のボールペンが置かれて「さあどうぞ」となると、これはけっこう難しい。
よほど特徴のあるものでない限り、いちいち違いを覚えていられるわけがないのである。
もっとも、事務局(マサル)はその辺のこともきちんとわかっていて、どんな基準で選んでも自由!としてくれている。
アイドルの好みなんて人それぞれだし、ペンの好みも人それぞれ。それでまったく構わないのだ。
こういうことには妙に几帳面なわれわれ、3人ともひとつひとつバカ丁寧に確認していくのであった。

途中で中間発表があったので、ほかのお客さんたちと一緒にそれを聞いて参考にさせてもらう。
事務局ではあらかじめAKBの総選挙上位の顔写真をコピーで用意しており、その順位に応じてペンを紹介。
OKB48総合プロデューサーの古川さんのわかりやすい解説にマサルのダジャレが炸裂する紹介ぶりで、
それだけでもかなり面白かった。ネタバレ防止ということで詳しく書けないのが非常に残念である。

  
L: 中間発表。隈取Tシャツのマサルが進行し、総合プロデューサーの古川さんが解説。古川さんは放送作家さんです。
C: AKB48のメンバーの顔写真を使って順位発表。こういう細かいところに凝るのって本当に面白いですなあ。
R: 今回、総選挙に参加したOKB48のメンバーたち。シールの色分けはそれぞれの所属するチームを表しております。

  
L: マジメな性格のリョーシさんはきっちり1本ずつ書き味を確認しながら推しペンを選んでいた。
C: それほどスキモノではないみやもりは困惑気味。それでもきちんと自分なりの価値観で上位5本を選んだよ。
R: 後になってから投票に参加したニシマッキー。みんな根がマジメなので、すごく真剣に取り組んだとさ。

ちなみに僕は、硬い机などで下敷きを使わずにふつうのボールペンで書くと字がゆがむのが、かなり嫌いなのである。
だからボールペンという筆記具じたいがあまり好きではない。やはり筆跡ができるだけ思いどおりになる筆記具がいい。
そういうわけで、今回はゲルインクで安価なものに絞って選んだ(ニシマッキーは僕とまったく逆で、ゲルインクは排除した)。
僕の場合、1位はいつも使っているパイロット(チームP)「ハイテックC」。特にラバー軸の0.4mmが好みである。
2位が三菱鉛筆(チームM)「ユニボール シグノ」で、3位がステッドラー(チームW)「トリプラス ローラー」。
4位はぺんてる(チームPII)「ハイブリッド EK105」で、5位はサクラクレパス(チームE)「ボールサイン 80」となった。

総選挙が終わったタイミングでニシマッキーが登場。でも会議室が使えるので、そのままニシマッキーも投票。
リョーシさんは用事で中抜けしたのだが、みやもり・マサルと4人であれこれダベって過ごすのであった。
話題はもっぱら本家のAKB48について。マサルはこのイベントのために猛勉強したそうで、いろいろ教えてくれた。
資料ということで写真集が置かれていたので、それをみんなで回し読みして顔と名前を一致させる。
まあ僕の結論としては、「こじはる一択だろ」。ほかの皆さんの間では大島優子の評判がいいようだ。

リョーシさんが戻ってきてえんだうさんも合流したときには、すっかり「部室の飲み会」という雰囲気になってしまった。
まあそれはずいぶんと懐かしい感触で、久々の感覚に感動すら覚えてしまうほど面白かった。
やっぱり姉歯祭りはどんな形になっても楽しい。ひたすらダベるだけでもとびっきりに楽しい。
あまりに楽しくて調子がよくなってしまった僕は、山手線を五反田まで寝過ごしてしまったのであった。
結局、終電にかなり近い電車に乗って無事に家までたどり着くことはできたが、けっこう焦った。でもまあ、よかったよかった。


2011.9.2 (Fri.)

今日から授業ということで、さっそく小ネタを用意して臨む。あらかじめデジカメの写真を印刷しておき、
「I went to the USA.」と言って生徒を驚かせ、取り出すのは宇佐駅の駅名標の写真。「USAには違いないじゃん」
別にこれがやりたいから九州に行ったわけではないのだが、生徒のずっこけぶりは予想以上に快感なのであった。

夜はサッカーW杯・アジア3次予選の北朝鮮戦をテレビで見る。地デジでサッカー中継を見るのは初めてだ。
当然だが14インチのテレビデオに比べると非常に鮮明で見やすい。24インチなのでまだまだという感じもするが。

本田がケガしてザッケローニはどう対処するか、という試合だったが、代わって先発した柏木は評価の難しい出来。
連動してチャンスはしっかりつくっているのだが、いざシュートになると急にクオリティが落ちて頼れなくなる。
日本はよく攻めておりバーに嫌われるシーンがかなり目立ったが、やはり最後のところでの精度の不足は、
まだ解決できていない課題ということか。試合は日本が圧倒的に押しながらも0-0のまま続いていく。
そんな中で光ったのがキャプテン長谷部のプレーで、そのドリブルの迫力には液晶越しでも鳥肌が立つほど。
そして最後の最後、5分というホーム(日本)寄りの長いロスタイムにCKを得た日本は、
ショートコーナーからのクロスで吉田がヘッドを決めてみせる。その姿にはどこか貫禄を感じた。
今の日本はかつてとは比べ物にならないほど強くなっている。粘り強さというか決めきる力というか、
アジアではひとつ抜きん出た存在となったことを示すような落ち着きと自信が感じられるチームになっている。
その一番の理由は海外組が増えたことであると思う。ヨーロッパ基準が日本の中に定着しており、
90分間の流れを考慮してのプレーができているように思える。苦戦だったが、着実な成長が感じられる試合だった。


2011.9.1 (Thu.)

いよいよ本日から新学期である。本格的に授業が始まるのは明日なのだが、それでも準備やテストの採点、
さらに会議や各種雑務が一気に襲ってきてフラフラになってしまった。昨日とはまったく別の世界に来た感じ。
とにかくやらなくちゃいけないことが次から次へと舞い込んでくるので、うまく優先順位をつけないといけない。
その優先順位が正しいのか正しくないのか確認するヒマもなく、また次の課題が舞い込んでくる。しっちゃかめっちゃか。
明日からは授業がこれに加わるわけで、きちんとやっていけるのか不安になってしまった。なんとかなりませんかなー!


diary 2011.8.

diary 2011

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