diary 2011.7.

diary 2011.8.


2011.7.31 (Sun.)

デジカメを新しくしたけど、試し撮りもしないままで旅行へ出るわけにもいかないので、いい機会はないかと探っていたら、
東京スタジアム(味の素スタジアム、以下しょうがないので味スタと表記)で東京V×大分戦がある。
ヴェルディに興味はないけど、大分にはある。現在の大分は経営難から地道に脱却しようとしているのだが、
田坂監督が3-4-3であれこれ工夫をしているらしい。よし、デジカメの練習も兼ねてちょっと見学に行くかー!と、
部活が終わってそのまま自転車を走らせる。自転車で国立まで行く場合、調布と府中の東西の幅に辟易するのだが、
味スタだったら気分はかなり楽になる。狛江通を抜けて国領に出れば調布駅はすぐ。そこから少しガマンすればいい。
唯一の不安は天気だったが、午前中の部活のときには降ったりやんだりだった雨も上がって曇りで固定された感じ。
湿度はあるけど直射日光がないからそれほど疲れない。コンディションとしては上々だ。

自転車で多摩地区に来るのは久々だったが、難なく調布駅に到着。時間調整も兼ねてカフェで日記を書いて過ごす。
そしてついに4月・5月・6月の日記を書き上げ、過去ログの未処理がゼロになった! 正確に言うと前月分までの完済で、
今月分はまだあるが、それでも快挙なのだ! まあ、もう月末だからまた明日から借金状態になっちゃうんだけどな!

そんなこんなで機嫌よく味スタに到着。緑の服を着た人だけでなく、青い大分サポもけっこうな数がいた。
ネットで押さえておいたチケットを受け取ると、スタジアムを一周。よく考えたら味スタを一周するのは初めてであった。
隣は調布飛行場で大雑把な郊外の緑という印象。味スタは大きいので、一周するのに思ったよりも時間がかかった。

で、ようやく中に入ると人だかりができている。覗き込んでみたらなんと、こないだW杯で優勝したなでしこジャパンから、
日テレベレーザに所属している岩清水選手と岩淵選手のサイン会をやっているのであった。けっこう距離が近い。
まさかあの大活躍をしていた選手の顔を、こんなにあっさり目の前で見ることができるとは……内心、かなり興奮。
岩清水選手は全試合スタメン出場だし、岩淵つったらもう女子の選手では一番の注目株。これはすごい。
まあそんなわけでしばしおふたりを眺めて過ごす。岩清水選手はすごく気さくでにこやかな対応をしていたのだが、
岩淵選手はもう少し笑顔を見たい感じでしたな。マナマナしたかったです。

  
L: 味スタ。なんだかんだでちょくちょく来ているなあ。新デジカメで撮影した一発目がこの写真。いかがなもんでっしゃろ。
C: 岩清水選手と岩淵選手。岩清水選手はいい人丸出しな感じ。岩淵選手はボーイッシュ女子としては最強なかわいさだと思います。
R: 両選手が実際に着用したユニフォームと、震災の被災者へのメッセージが書かれた日の丸が展示されていた。

チケットの種類と観戦できる席の関係をよく確認しないまま買ったのがまずかったようで、ホーム側のバックスタンドへ。
僕としてはヴェルディを応援する気などゼロなのでもうちょっとアウェイ寄りの位置で観たかったのだがしょうがない。

 はい味スタのピッチ。

ヴェルディヴィーナスのダンスが練習前に披露されたのだが、すごく見ごたえがあった。J2のクラブでこれだけ踊れるってのは、
たぶんほかにはないんじゃないかと思う。今の東京Vの状況を考えると、ちょっともったいない存在かなあ、と思ってしまった。
そして両チームの練習が始まる。デジカメに慣れておくいいチャンスということで、いろんな人や物を撮影してみる。

  
L: 試合前の練習風景。ピッチサイドで見学できるサービスがあるみたい。これはけっこういいサービスだと思う。
C: 「バウル」こと土屋。スキンヘッドがトレードマークで、神戸時代にはシジクレイ・北本とともにスキンヘッドの3バックを構成したことも。
R: 甲府からレンタル移籍中のマラニョン先生。すげえなあ、新デジカメ、ここまで遠くもくっきり撮影できちゃうんだなあ。

ひたすらデジカメをいじって過ごしていたのだが、もうすごい威力。デジカメのディスプレイを通して見るほうが、
肉眼よりもはるかにわかりやすい(最近のデジカメに慣れている人なら当たり前のことかもしれないが)。
ここまで撮れちゃうのかー、すげえなー、とひたすら独り言をつぶやいてカメラを構えるのであったこよ。

  
L: 試合前、岩清水・岩淵両選手からW杯優勝の報告があった。ヴェルディヴィーナスの皆さんが出迎える中、登場。
C: 遠路はるばる味スタまで来た大分サポの皆さん。上に固まっているのは雨をよけていた影響。声が響いていたなあ。
R: こちらはホームのヴェルディサポ。味スタの規模を考慮しても少なく見える。この日の入場者数はわずか3273人。うーん……。

試合が始まると東京Vが積極的に動いて攻める。運動量があり、けっこう走るなあ、と思っていた矢先に大分が先制。
前半わずか5分で、左サイドでボールを受けたチェ=ジョンハンがDFをかわしてシュートを放つ。
ボールはまっすぐゴールへと飛んでいき、そのままネットに突き刺さる。あまりにも鮮やかなシュートに、誰もが茫然となる。
東京Vにしてみれば、まるで魔法をかけられたような先制点だった。だがまだ開始5分。試合はこれからだ。

  
L: この日は主審の方もスキンヘッドなのであった。土屋といい主審といい田坂監督といいスキンヘッド祭りじゃ。
C: 青の大分は中盤を4枚フラットに並べた3-4-3。これがこの形のまま上下する。やり方じたいは富山の3-3-3-1に近い。
R: 先制点をあげて喜ぶ大分の皆さん。右端が田坂監督 (田坂監督のスキンヘッドは先天性のものなので面白がってはいけません)。

大分の3-4-3は中盤の4枚をフラットに並べたもの。これがほぼそのまま上下する、かなり組織的なサッカーをする。
格子をつくる発想は富山の3-3-3-1(→2011.3.62011.5.8)に近いが、富山が3枚ずつでサイドが弱点なのに対し、
大分の場合には4枚のワイドさを生かしてつねに守備ブロックを形成している感じになる。攻めるときには全員が上がり、
守るときにはブロックを保ちながら対応する。前線の選手以外はプレスをかけたがらず、ポジションチェンジも消極的。
そしてこの大分の組織に、東京Vは個の突破で対抗する。特に河野とマラニョンがスピードを生かしてブロックを破る。

 勢いあまってピッチサイドの看板を乗り越えてしまったマラニョン先生。無事だったからいいけど。

20分、右サイドで河野がドリブル。僕からは最も遠い場所だったが、それでも華麗な切り返しがはっきり見えた。
そのままゴール前にボールを送り、最後はマラニョン先生がしっかりと決めて同点。体温が2℃くらい上がるドリブルだったな。
その後は両チームが持ち味を発揮して攻め合う好ゲームに。大分は3-4-3の陣形を維持してパスを回してゴールに迫り、
東京Vはそれを土屋・高橋の両CBがしっかり押さえ、中盤につないで前線へ。個の力で何度も突破を図る。

後半に入ると東京Vが攻勢を強める。待ち構える大分のブロックをパスをつなぎながら崩していき、決定機をつくる。
しかしゴールは奪えない。大分もカウンターを仕掛けるが、土屋・高橋が高い集中力で中へ入れさせない。
東京Vは守備も組織性をあまり感じさせない。土屋と高橋、CBふたりの能力だけで解決している印象だ(特に土屋)。
とにかくペナルティエリアの中に入れさせない、という守備。「組織」対「個」という構図が、さらにはっきりしたものになる。

試合展開をチェックする一方で、デジカメの練習もしなくちゃいけないのである。とにかくあれこれ撮ってみる。
今までのデジカメでは到底無理だった、ピッチ対岸の監督の撮影にもチャレンジする。というわけで田坂監督を撮りまくり。
もともと僕はベルマーレの田坂という選手は入団当初から好きで、ちょこちょことチェックはしていたのだ。
理由は、スキンヘッドが目立っていたから。ただ目立っていただけではなく、それが端正な顔にマッチしているとも思っていた。
もちろんプレー自体にも頼もしさがあった。テレビでスキンヘッドの姿が映し出されると「おお、田坂だ」と思ったものだ。

 田坂監督はオシャレだなあ。なんか日本人離れしたかっこよさなんですけど!

後半74分、大分が相手ゴール付近でFKを得る。東京Vは個で守備をする分、ファウルになりやすかったかもしれない。
これを前田俊介が倒れ込みながらヘッドでゴール。どちらかというと劣勢だった大分には大きな得点だ。
東京Vはさらに攻める姿勢を強めるが、大分は中盤と最終ラインが距離を縮めていっそうブロックを固める。
個で攻める東京Vは、ボールホルダーに対してパスの受け手がうまく連動していない印象がする。
選手どうしの連携という点で、ボールホルダーのアクションがあってから次が動く、そこに一瞬のタイムラグがあるのだ。
ゴール前でのアイデアがないことはないし、味方のやったプレーに合わせて反応できている。その辺はさすがはプロだ。
しかし、ボールホルダーを誘う動きは少ない。ひとつひとつのプレーが、つねに結果待ちのプレーなのだ。
だからボールへの反応が、大分の守備陣と同時になってしまっている。これでは、堅く守る相手を崩すのは難しい。

  
L: FKのチャンスから勝ち越し点を入れた前田。オートフォーカスをしっかりと反応させないといけないな、と反省した一枚。
C: 東京Vは攻撃も個人技中心なら守備も個人主義。土屋と高橋はペナルティエリアにだけは入れさせない、という守備をする。
R: ドリブル突破でサイドを崩すが、大分は徹底して1点を守るサッカーを展開。結局最後まで守りきって終わった。

東京Vは最後まで攻め続けたのだが、大分の集中力が切れることはなかった。結局、1-2でアウェイの大分が勝利。
1対1で崩そうという美学を持つ東京Vに、全員攻撃・全員守備を標榜する大分が勝った試合だった。僕にはそう映った。

 
L: バックスタンドに挨拶する東京Vの皆さん。ゴール裏はブーイングだったが、バックスタンドもメインスタンドも拍手で迎えた。
R: アウェイで勝ち点3を奪った大分とサポの皆さん。堅実だけど、もうひとつ華やかさがほしいなあと個人的には思います。

帰りは調布駅近くでスタ丼をいただく。スタ丼を食うのは今月3回目である。
やっぱり多摩地区で晩メシっていうと、ファーストチョイスはスタ丼になってしまうのだ。

 いただきマンモス。

あとは狛江通を下って世田谷通りに合流し、環七を目指すだけ。帰りはゆるやかな下りになるので快調なのであった。


2011.7.30 (Sat.)

今週も別の地区で祭り。今回はフランクフルトではなくってベビーカステラ。
毎年やっていることなのだが、売れ行きがいいことでおなじみなんだそうで。
実際、祭りの始まる2時間ほど前から延々とベビーカステラを焼き続けて準備をしていたのだが、
あっという間に品切れとなってしまったのであった。これは本当に早かったなあ。
しかし前の祭りもそうだったけど、生徒たちは非常にマジメに取り組んでいてすばらしかった。
まあ、ふざけたりサボったりするよりも、ちゃんとやるのがいちばん楽しいもんな。それをわかっているのが偉い。

あと雑感としては、民主にしろ自民にろ、国会議員の先生が町内会の人たちに秘書を紹介しに来ていた。
なんというか、本当に大変な商売だなあと思ったわ。区長も来たし、皆さんホントにご苦労さんなのだ。

さてこの日は朝のうちは曇り空だったものの、昼が近くなるにつれてめちゃくちゃな猛暑へと変わっていった。
僕らの隣はかき氷の出店ということで、「かき氷ってハイリスク・ハイリターンだよなあ」なんて具合に、
生徒たちとのん気に話をしていたのだが、時間が経つにつれ、お隣さんには凄まじい行列ができていった。
片付けをしながら「賭けに勝ってよかったねえ」なんてやっぱりのん気に眺める僕たちなのであった。


2011.7.29 (Fri.)

午後は休みをもらって川崎で買い物。東急ハンズをはじめ、あちこちで必要な物を買うのであった。
それにしても、最近の梅雨みたいな天気はいったいどうしちゃったんだ、と思う。
夏休みの前哨戦であるところの3連休は快晴だったものの(→2011.7.162011.7.17)、
いざ休みに入ってみたらはっきりしない天気の連続で、非常に不愉快である。
梅雨が明けなかったことがあるが(→2011.5.30)、梅雨がぶり返すというのもたまったもんじゃない。
思えば去年は北海道で雨に祟られてもいるし(→2010.8.72010.8.82010.8.92010.8.112010.8.12)、
天気が気がかりな毎日が続くというのはとても憂鬱でたまらない。なんとかなるといいんだが。

伊良部は自殺しちゃうし、レイ・ハラカミは死んじゃうし、小松左京も死んじゃうし、ここ最近、人が死にすぎだ!
歳をとればとるほど触れる世界が広がって名前を知る人も増えるから、年々訃報が気にかかっていくわけだが、
それにしても一気にこられてニュースを受け取るこっちとしてはたまったもんじゃない。勘弁してほしい。


2011.7.28 (Thu.)

今日からは勉強なしで純粋に部活動ということで集まったのだが、さっそくマツシマ先生が怒っちゃいました。
まずぜんぜん声が出ていないわ、自分たちで道具をきちんと用意する積極性もないわ、
それで「じゃあもう今日やめちゃうか。はい解散」ってこっちがキレた演技をしても、
フニャフニャとはっきりしない態度で突っ立っているだけだわ、部員だけでの相談も小1時間かかっとるわ……。
男の運動部はもっとスパッとしてシャキッとしてダーッと勢いよくやるもんだと思うのだが、ぜんぜんなってない。
顧問の日ごろの教育方針が悪いということか。ホントにサッカー部らしくないんだよなあ。


2011.7.27 (Wed.)

本日でサマースクール終了。サッカー部はよく勉強をがんばった。
だいたい55分弱勉強して5分ちょっと休憩というサイクルでやっているのだが、
吹奏楽部のパート練習という妨害にも耐えて、なんだかんだで集中を切らさずに取り組めるのは偉い。
ぜひ試合でもその集中力を保ってもらいたいものだ。期待しているのだ。


2011.7.26 (Tue.)

松村劭『14歳からの戦争学』。

クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で「戦争は他の手段をもって行う政治の延長である」と述べた。
われわれは戦争というと、まず「イヤだ!」という感情になり、次いで「戦争反対!」となる。けっこう反射的に。
しかしたとえば近所の国が勝手に攻め込んできた場合には、どんなにイヤでも戦争状態に巻き込まれることになる。
冷戦が終わって東西対立のヴェールがはがれて久しく、アメリカがなんでもやってくれた時代はもう来ない。
北朝鮮のミサイルだったり中国の潜水艦だったり、露わになってきた現実に誰もが向き合わざるをえなくなっている。
そんな状況を冷静に考えた場合、この本の持っている価値は非常に大きい。

筆者はこの本で、若年層にもわかりやすいように、軍事の論理を紹介している。
軍事の論理というのは、現代の日本においてどの段階の学校においても学ぶことがまったくない。
しかし、平和が力の均衡によって保たれているという現実がある以上、それを学ばないことは確かに危ういことだ。
民主党の政治家が言うまでもなく軍隊とは暴力装置であり、その暴力を理性で管理することが必要不可欠なのだが、
筆者が説くその軍事の論理は、暴力をコントロールする理性が積み上げてきた経験則そのものである。
つまり戦争を学ぶということは、極めて理性的な行為なのだ。究極の暴力をコントロールする、究極の理性の世界だ。

筆者はまず、地政学的な観点からスタートする。海洋国家と大陸国家の対立を示してみせることから始める。
日本は海洋国家であり、全住民が国という船に乗り込んでいるようなものだ。国防線は海を挟んだ対岸の海岸線だ。
大陸国家の例に挙げられるのは中国。資源や人材の囲い込みが行われ、土地の争奪が繰り返される。
国防線は国境の外にある緩衝地帯。中国が北朝鮮を支援するのは、北朝鮮が中国の冊封国で緩衝国だから。
日本は海洋国家のアメリカと同盟し、連衡策をとっている。対する中国はロシア・北朝鮮と合従策をとっている。
そんな現実を考えると、沖縄が軍事的に非常に重要な場所であることがよくわかる。
沖縄が邪魔になって、中国は太平洋に出られないのだ。そしてアメリカは沖縄に基地を持って中国を牽制し、
またそうして日本はアメリカを巻き込む態勢となっているのだ。ゆえに沖縄から基地がなくなる日は、たぶん来ない。

戦争とは地震のようなもので、国家間の力関係が国力に応じたものとなる際に発生するエネルギーの放出だ。
だからあくまで相手国を自分にとって都合のよい状態に置くことが、戦争の本来の目的となる。
最小のコストで最大の利益を得るのが軍人の腕の見せ所であり、相手を殲滅することはほとんど目的とならない。
筆者は戦争の歴史を振り返り、さらに核兵器が登場してからも保たれている軍事の論理を紹介しながら、
あくまで外交の一手段としての戦争の意味を説いていく。右寄りな主張が繰り広げられる部分もあるものの、
全体を通しては極めて冷静に外交の常識・戦争の常識を非常にわかりやすく教えてくれる内容となっている。

現在の日本は外交で笑えてくるほど後手後手に回っており、中国・ロシア・北朝鮮・韓国にやりたい放題にやられている。
どうしてこんな状態に陥ってしまったのか、その論理的な解答を得るには最適な一冊と言えそうだ。
また20世紀前半に、外交の巧みなアメリカがいかに日本を戦争に追い込んでいったかも克明に描かれており、
時間的・空間的な実例によって戦争が政治の延長線上にあることが示されている贅沢な本でもある。
政治家や軍人は徹底的に現実を相手にしなければならない職業だが、その現実を認識する基礎を与えてくれる本だ。


2011.7.25 (Mon.)

『GIANT KILLING』の最新巻が出たことに気づいていなかったので、仕事帰りに買って帰る。
やっぱりめちゃくちゃ面白いのであった。たまりませんなー。
アニメのほうは偶然1回だけ見たことはあるが、テンポがまったくよくなくてウンザリした記憶がある。
個人的にはストーリーだけでなく、マンガとしての絵の上手さが鍵になっていると考える。
だから安易にアニメ化してもしょうがないと思うのだ。早く次の巻が出ないかなー。


2011.7.24 (Sun.)

今日はここ数年で最も楽しみにしていたテレビ番組が放送される日なのだ。
そう、アナログ放送終了の瞬間。それが楽しみで、地デジ化もしないでこの日まで粘ってきたのだ。
実は地デジのテレビでもアナログ放送を見ることができると知って愕然としたこともあるのだが、
いや、やはりアナログが終わる瞬間はアナログのテレビで見るべきなのだ!と思い直して今日を迎えたのである。

午前中の部活が終わると急いで家に帰り、テレビの電源を入れる。
アナログ最後の日なのだが、民放各局はいたっていつもどおり。その余裕がなんともさびしい。
やっぱこういうときはNHKだよな、ということでNHKでアナログ最後の瞬間を迎える。
アナウンサーのおねえさんが礼をしている映像で正午を迎えると、これにてジ・エンド。
あとはどのチャンネルでもBGMに乗せて青い地に白い文字で連絡先を伝えるのみとなってしまった。
これにて我が家のテレビはFMラジオ専用受信機と化したわけである。切なくってたまらん。

夜になって祭りの見回りに出る。卒業したばかりの高校1年の連中がやたらといて、まるでOB・OG会なのであった。
節電の影響で早めに終わる雰囲気になっていたこともあり、周囲はいたって平和。
OG連中と久しぶりにじっくり話し込んじゃったりなんかして、なかなかようございました。

さて家に戻ると、アナログの本当の最後の瞬間を見るべくテレビの電源を再び入れる。
やはり青い地に白い文字なのは昼間と変わらないが、これが終わる瞬間を見ようというわけだ。
僕はてっきり午前0時ちょうどをもって画面が砂嵐になるものだと思っていたのだが、
実際には23時59分になった瞬間にいきなりザー!と砂嵐状態に切り替わったので驚いたのなんの。
しばらくチャンネルをザッピングして過ごしたのだが、そのうちになんとなく、
部屋の中に一人ぼっちでいて画面に映っちゃいけない怪奇現象が映っちゃったら超怖いじゃんか!と気づいてしまい、
あっさりと電源を落としたのであった。これにておしまい。ありがとうアナログテレビ。そしてさようなら。


2011.7.23 (Sat.)

新デジカメを突如、購入してしまったのであった!
というのも、今まで使っていたデジカメの電池がここんとこ急に弱ってきていて、
しかも先日の徳島旅行の際に撮ったサッカーの写真(→2011.7.16)にも不満があって、
もう4年も使っているから新しいやつにしてみるか、と思い立ってしまったのだ。

デジカメというのは従来のカメラとは別物なんだけど、やはりカメラとしての矜持というものは失いたくないので、
僕の場合には家電メーカーではなくカメラメーカーのものを選びたい、という気持ちが強い。
そして今までお世話になったキヤノンはもうデザインについていくことができないので、そうなるとニコンかな、
ということでニコンのCOOLPIX S9100にしてみた。ナイコンナイコン。これで今年の夏はバッチリなのだ。

しかし新デジカメをいじくりまわす暇もないまま仕事に出かけるのであった。
今日は地区の祭りで、生徒がひたすらフランクフルトを焼いたりわたあめをつくったりするのだが、そのお目付け役。
日差しが強いのでテンガロン風ハットをかぶって行ったら、案の定、女子どもがキモイキモイのオンパレードだった。
生徒の休憩中にはフランクフルトを焼くのをお手伝い。郡上八幡(→2009.10.11)で衝動買いした前掛けを着け、
完全なる和洋折衷の恰好で「いらっしぇ~い」と野太い声をあげるのであった。ニンともカンとも。


2011.7.22 (Fri.)

サマースクール。1年生の英作文があまりにもできなくってキレる。
それで思わず僕の口から出た言葉が、「お前らぜんぜん英語のルールでプレーしていないんだよ!」というもの。
「日本語のルールでプレーしたって反則とられて終わりなんだよ! 英語のルールをまず覚えることからやれよ!」
そしたらこれが連中の感覚にはわりとフィットしたようで、以後ちょっとマシな状態になった。
3年生にも同じ表現で改善を促してみたが、こちらも自分の拙さを客観視するいい機会になったようだ。
こちらとしては、相手にとってよりリアリティのある言葉を投げかけることが大事、という勉強になったできごと。


2011.7.21 (Thu.)

サマースクールで部活の補習でサッカー。毎年恒例のことだが、参加している生徒はよくやっていると思う。
そういうやる気のある連中にいいことが起きるように、こっちもがんばらなくちゃいかんのだなあ。

さて今日の部活は夕方からの涼しい時間帯だったからか、ちょっとは人もボールも動くサッカーができたかな、という感触。
こういう感覚を忘れさせないようにしないといけないな、と去年の今頃も書いていた気がする(→2010.7.22)。


2011.7.20 (Wed.)

やっとこさ1学期が終わったぜー。

今年は予想以上になんだかんだで忙しく、思ったように時間をコントロールできない日々が続いている。
もっといろいろとやりたいことがあるのに、それができないという苦しみをかなりとことん味わった。
この分はぜひ夏休み中に取り返してやろうと企んでいるのだが、例のごとく部活漬けでそうもいかないのだろう。
とりあえずは体力回復に努めて、まずはコンディションを上げていくことから心がけていくようにしよう。


2011.7.19 (Tue.)

夜になって祭りのパトロールに参加。受験生の姿がチラホラ見られたのだが、お前ら大丈夫かとちょっと不安。
まあ勉強のガス抜きってことで1時間ほどお祭りの雰囲気を味わうというのならわからないでもないが、
本気で遊びに来ているとすると、お兄さんは半年後が非常に不安であると言わざるをえない。

よく考えてみたら、僕自身がそんなにお祭りが楽しいというタイプではないのだ。
小学校くらいまではプラモを買ってもらえることもあり、大いにウキウキしていたのは事実である。
しかし中学生になってお小遣い制に移行してからは、屋台のどれもこれもが無駄遣いの元凶に思えてしまい、
どこか冷めた感じでいたような気がする。当時を知る両親から「そんなことはないぞ」と言われるかもしれんが。
歳をとってからはさらに、お祭りの盛り上がりから、そのはかなさをかえって感じるようになってしまい、
かえって虚しさをおぼえるようになってしまった。だからお祭りで楽しそうにしている中学生を見ると、
なーんかちょっと幼稚でないか、と思うようになってしまっているのである。そんな僕はひねくれたオトナでございますかね。


2011.7.18 (Mon.)

サッカー女子日本代表、いわゆる「なでしこジャパン」がW杯で優勝して世間は大フィーバーである。
しかし僕はその歓喜の瞬間、夜行バスの中にいたわけで、世間からものすごく置いてけぼりをくっている感じである。
地上波での中継が急遽決まったスウェーデン戦も眠気に負けてしまったし、1試合としてまともに見ていない。
(信頼できるサッカーブログをチェックして、いちおう動向は全試合きちんと追っていたのだが、文字で確認するだけだった。)
それまでぜんぜん取り上げることがなかったくせに、ここにきてマスコミはなでしこだらけ。
まあ以前の状況に比べれば好ましいことではあるんだろうけれども、なんか納得がいかないのである。

というわけで、動画サイトであらためて全試合のダイジェストを見た。男子に比べるとスペースが非常に広い印象で、
そこをヨーロッパの選手はグイグイ切り込んでくる。しかし日本の選手は本当に献身的に粘り強く対応して守りきっている。
攻撃面については、日本はパスで崩すのが大きな特徴とされているのだが、センスのいいパスをつなぐのは相手も一緒。
日本の攻撃はパスが軸なのは事実だが、とりわけ日本だけがパスサッカーを特別に志向しているという印象はない。
むしろ体格では劣りながらも簡単にはボールを失わないテクニックの方が目についた。この点はめちゃくちゃ上手い。
パスをつなぎながらペナルティエリアに切り込み、あるいはボールをキープして、複数の選手がゴール前で選択肢をつくる。
圧倒的なセンスを持つ澤と宮間を中心に、すべてのポジションの選手ができるだけ多く絡んで攻撃を組み立てる。
そうやって相手の守りきれない状況をつくるサッカーが効果的だった、ということなのだろう。
(そういう意味では、ショートパスで数的優位を保ったまま押し上がっていく大木さんのサッカーに似ていると感じる。)
とにかく、世界が認める「見ていて面白いサッカー」を日本がやっていて、最高の結果を残したことはうれしくってたまらない。

得点王とMVPに輝いた澤だが、実は僕は10年前からその名前を知っていた。当時はサッカーに興味がなかったのに、
はっきりとその名前を記憶していたのには、きちんとした理由がある。大学院で修士論文を書くにあたり、
対象を府中市に決めたわけだが、それで府中の市報を第1号からすべて読み込む、ということをやったのだ。
公共施設のつくられるタイミングを調査するのが目的だったが、市報に何度も何度も「澤穂希」という名前が出てくる。
最初に市報に登場したのは中学生くらいのときだったか。彼女はその後も定期的といっていいペースで登場してきた。
まるっきりマイナーな競技である女子サッカーの選手なのだが、人口の多い府中市でこれだけ頻繁に出てくるってことは、
きっととんでもない選手なんだろうなと思っていたら、こちらの予想以上にとんでもない選手だった、という話。
それ以外にも「なでしこジャパン」にはしっかりと整った顔をしている美人さんがかなり多いので、チェックはしていた。
そしていよいよ今回のW杯優勝で、世間の興味は団体から選手個人のレベルへ一気に移行しつつある感じである。
喜ばしいことだなあと心の底からうれしく思う反面、これまで独占していたものが自分だけのものじゃなくなった感じがして、
オレのマナがカリナがナホミがコズエがアヤ(鮫島のほう)がうわーん!……なんて具合に間抜けな悲鳴をあげているしだい。


2011.7.17 (Sun.)

あまりにも朝早いチェックアウトだったので、鍵を部屋の中に置いたままで宿を出る。
4年前にもお世話になった宿だったが(→2007.10.8)、相変わらずいい意味で「合宿所」で、居心地は悪くなかった。
二度あることは三度あるのかねえ、なんて思いながら徳島駅へ。駅前のコンビニで食料を買い込んで、改札を抜ける。

6時11分発の徳島線に乗り込む。佐古駅で海沿いの高徳線と分岐すると、列車は山へと入っていく。
「鮎喰(あくい)」だったり「府中(こう)」だったり「学(がく)」だったり、徳島線は珍しい駅名のオンパレードだ。
ゆっくりと人里の中を抜けていく列車は、1時間ほどで穴吹駅に到着した。本日最初の目的地は、ここから歩いていく。
日本全国に重要伝統的建造物群保存地区はあるが、特に「うだつ」のある家並みで知られているのが、脇町だ。
脇町は平成の大合併を経て、美馬市の一部となっている。今日はまずそこを歩いてみるのである。

穴吹駅の改札を抜けると、FREITAGのDRAGNETから四国のガイドを取り出し、ルートを確認する。
脇町の最寄駅はこの穴吹駅だが、中心部まではけっこう距離があり、ふつうは路線バスを利用することになる。
でも時間的な余裕もあるし、駅に近い旧穴吹町役場の美馬市役所にも行ってみたかったので、のんびり歩くことにした。
同じ列車に乗っていた高校生たちが、地図を眺める僕の脇をすり抜けて、駅に面した家へと近づいていく。
するとおばちゃんが戸を開けて、中から自転車を取り出した。どうやら駅から脇町の高校へ通う生徒のために、
自転車を家で預かっておくシステムになっているようだ。朝イチで出会う田舎ののんびりとした日常風景、悪くない。

  
L: 穴吹駅。脇町へ行くにはまずここから。  C: 高校生の自転車を預かっているお宅。中を見たらかなりの数の自転車が並んでいた。
R: 吉野川に沿って東へ行くと、美馬市役所(旧穴吹町役場)。いかにも役場なサイズの建物である。

美馬市役所から穴吹駅前まで戻ると、いよいよ脇町を目指して本格的に本日の予定をスタート。
吉野川には穴吹橋とふれあい橋の2つの橋が架かっており、迷わず歩行者専用のふれあい橋を行く。
途中で自転車に乗った野球少年とすれ違ったのだが、大きな声で「おはようございます」と挨拶されてちょっと照れくさい。
でも旅行においては天気もいいし気分もいいし、最高のスタートである。長い距離を歩くのだけど、気にならない。

 
L: ふれあい橋を行く。途中で何箇所か、吉野川を眺めるスペースがつくられている。
R: 四国三郎・吉野川。流れている水はきれいだが、淀んだ端っこはそれほどでも。徳島線はこの川に沿って走っている。

橋を渡って田んぼを抜けると、いかにも郊外型ロードサイド店の並ぶ一角に出る。田舎にも容赦ない出店ぶりだ。
そういう道をトボトボ歩いても面白くないので、さらに先に進んで旧街道沿いを行くことにした。
川から上っていった山との境界線、そんな位置に道ができている。幅は広くないが車の交通量はそこそこ。少し怖い。
住宅の中に昭和な雰囲気の商店がいくつか集まった一角があるなど、土地の歴史をいまだに漂わせている道だった。

そんな具合に吉野川を渡ってから30分ほどのんびり歩くと、大谷川に出る。柳が脇を固めており、生活感が強い。
見ると、脇町のうだつの街並みを案内する看板がある。その方向へ歩いていくと、川を挟んだ向こうに木造建築があった。
「脇町劇場 オデオン座」とある。山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』のロケでも使われたという1934年築の建物だ。
朝早いので中には入れないので、とりあえず表だけ撮影して済ますことにする。なかなかリニューアルの雰囲気が強い。
それから南に少し行ったところにある商業施設に寄ってみる。開店前で外の様子しかわからなかったのだが、
うだつの街ということを意識してムリヤリ和風の雰囲気を持たせていて、かなり変な感じなのであった。

  
L: 脇町劇場・オデオン座。娯楽の殿堂、地元の誇り。映画館としても利用された。内子座(→2010.10.12)のモダン版だな。
C: 側面は板張りで、木造建築っぽさ満載。正面との落差が大きいことに驚いた。ファサードだけ洋風なんだなあ。
R: 近くの商業施設にて。なんでこんな無意味なうだつをつけなくちゃいけないのか。こういうのもう、やめようよ。

周辺を軽く歩きまわったところで、いよいよ本格的に脇町のうだつの家並みを味わうべく歩きだす。
内子の八日市・護国(→2010.10.12)と同様、凝った外観の木造住宅が並んでいる。
しかしこちらの脇町では、ひとつひとつの建物がより密着して並んでいる。そこで、うだつが活躍するわけだ。
うだつとは、屋根に設けられた防火壁のこと。しかし後に装飾的な意味が強くなっていき、
うだつを屋根に上げることは財力の誇示となった。「うだつが上がらない」という慣用句は今も、
地位・生活などが向上しないことを意味する言葉として生きている。まあ、相変わらずうだつが上がらない僕としては、
脇町の街並みを歩くことで少しでもあやかりたいわけである。うだつ上げてぇー!

  
L: 脇町のうだつのある家々。隣あう2軒の家の間にあるのが、うだつ。防火用の仕切りが装飾となったのだ。
C: 2階の虫籠(むしこ)窓も防火のための工夫。  R: ふれあい館。休憩施設なのだが朝早いのでまだ開いていない。

脇町のうだつは1階と2階の屋根の間につくられているパターンが圧倒的に多い。
本来なら1階も2階も一体化させた形で建物の側面を出っ張らせて防火壁とするものらしいが、
あえて2階部分のうだつを強調するようにデザインを工夫しているものが多い。それだけ商家の勢いがあったのだ。

  
L: うだつの家々のある通りはこんな感じ。スケールもかつてのまま。この街並みには現代でもそんなに違和感をおぼえない。
C: 商売をしている店もあるが、基本的には住宅地である。観光地というよりは、旧宅の並ぶ生活空間という印象の場所だ。
R: 開店前の準備をしている光景。やはり藍染の藍の集散地だった場所なので、藍染関連の物が主力商品だ。

 
L: 美馬市立脇町図書館は1986年竣工。うだつを意識したデザインだが、違和感あり。ふつうに旧家を図書館に使えよ、と思う。
R: 美馬市観光文化資料館。明治時代の脇町税務署を参考に1988年竣工。中の展示は地味だがすごく面白かった。

9時を過ぎたので、脇町の中でも美馬市指定文化財に指定されている「藍商佐直」こと吉田家住宅におじゃましてみる。
脇町にうだつの家並みができたのは、阿波特産・藍の吉野川中流域の集散地として繁栄したからだ。
木蝋の内子(→2010.10.12)、ベンガラ(弁柄)の吹屋(→2011.2.19)と同じパターンと言えそうだ。
「佐直」は1792年創業。脇町で一、二を争う豪商だったそうで、増築を繰り返した家屋が複雑で楽しい。

  
L: 「藍商佐直」吉田家住宅。  C: 玄関が3つあるが、そのうち1つでは通りに向けてこんなかっこいいことをしているのだ。
R: 中の様子。人形が置いてあってかつての商売の様子を再現している。なお、人形があるのはここだけで、奥にはない。

それほど十分な時間はなかったのだが、受付の方からは各部屋の釘隠しについてなど、けっこう興味深い話を聞けた。
住宅はきちんときれいに保存・利用されているが、詳しい用途がわからなくなってしまった部分もけっこうあるようで、
そういったところを従業員の皆さんであれこれ想像というか研究しているみたいだ。すばらしい。

主座敷はかつて将棋の王位戦が行われた場所(脇町は明治~大正期の将棋の名人・小野五平の出身地)。
奥へと進むと蔵があるのだが、これがいくつも増結されていて、どんどん下がっていく仕組みになっている。
というのも、蔵が続いた先にあるのは吉野川。かつてはこの蔵で吉野川の船と藍のやりとりを直接していたのだ。
したがって、構造的には北海道江差にあった旧中村家住宅のハネ出し(→2010.8.13)に非常によく似ている。
(あちらは海に面しており、ニシンのやりとりをするための工夫だった。)
今は吉野川にはしっかりと堤防がつくられており、脇町のうだつの家々は川から離れてしまったが、
裏手にまわると往時をしのばせる地形がそのまま残っている。

  
L: 吉田家住宅。欄間がすげえー!  C: 2階より吉野川方面を眺めたところ。夏って感じであります。
R: 裏手にまわって眺めるとこんな感じ。かつてはここで藍の積み出しが行われ、吉野川を船が行き来していたのだ。

帰りは道の駅藍ランドうだつからバスで穴吹駅まで戻る。乗客は僕ひとりだけで、それが非常に淋しい。
トボトボ歩いて脇町でたどり着いたのに、バスだとたった7分で、感覚的にはもうほぼ一瞬といっていい。
エンジンの威力ってすげえなあ、と思いつつ穴吹駅の駅舎の前に降り立ったのであった。

程なくして特急列車がやってきたので乗り込む。終点の阿波池田まで、車窓の風景を眺めながら過ごす。
30分ほど揺られて到着した阿波池田駅のホームには、やはりアンパンマン列車の車両が停まっていた(→2010.10.10)。
JR四国にしてみれば、これからが書き入れ時だろう。アンパンマンのブランド力には本当に恐れ入る。

さて阿波池田駅の改札を抜けたわけだが、ここには1時間ほど滞在する予定となっている。
池田町は平成の大合併により、三好市となった。戦国時代に近畿を席巻した三好家発祥の地なのである。
でも僕は三好市と言われてもピンとこない。むしろ阿波池田と聞いて池田高校やまびこ打線を想像する世代なのだ。
駅のすぐ近くにある新しくて立派な観光案内所で地図を入手すると、まずは市役所を目指して歩きだす。
阿波池田駅周辺は見事なまでに山に囲まれており、そのせいで街のスケールは非常に小さいのだ。
市役所も駅からすぐ近くにあり、あっという間に撮影完了してしまう。実にあっけない。

  
L: 9ヶ月ぶりの阿波池田駅。前回はここでニシマッキーと待ち合わせをしてから小歩危~大歩危間を歩いた(→2010.10.10)。
C: 三好市役所(旧池田町役場)。  R: 角度を変えて撮影。うーん、あっさり。

そのまま隣の商業施設(鳥栖(→2011.3.27)にもあったフレスポ)を軽く散歩してみた。
新しくできたばかりのようで、文字どおり老若男女で賑わっている。僕がこの三好市というか阿波池田に対して、
ひどく寂れた街という印象を持たなかったのは、市役所の隣にこれがあったのが大きい。
駅の近くが賑わっているというのは、やはり街にしてみれば重要なことなのだ、と再認識させられた。
そして、フレスポの広い駐車場からだと、街のすぐ近くまで山が迫っているのがよくわかる。
とにかく、東西南北どの方角を向いても山がすぐそこにあるのだ。長野県出身の僕でも呆れるほどだ。
この阿波池田という場所は、まるで山の中に突如現れた小さな点であるかのように思える。

 
L: フレスポ阿波池田の駐車場から周囲の山々を眺める。阿波池田は本当に完全に山に囲まれた場所なのだ。
R: 長野県出身の僕でも山ばっかじゃん、って思うレベルである。どっちを向いても、青い空との間に緑が挟まる。

その後は時間いっぱい中心市街地をふらふら歩いてみた。しかし、アーケードを中心に地方都市の街並みが続くだけ。
人の気配や活気がないわけではない。街が老化した、つまり人とともに高齢化した、そういう印象がする。
「街が高齢化した」というと非可逆的なネガティヴさをもって受け止められるかもしれないが、
そういう表現になったのは、阿波池田の街並みには古くなってもどこかきれいな印象があるからではないか、と思う。
平成の世になって20年以上が経ち、昭和という時代はどんどん遠いものとなっている。
でも、阿波池田はその昭和の古き良き雰囲気を今も色濃く残している。だから歩いていてどこか懐かしいし、
尖ったところのない優しさのようなものを感じるのだ。子どもの頃にはこうだったなあ、という感覚が蘇る。

  
L: 駅前商店街のアーケード。規模は大きいが、元気な店はほとんどなくなってしまっている。でも不潔さはない。
C: アーケードの中を行く(銀座街)。子どもの頃、年号が昭和だった頃にタイムスリップしたような感覚になる。
R: 阿波池田うだつの家・たばこ資料館(旧真鍋家住宅)。脇町のうだつを見た後だと迫力不足に感じてしまって申し訳ない。

せっかくなので、あの池田高校にも行ってみることにした。なんせ狭いので、すぐ行けてしまうのだ。
サンライズショッピングセンター(4階に三好市中央図書館が入っているくらいスカスカ)の脇を抜けて、
坂道を上ると徳島県道5号に出る。横断歩道の先には「徳島県立池田高等学校」と書かれたアーチがある。
アーチの真下から始まる階段を上っていくと、池田高校の正面に出る。校舎の前には木が植えられており、
なかなか風格を感じさせる風景である。ここが伝説の池田高校なのか、と感慨に浸るのであった。
ちなみに池田高校の活躍について軽く書くと、1974年春に部員わずか11人(「さわやかイレブン」)で甲子園準優勝。
1982年夏、1983年春と夏春連覇も達成している。「攻めダルマ」と呼ばれた蔦文也監督は、
金属バットの特性をフルに生かして打ちまくる「やまびこ打線」で高校野球に革命を起こしたのだ。
(かつて巨人で活躍した水野や横浜で活躍した畠山が優勝メンバー。)
阿波池田の街を歩いた後でその当時の社会的な反響を考えると、いかにそれが快挙だったかがよくわかる。

  
L: 池田高校へ行くための横断歩道。  C: きちんと整備されているが、炎天下で階段を上っていくのはつらい。
R: 池田高校前に到着。ここが蔦監督のやまびこ打線で知られた池田高校かー。

あとはもうだいたい行くところがないようなので、おとなしく駅に戻って昼メシを食う。
阿波池田は大歩危・祖谷方面への入口となっている場所なので、店内には祖谷渓のポスターが貼ってあった。
高所恐怖症の僕にはかずら橋なんて狂気の沙汰以外の何物でもないんだよなあ、なんて思いつつ栄養補給。

特急列車に乗って阿波池田を後にする。でも1駅ですぐに降りないといけない。次の目的地は琴平。
金刀比羅宮にお参りをするのだ。いちおう以前にもお参りをしたことはあるのだが(→2007.10.6)、
なんせいろいろテキトーだったので、もう一度きちんと味わっておこうと思ったのだ。

琴平駅の改札を抜けると久しぶりにコインロッカーのお世話になる。MacBookAirを旅に連れて行くようになって、
コインロッカーのお世話になる機会がずいぶんと減った。しかし、そのMacBookAirの重さでさえ、
金刀比羅宮の石段を上るには排除しておきたいのだ。万全の態勢を整えたうえでチャレンジするのである。
身軽な状態になって気合を入れると、琴平駅から外へ。1936年築の美しい駅舎を一発撮影すると、参道を目指す。
途中、琴電琴平駅の隣には金刀比羅宮北神苑があり、高燈篭という1860年ごろにつくられた灯篭がある。
木造では日本一高い灯篭なんだそうだ。少し奥まった位置にあるが、さすがに非常に目立っている。
そして琴電琴平駅は1988年に建てられたくせして帝冠様式なのであった。まあ、それはそれでいいけどさ。

  
L: JR琴平駅。門前町に洋風の駅舎というのがなかなかオシャレだ。  C: 高燈篭。実際に見るとかなり大きいのだ。
R: 琴電琴平駅。旧駅舎の写真を調べてみたんだけど、特に帝冠様式ではなかった感じ。門前町ってことでやったのかねえ。

琴電琴平駅を越えると大宮橋。現在は改修工事の真っ最中なのであった。渡って左に曲がると、
土産物屋などが並ぶ光景となる。ああ、金刀比羅宮に来たんだな、と思わされる光景だ。
人の流れに沿って右に曲がって参道へ。中野うどん学校を中心に今日もよく賑わっている。
そんなに時間的な余裕があるわけではないので、早足で勢いよく先へと進んでいき、1段目の石段を踏む。
そのまま一段抜かしでグイグイ上っていく。ふだんサッカー部で鍛えている脚力とはいえ、つらいもんはつらい。
雲に遮られていた太陽もいつの間にか顔を出し、汗を容赦なく引き出してくる。もう、意地だけで上っていく。

  
L: 金刀比羅宮の参道。中野うどん学校の存在感が半端ない。同じ中野の学校でも陸軍中野学校とはえらい違いだ。
C: 石段を行く。最初の大門までは両脇を土産物屋がひたすら固めているのだ。往路で買うと大変だと思うんだけど。
R: 大門。水戸光圀の兄で讃岐高松藩の初代藩主・松平頼重が寄進したそうな。

大門で少し呼吸を整える。振り返ると、青い空の下にかすかに讃岐平野の街の様子が見えてなかなか美しい。
それでやる気を呼び起こし、向き直って大股で次の一歩を踏み出す。ここからしばらくは平らな石畳が続く。
桜馬場と呼ばれる場所で、僕はなんとなく高尾山の登山のことを思い出すのであった(→2010.5.3)。

  
L: 大門の手前、鼓楼のところから振り返った風景。讃岐平野がちらっと見える。
C: 桜馬場。数少ない安息の地である。  R: 鳥居をくぐると再び階段。さあ行くぞー。

桜馬場西詰銅鳥居をくぐると石段が再度スタート。やはり一段抜かしでグイグイと進んでいく。
途中に書院があったが、ここは復路に寄るのだ。そのまま先へと進む。

そうしてようやく旭社に到着。ここは本来、金刀比羅宮の拝殿での参拝を終えてから下ってきてお参りするのだが、
無知な僕がそんなことを知っているはずがない。素直にそのままお参りをして、さらに上を目指すのであった。

  
L: 旭社。1837(天保8)年竣工。これだけ豪華な社殿がサブ扱いになっているってのがすごい。
C: 長宗我部元親が寄進したという賢木門。  R: 賢木門を抜けると御前四段坂。いよいよラストスパートじゃー!

石段を上りはじめて20分、やっとこさ金刀比羅宮の拝殿に到着。さらにこの先には奥宮もあるのだが、
さすがにそれはパスして、まずは展望スペースからの景色を楽しむ。左手の讃岐富士からはじまる讃岐平野に、
思わず見とれてしまう。前に来たときも写真を撮ったが、今回はパノラマで撮ってみる。

景色をしっかりと堪能すると、金刀比羅宮の本宮に参拝。気合を入れて二礼二拍手一礼。

 今回は前回とは異なる角度から撮影してみました。

さて本宮にお参りしてそれでおしまい、というのでは前回と一緒である。せっかく金刀比羅宮に来たのだから、
もっと境内の様子をよく観察しなくちゃいけなかったのだ。長い長い南渡殿を右手に見ながら歩いていくと、
三穂津姫社という社殿がある。その名のとおり、本宮に祀られている大物主神の后・三穂津姫を祀っている。
そして絵馬殿。金刀比羅宮の場合、航海の安全を祈願する絵馬が非常に多く、絵馬殿の中は船の絵だらけ。
さらにはソーラーパネルをびっしりと貼り付けた船の現物が奉納されており、圧倒されたのであった。

  
L: 三穂津姫社。  C: 絵馬殿。  R: 絵馬殿の中には無数の船の絵馬が並んでいる。これは飽きないわ。

最後に書院に寄る。公開されているのは表書院のみ。表書院は1600年代半ばの建築で、
なんといっても円山応挙の襖絵で有名だ。奥書院には伊藤若沖の『百花図』があるのだが、そちらは非公開。残念。
入るのに800円ということでなかなか厳しい。で、中に入ると襖絵と廊下の間にはしっかりとガラスが。
光の加減で当然、暗い部屋の中の方が見づらくなるわけで、素直に応挙の絵を味わうのは難しいのであった。
800円も取っておいてこれはないだろう、と腹が立った。蹴鞠の行われる前庭の雰囲気は悪くないけどね。
応挙の絵じたいは、その多彩な筆致を堪能できる。虎の絵が有名だが、猫だろこれ、と思わせるユーモラスさがいい。
裏にまわると富士の絵とその麓で鷹狩りをする武士の絵(邨田丹陵)。これも近づけないのが大きなマイナスである。

 表書院入口。さすがに迫力があるなあ。

石段を一気に下ると参道をそのまままっすぐ進んで駅まで帰る。金倉川を渡るとアーケードの商店街となっているのだが、
薄暗さがさびれ具合を強調しており、参道の賑わいぶりとのコントラストが非常に激しい。なんとかならんものか。

 せめてもう少し明るくならないものか。

昨日買ったフリーきっぷがある関係で、JRでそのまま高松に出ればお得なのだが、それだと寄れない場所がある。
JRの琴平駅に戻って荷物を回収すると、さっき前を通った琴電琴平駅へ。目指すは讃岐国一宮なのだ。
琴電では切符に鋏を入れてもらう旧来のスタイルが今も健在。ロングシートに腰を下ろして一息つくと、電車は出発。
のどかな正しい日本の地方の景色の中を東へと進んでいくのであった。

さて、讃岐国一宮は田村神社である。最寄駅はその名も一宮駅。あまり有名ではなさそうな神社だし、
琴電の駅だから規模は大きくないだろうし、道に迷ったら困るなあ……なんて思っているうちに到着。
でもここで僕以外にも5人ほどが降りたので、琴電の中では小さくない規模の駅だったようだ。

まずは駅舎の周りで地図探しである。なかったら記憶の中の地図を呼び起こしてなんとかしよう、と思ったが、
駅舎を出てわりとすぐのところにちゃんと新しめの地図があった。そんなにマイナーな神社ではないようだ。
地図をきちんと記憶して、線路を渡って北側に出る。周囲は見事に田舎の住宅街である。
「まっすぐ行って右行ってまっすぐ」という大雑把な記憶の仕方だが、道の雰囲気と噛み合わせれば迷うことはない。
きちんと駅から北東の方角を自分の中でキープしておけば問題ない。自信を持って歩いていくと「右行って」の段階で、
いきなり左手に神社の参道が現れた。どうやら地図では神社の参道とふつうの道を区別していなかったようだ。
ややこしい住宅街の中をもうちょっと歩かされると思い込んでいたので、かなり拍子抜けしてしまった。
右手を見ると、なるほど舗装されていない土の道がずっと続いている。神社の参道にしてはちょっと雑っぽい雰囲気だ。
ともかく、無事に田村神社に到着したのだ。広くない石畳の両脇を緑が固めるちょっと独特な参道をさらに北へと進む。

  
L: 琴電の一宮駅。  C: これは後になって田村神社の参道をずーっと南下してきたところ。両脇には住宅が並んでおり、ちょっと異様。
R: 住宅街に突如現れる参道。参道になっている空間以外は完全に宅地化しているので、なんだかとってつけたような違和感がある。

田村神社は地元ではかなり有力な神社であるらしく、境内に入ると土俵があったり社殿がいくつもあったりと、
ずいぶんと勢いを感じさせる。社殿も新しく建てられたばかりのようだし、七福神や干支をはじめとする彫刻が多い。
僕は駅からわりときっちり参道を歩いてきたのだが、脇に駐車場があるようで、そこからアプローチするのがふつうみたいだ。
巫女さんもいるし、参拝者も多くはないが、つねに一組二組はいるような感じである。

さっそく参拝。面白いのがおみくじで、「矢みくじ 百円」とある。どうやら100円を箱の中に収めて、
その隣に立ててあるおみくじの挟まれた矢をひとつ選んで引き抜くという仕組みのようだ。
こりゃあやってみるしかないな、と100円を投入したら、ポーンと大きな音がした。予想してなかったことで、大いに驚いた。
さらに面白いのがおみくじの後処理。縄や木に結ぶのが一般的なのだが、ここでは矢に結んで、その矢を差すのだ。
差す場所には「家内安全」や「商売繁盛」などの文字が書かれており、自分の願いに合ったところに差せばいいようだ。
これは面白いなあと思いつつ、僕も中吉のおみくじをプスッと差すのであった。

  
L: 田村神社の境内にて。左手が田村神社の本殿。右手の鳥居は宇都伎社のもの。ほかにも素婆倶羅社・天満宮がある。
C: 田村神社本殿。川のない讃岐平野では貴重な湧水の出る場所だったので、聖地となったのだろう。
R: 矢みくじ。HPには「遊び心をくすぐるおみくじ」として紹介されていた。まあ確かに、こんなの初めて見たわ。

帰りは参道をそのまままっすぐ南に進んで駅まで戻る。しかし参道というよりは生活空間といった印象。
線路に出ると、参道はおしまい。そのまま踏切を渡って田んぼに沿って歩いていく。

 正しい日本の田舎って感じだわ。

途中でふっと田んぼを覗き込んだら、そこにはワンサカとカブトエビがいたのであった。
カブトエビは大きくなるとカブトガニのミニサイズという印象のする姿になるのだが、
小さい子どもだとむしろミジンコっぽいというかプランクトンっぽい感じである。みんな元気に泳いでいた。
カブトエビはそんなに珍しい生き物ではないらしいのだが、僕はあまり馴染みがないのでしばらく観察して過ごしたよ。

一宮駅からそのまま素直に高松築港に出るようなことはしない。高松市でまだきちんと訪れていない場所があるのだ。
それは、栗林公園。栗の林と書いて「りつりん」と読む。高松藩主・松平家の庭園を明治期に公園として開放したのだ。
4年前の四国一周でも去年10月の四国再訪でも寄っている時間的な余裕がまったくなかったためスルーしていたが、
今回はきちんとリベンジを果たすのだ。そんなわけで栗林公園駅で下車して東の入口まで歩いていく。

400円払って中へと入る。ボランティアの方が地図をくれたので、それをもとに歩いてみることにした。
栗林公園はけっこう広く、60分かけてほぼ一周するルートが紹介されていたので、それを早歩きでチャレンジしてみた。

  
L: 栗林公園内。商工奨励館へと至るメインストリートともいえる部分。紫雲山がすぐそこに迫っている。
C: 商工奨励館。1899(明治32)年築。中ではその名のとおり、香川県のさまざまな名産品が売られている。
R: 掬月亭。江戸時代初期に建てられ、歴代藩主が茶を飲んだそうだ。今でもここでお茶を味わうことができる。

本来なら1時間かけるべきところを35分程度で歩いたのでいろいろ見落としたり味わえなかったりした箇所も多いと思うが、
印象としては巨大な回遊式庭園ではあるものの、これといった強烈な個性は感じられなかった。
まあ個性があればいいというものでもないが、栗林公園ならではの工夫があまりないのはちょっと残念。
また、庭園内での場所によるアクセントのつけ方もわりと一様で、緑一色なのであった。夏だからかもしれないけど。

 飛来峰からの眺め。やはり緑の配分が多い。

ミシュランでは栗林公園の評価は星3つらしいのだが、それは大いに疑問である。
悪くはないが、最高評価を与える根拠がわからない。規模が大きい分、細やかさにも欠けると思うし。わからん。

栗林公園から高松駅までは歩きだとかなりの距離がある。とはいえ市街地をバスでスルーするのもさびしい話だ。
時間的な余裕もないわけではないし、トボトボ歩いていくことにした。高松にはFREITAGを扱っている店があるので、
ちょっとそこに寄ってみたいなと思ったのだ。営業時間とうまく合わずに中に入れなかったが(→2007.10.7)、
今回はどうにかなりそうな感じだ。ワクワクしながら自転車の行き交うアーケードの商店街を北上していく。
が、僕の記憶にあったその店は、花屋になっていた。おかしい、と思うのだが、その場所に目的の店はなかった。
ふつうの人なら場所を間違えたと思うんだろうが、空間の匂いについての僕の記憶は絶対だ。匂いがここだと言っている。
だから店がなくなったということなのだ。ガックリと肩を落としてその場を去る。気のせいか、荷物が重くなった。
旅行もだいぶ終わりに近づいてきたこんなところで落胆させられる事態に出くわすとは。ショックである。

 
L: 四国の玄関口である高松はさすがに都会。アーケードの商店街も元気いっぱいで惚れ惚れするほどだ。
R: これは丸亀町商店街。アーケードの商店街がいくつもあって、しかも暗さがない。すごいなあ。

いつまでもうなだれているわけにはいかないのだ。気を取り直して、本日最後の目的地を目指す。
さっき栗林公園について「リベンジを果たすのだ」と書いたが、僕がリベンジを果たすべき場所はもうひとつある。
それは高松城址・玉藻公園である。4年前には早朝だったり夕方だったり、去年10月はやっぱり早朝で、
なかなか中に入る機会がなかった。今回、ようやく中に入ることができたのであった。ニンともカンとも。

高松に城を築いたのは生駒親正だが、今の形に改修したのは水戸光圀の兄で初代高松藩主の松平頼重である。
この城の特徴は、なんといっても海の水を堀に引き込む完全な海城となっていることだ。堀には牡蠣もいるとか。
かつては四国で最大の天守があり海からも見えたそうなのだが、老朽化を理由に明治期に解体された。
現在は月見櫓・艮(うしとら)櫓などが残っており、重要文化財となっている。実際に公園内を歩いてみると、
都市化により総面積が1/8になってしまったとはいうが、遺構がよく残っていることに感心させられる。

  
L: 高松城址の石垣と堀。堀には海水が引き込まれている。奥にはめりこみさん(→2010.10.10)が勤務する四国電力本社ビルが。
C: 天守跡の石垣は、現在天守の復元を視野に入れつつ解体修理工事中。高松としては四国一の都会のプライドがあるもんな。
R: 艮櫓。1965年、太鼓櫓跡に移築したものなので、実際に北東にあるわけではないのだ(現在は南東にある)。

この日はなぜかよくわからないのだが、玉藻公園内でコスプレのイベントがあったようで、
いかにもな恰好に身を包んだ皆様がチラチラといたのであった。自分たちの写真を撮るなどしている。
公園の中心部には1917(大正6)年に再建された披雲閣という建物があるが、そこが会場のようだ。
披雲閣の脇を抜けて庭園を通ると、月見櫓。きれいにしてあり、非常にフォトジェニックである。
のんびり園内を一周してリベンジを果たすと、高松駅で飲み物を買って特急列車に乗り込む。

  
L: 披雲閣。この日はコスプレ軍団の巣窟となっているのであった。や、別にいいんですけど。  C: 披雲閣の庭に面した側。
R: 月見櫓。高松城は石垣をはじめ遺構がよく残っているのだが、やはり月見櫓の端整さは本当に見事なものだ。

高松駅を出た特急列車は、一路まっすぐに徳島を目指す。4年前とは逆ルートで海沿いの高徳線を走っていく。
特急列車のシートはゆったりとしている。でも、僕の旅はいつでも慌ただしい。そのゆったりぶりをろくに味わうことなく、
次の目的地へと急ぐ、その繰り返しだ。今回はずいぶん特急列車のお世話になったが、次へ次へと急いでいたため、
こうして落ち着いた気分で腰を下ろしているのはこの2日間では初めてのことかもしれない。そんなことを思う。
徳島から北へと向かう特急列車で今回の旅は始まった。そして徳島へと南進する特急列車で旅の幕は閉じる。
いろんなものを見たし、いろんなことがあった。それらのすべてを思い出し、また書くべき日記の分量を想像し、
口元を緩めたり下唇を突き出してむくれたりしているうちに、徳島駅に着いた。あとはもう、帰るだけだ。

メシを食ってやる気を充填すると、駅前のカフェでMacBookAirを取り出し、バスの時刻になるまで日記を書きまくる。
夏休みの前哨戦として、申し分のない旅ができた。今度はそれを力に変えて、日常生活をがんばる番だ。
やりますかーとつぶやいて店を出ると、バスに乗り込む。3列シートで、エコノミークラス症候群の心配はなさそうだ。
来たときとは比べ物にならないほど穏やかな気分で、僕は目を閉じた。


2011.7.16 (Sat.)

エコノミークラス症候群の恐ろしさは、実際になってみないとわからない。
狭い空間でまったく身動きをとることができない時間が続くということが、どれだけの苦痛であるか。
人間、苦痛から逃れる最も簡単な方法は、その場所を離れることだ。それができない。どこにも逃げられない。
(僕は左足首をヤケドしたときに、とっさにドアを開けて外に逃げようとした経験がある。→2002.12.12
そして、その状況を改善することもできない。苦痛を苦痛として受け続けるしかない。これは本当につらい。
隣とまったく隙間のない4列シートの窓側で、前の席のバカオヤジは自分のことしか考えずに目一杯シートを傾けてくる。
コイツ殴ってやろうか!と何度も思ったが、本当にギリギリのところで理性が抑えた。それくらいに、苦しい体験だった。

そんな思いをして降り立ったのは、徳島駅前。すいません、もういいかげんオレを休ませろ!ということで、
3連休の土日を使って四国に来ちゃいました。四国上陸は昨年の10月以来ということで、僕にしてみればついこないだ。
でも冷静に考えるとあれから半年以上経っているのである(→2010.10.102010.10.112010.10.12)。
時間の経過は早いなあと思う。時間の経過が早いので四国に来ちゃったことを許してくれ。
で、なぜ徳島なのかというと、「鳴門行きてえ」。これに尽きる。今回の旅行は徳島県が主人公なのだ。
初日は鳴門のさまざまな観光名所を堪能し、明日は徳島線でいったん西へ行き、そこから香川県を横断する。
基本的には行ったことのない場所を攻めるのだが、2回目となる場所にはそれなりの理由があっての再訪である。
しっかりと中身の濃い旅行となっておりますので、まあそんなに呆れないでくださいまし。

さて徳島に着いたからには、やっぱり朝のうちに市役所と県庁を再訪しておきたい。
徳島に来るのは2回目で、前回は雨上がり直後だったので(→2007.10.9)晴天のところも撮っておきたいじゃないの。
そんなわけで徳島駅前から線路に沿って南下。程よく歩いたところで市役所が現れる。やっぱりけっこう大きい。
それにしても徳島の市街地の構造はかなり複雑である。吉野川と眉山に挟まれた土地が街になっているのだが、
川がいくつも蜘蛛の巣状に入り組んでいるのだ。そんな地形の特徴を残しながらも矩形の街区を割り込ませており、
モザイク的な空間がひしめき合うような仕上がり具合になっている。川と山に囲まれた街ならではの空間構成だ。

  
L: 徳島市役所。本館は1984年の竣工。設計したのは山下設計。  C: オープンスペースの端から本館を眺める。大きいなあ。
R: 裏手から見たところ。大きいのだが、厚みはない。前回来たときは車がひしめいていたが、今日は土曜日なので静かだ。

 1986年竣工の南館。3階から上が議会になっている。

市役所の撮影を終えると徳島県庁へ。市役所からそのまままっすぐ南に進むと中洲市場である。
それほど規模は大きくないのだが、水産物を中心にさまざまな店が並んでいる。朝早いのに、すでに営業中で客がいた。
そこから新町川を渡ると徳島県庁。途中で眉山を撮影する。街中にゆったりとした弧を描く山があるのはやはり特徴的だ。

  
L: 新町川から眺める眉山。徳島という都市の核は、まちがいなくこの山だ。眉山がでっかく鎮座しているので徳島の街は複雑なのだ。
C: 県庁辺りになると河口にだいぶ近いので、新町川は船がいっぱい。このヨットハーバーには「ケンチョピア」という名前がついている。
R: 県庁行政庁舎の東側にひっついている県庁議会庁舎。行政庁舎と比べるとあまり目立たないようにつくられている感じ。

やはり徳島県庁は近づいてみるとしっかりと大きい建物だ。建物の周囲は緑に囲まれた駐車場となっており、
けっこう写真撮影しづらい。かといって距離をとろうとすると川を挟むことになってちょっと遠い感じになるし、
なかなか難しいのである。土曜日の朝8時前だというのに周辺道路の交通量は非常に多いのも特徴である。
うまく撮れた感触がしないなあ、と思いつつ県庁を後にする。こういう建物は、どうあがいてもうまく撮れないもんだ。

  
L: 徳島県庁行政庁舎を新町川側(北東)から撮影。設計したのは日本設計で、1986年に竣工。
C: 南側から撮影。県庁の南側は建物がけっこう密集していてやっぱり撮影がしづらい。
R: 新町川に架かるかちどき橋から眺める徳島県庁。ファサードの飾りっ気がほとんどないなあ。

一度訪れた街は匂いを覚えているので、なんとなく歩いていても方向がわかる。
駅はだいたいこの方向、という感覚があるので、それに従ってふらふら歩いていく。われながら便利なものだ。
そしたら果たして徳島駅前の交差点に出た。左を振り向くと、眉山が記憶よりも近くにあって驚いた。
こんなに駅と眉山って近かったっけか、と自分のいい加減な記憶力に呆れつつ、徳島駅の駅ビルへと入る。

 徳島駅。徳島県の交通の中心地で、いつも賑わっている。

徳島駅のみどりの窓口で、「徳島・香川フリーきっぷ」を購入する。これは徳島線・高徳線・鳴門線が乗り放題、
さらに大歩危~多度津~高松もOKということで、つまり徳島と香川をぐるっと一周できる便利なきっぷなのである。
JR四国はこういうフリーきっぷが充実しているので、旅行するときに本当に助かる。

特急うずしおに乗って徳島を出ると、池谷(いけのたに)という駅で降りる。ここで鳴門線に乗り換えだ。
池谷駅の構造はなかなか独特で、2つのホームに挟まれた鋭角の部分に駅舎がある。小さな庭もあって面白い。
特急からホームに降りたのは僕ひとり。少し淋しさを感じつつ、歩道橋の上から去り行く特急を見送る。
鳴門線に乗り込むと、列車は田舎な風景の中をのんびりと走っていく。四国は各都市が離れていることもあってか、
普通列車に対する特急の比率が高い。アンパンマン列車もそりゃあひっきりなしにあちこちを走るってもんだ。
だけど完全なる盲腸線である鳴門線にそんなものは関係ない。ひたすらのんびり、客を乗せて降ろして進んでいく。

撫養(むや)駅を過ぎると終点の鳴門駅へ。市街地らしさがここでようやく出てくる。
ゆったりゆったりもったいぶって、列車はゴールを目指す。知らない街を紹介するべく見せつけるスローペースで、
それだけに鳴門の街への期待が高まる。旅行のスタートとしては実にいい。やがて、列車は停車する。
際果ての記録をしっかりデジカメに収めると、改札を抜けて駅舎の中へ。観光案内所はないが、パンフレットがある。
バスが来るまで30分ほど時間があるので、のんびりとそれらを読んで情報収集して過ごすのであった。

  
L: 池谷駅にて。右が鳴門線、左が高徳線。2つのホームに挟まれた空間に駅舎と小さな庭がある。
C: 鳴門線の際果て。際果てって、なんだかドラマなんだよなあ。  R: 鳴門駅。利用者は意外と多い感じである。

鳴門駅からバスに乗って目指すのは、鳴門公園。鳴門といえばなんといっても鳴門の渦潮である。
その渦潮を見るためには、バスで駅から海まで出ないといけないわけだ。歩くのは距離的にちょっと無理がある。
そんなわけでバスに揺られて鳴門公園方面へ。途中で鳴門競艇があって、レースの真っ最中なのであった。

さて鳴門公園は渦潮をはじめとするさまざまな観光名所がある場所だが、ここにはかなり強烈な施設がある。
大塚国際美術館である。その名のとおり、ポカリスエットの大塚グループが運営する美術館だ。
で、ここの何が強烈なのかというと、まず入館料。3150円というかなり強気な設定となっているのだ。
そしてその展示内容も独特だ。古今東西の名画を陶板に複写したものを大量に展示しているのである。
言ってみれば、ギャラリーフェイクのようなものか(『ギャラリーフェイク』のマンガのレヴューはこちら →2007.10.18)。
精巧なフェイクを体系的に展示することで美術史を学び、そのうえで本物を見に行ってください、というスタンスなのだ。
ニシマッキーは昨年10月に徳島を訪れた際には躊躇したらしいのだが、僕は行っちゃうもんね。というわけで入館。

 
L: 大塚国際美術館前にある「大塚潮騒荘」。大塚製薬の保養所なのだが、まあなんというか、どうかと思う建物ですな。
R: 大塚国際美術館。ここからエスカレーターでB3Fに上がり、B2F、B1F、1F、2Fと見学していく。高低差がすごすぎるがな。

さすがにチケットの自動販売機に千円札を3枚入れるときは少し手が震えた。しかもそこに小銭を足さなきゃいけない。
こんだけ取るからにはそれだけの内容なんだろうなあ、と期待しつつエスカレーターを上がる。
上がりきるとまず目につくのが、置いてあるロボット。名字は「大塚」、名は「アート」というそうだ。
そんな大塚アートくんの役割は、いちばん最初の展示であるシスティーナ・ホールの天井画の解説をすること。
時間になると大塚アートくんは自分で動きだして説明の音声を流しながらシスティーナ・ホールに入っていく。
まあ僕は美術館で他人の説明を聞くのが大嫌いな子なので、その様子を撮影するとさっさと次へと進んでいく。

  
L: 大塚アートくん。システィーナ・ホールの説明のほか、来館者の顔を分析して名画に描かれた誰と似ているか判定もしてくれる。
C: 説明するアートくんとシスティーナ・ホール。本物を見たことがないのでなんとも言えないが、どんなもんずら。
R: 陶板で再現されているのは絵画だけではない。壺などの曲面に描かれた絵も平らにして展示されているのだ。

大塚国際美術館はたっぷりとある空間を贅沢に使っている。システィーナ・ホールのほかにもさまざまな壁画を再現したり、
特定の画家の作品を一部屋にまとめて展示したりと、現実の絵画ではできないことを再現する工夫がいっぱいある。
展示する順番もエジプトの古代美術からスタートして西洋美術史を丁寧に追いかける内容となっている。
そして特徴的なのが、外国人観光客の多さだ。来館者の1/3くらいを外国人観光客が占めているのである。
この美術館のためにわざわざ鳴門に寄る、そういう観光ルートができあがっているようなのだ。これには驚いた。

  
L: この部屋にあるのはすべて受胎告知を描いた作品。さまざまな画家の受胎告知がひとつの部屋に集められているのだ。
C: レンブラント部屋。真ん中にあるのは『夜警』。  R: ゴッホ責め。現実にはこんな豪華な状況、ありえないよな。

大塚国際美術館を訪れて考えたことは、2つある。ひとつは美術とは何かという哲学的なレベルでの問題。
そしてもうひとつは日本における美術館の限界という社会的なレベルでの問題。まずは後者について書いてみる。

大塚国際美術館の中を歩いていて、僕はニューヨークの美術館を訪れたときのことを思い出していた(→2008.5.8)。
MoMAもそうだったが、僕は特にメトロポリタン美術館を思い出した。広い空間には無数の部屋があり、
それぞれの壁には所狭しと絵画が貼り付けられている。眩暈がするほどの美の圧縮、それにノックアウトされた。
そしてそのときの経験・感覚を、大塚国際美術館は明確に僕の中に思い起こさせたのだ。
大塚国際美術館がやろうとしていることは、海外の著名な美術館がやっていること、まさにそれなのだと思う。
ただ、それは現実的にできっこない話だ。でも陶板による再現という割り切り方をして、空間の再現は成功させたのだ。
日本の美術館がどんなにがんばってもできない「向こうの当たり前」をやるには、フェイクを使うしかない。
そんな残酷な現実を突きつけられた。対抗するには、日本がかつて持っていた美を地道に発掘するか、
今後生み出すしかない。そうして日本固有の美を世界に誇れる美として提示して、連中の鼻を明かさないといけない。

 
L: モネの『睡蓮』のためにテラスを用意している。実際に水を張ってハスを育てている凝りよう。
R: 青空の下、『睡蓮』が360°を囲む。本物を展示する地中美術館(→2007.10.5)とは完全に真逆の発想である。

そして本題。大塚国際美術館を訪れて考えたこと、美術とは何か、という極めて根源的な問題。
僕は展示されている作品を見てまわっている間、とにかく違和感をずっとおぼえていた。
偽物だからイマイチ盛り上がらないという単純な違和感ではない。それは偽物だと思って見るから発生する気分の問題だ。
僕が抱いたのは、もっと深い部分での違和感だ。作品から美だけを取り出すという行為が失敗している、その理由。
それで頭をフル回転させて、それを言語化しようとずっと考えていた。運よく、結論は出てくれた。それを書く。

本物の絵画と陶板への複写では、何が異なるのか。ありがたみが異なる、という意見が出そうだ。
ではその本物ならではの「ありがたみ」は、どこから発生するのか。絵のタッチなのか。タッチがあればそれでいいのか。
そういう方向で考えていても、埒は明かない。だから逆に考える。なぜ、僕は陶板に写された美に価値を感じないのか。
答えはシンプルだった。だって、どの美も、同じに見えてしまうから。美術館だから、絵には優しく光が当てられる。
すると、本来それぞれの絵によって異なるはずの陰影の雰囲気が(それを生み出すのが画家のタッチなのだが)、
どれも一様になってしまっているのである。陶板に対して、絵と同じように照明を当てている。そこが致命的なのだ。
中には筆のタッチを足してそれっぽく立体を補足しているものもある。でも、決定的に異なっているものが確かにある。
陶板の光沢により作品は均一化されている。そして作品に近づくと、細かな色の点で像が構成されているのがわかる。
何度もそれを見ていくうちに、僕は思い出した。CMYK、これは、本とまったく同じなのだ、と。
絵画が印刷された本の紙が持つ光沢と、陶板に複写された作品の表面を覆う光沢と、完全に一致している。
つまり、大塚国際美術館には行かなくていいのである。美しく印刷された美術史の本を読めば、それで足りるのである。
そうなってしまうと、実際に自ら足を動かして空間の中を歩いて作品と対峙するという行為の価値が、問われ直す。
すると、西洋の著名な美術館の空間体験を再現する、この一点においてしか存在価値がなくなってしまいかねない。
僕はこの美術館をわざわざ訪れる外国人の気持ちを知りたいと心底思った。彼らはどうして、ここに来たのか。
彼らにとって来るだけの価値がどこにあると信じて、ここに来たのか。鳴門という日本の一地方都市を訪れたのか。
また美術館は疲れる場所でもある。作品との対峙で精神力を使うし、長時間立ちっぱなし歩きっぱなしになるからだ。
しかしこの大塚国際美術館で感じる疲れはいったい何なんだろう。単純に歩いた疲れ、それだけなのか。
そうなるとやっぱり、家か図書館で本を読めばいいじゃん、ということになる。入館料3150円の価値はどうなる。

そうして僕は、以下の結論に至った。僕にとって大塚国際美術館の価値は、残念ながら、美術史の本に劣る、と。
志が高いはずの美術館は、自らその対抗する相手を、紙による印刷物の集積である本と間違えてしまったのだ。
大塚国際美術館と比較されるべきは海外の美術館ではない。本だ。そして空間(美術館)は時間(本)に敗れるだろう。
そしてもう一歩踏み込もう。美術の美とは、それ自体を作品から抽出できるものなのか。
答えはきっと、「ノー」だろう。美は鑑賞者の価値観によって決まる。抽出した実体のないものに、感情移入はできまい。
だから逆に、本だろうと陶板だろうと、受け手が価値を認めればそれでいい、ということにもなりうる。
大塚国際美術館を支えているのはそういう価値観で、残念ながらそれは僕とは合致しなかった、それだけのことだ。
フェイクに価値がないのではない。フェイクにはフェイクをつくる手間相当の価値があるのだ。ただそのフェイクは、
オリジナルが問われることのない、メディアとしての利便性という評価軸にもさらされる。そこが本当の勝負なのだと思う。
(A.ウォーホルやR.リキテンスタインらの投げかけたポップアートは、今も僕らに問題を提起し続けているね!)

 
L: 展示されている陶板を近接撮影した。CMYKの印刷物という感触が確認できるだろうか。さあ、あなたは価値をどう判断する?
R: さすがに置かれている自動販売機はぜんぶ大塚グループのものだったよ。まあそりゃそうか。

大塚国際美術館の長いエスカレーターを降りて、外に出る。日差しはやはり厳しいが、それがむしろうれしい。
鳴門駅で手に入れた地図を広げ、鳴門公園のさらに先へと歩く。鳴門公園の辺りは高低差のずいぶんある場所で、
海にぶつかり右折した僕の目に、緑に包まれた山が飛び込んできた。よく見るとそのてっぺんには展望台らしきものがある。
これがエスカヒル鳴門だ。地図では近そうに描かれているが、そこに至る道路は急勾配のつづら折りになっている。
まあ、でも、歩くしかない。覚悟を決めて坂道を上っていく。つづら折りの道路に挟まれた空間は駐車場になっており、
なんとかそれをまっすぐアプト式に上れないかと思って探ると、階段があったとさ。まあそりゃそうだ、と思って上ったとさ。
仕事=力×距離だし、位置エネルギーを貯めることには変わりないし、どういうルートを行こうがつらいに決まっているのだ。

そんなこんなでエスカヒル鳴門の入口に到着。1階は土産店になっており、なかなかの賑わいとなっている。
中に入るとエスカヒル鳴門と渦の道のセット券を購入し、そのままエスカレーターで展望台を目指す。
さてこのエスカレーター、東洋一の長さというふれこみ(実際には日本で2番目らしいが)で、確かに飽きるほど長い!
どれくらい長いのかというと、全長68mもある。行く手を見上げて乗っているとだんだん感覚がマヒしてきて、
体が斜めの状態に慣れてしまう。そのため、自分では気がつかないうちに体を後ろに傾けてしまって、
エスカレーターの上る角度に対して垂直に姿勢をとってしまうのだ。もしそれでバランスを崩してしまうと、めちゃくちゃ危険。
不思議な感覚でそれだけでも面白いんだけど、調子に乗ったらかなり危ないなあ、と思っているうちに……まだ着かない。
面白いけどちょっと不安、という気分を延々と味わった末にエスカレーターが終了。これはなんとも異次元な体験だった。

エスカレーターからさらにエレベーターで屋上の展望台へ。快晴の空の下、目の前には鳴門海峡と大鳴門橋。
腕時計を見ると、時刻は11時55分。今日の潮流が最速になるのは12時40分ということで、まだちょっと早い。
しかしすでに海水の豪快な移動は始まっており、ザーッと大きな音が海峡全体に響いている。
ものすごい量の水が左から右へと流れ出している。はっきりと、その流れが目で見える。本当に激しい流れだ。
自然の力というのはすごいものだ、とあらためて実感させられる。しかしまだ時間が早かったのか、渦潮はない。
反対方向の鳴門市街側も眺めつつ過ごすが、ボーッとしていてもしょうがないので海峡にもっと近づくことにした。

  
L: エスカヒル鳴門のエスカレーター。写真で見るとどうってことないが、実際に体験するとすごく不思議な感覚になる。
C: 展望台より眺める鳴門海峡。海水が瀬戸内海から太平洋へとものすごい勢いで流れていく。音も豪快だ。
R: 海峡と反対側の鳴門市街方面。これまた見事な眺めである。360°、どっちを向いてもすばらしい眺めだった。

鳴門海峡に渦潮ができるという事実は、鞆の浦が潮待ちの港として栄えたこと(→2011.2.20)と無関係ではない。
2月の日記で「満潮時には四国の東西両側から瀬戸内に水が入り、干潮時になると今度は水が流れ出る」と書いた。
鞆の浦は瀬戸内海のちょうど中間地点にあり、潮の流れが切り替わる場所である。それで潮待ちの港となっていた。
そして鳴門海峡は、瀬戸内に海水が出入りする、まさにその東側の出入口なのである。
幅が狭くて海底の地形が複雑な鳴門海峡では、膨大な量の海水が出入りする際に渦潮が生まれるのだ。
渦潮が生まれる詳しいメカニズムはダニエル=ベルヌーイ先生やカルマン先生なんかに任せるとして、
最大で1.5mの高低差から繰り出されるという潮流が生み出す渦潮を間近で堪能するのである。

先ほど展望台から見た大鳴門橋は自動車専用の高速道路となっているが、鉄道も通せるように設計されている。
しかしその計画は具体化していない。そこで、徳島県が渦潮を鑑賞できるように鉄道向けのスペースを改装したのだ。
それが「徳島県立 渦の道」。さっき買った割引券を提示して中に入るが、入ってすぐに「しまった!」となる。
大鳴門橋の下を歩くことになるわけだが、両側には金網が張ってあり、風が自由に通り抜けていく。
高所恐怖症には厳しいシチュエーションなのである。たまに床が鉄板になったり透明になったりしているところもあるし。
僕としては「このはしわたるべからず」状態で、ロボットのような動きで真ん中をおそるおそる歩いていくのであった。

  
L: 「渦の道」は大鳴門橋の内部を行くことになるわけで、橋の見事な構造体っぷりを味わえるのもすばらしい点である。
C: こんな感じの通路をけっこう延々と歩いていく。両側は単なる金網で、風がスースーして怖いったらない。
R: 端っこの展望スペースより猛烈な勢いの潮流を眺める。これは呑み込まれたらひとたまりもないね。でも船はお構いなし。

時刻は12時半近く。そろそろ渦潮をしっかりと鑑賞できる時間帯のはずだ。窓ガラスに貼り付いてカメラを構える。
すると、猛烈な勢いの潮の流れの境界で、いくつか小さな渦ができているのに気がついた。
僕はてっきりラーメンに浮かぶなると巻きのように、巨大な渦がドン!と海面にひとつできるもんだと思い込んでいたのだが、
冷静に考えればそんなわけはないのだ。渦の寿命も想像していたよりずっと短く、強烈な流れに乗って動いて消えてしまう。
まあ、実際のところはこんなもんだよな、コンディションの問題だってあるだろうしな、と思いつつ撮影をしていく。
そのうち、渦潮を見るための遊覧船が3つほど現れて、渦にどんどん近づいていく。船には客がたっぷり乗り込んでおり、
落ちたら怖いなあ、デジカメやケータイを落とすのもヤダなあ、なんて考えてしまうのはオレが高所恐怖症だからだ。
遊覧船は勢いよく渦潮に突っ込んでいくので、お前自身が渦を消してるんとちゃうんか、とツッコミを入れるのであった。

ずーっと海面ばかり眺めているとわかりづらいが、12時40分が迫ってくるにしたがって、渦はだんだんと大きくなっていった。
海底の地形が関係しているのか、渦ができやすい場所とそうでない場所があり、できやすい場所ではひっきりなしに、
渦ができては流れ去って消えてはを繰り返している。やっぱり確実に渦ができるっていうことは、すごいことだと思う。
岩場の急流を思わせるような轟音が響く中、渦はいくつもいくつも生まれては流れて消えていく。
潮の満ち引きのたびにこういった渦が発生する、自然が毎回決まってこういう現象を生み出すというのは面白い。
間欠泉のときもそうだったが(→2009.1.10)、自然の気まぐれを確実に楽しむことができるってのは、すばらしいことだ。

  
L: 猛烈な潮流により渦が発生。そのど真ん中に遊覧船が割って入る。  C: 淡路島から出ている帆船型の遊覧船と渦潮。
R: 渦をクローズアップしてみた。なるほどこうして撮ると、いかにもな感じで見える。ふつうの海じゃ渦なんて絶対にできないもんな。

 
L: 2連渦潮。ここは渦ができやすいようで、ひっきりなしに新しい渦が発生していたのであった。
R: さらに4連渦潮。こんな状態になるなんて、いったいどれだけ複雑な流れになっているのやら。

時間いっぱい、渦潮を堪能して過ごす。知識として知っていることと、実際にこの目で見ることとは、大きな違いがある。
けっこう手間はかかったが、いわゆる「鳴門の渦潮」をこの目で確かめることができて、本当によかったと思う。
大いに満足して渦の道を後にすると、エスカヒルの土産店で一休みしてからバス停へ。鳴門公園から市街地に戻る。

鳴門駅前でバスを降りると、いよいよ市役所探訪である。実は鳴門市役所は、ただの市役所ではないのだ。
DOCOMOMO145選にも選ばれている、近代建築の名作なのである。そりゃもう、見に行くしかないでしょう。
駅からまっすぐ国道28号を南下していくと、まず度肝を抜かれるのが鳴門市消防本部の建物。
後でネットで調べてみたのだが、詳しい情報が出てこないのが非常に残念。しかしインパクトは大きい。
消防署の物見櫓を時計塔としてデザインしており、行政施設が集中する一帯にふさわしい雰囲気を持たせている。

  
L: 駅から国道をまっすぐ進んでいくとコレ。かなりのインパクトである。  C: これだけ風格を感じさせちゃう消防署は珍しい。
R: 隣には竣工間近の建物。こうやって新旧対照的な建物が並んでいるのは、もうそれだけで面白い。

消防署の奥にあるのが、鳴門市民会館。さらにその先に、鳴門市役所。市民会館と市役所はデッキでつながっている。
前述のように、鳴門市役所は鳴門市民会館とあわせてDOCOMOMO145選に選ばれている。
設計したのは増田友也。京都大学の先生だった人だ。市民会館が1961年、市役所が1963年の竣工だ。
鳴門市内にはほかにも増田友也の設計による建築が多数点在しており、それを目的に訪れる人もいるという。
(バスで鳴門海峡方面に出る際、鳴門東小学校をチラッと見たが、やはり非常にモダニズム色の強い建築だった。)

気ままにデジカメのシャッターを切って歩きまわろうと思った矢先、声がかかる。「ポスターお配りしていますので、どうぞ」
炎天下の中、市役所の職員らしき人たちが、国道に向けてそのポスターを貼り付けた板を掲げて大声で案内している。
すると市役所構内にひっきりなしというほどではないが、休日とは思えないペースで関西圏のナンバーの車が入ってくる。
そして家族連れが車から降りてきて、デッキの下に置かれた長机で受付をして、ポスターを丸めてまた車に乗り込む。
一連の動きを眺めていた僕にも声がかかる。声をかけてきたのは、徳島ヴォルティスのユニフォームを着たおじさんだ。
なかなか恰幅のよろしい方で、お腹の辺りがぴっちりしている。徳島のタヌキのマスコット・ヴォルタくんを思い出してしまった。
ポスターは鳴門市阿波おどりのもので、ジャンプで連載中の『NARUTO』とのコラボレーションになっている。
正直旅の思い出にもらいたかったのだが、旅行は明日もあるし、夜行バスの中でクチャクチャになるのが目に見えている。
丁重にお断りして、市役所と市民会館の撮影を始める。すると、おじさんが市役所と市民会館を軽く案内してくれた。

やっぱり鳴門市役所はわざわざ見に来る人がいるようで、けっこう詳しくあれこれ教えてくれた。
「この市役所はどの辺がいいですか?」と訊かれたので、「建築した時期を感じさせる正統派のデザインがいいですね。
特に青い外壁とシルバーのサッシュの対比なんか、すごくオシャレな工夫だと思います」なーんて答えたら、
「でも古くなっちゃってそのサッシュがガタガタで、けっこう雨水が入ってくるんですよ……」とのこと。うわおー!
やっぱり実際に使っている人と一見のお客さんとでは異なる感想になってしまうものだ。これはもう、しょうがない。
「耐震面での強度が足りないのがいちばんの問題ですね」「なるほど。やっぱりそうなんですか」なんて具合に話す。

  
L: 国道28号から鳴門市役所の敷地に入ったところ。左手が市民会館で、奥が市役所。『NARUTO』のポスター配布中。
C: デッキの上(2階レベル)から鳴門市役所を撮影。「地震が来たらこのデッキがいちばん危ないって話です」「はー」
R: 2階のエントランスを撮影。ここまで誇らしげなモダニズムエントランスはそうそうあるまい。紺色がいいなあ。

  
L: ファサードはこんな感じ。配管もうまくデザインの一部にしている印象。紺とシルバーの対比、配管は少しポストモダン気味にもとれる。
C: 1階レベルに降りて撮影しなおしてみた。やっぱりただのモダニズムではない、そのプラスアルファの部分がすごくオシャレな建築だ。
R: デッキは鳴門市役所の向かって右半分をつたって終わる。おかげで建物がピロティの要素を持つわけだ。面白いもんだ。

 
L: 市役所前からデッキ・消防署を振り返る。左端の青いユニ姿でポスターを掲げている人がおじさん。本当にありがとうございました。
R: 鳴門市役所の裏側。こっちは紺色ではなくかなり現代的。まあうまく改修しなくちゃやっとれんわな。なかなか大変そうだ。

隣の市民会館も解説つきで隅々までバッチリ見せてもらった。竣工して間もない頃は、ここで結婚式も行われたそうだ。
それはつまり、それだけ地域の誇りだったってことだろう。いかにも昭和30年代らしいエピソードだと思う。
最近ではもう体育館としての利用しかなされていないそうだが、天井を見ればこの建築の矜持がわかるってもんだ。

  
L: 鳴門市民会館。古びきってしまって外観からは中身の想像がつかないが、竣工当初はめちゃくちゃ斬新なデザインだったはず。
C: デッキに面したファサード。無骨でかっこいいなあ。「ここのサッシュの雨漏りはもう本当にひどいです」「そ、そうですか……」
R: 市役所側から眺めたところ。古びているのが本当に惜しい。ただの工場にしか見えなくなっちゃっているもんなあ。

  
L: 中はこんな感じ。デッキから直接入るとこういう光景になっているのだ。やはり天井が非凡。ただの体育館扱いではもったいない。
C: 下りてみた。やっぱりこれかっこいいよ。  R: 客席。木製のガードレール(って言えばいいの?)がオシャレ。モダンだなあ。

 事務室の表札を撮ってみた。時代を感じさせる字体がすばらしいです。

撮影を終えて、どこから来たのか尋ねられたので「東京からです」と答える。「ヴェルディですか」と返ってくる。
「いえ、今日はあくまで市役所がメインです。まあ、試合も観に行きますけど。今日は徳島を応援しますよ」と笑う僕。
やっぱり鳴門の人たちにとって徳島ヴォルティスの存在は大きいようだ(そもそもおじさんはユニを着ているわけだが)。
おらが街にサッカークラブがあるというのは、地元を誇る意識に一本どでかい筋が通るようなものだ。それを見た気分だ。

おじさんに礼を言って別れると、今度は公共建築百選に選ばれている鳴門市文化会館を目指す。
しかし近くの鳴門地域地場産業振興センターに「セルフレストラン」の文字があるのを見つけて、即そっちへ。
昼飯には遅い時刻だったのだが、店主は優しく迎え入れてくれたのであった。カレーライスをいただき、ほっと一息。
そしてここでも「ヴェルディですか」と訊かれた。鳴門の人はアウェイのサポーターの存在にしっかり慣れているなあと思う。

鳴門市民のホスピタリティにほっこりしながら文化会館への道を歩いていて、思わぬものを発見してしまった。
「いのたに 鳴門店」の暖簾である。「いのたに」は徳島ラーメンの有名店。かつて本店に行ったが(→2007.10.9)、
休業日で食えなかった。今回もスケジュール的に訪れるのが難しく、あきらめていたところで支店に出会ってしまったのだ。
さっきカレーライスを食ったばかりなのだが……。まあ、次の瞬間に結論は出ていた。
「文化会館を撮影して歩きまわって腹を減らしてからチャレンジだ!」自分でも、幸せな脳みそをしていると思う。

というわけで鳴門市文化会館である。設計したのはやはり増田友也。しかしこちらは1982年の竣工だ。
デザインじたいは1960年代の前川國男式モダニズムホール(と呼びたい感じ。東京文化会館(→2010.9.4)や、
京都会館(→2011.5.15)、あと今治市市民会館(→2010.10.11)もそうだ)を思わせるが、とにかく規模が大きい印象。
その辺は1980年代のスケール感をしていると思う。市役所のような細やかさが感じられないのはけっこう残念である。

  
L: 左手は鳴門市老人福祉センター・鳴門市勤労青少年ホーム(1977年竣工)。右手が鳴門市文化会館。連続しているのだ。
C: 鳴門市文化会館。1960年代前川式モダニズムホールの特徴を残しつつ、1980年代のスケールとなっている。
R: 中庭へ進み、老人福祉センター・勤労青少年ホームを背にして撮影した文化会館の側面。

 マッシヴな印象。徹底してコンクリートな外観なのは1980年代には珍しい感じ。

敷地を一周して少しでも腹を減らす努力を済ませた後で、いのたに鳴門店の暖簾をくぐる。
時刻は15時半近く、それでも客がわずかばかりだがいるのがすごい。通は徳島ラーメンをご飯・玉子とセットで頼むという。
しかしさすがにフルコースにする度胸はなかったので、素直に中サイズのラーメンのみを注文する。

 うーん、正統派の徳島ラーメンだ。

実際に「いのたに」ブランドの徳島ラーメンを食べてみて、徳島ラーメンがメシのおかずということに、すごく納得がいった。
スープはいかにも中華そばらしい醤油味に、わずかに動物っぽさを足した印象。そこに細く四角い麺が入っている。
肉はチャーシューではなく、生姜焼きに使うような感じのふつうの肉。でも醤油の味がよく染みていておいしい。
これは白いご飯が欲しくなる(店内では「めし」と表記されている)。やっぱり量は少なめで、ご飯とセットが常識なのだ。
「めし」も注文しようかさんざん迷ったのだが、調子に乗って食いすぎたらロクなことにならないのでガマン。
いつか徳島市の本店でめし・玉子とセットで注文することにしょう、と思いつつ平らげたのであった。いやー、うまかった。

再び文化会館まで行き、撫養川を渡ってちょっと行くと、鳴門・大塚スポーツパーク(鳴門総合運動公園)に到着だ。
手前のコンビニで涼んで軽く休憩していたら、アウェイの東京Vサポーターの皆さんが入ってきた。若い人ばっかり。
具体的なことは書かないでおくが、試合前でテンションが上がっていたのか、あまり雰囲気がよくないのが残念だった。
まあそれはさておき、スポーツパーク内に入るとそのまままっすぐ徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場へ。
この競技場、ネーミングライツで「ポカリスエットスタジアム」と呼ばれているのだが、周辺施設もまたすごい。
まず鳴門総合運動公園が「鳴門・大塚スポーツパーク」。野球場は「オロナミンC球場」。
体育館は「アミノバリューホール」で、武道館が「ソイジョイ武道館」。大塚グループ一色なのである。
企業城下町とはいえ、ここまで徹底してやりきるとかえって清々しい。素直に拍手を送りたいと思う。

このスタジアムは初訪問なので、恒例のスタジアム一周をする。メインスタンド側は出店で実に賑やかである。
バックスタンド側にまわると、道を挟んだ向こうは広大な大塚製薬の工場。あらためて、大塚パワーを実感させられた。

  
L: 徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場(ポカリスエットスタジアム)。家族連れが多いせいか、どこかアットホーム。
C: 向かいの野球場は「オロナミンC球場」。元気ハツラツでいいんじゃないの。  R: 広大な大塚製薬の工場群。駐車場も広い!

ポカリスエットのペットボトルを持参するとくじ引きできるイベントをやっていたので、体育館(アミノバリューホール)に入り、
自販機でポカリスエットを購入して列に並ぶ。案の定いちばん下の賞で500ml用ペットボトルホルダーをもらったのだが、
150円でそれならけっこういいじゃん、と思うのであった。隣のテントではポカリスエットを紙コップに注いで無料配布。
暑い日には本当にありがたいサービスである。家族連れを中心に、穏やかな雰囲気でなかなかよろしいのであった。

キックオフまで2時間を切ったので、チケットを提示してバックスタンドへ。
鳴門総合運動公園陸上競技場のバックスタンドは芝生になっている(J1に昇格時に座席に変えないといけないそうだ)。
続々と親子連れがやってくる中、マッチデープログラムを読み、軽く仮眠をとったりとらなかったりしながら過ごす。
(芝生には小さい蟻がけっこういっぱいいて、ひっきりなしに体にのぼってくるのでくすぐったくってかなわん。)
それにしても、妙な違和感がある。この競技場には、明らかにほかのスタジアムとは異なる雰囲気があるのだ。
全体的に、どこかゆったりとしている。ゴール裏のサポーターはいつまで経ってもチャントを歌いはじめないし、
バックスタンドの家族連れものん気に過ごしている。ゲームに向けてテンションが上がっていく、ということがないのだ。
ひどく牧歌的なのである。徳島ヴォルティスの順位が2位ゆえの余裕か? いや、これは2位にふさわしい雰囲気ではない。
J1昇格に向けて好調なチームであれば、なおのことゲームに向けて集中が高まるはずだ。でも、それがない。

 
L: 鳴門総合運動公園陸上競技場(ポカリスエットスタジアム)のピッチ。時間の流れ方がほかのスタジアムと違う感じ。
R: ゴール裏と巨大なヴォルタくん。ヴォルタくんは中で子どもが跳ねて遊ぶ風船状のやつ(エアトランポリンって言うの?)になっている。

キックオフ予定時刻は18時30分だったが、藍住町長の挨拶やプレゼントの贈呈をやっているうちにその時刻は過ぎる。
両チームの選手がピッチに入場していても、なお牧歌的なのである。徳島の倉貫、東京Vの土屋両キャプテンが、
笑顔でプレゼントを受け取っているのを見ると、本当に2位と6位の対戦なのか?と思ってしまう。

試合が始まっても、そのどこか牧歌的な雰囲気は続く。徳島サポーターはきちんと声を出して応援しているのだが、
今ひとつ雰囲気がゆるいのだ。東京Vは伝統のパスをつなぐサッカーで攻め込み、徳島はカウンターを狙う。
どっちも持ち味を十分出している展開なのだが、攻めあぐねるシーンが多くてイマイチ盛り上がらない。
その中で、僕は徳島のキャプテン・倉貫のプレーに注目していた。もともと甲府でプレーしていた選手で、
テクニックとキャプテンシーを兼ね備えており、2005年のJ1昇格に大いに貢献したという(当時僕は詳しくなかった)。
ところが翌シーズン、大ケガでほとんど出場できなくなってしまった。大木監督(当時)は大いに悩んだ末、
「選手はできるだけ狭い範囲に集まってパスを回すように!」と指示を出す。これが甲府名物の「クローズ」となる。
つまり、甲府がかつてショートパスで崩すサッカーを志向していたのは、倉貫の離脱がきっかけだったのだ。
そして2007年、倉貫は出身地の滋賀に近い京都に移籍。しかし出場機会を求めて1年ちょっとで徳島へ。
ここで再び中心選手として活躍しているのだ。僕が甲府時代にそのプレーを目にすることができなかった倉貫が、
その後「倉貫がいればなあ……」とさんざん言われた選手がいったいどんなサッカーをするのか。それを確かめたかった。
なお、東京Vでは甲府からレンタル移籍中のマラニョン先生に注目。相変わらず決定力があったりなかったりするのかなあ。

先制点は非常にあっけなく入った。前半17分、東京Vの10番・菊岡のCKがそのままゴールに入ったのだ。
GKに当たって入ったように見えたが、針の穴に糸を通すように狙って蹴った結果だと思う。すばらしい技術だ。
その5分後、オウンゴールで東京Vが追加点を奪う。徳島の集中力はピッチだけでなくスタジアム全体で欠けている感じ。
注目していた倉貫は、中盤でボールを受けると広い視野で前線に速く長いパスを積極的に供給する。運動量もある。
なかなか目立つ躍動ぶりで、ああこの選手が僕の知る甲府で欠けているピースだったのか、と思うのであった。
しかし2点ビハインドの徳島は、うまくボールを東京Vのゴール前まで運べない。時間がただ過ぎていき、ハーフタイム。

 
L: ハーフタイム、ボール君(非公式マスコット)とティスちゃんが、ポカリスエットの旗を持ってスタジアムを一周。
R: ヴォルタくんは女性にポカリスエットの着ぐるみをかぶせ、自転車に乗せてティスちゃんの後ろを行く。けっこうひどいなあ。

後半に入り、倉貫に代えて移籍してきたばかりの斉藤大介が入る。キャプテンの交代だが、スタジアムは大歓迎ムード。
徳島の選手たちは積極性を見せはじめ、東京Vはヴェルディらしい時間稼ぎをちょこちょことやりだす。
そうなるとスタジアムの雰囲気はアットホームさを保ちつつも尖っていき、ゆっくりと徳島に流れが傾いていく。
河野・平繁と攻撃的なカードを切る東京Vにもひるまず、徳島が押す時間が増える。
柿谷は得意のドリブルで切り込み、また全体的に選手が前へ出る動きが活発になっていく。
しかし0-2のままで試合は進んでいき、東京Vはやっぱり時間稼ぎをあの手この手で繰り広げるようになる。
僕の脳裏には先ほど鳴門市役所で話をしたおじさんの顔が浮かんでいた。「オレのせいで負けたとか思われたらヤダなあ」

だが選手は弱気になることなく、攻撃の圧力を高める。そして88分、徳島はCKのチャンスを得る。
今シーズンの徳島は、とにかくセットプレーに強い。不利な展開でもセットプレーで決めて強引に勝つ試合が多いのだ。
そんな自信が徳島の選手たちをさらに勇敢にし、東京Vの選手の意識を受身にまわらせる。それがもう、肌でわかる。
果たして徳島のシュートはクロスバーを叩いたが、上がってきたDFエリゼウの真正面に返る。ヘディングでまずは1点。
スタジアムのヴィジョンには渦潮の映像をバックに、スキンヘッドのエリゼウの顔が映し出される。さすがは鳴門だ。
そしてロスタイムは5分と表示された。審判も東京Vの時間稼ぎにはイライラしていたのだろう。妥当な判断だと思う。
流れは完全に徳島のものだ。スタジアム内は家族連れが徳島の同点ゴールを願うアットホームな迫力で満たされる。

 
L: エリゼウが決めて1点を返した徳島。しかしまだ反撃は終わらない。  R: 芝生のバックスタンドも大盛り上がりである。

文字どおりの四面楚歌の中で東京Vはボールを動かすが、徳島の勢いは止まらない。
FKでもCKでも、セットプレーのチャンスをつかみさえすればいいのだ。単純明快な目的意識が流れをさらに加速する。
3人目の選手交代も済ませて打つ手のなくなった東京Vに対し、徳島はすべてを支配していた。
最後の最後、徳島のヘディングシュートをGKが外へ掻き出すが、それを途中出場の徳重がバイシクルキックで拾った。
そこに飛び込んできたのが津田。一連の流れは、観客たちの想像力が現実を都合よくねじ曲げたとしか思えないほど、
鮮やかに達成された。終わりよければすべてよし、徳島県を包む夜空に大歓声が響き渡った。

  
L: 東京VのGK・柴崎が掻き出したボールに徳重が反応する。この直後、徳重はバイシクルキックで後ろへボールを送ってみせる。
C: 津田がヘッドで同点ゴールを突き刺した瞬間(ボールが浮いている)。そりゃあ写真がブレるのもしょうがないさ。
R: 奇跡の同点劇に盛り上がるサポーターたち。セットプレーに自信を持っているチームの凄みを見せつけられた試合だった。

冷静に考えれば、前半に2点リードされたのは自分たちがだらしないプレーをしていたからなのだ。
でもその雰囲気を修正し、得意な形で同点に追いついてみせた。やはり、徳島ヴォルティスは2位にふさわしい強さだ。
(津田の同点ゴールを引き出した徳重のバイシクルキックには、プロサッカー選手という格の違いを見せつけられた感じ。)
しかしなんでもかんでもセットプレーで片付けてしまうサッカーが魅力的かというと、正直僕はあまりそう思わないのである。
「いい試合だったー」「また観に来たいね」と言っていた人たちが周りにいっぱいいたのだが、
その自作自演ぶりをみんなできちんと検証しないことには、ちょっとマズいんじゃないのと思うのだ。

さて最後にもう一度、徳島ヴォルティスと鳴門総合運動公園陸上競技場の持つ独特な雰囲気について考えたい。
僕はひたすら「牧歌的」とか「アットホーム」という表現を使ってきたが、その根本にあるのが何か考えると、
やっぱり大塚製薬の存在があるんじゃないかと思うのだ。大塚グループという大きな家に守られている、そんな安心感。
実際にスタジアムで観戦してみていちばん印象に残ったのは、ポカリスエットのフィーチャーぶりなのである。
ネーミングライツで「ポカリスエットスタジアム」となっているだけではない。何から何までポカリ責めなのである。
バックスタンドの後ろには旗がいっぱい並べられているが、1つおきにポカリスエットの旗。
入場時にフラッグを持っていると紹介されるのは、「ポカリスエット大好きなみなさん」。
試合前もポカリスエットの名前があちこちで連呼され、ハーフタイムもポカリちゃんが自転車に乗せられる。
僕はポカリスエット好きだけど、さすがにここまでポカリ責めだとちょっと異様さを感じざるをえない。それくらいのレベル。
お前ら、徳島ヴォルティスとポカリスエットとどっちを応援しているんだ? どっちが主役なんだ?と言いたくなるほどだ。

つまり、徳島ヴォルティスは今でも大塚製薬サッカー部なのだ。きちんと独立したサッカークラブではあるものの、
実質的には大塚グループの一部。かつて大塚製薬サッカー部はJリーグ入りには極めて慎重な姿勢をとり、
長らくJFLで戦っていた。それはJリーグクラブをつくることを公約にした今の知事が当選するまで続いた。
知事が代わってサッカー部はプロ化・独立したが、大塚グループが徳島県で持つ影響力が衰えない限り、
また大塚グループの同族経営感覚が抜けない限り、徳島ヴォルティスが本当の意味で独立することはないだろう。
すべてのサポーターがそうだとは言わないが、ポカリスエットスタジアムに来る家族連れの姿を見るに、
徳島ヴォルティスに対する誇りが、大塚グループに対する誇りを経由したうえで成立している印象があるのだ。
ポカリスエットの宣伝が過剰なことに気づいていないことからも、クラブへのダイレクトな誇りが感じられないのである。
これは別のクラブをきちんと内側から見つめてみれば、すぐに気がつくことだ。でも徳島県内にいるとそれに気づけない。
ポカリスエット(=大塚グループ)という一党独裁が支える徳島ヴォルティスは、強く、だけどそれゆえに脆いように思う。

そんなことを考えながら鳴門駅までの夜道を歩いていたら、文化会館の周辺で太鼓と鉦の音が聞こえてきた。
文化会館の周りは阿波踊りの練習にちょうどいいスペースとして利用されているのだ。
小学生から中学生くらいの子どもたちが暗い中、大人たちの鳴らす太鼓と鉦に合わせて踊っている。

 鳴門市阿波おどりに向けて子どもたちが練習中。

遅くまで外でダンス(阿波踊りもダンスの一種だ)の練習に励む姿は、まさにストリート系(→2007.10.72008.1.10)。
高知や沖縄など南の地域は遅い時間でも暖かいせいか、道端で過ごす若者が多い印象がある。
それは徳島でもそうで、徳島駅周辺は夜遅くにも人の気配があるのだ。そういう状態を生み出す理由が、
このストリート系の文化の中に隠れているように僕は思うのである(決して批判をしているわけではない)。

鳴門線に乗り込み、そのまま徳島駅へ。今日も最初から最後まで充実した旅だったなあ、と思う。
むしろ中身が詰まりすぎていて、いろいろ大変だ。旅して、面白いものを見て、うまいもの食って、考えて。幸せである。


2011.7.15 (Fri.)

授業についてのアンケートをとったのだけど、おおむね好評のようでちょっと安心したのであった。
僕自身は自分の授業にまったく満足していなくって、もっと辛口の評価をもらうかと思っていたのだが、みんなわりと優しい。
まあ授業を受ける側がもともと優秀だから不満が少ないんだろうな、と冷静に分析している。
今年から授業数が飛躍的に増えた影響で毎日条件反射的に動いており、準備に時間をたっぷりかけられていない。
それで凝ったことができなくなってしまっている反面、ムダな力の抜けた無理のない内容になっている面もあるのだろう。
バランスをとるというのはなかなか難しいものだと思う。だって、バランスをとらなきゃいけない軸・次元は無数にあるから。
それに理想的な授業ってのは受け手によってまったく異なるものだし。とりあえず、相手が満足できているならヨシとするか。


2011.7.14 (Thu.)

FREITAGの新作・FRINGEがけっこうよさそうなのである。BONANZAやHAZZARDと同じくバックパックタイプなのだが、
通学カバンとしてデザインされたんだかなんだかで、カジュアルな服装に実によく合いそうだ。
正直、白っぽい色調で落ち着いた柄のものがあったら手を出してしまいそうだと思う。
でも幸か不幸か、オンラインショップではこれといった柄のものがないので、おとなしくしている状態である。
まあ一点モノはタイミングの問題なので、波長が合ったら突撃してしまうかもしれないなー。困ったなー。


2011.7.13 (Wed.)

研究授業で小1の英語を見る。これ教育か?と言いたくなってしまう内容で、大いに困ってしまった。
いやまあ、もともと小1の授業というのは義務教育がスタートしたてのホヤホヤなんだから、
あらゆる面において甘えさせる余地があるのはわかる。楽しく勉強しましょうね、になるのはわかる。
だから英語について音から入って体を動かして楽しく体験していきましょう、となるのは当然の流れなんだろう。
しかし僕としては、小学校のうちは読み書きそろばんを徹底的に鍛えるべきだ!と考えているわけで、
正しく日本語を運用する能力と正しく計算する能力を身につけさせることを最優先にすべきだ、と思っているのだ。
そういうところに英語というノイズを挟み込むことじたいが許せないのだ。ずっと僕はそれでイライラしていた。
英語に慣れるといえば聞こえはいいけど、読み書きそろばんの時間を犠牲にしてまでやることではない。
本当に知性のある日本人を育てたいのであれば、まずは母国語を重視しなさい(→2009.8.5)。
コミュニケーション能力を学校教育に期待すること自体が間違っているし、それを英語に期待するのはもってのほかだ。
世間にはその根幹がまったくわかっていない近視眼的な人ばかりで、もうどんどん憂鬱になるしかない。


2011.7.12 (Tue.)

夏休みの動静表をつくってみたのだが、夏休みなのに休みがねーじゃん……って言いたくなる感じだった。
もちろん8月上旬からお盆まではがっちりと夏休みを確保してはあるのだが、それ以外は詰まっている。
本来休日だったのに出勤した日が今年は多く、その分の休みを入れていったらそれで終了。
つまり結論から言うと、今年の夏休み期間中、僕の年次休暇はゼロなのである。これには自分で笑ってしまった。
もっともそれはわざとやった面もある。休みをとって家で汗まみれになっていてもいいことなんてないわけで、
それなら職員室でシコシコと英語の勉強でもするか、ということで予定を組んだのである。
どこまできちんとできるかはわからないが、僕なりの気合の証明なのである。地道にがんばりたい。


2011.7.11 (Mon.)

こないだ大宮でサッカーを観戦する前に買った赤いプラクティスシャツを着て部活に出る。
下は黒のパンツとソックスで、なんとなくスペイン代表風な僕なのであった。
そしたら連中は「新色だ……」と大いに食いついてきた。別に僕としては新しいシャツ、ただそれだけなのだが、
連中は練習着に意外とこだわりがあるみたいだ。僕は他人のファッションにまったく興味のない人間なので、
その辺の感覚がまったくわからない。まあ、世間では僕のような人間の方が圧倒的に少ないんだろうけどねえ。

放課後、農業方面の高校に進んだ卒業生がくれたキュウリをほかの先生と一緒にいただいた。
一口にキュウリといっても当然、さまざまな品種があるのだ。その違いを確かめるように4本いただいた。
やたらと硬いやつもあれば、口にした瞬間に鼻から抜ける風味が違うものもある。面白いなあ、と思いつつ食べる。
キュウリの品種なんてふだんぜんぜん意識することなんてないんだけど、確かにまったく異なっているのだ。
同じに見えて違うのは人間も一緒。何にせよ、その違いをわかったうえで味わう方が面白いに決まっている。
そんなことを考えさせられる経験だった。


2011.7.10 (Sun.)

リョーシさんが岡山から出張で来るぞー!というわけでいつもの姉歯メンバーが集結するのであった。
何をするのか掲示板やらメールやらで意見調整をしてみたところ、神社仏閣巡りが人気のようだ。
しかしリョーシさん自身が提案した『キャプテンEO』を見るために東京ディズニーランドへ行くのも捨てがたい。
結果、前半が神社仏閣巡りで後半がディズニーランドという折衷案に落ち着いたのであった。
(なお、本日の日記にはリョーシさん撮影の写真を多数使わせていただきました。ありがとう!)

午前中に部活を終えた僕はいったん家に帰るのが面倒くさかったので、そのまま集合場所の秋葉原へ。
今回リョーシさんは秋葉原に宿をとっているんだそうで、そこが集合場所となったのである。
部活の後なので当然、僕は「The サッカー部」という恰好で、秋葉原ではなんだか浮いていた気がする。
案の定マサルは夕方になっての合流ということで、残りの5人が集まったところでさっそく昼メシ。
秋葉原にはスタ丼屋があるということで、われわれ年末の恨み(→2010.12.29)を秋葉原で晴らそうというわけなのだ。

  
L: 久々のスタ丼に満足そうなみやもり・ニシマッキー両氏。  C: 東京でのスタ丼で感涙にむせぶリョーシ氏。奥はえんだう氏。
R: それじゃいただきまーす!と意気込んでみせてからたくあんをいただく私。スタ丼の並はたくあんから行くのよ(大盛ではとっておく)。

かつて店名が「サッポロラーメン」だった頃のスタ丼を知っているわれわれとしては、
100%の満足感を得るのはもはや難しいことだ。しかし、それでもスタ丼はスタ丼。おいしくいただいた。

 店の前で記念撮影。スタ丼バンザイ。

さて秋葉原からは徒歩で神社仏閣巡りをスタートする。そもそもなぜ今回は神社仏閣巡りがテーマなのかというと、
来週末にリョーシさんがお見合いをするんだそうで、それで神頼みをしたいということなのだ。ふざけるな。
とはいえ神頼みをしなければならない立場は僕も同じなので、おとなしく同行。既婚者は家内安全を祈るのであった。
で、最初の目的地は神田明神である。神田明神は神田祭のときに周辺が大混雑になる、というイメージくらいしかない。
それでも一度、やっぱり縁結び祈願でトシユキ・バヒサシ両氏と行ってはいるのだ(→2005.6.4)。
しかし効果があったのがトシユキさんだけだったので(→2009.5.23)、どうもイマイチなー、という感じで受け止めている。

石段を上って拝殿の脇にいきなり出る。5円を賽銭箱に入れて二礼二拍手一礼。熱心に祈る僕とリョーシ氏。
その後は毎回恒例の(?)、「第1回チキチキおみくじバトル」である。ここで僕は大吉を引き当ててみせ、
リョーシ氏に向かって鼻で笑ってみせるのであった。うーん性格悪いぜ。

次は東京大神宮に行こうということで、お茶の水駅まで出てから総武線で飯田橋駅へ。
飯田橋といったら僕のかつての職場ということで、なんとも懐かしい気分になるのであった。
しかし飯田橋で勤務して、昼休みのたびに自転車で周辺をフラフラしていたにもかかわらず、
東京大神宮に参拝したことは一度もない。縁結びを売りにしている神社なのは知っている、という程度。
罰当たりだが、しょうがないのだ。参拝したことはないが道はわかるので僕が案内してみんなで鳥居をくぐる。

東京大神宮が縁結びを売りにしているのは、日本で初めて神前式の結婚式を行った神社だから。
それを根拠にするってのはどうなんだ、と思うのだが、実際に訪れてみるとまあこれがすげーのなんの。
いるんですよ。目を血走らせて縁結びの願掛けをしている女性たちが。しかもけっこういっぱい。
そんな中に与太り歩きで闖入する男5人はけっこう場違いな雰囲気なのであった。まったく困ったもんだ。
「ここにいる女の人に声を掛ければもうオールオッケーじゃないですか」という実に的を射た意見が出たが、
なんつーか、こういうところに来て願掛けしている女の人って怖くね? オレは怖い。食われそうでヤダ。
まあそんなワガママを言っていたら、おみくじは「波瀾の兆」だと。なんだこれは。道ならぬ恋をしちゃうのかしらドキドキ。

東京大神宮から飯田橋駅へ戻る途中、青森県のアンテナショップがあるのを発見。
前回(→2011.5.7)とは別の店だが、当然のごとくわれわれは入るに決まっているのである。
「まあどうせ中で売っているのはリンゴとニンニクだけなんだけどな」とからかう僕だったが、
やっぱり店内の商品の大半はリンゴとニンニクだった。やっぱり全員でそれぞれリンゴジュースを買って飲む。
(リンゴジュースのジューススタンドがあるのがまず凄い。缶ジュースも種類が非常に豊富でまた凄い。)
そうしてエネルギーを充填したところで、次の目的地を目指すべく地下鉄で移動。久しぶりの南北線である。

  
L: 神田明神。正式名称は「神田神社」。平将門を祀っているので成田山新勝寺とは相性が悪いんだってさ。
C: 東京大神宮。伊勢神宮の東京出張所みたいな感じで始まったそうだ。しかし女性が本当に多い!
R: 青森県のアンテナショップ来訪記念に一発。両手で津軽半島と下北半島を表現したつもりが左右反転に……。がっくり。

六本木一丁目駅で降りる。目的地は出雲大社の東京分祠なのだが、とにかくこれが見つからない。
まず六本木一丁目から地上に出る出口をテキトーに選んじゃったので、どこかのビルの敷地内に出て、大いに迷う。
どうにか地上に出たのだが、今度は道を間違えて別方向へと歩いてしまうのであった。
気がついたときにはしっかり一駅分歩いており、そこからテレビ朝日の脇を抜けて六本木通りまで上り坂を歩く。
それでやっと自分の頭の中で地図がつながったので、いちおう僕が先導してどうにかたどり着くことができた。

さてその出雲大社東京分祠なのだが、実際に訪れてみて全員びっくり。かなり住宅っぽいビルなのである。
果たしてこれは中に入っていいのだろうかとしばし逡巡し、怒られたら怒られたで謝りゃいいじゃん、と突撃。
そしたらふつうに上にあがって参拝してよかったようで、2階はまずまず神社らしい雰囲気が漂う空間になっていた。
こんなパターンはみんな初めてなので大いに驚いたのだが、気を取り直して参拝する。
出雲大社ということで、もちろん二礼四拍手一礼である(→2009.7.18)。その辺はさすがだなあと思う。
そういえばオレもリョーシさんもラビーさんも本家に行ったけどまだモテてねえぞ!という気持ちもあったが、
とりあえずおとなしく参拝。そしておみくじ。「大吉」などと書いていないのでかなりわかりにくい。
みやもりに判定してもらったら「かなりいいことしか書いてないぞ」ということなので、よかったです。

 
L: 出雲大社東京分祠の外観。これは中に入るのにちょっと度胸がいる。
R: 2階でお参り。神社の機能をコンパクトにまとめてあって、空間として面白かった。

というわけで今回の神社仏閣巡りはこれでおしまい。リョーシさんは気合が入ったでしょうか。
僕としてはけっこう良い流れがきているようなので、なんとかうまいことどうにかなっちゃいたいです。
六本木通りに面したファストフード店で一服すると、いよいよディズニーランドを目指して移動開始。
日比谷線から八丁堀で京葉線に乗り換えるというウルトラCが発見されたので、それで舞浜を目指すのだ。

舞浜駅に到着すると、同じ電車にマサルも乗っていたのか、すぐに合流。
ちなみに舞浜駅では「のりかえ ディズニーリゾートライン」と出ていて、きちんと鉄道事業なんだなあ、と驚く。
そしたら「乗りつぶさないの?」とみんなから訊かれてしまった。だーかーらー、オレは鉄じゃないんだってば。

舞浜駅からディズニーランドの入口までは、みんなウキウキしていて気づかないけど、けっこう歩く。
来年の3月には卒業遠足で来るんかなあ、とボンヤリ思いながらチケットを購入。
今回は「夏5パスポート」ってやつで、午後5時から入場できるやつなのだ。合理的なのだ。

  
L: 無事にチケットを購入してやる気の皆さん。男だけ6人でのディズニーでも楽しいもんね!
C: さあいよいよ夢の国へ突撃だ!  R: ディズニーランドに来て大はしゃぎのマサルの図。よかったね。

ディズニーランドに来るのはおそらく熱海ロマンの解散記念以来だと思う(→2002.5.11)。
あのときには去り際に夢の国を象徴するシンデレラ城の前でケツを出すという蛮行に及んだわけだが、
(そのときのマサルの爆笑ぶりは、僕が知る限り一番の笑い方だった。あんなに爆笑したマサルはほかに見たことない。)
さすがに今回はそんなことはしなかったもんね。マサルが「はよパンツ下ろせや」と言ってきたけど無視したもんね。

  
L: ディズニーランドに来た喜びを雲竜型で表現してみました。  C: シンデレラ城とディズニー・ミッキー像。
R: ワールドバザールのガラス屋根は、じっくり見るとかなりいい。このパサージュ空間は素敵だと思う。

真っ先に向かったのは当然、トゥモローランド。所期の目的である『キャプテンEO』を見るのだ。
マイケル=ジャクソン主演の3D映画・『キャプテンEO』は、1996年に公開終了となっていた。
しかしマイケル=ジャクソンが2009年に亡くなったことで、1年間限定で復活していたのだ。
そしてそれが好評だったため、期間限定ではなく正式に復活することになったのである。

 ではさっそくマイケルの勇姿を見るのだ。

待っている間に『キャプテンEO』のメイキング映像を見させられるのだが、これが非常に面白い。
マイケル以外のキャストやスタッフがどう動いていたのかが短いカットでテンポよく紹介され、
現場の集中力をしっかりと感じることができる。本当に食い入るように見つめてしまった。
本編はジョージ=ルーカスがプロデュースしてフランシス=コッポラが監督するという豪華さなのだが、
ここで映し出されるのはあらゆる人々が製作現場で奮闘する姿だけ。それが逆に、この作品の価値をダイレクトに伝える。

劇場内に入り、いよいよ『キャプテンEO』がスタート。序盤は『スター・ウォーズ』の影響の大きさを感じる内容。
3Dの映像も目の前にせり出してくるようなものは少なく、あくまでスクリーンの映像として楽しむ感じだ。
そしていよいよ、マイケル=ジャクソン演じるキャプテンEOが暗黒の女王の前で歌い、踊りだす。
ショウビジネスの本場、アメリカで鍛えられた本物のエキスパートたちが繰り広げるパフォーマンスは、とにかく圧倒的。
特殊効果はもちろんバリバリに使われているのだが、ベースにあるのはあくまで訓練された実際の身体の動きだ。
1980年代半ばという時期が幸いして、特殊効果と身体のパフォーマンスが絶妙なバランスで融合している。
(これはマイケル=ジャクソンというアイコンならではの到達点ではないか、という気もする。→2009.6.27
 ちなみにアメリカのショウビジネスの凄みについては『ウェストサイド・ストーリー』のログも参照。→2005.4.26
ストーリーだけ見ればあまりにも断片的すぎるためにそれほど楽しめないかもしれないが、
純粋に、全盛期のマイケル=ジャクソンが当時の最新技術とともにパフォーマンスした作品としてとらえれば、
その価値は本当に大きなものがあることがわかるはずだ。社会学的に重要な作品、と言っても過言ではないだろう。
ただ、作品じたいを評価する場合には、前半のチープなSFっぽさがやはり足を引っ張っているのは否めないし、
後半のパフォーマンスについてももっとストーリー性を持たせて序破急で3曲くらいに引き延ばした方が印象的だったろう。
その後のマイケルを知っている僕らとすると、「もっとやれたんじゃないか」という気分になってしまうのである。

『キャプテンEO』を見終わると、後は特に予定がない。なんとなくホーンテッド・マンション行こうぜな雰囲気に。
そっち方面へ移動していると、まだ暑さが残る園内ではあちこちで霧を吹いていた。
マサルはそれを見て霧を浴び、「濡れてないよ」とアピール。「いや、お前、濡れてるよ」「濡れてないよ」
こうして文字通りの水掛け論が展開されるのであった。しかしこれを何分も延々と続けられるオレたちはおかしい。

 霧を受けて気持ち良さそうなマサル。「濡れてないよ」……水掛け論だ!

そうこうしているうちにわれわれの目に、あるアトラクションが飛び込んでくる。
「これは……行くしかないだろ!」待ち時間ゼロで楽しめるディズニーランド定番のアトラクションといえば!
……そう、イッツ・ア・スモールワールドだ!! これを体験しないディズニーランドなどありえないのだ!

  
L: マサルが意気揚々とイッツ・ア・スモールワールドの中へ。まあ、当然入らざるをえないわな。
C: ボートが動く前からノリノリのマサル。イッツ・ア・スモールワールドでここまでテンション高くなれるのがすごい。
R: さあ、始まりましたぞ。延々と続く、歌と人形の世界。僕たちはどこへ連れて行かれるんでしょうね。

 お前、それはちょっとテンション高すぎるだろ!

よく考えると技術はすごいんですよ。ボートが動いても歌が途切れることなく連続で聞こえる工夫。
ほかのスピーカーの音と干渉しないように、しかもタイミングがズレないように、完璧にできている。
しかしそれで延々と『It's a Small World』を聴かされて、人形がただ歌に合わせて動くだけってのは、
もう飽きるなんてもんじゃない。そう、それはもう十分わかっていたことだ。でも、味わわざるをえない。
それがイッツ・ア・スモールワールドというものなのだ。健全な中二病男子なら、行かざるをえないのだ。

まあそんな具合に儀式としてのイッツ・ア・スモールワールドを味わった後は、ホーンテッドマンション。
もちろん物の見せ方や動かし方、ライド(乗り物)の傾きぶりなどアトラクションとしての技術の完成度の高さもすごいが、
完全に怖さ100%にならないように気をつかっているところがまたレベルが高い、とあらためて思った。
ディズニーが怖さ方面で本気の本気を出せば、来た客をすべからくおしっこちびらせちゃえるんだろうけど、
その本気の力をすべての客に対してどこか安心感を持たせる方向に使っているのがわかるのだ。これはすごいことだ。

そしてお次はビッグサンダーマウンテン。マサルは前回熱海ロマンで来たときには拒否したのだが、
今回はおとなしく乗った。マサルはジェットコースターが大の苦手なのだ(→2002.5.11)。
リョーシさんがカメラを向けると無理にテンションを上げてみせるのだが、すぐに素に戻ってため息をつくのだった。

  
L: ビッグサンダーマウンテンに並ぶわれわれ。  C: えんだう氏の横でムリヤリにテンションを上げてみせるマサル。
R: しかしすぐにこの表情に戻るのであった。まあ文句を言いつつも乗れるようになったのはよかったと思うよ。

夕方に乗るビッグサンダーマウンテンというのも非常に味があるもので、岩山が夕日に映えて美しい。
高所恐怖症の僕は、どんどん上がっていくコースターの中で、半ば現実逃避で「きれいだねえ~」とつぶやくのであった。
そしていよいよ猛スピードで走りはじめると、マサルは「あはははは! なんだこれ!」とケタケタと笑いだした。
つくり笑いとか引きつった笑いとかそういうものではなく、100%純粋な笑いを連発しており、
人間テンパるとこんなふうになるのか……と、妙にこっちも冷静になって岩山に響くマサルの声を聞いていた。

ビッグサンダーマウンテンから下りてくると、そろそろエレクトリカルパレードの時間である。
すでに田舎の花火大会のような感じで、道の両脇は親子連れでびっしりと埋め尽くされている。
われわれはそれを挟んでのん気に立ち見。男6人で並んでエレクトリカルパレードってのもなあ。
それにしても、ニシマッキーが毎回「エレクトパレード」と必ず変なところで略して言うので困った。

  
L: エレクトリカルパレードが始まる直前の光景。非常にいい感じの薄暗さである。うーん、ええムードぶっこいてやがるな。
C: ここでもノリノリの人が約1名。  R: いよいよパレードが始まった。「きれいですね、エレクトパレード」

  
L: ミッキーマウスがミニーとともに登場。全員であの声をモノマネしながら会話するわれわれなのであった。
C: チシャ猫に乗ったアリス。僕は「Please marry to me!」なんて叫んでいませんよ。
R: 白雪姫。7人の小人たちはいないのか。7人の小人たちは「ねぼすけ」以外キャラが立っていないんですが。

 呉越同舟の図。

すごかったのが、『アラジン』のランプの精・ジーニー。新しい技術が使われていて、これには驚いた。
ジーニーの全身が平面ではなく立体のスクリーンになっており、次から次へと色を変えてみせるのである。
山寺宏一の軽快なしゃべりに乗せてさまざまな映像を再現していて、見応えは群を抜いていた。
実戦に投入されてわずか3日目というすばらしいタイミングで見ることができたのだが、みんなかなり衝撃を受けていた。

  
L: これがジーニーの基本色。  C: 変身の合間には花火など、さまざまな映像を映してみせるのだ。
R: Mr.インクレディブルに変身。プログラムさえすれば何にだって変身できちゃうわけだから、これはすごい!

その後もパレードは続く。時には厳しくツッコミを入れ、時には言葉を忘れて見入って過ごすのであった。

  
L: プーさん。  C: このニモはあまりにもひどい。なんとかならんのか。  R: シンデレラと魔法使い。

  
L: ドナルドダックはなぜか3匹の子ぶたと一緒に登場したのであった。  C: わかりにくいけどチップとデールです。
R: そういえばスティッチという強力な人気キャラがいたのを忘れていた。リロがこっちを向いて手を広げているの図。

トリを飾る日本ユニシスの山車が登場したところで、一気に後ろのスプラッシュマウンテンへ移動。
やはりマサルの表情が冴えないが、そんなものは放っておくのである。いざ乗り込むと、一気に上へのぼる。
高所恐怖症の僕の「いやー、これは行きますなー」という乾いた声が響くのであった。
一段上るとさらにもう一段。そうやって位置エネルギーを蓄えておいたところで、船はぐるぐるコースをまわる。
位置エネルギーの存在を忘れさせるがごとく、長々と『南部の唄』のストーリーを懇切丁寧に見せつける。
ビッグサンダーマウンテンがわりと純粋にジェットコースター(でもどこか安心感を抱かせる)であるのに対し、
スプラッシュマウンテンはディズニーらしいストーリー性を強調しており、意外と時間がかかる内容だった。
そして最後に一気に落としてくる。リョーシさんはびしょ濡れになってしまったのであった。よっ、いい男!

そろそろ帰りのことを意識して、乗る物を決める。『キャプテンEO』を見た直後には行列がすごくて諦めていた、
バズ・ライトイヤーがいい、という意見がみやもりから出て、特に反対意見もなくそれに決定。
みんなで暗い中をトボトボとトゥモローランド方面へと歩いていくが、途中でプーさんのハニーハント前を通過。
するとマサルが「やっぱ僕、ポップコーン買うわ」と屋台(って呼ばないとすれば何て呼べばいいのやら)へ。
みやもりが「まさかあいつ、スーベニア(子どもが肩からさげられるようにするやつ)にしないだろうな」とつぶやく。
そしたら予想どおり、プーさんの顔のついたプラスチックのカップを手にこっちに戻ってきたよ!

 リョーシさんがみんなを撮ってくれたよ。

  
L: マサルがスーベニアを肩からさげたくってベルトの長さ調節で悪戦苦闘していたので、手伝ってあげる僕。
C: 無事に肩からさげられるようになって満足そうなマサル。  R: 大喜びでポップコーンを食べる33歳児の図。

そうこうしているうちにたどり着いたバズ・ライトイヤーは、僕らの直前で機械のトラブルが発生し、いったんお休みに。
しょうがないので近くにあったスター・ツアーズに入ることにしたのだが、これが大失敗なのであった。
わかってはいた。わかってはいたのだけど、やっぱり猛烈な乗り物酔いに見舞われてしまった。
惑星エンドアになんか行きたくないから早く地球に戻ってくれ、と言いたかったけど言葉になんてなるわけない。
スタースピーダー3000が宇宙空間に出る前の段階でもう気持ち悪くなっていたくらい。あとはひたすら深呼吸で耐えた。
ほかの皆さんも多かれ少なかれ酔ったようだが、僕はもう足取りが覚束なくなるほどのひどさだった。
遊園地に来て乗り物酔いになるのは2回連続なので(→2010.5.2)、これはホントに困った。

続いてモンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”に挑戦。外からは行列は見えなかったが、中に入るとかなりの混雑ぶり。
みんな(特にマサルとみやもり)は「このアトラクションはGがかかるらしいよ!」とからかってくるのだが、
それに対して眉間にシワを寄せる表情をつくるくらいしかできないくらいに弱っている僕。
そしてそれを見てみなさん大笑い、そんな感じで順番を待つのであった。本当にさんざんからかわれた。
で、乗る段階になって「トラムが回転しますので……」という説明が入って一同大爆笑。青ざめる僕。
いざスタートしてみると、確かにけっこう回るのだ。ただ、回転の軸はズレないので、まだ助かった。
ふつうにライトでヘルメットの「M」の字を照らしてプレーできたのであった。
とはいえけっこうトラムの動きが雑で、ガクガクと揺られることが多々あったので、それはジャブのように効きましたな。

そんな具合にフラフラになったところでバズ・ライトイヤーが復帰したのを確認、本日最後のアトラクションに挑戦。
これもまた「回転する系」ということが判明し、涙目になる僕。でもここまできたら吐いてもやってやるのだ。
こちらのアトラクションは乗り物を自分で回しながら銃で的を狙って点を稼ぐというゲーム。
始まってみると360°あちこちに的があり、ひたすら連射。自分の銃がどこを狙っているかが非常にわかりづらいが、
撃った後に赤い光が残るので、それを参考に微調整しながら的に当てていったらそこそこうまくいった。
しかも的は当ててハイおしまいではなく、連続で当てる方が点がどんどん入ってくるらしいことに途中で気がついた。
おかげで、それでしっかり稼いで6人の中ではトップの成績なのであった。だからって何か得したわけではないが。

これにて男6人でのディズニーランドは終了。夕方5時からだけどアトラクションもエレクトパレードもしっかり楽しめ、
かなりコストパフォーマンスはよかったのであった。浦安駅へバスで帰るみやもりと別れると、京葉線に乗り込む。

 電車内でもぐったりしている僕。えんだうさんは楽しそうだな!

気がつけば東京駅に着いていた。地下深い京葉線のホームから地上を目指してがんばってエスカレーターを上がる。
そうしてさあいよいよ長い通路に出たぞ、と気合を入れたところで、なんとHQSの大先輩・ドビーさんと遭遇。
ドビーさんは僕らが男6人でディズニーランドへ行った帰りだと知って、「きみたちもうちょっとどうにかならないか」
というようなことをおっしゃったのであった。すいません、もうどうにもなりませんです。まあドビーさんも独身だしな。
そんなわけで最初っから最後までわれわれらしさ全開で楽しみきった姉歯祭りなのであった。どうもお疲れ様でした。


2011.7.9 (Sat.)

中村光『荒川アンダーザブリッジ』。前々から本屋で表紙を見て気になっていたので一気に読んでみた。

賑やかな各巻の表紙から、僕はさまざまなキャラクターが荒川を行き来するという群像劇を想定していた。
しかしフタを開けてみると、エリート大学生が自称金星人の美少女と荒川河川敷を舞台に繰り広げる「電波系ラブコメ」。
すべてのキャラクターがこちらの持っている常識の範囲を軽々と超えて暴れている。すべてが「斜め上」を行っている。
ページをめくるたびに「なんじゃこりゃ」という気分にさせられる。作者のやりたい放題がどこまでも炸裂している。

川で暮らす、というのは、社会学的には非常に重い意味を持っている。だから僕はどうしてもそれを抜きにしては読めない。
(はっきり言ってしまうと、氾濫の危険のある川で暮らすということは、差別の対象となるということにほかならない。)
しかし荒川河川敷は、作者のまさにユートピアとして機能している。誰のものでもない空間、常識すら通用しない空間。
文字どおりの「自由」がそこで展開されている。その作者の自由さを受け入れればこの作品は面白く感じるだろうし、
そうでなければ「なんじゃこりゃ」で終わる。そして当然、僕は後者だ。川という空間の屈強さを、この作者は無視している。

そして作者は各キャラクターの暴走を誰よりも楽しんでいる。時には読者を放ったらかして。
そこにあるのは、空間を自分の都合のいいように仕立てて、その中だけでの人形遊びに夢中になっている作者の姿だ。
僕にとっては、これが一番厭なパターンだ(→2005.8.182006.3.222008.6.28)。
本当に魅力あるキャラクターというのは、そんなものではない。作者の理屈を超えて、自らの理屈で動く。
キャラクターの皮をかぶった作者が楽しむのではなく、キャラクター自身が動くのだ(→2005.1.272008.9.19)。
そこには作者と読者との間の、「他者(キャラクター)の共有」がある(だから二次創作が生まれうる →2007.11.9)。
しかしこの作品では「電波」というサブカル用語が言い訳として機能して、キャラクターが作者の気まぐれで統制される。
この手のマンガはキャラクターとの時間の共有が大きな魅力になると思うのだが(→2002.4.72005.1.15)、
残念ながら「電波」ということで人間の深みを削られたキャラクター(=人形)と一緒に過ごしても、時間のムダでしかない。
10巻での金星へ向けての思わせぶりの連発、そして11巻での荒れ方は、この作品の悪い面が極限まで出た感じだ。
フィクションの作品を生み出すということは、作者が受け手と他者を共有するという、遠回しなコミュニケーションの行為だ。
ガマンして読んできたけど、その原則が完全に無視されていることがいよいよはっきりして、僕は途中で読むのをやめた。

結局、このマンガでいちばん面白いのは、表紙なのだ。
工夫が凝らされた表紙を見るだけに留め、エキセントリックな中身には触れないでいる。それが正解なのだ。
中身よりも表紙の方がはるかに面白くて魅力的なマンガ。ある意味、尊敬すべき存在だと思う。


2011.7.8 (Fri.)

ヤクルトが強い! 一時期はセ・リーグの貯金を独占している状況だったほどで(交流戦はパ・リーグ強すぎ)、
昨日も巨人相手にサヨナラ勝ちして14年ぶりの対巨人7連勝だそうだ(→2011.4.27)。うれしすぎる。
ニュース記事を見るに、凄いのは小川監督の采配だ。延長11回に走者が出るたび代走を出し、
最後のベンチメンバーだった捕手・川本まで代走で起用。その川本、実はけっこうな俊足で、
結果それが青木のサヨナラ内野安打につながるのだから、その一手も二手も先を読む力には脱帽するしかない。
思えば去年の驚異的な追い上げも感動的だったが(→2010.8.31)、今年に入ってもその力は少しも衰えていない。
現役時代にはなかなか有名な選手ではなかったことで監督代行から監督に正式に昇格できるか不安だったが、
もうその手腕を疑う人はいないだろう。派手でなくても実力のある監督、いいじゃないか!
最近はJリーグの方ばっかり観戦していて、神宮球場からはすっかり足が遠のいてしまっている。
たまには生で観ないとバチが当たるなあ、と思わされる快進撃だ。ぜひこのまま最後までいってほしい。


2011.7.7 (Thu.)

旅行に行きてぇ~~~!!

47都道府県庁を完全制覇したことで旅行への意欲は弱まったはずなのだが、梅雨の晴れ間でちょっと青空を目にすると、
もう旅行に行きたくってたまらなくなる。まあ確かに以前みたいな「travel or die」というような極端な事態ではないものの、
さすがにこれだけストレスの溜まる毎日を送り、ぐずついた梅雨空の下での生活を強いられてしまうと、
どこかへ行ってパーッと開放的な気分になりたい!という気持ちになるものなのだ。無理もないのだ。もう絶対そうなのだ。
いちおう、お盆前には帰省も兼ねて大胆な旅行をぶちかまそう!とプランを練っているところなのだが、
それとは別に今月中に隙をみてどこか行けないものか、と画策を始めてしまうのであった。自分にご褒美をあげたいっス。

ところで以前はプランを練っているだけでも満足感に浸ることができたのだが、最近はプランを練るのは面倒くさい。
面倒くさいけど考えなくちゃどうにもならんので仕方なくあれこれアイデアを出してみる、そんな感じだ。
それってつまり、以前に比べると意欲が落ちている、ということではなかろうか。いいバランスで楽しい旅行をしたいものだ。


2011.7.6 (Wed.)

今日は他校での研究授業の関係で早く職場を脱出できたのであった。おかげで日記をしっかり書くことができた。
しかし今、タリーズでマンゴータンゴスワークルなんぞをいただきつつMacBookAirのキーをたたいているのだが、
店内には僕のほかにもMacBookAirを使っている人が複数いる。けっこう売れているんだなあ、と思う。
MacだしLANの端子ないしで扱いづらい面は確かにあるけど、割り切ることができればこの手軽さは本当にすごい。
僕みたいにスタンドアローンで気ままに日記書くために使うのであれば、これは最高のツールなのだ。
実際、日記の借金も確実に減らすことができているし。今後もガシガシ快調に使っていくのだ。


2011.7.5 (Tue.)

現在、部活における最大の問題は、僕がちょっといなくなると、途端に練習の質が下がる点だ。
(かといって、ふだん僕がいて質の高い練習ができているかどうかは、それはまた別の問題なのでいったんおいておく。)
まあふだんの僕の指導する姿勢が甘いと言ってしまえばそれまでなのだが、連中は自分で自分を律することができない。
まだ精神的に幼いのだ。だから、自分にとって得意なことしかやろうとしない。そしてその事実に気づいてすらいない。
たとえばパス練習にしても、ボールを止めてプレースキック状態にして蹴りたがる。左足はもちろん使わない。
だから毎回、自分の苦手な状況を克服するためにやるのが練習だろう!と怒鳴っている状況である。
そうして怒った僕は、グラウンドの隅っこで壁に向かって一人で基礎練習をやり、リフティングの練習をやる。
自分に欠けているのはボールを扱うテクニックの部分だとわかっているからだ。それで上手くなりたくて、コツコツやっている。
そんな僕の姿に気づいている部員がほとんどいないのが切ない。「感じる能力」の大切さを、僕一人が実感している。


2011.7.4 (Mon.)

毎週月曜日は朝練の日である。グラウンドを全面使ってゲームができる、貴重な機会なのである。
しかし今日は梅雨の間の快晴ということで、朝っぱらから猛烈な温度と湿度に苦しめられた。
ちょっと動いただけなのに、体がまだ十分にできあがっていない部員たちはフラフラになってしまう。
僕にしてもキツいことには変わりないので、いつも以上に効率的なプレーができるように意識して走る。
コンディションを考慮してサッカーのスタイルを変えられるほど、みんなオトナではないんだよなあ。
それにしても、これまできちんと運動をする部活に入ってこなかった僕としては、今さらではあるのだが、
高い湿度というものがこんなに苦しいものなのかと驚いている。体が思うように動かない。変な発見だ。


2011.7.3 (Sun.)

本来ならば……! 本来ならば長野で開催される信州ダービーを観に行くはずだったのである!
しかしながらチケットを入手することができず(→2011.6.13)、結局午前中はおとなしく部活となるのであった。
とはいえこのまま素直にシコシコと日記を書いて過ごすのも癪なわけで、それならどっか行ってやるぞ!と、
自転車をこいで向かったのは、さいたま市の大宮。J1広島のパスサッカー(→2011.6.18)を、今度こそ体験するのだ。
というわけで、プリントアウトした大宮×広島のチケットを財布に入れてひたすら北上するのであった。

午前中にしっかりと部活のサッカーをやってから自転車で大宮まで行くというのは、冷静に考えると実にハードな運動だ。
まあでも試合は19時キックオフなので、無理をしないで余裕を持って比較的のんびりとペダルをこぐ。
まずは新宿に寄り、必要だったサッカー用の靴下を購入。プラクティスシャツを安売りしていたのでついでに買う。
いい買い物ができたのはうれしいが、思わぬ荷物が増えてしまったのも確かなのだ。まあそんなに重くないからいいけど。

メシを食ってエネルギーを充填すると、山手通りを北上。要町から池袋に寄り道することもなく、そのまままだ北上。
板橋区に入って国道17号に入るともう道に迷う心配はない。グイグイとペダルをこいで荒川を渡り、埼玉県に入る。
ふつう東京都を脱出すると自転車にとっては少し面倒な道に変わることが多いのだが、国道17号はだいぶ走りやすい。
非常に微妙な上り坂が延々と続く道となっているのだが、それほど気にすることなく快調に進むことができた。
そうして戸田から蕨、浦和、与野へと京浜東北線と並行して北上する。こないだの帰りの逆コースだ(→2011.4.29)。

大宮駅の西口に到着すると、どうやって東口に出るのかをまずじっくり探ることになった。
ソニックシティから駅前へと近づいていくと、OPAの中に東急ハンズの大宮店があることに気がついた。
これはもう、入ってみるしかない。というわけで、若い女性だらけのエスカレーターを上がって3階へ。
フロアはけっこう広く、いかにも最近のハンズらしいオシャレ感覚を重視した品揃えという印象がする。
しかしその分、マニアックな感じはしない。あまり「濃さ」を感じられないのは、個人的には残念なところだ。
4階と合計2フロアが東急ハンズ大宮店となっている。客は多く、さまざまな年齢層でごった返していた。
まあでも特に何も買うことなく、しっかり売り場を2周ほど徘徊したうえで地上に戻った。

陸橋で豪快に線路を越えて東口へ出る。何度も来ていて僕には見慣れた風景で、なんだか安心する。
時刻はだいたい15時くらい。17時にスタジアム入りするとして、2時間ぐらい余裕がある。
久しぶりにミスドに入ってドーナツをいただきつつ日記を書いた。長距離を走るのにドーナツはけっこういいのだ。

 繁華街から参道へ伸びる一の宮通り。アルディージャの花壇があるなど応援モード。

さて大宮アルディージャの本拠地は、さいたま市大宮公園サッカー場(→2009.3.18)である。
ネーミングライツにより世間では「NACK5スタジアム大宮」と呼ばれている(オレはネーミングライツが大嫌いだ!)。
このサッカー場は氷川神社のすぐ隣(大宮公園内)に位置しており、かなりすばらしい環境にあるのだ。
もちろん氷川神社に参拝してから、スタジアムへと向かう。紫色の広島サポが思ったよりも多い。
ほかの自転車と同じように駐輪すると、まずはスタジアムを一周する。毎回の恒例行事なのである。
そうして中に入るが、客席とピッチが実に近い。コーナーフラッグなんか、もう本当に目の前にあるのだ。
大宮公園サッカー場は1960年に開場しており、国内ではかなり古いサッカー専門のスタジアムである。
(三ツ沢球技場(→2008.7.9)と同じく1964年の東京オリンピック開催に合わせて整備された。)

  
L: 大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)は既存の施設をけっこう強引に改築したようで、周囲に余裕がない。
C: メインスタジアム。コンクリではなく金属感が強く、ちょっと特徴的な外観と言えるかもしれない。
R: バックスタンドよりピッチを眺める。適度な狭さが心地よいスタジアムである。実際に訪れると、予想以上にいい。

右手にゴール裏で盛り上がる大宮サポーターを眺めながら日記を書いて過ごす。
今回はホーム側に寄ったバックスタンドの席にしたので、周囲はユニフォーム姿の大宮サポが多い。
とはいえ部活のサッカーウェアのままで来た僕でもまったく違和感なく過ごせるので、いい雰囲気である。
やがて大宮のキーパーが現れて、練習が始まる。サポはすぐ目の前にいる選手に大声援を送る。
敬意を持った無数の視線が注がれる。選手にしてみれば、これほど気合の入る環境はないだろう。
そしてフィールドプレーヤーたちも登場。大宮では選手が練習に入る前に、ファンサービスの一環として、
オレンジ色のボール(たぶん中にはグッズが入っているのだろう)をいくつも客席に投げる。
これだけで一気に選手と観客の距離が近くなる。いい工夫をしているなあ、と感心させられた。
やはり練習中は、ひたすら選手のチャントにコールが続けられる。ピッチの近いスタジアムの威力を感じる。
ところで会場でのアナウンスを聞いて初めて知ったのだが、今期の大宮はまだホームで未勝利なのだそうだ。
でもアウェイで4勝3分け(無敗)と異様な外弁慶となっており、順位だけ見ると10位とそこそこの位置につけている。
とはいえホームのサポにしてみれば目の前での勝利を見たいもの。応援も意気込みが感じられた。

  
L: 広島サポがけっこう多い。東京在住の広島県人会も協力するなど、気合の入っている人が多いようだ。
C: 日高屋の宣伝をして走るアルディ。デザインのせいか、うつむき加減なことが多いのがちょっと残念。
R: 選手入場時の大宮ゴール裏。骨肉腫と闘う塚本の旗や横断幕の存在感が印象的だった。

広島はこないだの川崎戦(→2011.6.18)とは違ってほぼベストメンバー。
対する大宮は正直よくわからないが、甲府サポ(休業中)としては杉山がベンチ外なのでションボリである。
試合は序盤からなかなか激しく展開する。広島に対して大宮は受けに回ることなく、ボールを保持して攻める。
かつての大宮といえば「4-4-2でかっちり守ってカウンター」という典型的なチームだったのだが、
新潟から移った鈴木監督(「なんでんかんでん」の社長そっくり)はポゼッションサッカーを志向している。
(ちなみにその4-4-2による守備的サッカーをかつて定着させたのが、現在の甲府の監督をやっている三浦俊也。
 大木さんの率いた甲府とは真逆の方向のサッカーなので、そりゃ甲府サポを休業したくもなるってもんだ。)
大宮は広島のパスサッカーに真っ正面からぶつかろうという意識がよく現れており、実際、セカンドボールをよく拾えていた。

対する広島は川崎戦とは打って変わって積極的にパスを回して押し上がる。特に3バックの右サイド・森脇からの、
中盤への鋭いパスが目立つ。これをいったん外にはたいて右MFミキッチがサイドに切り込み、
ペナルティエリアで待つ佐藤寿人と李忠成の2トップにラストパスを送る、そんなプレーが何度もあった。
しかしながら大宮はMFも加えてゴール正面のエリアを極めて厚く守り、最後のところで自由にさせない。
大宮のセンターラインは攻撃意識を高く持ちながらも、非常に素早くゴール前を固めるのだ。かなりの安定感がある。
試合後の監督や選手のコメントによると、この日の広島は大宮が攻勢に出たのでカウンターサッカーに徹していたそうだ。
とはいえ僕の目には、カウンターのわりにはDFからしっかりパスをつないで相手ゴール前まで攻めているので、
それほど広島のやっていることが守備的という印象はなかった。逆を言うと、パスサッカーが完全に定着しているということだ。

ボールを保持して攻める大宮だが、集中して守る広島に対して決定機をつくることができない。
そうしているうちに後半早々の49分、コーナーキックから広島の3バックの左サイド・盛田がヘディングでゴールを決める。
盛田は川崎でもここ大宮でも、スタメン発表の際にホームのサポーターから拍手を受けていた。
もともと盛田はFWで、浦和からC大阪、川崎、大宮を経て広島に移り、そこでDFにコンバートした選手なのだ。
大宮は盛田が最も点を取ったスタジアムだそうで、「盛田が決めたんならしょうがない」という声を実際に聞いた。
終了間際にはピッチサイドで給水する盛田に大宮側のバックスタンドから応援の声が飛んでそれに盛田が応えるという、
微笑ましいシーンもあった。大宮サポは紳士的で優しいなあと心から思ったね。

  
L: 佐藤寿人が目の前を駆け抜けたんだけど、本当に真っ黒だった。元代表選手が目の前にいるってのは、それだけで興奮する。
C: 後半、広島GK・西川のファインセーブ。  R: 自らの与えたPKを止める西川。この日の西川は絶好調だった。

残り時間が少なくなると、大宮はどんどん攻勢を強める。広島の攻めの局面は明らかに減る。大宮側の応援は最高潮。
それにしても大宮サポの太鼓は非常にリズム感がいい。聴いていて、とても軽やかな感触が残るのだ。
また複数の太鼓が見事に同じリズムを刻んでおり、これが声を引き出すのにものすごく貢献している。本当にすばらしい。

しかし広島は守備を固めて大宮の攻撃をしのぎ続ける。西川も絶好調で、大宮の攻撃をことごとく防いでみせる。
もっとも、攻勢に出ているからといって大宮の攻撃が有効であるようには、僕には思えなかった。
なぜなら、結局最後はラファエル頼みなのが明らかだからだ。自分が決める、という強い意志を持った選手がいなかった。
大宮はボールを持っていいところまでは行くんだけど、ゴール前で広島の選手が目の前に立つと急にしぼむ感じ。
流れを変える強引なプレー、何をやるのか読めない危険なプレーがなく、本当の意味での迫力に欠けていた。

  
L: 終盤、攻勢に出る大宮。しかし広島は人数をかけて守る。それをなかなか思うように崩せない。
C: 足がつった大宮FW・イ=ジョンスのケアをしてあげる広島GK・西川。フェアプレーでございます。
R: 人数をかける広島の守備を攻めあぐねるの図。目の前で何度もコレで、大宮サポのストレスは溜まる一方。

結局、0-1で広島が勝利。大宮のホーム初勝利はまたしてもお預けとなってしまった。
ゴール裏に挨拶に来た選手たちには、試合前の敬意とはまったく正反対のブーイングが容赦なく浴びせられる。
気持ちはわからないでもないが、アウェイでは無敗なんだし、その感情は短絡的だと僕は思った。
ちょっと前まで大宮はJ2に落ちそうで落ちないクラブの代名詞だったわけで、その事実を考えれば、
現状で選手にブーイングを浴びせるというのは、ちょっとサポの側のガマンが足りないのではないか。
対照的に反対側のゴール裏では広島の選手たちが手をつないで客席へと走り寄っていき、ジャンプ。
気温と湿度が高くてコンディションに苦しみ、本来のパスサッカーができないらしい広島だが、
自分たちのベースを生かしつつしぶとく勝つことはできている。どこまで順位を上げられるのか、注目したい。

 
L: サポーターとともに喜ぶ広島の選手たち。広島はこういうパフォーマンスを得意としているだけあり、絵になっている。
R: 健闘はしたが、決定打に欠けた大宮の選手たち。サポーターから厳しい言葉が飛んでいたのは残念だ。

自転車にまたがると氷川神社の参道を快調に駆け抜け、大宮の街へ。メシを食うと吉敷町から国道17号に戻り、
一気に東京へ向かって下っていく。さすがに環七で曲がった辺りで疲れが出てペースは落ちたが、
それでも勢いよく走って無事に帰宅することができた。いやー、予想以上にハードな一日になったわ。

(これがあまりに強烈だったのか、後日ALTから「前より痩せて見える」って言われた。これしか理由が思い当たらん。)


2011.7.2 (Sat.)

さあテストが終わって休みだ!……と思いきや、実は今日までがテストなのである。つまり土曜だけど出勤。
世間ではゆとり教育に対する風当たりが強くなり、土曜日にも授業をやる日を設けるようにお達しがきている。
そういうわけで土曜だけど仕事なのだ。もちろんこの分は休暇として申請できるのだが、
休日も部活に追われるような生活をしている限り、それが有効な休暇となる日が来るわけないのである。
勉強させるつもりならその分しっかり部活を減らせよバカ!と思うのだが、部活に命を賭けるアレな人が多いので、
スタンダードはそっちに寄ってしまうわけである。まあ、オレはオレで、あくまで勉強優先の部活を貫くが。

ともかく、午前中はテスト監督。採点は昨日終わらせたが、生徒の提出課題が3学年分、机の上でタワーになっている。
冗談抜きで、職員室内で最も高い建築物となってしまっているのである。地震が来たらひとたまりもない。
さすがにそんなものをちまちまチェックしていく気力はなく、午前が終わったらすべてを放ったらかしにして職場を離れる。
この土日は、まあ明日部活はあるけど、すべてを忘れてワガママに過ごしてやるのだ。でなきゃやってらんねえ。
来週は課題のタワーがジェンガ状態でいろんな意味で危険なのだが、明日は明日の風が吹くのだ。
たぶんここで充電した方が正解だもんね。


2011.7.1 (Fri.)

もう今年も後半戦ですか。今年は忙しいこともあって、昨年とは比べ物にならない余裕のなさである。
冷静に物事や自分を見つめることができないままで必死で動いている。周りを十分に見ることができていない。
それが好影響のときもあるんだろうけど、今のところはそういう感触を感じることができないのがちょっと切ない。
ひたすら「今」で手一杯で、「未来」へ向けて何かを積み上げているって気がしないんだよなあ。
後で振り返ってみてプラスである何かが残っているならいいんだけど。まあプラスを拾い上げられるかは自分しだいか。

意識して、なんかこう、幅を広げておかないといかんね。いろいろ考えてみますかね。


diary 2011.6.

diary 2011

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