diary 2011.6.

diary 2011.7.


2011.6.30 (Thu.)

というわけでテスト本番なのであった。もうとにかく、当日に間に合っただけで満足だ。レヴェルの低い満足だが。

テストが始まって30分ぐらいしたところで、テストについて質問や疑問がないか各教室へ訊きに行くのだが、
僕とは違うクラスを教えているもう一人の英語の先生が「誰も質問してこなかったよ」と驚いているのであった。
昨日の日記でも書いたように、僕のつくるテストは論理的に丈夫にできているから、生徒からの質問がないのだ。
質問を訊きにいって毎回「ないですね。じゃあがんばってください」で済ませるのは、僕のちょっとした誇りなのである。


2011.6.29 (Wed.)

今回のテストは運の悪いことに初日の一発目なので、本当に余裕がない。
おかげで一人遅くまで残って作業。家に帰っても風呂に入って気分転換してからまた作業。
どうしてこんなに手間がかかってしまうのか不思議なのだが、首をひねっていてもテストは仕上がらない。
最後に残った長文の問題文づくりをどうにか終えて、解答用紙もそれに合わせて完成させて、終了。

思うに、僕は自分の中に論理的な流れを持っていて、それに100%に近い完成度で合わせたがるので手間がかかるのだ。
ふつうの人が考えない部分で、僕は自分の生み出すものが論理的につながっているかどうかをひどく気にしている。
次の段階へ進むのに唐突でないこと、自然な流れで自分の狙った方向へと導いていくこと。そこにこだわっている。
そういう無数の試行錯誤を経たうえで、論理的に無理のない完成品を送り出しているはずなのである。
昔っからそうで、それがもう完全に習性になってしまっているのだ(たとえば1月の仙人の絵とか →2011.1.20)。
でも受け取る側は僕と同じ手間をかけて味わってくれるわけではないので、どうしても気づいてもらえない。
そんな悲しい経験を、小さい頃から数えきれないほど味わっているのである。でも手を抜けない。
いつか報われたいですなあ……。


2011.6.28 (Tue.)

テストづくりで意外と時間がかかるのが、解答用紙づくりなのである。人によってはテキトーに済ませるところだが、
むしろここをきちんとしないとテストを受ける側に無用な混乱を与えることになるので、僕はこだわる。
テストを受ける側がよけいなストレスを感じることのないようにレイアウトをつくり込む作業は、実はけっこう大変だ。
逆を言えばここがセンスの見せどころになるわけで、出版社出身としては全力を尽くさなくてはならないのである。
しかもまあ、1年生は英語ならではの4本線が必要になるので、幅をとる分だけよけいにレイアウトが難しい。
仕上がったときには誇張なしで足下がフラフラになっているのであった。でもまだこれで半分だし! つらいよー!


2011.6.27 (Mon.)

今日も今日とて授業とテストづくりである。だいぶ恒例のクロスワードづくりには慣れてきて、
わりとあっさり完成させることができた(勉強が進んだことで使える単語が増えてきたことがやはり大きい)。
とはいえ休むヒマなく今度はリスニングの構想を練る。そうなのだ、今回はまたバカ丁寧にリスニングもやるのだ。
まずは素材となるCDの中身を確認することからスタート。上の学年はなんとかなりそうだが、下が問題だ。
しょうがないので教科書の素材を利用することにした。UA-25EX(→2010.1.162010.1.17)で編集してごまかす。
その作業もバカ丁寧にやっているので本当に時間がかかる。自分でもどうにか抜けるところは抜きたいのだが、
一度本気を出して取り組まないことにはその力加減が見えてこないのだ。泣く泣くひとつひとつの作業をこなしていく。
もう本当に、今回は時間が足りない。毎回ヘロヘロになっているけど、夏バテ気味のところに2倍以上の手間ってことで、
まさに地獄のようなテストづくりとなってしまっている。でもまだまだ終わる気配がない……。


2011.6.26 (Sun.)

今回は2学年分のテストをつくらなくてはいけないので、単純計算で負担が2倍なのである。
「貴重な2連休じゃ、どっか行くぞ!」というわけにはとてもとてもいかない状況なのだ。
そういうわけで、筆記用具を持って近所をフラフラして今日もテストの構想を練る。

僕はこういうことにかけては不器用な人間なので、テストをつくるときはまずルーズリーフに手書き。
そうして全体の構成を考えるところから始める。出題形式と点数配分が固まったところでようやく問題をつくる。
それも手書きだ。0.4mmのゲルインクボールペンでルーズリーフの片面にびっしりと文字を書いていく。
当然、書かれているのはぜんぶ英語なので事情を知らない人が見たらけっこう怖い事態と思われるかもしれない。
ともかく、そうして文法問題、英作文問題、和訳問題をつくる。その次はいよいよ長文だ。

去年は長文をゼロから自作したのだが、今年は受験学年ということで公立高校の過去問をアレンジしている。
とはいえ時事ネタ(今回は修学旅行)を交えてつくる対話文との2本立てに決めたので、まあ結局自作もしたわけだ。
自作すると、これまたルーズリーフに英語をびっしり、である。自分の頭の中に他人を抽き出し、英語で会話を進める。
現実にしゃべる場面では詰まるのに、書き出すと意外とスムーズに英語が出るのが面白い。
これを集中力の続く限り進める。バリバリと音が聞こえるんじゃないかってほどに勢いまかせで書き出していく。
そうしてできあがったものの中で設問に使える部分を探し出してアンダーラインを引き、番号をつける。そんな感じ。

長文をひねり出すのは本当にキツい。でも出し終わったらおしまい、ではない。
恒例のIllustratorを使ったレイアウトが待っているのである。割付をしながら問題を差し替えるなど修正も入れていく。
長文は特に、今回はB4×2枚にうまく収まらなかったこともあり、腰を据えての修正を迫られる。これがまたつらい。
集中して取り組みすぎて客観的に見つめられなくなるのもまた困るので、ある程度やったところで強制終了にする。

それにしても今回は本当に厳しい。2学年分やるってのは負担が絶対に2倍以上になっている。手が抜けません~。


2011.6.25 (Sat.)

髪の毛切ってテストの構想練って家帰ったら寝てた。貴重な午後をすっかり浪費してしまった。まずい!
でも夜になるとしっかりと眠くなるのであった。いくら寝ても足りませんなー。


2011.6.24 (Fri.)

梅雨の晴れ間は湿度が高くて困る。異様にのどが乾くので水筒を持参しているのだが、毎日激しい消費量である。
そんな感じで水分ばっかり補給しているせいなのか、家に帰ると今ひとつ力が出ない。早くも夏バテの様相だ。
昔は夏バテなんぞまったく縁がなかったのだが、どうもここ最近は見事に夏バテが直撃するようになってしまっている。
近くにスタ丼屋があれば問題ないのだが、なかなか世の中そううまくいかないのだ。

去年はひたすらカレーばかり食って夏を乗り切った。その経験があるので、さっそく街に出てカレーをいただく。
大手チェーンの中ではココイチが最も僕の味覚にフィットするのだが、ポークカレー以外の値段が高くなるのが難点だ。
それでも奮発して期間限定メニューの「チキンと夏野菜カレー」を食ってみたらこれが非常によろしい。ハマりそうだ。
しかしこればっかり食っていたら財政的にはピンチである。なんとかうまくやりくりして夏バテに対処せんとなあ。


2011.6.23 (Thu.)

木曜日は5時間の授業で放課後宿題チェックして部活のランニングと筋トレに参加すれば家じゃ何もできんわな。


2011.6.22 (Wed.)

僕の顔を見ると走って寄ってきて必ずぶったたいてくる中1女子がいて困るんですが。
あと、学年を問わずどこに行ってもつねに男子がまとわりついてくるし、心の休まる時間がない。
中学生って本当に面倒くさい。自分もこんなに面倒くさい存在だったのかねえ。


2011.6.21 (Tue.)

正直、最近はちょっとお疲れ気味かもしれない。力の抜きどころがわからないままで突っ走ってきて、
そろそろ限界が近づいているのではないか、と思うのである。それだけ一生懸命にやっているということではあるが、
家に帰っても特に何かを積極的にやるというわけでもなくあっさりギブアップして寝てしまう生活は、
やはりどこかよろしくないように思う。スパッと気晴らしするネタもないし、どうにも停滞している。
なんとかせんといかんなとは考えているのだが、これといった決定打を思いつかない。うーむ。


2011.6.20 (Mon.)

ウチの学校のグラウンドは狭くて狭くて困っちゃうのである。
放課後はその狭いグラウンドをさらに2つに分けて使っているわけで、サッカー部としては一般的には非常に困る事態だ。
なぜなら、強くて正確なキックが実戦では必要になるからだ。グラウンドが狭いと、その練習ができなくなってしまうのだ。
実際、伝統的にウチのサッカー部は狭いエリアに固まるサッカーをやって負けてきたのだが(→2009.4.112010.10.1)、
大木監督の狭いサッカーの影響を受けた僕としては、「狭くて上等!」と開き直ることにしている。
そしておととい観た川崎のショートカウンターは、狭さに苦しむサッカー部としてはけっこういいヒントになった。
練習の最後は必ずゲームで締めるのだが、ウチはグラウンドが狭いのでいつもそれが「ミニゲーム」になってしまう。
でもミニゲームなら、それはそれでショートカウンターの意識を高めるにはいいのではないか、と思えたわけだ。
そういうわけで、今後のわがサッカー部は、ショートパスとショートカウンターを徹底していきたい。いや、いかざるをえない。
目指すのは、狭いけど走るサッカーだ。狭けりゃ狭いで、徹底的に開き直るしかないよね、もう。


2011.6.19 (Sun.)

日記を書いて、あとはゆったりと過ごした。梅雨時はどうも積極性がなくなってしまって、自分で自分がつまらん。


2011.6.18 (Sat.)

実は密かに「今年はサッカー部の顧問として、月に一度はサッカーの試合を観よう」と決めていたのだ。
で、この6月には首都圏では水戸×富山があったり草津×京都があったりするのだが、
梅雨時の遠出というのは意外と億劫極まりないもので、面倒臭さが勝ってそれらはパスすることにした。
とはいえ試合を観るという目標は達成したい。それで対戦カードを眺めていたら、これだ!というものを発見。
等々力で開催される、川崎×広島である。広島のペトロヴィッチ監督が展開するサッカーをこの目で観たい。
(勘のいい人ならもうわかっていると思うが、基本的に僕は監督が誰なのかで観たいサッカーが決まるのだ。)
そういうわけで、昼過ぎになって武蔵小杉に移動。駅で昼飯を食い終わったらザンザン降りである。
等々力陸上競技場は自転車で簡単に行ける場所のはずだが、今回もしっかり雨に祟られてしまった。

しばらく日記を書いて時間を調整すると、等々力陸上競技場に移動。武蔵小杉駅からは微妙に距離がある。
いつも初めて訪れるスタジアムについてはぐるっと一周することにしているのだが、等々力は2回目なのに入口がわからず、
結局雨の中をごていねいに一周してしまうのであった。なんとも間抜けなものである。

  
L: 等々力陸上競技場。今年は川崎市出身・岡本太郎の生誕100周年で、彼の「挑」の字がユニフォームにも使われている。
C: 紙芝居で盛り上がるお子様たち。いろんな工夫をしているなあ。  R: 等々力陸上競技場はトラックがあるけど妙に観やすい。

さて等々力といって真っ先に思い浮かべるのは……そう、2007年9月30日の川崎×甲府戦である(→2007.9.30)。
この試合がどれだけ悔しかったかは当時のログを参照してもらうとして、でもまあやはり、同じ雨ということもあり、
あのときの感情がフラッシュバックするのであった。休業中とはいえ、いちおう甲府サポの端くれですので。

MacBookAirで日記を書きながら試合開始を待つ。キックオフ2時間前に会場入りしたのでとても余裕がある。
そしたらかつて川崎に所属していた岡山一成が登場。フロンターレが主催する震災復興支援ボランティア活動について、
お礼のコメントを披露する。その朴訥なしゃべりに自然と笑いが巻き起こり、川崎サポは大盛り上がりとなるのだった。
なるほどこれが元祖の「岡山劇場」なのかー!と、ちょっと感動(→2007.11.24)。いいもん見せてもらったなあ。
キックオフ1時間前になると、川崎の選手が練習を開始。対する広島の選手はぜんぜん出てこない。
そしてずいぶん時間が経ってから登場した広島の選手たちは、思い思いにシュートを打つ程度の軽い練習だった。

  
L: 試合前、かつて川崎に所属した岡山一成が登場。いわゆる「岡山劇場」である。これを生で見られるとは思わなかった。
C: アウェイのゴール裏にはたっぷりとサポーターが詰まっているのであった。やはり広島はJ2やJFLとは比べ物にならない規模だわ。
R: こちらはホームの川崎サイド。雨だというのにこちらもかなりの客の入り具合だ。強いから客が入るのか、客が入るから強いのか。

試合が始まる。アウェイ寄りに陣取った僕の目の前には広島の3バックが並ぶ。
といってもどちらかと言うと「ディフェンスラインを3人で形成する」という約束になっている、という程度で、
たとえば森脇が右サイドで上がると中盤から中島が下りてきて最終ラインに入って3人になる、そんな感じだった。
かなりの期待を込めて試合を見ていたのだが、広島の3バックはそれほど特別な印象を残さなかった。

まず真相を明かすと、この日の広島はコンディションが非常に悪く、本来のサッカーができる状態ではなかったらしい。
東日本大震災の影響で6月と7月が過密日程となってしまい(だからコパ・アメリカも断念せざるをえなかった)、
広島は前節の浦和戦でかなり消耗していたようなのだ。そのため、前半は守りに徹して後半に賭ける作戦をとった。
しかし素人はそんなのは知ったこっちゃないのである。こちとら広島のサッカーが見たくて来た客だ。
ポゼッションして走るパスサッカーをこの目で確かめるべく雨の中を等々力まで来たわけで、僕はかなり失望した。
冷静に考えれば広島が3位、川崎が5位の上位対決である。広島が慎重になるのもわからないでもないが、
いかなる理由があろうと、自分たちのサッカーを捨てた時点で広島の敗北は決まっていたとしか僕には思えないのだ。

広島はとにかく走らない(走れない)。走らないのだが、パスは出す。当然、カットされるか、もしくは届かない。
走らないのだからそもそもドリブルという選択肢もない。たまに李と佐藤寿人が思い出したように攻めるだけ。
対する川崎は積極的に前からプレスをかけていく。パスの出しどころがなく3バックで苦し紛れに回すだけの広島は、
ショートカウンターの恐怖にさらされてどんどんプレーの質が下がっていく。見ていて本当にイライラした。
広島は時には最終ラインと中盤でブロックを形成する、なりふり構わない策をとる。ゴール前が分厚い。
しかしそれは35分、川崎のFW・矢島のアイデアによって突き崩される。クロスに対してヒール気味にシュートして先制。
その後も川崎が山瀬と柴崎を中心に中盤から前で試合を展開し、広島は必死でゴール前を固めてしのぐ場面が続く。
広島がボールを持つと、それはまるで爆発寸前の爆弾に見えた。川崎の選手が猛ダッシュでプレスをかけてくるので、
自分のところで爆発しないように(ボールを奪われないように)、すぐに次の選手に渡してしまう。逃げてばかりだ。

後半に入ると、広島は積極策をとるようになる。が、一度自ら崩している試合の流れはそうそう変わるものではない。
選手交代とともに広島のサッカーは積極性を増していくのだが、川崎の守備は前半休んだ分だけ充実している。
そして58分、川崎は左サイドからスピードに乗ったカウンターがハマる。ドリブルで突破したのはまた矢島だ。
矢島からのクロスに対して菊地の完璧なヘディングが決まって2-0。これで実質的に勝負がついた。
それでも広島は攻勢をかける。「四畳半の男」という異名を持つらしい元グルジア代表・ムジリのプレーは面白かった。
トップ下の位置でぜんぜん動かないのだが、絶対にボールを奪われないし、それでいていいところにポンとパスを出す。
中盤の高い位置で預けて飛び込むサッカーにはうってつけだ。大木監督の京都に移籍したら面白いかもしれない。
そうこうしているうちに、矢島が中村憲剛と交代。等々力が大歓声に包まれる。中村憲剛は絶大な人気があるなあ。

  
L: 前半、強固な守備ブロックを敷く広島(ピンク)。噂で聞いていたのとはまったく異なるサッカーが目の前では展開されている。
C: 川崎は広島守備陣に対し、積極的にショートカウンター狙いのプレスをかける。前線で圧力をかけ、中盤で奪うサッカー。
R: 試合終盤、猛攻を見せる広島。しかし川崎の集中した守備の前に、どうしてもゴールを奪うことができない。

攻撃面のタレントがそろった広島は最後の最後で猛攻を見せるが、川崎の集中した守備網を破ることはできなかった。
前半に攻めて得点を狙い、無得点でもアウェイだから後半は守りきればいい、という逆のサッカーの方が、
勝ち点を取れる可能性があったのではないかと思うが、まあそれは結果論でしかない。
ともかく、自分たちのサッカーを展開する時間を自分たちで減らしてしまった広島は、相応の罰を受けることとなった。

 2点目を決めた菊地がもらった米俵を掲げる。ほほえましいなあ。

まあよく考えてみたら川崎の中盤って山瀬・稲本・柴崎に中村憲剛がいるわけで、そりゃ強いに決まっている。
そんな連中がサボらずに前からプレスをかけるサッカーをやっているわけだから、生半可な守備意識では通用しない。
広島が前にパスを出せずに3バックでボールを持ち続けるならば、それは絶好のショートカウンターのターゲットになる。
そう計算して広島を自滅させることにしっかり成功した相馬監督がやっぱりすごい、ということになるのだろうか。
そうなるとよけいに、本来の広島のサッカーがどんな姿なのか気になる。また機会をみて観戦に行くとするか。


2011.6.17 (Fri.)

この6月は不思議と日記をがんばることができている。デジカメ画像つきのログをすべて書き上げてしまった。
デジカメの画像のついたログというのはいろいろ調べて書くことが多くなるので、どうしても時間がかかるものだ。
でもそれをすべてやりきってしまったのである。あとはしょぼくれた日常を無責任に書いていけばいい。
本のレヴューや気合を入れて書かなくちゃいけない、やや重めの内容も多少は残っているが、
とにかくこれでずいぶんと楽になった。なんとかこの勢いで過去ログの改修工事も進めていきたいものだ。


2011.6.16 (Thu.)

テレビ東京の『空から日本を見てみよう』を正座して見る。というのも、本日のテーマは「天竜川」。
わが伊那谷の上空をくもじいが飛ぶというのだから、見ないわけにはいかないのである。

まずは河口からスタート。中州の説明をしながらかなり早いペースで遡っていき、あっという間に佐久間ダム。
ここからおなじみ秘境駅の世界へ入るのかと思いきや、標高の高いところにある集落を紹介していく。
そんなところに暮らしているのか!と素直に驚かされる生活ぶりで、人生いろいろですなあと思うのであった。
その後も秘境駅についての言及は思ったよりも少なく、むしろ地形の紹介が積極的になされていた。
河岸段丘も扇状地も伊那谷で育った地理の専門家としては常識中の常識なのだが、
一般の視聴者にはなじみがないものだったのか、とようやく気づかされたのであった。

さて肝心のわが故郷・飯田だが、フィーチャーされたのは「下山ダッシュ」(→2008.9.9)。
飯田線のオメガカーヴを電車と競争する競技で(アンサイクロペディアの記事が意外と参考になる ⇒こちら)、
それに挑戦する人々の姿が紹介されたのであった。下山ダッシュはテレビ受けはするだろうけど、
地元民が実行することなんて滅多にないわけで(ゼロとは言わん)、そこだけ出すのもどうかと。
実質的に飯田の場面が下山ダッシュだけで終わってしまったのは、けっこう切ない事態なのであった。

その後は木曽山脈に寄りつつゴールの諏訪湖へ。「釜口水門」という名前がテレビ東京とはいえ、
全国ネットで呼ばれたことに、何とも言えない感慨を覚えたのであった。うーん長野県民。


2011.6.15 (Wed.)

そろそろ夏休みの計画を立てないといけない時期なのである。いろいろ不透明だけど、決断しないといけない。
一時期には旅行の計画を立てることが生き甲斐、という状態に陥っていた僕ではあるが、
都道府県庁所在地めぐりが終わってからはさすがにそこまで切羽詰まった感じではなくなってきた。
でも行ってみたい場所はまだまだいくつもあるわけで、せっかくの夏休みを有効に活用すべく策を練ってみる。

なんといっても今年は震災の影響が大きい。あえて東北に行って少しでも地元経済に貢献するというのもいい。
でもまあ、それなら一人旅ではなくってもうちょっと盛大にできないものかと思う。
あくまで僕の趣味は貧乏旅行の一人旅なので、経済的な貢献は高が知れているのだ。お土産買わない主義だし。
まあ東北については、機を見ていずれ訪れてみることにしたい。

3月には福岡に行ったわけだが(→2011.3.262011.3.27)、今年は九州にこだわってみようかな、と思う。
なんせ九州は広いので、夏休みの機会にじっくりと、暑い九州を相手にしてみたい、と考えているのである。
問題はやっぱり行くまでの交通費。今年は震災の影響で飛行機がお盆近辺も割引運賃になっているのだが、
それでも十分高いのである。新幹線の方がリーズナブルなのだ。……なんか去年と似てきた感じがする。
毎度おなじみ青春18きっぷを駆使して、どうやって貧乏ながらも存分に暴れるか。知恵の見せどころだぜ。


2011.6.14 (Tue.)

宿題チェックがどうにもならんので、グラウンドでサッカー部の面倒を見ながらチェックをやることにした。
生徒たちが練習をする脇でひたすらノートチェック。で、ゲームなんかで自分の出番がくるとそっちに参加。
終わって戻ってまたチェック。そうするとどうも宿題チェックの方に集中力が傾くようで、プレー内容はイマイチ。
チェックが終わって練習に専念できるようになると、ようやく前から積極的にプレスをかけるプレーをするようになって、
僕のプレーぶりや声に乗せられてか、チームも統制がとれるようになり、けっこう連勝したのであった。

やはり生徒だけだと「なんとなく」のプレーになってしまうことが多い。中学生はそんなものなのかもしれないが。
実際に僕が入って積極的なプレーを見せることで、ようやく全体の温度が上がるということがよくあるのだ。
できればそれを僕がいなくても解決できるようになってほしいのだが、そういう賢さのある生徒はまだ少ないのだ。

それにしても、守備では前からゴリゴリにプレスをかけてボールを奪うように意識づけをし、
攻撃では走りまくってできるだけたくさんパスコースをつくるようにと指示をする。これは完全に大木さんのサッカーなのだ。
しかしながらこっちは僕を含めて足下の技術がおそろしく未熟だ。でも方向性はかなり近いものがある。
こうなりゃとことん、大木さんのサッカーをなぞってみようかと思う。どこまでできるか、やってみるか。


2011.6.13 (Mon.)

信州ダービー@長野のチケットが入手できなくて悔しいので、あえてログに残しておく。

来月には長野市でJFLの信州ダービーが開催されるのだが(前回、松本のアルウィンでの試合 →2011.4.30)、
そのチケット入手方法を調べた際に唖然とした。長野パルセイロのホームゲーム会場での販売が基本となっていたのだ。
もともと長野パルセイロの本拠地・南長野運動公園総合球技場は収容人数が極めて少ないうえ、
トラブルが心配されるダービーマッチということで、チケットの枚数じたいもかなり制限されていたのである。
この売り方は地元サポーターを最優先する姿勢なので納得できるのだが、でも正直切なくってたまらない。
いちおうセブンイレブンでも売ったらしいが、100枚しか割り当てられていないので、もう、ないのと一緒だった。
昨日がチケットの発売日だったんだけど、諦めるしかなかったので、けっこうモヤモヤしてしまった。

せっかくの信州ダービー、今度はぜひ長野がどれだけ盛り上がっているのかを、この目で確かめたかった。
でもそれは見果てぬ夢となってしまった。アルウィンでの試合だけじゃ本当に片手落ちなんだけどなあ。
日記に社会学的視点を交えたレポートを書くからってことでプレス扱いしてくれないかなあ。
どうしても長野でも信州ダービーを観てみたいんだけどなあ。参ったなあ。

過去ログでは今年の1月分と2月分を完了。英語を数学で考える(→2011.1.19)など、いろいろやっております。
借金返済に目処をつけて、過去ログの修正改装工事もがんばっていこうと思っておりますんでヨロシク。


2011.6.12 (Sun.)

顧問の先生に頼まれて女子テニス部の引率をすることに。これが彼女たちにとっては最後の大会となるのだ。
結果としては、一生懸命やったんだけど勝てなくって引退、ということになってしまった。
残念だけど、実力の世界なんだからしょうがない。しょうがないけど、残念な気持ちが残る。
でもこれを振り払わないことには成長できないのだ。次の目標に向かうことができないのだ。

それにしても、ついこのあいだ入学してきて一緒に中学校生活に適応してきた連中が、もう部活を引退してしまうとは。
3年生の先輩が必死にがんばっているのを見て(オレも一緒に、肉離れになるほど懸命にサッカーやったし)、
初心者の状態から毎日がんばって経験を積んでいった、そんな連中がもう引退の時期になってしまったのだ。
あのときの3年生とまったく同じ状況に、今の彼らはあるのだ。信じられないし、信じたくない。でも現実。
3年間という時間があっという間に過ぎてしまった。そのスピードは恐ろしく速い。本当に、恐怖を感じるほどだ。
焦る必要はないけど、毎日危機感を持たないとなあ。時の流れに流されているままでは、何もできやしない。


2011.6.11 (Sat.)

風邪を完治させるべく、今日は何もしなかったぜ!……って、適度に日記は書いた。
6月はどうせ梅雨だし休みもないしで、どっかへ旅行に出ることはない(実際、去年6月のログは画像がゼロだった)。
このチャンスにぜひ、残っている大物の日記を片付けておかなければならないのである。
そうしないと、またつらい歴史(日記書き終わらないうちに旅に出て日記がたまる悪循環)を繰り返すことになる。

そういえば、今年の夏は当初の予定どおりにスケジュールを組んじゃってもいいのだろうか。
節電で電車の本数が減って……ってのは、旅行する身には一大事なのである。
そもそも、個人的なステップアップっつーものも考えなきゃならないわけだし。今年は例年以上にいろいろ不透明で困る。


2011.6.10 (Fri.)

顧問の先生に頼まれて今日は吹奏楽部の面倒を見ることになったので、音楽室に乱入。
今年からすべての学年を教えるようになったので、だいたいの生徒とは顔見知りになっている状況で、
練習風景をがっつりと見学したり音楽準備室のドラムセットを軽くたたいてみたり、けっこうやりたい放題させてもらった。
しかしドラムスをたたくのはもう何年ぶりかという有様なので、バスドラムを踏み込む力が弱くて困った。
なまっとるなあ、サッカーばっかりやってる場合じゃないぜ!と思うのであった。まあ、思うだけなんですけど。


2011.6.9 (Thu.)

まだまだ本調子じゃない中でALTと授業。体調が悪いと集中力が発揮できないので、
ALTとのコミュニケーションがうまくいかない。集中しないと英語が出ないオレに問題があるわけだが。

放課後はサッカー部でミーティング。前回の試合(→2011.5.28)について、できたこととできなかったことを整理し、
今後チームとしてどうしていくか、方向性を決める。結果、部員みんなで走るパスサッカーを志向することになった。
これって言うのは簡単なんだけど、効果的にやるのはとても難しい。日頃の練習からこだわっていかないといけない。
いろいろ研究して練習メニューを充実させないといけないのだが、そのためには時間が必要だ。
今年は本当に、やるべきことがいろいろいっぱいあるなあ、と途方に暮れるのであった。ニンともカンとも。


2011.6.8 (Wed.)

今日はよくわからんけど偉い人が視察しに来る日なのであった。
しかし当方、運動会疲れで風邪を引いた生徒たちの包囲網によって結局菌をうつされてしまい、
夜中に38.5℃の熱を出すほどの体調の悪さに苦しんでいたのだ。それでもフラフラしながら根性で授業。
よりによってこんな状況で授業やっているところを視察せんでも……と思うが仕方ない。
自分の授業が終わって熱を計ったらやっぱり38℃あるんでやんの。病院に直行、薬を出してもらう。
そんでもって研究授業の途中で早退。家に着いてベッドに倒れ込んだらそのまま夜まで寝ていた。


2011.6.7 (Tue.)

サッカー日本代表のチェコ戦をテレビで見るのだ。ちなみにウチの部員で約1名、現地で観戦した幸せ者がいる。
こちとらいいなあーいいなあーと部活の間ずっとうらやましがるのであった。

そんなにうらやましがるのには理由がある。2006年のドイツW杯、チェコ×アメリカ戦を見て以来(→2006.6.12)、
僕はにわかチェコファンなのである。その試合ではネドヴェドが走りまわってコラーが落としてロシツキーが攻めまくる、
素人でも見ていて鼻血が出そうなほど美しいサッカーが展開されていたのだ。思わずアウェイの白いユニ買ったもんなあ。
(ちなみにそのユニフォームはブルガリア製だったってのがまた面白いのであった。今でもふつうに着るしな。)
まあとにかく、僕にとってはふつうの代表の試合以上の興味関心がドクドクと湧き出すカードなのである。

日本代表はここんところのテーマである3-4-3に、いつものスタメンの常連を当てはめる形でスタートする。
対するチェコは若手主体。でもGKにはチェフがいる。かつての勢いはないにせよ、十分気合の感じられるメンバーだ。
かつてのチェコはFIFAランク・ベスト10に入って当たり前という強さを誇っていたが、現状なら日本も十分やりあえる。
実際、試合が始まると、日本はしっかりとボールを保持しながら意欲的にチェコ陣内へと入っていく。
が、とにかくチェコの守備が堅い。チェフはもちろん、DFのところでしっかりと止められてしまってチャンスがつくれない。
しかもチェフのゴールキックがやたらと飛ぶ。それだけでなく、投げても信じられないほど飛ぶ。さすがだ、と唸らされる。
後半に入ると本田が中央でプレーしたがり、3-4-3としてはどうなのよと思う反面、チャンスもたまに発生するようになる。
しかし52分のゴール前の混戦では吉田がヘッドをはずしてしまい、77分の混戦ではGKチェフが倒れながらのビッグセーブ。
チェコの守備の堅さは本当にすばらしいものだった。やっとこさDFを振り切っても最後にチェフがいる、という状況は、
さすがにヨーロッパレベルでアジアにはないものだ。でもそれを崩せるようにならなくちゃいけないわけで、
相変わらずの課題を今回も突きつけられたという感じである。あとはやはりカウンター時のチェコ選手の上手さ。
ボールを扱うひとつひとつのプレーが速くて正確だ。トラップや球際での加速など、日本はいつまで経っても改善されない。
なるべくしてなったスコアレスドローという結果に、負けないようになっただけいいか、と開き直るのであった。


2011.6.6 (Mon.)

今日は振替休日。やはり午前中はのどかに過ごし、午後からサッカー。予想に反して天気は快晴でつらかった。
なぜかはわからないのだが、最近の僕は以前に比べてボールタッチが妙に思いどおりにいくようになり、
相変わらずリフティングはヘタクソなんだけど、それでもボールを柔らかく扱うことができるようになりつつある。
僕の理想は生徒に対して柔らかなパスを供給できるようになることなので、その点では少し成長した気がする。
従来の当たりの強さを生かした前への飛び出しに加えて距離感のいいパスを出せるようになれれば、いい見本になれる。
そんな感じで攻撃のセンスをちまちまと磨いております。あとはもっと視野を広くしないとなあ。


2011.6.5 (Sun.)

今日一日はだらしなく過ごしてリフレッシュなのだ。のんびり過ごしつつ無理せず日記を進める。
僕自身はそれほど意識していなかったが、やはり運動会というのは非常に大きな行事だけあって、
知らないうちにいろいろ無理をしていたようだ。おかげでずいぶん精神的に楽になった気がする。


2011.6.4 (Sat.)

運動会本番。天候はこれでもか!というほどの見事な晴れ具合。むしろ炎天下すぎて困るほどだ。
内容もダラダラしているやつがいなかったので、異様にテンポよく進んでいったのであった。
組体操の4段タワーは午前中には失敗したものの、練習でできなかった5段ピラミッドがすべて成功。
午後になってリベンジの時間をとり、4段タワーに再度挑戦したところ、一発で立てることができた。
まあそんな具合に、ひ弱で知られたわが3年生たちだったが、きちんとやりきることができてよかったよかった。
地域の皆様からもとても高い評価がいただけたようで何より。2年前の彼らを考えると奇跡のような一日だったなあ。


2011.6.3 (Fri.)

運動会前日なのに研修。3年目なのに2年次の研修。僕と同じ目に遭っている人たちと現場で会って、
互いに励まし合うのであった。もっとも研修担当の方もその辺の事情は十分すぎるほどわかってくださっていて、
「どうか前向きに!」と何度も繰り返していたのであった。そこまで言われちゃ前向きにならざるをえないわな。

職場に戻ると当然のことながら運動会の準備に追われる。といっても例年やっている会場準備はすでに終わっていた。
貴重な若手の労働力である僕が協力できなかったのは、仕方のないこととはいえ、なんだかとても申し訳ない。
BGMをまとめたMDをつくり終えると、ようやく毎日恒例の宿題チェックに入る。地道にひとつひとつミスをみていく。
大変なんだけど、きちんとやっておかないと後でもっと大変なことになってしまうだろうから、ガマンなのだ。
まだまだ力の抜きどころがわからない状況が続いている。もっと要領のいい人間になりたいわ。


2011.6.2 (Thu.)

今年に入ってどうも、去年にはなかった事務処理的な仕事が増えた気がする。
それって本来は必要のない手続きだと思うのだ。本来のわれわれの仕事ではないものであると思う。
もうちょっと授業の準備に時間をかけられるようになりませんかね。本末転倒なことがわからないのかね。
僕としては授業の質を上げることが絶対的な第一の目標であるわけで(自分でまったく満足できていない)、
そのための対策がなかなか思うようにできていないのがつらい。もっとうまく時間を使えるようになりたい。


2011.6.1 (Wed.)

運動会の予行演習。だいたい本番と同じとおりに確認をしていくのだ。
今年は放送関係の担当ということで、なんだか小学生の頃からやっとることがあまり変わらんなあ、という気分だ。
生徒にナレーションの指示を出したり曲をかけさせたり、比較的順調に進んでいく。
でも終盤近くになってトラブル発生。本番で再発させないように、対策を練らねば。

夜はサッカー日本代表のペルー戦である。ザッケローニの3-4-3がどこまで通用するか、ということだが、
フレッシュな選手が多かった影響かあまり効果的ではなかった印象。シュートも少なくて地味な展開。
後半には4-2-3-1に戻して点を取りにいったが、ペルーはしっかり守って得点を許さない。
終盤になると日本の足が止まってしまい、ペルーが怒涛の攻撃をみせる。グイグイ押し込んできて、本当に怖かった。
どうにか守りきってスコアレスドローとなったが、あれだけの攻撃を防ぎきる川島はやはりすごいと心底思った。
そして、ほぼ地球の裏側から来ているにもかかわらず、しかも日本は原発の問題で大騒ぎになっているにもかかわらず、
全力でプレーをしていたペルー代表こそ、すばらしかった。南米のナショナルチームは日本での試合でも手を抜かないで、
きちんと勝ちにくる印象があるのだが、そういう相手がいてくれるということがまずうれしいことではないの。


diary 2011.5.

diary 2011

index