diary 2010.12.

diary 2011.1.


2010.12.31 (Fri.)

実家に帰省するたびに行っている気がする土岐のアウトレットへゴーである。
靴が気になる潤平はいいだろうけど、僕には欲しいものがない。でもまあ、おとなしくついていく。
潤平の運転で高速道路を使って土岐を目指す。恵那山トンネルを抜けると雪景色になっていて、
まさに山ひとつ越えると天気が変わる典型を味わったのであった。今回は特に酔うこともなく無事到着。

ブランチということでうどんを食い、さらにたこ焼きを家族4人で分け合う。
栄養補給も終わって落ち着いたところで各自それぞれ見たいものを見る……が、僕にはそれがないので父親にくっつく。
父親と潤平はあれこれ靴の話をしながら見てまわるのだが、いい歳こいた僕は全然ついていけないのであった。
その後、1週間ほど前にいつも使っている時計をなくしたことを思い出し(本当にいいかげんだなあオレ)、
いい機会なので新しい時計を買うことに決定。個人的にはチタン製の落ち着いたデザインであればそれでいいので、
潤平の意見を採り入れて、セイコーの黒い文字盤のものを購入。いやいや実にいい時計だ。よかったよかった。

昼過ぎに家に戻って、ひとりテレビでやってた高校サッカーの松商×野洲戦を見る。
相手は野洲だしこっちは松商だしということでまったく期待しないで見ていたのだが、なんと松商が先制。
その後もカウンターが冴えた松商がリードしては野洲が差を詰めるという信じられない展開となった。
松商は8番のドリブルが効いていて、そこに複数の選手が飛び込むという攻撃の連動性ができており、
若い野洲はそれに対処しきれない場面が目立った。対する野洲はミドルを中心にプライドを見せてくる。
何がもうどうしちゃったのか、松商は野洲から5点を奪ってしまう。しかし選手交代でリズムをつくった野洲は、
後半ロスタイムに追いついて5-5でPK戦に持ち込む。ただ、ロスタイムの4分という長さには作為というか、
優勝候補をここで消すわけにはいかないという審判の思惑が感じられた。常識ではロスタイム2分で松商逃げ切りのはず。
そしてPK戦も失敗ありナイスセーブありで5人で終わらず、なんと途中でテレビ中継がサヨナラしてしまう珍事が発生。
CM明けのニュースで「松商がPK戦の末に敗れました」と無惨に告げられてずっこけるのであった。衝撃的な年末だ。

夜はMacBookAirで日記を書きつつテレビ番組をザッピングして過ごす。
それにしてもNHKは、紅白歌合戦で他局の番組のネタを連発して恥ずかしくないのかと思う。
どさくさにまぎれて民放のネタで視聴率を稼ごうなんて、どういう神経をしているのか理解ができない。
民放の側も許可を出さなきゃいいのに。いったいどういうカラクリになっているのやら。
かといってテレ朝の池上彰にしても、暗い話題ばかりで見ているこっちがブルーになる。困った年末である。


2010.12.30 (Thu.)

欲張って長野県の市役所めぐりをしながら実家に帰ってもよかったのだが、天気予報によると雪のようで、
それなら無理をすることはないや、と割り切って素直に中央本線を乗り継いで帰ることにした。
甲府の辺りまではいつもどおりの風景だったのだが、そこから西へと進んで標高が高くなってくると見事に雪景色。
下諏訪で飯田線の豊橋行きに乗り換えたのだが、寒くてたまらない。やっぱり長野県は寒いのだ。

伊那市駅で家族と合流。そのままベルディでピザをいただく。
今回はそれを見越して軽めのメシしか食っていなかったので、いつもよりは余裕を持って食べることができた。
伊那から飯田に帰る時間には雪もほとんど降らなくなっており、予想していたよりもスムーズに帰る。

さて、久しぶりに実家に帰って驚いたのは、テレビが地デジに対応して新しくなっていたことだ。
何インチなのか僕にはよくわからないのだが、画面は非常に鮮明。録画もハードディスクでこれまた鮮明。
僕はいまだに14インチのブラウン管(しかもビデオは故障中)でがんばっているのだが、
こうしてじっくりと地デジを体験させられちゃうとかなりショックである。世間から置いてけぼりになっていると実感。
「見たいテレビなんてないからいいや」なんて言っていたのだが、ううむ、これには参った。


2010.12.29 (Wed.)

本日は姉歯祭りで忘年会なのである。HQSのOB会のとき(→2010.11.20)の「カラオケやりてえ」のリベンジ。
いつものことながら直前まで誰も動かない状態で、メールのやりとりの結果、高田馬場13時集合に決定。
体調がすぐれない僕としては午後スタートでかえって助かった感じである。ニンともカンともである。

高田馬場駅に着いたところで所持金が全然ないことに気がついた。遅刻のマサルを除く全員がそろったところで、
近くの郵便局まで行ってもらうことにする。さっそくニシマッキーがレグザフォンを取り出して検索。
最近の文明の利器は音声で入力ができるようで、「高田馬場 郵便局」としゃべれば地図が出るのだ。
高田馬場周辺にはいくつか郵便局があり、その中のひとつに行って無事に金をおろすことができた。
向かいにある点字図書館はファサードにチェーンを垂らしていて、なんだか「日本ドレッドヘア博物館」って感じだった。

さて国立で青春時代を過ごしたわれわれ、高田馬場でもスタ丼を食おう!ということになる。
それでスタ丼の店を目指して歩いていったのだが、なんと早くも年末年始の休業中。ふざけんな、と一同憤慨。
そしたら「スタミナ丼」と書かれた別の店の看板を発見したので、そっちでガマンすることにする。
店に入って席に着くと、さっそくMacBookAirのお披露目会のスタートである。
「エアーだけに」とパソコンを取り出すふりをするお約束のボケをかました後に本物を取り出して見せる。
皆さん薄さと軽さに驚いていたが、まあMacってことで、買うにはちょっとハードルがある感じ。いたしかたないか。

スタ丼というよりは豚丼なお昼をいただくと、マサルと合流。さっそくカラオケ屋に直行する。
風邪引きの僕は熱は抜けたのだがその分だけのどの状態が悪化しており、マトモに声が出ない。でもカラオケ行っちゃう。
このメンツでカラオケは久々ということで、皆さんそれぞれお決まりのレパートリーよりは新ネタを中心にセレクト。
えんだうさんは誰からも頼まれていないのに一人ものまねに挑戦し続け、マサルはAKB48のセクシーPVで盛り上がる。
僕は僕で、声が壊れているからという理由で『ダンシング・オールナイト』を歌うのであった。
そしたら「その声はもんたよしのりじゃなくて森進一やん!」とマサルからツッコミが入り、
以後、ものまね王座決定戦の定番ものまねを強制し合うという泥仕合がしばらく展開されたのであった。ひどかった。
しかし器用なマサルはそんな状況下で「瀬川瑛子のものまねでKARAを歌う」という新ネタを見事に開発し、
参加者全員を笑い死に寸前に追い込むという活躍をみせた。鉄板ネタが増えてよかったね。

  
L: AKB48を熱唱するマサル。やっぱお前、AKB大好きじゃん。「板野と篠田がええんよ」
C: 新ネタ・瀬川瑛子のものまねでKARAを歌うマサル。「会社の忘年会に間に合わんかったのが悔しいわ~」  R: お大尽。

声が思うように出ないつらい状況だったのだが、どうにか無事に乗り切った。いろいろ歌えてよかったよかった。
久々のカラオケにおのおの満足して店を出る。さあ次はどうしようか、と相談していると、マサルから提案。
「ぼくはどうしても神田のガールズ居酒屋が気になるんよ!」しかし一同、あまり乗り気ではない。
するとマサルは勝手に店に電話をかけて予約。そんなに行きたいんならいいよ、一緒に行くよ、と神田に移動。

神田駅は碁盤目の街に対してきれいに45°の角度で面しているので非常にややこしい。
軽く迷いつつも目的の店を発見。その店は、女の子がカモフラのアーミーファッションをしているのが特徴らしい。
おそるおそる中に入るととりあえず各自酒を注文し、様子をうかがいつつメニューを観察。
品数がふつうの居酒屋よりも少ない点が気になる。あとは女の子がいろいろしてくれるメニューがいくつか。
マサルは戸惑いを隠さない僕らに対してノリが悪いんよ!となじりつつガールズメニューを次々に注文。
掛け声と手拍子に合わせてサラダにチーズを振りかけてくれたりチュロスを両側から食べてくれたり
(マサルの)おでこでゆで卵を割ってくれたりバナナをセクシーに食べてくれたり、まあそんな具合で、
マサルはすべてのガールズメニューを制覇。われわれはただ、呆気にとられて眺めているだけでしたなー。
まあなんつーか、おっさんのノリだなあ……と思うしかないわれわれなのであった。

ガールズ居酒屋の後はふつうの居酒屋に入る。えんだうさんが明日開催される大喜利イベントに出るそうで、
本人の希望でその練習をみんなでやることになるのであった。ホントにひたすらそればっかやって過ごしたなあ。
やっていて面白かったのは、それぞれにみんなクセというかタイプがあるということ。
ニシマッキーなんかは非常に粘り強くて打率が高い。僕は一瞬のひらめきが勝負で、ホントに瞬発力だけ。
みやもりはネタを考えないわけではないのだが、「灰皿にテキーラを……」と言い出して締めてしまう。
ギャグを考えるスタイルは本当に人それぞれだなあ、と実感したのであった。


2010.12.28 (Tue.)

どうにか出勤して『ハートで感じる英文法』(→2005.12.272010.11.8)のDVDを見て過ごす。
冬休みはまとまった時間のとれるいいチャンスなので猛勉強というわけなのだ。
午後の部活は拡声器を使って指示を出す。が、生徒にはめちゃくちゃ聞き取りづらかったらしく、みんな生返事。
今年最後の部活がこんなんでいいのだろうかと思うのだが、どうしょうもないのでそのままやりきるのであった。

これで本年は仕事納め。終わってもまだ年末という感覚がないし、体調面がそれどころではない。


2010.12.27 (Mon.)

昨日引いた風邪をひきずって、休みをもらって一日中寝ていたとさ。振り返ってみるとけっこうキツかったなあ。


2010.12.26 (Sun.)

あ、そうだ。12月なんだし、青春18きっぷを使って日帰りでどっか行くか。
というわけで、どうせ年末年始に帰省する際には青春18きっぷを使う方がお得だから、
そのついでってことで軽く遠出することにしたのだ。日帰りなので、行き先は関東に絞られる。
関東で、行ってみたいところ……。うーん、真田家聖地巡礼ってことで、沼田はどうだろう。
わりとすんなり結論が出たので、早起きしていざ出発。

●05:27 大岡山-05:35 目黒

寝起きでボケッとしていると逆方向の電車に乗っちゃうので、目黒では注意が必要だ。
今回は無事に池袋方面の電車に乗り込むことができた。って、小学生かオレは。

●05:44 目黒-06:05 池袋

池袋でいったん埼京線に乗り換える。ネットで検索をかけたとおりに動いているのだが、
ここで直接、高崎線に乗るという結果が出ない理由がよくわからん。よくわからんけど、
僕は鉄っちゃんではないので失敗したら取り返しのつかない事態になるので、言われたとおりにするのみ。

●06:11 池袋-06:20 赤羽

赤羽で高崎線に乗る。ここからはしばらくのんびりできる感じ。コンビニで買っておいた朝メシをいただく。

●06:26 赤羽-08:02 高崎

高崎に着いてまず最初にやることといったら、非常食としてだるま弁当を買うことだ!
おかげでFREITAGがムダに膨らむのだが、田舎はいつメシを食えるチャンスがあるか意外とわからんのよ。

●08:24 高崎-09:11 沼田

1本前の列車に乗るように検索結果は出たんだけど、それは新前橋止まりなのであった。
新前橋のホームで風に吹かれて過ごすのは寒くてイヤだったので、1本遅い水上行きに勇気を出して乗った。
そしたらそれで正解で、無事に沼田駅に降りることができたのであった。いやー、よかったよかった。

沼田駅を訪れるのは大学時代以来だ。夏合宿を片品村で敢行したのだが、その際の下見で訪れた。
僕の記憶では沼田駅からバスに乗り、いかにも村で唯一といった感じの食料品店兼雑貨店の前で降りた気がする。
最寄りのコンビニまではあっちが2kmでこっちが5kmという宿の方の発言にマサルがたまげていたっけ。
とはいえ田舎になると市街地よりも国道沿いの方が、コンビニ遭遇率は上がるのだ。
沼田駅の改札を抜けるとそこにはロータリーがあるだけ。だるま弁当を買っておいて正解、と思うのであった。

 沼田駅はかなり派手に工事中なのであった。

駅にある地図を見て、駅と沼田市街との位置関係を把握する。駅からそのまま歩いていけばいいようだが、
いざロータリーを越えると目の前に現れたのは上り坂、そして緑に包まれた崖。これを上っていくということなのだ。
西側には利根川が流れているが、沼田市街はこの河岸段丘のてっぺんにある。駅はちょうどその麓にあるのだ。
わが故郷・飯田市と飯田線の場合、田切地形を避けるようにしてオメガカーヴがつくられているのだが、
信越線では川沿いに一気に走ることを選択したようで、その結果、沼田駅利用者は坂道を上り下りするのである。

  
L: 沼田駅前はこんな感じ。最初は緩やかだが、だんだんと容赦のない角度になっていく。
C: 坂の途中には歩行者用のショートカット階段がある。これを使う生活ってのもなかなかすごいもんだ。
R: 中はこんなふうになっている。しかしこうやって市街地まで行くってのは初めてだ。

坂道をトボトボ上りつつ、高校時代にタツ坂で座光寺を往復した日々を思い出すのであった。
丘の上の城下町、そして川沿いに国道のある街ということで、なんとなく沼田に親近感を覚えたよ。

さて階段を上りきると住宅地に出る。知らない土地の住宅地ほど厄介なものはない。
とりあえず方角で当たりをつけて、広い道の匂いがする方を目指す。そしたら大きな商業施設があった。
まだ10時前なのでシャッターが下りているが、後でちょっと寄ってみることにしようと思う。
とりあえずは、テキトーに街中を歩きながら沼田市役所を目指してみることにした。

 
L: 沼田の街にそびえるグリーンベル21。外見は立派だが……。  R: 沼田市街。商店街というほどのものはない感じ。

沼田市役所を目指す途中、冠木門が目に入ったので近づいてみると、そこは沼田小学校だった。
冠木門をくぐるとすぐ左手に「大手門跡」という案内板が出ていた。右手には「外堀跡」の石碑。
堀が埋め立てられたせいでわかりづらいが、ここはちょうど沼田城と城下の境界にあたる場所のようだ。
城跡に小学校ということで、ますます沼田に親近感が湧く(飯田の追手町小学校も三の丸跡にある →2006.8.13)。

沼田市役所は小学校からほど近い場所にあった。デザインから考えて昭和30年代とみて間違いないだろう。
外壁がところどころはがれており、素人目にも老朽化が深刻であることがわかる。
でもどうせ建て替える金なんてないに決まっているので、どうにかごまかして使い続けているのだろう。

  
L: 城下町の誇りを感じさせる沼田小学校の冠木門。中に入ると沼田城の大手門跡、外堀跡の石碑がある。
C: 沼田市役所。  R: 角度を変えて眺める。老朽化が大変厳しそうだ。

市役所の撮影を終えた後も市街地をふらふら歩いて過ごす。しかし沼田の街にはこれといった名所がなく、
街の雰囲気はつかめるものの、「見に来てよかった!」と思わされるような感触は得られないのであった。
そんな中で目についたものをいくつか写真で紹介してみることにする。

  
L: 利根農林高校(現・利根実業高等学校)の同窓会館(たぶん現役で使用されてはいない)。なかなか面白い。
C: 街なか天狗プラザ。中には高さ4.3mの天狗の面が収められている。この天狗のお面を収納する専門の建物ですな。
R: 須賀神社の拝殿。住宅街の中にあるのだが、けっこう立派で驚いた。さすがは沼田でいちばんの祭りを行う神社だ。

沼田では須賀神社の大祭として、毎年8月に沼田祇園祭(通称「おぎょん」)というお祭りが行われる。
その際に、約200人の若い女性によって天狗のお面の神輿が担がれるというのだ。
なかなか特徴的なことをやっているものだと思う。街なか天狗プラザに納められているのはその実物である。

須賀神社の拝殿がなかなか見事だったので、ぐるっと一周して眺めてみようと思ったら、
野良猫の子どもが2匹、縁の下の入口でひなたぼっこをしていた。目やにがひどく、炎症を起こしているようだ。
かわいいなあ、どうにかできねえかなあ、と思って近づいてみたら、警戒して逃げてしまう。
うーんしょうがない、どうしょうもないわ、と悔しがりながら撮影。かわいいだけに残念だったなあ。

 須賀神社の縁の下にいた子猫。か、かわいい! なんとかしてあげたかった……。

10時を過ぎたので、さっきのグリーンベル21に入ってみた。中心市街地のデパートってのは、
全国どこの地方都市でも壊滅的な状況になっているのだが(行政が救済で事務所に使うのがよくあるパターン)、
沼田の場合はとりわけひどく、中をうろついていて、もう、いたたまれなくなってしまった。
市街地を歩いていても商店街というにはまとまりがなく、点在する各商店がただそれぞれに営業している感じ。
住宅は多く街を歩く人の姿も決して少なくはなかったので、買い物は郊外でするスタイルが定着しているのだろう。

最後に沼田城址の沼田公園に行ってみる。上述のように、沼田城といえば真田ファンにとって聖地なのだ。
真田家というと信州上田の大名というイメージが強いかもしれないが、実は上野国(今の群馬県)にも攻め込み、
ある程度の領地を持っていた。あの辺の山間地帯は長野県の中ではまだ「越えやすい場所」なのである。
(長野県人にとって基本的に、県境は「越えることのできない山」なのだ。だから県外には基本的に出ない。
 例外は千曲川沿いに新潟へ出る栄村、木曽川沿いに岐阜に出る木曽、山梨へ出る富士見町、
 そして群馬に接する上田~東信くらいなのだ。天竜川の県境周辺はというと、完全に秘境駅の世界である。)

沼田は戦国時代には武田・上杉・北条の3氏が争奪戦を繰り広げ、武田家が滅亡すると真田昌幸が領有。
真田昌幸は北条方の攻撃をしのぎにしのいでいたのだが、徳川家が勢力を広げると北条家との関係上、
真田領の沼田の扱いが政治的に難しくなってくる。徳川家としては関東の雄である北条家と問題を起こしたくない。
でも自分たちのすぐ目の前で、小大名の真田家が北条家とやりあっているわけで、これは困る。
どうしても沼田が欲しい北条家をなだめるべく、徳川家は沼田を譲るように迫るが、真田昌幸はこれを拒否。
それで徳川軍が真田家の本拠地・上田に攻め込んで第一次上田合戦が勃発するわけだ(→2010.3.13)。
真田昌幸は地の利を生かして徳川の大軍を少数で破り、一躍全国にその名を轟かせることになる。

江戸時代になると沼田は独立した藩になる。しかし真田本家に対抗しようとした分家の当主がポカをやらかし、改易。
その後は天領になったり藩に戻ったり、最終的に沼田城址は土地を購入した旧沼田藩士が整備して公園となった。
実際に沼田城址を訪れてみて驚いたのは、本丸の端っこがちょっとした動物園のようになっていたことだ。
城跡の近くに動物園というのは珍しくないが、本丸跡にもってきているのは初めて見た。

  
L: 沼田城址入口。近く駅伝大会があるのか、高校生くらいの学生たちが必死で走りまわっていたのであった。
C: 沼田城本丸跡。なかなかきれいに整備されている。  R: 天守台というか櫓の跡。今はただの小高い場所。

 
L: 本丸跡なのに動物のオリがあった。  R: 重要文化財の旧生方家住宅。生方家は沼田藩御用達の薬種商だったそうだ。

沼田の街も沼田城址も実際に訪れてみると、まったくといっていいほど真田色がない。
「六文銭」という小さい居酒屋と、公園入口に「上州真田の里」というアーチがあったくらいで、
あとは全然なのである。真田ファンとしては非常に残念な事態である。もうちょいどうにかならんか。

のんびりしていたら時間がなくなってしまい、沼田城址から一気に坂を下って駅まで戻る破目になってしまった。
が、焦って坂を下るポイントを間違えた。おかげでかなり北側に流された状態で麓まで下りたのであった。
(坂道は崖に向かってまっすぐにつくられてはいない。崖の外縁をカーヴしながら上り下りするようにつくられている。)
さっきの駅伝連中よりも速いスピードで必死で駅を目指す。腕時計を見ると、列車が出るまで3分を切っている。
しかし思いのほか駅から離れた位置に流されており、もう途中であきらめてしまった。むくれながら駅の中に入る。
そしたらなんと列車は遅れており、目的の列車がホームに入ってくる頃には僕の呼吸はすっかり元に戻っていたのであった。

●10:51 沼田-11:11 渋川(実際には5分ほど遅れ)

せっかくなので、渋川市にも寄ってみることにした。渋川は群馬県の中心部から沼田への中継地点であるが、
なんといっても草津温泉や伊香保温泉などの温泉地への玄関口として機能している街である。
バスか何かで伊香保温泉に浸かって水沢うどん、というのも悪くないが、それは一人旅には向かないプランだ。
おとなしく市街地を歩いて市役所を撮影する程度に留めることにする。

 
L: 渋川駅はけっこう新しくて立派。乗降客も多く、温泉に向かう観光客の利用がけっこうありそうなのであった。
R: 市役所へ向けて歩きだす。道幅は広いが落ち着いており、渋川の市街地は完全に車社会に適応していた。

渋川は道幅が広い。そして道の両側に商店は少なく、住宅が多い。これはちょっと独特な感覚がする。
まあつまり、群馬の数ある温泉地への通過点として割り切っている街ということなのだろう。
住宅が多いおかげで中心市街地の空洞化を直に感じることもない。穏やかに暮らし続けている雰囲気が漂う。

さてそんな住宅地を抜けて渋川市役所に到着。渋川市役所の敷地はなかなか特徴的で、
住宅地の中にはっきりと四角く存在しているのだ。北から道が通って市役所にアクセスするのだが、
庁舎は四角い敷地の西側に寄っており、東側は駐車場となっている。撮影が非常にしやすいありがたいタイプだ。

  
L: 渋川市役所の敷地に入ったところ。西半分に庁舎群、東半分が駐車場と見事に利用が分かれている。
C: 市役所を正面から眺める。  R: 渋川市役所は1966年竣工とのこと。まあ、当時らしい造形ですなあ。

あまりに渋川の街の雰囲気が穏やかなので、刺激を求めて帰りは別のルートで駅まで戻る。
すると道幅は狭いが商業施設のある通りに出た。全盛期に比べれば規模は縮小しているのだろうが、
それでもそれなりにけっこう繁盛しているようだ。温泉という観光資源がもたらす余裕なのだろうか、
渋川の街にはやっぱり、言葉では説明しづらい不思議な落ち着きがある。

駅に戻ると、昼だし時間的な余裕があるしということで、買っておいただるま弁当をいただくことにする。
なんだかんだでだるま弁当はけっこう食っている気がする。さすがにこんにゃくが旨いんだよなあ。

 
L: だるまのプラケースは意外とかさばる。  R: 中身を記念撮影。沼田で走ったせいでちょっとズレてしまったではないか。

食べ終わって満足した状態で列車に乗り込む。だるま弁当を食べ終えてから高崎に戻って街歩きってのも、
なんか倒錯した感じがするけど気にしない。というわけで次の目的地は高崎なのだ。

●12:19 渋川-12:44 高崎

高崎には前にも来たことがあるのだが(→2005.11.12)、そのときは県庁めぐりの前橋のついでといった感じで、
本格的に街歩きをしようとするのは実質初めてである。実際に高崎を訪れると、駅前がかなり立派なこともあり、
ハテ前橋とどっちが県庁所在地だっけ?ということになってしまいがちである。高崎は交通の要衝であり、
群馬の商業の中心都市なのである。上毛かるたでは「関東と信越つなぐ高崎市」となっているそうだ。

高崎は中山道の宿場町であるとともに、高崎城の城下町でもある。駅から市役所方面へと向かうと、
今もその名残があるのを目にすることができる。市役所は高崎城の旧三の丸跡に建っているので、
途中で堀と土塁の跡を通ることになるのだ。街の真ん中に現れるので、なかなかインパクトがある。

  
L: 高崎駅。前橋駅と比べると(→2005.11.12)、高崎の交通の要衝っぷり、商業都市っぷりをはっきり理解できる。
C: 高崎駅から市街地を歩いている途中で撮影。高崎市役所が周囲のビルとは段違いの威容を誇っている。
R: 高崎市役所の手前に現れる高崎城の堀と土塁跡。残っている部分を大切にしているのがよくわかる。

現在の高崎市役所は1998年竣工。設計したのは久米設計。地上21階、地下2階、高さ102.5mということで、
県庁所在地の市役所を含めてもトップレベルの規模の市役所だ。前橋への対抗心が透けて見えるのは気のせいか。
最上階は定番の展望ロビーとレストラン。上州の空っ風が強烈な理由をその目で確かめることができる眺めのよさを誇る。
しばらく市役所前の広場を散策すると、展望ロビーから群馬の盆地を眺めてみることにする。

  
L: 高崎市役所。県庁所在地・前橋への対抗心がこの巨大な庁舎をつくらせたんだろうなあ、と思う。
C: 隣の議会とセットで再度撮影。クリスマス~年末ということでか、広場は飾り付けがなされていた。
R: 高崎市役所は高崎城の旧三の丸跡ということで、広場の端っこには今も土塁が残っているのだ。

エレベーターに乗って最上階の21階へ。思ったよりも人がおり、目の前に広がる景色を楽しんでいた。
東西両側に山が連なっており、盆地いっぱいに街が広がっている。長野県とちがって盆地には幅があり、
風が盆地を舐めるようにして吹き抜けていくであろうことが、もう一目見ただけでわかる。
真っ正面にはかつて旧高崎市役所があったという「もてなし広場」がぽっかりと広大なスペースを空けており、
手前では群馬音楽センターの特徴的な造形が景観に強いアクセントを与えている。面白い眺めである。

  
L: 高崎市役所の展望ロビーより北西を眺める。長野県との県境を構成する山々が並んでいる。
C: 正面には高崎城址で旧高崎市役所跡地のもてなし広場。この日はイベントを開催中なのであった。
R: 北東を眺めれば赤城山。高崎市から眺めると、かなりの存在感である。

  
L: 群馬音楽センターを見下ろす。  C: 西には妙義山を中心とする群馬県西部の奇妙な稜線が(→2010.3.13)。
R: 後で高崎市役所をさっきとは別の角度から見上げてみた。薄っぺらっ!

市役所の撮影を終えると、旧高崎城址周辺をあちこち歩いてみる。
まずは市役所からつながるように伸びる、高崎シティギャラリー。美術展示とホールの複合施設っぽい。
そしてなんといっても、群馬音楽センター。A.レーモンド設計の音楽ホールで、1961年に竣工。
DOCOMOMOにも選出されている有名な建築なのだ。ここを本拠地とする群馬交響楽団は、
地方の管弦楽団の草分けとなったそうで、言ってみれば「元祖・良いハコモノ」ということになるだろう。

  
L: 高崎シティギャラリー。まあつまり、すげえレベルの高い公民館ってところだろうか。
C: 群馬音楽センター。何かイベントを開催中らしく、残念ながら中には入れなかった。
R: 角度を変えて眺める。近づいてみると、青いサッシュがものすごくモダニズムなのだ。

もともと高崎城は「和田城」という名前だったが、徳川家康が関東に入った際、井伊直政がこの地に新たに城を築き、
街を「高崎」と名づけたそうだ。高崎城址にはかつての建造物もわずかながら残っている。東門と乾櫓で、
どちらも明治に入って農家に払い下げられたことで難を逃れ、移築復元がなされて今に至る。

 
L: 高崎城東門。  R: 乾櫓。これくらいしか往時の建造物は残っていないのが残念だ。

最後にもう一度ぐるっと高崎城址周辺を歩いてみて、気になったものをデジカメで撮影してみる。
もてなし広場の端っこには旧高崎市役所を描いた絵があったので、それをチェック。
また、竣工してあとはオープンを待つばかりの高崎市総合保健センターもチェック。

  
L: もてなし広場。右手に群馬音楽センター、その奥に高崎市役所が突っ立っているのが見える。
C: もてなし広場の位置にあった、旧高崎市役所の絵。ぜひ実物をこの目で見てみたかったなあ、と思う。
R: 高崎市総合保健センター。中核市になり保健所の業務が増えるのでつくったらしい。5階と6階は図書館なんだってさ。

高崎城址周辺を後にすると、中央銀座アーケード街を歩く。以前にも歩いてショックを受けたが(→2005.11.12)、
やっぱりひどい壊滅状態となっているのであった。特に映画館だった建物があからさまな廃墟として残されているのだが、
治安は大丈夫なのかと心配になってしまうくらいの雰囲気である。高崎城址周辺も悪くないけど、
この商店街をうまく巻き込むかたちで公共施設を整備できなかったものかと思う。工夫が足りないよ。

 中央銀座アーケード街。賑わっていたのは遠い昔のように感じる……。

高崎市内を歩きまわったら電車の時間なのだ。高崎駅に戻ると上信電鉄の改札を抜ける。
目的地は上野国一宮がある上州一ノ宮。券売機は小さい機械なのだが、そこで往復分を買う。けっこう高い。
買った後で富岡製糸場で有名な富岡市が途中にあったことを知る。気づいていれば寄るようにしたのだが、しょうがない。

 『銀河鉄道999』の車掌型顔ハメがお出迎え。

当たり前だが、JRと比べると上信電鉄の方はずいぶんとローカル色が強い。でもそれは決して悪いことではなく、
地元の観光資源を地道に紹介していくしぶとさがかなり感じられた。しかしでもまあ、運賃が高いのも印象に残っている。

●14:08 高崎-14:51 上州一ノ宮

高崎を出た電車は穏やかな農村地帯を徐々に上っていく。あまりに穏やかすぎて、途中で軽く寝てしまった。
思えばこれが発端だったような気がするのだが、そのときの僕にはそれに気づく余裕などあるわけなかった。

上州一ノ宮駅の駅舎はいかにも田舎のコミュニケーションの場、といった雰囲気のする小さな建物だった。
困ったことに駅周辺を示した地図などはなく、これは毎度おなじみ勘任せで歩くしかないかなと思いきや、
アスファルトにきちんと「貫前神社」という文字が矢印とともに書かれていたのであった。距離も書いてある。
そんなに頻繁に表示が出されているわけではないのだが、指示どおりに歩いていけば特に迷うことはない。
道はいかにも「群馬の田舎道」という印象で、緩い坂道の脇には店や住宅がチラチラ点在している。
前にHQS同期のみんなで嬬恋村の辺りを訪れたとき(→2007.5.3)と、すごくよく似た雰囲気がした。

  
L: 上州一ノ宮駅。いかにも田舎の私鉄の駅舎って印象がする。現在は無人駅となっている。
C: 一之宮貫前神社への参道。この坂を上っていった先の石段をさらに上っていくのだ。
R: 途中にあった建物。よく見るとなかなかタダモノではないモダンな雰囲気。物見櫓もあるしな。

トボトボと国道を西へ歩いていくと、目的の神社の参道が右手に現れる。さらなる上り坂となっている。
これを上がっていくとさらに石段。近所の高校の陸上部らしい集団がこの石段を利用してトレーニングしていた。
石段を上りきると、神社の総門が現れる。これが上野国一宮・一之宮貫前(ぬきさき)神社だ。
総門をくぐるとこの神社最大の特徴を目の当たりにする。それは、石段を下った先に楼門がある光景だ。
参道を下る神社といえば、元国立市民の僕はなんといっても谷保天満宮を思い出す(→2009.3.262009.11.3)。
谷保天は南にあった甲州街道が神社の北につけ替わったたことで下り宮になってしまった経緯があるのに対し、
こちらは上って上って最後に下らせる構造が昔から続いているようだ。一之宮貫前神社の創建は531年であり、
非常に古い歴史のある神社なのだ。どうして下り宮になっているのか、その辺の事情はよくわからない。

  
L: 坂道に石段を上ってたどり着く総門。ここをくぐると……  C: このように下りの石段となっているのだ。
R: 石段の途中で楼門を撮影してみた。これだけ激しくアップダウンさせる神社は本当に珍しい。

一之宮貫前神社の本殿・拝殿・楼門はそれぞれ国の重要文化財に指定されている。
これらの社殿はすべて1635(寛永12)年に徳川家光によって再建されたものだが、
言われてみるとなるほど確かに、かなり日光東照宮の匂い(→2008.12.14)がする。
楼門が近いので撮影しづらかったが、面白がりながらデジカメのシャッターを切るのであった。

  
L: 一之宮貫前神社の拝殿。見事に日光っぽい。  C: 角度を変えて撮影。
R: 二十二末社。群馬県内の主な神社に祀られている神様を一気に集めたそうだ。

お参りを終えると駅まで戻る。高崎駅までの間、急に疲れを感じてぐっすりと眠り込む。
高崎駅に戻ったところで急激な悪寒に襲われる。とにかく、ものすごく寒くてぞくぞくする。
高崎でメシでも食ってのんびり帰るべ、なんて考えていたのだが、とてもそれどころじゃない具合の悪さだ。
迷うことなくさっさと高崎線の上り列車に乗り込むと、こんこんと眠り続ける。

気がつけば赤羽に着いていた。電車を乗り換えたのだが、もう立っているのもつらいほど。
限界まで気力を振り絞ってどうにか帰宅することができたが、倒れるようにしてそのまま眠ることしかできなかった。


2010.12.25 (Sat.)

午前中の部活が終わるといったんメシを食いに出て、戻って読書。時間になったら生徒が来たので一緒に出発。
本日は生徒会の仕事なのである。都庁で行われるイベントに参加するので、僕がお目付役というわけなのだ。
男子1名、女子1名。人数が少ないうえに性格的にはどっちもおとなしいのであれこれうるさく注意することもない。
軽く雑談しつつ電車に揺られて新宿駅西口に到着。ちょろっと歩いて都庁へ。

都庁で行われたイベントについてのコメントはなし。ヘタに軽々しく批判を書くわけにはいかないので。

イベントが終わって1階に出ようと階段を降りていったら、カギがかかっていて扉を開くことができない。
どうやら土曜日ということで解錠しているのは必要最小限になっているらしい。これは実に腹立たしい事態だ。
ほかの大勢の中学生たちとともに地下駐車場まで迷いに迷って歩き、ようやくどうにか1階に出る。
ウチの生徒はちょっとした冒険気分を味わってポジティヴに捉えていたが、なんだか申し訳ないのであった。

その腹いせというわけではないが、まあせっかく都庁に来たわけだから、と45階の展望台に行ってみることにした。
個人的には景色を楽しむなら南展望台の方がいいかなと思っているのだが(→2010.9.11)、
まちがって北展望台に上がってしまったのでしょうがない。そっちでガマンすることにする。
案の定、中学生は景色そっちのけで博品館のおもちゃ売り場に夢中なのであった。うーん、お子様だなあ。
それでも夕暮れの中、輝きだす街の明かりと富士山のシルエットを楽しむことができたのでヨシとしよう。
その後は2階に置いてある日本全国の観光パンフレットや1階に置いてある東京の観光パンフレットに(僕が)興奮。
やっぱり伊豆諸島とか小笠原諸島とかのパンフレットがさらっと置いてあった日には興奮するしかないでしょう。
で、生徒は「先生はこういうところにデートに来るんですね」と言っていた。否定はしないが肯定できないこの悲しさ。

そんな具合に思う存分に都庁を堪能したせいで、帰りの予定が大幅に遅れてしまった。
半分は確かにオレのせいだが、それ以上に電車の接続が悪いのが原因だもんね。とはいえホントすいません。


2010.12.24 (Fri.)

本日は終業式なのであった。思いのほかあっさりと2学期が終わってしまったなあ。
その後はみんなで大掃除。途中で掃除機が壊れて大いに焦る。何もしてないのに!
お昼を食べた後はかねてよりの課題である机上整理を少しやる。いつまでたっても終わらない。
そのうちに飽きて帰省の計画を練ったり本を読んだりして過ごす。いきなり平和になると戸惑ってしまう。

家に戻るとMac版のDreamweaverをぶち込む作業を開始。Windows版とは細かいところが違う。
それが終わるとスカパラの国技館ライヴDVDを聴きつつMacBookAirで日記を書いてみる。
なんつーか、もう、やっていることがあまりにオシャレに思えて自分で自分の行動に戸惑うのであった。変なの。


2010.12.23 (Thu.)

MacBookAirが来たよー!!

僕のMacBookAir欲しい病を冗談だと思っていた人がいるかもしれないが、けっこうこれは重症だったのである。
前々からいいなあいいなあと思っていたのがボーナスやらなんやらで具体化できちゃいそうな目処が立ってしまい、
それで注文しちゃっていたのである。マジだったんですぜ、マジ。で、本日届いたわけなのだ。

  
L: オシャレな箱に入っちゃって、もう。  C: ご開帳。銀色のボディがまぶしいぜ。  R: 薄っ! この薄さには本気で驚いた。

やはり箱の印象、箱を開けたときの感じ、中身の内蔵のされ方、そういったものはiPodに通じるものがある。
違うのはこれがコンピューターであるということで、それだけの迫力があるのもまた事実なのだ。
ついに買ってしまったということで武者震いがする。今後はこいつを使いこなした生活をしなくちゃいけないのだ。

電源を入れると代々変わらないMacの音。昔の実家で聞いた起動音がそのまま再生されて実に感慨深い。
最初は初期設定ということでいろいろ入力。Macの文字入力に慣れていない僕にはこれがけっこう手間だった。
それでもどうにか設定を終えるとシステムの起動。さて、何をどうすればいいのかわからない。
僕はMacBookAirをあくまで移動先での日記書き専門で考えているので、それ以外の用途が思いつかない。
とりあえず必要最小限ということで、ホームページのデータと今年の分の写真データだけ移して本日は終了。

 2台のコンピューターが並ぶ非常に贅沢な光景。

今後は少しはアプリケーションを入れて、少しずつ拡充を図っていくことにしようと思う。
遅れている日記を取り戻すだけでなく、もうちょっと広範に活躍させることができるようにこっちもがんばる。


2010.12.22 (Wed.)

本日は職場で忘年会。自転車で新橋まで移動するのは意外と時間がかかってしまった。
余興ということで言われなくても用意しておいた○×クイズは社員旅行と違って好評で一安心。

2次会のカラオケはなんだか疲れた。いつもどおりではあったのだが、まあいろいろと思うところがあり、
けっこう神経を使った感じである。それか、もしかしたら僕が成長して幼稚なノリに飽きたということかもしれない。
まあとにかく、無事に終わってなによりだ。本当は無事ではなかったのかもしれないが、無事ということにしといてくれ。


2010.12.21 (Tue.)

あんまり年末という自覚はないのだけど、授業をキリのいいところで終わらせにかかるあたりはしっかり年末モード。
本当にあと何日後には2010年が終わってしまうのか半信半疑になりつつ、ちゃんと準備は進めている。
そこになんとも違和感を覚えながらも一日一日を終えている、そんな状況である。どうにも不思議なものだ。
思えばひたすらカウントダウンだった20世紀末もすっかり遠くなり、2000年代に入って10年が経つのだ。
そりゃまあ一年一年の経過が雑というか、1個積み上げるのも2個積み上げるのも大差ないやと思っても仕方がない。
しかしそういう感覚が20代後半から30代前半を雑に生きている感覚へと通じているのもまた正直なところで、
なんだかすごく反省しなきゃいけない気分にひっそりなるのであった。こりゃちょっと困った年末だ。


2010.12.20 (Mon.)

特に自覚はしていないのだけど、どうもボーナスが入って気が大きくなっているようで、設備投資しまくっているのだ。
おとといの日記にも書いたようにDreamweaverを新調したりノートパソコンのバッテリーを新しくしたり、
今までずっとガマンしてきた設備投資をここで一気にやっている。カードを使うのはなんとなく怖いので、
なるべく銀行振込で支払いをするようにしている。後で金を削られてゾッとすることがないからわかりやすくていい。
しかしそれで連日、運送会社の人が届けに来るのがなんだか申し訳ない。うまく一括して受け取れるといいのだが、
なかなかそういうわけにいかず、どうしかものかと思っているのだ。まあ僕個人がそう思ったところでどうしょうもないが。
流通システム(ロジスティクス)ってのもいろいろ研究されているわけだが、最後のところはまだ改良の余地がありそう。


2010.12.19 (Sun.)

日記の過去ログの修正作業を引き続きやっているのだが、まあなんというか、若いなあと。
作業を始めたばかりでまだ2001年あたりの日記を必死で直しているのだが、いかに当時、
熱海ロマンを中心にして生活をしていたかが克明に記録されており、非常に恥ずかしくもほほえましい。
僕は1ミリも後悔しちゃいないが、しかしうまくできなかったことがいまだに悔しくてたまらないのもまた事実。
当時のことをいろいろと思い出して微妙な気分になりながら作業を進める。

午後になって外へメシを食いに出る。本当は大森辺りで優雅に日記を書きたかったのだが、
先週の疲れもまだ残っていて、体力的にフラフラで大森にすら行く気力が出ない。
しょうがないので学芸大学に行ってメシを食いつつ日記を書くことにしたのだが、
それがまさに2001年当時の生活スタイル・行動圏内と完全に重なっているわけで、
その分だけよけいにセンチメンタルになる。オレはあれから成長しているんだろうか、とか考える。
まあ結論としては「あんまりしてない」ということで、開き直って今月分の日記を書きまくったわけだが。

確実に言えることは、かつて学生だった僕は研究室を去って就職して転職して今に至ったのだが、
やっぱり不完全燃焼な思いをなお今も抱えているっていうことだ。まだまだはじけきれていない。
それはすべてにおいてそうだ。学問にしたって何かしらの課外活動にしたって仕事にしたって。
壮大な回り道といえば聞こえはいいが、過去に自分が見ることのできていた思考の軌跡が、
今の自分からはやや離れたところにある。人はオトナになれば多かれ少なかれそういうもんだろうが、
過去の自分が想定していた通過点(ゴールではないな)がゆらめいて見えるというのは、
これは気分のいいものではない。それを割り切ることができるほど僕は成熟していない。

ひとつ、結果がほしい。僕が通ってきた道が、もうひとつの軌跡として認められる結果が。
しかし認められるためには、何かをつくっていなければならない。そして僕にはそれがない。
モノをつくった人間とつくらなかった人間の間には、残酷なくらいに決定的な差が存在するのだ。
いいかげん、何かをつくらなくてはいけない。この日記を、ログを、経験の倉庫として利用した何かを。


2010.12.18 (Sat.)

4日ほど前に、ついにDreamweaver CS5を購入したのである。教員用だから安いのだ。
Windows7になり今まで使っていたヴァージョンだといろいろこっちの言うことを聞かない場面が出てきたので、
もうこの先ずっと使えばいいや、というつもりで思い切っていちばん新しいものを買ってしまったというわけだ。
まったく凝っているところのない日記サイトではあるのだけど、思い切って決断したのである。
よく考えれば10年近く前のヴァージョンを引っ張っていたわけで、むしろそのことがすげえよ、と思う。

ところが、だ。最近のウェブ事情には大苦戦なのである。以前とあまりにも違いすぎるのだ。
いちばん影響が大きいのはテキストの処理の仕方。以前は<font>という命令ですべてをやっていたのだが、
これがぜんぶCSSでのコントロールになってしまい、もう四苦八苦なのである。
ひらたく言うと、<font>での命令はワープロの延長線上にある。テキストをその都度自分好みにアレンジする。
ところが今のウェブ環境では<font>を一切使わず、CSSで指定しておいたパターンを使うことになる。
つまり今まではそのときに思いついた処理を気ままにやればよかったのだが、
今後はあらかじめ書式を用意しておいて、それにテキストをはめていく形でやっていかなくてはいけないのだ。
確かに慣れれば時間的にも容量的にも効率がいいと思うのだが、急に変えると本当に大変なのだ。

毒食わば皿まで、ということで現在、日記のすべてのログを新しいやり方で編集し直しているところである。
これがまためちゃくちゃ時間がかかると予測される。でも、やらないと過去ログを一切直せない状態が続く。
(CS5では昔のやり方ができなくなっているのだ。1ヶ所直すためには全体をやり直さなくちゃいけないのだ。)
具体的にはアンカーポイントの埋め込み直しもそうだ。今は数字で始まるアンカーポイントが認められないので、
イチから過去ログの日付のアンカーポイントを修正しているのである。やらないと、ダブルスタンダードになる。
いい機会なので写真やログのフォルダ整理も並行してやっている。おかげで今までのリンクがぜんぶズレた。
でもやらないと、やっぱり片方だけがアンタッチャブルなダブルスタンダードになってワケがわからなくなる。
切ないのはスクロールバーの色設定ができなくなった点。僕のこだわりだったのに。泣く泣くあきらめて作業を進める。
(だからスクロールバーがオリジナルの青色になっているページは、まだ修正が終わっていない古いページってことになる。)

ところで作業をしていると、昔の建物の耐震工事をやるのってこんな感じなのかな、って思える。
過去の部分をそのまま保存しつつ、新しいやり方でそれを再度組み立てていく。
やはり建築とホームページ作成には共通項が多くあるものなのだ(→2009.2.18の「大崎駅」)。
建築は3次元空間での矛盾のない構成だけど、ホームページ作成は情報空間での多元的な矛盾のない構成だ。
まずはファサードとウィンドウで味わうという点も似通っている。そんなことを考えつつちまちまやっている。

正月はどうも、この作業に追われて終わりそうな予感がする。まあ自分を見つめ直すいい機会だと思おう。
そんなわけで、しばらく改修工事中なので行けるところや行けないところが出てくると思うけど、
いちおう営業はしておりますんで気長に作業の完了をお待ちください。


2010.12.17 (Fri.)

2週間ほど前に青森から職場にリンゴが届いて、その箱の中からついでにハエが1匹、出てきたのである。
こいつがもう本当にしぶとく、しつこく、職場の中を朝から晩までずっと飛びまわってみんなイライラ。
しかし倒そうにもまったく隙を見せず、どうすることもできないまま時間だけが過ぎていくという状態だったのだ。
で、本日、机の上でじっとしているところをたまたま見かけたので、10日ほど前につくったハリセンで一閃。
ついにハエを倒して僕は職場のヒーローになったのでありました。いやーまさか自分が倒すとは。
賞金とか出りゃあよかったんですがね。まあこれで職場の環境美化に協力できたからヨシとしようか。

MacBookAirが欲しくてたまらんのです。
もともといいなあいいなあとは思っていて、でも買ったとしても日記を書くしか用途が思いつかない。
だから欲しいというところまではずっといかなかったのだが、ここにきてやっぱり欲しくなったのである。
まず、セカンドマシンとしてMacをいじくる面白さがいいなあ、と。そして何よりあの軽さと薄さ。
現状でもMolly(ウチのVAIOのこと)を日記を書くためだけにあちこち持ち歩いているわけだから、
MacBookAirならその利便性が飛躍的に向上するのは容易に想像できるのである。
しかしパソコン2台というのは贅沢だと思って振り返ってみると、自分にも2台持ってた時期があったし、
実父のcircoさんは僕のお下がりをセカンドマシンに使っているし、潤平はなぜかiPadを買っているし、
iPadなんて買うくらいならどう考えてもMacBookAirだろと僕は思うので、欲しくなるのも当然なのである。

物欲はイカン、父親に戒めてもらおうと思ってメールしたら、「金があるなら買えばいいじゃん」。
ううむ……そうくるか……。まあcircoさんはなんだかんだでかつてセカンドマシンにMacを買った人なので、
よく考えたら僕と同じサイドにいる人なのである。まあ僕はあそこでMacというものが体験できてよかったと、
これは本当に心の底から思っているわけだが。ああそうなるとやっぱりMacBookAirが欲しい。

じゃあもうこれは運試しだ!というわけで掲示板に書き込んでみた。
「24時間以内にみやもりから購入をそそのかす書き込みがあれば、買っちゃいそうな気がします。」
……まさかものの20分で反応があるとはな! さすがにこの早さでそそのかされたら……うーん……。

最後はマサル。電話が来たので迷っていることを話したら、
「ええやん! 絶対買いなよ! 学校へ持ってったら、そんなん、やらせてくれるよ!!」
まあやらせるやらせないはともかくとして、僕の周りがみんなMacBookAirを面白がりたいのはよくわかった。

こうして僕はMacBookAir購入の決意を固めたのであった。まだ注文はしていないけど、近日するつもり。
買うからにはしっかり使いこなしてやろうと思う。まあ、使いこなさなかったことってないから大丈夫だけどね。
この勢いで、たまっている日記を書いちゃって、内容のクオリティも上げていきたい。やりましょうか!


2010.12.16 (Thu.)

本来ならやらなくていい研究授業をやるように言われて、それで激怒。
3ヶ月連続でとかおかしいでしょう!と猛抗議して、かといってずっと突っ張ったままでいるのも無理な話で、
いかにもな妥協によって今日は「半」研究授業なのであった。まったく困ったものだ。
まあこの辺の思いについては書き出すとキリがないし、そもそも外に出すべきものでもないので、
この話はここでオシマイなのである。僕は研究授業ってのがすさまじく嫌いなんですよ。
理由はいずれ書くかもしれないけど、とにかく、それで爆発寸前の状態でいたわけです。

終わってしまえば気楽なもの……とはいかず、英語教育に対する考え方だとかで頭の中がグツグツ。
とにかく冷静になることが肝心だ、という理性はきちんと働いているので、できるだけのことはする。
おかげで本当に今週は疲れた。まだ明日があるけど、もう本当に疲れた。

しかしまあ、「あなたのためだもの」ってCMがあるけど、あのCMが本当に身にしみるわー。


2010.12.15 (Wed.)

サッカー部の冬の大会の組み合わせが決まった。
やたらと強い私立の学校と同じグループということで、われわれ草刈り場となってしまうのか?とブルブル。
とはいってもやるからには全力を出そうぜ、ということで今日も練習。でもイマイチ真剣さがないんだよなあ。

ところでこの日記をチェックしている皆さんは僕がどんな感じの監督ぶりなのかわからないと思うのだが、
まあ正直、監督というよりは遊んでくれる近所のお兄さん的な存在でしかないのである。威厳ゼロ。
それでもイヴィツァ=オシムや大木さんの影響だけはたっぷりと受けているわけで、
練習中には大声で走ることを要求し、いちおうは攻撃サッカーを目指している。
まあ中学生がガッチガチに守るサッカーをやって勝ってもつまらんしな。見てるこっちもつまらんしな。
最近になってようやく小学校時代未経験者の動きがマシになってきたので、逆サイドの上がりを重視している。
攻撃については「味方がボールを持ったらとにかく空いているスペースに走りこめ!」、
守備については「走って戻ってスペースを埋めて、プレスをかけてパスミスをかっさらえ!」と指示している。
つねに頭の中にあるのは、2006年のドイツW杯でチェコがアメリカに3-0で完勝した試合(→2006.6.12)。
あれが実現できるとは到底思ってはいないが、やはりあれが理想だと思う。
素人監督にはまだまだ基礎のテクニックについても守備の指導についてもまるっきりできていないので、
とりあえず攻撃時の連動性から声かけをしているわけだ。ま、生徒が楽しめるならそれでいいのだ。


2010.12.14 (Tue.)

ツインテールの女子が増殖しているんですよ。
ツインテールといっても『帰ってきたウルトラマン』じゃない方で、両耳の上あたりで縛って垂らす方。
登校したときはちがう髪型なのに、休み時間になるとツインテールになっている。

これはつまり、クラスのAKB48好きの女子が勝手にやっちゃうわけですね。
「まゆゆ!」ということで休み時間に仲の良い子の髪を自分好みに縛っちゃっているわけです。
自分でやらないで他人の髪でやっちゃうところがニンともカンともなわけです。
で、授業が始まる頃には元に戻っていたりいなかったり。まあ、新鮮味があるのはいいと思います。


2010.12.13 (Mon.)

来シーズンからの甲府の監督に三浦さんが決定してしまった。
佐久間GMの大学の同期ということで噂になっていたのだが、現実のものとなってしまった。
この人事は、甲府がこれまで築いてきた攻撃サッカーを完全に放棄することを意味する。
よって、断腸の思いではあるが、本日を以って甲府のファンを辞めさせてもらうことにする。

確かに、三浦監督には攻撃サッカーを継承してチームを勝たせた実績がないわけではない。
かつて柳下監督が指揮した札幌を引き継ぎ、お得意の守備戦術を徹底してJ1に昇格したことがある。
しかしそれはJ2での話。彼の柔軟性に欠けるサッカーが魅力的なものとして通用するとは思えない。
海野社長をはじめとする経営陣はJ1定着のために守備の重視を打ち出したということだろうが、
個性に欠ける地方クラブが降格ラインをウロウロしたところで誰からも同情されないものだ。
山梨県民は地元だから甘えさせてくれるかもしれないが、全国規模の視野で今回の件を見た場合、
失ったものはすさまじく大きいとしか言いようがない。遠き慮りなければ必ず近き憂いあり。

まあ、極言すればこういうことになるだろう。甲府は佐久間の私物と化した。
今回のお友達人事によって、そのことはもう明白になった。佐久間と海野社長がチームを去るまで、
僕はもう一切、小瀬を訪れないことにする。僕が再び小瀬を訪れるとき、甲府がどんな姿でいるか。
とても心配だ。でも、だからといって僕は絶対に甘やかすことはしない。さらば甲府。いつかまた小瀬で会おう。


2010.12.12 (Sun.)

日記を書くときに大変なのは文章だけじゃないんだぜ! 写真の画像処理にもけっこう手間がかかるんだぜ!
というわけで今日は日記を書きつつ気分転換に写真の画像処理もしつつ過ごした。集中してがんばったよ。
おかげで残っていた画像はすべて処理することができた。日記じたいもわりと進んだし。

ところで今シーズンは青春18きっぷを買っていないのである。いつもは時期になるたびにまず買っておき、
休みの日になるとどこかへ出かけるというパターンなのだが、この冬はきっぷ自体を買っていないのだ。
まあ鎌倉への下見をやっているので純粋にお出かけゼロというわけではないのだが、
なんだかんだでそれは仕事の延長線上という意識がはたらいているので、やはりどっかへ行く気は薄い。

実はここんところ、あんまり旅行しようという意欲がなくなってきているのである。
日記に追われて後ろめたいというのもなくはないが、それ以上にあまり意欲が湧いてこない。
やはり全都道府県庁舎を制覇したというのは大きかったようで、一段落ついた感覚がするのだ。
だから正月の帰省の計画を練ろうにも、イマイチまとまらない。名古屋で一泊とか、そういう気分にならない。
じゃあ東京に戻ってから只見線に乗りに行こうか、と考えてみるのだが、なんだかそれもやる気にならない。
行きたくないわけではない。が、無理にスケジュールを組んで動くことに飽きている状態というか何というか。
まあ経済的には悪くないことなので、今シーズンはおとなしくしていようかな、と思う。
その分たっぷり日記を仕上げてやろうじゃないかコノヤロー!


2010.12.11 (Sat.)

鎌倉下見紀行(→2010.11.192010.11.27)の3回目である。今回で最終回のつもりで家を出たが、
途中でデジカメのバッテリーが足りないことに気がついた。これは大ピンチである。
もし途中でバッテリーが切れたら、もう一回よけいに鎌倉に来なくてはならなくなるかもしれない。
しょうがないので、できるだけ撮影枚数を抑えるように意識してあちこちをまわることにする。
なお、いつもの日記であれば、特にどうということのない場所については少々記述はしても、
容量削減のためになるべく写真は出さないようにしているのだが、今回は下見の記録ということで、
1ヶ所につき最低1枚は出す。あくまで今回の鎌倉下見シリーズは僕個人の備忘録なのである。

朝9時になるよりも少し前、鎌倉駅の改札を抜ける。横浜へと向かう東横線の中も、
鎌倉へと向かう横須賀線の中も意外と乗客が多くて、コンビニで買った朝食を食いそびれた。
しょうがないので鎌倉駅前のバスターミナルにあるベンチでいただく。
土曜日だというのに学生たちが足早に通り過ぎていく。少し風が強いが、空はしっかりと青い。

駅前でレンタサイクルを借りる。鎌倉のレンタサイクルは一日1500円と非常に高い。
今回は変速機能つきにしたから1800円だ。でもあちこちに行かねばならないので、選択の余地はない。
サドルを思いっきり上げて、いざ出発。まずは若宮大通を北上して鶴岡八幡宮を目指す。
しかし表参道には合法的に駐輪する方法がなく、仕方がないので先に北鎌倉周辺まで行くことにした。

鶴岡八幡宮の脇を抜け、鎌倉街道をグイグイと上っていく。なかなか強烈な坂道で、
借りたばかりのレンタサイクルではつらい。神奈川県立美術館の隣からさらに進んでいき、
屋根のついた切通しを越えると坂は落ち着く。建長寺の駐輪場に自転車を停めると、少し戻って円応寺。
拝観料の200円を払って中に入るが、本日の一番乗りということで、サービスで3本お線香をあげさせれくれた。
十王堂というお堂の中には重要文化財だという閻魔大王像が祀られているのだが、
その周囲にはそのほかにあの世の裁判関係を取り仕切っている面々(十王)の像がずらりと並んでいる。
どれも鎌倉期らしい迫力のある表情だ。さすがにこれだけ集まって睨みを利かせられては、
まるで本当にあの世で裁判を受けている気になる。異世界を体験している気分になれて面白い。
説明によると閻魔大王は罪人を裁く際にその罪に痛みを感じているそうで、それであの怖い表情になるとか。
初っ端から実に中身の濃い内容だったなあ、と思いつつ外に出る。さらに鎌倉街道を先へと進む。

亀ヶ谷の切通しを出たところにあるのが長寿寺。足利尊氏の墓があるそうだが、いろいろ難しい寺で、
コンパクトカメラは撮影可だが一眼レフはダメという制約があるのだ。この日は中に入れずじまい。

横須賀線の線路をまたぐ辺りから、本格的に北鎌倉という印象になる。
まずは東慶寺から。1回目の下見(→2010.11.19)でざっと見ただけだったから入ってみる。
ここは明治まで男子禁制の尼寺で、縁切り寺・駆け込み寺として有名な存在だったそうだ。
今は静かな境内と宝蔵が売りとなっている。時間がないので境内だけ味わったが、
来る季節を間違えた感じ。花が盛んに咲く時期であれば、見ごたえがあっただろうなあと思う。

  
L: 円応寺。お堂に入るとそこは閻魔&裁判官の世界。規模・知名度のわりにはオススメできそうな場所だと思う。
C: デジカメで覗き込んだ長寿寺。  R: 東慶寺の境内。緑や花の豊かな時期に来れば、印象がガラリと変わりそうだ。

次は浄智寺。ここも1回目の下見で入口付近は歩いたが、中には入っていない。
参道はアジサイの名所として知られているが、当然そんなものが咲いている季節ではない。ただ緑だけだ。
しかし中に入ってみると境内はなかなか広く、苔生した岩肌や竹林などがいかにも鎌倉らしい。悪くはない。

  
L: 浄智寺入口。この参道の雰囲気がまず見事だ。  C: 梅雨どきにはアジサイが美しいんでしょうなあ。
R: いかにも鎌倉らしい、やぐらのある風景。浄智寺はなんというか、湿り気のあるお寺でございますな。

鎌倉街道をさらに先へと進んでいく。まったくそれらしくない和風の郵便局で左に曲がると、光照寺。
一見、何の変哲もないふつうの町のお寺なのだが、実は隠れキリシタンのゆかりの寺なんだそうだ。
まず山門には中村クルス紋というものが取り付けられている。見上げると、確かにあった。
また、本堂には隠れキリシタンの燭台があるそうだ。これは覗き込んだけど確認できず。
結論から言ってしまうと、この2点以外は特に見どころなし。そもそもこの2点もあまり見どころと感じられず。

 山門の中村クルス紋。ユルユルな時宗は隠れキリシタンのいい隠れ蓑になったとか。

線路を渡って明月院。これまたアジサイが有名な寺である。鎌倉はこの日の早朝に雨が降ったようで、
朝の光に照らされて石畳が眩しい。すさまじい逆光だったが、でもまあそれはそれで美しい光景だった。
境内を進んでいくと、小規模な枯山水ややぐらとお堂など、さまざまな要素が詰め込まれたつくりになっている。
方丈の奥は別料金の庭園。せっかくなので中に入ってみたのだが、山の方はすでに葉が落ちて完全に冬支度。
それでも方丈側の紅葉は朝日に赤く輝くように透き通り、青い空と好対照を見せていた。それが唯一の救い。
これは完全に来る時期を間違えたなあ、と残念な気分になるのであった。

  
L: 明月院のアジサイの参道。冬の朝日を浴びた石段ってのも悪くない。  C: やぐらとお堂。鎌倉だ。
R: 庭園。明月院の中に入るのに300円で、庭園に入るのに500円。今の時期にはかなり割高だなあ。

円覚寺は最初の下見で訪れているので(→2010.11.19)、これでいちおう北鎌倉は制覇。
位置エネルギーを開放して鎌倉街道を戻り、神奈川県立近代美術館側から鶴岡八幡宮の境内に入る。
そうすれば自転車が駐輪できるというわけなのだ。八幡宮は今日も観光客でいっぱいなのであった。

  
L: 鶴岡八幡宮の境内。参道の脇にはお菓子などの出店が並ぶ。朝から実に元気である。
C: 強風で倒れてしまった大イチョウだが(→2010.3.12)、現在、復活プロジェクトの真っ最中。
R: もう少しイチョウに近づいてみた。やっぱりどうしても、何かが足りない印象がしてしまうなあ。

せっかくなので八幡宮に参拝し、宝物殿の中にも入ってみる。しかし非常に残念なことに、
展示されているものの大半が模造品。はっきり言って、訪れる価値はまったくない。もう本当にがっくりだ。
チェッと唇を尖らせて宝物殿を出ると、おみくじを引いてみた。そしたらなんと、凶が出た。笑うしかない。
しかし書いてある内容を読んでみると、そんなに悪くはない。現状は良くないが展望は開ける、そんな感じ。
凶にしてはずいぶんソフトというか前向きだなあと思いつつ、折りたたんで結ぶのであった。悪い感触ではない。

石段を降りて、東側へと抜ける。途中の八幡宮の若宮、白旗神社をそれぞれ撮影すると、鎌倉国宝館へ。
中に入って展示をひととおり眺めたのだが、ヘタな国立・県立の博物館よりもずっといい。
仏像に対する照明が、なかなか魅力的なのである。その仏像本来が持つ存在感を、うまく引き出す照明だ。
大いに感心しながら見ていった。展示じたいはそれほど多くないが、300円だと得した気分になれる。

  
L: 鶴岡八幡宮・若宮。こちら、もともとは下社だったそうだ(したがって本宮は上社だった)。
C: 白旗神社。かつて本宮の西にあった頼朝を祀る白旗社と、その下にあった実朝公を祀る柳営社を合祀して現在に至る。
R: 鎌倉国宝館。関東大震災で大きな被害を受けた鎌倉の文化財を保護すべく1928年に開館。設計は岡田信一郎。

あとは午前中のうちにどれだけまわることができるかの勝負である。八幡宮周辺から鎌倉駅にかけて、
ガイドブックをもとに寺をあちこち見ていく。こういうとき、やっぱりレンタサイクルは便利である。

  
L: 来迎(らいこう)寺。特に取り柄はない。ごくふつうの町のお寺でいたいからそっとしといて、という印象。
C: 宝戒寺。萩で有名だそうだ。本堂はなかなか立派でよろしい。  R: 妙隆寺。これまたふつうの町のお寺。

とはいえ食うものを食わなければ力は出ない。当初はコンビニでテキトーに何か買おうか、なんて考えていたが、
1回目の下見でオススメされた店があったのを思い出し、そこに寄る。小さい喫茶店なのだが、
看板メニューはなぜか和風ラーメン。それをミニチャーシュー丼とのセットでいただく。おいしゅうございました。

横須賀線を再び越えて西に出る。やはり1回目の下見でざっと眺めただけの寿福寺へ。
ここは総門から中門までは自由に散策できるのだが、そこから先は残念ながら非公開。
しかし国の史跡に指定されているだけあり、雰囲気は実にいい。歩いて往復してみたが、爽やかである。

  
L: 寿福寺・総門。北条政子が創建した、鎌倉五山で最古の寺とのこと。確かに中世っぽい雰囲気の門だ。
C: 総門から中門まで伸びる参道。これは確かに穏やかでいい。  R: 1664(寛文4)年の再建という仏殿。

そのちょっと北にあるのが英勝寺。太田資正の娘で徳川家康の側室・英勝院(お勝)が晩年を過ごした寺だ。
非常に頭が良いことで家康に愛された人だそうだ。その後、住職を代々水戸徳川家の姫君が務め、
今もここは鎌倉で唯一の尼寺なんだそうだ。山門は現在、大規模に復興工事中。
境内には仏殿や唐門など往時の風格を偲ばせる見事な建造物が残っている。
奥には竹林もあるなど、特別広いわけではない境内にはひととおりいろいろそろっているのが特徴か。

 
L: 英勝寺の仏殿。山門が工事中なのでドアップでの撮影を余儀なくされた。  R: 唐門。小さいけど見事なつくり。

横須賀線のレンガ造りのガードをくぐって東側に出てみる。亀ヶ谷の切通しへ至る道の手前には小さいお堂。
恋する相手と別れさせられて失意のうちに亡くなったという源頼朝の娘を祀った岩船地蔵堂だ。
その先には薬王寺。本堂の中にはかなり大きい日蓮の像が安置されている。
少し離れて浄光明寺。境内は谷戸を雛壇状に造成しており、いかにも鎌倉らしい寺なんだとか。

  
L: 岩船地蔵堂。  C: 薬王寺。  R: 浄光明寺の境内。後醍醐天皇に対して挙兵する直前、足利尊氏はここにいたそうだ。

化粧坂方面に戻ってそのまま北に直進すると海蔵寺。敷地の高低差をそのまま活用した境内で、
これといったものはないのだが不思議と居心地がいい。そのせいか、寺の規模のわりに妙に観光客が多い。
境内には寺の縁起を記した紙を載せた台がポンと置かれており、十六の井を見る際にはここに100円を納める。
そうして仏殿の脇を抜けてしばし歩いていき、これはどう考えても海蔵寺の境内を通らないと行き来できんだろ、
とツッコミを入れたくなる何軒かの住宅の前を通過していったところで、ようやく十六の井に到着。
十六の井はその名のとおり、やぐらの中にある4×4の円い穴から水が湧き出している場所である。
その幾何学的な印象がかえって奇異で、興味深い。鎌倉は歴史が古い分、いろんなものがあるもんだ。

  
L: 海蔵寺の境内。さまざまな植物が視界をジャマしない高さで集まっており、高低差がリズムをつけて居心地がいい。
C: 十六の井・入口。こうして見る分にはふつうのやぐらだが……。  R: 中はこのようになっている。面白いなあ。

これでだいたい鎌倉駅北部は押さえたぞ、ということで、ちょっと離れた位置にある名所へ行ってみる。
歩けば面倒くさい距離だが、レンタサイクルならあっという間だ。鎌倉駅の西口まで下ってから、
市役所方面を一気に西へと進む。そして案内板に従って住宅街を北上し、銭洗弁天に行く観光客と分かれ西へ。
緩やかな坂道を上っていった先にあるのが佐助稲荷神社だ。ちなみに「佐助」とは猿飛佐助のことではない。
頼朝の若い頃の呼び名「佐殿」の平家討伐を「助けた」ということでこの名前になったのである。

 石段の上から無数に連なる鳥居を見下ろしたところ。

京都の伏見稲荷(→2010.3.28)を思わせる鳥居たち(それほど大きいわけではない)が並ぶ石段を上り、
鳥居をくぐって拝殿に出る。木々の鬱蒼とした場所へと上がっていく空間構成であるためか、
雨の残した湿り気のせいか、なんとなく空気の質感が麓と異なっているのが実に印象深い。
一言で言うならば「何かいる」感じがするのだ。霊感ゼロの僕でも、人間ではない何かのいる場所に来た気がする。
さらに石段をちょっと上ったところには無数の祠と小さい狐の像があり、“特殊な雰囲気”は最高潮に。
人間ではない何かが遊んだり暮らしたりしている、そういう舞台に入り込んだ気分になるのである。不思議だ。

  
L: 佐助稲荷神社・拝殿。  C: 拝殿から左の石段を行くと、祠と狐の像が並ぶ一角に出る。これはすごい。
R: 奥にある本殿。やはりここも小さい狐の像がいっぱいなのであった。佐助稲荷は本当に不思議な場所だ。

帰りも行きと同じく鎌倉市役所の前を通ったのだが、せっかくなのであらためて撮影し直してみる。
以前に撮影したものとあんまり変わらないといえば変わらないのだが、まあヨシとしよう(→2008.9.3)。

  
L: 鎌倉市役所。こうしてあらためて見ると、ガラスの面積が思いのほか大きめにとられている。
C: 正面から見たところ。  R: 議会の方を眺める。やはり小ぎれいにしてある。

横須賀線の東側に戻ると、やや南側のエリア・大町をチェックしていく。
まず大巧寺。もともとは「大行寺」と書いたそうで、「だいぎょうじ」と読むのである。
鎌倉の街の中という狭苦しい立地ながら、木々をしっかり植えて穏やかな雰囲気。手入れが行き届いている。
その次は、日蓮の遺骨を分骨して納めているという本覚寺。なかなか規模が大きい寺だ。
そもそも鎌倉時代は日蓮が迫害を受けつつ信者を増やした時代ということで、
鎌倉における日蓮宗寺院の存在感は格別だ。その中でも本覚寺の存在感は群を抜いている。

  
L: 大巧寺。安産祈願に定評あり。  C,R: 本覚寺。お堂や門の規模が大きい。眼病治癒に定評あり。

本覚寺から橋を渡って奥へと進んでいくと、妙本寺だ。総門の右手にお堂のような幼稚園があるが、正直奇妙だ。
妙本寺はまっすぐ本堂に向かうルートと方丈を通るルートがあるが、まずは方丈経由で行ってみる。
そうして修理工事中の山門の脇を抜けると本堂が現れるのだが、これがめちゃくちゃデカい。
スケールとしては京都辺りの国宝・重文級のお堂にまったくひけをとらない大きさだ。
ふつうこれだけ大きいと観光向けにいろいろ周辺環境を整備していくもんだろうが、そういう雰囲気はほとんどない。
ただ単に、デカくて立派なお堂が木々に包まれて穏やかにたたずんでいるのみなのである。実に不思議だ。
もっとも、奥まった立地のわりには観光客が途切れることはなく、境内にはつねに人の気配がある。
ある意味ではこれは理想的な寺院の姿なのかもしれないな、と思いつつ総門まで戻る。

さっきの幼稚園を目印に南下。完全なる住宅地を歩いて次の常栄寺へ。
尼さんが日蓮にぼたもちを捧げたというエピソードから「ぼたもち寺」として知られている寺だ。
境内は非常に小さく、そのエピソードがなければ訪れる人はほとんどいないだろうと思う。
その少し南にあるのが八雲神社。鎌倉最古の厄除け神社だそうだ。
決して大きくはないが、宝蔵庫などがあり施設はなかなか立派である。

  
L: 妙本寺本堂。とにかく大きい。もともとは比企一族を祀る寺だが、なぜこんなに本堂が大きいのかわからん。
C: ぼたもち寺こと常栄寺。小さい分、手入れはバッチリ。  R: 八雲神社。鶴岡八幡宮があるからか、鎌倉は神社が少ない。

そこからさらに南に抜けて周辺の寺をまわったのだが、明らかに個人の家でしかない寺があるなど、
このエリアはそれほど観光地としての重要性はない模様。唯一、見どころと言えそうなのは安養院。
北条政子ゆかりの寺で、その名前は彼女の法名にちなんでいるという。中に入るのに100円納めるが、
正直これといったものは特になかったなあ。でも境内の大槇はなかなか見事だった。

 安養院。左手にあるのが大槇。

そのまままっすぐ進んで逆川を渡ると安国論寺だが、まずはそのすぐ北の妙法寺から行ってみる。
かつて日蓮が暮らした松葉ヶ谷の草庵跡にあるという寺で、本堂は江戸時代に熊本の細川家が再建したもの。
しかしこないだの強風によって屋根の一部が吹き飛んでしまった。ニュースで見たときは驚いたなあ。
地形の制約があるのか、入口から本堂までは斜めになっており、ちょっと珍しい印象。やはり屋根が痛々しい。
脇へ抜けて奥へと進むと、そこには仁王門。もちろん迷うことなくその先へと進んでいく。
門を抜けた正面の石段は苔に覆われている。妙法寺は「苔寺」という呼ばれ方もしているのだ。
しかしこっちは通れないので、右手にある石段を行く。急で狭い石段を上がりきったところには法華堂。なかなかだ。

  
L: 妙法寺の本堂。斜めの空間構成の影響で見通しが悪い。狭い中に木々がいっぱい。
C: 奥にある法華堂。岩と緑に囲まれて、静かにたたずむ。  R: いかにも鎌倉っぽいやぐらである。

戻って安国論寺へ。その名のとおり、日蓮が『立正安国論』を執筆したという場所である。
まあ正直なところ、日蓮ファンならいいかもしれないけど、僕としてはそれほど面白みがなかった。
続いては本興寺。日蓮が辻説法したという場所に建つ寺だ。が、雰囲気は完全にふつうの町の寺。
周囲は閑散としており、ありがたみがほとんどないのが残念なのであった。
ついでにちょっと横須賀線を抜けて元八幡へ。源頼義が京都の岩清水八幡を勧請したのはもともとここだ。
これがその後に頼朝によって北に移され、今の鶴岡八幡宮となったわけである。
パッと見ただけだと街はずれの小さい神社といった印象だが、どっこい重要文化財なのである。参拝しておく。

  
L: 安国論寺。日蓮ファンならどうぞ。  C: 本興寺。百日紅がいいらしいが、冬は本当に何もないぞここ。
R: 元八幡。社殿の脇はちょっとした空き地になっており、ベンチも置かれている。ミニサイズでかわいい場所だ。

これでだいたい鎌倉の中心部はおしまい!なのだが、ピンからキリまであちこち行ったせいか、
前にやった品川区内めぐり(→2010.1.7)と大差ないなあ、なんて印象になってしまった。まあしょうがない。

気を取り直して針路を西にとり、一気に走り抜ける。本日最後は長谷周辺をチェックして終わるのだ。
もう冬至に近い時期なので、たらたらしているとどんどん日は傾いていくのだ。そうなると写真撮影がキツくなる。
由比ヶ浜大通りを爆走してあっという間に鎌倉文学館の辺りへ。やはり自転車というのは便利すぎる乗り物だ。
デジカメのバッテリーが非常に不安なのだが、そこはちょっと無理して文学館を後回しにする。

この周辺は実に落ち着いた高級住宅街になっており、ところどころに見事な住宅建築が見受けられる。
その中のひとつ、長谷子ども会館(旧諸戸邸)。1908(明治41)年築で、今は児童館として利用されている。
なんとも贅沢な話である。おかげで観光客は入れない。周りは公園になっており、子どもたちが遊んでいた。
お前ら、この建物を使いたい放題ってありがたみがわかってるかー?と言いたかったが、まあわかんないだろな。

そこからもう少し西に行くと、甘縄神明宮だ。源頼義がここにお参りしたら源義家が生まれたんだそうだ。
まず石段が続いて、その先に社殿。ほかには特にない。なかなかシンプルな神社である。
単純明快でいいなあ、と思いつつ参拝。願いはもちろんデジカメのバッテリーがもつこと、である。高望みはしません。

 
L: 長谷子ども会館(旧諸戸邸)。リニューアル要素が少なく、往時の雰囲気をよく残している建物だ。
R: 甘縄神明宮。石段を上って上って参拝、そして帰る。そのシンプルな感じが非常にいい。

というわけで、本日最後の目的地である鎌倉文学館に満を持してアタック。
いかにもかつてのお屋敷らしい石畳の坂道をぐるっと上って受付へ。300円払って先へ進む。
招鶴洞という短いトンネルを抜けると入口だ。そのまま左の庭園へ行くこともできる。

鎌倉文学館は、加賀藩主だった前田家が明治になって公爵となり、鎌倉に建てた別邸である。
前田家の勢いについては北陸旅行でさんざん味わったが(→2010.8.212010.8.222010.8.24)、
またしてもこんな形で実感することになるとは。江戸時代もすごかったが、明治に入ってもすごいものだ。
やっていた展示は、川端康成と三島由紀夫の友情がテーマ。昭和を代表するふたりの文豪の交流が、
膨大な資料をもとに克明に紹介される。資料も写真も充実していて見ごたえがあったのだが、
個人的にはもう少し、同時代の背景を伝えるものが欲しかった。具体的には当時の日用品など、
その時代の雰囲気が感覚的につかめるアイテムがあれば、もっと展示内容が客の中に迫ってきたと思う。
中心になる展示物だけでなく、雰囲気をつくることも博物館の大切な仕事だと僕は考えるのである。
ところで鎌倉文学館内は靴を脱いだ状態でそのまま歩きまわるのだが(スリッパを履かない)、
そうすることで直に明治期の邸宅を肌で味わうことができるというのは実に面白かった。
それにしても鎌倉文士は数が多すぎ!

展示を見終わると庭に出て、建物を撮影する。木々に囲まれて周りの住宅と区切られた高台に、
青い屋根の瀟洒な洋館がすっきりと建っている。なんとも贅沢極まりないなあと思う。
建物の前面には芝生のスロープがつくられ、下りきったところにはバラ園がある。本当に贅沢なものだ。

 
L: 招鶴洞。ここを抜けると俗世を離れた豪邸が現れる仕組みというわけだ。
R: 鎌倉文学館(旧前田公爵別邸)。こんなところで暮らすなんて贅沢極まりないわ。

これで3回にわたった鎌倉下見ツアーは終了である。ハイキングコースなどほかにも見るべきものはあるが、
とりあえずはこれでヨシとするのだ。それにしても鎌倉ってのは実に奥の深い街だ。

帰りにぷらっと由比ヶ浜大通りから江ノ電鎌倉駅へと向かう御成通りを行く。
小町通りは無数の観光客たちにすっかり占拠されてしまっているが、こちらは地元住民に密着した商店街。
そのど真ん中に、見るからにただものではない建築があるのだ。

 旧安保小児科医院(現在は鎌倉風致保存会事務所)。大正末期築。

中は自由に見学できるので覗かせてもらう。診察室が今もそのままの姿で残されていて、
小さい頃に小児科の医者にかかりまくった身としては、懐かしさが2倍といったところなのであった。
(幼稚園児のくせして自分で「また自家中毒かよー」とウンザリしていたもんだ。よく無事に育ったなあ。)
こういう建物が街の真ん中でいまだにランドマークとなっているところが、鎌倉のレベルの高さを示していると思う。

鎌倉駅に着いてレンタサイクルを返却する。時刻はだいたい15時。きっちり予定どおりだ。
しかし家に帰るにはやや早いし、ずっと動きまわっていたのだ、どこかでゆっくりのんびり休みたい。
さてどうしようか……と考えて、思い出した。そうだ、もう一度市役所前のオシャレスタバに行こう。

  
L: 以前の日記でも書いた(→2010.11.19)、旧横山隆一邸をもとにしたスターバックスコーヒー・鎌倉御成町店。
C: 店内の様子。明るくて開放感があり、非常に居心地がいいです。  R: 外には藤棚とプール。縁側の存在も効いている。

ちょうどお一人様用の席が空いていたので、どっかりと座ってアイスコーヒーをいただく。
今日一日のことを思い出しながら、ベテランの先生から借りている鎌倉のガイドブックを眺めて過ごす。
ブラックコーヒーなのだが、むしろその純粋な香りで疲れが癒される。たまにはこうやってゆっくりしなきゃね。
のんびりとトールサイズを飲み干すと、レシートを見せて100円払ってアイスコーヒーをおかわりし(さすがスタバ)、
それを手に持って店を出る。駅までちびちびとコーヒーをすすって歩く。さあ帰ろう。

横須賀線でさっさと帰ってしまうのが味気なくって、わざと大船から京浜東北線に乗る。
まずは山を切り開いてつくった住宅地がしっかりと続き、やがていかにも湾岸らしい大雑把な平地に出た。
空は一気に暗くなっていく。さっきまで鎌倉を走りまわっていたのがなんだか幻のように思えた。


2010.12.10 (Fri.)

噂では聞いていたのだが、ついに大木さんが京都の監督に就任することが決まった。
J2降格が決まった京都は、かつてジェフで辣腕を振るった祖母井GMを招聘しており、
それに続く決意の人事となったわけだ。とりあえず、大木さんが現場に復帰したのは本当にうれしい。
でもそのチームが甲府ではないというのが悲しい。勝負ごとだからしょうがないのだが、悲しい。
楽しみなのは、祖母井さんとどのようなタッグを見せてくれるのかという点。
もうこうなったら、できるだけ長くタッグを組んでもらいたい。そしてJリーグを大いに席巻してほしい。

これで来シーズンはやたらめったらサッカーの試合を観ることになりそうだ。やはり大木サッカーは生で観たい。
そして大木さんの弟子であるところの安間さんが本腰を入れて率いるカターレ富山も観たい。
FC東京がJ2に降格したことで、東京で京都と富山のサッカーを観ることができる機会が増えた。
三ツ沢競技場でだって観ることができるし、フクアリでだって観ることができる。
なんならこれを機に栃木・群馬・茨城と北関東に遠征するのも面白い。そう考えれば、悪くない。
そしてJFLでは信州ダービーが開催されることになる。やはりこれを無視することはできまい。
あとは甲府がどうなるか、だ。お願いだから、攻撃サッカーの火を絶やすことだけは避けてほしい。切に願う。


2010.12.9 (Thu.)

本来なら夏休みまでにやっておかなくちゃいけない健康診断をすっぽかしていたことが判明したので、
今日の午後に空いていた時間を利用して行ってきた。場所は市ヶ谷。もちろん自転車だ。
これは交通費を節約することはもちろん、少しでも体重を減らしておきたいという涙ぐましい努力なのだ。

で、いざ健康診断開始。体重を測ると……。ギャー! 思わず本当に声を出して叫んでしまったではないか。
その後の問診で給食の食いすぎを宣告されたのであった。もうなんというか、これは屈辱ですよ屈辱。
ほかの項目に何ひとつ問題がないだけに、この唯一の問題点がクローズアップされまくるのであった。

職場に帰ると、皆さん興味深そうに「どうだった?」と訊いてくる。うう……。
しょうがないので正直に、給食の食いすぎを宣告されました、と答える。情けないったらありゃしないよ。
そういうわけで、これからしばらくがんばって腹八分目を心がけていくことにする。もう本当にがっくりだよ!


2010.12.8 (Wed.)

驚いた。ヴァンフォーレ甲府、内田監督が退任だというニュースが入ったのだ。
まあ確かに僕は内田監督解任論を主張していたわけだが(→2010.7.31)、J1昇格を達成して解任とは。
監督としての能力については「並」だと思っていたので、もっとやれる監督を呼べるならいいが、しかし……。

こうなったらもう、大木さんが戻ってきてくれることを期待するしかない。そういうタイミングだ。
可能性としては現実的にかなり低いっつーかまあゼロなんだろうけど、それを期待するしかないではないか。
そうすれば山梨県民はもちろん、全国の通なサッカーファンが狂喜乱舞するぜ。
最近のヴァンフォーレはやることなすこと内向き(山梨偏重)なので、ここいらで一発かましてほしい。
ファンとしてはそうやってどんなニュースもポジティヴに受け止めることしかできないんだよ!


2010.12.7 (Tue.)

今日は時間的な余裕があったので、久しぶりにサッカー部の校舎内ランニングに参加する。
最近は自堕落な生活のおかげで体が重くないこともない状態なのだが、相変わらずの2位ですよ。
サッカー部のランニングでは「オレに抜かれたら+3周な!」というルールがあるので生徒も必死。
まあどうにかできるだけ連中をよけいに走らせることができるように、今後もがんばりたいものだ。


2010.12.6 (Mon.)

ネットのニュースで知ったのだが、来シーズンからAC長野パルセイロがJFLに昇格するそうな。
全国地域リーグ決勝大会で準優勝し、自動昇格が決定したとのこと。これは純粋に、すばらしいニュース。
(ちなみにこの大会、なんと3試合を3日間でこなすというめちゃくちゃなスケジュールなのだ。
 JFL入りがかかっているのでどこも死ぬ気で勝ちにくる。間違いなく、世界一過酷な大会だろう。)
優勝したのはカマタマーレ讃岐。2ヶ月前、早朝の高松で北野監督を応援するポスターに驚いた記憶がある。
こないだのHQSのOB会でも「(予選で同組に入ったので)讃岐と長野が一緒に昇格するのはキツくね?」
なんてみんな口では言っていたけれど、できれば両方とも昇格してほしいなあなんて思っていたわけで、
素直にこの結果を喜んでいるのである。みんなもきっとそうだろう。いや本当によかったよかった。

さあ、そうなると来シーズンはいよいよJFLという舞台で信州ダービーが開催されることになる。
はっきり言って南信の人間には、北信のクラブと中信のクラブが戦うといっても、あまり興味が湧かない。
しかし長野と松本がサッカーという代理戦争で現実にぶつかり合うわけだから、注目しないわけにもいかない。
Jリーグのすぐ下のカテゴリーで、長野県のクラブが2つもしのぎを削るなんて、ちょっと前には想像できなかった。
全県を代表する1つのクラブでJリーグ入りを目指そうなんて富山チックな事態は、長野県ではありえない。
そんな意地の張り合いを続けたままここまで来てしまったというのは、なんとも感慨深いものがある。
(他県の人から見れば奇異に映るんだろうなあ。でも長野県はどうしてもこうなのだ。これでこそ長野県。)

ぜひとも都合をつけて、信州ダービーは実際に観に行きたい。
地元のサッカーレベルはいまだに弱っちくって弱っちくってしょうがない長野県だが、
これで確実に県の大半が盛り上がる用意は整った。都市と祝祭、祭りの種は蒔かれた。
長野も松本も大きく見れば僕の地元に含まれる街なのは事実なので(われながら意地っぱりな表現だ)、
その大きな地元がどのように揺れるのか、この目で確かめてみたいのだ。
本当に、来シーズンのJFLが楽しみだ。でも僕はどっちのサポーターにもならないよ!


2010.12.5 (Sun.)

プラモ買うぜ! ヨドバシカメラのおもちゃ売り場はけっこうプラモが安いので、
念願のロックマンのプラモ(→2010.11.21)を購入なのだ。ついでに『グラディウス』のビックバイパーもいっちゃう。
なんつーか、いい時代になったもんだと思う。オレらが子どもの頃には妄想するしかなかったもんなあ。

せっかくなのでおもちゃ売り場というか模型関係の売り場をくまなく見てまわったのだが、いろいろ驚いた。
まずなんといっても、フィギュア類の充実ぶり。エヴァやらワンピースやらけいおんやらはまだ序の口。
ワケのわからん女の子のキャラクターがめちゃくちゃいっぱい造形されているのである。
しかもどれも非常にクオリティが高いのがわかる。細かいところまで再現されていて、立体的に破綻がない。
美少女フィギュアなるものにはまったく興味はないのだが、さすがにちょっとじっくり見てみたくなるほどだ。
もしニコ・ロビンのものを売っていたら、衝動買いしていたかもわからん。恐ろしい世界じゃ。
そもそも、20世紀のうちにはフィギュアの完成品を売るなんて文化は存在しなかったものだ。
フィギュアが欲しけりゃ自分でレジンキャストのキットを買ってジフで洗って茹でて塗装して接着したものだ。
(歯ブラシにつけたジフで表面の剥離剤を落とし、茹でることで微妙に曲がった形を元に戻す必要があるのだ。
 興味ないってわりには詳しいじゃないかって? バヒサシさんのためにいくつかつくったことがあるからな!
 『ときメモ』の虹野沙希のキットを裸エプロンに改造して送りつけたのも今となってはいい思い出だ。
 ホシノ・ルリなんていまだに「ご本尊」としてバヒさんの部屋に鎮座しとるし。つくった甲斐があったわい。)
単純に立体造形が好きな者として、現在のフィギュア文化の爛熟ぶりには圧倒されつつも、
心のどこか奥底でふつふつと対抗心が湧き上がるのは否定できないところだ。興味はないが、無視できない。
思わず「ちくしょー、上手いなあ」なんてつぶやきながら見ていくのであった。
面白いのは時代を超えてさまざまなキャラクターが立体化されていること。
最新と思われるキャラ、見たことのあるキャラ、懐かしのアニメのキャラ、僕らがやってたエロゲーのキャラ、
ありとあらゆる時代に対応したフィギュアがそろっているのである。いやはやびっくりしたなあ。
そしてかつてはアニメなりゲームなり、それぞれの枠内で製品化が行われるのが常識だったのだが、
今では逆に、フィギュアをつくる側がブランド化して、メーカーがブランドの枠内で各キャラクターを再現している。
だからハルヒとけいおんとサマーウォーズとドアラとゴルゴ13が同じブランドから出ていることもあるわけだ。
昔は「フィギュアを部屋に飾ってる」なんつったら120%変質者だったんだがなあ。時代は変わったなあ。

もうひとつ興味深かったのが、ガンプラ。ご存知のとおり10代半ばまでの僕は完全にガンプラに狂っていて、
Zガンダム~ZZガンダム~逆襲のシャアに至る一連のシリーズはほぼすべてつくり尽くした少年だった。
(高校に入るとガンプラを卒業し、やはり狂ったように戦闘機のプラモをつくりまくった。
 しかし大学入学と同時にぱったりとプラモづくりをやめてしまう。一人暮らしで置き場がなかったからかも。
 まあ、ハタチになるまでに一生分のプラモをつくってしまったのだ、なんてふうに僕は解釈している。)
そんな僕にしてみれば、「HG」シリーズはもう、宝の山にしか見えないのである。
こんなものが20年前に出ていたら、もう、人生がメチャクチャなことになってしまっていたのではあるまいか。
ガザCとかジ・Oとか売ってんだぜ。ギラ・ドーガはレズン=シュナイダー機もあるし。
サイコガンダムが1/144スケールとか、もう、頭がおかしいとしか思えん。キリがないよホントに。
まあもし余裕があれば、1個だけ、15年ぶりくらいに試しにガンプラをつくってみるのもいいかな、と思った。
1個だけだから何を選ぶかなあ。ジム系好きだからジェガンかなあ。でもエル=ビアンノ推しだからMk-IIかなあ。
ガンプラをつくる気がすっかりなくなってしまった今だから冷静に見つめることができるけど、これは本当に危険だ。

あとはこないだ小惑星・イトカワから砂粒を持ち帰った「はやぶさ」のプラモが山と積まれていたのが面白かった。

そんなわけで、無事にロックマンとビックバイパーを購入。プラモを買うのは誇張なしで、15年ぶりくらいになる。
時間をかけてのんびりつくっていこうと思う。どうせ飾る場所なんてないわけで、完成後に困るに決まっているが、
少なくとも今は久しぶりの、あの指先がムズムズするような造形の喜びを、素直に味わうことにしよう。


2010.12.4 (Sat.)

金がないぜ!
床屋に行った帰りに新しく髭剃りを買ってガッツリと金が減った。出費というのは重なるもので、
最近は急にパソコンのバッテリーがおかしくなり、どうも新しいものに替えないといけない感じである。
まったく年末は忘年会だのなんだのでガツガツ削られるというのに、これは困った事態だ。
もし金銭的に余裕ができたらヒラギノのフォントが欲しいな、そして将来的にはイラレを……なんて夢が、
見事にまた遠ざかってしまった。まあしばらくは旅行をしないで日記を書きまくる予定なので、
なんとか地道に暮らしていろいろレベルアップを図っていきたいものである。
とりあえず、今日は日記を書くまくったよ。

家に帰ってテレビをつけたらスポーツニュースでJリーグ最終節の結果が流れた。
なんと大逆転で神戸がJ1残留を決め、FC東京がJ2降格となってしまった。これには驚いた。
この奇跡的な残留を決めた神戸の和田監督は去年も途中から指揮を執っていた人で、
三浦前監督の就任でコーチになり、今年になって三浦前監督が解任されると再び監督就任という、
なんとも落ち着かない状況ながらも結果を残したことになる。これはもう、文句なしに偉業でしょう。
冴えない外見(失礼)で損をしてきたのかもしれないが、ぜひとも神戸のフロントは和田監督を続投させてほしい。


2010.12.3 (Fri.)

放課後、いきなり生徒に「レレレのおじさんを描いて」と頼まれた。なんだそのムチャ振り。
とはいえ赤塚不二夫のキャラクターについては昔ちょこちょこと描く練習をしていたので、
「だいたいこんな感じ?」とサラッと描いて渡す。実に便利な存在だなあと自分でも思う。

種明かしをすると、掃除担当の環境委員会でポスターをつくるので、
そのイメージキャラクターとしてホウキを持っているレレレのおじさんを描きたかったわけだ。
でも資料がなくって右往左往しているうちに、便利な僕の存在に気がついたってわけなのだ。
この職業はホント、何が要求されるかわからないし、どんなことが応用できるかわからない。
ふだんから引き出しをいっぱい用意しておかないといけないなあ、と思ったのであった。


2010.12.2 (Thu.)

マサルからようやく『すごい文房具』が届いた。さっそく中身を見てみるが、情報量の多さに圧倒される。
前の日記にも書いたが、文房具というものは実際に手にとって触れてみてナンボだ(→2009.12.62010.9.4)。
その分のハンデ、リアルとの絶対的なハンデを埋めるべく、すさまじい情報量が詰め込まれている。
しかもただ詰め込んでいるだけではない。文房具それ自体に負けないだけのデザインで対抗することができている。
マサルが今まで手がけた本はどれもデザインが最大の弱点だと感じていたので、今回のデキには惚れ惚れする。
そして文房具の紹介だけでなく、練り込まれた企画ページのバランスもまたいい。もちろん内容も工夫にあふれている。
この本は本当に完成度が高い! きっとこの本を片手に東急ハンズに行ったヤツもいるだろう。
一気に読んでしまうのが惜しく思えて、ちょっと読んで閉じてちょっと読んで閉じて、
それをひたすら繰り返す。やはりこの情報量は、斜めに読んでしまっては失礼だと思うのだ。

 それにしてもマサルはよくこれだけの情報量を制御しきったものだ。
(初版では誤植がえらいことだったらしいけど、まあ無理もないと思う。お疲れ様です。)
できあがってみれば、誰もが見れば「へぇ~」と感心するテーマだが、見事にニッチを衝いてみせたのだ。
僕は素直に偉業だと思う。僕はこういう本が読みたかったんだ。よくやってくれたマサル。ありがとう。


2010.12.1 (Wed.)

Jリーグも最終戦が近くなって戦力外通告の時期である。今年は横浜・F・マリノスが話題の中心にいるが、
わがヴァンフォーレ甲府についてもかなりショッキングなニュースが飛び込んできた。
10年にわたってチームの中心であり続けた藤田、かつてのアシスト王・大西、ベテランの池端。
僕がファンになってからも個性あふれる活躍をしてきた選手たちが甲府を去ることになった。

甲府サポにとって最も大きいショックは藤田だろう。今シーズンも中盤で堂々と君臨していた選手が、
「ハイいりません」って判断を下されてしまった。監督サイドとの確執だとかいろいろと噂はあるけど、
甲府の攻撃サッカーの象徴を捨てるというのはかなり衝撃的な事実である。これは本当に大きい。

大西はかつて大木さんが批判を浴びつつも起用し続けた選手だ。
僕も当時はなぜ大西を重用するのかわからなかったが、安間監督時代にブレイクしてその理由がやっとわかった。
今シーズンはケガで出場試合数がかなり減ったが、決して仕事ができなかったわけではない。これも悲しい。

池端はなんといっても昨シーズンの常軌を逸した活躍ぶりが印象に残っている。
左SBで出場したくせに、ウィングばりに右サイドを駆け上がってゴール。あの身体能力は常識はずれだ。
さらにはセンターフォワードで先発してゴール。甲府ファンなら笑いが止まらない活躍ぶりだった。

はっきり言って、今回の戦力外の選手を見ると、どうも佐久間GMが大木色の一掃を企んでいるように思える。
石原は山梨県出身だから絶対に切れない。しかし、それ以外の選手は隙を見せたらどんどん切っていく。
そうとしか受け止めようがないのだ。大木さんの遺産が他人には「やりづらい」サッカーなのは事実だとしても、
そうやってチームを変えていった先には何があるのか。そのヴィジョンがまるっきり見えないのである。
少なくとも、前回のJ1時代に見せたようなサッカーをやるつもりはないようだ。チームもファンも、正念場だ。


diary 2010.11.

diary 2010

index